大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(刑わ)571号 判決 1997年10月01日

<判決目次>

主文

理由

(犯罪事実)

(証拠の標目)

(争点に対する判断)

第一 争点について

一 被告人甲野の弁護人の主張

二 被告人乙川の弁護人の主張

第二 前提となる事実

一 被告人両名の経歴等

1 被告人甲野の経歴等

2 被告人乙川の経歴等

3 被告人両名の関係等

二 土曜会事件の経過

第三 本件犯行前後の状況等

一 平成三年五月から同年一一月上旬ころまでの状況

1 認定できる事実

(一) 公取委の審査の状況

(二) 大手ゼネコンの土木担当役員らの対応(被告人両名の動きを含む)

(三) A建設の対応(被告人甲野の動きを含む)

(1) 七月一〇日の社内会議の状況

(2) 七月二八日の社内会議の状況

(3) 七月三一日の社内会議の状況

(4) 八月一九日の社内会議の状況

(四) 建設業界の対応(被告人両名の動きを含む)

(五) 建設省の対応

(六) 被告人両名の動き

(七) 被告人乙川の公取委関係者との接触状況

2 事実認定についての補足説明

(一) 公取委の審査の状況について

(二) A建設の各社内会議の状況等について

(1) 七月一〇日の社内会議の状況

(2) 七月二八日の社内会議の状況

(3) 七月三一日の社内会議の状況

(4) 八月一九日の社内会議の状況

(5) 想定問答集について

(三) 被告人乙川の公取委関係者との接触状況について

二 平成三年一一月上旬ころから平成四年一月一三日までの状況

1 認定できる事実

(一) 公取委の審査の状況

(二) A建設の対応(被告人甲野の動きを含む)

(三) 建設業界の対応

(四) 被告人両名の動き

(五) 新聞報道等

2 事実認定についての補足説明

(一) 公取委の審査の状況について

(二) 被告人乙川の動きについて

三 平成四年一月一三日以降の状況

1 認定できる事実

(一) 公取委の審査の状況

(二) A建設及び建設業界の対応

(三) 被告人乙川と公取委委員長Nとの接触状況

(四) 被告人両名の動き

2 事実認定についての補足説明

(一) 公取委の審査の状況について

(二) 被告人乙川とNとの接触状況について-N証言の信用性

(1) N証人の本件との関係、特に、利害関係の有無・程度について

ア 供述経過からの検討

イ 供述内容からの検討

ウ その他の弁護人らの主張について

(2) 証言内容について

ア 供述経過について

イ 供述内容について

ウ 他の証拠との整合性について

エ その他の弁護人らの主張について

(3) 小括

(三) 被告人両名の動きについて

第四 請託及び賄賂性の存否について

一 一〇〇〇万円の授受に関する客観的経緯について

二 一〇〇〇万円の趣旨に関する被告人両名の供述について

1 被告人甲野の供述について

2 被告人乙川の供述について

3 小括

三 被告人甲野の動機について

1 告発の可能性についての公取委側の認識について

2 公取委による告発の可能性に関する被告人甲野の認識について

(一) 土曜会事件に対する客観的な対応状況等

(1) 建設業界等における対応

(2) A建設社内における対応

(3) 平成三年一一月のラップ事件告発後の対応状況

(二) 告発の可能性に関する業界関係者らの認識について

(1) 業界幹部らの証言

(2) 業界関係者らの供述

(3) その他の証拠

(三) 新聞報道等について

(四) 告発の可能性に関する被告人甲野の供述について

(1) 平成四年一月上旬ころ作成された文書の存在について

(2) その他の証拠

(五) 小括

3 告発に関する被告人甲野の意欲について

(一) 告発された場合の一般的な影響について

(二) A建設の受ける影響について

(三) 小括

四 被告人乙川の公取委委員長Nへの働きかけについて

1 働きかけの状況について

2 被告人乙川の働きかけから推認できることについて

3 小括

五 その後の事情について

1 被告人乙川が同甲野に対し告発見送りの見通しを伝えたことについて

2 その後の定期の政治献金の増額について

六 その余の事実に関する検討について

1 被告人乙川の動機と本件以前の行動について

2 被告人甲野が同乙川に働きかけを依頼したことについて

七 結論

第五 同時決着に関する主張に対する判断

一 同時決着に関する論点について

二 同時決着に関する被告人乙川の主張について

三 罰金額引上げを内容とする独禁法改正に関する動きについて

四 被告人乙川の供述の信用性について

1 公取委関係者の供述との不整合について

2 他の国会議員らの供述との不整合について

3 建設省関係者の供述との不整合について

4 同時決着の主張の不自然さについて

5 罰金引上げの経緯との不整合について

6 公取委における土曜会事件の審査の経緯との不整合について

五 結論

1 これまでのまとめ

2 野中証言について

3 結論

第六 推進機構に関する主張に対する判断

一 推進機構に関する論点について

二 推進機構の設立の経緯及び同機構の概要について

三 被告人乙川の供述の信用性について

1 被告人乙川が推進機構の設立を着想した時期と経緯について

2 政治家としての出世仕事と考えて取り組んだという供述について

3 推進機構の長の人事が重要であったという供述について

4 平成四年一月ころは推進機構の長の人事が大詰めを迎えていた時期であったという供述について

四 結論

(法令の適用)

(量刑の理由)

主文

被告人甲野太郎及び同乙川次郎をいずれも懲役一年六月に処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各六〇日をそれぞれその刑に算入する。

被告人甲野に対し、この裁判確定の日から四年間その刑の執行を猶予する。

被告人乙川から金一〇〇〇万円を追徴する。

訴訟費用は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人甲野太郎は、土木建築工事の請負等を業とするA建設株式会社の代表取締役副社長の職にあったものであり、被告人乙川次郎は、衆議院議員である。

第一  被告人甲野は、公正取引委員会(以下、公取委という。)が、埼玉県内の公共工事を受注するA建設株式会社等の建設会社が同県内に設けている支店等の営業責任者らにより組織されていた「埼玉土曜会」(以下、土曜会という。)の会員による私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下、独禁法という。)違反の事実があるとして調査を続けていたことに関し、公取委が同社等を同法違反で告発することを回避しようと企て、平成四年一月一三日、東京都千代田区永田町二丁目二番一号所在の衆議院第一議員会館六三七号室の被告人乙川の事務室において、被告人乙川に対し、公取委が告発をしないよう、同法違反事件の調査及び告発に関する職務を独立して適正に執行すべき職責を有する公取委委員長Nに働きかけてもらいたい旨の斡旋方の請託をし、これを承諾した被告人乙川に対し、その報酬として現金一〇〇〇万円を供与し、もって、他の公務員に職務上相当の行為をさせないように斡旋することの報酬として賄賂を供与した。

第二  被告人乙川は、前同日、前同所において、被告人甲野から、前記斡旋方の請託を受けてこれを承諾し、前記趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金一〇〇〇万円の供与を受け、もって、他の公務員に職務上相当の行為をさせないように斡旋することの報酬として賄賂を収受した。

(証拠の標目)<省略>

(争点に対する判断)

以下において、各項目又は段落末尾の〔〕内に掲げる証拠は、当該項目又は段落に記載された事実を認定した主な証拠である。甲・弁の各番号は検察官又は弁護人請求の証拠の番号を、特にその後に氏名を付したものはその者の検察官に対する供述調書であることを示し、また、回数は公判回数を、その後の氏名はその証人又は被告人の公判供述又は公判調書中の供述部分を示し、さらに、丁数は記録中の公判調書群の丁数を示すものである。なお、供述調書のうちには、それぞれの被告人により証拠となる範囲の異なるものが多少あるが、事実を認定し、争点を判断する際に使用したのは、いずれも両被告人に共通して証拠となっている部分のみである(もっとも、供述の信用性を検討する場面あるいは犯罪事実の認定につき合理的疑いを生じさせないか検討する場面においては、いずれかの被告人の関係でのみ証拠となっている部分についても考慮したうえで判断したものである。)。

第一  争点について

一  被告人甲野の弁護人の主張

被告人甲野の弁護人は、概要、次のとおり主張している。

被告人甲野は、平成四年一月一三日、被告人乙川に現金一〇〇〇万円を手交したことはあるものの、土曜会事件に関して、公取委委員長に対し公取委が告発しないように働きかけてもらいたい旨の斡旋方の請託をしたことはないから、右一〇〇〇万円が斡旋に対する報酬ではあり得ず、理論的にも、検察官の主張する斡旋行為は、斡旋贈収賄罪の構成要件に該当する余地がないから、被告人甲野は無罪である。また、土曜会事件に関して、告発が必至であるというようなことは客観的に存在せず、被告人甲野の認識としても、告発が必至であるとか、国会議員の力で告発を阻止することが可能であって、これを阻止しなければならないというような認識は有していなかったものであり、被告人乙川に手交した一〇〇〇万円は、建設業界が独禁法問題で多難な折から、同被告人が建設業適正取引推進機構(以下推進機構という。)の設立を企画してそれが軌道に乗り、実現が近づいたと聞いたのを契機として、同被告人に政治家として大成してもらい、業界に対し今後とも末永くご指導いただきたいとの期待のもとに、それらに必要とされる費用に充てるなど、政治活動の資金として建設業界から政治献金したものである。

二  被告人乙川の弁護人の主張

被告人乙川の弁護人は、概要、次のとおり主張している。

被告人乙川が同甲野から現金一〇〇〇万円を受け取ったことはあるものの、被告人甲野による不正の請託も、その結果としての被告人乙川による公取委委員長に対する土曜会事件の告発回避の働きかけも全く存在しないから、被告人乙川は無罪である。公取委が土曜会事件の告発を見送ったのは、政府内部において、土曜会事件の告発見送りを交換条件として罰金額引上げの独禁法改正を実現させるという同時決着の合意ができていたからであり、同被告人は、同時決着に向けた動きが始まっていることを確信していたのであるから、被告人甲野から請託を受けて公取委委員長に土曜会事件の告発見送りを要請する必要もなかった。本件一〇〇〇万円は、不正の請託の対価ではなく、推進機構設立のための被告人乙川の努力と行動を知った被告人甲野が、建設業界の将来を展望した被告人乙川の姿勢と推進機構の設立に向けた行動力とを評価し、将来にわたって建設業界に対する指導を依頼する趣旨で、同業界を代表して、被告人乙川に提供した政治献金であった。

第二  前提となる事実

一  被告人両名の経歴等

1 被告人甲野の経歴等

被告人甲野は、昭和二二年九月、A建設株式会社(当時は「株式会社A組」)に入社して土木系の職務を担当し、常務取締役、専務取締役等を経て、昭和六〇年以降平成五年一一月まで、代表取締役副社長を務めていた。同被告人は、A建設の土木部門を統括して土木に関する営業や同業者との連絡折衝等を担当するとともに、監督官庁である建設省や国会議員などとの連絡折衝も行っていた。また、被告人甲野は、昭和六〇年五月から全国の総合建設業者(ゼネコン)の団体及び大手ゼネコン数十社等で組織する社団法人日本建設業団体連合会(以下、日建連という。)の広報委員会副委員長、昭和六一年四月から全国の土木工事業者で組織する社団法人日本土木工業恊会(以下、土工協という。)の広報委員会委員長の各役職を務めていた。

〔<証拠略>〕

2 被告人乙川の経歴等

被告人乙川は、昭和五一年一二月に施行された衆議院議員総選挙に立候補して初当選して以来、衆議院議員総選挙に連続当選して現在に至っている。その間、同被告人は、昭和五七年一一月から昭和五八年一二月まで建設政務次官、同月から昭和五九年一一月まで防衛政務次官、平成元年六月から同年八月まで科学技術庁長官、平成四年一二月から平成五年八月まで建設大臣を歴任したほか、衆議院の常任委員として、建設委員長等を務めた。また、被告人乙川は、昭和五一年一二月から平成六年三月まで所属していた自由民主党においては、総務局長、研修局長、政務調査会建設部会長、政務調査会副会長、国会対策委員会副委員長等を歴任したほか、平成三年一月から平成四年一二月までの間、独禁法に関する特別調査会(以下、独禁法調査会という。)の会長代理を務めていた。〔<証拠略>〕

3 被告人両名の関係等

A建設は、平成二年から三年ころには、被告人乙川の主催する政治団体である「大喜の会」及び「喜成会」に対し年間合計一一〇万円の会費を支払っていたほか、毎年七月と一二月の二回、被告人甲野が盆と暮の定期の政治献金として現金各一〇〇万円を被告人乙川に届けていた。なお、A建設は、平成四年暮以降、被告人乙川の主催する政治団体「桜門喜友会」に対しても年間一二万円の会費を支払うようになり、また、平成四年には、盆と暮の政治献金の額を二〇〇万円に増額して献金した。〔<証拠略>〕

二  土曜会事件の経過

公取委は、埼玉県内に支店、営業所等を有する大手ゼネコンを含む建設業者六六社が構成している土曜会による独禁法違反(入札談合)事件(以下、土曜会事件という。)の疑いを抱き、平成三年五月二七日及び二八日の両日、土曜会会員会社六六社中四九社の埼玉県内の支店、営業所等で立入検査を実施した。その後、公取委は、土曜会事件につき、留置した証拠物の分析・検討、関係者の事情聴取を行うなどして審査したほか、同年一〇月一五日には残りの一七社等で立入検査を行い、また、同年一一月一一日には会員会社に対して報告命令を発するなどして審査した結果、翌四年五月一五日、不告発を公表するとともに、土曜会会員会社六六社に対し、独禁法三条違反を理由として排除勧告を行い、六六社がすべてその勧告に対する応諾書を提出したことから、同年六月三日、排除勧告と同趣旨の審決をした。〔<証拠略>〕

第三  本件犯行前後の状況等

本件犯行の存否を判断するに当たっては、その前後の状況等を考慮する必要があるので、以下、公取委の立入検査が行われた平成三年五月から業務用ラップフィルムの価格カルテル事件(以下、ラップ事件という。)が告発された同年一一月上旬ころまで、その後両被告人の間で一〇〇〇万円が授受された平成四年一月一三日まで、その後土曜会事件の勧告審決がされた同年六月ころまでの三つの時期に分けて、それぞれの状況を検討する。

一  平成三年五月から同年一一月上旬ころまでの状況

1 認定できる事実

まず、平成三年五月の公取委の立入検査から同年一一月上旬のラップ事件の告発までの間につき、関係各証拠によって認められる公取委の審査の状況、大手ゼネコンの土木担当役員らの対応、A建設の対応、建設業界の対応、建設省の対応、被告人両名の動き等は、以下のとおりである。

(一) 公取委の審査の状況

公取委は、平成元年から翌年にかけて、埼玉県内の公共土木工事について建設業者間で談合が行われているとの匿名情報を得たため、内偵した結果、埼玉県内に支店、営業所等を有する大手ゼネコンを含む建設業者六六社が構成している土曜会による独禁法違反(入札談合)の疑いを抱いた。平成三年五月、土曜会の談合で使用されているというPRチラシが処分されるとの情報が入ったため、委員会懇談会を開き、強制権限を使った立件審査を実施することが了承された。そこで、公取委は、同月二七日及び二八日の両日、総勢一一〇名ないし一二〇名の職員を動員し、A建設をはじめとする土曜会会員会社六六社中四九社の埼玉県内の支店、営業所等及び談合会場一か所の合計五〇か所で立入検査を実施し、証拠品約三二〇〇点(PRチラシ、談合札、救済一覧表等)を留置した(第一次立入検査)。

公取委では、その後、審査部第五審査の約一〇名全員で土曜会事件の審査を担当し、同年八月末ころまで、証拠物の分析・検討を行った。また、そのころ、埼玉県及び同県内の市町村に対し、公共土木工事の発注・入札等に関する報告を求めた。

同月二九日、審査部長、審査担当官房審議官、審査部付検事、審査長、監査室長等が出席した審査部の部課長会議が開催され、そこにおいて、立入検査によって得た証拠から判明した事案の概要が報告された。すなわち、埼玉県と同県内の市町村等が発注する土木一式工事について、受注を希望する会員は、PRチラシを最高一五件を限度に土曜会に提出し、希望者複数のときには、受注希望者間又は指名業者全体で話し合って受注予定者を決めていること、PRチラシの記載内容、提出の有無・時期が受注予定者を決める有力なポイントとなること、円滑に受注予定者を決めるため、救済という制度があるようであること、受注予定者が確実に受注できるように、入札価格を相指名業者に連絡するなどしていることなどが分かったと報告された。また、証拠の内容、事件の組立て、今後の証拠収集方針、談合における「一定の取引分野」の認定等が検討され、具体的には、合角ダム建設工事、元嵐山工業団地造成工事が注目された。

公取委は、同年九月上旬から、土曜会会員その他関係者に対する事情聴取を開始した。土曜会役員会社の関係者から調べ始めたが、土曜会会長であったA建設関東支店埼玉営業所副所長a15を含めた役員らは、当初、土曜会は親睦団体で、会員間で情報交換していたにすぎないなどと供述し、受注調整の疑いを否認した。しかし、一般会員会社の関係者にまで調べを広げたところ、そのうち、基本的なルールに従って談合していたという供述が得られ、実態が徐々に判明していった。

同月二五日ころ、公取委と東京高等検察庁(以下、高検という。)との間で土曜会事件に関する非公式の協議が行われた。この協議において、公取委側は、高検に対し、土曜会事件の調査状況、証拠関係等を報告したが、高検からは、具体的な談合のルールをより明確にし、ルールが機能していることを明らかにするために会員会社が受注した公共工事の内容、受注の経緯等をできるだけ証拠化する必要があると指摘された。

公取委は、その後も関係者の取調べ等の調査を続行したほか、同年一〇月一五日、第一次立入検査時に立ち入らなかった会員会社一七社に対し、また、役員会社を含む一一社に対しては再び、立入検査を実施した(第二次立入検査)。証拠物約九〇〇点を留置したが、その中には公取委による取調べに対する想定問答集案、対応策メモ等もあった。

なお、以上の事実を認定した理由については、後記2(一)参照。〔<証拠略>〕

(二) 大手ゼネコンの土木担当役員らの対応(被告人両名の動きを含む)

被告人甲野を含む大手ゼネコンの土木担当役員らは、同年五月二八日、土工協広島支部で開催された官民懇談会に出席するため、広島市内に滞在していたが、公取委による立入検査の情報を伝え聞いて、話し合った。その際、ゼネコン各社の埼玉県内の営業所等が公取委の立入検査を受け、資料が押収されたという事実が伝えられて困ったことになったなどという発言が出た。被告人甲野、B組副会長b、C建設副社長cらは、土曜会事件への対応について今後どのようにすべきか指導を受けるために、建設業界に理解のある国会議員に相談しようと話し合い、その後cが国会議員に連絡を取って、同月三一日に会合を持つことにした。被告人甲野が念頭に置いていた国会議員は、参議院議員L、同M及び被告人乙川であった。

被告人甲野、b、c、D工業副会長dは、同月三一日、C建設本社にLとMを招き、土曜会事件への対応について指導を受けた。この会合において、被告人甲野らは、公取委の立入検査を受けて関係書類を押収されたことなどを報告したところ、LとMは、押収された書類の内容や事実関係を確認する必要があり、法律的見地から検討する必要があるので弁護士に相談するようになどとアドバイスした。その際、Lは、土曜会のような団体が存続していたことに対して苦言を呈した。なお、被告人乙川はこの会合に出席していない。

その後、同年七月三〇日、被告人甲野、c、b、dは、都内のホテルにLと被告人乙川を招いて、再び土曜会事件への対応等についてアドバイスを求めた(なお、被告人乙川の話した内容につき、後記第四の六1参照)。

〔<証拠略>〕

(三) A建設の対応(被告人甲野の動きを含む)

A建設においても、公取委による土曜会事件に関する立入検査については、その日(同年五月二七日)のうちに関東支店を通じて本店に報告され、公取委がその件の報道発表をしない方針であるとの顧問弁護士からの情報も、同日付け報告書によって法務部長から会長、副会長、社長、被告人甲野らに報告された。その後、社内において、公取委によって留置された資料一点一点の内容についての調査等が開始され、同事件への対応についても検討された。また、関東支店からは、それ以降、土曜会事件に関する地方版の新聞報道などについても、本店に逐次報告された。〔<証拠略>〕

被告人甲野は、同年六月上旬ころ、土曜会会長であったa15が立入検査を受けたことについて謝罪に来た際、a15を叱責し、土曜会をすぐに解散するよう指示した。そのこともあって、土曜会は、同月一〇日の理事会で解散が決定された。〔<証拠略>〕

土曜会事件については、度々社内会議が開かれ、その対応などが協議された。被告人甲野の出席した会議は、同年七月一〇日、同月二八日、同月三一日、同年八月一九日、同年九月二日の会合である。それらの会合における協議事項は、以下のとおりである(その認定理由については、後記2(二)(1)~(4)参照)。

(1) 七月一〇日の社内会議の状況

七月一〇日の会議は、「埼玉の件の現況と今後の対応」を議題として、午後二時から五時まで、本社[2]棟一一階会議室で行われ、被告人甲野のほか、顧問弁護士a6、専務(財務担当)a7、常務a8、同(会長秘書役)a9、取締役(副会長秘書役)a10、同(法務部長)a11、社長秘書役a12、営業第二本部企画部長(同本部次長兼営業部長)a13、関東支店長(専務)a17、同支店次長a16、埼玉営業所長a14、同副所長a15が出席した(なお、被告人甲野は、遅刻して出席している。)。

まず、a15とa14が、公取委に留置された資料の一覧表に基づいてその内容を土曜会の活動との関連で説明した。a15がPRチラシの説明をした時、被告人甲野はそのようなものをいまだに使っていたことについて大変怒った。a15とa14による説明の後、主にa11とa6が土曜会事件についての今後の対応について説明した。公取委の事情聴取に向けて想定問答集を作成することも検討されたが、a6は、今更事実を曲げて言うことはできないから、改善に向けて努力を始めていることを訴えて情状酌量を求めた方がいいだろうと発言した。また、a6は、他の会社に呼びかけて弁護士同士の打合せを早急に行う意図であることを紹介した。さらに、a6は、公取委が違反を繰り返している業者に対しては刑事告発を行うなど独禁法の運用強化を図ることを基本方針としていることなどを説明した。

〔<証拠略>〕

(2) 七月二八日の社内会議の状況

七月二八日(日曜日)の会議は、午後四時三〇分から六時一〇分まで、本社[1]棟一七階会議室で行われ、会長a1、社長a2、被告人甲野、副社長a3、同a4、a17、専務a5、a7、a9、a10、a11、a12、a13が出席した。

a11らから、土曜会事件の経緯について説明があり、立入検査を受けた各社の対応などについて報告があった。また、建設省や日建連の説明として、土曜会事件に対する各社の対応がばらばらであること、各社社長の認識には甘さがあり、各社が押収された資料の提供状況もはかばかしくないこと、押収された各社の資料の内容からすると課徴金を免れることができないことは確実であること、日米構造協議のプレッシャーもあり、刑事訴追に至る可能性も大きく、公取委の調査が支店・本店に及ぶおそれもあることなどが報告された。この会議では、土曜会事件へのA建設の対応策として、社長名で法令遵守の社内通達を出すこと、事情聴取に備えて早急に事情説明案の整備を図ること、合角ダムのジョイントベンチャー契約関係書類・会計伝票のチェックを行うことなどが話し合われ、また、行政・政治との係わりを回避すること、支店・本店への波及を抑えることが、基本姿勢として確認された。

〔<証拠略>〕

(3) 七月三一日の社内会議の状況

七月三一日の会議は、a2、被告人甲野、a11、a13らが出席して行われた。まず、a11から、同月二九日に行われたゼネコン五社の法務担当者らの会合の報告があり、各社の上級レベルが心配していること、各社の押収資料の一覧表が交換されたことが報告された。次いで、被告人甲野は、同月三〇日の会合でLと被告人乙川からアドバイスされたことをふまえ、業界全体としての姿勢を示すため、日建連のe1会長に先頭に立ってもらい、公取委に対し恭順の姿勢を示すことによって、公取委のアクションを弱い方に向けることを基本方針とすることを説明し、八月六日にe1に会って、何社かの社長を帯同して公取委に行くよう依頼する予定であると話した。また、この席上、書類が揃いすぎており、刑事罰の対象となり得ることや、公取委の取調べに対する想定問答集をどうするかといった発言もなされた。〔<証拠略>〕

(4) 八月一九日の社内会議の状況

八月一九日の会議は、午前九時三〇分から一一時まで、本社[2]棟二〇階中会議室で行われ、a2、被告人甲野、a13、a6らが出席した。まず、a6が、同月一四日に開かれたゼネコン五社の顧問弁護士らの会合について報告した。すなわち、右会合は相互の意見交換に終始したが、土曜会の新旧役員会社を中心に随時会合を持ち、次回までに土曜会の自浄努力を客観的動きとして整理し、検討すること、代理人が共同して刑事告発回避に向け努力することなどが提案・協議され、話題の要旨は、刑事告発の回避を第一の目的とすることであり、確度の高い情報は今のところないが、公取委のやる気は強く、法務省・最高検察庁は今のところ強い関心を持っていないと考えられることなどが報告された。また、八月二二日に、e1(日建連会長)、f(同副会長)、a2らが公取委委員長を訪れる予定であることも紹介された。〔<証拠略>〕

以上のほか、同年九月二日にも社内会議が開かれ、a2、被告人甲野、a6、a11らが出席した。a15が公取委から呼出しを受けて取調べが始まることをふまえて行われたものであった。〔<証拠略>〕

これらの一連の社内会議と並行して、A建設においては、このころ、a15が、公取委の取調べに臨むために想定問答集を作成し、a13がそれに手を加えた。すなわち、a15は、土曜会では情報交換をしていたにすぎないとの内容を基本とする案を作成し、a13は、その内容の中で表現が誤っている部分や原案のとおりでは独禁法に抵触する可能性があると思われる部分に朱で書込みをし、その内容を改めた(その認定理由については、後記2(二)(5)参照)。〔<証拠略>〕

a15は、同月五日から公取委の事情聴取を受けるようになったが、事情聴取の状況については本社の法務部長らに報告していた。また、他の土曜会会員会社の関係者らが公取委の事情聴取において、どのような質問を受けてどのように答えたかについての情報等も、本社に報告されていた。

〔<証拠略>〕

同月二六日、A建設は、公取委の経済部調整課長を招いて独禁法研修会を開催した。〔<証拠略>〕

(四) 建設業界の対応(被告人両名の動きを含む)

土曜会事件については、建設業界全体の問題としても取り上げられ、その対応と再発防止策等が検討された。すなわち、同年六月一〇日ころ行われた日建連の基本政策懇談会において、独禁法遵守と社内体制の点検等の趣旨徹底などについて話合いが行われた。土曜会事件は、大変な事態と受け止められ、公取委に押収されたものが非常に懸念されるという状態であった。また、同年七月一〇日の基本政策懇談会においても、告発回避のための方策が話題となり、日建連会長e1は、公取委に謝りに行った方がいいのではないかと発言した。なお、その際、出席者の間で土曜会事件を建設業界全体の問題として日建連で扱うかそのうちの土木業界の問題として土工協で扱うかについて激論となり、最終的には、日建連会長e1、土工協会長(日建連副会長)g、建設業刷新検討委員会委員長(日建連副会長)fの三人で対処することになった。

同月一九日、都内のホテルで、ゼネコン五社の社長(又は会長)であるe1(E建設)、a2(A建設)、f(F建設)、g(G建設)、h1(H建設)が、法務担当者を伴って集まり、土曜会事件への対応を協議した(いわゆる第一回の社長会)。技術屋ばかりの社長同士では法的な対策を協議できないということから、各社の法務担当者会議と顧問弁護士会議を設けることが決められた。

法務担当者会議は、同月二二日に開始され、その後、同月二九日、同年八月一日・二九日、同年九月二日・一〇日・一八日・二五日、同年一〇月八日にも開催された。当初は、社長会に出た五社の総務部長あるいは法務部長等であったが、同年九月ころからは、一二社の法務担当者が出席して行われた。また、顧問弁護士会議も同年八月から平成四年五月まで、毎月一回程度のペースで開かれた。

以上のほか、業界においては、土曜会問題に関連して、再発防止のための施策についても検討され、日建連では、平成三年七月二六日、会員各社に対して、「公正な企業活動の推進について(独占禁止法の遵守等)」と題する会長通達が出され、土工協においても、同月二四日、会員各社に対し、「独占禁止法の遵守について」と題する会長通達が出された。

他方、被告人甲野は、同月三〇日の前記(二)記載の会合で話し合われたことに従い、同年八月六日、土木を代表する形でE建設にe1を訪ね、土曜会事件に関連して申し訳ないと述べ、業界を代表して公取委に恭順の意を示してほしいと依頼し、e1の承諾を得た。

e1、g、fらは、同月二二日、公取委に委員長Nを訪ね、e1が土曜会事件について陳謝の意思表明をし、建設業刷新検討委員会がしている公正取引に対する啓蒙活動の説明などをし、寛大な措置をお願いしたいと話した。しかし、Nは非常に厳しい態度で、今回の問題に対しては法に照らし厳正に処分すると述べた。

同年九月二〇日に開かれた建設業刷新検討委員会の独禁法ガイドライン小委員会において、「今後、独禁法の刑事罰が活用され、運用が大変厳しいものとなるので、埼玉の問題など心配している。」との意見も出された。

同年一〇月二一日、日建連常任理事会において、経団連が作成した「企業行動憲章」の趣旨を会員各社に周知徹底することが決められた。土曜会事件を念頭に置き、将来の談合自粛を会員各社に徹底させる趣旨であった。

〔<証拠略>〕

(五) 建設省の対応

建設省においても公取委による土曜会事件の立入検査を契機として、同事件への対応や再発防止に関連して業界を指導する必要があるものと考えられた。建設経済局長伴襄は、建設業界の信用を回復するためにも、刑事訴追の可能性があるので公取委の処分を穏やかなものとするためにも、行政指導が必要であると考え、建設業界一〇社程度の社長に対し、土曜会事件に関連して、事柄の重要性をしっかり認識し、ばらばらの対応ではなく、業界を挙げて、トップが先頭に立って、体質改善に向けて努力し、そのような姿勢を示すことが大事ではないかなどと助言した。日建連は、土曜会事件摘発後に講じた体質改善のための努力状況などを整理し、同年八月九日付けで「公正な企業活動の推進について」を作成して、建設省等に報告した。

また、伴は、建設業界刷新の努力をNに伝えるとともに、Nから建設業界に直接指導してもらう必要性を感じ、e1の要望や被告人乙川からの示唆もあったことから、公取委側に申し入れるなどして、前記(四)のe1らとNとの面会を仲介した(後記(七)参照)。

〔<証拠略>〕

(六) 被告人両名の動き

同年七月八日、被告人甲野は、議員会館に被告人乙川を訪ね、A建設からの定期の政治献金一〇〇万円を手渡した。その際、被告人甲野は、同乙川に対し、土曜会事件に関する公取委の立入検査について五月末にLら国会議員から指導を受けたが、被告人乙川の出席がなかったことから指導を願いたいとして、次の会合の日程調整を行った。その結果、次の会合は七月三〇日と決められた(前記(二)参照)。〔<証拠略>〕

同年一〇月一八日、被告人甲野は、a13を伴って、議員会館に被告人乙川を訪問した。その際、被告人甲野は、同乙川に対し、後継者としてa13を紹介するとともに、土曜会会員会社に関する資料等を用いて、公取委の第二次立入検査の状況等を報告した。〔<証拠略>〕

(七) 被告人乙川の公取委関係者との接触状況

公取委審査部長柴田章平は、政府委員室係員から、被告人乙川が「検察懇談会」について関心を持っていると聞き、近く事務局長への昇進が内定していたこともあって、同年六月七日ころ、審査部第一審査長補佐細田孝一を伴って、議員会館に被告人乙川を訪ねた。柴田は、同被告人に対し、「検察懇談会」とは告発問題協議会のことではないかと思われる旨話し、細田に対して説明するよう指示した。細田は、平成二年六月二〇日に公表した告発方針と平成三年一月一〇日に公表した告発問題協議会の設置に関する書面を同被告人に手渡して説明した。これに対し、被告人乙川が「告発方針についてはよく分かりました。埼玉土曜会の件はどうなるのでしょうか。告発になるのでしょうか。」と尋ねたため、柴田は、「まだ調査を始めたばかりで、お答えするわけにはまいりません。」と答えた。〔<証拠略>〕

柴田(事務局長)及び植松勲(総務担当官房審議官)は、同年七月一二日ころ、議員会館に被告人乙川を訪ね、同被告人が欠席した前日の独禁法調査会で説明した流通取引慣行ガイドラインの公表の件を報告した。その際、同被告人が「埼玉土曜会の件はどうなりそうかね。」と尋ねたため、植松は、まだ調査に着手したばかりで見通しが立たないこと、調査には一年位かかると思われることなどを答えた。これに対し、同被告人は、このような談合事件が再発しないよう、建設業ガイドラインの周知徹底を目的とした機関を設立し、各都道府県に設置することを提案した。〔<証拠略>〕

植松は、同年七月下旬から八月初めころ、被告人乙川から、「土曜会事件では、建設業界が公取委に謝罪して恭順の意を表明したいと言っている。具体的には、e1会長らがN委員長のもとを訪ねたい。自分が席をセットしてもいい。」と言われたため、そのことをN及び柴田に報告した。また、柴田は、同年七月下旬ころと八月中旬ころの二回にわたり、伴建設経済局長から、被告人乙川の依頼という形で、日建連のe1会長ら業界の幹部の方々を委員長に会わせて欲しい、日程を決めて欲しいと言われたため、その旨をNに報告し、Nの了解を得て、八月下旬に会えるように日程を調整した(前記(四)参照)。〔<証拠略>〕

なお、以上の認定理由については、後記2(三)参照。

2 事実認定についての補足説明

以上の事実には被告人らの争っている点も含まれているので、その主な点について、認定した理由を補足して説明する。

(一) 公取委の審査の状況について

前記1(一)の事実を含め、公取委による土曜会事件の一連の審査状況については、公取委の関係者らの証言〔<証拠略>〕及び供述調書〔<証拠略>〕によって十分認定することができる(これらの供述に沿うN証言の信用性については、後記三2(二)のとおりである。)。

以上の公取委の関係者らの供述は、土曜会事件の公取委による一連の審査状況についてそれぞれの立場での具体的体験を含み、全体的にも極めて具体的かつ詳細なものであるところ、その内容は相互によく符合するものであって、互いに補強しているほか、公取委が土曜会事件の審査の過程で獲得したPRチラシ等の留置物や、土曜会関係者らの供述によっても裏付けられ、さらに、公取委の審査の流れや最終的な審決の内容にも沿う自然なものである。また、以上の公取委の多くの関係者が、ことさらに虚偽の供述をする理由は考えられず、実際にも虚偽供述をしていると疑わせる形跡は見当たらない。これらの事情に照らせば、以上の公取委の関係者らの供述は、優に信用することができる。

(二) A建設の各社内会議の状況等について

(1) 七月一〇日の社内会議の状況

この会議に出席していたa13の作成したメモ〔<証拠略>〕には、「2.打合せ事項 (1)押収資料説明 a14所長とa15副所長から1件1件を内容につき説明 入手見込-見込と実際の入手との比較をする、他業者の希望。A分 他社の分で、影響のあると思われるものについて紹介 (2)Q&A想定集 曲げて言うことはできない。・自助努力は始めていた。→情状酌量」「業界の動き 日建連 je1-g 土工協は何故動かない(建にも報告ない) 同業‥弁護士同志の打合せを早急に a6先生から呼び掛け 建への資料提供?-提出 刑事告発の件」「3.その他 (1)Q&A、改革経緯等 一歩突込んで作成 (2)当面、少数の代理人で打合せ (3)解散後の業務整理」などの記載がある。

以上のメモの記載を基礎として、その会議に出席していた関東支店次長であったa16〔<証拠略>〕、同支店埼玉営業所長であったa14〔<証拠略>〕、同営業所副所長で土曜会会長であったa15〔<証拠略>〕の各供述調書を総合することにより、前記1(三)(1)記載のとおり、その会議においては、a15とa14が公取委に留置された資料の内容を説明したこと、a15がPRチラシの説明をした時に被告人甲野が怒ったこと、公取委の事情聴取に向けて想定問答集を作成することも検討されたこと、顧問弁護士が他社に呼びかけて弁護士同士の打合せを早急に行う意図であると紹介したほか、公取委が刑事告発を行うなど独禁法の運用強化を図ることを基本方針としていると説明したことなどの事実を認定することができる。以上の各供述調書は、メモの記載内容によく整合し、当時の公取委の審査や業界等の対応に照らしても自然なものであるところ、供述者らの立場に鑑みても、十分信用することができる。

(2) 七月二八日の社内会議の状況

この会議に出席していたa13の作成したメモ〔<証拠略>〕には、打合せ事項として、次のような記載がある。まず、「25(木)e1会長」で始まる手書きのメモには、「25(木)e1会長 26(金)伴局長」「資料照会‥はかばかしくない。・手帳 ・星取表 ・裏JV密約 ・札」「責任のなすり合い‥会社 土・建」「・社長の認識 課徴金免れない。 呼び出し 今月末or盆明け 刑事罰の可能性大 支店・本社に及ぶ可能性大」「日米構造協議のpressure」「建‥全力を挙げて対応する」「対応‥①各社がとられた資料の収集 弁ゴ士 ②業界の姿勢 独禁法遵守の恭順の姿勢を示す。 団体、規約の在り方の再チェック 改善 全国レベル(県単位)での独禁法勉強会の実施 公取委から講師を呼ぶ 社長が陣頭指揮を 拡大防止の為の手を打つ ・営業所・支店 関西が問題との指摘あり」「社長名で通達を出す。日建連 土工協-会長名で各社宛に法令遵守の通達を出しつつある」「合角も 協力施工方式 会計伝票check」「顧問弁護士 情報交換‥反対の業者あり」「☆行政・政治との係わり×」「k顧問への説明 事務系統の専門家との打ち合せ」「情報president室へ集中」などの記載がある。また、それを整理して浄書した「埼玉問題打合せ会記録」で始まるメモ〔<証拠略>〕には、「(1)概況説明(日建連、建設省の説明から) ①各社の対応は、事態の緊急性の割には、バラバラで、一部責任のなすり合いの状態も見受けられる。 ②各社社長の認識には甘さがあり、各社が押収された資料の提供状況もはかばかしくない。 ③押収された各社の資料の内容からすると、課徴金は免れられないことは確実と思われる。各社に対する事情聴取は早ければ今月末、あるいは盆明けから始まる。 ④日米構造協議の事情もあり、刑事訴追に至る可能性も大で、調査が支店・本店に及ぶ恐れも無しとしない。 ⑤建設省も全力を挙げて本件に対応する意向であるので、業界も業界全体の問題として一体となって協力してほしい。

(2)建設省から提案された業界の対応策 ①各社の顧問弁護士を通じて、押収された資料の写しを収集し、問題点を明らかにする。 ②業界は、独禁法遵守に向けての恭順の姿勢を示す。具体的には、{1}存在する各種団体およびそれらの規約の在り方等について再チェックを行い、所要の改善措置を講ずる。{2}全国レベルで独禁法関連の研修会を実施する。その際、講師は公取委から派遣してもらう。 ③各社の社長が陣頭にたって拡大防止のための手を打つ。」「(4)当社の対応 ①社長名で法令遵守の社内通達を出す。 ②事情聴取に備え、早急に事情説明(案)の整備を図る。 ③KダムのJV契約関係書類、JV会計伝票のチェックを行う。 ④顧客弁護士を含め、管理部系統の専門家との打合せを並行的に進める。 ⑤今後、全ての情報の収集窓口は社長秘書室とする。 ⑥確認された基本姿勢は、{1}行政・政治との係わりは回避する。{2}支店・本店への波及を抑える。」などの記載がある。

以上のメモの記載を基礎として、その会議に出席していたa2〔<証拠略>〕、a12〔<証拠略>〕、a10〔<証拠略>〕、a13〔<証拠略>〕の各供述調書を総合することにより、前記1(三)(2)記載のとおりの事実を認定することができる。これらの者の供述調書は、メモの記載内容ともよく整合し、内容も自然であって、十分信用することができる。これに対し、この会議に関するa13の証言〔<証拠略>〕は、不自然、不合理で曖昧な部分が多く、メモの記載内容ともそぐわないものであって、信用し難い(a13証言の信用性については、更に後記(3)・(4)・(5)、第四の三2(二)(3)参照)。

なお、被告人甲野の弁護人は、「行政・政治との係わりは回避する。」とのメモの記載につき、a13証言を引用して、独禁法違反事件の背景には業界のみでは解決できない入札契約制度等の様々な問題があるが、今回は業界自身の問題として対応しようという趣旨であると主張しているが、八月一九日の会議においても、受注予定者の決定には発発注者側の意向も加わっていることを意味すると解される「天の声のことは、weightをおいて話すとdemerit」との発言があったこと(後記(4)参照)、入札契約制度等の問題については、建設業刷新検討委員会においてもそれ以前から検討され〔<証拠略>〕、公共事業における入札・契約制度に関する懇談会が設置されて、その報告書も公表されていたほか〔<証拠略>〕、その後も、顧問弁護士らが公取委に提出しようと検討していた上申書案〔<証拠略>〕や、研究を依頼していた東海大学教授・弁護士臼井滋夫からの意見書〔<証拠略>〕でも触れられており、入札契約制度等の問題を回避することが基本姿勢であったとは考えられないことなどに照らすと、到底採用できず、右記載は、むしろ、行政官や政治家との係わりに調査が及ぶことを回避することを基本姿勢として確認したものと認められる。

また、同弁護人は、「支店・本店への波及を抑える。」とのメモの記載につき、a13証言を引用して、土曜会と同種の会が他にも残っていないかチェックする必要があるという趣旨であると主張しているが、この点に関連すると考えられる記載としては、手書きのメモの「支店・本社に及ぶ可能性大」と、整理したメモの「調査が支店・本店に及ぶ恐れも無しとしない」という部分であるが、後者の記載自体からも明らかであるように、支店・本店に波及するのは公取委の調査と認められるから、公取委の調査が埼玉営業所から支店・本店に波及するのを抑えることを基本姿勢として確認したものと認められる。

(3) 七月三一日の社内会議の状況

この会議に出席していたa13の作成したメモ〔<証拠略>〕には、「1.その後の状況 (1)業界打合せ ‥a11 7/29(月)F G H E A ①各社上級レベル心配している 業界一体となって取組むべき課題 事務レベルで対応すべき事項を検討することが目的 ②押収資料の確認 8/1 同一メンバーで各社(5社)の押収資料一覧の交換(注釈付き) 各社持ち帰った上で2nd Step」「(2)甲野v.p. ①業界全体としての姿勢を示す。 ・公取委Actionを弱い方へ向けることを基本方針とする e1会長に正面に立ってもらう↑L、乙川二郎(7/30) ・何社かの社長を帯同の上公取委へ恭順の姿勢を示す。 ・8/6に甲野v.p. がe1会長に面会」「(2)建 公取委内局付検事 協議会メンバーの中に検事あり。」「対象会社の絞り込み罰金‥約12社程度→新旧12社 法改正後でもあり、大きな金額となる 刑事罰の対象-書類が揃いすぎている 警視庁が一連の資料をもっていった」「◎Q&Aをどうするか。 a6弁護士のAssistantを必要とする。 →早急に依頼する」などの記載がある。

以上のメモの記載を基礎として、その会議に出席していたa13〔<証拠略>〕及びa17〔<証拠略>〕の供述調書を総合することにより、前記1(三)(3)記載のとおり、この会議においては、a11から、ゼネコン五社による打合せの報告があり、各社の上級レベルが心配しており、各社の押収資料の一覧表が交換されたなどと報告されたこと、被告人甲野は、前日(七月三〇日)の会合でLと被告人乙川からアドバイスされたことをふまえ、業界全体としての姿勢を示すため、日建連のe1会長に先頭に立ってもらい、公取委に対し恭順の姿勢を示すことによって、公取委のアクションを弱い方に向けることを基本方針とすることを説明し、八月六日にe1に会って、何社かの社長を帯同して公取委に行くよう依頼する予定であると話したこと、書類が揃いすぎており、刑事罰の対象となり得ることや、公取委の取調べに対する想定問答集をどうするかといった発言もなされたことが認められる。以上の各供述調書は、メモの記載内容によく整合し、当時の公取委の審査や業界等の対応に照らしても自然なものであるところ、供述者らの立場に鑑み、十分信用することができる。これに対し、a13〔<証拠略>〕及びa17〔<証拠略>〕の各証言は、不自然、不合理で曖昧な部分が多く、メモの記載内容ともそぐわないものであって、信用し難い。

なお、被告人甲野の弁護人は、メモに記載された「罰金」とは行政罰である課徴金の誤りであり、「刑事罰の対象」とは行政罰の対象の誤りであると主張している。確かに、「罰金」に関して「法改正後のことでもあり、大きな金額となる」との記載があるところ、右会議以前の独禁法の改正は課徴金の算定率の引上げを内容とするものであるから、「罰金」とは課徴金の誤りと考えられる。しかし、このメモを作成したa13は、先に七月二八日の会議においても「刑事罰の可能性大」とメモし、それを「刑事訴追に至る可能性も大」と言い換えて整理しているのであり(前記(2)参照)、刑事罰の意味を正確に理解していたと考えられるうえ、結果的には誤った情報であったと解されるものの、「警視庁が一連の資料をもっていった」との発言の記載が続いているのであるから、「刑事罰の対象」との記載は、文字どおり、刑事罰の対象となり得ることを心配した発言をメモしたものと認められる。

(4) 八月一九日の社内会議の状況

この会議に出席していたa13の作成したメモ〔<証拠略>〕には、「8/14 打合せ会 第1回 弁護士(5社) A、F、H、G、E」「8/20(Tue)第2回目開催予定」「協議内容 相互の意見交換に終始 A側提案 ①今後参集の是非 新旧役員会社(12社)を中心に代理人が随時会合を持つ ②次回の連絡会までに、土曜会の自浄努力を客観的動きとして整理、検討する(原案a6氏準備) ②代理人が共同して刑事告発回避に向け努力 ③課徴金の周期の確定(新法適用を認定してもらうための確認資料作成の検討) ④被差押え資料の相互情報交換と対応協議」「話題の要旨‥刑事告発回避を一義的とする (公取委ヤル気強い…確度の高い情報今のところ無し) 法務省、最高検察庁は今のところ強い関心を持っていないと考えられる ・事実を最初から認めてしまうのはいかがなものか? ・証拠品についてどのような弁解が可能か?」「天の声のことは、weightを置いて話すとdemerit」「8/22 e1会長、f、a2 公取委委員長の所へ行く」などの記載がある。

以上のメモの記載を基礎として、その会議に出席していたa13の供述調書〔<証拠略>〕を総合することにより、前記1(三)(4)記載のとおり、この会議においては、a6が、ゼネコン五社の顧問弁護士の会合について報告し、右会合は相互の意見交換に終始したが、土曜会の新旧役員会社を中心に随時会合を持ち、次回までに土曜会の自浄努力を客観的動きとして整理し、検討すること、代理人が共同して刑事告発回避に向け努力することなどが提案・協議されたこと、話題の要旨は、刑事告発の回避を第一の目的とすることであり、確度の高い情報は今のところないが、公取委のやる気は強く、法務省・最高検察庁は今のところ強い関心を持っていないと考えられることなどが報告されたこと、八月二二日に、e1、f、a2らが公取委委員長を訪れる予定であることも紹介されたことなどが認められる。なお、この会議に関するa13の証言〔<証拠略>〕は、不自然、不合理で曖昧な部分が多く、メモの記載内容ともそぐわないものであって、信用し難いのに対し、同人の供述調書〔<証拠略>〕は、メモの記載ともよく整合し、当時の状況に照らしても自然なものであるところ、同人の立場に鑑み、十分信用することができる。

この会議につき、被告人甲野の弁護人は、メモに記載された「公取委ヤル気強い…確度の高い情報今のところ無し」とは、公取委のやる気が強いなどという確度の高い情報は今のところないという趣旨であると主張している。しかし、弁護人の主張する趣旨であれば、「公取委のヤル気…確度の高い情報今のところ無し」とか「公取委ヤル気不明」と書けば足りうることであり、「ヤル気強い」などと記載するとは考え難いから、右記載は、確度の高い情報は今のところないが、公取委のやる気は強いという発言をメモしたものと認められる。このように、確度の高い情報を得たいと考えていたことは、とりもなおさず、公取委の意向について懸念すべき事態にあると考えていたことを示すものであり、この当時、一方では、検察庁の関心が薄いという望ましい情報もあったものの、公取委が告発に意欲的であるという懸念すべき情報もあったものと認められる。

(5) 想定問答集について

想定問答集〔<証拠略>〕に記載された原案の内容及びそれに対する朱の書込状況を検討すると、土曜会会員になるメリットに関し、「営業面での情報交換が得られる。」という回答案が抹消されていること、役員会の役割に関し、「特別JV組合せの仲介役」等の回答案が抹消されていること、出件予定表に関し、「業者名が記入されたものがありますが、各社から希望表明があったのですか」「そうではありません。日常の営業活動の中で推測し、作成したものであります。」と追加記載されていること、単独の場合における研究会に関し、「指名メンバーのみで自主調整を行っております。」「単独の場合でも情報交換で集ったこともありますよ。」などの回答案が抹消され、「行っておりません。」と追加記載されていること、指名を受けていない役員が調整に入っていたかという問いに関し、「知っている範囲の情報交換は行っていた。」という回答案が抹消され、「そのようなことは行っていません。」と記載されていること、入札金額の決定方法、裏JV、救済等に関する回答案がいずれも抹消されていることなどが認められる。

以上の記載内容を基礎として、原案を作成したa15〔<証拠略>〕と、それに手を加えたa13〔<証拠略>〕の供述調書を総合することにより、前記1(三)記載のとおり、a15が、土曜会では情報交換をしていたにすぎないとの内容を基本とする案を作成し、a13が、その内容の中で表現が誤っている部分や原案のとおりでは独禁法に抵触する可能性があると思われる部分に朱で書込みをし、その内容を改めたことが認められる。a15、a13の右各供述は、証拠物の記載内容によく整合し、当時の状況に照らしても自然なものであり、十分信用することができる。これに対し、a13は、「a15が作成した想定問答集について独禁法違反と認定されないようにするために改めたことはないし、そのような意図はなかった。」と証言しているが〔<証拠略>〕、想定問答集の朱の書込内容に反するものであり、到底信用できない。

(三) 被告人乙川の公取委関係者との接触状況について

前記1(七)の事実については、公取委の関係者らの証言〔<証拠略>〕によって十分認定することができる(これらの供述に沿うN証言の信用性については、後記三2(二)のとおりである。)。以上の公取委の関係者らの供述は、それぞれの立場での具体的体験を含む極めて具体的かつ詳細なものであるところ、その内容は相互によく符合しているほか、公取委の審査の流れや業界等の対応の経過にも沿う自然なものである。しかも、これらの者が虚偽供述をしていると疑わせる形跡は見当たらないから、以上の公取委の関係者らの供述は、優に信用することができる。

二  平成三年一一月上旬ころから平成四年一月一三日までの状況

1 認定できる事実

まず、平成三年一一月上旬のラップ事件の告発から平成四年一月一三日までの間につき、関係各証拠によって認められる公取委の審査の状況、A建設の対応、建設業界の対応、被告人両名の動き等は、以下のとおりである。

(一) 公取委の審査の状況

公取委は、平成三年一一月六日、ラップ事件に関して、業務用ラップ材の大手メーカー八社を刑事告発した。同日と翌七日、各日刊紙は、ラップ事件が刑事告発されたことや、公取委が独禁法の運用強化を図っていることについて、大きく報道した。

公取委は、同月一一日、土曜会会員会社六六社に対し、埼玉県内の公共土木工事の指名・入札・受注に関する社内決裁や行為者の特定等の詳細な事実関係について報告するようにとの命令を出した。そのころ、公取委は、土曜会事件に関する審査態勢を強化し、通常は三ないし六名の担当官を配置するところを約一五名に増員して配置した。

同月二〇日、関係者の事情聴取が一通り終わったことをふまえて、審査部の部課長会議が開かれた。そこでは、土曜会事件についての適用条項を独禁法三条とするか八条一項一号とするかが問題となり、最終的に三条が妥当との結論がで出た。また、「一定の取引分野」の認定については、会員会社のうち二社以上の指名が予想される埼玉県の発注する土木一式工事で、議会の承認を要する三億円以上の大型物件に限定することとした。その後も、公取委は、取調べ等を継続した。

このころには、行政処分である排除勧告書に記載すべき事項の骨格程度の入札談合の実態が解明された。すなわち、「土曜会会員らは、埼玉県及び同県内の市町村から土曜会会員を指名して発注される可能性のあるような公共工事物件で、自社が受注を希望するものについて、PRチラシを作成して土曜会に提出する。発注段階になって、その物件の受注希望者が会員中に二社以上ある場合には、指名された業者が全員集って点呼と呼ばれる会合を開き、話し合って受注予定者を一社に絞る。物件によっては、受注希望者だけで話し合って受注予定者を決めることもある。受注予定者の決定に当たっては、PRチラシの提出の有無・時期、記載内容の正確性、近隣の過去の受注実績を重要なポイントとして話し合い、最もポイントの高い会員を受注予定者とする。話合いで受注予定者が決まらない場合には、役員が間に入って調整をすることもある。入札に当たっては、受注予定者が入札予定価格等を事前に相指名業者に連絡する。受注予定者の決定をより容易にするため、必要に応じて役員の助言などを得て、受注予定者が受注した場合には、受注を希望しながら受注予定者になれなかった会員、あるいは、過去に県の発注物件を受注していない会員に対し、共同施工とか下請という形で工事を回して、いわゆる救済を行う。」というものである。

同年一二月二〇日、二七日と平成四年一月一三日の三日間にわたって、委員長、各委員、事務局長、審査部長、審査担当官房審議官、審査部付検事、審査長、監査室長等が出席した委員会懇談会が開かれた。その席で、認定し得る事実はどのようなことか、法律上どのような問題があるか、仮に告発することになれば今後どのような審査をしなければならないかなどについて審議するため、担当の第五審査長酒井享平が、中間審査報告として、事実関係、証拠関係、行政処分を行うための事件構成、告発に向けての問題点等を報告した。その際、委員から、いわゆる建設業ガイドラインで認められた範囲内の行為であるとの弁解が出ないかとの指摘がなされたのに対し、官房審議官関根芳郎は、独禁法違反を認める供述が多数得られており証拠上もそのような弁解は通じないと説明した。告発に向けての問題点の検討も行われ、適用条項は独禁法三条とし、「一定の取引分野」は埼玉県が土曜会会員二社以上を指名して発注する土木一式工事の分野とすることが確認された。この場で、Nは、「告発方針、告発基準に該当する事案であると考えられるので、告発に向けて一層証拠固めをし、法律的な問題点等も十分詰めて欲しい。」と指示した。この会議で告発に消極的な意見の者はいなかった。そこで、土曜会の談合の基本的なルールについて、より明確に証拠固めをすると同時に、ルールが有効に機能していることの裏付けとなる個々の物件の入札談合行為について詳しく解明する方向で審査を続けることになった。

なお、以上の事実を認定した理由については、後記2(一)参照。〔<証拠略>〕

(二) A建設の対応(被告人甲野の動きを含む)

平成三年一一月一一日、土曜会事件に関する社内会議が開かれた。a2はその会議に出席しているが、被告人甲野が出席したかは明らかでない。〔<証拠略>〕

公取委の報告命令に対し、A建設では、関東支店が中心に報告書の原案を作成した。〔<証拠略>〕

A建設の顧問弁護士は、同年一一月初めころから、F建設の顧問弁護士と土曜会事件に関する法律問題について意見交換を開始した。同年一二月中旬ころ、独禁法違反と刑事罰についての法律問題を一応まとめたものができあがり、これを上申書として公取委に提出しようということになった。そこで、E建設に対しても、上申書を共同して提出するよう要請した(なお、この件に関しA建設社内で報告用の文書が作成されたことについては、後記第四の三2(四)(1)参照)。他方、臼井教授にも研究を依頼していたところ、同月下旬ころ、同教授の「公共工事における入札談合と独禁法上の刑事制裁」と題する意見書がまとめられた。〔<証拠略>〕

同月上旬ころ、a15は、公取委の事情聴取に対し、土曜会において受注調整をしていたことを認める供述を始めた。平成四年一月七日と一三日に、顧問弁護士と法務部長らは、a15から、公取委による他社の事情聴取の状況を聴取した。〔<証拠略>〕

(三) 建設業界の対応

平成三年一一月一三日、都内のホテルで、ゼネコン五社の社長(a2、f、g、h1と、E建設は代理の常務e2)が、法務担当者を伴って集まり、土曜会事件の対応策を協議した(いわゆる第二回の社長会)。この会合では、ラップ事件告発の新聞報道の論調から、土曜会も刑事告発になるのだろうか、困ったなどという発言が出たが、土曜会事件に対する有効な具体策は出なかった。〔<証拠略>〕

ゼネコン各社の法務担当者会議は、ラップ事件告発の翌日である同月七日に開かれ、その後も、同年一二月二日・一〇日に開催された。また、顧問弁護士会議も、引き続き、月に約一回のペースで開かれた。〔<証拠略>〕

(四) 被告人両名の動き

被告人乙川は、平成三年一一月六日、公取委の総務担当官房審議官植松が訪ねてきて、ラップ事件について告発したことを報告した際、「埼玉土曜会の方はどうなるのかね。行政処分だけで終わるのか、それとも告発まで行くのかね。」と質問した。それに対する植松の答えは、事件が審査中なので分からないというものであった。〔<証拠略>〕

同年一二月二〇日、被告人甲野は、議員会館に被告人乙川を訪問し、暮の定期の政治献金一〇〇万円を手渡した。〔<証拠略>〕

平成四年一月一〇日、被告人甲野は、A建設関東支店経理部長a18に電話し、具体的使途を明確にすることなく、現金一〇〇〇万円を用意するよう指示し、a18が同支店の簿外資金の中から用意した一〇〇〇万円を受け取った。被告人甲野は、同月一三日、議員会館に被告人乙川を訪ね、一〇〇〇万円を手渡した。〔<証拠略>〕

(五) 新聞報道等

日本経済新聞は、平成三年一一月二六日の朝刊で土曜会事件に関して報告命令が出されたことを報道したほか、翌二七日の朝刊で、「埼玉公共事業談合疑惑 公取委の調査に建設業界困惑」「告発の可能性懸念 数の威力頼む甘い体質」という見出しで、公取委が大手ゼネコンにあてて回答を求めた報告命令が厳しい調査内容であったため、業界の楽観論を一掃させ、ラップの刑事告発に続いて建設業界でもその可能性が出てきたと業界では懸念しているなどという内容の記事を掲載した。〔<証拠略>〕

また、産経新聞は、平成四年一月三日の朝刊で、「談合で会社幹部ら聴取」「埼玉の公共工事六六社団体 入札調整の疑い 公取委」という見出しで、埼玉県内の公共工事をめぐり、大手から中小まで六六社にのぼる建設・土木会社で結成された業界団体が二〇年近くにわたって常習的に談合をしていた疑いが極めて強いことがわかり、公取委は詰めの調査を急いでおり、今後、公取委が検察当局に刑事告発するかどうかが焦点になってきたなどという内容の記事を掲載した。〔<証拠略>〕

2 事実認定についての補足説明

以上の事実には被告人らの争っている点も含まれているので、その主な点について、認定した理由を補足して説明する。

(一) 公取委の審査の状況について

前記1(一)の事実を含め、公取委による土曜会事件の一連の審査状況について、公取委の関係者らの証言によって十分認定できることについては、前記一2(一)記載のとおりである。

(二) 被告人乙川の動きについて

被告人乙川が、前記1(四)記載のとおり、平成三年一一月六日、公取委の植松に対して土曜会事件が告発されるのか質問した事実については、植松の証言〔<証拠略>〕によって認定することができる。この部分に関しては、植松証言を直接的に裏付ける証拠はないものの、同証言は、全体的には他の公取委関係者の供述調書又は証言に符合するものであり、公取委の審査の流れや当時の状況にも沿う自然なものであって、優に信用することができる(植松証言の信用性については、更に前記一2(三)参照)。

三  平成四年一月一三日以降の状況

1 認定できる事実

まず、平成四年一月一三日以降の状況として、関係各証拠によって認められる公取委の審査の状況、A建設及び建設業界の対応、被告人両名の動き等は、以下のとおりである。

(一) 公取委の審査の状況

平成四年一月下旬、公取委と高検との土曜会事件に関する非公式協議が行われ、公取委側は、先に行われた委員会懇談会の内容を報告し、法律問題について相談したところ、高検側から、告発対象は平成二年六月二〇日の告発方針公表後の合意をとらえ、競争制限的な合意の存在を具体的に立証する必要があり、それを裏付ける個別物件等の審査についても、告発方針公表後におけるものとする必要があると指摘された。

Nは、審査部長地頭所五男から、平成四年一月三一日ころ、高検との非公式協議の結果について報告を受け、審査の見通しは相当難しいと説明されたうえ、同年二月上旬、高検からの正式回答を受けたため、地頭所に対し、「検察当局の意見を踏まえ、平成二年六月以降の不当な取引制限の合意あるいはそれに基づく個別談合の証拠を集め、審査するように」と指示した。地頭所は、告発方針公表後の合意事実に重点を絞って審査をすべきであると判断し、関根、酒井にその旨を指示した。酒井の指示により、審査官らは、平成二年六月以降に行われた総会や役員会で基本ルールの合意があったかという観点から関係人を取り調べることにし、これまでにも行っていた埼玉県住宅都市部が発注した下水道幹線工事に関する事実関係、平成三年四月の土曜会総会に関する事実関係、平成二年七月一八日の土曜会役員会に関する事実関係などの事情聴取を更に続けることにした。

平成四年三月三一日ころ、審査部の部課長会議が開かれ、それまでの調査結果及び今後の対応策を検討したほか、行政処分との関連で補充すべき点はないかなどについても検討した。そこでは、引き続き告発に向けて努力しようということになったが、同年四月以降は、個々人の具体的行動を特定して犯罪を立証する証拠の収集が十分進まなかった。

同年四月二四日の委員会懇談会では、酒井が事実関係、証拠関係、行政処分や告発に関する問題点などを説明し、「告発方針、告発基準に該当する事案であるが、個々人の行為を特定して犯罪行為として構成するには証拠上今一歩のところである。土曜会役員会において、今後も談合は続けるがルールの一部を変更するとの合意がなされている。しかし、これが会員会社六六社にどのように伝わり全体の合意と認定できるかという点では証拠が十分でない。」などと報告したところ、委員からは、「これだけの証拠があって告発できないのは納得できない。」との意見が出た。Nは、「土曜会事件は告発すべき案件だ。何とか告発の手立てはないか。もう少し努力してほしい。三条違反が無理なら八条違反で構成できないか。役員会社九社に絞って告発できないか。高検の意見を聞いてほしい。」と指示した。

同年四月三〇日及び翌五月一日の両日、公取委と高検との協議が行われたが、高検の意見は、「個々人の行為を特定するのは証拠上難しい。刑事事件としては証拠不十分である。告発を役員会社に絞っても他の会員会社との合意を調べねばならず、実態は同じである。」というものであった。

同年五月八日及び一一日、委員会懇談会が開かれ、告発すべき案件と考えるが、個々人の行為の特定ができず、検察当局が証拠不十分と言うのであれば、告発断念もやむを得ないと判断し、告発見送りを事実上決定した。同月一四日の公取委委員会において、告発見送りを正式決定した。同月一五日、公取委は、不告発を公表するとともに、土曜会会員会社六六社に対し、独禁法三条違反を理由として排除勧告を行った。六六社がすべてその勧告に対する応諾書を提出したことから、公取委は、同年六月三日、排除勧告と同趣旨の審決をした。

右勧告審決で公取委が認定した事実の概要は次のとおりである。「埼玉県内に支店等の事業所を設けて建設業を営んでいた六六社は、相互の親睦と情報交換を図り、埼玉県及び同県内の市町村が発注する土木一式工事の受注活動の円滑化に資することを目的として、同工事に係る営業の責任者らで組織する土曜会を設けていた。六六社は、埼玉県が指名競争入札により発注する土木一式工事の受注価格の低落防止を図る等のため、①土曜会会員は、それらの工事のうち土曜会会員が複数指名されることが予想され、かつ、自社が受注を希望するものについて、あらかじめ工事ごとに、工事箇所、工事名、自社名、近隣の自社の工事実績等を記載したPRチラシを作成し、土曜会に提出する、②土曜会会員は、同県が土曜会会員を複数指名して指名競争入札により発注する土木一式工事については、あらかじめ、受注を希望する会員の中から、受注すべき者を決定する、③土曜会会員は、受注予定者の決定に際し、必要に応じ、指名を受けた会員により点呼もしくは研究会と称する会合を開催し、又は受注を希望する会員の間で会合を開催するなどして話合いを行う、④土曜会会員は、受注予定者の決定に当たっては、PRチラシの提出の有無、提出の時期及び記載内容の正確度、当該工事に関連する過去の工事実績等の要素を勘案する、⑤指名を受けた土曜会会員は、入札価格を相互に連絡することにより受注予定者を決定し、受注予定者が受注できるよう協力する旨の合意の下に、同県発注の特定土木工事について、あらかじめ、受注予定者を決定し、受注予定者が受注できるようにしていた。また、受注予定者の決定を容易にするため、受注を予定していた工事を受注した者は、必要に応じ、救済と称して、受注を希望していた受注予定者以外の会員又は一定期間の実績がない会員に、当該工事の一部を施工させていた。」

なお、以上の事実を認定した理由については、後記2(一)参照。〔<証拠略>〕

(二) A建設及び建設業界の対応

ゼネコン各社の顧問弁護士会議は、平成四年に入ってからも、月に約一回のペースで開かれた。また、E建設、F建設、A建設の顧問弁護士らは、引き続き公取委に提出する上申書について検討していたが、E建設が、談合を容認するような内容で問題があると考え、上申書の提出に同調しなかったため、同月二月初旬ころ、F建設の顧問弁護士が犯罪の成否に法律上の問題があるというそれまでの法律論よりも情状論に重きを置いた上申書を完成させ、E建設、G建設、H建設に上申書案を説明したところが、三社ともこれを断ったため、同年三月には、A建設も上申書を提出することを断念した。

同年二月二六日、A建設において、土曜会の件につき、a2も出席した打合せが行われた。

同年四月ころ、A建設では、土曜会事件が刑事告発された場合に備えて、報道機関に対する想定問答集を用意した。

〔<証拠略>〕

(三) 被告人乙川と公取委委員長Nとの接触状況

被告人乙川は、平成四年一月中旬か下旬ころ(同月一三日より後)、公取委にNを訪ね、土曜会事件の告発の見送りを強く申し入れた。すなわち、同被告人は、予め用件を伝えることなくNを訪ね、委員長室において、Nに対し、「土曜会事件の告発をやめてくれませんか。」と申し入れた。Nがその申し入れを拒絶するのに対し、同被告人は、「何とか告発をやめてくれませんか。」「なぜ公取の判断で告発をやめるということができないのか。」「どうしても駄目ですか。」などと繰り返した。これに対し、Nは、公取委が告発方針を公表して基準を作り、検察当局との間で告発問題協議会も設定しているように、検察当局とも協議して決める問題であるから、公取委だけの判断で告発をやめることはできないこと、脱税で国税の査察が入った事件について告発をやめるようにという申入れを受けても、国税庁長官がやめるというわけにはいかないのと同じであることなどを説明して、その申入れを拒絶した。両者の話合いは、押し問答のような形で、二、三十分続いたが、Nの対応が変わらなかったため、同被告人は、むっとしたような表情で、さっと席を立ち、委員長室から出ていった。〔<証拠略>〕

被告人乙川は、その数日後の同月中旬か下旬ころ(Nが昼に賀詞交換会に出席する予定になっていた日)、再び公取委にNを訪ね、前と同様に、土曜会事件の告発の見送りを強く申し入れた。すなわち、同被告人は、予め用件を伝えることなくNを訪ね、委員長室において、Nに対し、「埼玉の件について何とかなりませんか。」「検察、検察と言うけれど、どうして公取の判断でできないのですか。」「今後業界を刷新させるので、今度やったら告発されても仕方ないと思うけれども、今回だけはやめてくれませんか。」などと重ねて申し入れた。しかし、Nは、前回と同様、公取委が告発手順を公表し、公取委の告発権の行使が厳正で恣意的とならないようにしなければならない事件であること、検察当局との協議もあって公取委だけで判断できないことなどを理由に、その申入れを強く拒絶した。そのため、両者の話合いは、二、三十分続いたが、押し問答のような形で終始した。〔<証拠略>〕

Nは、同月三一日ころ、審査部長地頭所から、土曜会事件に関する高検との協議の結果の報告を受けて、土曜会事件を告発するのが証拠面で容易でないことを知り、同年二月上旬にも、地頭所から、高検の正式回答として同趣旨の意見が伝えられたと知って、土曜会の告発ができなくなるかも知れないとの危惧を強く抱くようになった。Nは、他方、自民党の一部の動きとして、土曜会事件の告発を見送れば独禁法の改正に協力するとの動きがあると知り、土曜会事件の告発と独禁法の改正の双方ができなくなるという最悪の事態を避けようと考えた。そこで、Nは、そのころ、議員会館に被告人乙川を訪ね、同被告人に対し、「独禁法の改正問題については、法務、検察も非常に関心を持っています。埼玉土曜会の問題については、私が検察の理解を求めて、告発を見送るようにします。」という趣旨の話をした。〔<証拠略>〕

なお、以上の事実を認定した理由については、後記2(二)参照。

(四) 被告人両名の動き

平成四年四月一四日、被告人甲野が議員会館に被告人乙川を訪ねた際、被告人乙川は、同甲野に対し、土曜会事件の告発はないようだと伝えた。同日夕方、NHKのニュースで、公取委が土曜会事件について行政処分を行う方針を固めたが、刑事告発は見送られる見通しとなった旨の報道がなされ、翌一五日には、新聞で同様の報道がなされた(以上の事実を認定した理由については、後記2(三)参照)。〔<証拠略>〕

なお、A建設から被告人乙川に対する定期の政治献金は、平成四年の盆の分から、被告人甲野の判断で、金額が二〇〇万円に引き上げられた。

〔<証拠略>〕

2 事実認定についての補足説明

以上の事実に被告人らの争っている点も含まれるので、その主な点について、認定した理由を補足して説明する。

(一) 公取委の審査の状況について

前記1(一)の事実を含め、公取委による土曜会事件の一連の審査状況について、公取委の関係者らの証言によって十分認定できることについては、以前一2(一)記載のとおりである。また、審査官らが平成四年二月以降も関係者の事情聴取を続けたと認められることについては、後記第四の三1(一)記載のとおりである。

(二) 被告人乙川とNとの接触状況について-N証言の信用性

Nは、前記1(三)記載のとおり、平成四年一月中旬から下旬にかけて二回にわたり被告人乙川から土曜会事件の告発の見送りを強く要請された旨証言している。この証言は、本件斡旋贈収賄の事実認定を左右する主要な情況証拠であるところ、被告人乙川はこのような要請をしたことを一貫して頑強に否定しているので、その証言の信用性については、慎重に吟味する必要がある。そこで検討するに、N証言のこの内容は極めて明確なものであって、認識や記憶の誤りによると疑うべき余地はなく、仮にそこに誤りがあるとすれば故意に虚構したとしか考えられないから、主として意図的な虚偽供述の疑いはないかという見地から、その信用性を判断すべきことになる。

(1) N証人の本件との関係、特に、利害関係の有無・程度について

ア 供述経過からの検討

本件の捜査は、被告人甲野が平成五年三月下旬ころ被告人乙川に対して盆と暮の定期の政治献金以外に一〇〇〇万円献金したと検察官に供述したことから開始されたものであるが、Nが被告人乙川から告発の見送りの働きかけを受けたということは、Nが話して初めて検察官が知ったことである。Nは、検察官にこの話をした時点では既に公取委委員長を退職し(平成四年九月退職)、公職からも退いていたのであり、捜査官に対してわざわざ虚偽の事実を述べることによって利益を得ようとしたとはおよそ考え難い。かえって、虚偽供述をすることによって捜査官のみでなく世間を撹乱させたということになれば、大蔵省主税局長、国税庁長官、公取委委員長といういわゆる名誉職まで勤め上げた者が社会的に失うべき利益は甚だ大きなものがあると容易に考えられる。なお、Nは、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたことについて、検察官に話すまでには公取委の関係者を含めて一切誰にも話していなかったと述べ、その理由として、公取委の委員や事務局関係者には土曜会事件に厳正に対処してもらうため、被告人乙川との対応はN一人の判断と責任で行ったことであり、誰にも知らせなかったと証言しているが、その理由はそれなりに合理性があるものと考えられる。

イ 供述内容からの検討

土曜会事件は、本件捜査の開始されるより前の平成四年六月に、刑事告発されることなく勧告審決によって終結していたものである(前記1(一)参照)。土曜会事件を告発できなかった理由として、Nら公取委関係者は、公取委としては、告発すべき重大かつ悪質な事件と考えて調査を進めていたものの、高検側から、告発すべき事実は告発方針の公表された平成二年六月以降の取引制限の合意であり、その点について個々人の行為を特定して立証するに足る証拠の収集を求められたが、公取委の調査に限界があり、証拠収集が十分でなかったため、告発を見送らざるを得なかったと証言している。土曜会事件が元々は告発可能な事件であったのに告発できなかったという場合には、告発すべきであったとする立場からの公取委に対する批判が予想され、逆に、元来告発は困難な事件であったのに調査を行い、結局は告発を見送ったという場合には、無駄に調査に着手し継続すべきではなかったとする立場からの公取委に対する批判が予想される。いずれの場合にも、公取委の関係者がそれらの批判を免れるために、前者では告発できなかったことについて、後者では調査を継続したことについて、それぞれ正当化するおそれがある。したがって、被告人乙川からの働きかけを受けたということが、それらの正当化と何らかのつながりのあるものであれば、虚偽供述の疑いを容れる余地があるといえよう。ところがNら公取委関係者の証言は、前記のとおり、高検側の要求に公取委側で応えられなかったためであるというように、公取委側の調査不十分または高検側の重い要求という被告人乙川とはおよそ無関係な事情を理由とするものであり、告発できなかったことあるいは調査に着手し継続したことの原因を、その一端でさえ同被告人に負わせようとしているものではないから、このような見地からも虚偽供述のおそれはないと考えられる。

この点を更に敷衍すると、Nは、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたことをもって、告発できなかった理由としようとしているものではないから、既に告発を見送り、勧告審決によって終了し、社会的にも解決されていた土曜会事件について、その一年以上も後になって同被告人から働きかけを受けていたことを供述する必要があったとは考え難いのである。しかも、仮に供述しなかったとしてもNの社会的立場に何ら影響することではないのであるから、働きかけを受けたこともないのに受けたと虚構しなければならない理由を想定することは全く困難である。

むしろ、Nは、公判廷では、被告人乙川から告発見送りの強い働きかけを受けたということに加えて、いわばそれと密接に関連する事項として、罰金引上げを内容とする独禁法改正案を成立させるため、告発が危ぶまれ始めた土曜会事件の告発問題を取引材料にしたこと、そこで、平成四年二月初め、被告人乙川に対し、独禁法の改正に協力してもらえば告発を見送るという趣旨のサインを送ったこと、そのことによって被告人乙川らを偽計に陥れたとの批判をも招きかねないことまで証言している(前記1(三)参照)。これは、既に述べたような立場にある証人自身の社会的評価を低下させるおそれの強い事項であり、そのようなおそれがあることを証人自身も十分認識している旨証言しているのであるから、殊更に事実を虚構してまで自己の社会的評価を低下させるおそれの強い事項を供述するとは到底考えられない。このように考えると、土曜会事件の告発問題を取引材料にしたということと密接に関連している被告人乙川からの告発見送りの働きかけについても、事実を虚構しているとは考え難い(土曜会事件の告発問題を取引材料にした旨のNの証言とその点の信用性については、更に後記第五の四1(二)・(三)参照)。

なお、Nが被告人乙川以外の政治家から働きかけを受けていたか否かは、当裁判所がその点の立証を許さなかったため、不明である。しかし、仮に、他の政治家からの働きかけを受けていたとしても、それによって同被告人から働きかけを受けたと虚構するおそれはないといえる。何故なら、Nとしては、前記のとおり、供述時までに何らかの批判をされたか、批判をされるおそれがあって、それを免れるために働きかけを受けたと供述するようになったわけではないから、そもそも働きかけを受けたことを供述する必要はなかったのであり、そうであれば、仮に他の政治家から働きかけを受けていたとしても、その人物とすり替える形で同被告人から働きかけを受けたと虚構するとは考えられないからである(以上のような理由のほか、N証言の信用性を肯定できることが、他の政治家からの働きかけについての弁護側の立証を許さなかった主な理由である。)。

ウ その他の弁護人らの主張について

被告人甲野の弁護人は、Nが、公取委の委員長の決定を待たずに独断で独禁法改正問題と土曜会事件の告発見送りとの政治的取引を企て、平成四年二月ころこれを実行して政治決着を図ったのであるが、今回の斡旋贈収賄事件の捜査が開始されたことから、他の委員に対する背信、ひいては独禁法三四条(委員会の議決方法に関する規定)違反の行動が明らかになって非難されることを慮り、できるだけこれを歪小化しようとして同年一月における被告人乙川との面談状況に関しては独禁法改正問題の話がなかったとしたうえ、やむを得ず政治的取引をせざるを得なかった旨の弁解に利用するため、被告人乙川から土曜会事件の告発見送りを強引に迫られたことの虚偽の供述をし、それを維持していると主張している。

この主張は、被告人乙川の供述する平成三年一二月ころの宮沢喜一総理、金丸信副総裁、N委員長、建設省等を当事者とする同時決着の主張とは異なり(この主張が採用できないことは後記第五記載のとおり)、むしろN証言(前記一(三)参照)を前提としたものと解されるところ、被告人乙川との面談の際に独禁法改正問題の話がなかったこと(それが不自然といえないことは後記(2)イ記載のとおり)が何故歪小化になるのか理解し難く、仮に独禁法の改正を実現させるために政治的取引をしたことを正当化するのであれば、むしろ、被告人乙川から独禁法改正問題の話をされて告発見送りを強引に迫られたと虚構するのではないかとさえ考えられるところである。

その点はともかくとして、Nが他の委員に対する背信等の非難を免れるために虚偽供述をしているとの主張について検討するに、Nが独自の判断で政治決着を図ったのであれば、本件捜査が開始されるまでにそのような疑いが指摘されたことはなかったのであるから、Nが供述しない限り明るみに出るとは考え難いところであるが(Nが被告人乙川ともう一人の政治家に告発見送りのサインを送ったことについては、現実にも、本件の捜査・公判を通じて、被告人乙川はそれを否定し、もう一人の政治家と考える余地のある金丸もそのような発言をした形跡はない。)、それにもかかわらず、Nは、本件の捜査・公判を通じてそのことを供述し、しかも、公取委の組織としてではなくN個人の判断と責任で行ったことであるなどとして、批判を甘受する態度を示しているのであるから(後記第五の四1(二)(1)参照)、他の委員に対する背信等の非難を免れるために虚偽供述をしていると疑う余地はない。特に、Nは、告発見送りのサインを送った理由として、自民党の一部に告発を見送れば独禁法の改正に協力するという動きがあるとの情報に接したことを指摘し、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けていたことを理由とするものではないから(前同参照)、政治的取引をしたことを正当化するために被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたと殊更に虚構しているとは考えられない。したがって、弁護人の右主張は採用できない。

なお、被告人乙川の弁護人も、Nが、金丸の政治的圧力による取引が明らかになったのではないかという不安から、多少の無理は承知で、土曜会事件の捜査状況と取引の動きの時期を実際より一か月ほど後にずらし、取引の内容も土曜会事件の告発の姿勢は変えないという片面的な取引にとどまったとすることにより、余りにも美しすぎる物語を仕立て、真実を隠そうとしたと主張している。しかし、この点についても、先に検討したのと同様、Nが政治的取引をしたこと(Nの供述するサインを送ったことであり、弁護人の主張する同時決着の合意ではない。)を供述して、批判を甘受する態度を示し、しかも、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けていたことをその直後の理由とするものではないから、取引の時期をずらしたり、あるいは内容を変えたりして虚偽供述をしたとは考えられない。したがって、この主張も採用できない。

また、被告人乙川の弁護人は、Nが同被告人に対して告発見送りのサインを送ったとの証言につき、たとえ業界に伝わることがないようにとの口止めをしていたとしても、同被告人が自分の政治的成果と誤解して業界に誇示する危険性が高いから、右証言は信用できないと主張している。Nがその点をどのように考えていたのか必ずしも明らかではないが、被告人乙川につき密かにサインを送っても大丈夫な政治家と判断していたことは明らかであるから、口止めしたことが守られると考えていたとしても、必ずしも不自然とはいえない。また、仮に、同被告人が口止めを守らなかったとしても、政治的に圧力を加えて告発を見送らせたというような、政治家自身の信用を損なうようなこと(これは、同時に、公取委の独立性を疑わせるようなことでもある。)は公言されないであろうから、被告人乙川が公取委に対して告発見送りを要請し、その結果告発が見送られたと業界に伝えられるにすぎず、しかも、土曜会事件が告発できなくなっても、公取委としては調査を尽くし、法律に従って公正に判断したことを十分説明できるのであるから、重大な危険はないと判断していたものと推測することも不可能ではない。したがって、Nが被告人乙川に告発見送りのサインを送ったことが不合理であるという弁護人の主張は理由がない。

(2) 証言内容について

ア 供述経過について

前記のような本件捜査の経過に照らすと、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたということは、Nが、捜査官から示唆されるようなこともなく、自発的に述べたものと認められる。また、Nのその後の供述は、基本的に一貫しているものとうかがわれ、変遷を疑わせる事情はない。

なお、平成四年五月一六日の読売新聞〔<証拠略>〕によれば、Nは、土曜会事件に関して排除勧告がなされた同月一五日の記者会見において、土曜会事件の告発が見送られることになったことに関し、「政治家の圧力はない。会ったこともない。」と答えた旨報じられている。この答えは、その記事の趣旨からも明らかなように、政治家の圧力によって告発を見送ったのではないかとの疑いを否定し、公取委自身が公正に判断したものであることを釈明したものであり、「会ったこともない。」という発言も、政治家の圧力によるものではないことを強調するためのものと考えられるが、N証言によっても、土曜会事件の告発見送りは、前記のように、公取委側の調査不十分又は高検側の重い要求によるとしているのであり、被告人乙川あるいは他の政治家による圧力を受けたためではないというのであるから、その間に矛盾はない。

また、参議院予算委員会会議録〔<証拠略>〕によれば、Nは、本件が起訴された後である平成六年六月三日の同委員会において、土曜会事件の告発を見送った理由について説明した後、かなり多くの政治家からの働きかけがあったのではないかとの質問に対し、この件については既に司法手続が開始されているので具体的な事実関係については発言を差し控えたいと述べたうえで、「ただ、これは一般論になって恐縮でございますけれども、例えば公正取引委員会の委員長が特定の国会議員に議員会館に呼びつけられるというんですか、そこで運用に注文をつけられたと、私は在任当時そういう事実は一切ございません。」と述べている。これも、政治家の圧力によって告発を見送ったのではないかとの疑いを否定し、公取委自身が公正に判断して決めていたことを強調した発言と解されるところ、N証言も、被告人乙川から議員会館に呼びつけられて要請を受けたというものではないから、右発言が、直ちに、被告人乙川が公取委の委員長室を訪ねてきて告発見送りを要請したという証言内容と矛盾するものではない。特に、Nは、この時点では既に検察官に対して被告人乙川から告発見送りの要請を受けたことを供述しており、そのことがいずれ法廷で明らかになることを示唆したうえで右のような発言をしているのであるから、公取委の公正さを強調するあまりやや不適切な点があったと解する余地はあるにせよ、それによって証言の信用性に疑いを生じさせるようなものとは考えられない。

イ 供述内容について

Nの供述内容を検討しても、特に不自然・不合理と考えられる点はない。むしろ、被告人乙川から二回にわたって告発見送りの強い働きかけを受けた際の同被告人とのやりとりについては、実際に経験した者でなければ供述することの難しいと思われるような具体性、迫真性が認められる。

この点につき、被告人乙川の弁護人は、Nの証言する被告人乙川の要請の態様が唐突で幼稚であり、それに対するNの対応も硬直したものであって、両者のやりとりは滑稽なまでに不自然であるとし、その理由として、当時の状況に照らし、罰金引上げ問題が全く話題にならず、政治的駆け引きの材料として用いられなかったのは不自然であるなどと主張している。確かに、公取委は、この当時、罰金額の引上げを内容とする独禁法の改正を企図し、事業者に対する罰金額の上限を数億円に引き上げることなどを内容とする刑事罰研究会の報告書を公表しようとしたところ、いわゆる与党審査の段階である自民党政務調査会独禁法調査会の審議で委員らの強い反発を招き、報告書の公表も延期せざるを得なくなり、その対応に苦慮していたことが認められる(後記第五の三3・4参照)。被告人乙川も、そのような状況にあることを背景として告発見送りの要請をしたものと考えられるが、同被告人独禁法調査会の会長代理であって、独禁法改正問題に関しても自民党内で発言力・影響力を持つことは、Nも熟知しており、Nが熟知していることを被告人乙川においても認識していたことは明らかであるから、両者間において罰金引上げ問題をあえて話題にする必要はなかったものと考えられる。また、そのような立場にあることを背景として要請する場合、そのような立場にあることを話せば、相手方に対し、要請を拒めば独禁法改正問題が不利になり得ることを示すことになり、不当な圧力を加えていることを明示することになるから、独立性が法的にも保障されている相手であれば、かえってその反発を招くことがないとはいえず、受け入れられる話であっても受け入れられなくなる可能性すら考えられる。しかも、仮に相手方がそのような圧力を加えたことを問題として公にした際には、政治家としての信用を損なうおそれもあるのであるから、そのような危険を考えれば、むしろ、両者とも認識している罰金引上げ問題を話題としなかったことの方が自然であるともいえる。もちろん、告発見送りを要請すること自体も問題として公にされることが考え得るが、その場合でも、罰金引上げ問題を話題にしていなければ、不当な圧力を加えたとの批判を受ける心配は少ないし、業者から請託を受け金員を供与されたために要請したことが相手方から明らかにされる危険はないのであるから、政治的信念に基づく要請として十分弁明できることと考えられる。このように考えると、罰金引上げ問題が話題にならなかったことが不自然であるとはいえないから、弁護人の主張は採用できない。

また、被告人甲野の弁護人は、土曜会事件に関する調査が完了するまでの段階においては、一切の陳情・要請に耳を貸さないというのは不自然であるから、被告人乙川の要請を拒絶したというN証言は信用できないと主張している。しかし、被告人乙川の要請がNの証言するような態様であれば、単なる陳情にどとまるものとはいえず、その要請を承っておきますとか、了解しましたなどと言ってすませるわけにはいかないような類の要請と考えられるのであるから、その場で拒絶したことが不自然とはいえない。したがって、弁護人の右主張も理由がない。

ウ 他の証拠との整合性について

N証言のうち、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたという点については、直接的にそれを裏付ける証拠はないものの、その前後の時期に関する証言を含むその余の証言の内容は、他の公取委の関係者、すなわち、当時の審査部長地頭所、審査担当官房審議官関根、事務局長柴田、総務担当官房審議官植松らの証言と基本的に符合するものであり、証言を全体的にみても、信用性を疑わせるような事情は認められない。

エ その他の弁護人らの主張について

まず、両被告人の弁護人らは、N証言について、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けた日時に関する証言が公取委からの照会回答書〔<証拠略>〕と矛盾すると主張している。弁護人らは、右回答書に記載されたNの面会予定がそのとおり実行され、そこに記載された以外の面会はないことを前提として立論するものであるが、右回答書は、そこに明記されているように、Nの被告人乙川との面会予定として、公取委に保管されている「委員長週間スケジュール表」に記録されていたことの回答であり、Nが現実にその予定どおり面会したかどうかまでは確認できず、また、それ以外の日時に面会したかどうかについても言及し得るものではないというのであるから、そもそも立論の前提を誤っているものといわざるを得ない。すなわち、平成四年一月中に被告人乙川が公取委にNを訪問して面会する予定として記録に残っているのは、一七日午前一〇時三〇分と二二日午後三時の二回であるところ、Nは、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたことは複数回あり、二回ははっきり記憶しているが、もう一回あったか否か明確でないこと、その時期は一月中旬から下旬にかけて(一三日より後で三一日より前)であり、二回目は一回目の数日後であったこと、二回ともNの方から面会を申し入れたものではなく、被告人乙川から面会を求められたものであること、一回目の面会の時刻については記憶がないこと、二回目のときは、昼休みに外で行われる賀詞交換会に出席する予定だったが、被告人乙川が直前になって面会を申し入れてきたため、同会に出席できなくなった記憶があること、捜査段階で検察官から平成四年一月当時のNの日程の抜書きか写しを見せられ、部分的には記憶が喚起されて、二回の面会の日時もおおよその見当は付けられたが、特定することはできなかったこと、一月中旬から下旬にかけて被告人乙川が公取委を訪ねてきたのは多分三回だったと思うことなどを証言している〔<証拠略>〕。右回答書の記載内容やNの証言等に照らすと、Nが捜査段階で検察官から見せられた日程の抜書き又は写しの原本は、右回答書の根拠になっている「委員長週間スケジュール表」そのものではないかと容易に推察されるところであるが、それはともかくとして、例えば、Nの証言する一回目が一月一七日午前一〇時三〇分又は二二日午後三時の面会であり、二回目が記録に残っていない面会と考えるなどすれば明らかであるとおり、Nの証言と右回答書の記載とは、矛盾するものではない。

なお、被告人乙川の弁護人は、Nが、平成三年中に被告人乙川が公取委の委員長室に訪ねてきて面談した回数について質問された際、あっても一回、あるいはなかったかもしれないと答えているところ、平成三年一二月一二日に被告人乙川が公取委委員長室でNと面談し〔<証拠略>〕、同月二六日にも同様の面会の予定があった〔<証拠略>〕のであるから、Nの証言は他の証拠と矛盾すると主張している。確かに、その点に関するNの証言内容が誤っている可能性はあるが、そのような事項について明確な記憶が残っていないとしても決して不合理とはいえないから、被告人乙川から告発見送りの働きかけを受けたとするN証言の根幹部分の信用性に影響するものとは到底考えられない。

また、推進機構の設立経過に関するN証言が建設省側の資料〔<証拠略>〕や当時の建設経済局長伴の証言と必ずしも矛盾するものではなく、一部相違する点についても不自然とはいえないことは、後記のとおりである(第六の三4参照)。

(3) 小括

以上のような理由により、平成四年一月中旬から下旬にかけて二回にわたり被告人乙川から土曜会事件の告発の見送りを強く要請されたというN証言は、十分信用することができる。

(三) 被告人両名の動きについて

被告人中村は、平成四年四月一四日に被告人甲野に告発はないようだと伝えた記憶はないと供述している。しかしながら、被告人甲野のこの点の供述は具体的であって、認識や記憶の間違いが介在するとは考えにくく、被告人甲野が、被告人乙川と土曜会事件の告発見送りとの関連を推認させ得る事実について、あえて虚偽の供述をする理由も考えられないから、右供述は信用することができる。

第四  請託及び賄賂性の存否について

被告人甲野が、平成四年一月一三日、議員会館の被告人乙川の事務所において、被告人乙川に対し現金一〇〇〇万円を交付したことについては、両被告人ともこれを認めている。その趣旨につき、検察官は、土曜会事件について公取委が告発すべきものと考えた場合であっても告発しないように働きかけてもらいたいという内容の請託の報酬であったと主張し、他方、被告人甲野は、建設業界が独禁法問題で多難な折から、被告人乙川が推進機構の設立を企画してそれが軌道に乗り、実現が近づいたと聞いたのを契機として、同被告人に政治家として大成してもらい、業界に対し今後とも末永くご指導いただきたいとの期待のもとに、それらに必要とされる費用に充ててもらうなど、政治活動の資金として建設業界から提供した政治献金であると主張し、また、被告人乙川も、ほぼ同様、建設業界の将来を展望した同被告人の姿勢と推進機構の設立に向けた同被告人の行動力とを評価し、将来にわたって建設業界に対する指導を依頼する趣旨で、被告人甲野が同業界を代表して提供した政治献金であると主張している。

本件においては、両被告人の間で一〇〇〇万円が授受されたことについては争いがないものの、不正の請託の存在及び一〇〇〇万円の賄賂性に関する直接的な証拠はない。そこで、請託及び賄賂性の存否については、これまで検討してきた諸々の間接事実を総合的に考察すべきことになる。

一  一〇〇〇万円の授受に関する客観的経緯について

1 被告人甲野が被告人乙川に対して一〇〇〇万円を交付した経緯は、既に検討したとおり(前記第三の二1(四))、被告人甲野が平成四年一月一〇日、A建設関東支店経理部長に対し、具体的使途を明確にすることなく一〇〇〇万円を用意するように命じ、簿外資金から準備された現金一〇〇〇万円を受け取ったのち、同月一三日、議員会館に被告人乙川を訪ね、右現金を同被告人に交付したものであるが、領収証を求めたことはないため、領収証は出されておらず、また、被告人乙川においても、政治資金規正法に従った処理はなされていない〔<証拠略>〕。

また、A建設は、既に検討したとおり(前記第二の一3)、平成二年から三年ころには、被告人乙川の主宰する政治団体「大喜の会」及び「喜成会」に対し、銀行振込の方法で年間合計一一〇万円の会費を支払っていた。そのほか、被告人甲野において毎年盆と暮にA建設からの定期献金を被告人乙川に届けていたが、その金額は、平成二年と三年の盆と暮にそれぞれ一〇〇万円、平成四年の盆と暮にはそれぞれ二〇〇万円であり、いずれの際にも、被告人乙川の政治団体名義の領収証を受け取っていた。以上の支払いについては、A建設側においても公表処理されていた〔<証拠略>〕。

2 以上の事実からも明らかなように、本件一〇〇〇万円は、以下の点において定期献金とは性質を異にするものである。

(一) A建設側においては、公表処理されていない。A建設本社ではなく、関東支店の資金から、それも簿外資金から出されており、領収証の要求もされていない。被告人乙川側においても、領収証は出されておらず、政治資金規正法に従った処理もなされていない。

(二) 定期献金とは異なる機会に、それをはるかに上回る金額が受け渡しされている。

3 以上のような事実は、それのみによって直ちに金員授受の違法性を推認させるとまではいえないものの、金員授受が正当なものではないと認定する方向に強く作用するものであることは明らかである。

この点につき、被告人乙川の弁護人は、A建設から他の国会議員に対してなされた政治献金の金額に比し、被告人乙川に対する政治献金や本件一〇〇〇万円はそれほど多額とはいえないなどと主張する。確かに、他の国会議員が被告人乙川より多額の政治献金をA建設から受け取っていることがうかがわれるが、そうであったとしても、被告人乙川が受け取った本件一〇〇〇万円とそれまでの定期の政治献金との対比に関する前記の評価に影響を及ぼすものとは考えられない。

二  一〇〇〇万円の趣旨に関する被告人両名の供述について

1 被告人甲野の供述について

(一) 業界からの政治献金との供述について

被告人甲野は、一〇〇〇万円が建設業界からの政治献金であり、他の大手ゼネコン数社と分担することを考えていたというが、実際には、他社に対し、事前にも事後にも話していない(B組副会長のbに事前に話したという点については、次に検討する。)。業界からの政治献金を一社が他社の明示の承諾なしに立て替えとおくということ自体異例であるし、事前にも事後にも業界全体の話題としたこともなければ、個別的に他社に話したこともなく、分担についても一切実行しなかったというのは、全く不自然・不合理である。被告人甲野も、その理由について質問されても返事に窮する旨自認しているところである〔<証拠略>〕。

この点につき、被告人甲野は、平成三年一二月の朝食会の後でbに対して被告人乙川に一〇〇〇万円の献金をすると話したと供述している。しかし、その朝食会には他の大手ゼネコンの業務担当役員らも出席していたのであるから、業界からの献金であるというのにその席で話題とすることなく、会の後で一人だけに話したというのは、極めて不自然である。また、bは、被告人甲野からそのような話をされた具体的記憶はなかったが、同被告人の弁護人から話を聞いてかすかに想い出したと証言しているところ、その供述内容・供述態度や、bの立場、被告人甲野との間柄等に照らすと、想い出したという証言部分の信用性には疑問があるが、仮に信用性が肯定できるとしても、b自身、他方では、その際にB組が分担するという話はなかったし、分担することを承諾したこともなく、その後は分担の話は全くなかったとも証言しているのであるから〔<証拠略>〕、bの証言によっても、他社との分担を考えていたという被告人甲野の供述が裏付けられたものとまで評価することは、困難である。

なお、被告人甲野の弁護人は、bの右証言につき、分担金を了承したことを認めれば共犯者としての刑事責任を問われるのをおそれて曖昧な証言をしたものであると主張している。しかし、bの供述内容・供述態度等に照らし、同人が被告人甲野の立場に配慮し、同被告人に不利にならないように証言していることは明らかであり、同被告人の主張に沿う証言をすることが自己の責任を問われることになるなどと懸念していたと疑う余地はないから、弁護人の主張は到底採用できない。

(二) 他の証拠との整合性について

被告人甲野は、平成三年一二月ころ、伴建設経済局長から、もう財団のことも固まってきたことや、被告人乙川が努力していることなどを聞いて、同被告人の話していた推進機構のことと思い、同被告人の行動力があると感銘を受けたなどと供述し、そのことが一〇〇〇万円の献金を考えた動機となっているように供述している。しかし、伴は、そのような時期に被告人甲野に対して推進機構に関する話をしたことはなかったと思うと証言している〔<証拠略>〕。伴が事実関係について虚偽供述をしているとは考え難いところ(伴証言の信用性については、他に第五の四3(二)参照)、伴の右証言は、推進機構の設立につき、公取委等の協力を得る必要のあることでもあり、外部に公表できる時期までは業界に対しても話せなかった〔<証拠略>〕、平成四年九月に業界の代表に話すまではなるべく外に知られないようにしていた〔<証拠略>〕などという供述を前提とする合理性のある供述であるから、被告人甲野の弁護人が主張するような印象が薄く記憶に止まらなかったための不正確な証言と疑う余地もない。したがって、被告人甲野の供述は、伴証言と抵触するものといわざるを得ない。

(三) 供述経過について

被告人甲野は、一〇〇〇万円の趣旨が推進機構に関連するものであることにつき、平成三年七月八日に被告人乙川から推進機構の構想について初めて話されたとき、そのことを他に口外しないように言われていたため、捜査段階のみでなく、公判の冒頭段階でも明らかにしなかったが、被告人乙川が第一回公判期日に推進機構のことを陳述したため、その翌日ようやく弁護人にも説明したと供述している。

しかしながら、被告人甲野の供述によれば、当初被告人乙川が推進機構のことについて口止めした理由は、財団設立の話が固まる前に外に漏れるとつぶれることがあるという点にあったというのであるが〔<証拠略>〕、推進機構は、後記のとおり(第六の二2)、平成四年一〇月二二日に設立が許可されて、その活動を始めており、平成三年七月ころの構想の段階とは全く異なる段階に至っていたのであるから、被告人乙川に一〇〇〇万円交付したことを初めて検察官に話したという平成五年三月下旬以降、平成六年七月の第一回公判期日まで、推進機構のことを話せないと考えていたというのは、あまりにも不自然である。

しかも、被告人甲野は、他方では、一〇〇〇万円の献金の分担について、推進機構ができた時点で分担金を決めようと思っていたが、その設立が遅れたために延び延びになり、推進機構ができてからは何となく言い出しにくくなってしまったと述べ〔<証拠略>〕、献金の分担を他社にも話そうと思っていたと供述しているところ、推進機構のことが被告人乙川の行動力を期待して献金する大きな動機になったというのであるから、その当時は業界の他社に対しては推進機構のことを説明しようと考えていたものと解さざるを得ない。そうであれば、他社に対して説明できなくなったという特段の事情がその後に生じた形跡もないのであるから、他社に説明して分担させようと思っていたということと、第一回公判期日の終了後まで弁護人に対してさえ推進機構のことを話せなかったということとは、相容れないように思われる。

さらに、被告人甲野は、この一〇〇〇万円が土曜会事件の告発見送りを公取委に働きかけてもらう趣旨で被告人乙川に供与されたとの重大な疑いをかけられ、逮捕・勾留されて、被告人乙川とともに起訴までされたのであるから、一〇〇〇万円の真実の趣旨が被告人甲野の供述するとおりであるとすれば、第一回公判期日で認否をするまでの段階で、検察官に対してはともかく、弁護人に対しても供述できなかったとは到底考えられない。なお、被告人甲野は、本件の容疑で逮捕される数日前に、弁護人から、平成六年四月号「財界展望」の「ゼネコン疑惑の中心『埼玉土曜会事件』直後に『謎の財団設立』」「『建設業適正取引推進機構』。談合を予防するための、もっともらしい名の財団が設立された背景には、小誌が再三指摘してきた建設省人脈と公正取引委員会の『野合』が存在したのか-。」という記事〔<証拠略>〕を見せられ、スキャンダラスな記事であると思い、推進機構に影響を与えるといけないと思って弁護人に話さなかったと供述しているが〔<証拠略>〕、そのような記事を見ていたとしても、その後起訴されて第一回公判期日に至るまで弁護人に話せなかったことの合理的説明とはならない。

したがって、以上のような被告人甲野の供述経過は、本件についての被告人乙川の弁解を第一回公判期日に初めて聞いて(被告人乙川は、捜査段階では本件に関する供述を拒否していたと述べている。)、それに歩調をあわせる意図で推進機構のことを供述するようになったとしか合理的に説明することは困難である。

(四) 以上のように、業界からの政治献金であるという被告人甲野の供述は、信用し難い。

2 被告人乙川の供述について

被告人乙川も、前記のように、一〇〇〇万円が業界からの政治献金であったと供述しているが、その供述は、同被告人がN委員長に告発見送りの要請をしたことはなく、告発見送りは政府内部で同時決着されたものであるとの供述と一体となって、一〇〇〇万円が土曜会事件の告発見送りを働きかけるためのものであったという検察官の主張を否定するものである。しかし、前記一において検討したことに加えて、同被告人がN委員長に告発見送りの要請をしたことはN証言によって認められること(N証言の信用性については、前記第三の三2(二)参照)、同時決着の主張は根拠がないこと(後記第五参照)などに照らすと、この供述も信用し難い。

3 小括

一〇〇〇万円を授受した当事者がその趣旨について十分弁解しながら、結局不合理な弁解しかできないことは、前記一3で述べたように、金員授受が正当なものでないと認定する方向に強く作用することにつき、それを妨げる事情はないということになる。

三  被告人甲野の動機について

被告人甲野は、検察官が主張しているように被告人乙川に対して告発見送りの働きかけを依頼したことはなく、その必要もなかったと主張し、その根拠として、同被告人は、平成四年一月一三日当時、土曜会事件については告発される可能性はないと認識していたと供述している。

犯行の動機については、本人が述べたからといって必ずしも真実とは限らないものの、本人が述べない限りは、真実を認定することに多大の困難を伴うものであるところ、一定の状況に置かれた人間にとっての合理的な行動が一つしかないわけではないから、仮に動機の存在が解明されても、そのことから直ちに唯一の行動を推認できるというものではない。このように、ある動機から推認できる力には限界があるから、本件において、仮に、被告人甲野が土曜会事件の告発回避を望んでいたとしても、そのことから直ちに公取委への告発見送りの働きかけを被告人乙川に依頼したと推認できるものではないが、望んでいたと認められるのであれば、少なくとも、そのように依頼したとしても不自然ではないという消極的な判断をすることが可能となるし、場合によっては、望んでいた程度やその他の事情と相まって、その方が合理的であると積極的に判断できることもあり得るわけである。もっとも、犯行の動機については、逆に、本人が積極的に犯行又はその結果を避けたいと望んでいる場合には、それを超えるような特段の事情がなければ、その者がその行動を行ったと推認することの妨げになるものであるから、そのような事情が存在しないかという点についても検討しなければならない。

以上のようなことを前提として本件各証拠を検討するに、まず、被告人甲野が土曜会事件の告発見送りを積極的に避けたい、換言すれば同事件を告発させたいと望んでいたような事情は存在しないから、同被告人が告発見送りの働きかけを依頼したと推認することの妨げとなる事情はない。そこで、以下で検討するようなA建設社内と業界の対応等を考えると、被告人甲野において、土曜会事件が告発されることはないなどと考えられる状況にはなく、逆に、告発されるおそれを土曜会の一般会員会社関係者より強く抱き、できるだけ告発を回避したいとの意欲を持っていたものと認められるから、告発見送りの働きかけを依頼したと考えたとしても不自然でないばかりか、被告人甲野の社内や業界内での立場や、被告人両名のその前後の行動などの他の事情を併せ考えると、むしろ、告発見送りの働きかけを依頼したと考える方が合理的であるといえる。

以下、その理由について詳述する。

1 告発の可能性についての公取委側の認識について

(一) まず、両被告人の弁護人らは、公取委側の事情として、平成四年一月一三日以前の段階で既に土曜会事件を告発できないものと認識していたと主張している。

しかし、公取委関係者らは、いずれも、平成三年一二月二〇日・二七日、翌四年一月一三日の委員会懇談会において、前記第三の二1(一)において認定したとおり、中間審査報告を受けて協議したところ、告発に消極的な意見の者はおらず、N委員長の「告発方針、告発基準に該当する事案であると考えられるので、告発に向けて一層証拠固めをし、法律的な問題点等も十分詰めて欲しい。」との指示に従って、証拠固めをすると同時に、談合のルールが有効に機能していることの裏付けとなる個々の物件の入札談合行為について詳しく解明する方向で審査を続けることになったと供述しているところ、それらの供述は、相互に符合しているばかりか、その後の客観的事実等によっても裏付けられており、信用性に疑いを抱かせるような事情は存在しない。

すなわち、その後の経緯を検討すると、公取委がその後も現実に多数の関係者の事情聴取等の審査を継続していたものと認められるから、告発できないことを認識していたとは考え難い。例えば、担当の審査長酒井が審査官らに対して平成二年一一月の下水道幹線工事における談合状況を関係者から聴取するように指示したことを示す平成四年二月五日と記載されたメモが存在するほか〔<証拠略>〕、酒井が審査官らに対して平成三年四月の土曜会総会での決定とその後の受注調整事例の聴取を指示したことを示す平成四年二月一三日付け「供述聴取項目の追加」と題する書面も存在する〔<証拠略>〕。また、関係者らの事情聴取を現実に行った審査官らは、それぞれが自己の担当した具体的な審査状況を供述しつつ、いずれも、平成四年二月から四月にかけて取調べを続けたと供述しているところ〔<証拠略>〕、土曜会会員側も、平成四年に入ってからも四月までの間に事情聴取を受けたとそれぞれの経験を供述しており〔<証拠略>〕、審査官らの供述を裏付けている。

確かに、公取委側では、平成四年一月下旬、東京高検との非公式協議において、高検側から、告発対象は平成二年六月二〇日の告発方針公表後の合意をとらえ、競争制限的な合意の存在を具体的に立証する必要があり、この合意に基づく個別の談合についての立証が必要であるなどと指摘されたため、委員長や幹部職員らにおいて、告発するのは相当難しいと判断していたことが認められる(前記第三の三1(一)参照)。しかし、この事情は、一〇〇〇万円の授受が行われた一月一三日より後に生じたことであるから、以上のような判断を左右するものではない。

この点につき、両被告人の弁護人らは、告発対象が告発方針公表後の合意に限られることや、刑事責任を問うためには個人の行為の特定が必要であることなどは、高検の指摘を待つまでもなく公取委側も理解していたはずであるから、当初の段階から告発を念頭に置いて調査しながら平成三年一二月末ころになっても個人の行為の特定ができず、高検から指摘されて衝撃を受けたというのは不自然であり、告発の意思を有していなかったことの現れといえるなどと主張している。しかし、公取委関係者らは、告発対象が告発方針公表後の合意に限られる点については理解していたものの、それ以前に形成された合意を告発方針公表後も再確認したり、方法を一部変更させたりしている場合は告発が可能なものと考えていたと証言しているところ〔<証拠略>〕、そのように考えていたとしても不合理とはいえない。また、個人の行為の特定について、会員が六六社と多数であるため、役員会における決定等が会員各社にどのように到達して合意として形成されたかなど、個人の行為を特定するまで調査することに時間を要したとの証言や、公取委の委員のうちに、その点の証拠は十分と考える者がいたとの証言も〔<証拠略>〕、不自然とはいえないから、公取委関係者らの供述の信用性を揺るがすものではない。

なお、両被告人の弁護人らは、公取委幹部の間において、平成三年一二月ころには告発を困難視する意見が支配的なものとなり、排除勧告案の作成に取りかかっていたなどと主張している。確かに、そのころの委員会懇談会において、Nが関根に対して排除勧告案の内容を詰めるように指示したことは認められるが〔<証拠略>〕、既に述べたように、その委員会懇談会で告発に消極的な意見の者はいなかったものと認められるから、右指示は、排除勧告と告発とが両立し、告発を先行させる運用となっていたところ、排除勧告を行うには違反行為の消滅後一年以内である必要があることから(独禁法七条二項参照)、告発後速やかに排除勧告できるよう準備することを指示したものと合理的に解することができる。したがって、弁護人らの主張は、理由がない。

(二) 被告人甲野の弁護人らは、土曜会事件が公取委の告発方針、告発基準に該当しないものであるとの疑いがあると主張している。

まず、告発方針が公表され、告発基準が策定された経緯は、次のとおりである。日米構造問題協議においては、独禁法及びその運用強化のための施策を推進することが掲げられたが、その具体的内容は、課徴金引上げの独禁法の改正と刑事罰の活用などであった〔<証拠略>〕。公取委は、平成二年六月二〇日、一定の取引分野における競争を実質的に制限する入札談合等の違反行為であって国民生活に広範な影響を及ぼすと考えられる悪質かつ重大な事案、違反を反復して行っている事業者等に係る違反行為のうち、公取委の行う行政処分によっては独禁法の目的が達成できないと考えられる事案について、積極的に告発を行うとする告発方針を公表した〔<証拠略>〕。その後、公取委は、同年一二月、告発権を適正に行使するための内部基準である告発基準を策定し、翌三年一月、検察当局との間で告発問題協議会を設置した〔<証拠略>〕。

ところで、公取委の関係者らは、いずれも、土曜会事件につき、日本の代表的な建設業者のほとんどが関与し、発注金額の大きなものを含む県や市町村の公共工事が談合の対象とされ、長期間継続していたため、国民生活に広範な影響を及ぼすと考えられる悪質かつ重大な事案に該当し、また、昭和六三年の米軍工事安全技術研究会(星友会)による米国海軍発注工事に関する入札談合事件〔<証拠略>〕や平成元年の海上埋立土砂建設協会(海土協)による関西国際空港建設に用いる砂利に関する価格協定事件〔<証拠略>〕に関与して行政処分を受けた会社が含まれていて、違反行為の反復性も認められたため、告発方針、告発基準に照らし告発すべき事件と考えていた旨証言している〔<証拠略>〕。土曜会事件が実際に独禁法に反するものであるか否かは、本件の審判の対象ではないから、当裁判所が適切に判断し得る事項ではないものの、公取委関係者らが以上のように判断していたことは、建設業界に関してそれまでに行われた行政処分の内容や、土曜会事件に関する審決の内容等に照らすと、十分合理性のあることと認められ、それに疑いを生じさせるような事情は見受けられない。

なお、この点につき、被告人甲野の弁護人は、A建設が米軍工事安全技術研究会の会員ではなく、その会員らと共同して受注予定者を決定したことはなかったこと、海土協による砂利の価格協定は関西国際空港建設という国家的プロジェクトを実現するためのやむを得ない手段であり、非難されるべき点はなかったことなどを理由として、違反行為の反復性を否定しているが、仮に弁護人の主張するとおりの事情が存在したとしても、A建設がその両事件で課徴金の納付を命じられたことに争いはないから、違反行為の反復性が認められたという公取委関係者らの供述が不自然であるとはいえない。

また、被告人甲野の弁護人は、土曜会の活動につき、昭和五九年二月に公取委が公表した「公共工事に係る建設業における事業者団体の諸活動に関する独占禁止法上の指針(いわゆる建設業ガイドライン)〔<証拠略>〕に反していなかったかのように主張している。本件において問題となるのは、土曜会の活動が現実に独禁法に違反していたか否かではなく、公取委が土曜会の活動をどのようにとらえていると被告人甲野らが考えていたかということであるが、土曜会におけるPRチラシの利用、入札価格の連絡、いわゆる救済等が建設業ガイドラインで是認されている受注計画等に関する情報の提供等にとどまらず、一定のルールを定めるなどの方法による受注予定者又は入札価格の決定に当たり、独禁法に違反すると判断したという公取委関係者らの供述に不自然な点はない。被告人甲野を含む業界関係者らも、公取委が独禁法に反するものと判断して立入調査、事情聴取、報告命令等を行って審査しているものと考えていたからこそ、日建連等の業界団体において独禁法遵守に関する通達等を発したり、大手ゼネコンの社長会・法務担当者会議・顧問弁護士会議や、A建設の社内会議において土曜会事件への対応を協議していたのであるから、土曜会の活動が建設業ガイドラインに反することなく、独禁法違反の疑いを招かないものと判断していたとは到底考えられない(なお、当裁判所は、告発基準の内容を明らかにするように求める弁護人らの公取委への照会請求を却下した。本件においては、既に検討したとおり、土曜会事件が告発基準に照らし告発すべき事件と考えたという公取委関係者らの供述は、同事件に関する公取委の審決の内容、告発方針の内容等に照らし、信用性に疑いを抱かせる事情がないから、公表すると抑止力を低下させることになるので公表しないとされている告発基準について照会する必要はないと判断したものである。)。

2 公取委による告発の可能性に関する被告人甲野の認識について

本件で問題となるのは、以上のような公取委の判断について、被告人甲野がどのような見通しを持っていたかということであるが、建設業界等の対応や、それを背景としたA建設の対応等に照らすと、公取委が告発しない又はできないという確定的な見通しを持っていたと考える余地はなく、告発される可能性があるとの見通しを持ち、告発されることを懸念していたことは、明らかである。以下、詳述する。

(一) 土曜会事件に対する客観的な対応状況等

(1) 建設業界等における対応

土曜会事件については、業界全体としてもその対応が協議された。業界全体の対応策としては、再発防止の側面に重点があり、独禁法遵守と社内体制の点検等を徹底させるため、日建連や土工協において会長通達を出すなどしているが、土曜会事件の処分についても懸念され、日建連会長ら業界団体の代表が公取委委員長を訪ね、陳謝の意思表明をし、寛大な措置を求めたものの、委員長からは非常に厳しい態度で厳正に処分すると述べられるにとどまったことが認められる(前記第三の一1(四))。また、ゼネコン五社の社長又は会長らが、法務担当者を伴って集まり、土曜会事件への対応を協議したほか、各社の法務担当者会議と顧問弁護士会議が設けられ、定期的に開催された(前同)。他方、被告人甲野を含む大手ゼネコンの土木担当役員らは、平成三年五月二八日に公取委による立入検査の情報を伝え聞いて、直ちにその対応について協議し、国会議員に相談しようと話し合い、その場で会合の日時場所を決めるなど、素早い対応を開始し、同月三一日C建設本社にLとMを招いたほか、同年七月三〇日にも都内のホテルにMと被告人乙川を招いて、土曜会事件への対応について指導を受けている(前記第三の一1(二))。

以上のように、土曜会事件は、大手ゼネコン各社が関与していたこともあって、建設業界全体の問題としても真剣は対応がなされていたことが認められる。特に、被告人甲野は土曜会事件が土木関係の事件であったため、A建設社内での対応の協議と並行して、他の大手ゼネコン土木担当役員らとともに国会議員らに接触するなど、幅広く対応していたことが認められる。

(2) A建設社内における対応

A建設においては、公取委による立入検査が行われた後、公取委によって押収された資料の内容の調査等が開始されたほか、土曜会事件について、会長あるいは社長の出席する社内会議が度々開かれ、その対応などが協議された。例えば、平成三年七月二八日の会議は、日曜日であるにもかかわらず、土曜会事件に関する問題を協議するため、会長、社長も出席して開かれており、土曜会事件への対応が重要事項であったことを如実に示している。しかも、その席上、課徴金を課されることは免れず、刑事訴追に至る可能性も大で、調査が支店・本店に及ぶおそれもあるなどという説明がなされ、各種の対応策を協議したほか、行政・政治との係わりを回避し、支店・本店への波及を抑えることがその後の基本姿勢として確認されている(前記第三の一1(三)(2))。また、同月三一日の会議では、被告人甲野自身が、前日に国会議員であるLと被告人乙川に指導されたことを受けて、日建連会長らに公取委へ恭順の姿勢を示してもらうことを考えており、公取委の処分を少しでも弱い方に向けるのを基本方針とする旨説明し(前同(三)(3))、同年八月一九日の会議では、各社顧問弁護士会議において刑事告発回避を第一の目的とするとの話合いがなされたことなどが報告されている(前同(三)(4))。その後、公取委によるa15の事情聴取が始まることから、同年九月二日にも、社長が出席した社内会議が開かれている(前同(三))。

以上のように、これらの社内会議においては、再発防止のための対応策が検討されたほか、土曜会事件の処分に関しても、公取委の処分が弱いものとなるように努力し、課徴金は免れないとしても、刑事告発を避けるように努力することが話し合われていたものである。そのころ、公取委の事情聴取に臨むため、想定問答集まで作成していたこと(前記第三の一1(三))や、同年八月一九日の会議で「事実を最初から認めてしまうのはいかがなものか?」との発言があったこと(前記第三の一2(二)(4))などは、社内の一部に、公取委の処分を弱いものとするため、土曜会における実際の活動内容を隠そうとする意図があったものとうかがわせるところであり(この点は、土曜会の役員会社の関係者から事情聴取を始めたころは、a15をはじめとして談合していたことを否認する者が多かったが、一般会員会社の関係者から事情聴取するようになって具体的に談合を認める者が出てきたという公取委関係者らの供述〔<証拠略>〕や、土曜会関係者らの供述〔<証拠略>〕とも合致している。)、これも、公取委が真実を把握すれば告発等の厳しい処分となる可能性があるという考えが背後に存在したことによるものと考えられる。

(3) 平成三年一一月のラップ事件告発後の対応状況

公取委によるラップ事件の告発後、A建設においては、同年一一月一一日に社長も出席して土曜会事件に関する会議が開かれたほか(被告人甲野が出席したかは明らかでない。前記第三の二1(二))、ゼネコン五社の社長及び法務担当者らが、同月一三日に第二回社長会を開き、土曜会事件の対応策を協議したが、ラップ事件告発の新聞報道の論調から、土曜会も刑事告発になるのだろうか、困ったなどという発言がなされ、土曜会事件に対する有効な具体策は出なかった(前同1(三))。また、A建設の顧問弁護士らは、独禁法違反と刑事罰についての法律問題をまとめた上申書を公取委に提出するための準備を進めた(前同1(二))。

以上のように、A建設を含む業界関係者らは、ラップ事件の告発後も土曜会事件の公取委の処分が軽いものとなるように対応策の協議を続けていたものである。なお、このころは、業界全体としても、A建設社内においても、立入検査直後のようには頻繁に会合等が開かれていないが、第二回社長会の様子からも明らかなように、具体的な対応策がなかったからにすぎず、公取委が告発しないとか、その処分が軽いものになるとの見通しがあったためではない(このことは、後記(二)(2)指摘の業界関係者らの供述からも認められる。)。

(二) 告発の可能性に関する業界関係者らの認識について

告発の可能性につき、業界関係者らは、以下に指摘するように、告発される可能性があると認識し、告発された場合に業界に及ぼす影響などを考えて心配していたことが認められる。

(1) 業界幹部らの証言

建設業界の幹部であったf(建設業刷新検討委員会委員長・F建設社長)は、土曜会事件の立入検査を受けた後の平成三年六月ころには、日建連の会合等においても、建設業界の度重なる不祥事で大変な事態になったという印象で、各社が非常に懸念していたこと、第一回社長会では危機感だけが議論されて、具体的な話にならなかったこと、以前に星友会事件、海土協事件等があったほか、土曜会が六六社という規模の団体であり、公取委の調査が厳しいことなどから、非常に緊張感を持って、刑事告発もあり得るだろうと感じたこと、課徴金でとどまらずに刑事告発されて相当数の会社が裁判になると、発注者側のいわゆる「天の声」の問題などが出てきて、業界の談合問題にとどまらなくなるという考えなどから、課徴金とは比較にならない危機感をもっていたことなどを証言し、〔<証拠略>〕、g(土工協会長・G建設社長)も、業界を代表してe1日建連会長らと公取委のN委員長にお詫びをした際、厳正な処分をするという話だったため、課徴金だけで終わるか刑事告発まで行くか分からなかったが、いずれにしても相当厳しい処罰があるのではないかと考えたこと、平成三年一一月に開かれた第二回社長会のときのこととして、刑事罰になると困るなという個人的な話があったこと、刑事罰まで課されると、指名停止、社会的信用の失墜につながるので、各社とも相当な損害が生じるものと推測したことなどを証言し〔<証拠略>〕、日本国土開発副社長後藤績も、ラップ事件が告発されて、土曜会事件も告発されるかもしれないという危機感を持ったと証言している〔<証拠略>〕。

これらの証言は、その者らの業界における立場や供述態度等に照らし、土曜会事件が告発されるか否かの見通しや、告発されることをおそれていた理由について、殊更に虚偽を述べているとの疑いを抱かせる余地はないところ、既に指摘したような当時の客観的な対応状況等にも裏付けられており、十分信用できる。

(2) 業界関係者らの供述

他の業界関係者らの多くは、A建設関係者も含め、捜査段階において、土曜会事件について告発されるのではないかとの危機感を抱いていたと供述している〔<証拠略>〕。これらはいずれも検察官に対する供述調書であり、捜査官の主観が反映しているものと考える余地があるものの、それらが供述者の立場を前提とした具体的な供述であることを考えると、危機感という表現が適切であるか否かはさておき、告発されるおそれがあると認識していたことは明白である。特に、次に指摘するような供述は、物的証拠に裏付けられ、あるいは、供述者自身の具体的行為を含むなど、高い信用性を認めることができる。

例えば、土工協専務理事柳晃は、平成三年九月二〇日に開かれた建設業刷新検討委員会の独禁法ガイドライン小委員会において、「今後、独禁法の刑事罰が活用され、運用が大変厳しいものとなるので、埼玉の問題など心配している。」との意見が委員から出されたと供述しているが〔<証拠略>〕、その旨記載された議事録に裏付けられたものであり、信用性に疑いはない。また、平成三年後半の状況につき、O組社長oは、平成三年暮ころ、当社も告発されるのではないかと思う反面、告発されたらその時点で対応を考えればよいと腹を決めたが、常務会や支店長会議において、管理本部長に、公取委が調査中で当社が告発されるかまだ分からないと報告させたなどと供述し〔<証拠略>〕、H建設社長h1は、ラップ事件が告発されたころ、A建設等の土曜会の中心数社位が告発されるのは間違いないだろうと考えたこと、平成三年一一月一三日の第二回社長会では、土曜会も刑事告発になるのだろうか、困ったななどとの発言が繰り返されるだけだったことなどを供述し〔<証拠略>〕、管区警察局長等の経歴を有するH建設専務h2は、平成三年七月一九日の第一回社長会では、fが「課徴金はやむを得ないとしても、刑事告発だけは何としても免れたい。」と発言したこと、平成四年一、二月ころ、F建設から、公取委に上申書を提出することに同調するか尋ねられたが、刑事告発を心配する土曜会事件の関係会社が公取委に情状等を伝える方法としては、上申書の提出くらいしかなかったことなどを供述し〔<証拠略>〕、さらに、G建設の代理人であった弁護士藤堂裕は、公取委による第二次立入検査後の顧問弁護士会議の席で、「再度立入調査をやるのは公取委が刑事告発を考えてのことでしょう。」と発言したところ、他の出席弁護士も同様の意見を述べていたこと、ラップ事件告発後の顧問弁護士会議の席では、出席弁護士から、「ラップがやられるなら、どこでもやられるよ。」というような発言があったことなどを供述しているが〔<証拠略>〕、これらの各供述は、供述者自身の行為や見聞した事実を具体的に述べるものであるうえ、大手ゼネコンの社長、警察庁幹部の経験を有する専務、弁護士等の立場での供述であることなどに照らし、信用することができる。

(3) その他の証拠

以上の認定に対し、当時はA建設総務部長であり、証言時には同社副社長であったa19は、当時は公取委の判断することで、告発されるかされないか分からないという趣旨でまな板の上の鯉の気持ちであったと証言しながらも〔<証拠略>〕、告発されるとは思っていなかったとも証言している〔<証拠略>〕。しかし、既に検討したような業界における客観的な対応状況や、告発の可能性に関する業界関係者らの供述等に照らし、告発される可能性を積極的に否定できるような状況になかったことは明らかであるから、告発されるとは思っていなかったというa19の証言は到底信用できない。

また、当時のA建設営業第二本部次長兼営業部長であったa13は、平成三年七月から八月にかけて行われたA建設の一連の社内会議や、公取委の第二次立入検査、報告命令を含む一連の審査の過程を通じて、告発に対する危機感はなかったなどと証言している〔<証拠略>〕。しかし、a13は、一連の社内会議で備忘のために自ら作成したメモの記載や、a15の作成した想定問答集に自ら手を加えた記載部分についても、それらの記載内容自体から明らかに認められることとはそぐわない不自然、不合理な証言をしている(前記第三の一2(二)(2)~(5)参照)。しかも、a13の証言は、既に検討したような建設業界やA建設の一連の対応状況とも整合しないものである。これらの事情に照らせば、a13証言は、メモや想定問答集の記載に合致する限度においては信用性が認められるものの、告発に対する危機感がなかったなどという部分については、信用できない。

(三) 新聞報道等について

(1) 前記のとおり(第三の二1(一)・(五))、平成三年一一月のラップ事件の告発から平成四年一月上旬までの間においても、公取委が独禁法の運用強化を図っており、土曜会事件についても告発の可能性があるという内容の新聞記事が掲載されている。すなわち、平成三年一一月六日と七日、各日刊紙は、ラップ事件が刑事告発されたことや、公取委が独禁法の運用強化を図っていることについて、大きく報道した。また、日本経済新聞は、同月二七日の朝刊で、公取委が大手ゼネコンにあてて回答を求めた報告命令が厳しい調査内容であったため、業界の楽観論を一掃させ、ラップの刑事告発に続いて建設業界でもその可能性が出てきたと業界では懸念しているなどという内容の記事を掲載した。さらに、産経新聞は、平成四年一月三日の朝刊で、埼玉県内の公共工事をめぐり、大手から中小まで六六社にのぼる建設・土木会社で結成された業界団体が二〇年近くにわたって常習的に談合をしていた疑いが極めて強いことがわかり、公取委は詰めの調査を急いでおり、今後、公取委が検察当局に刑事告発するかどうかが焦点になってきたなどという内容の記事を掲載した。

(2) 以上のような新聞報道は、前記のような業界関係者らの認識、すなわち、告発される可能性があると認識し、告発された場合に業界に及ぼす影響などを考えて心配していたことを裏付けるものである。

また、被告人甲野に関して考えても、同被告人がこれらの個々の記事を読んだか否か明らかでないとはいえ(日本経済新聞の記事については、そのころ同被告人が海外出張中であったために読んでいないことも考えられるが、産経新聞の記事については、同被告人も当時自宅で購入していたのであるから〔<証拠略>〕、読んでいた可能性が高い。)、新聞報道の大まかな論調が土曜会事件に関して告発の可能性を否定するものではなく、それを肯定するものであることについては、十分認識していたものと認められる。

すなわち、被告人甲野の土曜会事件の処分の見通しに関する認識は、他のA建設の役員クラスの者らの認識とさほど大きな違いがあったとは考え難いところ、仮に、被告人甲野や他の役員クラスの者らが土曜会事件について告発の可能性があると認識していたのであれば、同人らにとって望ましくないそれと同趣旨の新聞記事を話題にしないこともあり得ると考えられるものの、同人らが告発の可能性はないと認識していたのであれば(後記(四)で検討するように、そのようには認められないが)、その認識を否定するようなこれらの記事を契機として、新たな対応の要否等を協議するような行動に出ないとは考え難いところであるから、いずれの場合であっても、告発の可能性があるとする大まかな論調は認識していたものと優に推認できる。特に、A建設の広報室では、同社に関する記事等は切り抜いて役員らに回覧していたというのであるから〔<証拠略>〕、これらの記事の多くもその対象になっていたものと認められる。とりわけ、平成四年一月三日の産経新聞は、その記事において、「関係者によると、埼玉土曜会は投票で会長などを決め、入札などに関して『調整』。会長の大手A社が中心になって受注企業の振り分けをしていたといわれる。」「『調整』で主導権を握っていたA社に対し、大手B社が新たな親睦団体である第二土曜会をつくろうという動きもあったが実現しなかった、という。」などと書き〔<証拠略>〕、仮名とはいえA建設を特定した記載をしているのであるから、役員らに回覧されたものと認められる。

また、土曜会事件についての新聞報道については、その埼玉県版の内容などが、東京支店から逐次本店に報告され、被告人甲野にもその写しが送付されていたことが認められる。例えば、証拠上明らかなもののみでも、平成三年六月一三日の第五報として、同月一一日の埼玉新聞と朝日新聞の埼玉版が、同年八月二日の第一一報として、同日の埼玉新聞と朝日・読売・毎日各新聞の埼玉版が、同月二一日の第一二報として、同月二〇日の埼玉新聞と朝日・読売・毎日各新聞の埼玉版がそれぞれ送付されている〔<証拠略>〕。土曜会事件に関する地方版の新聞報道までその都度被告人甲野に届けられていたことは、同被告人が土曜会事件に関する新聞報道につき、少なくともその大まかな論調を十分認識していたことを強く裏付けるものである。

(四) 告発の可能性に関する被告人甲野の供述について

まず、被告人甲野は、平成二年六月の公取委の告発方針公表を受けて、独禁法違反として疑われるおそれのあることを理由に建設業者の団体である経営懇話会を解散させたことがあるほか〔<証拠略>〕、平成三年九月二六日に公取委の講師を招いてA建設社内で開かれた独禁法研修会に関する報告を受けたこともあり〔<証拠略>〕、告発方針の内容や公取委の独禁法運用強化の姿勢について十分認識していたものと認められる。そのような認識のある被告人甲野について考えるに、以上のような業界における客観的な対応状況や、告発の可能性に関する業界関係者らの供述に照らすと、告発の可能性がないと考えられるような状況になかったことは疑う余地がない。

ところが、被告人甲野は、公判廷において、公取委の処分がなるべく寛大なものとなることを期待していたことについては認めているところであるが、平成四年一月ころまでの間、土曜会事件が告発されるという不安を抱いたことはなかったと供述している。その根拠として、同被告人は、検察庁の幹部が土曜会事件を告発するには検事が一〇〇人以上必要であると言ったという話を伝え聞いたこと、平成三年九月から始まった公取委による土曜会事件の取調べにおいては、a15とその下の課長らが呼ばれただけで、埼玉営業所長や、関東支店、本社の者が事情聴取されることが全くなかったこと、同月二六日のA建設社内の独禁法研修会に公取委から講師が派遣されたこと、平成三年暮、Lから告発はないようだという話を聞いたこと、同じころ、A建設の顧問弁護士から、公取委の幹部が土曜会事件は価格カルテルではなく、業界は独禁法遵守の方策をもっとはっきり出しておいた方がよいと言っていたと伝え聞いたことなどを指摘している〔<証拠略>〕。

確かに、当時、A建設社内や業界等において、公取委の処分の見込みについていろいろな憶測が飛び交っていたものと認められる(例えば、前記第三の一1(三)(4)記載のとおり、平成三年八月ころには、公取委のやる気は強いが、法務省・検察庁は強い関心を持っていないというような情報もあった。)。しかし、多数の検事が必要になるという話は、事件の内容が告発に相当しないというものではなく、検察側の人的な捜査能力から困難だというものであるところ、当時、役員会社のみが告発されるという噂もあったのであるから(後記(2)参照)、直ちに会長会社であるA建設が告発されないということにはならないものと考えられる。また、被告人甲野のいう公取委幹部とは審査部長地頭所をいうものと考えられるところ、地頭所は、A建設等の代理人に対して、大手の業者一社でも、隗より始めよで、脱談合宣言をする者が出てきて欲しいと言ったが、明快な答えはなかったと証言し〔<証拠略>〕、地頭所の話を顧問弁護士から伝えられたというA建設法務部長a11も、地頭所が調査の内容や処分の見通しに答えず、建設業界が談合を続けるのではないかと正直言って疑っているなどと話していたと聞いた旨供述している〔<証拠略>〕のであるから、同被告人のいうように伝えられたのか疑問もあるが、仮にそのように伝えられていたとしても、告発の見通しに触れる話ではない。その余の根拠も、公取委自体に源を発するような確たる情報ではないか、同被告人の一面的は判断にすぎず、告発の不安を消失させることができたとはおよそ考え難い。しかも、既に検討したように、業界関係者らが告発のおそれがあると考えていたことは明らかであるうえ、先に指摘したようなA建設社内における対応に照らし、A建設関係者が他の業界関係者と基本的に異なる認識を有していたとは考え難いところ、以下に指摘するような当時の事情に徴すると、被告人甲野において告発されないと認識していたと考える余地はない。

(1) 平成四年一月上旬ころ作成された文書の存在について

平成四年一月ころには、既に検討したように(前記第三の二1(二))、A建設の顧問弁護士らが、独禁法違反と刑事罰についての法律問題をまとめた上申書を公取委に提出するための準備を進めていたところ、同月七日から間もないころ、A建設社内において、「埼玉事件に関し、公取委あて弁護士意見提出の件」と題する報告用の文書が作成されている〔<証拠略>〕。その文書には、一月七日にA建設、F建設、E建設の各弁護士と法務部長が会合を持ったこと、冒頭にF建設の弁護士から、意見書を一月二八日までに取りまとめるという予定であったが、公取委の動きが予想より早まっている由の情報があったので、年末に急遽取りまとめたとの説明があったこと、内容の詳細はおって各社及び各弁護士間で行うこととし、当日は主として提出の時期と提出者名をどうするか及び意見書提出の意義(狙い)について意見交換が行われたこと、提出するのであれば早い方がよいとの意見で一致したが、E建設が提出者に参画するかどうかは再検討して決めると言っていたこと、内容は実態をかなりフランクに前面に押し出した上で法律論を構成し、判例、学説を援用しているが、行政処分に異論を唱えているわけではなく、刑事処分になじまないことを主張しているだけであり、公判法廷ではもっと強くかつ具体的に論じられることになるから、あらかじめ言っておいてもさしたる問題はなく、提出先は本当は検察を念頭においているが、未だ告発されていない段階であるので、公取委に一旦出しておく以外にないことなどが話題となったことが報告内容として記載され、末尾には、意見書の要点をまとめたものが付記されている。

この文書は、非供述証拠として証拠調べされたものであるから、その内容として記載されたような会合の存在、会合における発言の存在などを直接的に認定することはもちろん許されず、その存否は不明であるが、その文書の外観・体裁、「a11用」と鉛筆で付記されて保管され、後に押収された事実などに照らすと、一月七日から間もないころ、以上のような記載のある報告用の文書が作成され、法務部長あたりから上司である役員らに提出されたものと認めることができる。このような「公取委の動きが予想より早まっている由の情報があったので、(意見書の案を)年末に急遽取りまとめたと説明があった」「提出先は本当は検察を念頭においているが、未だ告発されていない段階であるので、公取委に一旦出しておく以外にないことなどが話題となった」というような記載のある文書がA建設社内で作成されて役員らに報告されたという事実自体から判断しても、告発されないものと考えるような状況になかったことは明白である。副社長であった被告人甲野が他の役員らと全く反する認識を有していたとは考えられないから、同被告人がこの文書を見ていたか否かにかからわず、同被告人のいうような状況にはなかったものと優に認められる。

(2) その他の証拠

I建設工業副社長であったiは、平成四年に入ってから、土曜会の役員会社は告発の対象となるとの噂があり、顧問弁護士に公取委へ行ってもらい、同社が理事会社になったばかりであることを情状として考慮して欲しいと申し入れたところ、酒井審査官は「御趣旨は承っておきます。」と言っただけで、処分については一切言わなかったと弁護士から報告を受けたと供述している〔<証拠略>〕。この供述は、具体的な体験に基づくもので、信用性に疑いを抱かせる事情は存在しないところ、その時期が何時であったかは必ずしも明確でないものの、一月前半のことであれば当然の推論として、また、それより後であったとすればなおさらのこと、一月前半ころに土曜会の役員会社が告発されないと考えられるような状況になかったことを裏付けるものである。

なお、iの供述する噂のように、役員会社のみが告発されるのではないかという見通しを持つ者が少なくなかったことは、他の業界関係者らの供述〔<証拠略>〕からも認められるところ、A建設は、a15が土曜会の会長を務めていたのであるから、土曜会の一般会員会社に比しても大きな不安を抱いていたものとうかがわれる。

(五) 小括

以上のような当時の周辺の状況に照らすと、平成四年一月前半ころの被告人甲野の認識として、告発されることはないと考えられるような状況にはなく、逆に、告発されるおそれを抱いており、その程度は土曜会の一般会員会社関係者に比して強かったものと認められる。

3 告発に関する被告人甲野の意欲について

被告人甲野が、土曜会事件に対する公取委の処分が軽ければ軽いほどよいと思っていたことは、同被告人も自認しているところである〔<証拠略>〕。もちろん、そのことから、直ちに、同被告人が告発回避のために公取委に働きかけるよう被告人乙川に請託したと推認することができないことは、同被告人の弁護士の指摘するとおりであるが、同被告人の意欲の程度を検討することは、同被告人が請託したと認める方向に積極的に作用するか、あるいは逆にそれを妨げる事情となるかといった観点から、必要となる。

(一) 告発された場合の一般的な影響について

土曜会事件に対する公取委の処分が行政処分にとどまったとしても、課徴金の納付のほか、公共工事の指名停止、社会的信用の失墜等の影響が生じることは避けられないところであるが、告発されることになると、指名停止の期間が長くなるほか、担当者や会社自体が訴追され処罰を受けることによって社会的信用をより失墜させることになり得るから、工事の受注、営業利益への影響はより大きくなるものと考えられる。このことは、業界関係者が等しく指摘しているところであるが〔<証拠略>〕、さらに、社員個人が刑事処分を受ける場合につき、その社員を社内的に処分する必要が生じ、他の社員らの士気に影響すること〔<証拠略>〕、発注者側の「天の声」の問題が明るみに出るおそれがあること〔<証拠略>〕なども指摘されている。

これらの影響については、業界で何十年も活動し、大手ゼネコンの土木部門を統括する副社長であった被告人甲野においても、当然認識していたものと推認できる。この推認が相当であることは、同被告人が出席していた社内会議において、行政・政治との関わりを回避することなどが基本姿勢として確認され(前記第三の一1(三)(2))、天の声のことを強調して話すことは有害であるという趣旨の発言があったこと(前記第三の一2(二)(4))などによっても、確認することができる。

(二) A建設の受ける影響について

告発された場合の影響につき、A建設特有の事情として、a1会長が日本商工会議所の会頭を務めていたことを指摘する者もいる〔<証拠略>〕。告発された場合に会頭を辞すべきことになるか否かは別としても、会頭を務めている者の会社が土曜会の会長会社として談合に関与していたとされることにより、社会的な非難を招くおそれがあることは否定し難い。

ところで、平成三年一〇月号の「選択」には、「埼玉県下での(談合摘合)におびえているA建設」「a1会長のイメージがダウンし、最悪の場合は進退問題に及ぶ心配が出ている。」などと記載した記事が掲載されている〔<証拠略>〕ところ、この記事を被告人甲野が読んでいたことを示す直接的な証拠はない。仮に、被告人甲野が右記事の存在を認識していなかったとしても、前記(一)記載の事情のほか、同被告人がA建設における土木部門を統括する副社長であったことや、平成三年六月二七日の参議院決算委員会において、米軍工事安全技術研究会(星友会)事件に関して質問がなされ、伴局長が回答したことが、直ちに報告され〔<証拠略>〕、その後、右委員会において「談合という犯罪行為を行ったA建設のa1会長は日本商工会議所の会頭というトップの座に座っているが、これをどう思うか。」などと質問されたことを記載した同委員会会議録〔<証拠略>〕が入手され、A建設の副社長応接室に保管されていたことなどに照らすと、被告人甲野が土曜会事件との関連でa1会長が非難されることにならないか懸念していたという限度では優に認めることができる。

(三) 小括

以上のような事情に加えて、既に検討したA建設の一連の社内会議における発言や、被告人甲野の動きを併せ考慮すると、被告人甲野が、土曜会事件に対する公取委の処分ができるだけ穏便なものになればよいと思っていたにとどまらず、行政処分は免れ難いのであれば、できるだけ告発は回避したいとの意欲を持っていたものと認めることができる。

もちろん、既に述べたように(本三項冒頭)、被告人甲野がこのような意欲を持っていたからといって、それのみによって直ちに本件請託の存在を推認させるに足りるものではないが、次に検討する被告人乙川の公取委委員長Nへの働きかけの事実や前記一・二の各事実と相まって、請託の存在を認める方向に積極的に作用する事情になるものと考えられる。

四  被告人乙川の公取委委員長Nへの働きかけについて

1 働きかけの状況について

被告人乙川は、既に検討したとおり(前記第三の三1(三))、平成四年一月一三日より後である同月中旬から下旬にかけて、公取委委員長Nに対し、二回にわたり、土曜会事件の告発見送りを強く要請したものと認められる。すなわち、まず、一回目の要請の状況は、被告人乙川が公取委にNを訪ね、「土曜会事件の告発をやめてくれませんか。」と申し入れ、Nがそれを拒絶すると、「何とか告発をやめてくれませんか。」「なぜ公取の判断で告発をやめるということができないのか。」「どうしても駄目ですか。」などと繰り返し、両者の話合いが押し問答のような形で二、三十分続いたが、Nの対応が変わらなかったため、むっとしたような表情で、さっと席を立ち、委員長室から出ていったというものである。二回目の要請の状況は、その数日後に、被告人乙川が再び公取委にNを訪ね、「埼玉の件について何とかなりませんか。」「検察、検察と言うけれど、どうして公取の判断でできないのですか。」「今後業界を刷新させるので、今度やったら告発されても仕方ないと思うけれども、今回だけはやめてくれませんか。」などと重ねて申し入れ、Nがそれを強く拒絶したため、両者の話合いが二、三十分続いたが、押し問答のような形で終始したというものである。

2 被告人乙川の働きかけから推認できることについて

以上のように被告人乙川がNに対し二回にわたって土曜会事件の告発見送りを強く要請した時期は、同被告人が被告甲野から本件一〇〇〇万円を受け取ってから間もないころのことである。また、被告人乙川の働きかけは、要請の回数やそれぞれの面会の際の具体的な言動に照らし、土曜会事件の告発見送りを単刀直入に迫る執拗な働きかけであったと評価することができる。

ところで、被告人乙川は、平成三年一月、独禁法調査会会長代理に就任する直前のころ、公取委職員から独禁法に関する文献を受け取ったほか、同年三月一日及び八日ころ、自民党政務調査会の建設部会に設置された「建設業等に関する小委員会」(同被告人が委員長)において、公取委の矢部丈太郎(総務担当官房審議官)から、公取委の業務概要や独禁法違反行為に対する抑止力の強化についての取組みなどの説明を受け、また、同月中旬ころには、植松(官房総務課長)から、公取委の機構、委員会の構成と権限、委員長及び委員の任命と身分保障等について説明を受けている〔<証拠略>〕。被告人乙川の経歴等に照らすと、このような事情を指摘するまでもなく、同被告人は、公取委の委員長及び委員が職権を独立して適正に執行すべき職責が課せられていること、したがって、公取委が審査中の事件について、告発すべき事案か否かにかかわりなく告発しないように要請することが、公取委に対する不正な働きかけになることなどを十分に理解していたものと認められる。

それにもかかわらず、同被告人が前記のように二回にわたり、執拗に告発見送りを迫ったということは、そのような行動を起こさせる何らかの事情があったものと考えざるを得ない。特に、被告人乙川は、土曜会事件の処分の見通しについて、それまでにも、公取委関係者らに対し、何度か質問している。すなわち、同被告人は、平成三年六月七日ころ柴田(審査部長)に対し、また、同年七月一二日ころ柴田(事務局長)及び植松(総務担当官房審議官)に対し、それぞれ、土曜会の件がどうなるのか、告発になるのかなどと尋ねたほか(前記第三の一1(七))、同年一一月六日にも、植松に対し、土曜会の件が行政処分だけで終わるのか、告発まで行くのか質問している(前記第三の二1(四))。しかし、これらの質問は、直接的には何ら同被告人の要望を明らかにするものでもなく、しかも、ごくあっさりした態様であり、相手の立場が異なるとはいえ、Nへの働きかけのような執拗な圧力は全く感じさせないものである。したがって、Nへの働きかけの前に何らかの事情があったために、それまでとは異なる態様で公取委側に接触したものと考えざるを得ないところ、既に検討したような諸事情に照らすと、その直前に交付された本件一〇〇〇万円がそれに該当するものと認められる。

この点につき、被告人甲野の弁護人は、Nに対する被告人乙川の働きかけは、同被告人による独断の行動である疑いがあると主張している。しかし、既に指摘したとおり、被告人乙川のそれまでの公取委関係者らへの質問の態様と大きく異なること、Nから一度拒絶されながら再度要請していることなどを考えると、同被告人が政治的な信念に基づき、建設業界全体のことを慮って、独自の判断で告発見送りを要請したにすぎないなどと考える余地はない。また、前記のように(一3及び二3参照)、当事者がその趣旨について十分弁解しながら、結局不合理な弁解しかできないために、正当な金員の授受ではないと認定する方向に強く作用することは、二度にわたる要請の直前に交付された一〇〇〇万円がその要請の報酬であると強く推認させるものといえる。したがって、被告人乙川による独断行動という弁護人の主張は採用できない。

3 小括

以上のように、被告人乙川が、前述のような態様でNに対して土曜会事件の告発見送りを要請することが不正な行為であることを十分認識していたにもかかわらず、わざわざそれのみを目的として、二回にわたりNと面会し、単刀直入かつ執拗に土曜会事件の告発見送りを要請したという事実は、その直前に、土曜会事件が告発されないことを期待する立場にあった被告人甲野から、定期の政治献金とは別に、それと比べて多額である一〇〇〇万円を受け取ったことによるものと優に推認することができる。

したがって、被告人甲野は、被告人乙川に対し、公取委における土曜会事件の審査に関する職務を適正に行うべき職責を有する公取委委員長に対して、公取委が告発しないように働きかけてもらいたい旨の斡旋方の請託をし、その報酬として本件一〇〇〇万円を手渡し、被告人乙川においても、その請託を承諾して、その働きかけの報酬として一〇〇〇万円を受け取ったものと認めることができる。

五  その後の事情について

以上のような認定に整合する本件一〇〇〇万円授受後のその他の事実として、更に、既に認定した(前記第三の三1(四))以下の各事実を指摘することができる。これらの事実も、以上の認定を補強し、裏付ける役割を果たすものである。

1 被告人乙川が同甲野に対し告発見送りの見通しを伝えたことについて

被告人乙川は、平成四年四月一四日、訪問してきた被告人甲野に対し、土曜会事件の告発はないようだと伝えた(公取委が土曜会事件について刑事告発を見送る見通しとなった旨の報道は、同日夕方にテレビニュースで、翌日に新聞で行われた。)。このように被告人乙川が、マスコミによる報道のなされる前に、公取委による処分の見通しという重要な情報を被告人甲野に伝えたことは、被告人乙川が同甲野から本件請託を受けて一〇〇〇万円を収受した事実とよく整合するものである。

この点につき、両被告人の弁護人らは、いずれも、一月一三日の請託から四月一四日まで、被告人乙川が何も被告人甲野に伝えなかったのは不自然であり、請託の存在を疑わせると主張している。しかし、被告人乙川からすれば、当初はNに告発見送りの要請を拒否され、請託の趣旨を達成できなかったのであるから、その状況で被告人甲野に何も伝えなかったのはむしろ当然であり、その後、Nから独禁法の改正に協力してもらえれば告発を見送るというサインを送られたものの(前記第三の三1(三))、自己の功績であるとして告発見送りの見通しを伝えるには、その見通しが確実なものとなる必要があるから(伝えた見通しが誤ったものであれば、信用を失うことになろう。)、独禁法改正の目途がつくまで伝えなかったとしても不自然とはいえないところ、自民党の政務調査会の独禁法調査会等で罰金を一億円に引き上げる改正の趣旨が了承されたのは三月一二日、その旨の改正法案が了承されたのが同月二四日であるから(後記第五の三12)、四月一四日に伝えるまで不自然なほど長期間であったとはいえない。また、被告人乙川の立場から、告発見送りとなったことを自己の功績として示す効果について考えても、必ずしも早く伝えなければ効果が消失するというわけではなく、公表直前に伝えることによっても十分その効果を得ることができる。さらに、Nが被告人乙川に対してサインを送った際、業界に伝わることがないように口止めしたと述べていること〔<証拠略>〕から判断すると、同被告人において、告発見送りの見通しを業界関係者らに話して公になれば、同被告人の話したことがNに伝わって、自己の信用を損なう可能性があると考え、公表直前まで話さなかったとしても、不自然とはいえない。

2 その後の定期の政治献金の増額について

A建設から被告人乙川に対する定期の政治献金は、平成四年盆の分から、被告人甲野の判断で、それまでの一〇〇万円から二〇〇万円に増額されている。

この事実も、前述の請託が存在し、その後、土曜会事件の告発が見送られたことに照らすと、被告人甲野の同乙川に対する評価が上がったことによるものと考えられるから、極めて自然な流れであるといえる。

六  その余の事実に関する検討について

以上のように認定することに対しては、両被告人の弁護人らから、それが不自然・不合理であるなどとして、多岐にわたる主張がされている(それらのうちの主な主張については、既に検討したとおりであり、また、同時決着の主張については後記第五、推進機構の主張については後記第六において検討する。)。ここでは、弁護人らの主張を踏まえ、証拠によって認められるその余の事実との整合性の有無等について検討する。

1 被告人乙川の動機と本件以前の行動について

被告人甲野の動機について検討したのと同様の観点からの検討は、被告人乙川についても必要であるが、関係各証拠を検討しても、同被告人が告発見送りを積極的に避けたいと望んでいたような事情は全く存在しない。むしろ、同被告人は、それまでにも、公取委の処分が軽くなるのを望んでいた業界関係者らの意向に沿って、土曜会事件の処分の見通しを公取委関係者に尋ねたり、業界の代表者らが公取委委員長に恭順の意を表する機会を設けるように求めたりしたことが認められる。すなわち、被告人乙川は、平成三年六月七日ころ、公取委の柴田らから告発方針と告発問題協議会についての説明を受けた後、土曜会事件の告発の見通しについて質問しているところ(前記第三の一1(七))、同被告人は、Lを通じて五月三一日のC建設での会合への参加を求められたものの、海外旅行の予定が入っていて欠席していたため、帰国後、建設業界の者らが懸念している土曜会事件の処分について公取委関係者から何らかの情報を得ておこうと考えて質問したものと容易に理解できる。したがって、この話は、何らかの機会に業界関係者に伝えられたものと推認される。また、被告人乙川は、同年七月一二日ころ、公取委の柴田及び植松に対し、土曜会事件の見通しについて尋ねたが、まだ見通しが立たないといわれているところ(前同)、同被告人は、同月八日に被告人甲野から定期の政治献金を受け取った際、同月三〇日の会合への出席を求められたため、その会合において話し合われる土曜会事件の処分の見通しについて、公取委関係者から何らかの情報を得ておこうと考えて質問したものと解される。したがって、この話も、七月三〇日の会合において、被告人甲野又は他の業界関係者に伝えられたものと推認される。さらに、被告人乙川は、建設業界の代表が公取委に謝罪して恭順の意を表明することを示唆し、公取委職員に直接、あるいは建設省幹部を通じて、業界の幹部が公取委委員長に会えるように日程調整するよう依頼しているが(前同)、これも、被告人甲野ら建設業界の関係者らの意向に沿った行動と考えられる。

このように、被告人乙川は、本件以前から公取委の処分が軽くなるのを望んでいた業界関係者らの意向に沿った行動をしていたのであるから、そのことと、先に述べたように、A建設副社長である被告人甲野からの依頼に基づいて公取委委員長に対して告発の見送りを迫ったこととは、平仄が一致するものであり、整合性に欠けるところはない。

2 被告人甲野が同乙川に働きかけを依頼したことについて

被告人甲野は、A建設からの盆と暮の定期の政治献金を被告人乙川に届けるなどして、同被告人と定期的に接していた(前記第二の一3)。被告人甲野は、以前から、被告人乙川が建設業界に理解があり、行動力を有する議員であると評価していたところ、平成三年五月の第一次立入検査直後から、土曜会事件の対応について指導を受ける国会議員の一人として被告人乙川を念頭に置いていた(前記第三の一1(二))。同月三一日にC建設で行われた国会議員との会合に被告人乙川が出席できなかったことから、被告人甲野は、同年七月八日、被告人乙川に盆の政治献金を手渡した際、同被告人の出席を求めて次の会合の日程調整を行った(前記第三の一1(六))。同月三〇日には、被告人乙川らを招いて土曜会事件の対応等についてアドバイスを求め、公取委の処分が軽いものとなるよう建設業界幹部が公取委に謝罪に行くことなどのアドバイスを受けた(前記第三の一1(三)(3)参照)。その後、被告人甲野は、第二次立入検査の三日後である同年一〇月一八日、a13を伴って被告人乙川を訪ね、資料を用いて第二次立入検査の状況等を報告した(前記第三の一1(六))。

以上のように、被告人甲野にとって、被告人乙川は、土曜会事件の対応等について指導を受けることができる存在であったと認められるから、被告人甲野が同乙川に対して告発見送りの働きかけを依頼したと認定することとよく整合する。

なお、被告人乙川が独禁法調査会の会長代理であることにつき、被告人甲野がそれを知っていたという証拠はない。しかし、被告人乙川が公取委の関係者らと接する機会があること程度の知識は持っていたものと認められる。なぜなら、被告人乙川は、前記1記載のとおり、平成三年七月八日に被告人甲野から土曜会事件の対応等について話し合う会合への出席を求められた後、同月一二日ころ公取委の柴田らに土曜会事件の処分の見通しを尋ねたのであるから、そのことは同月三〇日の会合において当然伝えられたものと推認できるほか、被告人甲野自身、被告人乙川が公取委の職員と食事をしたりして金を使っていると聞いていたと供述している〔<証拠略>〕からである。したがって、被告人甲野が同乙川に対して公取委委員長への告発見送りの働きかけを依頼したと認定しても、不自然な点はない。

七  結論

1 以上検討してきた諸事情を総合的に考察し、加えて、後に述べる同時決着と推進機構に関する被告人らの供述が信用できないことを併せ考えると、平成四年一月一三日の本件一〇〇〇万円の授受の際、被告人甲野は、被告人乙川に対し、公取委における土曜会事件の審査に関する職務を適正に行うべき職責を有する公取委委員長に対して、公取委が告発しないように働きかけてもらいたい旨の斡旋方の請託をし、その報酬として本件一〇〇〇万円を手渡し、被告人乙川においても、その請託を承諾して、その働きかけの報酬として一〇〇〇万円を受け取ったものと認めることができる。

2 この点につき、検察官は、被告人甲野の請託と被告人乙川の承諾が、平成四年一月一三日のみでなく、それ以前の平成三年七月八日ころ、同月三〇日ころ、同年一〇月一八日ころ、同年一二月二〇日ころにも存在したと主張しているが、それを認めるに足りる証拠はない。既に検討したとおり、平成四年一月一三日に被告人甲野が同乙川に告発見送りの働きかけの斡旋方を請託し、被告人乙川がそれを承諾し、その報酬として一〇〇〇万円の授受が行われたという限度で、検察官の主張は理由があるものと認められる。なお、検察官は、平成三年七月三〇日ころの請託等に関する証拠として、C建設副社長cの検察官調書を援用しているが、仮にその信用性が肯定できるとしても七月三〇日ころの請託の存在を認めるに足りないところ、同調書については、同人が死亡したために反対尋問にさらす機会が失われ、当事者間で争いのある信用性を判断する資料も少ないので、本判決においては、証拠として用いなかったものである。また、検察官は、被告人甲野の検察官調書を証拠として援用しているが、同調書の任意性と信用性には争いがあるところ、同調書の内容は当裁判所の事実認定に沿うものではないので、これも証拠として用いなかったものである。その場合であっても、同調書の内容やその作成経緯が当裁判所の事実認定を揺るがすことにならないかという観点からの検討は必要であるが、検討してもその疑いはないものと認められる。

また、検察官は、「公取委が告発すべきものと思料される場合であっても告発しないように働きかけてもらいたい旨」の斡旋方を請託したと主張しているところ、告発すべきものと思料されるかどうかは、公取委の調査の結果最終的に決まることであるのに対し、被告人乙川の働きかけの趣旨は、公取委の調査の終了を待ってその結果次第でといういわば条件付きで、N委員長に告発しないようにしてほしいと申し入れたものではなく、調査が完了しなくとも、むしろ、調査が完了しない前だからこそ、告発しない方向に調査自体を持っていってほしいと申し入れたものと解する方が自然であり、そういう趣旨ではなかったことをうかがわせる証拠もないので、公取委が告発すべきものと思料される場合であってもという条件なしに、公取委が告発しないように働きかけてもらいたいと依頼したものと認定した。

3 なお、両被告人の弁護人らが主張しているように、確かに、本件においては、被告人甲野が請託した具体的文言も、被告人乙川がそれを承諾した具体的文言も、証拠上明らかではない。しかし、それにもかかわらず、既に検討したように、その周辺の各種の間接事実、とりわけ、被告人乙川がその後間もなくNに対して告発見送りを迫る執拗な働きかけをしたことなどから、被告人甲野が同乙川に対し、公取委委員長に対して告発しないように働きかける旨の請託をし、被告人乙川がそれを承諾したものと合理的な疑いを容れない程度にまで認定することができるので、請託と承諾の具体的文言が明らかでないことは、以上の認定にいささかも影響するものではない。

第五  同時決着に関する主張に対する判断

一  同時決着に関する論点について

被告人乙川は、公取委が土曜会事件の告発を見送ったのは、政府内部において、土曜会事件の告発見送りを交換条件として罰金額引上げの独禁法改正を実現させるという同時決着の合意ができていたからであり、同被告人は、同時決着に向けた動きが始まっていることを確信していたのであるから、被告人甲野から請託を受けて公取委委員長Nに土曜会事件の告発見送りを要請する必要もなかったと主張し、本件請託を受けたこと、それを承諾したこと、Nに働きかけたことなどをいずれも否定している。そこで、以下、同時決着の合意がなされたとの同被告人の主張について検討する。

二  同時決着に関する被告人乙川の主張について

被告人乙川は、政府内部において同時決着の合意ができたことと、それを同被告人が確信した経緯について、次のように主張している。

土曜会事件と罰金引上げ問題を同時に決着させるという合意は、貿易収支不均衡是正のための四三〇兆円の公共事業の達成という国際公約と独禁法改正という国際公約とが対立し、さらには、これら対米公約を実現させる国益と国内産業を保護する国益とが対峙するという、利害の錯綜した状況下において、宮沢総理、金丸自民党副総裁、N委員長、建設省などの各当事者が政治的妥協を図った結果、到達した政治的結論である。すなわち、N委員長は、対米公約である罰金引上げを内容とする独禁法改正を実現させなければならなかったため、告発が困難視されていた土曜会事件を政治的カードとして最大限に利用した。金丸副総裁は、大手ゼネコンを巻き込む土曜会事件が告発された場合、重要な対米公約である総額四三〇兆円の公共事業の執行が困難となりかねず、景気回復も妨げ、国益を損なうと判断したことから、告発見送りを目指しており、罰金引上げについては特段の関心を示していなかった。さらに、建設省は、建設業界における受注調整等の実態が改善を要するものであることは十分意識しながらも、公共事業発注方法としては指名競争入札制度に代わり得る有効な代案がないと考えていたため、大手ゼネコンが告発されれば同制度自体に非難が集中し、その根幹が揺らぎかねないと懸念していたほか、建設業界の問題点を改善できない建設省に対しても非難が向けられることは避けられないと判断し、告発見送りを希望していた。とはいえ、公取委による調査が進行中の事件について建設省が正面から告発阻止に向けた行動をとることは不可能であったため、同省は、告発に強い危機感を持ち、告発回避を切望しながら、自らは告発回避に向けた積極的行動をとることができないというジレンマにあった。これら関係者の各様の立場と思惑が交錯し、N委員長を含む政府与党関係者が政治的な妥協点を模索した結果、平成三年一二月、政府与党内部において、同時決着させるという合意と共通認識が形成された。

被告人乙川は、平成三年一二月ころ、金丸から土曜会事件の告発見送りを宮沢総理に依頼してきたという趣旨の話を聞いたほか、同月一七日に開催されて罰金引上げ問題を審議していた独禁法調査会の紛糾とこれに対する建設省幹部の反応、その後の宮沢総理から被告人乙川に対して直接なされた罰金引上げ問題に関する協力要請、更にはその後の公取委の姿勢などの一連の動きを検討した結果、政府与党内部において罰金引上げ問題と土曜会事件告発見送りとを同時決着させるという政治的妥協が行われ、同時決着に向けた動きが水面下で始まっていることを察知した。被告人乙川は、こうした極秘裡の動きに驚くとともに、この機を捉え、推進機構の実現に向けて建設省と公取委の双方、とりわけN委員長からの協力を取り付けるため、罰金引上げ問題の実現に重要な位置を占める独禁法調査会会長代理という立場を活用し、N委員長から特段の根拠もないまま突如として提示された一億円という罰金上限額が、政府与党内部における政治的妥協の結果であることを看破しつつ、それに協力することにより、政府与党首脳レベルの動きに歩調を合わせ、その過程でN委員長らの協力を得て推進機構の目途をつけることに成功したものである。

三  罰金額引上げを内容とする独禁法改正に関する動きについて

まず、罰金額を引き上げる独禁法改正がなされた経緯について検討するところ、関係各証拠によれば、以下のような経緯が認められる。

1 日米構造問題協議においては、独禁法及びその運用の強化のための施策を推進することが掲げられたが、平成二年四月に公表された中間報告と同年六月に公表された最終報告において指摘された具体的内容は、課徴金を引き上げる独禁法の改正と刑事罰の活用などであり、課徴金引上げを内容とする改正案は、平成三年四月に国会で可決され、成立した。〔<証拠略>〕

2 公取委は、平成三年一月、学識経験者からなる独禁法に関する刑事罰研究会を設置し、独禁法の刑事罰の強化について検討したところ、事業者に対する罰金刑と従業者等に対する罰金刑の各上限を個別に定め、事業者に対する罰金刑を十分な抑制力を有する水準まで引き上げることなどが必要であるとして、同年五月、その旨の中間報告を発表した。〔<証拠略>〕

3 公取委の刑事罰研究会は、同年一二月一八日に事業者に対する罰金額の上限を数億円に引き上げることなどを内容とする報告書を公表する予定を立て、公取委の係官がその前日に開かれた独禁法調査会でその旨を説明したところ、同調査会の委員らの強い反発を招いた。その際に出された反対意見は、課徴金を同年七月に大幅に引き上げたばかりであり、その効果を見極めてから検討すべきであるという意見、数億円という金額は中小企業にとっては企業生命を左右する金額であるという意見、日本経済全体に与える影響等について自民党と十分議論し、党内のコンセンサスを得るのが先決であり、説明即発表という手続はおかしいという意見等であった。その会の最後の方で会長代理の被告人乙川が、課徴金引上げのときには何も言わずに急に罰金引上げの話をするのは、自民党や特別調査会の手続を無視するもので、罰金額を五〇万円から数億円に引き上げる根拠も理解できないから、報告書の公表には反対であり、今日のところは賛成者なしということで委員長にもよく伝えて欲しいという内容の発言をした。公取委の委員長Nは、同調査会に出席していた事務局長柴田からその旨の報告を受けて、報告書の公表延期を決定し、同月二六日、宮沢総理大臣にもその経緯等を報告した。〔<証拠略>〕

4 公取委側は、翌年の通常国会で独禁法改正法案を成立させるためには翌年三月半ばころが法案の提出期限となることから、その対応に苦慮し、Nと柴田が、平成三年一二月二七日、独禁法調査会の会長倉成正、会長代理被告人乙川、顧問林義郎ら国会議員数名と会食し、法改正への協力を要請したほか、柴田や官房審議官植松らが、平成四年一月中旬から二月初めにかけて、日建連、土工協、全建(全国建設業団体連合会)等の建設業の各団体のほか、経済同友会、経団連を回ったりして、独禁法改正について説明し、その理解を求めたほか、自民党の関係議員らに対し、独禁法調査会の再開を求めた。その結果、同調査会が同年一月二八日に再開され、毎週一回のペースで開催されることになった〔<証拠略>〕。

5 平成四年一月二八日に開かれた独禁法調査会でも、出席議員からは従来どおりの反対論が相次いだ。その席で、被告人乙川は、公取委は自民党の意向をどう考えているのか、法改正は課徴金引上げの効果が分かってから考えればいいのではないか、委員長は課徴金の時には罰金の引上げはやらないと言っていたのではないか、罰金の引上げは自民党の関係部会の了解があって初めてできるなどと発言し、法改正に反対の姿勢を維持した。〔<証拠略>〕

6 同年二月七日に開かれた独禁法調査会は、学者らの意見を聞く会であったが、被告人乙川は、その会の終了後に柴田を呼び寄せ、「調査会の会長はまだふらふらされているようだが、商工部会でも論客を集めて罰金の議論をしてもらってもいいんじゃないかと思う。ただ、公取委の方針が明確になっていないと議論の始めようがない。その方針に向かってどのように進めていくか、表と裏のスケジュールを検討しておかないといけない。世論対策を間違うと、できるものもできなくなってしまうから。自民党をまとめるために、自分に調整幅が欲しいんだけれども。」などと話した。柴田は、法改正に対する同被告人の態度が変わったものと考え、その旨をNに報告した。〔<証拠略>〕

7 そのころ、柴田、植松らは、Nから、議員全体で討議を続けるのではなく、幹部の間で意見の集約をはかってもらうようにと指示され、植松が同月六日に倉成を、同月一〇日に倉成と林を、同月一三日に被告人乙川をそれぞれ訪ねるなどして、幹部議員の間で意見の取りまとめを依頼し、その了承を得た〔<証拠略>〕。

8 同月一四日に開かれた独禁法調査会において、罰金引上げ問題については、倉成、被告人乙川、林、建設部会会長野呂田芳成、商工部会会長浦野恷興の五名に一任することになり、同月一八日に開かれた建設部会においても、同部会として野呂田に一任することが確認された〔<証拠略>〕。

9 同年二月下旬から三月初めころまでの状況については、関係者間で若干供述が異なる。

(一) 倉成は、二月下旬ころ、同人、被告人乙川、林、野呂田、浦野の五名が自民党本部でNと会って協議したが、結論は出なかったこと、そのころ、Nと二回ほど個別であった際、億単位の引き上げは無理という意見を伝えたこと、三月五日ころにも、五名が自民党本部でNと会って協議し、Nが是非とも引き上げてもらいたいなどと述べたが、五名とも前同様に賛成できないと述べたことなどを供述している〔<証拠略>〕。

野呂田は、二月中旬ころ、自民党副総裁金丸から電話で、「誰も喜ばない罰金の引上げをどうして君は逡巡しているんだ。早く片づけてしまえ。」などと言われ、罰金引上げ問題を早くまとめろという趣旨と理解したこと、そのころ、Nから、起訴に当たって零細企業に対して何らかの配慮を加える救済措置を設けるので、罰金引上げに賛成してもらいたいという話があったこと、ところが、その翌日、Nは、法務省や内閣法制局と折衝したが救済措置を設けるのは駄目だったので、罰金を一億円にしてくれないかと言ってきたため、よほど考えてきた最終的な数字だろうと思い、検討してみようと返事したこと、そこで、直ちに建設省の伴局長と小野審議官に話すと、国際問題でもあるのでやむを得ないとの返事だったため、Nを呼んで、建設省も呑んだと話すと、Nから、この話はしばらく内密にしておいて欲しいと言われたことなどを供述している〔<証拠略>〕。

林は、その間の特段の記憶はなく、三月五日ころに自民党本部で聞かれた会合に出席したかもはっきり記憶していないなどと供述している〔<証拠略>〕。

(二) この時期は、各人がN委員長ら公取委関係者と個別に交渉していた時期と認められるところ、野呂田証言は当時建設経済局長であった伴の証言にも裏付けられており、概ね各人が供述しているような経緯だったのではないかと考えられる。もっとも、同年三月五日ころの会合の内容に関する倉成供述は、同人の死亡により証人尋問の機会がなかったものであるが、野呂田証言や後に述べる翌六日ころの会合の状況等に照らし、記憶違いである疑いも否定できないので、事実認定の資料には用いないこととする。

10 他方、公取委では、同年二月下旬ころ、Nが柴田、植松らに対し、「いろいろ頑張ってみたが、罰金の引上げ額は一億円ということで収めるほかないから、その線で法案を出してくれ。」と話し、改正法案の作成を指示した、なお、同月二五日に開かれた建設部会において、伴が独禁法改正に関する状況を報告したが、そこにおいては、課徴金引上げに関する独禁法改正の際の刑事罰強化についての附帯決議の存在や、法人に対する罰則強化の必要性に関する全国一般紙の社説等も紹介されており、罰金額引上げ問題の収束に向けた雰囲気が出てきていた。また、刑事罰研究会の最終報告書は、同月二〇日の衆議院予算委員会の提出要求に基づき、同年三月二日に同委員会に提出され、公表された。〔<証拠略>〕

11 同年三月六日ころ、倉成、被告人乙川、林、野呂田、浦野の五名は、都内のホテルでNと会うと、Nは、いきなり、罰金の引上げ額を一億円にしたいと話した。五名には誰にも異論がなかったので、独禁法改正のためのその後の手順等を話し合った。この会合の印象として、林は、誰も異議がなかったので、公取委の側で個別に説得してきたのかと思い、林自身は事前に何も聞いていなかったが、他の者に異議がないならそれでよいと思ったと証言し、また、倉成は、Nの話を聞いて唖然とし、林も怪訝そうな表現をしており、一億円で決着する経緯について自分がはずされていたという印象を持ったが、特段の意見を述べなかったと供述している〔<証拠略>〕。

12 同月一二日、商工部会、建設部会、独禁法調査会がそれぞれ開かれ、公取委側が罰金額を一億円に引き上げる改正を行いたいと説明して了承された。同月二四日、商工部会と独禁法調査会の合同会議、次いで政務調査会の総務会で改正法案の骨子が了承された。改正法案は、同月二六日の次官会議、翌二七日の閣議を経て、同日、国会に提出され、同年一二月に成立した。〔<証拠略>〕

四  被告人乙川の供述の信用性について

以上のような罰金引上げを内容とする独禁法改正と、既に検討した土曜会事件の審査の経緯(前記第三の一1(一)、二1(一)、三1(一))を前提として、被告人乙川の供述の信用性を検討すると、その供述には不自然な点が認められるほか、同時決着の論点に関連すると思われる他の証拠やそれによって認められる間接的な事実と矛盾するか整合しない点が多い。以下、詳述する。

1 公取委関係者の供述との不整合について

(一) まず、土曜会事件の告発が見送られた理由につき、公取委の委員長を初めとして、委員、審査部職員、事務局職員らは、いずれも、公取委としては土曜会事件を悪質重大な事件と考えて告発に向けて証拠を収集し、法律的な問題点等についても十分検討したが、高検との協議を通じて、告発対象とすべき告発方針公表後の取引制限の合意の形成に関しては、個々人の行為を特定するだけの証拠が十分ではないということで、告発を断念したと供述しており〔<証拠略>〕、告発見送りが罰金引上げ問題との関連で決められたとの疑いを抱かせるような供述は見当たらない。

(二) また、告発見送りに関連して、Nは、次のように証言している。

(1) 平成四年二月初め、自民党の一部の動きとして、土曜会事件の告発を見送れば独禁法の改正に協力するという動きがあるとの情報に接し、告発を見送らなければ独禁法改正法案を潰すという意向と受け止めた。その当時、高検との協議の結果についての報告も受けており、土曜会事件の告発はできないかもしれないとの感じを強く抱いていたため、告発もできず、改正法案も潰されるという最悪の事態になる公算が非常に高いと判断した。そこで、最悪の事態にならないようにと思い、議員会館に被告人乙川を訪ね、告発の見送りについて申し入れてきており、独禁法調査会の会長代理で法案問題についてもかなり関与していた同被告人に対し、「独禁法の改正問題については、法務、検察も非常に関心を持っている問題です。したがって、埼玉土曜会の問題については、私が検察の理解を求めて、告発を見送るようにしたい。」などと話し、独禁法の改正に協力してもらえば告発を見送るという趣旨のサインを送った。同被告人にサインを送れば、自民党の一部勢力にも伝わるものと判断したからである。これは、公取委の組織としてでなく、全く私一人の行政官としての判断と責任で行ったことであり、ある意味では虚々実々の部分も含まれているので、いろいろな批判はあると思うが、一切の弁解はしない〔<証拠略>〕。

平成三年一二月二六日、首相官邸に宮沢総理を訪ね、独禁法改正に絡んで与党自民党と非常に難しい関係になっていることを報告した際、総理から非常に大変だけれども頑張るようにと話された。総理は、日米関係についても当然非常に重大な関心を持っていたが、総理から、翌年一月末に予定されていた総理の訪米までに独禁法改正の目途をつけるようにというような指示をされたことはない〔<証拠略>〕。

(2) 以上のようなN証言は、同人が証言しているその他の経緯、すなわち、土曜会事件の告発に向けて証拠を収集し、法律的な問題点等についても十分検討したが、高検との協議を通じて、告発対象とすべき告発方針公表後の取引制限の合意の形成に関しては個々人の行為を特定するだけの証拠が十分ではなかったため、告発を断念したこと、その間に、被告人乙川から二回にわたって告発見送りの申入れを受けたが、それを強く断ったことなどとも併せ考えると、平成三年一二月ころに宮沢、金丸、Nらの間で独禁法改正と土曜会事件の告発見送りをバーター取引したことはないという趣旨の証言と解される。

(三) N証言の全般的な信用性(前記第三の三2(二))及び告発見送りの経緯に関する公取委の他の委員・職員らの供述の信用性(前記第三の三2(一))については、既に検討したとおりである。N証言のうち、被告人乙川に対して独禁法の改正に協力してもらえれば告発を見送るという趣旨のサインを送ったという部分については、それを直接的に裏付ける他の証拠はないものの、同被告人が平成四年一月二八日の独禁法調査会でも法改正に反対の姿勢を維持していたこと(前記三5)、ところが、サインを送って間もないころである同年二月七日の同調査会の際には法改正に関する態度を軟化させていたこと(前記三6)などの事実とも符合するほか、その余の部分、すなわち、告発見送りの経緯に関する部分は、公取委の他の委員・職員らの供述と合致しており、これらのN及びその他の公取委関係者らの供述も、十分信用することができる。

2 他の国会議員らの供述との不整合について

(一) 罰金引上げ問題に関与した国会議員らは、以下のように証言している。

(1) 当時の建設部会長野呂田は、独禁法改正法案がまとまる過程について証言しているが、独禁法改正問題が土曜会の告発見送りと関連していたような証言はしておらず、罰金引上げ額を一億円にするという話があった平成四年二月中旬か下旬ころ、公取委の事務局の者に対し、土曜会事件の見通しについて尋ねたところ、検討中だけれども一括して起訴するのは非常に難しいと言われたこと、新聞報道等で土曜会事件の告発と罰金引上げの問題が取引されたなどと報道されたことの記憶はないことなどを証言している〔<証拠略>〕。

野呂田は、被告人乙川の供述によれば罰金引上げ反対派の最強の論客だったというのであり、独禁法改正に関して自民党内でもかなり深く関与する立場にあったものと認められるが、以上のような証言は、独禁法改正と土曜会の告発見送りをバーター取引したと聞いた記憶はなく、それをうかがわせるようなことを体験したこともないという趣旨と解される。

(2) 自民党所属の参議院議員Lは、独禁法改正の罰金引上げ額が一億円に決まった経緯については、平成四年三月か四月になって聞いたが、当時議院運営委員会の委員長であり、PKO問題等で忙殺されていたため関与していないと証言する一方、罰金額を数億円に引き上げることについて公取委と自民党の関係部会で全面的な対立状況になっていたのであるから、そのような場合には自民党の総裁、三役等の幹部が決着を付けるのがならわしであり、最終的に一億円でまとまったのも役所間の事務折衝ではなく政治的な決着によるものと認識していた旨証言している〔<証拠略>〕。また、自民党所属の参議院議員Mも、平成四年二月後半ころ、建設省の伴局長と自民党の幹部の誰かから、独禁法改正の罰金引上げ額が一億円にまとまるようだと聞かされたが、どのような経緯で一億円に決まったかは知らないと証言する一方、まとまったのは役所間の事務折衝ではなく高次の判断によるものと理解した旨証言している〔<証拠略>〕。

Lは建設省の事務次官の経験者であり、Mも国土庁の事務次官の経験者であって、いずれも建設省や建設業界からも信頼を得ている議員であるが、やはり、独禁法改正と土曜会の告発見送りがバーター取引されたとうかがわせるようなことを見聞したことはないという趣旨を証言しているものと解される。

(二) 罰金引上げ問題は、平成四年二月一四日に開かれた独禁法調査会において、同調査会の会長代理であった被告人乙川のほか、同調査会会長倉成、顧問林、建設部会長野呂田、商工部会会長浦野に一任となっているが、前記のとおり、野呂田は、同時決着の話については当時は全く認識がなかったように供述している。また、倉成供述〔<証拠略>〕も、林証言〔<証拠略>〕も、罰金引上げ問題の経緯を全般的に述べているものの、同旨決着の合意の存在をうかがわせる点はない。罰金引上げについては、建設部会も含めて自民党内に強い反対があり、野呂田が反対派の最強の論客だったというのであるから、被告人乙川の説明のみでは、同被告人のみが同時決着の合意をうかがい知る立場にあったことを納得させ得るものとは考え難い。この点は、むしろ、Nの証言するように、同被告人がNに対して執拗に土曜会事件の見送りを要請したため、Nが告発見送りを条件に罰金引上げに協力するように求めるサインを同被告人に送ったと考える方が、同被告人のみが土曜会事件との関連を認識し、野呂田らが認識していなかったことについての説明として自然である。

(三) 被告人乙川は、同時決着の合意の存在を認識した根拠の一つとして、平成四年一月下旬から二月上旬ころ、Nが議員会館に訪ねてきて、いつになく強い調子で、「総理からのお話の線でよろしく。罰金を一億円に引き上げられるようにお願いいたします。ついては、建設部会の先生方に理解をいただいて、何としてでもまとめてもらわなければ困ります。」と要請された旨供述している〔<証拠略>〕。しかし、野呂田は、前記三9(一)記載のとおり、Nから罰金を一億円にと初めて言われたのは二月中旬ころであり、その前日まではより高額の引上げを求めていたように証言し、また、伴も、後記3(一)記載のとおり、野呂田証言に沿って、一億円という話は、二月末ころか三月初めころ、野呂田からNが一億円という話をしていると聞いて、初めて知った旨証言しているのであるから、被告人乙川の供述は、それらの証言とは相容れないものである。

3 建設省関係者の供述との不整合について

(一) 当時の建設省の建設経済局長であった伴は、次のように証言している。

平成三年一二月下旬ころに被告人乙川から「何か取引しているようだが、罰金と土曜会をバーターする気じゃないでしょうね。」などと言われたことはない。土曜会事件と罰金引上げとは全く異質のことであり、とても結び付けられる問題ではなかったから、そのようなことを言われたことはなかったと思う〔<証拠略>〕。

平成四年一月ころ建設省と公取委のトップレベルで罰金引上げ問題と土曜会事件の告発見送りとを同時決着させるという共通認識が形成されたというようなことはない。そのころ、建設省側で、公取委からの要請に応じて、公取委が全建等の建設業関係団体に対して罰金引上げについて説明するための日時と場所を調整したことがあるが、これも土曜会事件との関連は全くない。土曜会事件と罰金引上げ問題の結び付きを意識したことは全くなかった〔<証拠略>〕。

同年二月末ころから三月初めころ、野呂田建設部会長から、N委員長から罰金の引上げ額を一億円でという話が来ており、企業の資力とか規模は量刑で考慮されるということを聞いたため、上司とも相談して、建設省としてはやむを得ないと返事をした。一億円という話は、このときに初めて聞いた。一億円というのは、公取委と与党の関連部会の議員とのいろいろな交渉、意見交換で決まったものと思う。金丸副総裁が罰金引上げ問題に関係していると聞いたことはないが、その前後ころに、野呂田建設部会長から、金丸副総裁から罰金刑をまとめろと言われたと聞いたことがある〔<証拠略>〕。

(二) 以上のような伴証言は、土曜会事件の告発見送りと罰金引上げとがバーター取引されたとの疑いを否定するものである。

すなわち、被告人乙川は、平成三年一二月下旬ころ議員会館を訪ねてきた伴に対し、「何か取引しているようだが、土曜会事件と罰金問題をバーターする気じゃないでしょうね。」などと言ったところ、伴が一言も否定せず、ゆっくりと首をひねりながら笑って、見抜かれたかという態度を示したことも、同被告人が同時決着の合意がされたとの判断の確信を深めた根拠であったと主張しているのであるが〔<証拠略>〕、以上のような伴証言により、その前提事実を失うことになる。また、被告人乙川は、同時決着には建設省も関与していると認識したと供述しているが、伴は、それも明確に否定している。伴は、その証言態度や証言内容を検討しても、被告人乙川に不利なことを殊更に虚構していると疑うべき形跡は全く存在しないところ、前記のように、一二月下旬ころに同被告人から質問されたという、具体的事実の存在についても明確に否定しているのであるから、これに反する被告人乙川の供述は、信用し難い。

この点につき、両被告人の弁護人らは、伴が現職の建設官僚であることから、政府与党首脳が秘密裡になした高度な政治的判断である同時決着の合意について証言できなかったものであるとして、この部分の伴証言の信用性を争っている。確かに、伴は、証言当時は建設省官房長であり、事務次官への昇進が内定していたのであるから、仮に同時決着というような極めて政治的な判断に建設省が関与していたとすれば、その点の証言を避けたとしても不思議はないといえる。しかし、被告人乙川が供述しているような同年一二月下旬ころの同被告人の質問は、仮にそのような質問がされたことを認めたとしても、直ちに同時決着の合意に建設省が関与していることにはならないのであり、質問の存在を認めたうえで同時決着の合意の存在あるいはその認識を否定しても何ら不自然とはいえない事柄である。しかも、伴は、その証言態度や証言内容に照らし、被告人乙川の立場に配慮しながら記憶に従って証言しているものと認められ(例えば、後記第六の三2掲記の伴証言参照)、同被告人に不利なことを虚構していると疑う事情はないのであるから、被告人乙川からの質問というような具体的事実の存在についてまで明確に否定する伴の証言は、十分信用することができる。このことは、伴証言が、全体的にみても、客観的な証拠に裏付けられた部分が多く、内容にも不自然な点がないという、全体的な信用性の判断にも裏付けられているといえる。したがって、弁護人らの主張は採用できない。

4 同時決着の主張の不自然さについて

(一) 同時決着の合意の不自然さについて

被告人乙川の主張する同時決着の合意は、総理大臣、自民党副総裁、公取委委員長を含む政府与党首脳が、罰金引上げを内容とする独禁法改正を実現させるという政治的考慮に基づき、土曜会事件の告発をしないこととしたというものであるが、公取委という準司法機関の判断を外部から拘束するものであって、独禁法の建前からも許容されることではないから、そのことを十分理解しているはずの総理大臣や公取委委員長があえて違法な合意に加担したというのは大いに疑問である。もっとも、Nは、前記1(二)記載のように、土曜会事件の告発ができないかもしれないとの感じを強く抱いていたため、被告人乙川に対し、独禁法の改正に協力してもらえれば告発を見送るという趣旨のサインを送ったことを証言している。準司法機関の一員にすぎない委員長が、機関として判断すべき最終的処分の見込みを事前に部外に伝えて取引材料とすることも、許されることではないが、既に告発できないとの見込みを強く抱き、その見込み最終的には異なった場合にはその責任を負うことを覚悟したうえで、独禁法改正という他の重要な目的を実現させるために行ったということから、その違法性・不当性の程度は同時決着の合意に比してはるかに弱いものと解される。このように考えると、同時決着の合意の主張は、政府与党首脳によってそれがなされたという点で不自然さを否定できない。

(二) 合意後の経緯の不自然さについて

被告人乙川の主張する同時決着の合意は、罰金引上げを内容とする独禁法改正を実現させることを見返りとして、土曜会事件の告発をしないことを取り決めたというものであるが、告発の見送りがするかしないかという二者択一的な事項であるのに比して、罰金引上げはするかしないかのほかに、どの程度とするかが問題となる事項である。ところが、当時の独禁法調査会の議論(前記三3)や、建設省作成の書面〔<証拠略>〕等に照らすと、強い反対がなされた理由の一つとしては五〇〇万円という金額を数億円まで大幅に引き上げることがあったのであるから、どの程度の幅で引き上げるかまで合意しなければ、問題を決着させたことにはならないし、告発見送りという不利益を受ける側(公取委)が引上げ額を決めないまま合意したとは考え難い。確かに、首脳同士の合意の場合、その後に事務的な詰めの作業が残されることは十分考えられるが、そうであったとしても、一億円という額が平成四年二月下旬ころになってようやく決まったというのは(前記三9・10、四2(三)参照)、不自然である。

5 罰金引上げの経緯との不整合について

(一) 被告人乙川の供述は、前記2(三)記載のように、罰金引上げの具体的経緯に関する他の国会議員らの供述と矛盾しているばかりでなく、既に検討したような罰金引上げの全体的な経緯ともそぐわないものといえる。すなわち、仮に、平成三年一二月の段階で政府与党首脳の間で同時決着の合意ができていたのであれば、実際の経緯よりも順調に罰金引上げが実現されたのではないかと考えられる。例えば、同月一七日の独禁法調査会において委員らの強い反発を招いて刑事罰研究会の報告書の公表を延期したこと(前記三3)、その後、公取委の関係者らが、関係議員らの協力を求めたほか、独禁法改正について理解を求めるために、建設業の各団体、経済同友会、経団連等を回ったこと(前記三4)、平成四年一月二八日の独禁法調査会でも反対論が相次いだこと(前記三5)、同年二月下旬ころになってようやく一億円という額に落ち着いたこと(前記三9・10)などは、そのような合意がなかったからこそ平成四年一月以降においても順調に推移しなかったことの例証と考えられる。被告人乙川は、これらの経緯について、合意ができた後のいわゆる軟着陸させる過程であると主張するが、そのようなことがあり得ることは十分考えられるとしても、先に指摘した事情などに加えて、同被告人自身が平成四年一月二八日の独禁法調査会でも法改正に反対する発言をしていたこと(前記三5)などを併せ考慮すると、不自然であることに変りない。

(二) なお、この点につき、被告人乙川の弁護人は、建設省罰金引上げ問題への対応が平成三年一二月ころの段階で大きく変化したのは同時決着の合意が成立したためであると主張し、その根拠として、建設省において同月末か平成四年一月初めころ作成した資料〔<証拠略>〕にその変化が明白に表れていると指摘している。

罰金引上げ問題に関して建設省において作成された資料を検討すると、まず、伴証言等により平成三年一一月末ころ作成されたもの認められる「独占禁止法に違反した法人に対する罰金の上限を引き上げることの問題点」と題する書面〔<証拠略>〕は、罰金引上げの問題点をいろいろな角度から検討し、一部新聞で報道されているように罰金刑の上限を三億円に引き上げることが相当でないことを指摘するものである。これに対し、平成四年二月一五日から二五日の間に作成されたものと認められる「独占禁止法の罰金の引上げに関する最近の状況について」と題する書面〔<証拠略>〕は、平成三年一二月一七日の独禁法調査会以降の同調査会における検討状況、公取委による関係業界への説明の状況のほか、平成四年二月二六日から開催される日米構造問題協議フオローアップ会合において独禁法の抑止力の一層の強化についても議論が行われる見込みであること、同月一四日に閣議決定された証券取引法の改正法案では、損失補てん、相場操作に関する法人の罰金上限額が現行の一〇〇倍に引き上げられていること、全国一般紙が平成三年一二月から平成四年二月にかけて、社説等において独禁法の法人に対する罰則の強化の必要性を指摘していることなど、罰金引上げの法改正を相当とする周辺事情を掲げており、罰金引上げについて必ずしも反対するものではないことを示したものと解される。右書面については、伴も、全く引き上げないというわけにはいかない客観情勢があり、自民党においても何とか収めようという雰囲気が出ていたことから、収束の方向に向けて行うべき時期だという状況を客観的にまとめたものと思う旨証言している〔<証拠略>〕。

弁護人の指摘する「独占禁止法の罰金の引上げについて」と題する書面〔<証拠略>〕は、この両書面の間に位置するものであり、伴証言等により平成三年一二月末から平成四年一月初めころ作成されたものと認められるところ、そこにおいては、独禁法の現行罰則の内容を指摘し、公取委が刑事罰研究会での検討等を経て、平成三年一二月一八日に罰金上限額を数億円に引き上げることを内容とする最終報告を発表する予定であったこと、その前日の独禁法調査会における反対意見を踏まえ、最終報告の発表を取り止めたことなどのそれまでの経緯をまとめたうえ、今後の見通しとして、「現在、公正取引委員会内では、今後の報告書の取扱いについて苦慮しているところであるが、委員長の強い意向としては、報告書の内容は変更せず、関係業界への説得を粘り強く続けていくということのようである。」と公取委側の意向を紹介し、最後に、建設省の対応として、「建設省としては、課徴金引上げの効果が未だ見極められない段階であり、また、建設業は零細な中小業者が九九%を占め、利益率も他産業に比して低水準であること等を考慮すると、罰金の大幅な引上げについては、建設業の実情を十分に勘案し、慎重に検討する必要があると考えている。しかし、上記の公正取引委員会の状況に鑑み、現段階では、公正取引委員会の建設業界への説明については協力するものの、報告書の変更を積極的に主張することはせず、公正取引委員会の出方を見守ることとする。」と結んでいる。

確かに、右書面は、公取委の意向に配慮し、積極的に報告書の変更を求めるなどはせず、公取委の業界への説明にも協力するという点で、それまでのような反対一辺倒の姿勢を変えたものと解することができるものの、罰金の大幅な引上げについては慎重に検討する必要があるという従来の反対論を改めて指摘しているほか、最後に公取委の出方を見守るとまとめることにより、公取委に積極的に協力するわけではなく、冷静に対応するという意向を表しているものと解される。建設省が、仮に、被告人乙川の供述するように、土曜会事件の告発見送りを交換条件として罰金引上げを実現させるという同時決着の合意にかかわっていたのであれば、それまで罰金引上げに反対であったにせよ、公取委の出方を見守るというような、冷淡とも解される対応を表明するのはやや不自然であるし、少なくとも従来の反対論を改めて指摘するとは考え難い。また、当時の状況を考えると、公取委が刑事罰研究会の最終報告を公表できずに苦しい立場に追い込まれたのに対し、建設省としては、反対論を整理した書面〔<証拠略>〕を自民党の関係議員らに配布するなどしてその理解を求めた結果、同年一二月一七日の独禁法調査会において委員らが強く反対するに至ったのであるから(前記三3)、いわば目的を達したのである。自民党の関係議員らの意見が変わらない限り法改正は困難なのであるから、更に積極的な反対行動に出る必要はなく、公取委の出方を見守ることで足りたものと考えられる。伴も、同月末か平成四年一月初めころ作成された前記書面について、建設省の対応としてはそうせざるを得ない状況なので、受け身の対応だということを念のため書いたものと説明しており〔<証拠略>〕、対応の変化をうかがわせる事情はない。したがって、右書面を根拠として建設省の対応が変化したという弁護人の主張は、理由がない。

6 公取委における土曜会事件の審査の経緯との不整合について

被告人乙川は、平成三年一二月ころ同時決着の合意ができたと認識したと供述しているが、それ以降においても、公取委の審査部内では、同月二〇日・二七日、平成四年一月一三日の三日間にわたり委員会懇談会が開かれたほか(前記第三の二1(二))、同年二月以降も関係者の事情聴取が続けられ、同年三月三一日ころ部課長会議が開かれ、同年四月二四日の委員会懇談会の後に高検との協議が行われた結果、同年五月八日・一一日の委員会懇談会において告発見送りが事実上決められたものである(前記第三の三1(一))。同時決着の合意が高度に政治的なものであり、公取委側では委員長しか知らなかったと仮定しても、以上のようにその合意の後四、五か月間も審査が継続されたというのは、あまりにも不自然である。

このように、公取委における土曜会事件の審査の経緯は、平成三年一二月ころ同時決着の合意により告発されないことになったという被告人乙川の供述とは、到底相容れないものである。

五  結論

1 これまでのまとめ

以上のように、被告人乙川の同時決着の主張については、その当事者であるとされている公取委の委員長と建設省の幹部が否定しているばかりでなく、罰金引上げ問題に深く関与していた他の国会議員らもその存在を認識していなかったものであり、しかも、他の証拠によって認められる間接的な事実とも矛盾するか、整合しないものである。もっとも、被告人乙川の供述に沿うかのようにみえる証拠もあるので、最後に、その点について検討する。

2 野中証言について

(一) 衆議院議員野中広務は、自民党内の経世会に所属していたが、親しくしてもらった金丸元経世会会長から、同人が衆議院議員を辞職した後、二度にわたって土曜会事件のことを聞いたと証言している。その具体的内容として、一回目は、被告人乙川が逮捕されて二か月ほど後の平成六年五月中旬か下旬ころ、東京の金丸宅を訪ねた際、同被告人のことが話題になって、何であんなことになったんでしょうと尋ねると、金丸が、「次郎ごときにあんなこと(土曜会の刑事告発見送りのこと)できるかい。あれは四三〇兆(公共事業計画のこと)やら罰金の問題で俺が宮沢に話をして、やったんだ。何なら俺が裁判に出て証言してやってもいいんだ。」と言い、二回目は、平成七年八月二〇日に、甲府の金丸宅を訪ねた際、同被告人が本件で起訴されて自民党を離党するような事態になったことが残念だと言うと、金丸から、「あの事件は次郎ごときにできることじゃないんだ。俺と宮沢が話をして、やったことなんだ。何なら俺が出ていって話をしてもいいんだ。」と聞かされた旨証言している〔<証拠略>〕。

(二) この証言は、被告人乙川の供述に沿うものと一応は考えられる。しかし、金丸の話に関する限りでは伝聞証言であり、金丸の証人尋問が同人の死亡によって実施できなかったことから、金丸の話の信用性については、慎重に吟味する必要があるところ、その証言内容には具体性が乏しく、金丸が宮沢総理と何時どのような話をしたというのか明らかでないばかりか、金丸が野中に話した経緯や内容に照らすと、金丸が、政界を引退した後、それまで可愛がってきた被告人乙川をかばって、同被告人には責任がないことを強調した話ではないかという疑いを入れる余地もある。そのため、この証言の信用性については、全体の証拠構造のなかで評価する必要がある。

ところで、野中証言による金丸の話は、被告人乙川には土曜会事件の告発見送りを実現させることなどできないという部分と、金丸が宮沢総理に話して告発見送りを実現させたという部分に分けることができる。まず、前者は、被告人乙川に土曜会事件を不告発にさせるだけの力がないという一般的な評価をしたものであり、同被告人が不告発になるようにNに働きかけたことがあるか否かというような具体的事実に触れるものではない。しかるに、公取委関係者らの供述、とりわけNの証言によっても、土曜会事件の告発見送りは、告発対象とすべき告発方針公表後の取引制限の合意の形成に関して個々人の行為を特定するだけの証拠が十分ではなかったことによるというのであって(前記四1(一))、被告人乙川からの働きかけがあったことによるというものではないから、同被告人に土曜会事件を不告発にさせるだけの力がなかったという点においては、Nを含む公取委関係者らの供述に反するものではなく、したがって、Nに働きかけたことがないという同被告人の供述を直ちに裏付けするものでもない。

次に、金丸の話の後の部分については、金丸が土曜会事件の告発見送りを実現させたと考えていたとしても不自然とはいえない事情が認められる。すなわち、Nは、平成三年五月の立入検査の直後ころ、ある国会議員から、電話で、土曜会事件については告発は避けてもらえないかと言われたため、処分を決定するのはかなり先のことになるからと言って電話を切ったことがあると証言し〔<証拠略>〕、また、平成四年二月初め、自民党の一部の動きとして、土曜会事件の告発を見送れば独禁法の改正に協力するという動きがあるとの情報に接し、土曜会事件の告発もできず、改正法案も潰されるという最悪の事態だけは避けたいと思い、同月上旬、被告人乙川に対し、独禁法の改正に協力してもらえれば告発を見送るという趣旨のサインを送ったほか(前記四1(二)(1))、念のため、同日か翌日、もう一人の国会議員にも同じ趣旨を伝えたと証言している〔<証拠略>〕。ある国会議員又はもう一人の国会議員とは金丸を指すものと考える余地があるところ、金丸であるとすれば、Nに告発見送りを求める電話をし、後にNから告発見送りのサインを受けたため、自分の力で告発見送りを実現させたと考えていたとしても不自然とはいえない。したがって、この部分も、Nの証言に反するものではなく、Nに働きかけたことがないという被告人乙川の供述を裏付けるものとはいえない。

また、金丸の話の後の部分のうち、宮沢総理に話したという点は、その時期が明確ではないばかりでなく、話した内容も明確ではないから、平成三年一二月ことに同時決着の合意が成立したという被告人乙川の供述を直ちに裏付けるものではない。その時期が平成三年一二月ころのことであっても、被告人乙川の供述するような同時決着の合意を直ちに推認させるものではないところ、仮に、そのころ同時決着の合意が成立したという趣旨であるとすれば、既に検討したように(前記四)、他の多くの証拠にも反するものであって、容易に信用し難い。逆に、その時期が平成四年二月初めころのことであり、同時決着の合意の存在までいうものでなく、宮沢総理に告発を見送れば罰金引上げに協力すると伝えたというような趣旨であるとすれば、Nのいう自民党の一部の動きに関する情報に接したということ(前記四1(二)(1))と平仄が合うことになり、N証言と矛盾しないものと解することも可能である。したがって、この点も、被告人乙川から告発見送りを強く要請されたというNの証言の信用性を揺るがすものではない。

3 結論

以上のように、同時決着の合意に関する被告人乙川の供述は信用することができず、Nの証言するとおり、同被告人がNに告発見送りを強く要請したことを認めることができるので、既に説明したように被告人乙川が被告人甲野から請託を受けて一〇〇〇万円を収受したと認定することを左右するものではない(なお、当裁判所は、取り調べた証拠によって以上のように認定することが可能であり、N証言の信用性に疑いを抱かせるような事情もないことから、同時決着の主張に関連する弁護人らからの証人請求の一部を必要がないものと考えて却下したものである。)。

第六  推進機構に関する主張に対する判断

一  推進機構に関する論点について

被告人乙川は、推進機構に関し、平成四年一月ころ二回位公取委の委員長室に出向いたのは、N委員長からの面会要請があって、推進機構のトップ人事が大詰めを迎えていた時期だったためであり、Nに推進機構のトップに大物退職者を据えられるようにその都度要請したことはあるが、土曜会事件の告発の見送りを強く要請したことはないと供述し、N証言が虚偽であると主張している。

また、被告人甲野は、本件一〇〇〇万円の趣旨につき、被告人乙川が推進機構の設立などに努力していることを機として、業界の理解者である政治家としての活動に必要な従前及び今後の費用に充ててもらえればと考えて交付した政治献金であると主張し、被告人乙川も、ほぼ同様、同被告人の推進機構の設立に向けた行動力等を評価した被告人甲野が業界を代表して提供した政治献金であると主張している。

そこで、以下、推進機構に関する被告人らの主張について検討する。なお、一〇〇〇万円の趣旨が被告人らの供述するような政治献金とは認められないことは、既に検討したとおりであるが(前記第四の二)、その判断の当否についても更に検討する。

二  推進機構の設立の経緯及び同機構の概要について

まず、推進機構が設立された経緯と同機構の概要について検討するに、客観的資料等によれば、以上のような事実が認められる。

1 平成三年一〇月上旬から末にかけて、推進機構の設立に向けた建設省と公取委の間で事務レベルの打合せが行われた。

建設省に保管されていた資料によると、平成三年一〇月七日付け、一四日付け、一五日付け、一八日付け、二八日付け、三一日付けの各「(財)建設業取引適正化機構(仮称)の設置について」と題する書面が作成されている〔<証拠略>〕。これらの書面は、いずれも、機構の目的、業務概要、組織・人員、財源、会員サービスの内容について、建設省側で作成した案であり、公取委事務局との事務レベルでの打合せを反映して、各項目に関して付加、削除、修正を加えたものである。この間の事務打合せの経過や結果については、その都度、建設省の担当局長らから被告人乙川に対して報告があり、同被告人も意見を述べて、それが次の案に反映されるという関係にあった〔<証拠略>〕。

2 推進機構は、平成四年一〇月一三日に設立発起人会が開かれ、同月一四日に設立許可申請がなされ、同月二二日に建設大臣により許可された。同機構の基本財産及び当初の運用財産合計二〇億円は、東日本、西日本、北海道の各建設業信用保証会社が財団法人建設業振興基金を通じて、拠出している〔<証拠略>〕。

以上の経緯につき、当時建設経済局長であった伴は、通例どおり設立の前年度末である平成四年三月末までに、設立趣意書・寄附行為の案を作成し、各建設業信用保証会社からの資金提供の了解を得ていたと思われること、また、建設省では、公取委から独禁法のみでなく他の関係法令も対象にして欲しいという要望があったため、平成四年に入ってからと思われるが、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(以下、暴対法という。)の関係で警察庁と、地方自治省の関係で自治省とも、それぞれ打合せを行い、推進機構に人を派遣してもらうことになったことなどを証言している〔<証拠略>〕。

3 推進機構の目的、組織、事業、財産、予算等は、次のとおりである。

推進機構は、その設立趣意書によると、建設業及びこれに関連する業の関係者に対し、建設業法、独禁法、暴対法その他の関係法令について継続的に講習事業を行うとともに、助言・指導を通じてこれらの法令について関係者の具体的理解を深め、その資質の向上、建設生産システムの合理化、公正かつ自由な競争秩序の確立を促進し、もって建設業及びこれに関連する業の健全な発展に寄与することを目的とするものである。その財産は、基本財産一六億五〇〇〇万円、運用財産三億五〇〇〇万円である。発足時の役員は、会長一名、理事長一名、専務理事一名、理事一一名、監事二名であり、その後の平成七年一一月の時点でも構成に変更はないが、常勤で有給の役員は理事長と常務理事(当初の専務理事)のみであって、その余は非常勤・無給である。その時点での職員は九名で、全員常勤であるが、同機構から給料がでているのはうち六名である。その活動状況を予算の面からみると、例えば、平成五年度予算の支出は合計約三億八七二九万円であるが、事業費(二億五〇万円)と管理費(一億八六〇〇万円)でほぼ二分されているところ、事業費の内訳は、そのほぼ四分の三が講習費(一億六〇〇万円)、残りが助言・指導費(二二八〇万円)、情報・資料整備費(二三一〇万円)、啓発費(七三五万円)、調査研究費(一二五万円)となっており、また、管理費は、人件費(一億二四一〇万円)と事務経費(六一九〇万円)で占められている〔<証拠略>〕。

事業活動につき、伴は、独禁法を中心とする関係法令についての普及・啓発を図るための講習会を開いたり、依頼に応じて講師を斡旋・派遣したり、独禁法・暴対法等に関する啓蒙書を出版したりするのが主たる事業であったと証言しているが〔<証拠略>〕、前記のような予算の内訳や、推進機構が独禁法・暴対法等に関する啓蒙書を発行していること〔<証拠略>〕などとも符合している。

三  被告人乙川の供述の信用性について

1 被告人乙川が推進機構の設立を着想した時期と経緯について

推進機構が被告人乙川の着想したものであることは、関係者らの一致して供述するところである。同被告人は、着想した時期と経緯につき、平成三年五月ころ、公取委の事務局幹部数名を料亭「満ん賀ん」に招いて会食した際、当時の総務担当官房審議官矢部から公取委職員の退職後の活動状況を聞いて、退職した公取委職員の再就職先の確保を図るとともに、建設業界の独禁法に関する理解を深めて近代化を推進するために、独禁法に関する教育啓蒙機構の設立を構想したこと、そこで、建設省幹部にもその構想を話して、理解と協力を求めたこと、このように同被告人が推進機構の構想を固めた時期は、同年五月下旬に公取委が土曜会に立入検査をしたよりも前であることなどを供述している。

仮に、推進機構設立の着想を得た時期が同被告人の供述するとおりであったとしても、本件の結論に直ちに影響するものではないが、右供述は他の証拠と相反しているので、以下、検討する。

被告人乙川が料亭に招いたという公取委の当時の取引課長大熊まさよは、平成三年五月ころに同被告人と会食をしたことはなく、料亭「満ん賀ん」に行ったことはないと証言し〔<証拠略>〕、また、矢部も、同被告人の招きで料亭「満ん賀ん」に行き、同被告人と二人だけの席で公取委職員の退職後の活動状況を話したことはあるが、それは同年六月一四日付けで取引部長に就任した後の同月二〇日のことであり、その月日については手帳でも確認していること、その際の同被告人の話は、機構を設立するというまでのことではなく、談合防止のためのガイドラインを普及させる説明会を行うのはどうかという内容であったこと、それとは別に同年五月ころ同被告人と会食したことはないことなどを証言している〔<証拠略>〕。さらに、伴は、平成三年六月に建設経済局長に就任した後の同年夏ころ、被告人乙川から、建設業者が独禁法違反事件を起こさないようにするための専門の機関を作る必要があるのではないかとの提案を聞いた旨証言している〔<証拠略>〕。

以上のように、関係者である大熊、矢部及び伴は、いずれも被告人乙川と異なる供述をしているところ、大熊の証言内容は、被告人乙川との会食の有無と特定の場所での会食の有無という記憶の混同等のおそれが考え難いものであること、矢部の証言内容は、手帳による確認を経たものであること、伴の証言内容は、自らの人事異動との関連を有する記憶に基づくものであることに加えて、同人らが殊更に事実を虚構して同被告人に不利益な証言をしていると疑わせる事情はないこと、公取委の当時の事務局長柴田及び総務担当官房審議官植松も、平成三年七月一二日ころ、被告人乙川から、談合事件の再発を防止するため、建設業ガイドラインの周知徹底を目的とした機関を設立し、各都道府県に設置することを提案された旨証言していること〔<証拠略>〕などを併せ考慮すると、被告人乙川が推進機構の着想を得たという時期は、同被告人が供述するより後、すなわち、公取委が土曜会事件の審査に着手した後だったものと認められる。

このように、被告人乙川が推進機構設立の着想を得た時期は、公取委が土曜会事件の審査に着手した後と認められるから、その当時の同被告人の業界関係者や公取委関係者との接触状況(前記第三の一1(二)・(六)・(七)、第四の六1参照)等を併せ考えると、同被告人は、土曜会事件についての公取委の穏便な処分を求めるための一つの方策として、推進機構設立の着想を得たものと推認される。

2 政治家としての出世仕事と考えて取り組んだという供述について

被告人乙川は、推進機構の設立を政治家としての出世仕事と考え、そのトップ人事が最も重要な事柄と認識していたと供述している。しかし、同被告人のそれまでの経歴、推進機構の目的・組織規模・活動内容等に照らし、極めて不自然である。

すなわち、同被告人は、本件当時、昭和五一年一二月以降連続六回当選した経験を有する衆議院議員であり、昭和五七年一一月から翌五八年一二月まで建設政務次官、引き続き昭和五九年一一月まで防衛政務次官、平成元年六月から同年八月まで科学技術庁長官を歴任したほか、昭和六二年一一月から翌六三年一二月まで建設委員長を務め〔<証拠略>〕、また、所属していた自民党においても、総務局長、研修局長、政務調査会副会長等を歴任したほか、平成三年末ころには、国会対策委員会副委員長、基礎研究基盤の整備と国際研究協力活動の強化に関する特別委員長、道路調査会長代理、安全保証調査会副会長、都市政策調査会副会長、独禁法調査会長代理等を重ねて務めていたことが認められる〔<証拠略>〕。

他方、推進機構は、前記のような目的、財産、役職員を擁する組織であり、決して大きな組織とはいえない。また、その活動状況は、主として、独禁法を中心とする関係法令についての講習会の開催と啓蒙書の出版であり、相対的には地味な活動を行う組織ということができる。

推進機構に対する業界等の評価は、証拠上必ずしも明らかでないが、被告人甲野は、被告人乙川から最初に同機構の話を聞いたときには、公取委からの天下り先が少ないという話もあったのでまた業界に相当負担になるかなと思ったが、業界と公取委との接点ができて業界が進歩的に営業できればよいと思ったと供述し〔<証拠略>〕、当時のB組副会長であったbは、意義のあるものを皆が作ろうというのに反対する理由はないから、推進機構の設立には賛成でも反対でもなかったが、天下り先が少ない方がいいとは思っていたので、「あんまりたくさんのものにお金が出るのは感心せんな」程度のことは皆が内々話していたと証言しており〔<証拠略>〕、業界内には官僚の天下り機関の設立ではないかと密かに思っていた者も少なくなかったのではないかとうかがわれる。また、推進機構の設立当時のE建設会長で日建連会長でもあったe1は、推進機構については建設省からのほか被告人乙川からも聞いていたこと、非常によい考えではあるけれども、いろいろな問題を解決できるわけではなく、問題の解決にはもっと抜本的に仕組みを変えないと難しいと思っていたこと等を証言し〔<証拠略>〕、G建設社長で日建連副会長・土工協会長でもあったgは、被告人乙川から独禁法違反を起こさないような組織を作ったらどうかというアドバイスを受けたが、具体化するにはいろいろな問題があって延び延びになっていたこと、その後推進機構が設立されたとは認識していたが、その設立に被告人乙川が関与しているとは全く聞いていなかったことなどを証言し〔<証拠略>〕、F建設社長で日建連副会長・建設業刷新検討委員会委員長でもあったfも、建設省から談合問題に関する業界の啓蒙機関を設立したいと聞いたことはあるが、本質的にはその点の教育は各企業で行うべきものと考えており、その設立に被告人乙川が関与していると聞いたことはないと証言しているのであり〔<証拠略>〕、最も関連の深い建設業界においても、推進機構設立を冷静に受け止めており、それを被告人乙川の功績と評価していた者は少なかったのではないかと思われる。

確かに、推進機構は、講習会の開催、啓蒙書の出版等の有意義な活動をしている〔<証拠略>〕ところ、その評価につき、伴は、被告人乙川の努力・尽力が大きく、それがなければ機構として存在しなかったであろうと証言し〔<証拠略>〕、衆議院議員Lは、被告人乙川が機構の設立を考えていると聞き、非常によいことだと思って期待しており、建設業界も賛成していたので基金を集められたものと思う旨証言し〔<証拠略>〕、衆議院議員Mは、被告人乙川が着想して推進していると聞き、大変よいことだと思い、同被告人の活動を評価していた旨証言している〔<証拠略>〕から、推進機構の設立を被告人乙川の功績として評価していた者らがいたことは疑いがない。

しかしながら、前記のとおり、被告人乙川は、本件当時、国務大臣の経験も有する有力議員であり、自民党内の要職をいくつも重ねて務めていた者であるところ、推進機構の目的・組織規模・活動内容や、建設業界における評価などに照らすと、その設立が同被告人の「出世仕事」というほど重要な地位を占めるものであったとは認め難い。

3 推進機構の長の人事が重要であったという供述について

被告人乙川は、推進機構の長として公取委委員長を経験したような「大物」を迎えることが重要であり、そのためにはN委員長に対して礼節を尽くすなどして、その協力を得ることが不可欠であったため、平成三年秋ころから本件当時まで、機会あるごとに同委員長に協力を依頼していたと供述している。

確かに、新たに発足する組織の長に「大物」を据えることは組織が順調に活動を開始し、発展するために重要であると一般的にはいえるから、同被告人がNに対して協力を依頼していたことは疑いがないものと思われる。とはいえ、そのような人物の推薦を求めるだけのために長期間にわたって何度もNに協力を依頼し続けたというのは、やはり不自然なように思われる。なぜなら、前記のような推進機構の目的・組織規模・活動内容等、とりわけ、推進機構の事業内容が主として講習会の開催と啓蒙書の出版であり、会長の力量によってその活動範囲に大きな差異が生じるような性質の機関とはうかがわれないことに徴すると、推進機構の長の人事の重要性もそれほどのものとは考えにくいうえ、推進機構自体の設立について社会的に特段の反対があったわけではなく、しかも長は非常勤でよいというのであれば、名誉職ともいえる長への就任依頼を拒絶されるとは考え難く、ひいては、長の候補者の推薦依頼もさほど難航するとは考え難いからである。現に、Nも、後記4のとおり、機構を設立して公取委の退職者を職員に充てることは結構であったが、土曜会事件の審査中という時期が悪かったために慎重に対応したもので、平成四年夏には公取委の元委員長に就任の意向を打診したと証言しており、時期の点を除けば長の人選への協力もいとわなかったものと認められる。

4 平成四年一月ころは推進機構の長の人事が大詰めを迎えていた時期であったという供述について

被告人乙川は、平成四年一月ころ、国会対策委員会の筆頭副委員長としての忙しい合間をぬって二回位公取委の委員長室に出向いたのは、N委員長からの面会要請があり、推進機構の長の人事が大詰めを迎えていた時期だったためであると供述している。確かに、Nも、平成三年末か平成四年一月初めころ、被告人乙川から大物の公取委退職者を理事長にと話された記憶があると証言しているから〔<証拠略>〕、そのころ、被告人乙川とNとの間で推進機構の長の推薦についての話合いが行われたことはあったものと認められる。しかし、推進機構が現実に設立されたのは同年一〇月であるところ、その役職員の人選の経緯等に関する関係者らの証言を総合的に考慮すると、同年一月ころ推進機構の長の人選問題が大詰めを迎えていたか極めて疑わしく、被告人乙川の供述は信用し難い。

すなわち、Nは、この間のいきさつについて、「被告人乙川から、平成三年夏ころ、建設業界の取引の適正や談合の防止のため、建設業ガイドラインの普及・啓蒙等を行う組織の設立を考えており、建設省や業界にも協力させるけれども、公取委も有能な退職者を出して欲しいと話された。その趣旨は結構であったが、土曜会事件の審査中に公取委が業界の組織の設立に協力すると業界との癒着という疑惑を招きかねないので、時間と距離を置いて慎重に対応しようと考えた。同年中に公取委の事務局に対しても同様の話があったが、今の時期に深入りしないようにと指示した。推進機構の話が具体化したのは平成四年夏以降であり、そのころに公取委と建設省との事務レベルでの折衝が行われた記憶である。また、そのころ、同被告人からかねて依頼されていたこともあって、官庁が行う正規の委嘱に先立ち、公取委の元委員長である橋口収に対し、推進機構の長に就任する意向があるか打診した。」などと証言している〔<証拠略>〕。

当時官房審議官であった植松も、「推進機構については平成三年夏過ぎに建設省側から話があり、同年九月以降、担当する経済部調整課と建設省の担当課との話合いに入った。N委員長から、同機構の目的として、談合問題のみに限定せず、労働問題、下請け問題、暴対法の問題も含めた建設業全体の取引適正化ということで話を進めるよう指示されたため、調整課においてその旨を建設省側にも提案した。しかし、その後、組織形態、基金等をどうするか詰めきれなかったようで、同年秋以降建設省からの反応が返ってこなくなった。平成四年四月半ばになり、建設省の方から、機構のスタッフの人選について、人事異動との関連もあるので先を見越して考えておきたいので相談に乗って欲しいと言われたが、機構の組織等はまだ固まっていないという説明だった。そこで、N委員長に諮ったところ、その話は当面進めないようにと指示された。官房審議官在職中の同年六月末までには、話は進まなかった。」などと証言している〔<証拠略>〕。また、当時事務局長であった柴田も、「平成三年九月以降、植松から、建設省の事務方との話に入っていると聞いたが、基本的に協力できないことなので、消極的な対応をしていると思う。その後はあまり報告を受けていなかったが、平成四年春ころ、植松から、建設省から機構のナンバーツーの役員を公取委から出して欲しいと言われていると聞いたが、機構の設立自体に消極的だったので、それには応じられないと話したと思う。その後、公取委を退職した同年七月一日までには、機構についてほとんど動きがなかった。」などと証言している〔<証拠略>〕。植松と柴田の証言は基本的には同趣旨のものであり、細かな点での多少の相異は、その事柄が直接体験した事項か報告を受けた事項かによって記憶に濃淡が生じ得ることなどによって、十分合理的に説明することができる。両証言は、その基本的部分、すなわち、公取委側が平成四年夏以前は推進機構の設立に消極的対応をしていたという部分において、N証言を裏付けている。

さらに、当時建設経済局長であった伴は、「機構の人事については、平成三年秋ころから公取委に協力を求めていたと思う。同年一〇月か一一月に公取委の歴代の委員長・委員・事務局長等のリストを被告人乙川に渡しているので、トップ人事については、そのころから同被告人がN委員長に話を持っていっていたと思う。平成四年四月ころ、公取委側から、機構への公取委の職員の派遣はすぐにはできないという話があった。初代会長に就任した橋口に対しては、同年夏ころに公取委がまず意向を打診しているはずであり、その後、九月に私が橋口に頼みに行った。」などと証言している〔<証拠略>〕。この証言も、公取委側が平成四年夏以前は推進機構の設立に消極的対応をしていたという公取委関係者らの証言に反するものではなく、人事の問題について公取委側が平成四年四月の段階においても消極的であったという点では、植松・柴田の両証言とも符合している(なお、N証言には、平成三年一〇月上旬から末にかけて建設省と公取委の間で事務レベルの打合せが行われたことや、平成四年春ころ建設省から役員人事への協力を求められたことが現れていないが、これらは事務レベルで対応していたことであるし、いずれの事項も推進機構の設立自体について消極的対応をしていたことのひとこまにすぎないから、仮にNの記憶には残っていなかったとしても、不自然とはいえない。)。また、伴は、公取委側で橋口に初代会長への就任の意向を打診したのは平成四年夏ころであったことを証言しており、N証言と合致している。なお、伴は、平成三年一〇月か一一月以降に被告人乙川が推進機構のトップ人事についてNに話していたと思う旨証言しているところ、Nも、前記のとおり、平成三年末か平成四年一月初めころ、被告人乙川から大物の公取委退職者を理事長にと話された記憶があると証言しているのであるから、その間に矛盾はない。

以上のように、関係者らの証言によれば、推進機構の人事の問題については、平成四年四月の段階においても公取委側は消極的であり、Nが実際に初代会長への就任の意向を打診したのは同年夏ころであったと認められ、同年一月ころにはその件での具体的進展がなかったものと推認できるから、Nの証言するように、平成三年末から平成四年初めころ、被告人乙川が大物退職者を理事長にとNに要請したことがあったとは認められるものの、被告人乙川が供述するように、平成四年一月ころ、推進機構の長の人事問題が大詰めを迎えていたとは考え難い。

四  結論

推進機構に関する被告人乙川の供述は、一方では、平成四年一月ころNに要請したのは推進機構のトップ人事の関係であったと主張することによって、そのころ同被告人から二回にわたり土曜会事件の告発の見送りを強く要請されたというN証言を否定する効果を有するものである。しかし、既に検討したように、推進機構に関する同被告人の供述には信用し難い点が多く含まれており、N証言(その信用性については、前記第三の三2(二)参照)に比して、信用できない。

また、推進機構に関する被告人両名の供述は、本件一〇〇〇万円が被告人乙川の推進機構設立に向けられた努力などに対する建設業界からの政治献金であり、土曜会事件に関する公取委への働きかけの謝礼という趣旨ではないという主張の前提ともなっている。しかし、一〇〇〇万円の趣旨については、既に検討したとおり(前記第四の二)、被告人らの供述するような政治献金とは認められないところ、推進機構に関する以上のような事実、特に、推進機構の目的・組織規模・活動内容、建設業界における評価等は、その判断の相当性を補強するものと考えられる。

(法令の適用)

一  被告人甲野

1  罰条 平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下、改正前の刑法を単に「刑法」という。)一九八条(一九七条ノ四)

2  刑種の選択 懲役刑選択

3  未決勾留日数算入 刑法二一条

4  刑の執行猶予 刑法二五条一項

5  訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条

二  被告人乙川

1  罰条 刑法一九七条ノ四

2  未決勾留日数算入 刑法二一条

3  追徴 刑法一九七条ノ五後段

4  訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条

(量刑の理由)

一  本件は、土木建築工事の請負等を営むA建設の代表取締役副社長であった被告人甲野が、埼玉土曜会の会員らによる入札談合の疑いがあるとして公取委が調査を続けていたことに関し、衆議院議員である被告人乙川に対し、公取委が告発をしないように公取委委員長に働きかけてもらいたい旨の斡旋方の請託をし、被告人乙川がこれを承諾し、右斡旋の報酬として被告人甲野が同乙川に対し現金一〇〇〇万円を供与し、被告人乙川がこれを収受したという斡旋贈収賄の事案である。

二  本件においては、独禁法の運用強化のための施策が推進される中で、準司法機関である公取委が独禁法違反の疑いを持って審査していた個別事件に関し、公取委の処分を歪めようとして賄賂の授受が行われ、実際にも、その後、被告人乙川が、公取委委員長に対して執拗に告発見送りを迫っており、犯情は悪質である。また、本件は、閣僚経験がある現職の衆議院議員が、建設業界幹部の依頼で、建設会社等の利益のために敢行した犯罪であり、強い非難に値するばかりでなく、いわゆるゼネコン汚職事件が中央政界にまで波及したものとして、国民の国政に対しる不信を深めることとなった事件でもあり、社会に与えた衝撃は大きいものがある。

三  各被告人ごとの情状を検討すると、被告人甲野は、土曜会の会長会社であったA建設の土木部門を統括する副社長として、公取委による土曜会事件の処分が穏便なものとなるよう対応策を検討していたところ、ついには衆議院議員である被告人乙川に対し、公取委委員長に告発見送りを働きかけるよう依頼するという、不正な手段に訴え、その報酬として賄賂を供与したものである。公取委の職務執行の公正さや国会議員の廉潔性に配慮することなく、不正の手段でA建設等の不利益を回避しようとしたものであって、厳しく非難されるべきである。

また、被告人乙川は、長年衆議院議員を務め、自民党の独禁法調査会会長代理という公取委に対して影響を及ぼし得る地位にあり、しかも、当時、自民党の国会議員らの反対により難航していた罰金引上げを内容とする独禁法の改正問題が公取委の重要な課題であったところ、そのような立場や状況を背景にして、被告人甲野から不正の依頼を受けてこれを承諾し、一〇〇〇万円もの賄賂を受け取ったうえ、公取委委員長に対して土曜会事件の告発見送りを迫ったものである。国民全体の奉仕者として、廉潔性を保持すべき立場にある国会議員が、A建設等の利益を目的とする請託を受けて賄賂を収受し、公取委の職務執行の公正さを侵害しようとしたものであり、国政に対する国民の信頼を著しく損なったものといわざるを得ず、一層厳しく非難されなければならない。

四  これらの事情に照らすと、被告人両名の刑事責任は重く、とりわけ被告人乙川については国会議員たる地位に徴して特に重大である。

五  しかし、他方、被告人乙川が公取委委員長に告発見送りを迫ったものの、それを拒絶され、その後公取委が土曜会事件の告発を見送った理由は、証拠不十分という別の事情によるものであって、被告人両名の本件犯行によって公取委の職務執行の公正さが現実に侵害されるには至らなかったという事情が認められる。

また、被告人甲野については、長年A建設において同社の発展に貢献したほか、土木工事の分野において相応の業績を残していること、本件の発覚以前に、別件の捜査が自らに及んだことを契機として、A建設代表取締役副社長や建設業界の諸団体の役員を辞任するなど、一定の社会的制裁を受けていることなど、同被告人にとって有利な事情も認められる。

被告人乙川についても、長年にわたり衆議院議員として国政に関わり、その間、科学技術庁長官等の要職に就くなど、一定の業績を挙げてきたこと、本件発覚により既に社会的には厳しい非難を受けていることなど、同被告人のために酌むべき事情も認められる。

六  そこで、以上の諸事情を総合考慮し、主文の刑を定めるが、被告人甲野についてはその執行を猶予する情状が見出せるものの、被告人乙川についてはその執行を猶予するのを相当とする情状はないものと判断した。

(裁判長裁判官 池田 修 裁判官 瀧華聡之 裁判官 川田宏一は海外出張のため署名押印することができない。裁判長裁判官 池田 修)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例