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東京地方裁判所 平成5年(ワ)18230号 判決 1994年12月02日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

一  請求原因1ないし4の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、被告の抗弁について検討することとする。

1  被告は、ベガスとの原告との間の裁判上の和解の意思表示は両者が通謀していた虚偽の意思表示であるから無効であると主張するが、本件全証拠によつても、右主張事実を認めるに足る証拠はない。

2  《証拠略》によれば、本件転貸借の賃料は、毎月末日限り翌月分を支払う約定であること、被告はベガスに対し、平成四年八月分の賃料を同年七月末日までに支払つたことが認められるから、本件仮差押え当時、同月分の賃料は右支払により既に消滅したものというべきである。

3  次に、被告は、本件建物の所有者であるケーイーから明渡を求められたことによる賃料支払の拒絶を主張する。

(一)  《証拠略》によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 被告は、ベガスから本件建物を転借し、昭和六三年一一月二六日ころからパチンコ遊技場を営んでいた。

(2) ベガスは、本件転貸借に基づく平成四年三月分からの賃料を支払わなくなつたので、ケーイーは、同年八月六日付けの書面により、ベガスに対し、同年三月分から同年八月分の賃料合計二四〇〇万円を支払うよう催告し、右書面到達後一五日以内に支払がないときは、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(3) ベガスは、右催告にもかかわらずケーイーの請求に応じなかつたため、ケーイーは、同月下旬、被告に来社を求め、同社の事務所において、被告の従業員長嶺音吉に対し、右ベガスの賃料不払いの事実を告げたうえ、被告がケーイーに保証金と賃料を支払うのであれば、直接賃貸借契約を締結してもいいが、被告がこれに応じないのなら、本件建物を明け渡すよう求めたところ、長嶺音吉は、社内で検討する旨述べるにとどまつた。

(4) そうするうち、被告は、同月二六日本件仮差押決定の送達を受けたので、同年九月二日、ケーイーに対し、右仮差押えにより同社に賃料を支払えなくなつたとして、ケーイーの右申出を断つたところ、ケーイーから、同日、電話で本件建物を明け渡すよう求められた。

(5) 被告はその後も本件建物において、同年九月分以降の転借料を支払わずにパチンコ遊技場を営み、ベガスもケーイーに対し賃料を支払わなかつた。被告は、ケーイーとの間において本件建物を直接賃借する交渉を続けたが、その条件が折り合わなかつたので、ケーイーは、同年一一月一〇日、再度ベガスに対し、同年三月分から同年一一月分までの未払賃料の催告し、催告後一〇日以内に支払わないときは、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、被告に対しても、同日、本件建物を明け渡すよう求めた。ベガスは、右催告期間内に賃料を支払わなかつた。そこで、ケーイーは、ベガス及び被告に対し、本件賃貸借契約は同年一一月一〇日の解除の意思表示により終了したとして、本件建物の明渡と同年一二月一日以降明渡済みまで一か月につき四〇〇万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める訴訟を提起し、平成五年六月二八日、ケーイー勝訴の判決が言い渡され、そのころ、同判決は確定した。

(6) 被告は、同年八月一六日、ベガスに対し、債務不履行を理由に本件転貸借契約を解除する旨の意思表示をし、同月二〇日、ケーイーとの間において、本件建物の賃貸借契約を締結した。

(二)  ところで、建物賃借人は、賃借建物に対する権利に基づき自己に対して明渡しを請求することができる第三者からその明渡しを求められた場合には、それ以後、賃料の支払を拒絶することができるものと解すべきである(最高裁昭和五〇年四月二五日第二小法廷判決・民集二九巻四号五五六頁)。

本件についてこれをみると、前示認定の事実によれば、ベガスは、本件賃貸借に基づく平成四年三月分からの賃料を支払わなくなつたので、ケーイーは、同年八月六日付けの書面により、ベガスに対し、同年三月分から同年八月分の賃料合計二四〇〇万円の支払を催告し、右書面到達後一五日以内に支払がないときは、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたが、ベガスは、右催告にもかかわらずケーイーの請求に応じなかつたため、ケーイーは、同月下旬、被告に対し、被告がケーイーに保証金と賃料を支払わなければ、本件建物を明け渡すよう求めたのであるから、被告がベガスに対し、本件賃貸借契約解除によつて本件建物の所有権に基づき明渡を請求することができるケーイーから右明渡を求められたものと認めることができる。したがつて、被告はベガスに対し、それ以後、すなわち本件転貸借に基づく同年九月分以降の賃料の支払を拒絶することができ、その後に右賃料を差し押さえた原告に対しても、その支払を拒絶することができるものというべきである。

(三)  原告は、被告がケーイーから明渡を求められた以後も本件建物を現実に使用収益しているから、その期間の賃料については支払を拒絶することはできない旨主張する。

しかし、賃貸人は賃借人に対し目的物を使用収益させる義務があるところ、賃貸借における賃貸人の右義務は、単に目的物を事実上使用可能の状態におくことだけにとどまらず、その使用によつて賃借人が第三者に対し不当利得返還義務あるいは不法行為による損害賠償義務を負うことがないようにすることをも含むものと解すべきであつて、被告は、同年八月下旬、本件建物の所有権者であるケーイーから直接賃料の支払を求められ、その後同社から賃料相当損害金の支払を求める訴訟を提起されていることは、前示認定のとおりであるから、被告は、同年八月下旬当時において、ケーイーから権利を主張された結果、同社から不当利得返還あるいは不法行為による損害賠償請求を受ける客観的な危険があつたものであり、転貸人であるベガスの右義務が履行されないおそれが生じていた以上、本件建物を事実上使用収益したとしても、右使用期間中の賃料支払を拒絶することができるものというべきである。

ケーイーが被告らに対する訴訟において、ベガスとの本件賃貸借契約の解除の時点を平成四年一一月二〇日と主張し、同年一二月一日からの賃料相当損害金の支払を求めたにすぎないにしても、このことは、前示認定の状況に照らすと、被告が同年八月下旬当時において、ケーイーから不当利得返還請求あるいは不法行為による損害賠償請求を受ける客観的な危険があつたと認めるにつき、妨げとなるものではない。

(四)  そうすると、被告は、原告の差押えに係る資料につき、平成四年八月一日から本件転貸借契約が解除された平成五年八月一六日までの分の支払を拒絶することができ、その額は原告の請求額を超えることが明らかであるから、被告の右抗弁は理由がある。

3(一)  さらに、《証拠略》によれば、被告は、本件転貸借に際し、ベガスに対して、本件保証金七〇〇〇万円を交付し、両者の間において、ベガスは被告に対し、被告が本件転貸借契約終了により明け渡した日から九〇日以内に、延滞賃料又は被告の責任による損害金があるときは、これを差し引いた残額を返還する、解約時点の賃料の三か月分を本件保証金より償却する旨の約定がなされたこと、被告は本件転貸借契約解除後、同月二〇日、ケーイーとの間において、直接本件建物の賃貸借契約を締結したことが認められる。

(二)  右認定の事実によれば、本件保証金は敷金と認めるべきであるところ、建物の賃貸借における敷金は、賃貸借終了後建物明渡義務履行までに生ずる延滞賃料・賃料相当損害金その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を担保するものであり、敷金返還請求権は、賃貸借終了後建物明渡完了の時においてそれまでに生じた右被担保債権を控除しなお残額がある場合に、その残額につき具体的に発生し(最高裁昭和四八年二月二日第二小法廷判決・民集二七巻一号八〇頁)、賃貸借終了による建物明渡時において、右被担保債権があるときは、改めて相殺などの意思表示を要することなく、敷金によつて右債務の弁済に当然充当(差引計算)され、右充分された限度において、債務は消滅するものと解すべきである(大審院昭和一〇年二月一二日判決・民集一四巻三号二〇四頁参照)。

(三)  本件においてこれをみると、被告は、平成五年八月一六日、ベガスに対し、本件転貸借契約を解除する旨の意思表示をした後、同月二〇日、ケーイーとの間において、直接本件建物の賃貸借契約を締結したのであるから、被告は、ベガスとの関係では遅くとも同月二〇日本件建物を明け渡したものというべきであり、被告のベガスに対する本件保証金返還請求権は同日発生するが、被告はベガスに対し、平成四年九月分から平成五年八月二〇日までの本件転貸借に基づく賃料につき未払の状態にあつたのであるから、右賃料債務は本件保証金により当然充当される結果、被告の相殺の意思表示を持たずに、右充当された限度で消滅に帰したものというべきである。

原告は、本件保証金返還請求権は、本件仮差押え又は本件差押後に取得されたものというべきであるから、民法五一一条により、被告は原告に対し、差押えにかかる賃料債権につき、右保証金返還請求権による相殺をもつて対抗することはできない旨主張するが、右賃料債権は、被告の相殺の意思表示により消滅するものではなく、本件保証金との充当の結果消滅するのであつて、賃料債務消滅の結果は相殺と同様であつても、本件保証金の右のような性質上、右効果は原告が賃料債権を差し押さえることにより左右されるものではないと解すべきであるから、原告の主張は採用することができない。

したがつて、原告主張の賃料債権は、右説示のとおり消滅に帰したものというべきであるから、この点からも、原告の本訴請求は理由がないものである。

三  以上のとおり、原告の本訴請求は失当として棄却すべきものというべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 長野益三)

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