東京地方裁判所 平成6年(ワ)14916号 判決 1999年3月16日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
登坂真人
同
大石剛一郎
同
清水建夫
同
児玉勇二
同
副島洋明
同
戸舘正憲
同
羽賀千栄子
同
土肥尚子
同
山田冬樹
同
高村浩
同
相川裕
同
上出勝
被告
世田谷区
右代表者区長
大場啓二
右指定代理人
幸田雅夫
右訴訟代理人弁護士
中杉喜代司
同
大井暁
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金二六五六万八六三七円及びこれに対する平成六年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、視覚障害者である原告が、被告を実施主体とするホームヘルパー派遣事業に基づき原告方に派遣された家政婦により預貯金を着服される等の被害に遭ったとして、被告に対し、国家賠償法等を根拠に、損害賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 被告は、昭和六三年当時、重度の心身障害のため独立して日常生活を営むのに支障がある心身障害者(心身障害児を含む。以下略す。)を抱えている家庭(以下「障害者家庭」という。)に対し、家庭奉仕員等を派遣して、家事、介護等の日常生活の世話を行う心身障害者家庭奉仕員等派遣事業(以下「本件事業」という。)を実施していた。
本件事業の実施については、東京都世田谷区心身障害者家庭奉仕員等派遣事業運営要綱(以下「本件要綱」という。)並びに東京都世田谷区心身障害者家庭奉仕員派遺事業取扱要領(以下「家庭奉仕員要領」という。)及び東京都世田谷区心身障害者家事援助者派遣事業取扱要領(以下「家事援助者要領」といい、家庭奉仕員要領と併せて「本件各要領」という。)にその詳細が規定されていた。これらによれば、障害者家庭のうち、定期的派遣を必要とする低所得世帯及び区長が特に必要と認めた世帯に対しては家庭奉仕員が、これ以外の世帯に対しては家事援助者が、それぞれ派遣されることとされていた。家庭奉仕員とは原則として被告の常勤職員、すなわち公務員であり、家事援助者とは職業安定法三二条に基づき労働大臣が許可した家政婦紹介所に登録がなされている者で、被告に届け出ている者のうち、採用時研修の修了証が交付されている者、すなわち民間人たる家政婦であった。そして、障害者家庭に家庭奉仕員、家事援助者のいずれを派遣するかの選択、家庭奉仕員等の派遣回数、時間数及びサービス内容は、被告の区長が当該心身障害者の身体的状況、世帯の状況等を勘案して決定するものとされていた。
2 原告は昭和八年生まれの女性で、昭和六三年当時、心身障害者福祉法施行規則七条二項による障害等級二級相当の視覚障害を負っていた。原告の夫太郎も視覚障害者で、右障害等級一級の認定を受けており、妻ともども、その日常生活に支障が生じていた。そこで太郎は、同年八月ころ、被告の世田谷福祉事務所に対し、家庭奉仕員等の派遣の申出をした。同事務所は右申出を受けて、原告ら世帯の状況等を調査した上で、家庭奉仕員を派遣する旨の決定をし、同月二四日から実施した。
その後、世田谷福祉事務所は、平成元年一月一九日、原告ら宅への家庭奉仕員の派遣を家事援助者の派遣に変更する旨決定した。この決定に伴い、同月二四日から、家事援助者として経堂家政婦紹介所に登録された家政婦である乙山春子(以下「乙山」という。)が原告ら宅を週二回訪問するようになった。乙山は、以後平成三年四月一日に被告が家事援助者の派遣を再度家庭奉仕員に変更する旨決定するまでの間、原告ら宅を訪問し、洗濯、清掃、生活必需品の買物などの家事に従事した。
二 原告の主張
原告及び太郎は、視覚障害者であり、他人の助けを借りなければ、銀行預金口座から生活費を引き出すことすら困難であった。原告は、乙山が被告から派遣されたヘルパーであったため同人を信頼し、平成元年七月ころには、銀行預金口座から生活費等を引き出すこと、重要書類を貸金庫へ預けること、書面に代筆すること、公共料金の支払いをすること等を同人に依頼するようになった。乙山は、原告が視覚障害者であることや、右のように原告が乙山を信頼していることを奇貨として、平成元年七月下旬ころから平成三年二月下旬ころまでの間、いずれも原告及び太郎に無断で、以下の各不法行為を行った。
(一) 乙山は、原告及び太郎名義の銀行預金口座から、原告に無断で又は原告の指示の範囲を超えて金員を引き出した。具体的には、平成元年七月下旬ころから平成三年二月下旬ころまでの間、三和銀行世田谷支店の原告名義の口座から七八〇万〇五〇六円を、世田谷信用金庫本店の太郎名義の口座から一四三万二〇〇〇円を、それぞれ引出し、これを着服した。また、三和銀行烏山支店に原告及び太郎名義の口座を開設し、これに他の口座から預金を移動したり、後述の生命保険金等の振込を行った上で、同支店の原告名義口座から五八五万円を、太郎名義口座から四四二万円を、それぞれ引出し、これを着服した。(小計一九五〇万二五〇六円)
(二) 乙山は、平成元年九月二二日に世田谷信用金庫本店の太郎名義の定期預金二二五万〇九八一円を、同月二九日に三和銀行世田谷支店の太郎名義の定期預金一〇六万一七八四円を、同年一〇月一八日に同支店の原告名義の定期預金三〇〇万円を、同年一二月二五日に同支店の原告名義の定期預金三〇〇万円をそれぞれ解約し、これを着服した。(小計九三一万二七六五円)
(三) 乙山は、太郎の死亡により、平成二年四月一一日に支払われた同人を被保険者とする朝日生命保険相互会社の死亡保険金六三万五三三一円を着服した。また、原告及び太郎をそれぞれ契約者とする同保険会社の保険について、平成元年九月八日に二七万六〇〇〇円、平成三年一月八日に一〇万円の契約者貸付を受け、右の貸付金を着服した。(小計一〇一万一三三一円)
(四) 乙山は、保険契約者を原告及び太郎とする住友生命保険相互会社の生命保険を平成二年一月一九日に解約し、解約返戻金二三二万七二六四円を着服した。右生命保険のうち、原告を契約者とする保険については、解約返戻金が一一六万五六八七円であったところ、乙山が解約しなければ満期又は死亡による保険金として一二九万七九〇〇円が支払われたはずであり、原告はこの差額一三万二二一三円の得べかりし利益を失った。同様に、太郎を契約者とする保険については、解約返戻金が一一六万一五七七円であったところ、満期又は死亡による保険金として一二九万二〇〇〇円が支払われたはずであり、原告はこの差額一三万〇四二三円の得べかりし利益を失った。(小計二五八万九九〇〇円)
(五) 乙山は、太郎の死亡により、平成二年四月一二日に支払われた同人を被保険者とする三井生命保険相互会社の死亡保険金二〇四万四六〇〇円を着服した。また、太郎を契約者とする同保険会社の生命保険について、平成元年九月一三日に二五万七四八一円の契約者貸付を受け、右同額を着服した。(小計二三〇万二〇八一円)
(六) 乙山は、平成二年一月二二日、山一證券株式会社が保護預かり中の原告及び太郎の証券を担保として、日本証券金融株式会社の証券担保ローンを利用して五〇〇万円の借入れをし、同月二九日に支払われた右同額を着服した。原告は右借入金の返済のため、平成三年二月から同年五月までの間、合計五四四万四六〇一円の支払いを余儀なくされた。(小計五四四万四六〇一円)
(七) 乙山は、太郎の死亡により、平成二年四月一二日に支払われた同人を被保険者とする郵便局の簡易保険の死亡保険金一〇〇万円を受領し、これを着服した。(小計一〇〇万円)
(八) 乙山は、原告名義の東急カードを利用して、スーツ、宝飾品等を代金合計三二万三五八八円で購入した。(小計三二万三五八八円)
乙山が着服した以上の金額の合計は四一四八万六七七二円である。右金額から、金員を口座間で移動するため預金口座から引き出したと認められる一二九六万三〇二八円、乙山が自ら原告らの口座へ預け入れた四二万五一一二円、原告らが毎月の生活費、病院関係の謝礼、太郎の葬儀・法事費用、旅行費用として費消した六三〇万円を控除した金額は二一七九万八六三二円であり、これが原告の被った損害である(右金額には太郎が被った損害も含まれているが、同人は平成二年二月二〇日に死亡し、原告が相続により太郎の権利義務を承継した。)。
原告が奪われた右金員は、視覚障害者で、糖尿病も患う原告が老後の支えとするために蓄えた虎の子であった。原告は、そのほとんどを、被告が派遣した家事援助者によって奪われてしまったのであって、その精神的苦痛は計り知れない。原告のかかる精神的苦痛を慰謝するためには、少なくとも五〇〇万円の慰謝料が相当である。また、原告訴訟代理人への弁護士費用として二三〇万円が必要である。
これらを合計すると、原告が受けた損害額は二九〇九万八六三二円であるところ、乙山は平成六年六月末日までの間に二五三万円を賠償した。したがって、原告は現在、二六五六万八六三二円の損害を被っている。
2 被告の責任
(一) 国家賠償責任(国家賠償法一条)
(1) 乙山が公権力の行使に当たる公務員であること
同条にいう「公権力の行使」とは、私的な経済作用を除く全ての公行政作用を意味する。本件事業は地方公共団体が行う公的な福祉行政サービスであるから、本件事業に基づく家庭奉仕員等の派遣は公権力の行使に当たる。
次に、同項にいう「公務員」とは、公権力の行使に携わるものであれば足り、公務員法上の公務員である必要はなく、業務に従事する期間が一時的なものであってもよいとされている。家事援助者は、民間人の家政婦であり、公務員法上の公務員ではないが、家庭奉仕員と同様の手続により本件要綱に基づくホームヘルパーとして利用者宅に派遣され、家事・介護に関しては家庭奉仕員同じ内容のサービスを提供しており、被告の措置変更決定によって家庭奉仕員と変更されることも珍しくない。また、本件事業の根拠法である身体障害者福祉法は、家庭奉仕員等派遣事業の一部を社会福祉協議会等に委託することを認めているが、その委託の範囲について、家庭奉仕員の派遣と家事援助者の派遣とによる限定はない。
結局、家庭奉仕員と家事援助者という区別は、本件事業の運営上、必要な人材をどこから確保するかの方法を定めた行政内部の準則における区別にすぎず、家事援助者は、国家賠償法上、家庭奉仕員と同様、本件事業において被告の決定によって派遣される公務員に当たるというべきである。
(2) 乙山がその職務を行うについて不法行為を行ったこと(職務執行性)
乙山は、前述のとおり、原告から、銀行預金口座からの生活費等の引出し、重要書類の貸金庫への預入れ、書面への代筆、公共料金の支払い等を依頼され、これを処理する際に、又は原告から依頼を受けずに、家事援助者としてその他の家事・介護の業務を行うに際して、前記各不法行為を行った。原告が乙山に依頼した各行為は、本件要綱及び家事援助者要領に家事援助者が行うサービスの内容として明記されているものではないが、本件要綱にいう「その他必要な家事、介護」として家事援助者の職務に含まれると解すべきである。けだし、本件事業が「適切な家事、介護等の日常生活の世話を行い、もって重度の心身障害者の生活の安定に寄与する等その援護を図ることを目的とする」制度であること(本件要綱一条)にかんがみれば、その目的を達成するためには、本件要綱の右文言は、当該利用者の日常生活上のニーズに即して解釈されなければならないところ、原告は、中年を超えた年齢での中途失明者であり、日常生活を営む上で第三者に介助を依頼せざるを得ず、信頼できる第三者が近隣にいない場合は家事援助者等に頼らざるを得ない状況にあったからである。加えて、前記各行為は、いずれも本人の意思に基づいて行われるならば、使者としての補助行為にすぎず、資産の運用や保管といった財産管理行為に当たらない。このことからも、右の文言解釈が許容されるというべきである。
以上によれば、乙山は、家事援助者としての職務を行うについて不法行為を行ったということができる。
(3) よって、被告は、乙山が行った前記各不法行為によって原告が被った損害につき、国家賠償法一条に基づき賠償する責任がある。
(二) 使用者責任(民法七一五条)
仮に、乙山が国家賠償法一条にいう公権力の行使に当たる公務員に該当しないとしても、被告は、乙山の使用者として、同人が被告の事業の執行につき行った前記の各不法行為により原告が被った損害につき、民法七一五条に基づき賠償する責任がある。
(三) 公法上の契約の債務不履行責任
本件事業においては、利用者からの家庭奉仕員等の派遣の申出に対して、被告が派遣の要否、家庭奉仕員、家事援助者のいずれを派遣するかの選択、派遣回数及びサービス内容を決定するのであるから、家庭奉仕員等の派遣決定がされた場合の利用者と被告との間には、家庭奉仕員等の派遣に関する公法上の契約関係が成立する。
かかる契約関係の成立により、被告は利用者に対し、本件要綱及び本件各要領に定められた内容のサービスを現実に提供する債務を負うとともに、右債務の内容が民法上の準委任契約に類することに照らせば、被告は同契約における受任者の善管注意義務に準じた義務を負うというべきである。また、被告が右債務に基づいて行う業務が利用者の家庭の内部での家事・介護等であり、そのプライバシーに触れることはもとより、金銭その他の財産に接しうるものである以上、被告は、利用者の生命・身体・財産・名誉等の保護を図るべき安全配慮義務を負うというべきである。さらに、被告は、これらの義務に基づいて、履行補助者である家事援助者が派遣目的に従って適切に業務を行うよう指導・監督・研修等を行うべき義務も負っているというべきである。
しかるに、被告はこれらの義務の履行を怠った。その結果、被告の履行補助者である乙山は、職務執行に関連して前記各不法行為を行った。以上によれば、被告は公法上の契約の債務不履行責任に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(四) 制度改善懈怠に基づく不法行為責任
個人の自己決定権は、人格的存在に直結するものとして個人の尊厳(憲法一三条)に基づく人格権の一部をなしている。本件事業は、利用者である身体障害者の自己決定権を実現するための具体的手段であり、国及び地方公共団体は、身体障害者の誰もが、いつでも個別の必要性に応じたホームヘルプサービスを利用できる状態を実現する責任を負っている。
しかるに、本件事業においては、家事援助者から被告に対する業務の報告は、月に一度の報告書によるのみであって、被告は、家事援助者の日々の業務遂行状況を把握できない状況にあり、家事援助者の職務遂行に問題があった場合にも、これを指導・監督する制度は何ら設けられておらず、家事援助者に対する十分な研修も行われていなかった。本件事業の実施主体である被告は、かかる制度的欠陥を直ちに是正できる立場にあり、殊に、視覚障害者の金銭の管理については、制度整備の必要性が高いことに照らして、これに十分な取組みをすべき立場にあった。しかしながら、被告が、かかる欠陥に対する是正を怠り、漫然と本件事業を運営した結果、乙山による前記各不法行為を招き、原告に前記の損害を被らしめた。よって、被告は、原告が被った右損害につき、本件事業の制度改善を懈怠した過失を理由として、不法行為に基づき賠償する責任がある。
3 以上のとおり、原告は被告に対し、前項の責任原因を選択的に主張し、金二六五六万八六三七円及びこれに対する不法行為後の日である平成六年二月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
三 被告の主張
1 乙山の不法行為(原告の主張1)について
原告は、その主張(一)ないし(八)の行為は、全て乙山が原告及び太郎に無断で行ったものである旨主張する。しかし、原告は、太郎が死亡した場合、その財産が原告と不仲であった太郎の親族に取られてしまうことを懸念して、同年九月ころから、原告の親族名義で銀行口座を開設すること、生命保険から借り入れをすること、生命保険を解約すること、自己と太郎の遺言書作成について立会人になることなど、いわゆる財産隠しともいうべき行為を乙山に依頼しており、原告が主張する前記行為の多くは原告が乙山に指示して行わせたものであって、同人が無断で行ったものではない。
損害額については、原告が控除している毎月の生活費、太郎の葬儀・法事費用、旅行費用の額は過小に見積もったものであり、また、乙山は、平成二年一二月以降原告のために二一〇万円を立替払し、平成六年七月以降平成八年六月までに原告に対し合計一六八万円賠償したので、その分を控除すべきである。
2 被告の責任(原告の主張2)について
(一) 前提
本件事業は、従前別個に運営されていた家庭奉仕員派遣事業と家事援助者雇用費助成事業の二つを昭和五八年に統合したものであり、実質的には、内容を異にする二つの事業を内包している。このうち、家事援助者の派遣事業については、本件要綱、家事援助者要領及び東京都知事が被告区長の委任を受けて日本民営看護婦家政婦連合会(以下「家政婦連合会」という。)との間で締結している協定書(以下「本件協定」という。)が規定しているが、その実質は、利用者に対する家事援助者の雇用費助成の事業であり、利用者の所得補償の制度にほかならない。
(二) 国家賠償責任の主張について
(1) 乙山が公権力の行使に当たる公務員でないこと
本件事業は被告の事業であるが、被告は事業主体として家事援助者を派遣しているのではなく、右のように、利用者に対して、家事援助者の雇用費の助成をしているにすぎない。
家事援助者が国家賠償法上の公務員であるというためには、被告と家事援助者との間に、その職務の執行につき指揮監督関係があることを要する。しかし、被告と家事援助者との間には契約関係はなく、被告が行っている派遣決定は、公費の適正な支出の観点から、助成の対象となる派遣の回数、時間数及びサービス内容を決定するにすぎず、家事援助者に対して何らかの指揮監督を行うものではない。このように、被告と家事援助者との間には指揮監督関係がないから、家事援助者は同法上の公務員には該当しないというべきである。
(2) 職務執行性がないこと
家事援助者の職務内容は、本件要綱及び家事援助者要領に列挙された家事・介護に関することのうち、直接的、日常的な業務に限定される。本件要綱の右列挙は、家事・介護に関する事項を具体的に挙げた上で、「その他必要な家事、介護」と規定しているが、これは例示された具体的な家事・介護と同種であって同程度の負担と責任を負えるものに限定されると解すべきところ、具体的に例示されている業務で金銭の取扱いに関するものは、生活必需品の買物のみであるから、家事援助者が行う金銭の取扱いは生活必需品の買物に限定されているというべきである。原告は、銀行預金口座からの生活費等の引出しや、書面への代筆といった広範な行為が、視覚障害者のニーズがある限り、全て家事援助者の職務に含まれる旨主張するが、家事援助者の職務の範囲は本件要綱等で定められているのであり、原告の解釈は採り得ない。
一方、乙山は、家事援助者としての週二回の業務日以外にも、原告宅や原告及び太郎が入院していた病院を訪問していた。乙山は、平成元年七月に原告から生活費として一〇〇万円を借り、原告も、太郎の病状の悪化に伴い、同人が死去した場合には、その財産が原告と不仲であった太郎の親族に取られてしまうことを懸念して、同年九月ころから、乙山に、原告の親族名義による銀行口座の開設、生命保険からの借入れ、生命保険の解約といった財産隠しを依頼していた。そして、これらを通じて、原告と乙山との間には、利用者と家事援助者という関係を超えた、親密な個人的関係が存在していた。
原告は乙山に対し、右のような親密な個人的関係に基づいて家事援助者の職務外の行為を依頼したのであり、これを引き受けた乙山が原告が主張するような不法行為を行ったとしても、それは職務の執行につき行われたものとはいえない。
(三) 使用者責任(民法七一五条)の主張について
乙山は、被告の被用者ではなく、かつ、乙山の行った行為には事業執行性がない。これらについては、前項の国家賠償責任についての主張を援用する。
(四) 公法上の契約の債務不履行責任の主張について
本件事業において、派遣の要否、家庭奉仕員、家事援助者のいずれを派遣するのかの選択、派遣回数及びサービス内容は被告の決定によって定められる。およそ契約においては、その内容は当事者双方の合意によって定められるはずであり、かかる本件事業の仕組みに照らせば、被告と原告との間に契約関係があると解することはできない。
仮に公法上の契約関係があるとしても、その内容は、原告からの申出と、これに対する被告の派遣決定によって定められるところ、原告が乙山に依頼した銀行預金口座からの生活費の引出し、書面への代筆等の前記各行為は派遣決定に含まれていないから、これが契約内容を構成することはない。
また、原告は安全配慮義務を主張するが、同義務は、雇用関係等当事者間に密接な関係がある場合に認められるものであり、本件のように、利用者に雇用費を助成するにすぎない関係においては、これを観念し得ない。
(五) 制度改善懈怠に基づく不法行為責任の主張について
原告は、憲法一三条等を根拠に右の主張をするが、右主張における被告の制度改善義務の法的根拠は極めて薄弱かつ不明確であって、これを法的責任として認めることは到底できない。
3 原告の悪意・重過失(国家賠償責任及び使用者責任の主張に対する抗弁)
被告が原告に交付した派遣決定通知書には、乙山が行う家事援助者としての業務の内容は、洗濯、掃除及び生活必需品の買物であることが明記されていたし、被告の職員は、乙山が原告方に派遣されるに先立って原告方を訪問し、原告に対して、派遣されるのは被告の職員でないこと、買物は自分で行い、金銭管理は自己の責任で行うようにとの注意をした。それにもかかわらず原告は、前項(二)記載のような乙山との間の親密な個人的関係に基づいて、銀行預金口座からの生活費の引出し、書面への代筆等の行為を同人に依頼し、しかも、右依頼を受けることに躊躇した同人に対し、「一、二度は大したことではない。二人がしゃべらなければ誰も知らない。」と申し述べる等した。したがって、仮に、原告の依頼に応じて乙山が行った各行為が、外形的に家事援助者としての職務に当たるとしても、原告は、乙山の右行為がその職務を逸脱していることについて悪意又は重過失があった。
4 過失相殺(原告の各主張に対する抗弁)
前項の主張と同旨。
第三 判断
一 前提となる事実
当事者間に争いのない事実並びに証拠(甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし三、第六ないし第一五号証、第一六号証の一、二、第一七ないし第二一、第四二号証、第四三号証の一、二、第四四、第六〇、六九号証、乙第三ないし第二五、第二七、第二九、第四一、第四六、第四八ないし第五三号証、証人千葉淑子、同乙山、同大道博信、同笹川吉彦、同金丸顕夫の各証言、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨により認められる事実を総合すれば、本件の前提となる事実は次のとおりである。
1 東京都における家庭奉仕員派遣事業は、昭和三七年に、老人(六五歳以上の者)を抱える低所得の世帯(生活保護を受けている世帯又は所得税が非課税とされる世帯)に家庭奉仕員を派遣する制度を採用したことをもって嚆矢とする。この事業は、当初、国庫補助の下に、社会福祉協議会に委託する方式で行われていたが、昭和三九年には東京都の直営事業となり、さらに、昭和四〇年には特別区に移管され、区市町村においても開始された。この事業と並行して、東京都は、昭和四八年一〇月から、老人を抱える世帯で所得税の課税額が四万二〇〇〇円以下のものが家政婦を雇った場合に、介護券を給付する方法によりその費用を助成する老人家庭家事援助事業を開始した。この事業は、昭和五六年からは、対象世帯についての所得制限を撤廃すると同時に、対象世帯の所得に応じて費用の一部を東京都が負担する制度に変更された。
このような東京都の老人家庭に対する施策は、漸次、身体障害者を抱える世帯にも及ぶようになり、昭和四一年からは、身体障害者のための家庭奉仕員派遣事業が国庫補助事業として開始され、昭和五五年一〇月からは、身体障害者が家政婦を雇った場合にその費用を援助する家事援助者派遣事業が開始された。
2 一方、身体障害者に対する家庭奉仕員派遣事業に関する国のレベルでの取組みをみると、厚生省は、都道府県知事及び指定都市市長に宛てた昭和四二年八月一日付け社会局長通知「身体障害者福祉法による身体障害者家庭奉仕員派遣事業について」をもって、右事業の運営要綱を示し、その円滑適正な実施について管下区市町村を指導するよう通達した。右の運営要綱は、その目的を、重度の身体障害者を抱えている家庭に対して、「家庭奉仕員を派遣して、無料で適切な家事、介護等の日常生活の世話を行なわせ、もって、重度心身障害者の生活の安定に寄与する等その援護を図ること」と措定し、原則として、区市町村が右家庭奉仕員派遣事業の実施主体となるものとしたが、やむを得ない事由があるときは、区市町村は、派遣世帯の決定及び供与するサービスの内容の決定を除き、この事業の一部を当該区市町村社会福祉協議会等に委託することができるものとした。その上で、右運営要綱は、派遣対象、サービス内容、派遣世帯決定の手続、家庭奉仕員の勤務及び選考に関して留意すべき事項などについての基準を示している。
3 右の運営要綱は区市町村における身体障害者家庭奉仕員派遣事業の実施の指針とされてきたが、厚生省は、昭和五七年に至って、家庭奉仕員派遣の需要の増大などの社会状況を背景として、家庭奉仕員の派遣回数・時間数の増加、臨時的介護需要への対応、派遣対象の拡大(所得税課税世帯に対しても、その費用の一部を負担することを条件に派遣ができることとされた。)等を企図した新たな運営要綱を定めた(同年九月八日付け社更第一五六号社会局長通知)。これと時を同じくして、厚生省が従前定めていた「老人家庭奉仕員派遣事業運営要綱」も改定され、右身体障害者に対するのと同様の改善措置が導入されたが、この改定後の要綱の実施に関して、東京都福祉局老人福祉部長は厚生省社会局老人福祉課長に宛て、次のような内容の照会を行った。
(一) 今般の要綱改正は、今後の高齢化社会において増大が予想される寝たきり老人などの介護のニーズに弾力的に対応し、これら老人の在宅生活援護体制を確立するため、その中核となるホームヘルプサービスについて広く社会資源の活用を図る趣旨と解してよろしいか。
(二) 右(一)の趣旨とすれば、活用することができる団体には、市町村社会福祉協議会のほかに、社会福祉事業法七四条に基づく社会福祉協議会、高年齢者労働能力活用事業実施要領(昭和五五年四月二六日付け労働省発職第八〇号労働事務次官通知)によるシルバー人材センター及び職業安定法三四条に基づき労働大臣が許可した家政婦紹介所等も含まれると解してよいか。
この照会を受けて、厚生省社会局老人福祉課長は、昭和五七年一一月一九日、都道府県及び指定都市の民生主管部(局)長宛に次のような内容の通知を発した(同日付け社老第一二〇号)。
(一) 家庭奉仕員派遣事業の実施に際して、市町村社会福祉協議会以外の民間団体を活用するに当たっては、当該団体の組織、事業内容を調査し、家庭奉仕員派遣事業運営要綱に基づく適正な事業運営が確保できるかどうか十分検討すること。
(二) 当該団体が適当と認められる場合には、次の内容を明記した家庭奉仕員派遣事業委託契約(協定書)を締結すること。
(1) 委託業務の内容
(注) 派遣世帯の決定、サービス内容及び費用負担の決定は実施主体である区市町村が行うこと。
(2) 業務の委託期間
(3) 家庭奉仕員の報酬、活動費等業務の実施運営に充てるための委託料の額
(4) 家庭奉仕員の活動に関する訪問日程表、活動記録簿等の書類の整備
(5) 業務にかかる報告書の提出
(6) 契約解除等に関する事項
(三) 家庭奉仕員の研修は、実施主体が責任をもって実施すること。
4 被告は、前記の昭和五七年九月八日付け社更第一五六号社会局長通知を受けて、従前の「世田谷区ホームヘルパー事業運営要綱」を廃止して、新たに本件要綱を定め、その実施細目を定めた家庭奉仕員要領及び家事援助者要領と共に、昭和五八年二月一日から施行した。その概要は次のとおりであった。
(一) 目的
本件事業は、重度の心身障害のため独立して日常生活を営むのに支障のある心身障害者を抱えている家庭に対し、心身障害者家庭奉仕員及び家事援助者を派遣して、適切な家事、介護等の日常生活の世話を行い、もって重度の心身障害者の生活の安定に寄与する等その援護を図るものとする。
(二) 実施主体
実施主体は被告とする。その実務は、福祉地区ごとに設置した福祉に関する事務所の長(以下「福祉事務所長」という。)の主管とする。
(三) 派遣対象
家庭奉仕員の派遣対象は、重度の心身障害のため日常生活を営むのに支障がある心身障害者のいる家庭であって、その家族が当該心身障害者の介護を行うことが困難な状況にある場合とする。
(四) 派遣世帯の区分
家庭奉仕員等の派遣世帯の区分は、おおむね次のとおりとする。
(1) 家庭奉仕員の派遣対象は、定期的派遣を必要とする低所得世帯(生活保護法による被保護世帯及び当該世帯の生計中心者が所得税を課せられていない世帯をいう。)及び区長が特に必要と認めた世帯
(2) 家事援助者(職業安定法三二条の規定に基づき労働大臣が認可した家政婦紹介所に登録がなされている者で、世田谷区に届け出ているもののうち、採用時研修の修了証を交付された者をいう。)は、(1)の派遣対象世帯以外の世帯
(五) サービス内容
家庭奉仕員等が行うサービスは、次に掲げるもののうち、必要と認められるものとし、家事援助者は、主として(2)のサービスで、心身障害者に必要なもののうち、直接的・日常的なものに限って行う。
(1) 相談、助言指導に関すること
① 各種援護制度の適用についての相談、助言指導、② 生活、身上に関する相談、助言指導、③ その他必要な相談、助言指導
(2) 家事、介護に関すること
① 食事の世話、② 衣類の洗濯、補修、③ 住居などの掃除、整理、整頓、④ 身の回りの世話、⑤ 生活必需品の買い物、⑥ 医療機関との連絡、通院介助、⑦ その他必要な家事、介護
(六) 派遣世帯の決定
(1) 家庭奉仕員等の派遣を受けようとする者は、別に定める「心身障害者家庭奉仕員等派遣申出書」を区長(主管は福祉事務所長)に提出するものとする。ただし、緊急を要する場合には、事後に右書面を提出することができる。
(2) 申出者は、原則として、当該世帯の生計中心者とする。
(3) 福祉事務所長は、申出書を審査するほか、必要に応じて実態調査を行い、関係職員で構成する判定会議の審議を経て、派遣の要否を判定し、区長がこれを決定するものとする。
(4) 区長は、派遣を適当と認めたときは、「心身障害者家庭奉仕員等派遣通知書」により、派遣することができないときは、「心身障害者家庭奉仕員等派遣不承認通知書」により、それぞれ申出者に通知するものとする。
(七) 派遣回数等の決定
(1) 派遣世帯に対する家庭奉仕員等の派遣回数、時間数(訪問から辞去までの実質サービス時間とする。)及びサービス内容は、当該心身障害者の身体的状況、世帯の状況等を勘案して決定する。ただし、一週六日間、一週当たり延べ一八時間を上限とする。
(2) 一回当たりの派遣は、原則として半日(三時間)単位とする。
(3) 申出者に対する派遣通知には、派遣期間、一週当たりの派遣回数、一週当たりの派遣時間数、サービス内容及び費用の負担区分を明記しなければならない。
(八) 費用負担の決定
(1) 派遣の申出者は、本件要綱別表で定める基準により派遣に要した費用(最高額一日当たり七三八〇円)を負担するものとする。ただし、週二回(半日単位)までは無料とする。
(2) 区長は、原則として、あらかじめ決定した時間数に基づき、利用者の費用負担額を月単位で決定する。この場合においては、一か月当たりの派遣回数から九回(年一〇四回を上限とする。)を控除して決定するものとする。
(3) 申出者に対する負担費用の納入通知は、原則として、派遣の実績に応じて行うものとする。ただし、介護券による場合は、事前に納入の通知を行うものとする。
(4) 納入された費用負担金は、区の歳入として計上する。
(九) 介護券の交付
(1) 区長は、家事援助者の派遣が必要な世帯に対してあらかじめ介護券を交付するときは、申出者から、「心身障害者家事援助者介護券交付申請書」を提出させるものとする。
(2) 派遣費用を負担する世帯に対する介護券の交付は、費用を納入した後にこれを行う。
(3) 介護券は、原則として月単位で交付する。
(一〇) 変更等の届出・通知
(1) 派遣の申出者は、申出書の記載事項等に変更があったとき又は派遣を辞退するときは、区長に対し、その旨を、「心身障害者家庭奉仕員等派遣事業異動届」又は「心身障害者家庭奉仕員等派遣辞退届」により届け出るものとする。
(2) 区長は、前項の届出があった場合において、派遣世帯の要件が変更したと認めるときは、「心身障害者家庭奉仕員等派遣変更通知」により、要件を備えなくなったと認めたとき又は辞退があったときは、「心身障害者家庭奉仕員等派遣廃止通知書」により、申出者に通知するものとする。
(一一) 家庭奉仕員等の勤務形態及び選考
(1) 家庭奉仕員等の勤務形態は、恒常的、臨時的介護需要量等を総合的に判断して決定するものとする。
(2) 家庭奉仕員等は、次の要件を備えている者のうちから選考するものとする。
① 心身共に健全であること、②心身障害者の福祉に関し、理解と情熱を有すること、③ 家事、介護の経験と相談、助言指導の能力を有すること。
(一二) 家庭奉仕員等の研修
家庭奉仕員等に対しては、採用時研修及び年一回以上の定期研修を実施するものとする。
(一三) 家事援助者所属団体との協定
世田谷区は、家事援助者所属団体と介護の単価、売買方法、清算方法等について協定等を行う。ただし、東京都に協定等を委託することができる。
5 東京都知事は、昭和五八年四月一日、東京都老人家庭奉仕員等派遣事業運営要綱(昭和五七年一二月八日付け福老計第六九七号)、東京都心身障害者家庭奉仕員等派遣事業運営要綱(昭和五八年一月一七日付け福障福大一三八二号)及び東京都単親家庭家事援助者派遣事業実施要項(昭和五七年八月二六日付け福児母第四九七号)に基づき、区市町村(以下「実施主体」という。)が実施する各派遣事業に関し、東京都の区市町村長から協定に関する委任を受けて、家政婦連合会との間で本件協定を締結した(なお、この項においては、以下、東京都知事を「甲」、家政婦連合会を「乙」という。)。
(一) 乙は、実施主体の発行する発注書により介護券を納入するものとし、実施主体は、乙に対し納入した介護券の代金を支払うものとする。
(二) 介護券の価格は、「料金に関する覚書」によるものとする。
(三) 乙に所属する家政婦等紹介所は、実施主体から介護券の交付を受けた対象者がサービスを依頼したときは、実施主体に登録等をしている家政婦等(家事援助者)を責任をもって紹介し、派遣させるものとする。
(四) 家事援助者の行うサービスは対象者にかかる次に掲げるものとする。ただし、(1)の⑦については、老人家庭奉仕員等派遣事業及び心身障害者家庭奉仕員等派遣事業には適用しないものとする。
(1) 家事、介護に関すること
① 食事の世話、② 衣類の洗濯、補修、③ 住居の清掃、整理、整頓、④ 身の回りの世話、⑤ 生活必需品の購入、⑥ 医療機関との連絡、通院介助、⑦ 育児、⑧ その他必要な家事、介護
(2) 相談・助言に関すること
① 生活・身上に関する簡易な相談・助言、② その他簡易な相談・助言
(五) 家事援助者の一日当たりの労働時間は六時間以内とし、原則として午前一〇時から午後四時までとする。
(六) 家事援助者は、サービスを提供した都度、対象者から介護券を受領する。
(七) 家事援助者は、対象者から受領した介護券に基づき賃金等を紹介所に請求するものとする。この場合、紹介所は、家事援助者に対してすみやかにその支払いを行う。
(八) 実施主体と乙は、毎年度末において介護券の使用実績に基づいて、清算する。
(九) 家事援助者は、(四)に基づき行ったサービスの内容等につき、それぞれの対象者の状況について「家庭奉仕員等派遣状況報告書」を作成し、乙を経由して、実施主体に速やかに報告するものとする。
(一〇) 紹介所は、実施主体の指示により、次の要件を満たしている家事援助者を、研修候補者として実施主体に推薦するものとする。
(1) 心身共に健全であること
(2) 福祉に関し理解と熱意を有すること
(3) 家事、介護の経験と相談、助言の能力を有すること
(一一) 家事援助者の研修等については、次によるものとする。
(1) 甲は、(一〇)の推薦に基づき、実施主体が研修受講者と決定した者につき、採用時研修を実施し、研修の終了者に対し、研修終了証を交付するものとする。
(2) 乙は、家事援助者の資質の向上を図るため、随時内部研修を行うものとする。
6 東京都知事と本件協定を締結した家政婦連合会は、いわゆる権利能力なき社団で、看護婦家政婦紹介所関係者(紹介所長、事務従事者、看護婦家政婦)及び家政婦連合会が認めた者によって構成される団体である。東京都渋谷区に主たる事務所を置き、都道府県ごとの紹介所(東京都にあっては、公共職業安定所の所轄区域又は至近地域の紹介所)をもって支部を組織しており、平成一〇年九月一日時点における会員数は、看護婦家政婦紹介所が五三所、看護婦家政婦が約五七〇〇名、在宅サービス請負事業を営む企業が三二社となっている。
家政婦連合会の運営の大綱は、会則によって定められているが、それによると、同連合会の目的は、「民営職業紹介事業の近代化と看護婦家政婦の社会的経済的地位の向上、技術の充実並びに人格の陶冶を図り、併せて諸官庁及び関係諸機関と連絡協調し、会員相互の親睦融和を深め、福祉の充実を図ること」にあり、右の目的を達成するため、次の事業を営むものとされている。
(一) 所管官庁の指示及び連絡の徹底と意見の反映に関する諸活動
(二) 民営職業紹介事業の適正円滑な運営を行うための諸活動
(三) 看護婦家政婦の労働条件の維持改善と社会的地位の向上に関する諸活動
(四) 会員相互の親睦融和を深め、福祉厚生を推進するための事業
(五) 求人者及び求職者の信用度の向上に関する諸活動
(六) 関係諸機関及び他団体との連絡調整に関する諸活動
(七) 本件連合会の機構の充実と組織拡大に関する諸活動
(八) その他本件連合会の目的達成に必要な諸活動
このほか、右会則には、役職員・専門部・事務局・支部等の組織、理事会・役員会等の会議、会計、構成員の表彰等に関する事項が規定されているが、構成員である看護婦や家政婦の個々の業務についての指導監督に関しては特に規定するところがない。
7 なお、厚生省は、老人福祉法の一部を改正する法律が平成三年一月一日から施行されることに伴って、平成二年一二月二八日付けで社更第二五五号社会局長通知「身体障害者居宅生活支援事業の実施等について」を発した。この通知は、身体障害者福祉法一八条一項一号の措置を「身体障害者ホームヘルプサービス事業」、同二号の措置を「身体障害者ディサービス事業」、同三号の措置を「身体障害者短期入所事業」とそれぞれ称して、その実施の大綱を示すもので、これにより、従前の昭和五七年九月八日付け社更第一五六号社会局長通知は廃止された。右通知においては、従前の本件要綱に代わって、新たに「身体障害者ホームヘルプサービス事業運営要綱」が定められたが、実質的な変更は、この事業の対象者として外出時の移動の介護等を必要とする者が加えられたことで、事業の実施の仕組み自体には大きな変更はなかった。
被告は、右の運営要綱の改廃に伴って、要綱の整備などを図り、平成六年には「世田谷区ホームヘルプ事業運営要綱」を定め、現在に至っている。ここにいう「ホームヘルプ事業」とは、心身の障害により日常生活を営む上で支障のある高齢者及び心身障害者のいる世帯にホームヘルパーを派遣する事業で、右運営要綱は、従前の老人家庭に対する援助事業に関する運営要綱と心身障害者に対するそれとを一本化したものであった。
8 原告の本件事業との関わりは、次のとおりである。
(一) 原告は、昭和八年二月一五日生まれで、肩書地に居住し、被告に住民登録をしている住民であるが、昭和五三年ころ糖尿病に罹患したことが原因となって右眼を失明し、平成元年二月ころ、世田谷区の社会福祉事務所長から視力障害により、身体障害者福祉法の実施細目を定めた同法施行規則七条二項の規定による身体障害二級の認定を受け、その後さらに身体障害一級の認定を受けた。一方、原告の夫太郎(昭和四年一二月三〇日生まれ)も、昭和五五年ないし五六年ころ糖尿病に罹患し、昭和六二年ころからは入退院を繰り返すようになり、慢性腎不全による腎臓機能障害、右眼失明により、前記の規定に基づく身体障害一級の認定を受けた。
(二) 太郎は、妻の原告共々糖尿病を罹患し、目が不自由な状態にあったことから、昭和六三年八月ころ、その日常生活の介護を受けるため、被告に対し、被告が実施している本件事業に基づく家庭奉仕員の派遣を申請した。これを受けた被告は、昭和六三年八月一七日、被告の社会福祉事務所の常勤職員である家庭奉仕員を、週に一回太郎方に派遣することを決定した。この決定に基づき、被告の家庭奉仕員が昭和六三年八月二二日から太郎方に赴いて、同人及び原告の日常生活の介護に当たり、助言指導等を実施した。
(三) 右介護の結果、太郎及び原告が失明状態での生活に慣れ、精神状態も落着きをみせてきたことから、被告は、平成元年一月一九日、太郎らに対する介護サービスの内容を家庭奉仕員の派遣から家事援助者の派遣に切り換えることを決定し、次いで、同月二四日、家事援助者の派遣回数を週二回(一回三時間)に変更する旨を決定した。これに先立って、被告の職員(ケースワーカー)である千葉淑子は、太郎方を訪れ、原告に対し、今後は被告の家庭奉仕員ではなく、家政婦紹介所から派遣される家政婦が介護に当たること、その費用は被告が発行する介護券によって支払われることになるので、その交付の申請の手続をすべきこと、交付を受けた介護券は、家政婦からサービスを受ける都度、一枚づつ渡すことなどを説明し、原告もこれを了承した。その上で、千葉淑子は、世田谷区内に在る経堂家政婦紹介所に対し、原告方への家政婦の派遣を依頼した。
(四) 経堂家政婦紹介所は、職業安定法三四条の規定による労働大臣の認可を受けて家政婦等の紹介を業として営む者であるが、被告からの派遣依頼を受けて、当時同紹介所に登録をしていた乙山を原告方に派遣することとした。乙山は、昭和六三年に同紹介所に登録し、同時に、家政婦連合会の会員となり、家事援助者として被告への届出がされた者であった。
(五) かくして、乙山は、平成元年一月から平成三年四月まで、毎月八ないし九回の頻度で太郎方に赴き、洗濯、清掃、買い物などの家事に従事し、その都度原告から被告発行の介護券の交付を受け、これにより右紹介所から賃金等の支払いを受けた。この間、平成元年一一月には太郎が入院したため、被告は、援助の対象を原告のみとする変更決定をした。
二 検討
原告は、前記のとおり、乙山が本件事業に関して行った不法行為について、被告が、国家賠償法一条の責任、民法七一五条の使用者責任、公法上の契約責任又は制度として瑕疵ある本件事業を放置した不法行為責任を負う旨主張するが、この点の判断の前提として、まず、本件事業の実施の仕組みとそこにおける当事者間の法律関係について検討する。
1 本件事業の実施の仕組みと当事者間の法律関係
(一) 本件事業の根拠法である心身障害者福祉法の規定は、厚生省社会局長が前記の社更第二四〇号の二通知を発した昭和四二年以降数次の改正をみているが、その改正の前後を通じて、同法及びその関連法令の条文上、区市町村に対し、心身障害者のために家庭奉仕員等を派遣する事業の実施を義務付けたと解することはできず、したがって、本件事業は、区市町村が行う行政サービスの一つと解するのが相当である。右の通知及びこれを廃止した昭和五七年九月社更第一五六号社会局長通知は、いずれも、区市町村が心身障害者に対する家庭奉仕員派遣事業を営む場合において、この公正・公平な運用を帰するための指針を示したものにほかならず、本件要綱も、右と同じ趣旨に出たものと解される。
そして、前記の本件事業の実施方法に関する認定事実、すなわち、本件事業による家庭奉仕員等の派遣を受けようとする者(原則として当該世帯の生計中心者)は、緊急の場合を除き、所定の「心身障害者家庭奉仕員等派遣申出書」を区長(主管は福祉事務所長)に提出して、家庭奉仕員等の派遣の申出をするものとされ、これに対して、区長は、福祉事務所長による申出書の記載項の審査及び実態調査(必要に応じて行う。)の結果、判定会議による審議の結果などに基づいて、家庭奉仕員等の派遣を相当とするときは、「心身障害者家庭奉仕員等派遣通知書」によってその旨を通知し、また、家庭奉仕員等を派遣することができないときは、「心身障害者家庭奉仕員等派遣不承認通知書」により、それぞれ申出者に通知するものとされていること、本件事業により利用者に供される家事・介護のサービスは、利用者が私人との契約によっても給付を受けることができる性質のものであること、家庭奉仕員等の派遣を受けた利用者は、所得基準に応じて一定の費用を負担するものとされていること、家庭奉仕員等の派遣を受けることになった利用者は、いつでもその派遣を辞退することができるものとされていることなどにかんがみれば、本件事業における被告と利用者との法律関係は、利用者の申出とこれに対する被告の区長の承認とによって設定される公法上の契約関係であると解するのが相当である。
(二) ところで、本件事業において被告がする派遣決定には、原則として被告の職員である家庭奉仕員を派遣する旨の決定と民間人の家政婦である家事援助者を派遣する旨の決定の二種類があることは、前記のとおりである。このうち、前者の形態にあっては、被告は利用者に対して、決定されたサービスを自ら提供すべき債務を負うことが明らかであるが、後者の形態にあっては、著しくこれと様相を異にする。すなわち、前記の東京都知と家政婦連合会との間に締結された本件協定の根幹は、その条文から明らかなとおり、実施主が家政婦連合会が発行する介護券を購入することを約することにある。この介護券を購入した実施主体が家事援助者の派遣を必要と認めた利用者に対してその介護券を交付し、その交付を受けた利用者が家政婦紹介所に家政婦の派遣を申し入れ、これを受けた家政婦紹介所が責任を持って家政婦を紹介し、派遣された家政婦が利用者に対し所要の家事・介護のサービスを行って介護券の交付を受け、これを紹介所に提出して賃金等の支給を受けるというのが本件協定が予定している基本的な仕組みである。この仕組みの下では、被告が利用者との公法上の契約関係に基づいて負う基本的な債務は介護券を給付することに尽きるのであって、被告が決定したサービスについては、別に利用者と家政婦との間でその提供に関する契約(雇用契約又は準委任契約)が締結され、この契約の履行として利用者に提供される関係に立つと解すべきである。したがって、この仕組みは、被告が介護券の交付によって利用者の家政婦に対する費用を助成する制度とみるべきことになる。
(三) この点に関する原告の主張は次のとおりであるが、いずれも採用することができない。
(1) まず、本件協定においては、家政婦の派遣依頼は利用者が家政婦紹介所にすることとされているが、被告が太郎と原告に対して家事援助者の派遣を決定した際には、被告が自ら家政婦紹介所に右の依頼をしていることは前記のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、被告は、利用者が自ら適当な家政婦を物色することが困難であることを慮って、家政婦紹介所に対し直接家政婦の派遣を依頼するのが通常であることが認められる。原告は、この点を捉えて、右のような本件事業の運用の下では、利用者と家政婦との間にサービスの提供に関する合意が成立したと観念することができないと主張する。
しかしながら、被告が自ら家政婦紹介所に家政婦の派遣依頼をするのは、その点の情報に疎い利用者に対する便宜を図るためであることは右のとおりであり、法律的には、被告及び家政婦紹介所という二段の仲介人を通じて、利用者と家政婦との間にサービスの提供に関する合意が成立するとみることが可能であるから、右の被告による派遣依頼は、前記のような家事援助者の派遣における当事者間の法律関係を変質させる要因とはならないというべきである。
(2) 次に、原告は、平成元年当時本件事業の根拠法であった心身障害者福祉法には、家庭奉仕員派遣事業の実施方法として、区市町村が自ら家庭奉仕員を派遣する方法と事業を社会福祉協議会等に委託する方法とを定めていたが、そのいずれによる場合についても制度上の差異を設けていなかったのであるから、本件事業においても、前者に相当する家庭奉仕員の派遣の場合と後者に相当する家事援助者の派遣の場合とを、制度的に区別すべきではない旨主張する。
心身障害者福祉法が定める家庭奉仕員派遣事業を実施するための指針として厚生省社会局長が発した前記の通知(昭和四二年八月一日付け社更第二四〇号の二通知及び昭和五七年九月八日付け社更第一五六号通知)は、区市町村を心身障害者家庭奉仕員等派遣事業の実施主体と位置づけた上、派遣世帯の決定、供与するサービスの内容及び費用負担の区分の決定を除く右事業の一部を当該区市町村社会福祉協議会等に委託することができるとしており、原告の右主張も、本件事業の一部が家政婦連合会に委託されていることを前提とするものと解される。しかしながら、右の通知が、そこにいう事業の委託としてどのような形態を想定しているかは明らかでないけれども、少なくとも、東京都知事と家政婦連合会との本件協定の内容は、前記のとおり、実施主体による介護券の購入と家政婦紹介所による個別の家政婦の紹介依頼に対する協力を約するものであって、事業の一部を包括的に家政婦連合会に委託するものではないから、原告の右主張は、その前提において失当である。なお、付言すれば、家庭奉仕員派遣事業の実施主体である区市町村が、これを具体的にどのような方法で実施するかは、根拠法たる心身障害者福祉法にも定めはなく、各区市町村の合理的な裁量に委ねられた事項と解すべきところ、本件協定のように、家事援助者の派遣を利用者と家政婦との契約に委ね、区市町村がその費用を助成するという仕組みも、もとより許容される方法というべきである。
(3) 原告は、さらに、本件事業が一つの要綱(本件要綱)に基づいて実施されていること、本件要綱において被告が本件事業の実施主体であるとされていること、利用者が被告に対して家庭奉仕員等の派遣の申出をし、被告が、派遣回数、時間数及びサービス内容を含む派遣決定をすること、家事援助者の派遣費用を負担する利用者の負担金は、家政婦に支払われるのではなく、被告の歳入とされることなどを根拠として、家事援助者も家庭奉仕員と同様、被告が本件事業を実施するについての履行補助者に当たると解すべきである旨主張する。
しかしながら、本件事業における家庭奉仕員の派遣と家事援助者の派遣の法律的性質は、本件事業の具体的な仕組みに照らして個別・実質的に判断されるべき事柄であり、双方の派遣の取扱いが同一の要綱に定められていることをもって、その法律的性質も同じものとみるべきであるとするのは、単なる形式論であって、採用することはできない。次に、本件要綱においては、被告が本件事業の実施主体とされていることは前記のとおりであるけれども、右にいう「実施主体」の法律的意味は必ずしも明確ではなく、これを被告が関与する派遣事業の法的性質はすべて同じものとみるべき根拠とするに足りない上、家事援助者の派遣の場合における区市町村の関与を、基本的には介護券の交付に留めるという選択も区市町村長の合理的な裁量の範囲に属すると解すべきことは前述のとおりである。また、本件事業においては、被告が申出に基づいて、派遣回数、時間数及びサービス内容を含む派遣決定をしていることは前記のとおりであり、この仕組みは、申出者の需要に応じたサービスを実現するという配慮のほかに、家事援助者の派遣に要する費用を被告が負担することから、公金の適正な使用という目的に資する意味も有するものと解される。そして、被告が右のような要請に基づいて家事援助者の派遣決定をすることとこれによって定められたサービスをいかなる方法で提供するかは、自ずから別個の問題であって、家事援助者の派遣そのものも被告の責任においてなすべきものとの帰結を当然にもたらすものとはいえない。更に、本件事業において、費用負担をなすべき利用者が家事援助者によるサービスを受けた場合の負担金が被告の歳入とされていることは前記のとおりであるけれども、これは、本件事業においては、家事援助者の派遣費用は介護券のみによって支払う仕組みを採ったため、利用者の負担金について右のような会計処理をすることが必要になったに過ぎない。この仕組みは、実質的にみれば、被告が家事援助者の派遣費用を利用者のために立替払いし、その一部を利用者から求償する仕組みであるから、利用者の負担金が直接家事援助者に支払われないのは、むしろ当然のことであり、このことをもって、被告が家事援助者の派遣についても責任を負うと解すべき根拠とすることはできない。
以上のとおりであるから、本件事業における家事援助者を被告の履行補助者とみるべきであるとする原告の右主張は、根拠を欠くものというべきである。
のみならず、前記の家事援助者の派遣の仕組みの下では、被告は、法律上も、事実上も、家事援助者をその指揮監督下に置いているとみることはできず、この観点からも、家事援助者は被告の履行補助者に当たらないというべきである。すなわち、右の仕組みにおいては、決定されたサービスの提供は利用者と家事援助者との間の契約関係に基づいて履行され、被告は家事援助者と何らの契約関係に立たないことは前記のとおりであるから、被告が契約関係に基づいて家事援助者を指揮監督することができないことは明らかである。また、前記の事実によれば、被告は、家事援助者の利用者に対するサービスの実施状況については、家事援助者が家政婦連合会を経由して被告に提出する「家庭奉仕員等派遣状況報告書」によって把握することができるに止まり、家事援助者から直接報告を受ける仕組みとされていないこと、家政婦連合会は、看護婦・家政婦の業務に関する連絡調整のほか、家政婦及び看護婦の社会的地位の向上、福利の増進、親睦などを主たる目的とする任意団体であり、構成員である看護婦や家政婦の個々の業務を指導監督をし、不正行為を犯した者を懲戒するなどの権限を有するものではないこと、家政婦が所属する家政婦紹介所は、労働大臣から職業安定法三二条一項ただし書きによる許可を受けた有料職業紹介所であり、そこに登録された家政婦に対し職業のあっせんをするだけで、家政婦が行う個々の業務について指揮監督する立場にないことなどが窺われ、これらの事情に、派遣された家事援助者について利用者側から要望や苦情がある場合には、被告は、当該家事援助者を交代させるまでの措置を採ることはできず、家政婦紹介所に対して利用者側の意向を伝達するにとどまっていること(この事実は、証人金丸顕夫の証言によって認められる。)をも併せ考えれば、被告は、事実上も、家事援助者の業務の遂行を、直接又は家政婦連合会若くは家政婦紹介所を通じて、指揮監督する立場になかったものというべきである。
2 被告の責任について
そこで、進んで、前記の原告の主張について判断する。
(一) 国家賠償法一条の責任
国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる「公務員」が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずると規定するところ、ここにいう「公務員」とは、公務員法上の公務員に限定されず、国又は公共団が体が行うべき公権力を国又は公共団体に代わって質的に行使していると評価できる者をも包含すると解すべきである。
これを本件についてみるに、本件事業において家事援助者を派遣する方法が選択される場合には、被告は、利用者に提供されるサービスの内容を決定するけれども、これらを自ら提供するのではなく、利用者に介護券を交付することにより、利用者において家事援助者からサービスを受ける費用を助成するに止まっていることは、右判示のとおりである。この場合の利用者に対するサービスは、家事援助者が利用者との契約に基づく債務の履行として提供するのであり、しかも、これについて被告の指揮監督は事実上も及ばないのであるから、この場合における家事援助者を目して、被告に代わって実質的に公権力を行使する公務員に当たると評価することはできない。
したがって、乙山が家事援助者として行った不法行為に関し、被告が国家賠償法一条一項の責任を負うとする原告の主張は、採用することができない。
(二) 使用者責任
右(一)と同様の理由により、本件事業における被告と家事援助者との間に使用者と被用者との関係が成立するものと認めることができないから、被告が民法七一五条の使用者責任を負うとする原告の主張も、採用することができない。
(三) 公法上の契約の債務不履行責任
本件事業において家事援助者が派遣される場合においても、被告と利用者との間に公法上の契約関係が生ずるけれども、この場合の債務は介護券の交付に尽きるのであって、利用者に対する具体的なサービスの提供についてまで及ぶものではない(家事援助者を被告の履行補助者とみることはできない。)ことは、右判示のとおりである。したがって、家事援助者によるサービスの提供について、被告が安全配慮義務又は善管注意義務を負うとする原告の主張は、その前提において当を得ないものであり、採用の限りでない。
(四) 制度改善の懈怠の責任
原告は、心身障害者は憲法一三条が保障する自己決定権に基づいて自らの需要に応じた介護を受ける権利を有し、公共団体たる被告はその需要に応えるべき義務を負うところ、被告が実施主体である本件事業の仕組みにおいては、被告が家事援助者の日々の業務遂行状況を把握できないこと、家事援助者の職務の遂行に問題があった場合に、これを指導・監督する制度となっていなかったこと、家事援助者に対する十分な研修が行われていなかったことなどの制度的欠陥があったにもかかわらず、被告がその是正を怠り、これを放置した過失によって、乙山の不法行為を招き、原告の損害を被らせた旨主張する。
原告が主張する右の心身障害者の権利が現行法上是認されるものであるか否かは別論としても、一般的に、国及び公共団体における福祉行政サービスが充実され、心身障害者がその需要に応じた介護を受けることができる体制が整備されることが望ましいことは、いうを俟たない。この行政施策に関する国、東京都及び被告を通じての取組みの沿革は、前記の事実からも垣間見ることができるのであって、東京都が増大する福祉サービスの需要に応えるため、民間の職業紹介組織である家政婦紹介所の活用を図ることとしたのも、その一環であり、その具体的な現れが本件協定にほかならない。被告における本件事業も、本件協定をその仕組みの柱の一つとして運営されてきたのであるが、そこにおいては、被告が家事援助者の個々の業務遂行状況を具体的に把握し、問題がある場合に直接家事援助者を指導・監督する体制までは採られておらず、家事援助者の研修についても、被告は、東京都を通じて採用時研修を実施するほかは、家政婦連合会による自主研修に委ねていることは、前記判示のとおりである。
しかしながら、原告の右主張は、一般的な福祉行政サービスの在り方における問題点の指摘としては理解することができるとしても、原告が乙山の不法行為によって被ったとする損害の賠償責任を被告に負わしめる法的根拠の主張としては、被告が家事援助者の業務実施状況を把握する方法、被告の家事援助者に対する指揮・監督の在り方、被告がなすべき家事援助者の研修の内容等について現実性を持った具体的な摘示がされていないし、また、その主張に係る本件事業の制度的欠陥と乙山の不法行為との間の因果関係についても具体的な説示を欠くものであって、抽象論の域を出ないと評さざるを得ず、これを俄に採用することはできない。
のみならず、本件事業における家事援助者の派遣は、被告が本件事業を実施する上で、現状においては不可欠な手段であり、これが増大する福祉サービスの需要に有効な機能を果たしていることは、弁論の全趣旨により明らかであるが、その一方で、既存の民間組織である家政婦紹介所に依存するこの方策においては、そこから派遣された家事援助者の業務の遂行について、被告が指揮・監督を及ぼすことができる範囲には自ずから限界があることを承認せざるを得ない。このように、本件事業における家事援助者の派遣の制度は、原告が主張するような家事援助者による不法行為を被告自らが未然に防止するには十全を欠く面があることは否定できなけれども、地方公共団体たる被告が福祉サービスに用いることができる資源に種々の制約が伴う現状においては、また、やむを得ない面もあるといわなければならない。かかる利益較量の観点からすれば、本件事業における家事援助者の派遣の制度は、全体として瑕疵があるものと断ずることはできず、原告の前記主張も採用することができない。
三 結論
以上のとおりであるから、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。よって、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・小池信行、裁判官・渡邉左千夫、裁判官・堀部亮一)