東京地方裁判所 平成6年(ワ)11710号 判決 1998年5月11日
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用中、参加により生じた費用は補助参加人の負担とし、その余は原告の負担とする。
理由
一 本件消費貸借契約の成立について
1 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 被告太郎と被告花子は夫婦であり、乙山は、被告花子の父である。乙山は、株式会社丙川を経営し、被告太郎は、同社に勤務していたが、乙山の自宅と被告ら夫婦の自宅は、三〇〇メートル程の距離にあり、平成二年当時、乙山宛の郵便物も被告ら宛の郵便物も、「丙川」の私書箱で受領されていた(なお、本件証拠上、乙山の住所と被告らの住所は同一であり、被告ら宛の本件訴状も乙山によって受領されているが、その理由は詳らかでない。)。
被告太郎は、平成元年二月一三日にくも膜下出血を発症し、同月一五日から平成二年一〇月四日まで美原記念病院に入院したが、入院時に実印や「赤城国際カントリークラブ」の会員証を乙山に預けた。
(二) 乙山は、昭和六一年三月から、参加人桐生支店(以下「桐生支店」という。)との間で株式投資資金の融資を受ける取引をしていたが、平成二年八月ころには、貸金債務が二億一〇〇〇万円に達していたのに対し、その担保となっていた定期預金は一億一〇〇〇万円、株式の評価は四五〇〇万円であり、いわゆる担保割れの状況にあった。このような中で、乙山は、同月、被告太郎の所有する前記「赤城国際カントリークラブ」の会員権を担保にした新規の融資を参加人に申し込んだが、桐生支店の渉外課長であった伊藤裕康からゴルフ会員権を担保とした貸付は会員権の名義人に対してでないとできないと告げられたため、結局、被告太郎の名義で一〇〇〇万円の融資を受けることとした。そして、右融資については、原告に保証委託をし、右ゴルフ会員権は、原告に対する担保とすることとされた。
(三) そこで乙山は、平成二年九月五日、被告太郎から預かっていた実印を届印として参加人の桐生支店に被告太郎名義の普通預金口座を開設し、一方、伊藤から指示を受けた桐生支店の須崎雄三は、同月一四日ころ、乙山から「お申込人」欄に被告太郎名義の、「連帯保証人」欄に被告花子名義の各署名押印のある原告宛の保証委託申込書を受領してこれを原告に送付したところ、同年一〇月初旬に原告から保証引受の通知を受けたため、乙山に原告宛の保証委託契約書の用紙を交付した。そして、同年一一月初めころ、乙山が被告太郎と被告花子の各名義の署名押印がされた右保証委託契約書を持参したため、予め乙山から預かっていた前記ゴルフ場の会員証を原告に送付した。これを受けて原告は、同月五日付で、参加人に対し保証引受番号通知書を、被告太郎に対しゴルフ会員権担保預り証を発行した。
(四) 須崎は、平成二年一一月二八日ころ、本件消費貸借契約についての金銭消費貸借契約書を持参して乙山方を訪れ、乙山の同席の下に被告太郎及び被告花子と面談し、被告太郎は、右証書の借主欄に住所及び氏名を自書した。
(五) 参加人は、平成二年一一月二九日、前記(三)の乙山が開設した被告太郎名義の普通預金口座に一〇〇〇万円を入金したが、右金員は、乙山が作成した被告太郎名義の払戻請求書に基づき即日引き出され、乙山の参加人に対する手形貸付債務の弁済に充てられた。
以上のとおりである。
2 右認定に対し、証人乙山及び被告甲野花子は、甲一号証は、平成二年九月一七日ころ、須崎が乙山宅を訪れた際に被告太郎が署名したものである旨供述し、《証拠略》にも照らすと、甲一号証に被告太郎の署名を得たのが同年一一月二八日であるという証人須崎の証言に多少の疑問がなくもない。
しかしながら、証人乙山及び被告甲野花子は、平成二年九月一七日ころ、甲一号証と共に、甲二号証(保証委託申込書)及び三号証(保証委託契約書)も作成されたが、これらの被告太郎名義の署名は乙山がしたものである旨供述するところ、甲一号証には被告太郎が自署しながら、同時に作成された甲二号証及び三号証には乙山が代筆をしたというのはやや不自然であり、また丙一号証により認められる参加人と原告との間の事務手続の順序に照らすと、甲二号証と三号証が同時に作成されたという点も、にわかに信用し難い。また、甲一号証には、借入要項欄に借入日(一九九〇年一一月二九日)が明記されているところ、右の事務手続に照らすと、平成二年九月一七日の時点で借入日が確定していたとは考え難く、他方、参加人が借入要項欄が白紙のままの金銭消費貸借契約証書に借主の署名押印を求めることも、通常考え難い。
右の諸点をしんしゃくすると、甲一号証の作成日に関する証人乙山及び被告甲野花子の前記供述は、にわかに採用できない(もっとも、甲一号証に被告太郎が署名した日が、平成二年九月一七日ころか同年一一月二八日ころのいずれであるかは、本件の結論を左右するものではない。)。
3 前記1のとおり、被告太郎は、甲一号証(金銭消費貸借契約証書)の借主欄に自ら署名したことが認められ、また、同号証の被告太郎名下の印影が同人の印章によるものであることについては争いがないから、特段の反証のない限り、同号証の被告太郎の作成部分は、全部真正に成立したものと推定すべきである。
そこで、右反証の有無について判断すると、被告太郎が平成元年二月一三日にくも膜下出血を発症し、同月一五日から平成二年一〇月四日まで美原記念病院に入院していたことは前記1で認定のとおりであるところ、《証拠略》によれば、被告太郎の右くも膜下出血は、前交通動脈動脈瘤破裂に起因するものであり、被告太郎は、右入院中に二度の脳動脈瘤クリッピング術と脳室腹腔シャント術を受けたこと、しかし、被告太郎には、右出血により、判断力、総合的な企画力、認知力等を司る前頭葉の機能障害の後遺症が残り、平成二年一二月二八日の時点では、機能回復のため小学校低学年用の算数や国語のドリルをしていたが、<1>記銘力障害が強く、見当識障害もあり、日時、場所、年齢もわからず、特に作話が認められる、<2>あいさつ程度の簡単な会話は可能であるが、ある程度の内容のある話はできない、<3>日常生活はなんとか可能であるが、労働能力はない、と診断されたことが認められる。そして、鑑定人渡辺登の鑑定の結果によると、被告太郎は、平成二年九月五日から一一月三〇日にかけて、一〇〇〇万円の借金をする意味を理解する能力は有しており、その限度での意思能力を保っていたことが認められるが、他方、美原記念病院における被告太郎の主治医であった証人佐藤の証言によると、右当時、被告太郎は、金銭の貸し借りの文字どおりの意味は理解できたとはいえ、それによって生じる負担や責任を理解する能力があったことについては疑問があること、また、被告太郎に甲一号証の記載内容を自ら読んだ上で理解する能力はなかったことが認められる。
右認定の事実を総合すると、被告太郎が甲一号証に署名した際、同号証の記載内容を認識していたとは認め難いというべきであり、したがって、同号証に被告太郎の署名があり、被告太郎名下の印影が被告太郎の印章によるものである(右印章を乙山が預かっていたことは前記のとおりである。)からといって、同号証の被告太郎作成部分が全部真正に成立したものと推認することはできない。
もっとも、証人須崎は、被告太郎から甲一号証に署名を受けるに先立ち、従前の経緯と内容を説明した旨供述するが、仮に右事実が認められるとしても、甲一号証の作成に至った経緯は前記1で認定のとおり相当複雑なものであって、前記認定の被告太郎の状況に照らすと、被告太郎が須崎の説明を理解し、ひいては甲一号証の記載内容を認識したとは認め難いというべきである。
他に、甲一号証の被告太郎作成部分の成立の真正を認めるに足りる証拠はない。
4 なお、丙三号証(依頼書兼預り証)の二つの被告太郎の署名がいずれも本人の自署であることについては争いがない(各署名された時期や経緯については証拠上必ずしも明らかでない。)が、右3で認定の事実に照らすと、同号証についても、被告太郎の署名があるからといって、被告太郎作成部分が全部真正に成立したものと推認することはできない。
5 さらに、参加人が平成二年一一月二九日に被告太郎名義の預金口座に一〇〇〇万円を入金したことは前記1で認定のとおりであるが、右預金口座が乙山が被告太郎から預かっていた印章を利用して開設したものであり、右一〇〇〇万円が、即日、乙山が作成した払戻請求書によって引き出され、乙山の債務の弁済に充てられたことも前記1で認定のとおりであり(右各手続を被告太郎が承諾していたことを認めるに足りる証拠はない。)また、借入金の受領方法として右口座への入金を指定した旨の記載のある甲一号証の被告太郎作成部分の成立の真正が認められないことは前記3で説示のとおりである。
したがって、右一〇〇〇万円が被告太郎に交付されたものと認めることはできない。
二 本件保証委託契約について
右一で説示のとおり、本件消費貸借契約の成立を認めるに足りる証拠はないから、これを前提とする原告の本訴請求は、既に理由がないが、本件保証委託契約について付言すると、原告がその証拠とする甲二号証(保証委託申込書)及び三号証(保証委託契約書)については、甲一号証と異なり、それぞれの被告太郎名義の署名自体、本人の自署であることを認めるに足りる証拠がなく(証人乙山の証言によると、右各署名は、乙山がしたものと認められる。)、また、《証拠略》によれば、甲二号証及び三号証の各被告太郎名下の印影は、被告太郎の実印によるものであることが認められるが、当時、乙山が右実印を保管していたことは前記一の1で認定のとおりであるから、これらが被告太郎の意思に基づいて顕出されたものと推認することもできない。さらに、被告太郎が右甲二号証による保証委託の申込み又は甲三号証による保証委託契約締結を追認したことを認めるに足りる証拠もない。
したがって、本件保証委託契約についても、その成立を認めるに足りる証拠はないことに帰する。
三 結論
以上のとおり、原告の被告らに対する請求は、いずれも理由がないから、主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木健太)