大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)23770号 判決 1995年9月27日

原告

三宮壽彦

ほか一名

甲事件被告

西里力

ほか一名

乙事件被告

日動火災海上保険株式会社

主文

一  甲事件被告らは、連帯して、原告三宮壽彦及び同三宮ハル子に対し、それぞれ一三七〇万九六八二円及びこれらの各金員に対する平成四年八月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件被告は、原告三宮壽彦及び同三宮ハル子に対し、それぞれ一三七〇万九六八二円及びこれらの各金員に対する平成五年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを九分し、その二を甲事件被告らの、その三を乙事件被告の、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  甲事件被告らは、連帯して、原告三宮壽彦及び同三宮ハル子に対し、それぞれ二三〇五万二三五〇円及びこれらの各金員に対する平成四年八月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件被告は、原告三宮壽彦及び同三宮ハル子に対し、それぞれ一五〇〇万円及びこれらの各金員に対する平成五年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実等

1  事故の発生

(一) 日時 平成四年八月二五日午後一一時一〇分

(二) 場所 東京都清瀬市中里六―五一五先道路(以下「本件道路」という。)上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車<1> 自家用普通貨物自動車

運転者 甲事件被告西里力(以下「被告西里」という。)

保有者 甲事件被告有限会社大野工業(以下「被告大野」という。)

(以下、加害車<1>を「西里車」という。)

(四) 加害車<2> 自家用軽貨物自動車

保有者 大和地正夫(以下「大和地」という。)

(以下、加害車<2>を「大和地車」という。)

(五) 被害者 三宮智裕(以下「智裕」という。)

(六) 被害車 足踏式自転車 運転者 智裕

(七) 事故態様 智裕は、片側一車線の本件道路を柳瀬川通り方面から旭ケ丘方面に向けて被害車を運転して走行し、同じ車線の左側に駐車していた大和地車の右側を通過したところ、同車の右前方において、智裕が反対方向から走行してきた西里車と衝突した(なお、衝突地点については以下のとおり争いがある。)。衝突部位は、智裕の顔面と西里車の前部バンパー右端部である。

2  本件事故の結果

本件事故によつて、智裕は頭部外傷、脳挫傷により死亡した。

3  原告らの相続

原告らは智裕の両親であり、智裕の権利義務を承継した(甲三)。

4  損害の填補

原告らは、西里車の自賠責保険金として三〇〇〇万円を受領した。

5  自賠責保険契約の存在

乙事件被告は、本件事故当時、大和地との間で、大和地車を被保険車とする自賠責保険契約を締結していた。

6  原告らの被害者請求

原告らの乙事件被告に対する被害者請求の意思表示は遅くとも平成五年六月七日には到達した。

二  争点

1  甲事件被告らの責任

(一) 原告らの主張

(1) 智裕は被害車を運転して本件道路の柳瀬川方面から旭ケ丘方面に向かう車線(以下「智裕車線」という。)の左側を走行していたが、智裕車線の左側に大和地車が駐車していたので、これを避けるために道路中央寄りに進路変更した。しかしながら、西里車が、反対方向から先行車を追い越そうと中央線を越えて時速七〇キロメートルで走行してきたために、智裕は、智裕車線内において西里車と正面衝突した。

(2) 被告西里については、本件道路が右側はみ出し通行禁止であるのにこれに違反していること、時速三〇キロメートルの速度制限に違反していること、前方の対向車線の状況等の前方の交通状況を注視していなかつたこと、急制動措置ないしハンドル操作等の安全運転上の適切な措置をとらなかつたことにつき運転上の注意義務懈怠がある。

(二) 甲事件被告らの主張

(1) 西里車は前方走行中の車両を追い越す機会をうかがつて本件道路中央線寄りを時速四〇キロメートルで走行していたところ、対向車線を走行してきた被害車が大和地車に接触して右側に転倒したために、智裕が西里車の進行車線(以下「西里車線」という。)に飛び出し、西里車と衝突したものである。

(2) 被害車が右側に転倒して智裕が反対車線に飛び出してくることについて被告西里が予見することは不可能であるし、制限速度を超過していたことは本件事故と因果関係がない。

2  乙事件被告の責任

(一) 原告らの主張

本件事故現場付近は駐車禁止であるにもかかわらず、大和地は、本件事故現場近くの本件道路左寄りに駐車灯等の後方車両に対する危険告知のための措置を講じることなく長時間にわたつて大和地車を駐車させ、後方からの車両の進行を妨げる状態を作出しており、本件事故の引き金となつた被害車の進路変更を余儀無くさせた点で相当因果関係がある。

したがつて、大和地は、その運行によつて発生させた本件事故について損害賠償責任がある。

(二) 乙事件被告の主張

大和地車の右側の道幅は自転車が通行するには十分余裕があり、適切な速度で灯火を点けて走行していれば、大和地車の右側を通過することには何ら困難はなく、本件事故と大和地車の駐車との間には相当因果関係はない。

3  智裕の過失

(一) 甲、乙事件被告らの主張

智裕は、本件道路の本件事故現場手前からの下り坂をかなりの速度で、夜間であるにもかかわらず無灯火の状態で、かつ近視であるのに眼鏡をかけることなく走行していたために駐車車両の発見が遅れ、大和地車の右側を安全に通過することができなかつた。したがつて、本件事故の発生につき智裕にも過失があるから、損害額の算定に当たつて過失相殺すべきである。

(二) 原告らの認否

争う。

4  原告らの損害額

(一) 逸失利益(智裕分) 四八二三万〇六〇〇円

智裕は昭和四六年一〇月二八日生の専門学校卒の青年であるところ、逸失利益の算定に当たつては、賃金センサス平成三年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・前年齢平均の年間収入である五三三万六一〇〇円を基礎収入とし、生活費控除率五〇パーセント、四八年間のライプニツツ係数を一八・〇七七一として計算すべきである。

(二) 死亡慰謝料(智裕分) 一八〇〇万円

(三) 原告ら固有の慰謝料 各二〇〇万円

(四) 葬祭費用(原告ら負担) 一八七万四一〇〇円

(五) 弁護士費用 四〇〇万円

第三当裁判所の判断

一  本件事故の態様

1  乙一の1ないし46、二ないし四、七、八の1、2、九、一〇、丙一の1ないし3、二、原告三宮壽彦(以下「原告壽彦」という。)、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故現場の状況

片側一車線の本件道路は、柳瀬川通り方面から旭ケ丘方面に向かう智裕車線の幅員が三・二〇メートル、反対車線の西里車線のそれが三・一〇メートル(計六・三〇メートル)のアスフアルト舗装された道路であり、その脇には、智裕車線側には幅員三・五〇メートルの遊歩道が、西里車線側には同一・五メートルの歩道がそれぞれ設置されている。本件事故当日は晴天であり、路面は乾燥していた。

本件事故現場付近の本件道路は直線であるが、智裕の進行方向から見て柳瀬川通り方面から本件事故現場手前付近までは一〇〇分の七の角度の下り坂となつており、本件道路と本件事故現場手前の金山橋方面への道路との交差点付近までは大きく左方にカーブした形状となつている。下り坂の程度については、本件道路を自転車に乗つて通勤に利用している吉田智也は、急な坂道であり、そのため、本件事故時には下り坂をかなりの速度で走行していた旨供述している。本件事故現場の中央線は黄色である。

本件事故現場付近で視界を妨げる障害物はないが、照明設備は西里車線側の道路脇に、地上八メートルの高さの四〇〇ワツトの水銀灯が二六メートルから四〇メートル間隔で設置されているのみで、夜間の道路上の視界は、右水銀灯によつても本件道路状況を十分に明るく照らし出す程度のものではない。なお、柳瀬川に沿う本件道路の本件事故現場付近は釣りに来た人たちがよく駐車しているところであり、本件当日も大和地車以外にも駐車車両があつたと推認される。

本件道路は時速四〇キロメートルの速度規制がなされ、終日駐車禁止、追越のための右側はみ出し通行禁止である。

(二) 本件事故現場における事故発生前後の状況及び実況見分の結果

(1) 辻幸子及び辻洋子(以下「辻親子」という。)は、本件事故当時、西里車線側の歩道を旭ケ丘方面に向かつて本件事故現場から遠ざかるように歩いていた。そして本件事故によつて発生した「ガチヤン」という衝突音を聞いて本件事故現場の方向を振り返つて見たところ、西里車とその前を走行する乗用車(以下「前方車」という。)が停止することなくそのまま走り去るのが見えた。辻親子は車が金属の荷物を落としたのではないかと思つたが、気になつてすぐに現場に向かつたところ、智裕が智裕車線上で旭ケ丘方面に頭を向け、柳瀬川に顔を向けて頭から大量の血を流して倒れており、その柳瀬川通り側に被害車が横転していたのを発見した。なお、辻親子は、警察官に対し、右衝突音を聞く前に自動車が急制動をかける音を聞いたことは供述していない。

(2) 吉田智也(以下「吉田」という。)は通勤のため本件道路を自転車(以下「吉田車」という。)で日常走行していたが、本件事故直後の一一時一二分ころ、柳瀬川通り方面から本件事故現場を通行した際、被害車に衝突して前方に押し出した後、その衝撃で吉田車から投げ出されて道路に横転した。そのときの吉田車は柳瀬川通り方面からの下り坂のためにかなりの速度で走行していた。横転した吉田は立ち上がつた際、五〇歳位の女性から「轢き逃げよ」と言われて初めて被害車と衝突したことが分かつた。

(3) 大和地は、本件事故当日午後八時ころから本件事故発生時直後までの約三時間、柳瀬川の川原で夜釣りをするために別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)の四角で囲まれた部分に大和地車を駐車していたが、本件事故の衝突音を聞きつけて駐車位置まで戻つてきた。同人は、大和地車の右前方に被害車と智裕が倒れている状況と女性二人が道路上に立つて旭ケ丘方面から来る車両に向けて手を振つている様子とを見て、被害車が大和地車に衝突したと思い、大和地車に損傷部分がないかと見回つたところ、破損している箇所が見当たらなかつた。そして大和地は本件事故との関わり合いを避けるため速やかに本件事故現場を立ち去つた。大和地車の駐車時間の長さからすると、大和地は駐車時には後方のハザードランプを点灯させないまま駐車させていたと推認することができる。

(4) 以上の事実を総合すると、本件事故現場に最初に駆けつけたのは辻親子であることが認められ、辻親子からの事情聴取が本件事故発生後間もない九月二八日に行われていることも併せて勘案すると、本件事故直後の状況は、被害車が別紙図面の位置よりも柳瀬側通り方面にあつたことのほか、実況見分の結果(乙一の12、28)のとおり、別紙図面上に別紙現場遺留物等一覧表(以下「別紙一覧表」という。)記載の痕跡及び物品が遺留されていたことが認められる(大和地及び吉田智也の各供述調書(乙一の24、42)のうち被害車と智裕の位置関係に係る供述部分は採用しない。)。

(三) 路上のスリツプ痕及び擦過痕と本件事故との関係について

(1) 二条のスリツプ痕跡と西里車との関係

ア 前記認定に係る二条のスリツプ痕は路上に印象される程度のものであるから、相当程度強くかけられた急制動措置によるものであること、その措置により一定程度の制動音が発生したことが推認できる。また、本件事故当時が深夜で交通量も閑散としていたことからすると、本件事故当時になされた急制動であれば、当然に右制動音は周囲に響き渡る程度のものであつたはずである。

イ 前記認定事実によれば、辻親子は警察官に対して自動車の急制動措置の音を聞いた旨供述していないこと、辻親子は右衝突音が当初走行する車から金属の荷物が落とした音であると思つたことが認められるところ、仮に、辻親子が自動車の急制動措置の音を聞いていれば、本件事故について重要な事実であるから当然に警察官に対して供述するはずであり、また、急制動の音に続く衝突音を単に荷物を落とした音と思うことは通常あり得ないはずである。

ウ 被告西里が本件事故直前に制動措置をとつていたとすれば、それはまさに本件事故の発生を回避しようとした行動の顕れであり、被告西里にとつて有利な事情であるから、当然、被告西里は取調べの段階で警察官又は検察官に対して進んでその旨供述しているはずであるが、後記認定のとおり、被告西里の各供述調書上かかる供述をした形跡はない。また後記認定のとおり、被害車を発見したときに予め速度を緩めればよかつたと後悔している。

エ 以上の認定事実を総合すると、被告西里は、本件事故直前に制動措置をとつたと認めることはできず、前記二条のスリツプ痕が西里車のものであるとする甲事件被告らの主張は採用できない。

(2) 路上の複数の擦過痕と被害車との関係

ア 被害車の損傷状況

被害車は水色で本件事故による走行制動機能に異状はないが、左側ハンドルブレーキレバーの固定部には白色の塗料様のものが発見され、それが西里車の白色のボデイの塗膜と一致したこと、スタンドの右後端側面には粉石様のものが小指頭面大の範囲に付着していたことから、被害車は右側を路面に向けて横転したことが推認できる。

そして、被害車の右側の損傷として、ハンドルグリツプエンドが磨滅していること、右側フロントフオーク、即ち軸受部から上方へ二五センチメートル部から肩部分に至るまでの長さ約一〇センチメートルの範囲に線状の塗装の剥離が複数あること、クランク軸から前方へ三〇センチメートルの横フレーム上側右側面には不規則様の塗装の剥離が前後五、幅一・五センチメートル大の範囲に生じていること、サドル上面右後部にはほぼ直後方への素材が溶融する擦過が前後三、左右七・五センチメートル大の範囲に生じていること、後輪タイヤ右側サイドウオール、即ち空気注入口の対角線に相当する部を始点として時計回り方向へ弧長で約三分の一周の範囲に軽度の異状擦過、リムには部分的な払拭が生じていること等が認められ、これらの損傷は、通常何らかの事故がなければ発生し得ないことからすると本件事故時に路面との衝突又は摩擦によつて発生したと推認することができ、また、前記各損傷の程度からすると、路面にも何らかの損傷を与えた蓋然性が高いと認めることができる。

イ 吉田は本件事故直後に被害車と衝突して投げ出されたことから吉田車も横転したと考えられるが、吉田車の損傷について同人は警察官に対して特に供述しておらず、また、吉田車が智裕車線内で衝突地点から約三・二メートル先に横転した旨図示していること(乙一の41)からすると、智裕車線内の路面が吉田車との衝突又は摩擦によつて何らかの擦過痕が発生したとしても、軽度のものであると推認され、前記認定に係る擦過痕のうち、少なくとも、智裕車線から斜めに中央線に至る複数の線状の擦過痕(以下「本件擦過痕」という。)については、吉田車の横転によつて発生したものではないと認められる。

また、吉田車は被害車との衝突によつて被害車を前方に押し出しているが、既に横転している被害車が吉田車の横転位置よりも遠くに押し出されることは通常考え難いことからすると、被害車が吉田車との衝突によつて新たに路面に擦過痕を与えた可能性は極めて少ないと考えられる。

ウ 以上の事実に加え、路面に印象された擦過痕が、タイヤのように一般的に路面の上を走行することが予定されていない硬い固形物が引き摺られたことを示す痕跡であり、タイヤのスリツプ痕とは異なつて車両の通常の走行によつて発生するものではないことをも併せて勘案すると、路面に印象された線状の擦過痕のうち、少なくとも、本件擦過痕は、被害車が右に横転して印象されたものであると認められ、被害車は右側に横転して少なくとも前記擦過痕の先端である別紙図面のの地点にまで至つていたと認めることができる。そして、右擦過痕は、後記認定のとおり本件事故直前の状況が被害車と智裕が倒れ込むように西里車の前に飛び込んできた様子であつたこと、被害車が別紙図面の位置から同図面の地点まで押し戻されており、被害車は西里車から相当な力を受けたと考えられることからすると、西里車と衝突する前ではなく、むしろ西里車と衝突して跳ね返されたときに印象されたものと推認することができる。

(四) 智裕の転倒位置及び西里車との衝突地点

智裕は本件事故直前に被害車に乗車していたものであるが、後記認定のとおり智裕が智裕車線の左側寄りに走行して大和地車を右側から通過しようとした直後の事故であること、被害車が右に倒れたのは重心が中心点から右側に移動したためであり、智裕も重心の移動に従つて右側に倒れたと考えられること(両足を跨ぐように自転車に乗車した場合、右側に倒れる自転車に右足が引つ掛かるようになるから、自転車が右側に倒れながら運転者が左側に倒れることは通常考えにくい。)、前記認定のとおり被害車が別紙図面の位置まで達していること、自転車の座高からすると右側に横転した場合には運転者はさらに相当程度右側に飛ばされる蓋然性が高いこと、他方、後記認定のとおり被告西里が本件事故時の西里車の位置について西里車の右側が若干中央線をはみ出していたように感じていたこと(なお、実況見分時にも、被告西里は西里車の右側を中央線から若干はみ出るような位置において衝突時の位置、状況等を説明している。乙一の33、21)、前記のとおり智裕と衝突した西里車の衝突部位が前部バンパー右端部であること、西里車の実況見分の結果によれば西里車の前部バンパー右端部及び下端には親指及び示指頭面大の範囲の塗膜が剥離していたところ、本件事故直後の実況見分時に別紙図面の地点で発見された黒色塗装膜片様の遺留物が西里車の前部バンパーの塗膜とが一致したことからすると、智裕(頭)は、倒れる状態で、別紙図面の地点から同図面の地点までの間の中央線上付近に至つたところで、対向車線を走行してきた西里車とが出会い頭のような形態で衝突したと推認することができる。

なお、原告は、本件衝突地点が別紙図面の血痕付近である旨主張するが、後記認定のとおり、被告西里の運転態様からすると、同血痕付近に至る程度に智裕車線に進入したとは認められず採用できない。

(五) 被告西里の本件事故前後の行動経過、事故直前の視認状況

(1) 防水塗装の仕事を行つている被告大野の従業員である被告西里は、西里車の管理使用を被告大野に委ねられており、同僚の野上隆一郎(以下「野上」という。)を自宅まで迎えに行つて同乗させ、ともにJR鶯谷駅の仕事現場に赴き、帰りも野上を自宅まで送つてから帰宅することになつていた。

被告西里は本件事故当日も同様の行程をとることになつていたが、友人の金子竜也からの電話を受け、午後九時ころに同人の自宅に訪れて何人かの仲間と話をした後、午後一一時五分ころ、いつものように午後一一時一五分ころに野上の自宅に到着する予定で金子の自宅を出発した。

(2) 被告西里は、ほとんど通行量のない本件道路を時速七〇キロメートルで走行していたところ、本件事故現場からかなり手前で白い乗用車(以下「前方車」という。)に追いついたが、前方車の速度は時速四〇キロメートルで走行していたために、走行を妨げられたような状態に不快感を感じていた。被告西里は前方車を追い越したいと考え、西里車の走行位置を前方車にかなり接近させながら右側に寄せて対向車線の状況を窺つていたが、本件道路の柳瀬川方面にある右カーブ状の上りの坂道までの直線距離が短く、かつ対向車線上に駐車車両が複数あつたために追越を図ることは容易ではないと判断してやむを得ず前方車に追随して走行していた。対向車線の状況を見ながら走行していた被告西里は、約五〇・一〇メートル手前で対向車線歩道寄りに駐車した大和地車を別紙図面の位置に発見し、そこから約七・九〇メートル進んで、被害車が大和地車の後方約一七・一メートルを対向車線の歩道寄りを無灯火でサーツと勢いよく降りてくるような感じで走行してくるのを発見した。そこからさらに約二〇・二〇メートル進んで、被害車が駐車車両を避けるような恰好をして大和地車の右後ろと被害車の左ハンドル又は智裕の左肘若しくは左肩がぶつかつたように見えた。そして、被害車と智裕は西里車の右前に倒れ込むように飛び込んできて、西里車の前部バンパー右端部と智裕の顔面とが衝突した(衝突地点に関する被告西里の供述は採用しない。)。被告西里は、衝突時における西里車の右側が若干中央線をはみ出していたように感じている。また、被告西里は、衝突によつて人や自転車が巻き込まれた感じや後方に飛んだ様子がなかつたことから、衝突によつて智裕と被害車が右前方に飛ばされたように感じた。被告西里は、衝突を感じた地点から約二七・九五メートル離れたところで徐行しながらバツクミラーで衝突地点を見たが、人をはねた恐怖感からそのまま現場から逃走した。

(3) 被告西里は、本件事故を振り返つて、大和地車の駐車によつて智裕車線が狭まつていること、被害車が勢いよく坂道を走行してきたことから、予め西里車の速度を緩めたり、車線の左寄りに走行位置を変えたりすべきだつたと後悔しており、被害車と智裕の異常を発見したときにはもはや避けられない状態であつたとしている。

(4) なお、被告西里は、取調べの段階で、本件事故直前に制動措置をとつていた旨警察官又は検察官に対して供述した形跡はない。

(六) 大和地による大和地車の駐車状況

(1) 前記認定のとおり、大和地は大和地車を別紙図面の部分に駐車していたが、後続車に対して注意を促すハザードランプを点灯させる等の警鐘措置を全くとつていなかつた。そして、智裕車線が幅員三・二〇メートル、大和地車の幅が一・三九メートルであることから、大和地車が道路脇に隙間なく駐車できたとしても智裕車線の残された道路部分は一・八一メートルしか残されていなかつたことになる。

(2) 本件事故後になされた実況見分の結果によれば、大和地車の後部ドア右角部には、地上高約一〇二センチメートルを中心に親指等大深さ〇・三から〇・四センチメートルの弱い凹損があり、前部には弱い線条擦過があるほかは補修された粘膜や古い擦過痕ないし擦過損傷があつたことが認められるが、前記認定のとおり、本件事故直後に大和地は大和地車に被害車が衝突したのかどうか確認するために同車両を点検してその結果衝突の事実はないと判断していることからすると大和地車の損傷が被害車によるものであると認めることはできない。また、被告西里は、被害車又は智裕が大和地車と衝突したのを目撃した旨供述するが、暗い状況下における遠方の細かい一瞬の出来事であることからすると、同人の供述も直ちに採用することはできない。したがつて、被害車又は智裕と大和地車との衝突の事実を認めることはできない。

(七) 本件事故に至るまでの智裕の行動経緯

(1) 智裕は株式会社ニチイの契約社員として地下の惣菜係の一員として勤務していた者であるが、本件当日午後七時三〇分ころに出社して同僚の宮川陽一らと小金井街道沿いのレストランで会食し、午後一〇時四〇分ころに店を出て会社に向かい、一〇時五五分ころに宮川らと別れて自転車で帰路に着いた。智裕はこの間酒類を飲食していない。

(2) 智裕は、本件道路を左寄りに走行していたところ、前方に駐車していた大和地車を発見したので、これを右側から通過しょうとしたところ、ハンドル操作を誤りバランスを崩して右側に転倒し、折りしも、後記認定のとおり、車体右側を若干中央線からはみ出したまま走行してきた西里車の前部バンパー右端部と智裕の顔面部が前記認定に係る本件道路の中央線付近で衝突した。

前記認定に係る被告西里の目撃状況、本件道路の坂道の勾配の程度、智裕と同様本件道路を日常通勤に利用していた吉田の走行態様のほか、智裕が大和地車を安全に回避することができなかつたことをも勘案すると、被害車は、本件事故直前まで、無灯火のままかなり速い速度で坂道を下つていたと認めることができる。

(3) なお、智裕は、近視で高校生のころから眼鏡を使用しており、職場でも宮川に遠くが見えないといつて眼鏡を時々かけていたのであるが、本件事故直後の実況見分時には眼鏡の破片らしき遺留品は発見されなかつたことからすると、本件事故時には、智裕は眼鏡を着用していなかつたことが認められる。

2  以上をまとめると、智裕は、本件事故現場手前の急な坂道を相当に速い速度で無灯火のまま下りてきて、大和地車の駐車位置のすぐ手前で同車の存在を認知したため、これを右側から回避しようと大和地車の右側に被害車の位置を移動させようとしたものの、自車の速度を十分に落としていなかつたことからバランスを崩して進行方向右側に自転車とともに倒れた。被害車は別紙図面の位置まで達し、智裕は同図面からまでの間の中央線上付近に頭が倒れて来る状態に至つたその瞬間に、智裕の顔面が中央線をはみ出して走行してきた対向車である西里車の前部バンパー右端部と衝突したと認められる。

二  被告西里の責任

前記認定事実によれば、被告西里は、前方車を追い越そうとする余り、本件事故現場付近がはみ出し禁止区間であるにもかかわらず、西里車の車体右側を若干ではあるが中央線からはみ出すように走行していたものであるが、対向車線の状況を視認して大和地車及び被害車を最初に発見した段階で、被害車の速度、大和地車の存在と中央線との間隔を考慮し、被害車が安全に中央線と大和地車の間を通過することができるように、自車線の左側に寄るべきであつたにもかかわらず、これを懈怠して漫然と道路中央線を若干にせよ越えた状態で走行を続け、その結果、車体右端部で道路中央線付近に倒れて来た智裕の顔面を衝突させたものであるから、安全運転上の過失を認めることができる。

三  大和地の責任及び本件事故との相当因果関係について

前記認定事実によれば、大和地は、本件事故現場付近の本件道路が駐車禁止区域であるにもかかわらず、大和地車を本件事故現場付近に駐車させることによつて、幅員三・二〇メートルしかない智裕車線のうち一・三九メートルもの領域を通行不能の状態にして占拠し、その結果後続車は残されたわずかな幅員一・八一メートルを通過しなければならなくなるのであるから、後続車である被害車の円滑な進行を妨げたことについて過失を認めることができる。そして、被害車が安全に大和地車の右側を通過できずに横転したことについては、智裕車線の前記のような進行妨害状態によつて引き起こされたというべきであるから、たとえ、被害車又は智裕が大和地車と接触した事実が認められないにせよ、被害車及び智裕の横転と大和地車の駐車との間には相当因果関係を認めることができる。したがつて、大和地は、本件事故発生について運行供用者責任を負うべきである。

四  智裕の過失と過失相殺割合

前記認定事実によれば、智裕は、本件事故現場付近の本件道路上には柳瀬川の釣り人らによる駐車車両が少なくなかつたことは当然に熟知していたと推認されるところ、夜間に無灯火のまま、しかも遠方が十分視認できない状態であるのに眼鏡を着用することなく、急な下りの坂道を相当な速度で走行していたのであり、眼鏡を着用して前照灯を点灯させ、下りの坂道を制動をかけて十分に減速しながら走行していれば、安全に大和地車の右側を通過して本件事故の発生を未然に回避することができたと考えられる。

そして、本件では、智裕が横転して西里車と衝突した地点が本件道路の中央線付近ではあるが、横転した勢いからするとそのまま対向車線に飛び出た蓋然性が高いと考えられることからすると、仮に西里車が西里車線内を走行していたとしても何らかの形態での衝突は避けられなかつたと推認され、かかる事情をも併せて勘案すると、被害車を運転するに際しての智裕の前方不注視ないし安全運転義務懈怠の過失を、衡平の観点から本件事故発生に対する過失相殺事由として斟酌することが相当であるところ、その割合としては二〇パーセントをもつて相当と認める。

五  損害額の算定

1  逸失利益

前記認定事実、乙一の17、18、26、原告壽彦本人、弁論の全趣旨によれば、智裕は、練馬高校卒業後、一年間の調理専門学校の履修を経て株式会社ニチイに就職し、ニチイ清瀬店の地下惣菜係に配属され月収手取り一七万円ないし一八万円を得ていた二〇歳の青年であるところ、同人の逸失利益を算定するに当たつては、将来、年功序列型賃金体系によつて徐々に収入が上がつていくことが予想されることからすると、前記実収を基礎収入として逸失利益を算定することは相当ではなく、原告ら主張のとおり、賃金センサス平成三年第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計、全年齢平均の年収である五三三万六一〇〇円を基礎収入とし、生活費控除率を五〇パーセント、労働可能年齢四七年のライプニツツ係数一七・九八一〇とすると、以下のとおりとなる。

五三三万六一〇〇円×(一-〇・五)×一七・九八一〇=四七九七万四二〇七円

2  死亡慰謝料 一八〇〇万円

本件事故態様や事故後の被告西里の対応、智裕が将来のある青年であつたこと、同人の死亡によつて両親に甚大な悲しみを与えたことはまさに同人の精神的苦痛にほかならないと考えられること等の事情を斟酌して、智裕の慰謝料として一八〇〇万円をもつて相当と認める。

3  原告ら固有の慰謝料 各五〇万円

乙一の26、原告壽彦本人、弁論の全趣旨によれば、原告らが智裕の死亡によつて深い精神的苦痛を被つたことを窺うことができ、その慰謝料としては、前項のとおり、智裕の慰謝料で相当程度斟酌したことを踏まえて、原告らにつき各五〇万円をもつて相当と認める。

4  葬祭費用 各九〇万円

本件事故と相当因果関係のある葬祭費用としては、智裕が若年で葬儀費用の支出を突然余儀無くされた事情をも勘案して、一八〇万円(原告らにつき各九〇万円)をもつて相当と認める。

5  小計 原告ら各三四三八万七一〇三円

6  過失相殺後の金額 同各二七五〇万九六八二円

7  損害の填補 同各一五〇〇万円

8  小計 同各一二五〇万九六八二円

9  弁護士費用 同各一二〇万円

8  合計 同各一三七〇万九六八二円

六  結論

以上により、原告らは、それぞれ一三七〇万九六八二円及びこれらの各金員に対する主文記載の各年月日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の限度で損害賠償請求権を有することになる。

(裁判官 渡邉和義)

交通事故現場図

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例