東京地方裁判所 平成6年(ワ)6159号 判決 1995年11月08日
原告
樋田公子
被告
河野義治
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、各自、金一一八万四一九五円及び被告河野義治に対しては、これに対する平成六年四月一〇日から支払済みまで、被告春日電機株式会社に対しては、これに対する平成六年四月一二日から支払済みまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を、いずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余は被告らの負担する。
四 この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告らは、原告に対し、各自金一二〇九万五一五四円及び被告河野義治に対しては、これに対する平成六年四月一〇日から支払済みまで、被告春日電機株式会社に対しては、これに対する平成六年四月一二日から支払済みまで、それぞれ年五分の割合による各金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 事故日時 平成二年四月二五日午前八時三〇分ころ
(二) 事故現場 東京都大田区大森中一丁目一八番九号先交差点(以下「本件交差点」という。)
(三) 原告車 自転車
運転者原告
(四) 被告車 普通貨物自動車
所有者 被告春日電機株式会社(以下「被告春日電機」という。)
運転者 被告河野義治(以下「被告河野」という。)
(五) 事故態様 原告が、自転車に乗つて、信号機のない十字路交差点である本件交差点を直進中、被告車が、原告の左方から右方に向かつて本件交差点に直進して進入してきた結果、被告車が原告に衝突した。
2 責任原因
(一) 本件交差点は、信号機がなく、裏通りで、右方の見通しが悪いので、右方からの車両等の動静を注視し、一時停止、若しくは、徐行するなどして、その安全を確認して進行すべき注意義務があるにもかかわらず、被告河野は、これを怠つて本件交差点に進入した過失により、本件事故を惹起したのであるから、民法七〇九条により、損害を賠償する責任を負う。
(三) 被告春日電機は、被告車の保有車であるから、自動車損害賠償保障法三条により、損害を賠償する責任を負う。
第三争点
一 原告の受傷の程度と相当な治療期間及び休業期間
1 原告の主張
原告は、本件事故によつて顔面挫創、前額部打撲等の傷害を負い、平成四年一月一四日に症状固定となつた。原告は、入院時から頭痛、めまい、頭重感、ふらつきが継続し、退院後も、同様の症状が続いていた。さらに、眼球痛を訴え、文字が見えにくくなり、めまい、ふらつきの症状はさらに激しくなり、ほとんど、家で寝ている状態であつた。平成三年には外出できるようになつたものの、自分がどこにいるか分からなくなる症状が月に一、二度起こるので、就業できなかつた。平成四年になつてからも同様の症状が残つていた。これらの症状は、本件事故により惹起されたものであることは明らかであり、平成四年六月一日までの休業が認められるべきである。
2 被告らの主張
本件事故による原告の受傷は、頭部外傷と口唇挫創のみであり、他の症状は本件事故と因果関係が認められない。原告は、休業が必要な期間は、その症状から見ても、本件事故後二、三か月が相当であり、最大でも平成二年七月二四日までの九一日間と認めるのが相当である。
二 過失相殺
1 原告の主張
原告は、ゆつくりとした速度で、いつでもブレーキをかけられる状態にして本件交差点内に進入したところ、左方から進入してきた被告車と衝突したものである。本件交差点は、右方が全く見通せないのであるから、被告は、徐行し、いつでも停止できる体勢を取つて交差点内に進入しなければならないにもかかわらず、漫然と時速一五キロメートルで本件交差点に進入してきた結果、本件事故にいたつたもので、過失相殺をすることは相当ではない。
2 被告らの主張
被告河野は、本件交差点に進入するに際し、本件交差点の一〇メートルくらい手前で減速したところ、交差点進入直前に右方四・九メートル前方に、自転車に乗つて本件交差点内に進入してくる原告を発見し、ハンドルを左に切り、衝突を避けようとしたが、二・六メートル進行した地点で原告と衝突した。原告は、一時停止の表示があるにもかかわらず、一時停止せず、かつ、左右の安全を全く確認しないまま本件交差点に進入してきた結果、本件事故にいたつたもので、このような事故の態様に鑑みると、六割が過失相殺されるべきである。
第四争点に対する判断
一 原告の受傷の程度と相当な治療期間及び休業期間
1 原告の受傷内容、症状と治療の経過
甲一ないし三、乙三、六、七の一ないし四、原告本人尋問(第一回、第二回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 頭部外傷及び口唇挫創等の症状と治療状況
(1) 事故当日の症状と治療状況
原告は、本件事故当日の平成二年四月二五日、まず大森赤十字病院で診察を受け、頭部外傷、口唇挫傷と診断された。同病院で、頭蓋CTスキヤン、頭蓋X線による検査も施行されたが、異常はなく、神経学的所見も、正常範囲内で神経学的には異常なしと診断された。そして、主として口唇の外傷の治療のため、大森赤十字病院の紹介で、原告は、同日、東邦大学医学部付属大森病院(以下「東邦大病院」という。)形成外科に転院し、同病院形成外科で治療を受けたが、その際も、意識は清明で、軽度の頭痛があるものの、吐き気はなく、前額部右側に皮下血腫(コブ)、右眼瞼部に腫脹があり、上口唇部に挫傷があり、一部は筋層に達した筋挫傷が認められる状態であつた。原告は、頭蓋骨のX線検査及び頭蓋CT検査を受け、上口唇部の挫傷について、創郭清の後、一層の縫合手術を受けたが、吐き気あつたことなどから、経過観察のため同病院に入院した。
(2) 入院中の症状と治療状況
原告は、入院当日は、外来の際に嘔吐が一回あり、入院後も、歩行時にめまいがし、嘔吐、頭痛が続いていたが、脳外科の狩野医師のアドバイスで、脳浮腫(脳圧亢進)の治療剤であるグリセオール、ソルコーテクの投与は特に必要はないと診断された。
入院二日目の同月二六日は、原告の意識は清明で、嘔吐や左側頭部痛は続いていたものの、頭痛はなく、頸部不撓性や筋緊張も軽度であつた。また上口唇の創は未だ汚い状態であつた。さらに、当日実施された脳CTスキヤン検査の結果も正常範囲と診断されたため、脳外科受診は不要と判断されたが、とりあえず、脳浮腫治療剤、脳圧降下剤であるグリセオールが二〇〇ミリリツトル投与された。同月二七日には、原告は、吐き気があり、頭重感は持続しており、右肩や右上腕の痛みを訴えたものの、嘔吐や頭痛はなかつた。また、右眼窩部の浮腫軽滅、左眼窩部の浮腫増強、下額部に軽度排膿があつたが、創は乾燥傾向にあつた。同月二八日には、前額部や下額が湿潤(滲出液)しているものの、縫合した創もきれいになり、創状態は良好であつた。また、めまいは認められるものの、吐き気、頭痛、頭重感は消失し、食欲も良好であつた。さらに、同月二九日にはめまいも軽減し、吐き気、嘔吐もなく、後頭部から頭部にかけての痛みも自制が可能な状態になつていた。同月三〇日には、頭痛、吐き気、嘔吐はなく、同年五月一日には、後頭部から頸部にかけての痛みが変わらず残つていた。
その後、同年五月二日には、頭重感は軽度になり、吐き気もなく、右眼瞼浮腫が軽滅し、口唇傷はほぼきれいになつて、全抜糸をし、開放とされ、同月三日には、下顎部の包帯を交換し、開放とされた。上口唇部の創の状態は良好であり、同月四日には、軽度の頭痛があり、歩行時に軽度のふらつきがあつたが、吐き気、めまいはなく、前顎部は乾燥し開放とされた。また上口唇は湿潤しているものの、感染の兆候はなく、創状態は良好とされ、同月五日には、ふらつき、頭痛、頸痛、吐き気はなく、外傷に関する治療は施されていない。
その間に発行された平成二年七月一〇日付の診断書では、傷病名に「上口唇瘢痕拘縮」が加わり、「現在、上口唇瘢痕につき、保存的に外来治療を行つている。今後尚当分の間、注射、軟膏療法を要す。」と、同年一二月二五日付診断書では、病名として「上口唇瘢痕」、「平成二年四月二五日、交通事故により頭部、顔面外傷受傷、当日手術す。七月より上記疾患(上口唇瘢痕)生じ、また、頭部外傷によるめまい出現し、安静治療を要した。尚今後数か月の外来通院を要す。」と、平成四年二月二五日付診断書には、病名として「上口唇瘢痕拘縮」、「上口唇に一一×八ミリメートル、口唇に一〇×一〇ミリメートルの瘢痕残存し、自覚症状として疼痛感が尚あるものの、平成四年一月一四日症状固定す。」と、それぞれ診断されている。
その次に受診した平成四年六月二日には、同日付けで自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙七の一、以下「後遺障害診断書」という。)が作成されているが、右後遺障害診断書には、症状固定日は平成四年六月二日、通院期間は、初診を含めて一三日、傷病名は「上口唇癒痕拘縮」、自覚症状は「疼痛、表皮剥離(皮膚がすぐむけて血が出易い)」、他覚症状として上口唇部に一一×八ミリメートルと一〇×一〇ミリメートルの瘢痕、上口唇に四×二センチメートルの瘢痕のあることが図示され、「硬結(+)、赤口唇変形」増悪・緩解の見通しに「後遺症にて残存」と診断されている。
(二) 眼の症状と治療状況
原告は、平成二年五月一二日に初めて東邦大病院眼科に通院した。初診日の平成二年五月一二日には、原告は、右眼(球)痛を訴え、担当医師に、「四月二五日に交通事故にあつた、自転車に乗つていてトラツクにはねられ、右顔面を打つた。最近、字などを見ていると、初めはいいが徐々に見えにくくなつてくる。遠方も同症状。又、時々主訴(右眼(球)痛のこと)あり、頭部の方まで痛み出てくる」と訴えた。当日の診断の結果、眼圧、眼底(乳頭、黄斑部)には異常はなく、角膜、レンズ、前房もきれいであり、老眼鏡はまだ早いので、点眼で経過観察をすることになつた。そして原告は、同年六月一二日に二度目の受診をしたが、自覚症状は大分改善し、市販薬でもよいので点眼を続けることになつた。その後、原告は、眼科での治療を受けていない。
(三) 右手関節痛及び左膝関節痛の症状と治療状況
原告は、本件事故後、約一一か月を経過した平成三年二月二一日から東邦大病院整形外科に通院を始めた。初診日である平成三年二月二一日に、原告は、右手関節痛、左膝関節痛を訴え、「平成二年四月二五日に自転車にて走行中トラツクにはねられ、救急外来搬送され、顔面切創にて形成外科入院、二週間したころより主訴。手関節は立ち上がるとき手関節をつくと痛み増強し、安静時痛なし。膝関節は階段下降時増強し安静時痛なし、正座可。膝くずれ現象(+-)、ひつかかり現象(+-)。特に治療はしていなく症状増悪傾向」と訴えた。診察の結果、腰椎前弯、脊椎不撓性(可動域制限)は、ほぼなく、膝蓋腱、アキレス腱反射も左右に差がなく正常で、ラセーグ徴候(坐骨神経伸展刺激徴候)は正常、長母趾伸筋筋力、前脛骨筋筋力は異常なし、腰筋の過緊張はなし、上臀部神経の圧痛なし」と診察された。そして、右手関節痛も訴え、背屈に痛みがあり、原告は、腰椎六方向、手関節二方向のX線検査を受けた。同月八日に、X線検査の結果が出たが、X線検査の所見でも異常はなく、経過観察となつた。
同年五月一六日に診察を受けた際、「膝は、階段昇降時は良好で、左臀部、体幹、運動にて。右手関節手をつけない」と記載されている。同月三〇日に通院したが、格別の治療は受けず、さらに同年六月二七日には、薬にて胃がムカムカする。腰、体幹運動にて痛みがあるなどと訴え、「右膝関節膝くずれ現象なし。右膝関節可動域〇ないし一五〇、膝蓋骨押しつけテストで膝蓋が痛い、膝蓋大腿関節に痛みあり、雑音あり。(膝蓋骨)脱臼不安感。マクマレーテスト(半月板損傷の有無を見るテスト)陰性、関節不安定性なし」などと診断された。その後原告は、同年七月三日、同月二九日に通院したが、同月二九日には、「レントゲン写真、関節造影でも半月板損傷がはつきりしない。訴え続くなら関節鏡検査を実施するが、しばらく経過観察をする。」と診断され、同年八月一日に通院したのを最後に、原告は、通院治療を終了した。
そして東邦大整形外科の平成六年八月一日付け診断書で、病名として「右手関節痛、左膝関節痛」とあり、「頭記疾患にて平成三年二月二一日より平成三年七月二九日まで当科外来に通院したことを証明する」と診断された。
2 本件事故における相当な治癒期間
(一) 頭部外傷について
(1) 前記認定のとおり、原告は、本件事故により、頭部外傷の傷害を負つたことは明らかであるところ、山形大学医学部法医学教授の鈴木庸夫は、意見書(乙八の一、二)において、原告の頭部外傷は軽いもので、長くても二週間、すなわち退院時の平成二年五月八日には治癒する程度のものと考えるのが妥当と考えられるとしている。
(2) しかしながら、原告は、本件事故当日、大森赤十字病院で受診し、頭部外傷、口唇挫傷と診断されたが、神経学的には異常はなく、頭蓋のレントゲン検査、頭部CTスキヤン検査の結果も正常所見と診察されている。東邦大病院で治療を受けた際にも、初診時に、頭痛、吐き気、嘔吐等はあつたものの、意識は清明で、頭蓋のレントゲン検査や頭部CTスキヤン検査の結果も異常なく、吐気があつたため、経過観察入院となつたものである。その後の入院中の経過を見ると、次第に軽快していることは認められるものの、なお頭痛、吐気、嘔吐の訴えは続いていることが認められ、診断上も治癒とされていないことから見ても、退院時には、未だ、原告の頭部外傷は治癒していなかつたと認められる。
そして、退院後の原告の治療状況を見ると、原告は、五月一二日に通院しているが、同日付けの診断書には、病名として「頭部外傷、口唇挫傷」と記載され、「上記病名により平成二年四月二五日より平成二年五月八日まで入院す。退院後も尚しばらくの安静及び通院加療を必要とする」と記載され、治療の継続が必要な旨記載されているので、この時点では、頭部外傷を含み、原告の受傷は未だ治癒していないものと認められる。次に原告が受診したのは、同年五月一五日であるが、カルテの記載を見ると、口唇挫傷について治療が続けられている旨は記載されているが、原告が頭痛等の愁訴をした旨が記載されておらず、頭部外傷に関する治療は施されていない。さらに、その次の診療日である五月二九日も、同様に、口唇挫傷について治療が続けられているだけで、頭部外傷に関する治療は施されていない。その後も原告は、同年六月二六日、同年一二月二五日、平成三年二月二六日、同年三月二六日、同年五月二八日は、同年七月一六日、同年一〇月二二日、平成四年一月一四日と受診し、治療を受けているが、いずれも口唇挫傷について治療が続けられているだけで、頭部外傷に関する治療は施されていない。その間に発行された平成二年七月一〇日付の診断書には、「現在、上口唇瘢痕につき、保存的に外来治療を行つている。今後尚当分の間、注射、軟膏療法を要す。」と記載され、頭部外傷の治療が行われていない旨が記載されている。
(3) 以上の治療の経過に鑑みると、原告の頭部外傷の傷害は、平成二年五月末ころ治癒したものと認めるのが相当であり、鈴木意見中、右認定に反する部分は、採用できない。
(4) 原告は、本人尋問において(第一回、第二回)、「退院後も、頭痛、めまい、頭重感、ふらつきが継続し、しかも、めまい、ふらつきの症状はさらに激しくなり、ほとんど、家で寝ている状態であつた。平成三年には外出できるようになつたものの、自分がどこにいるか分からなくなる症状が月に一、二度起こる状態であつた。」と供述している。
しかしながら、前記認定のとおり、原告は、東邦大病院を退院後、眼球痛を訴えて眼科に通院したり、右手関節痛を訴えて整形外科に通院しているにもかかわらず、頭部外傷の治療を受けていた形成外科での通院の際には、頭痛やめまい等、頭部外傷の影響と見られる症状を訴えた記録や頭部外傷に治療を実施したが全く残つていない。形成外科での原告の治療対象に頭部外傷が含まれていたことは明らかであるから、原告が、医師に対し、頭部外傷の症状に繋がる訴えを行つていれば、カルテに当然その旨が記載されているはずであるし、治療が行われていたはずである。したがつて、原告は、形成外科に通院治療中は、医師に対し、頭部外傷の症状を訴えていなかつたと認められ、かかる事実に鑑みると、本件事故の影響で、頭部外傷の症状が平成三年中まで続いていたとは認められず、原告の供述は採用できない。
(二) 口唇挫傷について
(1) 原告が、本件事故により、入院加療を要する口唇挫傷の傷害を負い、上口唇瘢痕拘縮の後遺障害を残したことは明らかであるところ、前記鈴木意見は、原告の口唇挫傷の傷害は、入院加療を要しないものであるとしている。
(2) しかしながら、入院診療録(乙七の二)には、入院経過として、「平成二年四月二五日、自転車走行中に軽トラツクに接触、大森日赤で脳外科的に異常なしのため、当科紹介となつた。外来で処置したが、吐き気があつたため経過観察入院とした。CT正常範囲」と記載されていることから見ても、原告が入院したのは、原告が吐き気等の症状を訴えたため、頭部外傷の経過観察の目的を有していたものと認められる。一方、平成二年六月一九日付の入院・治療証明書(乙七の一)には、入院又は通院治療の原因となつた傷病名として「顔面瘢痕」が記載され、その原因として「顔面挫創」と記載され、診察時の所見及び治療の経過の欄には「上口唇を中心に汚染開放創あり。他に前額部打撲、小瘢痕存在する、即日、汚染創デブリートメント、瘢痕の形成手術施術。現在、尚、安静、通院加療を要している。」と記載されており、原告が入院した目的に、顔面挫傷に基因する顔面瘢痕の治療の目的も有していたことも認められる。したがつて、原告が入院したのは、頭部外傷の経過観察と口唇挫傷に基づく顔面瘢痕の治療の目的を併せて有していたと認められ、これに反する鈴木意見は採用できない。
(3) ところで、後遺障害診断書によると、上口唇搬痕拘縮の後遺障害の症状固定日は平成四年六月二日とされているが、他方、平成四年二月一五日付けの診断書では、病名として後遺障害診断書と同じ「上口唇瘢痕拘縮」と記載され、「上口唇に一一×八ミリメートル、口唇に一〇×一〇、ミリメートルの瘢痕残存し、自覚症状として疼痛感が尚あるものの、平成四年一月一四日症状固定す。」と記載され、症状固定日は平成四年一月一四日とされており、平成四年二月一五日付けの診断書も後遺障害を上口唇瘢痕拘縮と診断していることから、後遺障害診断書との間に症状固定日について、齟齬が認められる。
通院治療録の、後遺障害診断書が作成された平成四年六月二日の欄には、「後遺障害診断書」と記載され、口唇が図示され、その上下の部分に「厚い」と記載されているのみで、他に、治療等を実施した記載がない。そして、その前の受診は約六か月前の平成四年一月一四日であり、同日の診察の際の所見は、平成四年六月二日の所見とほぼ同じ内容である。しかも、治療の経過を見ると、原告の口唇挫傷の傷害は、平成三年一〇月二二日ころには相当程度改善していたことが認められるので、原告の口唇挫傷は、平成四年一月一四日に上口唇瘢痕拘縮の後遺障害を残して症状が固定したと認めるのが相当である。
(三) 眼球痛について
原告は、東邦大病院形成外科を退院した四日後の平成二年五月一二日に、眼球痛を訴え、同病院眼科を初めて受診したのであるが、前記のとおり、入、通院診療録を見ても、原告は、初診以来、入院中は、特に眼球痛を訴えていた記録がないため、右眼球痛は、本件事故後、二週間余りを経過した後に発症したと認めざるを得ない。本件事故の状況から見ると、眼球痛の症状が出ても、格別不自然とは認められないが、事故後二週間あまりを経過してから発症したことに鑑みると、原告の眼球痛と本件事故との間には因果関係が認められるか、疑問が残らざるをえない。しかも、眼科での診察でも、眼の所見は特に異常がないとされており、眼球痛の発症自体が他覚的所見に裏付けられたものではないこと、格別の処置もせず、その後、一か月後の平成二年六月一二日だけ受診して治療を終了していることに鑑みると、仮に原告の眼球痛と本件事故との間には因果関係が認められるとしても、その症状は軽微であり、既に、平成二年六月一二日ころには治癒していたものと認めるのが相当であり、休業を要する程度のものであつたとは認められない。
(四) 右手関節痛、左膝関節痛について
原告は、本件事故後、約一一か月後の平成二年三月二一日、右手関節痛、左膝関節痛を訴えて東邦大病院整形外科を受診し、同年八月一日まで通院加療を受け、右手関節痛、左膝関節痛と診断された。
ところで原告は、同病院形成外科に入院し、二週間したころより、右手関節痛や左膝関節痛が生じたと愁訴し、本訴においてもその旨供述している。本件事故と原告の右手関節痛及び左膝関節痛との間の因果関係を肯定する証拠は、原告の右愁訴及び供述しかないところ、同科の入、通院診療録、入院看護記録には、原告が右手関節痛と左膝関節痛を訴えた記録や右手関節痛と左膝関節痛に繋がる症状を訴えた記録が全くない。したがつて、証拠上は、原告の右手関節痛、左膝関節痛は、本件事故後、約一一か月間余りを経過した後に発症したか、あるいは、初めて受診する程度になつたと認めざるを得ない。本件事故の状況から見ると、右手関節痛、左膝関節痛の症状が出ても、不自然ではないが、右手関節痛、左膝関節痛という症状が、本件事故の影響で生じたものであるのなら、その症状が約一一か月間も顕在化しないというのは、通常は考えがたいことである。さらに、右手関節は、レントゲン検査の結果でも異常がなく、また、左膝関節についても、レントゲン検査や関節造影でも半月板損傷か否かがはつきりせず、訴えが続くなら関節鏡検査を実施することとし、しばらく経過観察するとされているにもかかわらず、その後、関節鏡検査も実施されないまま治療が終了しているように、左膝関節痛の原因もはつきりしないものである。したがつて、原告の右手関節痛や左膝関節痛が外傷性のものかも証拠上ははつきりしないと言える。
他に、本件事故と右手関節痛、左膝関節痛との間に、因果関係があると認めるに足りる証拠はなく、本件事故と右手関節痛、左膝関節痛との間に、因果関係があるとは認められない。
3 本件事故における相当な休業期間
(一) 前記認定のとおり、原告は、本件事故により、頭部外傷の傷害を負つたが、頭部外傷は、平成二年五月末ころに治癒したと認められるところ、その症状等に鑑みて、頭部外傷が治癒した平成二年五月末ころまでは、原告は、頭部外傷の影響で休業の必要があつたと認められる。東邦大を退院後は頭部外傷の治療を受けていないこと等の治療状況に鑑みると、その後については、頭部外傷の影響で休業の必要があつたとは認められない。前記のとおり、原告は、退院後も、頭痛や目まいが出たため、平成四年六月一日まで就労できなかつたと供述しているが、前記に認定のとおり、本件事故の影響により、原告に頭痛やめまい等の頭部外傷の症状が、平成二年六月以降も続いていたとは認められないので、原告が平成四年六月一日まで就労不能であつたとは認められない。
(二) 一方、原告は、本件事故により、平成四年一月一四日に症状固定した口唇挫傷の傷害を負つたことも認められる。ところで、口唇挫傷の治療の経過を見ると、入院一週間後の平成二年五月二日に全抜糸され、その後、創の状態は良好であり、五月八日に退院後、二度目の受診日である五月日ママには、口唇挫傷部は「開放にする」と診断されている。そして、次の受診日である五月二九日に受診した際、肥厚性瘢痕と診断されており、医師が、創の治療は終了し、傷跡はすでに瘢痕となつた判断して、瘢痕の改善のための治療に移行している認められること、さらに「来月、場合によつては受診?」と診断していることに鑑みると、五月末日の時点で、口唇挫傷の治療は相当程度終了していたと認められる。さらに、原告が、その一か月後の六月二六日に通院し、瘢痕治療のためのホルモン剤の投与を受けた後、同年一二月二五日まで受診していないこと、同日には、ホルモン剤の投与の外、テーピング治療になつていることが認められる。
以上の事実に加え、原告が、受傷時四二歳の女性であり、口唇挫傷と、顔面の目立つ場所に傷を負つたこと、原告は、受傷時に事務員として稼働していたことを考え合わせると、原告は、口唇挫傷の影響で、少なくとも平成二年六月末ころまでは休業が必要であつたが、そのころからは就労が可能であつたと認めるのが相当である。
(三) 以上の次第で、原告の休業相当期間は、被告ら主張のとおり、平成二年七月二四日までと認めるのが相当である。
二 過失相殺
1 事故態様
(一) 甲一、八、一二、一三、乙一、九、原告(第一、二回)及び被告河野各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 事故現場の状況
本件交差点は、市街地にある、幅員四・五メートルのは被告車進行路と、幅員三・〇メートルの原告進行路が交差する十字路交差点である。
被告車の進行路は、アスフアルトで舗装されており、本件事故当時は晴で、路面は乾燥していた。また、被告車進行路は、速度が時速四〇キロメートルに制限されている。本件交差点は、原告進行路側に一時停止の規制がなされており、被告車進行路から見て、右側はブロツク塀、左側は万年塀で遮られているため、被告車側から原告方向、原告方向から被告車方向のいずれも、視界は不良である。
(2) 被告車の進行状況
被告河野は、時速約三〇キロメートルで進行し、本件交差点にさしかかつたので、時速約一五キロメートルに速度を落とし、まず左方を注視し、進行車両等がないことを確認し、次いで右方を確認したところ、本件交差点に進入しようとしている自転車に乗つた原告を発見し、直ちにブレーキを踏んだが、衝突したと供述している。
ところで、実況見分調書(乙一)によれば、被告河野が最初に原告を発見した地点から、原告と衝突後、被告車が停止した地点までは、七・四八メートルあるので、被告車の制動距離は、七・四八メートルと認められる。乾燥したアスフアルト舗装という本件事故当時の本件道路の状況から見ると、右の制動距離から推測される被告車の制動開始時の速度は、少なくとも時速約三〇キロメートル程度であると認められる。他方、前記のとおり、被告河野は、本件交差点近くまで時速約三〇キロメートルで進行してきたと供述しており、これを覆すに足りる証拠はないので、被告車の速度は最大でも時速約三〇キロメートルと認められる。これらの事実に、被告河野が、本件交差点直前で減速措置を取つていると供述していることを考え合わせると、被告河野は、時速約三〇キロメートルの速度で進行してきて本件交差点に至つたが、本件交差点直前で減速しようとしたものの、減速の効果が生じる間もなく、時速約三〇キロメートルのまま、本件交差点内に進入したものと認められ、被告河野の供述中、被告車の制動開始時の速度に関する部分は採用できない。
そして、本件交差点は、左右の見通しの悪い交差点であるから、被告車にも徐行義務が科せられると認められるところ、被告車の本件交差点への進入状況は右認定のとおりであるから、被告河野は、右徐行義務に違反して本件交差点内に進入した過失が認められる。
また右実況見分調書によれば、被告車が二・六メートル進行する間に、原告車は、三・六五メートル進行していることになる。右のとおり、被告車の本件交差点への進入時の速度が約三〇キロメートルと認められるので、右実況見分調書の指示どおりとすると、原告車の速度は約四二キロメートルとなり、自転車の進行速度としては不合理な感が否めない。被告河野は、本人尋問において、最初に原告車を発見した際の原告車の位置は実況見分調書で指示した地点よりも交差点内寄りかもしれないと供述しており、実況見分調書の指示説明から算出される原告車の進行速度の不合理さを考えると、被告河野が最初に原告を発見した際の原告車の位置は、実況見分調書で指示した地点よりも交差点内寄りの本件交差点の端付近か、若しくは、本件交差点内に若干進入した地点であると認められ、原告の供述中、右認定に反する部分は採用できない。したがつて、被告河野には、右方の注視が不十分であつた過失が認められる。
(3) 原告車の進行状況
原告は、本件事故までの原告車の進行状況について、「自転車に乗つて、いつでも止まれるように左手でブレーキをかけながら、道路左側を進行した。そろそろと左側(被告車が進行してくる側)の車両を注意しながら、本件交差点に入つた。ブロツク塀から少し出たところで被告車に気が付いたが、気が付くと同時に衝突した。」と供述している。かかる原告の供述からも、原告が本件交差点内に進入するに際し、一時停止標識を無視し、本件交差点手前で一時停止をしていないことが認められる。
ところで、原告と被告車との衝突地点が交差点の中央付近であることは証拠上明らかであるから、原告は、交差点に進入前から、交差点中央付近に至るまでの間、被告車を全く発見していないのであり、前記のとおり被告車の速度が時速約三〇キロメートルであつたとしても、左方を注視していれば、交差点進入直前、さらには、より早い時点で被告車を確認できたと認められ、原告に左方不注視の過失があつたと認められる。次に、原告は、ブロツク塀から少し出たところで被告車に気づいたが、ほとんど同時くらいに原告と被告車が衝突したと供述しているところ、前記のとおり、原告と被告車の衝突地点は本件交差点の中央付近であるから、原告は、被告車を発見したブロツク塀から少し交差点内に進入した付近から、交差点の中央付近までの二メートル前後の距離を、極めて短時間のうちに移動していることになり、厳密な速度は明確ではないものの、原告車は相当程度高速で進行していたと認められる。原告の供述中、右各認定に反する部分は採用できない。
(二) 過失割合
以上によれば、本件交差点は、住宅街の狭い道路が交差し、かつ、塀で左右の視界の悪い交差点であるから、被告河野は、本件交差点に進入するに際して、徐行し、進路左右の安全を確認して進行すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、衝突の直前まで交差点に進入してきた原告を発見できなかつた結果、本件事故が惹起されたのであり、被告河野が四輸自動車を運転しており、原告が自転車に乗つて走行していたことに鑑みても、被告河野の責任は重大である。しかしながら、一方、原告側にも、見通しの悪い交差点であるにもかかわらず、原告の一時停止標識を無視して、一時停止をせず、左方を注視せず、かつ、相当程度の高速度で交差点内に進入した過失が認められる。
これらの事実を総合すると、本件においては、損害からその四〇パーセントを減じるのが相当である。
第五損害額の算定
一 損害額
1 治療費 一〇六万九九一〇円
原告が、一〇六万九九一〇円の治療費を支出していることは当事者間に争いがない。その他、証拠上認められる治療費を総合しても右金額を上回らないので(甲六の一ないし一八)、治療費は、一〇六万九九一〇円と認められる。
2 入院雑費 一万六八〇〇円
原告は、本件事故により一四日間入院したことが認められるところ(乙七の二)、原告が、右入院期間中、一日当たり一二〇〇円の雑費を支出したことが認められる。
3 休業損害 四九万四九四九円
原告は、本件事故当時、東横自動車株式会社に事務員として勤務し、事故前三か月間に、平均すると一日当たり五四三九円の収入を得ていた(乙二)。本件と相当因果関係の認められる休業期間は、前記のとおり九一日間と認められるので、原告の休業損害は四九万四九四九円と認められる。
4 傷害慰謝料 九〇万円
原告が本件事故により、平成二年四月二五日から一四日間入院し、その後、症状固定日である平成四年一月二四日までの間、通院していたこと、本件と因果関係の認められる頭部外傷と口唇挫傷に関する実通院日数が合計二四日間であること等の治療状況等を総合考慮すると、本件における傷害慰謝料は九〇万円が相当であると認める。
5 逸失利益なし
本件事故により、原告に、上口唇に一一×八ミリメートル、口唇に一〇×一〇ミリメートルの上口唇瘢痕拘縮が残存し、これが、自動車損害賠償保障法別表の後遺障害等級の一二級一四号に該当することは、当事者間に争いがないところ、原告の業務内容は事務職であり、その職種の外、醜状の程度から見ても、いかに原告が女子であるといつても、原告に残存した顔面の醜状が、原告の労働能力に影響を与えるものとは認め難いので、逸失利益は認められない。
6 後遺障害慰謝料 二六〇万円
原告に、後遺障害等級一二級一四号に該当する後遺障害が残つていること、右後遺障害は、労働能力自体には影響を与えるものとは認められないにしても、女性である原告の就労に対し、影響が認められることは否定し難いことなど、本件における諸事情を考慮すると、本件において相当な後遺障害慰謝料は、二六〇万円と認められる。
7 小計 五〇八万一六五九円
二 過失相殺
前記のとおり、本件では、右損害小計額の四〇パーセントを減額するのが相当であるので、過失相殺後の損害額は、三〇四万八九九五円となる(一円未満切り捨て)。
三 損害てん補 一九七万四八〇〇円
原告が被告らから、合計一九七万四八〇〇円を受領していることは、当事者間に争いがない。
四 小計 一〇七万四一九五円
五 弁護士費用 一一万円
本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額、その他、本件において認められる諸般の事情に鑑みると、弁護士費用は、金一一万円が相当と認められる。
六 合計 一一八万四一九五円
第六結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自、金一一八万四一九五円及び被告河野義治に対しては、これに対する訴状送達の日の翌日である平成六年四月一〇日から支払済みまで、被告春日電機株式会社に対しては、これに対する訴状送達の日の翌日である平成六年四月一二日から支払済みまで、それぞれ年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。
(裁判官 堺充廣)