東京地方裁判所 平成6年(ワ)19205号 判決 1996年2月28日
主文
一 被告らは、各自、原告に対し、金三三三一万〇六二一円及びこれらに対する平成二年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
四 この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告らは、各自、原告に対し、金四九七二万七九二二円及びこれに対する平成二年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 事故日時 平成二年一二月一八日午後四時三五分ころ
(二) 事故現場 茨城県水街道市内守谷町四三三〇先路上(以下「本件事故現場」という。)
(三) 原告車 原動機付自転車(守谷町り一八〇)
所有者 原告
運転者 原告
(四) 被告車 普通貨物自動車(土浦一一い七四〇九)
所有者 被告ヤマト運輸株式会社(以下「被告ヤマト運輸」という。)
運転者 被告長谷川幸三(以下「被告長谷川」という。)
(五) 事故態様 原告が、原告車に乗車して、本件事故現場付近道路(以下「本件道路」という。)を板戸井方面に向けて直進中、路外の訴外オクノブ食品株式会社関東工場(以下「訴外オクノブ食品」という。)出入り口から菅生町方面に右折しようとして本件道路上に進入してきた被告長谷川運転の被告車と衝突し、原告は、頭蓋骨骨折、脳挫傷の傷害を負つた。
2 責任原因
(一) 被告長谷川は、右折するため訴外オクノブ食品の出入り口から本件道路に進入するに際し、右方からの車両の動静を注視し、その安全を確認して進行すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つて本件道路に進入した過失により、本件事故を惹起したのであるから、民法七〇九条により損害を賠償する責任を負う。
(二) 被告長谷川は、被告ヤマト運輸の従業員であり、体件事故は、被告長谷川が、被告ヤマト運輸の業務を執行中、その過失によつて発生させたものであるから民法七一五条により、かつ、被告ヤマト運輸は被告車の保有者であるから、自動車損害賠償保障法三条により、損害を賠償する責任を負う。
二 争点
1 休業損害及び逸失利益の算定の基準とすべき原告の収入の額
2 過失相殺
第三争点に対する判断
一 基礎収入について
1 原告は、「原告は、本件事故当時、訴外全農ハイパツク株式会社(以下「訴外全農ハイパツク」という。)に長期臨時雇員として勤務するかたわら、家業の農業にも従事していたところ、訴外全農ハイパツクからの収入は、本件事故前三か月間の平均賃金が日額四八七一円三二銭、特別給与は年額三三万一二九五円の年額二一〇万九三二六円であつた。また農業収入は、三八一万八〇〇〇円ないし四八四万六六六六円あつたので、これらを合わせると、原告は、少なくとも平成六年賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である四三九万一五〇〇円の収入を得ていた。したがつて、原告の休業損害及び逸失利益の算定は、右の四三九万一五〇〇円を基準とすべきである。」と主張し、被告らは「原告が、訴外全農ハイパツクに長期臨時雇員として勤務し、給与として年額一七七万八二八〇円、特別給与年額三三万一二九五円の収入を得ていたことは認めるが、農業収入については否認する。原告の休業損害及び逸失利益は、右訴外全農ハイパツクからの収入を基準に算定すべきである。」と主張している。
2(一) 原告が、訴外全農ハイパツクに長期臨時雇員として勤務し、給与として年額一七七万八二八〇円及び特別給与年額三三万一二九五円の年間合計二一〇万九五七五円の収入を得ていたことは、当事者間に争いがない。
(二) 甲二三ないし二六、三三、三四、証人吉岡てるの証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、六一歳の男性であり、一家の支柱として、訴外全農ハイパツクに勤務して収入を得ていたほか、妻である訴外吉岡てる(以下、「訴外てる」という。)及び原告の長男の妻と共に農業に従事していたこと、原告の長男の妻は、電器会社の食堂で働いており、農業に従事できるのは、一週間のうち多くても数日であり、農作業の大半は、訴外てると原告の両名で行つていたこと、原告は、訴外全農ハイパツクに勤務していたため、平日は、帰宅後の夕方だけ農作業を行い、週末や休日に農作業に従事していたこと、畑作にはトラクターを用いて耕作することが不可欠であるが、訴外てるはトラクターを操作できず、本件事故当時は、原告の長男は農作業を手伝つていなかつたため、トラクターを用いて畑を耕作するのはもつぱら原告の役割であつたこと、守谷町においては、農業所得は田畑の所有者名義で申告することになつており、訴外てるらが従事した分も含めて、原告名義で農業所得の税務申告が行われていること、原告は、本件事故によつて脳に後遺障害を残存したため、本件事故後は、原告は全く農業に従事することはできず、農作業は、主として訴外てるが従事し、原告の長男の妻が手伝う外、休日には原告の長男も手伝つて農業所得を維持していたが、前記のとおり、農業所得は田畑の所有者名義で申告することになつているため、本件事故後も、訴外てるらが従事した所得は、原告名義で税務申告が行われていることが認められる。
以上によれば、原告は、本件事故当時は、訴外全農ハイパツクに勤務し、そこからの収入を得ていたほか、農業も営なみ、一定の所得を得ていたことが認められるので、原告の休業損害及び逸失利益の算定に際し、農業に従事して得ていた所得を全く考慮しないことは相当ではない。
(三) 甲二三ないし二六、三三、三四及び証人吉岡てるの証言によれば、原告は、本件事故の発生した平成二年度には、年額四六万〇〇二〇円を農業所得として税務申告していたこと、守谷町では、各農家の農業所得については、守谷町役場税務課が、田畑の種別ごとに一反当たりの収入を決め、これに標準経費を控除し、耕作面積に従つて算定して課税額を算出し、これを各農家に通知して、田畑の所有者名義で納税申告が行われており、平成二年度の場合、普通畑は一反当たり五万八五〇〇円、野菜畑は収入金額の七八パーセントから一反当たり二万七〇〇〇円を控除したもの、田は、一反当たり九万八八〇〇円とし、これらに農業委員会に届け出ている作付け面積を乗じて標準課税額が算出されていること、原告の右申告農業所得も、守谷町役場税務課からの右通知にしたがつて申告を行つていたものであり、原告自らが、農業による実収入に経費を減じて算出し、決定したものではないことが認められる。また前記のとおり、原告は、平成二年度には年額四六万〇〇二〇円の農業所得を税務申告していたことが認められるが、甲二五によれば、本件事故によつて原告は農業に従事できなくなつたにもかかわらず、本件事故後の平成六年度にも年額四八万七一四〇円の農業所得を税務申告されており、このことからも、原告の農業所得は、守谷町役場税務課によつて、画一的に算定されたものであつて、原告の農業による実所得を表していないと認められる。
したがつて、原告の申告農業所得は、原告の農業に従事した実所得を示しているとは認められないところ、原告は、農協に回すなどして他者に売却して収入を得た分にかかる農産物のみならず、自家消費分の農産物の生産にも、その労働能力を当てていたと認められること、原告は、一家の支柱であるが、訴外全農ハイパツクからの年間合計二一〇万九五七五円の収入と税務申告にかかる年額四六万〇〇二〇円の合計二五六万九五九五円によつて原告と原告の妻の訴外てるの生計を維持していたとは考えがたいこと等も考慮すると、原告が、その労働能力を農業に従事させたことの対価としての農業所得は、税務申告にかかる年額四六万〇〇二〇円を上回るものと認められる。他方、原告は、年間三八一万八〇〇〇円ないし四八四万六六六六円の農業所得を上げていたと主張しており、証人吉岡てるの証言や甲三三中には同旨の供述が認められるが、証人吉岡てるの証言や甲三三中の供述も、確実な資料に基づいて供述されたものではなく、推測で供述されているにすぎないので、原告が年間三八一万八〇〇〇円ないし四八四万六六六六円の農業所得を上げていたと認めることは相当ではない。
そこで原告の収入として相当な額について検討するに、原告が、訴外全農ハイパツクに勤務し、年間合計二一〇万九五七五円の収入を得ていたことに鑑みると、農業に従事した分を含めた原告の労働の対価としての収入は、賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金に相当すると解するのが相当である。
3 以上の次第で、原告の休業損害及び逸失利益の算出に際しては、その収入は、休業損害は、平成二年分については、平成二年賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間三八九万七一〇〇円、平成三年分については、同年の賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間四一〇万五九〇〇円、平成四年分は、同年の賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間四二六万八八〇〇円を基準として算定し、逸失利益は、症状固定時の平成四年の賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間四二六万八八〇〇円を基準として算定するのが相当ある。
二 過失相殺
1 当事者の主張等
(一) 被告らの主張
本件事故は、被告長谷川が被告車を運転し、訴外オクノブ食品出入り口から本件道路に出て、右折して北進ようとしたところ、原告車に乗つて、本件事故現場から北側に約七〇メートル離れた訴外全農ハイパツクの出入り口から本件道路に出てきて右折、・南進したが、原告車は、制限速度を約一八キロメートル超過した時速約四八キロメートルで走行し、かつ、原告が、前方注視を著しく欠いて直進した結果、被告車と原告車が衝突して発生したものである。被告車が本件道路に進入した時点では、原告車も本件道路には進入していなかつたものであり、被告車が路外車、原告車が直進車との事案ではなく、双方が路外車の事案であると解すべきであり、五割の過失相殺が認められるべきである。
(二) 原告の認否と反論
本件事故が、原告が原告車に乗つて、本件事故現場からの北側に約七〇メートル離れた訴外全農ハイパツクの出入り口から本件道路に出てきて右折、南進中、訴外オクノブ食品出入り口から本件道路に出て、右折して北進ようとした被告長谷川運転の被告車と衝突して発生した事故であることは認めるが、原告車が制限速度を約一八キロメートル超過した時速約四八キロメートルで走行していたこと、原告が前方注視を著しく欠いていたとの事実は否認する。本件は、路外から本件道路に進入してきた被告車と本件道路を直進中の原告車とが衝突した事故であり、被告長谷川の右方不注視の程度は著しく、かつ、本件道路は幹線道路と認められるので、過失相殺は認められるべきではない。
2 当裁判所の判断
(一) 甲一四ないし一九、乙一ないし五、被告長谷川本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 本件道路は、守谷町板戸井方面と菅生町方面を結ぶ、片側一車線の道路であり、アスフアルト舗装されており、平坦で、本件事故当時、本件道路の路面は乾燥していた。本件道路は、白色の点線で中央線が表示され、歩車道の区別はなく、幅員は約七・九メートルである。本件道路は、本件現場付近では直線で、見通しを遮る障害物はなく、守谷町板戸井方面、菅生町方面の両方向とも見通しは良好である。本件道路には、交通規制はなく、普通貨物自動車である被告車の制限速度は法定の時速六〇キロメートル、原動機付自転車である原告車の制限速度は法定の三〇キロメートル毎時と認められる。
本件道路の両側には、東側に訴外オクノブ食品の出入り口があり、西側には訴外全農ハイパツクがあり、西側は金網となつている。原告車が本件道路に出てきた訴外全農ハイパツクの出入り口付近から、被告車が本件道路に出てきた訴外オクノブ食品出入り口付近までの距離は約七三・七メートルである(別紙図面のからの七七・五メートル、から<い>の一六メートル、<い>から<×>の七・二メートルの各距離を加算した一〇〇・七メートルから、から<あ>の距離二七メートルを減じた距離に相当。なお、以下の図面の表示は、全て別添図面のものである。)。
(2) 被告長谷川は、被告車を運転し、本件道路を右折して、菅生町方面に向かおうとしていた。被告長谷川は、訴外オクノブ食品から本件道路に進入するため、訴外オクノブ食品出入り口と本件道路の境界付近の別紙図面<1>の地点で一時停止し、二秒間程度停止して左方、右方、さらに左方の順に見た。被告車は、訴外オクノブ食品の出入り口の塀よりも少し前に出て一時停止したので、左右の視野を遮る物はなかつた。そして、被告長谷川は、本件道路に進入したところ、五・〇五メートル進行した<2>の地点で菅生町方面から守谷町板戸井方面に向かつて進行してきた原告車を初めて発見した。被告長谷川は、事故を回避するために、ブレーキをかけるのが良いか迷つたため、直ちにはブレーキを踏まなかつたところ、二・七メートル進行した別紙図面<3>の地点で被告車の右後部に原告車が衝突した。被告長谷川は、原告車と被告車が衝突するころ、被告車のブレーキを踏み、被告車は、衝突地点から四・二メートル進行した<4>の地点で停止した。
一方、原告は、本件事故現場から菅生町方面に約七三・七メートル先にある勤務先の訴外全農ハイパツク出入り口から原告車に乗つて本件道路に進入した後、右折して本件事故現場に至つたところ、被告車と衝突した。原告車は、被告長谷川が原告車を発見した後、原告車と被告車が衝突する直前に、左右に振れた後、原告車と被告車は衝突した。
(二) 関係者の供述等
(1) 本件事故の発生状況については、被告長谷川と原告と同じく訴外全農ハイパツクに勤務しており、本件事故当時、原告車の後方を進行していた訴外須賀美知子(以下「訴外須賀」という。)が、それぞれ事故の状況について、以下のとおり供述している。
ア 被告長谷川の供述
<1>の地点で一時停止し、二秒間程度停止して左方、右方、さらに左方の順に見たところ、本件道路上に車両がなかつたので、本件道路に進入した。ところが、五・〇五メートル進行した<2>の地点で、一六メートル離れた<ア>の地点に菅生町方面から守谷町板戸井方面に向かつて進行してくる原告車を初めて発見した。事故を回避するためにブレーキをかけるのが良いか迷つたため、ブレーキを踏まなかつたところ、二・七メートル進行した<3>の地点で被告車の右後部に原告車が衝突した。衝突時の被告車の速度は、時速約八キロメートル程度だつたと思う。
イ 訴外須賀の供述
仕事が終了した後、通勤に使つている軽四輪車自動車に乗つて帰宅した。訴外全農ハイパツクの駐車場を出て別紙図面の地点に来たとき、訴外全農ハイパツクの出入り口から本件道路に出てきた原告車を二七メートル前方の<あ>の地点に発見した。板戸町方面に進行する原告車の後方を時速約三〇ないし三五キロメートルで進行し、少しずつ原告車に近づいていつた。地点に来たところ、左側の訴外オクノブ食品の出入口から被告車がヒユーという感じで本件道路に出てきた。そのとき、原告車は、<い>の地点を走行していたが、<×>地点で原告車と被告車が衝突し、原告は、被告車の後方に転倒した。原告車のブレーキランプが点灯したか否かは覚えていない。被告車が本件道路に出てきた地点が、自分から近い地点で出てきたように感じたので、すぐに急ブレーキをかけ、八メートル進行した
(2) 被告長谷川の右供述が信用できるとすると、原告車の速度は法定速度を約一八キロメートル超過した時速四八キロメートル程度となり、訴外須賀の供述が信用できるとすると、原告車の速度は時速二〇ないし三〇キロメートル程度で、被告車の速度が時速約二〇キロメートル程度となるので、本件事故の態様の認定にとつて、その信用性の判断は重要である。
(三) 各供述の信用性
(1) 被告車の速度に関する供述の信用性
ア 被告長谷川は、衝突時の被告車の速度は時速約八キロメートルであつたと供述しているところ、被告長谷川は、その供述からも明かなとおり、速度メーターを見て制動開始時の速度を確認しているわけではないので、被告車の制動開始時の速度については十分な検討が必要である。
ところで、被告長谷川の供述及び指示説明によれば、被告長谷川がブレーキを踏んだ<3>の地点から停止した<4>の地点までの距離は四・二メートルであるから、本件時、被告長谷川がブレーキを踏んでから被告車が完全に停止するまでの停止距離は右四・二メートルと認められる。停止距離には、ブレーキが効き始めるまでの空走距離を含むが、通常、空走距離は、〇・九秒ないし一秒程度を考慮すると認められるところ、被告長谷川が職業運転手であること、本件では、被告長谷川は、被告車を発見した<2>の地点からブレーキを踏んで制動を開始した<3>の地点までの間、進行すべきか止まるべきか迷つた後、<3>の地点でブレーキを踏んだと供述しているので(本人尋問では、<3>の地点より少し手前でブレーキを踏んだとも供述している。)、<3>でブレーキを踏んでからの空走距離は、通常よりも短時間の〇・六秒程度を考慮すればよいと考えられる。そして、本件時の乾燥したアスフアルトという路面状況から考えると摩擦係数は〇・五五程度と考えられる。これらを前提に、停止距離が四・二メートルである本件の制動開始時の被告車の速度を算出すると、若干の誤差は考えられるものの、制動開始時の被告車の速度は時速約一五キロメートル程度と認められる。
したがつて、制動開始時の被告車の速度が時速約八キロメートル程度の低速であつたとの被告長谷川の供述部分は信用し難い。
イ 他方、訴外須賀は、時速約三〇ないし三五キロメートルで須賀車は走行していたと供述している。
訴外須賀は、別添図面の地点で被告車が左方から本件道路に出てきたのを見て、すぐにブレーキをかけ、
ところで、須賀が全農ハイパツク駐車場から本件道路上に出て、前方を走行している原告車を発見したの地点から、被告車が左方から本件道路に出てきたのを発見したの地点までの距離は七七・五メートルであるところ、その間に原告車は、<あ>の地点から<い>の地点まで走行している。<あ>と<い>の距離は、との距離七七・五メートルとと<い>の距離一六メートルを合計した九三・五メートルから、から<あ>までの二七メートルを減じた六六・五メートルと認められる。したがつて、須賀車が、約三〇ないし三五キロメートルで七七・五メートルを走行する間に、原告車は六六・五メートルを走行していることになる。時速三〇キロメートルの秒速は八・三三三メートル、時速三五キロメートルの秒速は九・七二二メートルであるので、須賀車は、―間を約九・三ないし約七・九七秒で走行したことになる。原告車は、その間に六六・五メートルを走行しているので、原告車の秒速は約七・一メートルないし約八・三メートルであり、須賀供述によれば、原告車は、時速約二五キロメートルないし約三〇キロメートルで走行していたと認められる。
原告車がブレーキをかけたか否かは証拠上明白ではないので、<い>地点から衝突地点である<×>地点までブレーキはかけていないとすると、<い>と<×>の距離は七・二メートルであるから、原告車は、<い>地点から衝突地点である<×>地点まで約〇・九ないし約一秒で走行したことになる。
須賀供述及び実況見分調書では、須賀が、被告車が本件道路上に出てきたのを発見した際の被告車の位置が指示されていないので、その際の被告車の位置は明確ではない。しかしながら、訴外須賀が、被告車が本件道路に出てきたところを目撃していることに鑑みても、概ね、<1>付近か、もしくは、さらに本件道路内に進行した地点と認められる。したがつて、被告車は、原告車が<い>地点から衝突地点である<×>地点まで走行した約〇・九ないし約一秒間に、<1>から<2>までの五・〇五メートル、もしくは、これよりも若干短い距離を走行したことになる。これによると、被告車の<1>から<2>までの時速は、平均すると約一八ないし約二〇キロメートルとなるが、右のとおり、被告車は、<1>地点よりも、さらに本件道路内に進行した地点を進行していた可能性が高いので、そうすると、原告車が<い>地点から衝突地点である<×>地点まで走行した間に、被告車が移動した距離が短くなるため、被告車の速度は、右の約一八ないし約二〇キロメートルよりも低速であつた可能性が高い。前記のとおり、被告車の停止距離から推認した制動開始時の被告車の速度は、時速約一五キロメートルであるので、これは、須賀供述から推認される被告車の速度とも符合する。
(2) 被告車が本件道路に進入した際の、原告車の走行位置についての供述
ア 被告長谷川の供述では、被告車が、<2>の地点から衝突した<3>までの二・七メートルを走行する間に、原告車は<ア>から<×>まで一六メートルを走行していることになる。衝突時の被告車の速度は、時速約一五キロメートルと認められるので、秒速は四・一六七メートルであり、被告車は、<2>から<3>までを約〇・六五秒で走行したことになる。その間、原告車は、一六メートルを走行していることになるので、原告車の秒速は、約二四・六メートルとなり、時速は約八八キロメートルとなつてしまい、この速度は、原告車が原動機付自転車であることに鑑みても、到底信用できるものではない。衝突時の被告車の速度が時速約一五キロメートルと認められるのであるから、結局、被告長谷川が初めて原告車を発見した際の原告車の位置である<ア>地点が、被告長谷川が指示するよりも被告車に接近した地点であると解するのが相当である。
イ 一方、前記のとおり、須賀供述によれば、被告車が本件道路上に出てきた際の原告車の位置は、衝突地点から七・二メートル菅生町よりの地点であるが、右須賀の供述には、格別、不自然、不合理な部分はない。訴外須賀が、原告車の後方から進行していたため、その視角の関係から、訴外須賀の指示する<い>の地点が、実況見分調書で指示している地点と異なる可能性も否定できないではないが、その場合でも、被告長谷川が供述するような一六メートルも手前を走行していた原告車を、衝突地点から七・二メートル手前を走行していたと誤認することは考え難い。したがつて、須賀供述の信用性に疑いを抱かせるものではない。
(3) 以上の次第で、被告長谷川の供述が、被告車の速度と初めて原告車を発見したときの原告車の位置について、信用し難いのに比して、須賀供述は十分に信用できると認められる。
(四) 荒居意見書の信用性(乙六)
(1) 被告らが依頼した社団法人未踏科学技術協会の荒居茂夫作成の意見書(以下「荒居意見書」という。)は、本件事故の状況について、「路外から道路に進入しようとするものが右方を注視しないことは考えられないので、右側を見たときには本件道路上には車両はなかつたとの被告長谷川の供述は信用できる。衝突時の被告車の速度が時速約八キロメートルであるとの被告長谷川の供述は信用できる。被告車が時速約八キロメートルで進行しているので、原告車は時速約四八キロメートルで進行している。このため、被告車が発進した直後には、原告車は、<あ>の地点におり、被告長谷川からは見えなかつた可能性がある。」と結論づけている。
(2) 荒居意見書は、その記載からも明らかなように、被告長谷川が、衝突直前の速度を時速約八キロメートルと供述していることが信用できることを前提とした上で、路外から道路に進入するものが左右を注視せずに進入することはありえないから、被告長谷川が、右方を注視して本件道路に進入しており、被告長谷川は右方確認を怠つていなかつたので、被告長谷川が原告車を発見していないというのは、被告車の発進時点で原告車が未だ本件道路には進入していなかつたと認められると結論付けていることは明らかである。
しかしながら、路外から道路に進入するものが左右を注視せずに進入することはありえないから、被告長谷川が、右方を注視して本件道路に進入しており、右方確認を怠つていなかつたので、被告車の発進時点で原告車が未だ本件道路には進入していなかつたとの結論は、一般的な意見としても、余りに予断が先行しており、到底、合理的な根拠が認められないものである。また、荒居意見書は、被告長谷川が、時速約八キロメートルで進入したと供述している点についても、格別、精査することなく、かつ、全く科学的な理由も付さないまま、これを信用している。
しかしながら、前記のとおり、被告長谷川は、速度メーターを見て制動開始時の速度を確認しているわけではないので、被告車の制動開始時の速度については十分な検討こそ必要不可欠であり、この点の検討を怠つている荒居意見書は、これを採用するための前提を欠いていると言える。
その他、荒居意見書は、須賀供述では、須賀車の時速は約三〇ないし約三五キロメートルと推定し、「混雑の無い道路としては低速に過ぎる。」としているが、右意見が、何ら科学的根拠に基づかない情緒的な意見であることは、右意見の記載から見ても明らかであるなど、その検討の経過を見ても、科学的な意見を付したとは言い難いもので、採用し難いものである。
(3)ア また、右意見書は、その内容を前提として見ても、次のような、不合理な点がある。
イ 荒居意見書は、「被告長谷川が初めて原告車を発見した<2>の地点から衝突した<3>までの二・七メートルを走行する間に、原告車は<ア>から<×>まで一六メートルを走行している。時速約八キロメートルで走行する被告車がその間を走行するのに一・二秒を要したので、原告車の速度は、秒速一三・三メートルで、時速は四七・九キロメートルとなる。被告長谷川が左方を見てから、その後、右方を見、さらに左方を見て発進し、原告車と被告車が衝突するまで約七・七秒を要するので、被告長谷川が右方を見たときには、原告車は、衝突地点から約一〇二メートル菅生町寄りにいたことになる。原告車が出てきた全農ハイパツクの出入り口は、衝突地点から七三・七メートル菅生町寄りに位置するので、被告長谷川が左方を見てから、その後、右方を見、さらに左方を見て発進した際には、原告車は、全農ハイパツクの出入り口から本件道路上に出てきていない。」と述べている。
仮に、荒居意見書の右内容が正しいとすると、原告車は、全農ハイパツク出入り口前の<あ>地点から衝突地点の<×>地点までの七三・七メートルを五・五四秒で走行することになる。他方、荒居意見書では、被告車が発進を始めた<1>の地点から<2>の地点まで四・五三秒、さらに<2>の地点から衝突地点である<3>の地点まで一・二秒を要するとしているので、被告車は、五・七三秒で発進した<1>から衝突地点の<3>まで到達していると認めている。したがつて、荒居意見書を前提にしても、被告車が<1>から発進した際には、原告車は、既に、少なくとも本件道路上の<あ>地点よりも衝突地点寄りの地点を走行していたと認められるのである。被告車が、被告長谷川が供述する時速八キロメートルよりも低速で走行していたと認めるに足りる証拠はなく、被告車が時速八キロメートルよりも低速で走行していたとは認められない。したがつて、荒居意見書を前提にし、被告車の速度の誤差を考慮しても、原告車が本件道路上の<あ>の地点よりも、さらに衝突地点に近い地点を走行していた可能性はあるとしても、原告車が、<あ>の地点よりも衝突地点に遠い地点を走行していた可能性は認められない。
また、荒居意見書では、被告長谷川が右方を見たときには、原告車は、右の一〇二メートルから、衝突地点から全農ハイパツク出入り口付近までの七三・七メートルを減じた二八・三メートルだけ、<あ>地点よりも全農ハイパツク内に入つた地点を、既に時速四七・九キロメートルで走行していたことになる。しかも、その後、速度を低下することなく、継続的に時速四七・九キロメートルで衝突地点まで走行していることになる。原告車は、全農ハイパツク内から本件道路に出てきているのであるから、荒居意見書自身も述べているように、路外から出てくる車両は、左右を確認するのが通常であり、そのために、減速、あるいは、一時停止をせずに、時速四七・九キロメートルの速度のままで本件道路に出てくることは到底考えられない。また、原告車が、本件道路をほぼ直角に右折していることを考えると、時速四七・九キロメートルの速度で右折することは不可能であるといえる。したがつて、荒居意見書の原告車の速度を前提にしても、原告車が衝突地点に到達するには、七・七秒よりもさらに時間を要すると認められる。そうすると、被告車は、既に菅生町行き車線に右折を完了し、およそ被告車は原告車と衝突しないことになつてしまう。
したがつて、被告長谷川が、右方を見たときに原告車が本件道路に出てきていなかつた可能性があるとの荒居意見書の結論には、その内容自体から見て、明確な矛盾がある。
なお、乙五の被告代理人有賀正明作成の実況見分調書中には、訴外全農ハイパツク出入り口から本件衝突地点まで、原動機付自転車で走行した場合、約六・五秒を要したとの記載がある。しかしながら、右は、当該原動機付自転車が、いかなる速度で走行した場合に約六・五秒を要したかが記載されておらず、原告車の走行状況の証拠としては、到底採用できないものである上、右を前提にすると、被告長谷川が右方を確認した際には、原告車は既に本件道路に進入し、<あ>地点よりも衝突地点寄りの地点を走行していたことになるので、いずれにしても、被告らの主張を裏付けることにはならない。
ウ さらに、荒居意見書は、被告車が発進しようとした際、原告車は、<あ>の地点にいた可能性があり、被告長谷川からは見えなかつた可能性があると結論づけているが、被告代理人が作成した実況見分調書(乙五)の外、被告長谷川本人尋問の結果等からも明らかなとおり、被告車が発進した<1>の地点から<あ>の地点の見通しはよく、<1>の地点から<あ>の地点を走行している車両の動静は十分に確認できるのであり、<あ>の地点にいた可能性があり、被告長谷川からは見えなかつた可能性があるとの荒居意見書の結論は、事実を誤認しているのであり、採用できるものではない。
(4) 以上の次第で、荒居意見書は信用できず、到底採用できるところではない
(五) 以上、検討したとおり、本件事故は、被告長谷川が被告車を運転して、路外の訴外ナクノブ食品から本件道路に進入しようとした際、右方の十分な確認を怠つたため、右方約七・二メートル付近、もしくは、それより若干菅生町寄り付近の本件道路上を時速約二五キロメートルないし約三〇キロメートルで進行してくる原告車に気づかないまま、漫然と本件道路に進入した結果、被告車右後部に原告車前部を衝突させて、原告車に傷害を負わせたものであると認められる。
本件道路は、直線で、見通しが良く、被告長谷川が右前方を注視していれば、被告長谷川は、本件道路を直進してくる原告車を十分に発見できたため、原告車の通過を待つて本件道路に進入することが十分に可能であつたのであり、前方注視という運転者として最も基本的な義務を怠つた被告長谷川の過失の態様は極めて重大であると言わなければならない。しかも被告長谷川は、本件道路に進入した後、初めて原告車を右約七・二メートル付近に発見するまでの間、右方の注視を欠き、全く、原告車を発見していないのであり、注意義務違反の程度は著しく、その過失は悪質である。
他方、原告は、原告車を運転して直進中、前方約七・二メートル付近に被告車が進入してきたのであるが、原告が原動機付自転車であつたこと、時速約二五キロメートル程度で進行していたことに鑑みると、原告が前方を注視していれば、本件事故を回避できたか、若しくは、被害をより軽微にできたと認められ、原告にも前方不注視の過失が認められる。しかしながら、被告車が本件道路に進入してきたのは、原告車の前方約七・二メートルの地点であり、前方注意義務違反の程度は軽微と認められる。
以上のような本件事故の態様、特に、被告長谷川の右方注視義務違反の程度が著しく重大であるのに比して、原告の前方不注視の程度が軽微であること、原告車は、法定速度を遵守していたと認められることに鑑みれば、損害の公平な分担という過失相殺の趣旨から見た場合、本件では、過失相殺として、原告の損害から減じるのは五パーセントと認めるのが相当である。
なお、被告らは、本件事故は、路外車である被告車と直進車である原告車が衝突した事故ではなく、原告車も路外車であり、路外車対路外車の事故であるから五割の過失相殺がなされるべきであると主張する。その趣旨は明確ではないが、本件事故に際し、原告にも、路外から進入してきた車両に科せられると同程度の道路上の進行車両の通行を妨害しないという注意義務が原告車にも科せられるれるべきであると言うようである。しかしながら、原告車は、訴外全農ハイパツク出入り口から本件道路に進入して右折し、衝突地点から七三・七メートル菅生町寄りの地点の別添図面<あ>の地点で既に右折を完了し、同所から、七三・七メートルを走行してきたのであり、本件事故現場付近を走行していた原告車には、最早、路外から進入するため、道路上の進行車両の通行を妨害しないという注意義務が科せられているとは認められない。
また被告らは、原告車が左側走行をしていなかつたことを本件事故の原因の一つに上げているが、本件では、路肩側を走行している車両よりも中央線寄りを走行している車両の方が発見しやすいことは明らかであり、中央線寄りを走行したとしても、そのことが本件事故の原因になつたとは認められないし、衝突直前に原告車が衝突を避けるために中央斜線寄りに進路を変更しようとした事実も認められるので、このことを過失相殺の事情として斟酌するのも相当ではない。
よつて、被告らの主張は採用できない。
第四損害額の算定
一 原告の損害
1 治療費等 九二万九〇七〇円
本件事故で前記のとおり受傷した結果、原告が、治療費に一四万四〇四〇円、交通費に一四万六六三〇円、入院雑費に八万五八〇〇円、文書料に六〇〇円、入院付添費に三九万六〇〇〇円及び通院付添費に一五万六〇〇〇円の合計九二万九〇七〇円を支出したことは当事者間に争いがない。
2 将来の通院付添費及び通院交通費 五二万四九一七円
原告は、本件事故によつて、抗けいれん剤の投与のため生涯通院を必要とし、そのため、一回の通院に、妻の通院付添費三〇〇〇円及び通院交通費八八〇円の合計三八八〇円を要し、一年に一六回通院が必要である上、抗けいれん剤の投与のため胃を荒らし、その検査のため、一年に二回通院を要し、その治療費として一回に七六二〇円を要し、これを平均余命の一七年間続ける必要があるので、合計八七万一七〇五円の将来の通院付添費及び通院交通費を認めるべきであると主張している。
甲三ないし七によれば、原告は、本件事故によつて受傷した脳挫傷の後遺障害が残存し、茨城労働基準局長から、頭蓋骨骨折、脳挫傷、急性硬膜下血腫のため、症候性てんかんに対する抗けいれん剤の投与の必要があると認定され、症状が固定した平成四年八月三一日の後も、毎月一回、定期的に抗けいれん剤の投与を受けていることが認められる。したがつて、原告は、今後も、後遺障害の保存的治療として抗けいれん剤の投与を毎月一回の年間一二回受ける必要があると認められる。後記のとおりの原告の後遺障害の症状に見ると、原告が一人で通院することは不可能であり、親族の付き添いが必要であると認められ、その費用は、経験則上、原告主張のとおり、一回当たり三〇〇〇円が相当と認められる。また症状固定までの通院交通費については当事者間に争いがないので、一回の通院に必要な通院費も、原告主張のとおり、八八〇円と認めるのが相当である。
他方、胃検査については、本件事故によつて胃検査を継続的に受診する必要が出たとまで認定できる証拠はないので、将来の治療費として、胃検査の治療費を含むことは相当でない。
したがつて、将来の通院付添費及び通院交通費は、右の合計三八八〇円に一二を乗じ、原告が症状固定時六四歳であつたため、その平均余命である一七年間のライプニツツ係数一一・二七四を乗じた額である金五二万四九一七円と認められる。
3 休業損害 七一〇万八九四四円
原告は、本件事故日である平成二年一二月一八日から症状が固定した平成四年八月三一日までの六二三日間、全く稼動できなかつたと認められるところ、前記認定のとおり、原告の休業損害の算定については、その収入は、平成二年分については、平成二年賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間三八九万七一〇〇円、平成三年分については、同年の賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間四一〇万五九〇〇円、平成四年分は、同年の賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間四二六万八八〇〇円を基準として算定するのが相当である。
したがつて、原告の休業損害は、平成二年は、右三八九万七一〇〇円の一日当たりの金額一万〇六七六円に、平成二年の休業日数一四日を乗じた一四万九四六四円、平成三年度は一年間休業しているので、右四一〇万五九〇〇円、平成四年度については、右四二六万八八〇〇円の一日当たりの収入一万一六九五円に、症状固定までの二四四日間を乗じた二八五万三五八〇円を合計した七一〇万八九四四円と認められる。
4 逸失利益 二一二三万九八四一円
前記認定のとおり、原告の逸失利益は、症状固定時の平成四年の賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金である年間四二六万八八〇〇円を基準にして算定するのが相当であるところ、原告は、症状固定時六四歳であつたので、原告は、本件事故によつて、平均余命の二分の一の歳に達するまでの九年間、毎年、右四二六万八八〇〇円の得べかりし利益を喪失したものと認められる。
ところで、原告は、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したと主張しているが、甲三ないし七及び証人吉岡てるの証言によれば、原告は、自動車損害賠償保険料率算定会から自動車損害賠償保障法施工令別表後遺障害等級(以下、単に「後遺障害等級」という。)の七級に該当すると認定されているところ(原告が、自動車損害賠償保険料率算定会から後遺障害等級の七級に該当すると認定されていることは、当事者間に争いがない。)、原告の後遺障害は、右不全麻痺が生じ、知能テスト等も著明な機能低下が認められる高次脳機能障害であること、症候性てんかんに対する抗けいれん剤の投与の必要がある状態であること、医師から軽易な労務以外の労務は困難であると診断されており、原告が、一人で日常生活を送ることは極めて困難な状態であることが認められる。さらに、本訴訟における原告本人尋問においても、原告は、ほとんど尋問にも耐えられない状態であることが認められる。
以上によれば、原告の後遺障害の程度は、「終身にわたり極めて軽易な労務の外服することができないもの」という後遺障害等級五級に該当する程度にまでは至つてはいないものの、後遺障害等級七級としては重篤な部類に属していると認められ、原告が今後外部に勤務して収入を得ることはほとんど不可能であると認められることも考慮すると、原告は、その七〇パーセントの労働能力を喪失したと認めるのが相当である。
したがつて、原告の逸失利益は、右四二六万八八〇〇円に、労働能力喪失率七〇パーセントと九年間のライプニツツ係数七・一〇八を乗じた額である金二一二三万九八四一円と認められる。
5 慰謝料 一四〇〇万円
原告が症状固定までに要した入通院期間、原告の後遺障害が後遺障害等級七級に認定されているが、その症状は、七級の中でも重篤なものと認められること、その他、本訴前及び本訴における被告の応訴の態度等、本件における諸事情を総合すると、本件における慰謝料は、原告主張のとおり、傷害慰謝料が三〇〇万円、後遺障害慰謝料が一一〇〇万円の合計一四〇〇万円と認めるのが相当である。
6 合計 四三八〇万二七七二円
二 過失相殺 四一六一万二六三三円
前記のとおり、本件では、原告の損害から五パーセントを減殺するのが相当と認められるので、過失相殺をした後の原告の損害額は、四一六一万二六三三円となる。
三 損害のてん補 一一三〇万二〇一二円
本件事故に基づいて、原告が、自動車損害賠償責任保険より九四九万円、労災保険より原告の一日当たりの収入である四八七一円の六割相当額の六二〇日分の一八一万二〇一二円の休業保障の合計一一三〇万二〇一二円が支払われたことは、当事者間に争いがない。
四 合計 三〇三一万〇六二一円
五 弁護士費用 三〇〇万円
本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額、その他、本件において認められる諸般の事情に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、金三〇〇万円と認められる。
六 合計 三三三一万〇六二一円
第五結論
以上のとおり、原告の請求は、被告らに対して、金三三三一万〇六二一円及びこれらに対する本件事故の日である平成二年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。
(裁判官 堺充廣)
交通事故現場見取図