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東京地方裁判所 平成5年(ワ)24745号 判決 1996年8月27日

原告

木幡尚美

被告

武田典孝

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し連帯して一〇五六万二四三一円及びこれに対する平成二年一二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、四三九八万七五五九円及びこれに対する平成二年一二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が被告らに対し、交通事故による損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  本件事故

(一) 日時 平成二年一二月二五日午前八時五〇分ころ

(二) 場所 東京都世田谷区若林三丁目三四番先路上

(三) 加害車 被告大澤昌孝(被告昌孝)運転の自動二輪車(品川一に五一五二)

(四) 態様 原告が通勤途上、東急世田谷線若林駅の環状七号線の踏切前を横断しようとしたところ、信号停止中の自動車の左側から被告昌孝運転の加害車が直進してきて、原告と衝突した。

2  本件示談契約

原告と被告らは、平成三年二月一三日、概ね次の内容の示談契約をした。なお、本件示談は、原告の父が主導し、一〇〇万円という損害額も原告側で提示した。

(一) 被告昌孝は、損害金一〇〇万円の内金六五万円(慰謝料二〇万円、治療費三五万円、交通費一〇万円)の支払義務があることを認め、平成三年一〇月末日までに原告に支払う。

(二) 後遺症が生じたときは、別途協議する。

(三) 被告典孝は、被告昌孝の本件債務を連帯保証する。

(四) 被告らは諸保険請求手続きに協力する。

3  責任

(一) 被告昌孝

被告昌孝は、加害車の保有者であり、自己のために運行の用に供していたものであり、自賠法三条の責任がある。また、前方注視義務違反があり、民法七〇九条の責任がある。

(二) 被告武田典孝(被告典孝)

被告典孝は、被告昌孝の兄であり、平成三年二月一三日付け示談書により、原告の後遺症について、被告昌孝と連帯して原告に対し損害賠償する旨約した。

4  損害の填補

原告は、自賠責保険から後遺障害保険金として九四九万円、労災保険から療養給付として六〇〇万九九九七円、休業給付として一九八万円、被告らから六五万円を受領している。

二  争点

1  傷害の内容及び治療経過

2  本件示談の効力

(一) 原告

本件示談は、原告の父が主導し、一〇〇万円という損害額も原告側で提示したものであるが、被告昌孝の責任の所在を明確にするために本件示談をしたものである。

本件示談は原告の全損害を正確に把握しがたい状況下で、早急に少額の賠償金で満足する旨の意思表示がされたのであり、本件示談当時予想できなかつた一〇〇万円を超える部分の損害及び後遺症に基づく損害については、放棄してはいない。

(二) 被告ら

本件示談により、原告に生じた損害を六五万円で一切解決する趣旨である。そして、原告の請求する後遺症に関する損害は、本件示談当時予想できたのであるから、同様にその請求権は放棄されたものである。

3  過失割合の合意

(一) 原告

本件示談により、原告の過失割合を三五パーセント、被告昌孝の過失割合を六五パーセントとする合意が成立している。

(二) 被告ら

仮に合意が成立しているとしても、客観的証拠に基づく過失割合との差異が著しいことに鑑みると、その合意は当事者を拘束しない。

4  過失相殺

(一) 原告

原告の過失は三〇パーセントである。

(二) 被告ら

原告の過失は九〇パーセントである。

5  損害額

原告の請求は、別紙損害計算書のとおり。

第三当裁判所の判断

一  争点1 傷害の内容及び治療経過

原告は本件事故により、左急性硬膜下血腫、脳挫傷等の傷害を負い、平成二年一二月二五日から同三年二月一四日まで五二日間、駿河台日本大学病院に入院し、平成三年二月一八日から同年四月二三日まで静岡県袋井市立袋井病院に通院し、同年五月一日から同五年三月三日まで駿河台日本大学病院脳外科及び眼科に通院し、同日症状固定となり、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級七級の認定を受けた(甲二、三、一二の1ないし8、二六)。

二  争点2 本件示談の効力

1  争いのない事実に、証拠(甲二、三、五の1ないし3、六、一〇、一二の1ないし8、二六、二九の1、乙一、一二、被告昌孝)を総合すると、本件示談が成立したころ、原告は駿河台日本大学病院に入院中であつたが、看護記録によると、平成三年一月二四日の記載から、「著変ナシ」との記載が見られること、同年二月一四日に同病院を退院後は、同月一八日から同年四月二三日まで静岡県袋井市立袋井病院にリハビリのため通院し、同年五月一日から同五年三月三日まで駿河台日本大学病院に通院したこと、本件示談は原告の父と被告昌孝の勤務先の上司との間で交渉が進められたこと、本件事故は原告の通勤途上の事故であり、被告昌孝は本件示談が成立する以前に、原告の父から被告昌孝の上司を通じて労災保険の請求ができたとの話を聞いていること、治療費は労災保険の療養給付により支払われたこと、原告は同三年五月八日には復職したが、同年九月二一日退職したこと、本件事故から復職までの間の給与は勤務先から一部支払われていること、本件示談は、原告の父が主導し、一〇〇万円という損害額も原告側で提示したものであること、本件示談は、「被告らは連帯して、損害金一〇〇万円の内金六五万円(慰謝料二〇万円、治療費三五万円、交通費一〇万円)の支払義務あることを認め、平成三年一〇月末日までに原告に支払うこと、原告に後遺症が生じたときは被告らは連帯して損害賠償を行うこと」を内容としていること、平成六年八月二九日には平成二年一二月二五日から平成五年三月三日までの間の労災保険の休業給付一九八万〇一二〇円が支払われていることの各事実が認められる。

2  右認定のとおり、本件示談は原告の症状に一定のめどがつき、退院を間近にした時点で成立していること、治療費は労災保険から支払われていること、本件事故から退職までは勤務先から一部給与が支払われていること、原告の症状固定後には労災保険から休業給付がされており、本件示談当時も休業損害については、原告の父など関係者の意思としては労災給付等によつて填補されることを予定していたと推測できることの事情に加え、原告の本件示談後の治療経過に不測の事態が生じたとは本件証拠上認めがたいことを勘案すると、後遺症についての損害を除く損害(治療費、休業損害、傷害慰謝料)については、六五万円で被告らと示談して、これを放棄しても原告の不利益が著しい状況ではなかつたことが窺われるところである。そうすると、本件示談は、原告の後遺症による損害(逸失利益、後遺症慰謝料)については示談の対象外とし、それ以外の損害については本件示談により放棄することを合意したとするのが、関係者の合理的意思であるというべきである。

原告は、本件示談が、被告昌孝の責任を明らかにする趣旨であつた旨主張するが、金額が具体的に定められていること、同被告の兄である被告典孝が連帯保証していることに鑑みると、原告主張のような趣旨のみで本件示談が成立したとは認めることができない。

三  争点3 過失割合の合意

過失相殺の要否、その割合については裁判所の裁量事項であり、仮に訴訟外で過失割合についての合意が成立していることが窺われても、それを両当事者が訴訟において争わないなどの特段の事情がある場合はともかく、原則的には裁判所はそれに拘束されないのであつて、原告の主張は理由がない。

四  争点4 過失相殺

1  証拠(甲八、一二の3、一四、一八の1、2、一九、二八の1、三一、乙七、一四、一七、一八、二〇、二一、原告、被告昌孝)によると、次の事実が認められる。

(一) 本件事故現場は、東京都内の大森方面から板橋方面に向かう環状七号線であり、片側二車線で、幅員が一六・一メートル(片側八・〇五メートル)の道路である。周辺は市街地であり、制限速度は時速四〇キロメートルになつており、交通は頻繁である。

本件道路は、歩行者横断禁止となつており、その道路標識が設置されている。本件事故現場から五〇メートル大森よりの地点には横断歩道橋があり、五十数メートル板橋よりの地点には横断歩道がある。

(二) 原告は平成二年三月ころから東京都世田谷区若林一丁目二二番七―二〇二号に居住し、東急世田谷線若林駅から東京都渋谷区千駄ケ谷にある勤務先に通勤していた。

平成二年三月から本件事故までの時間経過によれば、原告は本件道路の横断禁止標識の存在を認識していたと推認できる。

原告は通常、午前八時四、五十分ころには現場付近を通り、前記の横断歩道を渡つて若林駅に行つていた。

本件事故当日は、電車の時間に遅れそうになつたため、本件事故現場の東側のガードレールの切れ目から、本件道路を小走りで横断した。

(三) 被告昌孝は、加害車を運転し、大森方面から板橋方面に向い時速三〇キロメートル程度で進行していた。

本件事故現場道路の板橋方向の二車線はともに前記横断歩道橋手前辺りから信号待ちの停止車両がつながつていた。

第一車線(歩道よりの車線)の左側は一・七メートル程度の余地があつたため、被告昌孝はその部分を進行していた。反対車線は、車両の通行はなかつた。

被告昌孝は、第一車線に停止中のワンボツクスタイプの車両の前から、原告が走り出てきたのを、八・八メートル前に発見し、急ブレーキをかけたが、別紙図面<×>地点で衝突した。

(四) 原告は身長一・六八メートルで、本件事故当時二七歳の思慮分別のある年齢であつた。

被告昌孝は、座高が〇・九八メートル、加害車のシート高が〇・八八メートルであり、目線の高さは約一・七メートル程度となる。

ワンボツクスタイプの普通乗用自動車は高さが一・九メートルであるが、通常の普通乗用自動車は一・三ないし一・五メートル程度である。

(五) 原告は本件道路を小走りで横断しており、その速度は時速六キロメートル(秒速一・六メートル)程度と推定でき、前記ガードレールの切れ目から衝突地点までは約一五メートルであるから(別紙図面)、その間約九・四秒かかつている

被告昌孝は時速三〇キロメートル(秒速八・三メートル)で進行していたから、原告が横断を開始したときは本件の衝突現場の約七八メートル手前を進行していたと推定でき、停車中の車両の多くは、その高さが被告昌孝の目線より低いと考えられ、前方右手を一瞥すれば原告が横断しているのを認識できた。

(六) 走行する車両の運転者としては、本件道路を横断する歩行者が現に存在するから、その可能性を否定せずに運転すべきである。

しかし、歩行者側としては、他に違反者がいることをもつて横断禁止違反の過失の重大性を減殺することにはならない。

車道の左端を走行する自動二輪車があることは、横断禁止道路を横断する歩行者が存在の可能性以上に高いものであり、横断歩行者としては十分その可能性を予測して、衝突を避けるよう注意すべきである。

2  右事実などによると原告の過失を五〇パーセントとするのが相当である。

五  争点5 損害

前記認定のとおり、本件示談により原告の請求は後遺症に関する損害に限られるから、その点について判断する。

1  逸失利益

前記認定の事実に証拠(甲七、二二、二三、二六)を総合すると、原告は、昭和三八年七月一八日生まれの女性であること、本件事故により平成三年九月二一日にそれまでの勤務先を退職したこと、同四年二月に再就職したものの、同年八月には離職したこと、同五年四月六日に結婚し、それ以後は家庭の主婦であること、同五年三月三日に原告の症状は固定し、その後遺障害は自賠法施行令二条別表の後遺障害等級七級に該当すること、労働能力は五六パーセント喪失したこと、症状固定時は二九歳であることが認められる。

右事実によると、原告は、本件事故がなければ、症状固定時から六七歳までの三八年間、少なくも平成五年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者全年齢平均の賃金額三一一万五三〇〇円を得ることができたと推認でき、その額を基礎に労働能力喪失率五六パーセントとして、ライプニツツ方式により中間利息を控除すると、その逸失利益額は五九八〇万四八六二円となる。

2  慰謝料

本件事故の態様、結果、原告と被告昌孝の過失の程度、原告の後遺症の程度、内容、とりわけ現在は外傷性てんかんを呈し、抗痙攣剤の服用が必要とされていること(甲三三、三四)、その他被告昌孝の本件事故についての反省の程度など本件記録に顕れた諸事情を総合考慮すると、原告の精神的苦痛を慰謝するには、八五〇万円を相当と認める。

3  過失相殺

右1、2の合計は三八三〇万四八二六円となるが、前記認定のとおり五〇パーセントの過失相殺をすると、一九一五万二四三一円となる。

4  損害の填補

(一) 原告が自賠責保険から後遺障害保険金として九四九万円を受領したことは争いがなく、これを損害額から控除する。

(二) 受領について争いのない労災保険の療養給付六〇〇万九九九七円、休業給付一九八万円、被告らからの六五万円については、本件示談において予定されていた損害の填補であり、労災保険給付の特別支給金等(甲二九の1、2)は損害を填補するものではないから、これらは控除しない。

なお、原告の請求する治療費、差額ベツト代、入院付添費、入院雑費、通院付添費及び通院交通費は合計六七五万二八〇七円であり、仮にこれが全額認められるとしても過失相殺後の額は三三七万六四三五円となり、労災保険による療養給付額との差額二六三万三五六二円が生じる。しかし、労災保険給付は支給範囲が法律に明定され、療養給付(積極損害)は消極損害、慰謝料等他の損害項目には充当されないと解すべきであるから(最判昭和六二年七月一〇日民集四一巻五号一二〇二頁参照)、右差額は後遺症に関する損害には本来充当できない性質のものであり、本件示談が不当な結果を生じさせているものではない。

(三) 自賠責保険の傷害保険金一二〇万円は、東京労働基準監督署が受領しており(乙六)、原告の損害の填補とはならいので控除しない。

5  弁護士費用

原告が本件訴訟の提起、遂行を原告代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事故の内容、審理経緯及び認容額等の諸事情に鑑みると、原告の本件訴訟遂行に要した弁護士費用は、原告は九〇万円を認めるのが相当である。

6  合計

以上の損害額合計は、一〇五九万二四三一円となる。

六  まとめ

以上によると、原告の請求は、被告ら各自に一〇五六万二四三一円及びこれに対する本件事故日である平成二年一二月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

(裁判官 竹内純一)

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