大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)10154号 判決 1998年4月30日

原告

山口俊明

右訴訟代理人弁護士

内田剛弘

羽柴駿

渡辺博

被告

株式会社時事通信社

右代表者代表取締役

村上政敏

右訴訟代理人弁護士

小谷野三郎

鳥越溥

芳賀淳

笠巻孝嗣

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  原告が被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は原告に対し、金四八八万〇七九九円及び平成五年六月一日以降本判決確定に至るまで毎月二三日限り金六三万三八七〇円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、通信社の記者である原告が、休日等を含め約一か月間の年次有給休暇の時季指定をしたところ、被告が右休暇の後半に属する勤務日について時季変更権を行使し、右勤務日に業務命令に違反して就業しなかったことなどを理由として原告を懲戒解雇したのは無効であるとして、被告との間に労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めている事案である。

一  争いのない事実等

以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は、末尾に掲げた証拠及び弁論の全趣旨によって認めることができる。

1  当事者

(一) 被告は、ニュースの提供を主たる業務目的とする通信社であり、新聞社、放送局などのマスメディア向けの一般ニュースサービスのほかに、企業、官公庁等に対する専門ニュースサービスを行っている。原告の所属する社会部は、被告本社において、右の両サービスに供されるニュースの取材を担当する編集局に属し、部長、次長(デスク)、デスク補助等の内勤のほか、各記者クラブに所属する記者からなっている。

被告において、記者クラブに所属する記者が長期欠勤や長期出張で一か月近くも不在で取材活動を行うことができないような場合には、その記者の所属部において賄うのが慣例とされており、社会部では、記者クラブに所属する記者が休暇等で取材活動を行うことができない場合に備え、その職務を代替させるために、予め他の記者クラブに所属する記者を相方の記者として定め、年次有給休暇(以下「年休」という。)を取得する予定の記者は、年休の時期及び期間について、相方の記者と調整してから休暇届を出す取扱いになっていた。原告の相方は、科学技術庁記者クラブに所属する吉田伸八記者(以下「吉田記者」という。)であった(乙第一、第一〇号証、証人三橋清二の証言)。

(二) 原告は、昭和四二年四月に被告に入社し、大阪支社、本社第一編集局(現本社編集局)スポーツ部、同経済部に順次配属され、モスクワ支局特派員等を経た後、本社編集局社会部に勤務している記者であり、科学技術庁記者クラブを経て、昭和六三年四月から通産省記者クラブ社会部分室に所属し、通産省所管の原子力発電所の事故関係及び公正取引委員会の処分関係を担当していた。なお、通産省記者クラブに所属する被告の記者は、原告のほかに、経済部から経済部分室に四人、内政部から内政部分室に一人の計六人であり、経済部分室の記者は通産省及び公正取引委員会の経済政策関係を、内政部分室の記者は通産省所管事項のうち地方自治体関係をそれぞれ担当していた(乙第一号証、証人三橋清二の証言)。

2  本件時季変更権の行使に至る経緯

(一) 原告は、昭和五五年夏、約一か月間の年休の時季指定をしたが、被告から時季変更権を行使された右期間の後半に属する勤務日について、業務命令に違反して就業しなかったことを理由として譴責処分を受けた。原告は、被告のした時季変更権の行使は違法無効であるとして、譴責処分の無効確認等を求めて訴えを提起した。これについて、最高裁判所は、平成四年六月二三日判決により、時季変更権の行使を違法とした原審の判断(東京高等裁判所昭和六三年一二月一九日判決)には、法令の解釈適用を誤った違法がある旨判示して、時季変更権の行使及び譴責処分が不当労働行為に該当するとの原告の主張の当否について更に審理を尽くさせるため、事件を原審に差し戻した。原告は、最高裁判所の右判決言渡し直後の記者会見において、「会社を辞めるまで、意地でも毎年一か月の夏休みを取ろうと思っている。」と述べた。

なお、事件の差戻しを受けた東京高等裁判所は、平成七年一一月一六日判決により、右時季変更権の行使は適法であり、かつ、不当労働行為にも当たらないとして、原告の控訴を棄却した(乙第六号証の一ないし五、第四七、第六八、第八〇号証)。

(二) 原告は、平成四年(以下、特に断らない限り平成四年を指す。)当時において、前年度の年休の繰越日数一四日間を加えた三四日間の年休日数を有していたので、七月一七日、社会部長三橋清二(以下「三橋社会部長」という。)に対し、休暇届(七月二七日から八月二八日まで。ただし、うち所定の休日等を除いた年休日数は二七日である。)を提出し、年休の時季指定をした(以下「本件時季指定」という。)。原告は、右休暇届の提出に先立って、休暇の時期及び期間について、相方の吉田記者との間で何ら調整をしていない。

三橋社会部長は、七月二三日、吉田記者が九月に予定されているスペースシャトル打ち上げの事前取材の準備で忙しいため、同記者に原告の職務を代替させれば過重な負担をかけることになり、これを避けようとすれば社会部全体の取材陣容が手薄になり、業務に支障が出るおそれがあるとの理由を挙げて、最初の二週間は休暇を認めるが、残りは九月にでも取ってほしいと回答したうえ、同月二五日、右の回答は変更の余地のない被告の決定事項である旨伝えた。この間、原告は、同月二四日、休暇の終期を八月二四日に変更する旨申し出たが、被告の意向には沿えないとの態度を一貫してとり続けた。

そこで、総務局長藤原紘(以下「藤原総務局長」という。)は、本件時季指定に対し、八月四日付けの文書で、右指定に係る期間は社会部員が交替で各自一週間程度の夏休みを取る時期と重なるため、人員が極めて窮屈な時期であり、原告が五週間も休暇を取れば、社会部全体の業務に支障を来すおそれがあるとの理由を付記して、七月二七日から八月九日までの休暇は認めるが、八月一〇日から同月二八日までの期間中の勤務を要する日に係る時季指定は業務の正常な運営を妨げるものであるとして、時季変更権を行使し(以下「本件時季変更権の行使」という。)、右の勤務を要する日について就業することを命じた(甲第四号証、乙第一、第一三号証、証人藤原紘及び同三橋清二の各証言)。

3  本件懲戒解雇に至る経緯

(一) 藤原総務局長は、八月八日、原告に電話をし、八月一〇日以降出社しないと面倒なことになるからよく考えてほしいと述べて出社を促したが、原告は、同月一〇日、同局長に電話で出社しない旨を伝え、出社しなかった。翌一一日、藤原総務局長は、原告から送付された抗議文に対する回答書をファックス送信するとともに、原告に電話をし、再度、出社して話合いに応じるよう説得したが、原告は、これには応じず、団体交渉で話合いをすることを提案した。被告は、同日夕刻、原告の所属する労働組合である時事通信労働者委員会(以下「労働者委員会」という。)から本件時季変更権の行使等に関して団体交渉の申入れを受け、翌一二日、団体交渉に応じる旨回答して、その日時を指定したが、労働者委員会は、指定された日には組合員が揃わないとして拒否したため、結局、団体交渉は開かれなかった。そして、原告は、被告の就業命令を無視して八月一〇日から二四日までの間、勤務に就かなかった(乙第一三、第三二、第三三号証、証人藤原紘の証言)。

(二) 被告は、九月九日、原告が時季変更権を行使された八月一〇日から二四日までの間の勤務を要する日一二日間について業務命令に違反して就業しなかったことは、社員就業規則に基づく社員懲戒規程(以下「懲戒規程」という。)四条六号所定の戒告、譴責、減俸及び出勤停止の事由である「職務上、上長の指示命令に違反したとき」に該当するところ、原告は昭和五五年夏にも被告の業務命令に違反して約一か月間の年休を取り譴責処分に付されており、今回は二度目の業務命令違反であること、しかも、六月二三日に昭和五五年夏の休暇に関し、長期休暇を取るには事前の調整が必要であるとの最高裁判所の判断が示された直後であることを考慮すると、懲戒規程五条所定の懲戒解雇事由である「再三の懲戒にもかかわらず改心の情がないとき」(一二号)及び「前条に該当する行為でも特に悪質と認められたとき、もしくは会社に与えた損害が大なるとき」(一四号)に該当する、また、原告は最近きわめて職務に怠慢であり、勤務に誠意が認められないが、これは懲戒規程四条三号所定の懲戒事由である「職務怠慢で勤務に誠意が認められないとき」及び同規程五条一四号所定の懲戒解雇事由に該当するとして、原告を懲戒解雇する旨の意思表示(以下「本件懲戒解雇」という。)をした(甲第二号証)。

二  主たる争点

1  本件時季変更権の行使の適否

2  職務怠慢の事実の有無

3  本件懲戒解雇の効力

三  当事者の主張

1  争点1(本件時季変更権の行使の適否)について

(一) 被告

労働者が、使用者の業務計画、他の労働者の休暇予定等との事前の調整を経ることなく、長期かつ連続の年休の時季指定をした場合には、これに対する使用者の時季変更権の行使については、使用者にある程度の裁量的判断が認められるところ、本件時季変更権の行使は、次のとおり、被告がその裁量的判断の範囲内で行ったものであり、適法である。

(1) 長期かつ連続の年休を取得するためには、事前の調整、すなわち、従業員側で休暇開始までに十分な余裕をもって休暇予定期間を告知し、会社側で他の従業員の休暇と調整したうえ、当該従業員との間で日程のすり合わせを行い、両者の間に合意が成立することが必要である。しかるに、原告から休暇届が提出されたのは、休暇開始のわずか一〇日前であり、事前調整は全くなされなかった。

(2) 本件時季指定に係る期間中、原告の相方である吉田記者は、九月に予定されていたスペースシャトル打ち上げの事前取材の準備で多忙になるため、原告の担当職務を代替させれば同記者に過重な負担をかけることになり、これを避けようとすれば社会部全体の取材陣容が手薄になり、業務に支障を来すおそれがあった。

また、原告を除く社会部員について、平成四年夏季期間(七月一六日から九月一五日まで)における年休の取得状況をみると、一回の連続休暇(所定の休日等を含む。)は、最長で一〇日間、平均で六日間であり、取得日数の合計は、最多で一二日(二回に分けて取得)、平均で四日である。原告の相方である吉田記者は、右の期間中、一日も年休を取得していない。被告は、休暇取得について、従業員間に公平感を確保する必要があるところ、右のような状況の中で、原告に約一か月間の長期連続休暇を認めることはできなかったのである。

(3) 被告は、本件時季指定に対し、同指定に係る期間のうち、原告が九州の実家に帰省するとしていた期間を含め、他の社会部員の連続休暇の取得日数に比べてはるかに長い二週間(うち年休は一一日間)の連続休暇を認めた。また、被告が時季変更権を行使した後半三週間については、原告において海外視察、海外旅行等の長期連続休暇を取らざるを得ない事情はなく、被告が時季変更権の行使を控えるべき理由は見当たらなかった。このように、被告は、本件時季指定に対してそれなりの配慮をしたのである。

(二) 原告

(1) 被告の承認

原告が休暇届を提出して本件時季指定をした際、原告の上司であり年休に関する一切の決裁権限を有する三橋社会部長は、「ゆっくりお休み下さい。」とにこやかに応じ、右休暇届を異議なく受理した。これにより、被告は、本件時季指定を承認したものであり、原告はこれを信頼して休暇の準備に入ったのであるから、その後に被告が右承認を撤回して時季変更権を行使することは許されない。したがって、本件時季変更権の行使は違法無効である。

(2) 著しく遅れた時季変更権の行使

本件時季変更権の行使は、原告が休暇届を提出してから一九日後、休暇に入ってから九日目という、著しく遅滞した時期になされたものであるから、違法無効である。

(3) 不合理な裁量的判断

本件時季変更権の行使は、次のとおり、被告の不合理な裁量的判断に基づくものであり、違法無効である。

ア 原告は、本件時季指定に際し、次のとおり十分な事前調整を行った。すなわち、原告の担当職務のうち、公正取引委員会関係については、七月末から八月にかけて原告が担当すべき記者発表の予定はなく、当時大きな審査案件もないことを確認するとともに、同委員会の処分関係の取材等については、通産省記者クラブ社会部分室の記者が不在のときは、経済部分室の記者がカバーすることになっていたので、その旨三橋社会部長に報告した。通産省関係については、原告の休暇期間中、原告が担当すべき案件はないことを確認するとともに、万一原子力発電所で事故が発生した場合は、それが小事故であれば、原子力発電所のある県の県政クラブ詰めの記者がカバーするし、通産省が何らかの措置を必要とするような大事故であれば、原告自ら駆けつける用意がある旨三橋社会部長に報告し、併せて、休暇期間中は、最初の一〇日間は九州の実家に帰省するが、それ以降は自宅にいる旨伝えた。また、原告は、七月二四日、当初時季指定した休暇の終期を八月二四日までに切り上げ、休暇の期間を四日間短縮した。

イ 八月は一年のうちで原告の担当職務が最も暇になる時期であり、本件時季指定によっても、被告の事業の運営に支障が生じることはない。現に、原告が平成二年及び三年の各夏に本件時季指定と同様の年休の時季指定をした際、被告は、何ら要望も述べず無条件で許容したのであり、原告が休暇を取得したことによって被告の業務に支障が生じたということはなかったのである。

被告は、原告の休暇期間中を通じて、原告の代替要員を通産省記者クラブに常駐させる必要があることを前提として、原告の休暇取得は被告の事業の運営に支障を来すものであると主張するが、原告の休暇中は、公正取引委員会の処分関係の取材等が必要になった場合に、その都度社会部の他の部員や通産省記者クラブ経済部分室の記者がカバーすれば足りるのであるから、被告の主張はその前提を欠き、理由がない。

ウ 被告は、本件時季指定に係る期間の後半三週間につき、九月ないし九月以降に休暇を取るよう原告に指示したが、九月ないし九月以降は、原告の相方である吉田記者がスペースシャトル打ち上げの取材のため米国に出張する予定であるなど、極めて繁忙な時期であり、この時期に原告がまとまった休暇を取ることは不可能であった。したがって、被告の右の指示は、原告に権利である年休の取得を禁止したのと同じである。

2  争点2(職務怠慢の事実の有無)について

(一) 被告

原告には、次のような職務怠慢の事実があった。これらは、一時的な不注意によるものではなく、通信社の記者としての適格性を根本から否定するような意図的で悪質なものである。そのため、本件懲戒解雇前二年半における原告に対する被告の勤務評定結果は、社会部員の中で最低であった。

(1) 公取委発表特オチ

原告は、休暇に入る直前の七月二四日、同人が担当する公正取引委員会のインキメーカー一三社等に対する課徴金納付命令の記者発表の席に出席せず、取材送稿を怠った。三橋社会部長が同日午後四時のNHKニュースを見て原告の送稿遅れに気付き、あわてて経済部の記者にカバーを依頼して取材送稿させたが、顧客への配信は大幅に遅れ、午後六時過ぎになってしまった。

(2) ポケベル無応答、連絡不能

七月二二日から二五日にかけて、三橋社会部長が原告に本件時季指定の件で連絡をとるためにポケベルで何度か呼出しをかけたが、原告は応答せず、連絡がつかなかった。

(3) 科学欄向け原稿執筆拒否

原告は、平成三年五月七日、当時の社会部長天野岩男(以下「天野社会部長」という。)に対し、被告が契約新聞社向けに配信する科学欄向けの原稿の執筆を拒否する旨通告した。執筆拒否の理由について、原告は、労働者委員会に所属する組合員に対し異動通告をした被告のやり方に抗議するためであり、ストライキではないと述べた。そして、同月九日、天野社会部長は、このような理由による執筆拒否は業務命令違反であり認めるわけにはいかない旨原告に通告したが、原告は右通告を無視して、以来本件懲戒解雇までの間、科学欄向けの原稿を一本も執筆しなかった。

(4) ペプシコーラ後追い取材拒否

平成三年五月七日、「ペプシコーラの比較CM中止はコカコーラの圧力による」というニュースが流れたため、デスクが担当である原告に後追い取材を指示したが、原告は、「今日は午前一一時から出勤しているので、ただいま(午後七時三〇分)から超勤拒否に入る。」と通告して、デスクの指示に従わなかった。天野社会部長は、同月九日、原告の右の取材拒否は業務命令違反である旨原告に通知した。なお、新聞各紙は、同月八日の朝刊で、右ペプシコーラの比較CM中止について相当の紙面を割いて報道した。

(5) 継続的な勤務ルーズさと懈怠

ア 被告では、記者が自宅から所属する記者クラブなどの出先に直接出勤したり、出先から直接自宅に退勤する場合には、必ず電話でデスクに連絡する決まりになっていた。ところが、ここ数年間にわたり、原告は、出勤時は全く連絡せず、退勤もほとんど連絡せず、後日、一、二週間分の出退勤時刻をまとめてデスク補助に告げて記入させており、天野社会部長が何度連絡しても改まらなかった。日中も居所がつかまらないことがままあり、自宅に電話しても終日連絡がとれないことさえあった。

また、原告は、休日出勤のときは一五分から三〇分程度の遅刻は当たり前であり、定刻どおりに出勤することはほとんどなかった。ある時などは、日曜当番なのに出勤時刻を一時間以上経過しても出勤しないので、デスクが自宅に電話すると、「出番とは知らなかた。」と言う始末であり、今からでもよいから出社するようにとのデスクの指示にも従わないということがあった。もっとも、日曜出勤しても、原告は日曜出勤者がやるべき電算編集システムの端末操作を覚えないため戦力にならず、ソファで居眠りすることが多かった。

イ 被告では、契約新聞社に対する科学欄用の記事を、月二回、一回当たり七ないし一〇本配信しているが、原告は前記((3))執筆拒否通告以前においても月に一本程度しか出稿せず、そのしわ寄せが他の四人の科学班員にかかるのが通常であった。また、原告は、配信前の出稿メニューの調整、添付写真や図表の手配、前日の深夜に及ぶ最終チェックなどの事務的な作業は一切しなかった。

ウ 被告は、契約新聞社にコンピューターで記事を配信しているので、間違った用字用語があればそのまま各社の紙面に出るおそれがあり、被告の信用に影響する。そこで、被告では、用字用語の決まりをまとめた「記事スタイルブック」を記者に配付して、決められた用字用語を厳守して原稿を書くよう求めている。これらは普通の能力があれば二、三年でほぼマスターできるものであるが、原告は二十数年間も記者をしているのに、一向に用字用語を覚えようとせず、その原稿には誤りが多く、デスクが何度注意しても改めなかった。

エ 原告の原稿は内容もいい加減なことがあった。その一例が、平成三年三月一一日に通産省が関東電力美浜原子力発電所の事故原因について記者発表したときの原稿である。右記者発表では、事故原因は「振れ止め金具」の不備とされ、これがニュースの最大のポイントであったのに、原告の原稿では、これが「振り止め金具」となっていたうえ、要領を得ないものであった。デスクは原告に通産省の発表資料をファックスで送らせ、福井支局の記者にも問い合わせて、原告の原稿を大幅に書き直さざるを得ず、その結果、記事の配信は相当遅れた。なお、原告は、その後も何度か「振り止め金具」と誤記し、デスクに直された。

オ 恣意的主観的な仕事ぶり

原告は、個人的に関心を抱いた事項については、自己の担当分野以外についても取材執筆することがあったが、それらの原稿の内容は独りよがりで不正確なことが多く、デスクにボツにされるか大幅に書き直されることが多かった。逆に、興味のない分野については、それがたとえ自己の担当分野であってもなおざりの仕事しかしなかった。

(二) 原告

(1) 被告の主張(1)ないし(5)はいずれも否認する。

(2) 被告の主張(1)(公取委発表特オチ)について

被告が主張するのは、東洋インキ等がヤミカルテルを結んで販売価格を引き上げたことで、三月一三日に公正取引委員会から排除勧告を受けたインキメーカー一三社等に対する課徴金納付命令の件である。この記者発表については、原告は事前に承知していたが、課徴金納付命令は、排除勧告を応諾した企業に自動的に命じられる意外性のない三番煎じのニュースであり、ニュース性の極めて乏しいものであるから、課徴金納付命令の記者発表には出席せず、記者発表後に資料を収集して処理しようと考えていたのである。しかるに、三橋社会部長は、このような原告の判断を確かめることもせず、午後四時のNHKニュースを見て、原告が右記者発表に出席することを失念したものと思い込み、経済部の記者にカバーを依頼したのである。

(3) 被告の主張(2)(ポケベル無応答、連絡不能)について

ポケベルは、地下鉄の中では鳴らないし、激しい騒音の中では鳴っても気が付かないこともある。また、電池切れのときもあれば、うっかりして電源を切ったままにしていたり、鳴っても電車の中にいたり、取材中や会見中であって、即座に応答することができない場合もあり、たとえ即座に対応しようとしても近くに電話がなくてすぐに連絡がとれない場合もある。原告は、過去、ポケベルの電池切れに気付かないでいたり、あわててポケベルを自宅や記者クラブに置き忘れたことが皆無であるとは言わないが、ポケベルが鳴ったのを確認しながら被告に電話連絡をしなかったということは一度もない。

3  争点3(本件懲戒解雇の効力)について

(一)原告

(1) 懲戒規程の適用の誤り

仮に、原告が八月一〇日から二四日までの間就業しなかったことが懲戒規程四条六号の「職務上、上長の指示命令に違反したとき」に該当するとしても、次のとおり、同規程五条所定の懲戒解雇事由に該当する事実はないから、本件懲戒解雇は無効である。

まず、被告は、原告が昭和五五年夏にも被告の業務命令に違反して約一か月間の年休を取り譴責処分に付されており、今回は二度目の業務命令違反であるとして、同条一二号の「再三の懲戒にもかかわらず改心の情がないとき」に該当する旨主張する。しかし、右でいう「再三」とは「二度も三度も」の意であり、過去に一度の懲戒処分を受けたことは、これに該当しない。しかも、昭和五五年の譴責処分については、本件時季指定をした当時、その有効性をめぐって係争中だったのであり、それに関する裁判所の判断が出ていないにもかかわらず、一方当事者である被告がこれを有効とみなして、過去に受けた懲戒処分の回数に含めることは間違いである。

また、被告は、今回の業務命令違反は、昭和五五年夏の休暇取得について、長期休暇を取るには事前の調整が必要であるとの最高裁判所の判断が示された直後であることも考慮すると、懲戒規程五条一四号の「特に悪質と認められるとき、もしくは被告に与えた損害が大なるとき」に該当する旨主張する。しかし、長期休暇を取るには事前の調整が必要であるとの被告の主張は独自の解釈に過ぎないから、被告の主張はその前提を欠き、理由がない。

(2) 適正手続違反

仮に、被告が主張するような懲戒解雇事由に該当する事実があるとしても、懲戒解雇を行う場合は、告知聴聞手続により被解雇者に弁明の機会を与えなければならないから、このような手続を欠く本件懲戒解雇は適正手続に違反し無効である。

(3) 相当性の原則違反

被告が懲戒解雇事由に該当すると主張する原告の行為ないし態度は、原告の二五年余りにわたる被告に対する貢献を帳消しにし、退職金請求権を全て奪ってしまうほどの重大かつ悪質な企業秩序紊乱行為ということはできない。したがって、本件懲戒解雇は、相当性の原則に違反し無効である。

原告は、これまで数々のスクープをものにしたり、解説記事を新聞社のモニターで称賛されるなど、極めて顕著な実績を上げてきた。本件懲戒解雇に際し、被告が原告の実績を考慮した形跡は全くないが、このことだけでも、本件懲戒解雇は相当性を欠くことが明らかである。

(4) 平等取扱いの原則違反

本件懲戒解雇は、次の例において懲戒解雇処分が発せられなかったことと比較して、平等取扱いの原則に違反し無効である。

ア 昭和四六年ころの組合員告訴事件

昭和四六年ころ、当時の長谷川才次代表取締役のワンマン体制に反対した時事通信労働組合(以下「時事労組」という。)の組合員は、ピケスト、局部長会議開催中の代表取締役室への乱入、代表専用車前での座り込みなどを行った。これにより、社内秩序は乱れに乱れ、警視庁丸の内署が何度も出動し、組合活動家二十数名が刑事告訴されるという事態になった。しかし、当時の被告の経営陣は、混乱の首謀者である同組合の委員長及び書記長、局部長会議室ドアの通風口を外して他の組合員を乱入させた藤原紘ら組合幹部の誰一人として、解雇はおろか懲戒処分にさえしなかった。

イ 昭和五四年七月の暴行事件

昭和五四年七月、当時の大畑忠義取締役社長ら被告幹部に対する時事労組の組合員による暴行事件が発生し、同社長は六時間余りにわたって監禁されたほか、二人の職制が拉致監禁され、三人の取締役が一三時間も監禁され暴行を受けた。この事件により、同組合の委員長、書記長ら五名が警視庁丸の内署に逮捕、勾留された。しかし、被告は、誰一人として解雇せず、事件の最高責任者である同組合の委員長ら二名は二週間の出勤停止処分を受けたに過ぎなかった。

ウ 昭和五九年の樋口弘志記者の例

昭和五八年六月から五九年六月にかけての一年間、当時社会部に所属していた樋口弘志記者(以下「樋口記者」という。)は、被告が公式に認めただけでも都合四回、延べ二七日間も無断欠勤を繰り返した。これに対し、被告は、その都度譴責、出勤停止七日、同一〇日、同一四日の懲戒処分を行ったに過ぎない。四回目の無断欠勤(懲戒規程五条一二号本文に該当する。)に対してすら、「今後少なくとも一年間の間に無断欠勤を犯した場合、懲戒解雇されても異議を申し立てない。」旨の始末書を提出させることによって出勤停止処分に止め、懲戒解雇にはしなかったのである。

エ 平成四年夏の岩山耕二記者の例

故岩山耕二記者(以下「岩山記者」という。)は、平成四年八月に、同月一七日から九月五日までの三週間という、原告とほぼ同様の期間の年休の時季指定をした。被告は、口頭で時季変更権を行使し、同記者は業務命令に違反して就業しなかったが、被告は同記者に対し一切処分を行わなかった。

(5) 不当労働行為

原告は、昭和四三年七月に結成された時事労組の結成時からの組合員であり、中央執行委員等として活発な組合活動を行った。その後、同組合が御用組合化したため、原告は、昭和五一年三月に労働者委員会を結成し、代表幹事として活発な組合活動を行ってきた。本件懲戒解雇は、被告が原告を排除し、労働者委員会を弱体化させる意図をもって、組合の運営を支配しこれに介入しようとして行ったもので、労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為を構成し、無効である。

(二) 被告

(1) 原告の主張(1)ないし(5)はいずれも争う。

(2) 原告の主張(2)(適正手続違反)について

原告は、業務命令に違反して就業しなかったことについて、そもそも弁明する気持ちなど全くなく、いくら原告に弁明の機会を与えても無意味であることは、次の事実から明らかである。

すなわち、本件時季変更権の行使の後、藤原総務局長は、原告が業務命令に違反して重い処分を受ける事態を心配し、なんとか八月一〇日から出社するよう電話で原告を説得し、その際「八月一〇日以降出社しないと面倒なことになるからよく考えてほしい。」「とにかく出てきて君の言い分があれば言えばよいのではないか。」と繰り返し話した。業務命令の発令者が「出社しないと面倒なことになる」と言えば、出社しないと懲戒処分にせざるを得ないという意味であることは誰にでも分かることである。「とにかく出てきて君の言い分を言えばよいのではないか」というのは、原告の言い分を聞きたいという被告の熱意の表れであり、単に弁明の機会を与えたというより、さらに一歩進んで積極的に原告の弁明を求めたものにほかならない。同局長の呼びかけに対し、原告は八月一〇日朝、「やはり今日は出社できない。」と電話してきたまま出社せず、翌一一日、「この問題は団交でやろう。」と申し入れ、被告がこれに応じて団体交渉の日時を設定したにもかかわらず、原告側(労働者委員会)で「人数の集まりが悪い。」という理由で、被告の指定した日時における団交を一方的に断ってきたのである。そもそも、原告は、三橋社会部長との七月二三日の電話の中で、「休暇を認めないなら裁判を起こす。」と言い、同月二五日の電話でも、「業務命令書を出して時季変更権を行使すればいい。そして処分すればいいんだ。」と発言していたのである。これは、処分を甘受し、その後裁判を起こすという明白な意思表示であり、処分に際して弁明の機会を云々するのは、本件訴訟が始まってからの理屈付けにほかならない。

(3) 原告の主張(3)(相当性の原則違反)について

原告の本件業務命令違反は、自己の独善的な信条に基づく確信犯的な行為であり、強引な自己正当化に終始し、反省、改心のかけらもない。また、職務怠慢事例においても、原告は、意図的な職務怠慢であることを宣言し、自己の行為の正当性を強弁するのみで自らの非を一切認めようとしない。このような原告の態度は、今後も業務命令違反や職務怠慢を継続するであろうことを強く推測させるもので、被告としては、労務政策ないしは他の従業員との均衡の見地からも到底受忍し得るものではなく、もはや解雇処分しか選択の余地のないものであった。もっとも、被告は、九月七日に藤原総務局長が原告に対し懲戒解雇処分に付す旨予告した際、原告の再就職への影響等を考慮して、同月九日までに辞表を提出すれば懲戒解雇を免れ、依願退職として退職金を支給する旨提案した。しかし、原告はこの提案を言下に拒絶した。

原告は、記者としてこれまで顕著な実績を上げてきた旨主張する。しかし、原告は記者歴二十数年を有し、日常の職務怠慢が著しかったことを考慮すれば、原告が取材執筆した記事について新聞社から評価されることが稀にあったとしても、それはむしろ当然であり、何ら原告の職務怠慢を正当化することにはならない。

(4) 原告の主張(4)(平等取扱いの原則違反)について

ア 昭和四六年ころの組合員告訴事件について

原告主張の時事労組の組合員の行為は、正当な組合活動の一環としてされた行為であり、警察の事情聴取は行われたが、告訴事実があったとは認められなかったため、逮捕者もなければ刑事罰を受けた者も皆無であつた。したがって、この事件が懲戒処分の対象にならなかったことは当然である。

イ 昭和五四年七月の暴行事件について

原告主張の暴行事件では、逮捕勾留された五名のうち、事件の中心的人物三名については、依願退職の申し出があったのでこれを受理し、残りの二名については、自発的にそれぞれ二か月と六か月の無給休職の申し出があったので、これを考慮して、懲戒規程に基づく懲戒処分としては、懲戒解雇の次に重い出勤停止二週間の処分にとどめたのである。なお、被告は、この事件で逮捕されなかった関係者についても、相応の懲戒処分をしている。

ウ 昭和五九年の樋口記者の例について

樋口記者は、四回目の無断欠勤につき三回目の出勤停止処分を受けた後、さらに無断欠勤をしたため、被告は、懲戒解雇相当との処分を決めたうえで、本人に依願退職と懲戒解雇の選択を求め、同記者は依願退職を選択した。

エ 平成四年夏の岩山記者の例について

岩山記者は、平成四年八月一一日に、所属長である中山文化部長に八月一七日から九月五日までの三週間の休暇申請をしたが、その申請書に「この間の予定は、一七、一八両日、二五、二六両日の王位戦、二六日の碁聖戦がありますが、準備しておきますので、業務にさしつかえることはありません。」と記されてあったので、中山文化部長がその意味を尋ねたところ、王位戦と碁聖戦の予定稿を書いておき、勝敗の結果は自分が取材し、連絡するということであった。つまり、同記者の休暇申請は、八月一七日から九月五日までの三週間のうち、仕事をするという八月一七日、一八日、二五日、二六日の四日を除くものであり、連続三週間の休暇申請ではなかったのである。現に岩山記者は、王位戦と碁聖戦の予定稿を書いたほか、勝敗の結果も自分で取材し、八月一八日に「谷川が一勝」(王位戦)、二六日に「谷川が二勝」(同)、「小林碁聖が五連覇圏」(碁聖戦)の各記事が、被告から契約新聞社に配信されたのである。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件時季変更権の行使の適否)について

1 労働者が長期かつ連続の年休を取得しようとする場合においては、それが長期のものであればあるほど、使用者において代替勤務者を確保することの困難さが増大するなど事業の正常な運営に支障を来す蓋然性が高くなり、使用者の業務計画、他の労働者の休暇予定等との事前の調整を図る必要が生ずるのが通常である。しかも、使用者にとっては、労働者が時季指定をした時点において、その長期休暇中の当該労働者の所属する事業場において予想される業務量の程度、代替勤務者確保の可能性の有無、同じ時季に休暇を指定する他の労働者の人数等の事業活動の正常な運営の確保にかかわる諸般の事情について、これを正確に予測することは困難であり、当該労働者の休暇の取得がもたらす事業運営への支障の有無、程度につき、蓋然性に基づく判断をせざるを得ないことを考えると、労働者が、右の調整を経ることなく、その有する年休の範囲内で始期と終期を特定して長期かつ連続の年休の時季指定をした場合には、これに対する使用者の時季変更権の行使については、右休暇が事業運営にどのような支障をもたらすか、右休暇の時期、期間につきどの程度の修正、変更を行うかに関し、使用者にある程度の裁量的判断の余地を認めざるを得ない。もとより、使用者の時季変更権の行使に関する右裁量的判断は、労働者の年休の権利を保障している労働基準法(以下「労基法」という。)三九条の趣旨に沿う、合理的なものでなければならないのであって、右裁量的判断が、同条の趣旨に反し、使用者が労働者に休暇を取得させるための状況に応じた配慮を欠くなど不合理であると認められるときは、同条四項ただし書所定の時季変更権行使の要件を欠くものとして、その行使を違法と判断すべきである(最高裁判所第三小法廷平成四年六月二三日判決・民集四六巻四号三〇六頁参照)。

2 右の見地に立って、本件をみると、前記(争いのない事実等1及び2)の事実関係によれば、次のことが明らかである。

(1)  原告の勤務する社会部では、記者クラブに所属する記者が休暇等で取材活動を行うことができない場合に備え、その職務を代替させるために予め他の記者クラブに所属する記者を相方として定め、年休を取得する予定の記者は、年休の時期及び期間について、相方の記者と調整してから休暇届を出す取扱いにあっていたところ、原告の相方の記者は、科学技術庁記者クラブに所属する吉田記者とされていた。吉田記者は、平成四年七、八月当時、同年九月に予定されていたスペースシャトルの打ち上げの事前取材の準備で多忙か予想されたため、同記者に原告の担当職務を長期にわたって代替させることは困難であった。また、本件時季指定に係る期間は、七月二七日から八月二八日までという、いわゆる夏休み期間に当たり、社会部員が交替で各自一週間程度の夏休みを取る時期と重なるため、取材人員が手薄になることから、吉田記者に代えて、原告の担当職務を代替し得る勤務者を見い出し、長期にわたってこれを確保することも相当に困難であった。なお、原告は、担当職務である公正取引委員会の処分関係の取材等については、通産省記者クラブ社会部分室の記者が不在のときは、経済部分室の記者がカバーすることになっていた旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(2)  原告が当初年休の時季指定をした期間は約一か月間の長期かつ連続したものであったにもかかわらず、原告は、右休暇の時期及び期間について、相方の吉田記者との調整はおろか、被告との十分な調整を経ないで本件時季指定を行ったものである。

原告は、被告との間で事前の調整を行ったとして縷々主張するが、本件時季指定に先立って、原告が被告との間で、被告の業務計画を考慮したうえで、社会部で同じ時季に休暇を予定している他の部員の休暇予定等との調整を図るための協議を行ったと認めるに足りる証拠はないから、到底事前の調整を行ったということはできない。

(3)  三橋社会部長は、本件時季指定に対し、原告の相方である吉田記者が九月に予定されているスペースシャトルの打ち上げの事前取材の準備で忙しいため、同記者に原告の担当職務を代替させれば過重な負担をかけることになり、これを避けようとすれば社会部全体の取材陣容が手薄になるとの理由を挙げて、原告に対し、最初の二週間は休暇を認めるが、残りは九月にでも取ってほしいと回答し、そのうえで藤原総務局長は、本件時季指定に係る期間のうち、後半部分の八月一〇日以降についてのみ時季変更権を行使しており、当時の状況下で、原告の本件時季指定に対して相当の配慮をしているといえる。

これらの点を考慮すると、社会部内において原告の担当職務を約一か月間の長期にわたって代替し得る記者の確保が困難であった平成四年七、八月当時の状況の下において、被告が原告に対し、本件時季指定に従った長期にわたる年休を与えることが「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するとして、その一部について時季変更権を行使したことは、その裁量的判断が労基法三九条の趣旨に反する不合理なものであるとはいえず、同条四項ただし書所定の要件を充足するものというべきであるから、本件時季変更権の行使は適法である。

3  原告は、三橋社会部長が原告ら社会部員の年休に関する一切の決裁権限を有していたとして、同部長が原告の休暇届を異議なく受理したことにより、被告として本件時季指定を承認した以上、その後に時季変更権を行使することは許されない旨主張する。しかしながら、乙第一三号証及び証人藤原紘の証言によれば、被告では、概ね二週間を超えるような長期の休暇については、従業員の勤務全般を管理する総務局が当該従業員の属する部局と協議したうえ、その取扱いを決める仕組みになっていることが認められ、本件時季指定のように休暇の期間が約一か月間に及ぶ場合について、三橋社会部長が決裁権限を有しなかったことは明らかであるから、同部長が本件時季指定について決裁権限を有することを前提とする原告の右主張は理由がない。

4  また、原告は、本件時季変更権の行使は、著しく遅滞した時期になされたものであるから不適法である旨主張する。しかし、前記(争いのない事実等2の(二))のとおり、三橋社会部長は、七月二三日の時点で既に、最初の二週間は休暇を認めるが、残りは九月にでも取ってほしいと回答し、同月二五日には、右の回答は変更の余地のない被告の決定事項である旨伝えていたのであり、これに加えて、本件時季変更権の行使の時点(八月四日)において、休暇が認められず勤務が命じられた期間の初日(同月一〇日)まで六日間を残していたことを併せ考慮すると、本件時季変更権の行使は、これを不適法と解さなければ労基法三九条の趣旨に反するというほど著しく時期に遅れたものであるとはいいがたい。したがって、原告の右主張は理由がない。

5  更に、原告は、平成二年及び三年の各夏に本件と同様の年休の時季指定をした際、被告は何ら要望も述べず無条件でこれを許容しており、原告の休暇の取得で被告の業務に支障が生じたことはなかったので、本件時季指定によっても被告の事業の運営に支障が生じることはない旨主張する。しかし、証人藤原紘の証言によれば、平成二年及び三年は、原告が昭和五五年夏にした約一か月間の年休の時季指定に対する時季変更権の行使を違法無効と判示した東京高等裁判所の判決が昭和六三年一二月に言い渡された後であったことから、被告において、裁判所の右判断を尊重して時季変更権の行使を控えたことが認められる。したがって、平成二年及び三年における被告の対応を前提として、本件時季指定は被告の業務の運営に支障を来さないとの原告の主張は理由がない。

二  争点2(職務怠慢の事実の有無)について

1  被告の主張(1)(公取委発表特オチ)及び(2)(ポケベル無応答、連絡不能)の各事実は、乙第一、第一一号証の一ないし五、第二四号証及び証人三橋清二の証言によって認められる。

2  被告の主張(3)(科学欄向け原稿執筆拒否)及び(4)(ペプシコーラ後追い取材拒否)の各事実は、乙第八号証、第一二号証の一ないし四、第一九号証及び証人天野岩男の証言によって認められる。

3  被告の主張(5)(継続的な勤務のルーズさと懈怠)のうち、アの事実は、乙第八、第一七号証及び証人天野岩男の証言並びに弁論の全趣旨によって認められる。

イの事実は、乙第二二、第二三号証及び証人天野岩男の証言並びに弁論の全趣旨によって認められる。

ウの事実は、甲第四九号証の一、二、乙第一七、第六一号証及び証人天野岩男の証言並びに弁論の全趣旨によって認められる。

エの事実は、甲第四五号証、乙第一七、第二七、第四三号証及び証人天野岩男の証言並びに弁論の全趣旨によって認められる。

オの事実は、乙第八号証、第九号証の一ないし五、第二九号証、第三〇号証の一ないし三、第六〇、第六三ないし第六六、第七六号証及び証人天野岩男の証言並びに弁論の全趣旨によって認められる。

三  争点3(本件懲戒解雇の効力)について

1  先に判示したとおり、本件時季変更権の行使は適法であるから、原告は、時季変更権を行使された平成四年八月一〇日から二四日までの間の勤務を要する日一二日について、就業すべき義務を負っていたものであり、被告から就業するよう業務命令を発せられていたにもかかわらず、その間の勤務を欠いたのであるから、原告の欠務は、懲戒規程四条六号所定の「職務上、上長の指示命令に違反したとき」に該当するといわざるを得ない。

また、前記二(争点2(職務怠慢の事実の有無)について)において認定した原告の勤務態度は、懲戒規程四条三号所定の「職務怠慢で勤務に誠意が認められないとき」に該当する。

そして、業務命令違反の欠務の点については、前記(争いのない事実等2及び3)のとおり、原告は、昭和五五年夏にも約一か月間の年休の時季指定をし、被告から時季変更権を行使された右期間の後半に属する勤務日について、業務命令に違反して就業しなかったことを理由として譴責処分を受け、右処分の無効確認等を求める裁判において、平成四年六月二三日、右時季変更権の行使を違法とした原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法がある旨判示した最高裁判所の判決が言い渡されたことにより、被告との事前調整を経ずに長期かつ連続の年休の時季指定をした場合には、これに対する時季変更権の行使については、被告にある程度の裁量的判断が認められることを十分認識し得たにもかかわらず、今回も敢えて本件時季指定に及び、被告の藤原総務局長から八月一〇日以降出社しないと面倒なことになるからよく考えてほしいと出社を促されたにもかかわらず、同日以降出社しなかったばかりか、最高裁判所の右判決言渡し直後の記者会見において、「会社を辞めるまで、意地でも毎年一か月の夏休みを取ろうと思っている。」と述べるなど、今後とも被告の業務命令に従う意思のないことを明白にしているのである。

また、職務怠慢の点については、通信社の記者にとって、会社からのポケベルに応答できる態勢を可能な限り常時整えておくことはもとより、その担当分野について責任を持って取材を行い、迅速に送稿することは、最も基本的な職務の一つであること、また、正当な理由なく執筆を拒否し、あるいは、後追い取材を拒否するようなことは、通信社の記者にとってあるまじき悪質な職務怠慢であることは明らかであり、出退勤がルーズであったり、決められた用字用語を覚えようとしなかったり、重要な客観的事実について誤りのある原稿を書き、これに加えて、自己の関心のある分野については力を注ぐ一方、担当職務であっても興味のない分野についてはなおざりにしか仕事をしないなどという原告の勤務ぶりは、被告の従業員としての自覚に欠け、記者としての基本を疎かにするものであるといわざるを得ない。

これらの事情に照らせば、原告の業務命令違反の欠務及び職務怠慢は、懲戒規程五条一四号所定の「前条に該当する行為でも特に悪質と認められたとき、もしくは会社に与えた損害か大なるとき」に該当するというべきである。

2  原告は、本件懲戒解雇は、懲戒規程の適用を誤っており、無効である旨主張する。しかしながら、原告の欠務等が懲戒規程五条一四号に該当することは、先に判示したとおりであり、懲戒規程所定の懲戒解雇事由が認められる以上、右規程の適用について一部誤りがあったとしても、懲戒解雇自体の効力が左右されることはない。したがって、原告の右主張は理由がない。

3  原告は、本件懲戒解雇は、適正手続に違反し無効である旨主張する。確かに、本件懲戒解雇に際し、被告が原告に弁明の機会を設けたことは窺えない。しかしながら、前記(争いのない事実等3、争点に対する判断二)のとおり、業務命令違反の欠務の点については、藤原総務局長は、本件時季変更権の行使の後、原告に対し、出社して話合いに応じるよう説得し、原告の希望に応じて団体交渉の日時を設定するなど、事前に十分な弁明の機会が与えられていたにもかかわらず、原告は自らこれらの機会を放棄したものであるし、職務怠慢の点については、過去何度も上司が原告に注意を与えていたものであるから、本件懲戒解雇に際し、これら懲戒事由について敢えて弁明の機会を設けなかったとしても、本件懲戒解雇の効力を否定するほど重大な手続上の瑕疵であるとはいいがたい。したがって、原告の右主張は理由がない。

4  原告は、本件懲戒解雇に当たって被告は原告の記者としての実績を考慮していないなどとして、本件懲戒解雇は相当性の原則に違反し無効である旨主張するが、先に判示した原告の業務命令違反の欠務の状況及び職務怠慢の程度に照らせば、原告の二五年余りにわたる被告に対する貢献を考慮に入れても、本件懲戒解雇が重きに失するとはいえない。

5  原告は、本件懲戒解雇は、平等取扱いの原則に違反し無効である旨主張するので、以下順次検討する。

(一) 昭和四六年ころの組合員告訴事件について

原告の主張する時事労組の組合員が行ったとされるピケスト、局部長会議開催中の代表取締役室への乱入、代表専用車前での座り込みなどは、いずれも組合活動として行われたことが窺われ、これらの行為のうちどこから正当な組合活動ではないとして違法性を帯びるかは、相当微妙な問題を含むところ、時代背景も行為の態様も全く異なるのであるから、右活動に関与した組合幹部が懲戒処分を受けなかったからといって、それと比較して本件懲戒解雇は重きに失するということはできない。

(二) 昭和五四年七月の暴行事件について

乙第八一号証及び弁論の全趣旨によれば、昭和五四年七月の時事労組の組合員による暴行事件では、被告は、逮捕勾留された五名の組合員のうち、中心的役割を担った三名については、依願退職の申し出があったのでこれを受理し、残りの二名については、自発的に無給休職(それぞれ二か月と六か月)の申し出があったので、これを考慮して出勤停止二週間の懲戒処分にとどめたことが認められるところ、右の暴行事件についての取扱いと比較して、本件懲戒解雇が重きに失するとはいえない。

(三) 昭和五九年の樋口記者の例について

乙第六九号証の一、二、第七五号証によれば、被告は樋口記者に対し、昭和五九年六月に四回目の無断欠勤につき三回目の出勤停止処分を行った後、同記者が同年一一月から一二月にかけて五回目の無断欠勤をしたため、これについて懲戒解雇相当との処分を決めたうえで、本人に依願退職と懲戒解雇の選択を求めたこと、樋口記者は依願退職を選択し、同年一二月末日をもって被告を退職したことが認められる。

原告は、樋口記者に対する三回目の出勤停止処分と本件懲戒解雇とを比較して、本件懲戒解雇は重きに失する旨主張するが、樋口記者の無断欠勤と、原告の業務命令違反の欠務及び職務怠慢とでは、情状面において無視できない差異があるというべきであるから、樋口記者に対する三回目の出勤停止処分と比較して、本件懲戒解雇が重きに失するとはいえない。

(四) 平成四年夏の岩山記者の例について

乙第五〇号証の二、第五一号証及び弁論の全趣旨によれば、岩山記者は、平成四年八月一一日に、所属長である中山文化部長に対し、書面で八月一七日から九月五日までの三週間の休暇を申請したこと、右書面には、その間の予定として、八月一七、一八の両日と二五、二六の両日に将棋の王位戦があり、二六日には囲碁の碁聖戦もある旨記載されており、これらの取材について、「準備しておきますので、業務にさしつかえることはありません。」と記されてあったこと、中山文化部長がその記載の意味を尋ねたところ、岩山記者は、予定稿を書いておき、勝敗の結果は自分が取材し連絡する趣旨である旨答えたこと、被告の文化部では、将棋や囲碁のタイトル戦の取材及び報道については、担当記者が予め予定稿を書いて整理部に出稿しておき、タイトル戦の当日に勝敗の結果を取材して整理部に連絡し、それを整理部員が予定稿に書き込んで最終原稿にして、新聞社に配信するという方法がとられており、担当記者は、予定稿を書いて勝敗の結果を取材すれば、タイトル戦当日については人事処理上出勤扱いになること、現に、岩山記者は、右の王位戦と碁聖戦の予定稿を書いたほか、勝敗の結果も自分で取材し、八月一八日に「谷川が一勝」(王位戦)という記事、、二六日に「谷川が二勝」(同)、「小林碁聖が五連覇圏」(碁聖戦)の記事が、被告から契約新聞社に配信されており、人事処理上も八月一七、一八日、二五及び二六日の四日は出勤扱いとなっていることが認められる。

右に認定した事実によれば、岩山記者の年休の時季指定は、八月一七日から九月五日までの三週間のうち、王位戦及び碁聖戦のある八月一七日、一八日、二五日及び二六日の四日を除く短期かつ分割(三日、一日、二日、五日)の時季指定であるということができるうえ、原告には職務怠慢による懲戒事由も認められるのであるから、岩山記者の年休の時季指定に対する取扱いと比較して、本件懲戒解雇が重きに失するとはいえない。

6  原告は、本件懲戒解雇は不当労働行為を構成する旨主張するが、本件懲戒解雇は、被告から時季変更権を行使されて勤務を命じられた平成四年八月一〇日から二四日までの間の勤務を要する日一二日間について業務命令に違反して就業しなかったこと及び職務怠慢で勤務に誠意が認められないことを理由とするものであり、原告を懲戒解雇に処することが著しく不合理であるとは認められない以上、本件懲戒解雇を目して労働組合の正当な行為をしたことの故をもってする不利益な取扱い(労働組合法七条一号)又は正当な組合活動に対する支配介入(同条三号)と評することはできず、他に本件懲戒解雇につき不当労働行為の成立を認めるに足りる証拠はない。

四  結論

以上によれば、本件懲戒解雇は、合理的な理由があり、社会通念上相当なものとして是認することができるというべきである。よって、原告の本件請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官萩尾保繁 裁判官西理香 裁判官片田信宏は、転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官萩尾保繁)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例