大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(タ)696号 判決 1995年12月26日

原告(反訴被告)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

赤坂裕彦

流矢大士

佐藤康則

富永紳

被告(反訴原告)

マリア・甲野

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。

二  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)間の長男甲野ミケーレ一郎(昭和六〇年生)と次男甲野マルコ二郎(昭和六〇年生)の親権者を被告(反訴原告)と定める。

三  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金七〇〇万円を支払え。

四  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、本判決確定の日の翌日から平成一七年一一月一九日まで毎月末日限り一か月金一〇万円の割合による金員を支払え。

五  原告(反訴被告)のその余の本訴請求及び被告(反訴原告)のその余の反訴請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、原告(反訴被告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴請求の趣旨

1  原告(反訴被告。以下「原告」という)と被告(反訴原告。以下「被告」という)とを離婚する。

2  原告と被告間の長男甲野ミケーレ一郎と次男甲野マルコ二郎(ともに昭和六〇年生の双子。以下「本件子ら」ともいう)の親権者を原告と定める。

3  被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  第3項についての仮執行の宣言。

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告の本訴請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  原告と被告とを離婚する。

2  本件子らの親権者を被告と定める。

3  原告は被告に対し、金一八八七万五八〇六円を支払え。

4  原告は被告に対し、本判決言渡後から平成一七年一一月一九日まで一か月金一五万円の割合による金員を毎月五日限り支払え。

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  被告の反訴請求を棄却する。

2  反訴費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  本訴請求の原因(原告の主張)

1  婚姻の成立等

原告と被告は、昭和五八年三月一日に婚姻届をした夫婦であり、両名の間には本件子ら(昭和六〇年生まれの双子)がある。

2  離婚請求

(一) 悪意の遺棄(民法七七〇条一項二号の事由)

被告は、原告の意思に反し、昭和六一年三月二〇日に、本件子らを連れてイタリアへ帰国した。被告は、同年四月一〇日に単身でいったん日本に戻ったが、同年七月三日には再度イタリアへ帰国し、以後現在に至るまで生活の本拠をイタリアにおき、原告との夫婦共同生活を拒み続けている。

(二) その他の婚姻を継続し難い重大な事由(民法七七〇条一項五号の事由)

(1) 結婚当初、被告は、東京芸大からの給与とイタリア語家庭教師の仕事により月額約四〇数万円の収入があった。他方、原告は、そのころ、大阪で医学生として、医師国家試験の勉強をしていた。原告は、昭和六〇年には、被告と同居するに至ったが、同年五月の医師国家試験に不合格となった。その際、被告は、原告に対し、職につくか、原告の父親に被告への経済支援もさせるかして、被告の生活費を捻出するように迫った。

(2) 被告はイタリアにいる両親への精神的依存度が著しく、自立していない。

被告は、被告の両親に言われるままに、同人らに対して、一か月約三〇数万円の送金をしていた。しかし、被告の父親は、当時、イタリアの公務員を退職していたものの、相当額の退職金、年金を受けていた他、広大な別荘も有しており、被告の右送金は、(1)のような事情と対比すると、不必要に過大なものであった。

(3) 原告は、被告がイタリアに帰国してからも、夫婦関係を回復しようとしてイタリアを訪問し、手紙や子供へのプレゼントを送る等して努力した。しかし、被告は、応じないばかりか、子供を原告に会わせようとしなかった。

(4) 被告は、昭和六二年に、原告が医師として勤務するA病院の医院長に対して手紙を出して、原告を侮辱するとともに原告の給与を被告に送付するよう要請し、もって、原・被告間の夫婦関係の不調を不必要に勤務先に知らしめ、原告のプライバシーを侵害するようなこともした。

被告は、同年、横浜市の区役所に対しても原告の給与内容の照会を行い、原告のプライバシーを侵害した。

(5) 以上から明らかなとおり、原・被告の婚姻にはこれを継続し難い重大な事由がある。

(三) 調停不調

被告は、昭和六一年五月に、原告を相手方として、東京家庭裁判所に夫婦関係調整調停を申し立てたが、申し立てた被告自身が出頭しない等の理由で、同年九月一六日、右調停は不調に終わった。

(四) よって、原告は被告に対して離婚を求める。

また、以上から明らかなとおり、本件子らの親権者は原告と定めるのが相当である。

3  慰謝料請求

(一) 原・被告間の婚姻は、被告による悪意の遺棄その他の婚姻を継続しがたい重大な事由によって破綻したものである上、被告が生まれて間もない本件子らをイタリアへ連れて帰り原告に面会させないため、原告は、多大な精神的苦痛を受けた。以上のような精神的損害に対しては、一日当たり金一万円の範囲内である金三〇〇〇万円をもって慰謝するのが相当である。

(二) よって、原告は被告に対し、不法行為に基づき金三〇〇〇万円及びこれに対する平成七年二月二二日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  本訴請求の原因に対する認否

1  請求の原因1項の事実は認める。

2  同2項(一)の事実のうち、被告が本件子らを連れてイタリアに戻り、生活の本拠をイタリアにしたことは認め、その余は否認する。被告は、右帰国について原告の承諾を得ている。

同項(二)の事実のうち、(1)は認め、その余の趣旨は争う。

同項(三)の事実は認める。

三  反訴請求の原因

1  離婚請求

(一) 原・被告は婚姻当初から、大阪と東京都とで別居生活を余儀なくされた。原・被告の実質的な同居生活は昭和六〇年三月から同年七月までにすぎない。

(二) 原告及び原告の両親は、被告に対する経済的支援をしなかった。これは、被告が妊娠した際も変わらなかった。

(三) 被告は、原告の生活態度や無責任な性格等に対する不信感が強く、原告との間に円満な夫婦関係を回復することができない。

(四) よって、被告は原告に対して離婚を求める。

なお、本件子らの親権者は被告と定めるのが相当である。

2  養育費請求

(一) 原告は、昭和六二年四月に日本へ帰国して欲しいとの理由で在ローマの被告に金七〇万円を送ってきたことがあるが、それ以外には本件子らの養育費を一切支出していない。

(二) 本件子らの年齢、原告、被告の収入等に照らすと、被告は、原告に対して、本件子らの養育費として各月金一五万円を支払うのが相当である。

(三) よって、原告は被告に対し、養育費として夫婦の同居が終了した昭和六〇年七月から本件訴訟の判決言渡の日(平成七年一二月二六日)まで一か月金一五万円の割合による金員の合計金一八八七万五八〇六円の支払いを求めるとともに、右判決言渡の日の翌日(平成七年一二月二七日)から本件子らが成人する平成一七年一一月一九日まで一か月金一五万円の割合による金員を毎月五日限り支払うことを求める。

四  反訴請求の原因に対する認否

1  同1項(一)の事実のうち、同居生活の終了が昭和六〇年七月であるとの点は否認し、その余は認める。

同項(二)の事実は認める。同項(三)(四)は争う。

2  同2項(一)の事実は認める。

同項(二)(三)は争う。

第三  証拠関係は本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  裁判管轄及び準拠法

1  原告は日本国籍を有する者であり、被告はイタリア国籍を有する者である。両名は日本において婚姻した。現在、原告は日本に居住するが、被告はイタリアに居住している<甲一及び弁論の全趣旨により、認められる。>。

我が国の成文法としては、国際裁判管轄権に関する規定はないが、外国人同士の離婚訴訟に関して、最高裁は「被告住所地を基準とするが、例外的に原告が遺棄された場合、被告が行方不明の場合、その他これに準ずる場合には、原告の住所が日本にあるならば、日本の裁判所の管轄権が認められる。」旨を判示している(最高裁昭和三九年三月二五日大法廷判決・民集一八巻三号四八六頁)。

本件は、日本で婚姻した夫婦の離婚事件であり、原告が日本在住の日本人であり、被告がイタリア在住のイタリア人であり応訴していることからみて、右の例外事情に該当する場合として、日本に裁判管轄権があると判断するのが相当である。そうすると、人事訴訟手続法一条一項二項により、東京地方裁判所に専属管轄権があることになる。よって、当裁判所において、審理判断することとする。

2  次に、本件の裁判において適用すべき準拠法であるが、離婚、離婚に伴う慰謝料及び財産分与については、原告が日本に常居所を有する日本人であるから日本法によることとなる(法例一六条ただし書)。親権者の指定については、本件子らの国籍が日本及びイタリアであって、父の本国法(日本法)と同一であるため、日本法によることができる(法例二一条)。したがって、結局全部日本法によって判断する。

二  事実関係

本件証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。(証拠としては、甲三、原告本人尋問の結果。また、弁論の全趣旨としては被告の答弁書添付資料。後者については、認定事実中に必要に応じて記載した。)

1  原告は、昭和二五年一〇月長崎県で生まれ、昭和五六年三月東京大学理学部を卒業後、医師になるため大阪大学医学部に入学した。

被告は、一九五二年(昭和二七年)二月イタリアに生まれ、ローマ大学を卒業し、昭和五〇年四月に国費留学生として東京大学教養学部大学院比較文学科に入学した。

2  原告と被告は、原告のイタリア語の教授の紹介を受けて知り合い、昭和五七年六月ころから親密な交際を持ち始め、昭和五七年一一月に婚約し、被告の両親も来日して昭和五八年三月一日に日本で婚姻した。

結婚した昭和五八年三月当時、原告は、大阪に居住して大阪大学医学部に通い、父から学費、生活費の援助を受けていた。他方、結婚当時、被告は、東京芸術大学イタリア語科の常勤講師をしており、同大学の借り上げた東京都豊島区のマンションに居住していた。両名は、週末毎にどちらかの居所で過ごすという新婚生活をしていた。同年七月には、両名でローマに旅行し、被告の実家を訪問した。

3  原告は、昭和六〇年三月に大阪大学医学部を卒業して、東京に移転し、夫婦同居の生活を開始した。ところが、原告が同年四月の医師国家試験に失敗したため、両名は、引き続き原告の父からの経済的援助と被告のイタリア語講師としての給料で夫婦の生計を立てていくこととなった。しかも、被告が妊娠しており、同年一一月ころ出産予定であったため、同年一〇月には被告の母がイタリアから手助けに来日することとなった。そのためもあり、原告は、同年七月ころから実家の横浜市青葉区<番地略>に移り、原被告は再び別居生活となった。

このころから、被告は、原告の生活態度に信頼感を失い始め、同年一〇月一日付けで原告に「私はこれから生まれる子供たちをかならずしも日本でなく、ヨーロッパで教育させることをはっきり約束します。また、私達が離婚の場合、ローマで生まれた妻である相手方にこれから産まれる子供たちを引き渡すことを約束します。」という書面<答弁書添付資料第1>を書いて貰った。

4  被告の母が昭和六〇年一〇月三日に来日し、被告は、同年双子の本件子らを出産した。同月一四日には被告の父親も来日した。原告の父も病院に出向き、お祝いとして金三〇万円を被告に交付した。被告の父は、翌昭和六一年二月二〇日に帰国し、被告と母とは、本件子らと共に、同年三月二〇日にイタリアに移った。

その前の同年二月二六日付けで原告は、被告に頼まれて「横浜市に居住する昭和二五年一〇月二七日長崎県生まれ原告である私は、五二年二月一三日ローマで生まれた妻である被告のパスポートに子供の名前を載せることに承諾します。」旨の書面<答弁書添付資料第3>を書いて被告に渡していた。

5  被告は、一か月後の昭和六一年四月一〇日に日本に戻り、同月二七日代理人の弁護士を通じて原告に対し協議離婚を申し入れた。原告は、同年五月に医師国家試験に合格し、研修医となっていたところ、右協議離婚の申し入れを拒否した。被告は、同年五月九日東京家裁に離婚調停を申立てた。これに対し、原告は、同月一六日、夫婦同居、子の引渡調停事件を申し立てた。被告は、同年七月三日にはイタリアに帰国し、調停期日には出頭しなかった。そのため、同年九月一六日には調停は不成立となった。

原告は、同年一〇月ころローマに赴き、先にイタリアに帰国していた被告と会ってその意思を確認するとともに離婚意思の翻意を促したが、難しかった。

被告は、このころローマ民事地方裁判所に別居等を求める訴訟を提起した。

6  5前段記載の夫婦同居、子の引渡調停事件は、調停不成立後審判に移行し、担当調査官が原告に連絡を取ったところ、原告は、「被告と本件子らが日本に戻ってくるなら養育費を支払うつもりで、金員をとってある。」と答えていた<答弁書添付資料第5>。

被告は、原告が勤務していたA病院の院長宛に昭和六二年一月五日到達の手紙を出し、その中で、原告の給料から養育費を差し引いてローマに送って欲しい旨を伝えた。原告は、職場に家庭の問題を持ち込まれたとして困惑し、同年四月二日、直ぐに日本に帰国して欲しいとの通信文を添えて、被告に金七〇万円を送金した<甲三>。

その後、原告は、昭和六三年九月にローマを訪問したが、被告及び本件子らとは会うことはなかった。

7  ローマ民事地方裁判所は、平成元年一〇月一六日、5後段記載の事件につき、原被告間の別居を宣言し、本件子らの養育を被告に委ね、原告に養育費の支払いを命じる判決を言い渡した。また、ローマ高等裁判所は、平成四年一〇月二〇日、右の原判決のうち、原被告間の別居を宣言し、本件子らの親権者を被告とした部分を維持した他、原告に養育費として毎月八〇万リラ(毎年のインフレによる変更義務がある。)の負担を命じ、本件子らに対する訪問権に変更を加える判決を言い渡した。

次いで、東京家庭裁判所は、平成五年九月二八日、5前段記載の事件につき、調停不成立の時点で原被告間において円満な夫婦関係を期待することは困難であるといわなければならず、その責任を被告にのみ帰すことはできないとして、原告から被告に対する同居請求を却下するとともに、本件子の引渡の調停が不成立となった時点で被告が本件子らを養育看護するのが子の福祉にかなうものというべきであるとして、原告の本件子らに対する引渡請求を却下する決定をした<答弁書添付資料第25>。原告はこれに対して抗告したが、東京高等裁判所は、平成六年一〇月三一日、抗告を理由がないとして棄却する決定をした<答弁書添付資料第9>。

8  6末尾のように原告がローマを訪問した後、7の裁判手続の間、原被告間及び原告と本件子ら間にも、簡単な手紙等のやりとりがわずかにあった程度で、交流はない。

原告は、イタリア語は簡単な会話しかできない。

三  離婚請求

1  離婚事由

原被告が互いに離婚を求めていることから、現時点において両者が婚姻を継続し難い状態にあることは、ほぼ明らかであるといってよい。

2  被告の有責性の有無

原告は、被告から悪意で遺棄されたことを第一次的離婚請求事由として主張しており、原告の慰謝料請求にも関連するので、1の点だけにとどまらず、離婚原因について判断する。

(一)  原被告の婚姻の問題点

前記二2のとおり、原告被告間の婚姻は昭和五八年三月に開始されたもの、同居期間は、昭和六〇年四月から同年七月までのわずか四か月間であった。生い立ちや考え方も必ずしも同一でない他人同士が一緒になるのであるから、同国人同士でも婚姻の開始に際しては、互いの理解に困難を来すこともあるのが婚姻一般に通例であると思われる。したがって、被告が日本語の読み書きができる等その日本語の理解力が相当程度であったと思われる点を考慮しても、原被告は、日本人とイタリア人という国籍を異にするのであるから、互いが互いを一二分に理解しようとする不断の努力と愛情の深さがなければ、婚姻関係を実りあるものに育てていくことに困難が伴うものといえるであろう。しかるところ、原告の医学生としての勉学の必要性から婚姻開始当初の二年間別居しなければならなかったのは、結果論であるが、大きな痛手であったといってよいであろう。そして、同居半年後に被告が出産予定となった時に、原告が医師国家試験に失敗してしまったことが見逃せない。ところが、このような困難に直面し、互いの結束を強くする必要のある最も重要な時期に、相互理解を深めた相互協力が十分にされなかったように思われる。被告は、経済面での不安や異国で妊娠出産に伴う諸問題を悩んだのであるが、原告に相談することが少なかったようであり、反対に原告は、被告の心情を思いやり、精神面での援助だけでも一二分にすることもなかったようである。

(二)  破綻状態の発生と原因

おそらくは、両者とも努力をしたと思われる。しかし、それは、互いの主観を基準にすれば十分といえる程のものであったかもしれないが、相手からみれば十分には感じられなかった程度のものであったのではないかと思われる。結果からみると、いずれが原因を作ったというより、国際結婚に伴う諸々の障碍とりわけ相互理解を深めることについて互いの性格及び能力がそもそも十分でなかったいう他ないのかもしれない。

この点に関し、原告は、昭和六〇年一〇月時点で未だ両者の関係が悪化していないし、また二3後段の書面は当時たまたまあったニュースをきっかけに被告から記載要請があっただけで、原告は本心でこれを記載したのではないと供述して、その後の被告の協力不足を指摘する。これに対し、被告は、この時点で既に両者の関係は相当に悪化していたと主張する。

被告が、出産を一か月後に控えた右の時点で、離婚を想定し、生まれてくる子の養育問題について、前記二3のとおりの書面に記載することを原告に求めたというのは、尋常のことではない。やはり、既にこの時点で両者の関係は深刻であったというべきである。

仮に両者の婚姻関係が良好なら被告がこのような不吉な内容の書面を記載して欲しいというはずがなく、被告の気持が深刻なものであったと考えるのが相当であろう。したがって、本心でなく記載したとの原告の右供述は採用することができない。仮に本心でないとの原告の右供述が真実なら、原告は、その時点での被告の深刻な気持を理解していなかったことになるが、そうなら、その点で、さらに被告の失望感を増幅させたかもしれない。

したがって、この時点で、原被告は、互いの関係の修復に最大限の努力をすべきであった。しかし、出産予定が近いせいもあり、また被告の両親が来日して被告の出産の応援にくるということもあり、原告が実家に移り、両者間の関係改善の努力はそれ以上されなかった。

子供が産まれた際は両名の関係改善のチャンスである。しかし、被告の両親が滞在していたためか、また医師国家試験が控えていたせいか、原告及び原告の両親は、被告及び被告の両親との率直な気持ちの交換の機会をあまり持たなかったようであり、原被告の関係改善は図られず、むしろ反対に互いを理解しないままに関係は悪化していったと思えるのである。

(三)  被告による本件子らのイタリア移住

子の出生後、被告は、母親と本件子らと共にイタリアに戻った。原告は、「被告が、その際、いかにも直ぐに戻るかのように騙してパスポートに子らの名前を併記することを原告に承諾させ、本件子らをイタリアに連れていき、原告から引き離した。」と供述する。<原告本人調書一〇項>

二4・5のとおり本件子らをイタリアに連れて帰り、被告だけは、一か月後に来日し、直ちに協議離婚を申し入れ、離婚調停を申し立てたことからすれば、被告は、日本を立つ前に離婚を決めていて子を先にイタリアに連れて帰るつもりで、原告の右指摘どおり、原告を騙してパスポートに本件子らの名前を記載させたかもしれない。このようなやり方は、原告からすると非常にアンフェアなものに感じられたであろう。

ただ、次のように考えることもでき、被告の右の態度は、原告が言う程に不当なこととはいえないとも思われる。すなわち、この当時被告だけが働いて収入があったのであるから、その被告が子の育児に専念するとなれば、仕事を断念しなければならず、収入源を断たれることになる。したがって、この問題をどうするかを早急に現実的具体的に解決しなければならなかったところ、原告がこの問題についての現実的でしっかりした解決案を呈示した形跡がうかがわれない。そこで、被告としては、ともかくも、子の養育を実家の母親に依頼することが先決問題であるとして、本件子を連れてイタリアに帰国するという選択しか取れなかったと考えた可能性が高く、その過程を原告にきちんと説明して了解を得なかったとしても、他に方法がなくこれを実行するしかないと考えていたとすれば、非難ばかりもできないことになる。事態を深刻に捉えていた被告とそれほどの事態とは考えていなかった原告との感性の違いかもしれない。

なお、イタリアに向けての帰国の少し前の昭和六一年一月に被告が原告に日本の保育園に入れるための手続を頼んでいること<甲五・六>からすると、その時点では、被告は、日本に残って原告と本件子らとの家族生活をするつもりでいたところ、結局その後に考えを変更して子を連れて帰ることにしたのかもしれない。仮にそうであるとした場合には、先の場合と同様かそれ以上の被告の苦しい心情がうかがわれるのであり、それを考慮すると、被告の態度だけを非難するわけにもいかない。

(四)  被告による悪意の遺棄の有無

いずれにしろ、被告にとっては、経済的及び精神的に原告から支援が得られるか不明であり、何よりも異国で家庭生活を営むことに伴う困難を互いの協力で乗り越えて行くだけの信頼感あるいは愛情の深さを原告に対して実感できなかったことになる。そして、その原因は互いの協力のレベルが深く強くなかったということになろうが、その責任を少なくとも被告だけに帰せしめ、あるいは被告の身勝手ということは酷であろう。原告にもなお至らない点もあったということができよう。

したがって、被告に悪意の遺棄があったというわけにはいかない。

離婚原因としては、1のとおり単に当事者間に婚姻を継続し難い重大な事由がある場合というべきである。

3  離婚後の親権者

右1、2のとおり原被告間の離婚を認めざるを得ないが、その場合の親権者の指定については、次のとおりに考えるべきである。

本件子らは、生後四か月ほどしてからその後今日までの一〇年間、イタリアで被告とその両親の下で養育されており、日本語を話すこともできないであろうから、本件子らを原被告間の離婚後、原告の許で育てるのは実際上は不可能に近い。これを無理してまで強行することは子の福祉に反することが明らかである。他方、被告は、現在イタリア・ヴァチカンの日本大使館に勤務し、定収入があるし、これまでも本件子らを養育してきた実績がある。したがって、離婚後の本件子らの親権者は被告と定めるのが相当である。

ただし、原告と本件子らの面接が実現されるように関係者が協力することを希望したい。

四  原告の慰謝料請求

前記三2(三)のとおりの事情からみると、被告が本件子をイタリアに連れていき原告に会わせない事態になったことにつき、被告が原告に対し慰謝料を支払うべき理由があるとまではいえない。帰責のある事柄というより、やむを得ない結果であったというべきである。

五  養育料

1  過去の養育料

被告は、養育料として毎月金一五万円の割合による金員の支払いを求めているところ、一般に婚姻中で別居の場合に夫婦の一方が負担した子の養育料は、婚姻期間中は、婚姻費用の分担として相手方配偶者に請求することができる。また、婚姻時には婚姻費用の清算のための給付を含めて財産分与の額及び方法を定めることができる。したがって、婚姻中に夫婦の一方が負担した子の養育料は、婚姻時にはその負担額を婚姻費用の清算のための給付として財産分与の額及び方法の中に含めて相手方に請求することもできる。

そこで、本件子らについての養育料を離婚における財産分与として考慮することとする。まず本件子らが出生した昭和六〇年一一月から今日までの約一〇年間にわたり、本件子らは、被告によりその両親の協力を得て、生後四か月は日本で、その後はずっとイタリアのローマで育てられているので、その間の養育費は被告が負担してきたと認められる。幼少期は学齢期よりは養育料は廉価であると予想されること、原告は、昭和六二年四月に金七〇万円を被告に送金したことがあったこと、原告としては本件子には会えず、成長過程を知らないまま支払いをする関係にあること等の事情を考慮すると、一〇歳までの本件子らの養育料を婚姻費用の清算として財産分与の中で請求する場合の金額としては、合計金七〇〇万円の分与請求として認めることをもつて相当と判断する(ただし、二7のローマの裁判所における判決に従って、原告が養育料を支払い又は今後支払うことがあれば、その分は控除されることになる。次の2についても同様である。)。

2  将来の養育料

離婚請求を認容する場合には、申立により子の監護費用の支払いを相手方に求めることができる(最高裁平成元年一二月一一日判決・民集四三巻一二号一七六三頁)。そこで、本件において被告が原告に監護費用の支払いを求めることができることになるので、その額を検討する。

まず、離婚後も本件子らは被告の許で養育されることになる。そして、離婚後の養育時期が本件子らの一〇歳から二〇歳までの高学年の時期に当たるので、その点も踏まえ、本判決確定時から本件子らが二〇歳の成人に達するまでの間、本件子らの養育料として一か月合計金一〇万円(一人あて金五万円)の割合による金員の支払義務を原告について認めるべきである。

六  結語

そうすると、原告の離婚請求並びに被告の離婚請求、被告による親権者の指定の申立及び養育料の支払請求(ただし、四で認容する限度)は、理由がある。よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言についてはその必要がないので、これを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官岡光民雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例