東京地方裁判所 平成6年(ワ)4977号 判決 1998年1月28日
原告
工藤ひろみ
ほか三名
被告
日の丸自動車交通株式会社
ほか一名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一1 被告らは、原告工藤ひろみに対し、各自金二八三七万二五四〇円及びこれに対する平成五年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、原告奥澤恵理子に対し、各自金一五六八万六二七〇円及びこれに対する平成五年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告らは、原告工藤直也に対し、各自金一五六八万六二七〇円及びこれに対する平成五年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告有限会社ジー・ケー・アートに対し、各自金六三〇〇万円及びこれに対する平成五年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実及び容易に認められる事実
1 工藤弘隆は、平成五年九月二八日午前二時二五分ころ、東京都台東区浅草二丁目二七番一五号先路上において、道路を横断していたところ、被告山本章人(被告日の丸自動車交通株式会社の運転手)運転の業務用普通乗用自動車(以下「被告車」という。)に跳ねられて死亡した(以下「本件交通事故」という。)。
2 被告山本章人は、民法七〇九条に基づき、被告日の丸自動車交通株式会社は、民法七一五条に基づき、本件交通事故による損害を賠償すべき義務を負う。
3 原告工藤ひろみは工藤弘隆の妻として工藤弘隆の権利の二分の一を、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也は工藤弘隆の子として工藤弘隆の権利の四分の一ずつを相続した(甲第二号証の一ないし四、第二一号証)。
4 原告有限会社ジー・ケー・アートは、工藤弘隆が代表取締役を務めていた会社である(甲第六号証から第九号証まで)。
5 原告工藤ひろみは、工藤弘隆の死亡により、自賠責保険から合計三〇〇四万五二八〇円(内訳は、治療費四万〇五八〇円、諸雑費及び文書料四七〇〇円、慰謝料及び逸失利益三〇〇〇万円である。)のうち同人の相続分二分の一に相当する一五〇二万二六四〇円の支払を受け、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也は、自賠責保険から合計三〇〇四万五二八〇円のうち同人らの相続分四分の一に相当する七五一万一三二〇円ずつの支払を受けた。
二 争点
1 原告らの主張
(一) 過失相殺について
被告山本章人は、道路の最高時速が四〇キロメートルに規制されているにもかかわらず時速約八〇キロメートルで被告車を走行させた上に、早く目的地に行こうとしていたこと、左端の道路工事に気を取られていたこと、日ごろ通い慣れた道路であったことから、前方の注視を怠り(本件交通事故現場付近は、非常に見通しの良い道路である。)、赤信号であるにもかかわらず被告車を走行させたため、本件交通事故が起きた。
一方、工藤弘隆は、本件交通事故現場付近にある横断歩道の歩行者用信号が青であることを確認した上で、横断歩道まで歩いて行ったら歩行者用信号が赤になると考え、横断歩道付近の道路を横断していたところ、本件交通事故に遭ったものである。
(二) 損害について
(1) 原告工藤ひろみ、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の損害について
ア 治療費 四万〇五八〇円
イ 逸失利益 五〇五〇万九二〇〇円
本件交通事故の前年の年収八四〇万円、生活費控除率三〇パーセント、就労可能年数一一年(新ホフマン係数八・五九〇)に基づく金額である。
ウ 慰謝料 二六〇〇万〇〇〇〇円
エ 葬儀費用 一二〇万〇〇〇〇円
オ 弁護士費用 三〇〇万〇〇〇〇円
カ 原告工藤ひろみ、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の固有の慰謝料 それぞれ三〇〇万〇〇〇〇円
(2) 原告有限会社ジー・ケー・アートの損害について
ア 逸失利益 六〇〇〇万〇〇〇〇円
<1> 原告有限会社ジー・ケー・アートは、工藤弘隆が、設立し、代表取締役を務めていた会社であり、原告奥澤恵理子が事務員として雇用されていたが、専ら工藤弘隆が、原告有限会社ジー・ケー・アートの事業目的である印刷関連機材の輸出等の業務を行っていた。
そして、原告有限会社ジー・ケー・アートは、平成四年度第九期(平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで)の総売上高が四億五四三七万九七三六円、当期利益が二一七三万四八八八円であり、本件交通事故が起きた第一〇期(平成五年四月一日から平成六年三月三一日まで)も更なる利益が見込まれた。
<2> ところが、工藤弘隆が本件交通事故で死亡したことにより、原告工藤直也が、原告有限会社ジー・ケー・アートの代表取締役に就任したが、原告有限会社ジー・ケー・アートの整理をするにとどまり、原告有限会社ジー・ケー・アートは事実上廃業となっている。
<3> 原告有限会社ジー・ケー・アートは、工藤弘隆の経営努力により、年々業績を伸ばし、第九期(平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで)には二〇〇〇万円を超える当期利益を上げていたが、工藤弘隆の死亡で廃業せざるを得なくなった。
すなわち、原告有限会社ジー・ケー・アートは、工藤弘隆が本件交通事故により死亡しなければ、第九期の当期利益である二〇〇〇万円を三年間上げることができた。
したがって、原告有限会社ジー・ケー・アートの逸失利益は、六〇〇〇万円を下回らない。
イ 弁護士費用 三〇〇万〇〇〇〇円
2 被告らの主張
(一) 過失相殺について
工藤弘隆は、本件交通事故現場付近に横断歩道が設置されていたにもかかわらず、横断歩道を横断せず、また、横断方向の信号機が赤であったにもかかわらず、道路を走行する車両の有無、動静等の確認を怠り、横断禁止区域内を横断していたところ、本件交通事故に遭ったものである。
したがって、工藤弘隆には本件交通事故につき少なくとも七割の過失がある。
(二) 損害について
(1) 原告工藤ひろみ、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の損害について
治療費は認め、その余は争う。
(2) 原告有限会社ジー・ケー・アートの損害について
ア 会社が、加害者に対し、代表者の負傷等により利益を喪失したとして損害賠償を請求できるのは、会社がいわゆる個人会社で、代表者に会社の機関としての代替性がなく、代表者と会社が経済的に一体をなすといった事実があるときに限られるところ、原告有限会社ジー・ケー・アートは、工藤弘隆と、別人格であり、経済的に一体をなすとはいえない。
したがって、原告有限会社ジー・ケー・アートは、被告らに対し、工藤弘隆が本件交通事故で死亡したことによる損害賠償を請求できない。
イ 原告有限会社ジー・ケー・アートは、第八期(平成三年四月一日から平成四年三月三一日まで)において、売上高が第七期の約三分の一まで減少し、当期損失が一三五六万〇七五八円となっている。
また、第六期(平成元年四月一日から平成二年三月三一日まで)において、現金及び預金が二三四二万九八八六円、短期借入金が一〇二九万〇三六二円であったにもかかわらず、第八期(平成三年四月一日から平成四年三月三一日まで)において、現金及び預金が一二六七万八二五八円、事業者カードローン及び短期借入金が二三〇六万一七五九円になり、第九期(平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで)になると、現金及び預金が一一三七万六九三八円、短期借入金が五四三〇万二九二八円となっている。
これらからすると、原告有限会社ジー・ケー・アートは、事業が順調に拡大しているとはいえない。
したがって、原告有限会社ジー・ケー・アートは、逸失利益として主張するような利益を上げられたとの蓋然性がない。
第三当裁判所の判断
一 過失相殺について
1 本件交通事故現場付近の状況は次のとおりである(甲第三三号証、乙第一号証の一・五)。
(一) 本件交通事故現場は、東西に走る都道言問通りと南北に走る区道とが交差する、交通整理の行われていないT字路である。
(二) 都道言間通りは、車道幅一六・六メートル、片側三車線でその両側には幅員二・五〇メートルの歩道がある。その北側歩道上には長さ五・三〇メートル、高さ〇・八〇メートルのガードレールが設置されており、一四・二〇メートルの間隔を置いて、長さ三・五〇メートル、高さ〇・八〇メートルのガードレールが設置されている。また、南側歩道上にも二本のガードレールが設置されている。
道路は、本件交通事故当時乾燥しており、直線で路面がアスファルトで舗装され、平坦で視界を妨げる物がないため約一五〇メートル先の障害物を視認できる状況であった。そして、最高速度時速四〇キロメートル、歩行者横断禁止の規制がされている。また、車両通行車線は白ペイントの破線、中央線は白ペイントの実線で鮮明に標示されている。
照明は、左右歩道上に約六〇・〇〇メートル間隔で街路灯が設置されており、明るい状態である。
(三) 一方、区道は、幅員五・八〇メートルで歩車道の区別はない。
(四) 工藤弘隆と被告車との衝突地点から約一五・四メートルの地点には信号機により交通整理の行われている十字交差点があり、四角にはそれぞれ横断歩道及び歩行者用信号機が設置されている。
2 本件交通事故の態様は次のとおりである(乙第一号証の一ないし四、被告山本章人の本人調書四項ないし一一項・一八項・一九項・二二項・二五項・三一項)。
(一) 被告山本章人は、前照灯を付け、時速約五五キロメートルないし六〇キロメートルで被告車を走行させていた。
なお、被告車のスリップ痕が、左前輪が一六・八〇メートル、右前輪が、断絶部分三・七五メートルを含めると一三・一五メートルであること(乙第一号証の一・四丁表・裏)からも被告車の右速度は裏付けられる。
(二)(1) 被告山本章人は、別紙現場見取図記載<1>地点(以下の記号は、いずれも別紙現場見取図記載のものである。)で信号甲が青であることを確認し、自転車二台が地点を走っているのを見た。
<2>地点で、<ア>ないし<あ>にいた工藤弘隆を発見し、危険を感じて急ブレーキを掛け、左にハンドルを切ったが、<×>地点で被告車の右前部により工藤弘隆を跳ねた。
(2) これに対し、長南真弓は、本件訴訟において、横断方向の信号が青であることを確認して道路の横断を始めたこと、その旨を警察で話したことを供述する(丙第一六号証三丁表、同人の本人調書八項・一一項・一七項ないし二〇項・三六項)が、その供述自体あいまいなものである上に、同人の供述調書(甲第二二号証五丁表・裏)には長南真弓が信号を確認した旨の記載がないこと、長南真弓が信号を見ていないと述べた旨の記載のある捜査報告書(乙第一号証の六)があることからすると、青信号を確認して道路の横断を始めたとの長南真弓の本件訴訟における供述は採用できない。
(3) また、長南真弓の供述調書には横断開始前に工藤弘隆が「青だ。」と言った記載がある(甲第二二号証五丁表)が、その記載からは工藤弘隆が見た信号が明らかでない(乙第一号証の六も同趣旨である。)。
そして、工藤弘隆らが、横断する都道言問通りの交通量が少なかったにもかかわらず急ぎ足で横断したこと(丙第一六号証三丁表、長南真弓の本人調書一六項)からすれば、工藤弘隆は、都道言問通りの信号(被告車の対面信号)が青だったため都道言問通りを急いで横断するよう長南真弓を促す言葉として「青だ。」と言った可能性もある。
したがって、長南真弓の供述調書には横断開始前に工藤弘隆が「青だ。」と言った記載があるをもって、工藤弘隆らの横断方向の信号が青であったとまですることはできない。
3 以上の述べた本件交通事故現場付近の状況及び本件交通事故の態様、工藤弘隆が、前日の午後七時前から本件交通事故当日の午前二時ころまでの間、飲酒をしており(甲第二二号証二丁裏ないし四丁裏、丙第一六号証一丁裏・二丁表、長南真弓の本人調書一三項)、かなり酒に酔っていたと推認できることからすると、工藤弘隆には七〇パーセントの過失があるというべきである。
なお、仮に被告山本章人が本件交通事故の発生直後に一一〇番通報及び一一九番通報をしなかったとしても、それにより損害の拡大が生じたとまではいえないから、右事情は工藤弘隆の過失を判断する際に考慮すべきでない。
二 原告工藤ひろみ、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の損害について
1 治療費 四万〇五八〇円
当事者間に争いがない。
2 諸雑費及び文書料 四七〇〇円
前記第二の一5のとおりである。
3 逸失利益 四一七九万三八六四円
(一) 後に述べるように(後記三1(六))、工藤弘隆と原告有限会社ジー・ケー・アートとは経済的に一体をなしているから、工藤弘隆が原告有限会社ジー・ケー・アートから受けていた報酬は、すべて労務の対価と認められる。
そのため、逸失利益を算定する際の収入は、工藤弘隆が死亡する前年に原告有限会社ジー・ケー・アートから受けていた報酬の実額八四〇万円(甲第五号証)によるべきである。
(二) また、工藤弘隆の死亡時の年齢が五八歳(甲第二号証の三、第二一号証)であるからその後九年間就労可能であったと認められる。
(三) したがって、逸失利益は、次の数式のとおり、四一七九万三八六四円となる。
8,400,000×(1-0.3)×7.1078=41,793,864
なお、生活費控除率は三〇パーセント、九年のライプニッツ係数は七・一〇七八である。
4 慰謝料 二三〇〇万〇〇〇〇円
弁論に現れた諸般の事情を考慮すると二三〇〇万円とするのが相当である。
5 葬儀費用 一二〇万〇〇〇〇円
弁論の全趣旨により認められる。
6 原告工藤ひろみ、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の固有の慰謝料 それぞれ一〇〇万〇〇〇〇円
弁論に現れた諸般の事情を考慮すると、それぞれ一〇〇万円とするのが相当である。
7 損害合計
(一) 原告工藤ひろみの損害合計 〇円
前記1から5までの合計が六六〇三万九一四四円であること、原告工藤ひろみの相続分が二分の一であること(前記第二の一3)、前記6が一〇〇万円であること、工藤弘隆の過失が七〇パーセントあること(前記一)、既払金が一五〇二万二六四〇円であること(前記第二の一5)からすると、原告工藤ひろみの損害合計は、次の数式のとおり、マイナス四八一万六七六九円、すなわち〇円となる。
(66,039,144×1/2+1,000,000)×(1-0.7)-15,022,640=-4,816,769
(二) 原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の損害合計 それぞれ〇円
前記1から5までの合計が六六〇三万九一四四円であること、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也の相続分がそれぞれ四分の一であること(前記第二の一3)、前記6がそれぞれ一〇〇万円であること、工藤弘隆の過失が七〇パーセントあること(前記一)、既払金がそれぞれ七五一万一三二〇円であること(前記第二の一5)からすると、原告奥澤恵理子及び原告工藤直也のそれぞれの損害合計は、次の数式のとおり、マイナス二二五万八三八五円、すなわち〇円となる。
(66,039,144×1/4+1,000,000)×(1-0.7)-7,511,320=-2,258,385
三 原告有限会社ジー・ケー・アートの損害について
逸失利益 〇円
1(一) 会社が、加害者に対し、代表者の負傷等により利益を喪失したとして損害賠償を請求できるのは、被告らが主張するように(前記第二の二2(二)(2)ア)、会社がいわゆる個人会社で、代表者に会社の機関としての代替性がなく、代表者と会社が経済的に一体をなす関係にあるときに限られると解すべきである(最高裁判所昭和四三年一一月一五日第二小法廷判決民集二二巻一二号二六一四頁参照)。
(二)(1) 原告有限会社ジー・ケー・アートは、印刷機械の輸出を目的とする会社であるところ、その業務内容は、主に、小森印刷機械製作所(後の株式会社小森コーポレーション)が新品の印刷機械を日本国内で売ったことにより不要となる、売り込み先が使用していた中古印刷機械に関する情報を、原告有限会社ジー・ケー・アートが、小森印刷機械製作所から伝えてもらった上で、中古印刷機械を仕入れて海外に売るというものであった。
そのため、小森印刷機械製作所からの情報が大事であるところ、工藤弘隆は、小森印刷機械製作所の貿易部に以前勤めていたこともあり小森印刷機械製作所から情報を得ることができた上に、三菱重工、ドイツのハイデル社とも付き合いがあった。
また、工藤弘隆は、小森印刷機械製作所に勤めていた際に小森製作所が海外進出の基礎をつくったり、語学も堪能だったりしたため、外国のディーラーと人脈があり、外国の情報にも通じていた。
(以上は、甲第四五号証、証人林秀高の証人調書四項・五項・七項により認められる。)
(2) さらに、原告有限会社ジー・ケー・アートには、他の取締役もいたが仕事をせず、報酬等も受け取っておらず、従業員も原告奥澤恵理子一名だけであり、その仕事も電話の応対、銀行への使いといったものであった。
すなわち、原告有限会社ジー・ケー・アートの印刷機械の輸出に係る業務は、ほとんど、代表取締役であった工藤弘隆の人脈、経験等によっていた。
そのため、工藤弘隆の死亡後、同人の長男である原告工藤直也が、原告有限会社ジー・ケー・アートの代表取締役に就任したが、事業を継続できず、整理せざるを得なかった。
(以上は、甲第六号証から第九号証まで、第四八号証、第四九号証、第六九号証から第七二号証までにより認められる。)
(三) ところで、原告有限会社ジー・ケー・アートの決算内容は次のとおりである(甲第六号証から第九号証まで、第六九号証から第七二号証まで)。
(1) 第六期(平成元年四月一日から平成二年三月三一日まで)
ア 売上高 二億三一六六万二七〇四円
イ 商品仕入高 一億九四六九万八四三二円
ウ 当期利益 七〇四万五〇〇九円
エ 給料手当 七一一万五〇〇〇円
工藤弘隆の役員報酬手当六〇〇万円、従業員の給料手当一一一万五〇〇〇円
オ 流動資産 五四三八万九三六三円
カ 流動負債 四九三五万六二四〇円
キ 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆九〇万円、斉藤友子一〇万円
(2) 第七期(平成二年四月一日から平成三年三月三一日まで)
ア 売上高 三億一七〇七万九八四五円
イ 商品仕入高 二億四〇四九万八六五一円
ウ 当期利益 八一三万九四五二円
エ 給料手当 九六八万五〇〇〇円
工藤弘隆の役員報酬手当八四〇万円、従業員の給料手当一二八万五〇〇〇円
オ 流動資産 五五一六万二二三〇円
カ 流動負債 四一〇六万六九七六円
キ 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆一〇〇万円
(3) 第八期(平成三年四月一日から平成四年三月三一日まで)
ア 売上高 一億二八一五万一六八八円
イ 商品仕入高 八七一五万九八七五円
ウ 当期損失 一三五六万〇七五八円
エ 給料手当 九三〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆の役員報酬手当八四〇万円、従業員の給料手当九〇万円
オ 流動資産 五五三〇万二五六八円
カ 流動負債 四八一六万九〇七二円
キ 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆一〇〇万円
(4) 第九期(平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで)
ア 売上高 四億五四三七万九七三六円
イ 商品仕入高 三億三五五四万八〇一九円
ウ 当期利益 二一七三万四八八八円
エ 給料手当 九三〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆の役員報酬手当八四〇万円、従業員の給料手当九〇万円
オ 流動資産 一億〇四三五万四二八五円
カ 流動負債 八一四三万〇七九六円
キ 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆一〇〇万円
(5) 第一〇期(平成五年四月一日から平成六年三月三一日まで)
ア 売上高 二億二二九三万八〇五六円
イ 商品仕入高 八一一二万四七〇九円
ウ 当期利益 一八七五万九五三九円
エ 給料手当 九三〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆の役員報酬四二〇万円、原告工藤直也の役員報酬四二〇万円、従業員の給料手当九〇万円
オ 流動資産 九〇九三万七一七三円
カ 流動負債 四四五一万八〇一一円
キ 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
原告工藤ひろみ一〇〇万円
なお、第一〇期のうち平成五年四月一日から同年九月三〇日までの中間決算の内容は次のとおりである。
<1> 売上高 一億九八八四万五六五六円
<2> 商品仕入高 七九四五万五六八六円
<3> 当期損失 六六万九〇二四円
<4> 給料手当 四六五万〇〇〇〇円
工藤弘隆の役員報酬四二〇万円、従業員の給料手当四五万円
<5> 流動資産 九四二〇万九九六〇円
<6> 流動負債 七二五九万一七〇〇円
<7> 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
工藤弘隆一〇〇万円
(6) 第一一期(平成六年四月一日から平成七年三月三一日まで)
ア 売上高 六〇万〇〇〇〇円
イ 商品仕入高 〇円
ウ 当期損失 一一三四万六三〇六円
エ 給料手当 四二〇万〇〇〇〇円
従業員の給料手当四二〇万円
オ 流動資産 三五八六万四〇一五円
カ 流動負債 二七〇万一九五〇円
キ 出資金 一〇〇万〇〇〇〇円
原告工藤ひろみ一〇〇万円
(7) 第一二期(平成七年四月一日から平成八年三月三一日まで)
ア 売上高 〇円
イ 商品仕入高 〇円
ウ 当期損失 七四九万一二三七円
エ 給料手当 四二〇万〇〇〇〇円
従業員の給料手当四二〇万円
オ 流動資産 二五七九万七二二八円
カ 流動負債 三六万六四〇〇円
キ 出資金 三〇〇万〇〇〇〇円
原告工藤ひろみ三〇〇万円
(四) 原告有限会社ジー・ケー・アートの決算内容からしても前記(二)で述べたことが認められる。
すなわち、本件交通事故(平成五年九月二八日)で工藤弘隆が死亡した第一〇期は、経常損失が四八〇〇万二二〇〇円が生じ(当期利益は一八七五万九五三九円である(前記(三)(5)ウ)が、それは特別利益である保険収入八一九七万七一三九円によるものであるから、当期利益をもって工藤弘隆の死亡の影響がなかったとはいえない。甲第七〇号証一三丁裏)、第一一期以降は、売上高もほとんどなく、商品仕入高が全くないことからすると、原告有限会社ジー・ケー・アートは、工藤弘隆の死亡後、事業を継続できず、整理せざるを得なかったと認められる。このことは、第一一期以降、流動資産及び流動負債が年々減少している(前記(三))ため、流動資産により流動負債の返済をしたと推認できることからも裏付けられる。
(五) 以上のことからすると、本件交通事故で工藤弘隆が死亡したことにより原告有限会社ジー・ケー・アートの業務は成り立たなくなったものといえ、工藤弘隆は、原告有限会社ジー・ケー・アートの機関としての代替性がなかったと認められる。
なお、第一二期に出資金が一〇〇万円から三〇〇万円に増資されているが、これは同社の整理に必要であるとの税理士の指示によるものである(原告工藤ひろみの本人調書一一項・一五項)から、右増資は原告有限会社ジー・ケー・アートが業務を継続するためのものとはいえない。
(六) また、原告有限会社ジー・ケー・アートは工藤弘隆の自宅の二階を事務所とし(第四七号証二丁表)、工藤弘隆は、原告有限会社ジー・ケー・アートの債務を担保するため、自己の不動産に根抵当権を設定し(甲第四一号証から第四三号証まで)、工藤弘隆の所得は、原告有限会社ジー・ケー・アートからの報酬及び、自宅を原告有限会社ジー・ケー・アートに貸したことによる賃料だけである(甲第五号証)上に、原告有限会社ジー・ケー・アートの業務を専ら行っていたのが代表取締役であった工藤弘隆であること(前記(二))、給与手当のほとんどが工藤弘隆の役員報酬手当であったこと(前記(三))から、工藤弘隆の意思により同人の報酬及び賃料を自由に決められたと推認できること、第七期から工藤弘隆が死亡する第一〇期の中間決算までの原告有限会社ジー・ケー・アートの出資者は工藤弘隆だけであった(前記(三))から、原告有限会社ジー・ケー・アートの所得は実質的に工藤弘隆に帰属していたといえることからすると、原告有限会社ジー・ケー・アートは工藤弘隆の個人会社といえ、また、原告有限会社ジー・ケー・アートと工藤弘隆は経済的に一体をなしているといえる。
(七) したがって、原告有限会社ジー・ケー・アートは、被告らに対し、工藤弘隆が死亡したため利益を逸失したことによる損害の賠償を請求することができる。
2(一) ところで、原告有限会社ジー・ケー・アートの業務である印刷機械の輸出は、中古の印刷機械の買い付け先である国内の景気、輸出先である外国の景気、為替相場等によって大きく左右されるといえ、このことは、工藤弘隆の死亡前においても、原告有限会社ジー・ケー・アートの売上高、商品仕入高、当期利益ないし当期損失が各事業年度で大きく異なること(前記1(三))からも裏付けられる。
そのため、原告有限会社ジー・ケー・アートが、工藤弘隆死亡の前の事業年度である第九期の当期利益二一七三万四八八八円を、工藤弘隆の死亡後も得ることができたとまでは推認できず、工藤弘隆が死亡した前の事業年度である第九期まで(第一〇期は、その事業年度途中で工藤弘隆が死亡している上に、特別利益である保険収入八一九七万七一三九円により当期利益が一八七五万九五三九円となったこと(前記1(四))から、その当期利益も含めて原告有限会社ジー・ケー・アートの一事業年度の所得を算定するのは相当ではない。)の当期利益等の平均をもって、原告有限会社ジー・ケー・アートの一事業年度の所得を算定すべきであり、右平均化された利益を得る蓋然性はあるといえる。
したがって、原告有限会社ジー・ケー・アートの一事業年度の所得は、次の数式のとおり、五八三万九六四七円となる。
(7,045,009+8,139,452-13,560,758+21,734,888)÷4=5,839,647
なお、税理士石川隆之は、売買契約と入金のずれにより第八期に当期損失が出たと供述する(甲第五〇号証一丁裏)が、法人税法上、ある収益をどの事業年度に計上すべきかは、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従うべきであり(二二条四項)、これによれば、収益は、その実現があった時、すなわち、その収入すべき権利が確定したときの属する年度の益金に計上すべきものであり、既に確定した収入すべき権利を現金の回収を待って収益に計上するとの会計処理は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合するものとは認め難いものというべきである(最高裁判所平成五年一一月二五日第一小法廷判決・民集四七巻九号五二七八頁参照)から、税理士石川隆之の右供述は採用できず、第八期の当期損失も、原告有限会社ジー・ケー・アートの一事業年度の所得を算定する際に算入すべきである。
(二) ところで、既に述べたように(前記1(六))、原告有限会社ジー・ケー・アートは工藤弘隆の個人会社といえ、また、原告有限会社ジー・ケー・アートと工藤弘隆は経済的に一体をなしており、原告有限会社ジー・ケー・アートの所得ないし逸失利益は、実質的には、工藤弘隆に帰すべきものである。
そのため、原告有限会社ジー・ケー・アートの逸失利益の算定方法は、工藤弘隆の損害の算定方法と同様にすべきであり、工藤弘隆の、生活費控除率(三〇パーセント。前記二3(三))、逸失利益の算定期間(九年。なお、九年間のライプニッツ係数は七・一〇八七である。前記二3(三))、過失相殺(七〇パーセント。前記一)を用いるべきであり、工藤弘隆の損害を填補するための自賠責保険のうち控除し切れなかった既払金(四八一万六七六九円、二二五万八三八五円及び二二五万八三八五円の合計九三三万三五三九円。前記二7)も考慮するのが相当である。
したがって、原告有限会社ジー・ケー・アートの逸失利益は、次の数式のとおり、マイナス六一万七〇六〇円、すなわち〇円となる。
5,839,647×(1-0.3)×7.1078×(1-0.7)-9,333,539=-617,060
三 結論
よって、原告らの請求は理由がないからいずれも棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判官 栗原洋三)
現場見取図