東京地方裁判所 平成5年(ワ)8994号 判決 1994年8月30日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五九年三月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、被告の発行する週刊誌に掲載された記事によりその名誉を侵害されたとして、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めている事案である。
一 基礎となる事実(証拠を掲げた部分以外は、当事者間に争いがない。)
1 株式会社文藝春秋発行の週刊雑誌「週刊文春」が昭和五九年一月二六日号から連載を開始した「疑惑の銃弾」と題する記事において、原告の妻花子(以下「花子」という。)が、昭和五六年八月一三日にロサンゼルス市内で殴打され負傷したいわゆる殴打事件で、花子が同年一一月一八日に同市内において何者かによつて銃撃され、後に死亡したいわゆる銃撃事件及び乙山春子の失踪事件につき、原告が深く関与しているとの疑いを抱かせる内容の記事を掲載して以来、週刊誌、新聞、テレビ等によりいわゆるロス疑惑に関する多くの報道がされていた。
2 被告は、日刊新聞の発行等を目的とする会社であり、週刊雑誌「週刊読売」(以下「本誌」という。)を定期的に発行している。
3 本誌は、昭和五九年三月四日付け誌面において、「ロス銃弾」「入会金五〇万円をキザに払い、女にうるさかつた」「あつ、あの人が甲野さんだつた!」「愛人バンク・スタッフが証言」との見出し、「とにかく女性には手が早い」「たばこケースに五〇万円ねじこむ」「スタッフまで口説く大胆ぶり」との中見出しの下に、疑惑のヒーローである原告の日常は女性なしには語れず、その『女系図』には今流行の愛人バンクでの派手な足跡が出てきたとして、大要次のとおりの別紙記載のような記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。
(一) 原告の茶飲み友達の女性(三〇歳)の話として、昭和五四年一〇月一四日に行われた原告と花子の結婚披露宴の席上、仲人が、原告は女性関係はスッキリしろ、離婚は絶対に認めないと異例の挨拶をし、また、その披露宴の前日、右茶飲み友達の女性は、原告から、本当は結婚したくない、これから駆け落ちしようかとか、結婚してからも付き合つてほしいとか言われた。
(二) 原告は、花子が植物人間となつて帰国した昭和五七年一月二〇日から二か月半後に、羽田空港から台北に向かう飛行機の中で、女性ジャーナリスト(当時二四歳)に対し、君つてセックス好きとか、毎週土曜日にマリファナ吸つて二人の女性を相手に二四時間やりまくるとか言つて執拗に口説き、その後、三、四〇回も電話を掛けた。
(三) 東京都内の愛人バンクの女性スタッフの一人の話として、原告は、昭和五八年一〇月ころ、この愛人バンクを訪れ、たばこケースに入会金五〇万円を超える金をキザにねじ込み、オデコが広く、目がパッチリと大きく、鼻筋を通つていて歯並びがいい華やかなモデルを紹介してほしい旨申し出て、紹介を受け気に入つた十代のモデルの女性と昭和五九年一月初めころまで「愛人交際」を続け、この間、愛人バンクの女性スタッフまで口説くようなこともあつた。
4 原告は、昭和六〇年九月一一日、いわゆる殴打事件に関して殺人未遂罪の容疑で逮捕された後、同年一〇月同容疑で起訴され、さらに、昭和六三年一〇月二〇日、いわゆる銃撃事件に関して殺人罪及び詐欺罪の容疑で逮捕され、同年一一月同容疑で起訴され、前者については一、二審とも有罪判決を宣告されて現在上告中であり、後者については一審で有罪判決を宣告されて現在控訴審係属中である。
二 争点
1 被告は本件記事の掲載、頒布により原告に対して名誉侵害の不法行為責任を負うか。
(一) 原告の主張
本件記事は、一般読者に対し、原告が愛人バンクに入会し、その会のスタッフまで口説いたり、紹介された女性と性的な交渉を重ねていたと認識させるか、少なくともそのような印象を強烈に与え、原告の名誉を著しく侵害するものであり、本件記事の掲載、頒布が原告に対する名誉侵害の不法行為に当たる。
(二) 被告の主張
本件記事の掲載当時、原告のいわゆるロス疑惑に関する多数の報道がされ、本件記事の内容に関する情報は既に社会一般に流布されていたから、その掲載、頒布があつても原告の社会的名誉は何ら低下されておらず、名誉侵害には当たらない。仮に当たるとしても、当時、いわゆる銃撃事件直後の夫婦愛に溢れると見られた原告の行動との対比において、原告の離婚歴、多数女性との交際、女性観、ひいては人間像について社会的関心が寄せられていたところ、本件記事の掲載、頒布は、このような観点からその重要な情況事実を検証するべく、公共の利害に関する事実を内容として専ら公益を図る目的に出たもので、摘示された事実はいずれも真実である、そうでないとしても、本誌記者において独自に又は原告と接点のある関係本人に直接取材して得た合理的根拠、資料に基づくものであるから、被告がその事実を真実と信ずるについて相当の理由があり、被告は名誉侵害の不法行為責任を負わない。
2 本件損害賠償請求権は時効により消滅したか。
(一) 被告の主張
仮に、本件記事の掲載、頒布により不法行為に基づく原告の損害賠償請求権が発生したとしても、原告は、本件記事が掲載された本誌の発売日である昭和五九年二月二一日ころ、あるいは、遅くとも「検証『ロス疑惑』報道」との副題を付した自署「情報の銃弾」を出版した平成元年三月二三日ころには、本件記事を閲読、了知していたから、それから三年を経過した昭和六二年二月二〇日ころ、あるいは、遅くとも平成四年三月二二日ころには、本件損害賠償請求権につき民法七二四条前段の短期消滅時効が完成した。そこで、被告は、本訴において右時効を援用する。
(二) 原告の主張
原告は、平成四年一〇月五日に本件記事の存在及び内容を知り、平成五年五月一九日に本訴を提起したものであるから、被告主張の消滅時効は完成していない。
3 本件名誉侵害による損害額はいくらか。
(一) 原告の主張
原告は、前記のとおり名誉を侵害されたことにより多大な精神的苦痛を被つたこところ、その損害額は三〇〇万円を下らない。
(二) 被告の主張
争う。
第三 争点に対する判断
一 争点1(名誉侵害による不法行為責任の成否)について
1 本件記事は、見出しと相まち、その内容を全体として観察すると、原告は女性に対して放縦に振る舞い、誰かれとなく気に入つた女性を口説き、愛人バンクに入会し紹介されて気に入つた女性と愛人交際を続けていたなどの私生活上の行状に関する事実を摘示するものであつて、原告の品性、徳行、信用等の人格的価値につき社会から受ける客観的な評価を低下させるものとして、その名誉を侵害するものといわなければならない。もつとも、本件記事が本誌に掲載された当時、「疑惑の銃弾」と題する週刊文春の記事が連載され、いずれも原告の妻花子が被害者とされたいわゆる殴打事件及びいわゆる銃撃事件並びに乙山春子の失踪事件をめぐり、多くの報道がされていたことは前示のとおりであるが、被告主張のように本件記事の内容に関する情報が既に社会一般に流布されていたとしても、その一事から直ちに本件記事の掲載が名誉侵害に当たらないとはいえないのみならず、右主張事実を認めるに足りる的確な証拠もない。
2 そこで、被告主張の違法性ないし責任阻却事由の存否について検討するに、本件記事により摘示された事実自体の内容・性質に照らして客観的に判断すると、これが公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものに当たるとはにわかに断定し難いところである。被告は、当時、いわゆる銃撃事件直後の夫婦愛に溢れると見られた原告の行動との対比において、原告の離婚歴、多数女性との交際、女性観、ひいては人間像について社会的関心が寄せられており、このような観点からその重要な情況事実を検証する目的で本件記事を掲載、頒布した旨主張し、《証拠略》中には、右主張に沿う記載及び供述部分があり、本件記事が、原告をいわゆるロス疑惑のヒーローとして位置づけ、原告の日常は女性なしには語れない旨摘示していることは前示のとおりである。しかし、当時はまだ原告が逮捕、起訴される前の段階であるばかりでなく、本件記事の摘示事実の内容・性質が前記のような私生活上の行状に関するものであつてみれば、その掲載、頒布の動機が右のようなものであるとしても、そのことから直ちに、本件記事が公共の利害に関する事実に係るものであるとか、専ら公益を図る目的に出たものということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
なお、被告は、本件記事の内容は真実であり、そうでないとしても、真実と信ずるにつき相当の理由がある旨主張し、《証拠略》によれば、本誌の記者は、本件記事に摘示された情報の提供者であるいわゆる茶飲み友達、女性ジャーナリスト及び愛人バンクのスタッフ等に取材するなどして、それなりの取材活動を行つたことが窺われる。しかし、週刊文春の連載を契機としていわゆるロス疑惑に関する多くの報道が始まつた当時において、マスコミに対して必ずしも根拠のない種々の情報が提供されていたことなどにかんがみると、本誌の取材記者が、的確な裏付け取材をするなど、その内容が十分に推定できる程度の確実な資料を数量及び質の両面において収集した上、これを根拠資料として本件記事を掲載したとまで断定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、右主張も採用することができない。
3 そうすると、被告の本件記事の掲載、頒布により、原告に対する名誉侵害による不法行為責任が成立するものといわざるを得ない。
二 争点2(短期消滅時効の成否)について
1 《証拠略》によると、本件記事が掲載された本誌の昭和五九年三月四日号は同年二月二一日に全国的規模で発売されたこと、同日付けの讀賣新聞朝刊、報知新聞等に右発売広告が掲載されたが、同広告中には本件記事の前記見出しも記載されていることが認められるところ、原告の本訴提起日が平成五年五月一九日であることは記録上明らかであるから、その間に九年余を経過していることになる。
2 ところで、原告は、平成四年一〇月五日に本件記事の存在及び内容を知つたもので、本件不法行為による損害賠償請求権につき民法七二四条前段の短期消滅時効は完成していない旨主張し、《証拠略》中には、原告は、本件記事が掲載、頒布された当時、当初は自己に関する報道記事等の目につくものは目を通していたこともあつたが、その内容があまりにでたらめなものが多く、読めば不快になるばかりだつたので、それからはほとんど見ないようにしており、本件記事は、マスコミを相手とする別件の民事訴訟において、被告側から書証として提出された本誌記事の写しが平成四年一〇月五日に東京拘置所宛送達され、翌六日、原告がこれを現実に受領して初めてその存在及び内容を知つた旨の記載及び供述部分がある。
しかしながら、前記事実関係からすれば、本件記事を掲載した本誌が発売された昭和五九年二月二一日当時は、原告の逮捕時(昭和六〇年九月一一日)より一年半以上も前のことであり、また原告が欧州に滞在していた期間(昭和五九年四月二〇日から昭和六〇年一月二五日まで)よりも前のことであつて、原告とすれば、週刊誌、新聞、テレビ等による自己にかかわる各種の報道等に関する情報に接し、これを了知することは不可能ないし著しく困難な客観的な状況にあつたとはいえず、現に、当時、週刊文春の同年一月二六日号の前記連載記事を契機として週刊誌、新聞、テレビ等によりいわゆるロス疑惑に関する多くの報道がされていたことは前示のとおりである。そして、《証拠略》並びに当裁判所に顕著な事実を総合すれば、(一) 原告は、本件記事が掲載される一か月前の昭和五九年一月二一日に株式会社文藝春秋を相手として、いわゆるロス疑惑に関する前記記事が原告の名誉を侵害するとして当庁に損害賠償訴訟を提起したのをはじめ、その後、原告に関する週刊誌、新聞、テレビ等の報道に関する膨大な収集資料に基づき名誉侵害等を理由とする多数の訴訟を提起していること、(二) 原告は、平成元年三月二三日に第一版第一刷が発行された自署「情報の銃弾--検証『ロス疑惑』報道」中において、右資料の存在を誇示しているほか、本誌を含む一般週刊誌九誌の昭和五九年一月八日号から同年一二月一五日号までの記事の中で原告に関するものとは全部で一三一回、五三五頁の分量を占めていると分析し、また、当時マスコミの取材攻勢が激しさを極め、家に閉じ込もりきりであつたため、書店よりめぼしい週刊誌を週に一、二回届けてもらつていたと記述していること、(三) 右単行本によれば、昭和五九年一、二月中のテレビのモーニングショーやワイドショーで一四〇本に及ぶ原告に関する番組が放映されたが、その中には「多すぎる女性関係から愛妻殺しを疑われた男」(一月二三日テレビ朝日)、「ロス疑惑の夫に口説かれた女優たち」(二月二日フジテレビ)等のタイトルの番組があつたほか、本件記事が掲載された本誌の発売日の翌日に当たる同年二月二二日のフジテレビのワイドショーでは、本件記事の内容を契機ないし前提とし、あるいはこれと符節を合わせたような「愛人バンクにも入会!甲野氏美談と魔性の顔」と題する話題が取り上げられたところ、原告は新聞のテレビ番組欄で右番組のタイトルを見てすぐフジテレビに抗議の電話を掛けたとの記述があること、(四) 右単行本には、さらに、本誌の昭和五九年八月五日号に掲載されたSMの女王アンナ嬢は語る「あの人は私の奴隷だつた」との記事も一から百までデタラメだつたとして、原告が少なくとも本誌の右掲載号は閲読していたことを前提とする記述もあること、(五) 昭和五九年三月三日に日本テレビのワイドショーで「緊急特報!梨本勝がロス疑惑の真相を暴く!」と題する番組が放映されたが、原告は、月刊雑誌「ペントハウス」昭和六〇年六月号に掲載された梨本勝との対談において、日本テレビの右番組及びフジテレビの前記番組で取り上げられた愛人バンク問題に言及し、テレビは入会申込書のサインの筆跡も確認せずに、愛人バンクの経営者の宣伝に乗せられて、原告がこれに入会していると平気で放映している旨述べており、少なくとも右時点において、原告がこの愛人バンクの問題に関して強い関心を寄せていたことは明らかであること、(六) 原告は、月刊雑誌「創」昭和六二年一月号に掲載された手記「検証『甲野報道』」の中で、本誌の本件記事掲載号が発売された日から四日後に当たる昭和五九年二月二五日付け讀賣新聞朝刊が「『ロスでの接点』を追う」との見出しの下に掲載した同紙記者と原告との一問一答のインタビュー記事を右同日に読んだが、右記事は架空会見をデッチあげたものであるとして、本件記事の発売広告を掲載したことのある同じ讀賣新聞朝刊の四日後の紙面については自ら閲読したことを明確に肯定する記述をしていることが認められる。
以上認定の事実関係を総合考慮すると、原告の前記主張に沿う前掲証拠をそのまま信用することは困難であるばかりでなく、原告とすれば、本件記事が掲載された本誌の発売日である昭和五九年二月二一日から相当期間内に、遅くとも被告の主張するように前記「情報の銃弾」が発行された平成元年三月二三日までの間には、本件記事を閲読、了知するとともに、その掲載、頒布の行為者が被告であり、かつ、これが前示のとおり被告の原告に対する名誉侵害による不法行為責任を構成するものであること、すなわち、民法七二四条前段にいう損害及び加害者を知つたものと推認するのが相当であり、他に右認定判断を左右するに足りる証拠はない。
3 そうすると、原告の本訴提起の時点では、本件名誉侵害にる原告の損害賠償請求権は民法七二四条前段の短期消滅時効により消滅していたものというべきであり、被告が本訴において右時効を援用したことは本件訴訟上明らかである。
第四 結論
よつて、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 篠原勝美)