東京地方裁判所 平成6年(ワ)9530号 判決 1995年7月26日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年九月一八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1(本件記事の掲載)
被告は、その発行する日刊紙「福島民友」の昭和六〇年九月一八日付紙面(八版・一六面)に、原告について、「大麻に狂った“乱脈”甲野」「女性を口説くエサ」「自宅に大量に隠す」との見出しを付した別紙記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。
2(違法性)
本件記事は、原告に対して一切取材せずに作成されたものであって、そのほとんどが虚偽の事実である。被告は、本件記事により、その読者に対し、原告が昭和五二年ころに自宅に大麻を大量に隠し、女性を口説く手段にこれを用いていたり、大麻に狂っていた等のことを強烈に印象づけた。その違法性は、極めて強い。
3(損害)
被告による右虚偽記事の掲載頒布によって、原告は名誉を著しく毀損された。著名なメディアであり、相当の影響力もある本紙上において右のような虚偽事実を書かれたことによる原告の損害は、少なくとも金一〇〇万円を下らない。
4 よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年九月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2、3の事実は否認する。
三 被告の主張
1(公共の利害に関する事実及び公益を図る目的)
いわゆる殴打事件(昭和五六年八月、原告の当時の妻花子――以下「花子」という。――がアメリカのロサンゼルスで頭を殴打されて負傷した事件)について、原告は、知人の乙川春子(以下「乙川」という。)に花子の殺害を依頼したとして、殺人未遂罪の被疑者として、昭和六〇年九月一一日、逮捕された。本件記事は、右逮捕直後の同月一八日、右の重大犯罪の被疑者である原告の人物像を明らかにするとともに、原告の犯した別の犯罪についての捜査状況を明らかにするために、報道機関の一員たる訴外社団法人共同通信社(以下「共同通信社」という。)が執筆して配信し、被告が掲載したものである。右のとおり、本件記事は、公共の利害に関する事実について、専ら公益を図る目的で掲載されたものである。
2(本件記事の真実性及び相当性)
(一) 本件記事は、共同通信社の社会部記者が、昭和五九年二月一八日に行われた原告の二番目の妻(以下「A子」という。)に対してした取材に基づくものであった。
取材に対し、A子は、原告が昭和五二年当時自宅の冷蔵庫の中に大麻草らしきものを入れていて、その物について原告が「これは高く売れる。」と述べ、またもし警察が来たらこれをトイレに流すようにと原告から指示されていたと述べた。また警視庁は原告が昭和五二年当時大麻草を所持していたとの事実をA子より聴取して確知していたところ、共同通信社は、本件記事を配信する直前に警視庁の担当捜査官に対し、この点について確認している。
(二) したがって、本件記事の内容は真実であると、仮にそうでないとしても被告がこれを真実と信ずるについて相当な理由があった。
(三) 共同通信社はわが国を代表する通信社の一つであり、世界的にその配信記事に対する信頼性は極めて高い。このような通信社が配信した記事は、一見して明らかに不合理な点がない限り、配信を受けた被告がその内容につき裏付け取材を行うことなく、その内容が真実であり取材も適正になされたと信じても、右相当性の要件は充足されたと解するべきである。
3(損害の不存在)
(一) 本件記事の掲載により、仮に原告の社会的評価が低下したとしても、原告には次のとおり慰謝料が認められるべき損害は生じていない。
すなわち、原告は、本件記事を初めて見たのは平成五年八月である旨主張しているが、原告はその時点までに公刊物や刑事公判廷において大麻を多数回吸引した事実を明らかにしており、このような原告にとって、自宅に大麻を所持していたことが報道されたからといって、何ら精神的損害が生じることはありえない。
しかも、本件記事掲載時から訴え提起時までに約九年が経過している。仮に本件記事掲載により原告の何らかの社会的評価が低下し、原告に精神的損害が生じたとしてもそれは極めて軽微なものであり、現時点においておよそ損害賠償をもって償うべき性質のものではない。
(二) 原告は、これまで原告自身についての多くの報道に関連して、判決並びに訴訟上及び訴訟外の和解により合計金四〇〇〇万円を超える金額を受け取っているところ、一個人の名誉の総量に限界があり、原告の名誉が当時相当程度低下していたことを考慮すると、名誉毀損による原告の損害は既に十分すぎるほど償われているといえる。また、被告の「福島民友」の発行部数が朝日新聞や読売新聞などのそれを越えることはないことに鑑みれば、損害額は、右の全国紙による場合よりも極めて低額とされるべきである。
第三証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する。
理由
一 本件記事について
1 請求原因1(本件記事の掲載)について
請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
2 名誉毀損について
本件記事は、別紙のとおりの内容であり、「大麻に狂った“乱脈”甲野」「女性を口説くエサ」「自宅に大量に隠す二番目の妻ら証言」との見出しを付した上、まずリードにおいて、警視庁特捜本部が、原告がかなり以前から、女性と知り合うきっかけに大麻を使ったり、自宅に大麻を隠し持っていた事実を関係者証言などから突き止めたと断定して、これらについて直接容疑は問えないが、右本部が一連の事件前後の原告の乱脈な生活ぶりを知る証言を重視している、と述べている。さらに、本件記事は、本文で、①原告の二番目の妻A子らが、A子と原告が昭和五三年二月に別居状態になる直前に、原告が台所の冷蔵庫の中に大麻を隠し持っており、原告が、「これは高く売れる、警察に見つかりそうになったらトイレに流せばいい」と指示したと証言したこと、②特捜本部が原告が昭和五一年ごろから毎年ハワイやロスに渡航していた事実をつかみ、米国で仕入れた大麻を日本に持ち帰った可能性があるとみていること、③昭和五二年は、原告が後にロスで変死体で発見された被害者の女性(丙田夏子)と急速に親しくなった時期に当たり、最初の妻と別れ一〇か月後にA子と再婚しながら同時に夏子と愛人生活を続け、さらに三番目の妻花子、乙川へと近づく乱脈な生活を続けていたこと等を報じている。
このように、本件記事は、原告について、新たな刑事事件の容疑が生じたことを報じるものではない(そのことは、リードの中で明確に述べられている。)。しかし、後記の週刊文春の連載記事によって、また、原告自身が本件記事が掲載された一週間前に殴打事件の容疑で逮捕されたことにより、多数の報道を通じて、原告が殴打事件を含む一連の未解明の事件とのつながりがあるとみられていた(このことは公知の事実である。)ところ、本件記事は、原告について、原告の日常生活が乱れていたことと、そのような生活の乱れに昭和五二年という早い時期から大麻が深く結びついていたことを報じるものである。そして、一般読者の通常の注意と読み方を基準として判断すれば、本件記事は、原告が妻がありながら複数の女性と交際する倫理感に欠けた生活をしており、そのような女性との交際と大麻の吸引とが記事掲載の五、六年も前から深く結びついていたことを読者に強く印象づける内容のものということができる。
そうすると、本件記事は、その程度はともかく、原告の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損するものと認めることができる。
二 本件記事の違法性阻却の有無について
1 公共の利害に関する事実及び公益を図る目的について
本件記事は、前記認定事実のとおり、殴打事件で逮捕勾留されている原告について、その犯罪の背景となる事情及び原告の人格等にかかわる事実について報道したものであるから、その内容が公共の利害に関するものであり、専ら公益を図る目的に出たものと認められる。
2 本件記事の真実性及び相当性について
(一) 取材経過
小山鉄郎の証人調書(乙二)、野中憲の証人調書(乙三)、取材メモ(乙四)、野中憲の陳述書(乙七)及び小山鉄郎の陳述書(乙一一)によれば、次の事実が認められる。
(1) 殴打事件及び銃撃事件(昭和五六年一一月、原告の妻であった花子がロスで銃撃され、後に死亡した事件。)に関して週刊文春が「疑惑の銃弾」と題する特集記事の連載を開始したのを契機として、共同通信社は、昭和五九年一月ころから右各事件や原告に関するその他の事件についての取材を開始した。右取材は、原告の捜査を担当していた警視庁捜査一課担当の記者三名と警視庁担当キャップ、社会部の遊軍デスク及び遊軍記者に、警察署担当記者数名が当たるという体制によるものであった。
(2) 本件記事のうち、A子の供述部分は、共同通信社社会部の記者で、原告が当時居住していた杉並区内を管轄する警察署等を担当していた小山鉄郎(以下「小山記者」という。)がA子に二度面接して取材したものである。小山記者は、昭和五九年一月二八日、原告と離婚後別の男性と再婚していたA子とA子の自宅で面会した。その席において、まず再婚後のA子の夫が、A子から聞いた話として、原告が自宅の冷蔵庫に大麻を入れて所持していて、A子に対して「これは高く売れる。」とか、「もし警察が来たら大麻はトイレで流すように。」と指示していた旨を語った。小山記者は、一時間ほどしてAの夫が席をはずした後、A子から約一時間ほどかけて夫の発言内容を一つ一つ確認した。さらに、小山記者は、A子本人から一対一の形でより具体的な話を聞くこととし、同年二月一八日、A子と面会した。A子は、自宅の冷蔵庫の中の上段の方に青色のビニール袋に包まれた茶色の葉の茎みたいなものが置かれており、原告が大麻だと言っていたこと、原告がさらに「見つかるといけないものだ。友達が見つかりそうになったとき、トイレで流してしまって分からなかったから、警察に見つかりそうになったらトイレで流すんだよ。その大麻は友達に渡すんだ。」と言っていたこと、大麻が冷蔵庫の中にあったのは二、三日間であり、その時期は原告と別居状態になった昭和五三年二月ころの少し前であると思うなどと小山記者に語った。そして、A子は小山記者に対し、既に警視庁において事情聴取を受け、右内容と同旨の供述をしたと語った。
(3) 小山記者から右A子の供述内容の報告を受けた共同通信社警視庁担当キャップの野中憲(以下「野中」という。)は、同社の警視庁捜査一課担当の備前猛美(以下「備前記者」という。)に対し、警視庁特捜本部の関係者に取材し、A子の小山記者に対する前記供述の裏付けを取るように指示した。そして、野中は、備前記者から、右指示の当日か翌日に警視庁の警視正クラスの捜査責任者及びその下の捜査員に確認した結果、A子が小山記者に話した内容と警視庁が昭和五九年一月下旬ころ二度にわたりA子から参考人として事情聴取して得た内容とが、「いずれも大麻草についての部分はほとんど同様である」との報告を受けた。
(4) 共同通信社社会部は、逮捕される前の原告に対し、取材チームの取材の結果出て来た疑問点についての取材を申し入れたが、原告から断られ、逮捕後は接見禁止処分のために原告から話を聞くことはできなかった。
右認定事実によれば、本件記事のうち、A子が本件記事中のA子の供述部分のとおりの供述をしたこと自体は、真実であると認められる。一方、本件配信記事のうち、警視庁特捜本部が原告の大麻所持を突き止めたとする部分については、警視庁特捜本部がこれに沿う公式発表をしたことはないものの(乙二・一二)、警視庁特捜本部がA子から小山記者と同様の供述を得ていたことは認められる。
(二) 原告の大麻歴
原告本人調書(乙一二)から、原告は、少なくとも昭和五六年ころからは、大麻を吸引したことがあり、その後はかなり日常的に吸引していたことが認められる。
(三) その他の事情
週刊文春記事抜粋(乙六の三)及び週刊「フォーカス」誌記事抜粋(乙八)によれば、原告が大麻とかかわりがあったことが本件記事掲載当時既に報道されていたと認められる。「福島民友」はいわゆる地方紙であって、全国紙に比べその発行部数は少ない。なお、本件訴訟は、本件記事が掲載された昭和六〇年九月一八日から八年以上経過した平成六年五月一八日になって提起されたことは記録上明らかである。
(四) 本件記事の違法性の存否
(1) 右(一)(二)のとおり、Aは、原告が昭和五二年ころ自宅に大麻を所持していた旨を昭和五九年一月ころ共同通信社の記者及び警視庁特捜本部に供述したことが認められるのである。そして、原告が、遅くとも昭和五六年以降大麻を吸引していたことは本人の自認している確かな事実である。また、A子は、昭和五三年に原告と別居しその後離婚しているところ、一般に離婚後六年も経過した後に、かつての夫について真実と異なる虚偽かつ犯罪を構成する事実を第三者にわざわざ述べることは通常考えられない。
したがって、原告の昭和五二年ころにおける大麻所持の事実は、真実である可能性が相当程度あるということができる。そして、他に右事実の存否を明らかにする証拠等はなく、原告が昭和五二年末から昭和五三年初めにかけて大麻を所持していたとの右事実は、現時点で事後的にみると、一〇〇パーセントの真実とも一〇〇パーセントの虚偽ともいえないいわば灰色の事実である。
(2) そうすると、被告が、原告の昭和五二年ころの生活状況を明らかにする目的で、原告が昭和五二年ころ大麻を所持していたとの生活ぶりを本件記事によって報道しても、あながち不当とはいえず、これを違法ということはできない。とりわけ、右の事情からすれば、原告が昭和五二年当時大麻を所持していたとの事実が真実であると被告が信じたことについては、相当の理由があるということができる。
(3) 右のとおり、本件記事の掲載は違法とはいえない。
なお、付言すれば、本件記事は、犯罪を構成する側面を含む事実の報道であるだけに慎重にすべきは当然であるが、本件記事には、1のとおりの公益目的があり、右(2)のとおりの相当の理由があったことに加え、本件記事がリード部分において大麻所持法違反としての立件は無理であると断っていること、さらに共同通信社という国際規模の通信社からの配信記事に基づき、被告が本件記事を掲載したこと、及び原告の訴え提起までに長年月が経過しているとの事情もあるのである。これらを総合すると、本件記事の掲載は、違法とまでは到底いえないというべきである。
三 結び
以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第四一部
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 松本清隆 裁判官 平出喜一)