東京地方裁判所 平成5年(ワ)24053号 判決 1997年9月17日
本訴原告(反訴被告)
日本興業株式会社
右代表者代表取締役
市川勇一
右訴訟代理人弁護士
木下元二
本訴被告(反訴原告)
高橋文男
右訴訟代理人弁護士
森仁至
主文
一 本訴原告(反訴被告)の請求を棄却する。
二 本訴被告(反訴原告)の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じこれを一〇分し、その九を本訴原告(反訴被告)の負担とし、その余を本訴被告(反訴原告)の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 本訴
本訴被告(反訴原告、以下「被告」という。)は本訴原告(反訴被告、以下「原告」という。)に対し一億五五〇四万一〇〇〇円及びこれに対する平成五年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴
原告は被告に対し一七〇〇万三五〇〇円及びこれに対する平成九年四月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件本訴は、新日本エスライト工業株式会社(以下「新日本エスライト」という。)の株主である原告が、同社の代表取締役である被告に対し、違法な手続によりなされた第三者割当による新株発行によって原告所有の新日本エスライト株式の価額が総額一億五五〇四万一〇〇〇円分減少し、同額の損害を蒙ったと主張し、商法二六六条ノ三に基づき右損害額の賠償を求めた事案である(遅延損害金の始期は訴状送達の日の翌日である。)。
本件反訴は、被告が原告に対し、原告による本件本訴の提起が被告に対する不法行為に該当し、被告は、本件本訴に対する応訴及び本件反訴の提起のための弁護士費用合計一七〇〇万三五〇〇円に相当する損害を蒙ったと主張し、民法七〇九条に基づき、右損害額の賠償を求めた事案である(遅延損害金の始期は反訴状送達の日の翌日である。)。
一 争いのない事実等(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)
1 当事者
(一) 新日本エスライトは、エスライト製鉄道用品の設計、製造、販売等を目的として昭和二八年一月(登記簿上は昭和二三年一二月六日)に設立された。
(二) 原告は、昭和三四年九月一八日に設立された株式会社であり、新日本エスライトの株主である。また、原告代表者は、昭和二八年から昭和三九年一二月三一日まで及び昭和四七年から平成二年一〇月三一日まで新日本エスライトの取締役であった。
原告は、昭和三九年一二月から現在に至るまで、新日本エスライトの株主総会の招集通知を受けたことはなく、かつ、株主総会に出席したこともない。また、原告代表者は、昭和四七年から平成二年一〇月三一日まで、新日本エスライトの取締役会の招集通知を受けたことはなく、かつ、取締役会に出席したこともない。
(三) 被告は、昭和三五年二月から現在に至るまで新日本エスライトの代表取締役である。
2 新日本エスライトの新株発行
(一) 新日本エスライトは、昭和三七年一一月から平成元年五月まで額面株式一株の金額五〇円、発行する株式総数三五二万株、発行済株式総数一三二万株、資本金六六〇〇万円であった。原告は、平成元年五月当時右発行済株式総数のうち六八万三〇〇〇株(発行済株式総数に占める割合は約51.7パーセントである。)の株式を所有していた。
(二) 新日本エスライトは、平成元年五月二日に開催された取締役会(以下「本件取締役会(第一回)」という。)において、東京都荒川区東日暮里六丁目五五番一一号所在の工場(以下「日暮里工場」という。)を栃木県黒磯市青木字大輪地原一番二一九に移転すること及び工場移転の主要資金は第三者割当の増資により調達することを決定し、同月二四日に開催された臨時株主総会(以下「本件株主総会」という。)「において、工場移転を決議し、同月三〇日に開催された取締役会(以下「本件取締役会(第二回)」という。)において、新株を発行することを決議するとともに、新株発行事項を次のとおり決定した(以下「本件新株発行」という。)。
① 発行する新株式数等 記名式普通株式七六万株(額面五〇円)
② 新株発行方法 新株引受権をエスライト技研株式会社(以下「エスライト技研」という。)に与える。
③ 新株発行予定価額 一株三九四円
④ 発行価額中資本に組み入れない額 一株につき一九七円
⑤ 払込期日 同年六月二七日
なお、右発行価額は、澤井公認会計士事務所による計算結果(一株当たり三九四円)に基づいて決定された。
(乙第三号証、第四号証の二、第五号証、証人高橋浩一)
(三) その後、エスライト技研が右(二)の新株七六万株の新株引受人となり、同年六月二六日に各株につき発行価額全額の払込みを了したことから、新日本エスライトの発行済株式総数は二〇八万株となり、原告の所有株式の発行済株式総数に占める割合は約32.8パーセントとなった。
3 本訴の提起
原告は、平成五年一二月一七日原告訴訟代理人を訴訟代理人として、被告に対し、本件新株発行につき被告にはその職務を行うについて悪意又は重過失が存すると主張して、本件本訴を提起した。
被告は、被告訴訟代理人を訴訟代理人として、本件本訴に応訴するとともに、本件反訴を提起し、その弁護士費用として合計一七〇〇万三五〇〇円の支払を約した。
二 本訴請求に関する当事者の主張
1 原告
(一) 本件株主総会及び本件取締役会(第一、二回)の招集手続の瑕疵
被告は、本件株主総会及び本件取締役会(第一、二回)の開催に先立ち、原告又は原告代表者に対してその招集通知を発しなかった。これは、商法二三二条及び二五九条ノ二に違反している。
そして、原告が昭和三九年一二月以降一度も新日本エスライトの株主総会に出席したことがなく、また、原告代表者が昭和四七年以降一度も新日本エスライトの取締役会に出席したことがなかったとの事情を前提としても、新株発行が会社の基本的事項の変更であること、本件新株発行が原告の保有する新日本エスライト株式の発行済株式総数に占める割合を約51.7パーセントから約32.8パーセントに減じて原告の新日本エスライトに対する支配権を奪う結果となることからすると、右招集通知の欠缺の違法性は重大である。
また、原告代表者は、事前に被告又は新日本エスライトの他の取締役等から、本件新株発行について何らの相談も受けなかった。
したがって、被告が本件株主総会及び本件取締役会(第一、二回)の招集通知を原告又は原告代表者に対して発しなかったことは、被告に「其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失」(商法二六六条ノ三)が存するものというべきである。
(二) 本件株主総会における特別決議の不存在
(1) 新日本エスライトが閉鎖会社であって、その株価に市場価額が存しないこと及び原告が本件新株発行前において新日本エスライトの発行済株式総数の過半数に当たる株式を所有していたことなどの事情からすると、本件新株発行における発行価額が「特ニ有利ナル発行価額」(商法二八〇条ノ二第二項)に該当するか否かは、本件新株発行直前における新日本エスライトの純資産額を基準に判定されるべきである。そして、本件新株発行直前における新日本エスライトの純資産額は、一三億四〇四五万五〇〇〇円であるから、一株当たりの純資産額は一〇一五円となる。
したがって、本件新株発行における発行価額(一株当たり三九四円)は、右の一株当たりの純資産額の約38.8パーセントに過ぎず、「特ニ有利ナル発行価額」というべきである。
以上によれば、被告は、本件株主総会において本件新株発行における発行価額等について特別決議を求めるべきであったにもかかわらず、これを求めなかったのであり、この点において、被告に「其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失」が存するものというべきである。
(2) なお、被告は、本件新株発行における発行価額を、公認会計士による計算結果に従って決定しているが、右計算結果は、純資産額の算定に当たり、新日本エスライトの所有不動産を取引価額よりかなり低額の路線価で評価していること、評価に用いた路線価が昭和六四年一月一日現在の路線価でなくそれより一年前の路線価であること及び法人税額等相当額として含み資産の五六パーセントを控除していることにより、不当に低額なものとなっている。
そして、右のように専門家たる公認会計士による株価の評価が誤っている以上、右評価を鵜呑みにして本件新株発行における発行価額を決定し、かつ、本件株主総会における特別決議を求めなかった被告には、「其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失」が存するものというべきである。
(三) 著しく不公正な方法による新株発行
エスライト技研は、被告が完全に支配する会社である。したがって、被告が本件新株発行に係る新日本エスライト株七六万株をエスライト技研に割り当てたことにより、新日本エスライトに対する支配権は、実質的に、原告から被告及びその家族らに移転してしまった。このような新株発行は、社会通念に照らして許されない。
したがって、エスライト技研に対して新株を割り当てる方法によって本件新株発行を行った被告には、「其ノ職務ヲ行フニ付悪意又ハ重大ナル過失」が存するものというべきである。
2 被告
(一) 本件株主総会及び本件取締役会(第一、二回)の招集手続について
本件新株発行の手続の実務担当者であった新日本エスライト常務取締役高橋浩一(以下「浩一」という。)は、平成元年五月一二日原告代表者に対し、本件新株発行の必要性及びその具体的内容が記載されている「新工場建設と増資についてのレポート」と題する書面(乙第八六号証、以下「本件レポート」という。)を交付してその内容を説明するとともに、本件株主総会及び本件取締役会(第二回)への出席を求めたところ、本件新株発行を了承する旨及び本件株主総会等には出席しない旨の返答を得た。また、浩一は、同月三〇日原告代表者に対し、電話で、本件取締役会(第二回)において、本件新株発行が予定どおり議決された旨報告したところ、何らの異議も述べられなかった。
このように、被告は、浩一を通じて事前及び事後に原告代表者から本件新株発行についての了承を得ている以上、本件新株発行に関し何らの責任を負ういわれはない。
(二) 本件株主総会における特別決議の不存在について
(1) 本件新株発行における発行価額は時価である。
したがって、被告は、本件株主総会における特別決議を求める必要はない。
また、原告は、本件新株発行によって何らの損害も蒙っていない。
(2) 被告は、事前に専門家たる公認会計士に株価を計算してもらい、かつ、右計算結果の妥当性を別の公認会計士に対し確認している。
したがって、本件新株発行における発行価額の決定及び本件株主総会において特別決議を求めなかったことについて、被告に、悪意又は重過失は存しない。
三 反訴請求に関する当事者の主張
1 被告
原告代表者は、本件新株発行を事前及び事後に了承し、かつ、本件新株発行が時価発行であることを熟知しながら、本件新株発行が原告代表者に無断で、かつ、不当に低額の発行価額でなされ、これにより損害を蒙ったと偽って本訴を提起した。
したがって、原告による本訴の提起は、被告に対する不法行為を構成する。
2 原告
右1の事実は否認する。
四 主要な争点
1 本件株主総会及び本件取締役会(第一、二回)の招集通知の欠缺は、被告の任務懈怠ないしこれについての悪意又は重過失を構成するか。
2 本件新株発行における発行価額が「特ニ有利ナル発行価額」といえるか。
3 本件新株発行について株主総会の特別決議を求めなかったことは、被告の任務懈怠ないしこれについての悪意又は重過失を構成するか。
4 本件新株発行について新株をエスライト技研に割り当てたことは、被告の任務懈怠ないしこれについての悪意又は重過失を構成するか。
5 原告の本件本訴の提起が不法行為を構成するか。
第三 争点に対する判断
一 前記争いのない事実等に加え、甲第一、第二号証、第四、第五号証、第八号証の四、五、第一三号証の一ないし四、第一七、第一八号証の各一、二、第二〇号証、第三〇号証の一ないし一八、乙第一号証、第三号証、第四号証の二、第五号証、第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二号証、第一六号証の一、二、第一八号証、第二〇号証の一ないし三、第二二号証、第三一号証、第七九号証、第八六号証、第八八号証、第九〇ないし第九二号証、証人高橋浩一及び原告代表者の各供述並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 当事者等
(一) 新日本エスライトは、昭和二八年一月市川勇太郎(昭和四七年二月一九日死亡。以下「勇太郎」という。)により設立された会社であり、主に鉄道用軌道パットの設計、製造及び販売を業とし、JR各社及び私鉄各社を主要な取引先としている。
(二) 被告は、昭和三一年勇太郎の子である高橋節子(旧姓・市川。以下「節子」という。)と結婚し、昭和三五年二月から新日本エスライトの代表取締役の地位にあり(昭和三九年一二月からは代表取締役社長である。)、かつ、昭和四九年六月に自ら設立したエスライト技研の取締役の地位にある者である。また、被告と節子との間の子である浩一は、新日本エスライトの取締役の地位にあり、かつ、エスライト技研の代表取締役の地位にある者である。
(三) 原告は、昭和三四年九月一八日勇太郎により設立された会社であり、鉄道用コンクリート枕木の製造等を目的に掲げるものの、現在、右の製造等を行っていない。
原告は、少なくとも昭和三八年三月三一日以来現在まで新日本エスライトの株主である。
(四) 勇太郎の子である原告代表者は、昭和二八年から昭和三九年一二月三一日まで及び昭和四七年から平成二年一〇月三一日まで新日本エスライトの取締役の地位にあった者である。
(五) 昭和六三年一二月三一日及び平成元年一二月三一日現在における新日本エスライトの株主構成は左記のとおりである。
記
(昭和六三年一二月三一日現在)
発行済株式総数 一三二万株
① 原告
六八万三〇〇〇株(発行済株式総数に占める割合約51.7パーセント)
② 節子 三六万二〇〇〇株
③ 浩一 二一万五五〇〇株
④ 被告 四万株
⑤ 高橋裕美子 一万九五〇〇株
(平成元年一二月三一日現在)
発行済株式総数 二〇八万株
① エスライト技研 七六万株
② 原告
六八万三〇〇〇株(発行済株式総数に占める割合約32.8パーセント)
③ 節子 三六万二〇〇〇株
④ 浩一 二一万五五〇〇株
⑤ 被告 四万株
⑥ 高橋裕美子 一万九五〇〇株
2 当事者等の従前の関係
(一) 原告及び原告代表者の株主総会及び取締役会への出席等
原告及び原告代表者は、被告が新日本エスライトの代表取締役社長に就任した昭和三九年一二月から現在まで、新日本エスライトの株主総会又は取締役会に出席したことはない。他方、被告は、昭和三九年一二月から平成元年五月まで、原告に対し株主総会招集通知を発したことがなく、原告代表者に対し取締役会招集通知を発したことがない。しかし、原告及び原告代表者は、右期間中、被告に対し各招集通知の欠缺について異議を述べたことはない。
もっとも、原告代表者は、毎年、新日本エスライトの株主総会の後、浩一等から、株式の配当金及び決算書類等の交付を受ける慣例になっており、その際、株主総会についての報告を受けていた。
(二) 原告の株式買取り要求
原告は、昭和六一年から昭和六三年まで、数回にわたり、浩一に対し、原告が所有する新日本エスライト株の一部を買い取るよう求め、交渉を続けたが、浩一において買取り資金を調達する目途が立たなかったことなどから、実現に至らなかった。
3 工場移転及び本件新株発行
(一) 工場移転計画
新日本エスライトは、会社設立以来、日暮里工場を有していた。しかし、昭和六〇年ころ、国鉄の分割民営化(昭和六二年四月一日)等に伴う生産量拡充・工場原価引下げ・品質の保持及び向上等生産性向上の必要性、東京都内における新たな労働力確保の困難性、日暮里工場勤務者の高齢化の進行及び人件費の増大、日暮里工場の近隣者に対する騒音問題等の発生、日暮里工場の機械設備の老朽化並びに工場を移転せずに新規設備を導入することの困難性などの理由により、日暮里工場を移転する必要が生じた。
そこで、昭和六一年二月に新日本エスライトの取締役に就任した浩一は、被告の命を受けて、右経営課題の対応策を検討し、エスライト技研から同社所有の栃木県黒磯市青木字大輪地原一番二一九外の土地(約六〇〇〇平方メートル)を新たな工場用地として賃借することとし、工場移転費用として三億〇四六〇万円を見積もった。そして、浩一は、工場移転費用の資金を銀行から借り入れた場合は金利負担が会社経営を圧迫するおそれがあり、増資によるとしても、原告を含めた各株主には新株を引き受ける意思又は資金的な能力が欠けていることから株主割当による新株発行は現実的でないとの理由で、新日本エスライトにとって最も信頼できる会社であり、新工場用地の所有者でもあるエスライト技研に新株を割り当てて、工場移転費用の資金を調達することとした。
(二) 公認会計士による株価計算
浩一は、本件新株発行に先立ち、新日本エスライトの顧問である澤井公認会計士事務所に対し、株式の時価の計算を依頼し、平成元年四月二四日同事務所から新日本エスライトの株価の計算書(乙第一二号証。以下「本件計算書」という。)を受け取った。
本件計算書には、一株当たりの価額を三九四円とする記載が存する。なお、本件計算書中、地価の算定に前年度の路線価を使用している部分が存し、また、一株当たりの純資産額を計算するに当たり、含み益に対する法人税額等相当額として含み益の五六パーセントに相当する額を控除する旨の記載が存する。
(三) 本件取締役会(第一回)
浩一は、同年五月二日の本件取締役会(第一回)において、本件レポートに基づき、工場移転及び増資の必要性並びにその具体的なスケジュールを説明した。そして、出席取締役全員の賛成により、工場を移転すること及びその資金を第三者割当の増資によることが決定された。
なお、被告は、原告代表者に対し、本件取締役会(第一回)の招集通知を発せず、かつ、原告代表者は、本件取締役会(第一回)に出席しなかった。
(四) 原告代表者に対する説明
浩一は、同月一二日原告代表者に対し、本件レポートを交付して、これに基づき、新日本エスライトの日暮里工場を栃木県黒磯市に移転し、かつ、工場移転費用をエスライト技研に対する新株発行によって調達する計画を説明し、また、工場移転の議決を目的とする本件株主総会並びに本件新株発行を行うこと及び新株発行事項の議決を目的とする本件取締役会(第二回)への出席を求めた。これに対し、原告代表者は、浩一に対し、「そんな暇はない。お前の思い通りにやれ。任せる。」と述べた。
(五) 本件株主総会
浩一は、同月二四日の本件株主総会において、本件レポートに基づき、工場移転の内容等を説明した。そして、出席株主(原告を除く全株主が出席した。)全員の賛成により、工場移転が議決された。
(六) 本件取締役会(第二回)
浩一は、同月三〇日の本件取締役会(第二回)において、本件新株発行の目的及び具体的な内容等を説明した。そして、出席取締役(原告代表者を除く全取締役が出席した。)全員の賛成により、新株を発行することが決定され、次のとおり新株発行事項が決定された。
① 発行する新株数等 記名式普通株式七六万株(額面五〇円)
② 新株発行方法 新株引受権をエスライト技研に与える。
③ 新株発行予定価額 一株三九四円
④ 発行価額中資本に組み入れない額 一株につき一九七円
⑤ 払込期日 同年六月二七日
(七) 原告代表者に対する報告
浩一は、同年五月三〇日原告代表者に対し、電話で、本件株主総会及び本件取締役会(第二回)が無事終了したことを報告した。これに対し、原告代表者は何らの異議も述べなかった。
(八) 本件新株発行手続の完了
前記七六万株の割当を受けたエスライト技研は、同年六月二六日割当を受けた各株につき発行価額三九四円全額の払込みを了した。そこで、新日本エスライトは、本件新株発行の効力が発生した後の同月二九日、本件新株発行に基づき商業登記の変更登記申請手続を行った。
(九) 新工場の建設
新日本エスライトは、本件新株発行後、前記3の(一)記載の栃木県黒磯市の土地に新工場(以下「那須工場」という。)を約三億四八三七万円を掛けて建設し、平成二年一一月二日那須工場の操業を開始した。
4 本訴提起に至る経緯
(一) 原告代表者の取締役辞任
原告代表者は、同年一一月一日ころ、突然、新日本エスライトに対し同社の取締役を辞任する旨通知し、同年一〇月三一日付で取締役を辞任するとともに、相当額の退職金を受け取った。
(二) 原告の文書の提出要求
原告は、平成五年二月一五日新日本エスライトに対し、本件新株発行の具体的な内容を明らかにすべきこと並びに株主総会招集通知及び営業報告書等を以後原告に送付すべきことを求める文書(甲第四号証)を送付した。引き続き、原告代表者は、浩一に対し、本件取締役会(第一、二回)及び本件株主総会等の議事録並びに本件レポート等の文書の提出を求めた。更に、原告は、同年三月二九日新日本エスライトに対し、本件新株発行の手続に関する違法性を主張する内容の文書(甲第五号証)を送付した。
(三) 本訴提起
その後、原告は、平成五年一二月一七日原告訴訟代理人を訴訟代理人として、被告に対し本件本訴を提起した。なお、本件訴状には、本件新株発行直前における新日本エスライトの純資産額が一三億四〇四五万五〇〇〇円であり、これを発行済株式総数一三二万株で除した一〇一五円が一株の株価である旨の記載が存し、右純資産額の算出根拠が具体的な計算表に示されている。
被告は、被告訴訟代理人に対し、本件本訴に応訴するため訴訟委任し、着手金六六四万五〇〇〇円及び成功報酬八六三万八五〇〇円の支払を約し、かつ、本件反訴を提起するため訴訟委任し、着手金六〇万円及び成功報酬一一二万円の支払を約した。
二1 右一の認定事実に対し、原告代表者の供述及び甲第二〇、第二一号証、第二九号証の記載(以下併せて「原告代表者の供述」という。)中には、次の趣旨の内容部分がある。
(一) 原告代表者は、平成元年五月一二日ころ浩一と面談したことはあるが、工場移転及び新株発行についての説明を受けたこと及び本件レポートを受け取ったことはない。また、原告代表者は、同月三〇日浩一から、本件株主総会及び本件取締役会(第二回)について何らの報告も受けていない。原告代表者は、平成五年一月五日新日本エスライトの商業登記簿謄本(甲第二五号証)を取り寄せた結果、本件新株発行の事実を初めて知った。
(二) 前記一の2の(二)記載の株式の買取り交渉は、節子が原告代表者に対して原告所有の新日本エスライト株を引き取らせて欲しいと申し出たものである。買取り交渉が成立しなかったのは、原告代表者が右株式を売却する意思を有していなかったからである。
2(一) しかし、原告代表者が平成元年五月一二日浩一と面談したこと自体は争いがないこと、浩一と原告代表者が平成元年当時頻繁に面談していたこと(証人高橋浩一及び原告代表者の各供述)、浩一等は毎年原告代表者に対し新日本エスライトの決算書類等重要書類を欠かさず交付していたのであるから、仮に原告代表者に秘して本件新株発行を行ったとしても、その事実は原告代表者に早晩明らかになると予想されること、前記一の2の(二)及び後記(二)のとおり原告代表者は原告所有の新日本エスライト株式の売却に積極的であり、また、原告代表者は新日本エスライトの経営に実質的な関与をしていなかったことからすれば、浩一がこのような原告代表者に対し本件新株発行を秘匿すべき必要性が窺われないことなどの事実を考慮すれば、前記一の3の(四)及び(七)の記載と同趣旨の証人高橋浩一の証言は信用性が高く、これに反する原告代表者の右1の(一)の供述は信用し難い。
(二) また、原告代表者の供述及び乙第八四号証によれば、原告代表者は、浩一から浩一の作成に係る甲第一八号証の一(「株式の購入について」と題する文書)を示されたところ、その記載内容の一部が正しくなされていなかったので、浩一に対し、これを訂正させ、甲第一八号証の二を作成させたことが認められる。とすれば、原告代表者は、新日本エスライト株の売却についてある程度積極的であったことが窺える。
したがって、これに反する内容の原告代表者の右1の(二)の供述は信用し難い。
三 以上の認定判断を前提に検討する。
1 争点1について
(一) 被告は、本件株主総会の開催に先立ち、原告に対し、株主総会招集通知を発していない。
もっともこの点に関し、浩一は、前記一の3の(四)のとおり、本件株主総会の開催に先立ち、原告代表者に対し、本件株主総会を開催することを伝え、そこで議題とされるべき事項について詳細な記載の存する本件レポートを示しながら説明し、本件株主総会への出席を求めている。
そこで検討するに、商法二三二条が、株主総会を招集するには会日より二週間前に各株主に対して、会議の目的たる事項を記載した通知を発することを要求したのは、株主に対し、株主総会への出席の機会及び準備の余裕を与えるためである。同条は、招集通知を会日の二週間前に発送すべきものとするが、招集通知が発送されてから株主に到達するまで一定の時間を要することを考慮すれば、浩一が右説明を行った日(平成元年五月一二日)と本件株主総会の開催日(同月二四日)との間が一一日間(説明を行った日及び会日を除く。)であることをもってこれを違法とまではいえない。また、浩一が原告代表者に対し前記のとおりの内容の説明を行っている以上、招集通知に会議の目的たる事項を記載すべきものとする同条の要請も実質的に充たされている。とすれば、同条所定の方式に則った通知がなされていない点において問題が全く存しないとはいえないとしても、原告には本件株主総会への出席の機会及び準備の余裕が十分与えられていたものといえること及び原告代表者が平成元年五月一二日の説明の際本件株主総会の議案である工場移転の件を承認する意思を示していたと認められる本件においては、株主総会招集通知の欠缺が違法であるということはできない。
したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。
(二) 被告は、本件取締役会(第一回)の開催に先立ち、原告代表者に対し、取締役会招集通知を発していない。
そして、商法二五九条ノ二が、各取締役に取締役会への出席の機会を与えるために、取締役会を招集するには原則として会日の一週間前に各取締役に対してその通知を発するべきものとしていること及びいかに名目的で経営に関心のない取締役であってもその者が取締役会に出席する機会を全面的に奪うことは許されるべきでないと考えられることから、右招集通知の欠缺は、被告の任務懈怠を構成するというべきである。
しかし、本件取締役会(第一回)は本件新株発行の決定そのものを議案とするものではなかったこと及び原告代表者は前述のとおり本件取締役会(第一回)の議案である工場移転の件を承認する意思を示していたと認められることからすれば、被告の右任務懈怠と原告が蒙ったと主張する損害との間に相当因果関係が存するものと解することはできない。
(三) 浩一は、本件取締役会(第二回)の開催に先立ち、原告代表者に対し、本件取締役会(第二回)を開催すべきことを伝え、出席を求めており、これは、被告が浩一を通じて、原告代表者に対し取締役会招集通知を発したものと認めて妨げない。
したがって、この点について被告に任務懈怠が存するとは解されない。
2 争点2及び3について
浩一は、本件新株発行に先立ち、株価評価の専門家たる澤井公認会計士事務所に新日本エスライト株の株価の計算を依頼し、右公認会計士事務所の作成した本件計算書に記載された計算結果を適正な時価であるとして、そのまま新株発行予定価額とし、これを「特ニ有利ナル発行価額」に該当しないものと判断した。
この点、原告は、澤井公認会計士事務所の計算結果は、新日本エスライトの純資産額を計算するに当たり、不動産価額の算定の基礎とした路線価が前年度のものであること及び法人税額相当額を控除したことにおいて誤っており、仮に専門家による計算結果に則って決定した新株発行予定価額が「特ニ有利ナル発行価額」に該当しないと判断したとしても、その計算結果が誤っている以上、被告は免責されないと主張する。
しかし、取締役がいかなる根拠に基づいて新株発行予定価額を「特ニ有利ナル発行価額」でないと判断すれば免責されるのか、又は免責されないのかは、既存株主の利益保護の必要性と会社の迅速な資金調達の必要性その他諸般の事情を総合考慮して決すべきであると解される。そして、取締役が専門家による株価計算の結果に基づいて判断した場合、右株価計算の方法及び結果が明らかに不合理であるなどの特段の事情がない限り、取締役は免責されると解すべきである。専門家の計算を求めることで既存株主の利益は一応担保され得る一方で、取締役に対し、一義的に明らかであるとはいい難い株価の計算方法の当否の判断を要求することはできないと考えられるからである。
そこで検討するに、本件計算書中、地価の算定に当たり前年度の路線価を使用している点が存するが、路線価の使用自体が明らかに誤りであるとはいえず、かつ、当時最新の路線価が公表されていたかどうかは明らかではないから前年度の路線価を使用したことが誤りであると断定することはできない。また、一株当たりの純資産額の算定に当たり、含み益に対する法人税額等相当額を控除すべきか否かは議論の存するところであり、これを控除したことが明らかな誤りということはできない。このほか、本件計算書の計算方法及び計算結果が明らかに不合理であることを認めるに足りる事情の主張立証はない。
したがって、本件計算書の株価の計算結果のとおりに新株発行予定価額を定め、これを時価であると判断して株主総会の特別決議を求めなかったことが、被告の任務懈怠についての悪意又は重過失を構成するものとは解し難い。
3 争点4について
本件新株発行は新日本エスライトが経営環境の変化に対応するために計画、実行された工場移転の資金調達の必要からなされたものであること、原告と浩一との間の原告所有株式買取り交渉の経緯等からすれば、本件新株発行がエスライト技研に対して新株引受権を与える方法によってなされたのも合理性があるといえること及び本件新株発行について原告代表者が承諾していたものと認められることからすると、本件新株発行によって原告が所有する新日本エスライト株式の発行済株式総数に占める割合が過半数である約51.7パーセントから約32.8パーセントに減じたこと、被告が設立し、浩一が代表取締役を務めるエスライト技研が新株を引き受けたことによって、新日本エスライトの資本構成において、被告及び被告の家族が実質的に支配的地位を獲得したことなどの事情を考慮しても、本件新株発行が被告の任務懈怠を構成するものとは到底解することができず、この点に関する原告の主張は失当である。
4 右1ないし3のほか、本件新株発行について被告に商法二六六条ノ三の責任が存することを基礎づけるに足りる事情の主張立証はない。
5 争点5について
原告の本訴の提起が被告に対する違法な行為といえるためには、原告の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、原告が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて本訴を提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られると解するのが相当である。
そこで検討するに、本件において被告が本件株主総会の招集通知を商法二三二条所定の方式では行っていないことについて当初から争いがないこと、原告が明らかに不相当とは認め難い資料を基に本件新株発行直前の新日本エスライトの株式の時価を計算した上で主張を展開していると認められることなどの事情を前提とする限り、原告の本訴の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとまでは解されず、その他本件本訴の提起の違法性を基礎づけるに足りる事実の主張立証はない。
四 以上によれば、原告の本訴請求及び被告の反訴請求はいずれも理由がない。
(裁判長裁判官土肥章大 裁判官小野洋一 裁判官馬渡直史)