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東京地方裁判所 平成4年(ワ)22646号 判決 1995年3月30日

原告

MOP

右訴訟代理人弁護士

徳住堅治

大熊政一

清水勉

渡邉彰悟

赤松岳

鮎京眞知子

安東宏三

大川原栄

椎名麻紗枝

鈴木篤

鈴木利廣

内藤雅義

中西一裕

中山福二

松本博

保田行雄

安原幸彦

渡邊良夫

被告

A社

右代表者代表取締役

D

右訴訟代理人弁護士

溝辺克己

被告

B社

右代表者代表取締役

C

被告

C

右両名訴訟代理人弁護士

興津哲雄

主文

一  原告が被告A社に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告A社は原告に対し、平成四年一〇月以降毎月末日限り三〇万円を支払え。

三  被告A社は原告に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成四年一〇月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告B社及び被告Cは原告に対し、各自三〇〇万円及びこれに対する平成四年一〇月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、原告とA社との間においては、原告に生じた費用の五分の四を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告B社及び被告Cとの間においては、原告に生じた費用の三分の一を同被告らの負担とし、その余は各自の負担とする。

七  この判決は、二項ないし四項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  主文一、二項と同旨

二  被告A社は原告に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成四年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告B社及び被告Cは原告に対し、各自一〇〇〇万円及びこれに対する平成四年一〇月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要<省略>

第三  争点に対する判断

一  本件解雇の効力について

本件解雇は、次に述べるとおりその事由なくしてなされたのであるから、権利の濫用としてその効力を有せず、したがって、原告は被告A社に対し雇用契約上の地位を有するから、この効力を否認し、原告の労務提供を拒否している同被告は原告に対し、右雇用契約に従った賃金を支払う義務がある。

1ないし4<省略>

二  被告A社の不法行為の成否について

1  D社長の原告に対するHIV感染の告知について

使用者は被用者に対し、雇用契約上の付随義務として被用者の職場における健康に配慮すべき義務を負っているから、使用者が疾病に罹患した被用者にこの疾病を告知することは、特段の事情のない限り、許されるし、場合によってはすべき義務があるが、右特段の事情の存する場合には、使用者の右告知は許されないし、この告知をすることが著しく社会的相当性の範囲を逸脱するような場合には、この告知は違法となり、これをした使用者は当該被用者に対し人格権侵害の不法行為責任を負うべきものと解する。

これを本件について検討する。

D社長が原告をタイ王国から帰国させ、原告に対しHIVに感染していることを告知した経緯及びこれにより原告が強い衝撃を受けたことは前記認定のとおりであり、原告は、当時、HIV感染ないしエイズ疾患に関しては殆ど知識を有していなかったこともあって、右告知を受けたことで間もなく死亡するのではないかとの悩みに苛まされた(証拠略)。

ところで、HIVはエイズを引き起こす病原体であり、HIVの感染により細胞性免疫機能が障害されて免疫不全状態となり、その結果、各種の日和見感染症や日和見腫瘍の発生あるいは神経障害等を発症し、このような病態をエイズといい、HIV感染後エイズ発症までの期間は約六か月から一〇年とされ、約一〇パーセントは三年内に、二〇ないし三〇パーセントは五年内に発症するとされており、そして、成人の潜伏期間は八ないし一〇年と推定され、一五年以内に殆ど全員発症するとされている(証拠略)。そして、HIVは、血液、精液、膣分泌液、唾液、母乳、尿、涙などに含まれ、日常の主要な感染源としては血液、精液、膣分泌液であり、したがって、血液媒介、性的接触が感染機会として重視される(証拠略)。

ところが、エイズに対する特効薬は現在のところなく、治療法もいまだ確立されていないから、エイズの予後は全く不良であるばかりか、エイズ発症後は一年以内に約五〇パーセント、二年以内に約八〇パーセント、そして、三年以内に殆どが死亡するとされている(証拠略)。

右のようなことから、HIVに感染しているというのみでは日常生活のうえで格別困難を伴うことなく生活をすることができるとはいっても、HIV感染者ないしエイズ患者に対しての社会的偏見と差別意識は強いのが現状であり、HIV感染者やエイズ患者のみならず、その家族の者までもが社会的偏見と差別の中で生きていかなければならない状況下にあり、そして、このようなことから、HIV感染者やエイズ患者自身もこの疾病に罹患していることが世間に知れると社会的に葬られるのではないかとの恐怖心に駆られている状況にある(証拠略)。

HIVは、伝染性のある疾患であるばかりか、潜伏期間が長いのでHIV感染者が感染していることを知らないと他の第三者に感染させるおそれがあり、また、HIV感染者にも早期にこの疾病に対する治療や生活態勢を確立させることが必要であるから、HIVに感染していることを告知することが望ましいと言える。

しかし、HIV感染者に感染の事実を告知するに際しては、前述したこの疾病の難治性、この疾病に対する社会的偏見と差別意識の存在等による被告知者の受ける衝撃の大きさ等に十分配慮しなければならず、具体的には、被告知者にHIVに感染していることを受け入れる用意と能力があるか否か、告知者に告知をするに必要な知識と告知後の指導力があるか否かといった慎重な配慮のうえでなされるべきであって、告知後の被告知者の混乱とパニックに対処するだけの手段を予め用意しておくことが肝要であると言える。

このようにみてくると、HIV感染者にHIVに感染していることを告知するに相応しいのは、その者の治療に携わった医療者に限られるべきであり、したがって、右告知については、前述した使用者が被用者に対し告知してはならない特段の事情がある場合に該当すると言える。

そうすると、D社長が原告に対して原告がHIVに感染していることを告知したこと自体許されなかったのであり、前記認定のこの告知及びこの後の経緯に鑑みると、この告知の方法・態様も著しく社会的相当性の範囲を逸脱していると言うべきである。

被告A社は、D社長が原告に対し、HIVに感染していることを告知したことには止むを得なかった事情があった旨弁明するが、被告A社の右弁明は独自の見解によるものであって、右に述べた判断を左右することにはならない。

したがって、被告A社は原告に対し、民法四四条一項及び七〇九条により、D社長の右告知行為によって被った後記損害を賠償すべき義務がある。

2  本件解雇について

本件解雇は、その事由なくしてなされた無効なものであることは前述のとおりである。

D社長が原告に対して原告がHIVに感染していることを告知し、本件解雇をなすに至った経緯については前記認定のとおりであり、これによると、本件解雇は、原告がHIVに感染していることを被告Cから連絡されたD社長は、原告を急遽無理矢理に帰国させ、原告がHIVに感染していることを告知するとともに再検査を受けることを勧め、原告も再検査を受けるための手配をし、このことをD社長に報告していたにもかかわらず、この検査結果の判明した日に到達した内容証明郵便をもって本件解雇をなしたというのであって、以上の諸点に前述のとおり本件解雇事由が薄弱であることを総合考慮すると、本件解雇の真の事由は、D社長の否定供述はあるものの、原告がHIVに感染していることにあったと推認できる。

そうすると、使用者が被用者のHIV感染を理由に解雇するなどということは到底許されることではなく、著しく社会的相当性の範囲を逸脱した違法行為と言うべきであるから、本件解雇は、被告A社の原告に対する不法行為となり、同被告は原告に対し、民法七〇九条により原告の被った後記損害を賠償すべき責任がある。

3  損害について

原告がD社長から突然HIVに感染していることの告知を受けて大きな衝撃を受けながらも、D社長の再検査の勧めに従い再検査を受け、この検査結果が陽性であることが判明し、さらに強い衝撃を受けたその日に、不当な本件解雇がなされたことは前述したとおりであり、これらのことにより原告は極めて甚大な精神的苦痛を被ったものと認められる。

以上の諸点に、本件雇用契約上の権利の存在と本件解雇以降の賃金の支払が認められたことにより、この点に関する限りでの経済的不利益は補填されたこと等の諸事情を総合考慮すると、原告の被った精神的苦痛を慰謝する額としては三〇〇万円が相当である。

したがって、被告A社は原告に対し、慰謝料三〇〇万円とこれに対する本件解雇の通知がなされた日である平成四年一〇月二八日(本件告知行為と本件解雇とによる損害額は特定できないから、この日を遅延損害金発生の起算日とする。)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

三  被告B社及び被告Cの不法行為の成否について

使用者が被用者に対し、雇用契約上の付随義務として被用者の職場における健康に配慮すべき義務を負っていることは前述のとおりであるが、被用者との間に直接の雇用契約関係にない場合であっても、右被用者に対し、現実に労務指揮・命令している場合にあっては、使用者の立場に立ち同様の義務を負うものと解される。

しかし、使用者といえども被用者のプライバシーに属する事柄についてはこれを侵すことは許されず、同様に、被用者のプライバシーに属する情報を得た場合にあっても、これを保持する義務を負い、これをみだりに第三者に漏洩することはプライバシーの権利の侵害として違法となると言うべきである。このことは、使用者・被用者の関係にない第三者の場合であっても同様であると解される。

そこで、本件についてみれば、被告B社は、原告を被告A社との前記契約に基づき派遣という労務形態で受け入れ、原告に対し現実に労務指揮・命令をしていたことは前記認定のとおりであるから、使用者の立場にあったということができ、したがって、原告の職場における健康に配慮すべき義務を負っていたと言うことができる。しかし、被告B社のみならず、被告Cも、原告のプライバシーに属する情報は、これをみだりに第三者に漏洩してはならない義務を負っていたのである。

ところで、個人の病状に関する情報は、プライバシーに属する事柄であって、とりわけ本件で争点となっているHIV感染に関する情報は、前述したHIV感染者に対する社会的偏見と差別の存在することを考慮すると、極めて秘密性の高い情報に属すると言うべきであり、この情報の取得者は、何人といえどもこれを第三者にみだりに漏洩することは許されず、これをみだりに第三者に漏洩した場合にはプライバシーの権利を侵害したことになると言うべきである。

これを以下、本件について検討する。

1  被告Cの連絡行為について

原告がタイ王国に入国し、R病院で就労証明証取得のために必要とされる健康診断を受けるに至った経緯については前記認定のとおりであり、また、証拠(略)によると、被告CがD社長に対し原告がHIVに感染していることを連絡するに至った経緯については、次のとおりであると認められる。

R病院医師は、原告に対する健康診断実施に際し、就労許可取得のために必要とされる五項目の検査以外に、依頼目的外のHIV抗体検査を原告の承諾を得ることなく実施した。そして、被告B社のビザ関係担当従業員Pは、同日、同病院長から電話で、原告がHIVに感染している旨の報告を受け、被告Cは、同日、人事総務部長Uから同旨の報告を受けて驚いた。

被告Cは、HIV感染に関しての当時の知識としては、この疾病は、疾病に対する抗体を失わせることから治療が困難であり、血液を媒介として感染し、感染から発病までにはある程度の期間があり、この間の就労は可能であること、従業員に対する関係では秘密保持に努めるべきこと等を有していた。このようなことから原告に対する対処方に苦慮し、タイ王国における医療機関の水準は過去の経験から然程高度ではないと考えており、誤診の可能性もあるので、原告が真実HIVに感染していると断定することはできないが、原告の健康上からも一刻も早い再検査を受けさせることが必要であると考えた。しかし、原告は被告A社から派遣された従業員であることから、取り敢えずD社長に原告に対する対処方を委ねるのが相当であると考えた。そこで、被告CはD社長に対し、同月一三日の夜間に電話で、原告を就労許可取得のために健康診断を受けさせたところ、HIVに感染していることが判明し、就労許可が得られないかも知れない旨とタイ王国における検査結果は信頼できないので、日本で再検査を受けさせた方が良いので至急帰国するよう業務命令を発して欲しい旨を要請した。

右要請を受けたD社長は原告に対し、前記認定の経緯で帰国命令を発出し、これによって原告は帰国することとなった。

そして、D社長が原告に対しHIV感染の事実を告知し、被告A社が本件解雇をなすに至った経緯については前記認定のとおりである。

右認定事実によると、被告Cは、R病院から全く予期しなかった原告がHIVに感染しているという情報を取得したのであるが、この情報は、原告に関しての極めて秘密性の高い情報であることは前述のとおりであるから、被告Cは、これをみだりに第三者に漏洩してはならない義務を負っていたこととなる。

それにもかかわらず被告Cは、右情報をD社長に原告の今後の対応方を委ねる趣旨で連絡したというのであるが、被告Dに当時右連絡の必要性ないし正当の理由があったとは到底認められない。

被告B社及び被告Cは、被告Cの右連絡行為は、被告B社が原告に対する当面の健康配慮義務者ではあっても、最終的な判断権者は被告A社であったので、職責上当然のことをなしたにすぎず、何ら違法と評価される理由はない旨反論するが、この反論は右に述べたところから明らかなとおり理由がない。

また、被告C及び被告B社は、被告CのD社長に対する連絡行為は、他に執るべき期待可能性がなかった旨主張するが、例えばこの連絡行為をしないというのも執るべき方法の一つと言うことができるから、他に執るべき方法は容易にあったのであり、したがって、同被告らのこの点に関する主張は採用できない。

なお、原告は、被告CのD社長に対する右連絡行為は、被告A社の本件解雇を手助けしたことになったとか、原告を職場から排除する趣旨でなした旨を主張するが、被告Cに右のような認識ないし意図のあったことを認めるに足りる証拠はない。

よって、被告Cは原告に対する直接の不法行為者として民法七〇九条により、被告B社は、代表取締役である被告Cの右行為につき同法四四条一項により原告の被った後記損害を賠償すべき義務がある。

2  原告のHIV抗体検査結果通知書の管理不行届きについて

証拠(略)中には、被告B社の従業員であったPは、平成四年一一月一〇日ころ、秘書の机上にある電話で米国在住の友人に国際電話をなそうと電話交換の待合中、同机上のメイルボックスの中の雑誌でも読もうとその中を見たところ、原告がHIVに感染している旨の検査結果の記載された現地の病院名と医師の署名ある手紙が封筒の中から出され開いた状態で封筒の上に置かれており、手紙の内容が個人のプライバシーに関わるものであったので非常に驚いた旨の記載部分があり、当法廷においても同旨の証言をしている。

しかし、他方、被告Cは、被告B社における文書の取扱方については、被告C宛の文書は秘書が開封してブック形式のレター挟み様のものに挟んで同被告の机上の箱に入れ、同被告が閲読した後は秘書が必要に応じて保管、回覧又は廃棄することとしていた旨を、また、R病院から原告がHIVに感染している旨の報告を受けてからは原告に関する書類については人事総務部長が秘密扱いで管理することとしていた旨を供述しており、この供述と右証言(右記載部分を含む。)を対比すると、右証言(右記載部分を含む。)の原告のHIV感染の記載された手紙を見たという日時、場所、態様等はいかにも不自然であって、にわかには信用することができない。

そして、他に原告のこの点に関する主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

3  被告Cが従業員に対して原告のHIV感染を知らせたことについて

被告CがEに対し、同被告がD社長に前記連絡をしたころ、原告がHIVに感染していることを知らせたことについては同被告及び被告B社の認めるところであり、被告Cがこのように知らせたのは、Eは原告の所属していたコンピューター部門の最高責任者であるので、営業活動上必要であると考えたことによる(証拠略)。

原告は、被告CがE以外のF、Gにも原告がHIVに感染していることを知らせた旨主張するところ、証人Wの証言中には一応右主張に沿う部分もあるが、同証人は単なる推測を証言しているに過ぎないから、右証言部分はにわかには信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そこで、被告CがEに原告がHIVに感染していることを知らせたのは、前述したところから明らかなとおり、原告のプライバシーの権利を侵害したこととなる。

被告B社及び被告Cは、被告CのEに対する右行為は事業の遂行上必要にして止むを得ない措置であった旨弁明するが、原告のHIV感染を知らせなければならなかった業務上の必要があったとは到底考えられず、他に執るべき手段がなかったなどとは言えない。

したがって、右弁明は同被告らの独自の見解によるものであって、理由がない。

以上のとおりであるから、被告Cは民法七〇九条により、被告B社は同法四四条一項及び七〇九条により原告の被った後記損害を賠償すべき責任がある。

4  損害について

原告は、被告B社及び被告Cの前記不法行為により甚大な精神的苦痛を受けたことは容易に認められる。

そして、被告CのD社長に対する原告がHIVに感染している旨の連絡行為は、不必要な行為であり、これによって被告A社の前記不法行為を誘発したのであるから、被告Cの責任は極めて重いものといわざるを得ない。

このようにみてくると、被告B社及び被告Cの原告に対しての慰謝すべき金額は三〇〇万円が相当である。

よって、被告B社及び被告Cは原告に対し、各自慰謝料三〇〇万円とこれに対する本件不法行為の後である平成四年一〇月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

(裁判長裁判官林豊 裁判官小佐田潔 裁判官蓮井俊治)

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