東京地方裁判所 平成5年(ワ)14090号 判決 1999年2月22日
主文
一 被告は、原告に対し、金三一六〇万二二六六円及びこれに対する平成五年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告は、原告に対し、金七七八八万七五九二円及びこれに対する平成五年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、教育図書の販売等を目的とする株式会社である原告が、原告代表取締役の職務を行っていた被告に対し、被告の勧誘、指示等によって原告各支社の支社長、管理職、営業マンが一斉に原告を退職したとして、取締役の忠実義務違反(商法二六六条一項五号、二五四条の三)等を理由として、これにより被った損害の賠償を求める事案である。
一 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は括弧書きで摘示した証拠及び弁論の全趣旨により認められる。
1 原告は、教育図書の販売等を目的とする従業員数約六〇名(平成五年三月当時《証拠略》)の株式会社であり、親会社である全研本社株式会社(以下「全研本社」という。)から仕入れた子供向け英会話教材「ジュニアジャンプ」を販売するとともに、同社から委託を受け、同教材を使用して英会話の授業を行う英会話教室「ジュニアジャンプ学院」の運営、管理、生徒の募集等の業務を行っていた。
原告には、東京本社のほか、東京支社、大阪第一支社、大阪第二支社、札幌支社、仙台支社があり、各支社には、支社長一名、管理職(部長、課長又は係長)若干名のほか、営業マン(各戸を訪問し、教材の説明、模擬授業を行うなどして教材の販売を行う者)一〇名程度が従業員として勤務していた。
2 被告は、平成五年当時、原告代表取締役の肩書で原告各支社の業務全般を統括、監督するなどの職務に従事していた。
3 被告は、平成五年三月二〇日、原告を退職し、原告に勤務していた別表一記載の三八人の支社長、管理職、営業マン(以下「本件従業員」という。)も、同日又は同月二二日、一斉に原告を退職し(《証拠略》、以下「本件集団退職」という。)、被告及び本件従業員は、株式会社サンマークハピット(以下「サンマークハピット」という。)に転職した。
二 争点
1 被告が取締役の忠実義務若しくは雇用契約上の誠実義務に違反する行為又は不法行為を行ったか否か。
(原告の主張)
被告は、原告取締役でありながら、遅くとも平成四年九月ころから、子供向け英会話教材の販売等原告と競合する業務を営むサンマークハピットとの間で、被告及び本件従業員の一斉転職の交渉を行い、本件従業員に対し、被告と共にサンマークハピットに転職することを勧誘し、転職の日、方法等を指示するなどして、平成五年三月二〇日ないし二二日、本件集団退職を敢行させた。
被告の右行為は、取締役の忠実義務(商法二五四条ノ三)に違背するので、被告は、原告がこれにより被った損害を賠償する責任がある(同法二六六条一項五号)。仮に、被告が取締役でなく、従業員にすぎないとしても、被告の右行為は、雇用契約上の誠実義務に違背するので、被告は、債務不履行に基づく損害賠償責任(民法四一五条)を免れないし、さらには、不法行為責任(同法七〇九条)も免れない。
(被告の主張)
被告は、適法に開催された原告株主総会において、原告取締役に選任されたことはないから、取締役の忠実義務を負うことはない。
また、被告は、退職の決意を親密な原告従業員に打ち明けたにすぎず、転職を勧誘したことはない。全研本社は、「ジュニアジャンプ学院」の生徒数が一万人に達したときにその経営権を原告に譲渡するとの約束を守らなかったので、被告及び本件従業員は、全研本社に対して不満を抱き、原告を退職したのである。したがって、被告は、取締役の忠実義務等に違反する行為を行っていない。
2 原告が被った損害の額
(原告の主張)
原告は、被告の行為により、以下のとおり、合計七七八九万一七九二円の損害を被ったので、被告に対し、右損害内金七七八八万七五九二円を請求する。
(一) 募集費用 一五九万八三一六円
原告が本件従業員を採用するために費やした募集広告費用(ただし、別紙二記載の二八名分)
(二) 教育費用 五七九万九九四六円
原告が本件従業員に対してその新人研修期間中に支払った給与、交通費等(ただし、別表三記載の二九名分)
(三) 逸失利益 六一四九万三五三〇円
本件従業員が退職せずに一年間稼働した場合に原告が得られたであろう利益(ただし、別表四記載の二五名分)
(四) 名誉毀損、信用低下による無形損害 三〇〇万円
本件集団退職によって、顧客、グループ企業内からの原告に対する社会的評価や社会的信用が低下したことによる原告の無形損害
(五) 被告に対する報酬 六〇〇万円
被告が本件集団退職の準備行為を行っていた六か月間に原告が被告に対して支払った報酬(この間、被告は取締役としての忠実義務を果たしておらず、取締役としての報酬を受ける権利はない。)
(被告の主張)
(一) 従業員募集広告は、原告が本件従業員を採用したことによりその目的を達したというべきであるし、原告は、恒常的に募集広告を行っているのであるから、その費用は損害とはいえない。
(二) 営業マンは、新人研修期間中であっても、営業活動を行っていたのであるから、新人研修期間中の営業活動により原告が得た利益を損害から控除するべきである。
(三) 原告における新人営業マンの定着率は低いから、本件従業員の相当数は、本件集団退職がなくとも、一年も経ずして退職していたと考えられ、一年もの期間の逸失利益を損害に算入することは、過大である。
(四) 本件集団退職によって原告に対する社会的評価や社会的信用が低下したことは、争う。
(五) 被告は、原告を退職するまで誠実にその労務を提供しており、原告が被告に対してその対価を支払っても、原告に損害は生じない。
第三 争点に対する判断
一 被告が取締役の忠実義務若しくは雇用契約上の誠実義務に違反する行為又は不法行為を行ったか否か。
1 認定事実
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、その発行済株式総数のすべてを全研本社が有するいわゆる一〇〇パーセント子会社であったが、全研本社代表取締役吉沢信男は、昭和六〇年一〇月一二日、原告株主総会において、吉沢、全研本社取締役岸良光らのほか、被告を原告取締役に選任し、被告も原告取締役に就任することを承諾し、取締役就任の登記もされた。その後、吉沢、岸らは、昭和六一年七月二一日、被告を原告代表取締役とすることとし、被告も、これを承諾し、代表取締役就任の登記もされた。被告は、それ以降、平成五年三月二〇日まで、吉沢の信任の下に自らの意思で原告取締役ないし原告代表取締役として原告各支社の業務の監督、営業マンの採用、決算報告、税務申告等を行い、最も支配的な地位において原告の経営全般を統括してきた。また、被告は、平成五年当時、原告から、月額一〇〇万〇二五〇円の取締役としての報酬の支払を受けており、代表取締役として登記されていた。なお、全研本社は、昭和六一年、被告を原告代表取締役に選任することとした際、被告に対し、発行済株式総数の三〇パーセントを売り渡したが、平成四年秋、被告からこれを買い戻し、再び発行済株式総数の一〇〇パーセントを有するに至っている。
(二) いわゆるサンマークグループは、株式会社サンマーク教育システムを中心とし、株式会社サンマーク出版、サンマークハピット等で構成され、図書の出版、教育機器の販売、教育施設の運営等を行っている企業グループである。サンマークハピットは、子供向け英会話教材の訪問販売等を行っていた。
(三) 被告は、もとサンマークグループ内の企業に勤務していたが、昭和六〇年ころ、当時在職していたサンマークグループ内の企業の部下等を引き連れて原告に転職した。平成五年三月二〇日当時の原告各支社長は、いずれも、被告の右転職を機にサンマークグループ内の企業から転職した者たちであり、原告各支社の管理職、営業マンの中にも、そのような者が数名いた。
(四) 被告は、その後吉沢と意見が合わず、不仲になり、平成四年秋には、原告を退職する決意を固め、そのころから、原告を退職した後の仕事を探し始め、原告各支社長、管理職を引き連れてサンマークグループ企業に集団転職することも考え始めた。
そこで、被告は、平成四年秋、原告の管理職乙山松夫に対し、被告がサンマークグループ企業に集団転職することを考えていることを打ち明け、吉沢らの他の原告役員には内緒で、同グループとの間で、被告らが同社に転職後被告らの希望する子供向け英会話教材の販売、英会話教室の経営等を行わせてくれるよう交渉することを指示した。乙山は、右指示を受け、被告に同行し、サンマークグループの担当者に対し、「ジュニアジャンプ」の内容、「ジュニアジャンプ学院」の経営方法を説明するなどして、サンマークグループとの間で交渉を進めた。
そして、被告は、平成五年一月ころから、サンマークグループとの間で、被告、原告支社長、管理職、営業マンの集団転職の交渉を始め、被告らの給与等の勤務条件の折衝も行った。
被告は、平成五年二月ころから、原告各支社長、管理職に対し、被告が原告を退職し、サンマークグループに転職すること、原告各支社長、管理職もサンマークグループに転職することができることなどを伝えた。
(五) サンマークグループは、平成五年三月上旬、サンマークハピットにおいて、被告及び原告各支社長、管理職、営業マンの転職を受け入れ、被告らの希望する子供向け英会話教材の販売及びこれを使用する英会話教室の経営を行うことを最終的に決定した。サンマークグループと被告との間では、被告らの従前の給与額を保障すること、転職を希望する原告従業員をすべて受け入れることなどの大まかな合意がまとまっていた。
被告は、原告各支社長、管理職に対し、営業マンも転職することができることを伝え、自ら又は支社長らを通じで営業マンに転職を勧誘した。そして、被告は、転職に難色を示した営業マンに対しては、胸ぐらをつかんで暴言を浴びせ、退職を強要するなどした。
(六) 被告は、サンマークグループの担当者との間で、原告従業員の転職の日、方法、転職後数日間の業務内容等を協議して決定し、これを記載したメモを作成した上、原告各支社長、管理職に対し、同メモを配付し、電話連絡するなどして、平成五年三月二〇日に原告各支社からサンマークハピットの各事務所に必要な物品を運び込むこと、原告従業員は同月二二日に一旦原告各支社に出社した後、サンマークハピットの各事務所に移動し、進発式を行うことなどを指示した。
また、被告は、原告各支社長に対し、各自退職届を作成し、被告に交付すること、営業マンにも退職届を作成させ、これを保管しておくことなどを指示した。
本件従業員は、以上のような被告の指示に従い、本件集団退職を敢行し、サンマークハピットに転職した。
本件集団退職により、原告東京支社は、従業員一一人中四人が、大阪第一支社は、一二人中九人が、大阪第二支社は、一二人中六人が、札幌支社は、一〇人全員が、仙台支社は、一三人中九人が退職した。
(七) 被告は、事前に他の原告役員に、被告及び本件従業員の退職の事実を知らせなかったため、吉沢らは、退職当日に本件集団退職の事実を初めて知った。
以上のとおり、認められる。
2(一) 前記1(一)のように、被告は、昭和六〇年一〇月一二日、原告株主総会において、原告取締役に選任され、その就任を承諾したが、その任期の満了後の再任については、これを議決したことを記載した株主総会議事録の存在を認めるに足りる証拠はない。
しかしながら、前記1(一)の事実によれば、被告は、最初の原告取締役の任期の満了後も、平成五年三月二〇日まで、原告の総株主(全研本社及び被告自身)の信任の下、自らの意思で原告取締役の職務を行ってきたのであり、これらの事実に照らせば、被告の取締役再任については、全員出席の株主総会による決議が成立しているものというべきである(また、仮に、取締役再任についての全員出席株主総会の成立が認められないとしても、被告は商法二五八条一項により、原告取締役としての権利義務を負うことが明らかである。)。
したがって、被告は、いずれにしても、原告に対し、取締役としての忠実義務を負担しているというべきである。
(二) そして、前記1(二)ないし(六)によれば、被告は、平成四年秋から、原告の一管理職に命じ、原告と競合する業務を営むサンマークグループに対し、原告の営業内容を開示するなどして、原告従業員の同グループへの転職や転職後の営業の展開を容易にするよう準備させたこと、平成五年一月ころからは、自らサンマークグループとの間で被告及び原告従業員の集団退職の交渉を始め、同年三月には大まかな合意をまとめたこと、右交渉の進展に応じ、自ら直接に、又は原告各支社長らを通じて、原告各支社長、管理職、営業マンに対し、サンマークグループへの転職を勧誘したこと、本件集団退職を敢行するため、その統率、指揮を行ったことが認められ、被告の右のような行為が取締役の忠実義務に違背することは明らかであって、被告は、商法二六六条一項五号に基づき、原告が被告の右行為により被った損害を賠償すべき責任があるというべきである。
被告は、全研本社が「ジュニアジャンプ学院」の経営権に関する約束を守らなかったことを指摘するが、右事由は、被告の右のような行為が取締役の忠実義務に違背することを否定する理由にはならないというべきである。
二 損害
以上によれば、被告は、商法二六六条一項五号に基づき、原告が被告の前記行為により被った損害を賠償すべき責任がある。そこで、損害額について判断する。
1 募集費用について
《証拠略》によれば、原告は、毎月のように従業員の募集広告を行い、一年に一〇〇人以上の従業員を新たに採用していたことが認められ、原告は従業員の退職の有無やその人数にかかわりなく、恒常的に募集広告を行っていたということができるから、本件従業員の募集広告に要した費用は、被告の前記行為による損害とは認められない。
2 教育費用について
《証拠略》によれば、原告は、採用した新人営業マンに対し、二か月間の研修期間を定め、その期間は売上実績による歩合給ではなく、固定給を支給していたこと、本件集団退職当時、本件従業員のうち五名(丙川花子、丁原松子、戊田竹子、甲田梅子、乙野竹夫)は、研修期間中であり、その間、固定給として合計八五万五五〇一円が支給されたこと、右五名は研修期間中に売上げをあげておらず、右固定給は、研修費用というべき筋合のものであることが認められ、これらは損害と認めるのが相当である。
原告は、研修を終了していたその余の本件従業員についてもその新人時の教育費用を算入した損害額を主張するが、同人らは、原告在職当時に研修の成果である売上実績を上げており、後記3の逸失利益の算出にあたっては、その売上実績を基準とする各人の退職による逸失利益を損害額に算入しているのであるから、これに加え、その新人時の教育費用までも損害額に算入することは相当でない。
3 逸失利益
《証拠略》によれば、本件従業員のうち、研修を修了し、営業を担当していた者二五人は、退職せずに一年間稼働すれば、原告に対し、原告在職当時における売上実績から教材費、人件費等の経費を控除した額の一年間分の合計額に相当する六一四九万三五三〇円の利益をもたらしたであろうということができ、右のような逸失利益の算出方法には合理性がある。
もっとも、《証拠略》によれば、原告のような訪問販売業における営業マンの定着率は非常に低く、新人営業マンの八割は入社一年内に退職することが多いこと、本件従業員の中には原告に入社してから一年未満の者が相当数含まれていたことが認められ、右二五名のうちの相当数は、本件集団退職がなくとも、一年も経ずして原告を退職していたであろうと推認される。
そのほか、諸般の事情を総合考慮すれば、被告の前記行為と相当因果関係のある損害の額としては、右二五名が六か月間稼働した場合に原告にもたらしたであろう利益に相当する三〇七四万六七六五円と認めるのが相当である。
4 信用低下による無形損害
本件集団退職の規模、原告の営業内容等からみて、本件集団退職によって原告に対する社会的評価や社会的信用が低下したことは推認に難くないが、逸失利益等の財産的損害の賠償に加え、別個に無形損害の賠償までも認めることは相当でないというべきである。
5 被告に対する報酬
取締役の忠実義務に違反する行為があったとしても、そのことから当然に、被告が報酬を受ける資格を失うとまではいい難い。したがって、原告が被告に支払った報酬は損害とは認められない。
以上によれば、原告が被告の前記行為により被った損害額は、合計三一六〇万二二六六円と認められる。
第四 結論
よって、原告の請求は、三一六〇万二二六六円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年八月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六一条、六四条本文を、仮執行宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 滝沢 泉 裁判官 佐久間健吉 裁判官 片山智裕)