東京地方裁判所 平成5年(ワ)13607号 判決 1994年8月25日
原告
森博喜
同
森恵子
右両名訴訟代理人弁護士
寺崎政男
同
遠藤徹
同
高野栄子
同
佐々木秀一
被告
天野憲治
右訴訟代理人弁護士
村藤進
同
小島新一
主文
一 原告両名の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告両名の負担とする。
事実及び理由
第一 原告両名の請求
一 被告は、原告森博喜に対し、二六四五万円及びこれに対する平成五年八月八日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告森恵子に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成五年八月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二 事案の概要
本件は、原告森博喜(以下「原告博喜」という)がその訴訟委任をした弁護士である被告に対し、和解手続に関する弁護過誤があったとして、債務不履行(不完全履行)を理由に又は不当利得を理由に報酬金相当一八五〇万円に加えて、右債務不履行を理由に他の弁護士に支払った費用を損害賠償として七九五万円の合計二六四五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員を請求し、また原告博喜の母である原告森恵子(以下「原告恵子」という)が右和解の利害関係人としてその訴訟委任をした右被告に対し、同様に右弁護過誤による債務不履行を理由に慰謝料として一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 原告博喜は、原告恵子と訴外森喜作(以下「訴外人」という)との間の非嫡出子(昭和四三年七月一日生)である。
2 訴外人は、昭和五二年一〇月二三日死亡したが、昭和四三年七月一日付け遺言認知書に基づく遺言により原告を認知していた。
3 被告は、東京第一弁護士会所属の弁護士である。
4 そして、被告は、昭和五五年ころ、原告博喜の法定代理人たる親権者母原告恵子から、東京地方裁判所昭和五四年(タ)第九四号認知請求事件及び同裁判所昭和五六年(タ)第六〇八号親子関係存在確認請求事件遂行の委任を受け、原告博喜の訴訟代理人となった(甲一)。
5 また、被告は、右各訴訟事件の和解手続に伴い、利害関係人原告恵子の委任を受け、訴訟代理人となった(甲一)。
6 原告両名は、昭和五八年三月三一日、東京地方裁判所の和解勧告に基づき、右4の各訴訟事件を含め訴外人の遺産に関して、当時原告博喜の右法定代理人兼利害関係人原告恵子及び原告両名の訴訟代理人であった被告等出席の下で、別紙和解調書記載のとおりの和解(以下「本件和解」という)をした(甲一)。
7 しかして、被告は、本件和解の結果として原告博喜に支払われるべき共同相続人からの相続分の調整金(和解金)から報酬として合計一八五〇万円を取得した。
8 ところで、原告博喜に課せられた右相続税は、桐生税務署から昭和五八年六月二四日送付された相続税更正通知書によって、一億一七七五万九〇〇〇円であると判明した(甲二)。
9 原告恵子は、被告に対し、本件和解が錯誤により無効であるとして、原告両名のためにその法的手段を講ずるよう要求したが、被告は、これを拒否し、また原告博喜からのその相続税の是正措置の依頼を断った。
10 原告博喜は、被告以外の弁護士に依頼したうえ、関東信越国税不服審判所に対する審査請求を経て、前橋地方裁判所に対し、桐生税務署長を相手に行政事件訴訟(同裁判所昭和六三年(行ウ)第六号相続税更正処分取消請求事件。以下「別件訴訟事件」という)を提起した結果、平成四年四月二八日、前記相続税更正通知書の一部取消が認められ、その相続税額が最終的に三七七六万〇六〇〇円となった(甲四)。
二 原告両名の主張
1 債務不履行(不完全履行)について
(一) 被告は、本件和解に際し、本件原告博喜から原告として、また本件原告恵子から利害関係人としてそれぞれ訴訟委任を受けていた。
(二) 本件和解前に東京地方裁判所の和解勧告によって出された案は、次の二案であった。
① 原告博喜は、他の相続人から三億円を一括払いで、かつ、手取りで受け取る。なお、右相続税は他の相続人が負担する。
② 原告博喜は、他の相続人から四億五〇〇〇万円を七年の分割払いで受け取る。なお、右相続税は各人の負担とする。
(三) 被告が原告恵子に対し、本件和解成立前の昭和五八年三月三〇日、右和解案の選択について、②案の原告博喜の相続税が一〇〇〇万円程度であると誤った説明をしたため、原告両名は、②案を受入れ本件和解成立に至った。しかして、原告博喜が桐生税務署から課せられた相続税は一億一七七五万九〇〇〇円であり、一〇〇〇万円を超える税額が課せられるのであれば、原告両名は②案の本件和解には応じなかった。
また、②案の四億五〇〇〇万円には、訴外人が原告恵子に負担する貸金債務四七五〇万円が含まれており、原告博喜が取得する金員が差引四億〇二五〇万円となるにもかかわらず、これについて原告恵子は、被告から説明を一切受けていないから、この点についても同意をしていない。しかして、原告両名は、右貸金債務が②案の四億五〇〇〇万円に含まれていることを知っておれば、②案の本件和解には応じなかった。
結局、被告は、独断で本件和解を成立させたものであって、原告両名の訴訟代理人としての債務の履行は不完全である。
(四) このため被告は、原告両名から本件和解が錯誤により無効であるとしてその法的手段を講ずるよう要求された際、自己の名誉のためにもこれに応じることはできないが、損害額の全額を責任もって弁償すると約した。
(五) また、被告が原告両名からの相続税の是正措置の依頼を拒否したため、原告博喜は、やむを得ず他の弁護士に依頼し、関東信越国税不服審判所に対する審査請求を経て、別件訴訟事件を提起し、その相続税額を最終的に三七七六万〇六〇〇円とした。原告博喜は、その弁護士費用として七九五万円を負担したが、これは右相当因果関係の範囲内の損害である。
(六) しかも、被告は、原告博喜に支払われるべき共同相続人からの相続分の調整金(和解金)より報酬として一八五〇万円を天引きしたが、これは右相当因果関係の範囲内の損害である。
(七) ところで、原告恵子は、母として原告博喜とともに前記のとおりの課税を是正するための手続に一〇年余りの間多大の費用及び労力を費やしたが、これらの精神的苦痛を慰謝するには一〇〇〇万円を下らない。
(八)(1) よって、原告博喜は、被告に対し、債務不履行損害賠償として、右七九五万円及び一八五〇万円の合計二六四五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する。
(2) また、原告恵子は、被告に対し、右債務不履行損害賠償として、右慰謝料一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する。
2 不当利得について
(一) 原告両名と被告との間には報酬支払いの合意はない。
仮に、成功報酬の定めがあったとしても、前記のとおり原告両名が当初予期していた成果は全くあがらなかったのであるから、その支払義務は発生しない。
(二) 被告が原告博喜に支払われるべき共同相続人からの相続分の調整金(和解金)より報酬として一八五〇万円を天引きしているので、被告は、原告博喜の損失において一八五〇万円を利得している。
(三) よって、原告博喜は、被告に対し、不当利得として一八五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する。
三 被告の主張
1 本件和解前に東京地方裁判所の和解勧告によって出された案は、いずれも原告恵子が訴外人に対して有していた前記貸金債権を含むものであり、次の二案であった。
(一) 原告側は、他の相続人から遺産の代償金(調整金)として、二億五〇〇〇万円(但し、原告恵子の右貸金債権分を含む)を、六か月以内に一括払いで受け取る。なお、右相続税は他の相続人が負担する。
(二) 原告側は、他の相続人から遺産の代償金(調整金)として、四億五〇〇〇万円(但し、原告恵子の右貸金債権分を含む)を七年の分割払いで受け取る。なお、右相続税は各人の負担とする。
2 被告は、弁護士小島新一を通じて原告博喜の法定代理人たる親権者母兼利害関係人原告恵子に対し、本件和解成立前右1の二案を説明した。
3 1(二)の和解案に従った本件和解については、原告博喜の法定代理人たる親権者母兼利害関係人原告恵子が、本件和解手続に被告とともに同席し、かつ、当該担当裁判官の面前で右和解成立の決断を自ら行った。
4 被告が、原告両名に対し、前記原告両名主張に係る②案の原告博喜の相続税が一〇〇〇万円程度であると説明をしたことはない。
5 また、原告博喜の法定代理人たる親権者母兼利害関係人原告恵子は、前記原告両名主張に係る②案の四億五〇〇〇万円には、訴外人が原告恵子に負担する貸金債務四七五〇万円が含まれていることは了知していたうえ、これを納得して本件和解に及んだものである。
6 被告は、原告両名に対し、その損害額の全額を負担する旨を約したことはない。
7 税務署の原告博喜に対する課税内容は、被告とは何ら無関係である。
8 なお、前記一八五〇万円については、被告は、昭和五八年四月二二日、原告恵子と協議し、費用を含め報酬総額二五五〇万円と定めたことから、右所定の報酬として取得した。
9 したがって、原告両名の弁護過誤の主張は事実無根である。
四 争点
1 被告は、原告恵子に対し、昭和五八年三月三〇日、原告博喜の相続税が一〇〇〇万円程度であると告げたか。
2 原告恵子は、裁判所の和解案であった原告側の受領する金員四億五〇〇〇万円について、これに訴外人が原告恵子に負担していた貸金債務四七五〇万円が含まれていることを知っていたか。
3 被告は、前記一八五〇万円を不当に利得したか。
五 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
1 甲一ないし五、一〇、一五、乙一ないし七、証人小島新一の証言並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。
(一) 本件和解手続は、別紙和解期日出席者一覧表(但し、「天野」は被告を、「小島」は当時の原告両名の訴訟代理人弁護士小島新一を、「森」は原告恵子を意味する)のとおり、昭和五七年三月一九日を第一回として合計一九回に及び、昭和五八年三月三一日、本件和解が成立した。
(二) 当時被告法律事務所に勤務し、かつ、被告に協力しながら原告両名の訴訟代理人をした弁護士小島新一は、第一四回の昭和五八年二月二五日の和解手続きの場において、当該担当裁判官から左記の内容の起案用紙を利用した「和解案(最終案)58.2.25裁判所提示」と題する書面(乙一)の交付を受け、第一次和解案を提示された。
記
(1)① 沼津は博喜に
② 税込みで実質手取り二億五〇〇〇万円(六ケ月以内に支払い。(恵子分も含む。))。
(2)① (1)①に同じ。
② 恵子分を含め四億五〇〇〇万円(七年払い。)
(三) そして、右担当裁判官は、右弁護士小島新一に対し、次回期日(昭和五八年三月八日)までにいずれの右和解案を選択するかを検討するよう指示した。
(四) そこで、弁護士小島新一は、前記書面(乙一)を受領するや、直ちにコピーを取ったうえ、これを原告恵子に交付するとともに、相続税については専門の税理士に相談するように助言を与えた。
(五) このため原告恵子は、税務署で右について調査したが、当時相続債務として係争中の分が約四億六〇〇〇万円あり、計算基盤となる相続税の総額が未確定であった。ただ、弁護士小島新一は、原告恵子に対し、相続税については、分割方法の如何にかかわらず、まず相続税の総額が決められて相続人の相続分に応じて分担することになるから、相手方の遺産評価額約一八億円を前提にして計算すれば、前記(二)(2)の和解案であると相続税総額の約四分の一(約三八〇〇万円)を負担することになる旨の説明をした(別件訴訟事件の判決では右相続税総額を一億四一三五万八三〇〇円として、原告博喜の相続税を三七七六万〇六〇〇円と判示しており、右判決結果は弁護士小島新一の右説明と大差がない)。
(六) 右担当裁判官は、前記弁護士小島新一及び原告恵子らに対し、第一次和解案における(二)(1)の和解案と同(2)の和解案につき、同(2)の和解案では原告博喜が相続税を負担することになるので実質的差異がない旨を述べていたが、その後更に第一六回の昭和五八年三月一八日の和解手続きの場において、口頭でもって(二)(1)の和解案を増額して二億七〇〇〇万円とし、同(2)の和解案を撤回するという第二次和解案を提示した。
(七) しかし、被告及び弁護士小島新一は、担当裁判官に対し、第一八回の昭和五八年三月三〇日の和解手続きの場において、原告恵子の指示を受けていたとおり、当初の(二)(2)の和解案の四億五〇〇〇万円(但し、手取りとする)を前提に、場合により原告恵子の訴外人に対する貸金債権を含めるとの最終意思を伝えたが、担当裁判官が被告、弁護士小島新一及び原告恵子らに対し、相手方が当初の第一次和解案における(二)(2)の和解案(但し、原告博喜が相続税を負担する)を受け入れた旨を告げ、かつまた、今日まとまらなければ和解を不成立で打ち切る旨述べたところ、原告恵子は、右裁判官に対し、右当初の(二)(2)の和解案を受け入れる旨を表明し、右貸金債権の内容を明日までに確定することにした。
(八) そして、原告恵子が、第一九回の昭和五八年三月三一日の和解手続きの場において、被告及び弁護士小島新一同席の下で、訴外人に対する貸金債権については元本四七五〇万円のみとし、原告博喜の取得分を四億〇二五〇万円と自ら決断したことから、本件和解成立に至った。
以上の事実を認めることができ、これに抵触する原告恵子本人の供述部分、原告恵子作成の陳述書(甲一六、二一)の記載部分は、前掲証拠に照らしいずれも採用できない。
しかして、右認定事実にかんがみると、被告は原告両名の訴訟代理人としてその職責を果たしたものというべきである。
2 争点1について原告両名は、被告が原告恵子に対し、昭和五八年三月三〇日、東京地方裁判所において、本件和解前に原告博喜の相続税額を一〇〇〇万円程度と誤った説明をしたため、原告両名が本件和解に応じた旨主張するが、これを証する的確な客観的証拠はない。
もっとも、原告両名の右主張に沿う原告恵子本人の供述部分、原告恵子作成の陳述書(甲一六、二一)の記載部分が存するが、乙一ないし七、証人小島新一の証言に照らしいずれもにわかに措信できない。
なお、原告恵子は、被告に対し、原告博喜の課税につき苦情を記載した書簡(甲六、一四)を送付しているが、被告若しくは前記弁護士小島新一が本件和解前に原告博喜の相続税額を一〇〇〇万円程度と誤った説明をしたとの具体的記載はなく不自然であるうえ、本件全証拠によっても、被告が原告両名に対し、その損害額の全額を負担する旨を約したことを認めることもできない。
してみると、原告両名の争点1についての主張はその前提を欠いており失当である。
二 争点2について
1 ところで、原告恵子は、その本人尋問において、第一九回の昭和五八年三月三一日の期日に出席し、担当裁判官からの本件和解条項の読み上げ及び確認を聞いていたことを自認する供述をしている。
しかも、前記一1認定の事実に加えて、更に甲一、五、乙一ないし七、証人小島新一の証言によれば、原告博喜の法定代理人たる親権者母兼利害関係人原告恵子は、被告の説明に基づき、前記第一次和解案に基づき原告側が取得する四億五〇〇〇万円には、訴外人が原告恵子に負担する貸金債務四七五〇万円が含まれていることは了知していたうえ、これを納得して本件和解に臨んだものと認めるのが相当である。
2 争点2について原告両名は、右原告側の受領する金員四億五〇〇〇万円には訴外人が原告恵子に負担していた貸金債務四七五〇万円が含まれていることは知らなかった旨主張し、これに沿う原告恵子本人の供述部分、原告恵子作成の陳述書(甲一六、二一)の記載部分が存するが、前記一1認定の事実関係に徴するといずれもにわかに措信できない。
したがって、原告両名の右主張は理由がなく、しかも、原告両名が桐生税務署との対応を余儀なくされたのは、同税務署の不公正な課税のためであるから、被告にはその責任がないものというべきである。
してみれば、結局、被告は原告両名からの委任に基づき、債務の本旨に従った履行をしたものというべきである。
三 争点3について
甲一、乙一、六、七、証人小島新一の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告は、昭和五八年四月二二日、原告恵子と協議し、本件和解を含む一連の紛争の解決報酬として総額二五五〇万円と定めたうえ、本件和解の結果として原告博喜に支払われるべき共同相続人からの相続分の調整金(和解金)から報酬計一八五〇万円を取得したこと、被告は右受領金員以外の報酬は放棄したことを認めることができ、これに反する的確な証拠はない。
したがって、前記一八五〇万円につき被告が不当に利得したものでないことは明らかである。
四 結論
よって、本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官河野清孝)
別紙<省略>