大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)10999号 判決 1994年1月27日

甲、乙事件原告

木村正彦

右訴訟代理人弁護士

伊藤皓

甲事件被告

中央小揚株式会社

右代表者代表取締役

鷲山利次

乙事件被告

甲野一郎

右両名訴訟代理人弁護士

黒沢雅寛

主文

一  甲事件被告は原告に対し、金五七万九二〇二円及びこれに対する平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件被告は原告に対し、金五七万九二〇二円及びこれに対する平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告の、その余を甲事件被告、乙事件被告の負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一(甲事件)

被告は原告に対し、金三〇六万〇六六八円及びこれに対する平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二(乙事件)

被告は原告に対し、金三〇六万〇六六八円及びこれに対する平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事実

一  請求原因

1  甲事件原告(乙事件原告、以下「原告」という。)は、有限会社伊勢国の(以下「訴外会社」という。)従業員である。訴外会社は東京中央卸売市場(以下「築地市場」ともいう。)における仲卸人であるところ、原告は訴外会社の軽子と呼ばれる配達人として築地市場において魚の配達業務に従事していた者である。

2  甲事件被告中央小揚株式会社(以下「被告会社」という。)は、東京中央卸売市場における水産物荷扱作業一般の請負等を業とする会社である。被告会社は、トラックで築地市場に運ばれた魚類を小揚と呼ばれる運搬人を使って競り場まで運送し、競り場で魚類を並べ、さらに競り落とさせた魚類を小揚を使って仲卸人に引き渡すことを業務としている。

乙事件被告甲野一郎(以下「被告甲野」という。)は、被告会社の従業員であり、築地市場内において小揚として被告会社の業務に従事していた者である。

3  原告は、平成四年七月一一日午前六時ころ、訴外会社が被告会社から既に買い入れていた鰯二〇箱を中央区築地内にある築地市場内にある被告会社の魚市場まで受け取りに行き、同所において被告甲野に対し魚を運搬車に積み上げることを手伝うように頼んだところ、被告甲野がこれを拒絶したことから口論となり、被告甲野が原告の顔面を拳で殴りつけた。その後、原告と被告甲野間で取っ組み合いの喧嘩となったが、その際、被告甲野は折りたたみ式ナイフを取り出しその柄の尖端部分で、「殺してやる」と言いながら、原告の腹部、胸部を攻撃し、さらに原告の喉部を突き刺し、その結果原告に頚部刺創、右肩打撲の傷害を負わせた。

4  被告甲野の右不法行為により、原告は次のとおり損害を被った。

(1) 治療費 一〇万四九四〇円

(2) 入院雑費 一万二〇〇〇円

(3) 文書料 一万〇三〇〇円

(4) 休業損害 九五万三四二八円

(5) 慰謝料 一七〇万円

① 傷害慰謝料 八〇万円

② 後遺症慰謝料 九〇万円

(6) 弁護士費用 二八万円

5  被告甲野の右不法行為は、被告会社の従業員として、被告会社の職場内で職務時間内になされたものであり、しかも被告甲野が魚類を仲卸人に引き渡すという被告会社の業務を遂行する過程で発生させたものである。

6  よって、原告は、被告会社に対しては民法七一五条に基づき、被告甲野に対しては民法七〇九条に基づき、連帯して三〇六万〇六六八円及びこれに対する不法行為の日である平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1及び2の事実を認める。

2  請求原因3の事実のうち、平成四年七月一一日午前六時ころ築地市場において、被告会社の従業員被告甲野が原告に対し、所持していた折りたたみ式ナイフを用いて暴行を加え、原告に怪我を負わせたことを認め、その余を否認する。

3  請求原因4の事実を知らない。

4  請求原因5の事実のうち、被告甲野が被告会社の従業員であること、本件事件が被告会社の職場内で勤務時間内に発生したことは認め、その余を否認する。

5  被告甲野の行為は、被告会社の事業の執行につきなされたものではない。

被告会社は、築地市場で魚類の運搬を業とする会社であるところ、被告甲野の加害行為は被告甲野が魚類を運搬する行為をする過程で原告に損害を与えたものではない。

三  抗弁(正当防衛)

被告甲野は、原告から自己の身体に対する暴力を加えられ、荷物と荷物の間に押し倒されて充分な身動きもできず、自らを防衛するためにやむなく普段から持っていた折りたたみ式ナイフで原告を傷つけることになったのであって、被告甲野の右行為は正当防衛行為である。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実を否認する。

第三  理由

一  請求原因1の事実(原告が訴外会社の軽子であること)は、当事者間に争いがない。

二  請求原因2の事実(被告会社は小揚を業とすること、被告甲野は被告会社の従業員であり、小揚であること)は、当事者間に争いがない。

三  請求原因3の事実(被告甲野による暴行)及び抗弁(正当防衛)について判断する。

1  平成四年七月一一日午前六時ごろ、築地市場において、被告会社の従業員の被告甲野が、原告に対し、所持していた折りたたみ式ナイフを用いて暴行を加え、原告に怪我を負わせたことは、当事者間に争いがない。

2  右事実に加え、証拠(甲第一ないし三号証、一二ないし一五号証、乙第一、二、五号証、原告・被告甲野本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、平成四年七月一一日午前六時ころ、築地市場において、訴外会社の軽子として、訴外会社が競り落とした鰯二〇箱を受け取るために、ターレット(運搬車)を運転して被告会社の親会社である中央魚類株式会社の魚類を置いてある魚置場まで行った。

(2) そのころ、被告甲野は、被告会社の小揚として、築地市場で「丸七」という仲買の店に配達するために魚を小車に積んでいたが、原告を見かけて、訴外会社の鰯のあるところを教えてやった。

(3) 原告は、鰯の積まれている箱の前に行って、ターレットに鰯を積み始めたが、その際被告甲野に手伝ってくれるように頼んだ。しかし、被告甲野から自分の仕事があるからできないと言って手伝いを拒まれ、原告が「何もしていないじゃないか」と言ったことから口論となり、その揚げ句両者で少し離れたところに移動し、そこで殴り合いの喧嘩になった。

(4) そして、原告が被告甲野を押し倒し、同人の上に乗って殴るなどの暴行を加えたところ、被告甲野はやにわに所持していた折りたたみ式ナイフを取り出し、原告の喉に攻撃をしかけた。そこで、原告も被告甲野に頭突を加えたり拳で殴ったりした。その後周りの人が両者を引き離した。

(5) 原告は、被告のナイフ等による攻撃の結果、頚部刺創、右肩部打撲の傷害を負った。

(6) なお、被告甲野も、原告との喧嘩によって、全治二週間を要する左第一指、右第二指切創、頭部挫創の傷害を負った。また、被告甲野は、この傷害の結果二か月間仕事を休むことをよぎなくされた。

(7) 被告甲野の所持していた折りたたみ式ナイフは、小揚として梱包テープを切るために所持しているものであって、鉄製の柄に刃の部分が折り込めるようになっており、普段は刃を折り込んでポケットに入れている。

以上のとおり認められる。

原告本人尋問の結果や被告甲野の本人尋問の結果中には、右認定と異なる部分もあるが、前掲各証拠に照らしたやすく措信できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  そこで、まず請求原因3の事実(被告甲野による暴行)について判断する。

前記認定の事実によれば、被告甲野は原告に対し、所持していた折りたたみ式ナイフで喉部を突き刺す等の暴行を加え、その結果原告に頚部刺創、右肩打撲の傷害を負わせたことは優にこれを認めることができる。

4  そこで、次に抗弁(正当防衛)について判断する。

前記認定の事実によれば、被告甲野が折りたたみ式ナイフで原告に突きつけて頚部刺創等の傷害を負わせた際、被告甲野は原告に倒され、殴る等の暴行を受けていたものの、これに先立ち、被告甲野は、原告と口論の末、殴り合いの喧嘩となり、その一連の喧嘩闘争の中で原告に押し倒されて右暴行を受けるに至ったものであり、しかも被告甲野は、その際いきなり折りたたみ式ナイフを取り出してこれを突くという行為に出たものであることが明らかである。そうすると、被告甲野の右暴行は、正当防衛の要件である「急迫不正の侵害」が欠けるというべきであって、正当防衛は成立しない。

5  以上のとおりであって、被告甲野の右暴行は、不法行為に該当する。

四  請求原因4の事実(原告の損害)について判断する。

1  治療費

証拠(甲第四ないし七号証、原告本人)によれば、原告は本件傷害により治療費として一〇万四九四〇円を要したことが認められる。

2  入院雑費

証拠(甲第三号証、原告本人)によれば、原告は本件傷害により平成四年七月一一日から同月二〇日まで一〇間入院したことが認められる。一日当たりの入院雑費は一二〇〇円であることは、当裁判所に顕著である。

そうすると、入院雑費は、一万二〇〇〇円となる。

3  文書料

証拠(甲第八、九号証)によれば、原告は、入通院した病院から入院証明書、診断書等の文書を作成してもらうために一万〇三〇〇円を要したことが認められる。

4  休業損害

前記認定のとおり、原告は本件傷害により平成四年七月一一日から同月二〇日まで入院したものであり、証拠(原告本人)によれば、さらにその後同年八月二二日までの間三回通院したこと、原告は本件事件後訴外会社を辞め、同年九月一日からは中島カッターという会社で働いていることが認められる。そうすると、原告は本件事件により平成四年七月一一日から同年八月二二日まで休業を余儀なくされたと認めるのが相当である。そして、証拠(甲第一〇号証、原告本人)によれば、原告の訴外会社からの月収は三一万〇八四〇円であることが認められる。

なお、原告は、この当時東京マルヨ水産でもアルバイトをしており、月給一五万円の他一日五〇〇〇円の食事代手当の支給を受けていたと主張し、これに沿う供述をする。しかし、甲第一一号証は単に給料と食事代の金額が記載されているだけで、いかなる時期のいかなる事項を証明する趣旨の文書であるかについては何ら記載がなく、これだけでは本件事件当時の証明資料とみることはできない。他に原告の右主張を裏付ける客観的な証拠はない。

そうすると、原告は本件傷害のため四三日欠勤し、その間の給与として少なくとも四三万一一六五円の支給を受けられなかったものである。

5  慰謝料

(1) 傷害慰謝料

前記認定のとおり、原告は、本件傷害により平成四年七月一一日から同月二〇日まで入院し、さらにその後同年八月二二日までの間に三回通院したものである。その他前記認定の諸般の事情を考慮すると、これに対応する原告に対する慰謝料としては、五〇万円が相当である。

(2) 後遺症慰謝料

原告は、本件傷害により頚部に切創後の搬痕が残っており、これが後遺症一四級一一号に準じるものであると主張する。たしかに、証拠(甲第一五号証、原告本人)によれば、本件傷害により原告の頚部に切創後の搬痕が残ったことが認められるが、これが後遺障害であると認めるに足りる証拠がなく、また、たとえ、これが後遺障害であるとしても後遺障害等級表一四級一一号にいう「男子の外貌に醜状を残すもの」に該当しないことは明らかであり、これに準ずるものとも言いがたい。したがって、後遺症慰謝料は認められない。

五  そこで、過失相殺について判断する。

1  前記認定のとおり、被告甲野は折りたたみ式ナイフを原告に突きつけて頚部刺創等の傷害を負わせたものである。

2  他方、原告は、鰯二〇箱を運搬車に積み上げる際に被告甲野に手伝いを頼んだところ、被告甲野に拒否されたことから口論となり、その結果殴り合いの喧嘩となり、その一連の喧嘩闘争の中で被告甲野を押し倒して上に乗り同人に殴る等の暴行を加えていた最中に被告甲野の右ナイフによる暴行を受けたのであるから、原告にも本件傷害につき過失があったことは明らかである。

3  以上の諸事情を総合して、本件事件における原告と被告甲野との過失の割合を考えると、一対一とするのが相当である。

六  弁護士費用

本件事件と相当因果関係のある弁護士費用分の損害は、五万円と認めるのが相当である。

七  請求原因5の事実(被告会社の民法七一五条責任)について判断する。

前記認定のとおり、被告甲野の本件暴行は、被告甲野が被告会社の従業員として勤務中、その勤務場所においてその勤務時間内に起きたものである。そして、被告甲野の本件暴行に至る経緯についてみるに、被告甲野が被告会社の小揚として勤務していた最中、自己の管理する場所内にある仲卸人の鰯の箱につき軽子である原告から右箱の荷揚げの手伝い方を依頼され、これを手伝うかどうかをめぐって原告と口論となり、その挙げ句殴り合いの喧嘩となって本件暴行に至ったのであるから、被告甲野の本件暴行は、小揚として魚類を仲卸人に引き渡すという被告会社の業務を遂行する過程でなされたと認められる。そうすると、被告甲野の本件暴行は、被告会社の従業員としてその職務の執行につきなされたというべきである。

したがって、被告会社は、被告甲野の前記不法行為につき民法七一五条の責任を負う。

八  以上によれば、原告の本訴請求は、被告らに対し連帯して五七万九二〇二円及びこれに対する平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

(裁判官畠山稔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例