東京地方裁判所 平成4年(ワ)1694号 判決
原告 古澤武
原告 古澤ユキ
右両名訴訟代理人弁護士 揚野一夫
被告 古澤敏
右訴訟代理人弁護士 辰口公治
同 岩下孝善
主文
一 原告古澤武と被告との間において、同原告が、別紙物件目録記載一1の土地について、八九二九万分の七〇九万九五九八の持分権を有することを確認する。
二 原告古澤ユキと被告との間において、同原告が、別紙物件目録記載一1の土地について、八九二九万分の一一八四万六九一五の持分権を有することを確認する。
三 被告は、原告古澤武に対し、被告が同原告に対して三二〇万六二二九円を支払わなかったときは、別紙物件目録記載一1の土地の持分八九二九万分の七〇九万九五九八について、平成三年八月四日遺留分減殺を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
四 被告は、原告古澤ユキに対し、被告が同原告に対して五三五万〇一五一円を支払わなかったときは、別紙物件目録記載一1の土地の持分八九二九万分の一一八四万六九一五について、平成三年八月四日遺留分減殺を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
五 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、これを五分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告古澤武及び原告古澤ユキが、別紙物件目録記載一1及び2の各不動産(以下、併せて「本件土地建物」という。)につき、それぞれ持分八分の一の所有権を有することを確認する。
二 被告は、原告らに対し、別紙登記目録記載一1及び2の各登記につき、別紙登記目録二記載のとおり更正登記手続をせよ。
第二事案の概要
本件は、原告らが、被告に対し、被相続人古澤和平(以下「和平」という。)が相続人である被告に対して行った本件土地建物の生前贈与が、同じく相続人である原告らの遺留分を侵害していると主張して、右不動産につき、遺留分減殺に基づく原告らの共有持分権(各八分の一)の確認及び所有権移転登記の更正登記手続を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を掲記しない部分は、当事者間に争いがない。)
1 原告らは、いずれも和平(明治四三年八月四日生まれ)の養子であり、被告は、和平の妻である。
原告古澤武(以下「原告武」という。)は、実母である波多野みよし死亡後の昭和一五年ころ、叔母である古澤カツ(以下「カツ」という。)に引き取られ、事実上の養親子として暮らしていた。カツと和平は、昭和一〇年ころから同居していたが、昭和二七年一〇月二五日、婚姻の届出をした。
昭和三五年六月二三日、原告武は、原告古澤ユキ(以下「原告ユキ」という。)と結婚し、和平らと別居した。
2 和平は、昭和四四年三月、本件土地建物の所有権を売買により取得し、自宅として居住していた。
和平は、かねてより裁判所書記官として勤務していたが、昭和四六年ころ退職し、千葉県松戸市において司法書士を開業した。当時、原告ユキは、原告武と共に松戸市内に在住していたことから、和平の司法書士業務を手伝うなどしていた(弁論の全趣旨)。
3 昭和四七年一二月二日カツが死亡したため、原告らは、東京都中野区の和平宅で和平と同居するようになった(甲一八)。
和平は、原告らと同居を始めた後、相続財産を同人の兄弟ではなく、原告らに相続させることを考え、波多野姓にこだわっていた原告武を説得するなど、積極的に養子縁組を働きかけ、その結果、昭和四八年三月二日、原告らと和平との養子縁組の届出がされた(甲二、一八)。
また、和平は、原告らに対し、松戸の家を新築するよう勧め、原告武が昭和四八年五月三一日協和銀行中野支店から新築のための資金一〇〇〇万円を借り入れたが(甲一四)、和平は、その借入れについて、定期預金を担保として提供するとともに、連帯保証人となった。そして、同年八月ころ、原告らと和平は、完成した松戸の建物に引っ越した。
4 和平は、知人から被告を後妻に勧められ、昭和四八年一一月二八日、被告と婚姻の届出をし(甲一)、そのころ、被告も原告らと同居するようになった。
ところが、その後、和平と原告らとの間で、本件建物の建替え後の登記名義等を巡って行き違いが生ずるようになり、昭和四九年七月一一日ころ、和平及び被告は本件建物に戻り、原告らと別居するに至った(甲一八)。
そして、和平は、被告に対し、本件土地建物を昭和五〇年三月から昭和五三年五月ころの間に贈与し(以下「本件贈与」という。)、土地については別紙登記目録記載一1のとおり昭和五一年三月二九日及び昭和五三年五月一三日の贈与を、建物については別紙登記目録記載一2のとおり昭和五〇年三月二七日の贈与をそれぞれ原因とする所有権移転登記手続をした(甲五、六)。
また、この間、和平は、原告らに対し、前記3で担保として提供していた定期預金の返還を求め、和平と原告武との間で、昭和五〇年五月一六日、両者間で協議して決定する金額を和平が支払うことにより、原告武が右預金の預り証を返還する旨の契約書(甲一七、乙三三[一、二丁])が交わされ、次いで、同年六月三〇日、原告武が七日以内に和平に対して現金五〇〇万円を返還し、残金についてはさらに協議して決定する旨の書面(乙三三[三丁])が交わされるに至った。これに基づき、原告武は、同年七月八日、和平に対し、同人の定期預金証書一五通(額面合計約五〇〇万円)を返還した(乙三四)。
ところが、残りの定期預金証書の返還については、和平と原告武との間で合意が成立しなかったため、和平は、昭和五一年四月二六日、原告武を相手方として、東京地方裁判所に預金証書等の返還を求める民事調停の申立てを行い(乙三四)、これを契機として、同年六月一日、和平が原告武に対して三〇〇万円を支払うのと引き換えに右預金証書の一部の返還を受けた(甲二八、乙一九、三七)。
5 原告らは、昭和五二年八月三一日、協議離婚の届出をした(甲三、四)が、その後再び婚姻の届出をした(甲二六、弁論の全趣旨)。
和平は、平成三年六月四日死亡した(甲一)。
被告は、平成四年六月一九日、原告らに対し、養子縁組無効確認の訴えを提起した(当庁平成四年(タ)第二九七号)が、平成六年九月二六日、右請求を棄却する判決が言い渡され(甲二四)、さらに、被告の控訴に対し平成七年五月二二日右控訴を棄却する判決が言い渡された(東京高等裁判所平成六年(ネ)第四一八八号、甲二五)。
6 原告らは、被告に対し、平成三年八月四日、本件土地建物につき遺留分減殺の意思表示をした(甲八の1、2)。
また、被告は、平成一二年三月二九日の本件口頭弁論期日において、原告らに対し、裁判所が定めた価額により民法一〇四一条の規定に基づく価額の弁償をする旨の意思表示をした(顕著な事実)。
二 争点及びこれに関する当事者の主張
本件の争点は以下の六点であり、この点に関する各当事者の主張は次のとおりである。
1 持戻し義務免除の意思表示の有無及びその効力
(被告の主張)
和平は、本件贈与につき、黙示的に持戻し義務を免除する旨の意思表示をした。
すなわち、和平の遺言書(乙一〇、一一)によれば、和平は、原告らを「養子にしていない」、「相続人から廃除する」と遺言しており、原告らには一切の相続財産を相続させないとの確固たる決意及び態度であったことが明らかである。さらに、和平は、右遺言に先立ち、原告らに対して、後記3の被告の主張(一)及び(二)のとおり十分な財産を贈与し、何ら生活に困らないように配慮している。
こうしたことからすると、右遺言には、仮に遺留分が問題となった場合には、本件土地建物を遺留分算定の基礎財産及び対象財産にしない、すなわち本件贈与につき持戻し義務を免除する旨の和平の意思が含まれていたと見るべきである。
(原告らの主張)
仮に、本件贈与について、和平が持戻し義務免除の意思表示を行ったものと推認されたとしても、右意思表示は、他の共同相続人である原告らの遺留分を害さない範囲でその効力を有するにすぎないから、被告の主張には理由がない。
2 民法一〇三〇条後段の加害の認識の有無
(原告らの主張)
和平及び被告は、本件贈与が原告らに損害を加えることを知りながら本件贈与を行ったものである。このことは、和平が、本件贈与当時六七歳くらいで既に病弱であったこと、被告に対し、その財産の大部分を贈与したことからして、明らかである。
(被告の主張)
本件土地は、道路に接する間口が一・八五メートルしかないため、建築基準法四三条により新築又は改築することができない上、奥行き逓減、不整形地で袋地状であるため、いわば準盲地ともいうべき土地であるから、その価値は著しく低い。また、本件贈与は相続開始時から一三年以上前に行われたものであり、しかも和平及び被告には、当時、原告らが養子であるとの認識がなかった。さらに、本件贈与には和平の被告に対する将来の扶養の意味が込められていた。
他方、和平は、後記3の被告の主張(一)及び(二)のとおり、原告らに対して十分な特別受益を与えている。
以上の事情からすれば、和平及び被告には、本件贈与の際、原告らに損害を加える認識がなかったことが明らかである。
3 特別受益の有無及びその額
(被告の主張)
(一) 原告武は、和平から、その生前に次のとおり贈与を受けている。
<1> 別紙物件目録記載二1の土地(以下「松戸の土地」という。)
松戸の土地は原告武名義で昭和三九年六月に売買により取得されたものであるが、和平は、右売買代金の二分の一を負担して右宅地の二分の一の共有持分権を取得し、これを原告武に贈与した。
<2> 現金合計二五八万二〇一三円(昭和四八年七月三一日から昭和四九年八月三一日まで)
別紙物件目録記載二2の建物(以下「松戸の建物」という。)の建築資金のうち、合計二五八万二〇一三円(元金一四〇万円、利息一一八万二〇一三円)は和平が支出し、原告武に贈与した。
<3> 現金三六万一五〇〇円(昭和四八年一二月一二日から昭和四九年一二月一三日)
<4> 現金三〇〇万円(昭和五一年六月一日)
(二) 原告ユキは、和平から、その生前に次のとおり合計五〇四万六四八二円の贈与を受けている。
<1> 現金五三万七〇八〇円(昭和四七年一二月二日)
<2> 現金六〇万円(昭和四八年一月中旬ころ)
<3> 現金一〇万円(昭和四八年一月下旬ころ)
<4> 現金五〇万円(昭和四八年三月四日)
<5> 現金一一五万五〇〇〇円(昭和四七年一二月二日から昭和四八年四月一二日まで)
<6> 現金四〇万円(昭和四八年一〇月二四日)
<7> 現金一二万円(昭和四八年七月から同年一二月まで)
<8> 現金一五万円(昭和四八年一〇月一九日及び昭和四九年四月一五日)
<9> 現金四〇万円(昭和四九年三月二四日)
<10> 現金二〇万円(昭和四九年五月二三日)
<11> 現金四五万三一四二円、二三万一二六〇円(以上、昭和五一年八月三日)及び二〇万円(同月二日)
(三) 被告は、和平から、その生前に次のとおり贈与を受けている。
<1> 本件土地
和平は、昭和五一年三月及び昭和五三年五月の二回に分けて、被告に対し、本件土地を贈与した。
<2> 本件建物
和平は、昭和五〇年三月、被告に対し、本件建物を贈与した。
(四) 平成一二年二月一日時点の評価額は、本件土地建物が三五二六万一〇〇〇円、松戸の土地は三一二一万二〇〇〇円である。
なお、本件の場合、相続開始時から八年を経過しており、しかも、その間における不動産価額の変動には著しいものがあるから、遺留分算定の基礎となる財産の価額の評価時期を相続開始時とすると、相続人間の公平を欠く。したがって、本件においては、遺留分算定の基礎となる財産の価額の評価時期を口頭弁論終結時とすべきである。
また、本件建物は、建築後五〇年以上経過しているから、市場的経済価値はないというべきである。
(五) 以上によれば、遺留分算定の基礎財産の評価額合計は、六一八五万六九九五円であり、原告らの遺留分はそれぞれ七七三万二一二四円となる。
他方、原告らの特別受益については、原告らが夫婦であること及び原告夫婦の特殊事情から、実質的には一体のものと見るべきであるところ、その合計は二六五九万五九九五円であり、その二分の一である一三二九万七九九七円は右原告らの遺留分をはるかに超えている。
したがって、本件贈与は、客観的な遺留分の計算によっても原告らの遺留分を侵害するものではない。
(原告らの主張)
(一) 原告武に対する贈与について
松戸の土地は、原告武が単独で購入し、所有権を取得したものであり、原告武が和平から右土地の購入資金の一部の贈与を受けたことはない。
また、松戸の建物を建築するための資金として銀行から借り入れた債務について、和平から、主として利息金二一八万一七二九円の援助を和平から受けたことは認めるが、これは和平が負担すべきものであり、贈与されたものではない。
さらに、原告武が和平から三〇〇万円を受領したことは認めるが、右金員は、和平が原告武に対して迷惑料ないし違約金として支払ったものであり、贈与されたものではない。
むしろ、和平は、原告らと同居した際に負担すべきであった生活費をほとんど負担せず、原告らにおいてこれらを立て替えたのであって、右建物の建築費用も何ら負担しなかった。
(二) 原告ユキに対する贈与について
和平は原告らと昭和四八年八月ころから昭和五〇年ころまで原告武の住居において同居していた。原告ユキは、その際の生活費として和平から金銭の支払を受けたことはあるが、それ以外に財産の贈与を受けたことはない。
(三) 被告に対する贈与について
和平は、昭和四九年七月ころ、被告に対し、和平所有の預貯金等合計四三三万〇一三九円並びに和平が昭和四七年一二月二日に相続により取得した古澤カツ所有の預貯金等合計一三三五万七〇〇〇円のうち、和平の相続分四分の三に相当する一〇〇一万七七五〇円の預貯金の通帳及び取引印鑑等を交付した。これらは、被告に対する贈与というべきものである。
(四) 以上のところによれば、本件贈与が原告らの遺留分を侵害することは明らかである。
4 被告の寄与分の存否
(被告の主張)
被告は、特に和平の療養看護につとめ、同人の財産を維持保全した。その寄与分は三〇パーセントを下らない(民法九〇四条の二)。
(原告らの主張)
遺留分減殺請求訴訟において、被告たる相続人が寄与分を抗弁として主張することは許されない。また、被告が和平の妻として家事労働に従事することは、夫婦間の協力扶助義務の範囲を超えるものとは言い難いので、特別の寄与と認めることはできない。
仮に、特別の寄与に当たるとしても、その期間は極めて短期間であった。
5 権利濫用の主張の成否
(被告の主張)
原告らは、前記3の被告の主張(一)及び(二)のとおり、既に十分な不動産及び現金の贈与を受けている。また、原告らは、昭和四七年一二月二日、共謀して和平の所有する預金通帳三六通及び印鑑九個を勝手に持ち出し、返還するよう求めてもなかなか応じなかった。さらに、原告らは、単に戸籍上和平の養子とされているだけであり、一度も和平を扶養したり、同人の面倒を見たりしなかったばかりか、絶えず和平のことを馬鹿とののしっていた。
そして、原告ユキは、昭和五一年八月ころより、和平及び被告と音信不通となった。また、原告らは、昭和五二年八月三一日、協議離婚し、その直後から平成四年二月中旬ころまで、原告武は行方不明となった。
和平は、昭和五七年五月ころから脳梗塞による体幹機能障害で歩行困難となり、たびたび入院していたが、原告らは、看護はおろか見舞いにさえ来なかった。また、原告らは、和平の葬式、法事にも出席しなかった。
以上のとおり、長期間にわたり和平と事実上絶縁状態であった養子である原告らの遺留分減殺請求は、権利の濫用に当たり許されない。
(原告らの主張)
原告らが、和平の葬式、法事に出席しなかったこと、昭和五二年八月三一日に協議離婚したこと、被告が和平の面倒を見ていたことは認めるが、その余の被告の主張事実は全て否認する。
原告らは、和平が死亡した旨の連絡を被告がしなかったため、和平の葬式に出席できなかったものである。また、原告らが協議離婚するに至った原因は、和平が協和銀行中野支店に対する一〇〇〇万円の債務を返済する旨の約束を履行しなかったためである。すなわち、和平は、原告らに対し、建築資金を負担するので、本件土地に和平との同居を前提とした住居を建築するよう提案し、自ら銀行と交渉して原告武名義で一〇〇〇万円の融資を受け、住居を建築させた。ところが、和平は、被告と再婚後豹変し、原告らに本件建物を取り壊して和平名義でアパートを新築して提供するよう要求し、これを拒絶したところ、和平は右原告との約束を一方的に破棄し、突然、本件土地建物に転居して原告らと義絶し、更に、被告代理人に依頼して、原告が無断で預貯金証書約一〇〇〇万円分を持ち出して銀行に差し入れたなどの虚偽の事実をもって告訴する旨申し向け、自ら締結した銀行との間の質権設定契約の解除を強要するなどしたのである。
6 被告の価額弁償の意思表示
(被告の主張)
仮に、原告らに遺留分が存在する場合、被告は、平成一二年三月二九日の本件口頭弁論期日において、原告らに対し、裁判所が定めた価額により民法一〇四一条の規定に基づく価額の弁償をする旨の意思表示をしたから、原告らの請求は、その限りにおいて棄却されるべきである。
第三争点に対する当裁判所の判断
一 持戻し義務免除の意思表示について(争点1)
被告は、和平が本件贈与につき持戻し義務を免除する旨の黙示の意思表示をしたのであるから、本件土地建物は遺留分算定の基礎財産にならない旨主張している。
確かに、民法一〇四四条は、民法九〇三条三項の規定を遺留分にも準用している。
しかしながら、民法九〇三条三項は、被相続人の持戻し義務免除の意思表示は、遺留分に関する規定に反しない範囲内においてのみ、その効力を有する旨規定しているところである。そして、特別受益の持戻し義務免除の意思表示が被相続人の自由意思による遺産処分の一種であるのに対して、遺留分は、被相続人の自由な処分を制限し、相続人の相続権を確保するための制度であり、持戻し義務免除の意思表示が遺留分算定の基礎となるべき財産の範囲を左右し得ることになるとすると、民法が遺留分の制度を設けた趣旨を没却することにもなりかねない。
したがって、遺留分減殺請求が問題となっている本件において、和平が本件贈与につき持戻し義務免除の意思表示をした旨の被告の主張は、主張自体失当というべきである。
二 民法一〇三〇条後段の加害の認識について(争点2)
民法九〇三条一項の定める相続人に対する贈与は、右贈与が相続開始よりも相当以前にされたものであって、その後の時の経過に伴う社会経済事情や相続人など関係人の個人的事情の変化をも考慮するとき、減殺請求を認めることが右相続人に酷であるなどの特段の事情のない限り、民法一〇三〇条の定める要件を満たさないものであっても、遺留分減殺の対象となるものと解するのが相当である(最高裁平成一〇年三月二四日第三小法廷判決・民集五二巻二号四三三頁参照)。
そこで、右特段の事情の有無について検討すると、前記前提となる事実に弁論の全趣旨を総合すると、本件贈与は、民法九〇三条一項の定める相続人に対する贈与に該当するものであるところ、本件贈与の対象となった本件建物には当時和平と被告が同居しており、現在も被告が居住しているところではあるが、本件贈与は、昭和五〇年三月から昭和五三年五月ころの間、すなわち相続開始時である平成三年六月四日から十数年程前にされたものであり、当時和平は既に六七歳であった。また、本件贈与の対象となった本件土地建物は和平が所有していた財産の大部分を占めていたというのである。こうしたことに、前記前提となる事実及び弁論の全趣旨に照らし検討すると、本件においては、原告らの遺留分減殺請求を認めることが被告に酷であるなどの特段の事情が存在することについて、未だ立証が尽くされていないというべきである。
そうすると、民法一〇三〇条の定める要件を満たすかどうか検討するまでもなく、本件土地建物は遺留分減殺の対象となるものというべく、この点に関する被告の主張は採用できない。
三 特別受益について(争点3)
1 原告武に対する贈与について
(一) 松戸の土地の二分の一の共有持分
被告は、和平が、松戸の土地を購入するに当たり、右土地の売買代金の二分の一である一九万五〇〇〇円を負担して右土地の二分の一の共有持分権を取得し、その後、原告武に右共有持分権を贈与した旨主張し、和平作成に係る昭和五二年七月一五日付けの文書(乙一九)中にはこれに沿う記載がある。
しかしながら、乙一九は、その作成日付である昭和五二年七月一五日ころ和平によって作成されたものと認められるところ、前記前提となる事実において説示したとおり、和平と原告武及び原告ユキとの間の関係は既に昭和四九年七月ころには険悪になって別居していたのである。また、乙一九に添付されている古澤榮市作成に係る書面[別紙36]中には、同人がカツから、松戸の土地の売買代金のうち三九万円程度をカツが支出し、和平と原告武が右土地を各二分の一の持分で共有することにしたと聞いた旨の記載がされているが、古澤榮一は和平の弟である上、右書面も和平と原告武及び原告ユキとの間の関係が険悪になって別居した後である昭和五二年三月二〇日付けをもって作成されているところである。
さらに、被告の主張によれば、和平は、松戸の土地について二分の一の共有持分権をいったん取得した後、原告武にこれを贈与したというのであるが、本件においては、右主張を証する的確、客観的な証拠が提出されておらず、また、このような煩雑、迂遠な方法を採ることについての合理的な事情もうかがわれない。
こうしたことに、原告ユキの本人尋問の結果をも考え併せれば、乙一九中の右各記載はたやすく信用することができないというべきである。
そして、他に、被告の前記主張を証する的確な証拠は存在しない。
したがって、被告の前記主張は採用できない。
(二) 現金二五八万二〇一三円(昭和四八年七月三一日から昭和四九年八月三一日まで)
被告は、和平が、昭和四八年七月三一日から昭和四九年八月三一日までの間、原告武が、松戸の建物の建築資金として協和銀行から借り入れた一〇〇〇万円のうち、元金合計一四〇万円及び利息合計一一八万二〇一三円を支払った旨主張し、乙一九中にはこれに沿う記載がある。
乙一九に添付されている証書貸付元帳[別紙3]及び普通預金口座元帳[別紙4ないし8]によれば、昭和四八年七月三一日から昭和四九年八月三一日までの間、和平名義の普通預金口座から合計二四四万六一二三円が協和銀行からの借入金の元本及び利息として支払われたこと、戻利息として合計五六九八円が右口座に入金されたことが認められる。したがって、和平名義の右口座から協和銀行からの借入金の返済として支払われた額は、戻利息分を控除した合計二四四万〇四二五円となる。
ところで、原告ユキ作成に係る書面(甲三四の10[一丁])中には、和平が協和銀行からの借入金の返済のために支払ったのは、和平の年金収入の合計一九五万六七二九円にすぎず、残りの返済金四八万三六九六円は原告武が右口座に入金して行ったものである旨の記載がある。また、原告ユキ作成に係る書面(甲三四の9、10[二丁])中には、原告らは、昭和四八年二月二七日から昭和四九年四月二二日までの間、右口座に七回にわたり合計一五六万七〇〇八円を入金した旨の記載がある。しかしながら、右七回の入金のうち昭和四八年一二月二九日の四〇万円の入金については、乙一九に添付されている普通預金口座元帳中にも原告武の入金である旨記載されているが、その他の六回分についてはそのような記載はされておらず、また、他に原告らによる右入金の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。他方、原告ユキ作成に係る書面(甲三四の44)中には、原告ユキが、昭和四八年一月一一日から同年四月一二日までの間、六回にわたり右口座から預金を払い戻し、そのうち四八万円を家計費として使った旨の記載がされている。そうすると、原告武の入金である旨の記載がされている右四〇万円を超える金額が原告ユキによって右口座から払い戻されていたことになるから、原告武の右四〇万円の入金の事実をもってしても、直ちには原告らが主張する如く原告武が四八万三六九六円を返済したものと認めることはできないというべきである。
したがって、被告の主張は、原告武が協和銀行から借り入れた金員のうち、元利金合計二四四万〇四二五円を支払ったとの限度で理由がある。
そして、前記前提となる事実において説示したところにかんがみれば、右金員は和平が原告武に対し贈与したものと推認するのが相当である。
(三) 現金三六万一五〇〇円(昭和四八年一二月一二日から昭和四九年一二月一三日まで)
被告は、和平が原告武に対して三六万一五〇〇円を生前贈与した旨主張している。
ところで、乙一九に添付されている原告武の清岡妙乃に対する領収書等[別紙18ないし29]及び原告ユキの陳述書(甲三四の24)によれば、原告武は、昭和四八年一二月一二日から昭和四九年一二月一三日までの間、清岡妙乃から合計三三万一五〇〇円の支払を受けたことが認められる。そして、原告ユキの陳述書(甲二八、三四の24)及び借用書(甲三四の22)によれば、清岡妙乃は、昭和四八年一〇月一六日、原告武との間で、カツからの借入金の利息六九万六五〇〇円を原告武に支払う旨の合意をし、その合意に基づいて右支払をしたものであること、その際、和平は右返済金を生活費に充てるよう述べたことが認められる。
こうしたことに、前記のとおり和平は昭和四九年七月ころまで原告らと同居していたことを考え併せると、和平は、清岡妙乃からの右返済金を原告らと同居するについて必要となる生活費の一部として原告武に取得させたものと解するのが相当である。
したがって、和平が原告武に対して三六万一五〇〇円を生前贈与した旨の被告の主張は採用できない。
(四) 現金三〇〇万円(昭和五一年六月一日)
被告は、和平が原告武に対して昭和五一年六月一日に三〇〇万円を生前贈与した旨主張し、乙一九中には、和平が、昭和五一年六月一日、協和銀行中野支店の原告武名義の普通預金口座に三〇〇万円を振込送金した旨の記載がある。
確かに、乙一九に添付されている振込金受取書[別紙2]によれば、右振込送金された事実が認められる。しかしながら、前記前提となる事実の4で説示したとおり、右三〇〇万円は、松戸の建物の建築資金を銀行から借り入れた際に和平が担保として差し入れた定期預金証書の返還をめぐるやり取りの過程で、和平が原告武を相手方として右預金証書の返還を求める民事調停の申立てを行ったのを契機として、両者間で協議した結果、和平が預金証書の一部の返還を受けるために原告武に対して支払うことになったものである。また、昭和四九年七月ころには和平と原告武及び原告ユキとの間の関係が険悪になっていたのであるが、その後である昭和五一年六月の時点で和平が原告武に対して三〇〇万円もの金員を贈与するということは、通常では考え難いところ、乙一九中では右贈与の理由について全く明らかにされていない。以上によれば、右三〇〇万円は、贈与の趣旨ではなく、右預金証書の返還をめぐる紛争の解決金の趣旨で支払われたものというべきである。
したがって、和平が原告武に対して三〇〇万円を生前贈与した旨の被告の主張は採用できない。
2 原告ユキに対する贈与について
(一) 被告は、和平作成に係る昭和五二年七月一五日付けの文書(乙一九)に基づいて、和平は、昭和四七年一二月二日から昭和五一年八月三日までの間、原告ユキに対し、合計五〇四万六四八二円の現金を贈与した旨主張している。
ところで、乙一九は、「古澤武に渡した金員について」として、一から一三まで合計八九四万五五九三円、また、「古澤ユキに渡した金員について」として、一から五まで合計二二三万九四〇二円を和平が交付したことを、関係資料を添付した上で記載したものである。
しかしながら、前記前提となる事実の4において説示したとおり、和平と原告らとは昭和四九年七月ころには険悪な関係になり別居するに至っていたというのであり、その後、和平は、昭和五〇年三月から昭和五三年五月にかけて被告に対し本件土地建物を贈与したり、昭和五一年四月には原告武に対して預金証書の返還を求める民事調停の申立てをしたりしているところである。
このような乙一九作成当時の和平と原告らとの関係にかんがみると、乙一九の記載内容については慎重に吟味する必要があるというべきである。
(二) そこで、以下、被告の主張について具体的に検討することとする。
<1> 現金五三万七〇八〇円(昭和四七年一二月二日)
乙一九[別紙34]中には、和平が、昭和四七年一二月二日、カツの葬儀の際の香典等から葬儀諸費用を控除した五三万七〇八〇円を原告ユキに渡した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲三四の33)及び淡谷孝作成に係るメモ(甲三四の34)によれば、原告ユキが昭和四七年一二月四日ころに和平から受領した香典等の残額は三一万七〇八〇円であったことが認められる。また、納品書(甲三四の37)によれば、その後、香典返しの費用として二四万〇二五〇円を支出したことが認められる。
こうしたところからすれば、和平が右金員を原告ユキに交付したのは、これを贈与する趣旨に出たものではなく、香典返し等の葬儀関係費用に充てる趣旨に出たものというべきである。
したがって、和平が原告ユキに対して右五三万七〇八〇円を生前贈与した旨の被告の主張は採用できない。
<2> 現金六〇万円(昭和四八年一月中旬ころ)
乙一九中には、和平が、昭和四八年一月中旬ころ、清水亀から返済を受けた六〇万円を原告ユキに手渡した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲三四の12)中には、原告ユキは、昭和四七年一二月五日に清水亀から直接四〇万円を受領したことはあるが、昭和四八年一月に六〇万円を受領したことはない、右四〇万円については、和平が松戸信用金庫に預金し、その預金証書を原告ユキが保管していたが、原告らと別居する際に和平に渡した旨の記載がされているところである。こうしたことに、右(一)で説示したところ及び他に和平が原告ユキに対して右六〇万円を手渡したことを裏付ける的確な証拠が見当たらないことからすれば、この点に関する被告の主張は採用できない。
<3> 現金一〇万円(昭和四八年一月下旬ころ)
乙一九中には、和平が、昭和四八年一月下旬ころ、山本テルから返済を受けた一〇万円を原告ユキに手渡した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲三四の18)中には、原告ユキが、昭和四八年一月一四日から同年七月八日までの間、山本テルから合計九万円の返済金を受領し、その都度、和平に報告していた旨の記載がされている。このことに、右(一)で説示したところ、更には、当時は和平が原告らと同居していたことをも考え併せると、他に和平が原告ユキに対して右一〇万円を生前贈与したことを証する的確な証拠のない本件においては、被告の右主張は採用できない。かえって、以上説示したところに照らすと、右返済金は和平が原告らとの同居に伴う生活費の一部として原告ユキに受領させていたものと解するのが相当である。
<4> 現金五〇万円(昭和四八年三月四日)
乙一九中には、原告ユキが、昭和四八年三月四日、和平の満期保険金五〇万円を受領した旨の記載があり、乙一九に添付されている備前辰五郎作成に係る証明書[別紙30]中にもこれに沿う記載がある。
しかしながら、右証明書は、保険会社の外務員が個人名義で、しかも右保険金の支払から四年経過した後に作成しているものである。また、原告ユキの陳述書(甲三四の28)中には、原告ユキは右保険金を受領したことはない旨の記載がされている。こうしたことに、右(一)で説示したところ及び他に原告ユキが右保険金を受領したことを裏付ける的確な証拠が見当たらないことからすれば、この点に関する被告の主張は採用できない。
<5> 現金一一五万五〇〇〇円(昭和四七年一二月二日から昭和四八年四月一二日まで)
乙一九中には、原告ユキが、昭和四七年一二月二日から昭和四八年四月一二日までの間、協和銀行の和平名義の普通預金口座から合計一一五万五〇〇〇円を払い戻した旨の記載がある。
確かに、原告ユキ作成に係るメモ(甲三四の44)中には、原告ユキが、昭和四八年一月九日から同年四月一二日までの間、右口座から七回にわたり合計九三万円を払い戻した旨の記載がされている。しかしながら、証拠(甲三四の1、44)によれば、右口座は主として和平の年金の振込を受けるものであったが、被告ユキは、和平と同居していた間、右口座の通帳を預かり家計費等に充てていたことが認められるが、それについて当時和平が異議を唱えていたことをうかがわせる資料は見当たらない。また、乙一九[別紙41]中の記載からすれば、昭和四七年一二月二日の二二万五〇〇〇円の払戻しは、前記<1>で説示した乙一九[別紙34]に記載されている同日付けの「協和銀行払戻金」二三万円と重複していることが明らかである。こうしたことに、右(一)で説示したところ及び他に被告主張に係る一一五万五〇〇〇円が和平から原告ユキに対して贈与されたことを裏付ける的確、客観的な証拠が存在しないことを併せ考慮すれば、被告の右主張は採用できない。
<6> 現金四〇万円(昭和四八年一〇月二四日)
乙一九中には、和平が、昭和四八年一〇月二四日、三井銀行松戸支店の和平名義の定期預金元利金合計八四万二六〇二円を払い戻し、うち四〇万円を原告ユキに渡した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲二八)中には、原告ユキは右四〇万円を受領したことはない旨の記載がされているところである。このことに、右(一)で説示したところ及び他に和平が原告ユキに対して右四〇万円を渡したことを裏付ける的確な証拠が見当たらないことからすれば、この点に関する被告の主張は採用できない。
<7> 現金一二万円(昭和四八年七月から同年一二月まで)
乙一九中には、和平が、佐藤一夫から昭和四八年七月に五万円、同年一二月に五万円の返済をそれぞれ受け、同人の娘である佐藤克子から同年ころに二万円の返済を受け、これらを原告ユキに渡した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲三四の14)中には、原告ユキが、昭和四八年三月二六日から昭和四九年六月三日までの間、佐藤一夫から合計一四万円の返済金を受領したが、右返済金は生活費として家計に入れた旨の記載がされている。このことに、右(一)で説示したところ、更には、当時は和平が原告らと同居していたことをも考え併せると、他に和平が原告ユキに対して右一二万円を生前贈与したことを証する的確な証拠のない本件においては、被告の右主張は採用できない。かえって、以上説示したところに照らすと、右返済金は和平が原告らとの同居に伴う生活費の一部として原告ユキに受領させていたものと解するのが相当である。
<8> 現金一五万円(昭和四八年一〇月一九日及び昭和四九年四月一五日)
乙一九中には、和平が、田渕孝から昭和四八年一〇月一九日に一〇万円、その後に五万円の返済をそれぞれ受けて、原告ユキに手渡した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲三四の20)には、原告ユキが被告主張の金額の金銭を和平から渡され、それを家計に入れた旨の記載がされている。このことに、右(一)で説示したところ、更には、当時は和平が原告らと同居していたことをも考え併せると、和平が原告ユキに対して右一五万円を生前贈与したことを証する的確な証拠のない本件においては、被告の右主張は採用できない。かえって、以上説示したところに照らすと、右返済金は和平が原告らとの同居に伴う生活費の一部として原告ユキに受領させていたものと解するのが相当である。
<9> 現金四〇万円(昭和四九年三月二四日)
乙一九中には、原告ユキが、昭和四九年三月二四日、和平の満期保険金四〇万円を受領した旨の記載があり、乙一九に添付されている備前辰五郎作成に係る証明書[別紙32]中にもこれに沿う記載がある。
しかしながら、原告ユキの陳述書(甲三四の26)中には、原告ユキは右保険金を受領した後和平に渡した旨の記載があることに照らせば、最終的に和平が右保険金を受領した可能性も否定できないところである。こうしたことに、右(一)で説示したところ及び他に原告ユキが右保険金を受領したことを裏付ける的確な証拠が見当たらないことからすれば、この点に関する被告の主張は採用できない。
<10> 現金二〇万円(昭和四九年五月二三日)
乙一九中には、原告ユキが、昭和四九年五月二三日、三井銀行松戸支店のカツ名義の定期預金元利金合計二〇万円を払い戻した旨の記載がある。
しかしながら、原告ユキのメモ(甲三四の43)中には、原告ユキは右払戻を受けていない旨の記載がされている。このことに、前記(一)で説示したところ及び他に右払戻が原告ユキによってされたことを裏付ける的確な証拠がない本件においては、被告のこの点に関する主張を採用することはできない。
<11> 現金四五万三一四二円、二三万一二六〇円(以上、昭和五一年八月三日)及び二〇万円(同月二日)
乙一九中には、和平が、昭和五一年八月三日、三井銀行松戸支店において和平名義の定期預金元利金合計四五万三一四二円及び伊藤源七名義(和平の架空名義)の定期預金元利金合計二三万一二六〇円を払い戻し、各払戻金を原告ユキに渡した。また、原告ユキが、昭和五一年八月二日、協和銀行中野支店の和平名義の定期預金元利金合計二〇万円を払い戻した旨の記載がある。
ところで、乙一九に添付されている原告ユキ作成に係る昭和五一年八月二日付けの受領証[別紙39]によれば、右の各預金証書等を原告ユキが受領したことが認められる。
この点について、原告ユキ作成に係るメモ(甲三四の39、42)中には、三井銀行松戸支店の右各定期預金は、いずれも原告ユキが昭和五〇年七月一六日に預け入れたものであったが、満期日に払戻しを受けようとしたところ、被告によって預金証書の紛失届がされていて払戻しが受けられなかったため、和平と話し合ったところ、同人から預金証書の返還を受けて払戻しを行った旨の記載がある。しかしながら、乙一九に添付されている三井銀行松戸支店の右各定期預金の計算書[別紙37、38]によれば、右各定期預金の満期日は昭和五〇年七月一六日であり、期間が二四か月であることからして、預け入れられたのは昭和四八年七月一六日であることがうかがわれる。そうすると、右メモ中の記載内容を措信することはできない。そして、右各定期預金の名義人が和平及び伊藤源七であることをも考え併せれば、右各定期預金は原告ユキが預け入れたものであるということはできない。
そして、前記前提となる事実の4で説示したとおり、和平と原告らとは、和平が担保として提供していた定期預金の返還をめぐって紛争となり、遂に和平は、昭和五一年四月二六日、原告武を相手方として、預金証書等の返還を求める民事調停の申立てを行い、同年六月一日、和平が原告武に対して三〇〇万円を支払うのと引き換えに右預金証書の一部の返還を受けたのである。こうした経緯に加え、乙一九[別紙39]、被告の陳述書(乙三七)及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和五一年六月一日以降も五口の預金証書がなかなか返還されなかった、そこで同年七月二三日に再度協議した結果、前記の三口の預金については原告らに渡すことになったことが認められる。
そうすると、和平が原告ユキに対して前記の三口の預金を受領させたことは認められるが、右で説示した事情を総合すると、これは、贈与する趣旨でされたものではなく、和平と原告らとの間の預金証書返還をめぐる紛争の解決金の趣旨でされたものというべきである。したがって、これが贈与である旨の被告の主張は採用できない。
3 被告に対する贈与について
原告らは、和平が昭和四九年七月ころ被告に対して預貯金の通帳及び取引印鑑等を贈与した旨主張している。
しかしながら、前記前提となる事実の4で説示したとおり、和平は、被告の主張に係る贈与をしたころ原告らと別居し、その後昭和五一年にかけて、右預金等が自らのものであることを前提として原告武との間でその証書、通帳等の返還を求めて交渉を重ねていたのである。こうしたことにかんがみると、原告らの右主張を証する的確な証拠が見当たらない本件においては、原告らの右主張は採用できないというべきである。
ところで、和平は、昭和五一年一〇月五日、公正証書により所有財産を全て被告に相続させる旨の遺言をしている(乙五三)。しかしながら、和平は、昭和五五年五月ころ、司法書士事務所を辞め、昭和五七年五月ころ、脳梗塞に罹患して約二か月間入院し、その後も右脳梗塞による後遺症のリハビリのため四年以上にわたり通院し、死亡するまでその他の疾病で入通院を繰り返していたことが認められる(乙一五、二八、被告本人)。こうしたところに照らせば、和平は、昭和四九年七月以降、相当の治療費等の支出を余儀なくされたことがうかがわれるところ、和平の相続開始時における前記預貯金等の状況については、これを明らかにする的確な証拠は何ら提出されていないところである。
そうすると、いずれにしても、原告らの右主張は採用できない。
四 被告の寄与分について、(争点4)
被告は、特に和平の療養看護に努め、同人の財産を維持保全したのであり、その寄与分は三〇パーセントを下らないから、これを遺留分の算定に当たって考慮すべきである旨主張する。
しかしながら、寄与分は、共同相続人間の協議により、協議が調わないとき又は協議をすることができないときは家庭裁判所の審判により定められるものであり(民法九〇四条の二)、本件において、寄与分を抗弁として主張することは許されないというべきである。
したがって、被告の寄与分に関する主張は失当である。
五 遺留分侵害の有無等について
そこで、以上説示したところに基づいて、原告らの遺留分が侵害されているか否かについて判断する。
1 遺留分算定の基礎となる財産の評価基準時
被告は、遺留分算定の基礎となる財産の評価について、口頭弁論終結時を基準とすべきである旨主張している。
しかしながら、民法九〇三条一項は被相続人が相続開始の時において有した財産の価額を基準とする旨、同法九〇四条は受贈者の行為により目的たる財産が滅失し又は価格の増減があった場合でも相続開始の当時に現状のままあるものとみなす旨、寄与分に関する九〇四条の二第一、三項は相続開始時を基準に相続財産を定める旨それぞれ規定していること、また、受贈財産による相続開始時までの利益と損失は被相続人(すなわち共同相続人全員)が取得し、相続開始後の利益と損失は受贈者が取得することが、遺産の前渡しという性質から考えると公平であることなどに照らせば、遺留分算定の基礎となる財産の評価は相続開始時を基準としてすべきものと解される。
したがって、被告の右主張は採用できない。
2 原告武の受贈財産
前記三1(二)で説示したとおり、和平は、昭和四八年七月三一日から昭和四九年八月三一日にかけて、合計二四四万〇四二五円を原告武に贈与しているが、これを消費者物価指数全国総合(乙四八の1)に基づいて相続開始時である平成三年六月当時における価額に換算すると、次のとおり、四七四万七三一七円となる(一円未満四捨五入)。
¥2,440,425×103.1(平成二年の平均を一〇〇とした場合の平成三年六月の消費者物価指数)÷53.0(平成二年の平均を一〇〇とした場合の昭和四九年の消費者物価指数)≒¥4,747,317
3 被告の受贈財産
(一) 被告が和平から本件土地建物を生前贈与されたことについては当事者間に争いがない。そして、不動産鑑定士竹内繁による鑑定の結果によれば、本件土地建物の相続開始時(平成三年六月四日)における価額は、本件土地が八九二九万円、本件建物が七三万八〇〇〇円、合計九〇〇二万八〇〇〇円と認められる。
(二) この点につき、被告は、不動産鑑定士小西正行作成に係る評価書(乙五九)に基づき、本件土地の現況では建物の建築は許可されないとして、右建築が可能と判断している鑑定の結果は信用できない旨主張している(なお、右評価書では、再建築不可能地としての市場性の減価を三五パーセントと判断している。)。
しかしながら、右評価書が本件土地の現況では建物の建築は許可されないとしている根拠は、右評価書に添付されている一級建築士森雅旦作成に係る「中野区中央五丁目六六番四の建築確認申請について」と題する文書中に同旨の記載がされていることにあるものと思われるが、右文書中には、「今ある資料では建築確認はとれません」との記載がされており、本件土地を実際に検分した上で建物の建築が許可されないと判断したわけではないことがうかがわれる。これに対し、鑑定書によれば、平成一一年五月一三日の建築基準法改正によって二メートル以下でも建築可能となったが、この場合許可申請が必要で、相当厳しい審査が行われること、また、西側部分を併合しての許可は不可能であることなどから、鑑定人竹内は、本件土地は、相当の減価の対象となり、市場性は非常に弱く、有効宅地部分についても隣接地の人以外については市場性は難しいとの判断を前提に、有効宅地部分については「盲地にちかい袋地といえる」として二五パーセントの減価をしているのである。こうしたところからすれば、鑑定の結果は合理性を有するものであり、十分信用し得るものというべきである。
したがって、本件土地の評価に関する被告の右主張は採用できない。
(三) また、被告は、本件建物は、築後五〇年以上経過しているから、市場的経済価値はゼロである旨主張している。
しかしながら、鑑定人竹内は、本件建物は戦前に建てられた木造二階建住宅で、築後既に五〇年以上経過しており、建築程度も劣り、経済的残存耐用年数は二〇年前に満了しているとの判断を前提に、現在は五パーセント程度の残存価値が見られるのみであると評価しているところである。このことに、鑑定書中の写真等からうかがわれる本件建物の状態、現在も被告が本件建物に居住していること(弁論の全趣旨)等を併せ考慮すると、右鑑定の結果は十分信用し得るものというべきである。
したがって、本件建物の評価に関する被告の右主張も採用できない。
4 遺留分侵害の有無等
前記2及び3によれば、原告武及び原告ユキの遺留分額は、次のとおり、それぞれ一一八四万六九一五円となる(一円未満四捨五入)。
(¥4,747,317+¥90,028,000)÷8≒¥11,846,915
そして、原告武は、前記2のとおり、四七四万七三一七円に相当する財産をすでに贈与されているから、これを右遺留分額から控除した七〇九万九五九八円が侵害された遺留分ということになる。そうすると、民法一〇三五条により、後に贈与された本件土地の八九二九万分の七〇九万九五九八の共有持分がこれに当たることになる。
また、原告ユキについては、和平から贈与を受けた財産はないから、右遺留分額一一八四万六九一五円全額が侵害された遺留分ということになり、民法一〇三五条により、後に贈与された本件土地の八九二九万分の一一八四万六九一五の共有持分がこれに当たることになる。
六 権利濫用の主張について(争点5)
被告は、原告らの遺留分減殺請求は、権利濫用に当たり許されない旨主張する。
前記前提となる事実で判示したところ及び証拠(甲一八、一九、二二、二三、二八、三〇、四一、乙一〇ないし一三、一八、一九、二八、原告武本人、原告ユキ本人、被告本人)並びに弁論の全趣旨によれば、原告武と和平及びカツは、長期間にわたって事実上の養親子として同居していたこと、原告らと和平との養親子縁組は、そもそも和平が強く希望して実現したものであること、カツが死亡した後、昭和四八年一一月に和平と被告が婚姻するまでの間は、原告らと和平の関係は順調に推移していたこと、ところが、その後、被告も同居するようになってから、和平は、本件建物を建て替えて原告武名義とするとの従前の計画を撤回し、被告名義とすることを同意するよう原告らに強く迫るなどして、原告らと和平との関係が険悪となり、松戸の建物を新築した際の借入金の返済の問題もあり、昭和四九年七月には和平と被告が本件建物に戻る形で原告らとの同居が解消されたこと、和平は、昭和五一年四月原告武に対し、原告らが保管していた預金証書の返還を求めて民事調停を申し立て、同年六月和平が原告武に対して三〇〇万円を支払うのと引き換えに右預り証の返還を受ける等することにより一応決着したこと、その後は和平と原告らとの間にほとんど行き来がなかったこと、原告らは和平の葬儀に出席しなかったが、これは被告が原告らに対して和平が死亡した旨の連絡をしなかったためであることがいずれも認められる。
そうすると、昭和五一年六月以降は、和平と原告らとの間にほとんど行き来がなかったのであるが、そのような状態に至った経緯は右で説示したとおりであり、和平及び被告にも少なからず原因があったというべきである。
こうした事情を踏まえ検討すると、他に原告らの遺留分減殺請求権の行使が権利の濫用に該当することを基礎付ける事情について格別の立証のない本件においては、被告の右主張は採用できない。
七 価額弁償の主張について(争点6)
以上によれば、原告らの遺留分減殺請求は、前記五4で認定した各遺留分の限度において有効であるというべきである。
ところで、被告は、本件口頭弁論期日において、原告らに対し、裁判所が定めた価額により民法一〇四一条の規定に基づく価額の弁償をする旨の意思表示をしている。したがって、本件の口頭弁論終結時を基準時として弁償すべき額を定めた上で、被告が右弁償額を支払わなかったことを条件として、原告らの目的物返還請求権を認容すべき筋合いである(最高裁平成九年二月二五日第三小法廷判決・民集五一巻二号四四八頁参照)。
そして、鑑定の結果によれば、平成一二年二月一日時点における本件土地の価額は、四〇三二万四〇〇〇円であることが認められる。そうすると、本件口頭弁論終結時における原告らの遺留分である本件土地の共有持分の価額は、次のとおり、原告武が三二〇万六二二九円、原告ユキが五三五万〇一五一円となる(一円未満四捨五入)。
(原告武関係) ¥40,324,000×7,099,598÷89,290,000≒¥3,206,229
(原告ユキ関係) ¥40,324,000×11,846,915÷89,290,000≒¥5,350,151
第四結論
以上によれば、原告らの請求は、原告武について、同原告に別紙物件目録記載一1の土地について八九二九万分の七〇九万九五九八の持分権があることの確認及び被告が同原告に対して三二〇万六二二九円を支払わなかったときは、別紙物件目録記載一1の土地の持分八九二九万分の七〇九万九五九八について平成三年八月四日遺留分減殺を原因とする所有権移転登記手続(この点について、原告らは相続を原因とする更正登記手続を求めているが、更正登記が認められるのは、錯誤又は遺漏があったため登記と実体関係の間に原始的な不一致がある場合に限られるところ、生前贈与に基づく相続開始前の登記について相続を原因とする更正登記手続を行うことは許されないというべきである。もっとも、本件における原告らの請求の意図するところは、本件土地建物について遺留分減殺に基づき各原告の持分を八分の一とする所有権一部移転登記手続を求めるところにあるものと解されるので、これを前提として判断する。原告ユキの請求についても同様である。)を、また、原告ユキについて、同原告に別紙物件目録記載一1の土地について八九二九万分の一一八四万六九一五の持分権があることの確認及び被告が同原告に対して五三五万〇一五一円を支払わなかったときは、別紙物件目録記載一1の土地の持分八九二九万分の一一八四万六九一五について平成三年八月四日遺留分減殺を原因とする所有権移転登記手続を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金井康雄 裁判官 藤田広美 裁判官 大森直哉)
物件目録
一1 所在 東京都中野区中央五丁目
地番 六六番四
地目 宅地
地積 一五〇・〇九平方メートル
2 所在 東京都中野区中央五丁目六六番地四
家屋番号 六六番四
種類 居宅
構造 木造瓦葺二階建
床面積 一階 五七・八五平方メートル
二階 二八・九二平方メートル
二1 所在 松戸市松飛台字実台
地番 六〇七番四
地目 宅地
地積 二四八・五六平方メートル
2 所在 松戸市松飛台字実台六〇七番地四
家屋番号 六〇七番四
種類 居宅
構造 木造瓦葺二階建
床面積 一階 七六・一八平方メートル
二階 五四・六五平方メートル
登記目録
一1 別紙物件目録記載一1の土地について
(一) 所有権移転登記
東京法務局中野出張所昭和五一年三月二九日受付第六四〇八号
原因 昭和五一年三月二九日贈与
所有者 古澤敏
(二) 所有権一部移転更正登記
東京法務局中野出張所昭和五一年九月六日受付第一八九六二号
原因 錯誤
共有者 持分二分の一 古澤敏
(三) 古澤和平持分全部移転登記
東京法務局中野出張所昭和五三年五月一八日受付第一〇六六四号
原因 昭和五三年五月一三日贈与
所有者 持分二分の一 古澤敏
2 別紙物件目録記載一2の建物について
所有権移転登記
東京法務局中野出張所昭和五〇年三月二七日受付第五五七五号
原因 昭和五〇年三月二七日贈与
所有者 古澤敏
二 別紙物件目録記載一1及び2の不動産について
所有権移転更正登記
原因 相続
所有者 持分八分の六 古澤敏
持分八分の一 古澤武
持分八分の一 古澤ユキ