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東京地方裁判所 平成4年(ワ)4839号 判決 1994年4月25日

主文

1  平成四年(ワ)第四八三九号事件原告高嶋三子の請求をいずれも棄却する。

2  平成四年(ワ)第六九三六号事件被告高嶋三子は、同事件原告土戸伸光に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成三年一二月三〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は総てを平成四年(ワ)第四八三九号事件原告、同年(ワ)第六九三六号事件被告高嶋三子の負担とする。

4  右主文第2項及び第3項は仮に執行することができる。

理由

第一  請求(原告の求めた裁判)

一  平成四年(ワ)第四八三九号事件(原告高嶋三子)

1  主位的請求

被告は原告に対し、金三七〇〇万円及びこれに対する平成四年二月一五日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  予備的請求

被告は原告に対し、別紙物件目録記載二の建物(以下「本件建物」という。)を収去して同目録記載一の土地を明け渡し、かつ、平成四年二月一五日以降右明渡ずみに至るまで一か月一五万円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  平成四年(ワ)第六九三六号事件(原告土戸伸光)

主文第2ないし第4項と同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  平成四年(ワ)第四八三九号事件原告、同年(ワ)第六九三六号事件被告高嶋三子を以下「原告」と、同年(ワ)第四八三九号事件被告、同年(ワ)第六九三六号事件原告土戸伸光を以下「被告」という。

2  原告の父高嶋洋悦は被告に対し、昭和四六年一二月二八日同人の所有する別紙物件目録記載一の土地を含む六四・五五平方メートルの土地(以下「本件土地」という。)を普通建物所有の目的で賃貸期間を二〇年間と定めて賃貸し、被告は同目録記載一の土地上に本件建物を建築し、被告の母と二分の一ずつの共有持分により所有している。

原告は同目録記載一の土地の所有権を相続により取得した。

3  原告は右賃貸借契約期間の経過後の平成三年一二月三〇日、被告との間で、本件土地を被告に対し代金四二〇〇万円で売却する旨の売買契約を締結し、代金の支払について、同日手付金として五〇〇万円を支払い、平成四年二月一四日に代金三七〇〇万円を支払い、その支払があつた時点で手付金を売買代金の一部に充当する旨合意した。

被告は平成三年一二月三〇日、手付金五〇〇万円を支払つた。

二  本件各請求の訴訟物等

原告は、(1)主位的に、売買代金三七〇〇万円及びこれに対する約定の支払期日の翌日である平成四年二月一五日以降の遅延損害金を求め、(2)予備的に、被告が借地権を放棄し、別紙物件目録記載一の土地に対する占有権原を失つたと主張して、同土地の所有権に基づき本件建物の収去及び同土地の明渡しと、同土地の不法占有による損害賠償金として、平成四年二月一五日以降本件建物の収去に至るまで一か月一五万円の割合による金員の支払を求めている(平成四年(ワ)第四八三九号事件)。

被告は、右売買契約は要素の錯誤があつたので無効である旨主張し、手付金の返還及びこれに対する原告が手付金を受領した日である平成三年一二月三〇日以降の民法七〇四条に基づく法定利息の支払を求めている(同年(ワ)第六九三六号事件)。

三  争点

1  本件売買契約における要素の錯誤の有無

(一) 被告の主張

本件売買契約締結の交渉において、被告側は借地人は更地価格の三割くらいで借地を買えるのではないかと主張していた。

しかるに、原告を代理して本件売買契約締結の交渉にあたつた太陽建設有限会社(不動産業者)の代表取締役である佐藤源一が、平成三年一二月二九日及び三〇日の交渉において、本件土地の借地権は期間満了により消滅した旨説明し、更地価格で買い取るようにと要求したので、専門業者の発言でもあり、被告がその旨誤信して、借地権価格分の減額のない前記代金額(坪あたり二一五万円弱)で買い受けることにしたものである。

しかるに、本件賃貸借契約は更新し得るものであり、借地権は消滅していなかつた。

よつて、被告は、売買契約の重要な要素である売買代金額の算出根拠について錯誤があつたから、本件売買契約は錯誤により無効である。

(二) 原告の主張

(1) 太陽建設有限会社は本件売買に仲介人として関与したにすぎず、原告の代理人ではない。よつて、原告は佐藤の発言に責任を負わない。

(2) 被告側が当初、借地人は更地価格の三割くらいで借地を買えるのではないかと主張していたことは事実であるが、最終的には、佐藤の説明に納得して、右主張を撤回した。

佐藤が、本件土地の時価は坪あたり三五〇万円であり、借地権価格分三〇パーセントを減額すると坪あたり二四五万円となるが、これを前提に四五〇〇万円でどうかと説明、提案したのに対し、被告はさらに減額を希望した。そこで、佐藤は三七〇〇万円を再提案したが、原告が同金額では安すぎるので中間をとつて四二〇〇万円なら承諾する旨申し出たところ、被告もこれを承諾し、本件代金額が決定した。

したがつて、借地権の存在、借地権価格分の減額を前提として代金額が決定されたものであり、被告主張の事実はない。

2  借地権の放棄の有無

原告は、被告が本件売買契約締結の際、本件土地の借地権を放棄した旨主張し、被告は同事実を否認している。

第三  争点に対する判断

一  本件売買契約における要素の錯誤の有無

1  本件土地の時価について

《証拠略》によれば、本件土地近隣の《番地略》に所在する宅地一一二平方メートルの平成四年度の公示価格が平方メートルあたり六一万円であること、《証拠略》によれば、本件土地付近の土地の平成四年当時の時価として、坪あたり二〇〇万円ないし二五〇万円の価格の記載のある地価図が製作され販売されていること、《証拠略》によれば、本件土地が面する路線の平成三年分の路線価は平方メートルあたり五〇万円(借地権価格の割合は六〇パーセント)、右公示価格対象地の面する路線の同年分の路線価は平方メートルあたり四五万円であることを各認定することができる。

右各事実によれば、本件土地の本件売買契約が締結された平成三年一二月三〇日当時の時価は、坪あたり二〇〇万円ないし二五〇万円程度であつたものと推認することができ、したがつて、本件売買契約における本件土地の代金は更地価格と大差ないものと認めることができる。

2  本件賃貸借契約は、建物所有を目的とするものであるから、借地法の適用があり、賃貸人は正当の事由がない限りその更新を拒むことはできないところ、原告に右事由があつた事実を認めるに足りる証拠はない。

よつて、本件賃貸借契約は平成三年一二月二八日に契約期間が満了した後も更新し得たものと認めることができる。

3  そして、被告側において、借地人が借地を買い取る場合、借地権価格分を減額した価格で購入し得るものと認識していたことは、本件売買交渉の際の被告側の言動(三割程度で買えるのではないかと発言している事実は当事者間に争いがない。)から明らかであるから、本件売買契約において、被告が更地価格と大差ない価格で本件土地を購入することを決定するについては相応の事情があつたものと推認することができる。

4  以上の事実を考慮すると、本件売買契約締結に至る交渉過程において、不動産業者である太陽建設有限会社の代表取締役である佐藤が、本件賃貸借契約は期間満了により終了し、被告の借地権は消滅したのであるから、本件売買契約においては更地価格により売買すべきである旨の発言をし、被告側はこれを信用して、本件土地に対する借地権は既に消滅したものと誤信し、借地権価格分を減額することなく、更地価格を基準として四二〇〇万円(坪あたり二一五万円弱)という過大な代金額で買い受けることを決意したとする《証拠略》は信用することができ、右のとおりの事実を認定することができる。《証拠判断略》

なお、《証拠略》については、作成経緯およぼ記載内容の意味が、その記載自体によつては明らかでなく、同事実に関する原告本人の供述も措信できない。よつて、右書証は前記認定を妨げない。

5  そして、《証拠略》によれば、原告は佐藤に、被告と本件土地の売買に関する交渉を行うことを委任し、同人は原告のために被告側と売買代金額等の交渉を行い、本件売買契約締結の場にも立ち会つた事実を認定することができるから、同交渉に関して、同人は原告の代理人と同視し得る立場にあつたものというべきであり、同人が認識している事実は原告において認識しているものと同視すべきである。

6  売買代金額の算定根拠となる事実は、本件売買契約の意思表示の内容をなすものではないが、売買当事者間において、特定の事実の存否を前提に売買代金額を算定することが明示され、当該事実の存否を前提に代金額を算定して代金額の合意に至つた場合においては、当該事実は、売買代金額に準じて売買契約の意思表示の内容をなし、売買代金額と同様に売買契約の要素をなすものと解すべきである。

そして、前記認定の各事実によれば、本件売買契約締結に至る交渉過程において、当事者間で、被告の借地権が消滅した事実を明示のうえ、同事実を前提に更地価格を基準として代金額を算定し、決定しているのであるから、右借地権消滅の事実は本件売買契約の意思表示の内容をなし、本件売買契約の要素をなすものと解すべきであり、同事実に関し、被告に錯誤があつたことは前記のとおりであるから、本件売買契約は要素の錯誤により無効であると認めることができる。

7  したがつて、原告には売買代金を請求する権利はなく、被告は原告に支払つた手付金の返還を請求することができる。

右手付金の返還については、前記認定の各事実によれば、手付金授受の時点において、原告の代理人と同視し得る立場にあつた佐藤が被告に要素の錯誤があることを認識していたものと認めるべきであるから、原告は、民法七〇四条により、悪意の受益者として、受領した手付金にその受領の日以降の法定利息を付して返還すべき義務があると解すべきである。

二  借地権の放棄

被告が借地権を放棄した事実については、これを認定するに足りる証拠がない。

三  以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、被告の請求は理由があるのでこれを認容する。

(裁判官 中山顕裕)

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