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東京地方裁判所 平成4年(特わ)350号 判決 1994年3月22日

裁判所書記官

小野里準一

本籍

山口県防府市栄町二丁目一一五八番地

住居

埼玉県朝霞市東弁財二丁目一八番地の一一

無職

岡加津子

昭和一二年五月一七日生

本籍

大阪府高槻市月見町九三五番地の一

住居

東京都新宿区高田馬場四丁目四番二号 尾上ビル三〇四号

元会社役員

小山昌宏

昭和一五年二月一六日生

右両名に対する各所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官渡邉清、弁護人奥田保各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人岡加津子を懲役二年四月及び罰金五〇〇〇万円に、同小山昌宏を懲役二年六月に処する。

被告人小山昌宏に対し、未決勾留日数のうち五五〇日を右刑に算入する。

被告人岡加津子においてその罰金を完納することができないときは、金四〇万円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

公訴棄却前の相被告人岡和彦(平成四年七月一二日死亡)は、埼玉県朝霞市東弁財二丁目一八番地の一一に居住し、東京都新宿区歌舞伎町二丁目四五番七号において「新宿形成外科クリニック」の名称で医業を営んでいたもの、被告人岡加津子は、右岡和彦の妻で、同区歌舞伎町二丁目四五番六号において「新宿千代田形成外科」の名称で医業を営んでいたもの、被告人小山昌弘は、右両医院の事務長として業務全般の運営を統括していたものであるが、被告人両名は、共謀の上、

第一  岡和彦の業務に関し、その所得税を免れようと企て、前記「新宿形成外科クリニック」における診療収入の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿した上

一  昭和六一年分の実際総所得金額が三億七一三一万五九三六円(別紙一の1の所得金額総括表(修正損益計算書を含む)参照)であったのにかかわらず、翌六二年三月五日、同区北新宿一丁目一九番三号所轄淀橋税務署(同年七月一日「新宿税務署」に名称変更)において、同税務署長に対し、右六一年分のみなし法人所得金額が二三四一万八四一三円、総所得金額が二六七〇万九〇八〇円で、これに対する所得税額が一三四五万三七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額二億四二三七万一八〇〇円と右申告税額との差額二億二八九一万八一〇〇円(別紙二の1のほ脱税額計算書参照)を免れ

二  昭和六二年分の実際総所得金額が三億六三一〇万五八九六円(別紙一の2の所得金額総括表(修正損益計算書を含む)参照)であったのにかかわらず、翌六三年三月八日、前記新宿税務署において、同税務署長に対し、右六二年分のみなし法人所得金額が二五一七万七四四三円、総所得金額が三〇八九万五八九〇円で、これに対する所得税額が一四九五万八三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額二億〇四七九万一八〇〇円と右申告税額との差額一億八九八三万三五〇〇円(別紙二の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

三  昭和六三年分の実際総所得金額が三億九五七七万四六〇四円(別紙一の3の所得金額総括表(修正損益計算書を含む)参照)であったのにかかわらず、平成元年三月一四日、前記新宿税務署において、同税務署長に対し、右六三年分のみなし法人所得金額が九五一九万五五三二円、総所得金額が七九一六万一二七七円で、これに対する所得税額が五九四六万九四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額二億一七三一万八二〇〇円と右申告税額との差額一億五七八四万八八〇〇円(別紙二の3のほ脱税額計算書参照)を免れ

第二  被告人岡加津子の所得税を免れようと企て、前記「新宿千代田形成外科」における診療収入の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿した上

一  昭和六二年分の実際総所得金額が一億〇二一四万九二九〇円(別紙一の4の所得金額総括表(修正損益計算書を含む)参照)であったのにかかわらず、翌六三年三月八日、前記新宿税務署において、同税務署長に対し、右六二年分の総所得金額が二三五万七一六九円で、これに対する所得税額が九万八五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額五三八七万九七〇〇円と右申告税額との差額五三七八万一二〇〇円(別紙二の4のほ脱税額計算書参照)を免れ

二  昭和六三年分の実際総所得金額が三億〇六四六万二八〇五円(別紙一の5の所得金額総括表(修正損益計算書を含む)参照)であったのにかかわらず、平成元年三月一四日、前記新宿税務署において、同税務署長に対し、右六三年分の総所得金額が二九五〇万七七一七円で、これに対する所得税額が一〇六一万七五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一億七四六九万四〇〇〇円と右申告税額との差額一億六四〇七万六五〇〇円(別紙二の5のほ脱税額計算書参照)を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示事実全部について

一  被告人両名の当公判廷における各供述

一  第一回公判調書中の被告人両名の各供述部分

一  第五回、第六回公判調書中の被告人岡加津子の供述部分

一  第三回、第四回、第七回公判調書中の被告人小山昌宏の供述部分

一  被告人岡加津子の検察官に対する供述調書(一三通)

一  被告人小山昌宏の検察官に対する供述調書(一一通。検乙第一六ないし一八、二六、二七、三〇、三二ないし三六号)

一  塩野目芳昭(二通。検甲第二九、三〇号)、鬼塚奏(検甲第三一号)、末延自顕(検甲第三二号)、樋口俊美(検甲第三三号)、中澤南海(検甲第三四号)、岡千文(検甲第三五号)、岡和樹(検甲第三六号)、小林万里枝(検甲第三七号)、磯野雄一(検甲第三八号)、細井信司(検甲第四〇号)の検察官に対する各供述調書

一  新宿税務署長作成の証拠品提出書(検甲第四二号)

一  検察事務官作成の捜査報告書(検甲第五〇号)、電話聴取書(検甲第五一号)

判示第一の事実全部について

一  被告人小山昌宏の検察官に対する供述調書(六通。検乙第一九、二一、二二、二四、二五、二八号)

一  岡和彦の検察官に対する供述調書(検乙第一号)

一  大蔵事務官作成の売上調査書(検甲第一号)、旅費交通費調査書(検甲第五号)、給料賃金調査書(検甲第七号)、事業主報酬調査書(検甲第一〇号)、みなし法人所得調査書(検甲第一一号)、利子収入調査書(検甲第一二号)、賃貸料調査書(検甲第一三号)、減価償却費調査書(検甲第一四号)、租税公課調査書(検甲第一五号)、配当収入調査書(検甲第一七号)、給与収入調査書(検甲第一八号)、給与所得控除額調査書(検甲第一九号)

判示第一の一、二の各事実について

一  大蔵事務官作成の青色専従者給与調査書(検甲第八号)、事業専従者控除調査書(検甲第九号)

判示第一の一、第二の一の各事実について

一  東京国税局査察部査察総括第二課山田昭夫作成の調査報告書(検甲第五二号)

判示第一の一の事実について

一  検察事務官作成の捜査報告書(検甲第四五号)

一  押収してある所得税確定申告書等一袋(平成四年押第六三六号の1)

判示第一の二、三の各事実について

一  大蔵事務官作成の接待交際費調査書(検甲第六号)、受取利息調査書(検甲第一六号)

判示第一の二の事実について

一  大蔵事務官作成の仕入調査書(検甲第四号)

一  検察事務官作成の同年一月二五日作成の捜査報告書(二通。検甲第二、三号)

一  押収してある所得税確定申告書等一袋(同押号の2)

判示第一の三の事実について

一  押収してある所得税確定申告書等一袋(同号の3)

判示第二の事実全部について

一  被告人小山昌宏の検察官に対する供述調書(三通。検乙第二〇、二三、二九号)

一  大蔵事務官作成の売上調査書(検甲第二〇号)、旅費交通費調査書(検甲第二三号)、給料賃金調査書(検甲第二四号)、青色申告控除額調査書(検甲第二五号)

一  検察事務官作成の捜査報告書(二通。検甲第二一、二二号)

判示第二の一の事実について

一  大蔵事務官のみなし犯則所得調査書(検甲第二六号)、給与収入調査書(検甲第二七号)、給与所得控除額調査書(検甲第二八号)

一  押収してある所得税確定申告書等一袋(同押号の4)

判示第二の二の事実について

一  押収してある所得税確定申告書等一袋(同号の5)

(事実認定の補足説明)

弁護人は、判示第一の各事業所得については亡岡和彦(以下「和彦」という)の所得、判示第二の各事業所得については被告人岡加津子(以下、「被告人加津子」または単に「加津子」という)の所得とされているが、右各事業所得はいずれも両医院の実質的経営者であった被告人小山昌宏(以下、「被告人小山」または単に「小山」という)の所得であり、和彦と加津子は本件各事業所得の帰属主体ではないから被告人両名は本件訴因について無罪であると主張する。なお、訴訟の半ばまでの争点は、各事業所得が和彦及び加津子にそれぞれ帰属することを前提として、被告人両名の共謀はなく、被告人小山の単独犯行であり、被告人岡加津子は無罪であるというものであったことから、以下この点についても併せて、補足説明する。

一  前掲関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

1  医師である和彦は、昭和五五年一〇月に銀行から自己名義で資金を借り入れて東京都新宿区歌舞伎町二丁目四五番七号所在の石井ビル七階に新宿形成外科クリニック(以下「新宿形成外科」という)を開業し、包茎手術、パイプカット手術等の自由診療を専門とする医院を開業した。被告人小山は、多額の債務を抱え、債権者らの取立てを免れるため大阪から上京して加津子の夫和彦の下に身を寄せ、和彦の居宅の一部を借用して学習塾を始めたが、新宿形成外科の開業とともに和彦、加津子の依頼により新宿形成外科の事務を手伝うようになった。

新宿形成外科は、和彦が看護婦二名及び小山を雇傭し、和彦が診療のほかに売上金の管理や帳簿の記載等の経理事務をはじめとする経営全般を直接管理していたが、やがて、和彦は診療行為に専念するようになり、昭和五七年ころから小山が事務長として経理事務を本格的に手掛けるようになった。

2<1>  このため、経理事務のみならず、看護婦の採用、給与の決定など新宿形成外科の運営一切を取り仕切り、学習塾を止め、事務長の職務に専念し始めた被告人小山は、診療収入の伸び悩み状態を打破するため、医師の宮城を招へいし、和彦に代わって手術を担当させるとともに、新宿形成外科の宣伝広告を雑誌やスポーツ新聞に積極的に掲載して多くの患者を集めるようになった。他方、これと前後して、和彦の施した手術の余後が悪く、手術部分が化膿したことが数件続いたため、和彦はそれを気に病み、これまで以上に医院の経営はおろか、診療行為にも身が入らないようになり、小山が右のとおりの運営を行う大きな要因となった。そして、被告人小山は、手術件数の増加に伴い、さらに医師や看護婦を雇い入れ、交代制で手術を担当させるなどしたため、新宿形成外科は飛躍的に診療収入を伸ばしていった。

<2> 右の間の昭和五六年春ころから、被告人小山は、生活費欲しさのため診療収入の中から和彦の目を盗んでは月に五、六回、現金五〇〇〇円の初診料を抜いて、くすねるようになっていたが、昭和五七年ころに至ると、診療カルテの一部を抜き取って、月に一〇万から三〇万円の診療収入を除外し、着服するようになった。

また、前記のように宮城医師を招へいしてから診療収入が伸び始めたが、被告人小山は、さらに同医師のほか、新たに招へいした医師や雇い入れた看護婦らに手術件数を増やさせて診療収入を増加させるため、手術件数に比例し、いわゆる簿外給与を支給することにし、その資金調達の必要からも右診療収入の一部除外を恒常的に行なうことにした。

<3> 他方、被告人加津子は、夫の和彦から同人の個人資産の管理や運用を任され、和彦の事業主としての給与と加津子自身の専従者給与分の合計金額を小山から受け取っていたが、昭和五九年ころ、小山に右給与の増額を要求したところ、以後仮払いという言葉を使い、十万円単位の現金を別途受け取るようになった。そして、昭和六〇年春ころには被告人小山が加津子に対し「売上げが伸びてきたから、これからはもっと渡せると思う。いちいち言わなくても僕が作っておいてあげるから、必要なときに連絡して」などと言って給与外の現金の増額交付を申し出て、診療収入から除外した現金を随時新宿形成外科、又は近くの喫茶店等で加津子に手渡すようになった。その後、加津子に渡される現金は次第に増えていった。

<4> 和彦が、昭和六〇年六月眼底出血により入院したころ、被告人加津子は和彦との離婚を真剣に考え始め、離婚後の生活資金を貯めなければとの思いが募り、新宿形成外科の診療収入から和彦に内緒で資産を蓄積しようと企てた。そして、被告人加津子は、小山に「これからは仮払いを切れる金があったらできるだけ沢山ちょうだい」と仮払い名下の現金の増額を要求し、小山は「もっと回すようにするから」と答えて加津子に手渡す現金を更に増やす話し合いがなされた。その際に両被告人間で、和彦にはこのような裏金のやりとりがなされていることを秘匿しておくことも改めて確認した。その後、被告人加津子は、一回に百万円単位で現金を受取るようになったほか、家の修理や子供の学費などが必要になった都度、小山に請求をして数百万円単位の現金を受け取った。

<5> また、右時期と前後して、被告人小山は、加津子に対し、看護婦長に対して簿外給与を支給したい旨の相談をしたところ、被告人加津子はこれに同意するとともに、「あんたも二〇万位取っても良いわよ」と言って売上げから被告人小山自身の簿外給与の抜き取りを勧めた。

<6> そして、昭和六〇年一〇月ころ、被告人小山は、顧問税理士を通じて新宿形成外科に対する税務調査の予告があったことを加津子に伝えたところ、加津子は税務調査の対象とされるカルテなどについて税務調査対策が講じられているかを確認した。被告人小山は、加津子に対して税務調査で発覚しないように処分した旨答え、その後、税務調査の結果を加津子から尋ねられたのに対し、看護婦長が手術に使用する麻酔の量を糺されたが、機転をきかせて、実際の手術に使用する麻酔量の倍量の使用を主張して事なきを得たと報告し、加津子は看護婦長の機転を賞賛した。

3  昭和六二年に入り、新宿形成外科を訪れる患者数が更に増えて、患者の中には玉入れ手術(陰茎部にシリコン球を付着させるもの)を希望する患者も少なくなかったのに、和彦が玉入れ手術を拒絶していたことから、被告人小山は、加津子に対し、同人が自ら新たに医院を開設するように求め、被告人加津子は、銀行融資を得て同年七月、新宿形成外科に隣接する千代田ビル三階を賃借し、他の医師の名義を借用して新宿千代田形成外科(以下「千代田形成外科」という)を開業し、小山が新宿形成外科と千代田形成外科との事務長を兼ねることとなった。

4  このような経緯のもと、新宿形成外科については昭和六一年から同六三年の三か年度、千代田形成外科については昭和六二年及び六三年の二か年度の各年度にわたり、被告人小山は右両形成外科の売上げの一部を除外するため、除外する分のカルテに印をつけて公表分のカルテと区別してこれを別に保管し、除外した現金はそのまま事務所の机の引出し、あるいは自宅に一時隠匿した。被告人小山は、右現金から、前記のように加津子に現金を直接手渡し、また、被告人小山自身の競馬等の遊興費や株式への投資、クラブ経営資金、さらには家族への仕送り等に費消していた。一方、被告人加津子は、小山から受領した現金で割引債券や株式を購入し、それらの証券類を妹である小林万里枝(以下「小林」という)名義を借用して契約した貸金庫に隠匿するなどしていた。

5  各年度の所得税の申告は、被告人小山が自分で作成した両形成外科の売上除外をした売上帳等を概ね一か月毎に顧問税理士に渡して、三か月毎に試算表を受領し、年度末に作成された確定申告書について、新宿形成外科については岡和彦の、千代田形成外科については岡加津子の各氏名を税理士がそれぞれ代署し、被告人小山が右和彦、被告人加津子から預っていた各印鑑を押捺し、各申告を行った。

以上の事実を認めることができる。

二  各事業所得の帰属について

弁護人及び被告人両名は、新宿形成外科については、昭和五七年ころ(遅くとも昭和五九年ころ)から医院の経営者としての役割を小山が一人で担っていること、千代田形成外科については、開設の発案やそのための入居ビルの手配、保健所への診療所開設届を出すための書類の準備等の一切について小山が行っており、開業後の経営状況は新宿形成外科と同様の実態であることを主たる理由として和彦、加津子は両外科の名目上の経営者にすぎず被告人小山が両外科の実質的経営者である旨主張する。

しかし、前記認定事実及び関係各証拠によれば、

<1>  新宿形成外科は、和彦が借入れをするなどして捻出した資金をもって開業した同人名義の医院であり、千代田形成外科は、被告人加津子が和彦同様自ら資金を借り入れ同医院を設立し、その代表者となったこと

<2>  和彦と被告人加津子の両名は、各形成外科開設以来、小山に各自の印鑑の使用を許諾して税務申告手続を各々任せ、被告人小山は、新宿形成外科については和彦の所得として、千代田形成外科については被告人加津子の所得としてそれぞれ確定申告していたこと

<3>  千代田形成外科の管轄保健所に対する診療所開設届、所得申告書の記載内容及び各形成外科の建物賃貸借契約等の対外的な関係において、被告人小山が経営者、ないしは和彦、被告人加津子との共同経営者であることを窺わせる事実は一切認められないこと

<4>  和彦は、当初、新宿形成外科の診療のほか経営の全般を掌理していたが、次第に小山に経営事務を任すようになり、和彦がノイローゼ気味になってからは、益々その傾向は進んだものの、依然として和彦は院長の地位にあり、小山の委託された事務の範囲が広がるにつれ、診療収入からの抜き取りの態様は次第に大胆になったものの、和彦に察知されないようにしており、又、和彦も週に数日は、医院に赴き、院長として行動していたこと

<5>  新宿形成外科開設後、和彦の死亡に至るまでの間、特に和彦が医院の経営権の全部または一部を小山に委譲する旨の明示ないし黙示の意思表示はなく、また、経営権委譲に伴い、通常、現れる対外的ないし診療所内での外形的事実の変化も認められないこと

<6>  被告人加津子は、和彦がノイローゼが昂じて壮年性うつ病、不安定神経症に陥り医院経営に意欲を示さなくなってからは、新宿形成外科の内状について小山から聴取し、岡家の人間が常時一人は新宿形成外科にいた方が良いとの加津子の考えに基づき、長女の真弓や次女の千文をできる限り新宿形成外科に勤務させるなど、その経営に強い関心を抱き、小山の行動を監視しようとしていたこと

<7>  千代田形成外科の開設は、被告人小山が診療収入の増加を目指したものであるが、自らが銀行から借入れたり、医師の招へいなどを行うだけの資力も信用もなく、結局加津子に開設を勧め、加津子自身が自らの経営判断で資金を借入れ、建物を賃借し開業したもので、その経営については新宿形成外科同様の強い関心を抱いており、その後被告人小山に経営の一部又は全部を委譲した形跡も認められないこと

<8>  被告人小山は、看護婦長への簿外給与の支給、医院への税務調査の予告と調査内容及び調査結果等両外科の運営上の重要事項について逐次加津子に伺を立てたり、結果報告をしていること

<9>  そして、被告人加津子は、右両外科の診療収入から給料のほか多額の仮払金を自己または和彦に帰属する現金として小山を通じて受け取っていたこと

が認められ、これらの外形的事実及び両外科の経営の実態に照らせば、新宿形成外科の事業経営者は和彦、千代田形成外科のそれは加津子であることは明らかで、和彦が新宿形成外科の所得の帰属者、加津子が千代田形成外科の所得の帰属者といえるのである。

また、前記認定事実のとおり、被告人小山が両外科の実質的な運営を担当していたことは事実であるが、それに伴い当然に本件各所得が同人個人に帰属するものではない。両外科が和彦、加津子によって、それぞれ開設されたものであることは前示のとおりであり、被告人小山と和彦及び加津子とが生計を同一にしている事実もなく、各自の収支計算の下に各自の生活が営まれているのであって、和彦、加津子が経営の主体としての地位を小山に譲渡したことを窺わせる事実は何ら存しないのである。被告人両名及び岡千文は、被告人小山が新宿形成外科については和彦から経営権を譲り受けた旨縷々述べるが、経営を譲渡したとする時期及び内容は、あいまいで不自然、不合理である上、加津子が仮渡しと称して受領していた現金の性格について合理的な説明がつけられないのであって、右の者らの供述及び証言は信用できない。(ちなみに、和彦は、検察官に対し、新宿形成外科の経営主体は自分であり、被告人小山が自分に隠れて遣い込んだ金については返還請求をすると供述している。)

三  共謀の有無について

被告人加津子は、被告人小山が両外科について脱税を行っていることは知らなかったと供述し、被告人小山との共謀の事実を否認する。

1  しかし、前記認定事実においても、

<1> 被告人小山が新宿形成外科の事務長として診療収入を増加させた際、簿外給与の支払等について加津子に相談したところ、加津子はこれに同意し、更に売上げから小山自身の簿外給与の支出を勧めたこと

<2> 被告人加津子は、新宿形成外科の診療収入が伸びていることを小山から聞いて、給与の値上げを求めたところ、小山は、給与を上げずに、仮払いという形で、随時加津子に現金を手渡すことを申し出たこと、被告人加津子は、小山の右話に乗って被告人両名の間で診療収入の中から直接抜き取った現金を新宿形成外科及びその近くの喫茶店などで人目をはばかる形で授受していること、診療収入の増加に伴って仮払金も増加したにもかかわらず、仮払いの精算は一切行われず、被告人両名において精算の意思は全く無かったこと

<3> 被告人加津子は、昭和六〇年一〇月の税務調査の際に、診療カルテを抜き取って診療収入の一部を除外しているのを発見されないように講じた対策について確認し、かつ看護婦長が麻酔の使用量を実際に使用している倍量である旨虚偽の答えをして調査の目を免れたことを喜び合っていること

等、共謀の成立を窺わせる事実を指摘することができるほか、関係各証拠によれば、

<4> 被告人加津子は、昭和六一年一一月には長女真弓への、昭和六二年五月には実弟田中宏夫への架空給与、昭和六三年一一月には小林への水増給与の支給を小山に求め、右架空、水増の支給を小山にさせ、更に、昭和六二年に至るや、食事代等の領収書を小山に渡して、架空の接待交際費を水増計上させていたこと、千代田形成外科の開設後は、同外科も新宿形成外科と同一の経理処理を行っていたこと

<5> 被告人加津子は、平成元年九月に国税局の査察が行われた際、小山から渡されていた売上除外分の診療カルテを次女の千文に命じて焼却処分させ、又、小林の借名で契約した貸金庫内に秘匿していた無記名債券を転々、場所を移し変えて、その存在を隠しとおそうとし、更に貸金庫内が空であることに不審を抱かれるのを防ぐため、急きょ宝石を貸金庫内に収納するなど徹底的な偽装、証拠隠滅行為を行い、小山とともに国税局に呼び出された際には診察申込書を処分しなかった点について小山を叱咤していること

が認められる。

2  以上の各事実を併せて考えると、被告人両名の間では、遅くとも昭和六〇年一〇月に税務調査が行なわれた時点には、新宿形成外科についてその売上げの一部を除外して納税を免れる合意が形成され、その後設立した千代田形成外科については、その開設目的が新宿形成外科以上の収入増加にあったものであって、新宿形成外科同様、被告人両名の間で、売上除外し納税を免れる合意が存し、右各合意に基づいて判示各年度に売上除外などが行われ、虚偽過少の確定申告がなされたことが認められる。

すなわち、被告人両名の間に判示事実記載のとおり、ほ脱の共謀が存したことは明らかというべきである。

(法令の適用)

一  被告人岡加津子について

被告人の判示第一の一ないし三の各所為は、いずれも刑法六五条一項、六〇条、所得税法二四四条一項、二三八条一項(罰金刑の寡額については、刑法六条、一〇条により、平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による)に、判示第二の一、二の各所為は、いずれも刑法六〇条、所得税法二三八条一項(罰金刑の寡額につき前同様)に該当するところ、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ、判示各罪につき情状により同条二項を適用することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第二の二の罪の刑の法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年四月及び罰金五〇〇〇万円に処し、同法一八条により、右罰金を完納することができないときは金四〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。

二  被告人小山昌宏について

被告人の判示第一の一ないし三、同第二の一、二の各所為は、いずれも刑法六〇条、所得税法二四四条一項、二三八条一項(罰金刑の寡額については、刑法六条、一〇条により、平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による)に該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中五五〇日を右刑に算入することとする。

(量刑の理由)

一  本件は、新宿形成外科を開業して医業を営んでいた夫和彦との離婚を考えた妻加津子と同女の義弟で同女方に寄宿していた小山の両名が、共謀の上、昭和六一年から三年間にわたり右形成外科の診療報酬を売上除外して脱税するとともに、昭和六二年には小山の勧めで加津子自らが経営者となって新宿千代田形成外科を開設し、小山と共謀して二年間にわたり同様の脱税をした事案である。右新宿形成外科と千代田形成外科とのほ脱税額を併せるとほ脱税額の合計は約七億九四〇〇万円もの高額にのぼり、ほ脱率も平均で約九〇パーセント近くになる上、その犯行態様は、被告人小山において保存義務のある診療カルテにしるしをつけて、そのカルテを公表分と別に保管し、後日機会あるごとにこれを廃棄処分し、その間、患者が再診に来たときにはカルテが見付からない旨虚言を弄して、これを糊塗し、平然として脱税の証拠となるカルテを廃棄し続けて証拠を隠滅し、被告人加津子は小山から受領した右売上除外にかかる裏金で無記名債券などを購入し、債券を借名の貸金庫に隠匿するなどしており、いずれも計画的かつ巧妙であり、悪質というほかない。加えて、被告人両名とも全くの利己的な動機に発した犯行で納税意識の希薄さが顕著である上、国税局の調査により脱税が発覚した後も、被告人小山は加津子の次女に別保管していて処分しきれなかったカルテの処分を指示し、被告人加津子もそれに積極的に加担するなどその脱税犯意はいずれも強固なものが窺える。

他方、和彦、加津子の両名は、本件公訴の提起前に各々修正申告をし、千代田形成外科の本税全部と新宿形成外科の昭和六三年度の一部を除く本税を既に納付していること、被告人両名ともにこれまで前科がないことはいずれも有利な情状として斟酌できる。

二  更に、被告人加津子についてみると、同人は直接カルテの抜き取りこそしていないものの、新宿形成外科においては経営者の妻として、千代田形成外科にあっては経営者自身としての各立場から両形成外科の従業員である小山に指示、あるいは許諾を与える地位にあったもので、両外科の事業展開は実質小山に負っていたとしても本件脱税に関し小山に優るとも劣らぬ主体的役割を担っており、実際、ほ脱所得の中から「仮払金」と称して数億円に上る金額を小山から受領し、隠匿し、費消したものである。にもかかわらず、同被告人は自らの本件脱税との関わりを強固に否定し、公判で本件所得がいずれも小山に帰属するものであったと成り振り構わぬ弁解を繰り返している。これらの犯情にかんがみると同人の刑事責任は重いといわざるを得ない。

そうすると、同被告人は夫和彦を監督責任懈怠として公訴提起をされるに至らせたことを悔んでいるとともに同人に先立たれ、自らが開設した千代田形成外科も本件脱税の発覚から廃業に至り、夫の跡を継いだ長男の収入に依存している現状や前記のような有利な情状を十分考慮してみても、本件脱税の程度及び態様などの悪質さに照らし、実刑は免れ難く、主文掲記の懲役と罰金の量刑が相当である。

三  更に、被告人小山についてみると、同人は、両形成外科の運営を事実上任された事務長として立場を悪用し、診療収入の売上除外を平然と実行したもので、新宿形成外科の経営者である和彦の経営への無関心と千代田形成外科の経営者である加津子の後ろ盾が被告人の犯行を助長した面はあるものの、自らの遊興費、生活費等欲しさのため本件を敢行し、従前身を持ち崩して家族と別れざるを得なくなった原因と同一の競馬狂いを始め、ほ脱所得をほしいままに費消したものである。

そうすると、被告人も加津子同様これまで前科がなく、本件について反省の情を披瀝していること等を前記有利な情状に併せ考慮しても、なお、その罪責の重さに照らし、実刑をもって処断するのが相当である。

よって、被告人両名に対し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤正髙 裁判官 福島政幸 裁判官朝山芳史は、海外出張中のため署名押印することができない。裁判長裁判官 伊藤正髙)

別紙一の1 所得金額総括表

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修正損益計算書

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別紙一の2 所得金額総括表

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修正損益計算書

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別紙一の3 所得金額総括表

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修正損益計算書

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別紙一の4 所得金額総括表

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修正損益計算書

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別紙一の5 所得金額総括表

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修正損益計算書

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別紙二の1 ほ脱税額計算書

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別紙二の2 ほ脱税額計算書

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別紙二の3 ほ脱税額計算書

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別紙二の4 ほ脱税額計算書

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別紙二の5 ほ脱税額計算書

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