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東京地方裁判所 平成6年(行ウ)369号 判決 2000年4月26日

原告

甲野一郎

甲野二郎

原告ら訴訟代理人弁護士

岡村親宜

被告

中央労働基準監督署長古屋英明

右指定代理人

加藤裕

牧野広司

藤森和幸

三輪則夫

岡澤龍一郎

上田清恵

高橋伸夫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が平成2年8月7日付けで亡甲野花子に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。

第二事案の概要

本件は,業務上負傷し,療養補償給付及び休業補償給付の支給を受けていた甲野太郎(以下「被災者」という。)がその療養中に死亡したのは業務上の負傷が原因であるとして,被災者の妻である亡甲野花子(以下「亡花子」という。)が,被告に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したが,被告が被災者の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして平成2年8月7日付けでこれを支給しない旨の処分をしたので,亡花子はこの処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に対して審査請求を,労働保険審査会に対し再審査請求をそれぞれしたが,いずれも棄却されたので,平成6年8月13日に死亡した亡花子に代わってその子である原告らが,右処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実等

(証拠に基づき認定した事実を含む。争いのない事実については特にその旨は断らないが,認定の根拠を示すため括弧内に証拠を掲げる。)

1  被災者(昭和6年5月10日生(<証拠略>))は,昭和59年6月9日に東京工事警備株式会社に入社し,以後警備業務に従事していた者であるが,昭和60年6月12日午前5時50分ころ,東京都江東区有明2丁目2番地先道路の工事現場において,同社の従業員として交通整理の警備業務に従事中,走行中のトレーラーがはね上げたメッセンジャーワイヤーの末端が同人の頸部に当たって,頸部損傷等の傷害を負った(右業務中の事故を以下「本件業務中の事故」という。)。

2  被災者は,右受傷後,河野臨床医学研究所付属第三品川病院(以下「第三品川病院」という。)に搬送され,頭部外傷,頸部捻挫,頸部損傷,気管損傷,外傷性内頸動脈閉塞及び気管食道瘻と診断され,昭和61年9月22日に日本大学医学部付属板橋病院において喉頭摘出の手術を受けた外,同年11月9日まで第三品川病院に入院して治療を受けていたが,同月10日には医療法人慈誠会東武練馬中央病院(以下「練馬中央病院」という。)に転院し,同病院において外傷性両側内頸動脈閉塞,左広範囲脳梗塞,右半身麻痺,喉頭摘出,咽頭部挫創及び永久気管瘻(これらの傷病等を総称して「本件傷病等」という。)と診断され,同病院に入院して治療を受けていた。

3  被災者は,本件傷病等は業務上のものであるとして,中央労働基準監督署長に対し,療養補償給付及び休業補償給付の支給を請求し,中央労働基準監督署長はこれを認め,被災者の死亡に至るまでこれを支給した。

4  被災者は,平成2年6月19日,練馬中央病院において死亡した。死亡診断名は,肺機能不全,心不全であった(ママ)

5  亡花子は,同年7月17日,被災者の死亡が業務上のものであるとして,中央労働基準監督署長に対し,遺族補償給付及び葬祭料を請求したが,中央労働基準監督署長は,同年8月7日付けで,被災者の死亡は業務に起因することの明らかな疾病によるものとは認められないとして,これを支給しない旨の処分(以下「本件不支給処分」という。)をした(本件不支給処分の処分理由については<証拠略>)。

6  亡花子は,本件不支給処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが,同審査官は平成3年8月30日付けで審査請求を棄却する決定(<証拠略>)をした。

亡花子は右決定を不服として労働保険審査会に対し再審査請求をしたが,同審査会は平成6年9月14日付けで再審査請求を棄却する裁決(<証拠略>)をし,この裁決は同月30日に再審査請求代理人(原告訴訟代理人)岡村親宜に送達された。

7  亡花子は同年8月13日に死亡した。亡花子の子どもである原告らは同年12月19日右裁決を不服として中央労働基準監督署長を被告とする本件不支給処分の取消訴訟を提起した(亡花子が死亡したこと及び死亡した年月日並びに原告らが亡花子の子どもであることは<証拠略>)。

二  争点

1  被災者の死因

2  被災者の死亡の業務起因性の有無

第三争点についての当事者の主張<略>

第四争点に対する判断

一  被災者の死因について

1  練馬中央病院における診療の経過

前記第二の一1及び2の事実に,証拠(<証拠・人証略>)を併せて考えれば,以下の事実が認められる。

(一) 被災者の身体状態の経過について

(1) 被災者は,昭和61年11月10日練馬中央病院に入院し,外傷性両側内頸動脈閉塞,左広範囲脳梗塞,右半身麻痺,喉頭摘出,咽頭部挫創及び永久気管瘻と診断された。被災者は,上下肢の機能が全廃しており,球麻痺のため嚥下することができず口から食事を摂取することができないので,鼻腔から胃に管を通して栄養を補給していた。被災者は,精神機能の低下がみられたが,人の話を理解することはできた。ただし,被災者は,気管瘻を作っていたので話をすることはできず,問いに対して頷くことができるだけであった。被災者が練馬中央病院に転院したのはリハビリと全身管理のためであったが,リハビリの進展はさほどなく,被災者は自力では体を動かすことのできないいわゆる寝たきりの状態であり,全身管理を受けていた。

(<証拠・人証略>)

(2) 平成2年5月までは,被災者の体温,血圧,脈拍,心電図,呼吸などの一般的な全身状態はおおむね安定していた。

ただし,被災者には平成2年2月8日に初めて血痰が見られ,同年3月13日にも血痰が認められ,同年3月22日には濃厚な血痰が認められている。これらはカルテに記録されている。カルテに血痰があったことが記載されているのは同年5月17日までは右各日だけであるが,看護記録には別の日にも痰に血液が混入していたとの記載がある。これによれば,被災者はその後痰の流出が断続的に続き,同月23日,同月26日,同年3月5日,同月6日ないし同月9日,同月11日ないし同月17日,同月19日,同月25日,同月28日,同月30日,同月31日,同年4月1日,同月3日,同月9日,同月11日,同月12日,同月14日ないし同月17日,同月20日ないし同月22日,同月24日,同月25日,同月28日,同年5月2日ないし同月8日,同月11日,同月14日ないし同月17日には痰に血液が混入しているとの趣旨が記載されていた。被災者は気管瘻を設けていて,自力で痰を排出することはできないので,痰を吸引するための処置をしなければならず,この吸引処置の刺激で気管瘻から出血したものと考えられており,経過観察にとどまっていた。

ところが,被災者の担当医であった廿楽医師は同年5月17日に至って初めて被災者の血痰を自分の目で見たが,その血痰は吸引処置の刺激で出血した場合に出てくる一過性の血痰とは明らかに異なるものであった。看護記録にも「暗血性の喀痰」と記載されていた。その後も被災者に同年5月18日,同年6月1日及び同年6月2日に同様の血痰が続いた(看護記録には,同年5月19日,同月21日,同月25日,同月26日,同月29日ないし同月31日に痰に血液の混入が認められ,同年6月1日には血痰があり,同月2日には痰に血液の混入が認められ,同月4日には血痰が認められ,同月5日には赤褐色の痰が多量に出た旨の記載がある。)ので,廿楽医師は被災者の肺に異常があることを疑い,同年6月5日被災者の胸部レントゲン写真を撮影した。

(<証拠・人証略>)

(3) 被災者は同月5日以後もほぼ毎日血痰が見られたが,同月5日ころから喀痰が増加し,同月7日時折痰のために呼吸が困難になり,同月8日には気道閉塞に注意を要する状態になり,大量出血の可能性も懸念された。被災者は同月11日からは食欲が低下し,同月16日からは発熱,頻呼吸が出現し,死亡した同月19日までの間に全身状態が急速に悪化していった。

(<証拠・人証略>)

(二) 胸部エックス線写真撮影,胸部断層(CT)検査の結果について

被災者に対して,次の(1)ないし(7)のとおり胸部エックス線写真撮影及び胸部断層(CT)検査が行われた。

(1) 平成元年1月17日及び同年5月13日にそれぞれ正面から1枚ずつの胸部エックス線写真が撮影された(<証拠略>)が,後者については右の肺門部に小さな円形陰影が疑われたものの,これを含めて異常陰影は認められなかった(<証拠・人証略>)。

(2) 同年10月11日に正面の少し右前斜位から1枚の胸部エックス線写真が撮影され(<証拠略>),それによれば,右の肺門部に小指頭大(直径17ミリメートル)の異常陰影が認められるが,西村医師は肺動脈と読影し,廿楽医師はこの陰影が腫瘤であるとは当時は考えていなかった(<証拠・人証略>)。

(3) 平成2年6月4日に正面から立位で1枚の胸部エックス線写真が撮影された(<証拠略>)が,それによれば,右肺野(肺門部)に直径約6センチメートル強の腫瘤状の陰影が認められる(<証拠・人証略>)。

(4) 同月5日に側面から1枚(<証拠略>),正面から10枚(<証拠略>)の胸部エックス線写真が撮影されたが,側面から撮影した写真(<証拠略>)によれば,被災者の右肺野の背中側に直径約6センチメートル強の腫瘤状の陰影が認められ,さらに陰影の下方に淡い浸潤影が認められる(<証拠・人証略>)。

(5) 同月6日に胸部断層(CT)検査として正面から11枚の写真が撮影された(<証拠略>)が,そのうち1枚の写真によれば,被災者の右肺野に直径約6センチメートルの腫瘤状の陰影が認められる(<証拠略>)。

(6) 同月12日に正面仰臥位から1枚の胸部エックス線写真が撮影された(<証拠略>)が,それによれば,右肺野のほぼ全体に淡い浸潤影が認められるが,同月4日及び同月5日に撮影された胸部エックス線写真に写っていた腫瘤状の陰影はエックス線写真上は明らかには認められない(<証拠・人証略>)。

(7) 同月15日に右仰臥位から1枚(<証拠略>),側面から1枚(<証拠略>)及び正面から1枚(<証拠略>)の胸部エックス線写真が撮影されたが,そのうち右仰臥位から撮影した写真(<証拠略>)によれば,右肺野のほぼ全体に悪化した浸潤影が認められる(<証拠・人証略>)。

(三) 血液検査,尿検査,生化学検査,細胞診の結果について

(1) 平成2年5月16日に行われた血液検査の結果によれば,CRP(C反応性蛋白試験)は陰性であり(数値は0.05),白血球数は正常値であり(数値は4200),貧血もなく(<証拠略>),また同日までに行われた尿検査や血液検査の結果によれば,血清総蛋白や血清総コレステロールも正常値であった(<証拠略>)(ママ)

(2) 同年6月5日に被災者の喀痰の結核菌の培養検査が行われ,4週間培養されたが,結果は陰性であった。同月12日に行われた被災者の咽頭粘液の塗沫培養検査では緑膿菌及び連鎖球菌が多数検出された。同月13日に喀痰(血痰)の培養検査が行われ,連鎖球菌が少数検出された。緑膿菌は呼吸器感染症の重要な起炎菌である。

(<証拠略>)

(3) 同月6日に行われた血液検査の結果によれば,NSEの値は77であった(正常値は10)。NSEとは,小細胞肺がんに特異性のある腫瘍マーカーであるとされている。NSEは,溶血(採取した血液中の赤血球が壊れること)により著しい高値になることが知られているが,同月6日に被災者から採取された血液には溶血は見られなかった。

(<証拠略>)

(4) 同月8日及び16日に腫瘤影が肺がんであるか否かを確認するために喀痰細胞診が行われたが,その結果はいずれもクラスⅡであった。クラスⅡでは被災者が肺がんにり患していると診断することはできない。

(<証拠略>)

(5) 同月8日に行われた被災者の血液ガスの検査結果によれば,動脈血酸素分圧は70.8であったが,同月19日に行われた被災者の血液ガスの検査結果によれば,動脈血酸素分圧は58.4であった。動脈血酸素分圧の正常値は74から108であり,短期間で急速に被災者の呼吸不全が進行したといえる。

(<証拠略>)

(6) 同月13日に行われた血液検査によれば,白血球数は11400であった。

(<証拠略>)

(7) 同月18日に行われた血液検査の結果によれば,GOTの値は108,GPTの値は93,BUNの値は42.5,LDHの値は2324(LDHの正常域値は400),γ―GTPの値は68,白血球数は8400,CRP(C反応性蛋白試験)は陽性であり(数値は3.0)であった。GOT,GPT及びBUNの値からは被災者に肝障害,腎障害が認められる。また,LDHの値はいろいろな原因で上昇するが,代表的な原因の1つに肝障害がある。被災者は本件業務中の事故後に行われた手術における輸血等によって肝障害を繰り返してきており,GOTやGTPは正常値よりも高い値を示していたが,LDHは常時正常値を示していた。しかるに,右のとおりその値が顕著に上昇した。LDHの値の上昇はがん細胞の盛んな増殖を示唆し,肺がんにおいて重要な予後因子である。LDHの値の上昇が多臓器不全による肝障害の結果であるとすると,急速な多機能不全による肝障害は肝臓の壊死であるので,LDHのみならず肝臓に特異な酵素であるGOTやGTPの値も急上昇することになる(前記GOTやGTPの値の10倍くらいにまで上昇する。)が,被災者のGOTやGTPの値はそれほど上昇しておらず,したがって,被災者のLDHの値の上昇が多臓器不全による肝障害の結果であるとは考え難い。

(<証拠略>)

(四) これに対し,

(1) (証拠略)には「平成2年6月5日,12日,13日に喀痰及び咽頭粘液の細胞検査が行われたが,同月5日の検査については肺炎球菌が多数検出され」という記載があり,証人西村も同趣旨の証言をしているが,これを裏付ける的確な証拠を欠いており,採用できない。

(2) (証拠略)には「平成元年5月13日に撮影された胸部エックス線写真には異常陰影が見られた」という趣旨の記載があるが,西村医師も山口医師も平成元年5月13日に撮影した胸部エックス線写真には異常陰影は見られなかったと述べていることからすると,右の記載は採用できない。

(3) 西村医師は,その証人尋問において,平成2年6月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は肺門部までまだかなりの距離があると供述しているが,廿楽医師も山口医師もその証人尋問において平成2年6月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は右肺門部にあると供述していることからすると,右の西村医師の証言は採用できない。

2  肺がん及び肺炎の発症の可能性について

証拠(<証拠・人証略>)によれば,以下の事実が認められる。

(一) 肺がんから肺炎を併発することは臨床上よくあることである。比較的太い気管支のある部分で発症した肺がんはよく気管支を圧迫するため,それによって空気の出入りが悪くなって(要するに,換気不良になって)肺炎を併発することがよく見られるが,肺の末梢で発症した肺がんは非常に大きくなって肺門部まで圧迫するということがなければ肺炎を併発することは考え難い。肺がんから肺炎を併発した場合には比較的短期間(例えば数日間)で肺炎が大きく広がり,短期間のうちに死に至るということもある。

発熱は肺炎の初発症状であるが,体力の低下した者が肺炎にり患してもすぐには発熱しないことが知られている。

(<証拠・人証略>)

(二) 一般的には,発症したがんの悪性度が高ければ高いほど,がんを発症した者の全身状態に与える影響も著明であり,がんを発症した者が死亡した場合にはおそくともその死亡の1箇月前までには尿検査,血痰検査において急速な栄養状態の悪化など何らかの消耗性変化が認められるものと考えられるが,生体内にがんが存在していて血液反応に異常が出るのはがんが相当に進行した状態にある場合である。

(<証拠・人証略>)

(三) レントゲン写真上において肺炎像が腫瘤影を覆うことによって腫瘤状の辺縁が見えず(ママ)らくなって,腫瘤影が消えてしまうか又はそれに近いくらい見えにくくなることがあるが,このような現象はシルエットサインと呼ばれている。

(<証拠・人証略>)

(四) 肺で呼吸をつかさどる細胞に何らかの原因で空気がいかなくなって肺胞に空気がない状態となった肺を無気肺というが,レントゲン写真上で類円形の腫瘤陰影を呈する胸膜に基底をもつ特殊な末梢無気肺を円形無気肺という。円形無気肺にはこれを形成する基礎疾患が必ずあり,円形無気肺を形成する基礎疾患としては多くは結核性胸膜炎などの滲出性胸膜炎が上(ママ)げられている。円形無気肺は極めてまれな病態であり,一般的には何年もの長い年月の経過の後に形成されるものであるが,胸膜炎とともに併発した肺炎の軽快によって1,2週間ほどで消失してしまうことがあることが知られている。

(<証拠・人証略>)

(2) 円形無気肺の胸部単純エックス線写真の所見については次の<イ>から<チ>の特徴があるとされている(<証拠略>)。

<イ> 種々の大きさの類円形陰影

<ロ> 特に下葉肺底区背側や外側を中心とした胸膜直下に好発

<ハ> 弓状の曲線を描きながら下方より類円形陰影に入っていく血管や気管支(すなわち,コメット テイル サイン)が認められること

<ニ> その基部でエアー ブロンコグラムが出現すること

<ホ> 類円形陰影周囲の透過性亢進

<ヘ> 葉間線の牽引によって示される肺葉の縮小

<ト> 円形無気肺に接した胸膜の局所的肥厚

<チ> 類円形陰影の辺縁からのびる楔状無気肺

(3) 円形無気肺の胸部断層(CT)写真の所見については次の<イ>ないし<ニ>の特徴が挙げられている(<証拠略>)。

<イ> 肺の末梢で胸膜に接する直径3.5ないし3.7センチメートルの円形又は卵円形の腫瘤

<ロ> 腫瘤に向かって曲線的に入る血管や気管支

<ハ> 中枢側辺縁は腫瘤に向かう血管のため不鮮明化,同部にしばしば随伴するエアーブロンコグラムの出現

<ニ> 隣接胸膜の肥厚

(五) 小細胞肺がんの大部分は肺門部に発生すると教科書には書かれているが,小細胞肺がんは進展が早く,抹消(ママ)型か肺門部型かを決めることは難しいのであり,臨床の経験からすると,末梢部に発生する小細胞肺がんと肺門部に発生する小細胞肺がんの比率はほぼ同数であると考えられる。胸膜直下は円形無気肺の好発部位である。

(<証拠略>)

(六) 肺がんは,胸部エックス線写真撮影,胸部断層(CT)検査,喀痰細胞診,気管支ファイバースコープ検査,胸腔鏡検査,開胸肺生検により確定診断されるべきであり,血清腫瘍マーカーはあくまでも補助的診断法である。

(<証拠・人証略>)

3  被災者の死因等に関する医師の意見について

前記第二の一の事実,証拠(<証拠・人証略>)によれば,以下の事実が認められる。

(一) 山口医師の意見

(1) 山口医師は,被災者の胸部エックス線写真について次のように述べている。すなわち,平成元年10月11日に撮影された被災者の胸部エックス線写真に認められた陰影様のものについて,これは小指頭大(直径17ミリメートル)の辺縁のはっきりした内部の緊密な円形の異常陰影であり,右肺門部に位置する腫瘤の存在を示すものであって,撮影方向から見て腫瘍が背中側に存在していたものと推測される。平成2年6月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は,直径約6センチメートル強の辺縁のはっきりとした内部の緊密な腫瘤状の陰影であり,平成元年10月11日の写真で右肺門部に認められた小指頭大の異常陰影のあった箇所に一致しており,これが大きくなったものである。平成2年6月12日に撮影された被災者の胸部エックス線写真は,仰臥位で撮られたものであるが,そのことからすると,この写真がポータブルの撮影機で取られたことは明らかであり,したがって,写真の条件が悪く,透過度の高い黒すぎる写真になってしまっている。そのためこの写真では,同月4日及び同月5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影が見えにくく,また,淡い浸潤影がかぶっていて腫瘤状の陰影の辺縁が見えず(ママ)らくなっている(いわゆるシルエットサインである。)。同月15日に撮影された被災者の胸部エックス線写真では腫瘤状の陰影は全く見えなくなっている。

(<証拠・人証略>)

(2) 山口医師は,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が肺がんであり,同月5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影の下方に認められた淡い浸潤影が肺炎像であると述べた上,被災者の死因は肺がんに伴う換気不良のために併発した肺炎であると結論付けているが,その理由は,次の<1>ないし<6>のとおりである(<証拠略>)。

<1> 小細胞肺がんに特異性の高い腫瘍マーカーであるNSEの値が同月6日の時点で77と極めて高い値であった。

<2> 同月18日の生化学検査のデータを見ると,それまでほぼ正常であったLDHが2324と著増しており,これは悪性腫瘍が生体内に存在し,急速に大きくなったことを推測させる。

<3> <1>,<2>によれば,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は小細胞肺がんであると考えられる。

<4> 非常に進展の早い小細胞肺がんであれば,約8箇月で直径17ミリメートルから直径約6センチメートル強にまで増大することは十分あり得るのであって,被災者の胸部エックス線写真,胸部断層(CT)写真は<3>と矛盾することはない。

<5> 同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が円形無気肺であるとすると,平成元年10月11日の写真上で認められた陰影様のものも円形無気肺で,この円形無気肺が約8箇月という短期間で直径17ミリメートルから直径約6センチメートル強にまで増大したということになるが,そのようなことが起こることは考え難い。また,平成2年6月15日の写真上では腫瘤状の陰影は全く見えなくなっているが,円形無気肺が自然に消失することは考えられない。また,被災者に胸膜炎が発生したとする論拠は全く見当たらない。したがって,同月4日及び同月5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影が円形無気肺であるとは考え難い。

<6> 被災者は寝たきりの状態であり,自己免疫力,抵抗力は極めて低下していたと考えられるところ,そのような状態で肺がんを発症し,肺炎を併発したのであり,同月18日の生化学検査のデータによると,CRPは3.0と陽性であり,抗生物質の投与にもかかわらず肺炎が改善しなかったが,これは,被災者の抵抗力が低下していたこと,被災者に肺がんが合併していたこと,被災者が寝たきりであったため,肺炎が背中側に広がり治りにくい状況を作っていたことによるものと考えられる。

(二) 西村医師の意見

(1) 西村医師は,被災者の胸部エックス線写真について次のように述べている。すなわち,平成元年10月11日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた陰影様のものは正常の肺動脈であり,平成2年6月4日及び同月5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影は円形無気肺であると考えられる(ただ,この腫瘤状の陰影が同月12日の写真上では認められない理由について明確な説明はない)。

(<証拠・人証略>)

(2) 西村医師は,平成2年6月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は肺がんではなく円形無気肺であり,同月5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影の下方に認められた淡い浸潤影は肺炎像であると述べた上,被災者の死因は肺腫瘍による肺機能不全・心不全でも肺がんに伴う換気不良のために生ずる肺炎でもなく,胸膜炎と肺炎であると結論付けているが,その理由は次の<1>ないし<15>のとおりである(<証拠・人証略>)。

<1> 同月5日,同月12日,同月13日に行われた喀痰及び咽頭粘液の細菌検査の結果によれば,同月5日には肺炎球菌が多数検出され,同月12日には緑膿菌が多数検出されているが,肺炎球菌も緑膿菌も呼吸器感染症の重要な起炎菌であり,これらの菌が多数検出されたことは肺炎,胸膜炎又は気管支炎等の感染症の存在を強く示唆する。

<2> 被災者は同月5日ころから喀痰が増加し,右同日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上も浸潤影を認め,同月12日の写真では右肺野の広範囲の浸潤影になり,同月15日の写真では右肺野の浸潤影は更に悪化している。

<3> 被災者は同月16日からは発熱,頻呼吸が出現し,同月18日の血痰検査でも白血球増加,核の左方移動,CRP陽性と感染症の所見が認められる。

<4> <1>ないし<3>によれば,被災者が肺炎にり患していたことは明らかである。

<5> 同月4日及び5日に撮影された胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影には円形無気肺の特徴として上(ママ)げられている前記(第四の一2(四)(2))の<イ>,<ロ>,<ハ>,<ホ>及び<ヘ>が認められ,同月6日に撮影された被災者の胸部断層(CT)写真上で認められた腫瘤状の陰影には円形無気肺の特徴として上(ママ)げられている前記(第四の一2(四)(3))の<イ>ないし<ニ>のすべてが認められた。

<6> 同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は明らかに肺の末梢である胸膜直下に認められる。胸膜直下は円形無気肺の好発部位であるのに対し,小細胞肺がんは大部分が肺門部に発生するがんである。

<7> <5>及び<6>によれば,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は円形無気肺であると考えられる。

<8> 円形無気肺の基礎疾患としては胸膜炎が上(ママ)げられることが多く,<1>によれば胸膜炎の存在を強く示唆する検査結果が得られており,これらによれば被災者は胸膜炎にり患していたと考えられる。

<9> 同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が肺がんであるとすれば,同月12日の写真上でこの陰影が認められなくなるという事態が起きることは普通あり得ない。

<10> 同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が肺がんであるとすれば,その大きさから見て,以前に撮影された胸部エックス線写真上にも腫瘤状の陰影が当然写っているものと考えられるが,平成元年10月11日に撮影された被災者の胸部エックス線写真には腫瘤状の陰影は認められない。担当医である廿楽医師も右の胸部エックス線写真に写っている陰影様のものを腫瘤状の陰影とは考えていなかった。

<11> 平成元年10月11日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた陰影様のものが肺がんであり,平成2年6月4日及び同月5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影が肺がんであるとすれば,約8箇月の間に小指頭大から約6センチメートル強にまで増大したことになり,非常に進行が早いがんということになるが,そうであるとすれば,当然被災者の全身状態に与える影響も著明で,尿検査や血液検査において急速な栄養状態の悪化など何らかの消耗性変化が認められるはずであるのに被災者が死亡した約1箇月前に行われた尿検査や血液検査では特に異常は認められなかった。

<12> 同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が肺がんであるか否かを確認するために同月8日と同月16日に喀痰細胞診が行われたが,その結果はいずれもクラスⅡであり,これは被災者が肺がんにり患していると診断するには否定的な検査結果であった。

<13> 同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は肺門部までまだかなりの距離があるから,右の陰影が肺がんであるとすると,それが10日ほどで増大して肺門部を圧迫したために肺炎が発症したということになるが,そのような短期間で肺がんが増大することはあり得ない。

<14> <9>ないし<12>によれば,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が肺がんであるということはできない。

<15> <1>及び<14>によれば,被災者が肺がんに伴う換気不良のために生ずる肺炎で死亡したということはできない。

<16> 肺腫瘍(肺がん)による肺機能不全・心不全による死亡であれば,それは腫瘍による全身の衰弱による死亡であり,その経過は徐々に悪化するという経過をたどるはずであるにもかかわらず,被災者が死亡した約1箇月前に行われた尿検査や血液検査では特に異常が認められなかったのであるから,被災者が肺腫瘍(肺がん)による肺機能不全・心不全で死亡したということはできない。

(三) 廿楽医師の意見

(1) 廿楽医師の作成に係る平成2年6月付けの死亡診断書によれば,被災者の死因は,肺腫瘍(発病から死亡までの期間3箇月)により肺機能不全・心不全(発病から死亡までの期間6日間)をり患したことであると診断している。

(<証拠略>)

(2) 廿楽医師は,平成3年6月11日東京労働者災害補償保険審査官に対し,次のように述べている。すなわち,練馬中央病院放射線科はレントゲン所見から被災者の死因を肺腫瘍であると診断したので,死亡診断書においてそのように診断した。ただ,被災者については病理解剖を実施しておらず,また,喀痰の細胞診でも腫瘍細胞は発見できなかったのであるから,被災者の死因を肺腫瘍と確定したわけではない。例えば,呼吸器感染症による肺膿瘍のような疾病を発症したのであれば,被災者の永久気管瘻との関連性を否定できないが,レントゲン,断層撮影から判断して肺腫瘍と考えられる。

(<証拠略>)

(3) 廿楽医師は,平成6年5月28日,原告ら訴訟代理人の照会に対し,次のように回答している。すなわち,被災者には平成2年5月ころから風邪症状があり,喀痰の増加が見られ,血痰を伴うようになり,同年6月上旬レントゲンその他に基づき被災者は肺腫瘍にり患していると判断した。

(<証拠略>)

(4) 廿楽医師の作成に係る平成8年12月19日付けの鑑定意見書(<証拠略>)には,次のような記載がある。すなわち,練馬中央病院放射線科は平成2年6月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は平成元年10月11日の写真上で認められた陰影様のものが増大したものであり,肺腫瘍が疑われるとして喀痰細胞診,臨床検査を行った。喀痰細胞診の結果はクラスⅡであり,これだけでは腫瘍があると診断することはできなかった。しかし,被災者は平成2年5月17日以降気管瘻から血痰の流出が続いており,血痰の性状,量,持続という点から肺胞病変により発生した血痰が疑われた。肺胞病変には炎症性の疾患(肺結核,肺支肺化膿症,気管支拡張症等)と腫瘍性の疾患(肺がん)があるが,同月16日の血液検査の結果に炎症性病変の存在を示すデータはなく,被災者は練馬中央病院に入院後呼吸器感染症(慢性気管支炎,気管支拡張症等)にり患したことはなかったのであり,これらの事実に,同年6月6日に行った腫瘍マーカーNSEの値,同月18日に行った生化学検査におけるLDHの値を総合して,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は肺腫瘍であると診断された。そして,喀痰細菌検査及び臨床検査の結果,同月5日の写真で著明な肺炎所見が認められず,同月15日の写真上で肺炎所見が認められたことによれば,肺腫瘍に続いて肺炎を併発したものと考えられる。

以上によれば,被災者は,単なる呼吸器感染症ではなく,肺がんが発生したため,容易に肺炎を併発して呼吸器不全が増長され,死亡するに至ったものと考えられるので,被災者の死因は肺腫瘍であると考えられる。

(<証拠略>)

(5) 廿楽医師の作成に係る平成8年7月24日付け回答書及び同人の当審における証言は,おおむね同人の作成に係る同年12月19日付け鑑定意見書と同趣旨である。

(<証拠・人証略>)

(四) 浦田医師の意見

浦田医師の作成に係る平成3年7月2日東京労働基準局受付の鑑定書(<証拠略>)には,次のような記載がある。すなわち,肺の異常が臨床的に認められたのは平成2年6月初めのことであるが,胸部エックス線写真に巨大(手拳大)な円形陰影を右中肺野に認めたものの,数次にわたる細胞診ではがん細胞は発見されず,また,臨床検査の結果からも感染(肺炎,気管支炎等)は否定されている。同年4月撮影のエックス線写真では,結果面ではあるが,右気管支部に小指頭大の異常陰影らしきものを認めるが,それ以前のエックス線写真では異常を認めていないので,近々2,3箇月の短期間でこのような巨大な陰影に生成したものであることが認められる。同陰影は上記のとおり感染性のものではなく,外傷及びその続発症に基づく障害,殊に食道気管瘻との関連は認めることは困難である。また,がんは否定されているが,仮にがん性のものであるとしても,外傷との因果関係は認め難い。結局,上記肺の異常は肺腫瘍と診断することが妥当な例と思われるが当該肺腫瘍の成因は不明とせざるを得ない。

(<証拠略>)

4  被災者の死因について

(一) 被災者は肺がんにり患していたかどうか

(1) 平成元年10月11日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で右肺門部に小指頭大(直径17ミリメートル)の陰影が認められるが,平成2年6月4日及び同月5日の写真上では右肺門部に直径約6センチメートル強の腫瘤状の陰影が認められ(前記第四の一1(二)),約8箇月間に右の通り陰影の増大が認められる。この事実に,同月6日には小細胞肺がんに特異性のある腫瘍マーカーであるNSEの値が極めて高かったこと(前記第四の一1(三)(3)),同月18日にはがん細胞の盛んな増殖を示唆する腫瘍マーカーであるLDHの値が顕著に高かったこと(前記第四の一1(三)(7))も加えて考慮すれば,山口医師の意見(前記第四の一3(一))どおり,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は肺がんであると認めることができる。

(2) これに対し,西村医師は,同月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた陰影は円形無気肺であり,肺がんではないとの意見を述べている。

ア まず,平成2年6月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた直径約6センチメートル強の腫瘤状の陰影が西村医師の意見どおり仮に円形無気肺であるとすると,円形無気肺は一般的には何年もの長い年月の経過の後に形成されるものである(前記第四の一2(四)(1))から,相当以前から形成されてきたことになり,平成元年10月11日の写真上で認められた直径17ミリメートルの陰影様のものも円形無気肺ということになるが,円形無気肺が約8箇月間で直径17ミリメートルから直径約6センチメートル強にまで増大することは考え難いこと(前記第四の一3(一)(2)<5>),円形無気肺には必ず基礎疾患があり,基礎疾患としては多くは結核性胸膜炎などの滲出性胸膜炎が上(ママ)げられる(前記第四の一2(四)(1))が,被災者は練馬中央病院に転院した後は平成2年5月まで炎症症状を伴ういわゆる呼吸器疾患にり患したことはなかったのであり(前記第四の一1(一)(2)),被災者には直径約6センチメートル強もの大きさの円形無気肺を形成するだけの基礎疾患はなかったというべきであること,円形無気肺は基礎疾患たる胸膜炎とともに併発した肺炎の軽快によって1,2週間ほどで消失してしまうことがある(前記第四の一2(四)(1))が,後記第四の一4(二)のとおり同年6月5日に発症が確認された右肺野の肺炎はその後軽快するどころか目を追うに従って増悪しているのであって,仮に同月4日及び5日の写真上で認められた腫瘤状の陰影が円形無気肺であるとすると,同月12日又は15日の写真上で右の腫瘤状の陰影が消失してしまって認められない理由を説明できないこと,以上の点に照らせば,西村医師が円形無気肺と結論づけている論拠<5>及び<6>(前記第四の一3(二)(2)<5>及び<6>)について仮にこれを認めることができるとしても,同月4日及び5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影が円形無気肺であると認めることはできない。

イ 次に,西村医師が肺がんを否定する論拠<9>ないし<12>(前記第四の一3(二)(2)<9>ないし<13>)のうち,

(ア) <9>については,証拠(<証拠・人証略>(前記第四の一3(一)(1))によれば,撮影条件が悪かった上にシルエットサインと呼ばれる現象(前記第四の一2(三))によるものであることが認められる。

これに対し,西村医師はその証人尋問において胸部エックス線写真上でほとんど黒いところがなくなる,真っ白になるくらいの肺炎であればシルエットサインという現象もあり得るが,同月12日に撮影された被災者の胸部エックス線写真は淡い白い肺炎の陰が出ているが,淡いもので十分黒いところが結構ある写真なので,シルエットサインという現象は考えられないと証言している(<証拠略>)。しかし,右の西村医師の証言は胸部エックス線写真が通常の条件で撮影されていることを前提としているところ,この写真はその条件が悪いため透過度が高い黒すぎる写真になっているのである(前記第四の一3(一)(1))から,右の西村医師の証言はその前提を欠いており,シルエットサインという現象を否定する理由にはならないというべきである。<9>は右(1)の結論の妨げにはならない。

(イ) <10>については,証拠(<証拠・人証略>)によれば,平成元年10月11日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた陰影様のものがおよそ腫瘤であるとは認められないというわけではないのであって,腫瘤であると認められる根拠も十分に存するので,<10>は右(1)の結論の妨げにならない。

(ウ) <11>については,前記第四の一2(二)に照らし,右(1)の結論の妨げにはならない。

(エ) <12>については,証拠(<証拠略>)によれば,細胞診はしばしば陰性を示すことがあり数回続行施行することが必要とされているというのであるから,喀痰細胞診の結果では被災者が肺がんにり患していると診断することができないこと(前記第四の一1(三)(4))は右(1)の結論の妨げにはならない。

(オ) <13>については,前記第四の一1(二)(3)に照らし,右(1)の結論の妨げにはならない。

(3) 以上によれば,平成2年6月4日及び同月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影は肺がんであると認められる。

これに対し,廿楽医師の当初の意見(前記第四の一3(三)(1)ないし(3))又は浦田医師の意見(前記第四の一3(四))における肺腫瘍とは肺がんではない肺腫瘍を指しているように考えられないでもないが,被災者の肺腫瘍が肺がんではない肺腫瘍であると認めるに足りる十分な根拠は見出し難い。

そうすると,被災者は,平成2年6月4日の時点において,肺がんにり患していたものと認められる。

この認定に反する証拠(<証拠・人証略>)は採用できず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 被災者は肺炎にり患していたかどうか

平成2年6月5日に撮影された被災者の胸部エックス線写真上で認められた腫瘤状の陰影の下方には淡い浸潤影が認められ(前記第四の一1(二)(4)),同月12日の写真上では右肺野のほぼ全体に淡い浸潤影が認められ(前記第四の一1(二)(6)),同月15日の写真上では右肺野のほぼ全体に悪化した浸潤影が認められた(前記第四の一1(二)(7))が,証拠(<証拠・人証略>)によれば,これらの胸部エックス線写真上の浸潤影は肺炎像であると考えられる。このことに加え,被災者からは同月12日に行われた咽頭粘液の塗沫検査において緑膿菌が検出されたが,緑膿菌は呼吸器感染症の重要な起炎菌であること(前記第四の一1(三)(2)),被災者は少なくとも同年5月までは炎症症状を伴ういわゆる呼吸器感染症は見られなかったのであり(前記第四の一1(一)(2)),同月16日の血液検査によれば,CRPは陰性であり,白血球数も正常で貧血もなかったこと(前記第四の一1(三)(1)),ところが,被災者は同年6月5日ころから喀痰が増加し,同月16日からは頻呼吸が出現した(前記第四の一1(一)(3))が,同月8日に70.8であった被災者の動脈血酸素分圧は同月19日には58.4となっており,短期間で急速に被災者の呼吸不全が進行したといえること(前記第四の一1(三)(5)),被災者の白血球数は同月13日の血液検査では11400,同月18日の血液検査では8400であり,被災者のCRPは同月18日の血液検査では陽性であったこと(前記第四の一1(三)(6),(7)),被災者は同月16日から発熱している(前記第四の一1(一)(3))が,体力の低下した者が肺炎にり患した場合には肺炎の初発症状である発熱は見られないことが知られており(前記第四の一2(一)),被災者は本件業務上の事故後寝たきりの生活が約5年間も続いており(前記第四の一1(一)(1)),体力が低下していたものと考えられるので,被災者が同月16日に発熱したからといって,そのころに肺炎にり患したと考えることは必ずしも適当ではないこと,以上を総合すれば,被災者には遅くとも平成2年6月5日には肺炎を発症したものと認められる。

この認定に反する証拠(<証拠・人証略>)は採用できず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) 被災者の死因について

肺がんから肺炎を併発することは臨床上よくあり(前記第四の一2(一)),被災者の肺がんは同年6月4日の時点において右肺門部に位置しているものと認められる(前記第四の一1(二)(3))から,そのころに被災者の肺がんから肺炎を併発することは十分あり得るものと考えられること,肺がんから肺炎を併発した場合には比較的短期間,例えば数日間で肺炎が大きく広がり,短期間のうちに死に至ることもある(前記第四の一2(一))ところ,被災者に肺炎が発症するに至った経緯(前記第四の一4(二))に照らせば,被災者の肺炎は短期間の内に大きく広がったといえること,以上の事実に,乙第4号証,証人山口の証言を併せて考えれば,被災者は肺がんから併発した肺炎によって死亡するに至ったものと認められる。

この認定に反する証拠(<証拠・人証略>)は採用できず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

なお,仮に被災者が肺がんによる肺機能不全,心不全で死亡したとすれば,それは肺がんによる全身の衰弱による死亡であり,死に至るまでの経過は徐々に悪化するという経過をたどるはずである(証人西村の証言)にもかかわらず,被災者が死亡した平成2年6月19日の1箇月余り前である同年5月16日に行われた血液検査では特に異常は認められなかったし,右同日までに行われた尿検査や血液検査においても異常は認められなかったのである(前記第四の一1(三)(1))から,被災者が肺がんによる肺機能不全・心不全で死亡したということはできない。

二  被災者の死亡の業務起因性について

1  労災保険法上の遺族補償給付(同法12条の8第1項4号,同法16条から16条の9まで)及び葬祭料(労災保険法12条の8第1項5号,同法17条)は「労働者が業務上死亡した場合」(労基法79条,80条)に支給される(労災保険法12条の8第2項)。

ここで,「労働者が業務上死亡した場合」に当たるというためには労働者の死亡と業務との間に相当因果関係があることが必要であり,労働者の死亡が業務に内在する危険の現実化したものと認められる場合に労働者の死亡と業務との間に相当因果関係があると解するのが相当である。右相当因果関係を肯定するには,労働者の死亡と業務との間に条件関係が存在することが前提となる。

2  労働者が業務災害により療養中に業務上の負傷又は疾病とは別の疾病を発症し,その別の疾病が増悪して死亡するに至った場合において,その別の疾病が,業務災害とは別個のものであり,業務とは無関係に発症したと認められ,かつ,その別の疾病が業務上の負傷又は疾病の存在によってその自然的経過を超えて著しく増悪したために労働者が死亡したという事情が認められないときには,その別の疾病の発症又は増悪は業務に内在する危険の現実化したものとみることはできない。しかしながら,右の場合において,遅くとも労働者が業務災害により療養中に業務上の負傷又は疾病とは別の疾病を発症した時点までに,その労働者は療養中にいずれ業務上の負傷又は疾病が増悪して死亡することが確実であったというときには,その労働者の死亡の直接の原因はその別の疾病であるとしても,療養中にいずれ業務上の負傷又は疾病が増悪して死亡することが確実であるという点に着目すれば,その労働者の死亡を業務に内在する危険の現実化したものとみることが可能である。

被告が前記第三の二2(一)(5)で指摘する労基法及び労災保険法の規定はいずれも労働者の死亡を業務に内在する危険の現実化したものとみることを必ずしも妨げるものとはいえない。本件はこの見地からも検討する必要がある。

なお,原告は,右の可能性にとどまらず,前掲最高裁平成8年4月25日第一小法廷判決を援用して,業務上の傷病により労働能力を全部喪失して療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者が,当該傷病の発生時に当該傷病以外の原因により死亡する具体的事由が存在し,近い将来における死亡が客観的に予測されていたなどの特段の事情がないにもかかわらず,当該傷病以外の原因により死亡した場合についても,労働者の死亡は業務と相当因果関係のある死亡として労働者の遺族に遺族補償給付を行うものと解するのが相当であると主張する。

しかし,遺族補償給付及び葬祭料は労働者が業務上死亡した場合に支給されるのであり,業務災害により労働能力を全部喪失したというだけでは右の場合に該当するといえないから,前掲最高裁平成8年4月25日第一小法廷判決を適用する前提を欠くものというべきである。原告の主張は採用できない。

3  本件において,

(一) 被災者が,本件業務中の事故によって負った本件傷病等の療養中に肺がんにり患し,さらにこれに伴う換気不良のために発症した肺炎が原因で死亡したことは前記のとおりであって,本件全証拠によっても右肺がん及びこれに併発した肺炎が業務上の本件傷病等に起因して発症したことを認めるに足りない。

なお,山口医師の作成にかかる鑑定書(乙第4号証)には「この業務上疾病がなければ,しかるべき病院に紹介されてしかるべき肺癌の治療が行われていたであろう。肺炎が仮に併発していてもこれほど重症化しなかったであろう。肺炎が難治性でこのような急速の不治の転帰をたどったのは,この『業務上疾病ゆえ』と言えよう。」という記載があり,この記載によれば,業務上災害のために肺がん及びこれに併発した肺炎が自然的経過を超えて著しく増悪したものであるかのように見受けられないではないが,乙第4号証,(証拠略)及び証人山口の証言によれば,被災者の肺がんは小細胞肺がんであり,しかも急速に進展するタイプであって,予後が悪く,業務上災害がなかったとしても,延命できたのは比較的短期間にとどまったことが認められるから,乙第4号証の前記記載部分をもってしても,右肺がん及びこれに併発した肺炎が,業務上の本件傷病等の存在によってその自然的経過を超えて著しく増悪したことを認めるに足りない。そして,他に,右肺がん及びこれに併発した肺炎が,業務上の本件傷病等の存在によってその自然的経過を超えて著しく増悪したことを認めるに足りる証拠はない。

(二) 被災者は,本件業務中の事故によって負った本件傷病等の療養中に肺がんにり患し,肺がんから併発した肺炎によって死亡するに至ったが,本件全証拠によっても,遅くとも被災者が肺炎を発症するまでの時点においていずれ本件傷病等が増悪して被災者が死亡することが確実であったことを認めるに足りない。

(三) 以上によれば,被災者は業務災害や業務とは全く無関係に発症した別の疾病によって死亡したといわざるを得ないから,被災者の死亡は業務に内在する危険の現実化したものとみることはできないのであって,被災者の死亡と業務との間に相当因果関係があるということはできない。

第五結論

以上のとおり被災者の死亡は業務に起因するものとはいえないから,これと同じ判断の上に立ってされた本件処分は適法であり,原告らの請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し,訴訟費用の点について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,65条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木正紀 裁判長裁判官髙世三郎及び裁判官植田智彦は転補につき署名押印することができない。裁判官 鈴木正紀)

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