東京地方裁判所 平成4年(ワ)13155号 判決 1999年6月16日
原告
石毛紀代子
ほか三名
被告
内田誠
主文
一 被告は、原告石毛淑子に対し、金七万六九〇〇円、原告石毛紀代子、原告石毛健史及び原告石毛友紀子に対し、各金一万六六六六円及びこれらに対する平成四年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らの負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分について、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告石毛淑子に対し、金三六七五万円、原告石毛紀代子、原告石毛健史及び原告石毛友紀子に対し、各金一一五五万円及びこれらに対する平成四年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、自動車を運転していて他車に追突された者が、事故後四日目に急死したことについて、その妻子が、死亡したのは、事故の際に生じた脊髄離断あるいは脳出血であるとして、追突をした車両の運転者に対し、自賠法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を掲げた事実以外は争いがない。)
1 事故の発生
次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
(一) 発生日時 平成四年三月二八日午後四時一〇分ころ
(二) 事故現場 茨城県鹿島郡波崎町矢田部五二七一番地三先道路
(三) 加害車両 被告が保有し、運転する普通乗用自動車(トヨタコロナ・大宮五四つ六六六三号、以下「被告車両」という。)
(四) 被害車両 石毛伸一が運転する普通乗用自動車(トヨタコロナマークⅡ・千葉五二の七五七九、以下「石毛車両」という。)
(五) 事故態様 事故現場である国道一二四号線上を走行してきた石毛車両が、交差点を右折するために停止していた数台の車両に続いて停止したところ、後方から走行してきた被告車両が、これに気づかず石毛車両に追突した。その結果、石毛車両は、その衝撃で押し出されて前の車両に追突し、追突された前の車両は、さらにその前の車両に追突した。
2 石毛伸一の事故後の経過
石毛伸一は、本件事故の翌日である平成四年三月二九日、三枝整形外科医院で診察治療を受けたところ、頸椎捻挫、腰部捻挫の診断を受けた(甲二、三)。ところが、石毛伸一は、平成四年四月一日、朝食中に突然意識を失って倒れ、そのまま同日午前八時三七分に死亡した(乙三)。
3 責任原因
被告は、被告車両を保有し、自己のために運行の用に供していたのであるから、自動車損害賠償保障法三条により、原告石毛淑子及び石毛伸一(以下「亡伸一」という。)が被った損害を賠償する責任がある。
4 相続
亡伸一の死亡当時、原告石毛淑子はその妻、原告石毛健史、原告石毛友紀子及び原告石毛紀代子はその子であり、他に相続人はいなかった(甲七)。
二 争点
1 亡伸一の死亡と本件事故との相当因果関係の有無(亡伸一の死亡原因)
(一) 原告の主張
亡伸一は、本件事故の際、強力な外力による脊髄離断、あるいは、頭部の強打による脳出血の傷害を受け、これによって死亡した。
したがって、亡伸一の死亡は、本件事故と相当因果関係がある(少なくとも、死期を早めたことについては相当因果関係があるとの主張を含むものと理解することができる。)。
(二) 被告の反論
亡伸一は、平成三年二月二八日、膵臓癌の手術を受けたが、残存していた癌組織により発熱を繰り返して膿瘍形成が進行し、本件事故直前の平成四年二月一七日から同年三月一一日の間は再入院していたのであり、この病巣が他臓器に波及して死亡したものである。
したがって、亡伸一の死亡は、本件事故と相当因果関係がない。
2 原告石毛淑子及び亡伸一の損害額
(一) 原告らの請求
(1) 原告石毛淑子の損害
イ 治療費(文書料を含む) 二万八九〇〇円
ロ 葬儀費用 一二〇万〇〇〇〇円
(2) 亡伸一の損害
イ 逸失利益 一億四二九七万二六二〇円
ロ 慰謝料 二三〇〇万〇〇〇〇円
(二) 被告の主張
損害は知らない。
第三争点に対する判断
一 亡伸一の死亡と本件事故との相当因果関係の有無(亡伸一の死亡原因)(争点1)
1 前提となる事実及び証拠(甲二、三、五、一〇の1~19、乙一~三)によれば、亡伸一の本件事故後の経過等について、まず、次の事実が認められる。
(一) 石毛車両は、本件事故により、後部バンパー及び後部ライト部分が大きく破損し、前部もバンパーが上側に少し持ち上がって歪みが生じ、ボンネットとボディの間に隙間ができた。
(二) 亡伸一は、本件事故当日である平成四年三月二八日は、病院で治療を受けることなくそのまま帰宅したが、翌二九日、頸部、腹部、背部、腰部に痛みを訴え、千葉県銚子市内に所在する三枝整形外科医院で診察治療を受けたところ、X線検査及び神経学的所見においても異常は認められず、頸椎捻挫、腰部捻挫の診断を受けた
(三) 亡伸一は、平成四年三月三一日には、三九度の熱が出て、銚子市内の恵天堂医院で点滴を受けた。
(四) 亡伸一は、平成四年四月一日、食事中、突然意識を失って倒れ、直ちに救急隊が呼ばれたが、救急隊が到着した同日午前八時三七分、死亡が確認された。搬送された千葉県銚子市内の恵天堂医院の江畑耕作医師は、死亡の種類を「外因死(その他および不詳)」とし、死亡原因として、直接の死因を「脳出血の疑い」、その原因は「不詳」とする平成四年四月二二日付け死体検案書を作成したが、同年五月一日付けの住友生命保険相互会社宛ての死体検案書には、死亡の種類を「病死および自然死」、「その他および不詳」と記載している。
2(一) 原告らは、亡伸一は、本件事故において、身体の重要な部位に重篤な損傷を受けていたと考えるのが妥当であり、強力な外力による脊髄離断の傷害を受け、それが原因で死亡したと判断するのが最も妥当であると主張する。
しかし、1の認定事実によれば、亡伸一が本件事故において受けた傷害は、頸椎捻挫及び腰椎捻挫にとどまり、本件全証拠によっても、脊髄離断の傷害を受けたと認めるに足りる証拠はない。
また、原告らは、頭部強打の事実が推定されるから、江畑耕作医師が、死因を脳出血の疑いとしたのも正当であると主張する。この趣旨は必ずしも明確ではないが、脊髄離断の傷害を負っていないとしても、頭部強打による脳出血で死亡したとの趣旨であると理解することができる。
1で認定したとおり、事故の衝撃は必ずしも小さいものではなかったといえるものの、亡伸一が頭部を強打したと認めるに足りる証拠はない(三枝整形外科医院においても、打撲の診断はない。)。また、死亡原因も、死体検案をした江畑耕作医師は、死体検案の性質上、死体の外表のみから脳出血の疑いと診断したにすぎないから、これをもって脳出血により死亡したとは当然にはいえないし、他に、脳出血で死亡したと認めるに足りる証拠はない。
(二) 証拠(乙四~七、鑑定嘱託の結果)によれば、かえって、亡伸一の直接の死亡原因について、次の事実が認められる。
(1) 亡伸一は、既往症として糖尿病と高血圧があったが、平成三年二月二八日に、膵頭癌のため、東京都立駒込病院において、胃腸間のバイパス手術(膵癌部は切除不能であった。)と放射線照射を受けた。その後、約一年を経過した平成四年二月一五日に吐血と下血により貧血となり、食欲不振もあったので、同年二月一七日に東京都立駒込病院に緊急入院した。翌一八日には、医師から家族に対し、出血の原因は二通り考えられるが、いずれにしても治しようがないこと、出血すれば輸血しか方法がなく、出血が多量であった場合は手の施しようがないこと、余後命は、今日、明日かもしれないし、数か月先かもしれないとの説明をした。医師においては、これ以上の延命は無理であり、自宅での生活に戻って生活の質の向上を図ることが今後の問題であると考えられており、その結果、亡伸一は、同年三月一一日に退院した。なお、亡伸一は、この入院期間中にも、同年二月二二日に消化管出血を一回起こし、また、六日間にわたり、三八度以上の熱を発した。
(2) 被告の本件事故に関する業務上過失致死被疑事件の捜査において、死体解剖が行われ、執刀した医師医学博士である三澤章吾及び岩楯公晴は、次のとおりの鑑定(以下「三澤鑑定」という。)をした。
亡伸一に認められた損傷は、表皮剥脱や皮下出血であり、これらが直接の死因となったとは考えられないし、頸部、頸椎及び頸髄などにも損傷は認められない。他方、膵癌の手術施行後の状態には目立った所見があり(膵部の腫瘤部の線維化、残存膵や周囲結合織の微少な膿瘍形成、肝類洞内、腎糸球体系内、肺動脈及び肺胞毛細血管内の微少なフィブリン血栓など)、これによると、亡伸一の死亡原因は、残存膵が線維化し、膿瘍が形成されて敗血症となり、これが原因でDIC(播種性血管内凝固症候群といい、全身の細小血管内に血栓の多発を来す。)が惹起されて循環障害に陥った結果、肺のうっ血浮腫及び心不全を助長させて死亡に至ったと推定される。亡伸一には、致死的な損傷は認められないから、本件事故が直接的に死亡につながったとは考えがたい。仮に、死亡に関係したとすれば、膵癌手術後栄養状態が低下し、心予備力の低下や全身の循環傷害という状態を基盤にして、自動車の衝突によるストレスが何らかのきっかけとなって循環障害が助長された結果、肺のうっ血浮腫及び心不全を助長したとの関与が考えられるが、前記のとおりの経過の方がより直接的に死亡に関係したと考えてよく、この意味から死亡原因は病死と推定される。したがって、本件事故と亡伸一の死亡との間の因果関係をまったく否定することはできないが、少ないと考えるのが妥当である。
この結果、被告の罪名は、業務上過失傷害被疑事件に変更され、被告は、結局、業務上過失傷害事件として略式起訴され、越谷簡易裁判所において、罰金二〇万円の略式命令を受けた。
(3) 本件事故と亡伸一の死亡との因果関係につき、鑑定嘱託を受けた日本交通医療協議会の鑑定人上山滋(ママ)太郎は、次のとおり鑑定する(以下「上田鑑定」という。)。
膵癌部に感染症が生じ、その結果、DICが惹起されて死に至ったという点では、三澤鑑定に賛同する。亡伸一の入院中の発熱は、残存癌内ないしは空腸潰瘍部に発生した感染に起因する可能性が高く、特に、消化管出血以降は、膿瘍形成が断続的に生じていたものと考えられ、退院後も感染を起こしやすい状態は常に存在していたといえる。そうした状態が多臓器にも波及し、同時にDICが上肢などにも惹起され、死に至ったと考えられる。もっとも、広範な外傷や熱傷もDICを惹起する原因になり得る。しかし、亡伸一には、体表面の数個の軽微な皮膚損傷以外には、外力作用に基づく異常はまったく認められない。そうすると、DICを惹起させるような広範な外傷は存在しなかったといえるから、死亡原因は病死ということになる。
また、本件事故が死期を早めたか否かについては、外力作用に基づく異常に関する解剖所見、事故後四日後の死亡であることを併せて考えると、死期を早めた可能性はないとの判断もなし得るが、出血などの以上に至らない程度の外力が膵頭癌の周辺に波及した可能性はあり、その外力作用を契機として、感染が周囲に及んだ可能性まで否定することはできない。こうした可能性に、精神的動揺や疼痛を考慮すると、死期が一週間程度早まった可能性はある。
(三) このように、原告が主張する脊髄離断や脳出血を認めるに足りる証拠はなく、かえって、それらは存在せず、かつ、亡伸一の死亡原因は膵頭癌に起因する病死であると認めることができる。したがって、原告の主張は理由がない。
もっとも、三澤鑑定及び上田鑑定は、本件事故が亡伸一の死期を早めた可能性を否定はしていない。しかし、いずれも、可能性を否定しない程度のもので、その可能性が高いとすら説明しておらず、上田鑑定に至っては、その可能性があっても、早めた死期は一週間程度というもので、この程度の期間は、本件事故がなかったとしても、優に通常の診断の誤差の範囲内程度のものといえる。したがって、いずれの鑑定を前提にしても、本件事故が亡伸一の死期を早めたとは認めるに足りないというべきである。
二 原告石毛淑子及び亡伸一の損害額(争点2)
1 原告石毛淑子の損害
原告石毛淑子は、三枝整形外科医院に対し、亡伸一の治療費二万六九〇〇円(文書料を含む)を支払った(甲三、四)。
なお、原告石毛淑子は、亡伸一の葬儀費用も本件事故に基づく損害として主張するが、亡伸一の死亡は本件事故と相当因果関係がないから、原告の主張は理由がない。
2 亡伸一の損害
(1) 亡伸一は、三枝整形外科医院に一日通院し、頸椎捻挫及び腰部捻挫の診断を受けており、この病名からして少なくとも、死亡時までは治癒していなかったと判断するのが相当である。したがって、この通院回数や死亡時までの期間などの事情を総合すると、亡伸一の慰謝料としては、一〇万円とするのが相当である。
なお、原告らは、慰謝料として斟酌すべき事情として、死亡したことに関する精神的損害をも主張するが、亡伸一の死亡は本件事故と相当因果関係がないから、この点は理由がない。
(2) 原告らは、逸失利益も損害として主張するが、右と同様に理由がない。
(3) 亡伸一の損害一〇万円について、原告石毛淑子は、その二分の一を、原告石毛紀代子、原告石毛健史及び原告石毛友紀子は各六分の一ずつ相続した。
したがって、原告らが相続した亡伸一の損害賠償請求権は、原告石毛淑子が五万円、原告石毛紀代子、原告石毛健史及び原告石毛友紀子が各一万六六六六円(いずれも一円未満切り捨て)となる。
第四結論
以上によれば、原告らの請求は、本件事故に基づく損害賠償として、原告石毛淑子においては、七万六九〇〇円、原告石毛紀代子、原告石毛健史及び原告石毛友紀子においては、各一万六六六六円と、これらに対する平成四年九月九日(不法行為以降の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 山崎秀尚)