東京地方裁判所 平成4年(ワ)4916号 判決 1993年11月22日
主文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢字南木山大楢二〇三二番六〇三山林一三二二平方メートル(別紙図面Aの土地。以下「A地」という。)と同所二〇三二番六〇四山林六二〇平方メートル(別紙図面Bの土地。以下「B地」という。)との境界は、七条通り一〇丁目角(別紙図面のチ点)を基点として西へ三六・三六メートルの点(別紙図面のイ点)と右基点より北へ三五・六五六メートルの点(別紙図面のト点)から直角に西へ三六・三六メートルの点(別紙図面のロ点)とを結ぶ直線とする。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
1 A地とB地との境界は、別紙図面のチ点を基点として西へ四四・八七メートルの点(別紙図面のニ点)と別紙図面のト点から直角に西へ四四・八七メートルの点(別紙図面のハ点)とを結ぶ直線とする。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らは、「北軽井沢大学村」の分譲別荘地にA地を共有している(持分の割合各二分の一)。
2 被告も、A地に隣接したB地を所有している。
3 A地とB地との境界は、別紙図面のイ点とロ点とを結ぶ直線である。
4 しかるに、被告はA地とB地との境界が別紙図面のハ点とニ点とを結ぶ直線であると主張するので、原告らは、A地とB地との境界の確定を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1及び2の事実は認めるが、同3の事実は否認する。
三 被告の抗弁(取得時効)
1 昭和四六年一〇月四日を起算日とする一〇年間又は二〇年間の取得時効
(一) 被告は、昭和四六年一〇月四日、山本多意吉から分筆前の群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢字南木山大楢二〇三二番六〇四の土地(現在のB地と同所二〇三二番五三四三の土地とを合わせた土地。以下「分筆前の六〇四の土地」という。)を、面積五〇〇坪の土地(別紙図面のハ・ニ・チ・ト・ハの各点で囲まれた土地)として買い受け、それ以来一〇年間又は二〇年間同土地を占有した。
(二) 被告が、分筆前の六〇四の土地の占有を開始した際、同土地が自己の所有にかかるものと信じたことにつき過失はなかった。すなわち、
(1) 被告が分筆前の六〇四の土地を購入した頃までに、A地の所有者とB地の所有者との間において、境界に関する争いはなかった。
(2) 被告は、分筆前の六〇四の土地を買い受けた際、社団法人北軽井沢大学村組合(以下「大学村組合」という。)の職員として永年付近の別荘用分譲地の売買、管理に携わってきた安東重徳から、現地において、分筆前の六〇四の土地の地積が五〇〇坪である旨の説明を受けた。
そして、その際、被告は、別紙図面のハ点とニ点にコンクリート製境界石が存在することを確認した。
(三) 被告は、右各取得時効を援用する。
2 昭和四八年六月三〇日を起算日とする一〇年間の取得時効
(一) 被告は、昭和四八年六月三〇日、別紙図面のイ・ロ・ハ・ニ・イの各点で囲まれた土地(以下「本件係争地」という。)上に木造ルーフィング葺平家建居宅四八・一七平方メートル(以下「本件建物」という。)を新築して所有し、それ以来一〇年間本件係争地を占有した。
(二) 被告が、本件係争地の占有を開始した際、同土地が自己の所有にかかるものと信じたことにつき、被告に過失はなかった。すなわち、
(1) 抗弁1(二)(1)(2)に記載したとおり。
(2) 被告は、昭和四八年六月三〇日、A地とB地との境界が別紙図面のハ点とニ点とを結ぶ直線であることを前提として本件建物を新築して所有したが、原告らはこれを知りながら何ら異議を述べなかった。
(三) 被告は、右取得時効を援用する。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1について
(一) 抗弁1(一)のうち、被告が昭和四六年一〇月四日に分筆前の六〇四の土地を買い受け、それ以来一〇年間及び二〇年間分筆前の六〇四の土地を占有したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同1(二)(1)の事実は否認する。同(2)の前段の事実は否認するが、後段の事実は知らない。
2 抗弁2について
(一) 抗弁2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)(1)に対する認否は、抗弁に対する認否1(二)に記載したとおり。
同2(二)(2)の事実は否認する。
五 原告の再抗弁
1 被告は、分筆前の六〇四の土地の地積が登記簿上一三二二平方メートル(約四〇〇坪)であることを知りながら、これを五〇〇坪の土地(別紙図面のハ・ニ・チ・ト・ハの各点で囲まれた範囲の土地)として買い受けたから、被告が本件係争地に対する占有を開始したときに過失があった。
仮に、被告が分筆前の六〇四の土地の登記簿上の地積を知らなかったとしても、被告は、本件係争地に対する占有を開始したときにその登記簿を調査しなかった過失ないし本件係争地付近の事情に詳しい大学村組合にいわゆる縄延びがあるのかどうかを問合わせなかった過失を免れない。
2 被告は、本件係争地に対する占有を開始したときに、A地とB地との境界が別紙図面のイ点とロ点とを結ぶ直線であることを知っていた。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1について
被告が本件係争地に対する占有を開始したときにその登記簿を調査しなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。
2 再抗弁2について
否認する。
第三 証拠(省略)
理由
一 請求原因について
1 請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、A地とB地との境界について検討する。
(1) A地とB地との境界並びに分筆前の六〇四の土地の北側に接する二〇三二番五九四の土地とA地の北側に接する二〇三二番五九三の土地との境界は一直線上にあり、一方の境界が定まれば他方の境界線も自動的に定まる(証人阿部譲の証言及びこれによって真正に成立したと認められる甲第一号証の三、成立に争いのない甲第三号証の二)。
(2) 別紙図面の各土地(分譲地)の造成の際、各土地を区切るため、盛土によって段差が設けられ、その段差に栗材の標柱が建てられたが、現在においても別紙図面のイ点とロ点とを結ぶ直線の延長線(別紙図面のロ点とリ点とを結ぶ直線)の付近にも盛土による段差が若干残されている(証人阿部譲の証言及びこれによって真正に成立したと認められる甲第六号証の三、平成四年一一月別紙図面のリ点付近を撮影したことについて当事者間に争いがない甲第一八号証の五、六、弁論の全趣旨によって真正に成立したと認められる甲第一八号証の七)。
(3) 分筆前の六〇四の土地の登記簿上の地積は、一三二二平方メートル(約四〇〇坪)である(成立に争いのない甲第二二号証の二)。また、同土地の昭和三年分譲開始当時の資料に記載された地積も、おおむね南北各二〇間の正方形からなる四〇〇坪である(前掲甲第一号証の三、弁論の全趣旨によって真正に成立したと認められる甲第九号証の二、証人阿部譲の証言)。
そして、別紙図面のイ・ロ・ト・チ・イの各点で囲まれた範囲の土地の面積は、計算上約一三〇〇平方メートル(三六・三六メートル×三五・六五六メートル=一二九六・四五二一平方メートル)である。
(4) 平成二年一二月二二日、大学村組合の職員小暮富二が理事阿部譲の立会いのもとに実際に本件係争地付近を測量したところ、別紙図面のチ点とイ点との距離が三六・三六メートル、イ点とヘ点との距離が三六・三六メートルであって、昭和三年分譲開始当時の前記資料の右各点間の距離の記載(二〇間)とおおむね一致する(証人阿部譲の証言及びこれによって真正に成立したと認められる甲第一一号証の一、二)。
右に認定した事実によれば、A地とB地との境界は別紙図面のイ点とロ点とを結ぶ直線である、と推認することができる。
なるほど、原告らがA地を購入した昭和四三年一二月及び被告が分筆前の六〇四の土地を購入した昭和四六年一〇月には別紙図面のハ・ニ・ヌの各点にコンクリート製境界石が存在したし、別紙図面のハ・ヌの各点には現在もコンクリート製境界石が存在する(本件係争地を撮影した写真であることに争いがない乙第一号証<1><2>、被告本人尋問の結果及びこれによって別紙図面のニ点に埋められていた境界石を撮影したと認められる乙第一号証<3><4>、証人阿部譲の証言、原告畠山純忠本人尋問の結果)。しかし、右コンクリート製境界石は、前記(2)の栗材の標柱が腐蝕し破損したために、これに換えて昭和四四年頃に埋められた際、本来別紙図面のイ、ロ、リの各点に埋められるべきところ、誤ってニ・ハ・ヌの各点に埋められたと推認することができる(前掲甲第三号証の二、成立に争いのない甲第四号証の二、証人阿部譲の証言及びこれによって真正に成立したと認められる甲第二号証、第六号証の一、第八号証の一、弁論の全趣旨及びこれによって真正に成立したと認められる甲第六号証の二)。したがって、これらの事実は、右認定の妨げとなるものではない。
二 取得時効の抗弁について
1 抗弁2(一)の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、被告の占有の開始時における善意、悪意及び過失の有無につき検討する。
成立に争いのない甲第二三号証、本件係争地の南側を撮影したことにつき争いのない甲第一八号証の三、本件建物の西側を撮影したことにつき争いのない甲第一八号証の四、前掲乙第一号証<1>ないし<4>、証人阿部譲の証言、原告畠山純忠、被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨及びこれによって真正に成立したと認められる甲第一九号証、乙第三号証の一によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告が分筆前の六〇四の土地を購入する前に、原告らと山本多意吉との間において、A地とB地との境界について争いはなかったし、被告が分筆前の六〇四の土地を購入した後も、本件係争地上に本件建物を新築して所有するまで、原告らと被告との間において、A地とB地との境界について争いはなかった。
(2) 被告は、分筆前の六〇四の土地を買い受ける前に、大学村組合の職員として永年付近の別荘用分譲地の売買、管理に携わってきた安東重徳から種々説明を受けたが、その際、別紙図面のハ点とニ点にコンクリート製境界石が存在することを確認した。
(3) 被告は、分筆前の六〇四の土地を買い受ける際、山本多意吉から、「分筆前の六〇四の土地の範囲は別紙図面のハ・ニ・チ・ト・ハの各点で囲まれた部分であり、その地積は五〇〇坪である。」旨の説明を受けた。
(4) 原告らは、昭和四八年春、被告が建築していた本件建物の西側の庇が別紙図面のハ点にあったコンクリート製境界石の中心とニ点にあったコンクリート製境界石の中心とを結ぶ直線を越えてA地に越境しているので、その越境部分の庇(数十センチメートル)を切り落とすように申し入れたところ、被告は、原告らの申入れに従い、その部分の庇を切り落とした。
この事実は、原告ら自身もA地とB地との境界が別紙図面のハ点とニ点とを結ぶ直線であると考えていたことを意味する。
(5) そして、実際に、原告らもA地とB地との境界が別紙図面のハ点とニ点とを結ぶ直線であると考えていたことは、原告らの平成四年六月二三日付準備書面第二の二2項の記載によっても明らかである。
右に認定した各事実によれば、被告が本件係争地の占有を開始した昭和四八年六月三〇日にA地とB地との境界が別紙図面のハ点とニ点とを結ぶ直線であると信じたというべきであるし、かつ、被告がそのように信じたことに過失があったということはできない。このことは、たとえ分筆前の六〇四の土地の地積が登記簿上一三二二平方メートル(約四〇〇坪)と記載されているにもかかわらず、被告が同土地の登記簿を調査しないで(この事実は当事者間に争いがない。)、これを五〇〇坪の土地(別紙図面のハ・ニ・チ・ト・ハの各点で囲まれた範囲の土地)として買い受けたことを考慮したとしても、なお左右されない。
3 被告が昭和四八年六月三〇日を起算日とする一〇年間の取得時効を援用したことは、当裁判所に顕著な事実である。
三 結論
以上によれば、被告は昭和四八年六月三〇日に遡って本件係争地の所有権を取得したことになるから、結局、原告らが提起した本訴は被告が所有する土地(本件係争地及びB地)の内部の境界の確定を求める訴えに他ならない。
よって、本件訴えを不適法として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
別紙図面
(所在)群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢字南木山大楢
<省略>