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東京地方裁判所 平成5年(ワ)17575号 判決 1998年10月09日

《目次》

当事者の表示

主文

事実及び理由

第一 請求

第二 事案の概要

一 事案の概要

二 前提事実

第三 争点

一 本件の争点

二 争点についての原告らの主張

1 被害事実及び損害額

2 国際慣習法に基づく損害賠償請求権

(一) 陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則四六条一項

(二) 条約三条の法理

(1) 法理の内容

(2) 起草過程における締約国の意思

(3) 条約三条の文言解釈

(三) 戦後における条約三条の法理の再確認

(四) 条約三条の法理の国際慣習法性

(1) 法理の一般慣行性と法的確信

(2) 具体的国家実行

(五) 条約三条の法理の適用可能性

(1) 国内法的効力

(2) 自動執行的性格

(六) 結論

3 「人道に対する罪」違反に基づく損害賠償請求権

(一) 「人道に対する罪」の意義

(二) 「人道に対する罪」違反と損害賠償責任

(三) 「人道に対する罪」の国内法的効力等

(四) 結論

4 フィリピン国内法に基づく損害賠償請求権

(一) 法例一一条一項の適用

(二) フィリピン国内法の適用

(三) 法例一一条二項と国家無答責の原則

(1) 法例一一条二項にいう「不法」の解釈

(2) 国家無答責の原則と行為の違法性

(3) 小結論

(四) 法例一一条三項と消滅時効等

(五) 結論

5 日本の民法に基づく損害賠償請求権

(一) 法例一一条一項による日本の法律の適用

(二) 国家無答責の原則の排除

(三) 民法七一五条の適用

(四) 民法七二四条後段の適用の排除

(五) 消滅時効等と信義則違反、権利濫用

(六) 結論

三 争点についての被告の主張

1 被害事実及び損害額

2 国際慣習法に基づく損害賠償請求権

(一) 条約三条の法理の国際慣習法性

(1) 条約三条の解釈

(2) 国際法の性質

(3) 個人の国際法主体性

(4) 国際慣習法

(二) 条約三条の法理の適用可能性

3 「人道に対する罪」違反に基づく損害賠償請求権

4 フィリピン国内法に基づく損害賠償請求権

(一) 法例一一条一項の適用

(二) 法例一一条二項、三項の適用

5 日本の民法に基づく損害賠償請求権

第四 当裁判所の判断

一 国際慣習法に基づく請求について

1 国際慣習法の成立要件等

(一) 国際慣習法の成立要件

(二) 国際法の一般原則

(三) 条約の解釈方法

2 条約三条の意義

(一) 条約及び規則の文言

(二) 条約三条の解釈

(三) 小結論

3 条約三条の起草過程

(一) 各国代表の提案等

(二) 提案等の意味

(三) 小結論

4 戦後における条約三条の法理の再確認等

(一) ジュネーヴ条約、追加議定書

(二) 国家実行

5 結論

二 「人道に対する罪」違反に基づく請求について

1 「人道に対する罪」

(一) ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例

(二) 極東国際軍事裁判所条例

(三) その他

2 「人道に対する罪」違反と損害賠償責任

3 結論

三 フィリピン国内法に基づく請求について

1 法例一一条一項及びフィリピン国内法の適用

2 法例一一条二項と国家無答責の原則

(一) 法例一一条二項の解釈

(二) 国家無答責の原則

(三) 小結論

3 法例一一条三項と民法七二四条後段

(一) 法例一一条三項の解釈

(二) 民法七二四条後段

4 結論

四 日本の民法に基づく請求について  1 国家無答責の原則

2 民法七二四条後段

3 結論

五 総括

別紙(当事者目録)

別紙(被害事実等目録)<省略>

平成五年(ワ)第五九六六号事件原告(以下、単に「原告」という。)

A

外一七名

平成五年(ワ)第一七五七五号事件原告(以下、単に「原告」という。)

B

外二七名

原告ら訴訟代理人弁護士

高木健一

林陽子

横田雄一

武村二三夫

中北龍太郎

小山千蔭

佐藤芳嗣

中道武美

大島有紀子

小川原優之

池田直樹

秋田一惠

菅沼友子

稲垣隆一

大作晃弘

竹下政行

右高木健一訴訟復代理人弁護士

東澤靖

平成五年(ワ)第一七五七五号事件原告ら訴訟代理人弁護士

重村達郎

中島光孝

幸長裕美

平成五年(ワ)第五九六六号事件被告、同年(ワ)第一七五七五号事件被告(以下、単に「被告」という。) 国

右代表者法務大臣

中村正三郎

右指定代理人

岸秀光

外一三名

主文

一  原告らの各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、各金二〇〇〇万円(合計金九億二〇〇〇万円)を支払え。

第二  事案の概要

一  事案の概要

本件は、フィリピン国籍を有する女性である原告らが、いわゆる第二次世界大戦当時、フィリピン国内において、進駐してきた日本国の軍隊(以下「日本軍」という。)の兵士らから、暴行、監禁及び強姦等の被害を受け著しい精神的苦痛を被ったとして、被告である日本国に対し、原告一人につき二〇〇〇万円の損害賠償を請求した事案である。

原告らは、右請求の根拠として、①国際慣習法に基づく損害賠償請求権、②「人道に対する罪」違反に基づく損害賠償請求権、③フィリピン国内法に基づく損害賠償請求権及び④日本の民法に基づく損害賠償請求権を主張し、被告は、これらをいずれも主張自体理由がないとして争っている。また、⑤原告らの被害事実の有無及び損害額も争点となっている。

二  前提事実(甲第三七号証の一ないし三、第三八、第三九号証、第四〇号証の一、二によって認められる。)

1  フィリピンは、もとスペインの植民地であったが、アメリカ・スペイン戦争でアメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)が勝利し、フィリピンはアメリカの支配する植民地となった。アメリカの植民地であった時代のフィリピンでは、自治権の拡大や独立を求める様々な運動が起こり、これに影響されたアメリカは、一九三四年、「タイディングズ=マックダフィ法」(フィリピン独立法)を成立させ、フィリピンに一〇年後の独立を約束した。そして、同法に基づき、一九三五年一一月一五日、フィリピン・コモンウェルス(独立準備政府)が発足した。

一九四一年七月二六日、アメリカの大統領ルーズベルトは、当時フィリピンの軍事顧問であったダグラス・マッカーサーを、新たに設置されたアメリカ極東軍の司令官に任命し、コモンウェルス体制下のフィリピンの防衛を計ろうとした。一九四一年当時のフィリピンの独立準備政府の大統領はマニュエル・ケソン、副大統領はセルヒオ・オスメーニャであった。

2  一九四一年一二月八日、日本軍は、マレー半島のコタバルに上陸し、一時間後にはハワイの真珠湾を奇襲した。同日、日本軍は、ミンダナオ島ダバオ、ルソン島中部等を奇襲し、フィリピン政略を開始した。

マッカーサーは、一九四一年一二月二三日、アメリカ極東軍全軍をマニラ西方のバターン半島に撤退させ、司令部をバターン半島沖のコレヒドール島に移転し、首都マニラを非武装都市にすると宣言した。しかし、日本軍は同月二七日にマニラ市を爆撃した。

マッカーサーの率いるアメリカ極東軍は、一九四二年三月、コレヒドールからオーストラリアに退却し、コモンウェルス大統領ケソン、副大統領オスメーニャも同年二月コレヒドールから脱出し、アメリカに亡命し、ワシントンで亡命コモンウェルス政府を樹立した。日本軍は、同年四月、バターン半島攻略を完了し、同年五月には、フィリピンのほぼ全域を軍政下に置いた。

3  日本軍は、一九四二年一月のマニラ陥落後、直ちに軍政部を設置し、また、占領後直ちにフィリピンで軍票を発行して経済の統制を行った。フィリピンにおける軍政の司法制度に対する基本方針は、軍事占領に適しないコモンウェルス下の司法制度は停止するが、軍事占領に支障のない法制度は効力を継続させるというものであった。一九四三年一〇月一四日、日本国(被告)の承認の下にホセ・P・ラウレルを大統領とするフィリピン共和国が発足し、日本軍の軍政が廃止されたが、日本国はその後も軍事占領を継続した。

4  一九四四年一〇月二〇日、マッカーサーは連合国軍隊を率いてレイテ島に上陸し、亡命していたコモンウェルス政府も後に同島に帰還した。日本軍は、同日からのレイテ沖海戦で海軍が敗れたことにより、壊滅的打撃を被った。この後、日本軍は敗退し続け、一九四五年七月五日、マッカーサーはフィリピン全土の解放を宣言し、フィリピンにおける戦争は終結した(以下、右の戦争を「太平洋戦争」ともいう。)。

5  原告らは、いずれもフィリピン国籍を有するフィリピン人女性であり、太平洋戦争中、日本軍が約三年にわたってフィリピンを軍事占領していた当時、フィリピンに在住していた。

第三  争点

一  本件の争点

1  原告らの被害事実の有無及び損害額

2  陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(一九〇七年一〇月一八日署名、日本国は一九一一年一一月六日批准、一九一二年一月一三日公布、以下「ハーグ陸戦条約」又は単に「条約」という。)三条に成文化された国際慣習法に基づく損害賠償請求権の有無

3  「人道に対する罪」違反に基づく損害賠償請求権の有無

4  フィリピン国内法に基づく損害賠償請求権の有無

5  日本の民法に基づく損害賠償請求権の有無

二  争点についての原告らの主張

1  被害事実及び損害額

(一) 太平洋戦争中、日本軍は、フィリピン人に対し、略奪、殺害、強姦等を行った。フィリピンを占領していた日本軍の第一四方面軍は、いわゆる「戦場の無人化」作戦を実行し、ゲリラと一般住民の区別がつかないとの理由で、女性や子供を含む多くの住民をゲリラと見なして残虐な方法で虐殺した。

(二) 原告らは、右日本軍構成員らに、銃剣によって暴力的によって拉致され、日本軍の駐屯地等に監禁され、不特定多数の者から強姦を反復された。ほとんどの原告は暴力をふるわれ、生涯消えない傷跡を身体に受けている。また、監禁期間も、一か月から数か月、時には一、二年に及んだ。

原告らは、日本軍による長期にわたる監禁、性的虐待によって深刻な精神的打撃を受けた。そして、原告ら被害者の苦しみは、時の流れによっても癒されることがなく、戦後五〇年を経た今もなお、その後遺症である様々な心的外傷後ストレス障害に苦しんでいる。

(三) 各原告らの被害事実及び損害額についての原告らの主張の詳細は、別紙被害事実等目録記載のとおりである(以下、日本軍構成員の原告らに対する加害行為を「本件各加害行為」という。)。

原告らの右被害は甚大であり、その精神的苦痛に対する相当な賠償額は原告ら各自について金二〇〇〇万円を下らない。

2  国際慣習法に基づく損害賠償請求権

(一) 陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則四六条一項

陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(ハーグ陸戦条約)の条約附属書である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」(以下「ハーグ陸戦規則」又は単に「規則」という。)四六条一項は、「家ノ名誉及権利」が保護されるべきだとして、占領軍の軍隊構成員が、占領地に住む女性に対し、性的な暴力を与えることを禁止していた。

第二次世界大戦後に条約化された、戦時における文民の保護に関する一九四九年八月一二日のジュネーヴ条約は、二七条二項において、「女子は、その名誉に対する侵害、特に、強かん、強制売いんその他あらゆる種類のわいせつ行為から特別に保護しなければならない。」として、占領地に住む女性に対する性的な暴力を明文で禁止している。同条約は、ハーグ陸戦規則の内容や第二次世界大戦中に成立していた国際慣習法を明文化して確認するものであり、同条約が禁ずる行為は、ハーグ陸戦規則や国際慣習法によって第二次世界大戦中に禁止されていた行為であった。

(二) 条約三条の法理

(1) 法理の内容

ハーグ陸戦条約三条は、占領軍の軍隊構成員が占領地に住む個人に対してハーグ陸戦規則違反の行為により与えた損害について、占領国にその賠償義務を認め、被害を受けた個人の損害賠償を求める権利を確認していた。

右条約三条は、一九〇七年の第二回国際平和会議において一八九九年のハーグ陸戦条約の改正案として提起され、かつ討議の対象とされたものであり、ハーグ陸戦規則の遵守を強化する目的の下に一八九九年条約で定められた軍隊への訓令という実行方法の不十分さを補うものであった。そして、同条は、武力紛争に関する法においても不法行為と使用者責任に関する一般法理が慣習法として適用されること並びに交戦国の責任範囲が交戦国の過失の有無に関わりなく軍隊構成員のすべての行為について及ぶことを確認し、被害者個人に賠償請求権を認めるものであり、その内容は、当時すでに存在していた国際慣習法を確認するものであった。同条に関しては、右賠償請求権を実現するための特別な国際法上の請求手続は存在しないが、これは、加害国による占領地での任意の直接履行、加害国の国内裁判所への提訴、条約で設置された国際機関への訴求、あるいは国家間の一括協定等が当然期待されていたためであった。

(2) 起草過程における締約国の意思

ハーグ陸戦条約三条の起草過程を見てみると、同条の原案となったドイツ提案は、不法行為法理を基礎として、主人はその被用者又は職員の行為につき責任を負うという私法上の使用者責任の原則を陸戦法規に導入しようとするものであり、右提案をハーグ陸戦条約三条として規定するにあたっては、個人の権利の侵害を救済すべきことが前提として議論されていた。

具体的なドイツ代表の提案理由は、「……国家はその管理、監督の過失が立証されない限り責任を負わないという過失責任の法理によることとするのでは不十分である。このような法理を採ると政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから、同規則(ハーグ陸戦規則)の違反により損害を受けた者が政府に対して賠償を請求することができないし、有責の士官又は兵卒に対し賠償請求をすべきであるとしても、多くの場合は賠償を得ることができないであろう。したがって、我々は、軍隊を組成する者が行なった規則違反による一切の不法行為責任は、その者の属する(軍隊を保有する)国の政府が負うべきであると考える。」というものであり、同提案は明らかに陸戦規則違反行為者の被害者に対する不法行為責任と使用者責任の一般法理を基礎とするものであって、被害者個人が賠償請求を行う際の困難の克服を主たる理由とし、逆に被害者の属する国家による外交的な責任追及は、提案の射程範囲に含まれていないものであった。あわせて、ドイツ代表が、中立国民と交戦国民との取扱上の差異に対する批判に対し、両者の間に権利の面に違いを設ける意図はなく、ただ賠償金支払の方法と時期の差異に過ぎないと釈明していることから見れば、ドイツ提案が、あくまでも被害者個人の権利を前提にした議論であることがより明らかとなる。

スイス代表は、ドイツ提案を受けて、中立国と交戦国の国民に対する賠償時期の区別を支持したが、その際「この提案が提示している原則は、損害を受けた全ての個人に対し、敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず、適用可能である。これら二つのカテゴリーの被害者、即ち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は、賠償の支払に関するものであり、この点に関する両者間の違いは、物事の性質そのものにある。」と述べており、被害者である個人が、「即ち権利保有者」であることを当然の前提とし、かつそのすぐ後で「賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生じる」と繰り返していた。

また、ドイツ提案が議論されていた第二委員会第一小委員会第四会合における議長の冒頭意見も、次のとおり、賠償請求権が個人に帰属することを明確にするよう求め、曖昧な文言の削除とドイツ提案における二つの条文を一つの条文へ一本化することを提起していた。「第一は中立の者に関する部分であり、ある交戦当時国の軍隊を組成する者により中立の者に対し生ぜしめられた損害はその者に対して賠償して然るべしとしている。そこには権利があり、義務もあるが、「交戦相手側の者に対して」生ぜしめられた損害については、如何なる権利も規定されていない。単に、交戦相手側の者に関する「賠償の問題」は、和平達成時に解決されるべきである旨述べているのみである。恐らく、「賠償の問題」の語は削除するか、二条をまとめて一条とする方がよいであろう。また、文案については若干の改善の余地がある旨指摘したい。即ち、「交戦相手側の者」という言い方はおそらく厳密には正確ではなく、また、「延期することができる」は非常に曖昧である。」

さらに、イギリス代表の反対理由においても、ここで論じられる権利が個人のものであることを前提に、これが戦後の国家間の賠償交渉によってゆがめられる可能性を指摘していた。「第一条が中立の者に対し、受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ、第二条では、交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。したがって交戦相手側の者にとっては、賠償は、平和条約に盛り込まれる条件次第、交戦国間の交渉の結果としての条件次第ということになる。」

以上のように、審議経過における各国代表の発言を見ても、ドイツ提案に関する法理が原告らの主張するように、個人の請求権を前提としたものであることは、明らかである。

(3) 条約三条の文言解釈

① 条約解釈の方法

今日、条約解釈については、一九六九年ウィーンで採択され一九八〇年に効力が発生し、日本もその翌年に批准加入している条約法に関するウィーン条約(以下「ウィーン条約法」という。)のうちの条約の解釈に関する規定に照らしてなされるのが一般的となっている。すなわち、ウィーン条約法三一条一項は、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」とし、同条三項は、「文脈とともに、次のものを考慮する。(a)条約の解釈又は適用につき当時国の間で後にされた合意、(b)条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当時国の合意を確立するもの、(c)当時国の間の関係において適用される国際法の関連規則」として解釈に関する一般的な規則を、同条約法三二条は、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。(a)前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合、(b)前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」として解釈の補足的な手段をそれぞれ規定している。

なお、条約解釈の方法は、条約の成立時もしくは問題となった行為があったときの、条約の解釈方法に関する国際法によることとなるが、本件ではいずれの時点をとっても条約の解釈方法に関する明文の条約法規は存在せず、いまだウィーン条約法も成立していなかった。不遡及効の原則(四条前段)を定めるウィーン条約法が一九〇七年のハーグ条約に対して適用され得るかは一つの問題である。ウィーン条約法の規定の過半は「国際法の法典化としての確立した慣習法規則の条文化」としての「慣習法宣言条項」であるが、かかる条項には不遡及効は適用されず(四条後段)、ウィーン条約法三一条、三二条は慣習法宣言条項に分類されている。したがってハーグ陸戦条約の解釈においても、ウィーン条約法の解釈方法を当時の国際慣習法における解釈方法と考えて用いることができる。

そうすると、ハーグ陸戦条約三条の解釈にあたっても、その文言を客観的かつその文脈に従って解釈することとあわせて、すでに述べたような「条約締結国の具体的な意思」も重要な解釈指針となるものである。以下、ハーグ陸戦条約三条の文言解釈上重要な用語である、「陸戦規則ノ条項」、「賠償」、「(賠償)ノ責ヲ負フヘキモノトス」の三語について、ウィーン条約法の解釈方法に従って検討する。

② 条約三条一文に規定された規則の意義

(a) ハーグ陸戦条約三条一文は、「前記規則(ハーグ陸戦規則)ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。」と規定し、右の「規則」の違反を賠償責任発生の客観的要件としている。この規則は、条約三条の解釈上決定的な意義を有するが、その理由は次のとおりである。

規則はハーグ陸戦条約の「条約附属書」であるが、ウィーン条約法三一条二項によれば、「条約附属書」は「条約原文」の一部として同条一項の「文脈」に該当する。前記のウィーン条約法三一条一項によれば、「用語の通常の意味」を導き出すうえで「文脈」は重要な要素の一つに挙げられている。

また、一般的に認められる「文脈」の意義のほか、規則には、条約本文との関係上、特別の重要な位置が与えられている。何故なら、全九条の短いハーグ陸戦条約本文のうち二条、四条ないし九条は、いずれも効力範囲や手続等に関する規定であり、実体規定は、僅かに所属軍隊に対する訓令を義務付ける一条と三条の二つの条文であるが、一条の訓令はその内容をあげて規則に委ね、三条にあっては客観的要件である違反行為が何であるかについてのすべてを規則の規定するところに依拠している。すなわち、ハーグ陸戦規則はハーグ陸戦条約の実体的権利義務規定をなしているのである。

さらに、前記のとおりハーグ陸戦条約三条一文(賠償責任原則)は、明文をもって、軍隊構成員の規則違反行為によって損害を被ったことを賠償責任の発生要件としている。そこで、違反の対象となる規則の定める義務の内容、右義務を賦課される当事者、これに対応する権利を付与される相手方が何人であるかは、条約三条の賠償請求権者が何人であるかを確定する上で不可欠である。

(b) ハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則は、占領地における占領軍及び個々の軍隊構成員らと占領地住民との間の権利義務関係に対して直接適用される国際法であり、占領地で規則違反行為によって被害を被った個人の損害賠償請求権を認めていることは明らかである。

占領地住民にとって、ハーグ陸戦規則は、占領軍隊構成員(ないしそれが属する占領国家)との間の直接的な権利義務関係を定めた交戦法規である。このような規則の法的性質は、ハーグ陸戦条約三条の解釈上決定的な意義を有する。国際法の一分野に属する交戦法規は、伝統的に、国際法上の個人の「主体性」を認めてきた特別な領域に属する。かかる特徴を有する交戦法規の下では、占領地住民は、一定の範囲において個人として、直接に、国際法上の権利を付与され、義務を賦課されている主体であって、国際法が直接適用される。国際法上、占領地住民と交戦国の間には、直接的な法律関係が存在するのである。この直接適用可能性と権利義務関係の個人性こそが交戦法規の基本的性格である。

ハーグ陸戦規則は、まさに右のような直接的性格を体現したものである。ハーグ陸戦規則は、交戦者の行動を規律する形式の法規範であるが、その目的と趣旨は「交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係」を規律することにあり、占領軍司令官のみならず、個々の士官、下士官、兵卒に対して規則の遵守を直接国際法として義務付けるものである。他方、占領という事実自体によって、自国からの保護を喪失する占領地住民は、国際法すなわち右規則及びこれと実質的に一体化しているハーグ陸戦条約三条によって直接法的保護を受けうる状況に置かれるのである。

例えば、規則五二条の徴発と同五三条の押収については、私有財産尊重の一般原則と調和させるために、略奪、没収を禁じ、返還、賠償が義務づけられることとなったものである。規則五二条は、略奪に代わる徴発においては「なるべく現金で支払い、それが不可能なときは領収証を発行しなるべく速やかに支払をなすべきこと」を厳格に国際法の上で義務づけており、それは徴発を受ける個人に対してなされることになる。換言すれば、右住民等には現金決済や領収証交付等を直接請求する国際法上の権利が与えられている。規則五三条も前記のとおり禁止された没収に代わる押収であるから、押収者側には被押収者に対する直接の返還、賠償が義務づけられ、これに対応する法的権利が被押収者には存することとなる。

ハーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権は、沿革上、右のようなハーグ陸戦規則における直接的個人的慣習法的性格を離れてはありえず、規則五二条及び五三条は先駆的に住民個人の請求権を法典化している点で、ハーグ陸戦条約三条の解釈上重要な意義を有する。

さらに、ハーグ陸戦条約三条は、起草過程や規定の形式からいって、実質的にはハーグ陸戦規則の一部であり、占領軍構成員と占領地住民間の直接的な権利義務関係を基礎として、被害住民の権利実現を実効性のあるものにするため、占領軍構成員の所属国が直接被害住民に対して責任を負うことを定めたものである。

前記のとおり第二回国際平和会議の第二委員会が採択した案文は、規則にではなく条約の本文そのものに若干の字句の修正を施することとなったが、その理由は盛り込む場所がなかったという技術的理由からであった。それゆえ、ドイツ提案が結果的に条約に規定されたとしても、それはハーグ陸戦規則と同様の直接的性格を引き継いでいるものである。

③ 条約三条における「賠償」の語義

ハーグ陸戦条約三条一文中に用いられている「賠償」(公定訳)の原語であるフランス語indemnitは、もともと民法上の用語として「賠償金」、「補償金」の訳語が当てられ、これに対応する英語compensationは「被害者が不法行為、契約違反等により身体、財産等に被った損害等に対する金銭賠償」を意味するとされている。ちなみに一九〇七年の第二回国際平和会議におけるドイツ代表の新たな二条からなる提案においては、一般概念としての「賠償」にはindemnisationを用い、賠償金を意味するときはindemnitを用いている。すなわち、右提案一条一文における「その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う」とする際の「賠償」及び同条二文における「支払うべき賠償額」にはいずれも賠償金を意味するindemnitを用いていながら、同条二文における「現金による即時の賠償」及び二条の「賠償の問題」における「賠償」にはいずれも一般概念のindemnisationを当てている。

ハーグ陸戦条約三条一文における「賠償」が「賠償金」を意味することは、軍隊構成員の規則違反行為によって被害を受けた個人に対し、その行為者の所属する交戦国が賠償金支払義務を負うか否かの解釈に関連することである。同条が、より一般的な賠償repara-tionという概念でなく、特別に金銭賠償compensationという概念を使用したということは、同条の起草者の念頭には、戦争法規違反によって損害を被ったことにより賠償請求を求める個人犠牲者があったことを示すものである。

また、規則五三条及び五四条は押収物について和平成立時に「之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」と規定しているが、右規則中の「賠償」の原語はindemnitであって、一般概念としての賠償indemnisationではなく、原状回復を意味する「還付」と並列される具体的な賠償金を意味することは明らかである。個人に賠償金請求権を認めていることが明らかな規則五三条及び五四条に用いられている賠償金と同じ用語をハーグ陸戦条約三条が用いていることも、同条が個人に賠償請求権を付与していることを表わしているものである。

④ 条約三条一文と二文との総合的解釈

ハーグ陸戦条約三条一文は「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。」と規定し、同条二文は、「交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。」と規定している。この二文は、監督責任上の故意過失等の交戦国の主観的違法要素を要件としておらず、通常の不法行為責任を拡充した特別の国家責任を規定したものである。すなわち、二文の国家責任原則と一文の賠償責任原則とは解釈上別個独立に扱われるべきではなく、総合的に解釈されるべきであって、ハーグ陸戦条約三条は一文で個人に対し賠償請求権を付与し、二文において右請求権に実効性を与えようとしたものである。

右解釈によれば、ハーグ陸戦条約三条が、軍隊構成員によるハーグ陸戦規則違反の行為に対して、被害者個人の賠償請求権を認めるものであったことは明らかである。

(三) 戦後における条約三条の法理の再確認

一九四九年の「戦時における文民の保護に関するジュネーヴ条約」一五四条は、「千八百九十九年七月二十九日又は千九百七年十月十八日の陸戦の法規及び慣例に関するヘーグ条約によって拘束されている国でこの条約の締約国であるものの間の関係においては、この条約は、それらのへーグ条約に附属する規則の第二款及び第三款を補完するものとする。」と規定し、また、一九七七年六月「武力紛争において適用される国際人道法の再確認と発展に関する外交会議」が採択した第一追加議定書九一条では、「諸条約又はこの議定書に違反した紛争当時国は、必要な場合には、賠償を支払う義務を負う。紛争当事国は、自国の軍隊の一部を構成する者が行ったすべての行為について責任を負う。」と規定している。

このように、被害者個人の賠償請求権を認めるハーグ陸戦条約三条の法理は、戦後も再確認されて発展してきているのである。

(四) 条約三条の法理の国際慣習法性

(1) 法理の一般慣行性と法的確信

ハーグ陸戦条約三条の定める法理は、不法行為理論と使用者責任理論に基づき、一九〇七年当時すでに成立していた国際慣習法を成文化したものであり、この国際慣習法は第二次世界大戦中においてもより強化され存在していた。

右法理は、占領軍と占領地住民との間への不法行為理論と使用者責任理論の適用という自然な法理の適用を表現している点で、占領軍と占領地住民との間との一般的な慣行を法理化するものであった。

右のような一般慣行的な法理は、第二回国際平和会議とその結果たるハーグ陸戦条約三条の条約化、そして日本をはじめとする世界の主要国の加入による効力発生により、国際慣習法たる法的確信に高められたものである。

ハーグ陸戦条約三条の法理は、それが条約化された一九〇七年の時点から、あるいは遅くとも、第二次世界大戦勃発時までには、国際慣習法として、国際法社会の一般慣行及び法的確信として成立していたものである。

(2) 具体的国家実行

右法理を実現する国家実行としては、①第一次世界大戦後にヴェルサイユ条約によって設置された混合仲裁裁判所、②ドイツ連邦共和国ミュンスター行政控訴裁判所での一九五二年四月九日判決、③一九六〇年代初頭のコンゴ紛争における国連の賠償の例、湾岸戦争におけるイラクの責任についての国連安全保障理事会諸決議、旧ユーゴスラビア紛争についての国連総会決議、④国家間一括支払協定、⑤ドイツのボン地方裁判所判決等が挙げられる。

そのなかでも直近の判決例として、一九九七年一一月五日のボン地方裁判所の判決は特筆に値する。事案はアウシュビッツの強制収容所において強制労働を強いられた外国人労働者らが未払賃金の支払を請求したものであるが、右裁判所は、右強制労働につき、原告の人的物的権利を侵害し、またハーグ陸戦条約その他の国際戦争法規に違反するものであるとし、国際戦争法規の義務違反には国家補償が義務付けられるという国際法の一般規則に言及したうえで、原告一名につき請求を認容した。

この他、同盟国及び連合国の国民は、第一次世界大戦後に成立したヴェルサイユ条約により、新たに設置された混合仲裁裁判所に対し、ドイツ政府の行った戦時非常措置又は移転措置によってドイツ領土内で受けた損害について、ドイツ政府を相手として、自国の政府の意思とは全く関係なしに自己の名において、直接に、損害賠償請求の訴えを提起できるものとされた。このような扱いが条約化されたのは、その基底にハーグ陸戦条約三条の法理が一般慣行と法的確信の下に存在していたが故であり、右ヴェルサイユ条約は、そのような戦時賠償の国際慣習の上に立って、条約によって国際的な請求手続機関を設置するものであった。

また、ドイツ連邦共和国のミュンスター行政控訴裁判所は、その一九五二年四月九日の判決において、ハーグ陸戦条約三条を直接適用することにより、英国の占領軍構成員が引き起こした交通事故の被害者に精神的損害や逸失利益を含む損害賠償を認めている。

さらに、各種の戦後処理において、ハーグ陸戦条約三条の法理は、直接同条についての言及がなくても、戦時における個人の被害に対する国家の賠償を命ずる根拠となってきた。そのような事例として、国連が、一九六〇年代初頭のコンゴ紛争におけるベルギー人個人の被害に対し損害賠償を行った例、国連安全保障理事会が、湾岸戦争におけるイラクの責任について、違法な侵攻と占領によって被った個人の損害につきその個人に損害賠償請求権があることを肯定する諸決議を行った例、国連総会が、旧ユーゴスラビア紛争について、国家が人権侵害の責任を負い、「民族浄化」の被害者がその被った損害につき補償を求める権利を持つことは当然のこととして認められる旨の決議をした例等が挙げられる。そして、これらの実行は、最近のものであるとしても、第二次世界大戦勃発後、戦争の法の違反に関する個人の権利を創設した新規の条約はないのであるから、右諸決議は、ハーグ陸戦条約三条が確立した法理原則に由来するものと考えるべきである。

また、戦後の賠償処理は、国家間の一括支払協定でなされることが多いが、その一括支払協定の基礎には、個人の損害賠償請求権の肯定というハーグ陸戦条約三条の法理が存在してきた。すなわち、一括支払協定は、ある問題を解決するために、一方の国が他方の国に一定の金額を支払うという国家間協定であるが、それは国家が直接被った損害の賠償と個人が被った損害の賠償という二つの側面を持つものであり、後者の側面は個人の損害賠償請求権を認めるというハーグ陸戦条約三条の法理が基礎となって実現されてきたものであった。このことは、常設国際司法裁判所が、ホルジョウ工場事件でのドイツのポーランドに対する国家間請求について、「不法行為に対する賠償が、その不法行為の結果として被害国の国民の受けた損害に相当する補償からなりたちうることは国際法の原則である。これは賠償の最も通常の形式でさえある。」として個人の損害賠償請求権が基礎となることを認めつつ、「侵害によって損害を受けた個人の権利または利益は、同じ行為で侵害された国家の権利とはつねに異なる平面にある。」として、二つの相異なる側面を持つことを指摘していることにより確認されるものである。一八七三年のバージニア号事件、一八九一年のバルテイモア号事件、一九〇〇年の義和団事件、一九〇四年の日露戦争の戦後処理、一九三七年のパネー号事件、一九四五年の阿波丸事件等は、直接には国家間の賠償請求であるものの、まさに右に述べたような個人の被害がその請求の主たる根拠とされた事件であり、個人の損害賠償請求権が認められるというハーグ陸戦条約三条の法理が発現したものであった。

(五) 条約三条の法理の適用可能性

(1) 国際法的効力

ハーグ陸戦規則及びハーグ陸戦条約を内容とする国際慣習法は、明治憲法下及び現憲法下で、当然に国内法的効力を持ち、また、特段の立法措置をとることなく日本の裁判所で直接適用可能である。

現憲法下のわが国では、所定の公布手続を了した条約及び国際慣習法(以下「条約等」ともいう。)は、他に特段の立法措置を講ずるまでもなく、当然に国内法的効力を承認されているものと解され、このことは、明治憲法の下でも同様である。また、現憲法の下では九八条二項の解釈により条約等は、法律に優先する効力を持つものと一般に解されているが、明治憲法の下においても、別段の規定がなかったものの、条約等の形式的効力は、法律のそれに勝るものと解されていた。

それゆえ、ハーグ陸戦条約三条の法理は、少なくとも日本が条約を批准公布した一九一二年以降、わが国において、直ちに国内法的効力を有し法律に優先する効力をもって、国家無答責の原則に妨げられることなく、適用が可能となったものである。

(2) 自動執行的性格

右のように日本国内で国内法的効力を持つハーグ陸戦条約三条の法理は、直ちに裁判規範として適用可能な自動執行的性格を有するものであった。

一般に、条約等の国際法規の自動執行的性格の有無は、「条約締結国の具体的な意思」と「規定内容が明確であること」によって判断される。なお、国際慣習法は、不文法たる性格上、その内容は条約に比べて一般的かつ抽象的であるとされるが、ハーグ陸戦条約三条の法理は、すでに同条約に体現しているものであって、成文法である条約の自動執行力の有無の判断と異なるところはない。

右のような基準に照らして、ハーグ陸戦条約三条の法理について検討すれば、まず、右法理を成文化した締約国の意思が、軍隊構成員のハーグ陸戦法規違反行為により被害を受けた個人に、軍隊構成員の所属する交戦国に対する損害賠償請求権を認めるようとするものであったことは、その起草過程から明らかに認めることができる。次に、右法理は、一般的な不法行為の成立要件と使用者責任を軍隊構成員の行為に適用するという点で、単純な法理であるが故に規定の明確性を兼ね備えるものであり、不法行為に関するわが国の民法七〇九条や国家賠償法一条一項等の規定と比較しても単純明快であることが明らかである。

したがって、ハーグ陸戦条約三条は、その締約国の意思においても規定の明確さにおいても、わが国で直ちに裁判規範として適用することが可能な自動執行的な規定である。

(六) 結論

以上の次第で、戦時における軍隊構成員のハーグ陸戦規則違反の行為について、その軍隊構成員の所属国に過失の有無にかかわらず損害賠償義務を負わせ、被害者に損害賠償請求権を認めるというハーグ陸戦条約三条の法理は、それが条約化された一九〇七年の時点から、遅くとも第二次世界大戦勃発時までには、国際慣習法として、国際法社会の一般慣行及び法的確信として成立していたものである。それゆえ、ハーグ陸戦条約三条の法理は日本を含むすべての国を拘束し、第二次世界大戦における日本軍構成員の原告らに対するハーグ陸戦規則違反行為については、同条の法理が適用される。

原告らは、前述(第二、二前提事実、第三、二、1被害事実及び損害額)したように、太平洋戦争中、フィリピンを占領した日本軍の構成員により、強姦、そのための暴行、傷害、監禁等の被害を受けたが、これらは、いずれもハーグ陸戦規則四六条一項が禁ずる行為であった。

よって、原告らは、日本軍構成員の所属する国家である被告に対し、ハーグ陸戦条約三条に成文化された国際慣習法による損害賠償請求権に基づき、日本軍構成員の右規則違反行為によって受けた損害として、各二〇〇〇万円の支払を求める。

3  「人道に対する罪」違反に基づく損害賠償請求権

(一) 「人道に対する罪」の意義

「人道に対する罪」は、殺人、殲滅、奴隷化、追放及び戦争前又は戦争中に犯されたその他の非人道的行為と定義される。「慰安婦」の場合における女性及び女児の誘拐及び組織的強姦は、明らかに、文民である住民に対する非人道的行為であり、人道に対する罪を構成する。「人道に対する罪」という概念は、一九三一年のパリ不戦会議にその萌芽が見られ、第二次世界大戦中に確立された国際慣習法となった。このような新しい戦争犯罪概念は、第二次世界大戦を契機に登場し、戦後の国連の活動を中心とする国際法の展開の中で、単に戦勝国の作りあげた概念というよりも普遍的な概念として、より明確になり、定着した。

ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例六条(c)は、「戦前、または戦時中のすべての一般住民に対する殺人、殲滅、奴隷化、強制的移送その他の非人道的行為」を、極東国際軍事裁判所条例五条(ハ)は、「戦前または戦時中に行われた殺戮、殲滅、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為」を、それぞれ「人道に対する罪」に当たるとしている。国連総会は、「ニュールンベルグ裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議を全会一致で採択し、一九五〇年国際法委員会(ILC)の作成したいわゆるニュールンベルグ諸原則は、(a)平和に対する罪、(b)戦争犯罪、(c)人道に対する罪を国際法上の犯罪として処罰されるもの(第六原則)とした。さらに一九五四年ILCの採択した「人類の平和と安全に対する犯罪の法典案」は、責任を有する個人が処罰されるべき国際法上の犯罪とみなされる「人類の平和と安全に対する罪」の中に、侵略行為やその威嚇、人道に対する罪に相当する行為、戦争の法規および慣例に違反する行為をも列挙している。

「人道に対する罪」違反の行為についての処罰は、長期にわたり関係主要国で裁判、立法等を通じて反復されており、第二次世界大戦の関係国の間で一般慣行が存在していたといえ、また、各国は、人道に対する罪が国際犯罪であるとの観念の下に、右処罰を国際法上の義務として実行してきたものであって、そこには法的確信が存在していたと認められる。

したがって、人道に対する罪により、第二次世界大戦中の個人の行為が処罰されることは、国際慣習法として確立していた。

(二) 「人道に対する罪」違反と損害賠償責任

軍隊構成員の行為は国家に帰属するといえるから、軍隊構成員が人道に対する罪に該当する行為を行った場合は、国家が同罪違反の行為を行ったものといえる。

そして、国家の違法行為が成立し、当該国家の責任が発生した場合、当該国家は、その違法行為によって生じた損害を賠償しなければならないという国家責任に関する国際法上の基本原則があり、これは条文上の明文が無くとも認められる国際法上の原則である。「不正を受けた者は補償を受ける権利がある」という法命題は、普遍的なものであり、およそこの原則なしでは社会生活が考えられないような、時を超えて当てはまる法理である。

あらゆる国際犯罪は、国際違法行為であり、これにより損害賠償責任が発生するから、軍隊構成員が、国際犯罪行為である「人道に対する罪」に違反する行為を行った場合には、その構成員が所属する国家が、被害者に対し、損害賠償責任を負うこととなる。

(三) 「人道に対する罪」の国際法的効力等

「一九九一年一月以降の旧ユーゴスラビア領域内における国際人道法の重大な違反(民間人の殺害・拷問・虐待など)に責任ある者を処罰する」ために、旧ユーゴスラビアに関する国際刑事裁判所を設立した一九九三年五月の国連安全保障理事会決議は、五条で「人道に対する罪」を事項管轄として規定し、その構成要素として、(a)殺人、(b)殲滅、(c)奴隷の状態に置くこと、(d)追放、(e)拘禁、(f)拷問、(g)強かん、(h)政治的、人種的及び宗教的理由による迫害、(i)その他非人道的行為を明示的に列挙している。

このように、「人道に対する罪」に関する法理は、構成要件も刑事処罰規定として十分明確であり、さらに、民事訴訟は処罰を目的とするための厳格さを要請される刑事手続と異なるから、別段の立法を要せず、国内裁判所において、その訴訟手続によって、実体法としての国際法を裁判規範としつつ審理することが可能である。

(四) 結論

以上から、「人道に対する罪」に関する法理は、確立した国際慣習法であり、戦争中に軍隊構成員がこれに該当する行為を行った場合、これにより損害を受けた個人は、その軍隊の所属する国家に対し、直接に損害賠償請求権を行使することができるものである。

日本軍の構成員は、原告らフィリピン人女性に対し、暴行、監禁及び強姦等を行い、軍事的強制力をもって「奴隷的虐使」を加えたものであるから、これらは、明らかに文民である住民に対する著しい非人道的行為であって、「人道に対する罪」を構成する。

よって、原告らは、被告に対し、「人道に対する罪」違反による損害賠償請求権(国際慣習法)に基づき、原告ら各自に生じた損害である各二〇〇〇万円の支払を求める。

4  フィリピン国内法に基づく損害賠償請求権

(一) 法例一一条一項の適用

日本軍構成員による原告らに対する本件各加害行為は、いずれもフィリピン国内で行われたものであり、渉外的要素が含まれているから、わが国の国際私法である法例により適用すべき法律を決定しなければならない。本件加害行為による損害賠償の成否は不法行為の問題であるから、法例一一条一項の「事務管理、不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル」との規定により準拠法を決定することとなる。右の「原因タル事実」である本件各加害行為はいずれもフィリピン国内で行われているので、「原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律」すなわちフィリピン国の法律が準拠法として適用されることになる。

なお、被告は、日本軍の戦争行為に付随する加害行為は、国家の権力的作用であり、きわめて公法的色彩の強い行為であるから、これを私法規定の抵触の問題として一般抵触法規である法例を適用することはできないと主張する。しかしながら、本件各加害行為そのものは軍の正規の権力的作用とは到底言いがたく、また正規の権力的作用の行使のため必要とされる行為でもない。これを国家の権力的作用とみなし、あるいはきわめて公法的色彩が強いとして、保護しようとする必要性はどこにもない。仮に、百歩譲って権力的作用あるいは公法的色彩が強い行為であるとしても、本件各加害行為による不法行為の成否は、明らかに私法的関係である。したがって私法規定の抵触の問題として法例を適用することは何ら問題がない。

また、被告は、国の権力的作用について一般私法である民法の適用が否定される当時の法制度からすれば、渉外的関係に関してのみ法例の規定を通して私法的解決を図ることは予定されていなかったと主張する。しかし、国家無答責とは国内法の適用問題であり、渉外的関係について国際的な視野に立ってそれぞれ内容の異なる関連する各国国内法のうち適用すべき法(準拠法)を決定する国際私法(法例)を採用した以上、法例を適用する以前に日本国内法の適用を当然の前提と考えること自体が国際私法(法例)に違反する。

(二) フィリピン国内法の適用

日本軍による本件各加害行為が発生した当時、フィリピン国内では、スペインの一八八九年制定にかかる「TheCivil Code of Spain」(以下「旧法」という。)が適用されていた。右旧法の一九〇二条では、「行為又は不作為により他人に過失又は怠慢によって損害を生じさせた者はその損害を賠償すべき義務を負う」と定められ、不法行為についての総則的規定が置かれている。同じく一九〇三条四文では、「組織体又は会社の所有者又は長は、雇用されている業務部門に従事している間、あるいはその義務を遂行の際に、その使用人によって引き起こされた損害について同様賠償すべき義務を負う」と、同条七文では、「この条項によって課された責任は、それぞれ規定された者が、損害を防止するため家庭の善良な父としての義務を履行した場合にはこの限りではない」とそれぞれ規定されている。

本件各加害行為は、日本軍の軍務遂行中に行われたものであり、加害行為を行った軍隊構成員はいずれも日本軍に雇用されていたのであり、日本軍は右一九〇三条四文の「組織体又は会社」に該当する。したがって、右加害行為によって引き起こされた損害については、日本軍の「所有者又は長」である日本国、すなわち被告が賠償すべき義務を負うものである。

(三) 法例一一条二項と国家無答責の原則

(1) 法例一一条二項にいう「不法」の解釈

法例は、一一条一項において不法行為地法主義を採用しながら、同条二項において「前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス」と規定し、不法行為の成立について日本の法律による制限を定めており、不法行為地法主義と法廷地法主義の折衷主義を採用している。

ところで、「不法行為」は同条一項及び二項に、「不法」は同条二項及び三項に用いられており、明らかに法例は「不法」と「不法行為」とを区別して用いている。そして、法例は一八九八年(明治三一年)の制定にかかるが、その直近の一八九六年(明治二九年)制定にかかる民法や、一九〇七年(明治四〇年)制定にかかる刑法でも、「不法」の語は「不法行為」とは異なり、現在の違法という意味で用いられている。この点からすと法例制定時も、「不法」は「不法行為」とは区別され、違法という意味で用いられていることが明らかである。

また、法例一一条一項が採用する不法行為地法主義は、行為者と被害者がその責任や危険を予測評価することが容易であること及び不法行為法は社会保護の法であるが故に侵害行為の発生した土地が不法行為の成否に重大な利害関係をもつことなど、いずれもその採用に実質的な理由があるが、同条二項で採用する法廷地法主義は、不法行為の成否が訴訟地の如何によって左右され、法的安定性が確保されなくなるという難点があり、公序概念の不当な拡大であると批判されているから、折衷主義を採用する場合でも、法廷地法主義による制限、すなわち法例一一条二項による制限については合理的に解釈されるべきである。

したがって、法例一一条二項の「不法」は、「不法行為」と同義に解すべきものではなく、違法をさすものと解するのが相当である。すなわち、法例一一条一項は、事務管理、不当利得及び不法行為の三種類の法定債権について規定し、これらはいずれも自己の権利範囲を踰越する不法すなわち客観的違法性を具有するが、その中で不法行為のみがさらに他人の権利を侵犯する故意又は過失という主観的違法性が加重されている。同条二項では、不法行為についてのみ、「不法」につき日本の法律の干渉を認めているが、右のような構造からすれば、同条二項に定められる「不法」とは、主観的違法(故意、過失)に関するもの又は違法性一般に関するものを意味すると解される。法例は、不法行為地法で不法行為とされる行為のうち、日本の法律で違法とされる行為に限ってのみ不法行為の成立を認めようとするものである。

(2) 国家無答責の原則と行為の違法性

国家無答責の原則は、当時の日本の権力的作用による不法行為責任について、民法の適用を解釈により排除する機能を有していた。しかしながら、同原則が通用していた当時においても、国家の私的経済活動においては不法行為責任が認められていたこと及び公権力の行使にあたる官吏についても民法の不法行為法の適用が認められていたこととのバランスからみて、同原則は、国の公権力行使にともなう加害行為を適法とするものではない。また、違法性は、民法にとどまらず、全法的な観点からなされるべきであり、本件のような逮捕監禁罪、強姦罪等に該当しうる加害行為は、これが適法とされることはあり得ないのである。戦前国の公権力の行使に伴う加害行為について不法行為責任が認められなかったのは、違法性がないからではなく、責任の問題によるものである。

(3) 小結論

したがって、本件各加害行為は違法なものであるから、法例一一条二項の「日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキ」には該当せず、法例一一条二項による制限はなく同条一項が適用される。被告主張のように、法例一一条二項を適用のうえ、国家無答責の原則によって、本件各加害行為によって生じる賠償責任の免責を被告に認めることはできない。

(四) 法例一一条三項と消滅時効等

法例一一条三項は、「外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依リテ不法ナルトキト雖モ被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス」と定め、法廷地法主義を採用し、不法行為の効力を「日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分」に制限するものである。

ところで、法例一一条三項の解釈にあたっては、前述のとおり、同条一項が採用する不法行為地法主義の趣旨を損なわないよう、日本の法律による制限を合理的に解釈し、排除していくべきである。同条三項につき日本の法律による制限をどの程度認めるかについては、いろいろな説があるが、右のような趣旨から、日本の法律による制限を狭く解する説、すなわち、同項は、損害賠償の方法だけを制限しているという説を採用すべきであり、時効及び除斥期間については、日本の法律の適用はないと解すべきである。

なお、法文上も、同条三項は、日本の法律が認めた「損害賠償其他ノ処分」でなければ請求できないと規定しているのみであるところ、「損害賠償其他ノ処分」という文言に、時効、除斥期間も含まれると解するのは困難である。

(五) 結論

以上から、被告は、原告らに対し、法例一一条一項によりフィリピン国内法(旧法)に基づいて不法行為責任を負い、その損害賠償をすべき義務がある。

よって、原告らは、被告に対し、フィリピン国内法による損害賠償請求権に基づき、原告ら各自の受けた損害である各二〇〇〇万円の支払を求める。

5  日本の民法に基づく損害賠償請求権

(一) 法例一一条一項による日本の法律の適用

法例一一条一項は、前記のとおり、不法行為の成立及び効力について「其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル」と規定している。本件各加害行為を、これを行った日本軍の構成員を指揮、監督する者の監督義務違反としてみるならば、この監督義務違反は、陸海軍を統帥する天皇(明治憲法一一条)、あるいは天皇に直属する最高の統帥部として設置されていた大本営(最高戦争指導会議)の幕僚らによって日本国内で犯されたものであるといえる。したがって、原因たる事実は日本において発生したものといえるので、法例一一条一項により日本の法律が適用される。

(二) 国家無答責の原則の排除

戦前の日本においては、国家の行為のうち、私的経済活動及び非権力的公行政については民法の不法行為の規定が適用されていたが、権力的作用についてはその適用が認められず、国の不法行為責任が否定されていた(国家無答責の原則ないし法理)。このように明治憲法下のわが国では、国家無答責の法理の適用の範囲は比較的限定されており、同法理は、民法の解釈として機能し、国の権力的作用についてのみ民法の不法行為の適用を排除して国を免責させていた。

しかし、ハーグ陸戦規則四六条違反行為についての被害者個人の損害賠償請求権、占領国家の占領地住民に対する損害賠償義務を認めるハーグ陸戦条約三条等が日本国において国内法的効力を有するに至った結果、これが適用される限度において、右の国家無答責の法理の適用が制約される。すなわち、ハーグ陸戦規則違反行為による日本国の不法行為責任については、ハーグ陸戦条約三条等が適用される結果、条約等の優位性により、国家無答責の法理の適用が排除されるのである。したがって、占領地住民に対する不法行為については、権力的作用の場合であっても民法の不法行為の規定、すなわち民法七〇九条、七一五条が適用されることとなる。

(三) 民法七一五条の適用

本件各加害行為は、太平洋戦争中、日本軍の構成員である将校や兵士によって、占領地たるフィリピンにおいて、軍の任務の遂行中になされたものであるが、前記の幕僚らは、右戦争以前から日本軍の構成員が占領地等において略奪、強姦その他の損害を加えてきた事実を十分に認識していた。したがって、国外で軍に作戦行動を行わせる場合、幕僚らは、日本軍の構成員が占領地住民に対し右のような損害を加えないよう必要な措置を講ずべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠ったばかりか、むしろ軍の構成員のなすがままにまかせ、放任した。そのため、前記のような本件各加害行為が行われ、原告らの損害が発生した。

したがって、右幕僚らの使用者である被告は、民法七一五条によって、原告らの本件各損害を賠償すべき義務がある。

(四) 民法七二四条後段の適用の排除

民法七二四条後段の期間は、除斥期間ではなく、長期の消滅時効期間を定めたものと解すべきである。したがって、右時効の適用を受けるためには、当事者による援用が必要であるところ、被告は、右時効の援用をしていない。よって、民法七一五条による損害賠償請求権について、右消滅時効の適用はない。

なお、民法七二四条後段の期間の性質について、除斥期間を定めたものと解するのが相当である旨の最高裁判決(平成元年一二月二一日判決、民集四三巻一二号二二〇九頁)がある。しかしながら、右期間を長期時効と解しても、同条前段のように起算点に主観的認識を含めないのであるから、そこに時効期間の二重規定の意義を認めることができる。また、長期時効説に立ち二〇年の期間の中断を考えた場合の不都合についても、中断の前提として損害及び加害者を知っているわけであるから、その時から短期の三年間の時効が進行するはずであり、浮動性の排除の点で除斥期間説とそれほどの差異はない。そして、この規定の淵源となったドイツ民法典八五二条においては、三年の短期時効とともに規定されている長期期間は明文上時効であるとされているし、しかもその期間がわが国よりも長い三〇年であり、時効であるが故に、この長い三〇年の期間の中断や停止も当然に前提とされている。さらに、文言上も民法七二四条後段の期間は時効と解するのが素直であり、立法者の意思も右期間は時効と解するものであったこと、除斥期間説は時効説に比して浮動性排除をより達成するかもしれないが、それも程度問題にすぎないこと、公害や労災等の、構造的、潜在的な被害が多発する今日において、除斥期間説による画一的な処理は、いたずらに被害者切捨ての機能を果たすだけであることなどから考えると、民法七二四条後段の期間は、長期の時効を定めたものと解すべきである。

(五) 消滅時効等と信義則違反、権利濫用

仮に、民法七一五条による損害賠償請求権について、被告が同法七二四条の消滅時効の援用を行うとしても、次のような特別の事情を考慮すると、右援用は、信義則違反、権利濫用として許されないというべきである。

また仮に、同法七二四条後段の期間を除斥期間と解しても、除斥期間の適用にも信義則違反及び権利濫用の法理の適用があり、次の特別事情を考慮すると、右期間の適用は、信義則違反、権利濫用として排斥されなければならないものである。

すなわち、フィリピンにおいては、一九五六年の日本とフィリピンとの賠償条約締結後も、長期間、軍事政権が続き、その戒厳令の下で、原告ら個人が本件損害賠償請求権を行使することは不可能な状態であった。また、日本政府は、原告らを含めた個人の損害賠償請求権は右賠償条約で解決済みであると繰り返し主張していた。この個人の損害賠償請求権が右賠償条約により消滅していないことが公式的に認められたのは、一九九一年八月二七日になってからである。このような事情の下では、原告らの権利行使が遅れたことを責めることは妥当ではなく、また、原告らの権利行使が遅れたことにより被告の防御方法が困難になったとは認め難い。

なお、前記最高裁判決は、除斥期間の経過による請求権の消滅について信義則違反又は権利濫用を主張しても、主張自体失当である旨判示したが、除斥期間という性質を根拠に濫用論を一律に排斥すべき論理的必然性はないし、また、除斥期間制度における画一性の要請もそもそも程度問題であり、早期確定が唯一、絶対の基準ではなく、それも正義と信義の枠内での規範的判断に服すべきものである。

(六) 結論

よって、原告らは、被告に対し、日本の民法七〇九条、七一五条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、その損害額である各二〇〇〇万円の支払を求める。

三  争点についての被告の主張

1  被害事実及び損害額

原告ら主張の被害事実はいずれも知らないし、その損害額は争う。

2  国際慣習法に基づく損害賠償請求権

(一) 条約三条の法理の国際慣習法性

(1) 条約三条の解釈

ハーグ陸戦条約三条は、交戦当時国の軍隊構成員によるハーグ陸戦規則違反行為に起因する損害について国家間の賠償責任を規定したものであり、個人が右規定に基づき直接外国に対して賠償又は補償を請求しうることを定めたものではない。

ハーグ陸戦条約三条は、ハーグ陸戦規則の規定に違反した交戦当時国がその損害を賠償する責任を負う旨を規定するものであるが、責任を負うべき相手方やその実現方法に関する定めは一切なく、同条約中には、国家に対する損害賠償請求権を個人に付与することを示唆する規定や文言は全く存在しない。

また、ハーグ陸戦条約が締結され、約九〇年が経過した現在に至るまでの間、同条約三条に基づいて個人に対する損害賠償が実行された例は皆無である。

さらに、同条約の審議経過をみても、個人に生じた損害の救済をいかなる方法で具体化し実現していくかについての記載は、審議記録上見当たらない。

(2) 国際法の性質

国際法は、国家と国家との関係を規律する法であり、条約であれ国際慣習法であれ、第一義的には、国家間の権利義務を定めるものである。このことは、相手国国家から直接被害を受けたのが個人であったとしても、同様である。

したがって、国際法が、個人の生活関係、権利義務を対象とする規定を置いたということから直ちに、個人に国際法上の権利義務が認められたとし、また、これによって個人が直接国際法上何らかの請求の主体となることが認められるものではない。この場合に加害国に国際法上責任を問い得るのは、被害者個人やその遺族ではなく、被害を受けた個人の属する国家であり、当該国家が外交保護権を行使することによって被害者等の救済が図られるのである。

(3) 個人の国際法主体性

個人は、具体的に、条約によって承認された場合あるいは国際機関その他の特別な国際制度による救済手続が存在する場合のみ、国際法上の権利主体となると解すべきである。

国際法上、個人が、その属する国以外の国家に対して権利侵害に対する被害回復を求めてもこれを実現する法制度は存在しない。また、条約その他によって承認されていない場合に、個人が国家に対して直接損害賠償請求ができるとする国際慣習法はない。

(4) 国際慣習法

原告らは、国際法違反行為により被害を受けた個人が加害国の国内裁判所において、加害国に対し、損害賠償を訴求できるとする国際慣習法が成立している旨主張し、ヴェルサイユ条約により混合仲裁裁判所が設置された事例や国際違法行為の結果として国家が他国民の被害を補償した例等多数の事例を挙げている。

しかしながら、原告ら引用の先例等は、いずれも適切でなく、原告ら主張のような国際慣習法の根拠となり得るものではない。個人にかかる請求であっても、これを国際的に提起する資格を持つのは国家であるとの原則は、今日、国際慣習法上も維持されている。

(二) 条約三条の法理の適用可能性

ハーグ陸戦条約中には、原告ら個人の権利に関し、国内法としての直接適用を認めたことを窺わせる規定は全くない。同条約三条は、国家間の賠償責任を定めた規定であって、個人の権利義務を定めた規定ではないから、原告ら主張の法理に関する自動執行性の要件を備えているとはいえないし、国内裁判所による実現が義務づけられている場合にもあたらない。

したがって、同条約の法理が、国内裁判所で適用されることはない。

3  「人道に対する罪」違反に基づく損害賠償請求権

「人道に対する罪」を定めるニュールンベルク国際軍事裁判所条例六条及び極東国際軍事裁判所条例五条は、第二次世界大戦に関連して行われた非人道的行為、迫害行為の行為者個人の刑事責任を明らかにし、これを処罰するために設けられたものであり、各条項の文言上も、違反行為者個人の犯罪構成要件を規定していることは明らかである。すなわち、「人道に対する罪」は、その違反行為について、行為者個人の国際刑事責任を追及するものであって、違反者の所属する国家の民事的な責任を基礎づけ、当該国家に民事責任を負わせようとするものではない。

また、「人道に対する罪」に違反した者をその構成員とする国家が、被害者個人に対し、直接に損害賠償責任を負い、その履行として金銭の支払を行うといった国家間の慣行は存在しない。

したがって、「人道に対する罪」の規定が、本件請求の根拠となり得ないことは明らかである。

4  フィリピン国内法に基づく損害賠償請求権

(一) 法例一一条一項の適用

原告らは、本件各加害行為はフィリピン国内で行われたものであるから、わが国の国際私法である法例一一条一項により、不法行為地法であるフィリピン国内法(旧法)に準拠して被告にに対する損害賠償請求権を有すると主張する。

しかしながら、本件各加害行為についての事実関係に法例が適用される余地はない。原告らが主張する本件各加害行為は、日本軍の戦争行為に付随する行為であり、国家の権力的作用であって、きわめて公法的色彩の強い行為であるから、これを私法規定の抵触の問題として一般抵触法規である法例を適用することはできない。また、右加害行為時の大日本帝国憲法下においては、国又は公共団体の権力的作用について、私法たる民法の適用はないとされ、これに基づく国の損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の原則)から、渉外的関係に関してのみ法例の規定を通して私法的解決を図ることは予定されていなかったものと解される。また、比較法的な観点から各国の実質法を検討しても、本件のような公権力の行使に伴う加害行為に関しては、一般不法行為とは異なる取扱いがされている。

したがって、本件各加害行為は、法例一一条一項にいう「不法行為」概念に包摂されないものと解されるから、法例一一条一項の適用を前提とする原告らの前記主張は失当である。

(二) 法例一一条二項、三項の適用

仮に、本件各加害行為に、原告らの主張するように法例一一条一項の適用があるとすれば、同条二項、三項により、不法行為の成立及び効果の全面にわたって日本の法律が累積適用される。

法例一一条二項は、内国公序の立場から、日本の法律に照らして不法行為でない行為を不法行為として救済を与える必要がないとするものであり、不法行為の成立につき法廷地法である日本の法律の適用があることを定めているものである。

原告らの主張する本件各加害行為はわが国の国家賠償法の制定施行前の行為であり、国家賠償法附則六項が、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めていることから、同法が施行された昭和二二年一〇月二七日の前までの国家の公権力の行使にかかる行為については、前記のとおり、国家無答責の原則が適用され、国は損害賠償責任を負わないとするのがわが国の法制であった。

したがって、本件各加害行為は、法例一一条二項の「外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキ」に該当するから、右加害行為を基礎とする法律関係においては、被告は原告らに対して損害賠償責任を負うことはない。

また、法例一一条三項は、日本の裁判所が日本の法律上不法行為であると認める範囲内においてのみ不法行為による救済に助力するとの趣旨から、不法行為の効力の問題全般について、日本の法律を累積的に適用するものとしている。原告らの主張に係る本件各加害行為は太平洋戦争中の行為であり、本訴提起前に、既に右行為から二〇年が経過しているから、国家賠償法四条、民法七二四条後段により、右不法行為に基づく損害賠償請求権は法律上当然に消滅している。

5  日本の民法に基づく損害賠償請求権

原告らは、本訴各請求の根拠として日本の民法の適用を主張しているが、当時、国の権力的行為については国家無答責の法理により民法の適用がなかったことは、既に述べたとおりである。また、本件各訴えは、前記のとおり、加害行為から二〇年を経過した後に提起されているから、各請求が日本の民法の不法行為に基づくものであるとするのであれば、同法七二四条後段の適用が排除される理由もない。したがって、いずれにしても、原告らの日本の民法に基づく請求は理由がない。

なお、原告らは、ハーグ陸戦条約三条等の国内法的効力によって、国を免責させるような民法の解釈は許されないとし、国家無答責の原則の適用の排除を主張するが、これは、ハーグ陸戦条約三条が個人の損害賠償請求権を認めた国際慣習法を成文化したものであることを前提とし、これに反する国家無答責の法理の適用は制限されるとの趣旨と解されるところ、右条約三条は国家間の賠償責任を定めたものにすぎず、個人の損害賠償請求権を認めた規定でないことは既に述べたとおりである。したがって、右主張は前提において失当である。

第四  当裁判所の判断

原告らは、前記第三、二1のとおり太平洋戦争中、日本軍構成員によって暴行、監禁及び強姦等の著しい被害を被った旨主張する。そして、甲第一〇〇一ないし第一〇四六号証の各号(原告らの各陳述書、写真及び図面等)並びに原告<省略>の各本人尋問の結果の中には、それぞれ右主張にそう部分がある。

しかしながら、本件においては、原告らの主張する損害賠償請求権の存在自体に争いがあるので、まず、これについて以下判断する。

一  国際慣習法に基づく請求について

原告らは、ハーグ陸戦条約三条は、占領軍の軍隊構成員が占領地に住む個人に対してハーグ陸戦規則違反の行為により与えた損害について、当該占領国にその賠償義務を負わせ、被害を受けた個人に直接の損害賠償請求権を認めることを確認したものであるとし、このような法理は、遅くとも、本件各加害行為のあった第二次世界大戦の勃発時までには、国際慣習法として成立していた旨主張する。そこで、原告らが主張するような法理の国際慣習法が当時成立していたか否かについて判断する。

1  国際慣習法の成立要件等

(一) 国際慣習法の成立要件

国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(国際司法裁判所規程三八条一項b)をいうと解されるところ、これが成立するためには、諸国家の行為の積み重ね(国家実行)を通じて一定の国際慣行(一般慣行)が成立していること及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要である。すなわち、国際慣習法は国際法規範の一つであるが、特定の国家実行について、大多数の国家間において、同様の国家実行が反復、継続され、それが、ある程度恒常的で均一の慣行として、広く一般に受け入れられるに至り、主要な国家を含む大多数の国家その他の国際法主体が、当該国家実行を単に礼譲又は慣例としてではなく、国際法上の義務又は権能と認識し確信して行っていることが認められるとき、当該国家実行について国際慣習法が成立しているものと認定することができると解するのが相当である。

(二) 国際法の一般原則

そして、国際法は、国家と他の国家との関係を規律する法であるから、一般に個人が国際法上の法主体性を有するものではなく、国際法が個人の生命、身体、財産等の個人的利益を保護しようとする場合にも、国家に対し個人の権利、利益を侵害してはならないとの義務を課しつつ、その義務の違反行為に対しては、被害を受けた個人の属する国家が外交保護権を行使して被害を与えた他の国家に対しその個人の損害賠償を請求するという方法によって、間接的に被害者の救済を図ることを予定しているものである。したがって、個人がその属する国以外の国家に対し権利侵害による被害回復を直接求めるには、これを認める特別の国際法規範が存在しなければならない。

(三) 条約の解釈方法

ウィーン条約法(条約法に関するウィーン条約)によれば、同条約法三一条一項は、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」とし、同条三項は、「文脈とともに、次のものを考慮する。(a)条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意、(b)条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの、(c)当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則」と、同条約法三二条は、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。(a)前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合、(b)前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」とそれぞれ定めている。

原告らは、ハーグ陸戦条約三条は、個人の直接損害賠償請求権を認める法理の国際慣習法を体現し成文化したものである旨主張するので、以下、右のウィーン条約法三一条、三二条の解釈方法が、第二次世界大戦当時における条約及び国際慣習法の解釈方法でもあるとして、ハーグ陸戦条約の準備作業及び条約の締結の際の事情(起草過程等)に依拠しながら、同条約三条を文脈により用語の通常の意味に従って解釈することとする。

2  条約三条の意義

(一) 条約及び規則の文言

「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(ハーグ陸戦条約)及び同条約附属書の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」(ハーグ陸戦規則)によれば、ハーグ陸戦条約は、一九〇七年一〇月一八日、ハーグで署名され、一九一一年一二月一三日、日本国がその批准書を寄託し、その後六〇日経過した後に日本国に対して効力を発生したものであり、同条約前文二段には、「締約国ノ所見ニ依レハ、右条規ハ、軍事上ノ必要ノ許ス限、努メテ戦争ノ惨害ヲ軽減スルノ希望ヲ以テ定メラレタルモノニシテ、交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ、交戦者ノ行動ノ一般ノ準繩タルヘキモノトス。」と定められ、同条約一条には、「締約国ハ、其ノ陸軍軍隊ニ対シ、本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシ。」と、同条約三条には、「前記規則(同条約附属書の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」)ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。」とそれぞれ定められている。さらに、右規則一条には、「戦争ノ法規及権利義務ハ、単ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス、左ノ条件ヲ具備スル民兵及義勇団ニモ亦之ヲ適用ス。……」と規定され、同規則の第三款表題には「敵国ノ領土ニ於ケル軍ノ権力」とあり、同規則の第三款四三条には、「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。」、同四六条一項には、「家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ、之ヲ尊重スヘシ。」同条二項には、「私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ス。」、同四七条には、「掠奪ハ、之ヲ厳禁ス。」、同五二条一項前段には、「現品徴発及課役ハ、占領軍ノ需要ノ為ニスルニ非サレハ、市区町村又ハ住民ニ対シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。」、同五三条一項には、「一地方ヲ占領シタル軍ハ、国ノ所有ニ属スル現金、基金及有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及糧秣其ノ他総テ作戦動作ニ供スルコトヲ得ヘキ国有動産ノ外、之ヲ押収スルコトヲ得ス。」、同条二項には、「海上法ニ依リ支配セラルル場合ヲ除クノ外、陸上、海上及空中ニ於テ報道ノ伝送又ハ人若ハ物ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関、貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ、私人ニ属スルモノト雖、之ヲ押収スルコトヲ得。但シ、平和克復ニ至リ、之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」、同五四条には、「占領地ト中立地トヲ連結スル海底電線ハ、絶対的ノ必要アル場合ニ非サレハ、之ヲ押収シ又ハ破壊スルコトヲ得ス。右電線ハ、平和克復ニ至リ之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」とそれぞれ規定されている。

(二) 条約三条の解釈

右のハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則の各規定等をその文脈により用語の通常の意味に従って解釈すれば、ハーグ陸戦規則は、陸戦において遵守すべき交戦者の行為規範として、交戦国の軍隊及びその構成員に対し、直接課された規則であり、同規則が軍隊構成員個々に課され、あるいは占領軍と占領地住民との間に適用されることを念頭に置いて規定されていたこと、また、ハーグ陸戦条約一条及び三条は、右規則を陸軍軍隊に遵守させるため、締約国に対し、右規則に適合する訓令を発することを要求し、さらに、その遵守を確実にするために、交戦当事者となった国家に対し、その軍隊構成員による一切のハーグ陸戦規則違反行為によって生じた損害について賠償責任を課していることがそれぞれ認められる。

このようなハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則の規定の趣旨に鑑みれば、同条約三条に規定された賠償責任は、軍隊及びその構成員にハーグ陸戦規則を遵守させる目的の下に、その効果を高めるため、右規則違反の行為を行った軍隊及びその構成員の所属する交戦国に対する制裁として定められた国家責任を意味するものであり、それ以上に、右規則違反行為によって被害を被った個人に対し、交戦国に対する直接の損害賠償請求権を与えることまでを定めたものではないと解すべきである。

そして、前述のような国際法の一般原則、すなわち、国際法は国家と国家の関係を規律する法であり、それが条約であっても国際慣習法であっても、国家間の権利義務を定めるものであるとの一般原則や、ハーグ陸戦条約二条に「本条約の適用」として「規則及本条約ノ規定ハ、交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限、締約国間ニノミ之ヲ適用ス。」と定められていること、さらに、同条約三条には、国家が責任を負うべき相手方が個人であることやその実現方法が個人に対する直接の損害賠償であることに関する規定が全く存在しないことなどに鑑みると、ハーグ陸戦条約三条が交戦国に対する民事上の制裁として定めた国家の損害賠償責任は、ハーグ陸戦規則違反行為を行った軍隊構成員の所属する国家が、その違反行為により被害を被った個人の所属する国家に対して負うべき国家間の賠償責任であり、それ以上に、同条が、被害者個人に対し、国際法上の実体的な損害賠償講求権とこれを実現するための国際法上の手続的な請求権を付与しているとはいえないと解するのが相当である。

この点、原告らは、民法七〇九条や国の不法行為責任を定めた国家賠償法一条一項も賠償義務等にしか言及していないにもかかわらず、被害者の損害賠償請求権が前提として当然認められているからハーグ陸戦条約三条についても被害者個人の損害賠償請求権が認められるべきである旨主張するが、民法や国家賠償法は国内法としてその法主体性を認められたものの間で当然に適用されるのに対し、ハーグ陸戦条約は国際法として締約国間にのみ適用されるものであることなど、国内法上の権利関係と国際法上のそれは本来様々な点において異なるものであるから、右主張をたやすく採用することはできない。

また、原告らは、ハーグ陸戦条約三条は実質的にハーグ陸戦規則の一部であり、同規則は占領軍構成員と占領地住民の間に直接適用される交戦法規であるから、右条約三条は被害者個人の損害賠償請求権を認めていると主張する。しかしながら、前述のように、右規則は、あくまで軍隊及びその構成員に対し陸戦において遵守すべき行動規範を示したものであり、右条約三条は右規範に違反した占領軍構成員の所属する占領国に対する制裁としての国家責任を定めたものであるから、右規則が占領軍構成員と占領地住民の間の関係を規律することになるからといって、直ちに右条約三条が被害者個人の占領国に対する直接の損害賠償請求権を認めているとまで解することはできない。

さらに、原告らは、ハーグ陸戦条約三条一文には、ハーグ陸戦規則五三条、五四条と同様に、「賠償金」を意味する「賠償」という文言が用いられており、一般概念としての「賠償」ではないから、やはり、同条約三条において賠償を求めることが予定されていたのは被害を受けた個人である旨主張する。しかしながら、たとえ、ハーグ陸戦条約三条にいう交戦当事国の負う責任が賠償金の支払義務を意味するものであるとしても、そのことから直ちに、被害を受けた個人に交戦当事国に対する直接の損害賠償請求権があるとまで解することはできない。

(三) 小結論

右のとおりであり、ハーグ陸戦条約三条の文言をその文脈により用語の通常の意味に従って解釈すれば、同条が、損害を被った個人に、加害国に対する直接の損害賠償請求権を有することを認めたものと解することはできない。したがって、同条が原告ら主張の法理の国際慣習法を成文化しているとも認められない。

3  条約三条の起草過程

原告らは、ハーグ陸戦条約三条の起草過程には、被害者個人の請求権を認めるとの各国の意思が表れており、同条は、占領地の被害者個人の占領国家に対する直接の損害賠償請求権を認めるとの法理の国際慣習法を体現しこれを成文化したものである旨主張する。

(一) 各国代表の提案等

(1) 甲第一一号証、第二二号証、乙第四号証、第五号証及び弁論の全趣旨によれば、ハーグ陸戦条約三条の起草過程は次のとおりであったことが認められる。

ハーグ陸戦条約三条については、第二回国際平和会議の全体会合及び第二委員会で話し合いがなされたが、ここでは一八九九年のハーグ陸戦規則の条文の修正案について、ドイツ代表から新たな提案があった。それは、ハーグ陸戦規則の違反に対する賠償についてのものであり、次のとおりであった。

第一条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害を賠償する責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。

現金による即時の賠償が予定されていない場合において、交戦当事者が生じさせた損害及び支払うべき賠償額を決定することが、当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは、右決定を延期することができる。

第二条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは、賠償の問題は、和平の締結時に解決するものとする。

右提案は、ハーグ陸戦規則の諸規定に、制裁条項を加えることを目指すものであり、各国軍隊構成員にハーグ陸戦規則を遵守させるためには、訓令違反を理由とする軍事刑罰法規による処罰だけでは不十分であることを指摘した上で、右規則違反行為による損害に対する新たな国家責任の考え方を同規則の中に導入することを目指すものであった。

ドイツ提案の原則について各国代表の反対はなかったが、同提案が交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けている点について議論が行われ、①権利の侵害がある点は同じであり、両者を同一に扱うべきである、②特に交戦国の者については、和平のときに解決されるとするだけで、彼らにいかなる権利も認めないのは相当ではない、との批判が出された。これについて、ドイツ代表は、交戦国の者と中立国の者との権利に差異を設ける意図は全くなく、提案した文案は、賠償の支払方法を規定する以上のものではない旨表明した。その結果、同委員会は、ドイツの前記修正案の第一条、第二条をまとめて「本規則の条項に違反する交戦当事者は、損害が生じたときは、損害賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為につきその責任を負う。」(以下「第二修正案」という。)と規定することを異論なく決定し、これが総会において採択された場合には、それをどの場所に盛り込むかの判断を起草委員会に委ねることとした。

総会は、「第二修正案」を全会一致で採択した。これを受け、起草委員会は「第二修正案」の置き場所について、軍隊に対する指令を定めた同規則には盛り込む場所がなかったため、同規則ではなく、条約の本文に置くべきであるとして三条として盛り込むことを決定した。総会は、右の経緯で新設されたハーグ陸戦条約三条を含む最終議定書を全会一致で採択した。

(2) そして、甲第一一号証、第二二号証、乙第四号証、第五号証、証人フリッツ・カルスホーベンの証言及び弁論の全趣旨によれば、ハーグ陸戦条約三条の起草過程において、各国代表の以下の発言等があったことが認められる。

第二回国際平和会議第二委員会第一小委員会において、議長は、前記ドイツの提案に関して、「現在の規定に欠けている制裁条項を加えようという大変興味深いこの提案は、二つの部分からなっている。第一は中立の者に関する部分であり、ある交戦当事国の軍隊を組成する者により中立の者に対し生ぜしめられた損害はその者に対して賠償して然るべしとしている。そこには権利があり義務があるが、交戦相手側の者に対して生ぜしめられた損害については、如何なる権利も規定されていない。単に、交戦相手側の者に関する賠償の問題は、和平達成時に解決されるべきである旨述べられているのみである。」と発言していた。

ドイツ代表は、前記提案につき、「故意によるか又は過失によるかを問わず、違法行為により他者の権利を侵害した者は、それにより生じた損害を賠償する義務を右他者に対し負うとの私法の原則は、万民法の、現在議論している分野においても妥当する。しかし、国家はその管理、監督の過失が立証されない限り責任を負わないという過失責任の法理によることとするのでは不十分である。このような法理を採ると政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから、同規則の違反により損害を受けた者が政府に対して賠償を請求することができないし、有責の士官又は兵卒に対し賠償請求をすべきであるとしても、多くの場合は賠償を得ることができないであろう。したがって、我々は、軍隊を組成する者が行った規則違反による一切の不法行為責任は、その者の属する(軍隊を保有する)国の政府が負うべきであると考える。」と説明した。

ロシア代表は、「我々は、先程この会議に提案を行った際、戦時における平和市民の利益を念頭に置いていたが、ドイツ提案はその同じ利益に合致するものであると考える。我々の提案は、一八九九年条約の実施にあたりこれら市民に課せられる苦痛を和らげることを目指すものであった。ドイツ提案は、この条約の違反によりこれら市民に対し生ずる損害を想定したものである。これら二つの提案の根底にある懸念は正当なものであり、それ自体として国際的合意の対象となって然るべきであると考える。」と述べた。

フランス代表は、「多くの場合、国際的規則の違反が、賠償されて然るべき深刻な損害を個人に対し生ぜしめることは、確かである。しかし、提案された文案は、規則違反として規定されていない場合には、国際規則に違反しても、惹起された損害を賠償する責任は全く生じないというように反対に解釈される危険がある。」と述べた。

スイス代表は、次のとおり、ドイツ代表の提案に賛成であると述べた。「ドイツ提案の内容そのものについては、これが中立の者に許し難い特権を与えるというのは誤りである。この提案が提示している原則は、損害を受けた全ての個人に対し、敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず、適用可能である。これら二つのカテゴリーの被害者、即ち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は、賠償の支払に関するものであり、この点に関する両者間の違いは、物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払は、責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり、また、平和な関係を維持しており、両国はあらゆるケースで容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため、大抵の場合、即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は、戦争という一事により、交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが、交戦国同士の間での賠償の支払は、和平を達してからでなければ決定し実施することはできないであろう。」

イギリス代表も「第一条が中立の者に対し、受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ、第二条では、交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。したがって交戦相手側の者にとっては、賠償は、平和条約に盛り込まれる条件次第、交戦国間の交渉の結果としての条件次第ということになる。私は、陸戦の法規慣例違反の被害者に対し交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく、英国は如何なる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。」と発言していた。

(二) 提案等の意味

右のような起草過程における各国代表の発言によれば、原告らが主張するように、ハーグ陸戦規則違反行為の被害者個人に対し交戦国に対する損害賠償請求権を与えることも念頭において議論がなされていたととれなくもない。

しかし、右発言の中にも、ハーグ陸戦規則違反行為によって被害を被った個人が、交戦当事者である国家に対し、直接に損害賠償請求権を行使できることを肯定し、確認する旨の明らかな発言はなかったし、個人に生じた損害の救済につき、いかなる方法でこれを具体化し実現していくかについての発言も全くなかったことが認められる。前記起草過程においてドイツ代表及び各国代表が意図していたのは、ハーグ陸戦規則に違反する行為を軍隊構成員が行った場合、その構成員が所属する国家は、たとえその国家が直接命令を下していない場合でも、被害者の被った損害について国家として責任を負うという、国家責任の肯定である。そして、右国家責任の結果として、被害を被った個人が、自国の外交保護権の行使等により、間接的に交戦国家から損害賠償を受けうるとしても、そのことから直ちに、個人が直接に右国家に対し損害賠償請求権を行使することができるとまではいえないのであり、各国代表の意見の中にも、ハーグ陸戦条約三条が、被害者個人に対し交戦国家に対する直接の損害賠償請求権を与えるものであるとまで想定した明らかな発言は見当らない。

(三) 小結論

したがって、前記のとおり、条文の文言上、ハーグ陸戦条約三条が、個人に直接の損害賠償請求権を認めていると解することができないばかりでなく、その起草過程を検討してみても、同条が、ハーグ陸戦規則違反行為によって被害を被った個人が、交戦当事者である国家に対し、直接の損害賠償請求権を有することを認めているものと解することはできない。

4  戦後における条約三条の法理の再確認等

(一) ジュネーヴ条約、追加議定書

原告らは、原告らの主張するハーグ陸戦条約三条の法理は戦後再確認され発展してきたと主張し、その根拠として、一九四九年の戦時における文民の保護に関するジュネーヴ条約一五四条や、一九七七年六月「武力紛争において適用される国際人道法の再確認と発展に関する外交会議」が採択した第一追加議定書九一条等を挙げている。

この点、甲第一号証、第一一号証、第二〇号証、乙第八号証、証人フリッツ・カルスホーベンの証言及び弁論の全趣旨によれば、一九四九年八月一二日、ジュネーヴで署名され、日本国が一九五三年一〇月二一日に加入した「戦時における文民の保護に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(第四条約)」一五四条は、「千八百九十九年七月二十九日又は千九百七年十月十八日の陸戦の法規及び慣例に関するヘーグ条約によって拘束されている国でこの条約の締約国であるものの間の関係においては、この条約は、それらのヘーグ条約に附属する規則の第二款及び第三款を補完するものとする。」と規定していたこと、国際的武力紛争の犠牲者の保護に関し、一九七七年六月「武力紛争において適用される国際人道法の再確認と発展に関する外交会議」が採択した、一九四九年八月一二日のジュネーヴ諸条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書(追加議定書Ⅰ)の九一条(責任)には、「諸条約又はこの議定書に違反した紛争当事国は、必要な場合には、賠償を支払う義務を負う。紛争当事国は、自国の軍隊の一部を構成する者が行ったすべての行為について責任を負う。」と定められていることがそれぞれ認められる。

これらによれば、右ジュネーヴ条約は、ハーグ陸戦規則の第二款及び第三款の補完を意図しており、また、右議定書九一条は、ハーグ陸戦条約三条と同様に、交戦当事国の賠償義務等を規定していることがそれぞれ認められるが、これらは、ハーグ陸戦規則ないしハーグ陸戦条約の条文の内容そのものを確認したにすぎないものであって、それ以上に原告ら主張の、被害者個人が直接に交戦当事国に対し損害賠償請求権を有するという法理まで確認しているとは認められない。

(二) 国家実行

また、原告らは、原告ら主張のハーグ陸戦条約三条の法理は、次に掲げるような事例によって、戦後再確認され発展してきており、これがハーグ陸戦条約三条についての原告らの前記解釈を補強するものである旨主張する。

しかしながら、次のとおり、原告ら主張の具体的事例を検討してみても、ハーグ陸戦条約が締結されて以来現在に至るまで、同条約三条あるいはそれによって確認される国際慣習法に基づいて、原告らが主張するような法理を実現する国家実行、すなわち、ハーグ陸戦規則違反の行為によって被害を被った個人が、交戦国に対し、直接に損害賠償請求権を行使し、右国家がその義務を履行して賠償金を支払ったという国家実行が行われた事例が存在するとは認められない。

したがって、この点からも、原告らが主張するような法理が、ハーグ陸戦条約三条に成文化され、あるいは、国際法上の一般慣行として成立し、法的確信として存在して、国際慣習法となっていたと認めることはできない。

(1) 混合仲裁裁判所

甲第八号証、第一四号証の一、第一七号証、乙第五号証及び弁論の全趣旨によれば、混合仲裁裁判所とは、第一次世界大戦後に成立したヴェルサイユ条約で、同盟国及び連合国の国民が、ドイツ政府の行った戦時非常措置又は移転措置の適用によってドイツ領土内にあったその財産、権利又は利益に関して受けた損害について、ドイツ政府を相手として直接に損害賠償請求の訴えを、自国の政府の意思とは全く関係なしに自己の名において提起できるとされた国際裁判所であり、同条約とほぼ同時に他の敗戦国について締結されたサン・ジェルマン条約、トリアノン条約、ローザンヌ条約、ヌイ条約にも右裁判所を設置する同旨の規定があることが認められる。これらの各事例は、戦争時の被害者個人に対する国家の直接の損害賠償義務が実行されたものであるといえる。

しかしながら、右裁判所は、国家間において締結された具体的な条約によって設置された特別な裁判機関であり、個々の戦勝国とドイツとの間に一つずつ設置される臨時特設の裁判所である。また、損害賠償の対象となったのは、ドイツ政府のとった戦時非常措置又は移転措置の適用によってドイツ領土内にあった財産、権利又は利益に関する損害に限られ、ドイツの戦争遂行から生じた一切の損害を包含するものではなかった。そして損害賠償請求権を有するのは、同盟国及び連合国の国民に限られ、敗戦国の国民には出訴権が認められていない。これらを考慮すると、右の裁判所が設置されたからといって、原告ら主張の法理が国家間で恒常的な慣行とされており、あるいは国家間で法的確信をもって受け入れられていたとまではいえない。

(2) ミュンスター行政控訴裁判所の判決

甲第二二号証、第五三号証及び弁論の全趣旨によれば、ドイツ連邦共和国ミュンスター行政控訴裁判所は、第二次世界大戦後の一九五二年四月九日、ドイツ国民が、英国に占領されていた時代に、英国占領軍構成員の起こした交通事故により被った損害の賠償を求めた事案で、占領規則に基づきドイツ行政府側にその支払を命じたが、その判決において、「原告の損害賠償請求は、国内公法のみから導かれるものではなく、国際法からも導かれる。一九〇七年ハーグ規則(ハーグ陸戦条約)三条により、国家はすべての行為に責任がある。文民の人々の保護の利益のために選ばれた三条の広い文言によれば、損害を発生させた者の側の過失は責任の必要条件ではない。それゆえ、三条が占領者にその軍隊構成員が行った行為に関し絶対的な責任を認めることは、国際法の法理についての争いのない原則である。この国際法が与える絶対的責任の枠組みによって、国家は損害賠償を支払う義務を負う。」、「我々は、ハーグ規則が現在の占領下ドイツに完全に適用されるかどうかという問題を決める必要はない。いずれにしろ、ハーグ規則の土台を作り、文明国の統一した見解や実践のもとに発展しそれゆえ国際法のルールとなった国際慣習法が、利益の状況と衡量が交戦国による占領の場合と同じだという限度で、適用可能なものである。この見解は、いずれにせよ占領権力による損害の絶対的賠償に関する限り、占領権力と共有され、それゆえ法律や命令の解釈の基礎を形作るものである。」と判示したことが認められる。

しかしながら、右事例は、被害を受けた個人が、占領軍の政府ではなく、自国の政府に対して損害賠償を求めたものであり、また、右判示によって確認されているのはハーグ陸戦条約三条によって認められた国家の責任のみである。したがって、これらは、原告らの主張する法理、すなわち、占領下の被害者個人による占領国を相手とする直接の損害賠償請求の実行とは認められない。

(3) 国連の賠償の例等

甲第一号証、第一一号証、第一五号証、第二二号証、第二三号証、証人フリッツ・カルスホーベンの証言及び弁論の全趣旨によれば、(a)一九六〇年代初頭、コンゴにおいて内乱が発生した際、国連平和維持活動として同国内に進駐した国連軍が同国内のベルギー人ら個人に対して損害を及ぼしたことがあったが、国連は、この行為を戦争法規に違反するものであるとして、右被害者らが国連から損害賠償を受ける権利を有することを認め、右ベルギー人の被害者らに対し直接に損害賠償を行ったこと、(b)一九九〇年から一九九一年にかけて発生したいわゆるクウェート紛争に関して、国連安全保障理事会は、国連憲章二五条により法的拘束力を有する決議六八七号(一九九一年)一六項において、「イラクによる違法なクウェート侵攻、および占領の結果生じた環境に関わる損害および天然資源の消失を含む外国の政府、国民および企業に対するいかなる直接の損失、損害または被害についても、同国が国際法上責任を負う」ことを再確認し、補償請求を審理するための補償委員会の設置を定めたこと、補償委員会設置に関する事務総長報告は、「補償委員会は、一般原則として、各国政府が政府自身又はその国民あるいは法人に代わって申し立てた併合請求のみを取り扱う」、「個別請求の申立を許した場合補償委員会は数万請求を処理しなければならなくなり、その処理に一〇年以上もの歳月を要するだけでなく、少額請求者に不利益となるような、請求申立における不平等をもたらすであろう。」としていたこと、補償委員会理事会決定は、戦争の法の違反行為の犠牲者である文民個人の請求権を認知し、同委員会は、捕虜の取り扱いに関する戦争の法の諸規則に違反した取り扱いを受けた捕虜軍人の個人請求権を明示的に認めたこと、(c)さらに、一九九一年以後の旧ユーゴスラビア紛争の際、国連総会は、一九九四年一二月二三日、その決議において「現在の紛争の状況において、かかる行為(国際人道法の重大な違反)を犯した者は、それに対して責任を負う……」、「国家は、人権侵害の責任を負う」、「『民族浄化』の被害者が、被った損害に対して補償を得る権利を認め」としていたことがそれぞれ認められる。

右各事例によれば、国連軍から被害を被った個人が国連から損害の賠償を受けたこと、湾岸戦争におけるイラクの国家としての賠償責任が国連安全保障理事会によって明らかにされたこと、「人道に対する罪」の違反行為の被害者がその損害について補償を得る権利を有するとされたことなどが認められるものの、それ以上に、ハーグ陸戦規則違反行為の被害者個人が、加害国に対し、直接に損害賠償を請求できるという原告ら主張の法理が、本件各加害行為当時、国家間で実行され、法的確信に至り、国際慣習法として成立しており、それが戦後再確認されたとまで認めることはできない。また、このことは、右イラクの責任に関する国連事務総長報告等が、個人の補償請求権を認めていたことを考慮しても同様であり、やはり、一般慣行及び法的確信を認めうるものではない。

(4) 国家間一括支払協定

甲第一九号証、証人フリッツ・カルスホーベンの証言及び弁論の全趣旨によれば、いわゆるホルジョウ工場事件(一九二二年五月一五日にポーランドとドイツとの間で締結されたジュネーヴ条約によって、ポーランドが、ドイツ人及びドイツ人の経営する会社の財産、権利及び利益を収用することができないと定められていた地域内にあるホルジョウの窒素工場を収用した事案)に関するドイツのポーランドに対する国家間請求において、常設国際司法裁判所(一九二八年九月一三日)は、「窒素会社の受けた損害に基づく賠償の請求は直接に会杜の損害の補償のためであるか、ジュネーヴ条約の違反にもとづくドイツの損害の賠償のためであるか。ポーランドは、ドイツが最初に前者を主張し、後に後者を主張したから請求の目的を変更したことになるとして争った。しかし、ドイツの請求の目的はジュネーヴ条約の当事国として受けた損害の賠償を得ることにある。不法行為に対する賠償が、その不法行為の結果として被害国の国民の受けた損害に相当する補償からなりたちうることは国際法の原則である。これは賠償の最も通常の形式でさえある。一つの国家が他の国家に対して支払うべき賠償は、それが私人の受けた損害を計算の手段とする補償の形式をとるという事実によって、性質を変更するものではない。賠償を規律する法規は、当該二国間で効力を有する国際法の法規であって、不法行為をおこなった国と損害を受けた個人との関係を規律する法ではない。侵害によって損害を受けた個人の権利または利益は、同じ行為で侵害された国家の権利とはつねに異なる平面にある。したがって、私人の受けた損害は国家の受ける損害とは性質において同じではなく、前者は国家に支払わるべき賠償の金額の計算のための便宜的尺度を提供するにすぎない。裁判所は原告が訴訟目的を変更したとは考えない。」旨述べていることなどが認められる。

右事例に代表されるような国家間の一括支払協定は、一面で戦争によって被害を被った個人の損害の解消を目的としているものの、あくまで国家から国家に対する金員の支払請求であり、被害者個人の損害額を計算根拠として相手国に対する賠償額が算定されても、そこから直ちに右個人の損害賠償請求権が認められることにはならないことを示している。したがって、これが原告ら主張の法理を再確認する事例であるとは認められない。

(5) ドイツのボン地方裁判所判決

甲第五四号証及び弁論の全趣旨によれば、一九九七年一一月五日、ドイツのボン地方裁判所は、アウシュビッツの強制収容所において強制労働を強いられた外国人労働者らがドイツに対し未払賃金の支払を請求した事件に関し、右強制労働は原告の人的物的権利を侵害し、またハーグ陸戦条約その他の国際戦争法規に違反するものであり、ドイツ帝国公務員の責任に関する法律が定める相互主義は国際法の一般規則に反するとしてこれを適用せず、国際戦争法規の義務違反には国家補償が義務付けられるという国際法の一般規則に言及したうえで原告一名につき請求を認容する判決を行ったことが認められる。

右判決理由は、原告らの主張を根拠付けるものであることは認められるが、しかしながら、右判決一例のみをもってしては、いまだ原告らが主張する法理が、本件各加害行為当時、国家間で実行され、法的に確信されたとまでは認められない。

(6) その他

原告らは、原告ら主張の法理は、右各事例において損害賠償の算定及び請求の基礎として発現しているなどとも主張するが、この原告らの主張を考慮に入れても、やはり、前述の各事例に対する判断に変わりはない。

以上の他に、国際違法行為によって被害を受けた個人が、その属する国家の外交保護権によらずに、自ら直接に加害国家に対して損害賠償等の国際法上の義務の履行を求め、これに応じて加害国家が右個人に対して直接に賠償責任を果たした事例を認めるに足りる資料はない。

5  結論

以上のとおりであり、ハーグ陸戦条約三条の文言、条約起草過程における各国代表の提案内容、先例及び国家実行等について子細に検討してみても、原告らが被害を被ったと主張する第二次世界大戦当時、占領軍の軍隊構成員が占領地に住む個人に対しハーグ陸戦規則違反の行為により被害を与えた場合に、被害者個人が、その軍隊の所属する国家に対し、直接の損害賠償請求権を有するとの法理を内容とする国際慣習法がハーグ陸戦条約三条に成文化されていたとは認められない。また、この他に、本件全記録を精査してみても、原告ら主張の右法理が国際的慣行(一般慣行)として成立し、かつ、それを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在していたと認めることはできず、原告らの主張する国際慣習法の成立は認められない。

したがって、国際慣習法に基づく原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

二  「人道に対する罪」違反に基づく請求について

1  「人道に対する罪」

原告らは、軍隊構成員が「人道に対する罪」に該当する行為を行った場合、その軍隊の所属する国家が同罪違反の行為を行ったものとして被害者個人に対しその損害を賠償しなければならないということは、第二次世界大戦当時から確立した国際慣習法であり、本件各加害行為が「人道に対する罪」に該当することは明らかであるから、被告は原告らに対し損害賠償責任を負う旨主張する。

そして、甲第八号証、第一四号証の一、第一五号証、弁論の全趣旨及び当裁判所に顕著な事実によれば、以下の事実が認められる。

(一) ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例

「人道に対する罪」という概念は、一九三一年のパリ不戦会議にその萌芽が見られた。その後、一九四五年八月にロンドンで調印された国際軍事裁判所設置に関する協定は、ナチスの戦争犯罪を裁くための国際軍事裁判所(いわゆるニュールンベルグ国際軍事裁判所)を設置することを定め、同協定に付随するニュールンベルグ国際軍事裁判所条例六条は、軍事裁判の訴因として、(a)平和に対する罪、(b)戦時犯罪、(c)人道に対する罪及びこれらに対する共同謀議への関与を挙げ、初めて「人道に対する罪」を明文化した。すなわち同条は、「第一条記述の欧州枢軸諸国主要戦争犯罪人の審理及び処刑のための協定にもとづき設置された裁判所は、欧州枢軸諸国のために、個人たると組織の構成員たるとを問わず、次の犯罪の何れかをなした者を審理し処刑する権限を有する。次の諸行為若しくはその何れか一つの行為は裁判所の管轄権に属する犯罪であって、これに対しては個人的責任が存する。(a)平和に対する罪……(b)戦時犯罪……(c)人道に対する罪 即ち犯行のなされた国家の、国内法を侵犯したか、否かに拘わらず、本裁判所の管轄内にある、何れかの犯罪の遂行にあたり、又は、これに関連して戦前及び戦争中一般人民に対してなされた謀殺、掃滅、奴隷化、強制移送、及び、その他の非人道的行為、若しくは政治的・人種的・宗教的理由に基く迫害」等と規定している。また、同年に開かれたニュールンベルグ国際軍事法廷は、ハーグ陸戦規則中の人道に関する規則を「全ての文明国により承認され、戦争法規慣習を明言するものとみなされていた」と判断していた。

(二) 極東国際軍事裁判所条例

また、極東国際軍事裁判所の設置を規定している極東国際軍事裁判所条例の五条(人並びに犯罪に関する管轄)は、「本裁判所は、平和に対する罪を包含せる犯罪に付個人として又は団体構成員として訴追せられたる極東戦争犯罪人を審理し、処罰するの権限を有す。左に掲ぐる一又は数個の行為は、個人責任あるものとし、本裁判所の管轄に属する犯罪とす。」として、「(イ)平和に対する罪……(ロ)通例の戦争犯罪……(ハ)人道に対する罪、即ち、戦前又は戦時中為されたる殺戮、殲滅、奴隷的虐使、追放其の他の非人道的行為、若は政治的又は人種的理由に基く迫害行為であつて犯行地の国内法違反たると否とを問はず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に関連して為されたるもの。」と規定する。

(三) その他

連合国ドイツ管理理事会法第一〇第二条(c)は、非人道的行為をいくつか列挙し、「人道に対する罪とは一般住民に対してなされた謀殺、殲滅、奴隷化、強制移送、投獄、拷問、強姦その他非人道的な行為を包含するがこれに限定されることはない。」としている。

そして、国連総会は、「ニュールンベルグ裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議を全会一致で採択し、一九五〇年国際法委員会(ILC)の作成したいわゆるニュールンベルグ諸原則は、(a)平和に対する罪、(b)戦争犯罪、(c)人道に対する罪を国際法上の犯罪として処罰されるもの(第六原則)とした。

さらに一九五四年ILCの採択した「人類の平和と安全に対する犯罪の法典案」は、責任を有する個人が処罰されるべき国際法上の犯罪とみなされる「人類の平和と安全に対する罪」の中に、侵略行為やその威嚇(二条(1)、(2))などと並べて、人道に対する罪に相当する行為(二条(11)、(5))をも列挙している。

また、一九九一年一月以降の旧ユーゴスラビア領域内における国際人道法の重大な違反(民間人の殺害、拷問、虐待等)に責任ある者を処罰するために、旧ユーゴスラビアに関する国際刑事裁判所を設立した一九九三年五月の国連安全保障理事会決議は、五条で「人道に対する罪」を事項管轄として規定し、その構成要素として、(a)殺人、(b)殲滅、(c)奴隷の状態に置くこと、(d)追放、(e)拘禁、(f)拷問、(g)強かん、(h)政治的、人種的及び宗教的理由による迫害、(i)その他非人道的行為を明示的に列挙している。

2  「人道に対する罪」違反と損害賠償責任

右によれば、人道に対する罪とは、戦前及び戦争中一般人民に対してなされた謀殺、掃滅、奴隷化、強制移送及びその他の非人道的行為若しくは政治的、人種的、宗教的理由に基づく迫害をいうものと解されるが、ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判所条例等が定められた趣旨は、第二次世界大戦等において非人道的行為等を行った行為者個人の刑事責任を明らかにし、これを処罰するためであったこと、前述のようにニュールンベルグ国際軍事裁判所条例六条及び極東国際軍事裁判所条例五条が「人道に対する罪」として規定しているのは、明らかに違反行為者個人の犯罪構成要件であること、近代の法体系においては民事責任と刑事責任が峻別されていることなどに鑑みると、「人道に対する罪」に該当する行為が敢行されたということは、違反行為者個人の国際刑事責任を追及するための構成要件該当性が具備されたというにすぎず、その違反行為者個人の所属する国家の民事責任を基礎付けるものとまではいえないと解すべきである。したがって、右国際軍事裁判所条例の規定等によって、違反行為者の所属する国家が被害者個人に対し直接に民事上の損害賠償責任を負うという原告らの主張を直ちに理由付けることはできないし、ほかに右賠償責任の根拠とするに足りる事情の存在は認められない。

そして、前記のとおり、国際慣習法が成立するためには、諸国家の行為の積み重ねを通じて一定の国際的慣行が成立していること及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念が存在することが必要であるが、本件全記録を検討してみても、「人道に対する罪」に該当する行為を行った者の所属する国家が、右違反行為によって被害を受けた個人に対し、直接損害賠償責任を負い、賠償金を支払うという国際的な慣行が成立していることを認めるに足りる資料は全くない。

3  結論

したがって、右国際慣習法が成立していたことを前提とする、「人道に対する罪」違反による民事上の損害賠償請求権に基づく原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

三  フィリピン国内法に基づく請求について

1  法例一一条一項及びフィリピン国内法の適用

原告らは、本件各加害行為はフィリピン国内で行われているから、不法行為の成立に関する準拠法を定める法例一一条一項により、「其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律」すなわちフィリピン国の法律が準拠法として適用される結果、本件各加害行為が発生した当時フィリピン国内で適用されていた旧法一九〇二条及び一九〇三条四文等によって、被告に不法行為責任が生ずると主張する。

しかしながら、法例一一条は、渉外的関係について私法規定の抵触がある場合に、その準拠法を定める規定であるところ、後記のとおり、原告らが主張する本件各加害行為は、国家の権力的作用に付随するきわめて公法的色彩の強い行為であって、当時のわが国の法制度の下においては、国の権力的作用について一般私法の適用はないとされていたから、私法規定の抵触があるとして法例を適用することには大きな疑問がある。

また、右のように、当時のわが国の法制下では、国の権力的作用については、私法である民法の適用がなく、私法の損害賠償責任の領域に属しないものであったことに照らすと、原告ら主張の本件各加害行為が、私法規定の抵触を規律する目的を有する法例一一条の「不法行為」という概念に包摂されることについても疑問なしとしない。

さらに、原告らの主張する本件各加害行為について、フィリピン国内法である旧法が適用されるとしても、旧法がフィリピン国の主権の効力の及ばない外国国家である日本国の不法行為の成立やその損害賠償責任をも規定しているとは到底認め難い。

2  法例一一条二項と国家無答責の原則

(一) 法例一一条二項の解釈

加えて、仮に、原告らの主張するように、原告らに対する本件各加害行為がフィリピン国内で行われたと認められ、法例一一条一項によって、不法行為地であるフィリピンの国内法(旧法)が適用され、それによって日本国の不法行為の成立する余地があるとしても、法例一一条二項によれば、当該行為が「日本ノ法律ニ依」り「不法」でなければならない。

法例一一条二項は、不法行為に関する法が国内の公益秩序の維持に関する法であることなどから、日本の法律によれば不法行為とはならない行為については、これを不法行為と認めてその救済を図る必要がないことを定めた趣旨と解するのが相当である。したがって、同条項は、不法行為地法と日本の法律との累積的適用を認めたものであり、両国の法の要件をともに備えなければ不法行為が成立しないとしたものであると解すべきである。

この点、原告らは、法例一一条二項による制限すなわち法廷地法主義による制限については、同条一項が採用する不法行為地法主義の趣旨を制限しないよう合理的に解されるべきであるとして、同条二項の「不法」は違法、すなわち、主観的違法(故意、過失)に関するものないし違法性一般に関するものを意味すると主張するが、同条項は、右のとおり、不法行為地法と日本の法律との累積的適用を認め、いわゆる折衷主義を採用しているものと解すべきであるから、原告らの右主張は採用できない。

(二) 国家無答責の原則

(1) 国家無答責の原則の採用

昭和二二年に制定施行された現行の国家賠償法は、憲法一七条の規定を受けて、公務員の不法行為により他人に加えた損害について国又は公共団体が賠償責任を負う旨規定しているが、同法附則六項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めている。そして、右法律施行前である本件各加害行為があったとされる太平洋戦争当時のわが国においては、いわゆる国家無答責の原則が採用され、国又は公共団体の権力的作用について、私法たる民法の適用がなく、これに基づく国の損害賠償責任はないとされていた。

第二次世界大戦以前の日本の法制度の状況を見ると、明治二三年六月三〇日行政裁判法が公布されたが、その一六条には「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定されており、これにより、行政裁判所に国家の賠償責任を求める訴訟を提起することはできなかった。

また、明治二三年制定の旧民法に関するボアソナード草案では、公権力の行使の場合と私的経済活動の場合を区別することなく、民法を適用して国の責任を認めようとしていたが、結局、旧民法三七三条から、国家賠償責任に関する字句が削除された。したがって、行政裁判法と旧民法が公布された明治二三年の時点で、国家の権力的作用に属する違法な行為がなされた場合に、国家の賠償責任を認める法令は存在しなかった。

そして、行政裁判所と異なり、訴訟法上は国家責任訴訟の提起が明示的に否定されていなかった司法裁判所も、国又は公共団体の経営にかかる非権力的性質の事業に関し、当該機関が事業の執行につき第三者に加えた損害については、事業主として国又は公共団体が民法七一五条により賠償の責に任ずべきことを認めていたが、権力的作用に基づく損害については、特別の規定がない限り、私法の不法行為法の規定は適用されないとして、国又は公共団体の賠償責任を否定していた(大審院昭和一六年二月二七日判決、民集二〇巻二号一一八頁参照)。

このようにして、わが国では、公権力行使についての国家無答責の原則が確立されたといわれている。

(2) 国家賠償法の制定

戦後、日本国憲法一七条により「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と権利保障されたことから、国又は公共団体が、私法公法の分野を問わず、公務員の不法行為について賠償責任を負うことが明らかにされた。これにより、民法の規定だけでは不十分となったので、昭和二二年、国家賠償法が制定施行された。

このように、権力的作用についても、国の賠償責任が認められるに至ったのは、日本国憲法一七条の規定に基づき、国家賠償法が制定施行された以後のことである。

(3) 民法の適用の排除

右のように、わが国では、国家賠償法制定施行前の国又は公共団体の権力的作用による不法行為責任について、民法の適用が解釈により排除され、いわゆる国家無答責の原則が採用されていた。そして、原告らの主張する本件各加害行為は、その態様等に照らせば、日本国の軍隊による戦争行為に付随する加害行為であり、国家の権力的作用に付随する行為ないしきわめて公法的色彩の強い行為であるということができる。

そうすると、本件各加害行為の存在が認められたとしても、これには、国家無答責の原則が採用されるため民法の適用が排除され、結局、不法行為に基づく被告の損害賠償責任は否定されるというべきである。また、右の他に、国家の権力的作用に付随する行為ないしきわめて公法的色彩の強い行為について被告の損害賠償責任を認める法令上の根拠は何ら存しない。

(三) 小結論

よって、原告らの主張する本件各加害行為は、仮にこれが認められ、法例一一条一項により、フィリピン国内法において不法行為であると解されたとしても、国家賠償法制定前である右行為当時の日本の法律においては、国家無答責の原則により、不法行為として成立しないものである。したがって、法例一一条二項により結局、原告らの請求は認められない。

3  法例一一条三項と民法七二四条後段

(一) 法例一一条三項の解釈

また、仮に、原告らの主張するように、原告らに対する本件各加害行為がフィリピン国内で行われたと認められ、法例一一条一項によって不法行為地であるフィリピンの国内法が適用され、それによって不法行為の成立が認められ、かつ右侵害行為が法例一一条二項により日本の法律によっても不法行為であると評価されたとしても、同条三項は、「外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依リテ不法ナルトキト雖モ被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス」として、「損害賠償其他ノ処分」につき、日本の法律の適用を認めている。

同条項は、前述の同条二項と同様の趣旨から、不法行為に基づく損害賠償の方法及び程度に関しても、不法行為地法と日本の法律の累積的適用を認めているものであり、不法行為の効力に関して全面的に日本の法律による制限を認めたものと解するのが相当である。なお、法文上も、「日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス」との趣旨は、損害賠償等不法行為の効果の発生の態様のみならず、効果の制限に関する時効、除斥期間等についても日本の法律による制限を及ぼそうというものであると解することができる。

この点、原告らは、法例一一条三項は、損害賠償の方法だけを制限しているもので、時効及び除斥期間について日本の法律の適用を認めるものではない旨主張するが、採用できない。

したがって、仮に本件各加害行為が存在し、これが法例一一条一項、二項によって、フィリピンの旧法及び日本の民法において不法行為と評価されたとしても、その効力に関しては全面的に日本の法律による制限を受けるから、日本の民法の消滅時効等の規定が適用されることとなる。

(二) 民法七二四条後段

日本の民法七二四条後段の規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。なぜなら、同条がその前段で三年の短期の時効について規定し、更に同条後段で二〇年の長期の時効を規定していると解することは、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨にそわず、むしろ同条前段の三年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが、同条後段の二〇年の期間は被害者側の認識いかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。そして、裁判所は、除斥期間の右のような性質に鑑み、請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても、右期間の経過により請求権が消滅したものと判断すべきである(最高裁判所平成元年一二月二一日判決、民集四三巻一二号二二〇九頁参照)。

したがって、原告らの主張する本件各加害行為が不法行為と認められるとしても、本件訴訟は、右行為時である太平洋戦争の終結から二〇年以上を経過した平成五年四月二日(同年(ワ)第五九六六号事件)及び同年九月二〇日(同年(ワ)第一七五七五号事件)にそれぞれ提起されたことが明らかであるから、原告らの主張するフィリピン国内法に基づく損害賠償請求権は、民法七二四条後段の除斥期間の経過により消滅したものというべきである。

4  結論

よって、フィリピン国内法に基づく原告らの請求は、いずれにしても、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  日本の民法に基づく請求について

1  国家無答責の原則

原告らは、本件各加害行為を行った日本軍の構成員を指揮、監督する者の監督義務違反を主張し、この監督義務違反が、陸海軍を統帥する天皇あるいは天皇に直属する最高の統帥部として設置されていた大本営(最高戦争指導会議)の幕僚らによって日本国内で犯されたものであり、被告がその使用者責任を負うとして、法例一一条一項により、原因たる事実の発生した地である日本の法律が適用される旨主張する。

原告らの右主張を、天皇あるいは幕僚らによる戦争指導、作戦行動過程における監督義務違反の不法行為によって本件各加害行為が発生したとの主張と解し、仮に、そのような監督義務違反の行為が認められ、これが日本国内で犯されたとして、法例一一条一項により日本の法律である民法七〇九条、七一五条が準拠法になるとしても、天皇が幕僚らの右戦争指導等の行為は、明らかに国家の統治権行使ないしはこれに準ずるものであり、国家の権力的作用ないしきわめて公法的色彩の強い行為であるといえる。したがって、前記三2の判断と同様に、国家賠償法制定前のわが国においては、国家無答責の原則により、民法の規定の適用が排除され、被告は、損害賠償責任を負わないこととなると解すべきである。

原告らは、被害者個人の損害賠償請求権を認めるハーグ陸戦条約三条等が日本国において国内法的効力を有するに至った結果、これが適用される限度において、右の国家無答責の原則の適用が制約され、本件各加害行為については、国家の権力的作用に属する場合であっても民法の不法行為の規定が適用される旨主張するが、右条約三条等によっても、被害者個人の占領国家に対する直接の損害賠償請求権が認められないことは、前記説示のとおりであるから、原告らの主張は、その前提を欠き採用できない。

2  民法七二四条後段

さらに、仮に、原告らが主張するように、天皇あるいは幕僚らの監督義務違反の不法行為が認められて日本の民法が適用され、国家無答責の原則の適用がなかったとしても、前記三3の判断と同様に、本件各加害行為及び右監督義務違反は太平洋戦争中に行われたものであり、本件訴訟は太平洋戦争終結時から二〇年以上経過した後に提起されたことが明らかであるから、民法七二四条後段により、原告らの主張する損害賠償請求権は、除斥期間の経過によって消滅したものと認められる。

前述のように、民法七二四条後段の期間は長期の時効を定めたものであり当事者による援用が必要であるとする原告らの主張は、採用できない。

また、原告らは、仮に、民法七二四条後段の期間を除斥期間と解するとしても、原告らの所属する国家であるフィリピンの政治体制、同国と被告国との間の賠償条約の締結、同条約に対する被告国の見解等の影響により、原告らの本件損害賠償請求が遅れたものであり、その遅延はやむを得ないものであること、また、それにより被告の防御方法が困難になったとは認め難いことなどの諸事情に鑑みると、原告らの本件請求につき右期間を適用することは、信義則違反又は権利濫用に当たり、許されない旨主張する。

しかしながら、裁判所は、二〇年の期間の経過により権利消滅の効果が法律上画一的に生ずるとの除斥期間の性質にかんがみ、請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても、右期間の経過により請求権が消滅したものと判断すべきであり、したがって、信義則違反又は権利濫用の法理を適用する余地はないと解すべきである(前記最高裁判所平成元年一二月二一判決参照)から、原告らの右主張は主張自体失当であって採用できない。

なお、この他に、本件記録にあらわれた全事情を検討してみても、民法七二四条後段の効果を制限すべき特段の事情は認められない。

3  結論

よって、原告らの日本の民法に基づく請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がない。

五  総括

以上のとおりであり、原告らの本訴各請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これらを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官市川賴明 裁判官岩井直幸 裁判官田中敦は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官市川賴明)

別紙被害事実等目録<省略>

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