大判例

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東京地方裁判所 平成5年(ワ)9350号 判決 1995年1月31日

原告

秋葉はる

ほか二名

被告

辻康任

ほか二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告辻康任は、原告秋葉はるに対し金三九三六万三三五二円、同秋葉清志及び同大橋聖子に対しそれぞれ金一九六八万一六七六円、並びにこれらに対する平成四年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日動火災海上保険株式会社は、原告秋葉はるに対し金一五〇〇万円、同秋葉清志及び同大橋聖子に対しそれぞれ金七五〇万円を支払え。

三  被告三井海上火災保険株式会社は、原告らの被告辻康任に対する判決が確定したときは、原告秋葉はるに対し金三九三六万三三五二円、同秋葉清志及び同大橋聖子に対しそれぞれ金一九六八万一六七六円、並びにこれらに対する平成四年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告らの負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、十字路において普通乗用自動車同士の衝突があつたところ、一方の車両の運転者が事故後解離性大動脈瘤破裂・心タンポナーデにより死亡したことから、その相続人が他方の車両の運転者、その自賠責保険会社及び任意保険会社を相手に死亡による人損について賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  本件交通事故の発生

事故の日時 平成四年一月一一日午前一〇時ころ

事故の場所 千葉県佐原市佐原イ四四〇番地先の十字路(以下「本件交差点」という。)

加害者 被告辻康任(以下「被告辻」という。加害車両運転)

加害車両 普通乗用自動車(袖が浦五五む一二三七)

被害者 訴外秋葉勇(被害車両運転)

被害車両 普通乗用自動車(千葉五二ま八四六三)

事故の態様 被害車両が本件交差点を北から南に向かつて直進中、同交差点を西から入り、南に右折しようとした加害車両が、被害車両の右後部扉に衝突した。

2  本件事故後の状況

本件事故後、被告辻及び被害者は、両車両を本件交差点の東側道路の左肩に寄せ、話し合いを始めたところ、被害者は、事故から約一〇分経過してから、解離性大動脈瘤破裂・心タンポナーデにより路上に倒れ、その後まもなく死亡した。

3  責任原因

(1) 被告辻は、加害車両の保有者であり、自賠法三条に基づき、

(2) 被告日動火災海上保険株式会社は、加害車両の自賠責保険会社であるから、自賠法一六条に基づき、

(3) 被告三井海上火災保険株式会社は、加害車両の任意保険会社であるから、被告辻と締結した保険約款に基づき、それぞれ、賠償義務を負う。

三  本件の争点

1  本件事故との因果関係

本件事故と被害者の死亡との因果関係の有無が本件の最大の争点であり、これに関する当事者の主張は次のとおりである。

(一) 原告ら

大動脈解離は、平静時、非活動時に発症することは少なく、興奮時、活動時に血圧が上昇することにより発症するのが通例である。そして、被害者には大動脈の高度の硬変があり、また、心臓が肥大していたところ、被告辻の一方的な過失による本件事故のシヨツクやその後の見も知らない加害者との折衝により、被害者は異常に緊張を強いられてその血圧が上昇し、それにより右大動脈の硬変と相まつて急性大動脈解離を起こし、解離性大動脈瘤破裂及び心タンポナーデを招来したものである。このように、被害者の既往症が寄与している場合にも、民法七二二条二項の規定を類推適用して寄与度減額をするのは格別、事故と死亡との間に相当因果関係を認めるべきである。

(二) 被告ら

本件事故は極めて軽微なものであり、かつ、事故直後の被害者と被告辻との会話の内容からして、被害者の血圧が特別上昇したものとは認められない。さらに、解離性大動脈瘤破裂及び心タンポナーデは血圧の上昇がなくても生じ得るものであり、被害者は、たまたま本件事故現場で解離性大動脈瘤破裂等を発症したに過ぎず、事故と死亡との間に相当因果関係はない。

2  原告らの損害額

(一) 原告ら

(1) 治療費 二万四六九〇円

被害者の蘇生処置料である。

(2) 逸失利益 五二七〇万二〇一四円

被害者は本件事故当時満五六歳の男子であり、佐原市他五町消防組合に勤務し年収九九一万〇四九二円を得ていたところ、本件事故がなければ六七歳までの一二年間就労が可能であつたから、四〇パーセントを生活費として控除し(被扶養者は一人であつた。)、ライプニツツ方式により逸失利益を算定すると、右金額となる。

(3) 慰謝料 二四〇〇万円

被害者自身の慰謝料として一四〇〇万円、原告秋葉はるは、被害者の妻であるからその固有の慰謝料として五〇〇万円、原告秋葉清志、同大橋聖子は、いずれも被害者の子であるからその固有の慰謝料としてそれぞれ二五〇万円が相当である。

(4) 弁護士費用 二〇〇万円

原告秋葉はる分一〇〇万円、原告秋葉清志、同大橋聖子分各五〇万円の合計である。

(二) 被告らは、右損害の額を争う。

第三争点に対する判断

一1  甲三、乙一ないし三、六、被告辻本人に前示争いのない事実を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件交差点は、信号により交通整理の行われていない、幅四ないし五メートルの道路同士の十字路であり、東西を走る道路の南側は小野川となつていて、南北を走る道路の南側は小野川に架かる万代橋となつている。本件交差点の北東角及び北西角にはいずれも民家が並び、北側道路から本件交差点に進入するときは、東西の道路の見通しが良くなく、また、西側道路から本件交差点に進入するときは、北側道路の見通しが良くなかつた。

(2) 被害者は、佐原市他五町消防組合に勤務する地方公務員であつたところ、本件事故当日の午前一〇時〇〇分ころ、被害車両を運転して、北側道路から南に向かつて直進し、本件交差点を横断しようとしていた。他方、被告辻は、本件事故当時佐原警察署の外勤課に勤める警察官であつたところ、加害車両を運転して、西側道路から本件交差点に入り、南に右折して、万代橋を渡ろうとしていた。そして、交差点手前で一旦停止し、南側道路から北に向かう車を待機した後、北側道路の状況を確認しないまま、加害車両のハンドルを右にきつて、ゆるやかな速度で本件交差点に進入した。進入開始後、本件交差点を通過中の被害車両を発見し、ブレーキを掛けたが、加害車両が、被害車両の右後部扉に斜め方向から衝突した。

衝突後、被害車両は、右側後部扉凹損、同部フエンダー擦過及びフエンダーモール曲損の損傷があつたものの、その他車外及び室内に異常は認められず、加害車両も、左前部のバンパー曲損、同部ウインカーレンズ破損、同部フエンダー凹損があつたに過ぎなかつた。

(3) 事故後、被害者は、被害車両から降り、同車の運転席付近に向かつていた被告辻に大丈夫である旨を告げた。その後、二人で車の損傷状態を見ようとしたが、加害車両が交通の妨げとなる位置に停車していたため、本件交差点の東側道路に両車両をそれぞれ移動し(被害者は、被害車両をバツクして、本件交差点から約一五メートル先に停車させた。)、双方とも運転免許証を確認した上で、名刺の交換を行つた。その後、保険関係の情報を交換し、被告辻は、警察に報告するため、付近の公衆電話に向かつた。その間、被害者は、被害車両の後部トランクを開けて書類を持つて、通話中の被告辻に近づいたが、被告辻の電話が長くなつていることから、トランク付近に戻つたりしていた。そして、本件事故から一〇分程経過した後、被害者は、解離性大動脈瘤破裂・心タンポナーデにより路上に倒れて、首のあたりを痙攣させ、救急車で佐原病院に運ばれたが、その後まもなく死亡した。

本件事故後、路上に倒れるまでは、被害者には特に異常の点はなく、首を押さえるしぐさなどもなく、顔色も変わつたこともなく、興奮した様子も全くみられなかつた。さらに、被告辻と話している言葉遣いに不自然な点や異常な点はなかつた。また、歩行中、ふらふらしたり、よろめいたりする様子もなかつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  次に、甲一、二、四、乙四、五、八ないし一四、証人木内政寛、同乾道夫によれば、次の事実が認められる。

(1) 大動脈の血管は内側から内膜、中膜、外膜の三層から構成されているところ、内膜に傷が入り、中膜に裂け目ができて縦長に二層に分かれて解離し、その隙間に血液が流れ込むことを急性大動脈解離といい、解離性大動脈瘤とは、このように内膜内の右隙間に血液が流れ込んでいる状態をいう。解離性大動脈瘤は、その裂け方により、デベキーⅠ型(内膜の亀裂が上行大動脈にあり、解離が大動脈起始部から総腸骨動脈分岐部まで及ぶもの)、同Ⅱ型(上行大動脈、大動脈弓に限局されるもの)、同Ⅲ型(下行大動脈以下のもの)に分類されるが、デベキーⅠ型の場合、解離は、心臓付近の大動脈起始部から大動脈弓までの間において開始するのが通例である。

心タンポナーデとは、心臓を包む嚢である心嚢内部に血液等の液体が充満し、このため心臓が圧迫されてその拡張が阻害され、活動が困難となつて全身に血液が行かなくなることをいう。大動脈の解離が心臓側へ進むと、心嚢内部に血液が充満して心タンポナーデとなる。この場合、一〇秒とか、二〇秒の単位で、急激に心タンポナーデが発症し、即死状態を惹起する。

(2) 急性大動脈解離は、活動時に発症する症例が多いこと、及び冬季に多く見られることから、血圧の上昇などの力学的要因が関与している可能性が示唆されており、大動脈解離を起こした者の三六・二パーセントが高血圧の既往症を有していることが報告されている。高血圧は、動脈硬化の重要な促進因子であり、また、そのことにより大動脈解離の促進因子でもあるということができる。しかし、血管の弱り具合如何によつて、大動脈解離は、単なる歩行中でも、また、安静時にも起き得るものである。

(3) 被害者は、心臓が五三五グラムと通常の一・五倍以上も肥大しており、また、高度な大動脈の硬化があり、持続性高血圧症の既往症があつたものと認められる。そして、大動脈の硬化により、血管が非常に弱くなり、解離性大動脈瘤を起こしやすい状態となつていた。

被害者の死亡後の解剖所見によれば、被害者の大動脈起始部の左側に二箇所の外膜の亀裂が形成され、大動脈弓でも内膜・中膜に裂断があり、起始部から総腸骨動脈分岐部まで中膜は解離し、内部に血液を多量に容れていた。前示の分類でいうとデベキーⅠ型の解離性大動脈瘤の症状である。また、解離は、起始部と大動脈弓から同時に開始したものと考えられ、外膜損傷部と心嚢内が交通していて、このため、心嚢内に血液三三〇ミリリツトルが流入され、心タンポナーデを発症していた。被害者は、この心タンポナーデによる心臓圧迫と、大動脈自身の解離性大動脈瘤による圧迫のため、全身の循環状態が不良となり死亡したものと考えられる。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  前記各事実に基づき、本件事故と被害者の大動脈解離・心タンポナーデとの因果関係を検討する。

1  先ず、木内証人は、千葉大学医学部法医学教室の教授であり、被害者を司法解剖した者であるところ、動脈硬化等の疾患がある場合には、大動脈の解離は興奮などによる一過性の血圧上昇が関与することも考えられていること、及び高血圧の場合は、血液の流れの勢いが強いため、特に、大動脈起始部付近の内膜に力が加わり、損傷し易くなることを指摘し、被害者には高度の大動脈の硬化があつたことから、事故の際の精神の動揺、興奮などによる血圧の上昇により大動脈の解離が起こり得るとして、間接的な因果関係があるとする(甲一及び同人の証言)。もつとも、木内証人は、その証言において、被害者の大動脈の硬変が高度であるため、極めて些細な日常生活の中の変化でも解離が生じ得ることも指摘する。

他方、乾証人は、東京都の監察医務院において長年にわたり解剖を担当した医師であり、解離性大動脈瘤が原因となつて死亡した者を三〇〇体程度解剖した経験のある者であるところ、<1>その解剖の経験上、高血圧の人でも解離性大動脈瘤となるものは少なく、通常の血圧の人でも解離性大動脈瘤となり、日常生活活動時にもしばしば発症することが認められることから、高血圧と大動脈の解離との間に直接の関係はないということができること、及び、<2>被害者は、大動脈の高度な硬化症となつており、また、持続性高血圧症であつたことから、いつ大動脈の解離が起きても不思議ではないことを理由に、被害者の大動脈解離・心タンポナーデは、たまたま本件現場において発症した内因的病変であるというべきであつて、本件事故と因果関係はないとする(乙八、一四、一五及び同人の証言)。

2  ところで、前認定の事実によれば、被害者は、車両の移動後も特に変わつた様子もなく被告辻と会話を交わしており、また、大動脈の解離が原因となつて心タンポナーデとなる場合は、急激に心タンポナーデが発症し、即死状態を惹起することを総合すると、被害者は、大動脈解離・心タンポナーデを本件事故後一〇分程度経過して、路上に倒れた寸前に発症したものと認められる。そうすると、本件事故が直接の原因となつて、被害者が右症状となつたものではないことは明らかである。

3  次に、原告らは、本件事故が原因で被害者の血圧が上昇し、このことが契機となつて、大動脈解離・心タンポナーデが発症したと主張するが、前認定の事実によれば、本件事故後、被害者には特段の異常がなく、顔色も変わつたこともなく、興奮した様子も全くみられなかつたのであり、外見上からは、本件事故が契機となつて血圧が上昇したものと認めることが困難である。なお、一般に、交通事故が起きたときは、交通事故の関係者が異常に緊張したり、その血圧が上昇することが考えられないわけではないが、本件の場合は、前示のとおり、事故自体が軽微なものである上、加害者が警察官であり、また、被害者も消防組合勤務の公務員であつて、比較的冷静に善後措置を講ずることができるものと推認され、前記認定の本件事故後の状況はこのことを裏付けているということができ、本件事故又はその後の被告辻との会話が原因で被害者の血圧が上昇したものと認めることは困難である。そして、木内証人は、事故の際の精神の動揺、興奮などによる血圧の上昇により大動脈の解離が起こり得ることを前提として事故との間接的な因果関係を肯定しているのであるが、同証人の見解は、その前提を認めるに足りる証拠がないといわなければならず、採用することができない。

仮に、被害者が、本件事故又はその後の被告辻との会話により精神の動揺、興奮を来し、このことが原因で血圧が上昇したとしても、前認定の報告によれば、大動脈解離を起こした者の三六・二パーセントが高血圧の既往症を有しているに過ぎず、逆にいうと、六三・八パーセントの者が高血圧とは無関係に大動脈解離を起こしていること、及び、被害者の大動脈の硬変が高度であるため、極めて些細な日常生活の中の変化でも大動脈解離・心タンポナーデは生じ得ること(このことは、木内証人と乾証人の一致した見解である。)から、被害者が警察に通話中の被告辻のところへの往復、その他の行動により、これらが発症したとも考えられ、その発症の原因を右被害者の精神の動揺、興奮に特定することができず、結局、本件事故との間に相当因果関係を認めるのは困難であるというほかはない。

4  以上のとおり、本件事故と被害者の大動脈解離・心タンポナーデとの間に相当因果関係は認められない。

第四結論

そうすると、原告らの本件請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判官 南敏文)

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