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東京地方裁判所 平成5年(ワ)12574号 判決 1994年1月28日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

串田誠一

被告

乙山太郎

右訴訟代理人弁護士

石井敬二郎

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成五年七月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金五二〇万円及びこれに対する平成五年七月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、婚約不履行に基づく損害賠償として、慰謝料三〇〇万円、嫁入り道具の買入れ費用一〇〇万円及び逸失利益一二〇万円合計五二〇万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年七月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一争いのない事実

1  (原告)

原告は、昭和四七年三月三日東京で生まれ、私立堀越高等学校に入学した。

2  (原告と被告との高校時代の交際)

原告は、高校三年の平成元年一〇月の学校の文化祭で同級生である被告と係が同じであったことから親密になりデートを重ねるようになり、同年一二月被告と男女の関係を持つに至った。これは、原告にとりはじめての男性経験であった。原告と被告とがそれぞれ双方の家に行き来し双方の親も交際を認めるようになった。

3  (二人の関係)

平成二年、原告は短大に、被告は専門学校である東京自動車整備学校に進んだ。しかし、原告は、同年一〇月短大をやめ、アルバイトを始めた。そのころ、被告は、ほとんど毎週土曜日に原告の実家に泊まり、毎週水曜日には原告の家で夕食を食べるようになった。また、右二人は、原告の母と共に、場合によっては二人だけで旅行することもあった。

4  (二人の同居)

被告は、平成四年三月専門学校を卒業し、四月からレーシングチーム「トムス」に就職し、原告と静岡県御殿場の家賃一〇万円のマンションで同居し、平成五年二月トムスを退職した上、同月御殿場インターのガソリンスタンド石井石油に就職し、五月正式社員に採用された。

5  (被告の親戚に対する原告の紹介)

原告は、平成五年三月末被告の祖母の葬儀に出席した際、被告の親戚に紹介された。

二争点

1  (原告と被告との婚約の成否)

(原告の主張)

原告は、平成四年四月被告と御殿場に引っ越す際には、被告と結婚の約束をしており、アルバイト先や友人から結婚祝いをもらい祝福された。さらに、原告は、御殿場の被告の勤務先で又は被告の祖母の葬儀の際に被告の親戚の前で、被告から婚約者として紹介されていた。このように二人の間には婚約が成立していた。

(被告の主張)

二人が御殿場に行く際、被告が勤務先トムスに三年間勤務を続けられ、結婚の意思が三年間変わらないことを条件に三年後に結婚するという約束をしたが、結局二人の関係は解消され、婚約は成立するに至らなかった。また、祖母の葬儀の際にも、原告をまだ婚約していないが先々結婚することになるであろうと紹介したに過ぎない。よって、婚約不履行があったということはいえない。

2  (二人の同棲の解消の責任如何)

(原告の主張)

原告は、平成五年四月二四日被告が原告に嘘をついて丙川良子とデートしていたことが発覚した。原告は被告の日ごろの様子がおかしかったので、被告を追及したところ、被告から、丙川良子が好きになったこと、原告と結婚する気がなくなったこと及び二度と原告との関係を元に戻すことはできないことを聞かされ、被告の下を去り、東京に戻ってきた。

(被告の主張)

原告が被告と御殿場で同棲するに当たって原告もアルバイトをして生計を維持するという約束をしていたにもかかわらず、原告が働いたのは平成五年三月三日から帰京する四月中旬までに過ぎなかった。被告は、原告主張の日丙川良子を横浜見物に案内し、これが二人が別れる一因となったが、そのころ帰宅が遅かったのは平成五年四月はじめからガソリンスタンドで仕事の終了後同僚と「危険物取扱い」の資格を取得するための勉強をしていたためで、原告に非難されるようなことはしていない。むしろ、二人が別れることとなったのは、原告がかねてから原告の母の言いなりになり被告を困惑させることが多かったところ、原告の母が、被告がトムスを退職した際にも原告と被告に直ちに帰京することを強く主張したり、平成五年四月二五日被告の仕事場で他の従業員の前で被告を殴打し、翌日原告に被告の父を訪ねさせ、原告の住居の敷金等及び引越費用等八六万円を支出させるなどの原告の母の態度によるところが大きい。また、帰京のための費用を二人で稼ぎ東京のガソリンスタンドで就職を予定していたのに、平成五年四月二五日原告の母が原告を東京に連れて帰ってしまった。しかし、被告は、四月三〇日御殿場のアパートで約二時間原告の母を交え原告と話し合ったが、原告との関係を元に戻すことができないと判断し、原告と別れることとし、原告の申出を入れ、原告の東京での新しい住居の敷金、礼金及び家賃二か月分並びに引越の費用を含め八六万円を被告の父から借り支払った。

3  (原告の損害の範囲)

(原告の主張)

被告の言動により原告との婚約が破棄されたことによる原告の精神的損害は三〇〇万円を下らない。また、嫁入り道具の買入れに要した一〇〇万円も婚約破棄による損害といえる。原告は被告と同棲しなければ東京のアルバイト先で右同棲期間中の約一年間で一二〇万円の収入を得ることができた。よって、原告は、右婚約破棄により合計五二〇万円の損害を受けた。

(被告の主張)

御殿場のマンションの賃料月一〇万円については、平成四年四月から平成五年二月まで被告の父が、その後は被告が父と半分ずつ負担し、生活費は被告が負担していたのに対し、家具類は原告が負担する約束であった。また、原告は、被告との同棲期間ほとんど働いていなかったが、それは原告に働く意思がなかったからに過ぎず、逸失利益一二〇万円があったとはいえない。被告は、原告と別れるに当たって、原告の住居の敷金や引越費用等八六万円を負担している。

第三争点に対する判断

一事実関係

右争いのない事実及び証拠(<書証番号略>、証人杉山みさ子、証人雨川良子、原告本人、被告本人)から次の事実が認められる。

1  (御殿場で同棲するに当たっての周囲の態度等)

原告の御殿場行きについては、平成四年二月末、被告の家で、原告及び原告の母並びに被告及び被告の母の四人で話し合い、被告のみならず被告の母も原告に熱心に勧める態度を示したので、近い将来二人が結婚するのだからということで御殿場行きについて理解を示していた原告の母も最終的に賛成の態度を示した。その際、被告の母は、結婚は三年後にするようにと提案していた。また、原告も被告も、御殿場に行くに当たって、友人に御殿場に一緒に行き同棲し将来二人は結婚することを話した上で、友人から祝いをもらった。そして、被告は、被告の母とも相談の上、原告を婚約者として勤務先のトムスに届け出、トムスの上司や同僚にも原告のことを将来結婚する相手であると話していた(<書証番号略>、原告本人、被告本人)。

2  (被告による原告の紹介)

原告は、被告の祖母の葬儀の際に、被告の母の配慮で参列し被告の親族の席に座り、二〇人程の被告の親族に被告の婚約者として紹介された(<書証番号略>、原告本人)。

3  (御殿場での同棲生活の経済的負担等)

二人の御殿場での生活については、住居探しは被告と被告の母と離婚した被告の父が、住居の敷金、礼金及び家賃は被告及び被告の父が、家具類の買入れ代金少なくとも一〇〇万円程は原告及び原告の母が負担し、生活費は被告の給料月約一三万円でまかなっていた。反面、原告は、家事を分担し、被告の弁当を作り、夕食は被告が残業等で遅くなっても帰宅するまで食べずに待つなど、主婦としての責任を果たしていたし、原告の母も毎月食料を買って届けるなどの協力をしていた(<書証番号略>、証人杉山みさ子、原告本人、被告本人)。

4  (原告のアルバイト)

被告は、平成四年一二月一日山の上の住まいから町中に引っ越し、平成五年一月念願のレーサーになれなかったことからトムスを退職し、東京に帰る資金を作るため御殿場の石油スタンド石井石油でアルバイトをして働くようになり、原告も被告の職場と徒歩二、三分の所にある杉山みさ子夫婦経営のローソンで平成五年三月末から後記のとおり被告の下を去る四月二五日までアルバイトをしていた。なお、原告は、平成二年一〇月短大をやめてから御殿場に行く直前の平成四年三月までの約一年半書店でアルバイトをし月約一〇万円の収入を得ていた(<書証番号略>、証人杉山みさ子、原告本人、被告本人)。

5  (被告の丙川良子との交際)

被告は、石井石油の同僚の娘の丙川良子(当時二〇歳)がガソリンスタンド又は職場のレクリエーションのボーリング大会等に顔を出していた関係から良子と知り合うようになり、同女の車の購入の世話を頼まれたりする内にお互い好意を寄せ合うようになり、良子から自宅に電話が掛かってくるようになった。そして、被告は、原告にも良子から車の見積りを頼まれているなどと同女の話をするようになった。そして、被告は、良子から車を買う世話をしてもらった礼をしたいといわれたところから、前に良子から横浜に行ったことがないと聞いていたので四月二四日勤務終了後横浜の中華街へ食事に行く約束をし、横浜へ良子を車で案内し、同日夜一二時前ころ御殿場に戻ってきた。しかし、被告は、右横浜行きについては後ろめたく感じたので原告に説明しなかった(証人杉山みさ子、証人丙川良子、原告本人、被告本人)。

6  (原告と被告との同棲の波風)

原告と被告との同棲は、被告がトムスを退職するまでは特に波風はなく、平穏であった。しかし、被告が石井石油に勤めるようになってから原告が話しかけても余り答えなくなり、平成五年四月に入ると危険物取扱主任の資格取得のため勤務後職場で同僚と勉強をしていたという事情もあるが、遅番の勤務が急に増え朝も早くから出かけ、家で食事をすることも少なくなり、原告の目には被告の態度が冷淡に映るようになった。そうした四月二四日朝、原告は、被告から急に「今日は遅番だ」と言われたが、不信に思い夕方七時過ぎ被告の勤務先に電話をしたところ、店員から「今日は早番だから既に帰った。」と教えられた。そして、原告が夜遅く帰宅した被告を追及したところ、被告は、「仕事をしていた。」、「一人で車でうろうろしていた。」と弁解をした後、何時間も黙ってしまい、原告が「好きな人ができたのか。」と尋ねると、これを肯定し、相手が丙川良子であることを認めた。そこで、原告が被告に対し「本気で好きになったのか。」と聞くと、被告は、「本気だから原告と一緒に暮らせない。」と答えた。さらに、原告は、「やり直しはできないのか。」と繰り返し聞いたが、被告から「できない。丙川良子の方が好きだ。」という答えが帰ってきた(<書証番号略>、証人杉山みさ子、原告本人、被告本人)。

7  (原告の帰京)

原告は、平成五年四月二五日原告の母に電話をして前夜の経緯を話したところ、即日、原告の母が車で御殿場の原告のアルバイト先のローソンに原告を迎えに来て、被告の職場に立ち寄り、被告から車の鍵を取り上げ、従業員の目の前で「責任を取れ。」と言って平手で被告の顔を殴り、右鍵を被告のアパートのステレオの下に隠した上、原告を連れて帰京した。そして、原告は、翌二六日被告の父の会社を訪問し、東京の新しい住居の敷金、礼金、家賃及び引越費用として八六万円を受け取った(<書証番号略>、証人杉山みさ子、原告本人、被告本人)。

8  (最後の話合い)

原告は、平成五年四月三〇日、母と被告の下に戻り、原告の母を交えて、被告と二時間にわたり話合いをし、「やり直しをしたい。被告の下に戻りたい。」と訴えたが、被告は、原告の母に職場の同僚の前で殴られたり、車の鍵を隠されたり、原告が被告の父の会社に敷金等を要求に行ったことも加わり、「丙川良子が好きだから、やり直しはしない、原告との仲を元に戻すことはできない。」と答えたので、原告は母と帰京した。その後、被告は、原告から仲直りをしたい、そのためにも原告の母に謝って欲しいとの手紙あるいは電話をもらったので被告の祖母の四十九日を終えた平成五年五月一六日被告の母と一緒に詫びに原告方を訪問したが、原告側は原告及び原告の母のみならず原告の祖父及び叔母夫婦がおり激しく被告を非難し仲直りのきっかけを見出すことはできなかった(<書証番号略>、原告本人、被告本人)。

9  (原告と被告の現況)

原告は、御殿場に持っていった家具類を三万円足らずで売り払い、現在は実家の母の下で暮らし東京で働いている。他方、被告は、現在、御殿場の石井石油で勤務を続け、丙川良子と恋人として交際をしている(証人丙川良子、原告本人)。

二右事実関係に従い争点について検討する。

1  争点1(原告と被告との婚約の成否)について。

御殿場で同棲するに当たって原告と被告の母又は友人が二人の同棲及び将来の結婚を祝福し、原告と被告も周囲の人に婚約者として紹介していた事実(一の1)、原告が被告の祖母の葬儀の際に被告の親族に被告の婚約者として紹介されている事実(一の2)並びに原告と被告とは一年近く夫婦同然の生活をしてきた事実(一の3)等の事実に照らし、原告と被告との間には、遅くとも二人が平成四年四月御殿場に行くまでには婚約が成立していたと認められる。

もっとも、被告本人は「祖母の葬儀の際、原告について『婚約する予定である。』と紹介した。」と被告の主張に沿う供述(二六項)をし、被告本人作成の陳述書(<書証番号略>)にも同趣旨の記載があるが、右供述ないし記載自体、考え方によっては二人の間に婚約が成立していたとする根拠ともなりうると理解することもでき、また、右一の1ないし3の事実に照らすと、右被告の主張に沿う証拠として採用することはできない。

2  争点2(二人の同棲の解消の責任如何)について。

被告にとり、原告がかねてから原告の母の言いなりになり原告を困惑させることが多かったと被告が感じることを推測させる事実もうかがえないわけではない(一の7及び8)が、御殿場に来て以来約一年にわたり原告と被告との仲は平穏であり、原告にとり被告の態度が冷たく思われ始めたのは平成五年四月に入って丙川良子と知り合うころであり、同月二四日の良子との横浜行きの件が発覚した時点で被告の態度が急変したこと(一の5ないし7)及び現在被告は良子と交際を続けていること(一の9)に照らすと、二人の同棲、ひいては、婚約が解消するに至った原因は、被告が原告に隠れて良子と交際をし、右交際発覚後の被告の原告に対する言動にあるといわざるをえない。

もっとも、被告本人は「二四日には良子と一緒にいたことは原告に悪いので話さず、ずっと黙っていた。」と供述し(一四項)、被告本人作成の陳述書(<書証番号略>)には「四月二四日に『良子が好きになったので原告と結婚する気がなくなった』等と言ったことはない。原告が勝手に判断してしまったと思う。」との記載があるが、四月二五日の原告及びその母の言動に照らして採用することはできない。

3  争点3(原告の損害の範囲)について。

原告は、被告と一年近くの同棲したためにアルバイトをすることができず一二〇万円の収入を得ることができなかったと主張するが、右同棲期間中も原告が希望してもアルバイトをできないという事情も認められないので、右一二〇万円の逸失利益の賠償を求める請求は理由がない。原告が買い求めた家具類は、確かに被告との婚約の破棄により原告にとり手元に保存しておく価値のないものになったと評価することはできるが、右家具類は、一年近く被告とのそれなりに意義のある同棲生活に利用され、右同棲生活には被告も家賃や生活費を投入していること等に照らすと、その目的をある程度達しているというべきであり、婚約破棄による損害としてはその買入れ代金一〇〇万円(一の3)を婚約破棄による損害額として算定するのは相当でない。

そこで残る慰謝料について検討するに、右争点に対する判断2の認定及び原告と被告との同棲の波風が立つ(一の6)までは原告に特に落度というべき点はなく主婦としての勤めを果たしていたこと(一の6)、他方、平成五年四月二四日ないし二五日の時点では、確かに被告の言動は責められるべきである(一の5、6)が、第三者が見て二人の同棲を解消しなければならない程に被告と良子との関係が深くなっていたとは認められず(一の5)、原告及び原告の母に問題の解決を急ぎすぎた点もあること(一の7、8)、原告は御殿場から引き上げた翌日被告の父から引越費用等として八六万円の支払を受けていること(一の7)並びに原告と被告とは高校時代に既に男女の関係に入っていたという経緯、二人の年齢等から元々婚約が現に結婚まで至るについては不安定な要素もはらんでいたこと(争いのない事実2、3)等の事情を総合すると、被告の言動により婚約が破棄に至ったことによる原告の精神的損害は一〇〇万円と評価するのが相当である。

結局、婚約破棄による原告の損害は一〇〇万円というべきである。

三結論

よって、婚約不履行に基づく損害賠償を求める原告の本訴請求は、一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年七月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の部分は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官宮﨑公男)

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