東京地方裁判所 平成4年(ワ)20278号 判決
原告 今村豊子
右訴訟代理人弁護士 松田隆次
被告 日本生命保険相互会社
右代表者代表取締役 足立信之
右訴訟代理人弁護士 藤井正博
松澤建司
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一億二六九二万二二八四円及びこれに対する平成四年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、保険契約の勧誘行為に違法があったとして、契約締結上の過失に基づく損害賠償又は使用者責任に基づく損害賠償として、払込保険料合計三億六〇七七万一〇〇〇円及び保険料払込のための借入金の支払利息等合計八二八一万三九七八円から解約返戻金合計三億一六六六万二六九四円を控除した一億二六九二万二二八四円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
一 争いのない事実等
1 原告(大正一二年一一月二九日生)は、夫今村良司(大正三年三月一八日生)(以下「良司」という。)と二人で暮らしている主婦である。
2 原告は、平成二年七月四日、被告池袋北支社所属の生命保険募集人である富塚紀子(以下「富塚」という。)の訪問を受け、同人から、相続税対策になるから被告が募集している変額保険契約に加入するよう勧誘を受けた。
3 原告は、同月三〇日、第一勧業銀行(駒込支店)(以下「訴外銀行」という。)から原告所有の世田谷区成城六丁目三四〇番二所在の土地建物を担保に弁済期平成七年八月七日一括弁済、利息年七・六パーセント(利息は毎月一回払)の約定で五億円を借入れた(≪省略≫)。
4 原告は、同年八月七日、保険料三億六〇七七万一〇〇〇円を被告に支払い、同日、被保険者を良司、保険金受取人を高橋泰子及び今村悦司として利益配当付終身保険(保険料二億〇三六三万四〇〇〇円、終身保険金額三億円)の保険契約を締結し(以下「本件保険契約(一)」という。)、また同年九月一日、被保険者を原告、保険金受取人を高橋泰子及び今村悦司として利益配当付変額保険(保険料一億五七一三万七〇〇〇円、基本保険金額三億円)の保険契約を締結した(以下「本件保険契約(二)」という。)
5 原告は、訴外銀行から借り入れた五億円の中から保険料を支払った残額につき、同銀行との間で同年八月二日、一億二二〇〇万円と定期預金を設定し、毎月七日の利息支払い日に右定期預金から利息金額を振替え、当該金額が差し引かれた、新たな金額をもって定期預金を書き換えてきた(≪省略≫)。
6 しかし、平成三年一月以降、金利がそれまでの年七・六パーセントから八・九パーセントに上昇し、毎月の支払利息額が三七〇万八三〇〇円になり(≪省略≫)、原告は、平成三年四月八日、右定期預金の中から借入金五億円のうち六〇〇〇万円を返済した(≪省略≫)。
7 原告は、平成四年一〇月七日、被告に対し、本件各保険契約の解約を請求し、原告は、本件保険契約(一)について解約返戻金二億〇九五一万二六七五円、本件保険契約(二)について、解約返戻金一億〇九七四万四三六二円、支払配当金二三万九四八六円の合計額から契約貸付精算額二八三万三八二九円を差し引いた一億〇七一五万〇〇一九円を被告から受領した。
8 原告は、平成二年七月三〇日から平成四年一〇月七日までに訴外銀行に利息、保証料、抵当権設定費用として、合計八二八一万三九七八円を支払った(≪省略≫)。
二 争点
本件各保険契約の勧誘行為に違法性が認められるか。
(原告の主張)
1 契約締結のための交渉に入った当事者間において一方が他方に対し契約締結の判断に必要な専門的知識を与えるべき立場にあるなどの場合には、相手方に不正確な知識を与えること等により契約締結に関する判断を誤らせることのないよう注意すべき信義則上の保護義務又は適正な情報を提供する信義則上の義務を負っている。
2 富塚は、原告に対し、保険料の支払を銀行借入金で賄えば、その分相続税の計算上消極財産が増加し、相続税の課税対象となる課税価額が減少するから、相続税の節税となるほか、万が一の場合、相続税の納付資金を準備できると述べて勧誘したものである。
3 しかし、相続税対策といいながら、富塚は原告の法定相続人を戸籍により確定し、かつ原告から具体的な相続財産の内容を事情聴取したうえで、相続税対策の前提となる現時点で被相続人となるべき者が死亡した場合に、どれだけの課税価格となり、相続税額がいくらになるかを算出したうえで説明しておらず、あまつさえ、富塚は相続税対策の前提となる相続税額(課税価額)の算出自体を誤っている。
4 本件保険契約(一)については、原告死亡の場合に死亡保険金が支払われることがない以上、原告の相続税対策になるものではなく、富塚は誤った税務上の利点を教示したものである。
5 本件保険契約(二)は、借入金により変額保険へ加入するものであるが、相続税対策としては極めてリスクが高く、借入金利と変額保険の利回りとの関係によっては、相続税の納付資金を準備できるものではなくなるのであるから、富塚は保険料収入(解約返戻金又は死亡保険金)、借入金の元本・利息の支払、相続税節税額を原告の死亡時期までの年別予想キャッシュフローを作成して示すなどしたうえで原告に対し説明を行うべきであるのにこれを行わなかった。
第三争点に対する判断
一 証拠(≪省略≫、証人富塚紀子、原告本人)による次の事実が認められる。
1 変額保険販売資格者である富塚は、平成二年六月ころ、マンション経営で生活する栗田厚子に相続税対策として変額保険契約に加入してもらった。富塚は、栗田から、同様の立場にある友人として原告夫婦を紹介してもらい、同年七月四日原告夫婦宅を訪問した。
2 原告夫婦は既にその所有する不動産について相続税対策を案じており、駒村公認会計士から所有する不動産を売却してはどうかという提案をされたことがあった。
3 富塚はパンフレットを持参し、原告夫婦に対し、右パンフレット記載のグラフを示しながら、保険金運用実績の好不調により変動保険金額が変動すること、ただし、変動保険金額がマイナスであっても基本保険金額は最低保証されていることなど変額保険の仕組みを説明し、九パーセント、四・五パーセント、〇パーセントで運用された場合の死亡保険金、解約返戻金についてそれぞれ仮定の金額が示された表も見せて運用実績如何によっては解約返戻金が払込保険料を割り込みいわば元本割れのある場合をも説明した。また、土地を担保に保険料を金融機関から融資を受けて変額保険に加入することで相続税対策が図れること、これには、自己資金が不要である、借入金により相続税評価額を下げる、保険金で借入金の返済及び相続税を一部でも納付できることなども説明した。
4 富塚は、原告夫婦との話の中で、相続税の概算の計算の参考にするため、相続人の人数、土地の所在・面積、名義、建物の名義、マンションの有無などについて質問した。原告夫婦から富塚は原告名義の土地として世田谷区成城六丁目一三番六号に一〇〇坪、同六丁目二〇番一〇号に一四〇坪の土地があり、良司名義の財産として同六丁目一三番一二号に自宅建物があると説明を受けた。
5 富塚は、良司については資産がないということがわかり、相続税対策にはならないが、保険加入への意思はありそうなので、やはり変額保険の加入を勧めるつもりであったが、良司の年齢が七六才であると聞き、変額保険の加入には年齢制限があるので、会社に帰って加入ができるかを確認して来るということでその日は帰った。
やはり、良司は年齢制限により変額保険には加入できないが、一時払終身定額保険であれば、被保険者が健康体であり、加入理由が妥当であれば八〇才まで契約をしてもよいということであったので、富塚は、七月五日夕方、原告に電話で「定額終身でしたらご加入ができますけれども、いかがでしょうか」と尋ねたところ、原告は「定額終身でお願いします」と返事をした。結局、良司については相続税対策として保険加入が問題になったことはなく、通常の死亡保障としての保険加入であった。
6 富塚は、翌五日年前中に訴外銀行の野本及び篠崎の両名とともに原告宅を訪問した。富塚は、変額保険の説明資料として設計書(≪省略≫と同様のもの)を持参して原告に渡した。設計書には、基本保険金額を一応三億円とし、将来価格照会回答票から六七才の女性に対する該当金額を引用して、運用実績が九パーセント、四・五パーセント、〇パーセントの各場合の死亡保険金、解約返戻金を仮定した金額が書き込まれた一覧表が記載されており、前記パンフレットのグラフと同様に基本保険金額を横線に図示して、これを軸に運用実績がプラスの場合は変動保険金額が横線の上方に図示され、マイナスの場合は下方に図示されたグラフが記載されている。
7 富塚は、終身定額保険について保険金額三億円の設計をすることになり、保険金額等の制限があるので、可能かどうか本社に照会することを約して帰社して本店に照会したところ、良司については年齢制限、金額制限があり、原告について、同様の制限があること、制限を解除しないと契約不可という設計書エラーリストと題する電信回答があった。
そこで、富塚は、同月六日、本社宛に、原告夫婦は世田谷区成城に居住する資産家で、原告の相続税対策のために加入を勧誘しているとして、原告夫婦の年齢、金額制限解除の特認取扱依頼の申請をした。本社からは、同日、心電図要、社医診査に限るとの条件付承認の回答があった。
良司に対する特認の申請にも相続税対策との理由が掲げられているが、他の特認取扱依頼の申請にも他生保会社も同案を提案中と記載されているように、特認を取るための記載にすぎず、高額予約面接報告書も同様の内部文書にすぎず、本件保険契約(一)が相続税対策であることを示すものではない。
8 富塚は、「相続税対策のための生命保険の活用」と題する書面(≪省略≫)を作成した。原告の見込み相続財産について、路線価格を参考に現在の課税価格を一三億二五〇〇万円と計算想定し、年率一〇パーセントの上昇率が予想されるとして、三年後、五年後、一〇年後及び一五年後の値上がりを予想した相続財産の課税価格を表示し、かつ原告の法定相続人が良司及び子二名であるとしてハンディメイトという相続税計算機により、年数毎の相続税額を計算して右表に記入した。保険金額については、原告及び良司も各三億円に加入するものとし、借入金額の参考のために、保険料として原告について一億五七一三万七〇〇〇円、良司について二億〇三六三万四〇〇〇円となるので同表の別欄に記入した。富塚は、同表に原告の変額保険の経過年数(三年後、五年後、一〇年後)によって特別勘定が九パーセントによって運用された場合の変動保険金額の推移を仮定した金額を記入し、相続税試算額と対比しやすいように一覧表を作成した。この一覧表には良司の終身型定額保険金額についても配当金額を上乗せされた保険金額が試算されている。
また、変額保険の相続税対策としては資産家が保険料は土地を担保に銀行から融資を受けて資産家本人が保険契約者となり、生命保険に加入することで対策が図れる。①自己資金が不要である。②借入金により相続税評価額を下げる。③生命保険で借入金の返済及び相続税を納付できる。その他、法定相続人一人に五〇〇万円の非課税枠があること、一時払の保険ではその支払保険料が相続財産とみなす等がメリットとして記載されている。
9 原告及び良司は、七月九日年前一〇時前に新宿のNSビルにある被告の診療所に診査を受けるために富塚と同行した。診査が終了してから、昼食をかねてNSビルのレストランで、富塚は保険申込書の所要事項欄を原告夫婦に記入してもらい、同時に署名捺印を求め、原告夫婦はこれに応じた。「ご契約のしおり」という冊子の受領印欄に原告に押印をもらったうえで渡した。「相続税対策のための生命保険の活用」と題する書面(≪省略≫)も富塚はこの日、原告に渡している。良司は被告の医師から血圧の高いことを指摘され、通常はもっと低いと強調したので、被告の医師はその資料の提出を求め検討することを約した。
10 本件保険契約(一)の保険金受取人については、富塚は、受取人を原告とすることで特認申請をしたが、原告と良司の間で「子供たちでいいですね」というやり取りがあり、原告は良司とともに申込書の受取人欄の記入時に子供の高橋泰子及び今村悦司を記入した。富塚は保険金受取人はいつでも変更できると助言しておいた。
富塚は原告の依頼により主治医のもとに赴き、血圧に関する事項を含んだ健康診断書の交付を受けて、保険申込書の申込日欄に平成二年七月一一日と書き込み、被告に提出した。本件保険契約(一)の保険金受取人について、平成四年四月三〇日、原告は公認会計士と相談したとして、原告を保険金受取人とする変更請求書(≪省略≫)が提出された。
二 原告は、富塚から何ら具体的な数字をあげて説明はなく、パンフレット(≪省略≫)、設計書(≪省略≫と同様のもの)、「相続税対策のための生命保険の活用」と題する書面(≪省略≫)のいずれも受け取っていない、契約のしおり(≪省略≫)は、契約後の一〇月上旬になって受け取ったと供述しているが、五億円もの巨額の借入れを起こして保険金を払い込む内容の保険契約の加入の勧誘において、何ら具体的な数字をあげての説明がないまま話が進み、契約を締結するに至ったとするのは不自然であり、パンフレット類も勧誘において手渡されたものがないとするのは不自然で、特に契約のしおり(≪省略≫)については保険契約申込書(≪省略≫)に原告が受額印を押していることなどに照らすと原告の供述内容は採用できない。
原告は、具体的な説明などを受けないまま本件各保険契約を締結したことなどについて、被告は業界トップの会社であるから契約者にとって不利な保険を勧めることは絶対にないと信じていたと述べるのみであり、その供述内容が具体的でないことからすると、前記認定に反する原告の供述はいずれも採用できない。
三 原告主張の違法事由について
1 原告は相続税対策という以上、富塚は原告の法定相続人を戸籍により確定し、かつ原告から具体的な相続財産の内容を事情聴取したうえで、相続税対策の前提となる現時点で被相続人となるべき者が死亡した場合に、どれだけの課税価格となり、相続税額がいくらになるかを算出したうえで説明すべきであるのにこれをしていない違法があると主張している。
しかし、原告主張のとおりの正確な計算は、税務の専門家でなければできないことであり、単に保険契約への加入を勧誘する立場の者でできることではない。原告主張のとおりであるとすると、未だ契約関係にも立たずこれから保険契約加入を勧誘するにすぎないのに、原告から相続財産に関係する必要な資料の提出を求め、自ら必要な調査もし、税務に関する正確な知識がないと判断できないことを要求することになり、原告の主張する契約関係における信義則から被告についてこのような過大な義務が導かれるとする理由はない。
なお、原告の主張するところによれば、「相続税対策としての生命保険の活用」と題する書面(≪省略≫)の土地の相続税の算定にあたって、富塚は小規模宅地の特例や貸家建付地の評価を適用せず、相続税の基礎控除も考慮すると本来は六億三〇〇〇万円であるのに一三億二五〇〇万円と誤った評価をしているというのであるが、原告としても、右計算が保険を勧誘する者が算出したいわば概算での数字にすぎないことは明らかなはずであり、特に原告は駒村公認会計士に毎年の所得税申告事務を依頼しているのであるから、税務の専門家による計算とは異なり、必ずしも正確なものではないことも容易に理解できたはずである。実際、原告は既に父の遺産の相続税の申告について磯税理士に依頼したことがあり、その際は一〇年かかって相続税を支払っている(原告本人)のであり、最近では共同住宅の賃料収入などの確定申告手続を駒村公認会計士に依頼し、同公認会計士から相続税対策についてアドバイスを受けたこともあることからすると、富塚の示した計算は相続税の計算として概略なものにすぎず、原告の主張するような正確な相続税の計算は税理士などの専門家に自ら依頼する以外にはないことを原告夫婦は理解していたはずである。
そして、前記認定の事実経過によれば、富塚は、本件各保険契約の内容や相続税対策としての基本的な考え方について説明したうえで、原告夫婦から聞き出せた範囲の情報に基づいて原告の判断材料として原告の相続税額の概算を示しているのであり、その数字に正確でない点があったとしても、本件各保険契約の勧誘行為として違法であるとは認められない。
2 原告は、本件保険契約(一)については、原告死亡の場合に死亡保険金が支払われることがない以上、原告の相続税対策になるものではなく、富塚は誤った税務上の利点を教示したものであると主張する。
しかし、前記認定のとおり、良司については資産がないことが明らかになってからは相続税対策として保険加入が問題になったことはなく、通常の死亡保障としての保険加入であったのであるから、富塚が誤った税務上の利点を教示したとは認められない。
3 原告は、被告のいうところの相続税対策が実際に相続税対策となるかどうかは疑問であるから、保険料収入(解約返戻金又は死亡保険金)、借入金の元本、利息の支払、相続税節税額を原告の死亡時期までの年別予想キャッシュフローを作成して示すなどして、保険契約に加入することにより相続税対策の効果としてどうなるかについて原告に対し説明を行うべきであるのに、これを行わなかった違法があると主張している。
なるほど、相続税節税額まで記載された年別予想キャッシュフローが作成されていれば、変額保険による相続税対策の効果の有無については理解しやすくなるとはいえるが、これも正確なものを作成するのは困難であるし、仮に作成されたとしても、結局のところ単なる予想にすぎず、経済情勢の変化の複雑さと対比すれば、いずれにせよあまり意味がないものにすぎず、原告主張のように契約関係における信義則からこのような具体的な説明義務が導かれるものとは解しがたい。
前記認定のとおり、富塚は、設計書などの資料を作成して原告に対して相続税対策の内容を説明しており、保険契約加入についての勧誘にあたっては、この程度の説明でも相当であると認められ、違法な点が存在するものとは認められない。これ以上に詳しい予測資料を原告が必要とするならば、わざわざ五億円もの借入れを起こしてまで相続税の負担を軽減したいという原告の動機目的からすれば、原告自らが税務知識の専門家に相談すべきであったというべきである。
第四結論
よって、その余について判断するまでもなく、原告の本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 吉川愼一)