東京地方裁判所 平成7年(ワ)14887号 判決
原告 ビルディング不動産株式会社
右代表者代表取締役 佐々木泰樹
右訴訟代理人弁護士 伊藤茂昭
同 溝口敬人
同 宮田眞
同 岡内真哉
被告 宮下正吾
右訴訟代理人弁護士 寺村温雄
主文
一 原告と被告との間の別紙物件目録記載の建物の賃貸借契約における賃料は、平成七年二月一日以降月額金六三九万九六〇七円(消費税相当額は別途加算する。以下同じ。)、平成八年一二月一日以降月額金五三六万九二七〇円、平成一〇年一二月一日以降月額金五一一万一五四五円であることをそれぞれ確認する。
二 被告は、原告に対し、金六四一九万七八八二円及びうち金八二万五九七九円に対する平成七年三月から平成八年一二月までの毎月一日から各支払済みまで、うち金一八八万七二二六円に対する平成九年一月から同年四月までの毎月一日から各支払済みまで、うち金一九二万三八七二円に対する平成九年五月から平成一〇年一二月までの毎月一日から各支払済みまで、それぞれ年一割の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを一〇分し、その三を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告と被告との間の別紙物件目録記載の建物の賃貸借契約における賃料は、平成七年二月一日以降月額金三一三万一一〇〇円(消費税相当額を別途加算する。以下同じ。)、平成八年一二月一日以降月額金二八一万七九九〇円、平成一〇年一二月一日以降月額金二五〇万四八八〇円であることをそれぞれ確認する。
二 被告は、原告に対し、金二億〇二三五万〇四四八円及びうち金四一九万二五四二円に対する平成七年三月から平成八年一二月までの毎月一日から各支払済みまで、うち金四五一万五〇四六円に対する平成九年一月から同年四月までの毎月一日から各支払済みまで、うち金四六〇万二七一七円に対する平成九年五月から平成一〇年一二月までの毎月一日から各支払済みまで、それぞれ年一割の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告に対し、原告は被告から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)一棟全部を一括借り受け、その各室を第三者に転貸しているが、その賃料が、近隣の賃料相場に比して著しく不相当に低額となったとして、借地借家法三二条一項の賃料減額請求権ないし事情変更の原則に基づき、平成七年二月一日以降月額金三一三万一一〇〇円、平成八年一二月一日以降月額金二八一万七九九〇円、平成一〇年一二月一日以降月額金二五〇万四八八〇円にそれぞれ減額する旨の意思表示をしたことを理由に、右各減額の意思表示に基づく賃料額の確認を求め、かつ、平成七年二月末日から平成一〇年一一月末日までの間に賃料として支払った金員(平成七年二月分《平成七年二月末日支払》ないし平成九年三月分《平成九年三月末日支払》については、月額金七二〇万一五三〇円及び消費税相当額金二一万六〇四五円の合計金七四一万七五七五円、平成九年四月分《平成九年四月末日支払》ないし平成一〇年一一月分《平成一〇年一一月末日支払》については、月額金七二〇万一五三〇円及び消費税相当額金三六万〇〇七六円の合計金七五六万一六〇六円)と右各減額の意思表示に基づく賃料額との差額の返還等を求めるものである。
一 争いのない事実等
1 当事者
原告は、不動産賃貸を業とする株式会社であり、被告は、本件建物を所有する者である。
2 本件建物賃貸借についての基本合意
原告と被告とは、平成三年四月一五日、被告が建築計画中であった本件建物について、被告を貸主、原告を借主としてこれを一括賃貸する契約を締結することに関し、次の内容の基本合意(以下「本件基本合意」という。)をした(甲第一三号証、乙第四号証)。
(一) 期間(三条イ)
賃貸借契約の期間は一五年とする。その延長については、両者協議のうえ決定する。
(二) 賃料及び賃料の増額(三条ハ)
賃料は、賃料算定面積(別紙物件目録参照)を基準に坪当たり金二万八〇〇〇円(消費税相当額を別途加算する。)の割合で計算するものとし、毎月末日までに当月分を支払うこととする。
賃料の増額率は、二年ごとに六パーセントとする。
(三) 保証金(三条ニ)
原告は、被告に対し、賃料算定面積を基準に坪当たり金六七万二〇〇〇円の割合で計算した額の保証金を預託する。
(四) 企画料(五条)
被告は、原告に対し、本件基本合意に係る企画料として、原告から被告に支払われる月額賃料と消費税相当額の合計額の三箇月分相当額を支払うものとする。
(五) 転貸特約及び建物の管理(一条、六条)
被告は、原告に対し、本件建物を一括賃貸し、原告が本件建物の各室を第三者に転貸し、収益事業を行うことを承諾する。
被告は、賃貸期間中、原告に対し、本件建物の管理を委託するものとし、原告は、本件建物につき、被告に代わって善良にして忠実な管理を行うものとする。
3 企画料の支払
被告は、原告に対し、平成三年四月一五日、本件基本合意五条(2(四))に基づき、企画料金二六三〇万一二四〇円(消費税相当額を別途加算する。以下「本件企画料」という。)を支払った。
4 本件賃貸借契約の締結
原告と被告とは、平成三年一〇月二八日、本件基本合意に基づき、被告が建築中であった本件建物につき、被告を貸主、原告を借主とする、次の内容の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結した(甲第三号証、乙第七号証)。
(一) 期間(二条一項、五条五項)
「賃料起算日」(この「賃料起算日」は、本件建物の引渡日の二日後とする。)から起算して一五年間とする。契約期間満了に当たって原告・被告双方に異議がない場合は、同一条件で更に三年間自動的に更新されるものとし、その後も同様とする。
(二) 中途解約(三条二項)
原告又は被告が本件建物の引渡後に本件賃貸借契約を解約する場合には、相手方に対し賃料の三六箇月分を支払うことにより解約することができる。
(三) 賃料(五条一項)
月額金八七六万七〇八〇円(消費税相当額を別途加算する。)とし、毎月末日限り当月分を支払う。
(四) 賃料の改定(五条三項)
賃料の改定は、「賃料起算日」から二年ごとに行うものとし、改定前賃料より六パーセントの割合で増額する(以下「本件自動増額特約」という。)。
(五) 保証金(九条一項)
原告は、被告に対し、本件賃貸借契約に基づく保証金として金二億一〇四〇万九九二九円を預託する。
(七) 転貸特約及び建物の管理(一条)
被告は、原告に対し、原告が本件建物を第三者に転貸し(以下右第三者を「テナント」と称する。)、転貸条件を決定し、建物の管理を行い、管理内容を決定することを承認する。
5 本件変更契約の締結
原告は、被告との間で、平成四年一一月二七日、本件賃貸借契約の契約内容について、次のとおり、合意をした(甲第四号証。以下「本件変更契約」という。)。
(一) 契約期間(一条)
平成四年一二月一日から平成一九年一一月末日まで。
(二) 賃料(二条)
<1> 平成四年一二月分から平成六年一一月分までは、月額金七二〇万一五三〇円(消費税相当額を別途加算する。以下同じ。)
<2> 平成六年一二月分から平成七年一一月分までは、月額金七六三万三六二一円
<3> 平成七年一二月分から平成八年一一月分までは、月額九二九万三一〇四円
(三) 賃料差額の清算(三条)
原告は、(二)の賃料変更が原告の都合によるものであり、本件基本契約所定の賃料との差額相当分を支払う義務があることを承認し、差額相当分(平成四年一二月分から同七年一一月分までの三六箇月分)金五七四八万六九九六円(消費税相当額を別途加算する。)を、平成七年一二月から同一九年一一月まで毎月末日限り金四〇万円(ただし、第一回は金三八万六九九六円、最終回は金三〇万円)に分割して支払う(一四四回払)。
(四) 質権設定
被告は、原告が本件賃貸借契約に基づいて被告に差し入れた保証金の返還請求権につき、日本長期信用銀行が質権設定することを承諾する。
6 本件建物の引渡し
被告は、平成四年一一月三〇日、本件建物を完成して、これを原告に引き渡した。
7 本件建物の贈与及び贈与の撤回
(一) 被告は、同人の子である宮下千明(以下「千明」という。)に対し、平成一〇年六月一日、本件建物を贈与した。
(二) 被告と千明とは、(一)の贈与契約を平成一一年一二月二〇日付けで遡及的に合意解除することに合意した。
8 賃料減額の意思表示
(一) 原告は、被告に対し、平成七年一月二一日、本件建物の賃料を、同年二月分から月額金三一三万一一〇〇円(消費税相当額を別途加算する。以下同じ。)に減額する旨の意思表示をした。
(二) 原告は、被告に対し、平成八年一一月二八日、本件建物の賃料を、同年一二月分から月額金二八一万七九九〇円に減額する旨の意思表示をした。
(三) 原告は、千明に対し、平成一〇年一一月一三日、本件建物の賃料を、同年一二月分から月額金二五〇万四八八〇円に減額する旨の意思表示をした(以下(一)ないし(三)の各賃料減額の意思表示を併せて「本件各賃料減額の意思表示」という。)。
9 原告の既払賃料額
原告は、被告又は千明に対し、平成九年三月分までは月額賃料金七二〇万一五三〇円及び消費税相当額金二一万六〇四五円の合計金七四一万七五七五円、平成九年四月分以降は、月額賃料金七二〇万一五三〇円及び消費税相当額金三六万〇〇七六円の合計金七五六万一六〇六円を毎月末日までにそれぞれ当月分として支払った。
なお、原告は、被告に対し、本件変更契約で定められた清算義務(5(三)参照)を履行していない。
10 被告による千明の債務引受け
原告と被告とは、平成一二年二月一七日、本件建物について被告と千明との間で7(一)の贈与契約が締結されてから同契約が合意解除されるまでの間に生じた、本件建物の賃料の過払いに基づき、千明が原告に対して負う不当利得返還債務につき、被告が債務引受けをすることについて合意した。
二 争点
1 本件各賃料減額の意思表示の効力について
(被告の主張)
本件賃貸借契約は、被告が本件建物の建築資金を全額借り入れて、用地の提供及び建物の建築などを行い、原告が完成した建物を一括して借り上げ、ビル賃貸事業についてのノウハウを提供する、いわゆるサブリース契約と称される不動産の事業受託取引であるところ、以下の諸点に照らし、本件建物の賃料は、借地借家法三二条適用の要件である「不相当」の程度には至っていないものであるから、本件各賃料減額請求の意思表示は効力を生じない。
(一) 賃料保証の合意
原告は、被告に対し、本件賃貸借契約の締結に際して、いわゆる空室保証をサブリース契約における貸主の利点として提案し、被告もこれによって空室による収入減のリスクを回避できることを最大の理由として本件のサブリース事業を決断するに至ったものである。
(二) 本件自動増額特約の存在
原告と被告は、賃料相場が下落している状況を認識した上で、本件基本契約に本件自動増額特約を設けたものである。
(三) 本件企画料の支払
本件企画料は、本件のサブリース事業において、空室リスクのない安定収入を保証することなど原告がサブリース事業者として負うリスクの対価としての性格を有するものである。
(四) 本件変更契約の締結
本件変更契約は、本件賃貸借契約によって合意されていた賃料額を減額するものであるところ、原告は、賃料相場の下落状況を十分認識した上で被告と本件変更契約を締結したものであるから、その後、右減額した賃料額を更に減額すべき理由はない。
(原告の主張)
本件賃貸借契約においては、現行賃料額と実質賃料額との差が借地借家法三二条の適用の要件である「不相当」の程度に至っており、本件各賃料減額の意思表示は有効である。なお、被告の主張する諸事由は、以下のとおり、いずれも賃料減額の意思表示の有効性を否定するものではない。
(一) 賃料保証の趣旨
原告は、被告から本件建物一棟全体を賃借したから、空室の場合でも約定の一棟分の賃料を支払うことは当然であり、被告のいう空室保証の存在が、原告の賃料減額請求を否定する理由とはならない。
(二) 本件自動増額特約の無効
(1) 本件自動増額特約の趣旨は、賃料相場が上昇し続けているときに度々賃料増額請求をすることは煩雑であるため、一定期間に一定割合での賃料の増額を合意することにより、右の煩雑を解消したものである。したがって、本件自動増額特約に基づく賃料の増額が認められるのは、借地借家法三二条の増額請求が可能な場合で、かつ、増額後の賃料額が妥当な場合に限られるものであって、賃料相場の下落に伴い、賃料の自動増額を維持することが賃料相場と著しくかけ離れた不合理な結果をもたらす場合には、本件自動増額特約は無効になるというべきである。
(2) 賃料相場は、本件基本合意がされた平成三年の前半の時点においては、平成二年ほどの急上昇ではなかったものの、依然として上昇傾向にあり、また、本件賃貸借契約が締結された平成三年の後半の時点においても、やはり上昇傾向にあった。したがって、原告は、賃料相場の下落を承知の上で、本件自動増額特約を締結したものではない。
(3) ところが、本件賃貸借契約の締結から本件建物の引渡しまでの間に賃料相場が下落し始め、本件建物の賃料は、近隣相場との比較において著しく不相当となり、平成六年一二月の時点においては、本件建物の賃料額は、当初の契約賃料の約三五パーセントである月額金三一三万一一〇〇円が相当となった。
(4) したがって、平成六年一二月以降の時点においては、本件自動増額特約は無効となったというべきである。
(三) 本件企画料交付の趣旨
本件企画料は、原告が建物引渡しを受けても直ちに転貸収入を得ることが困難であること及び本件賃貸借契約開始当初において原告が全フロアーについてテナント募集の費用を払うことによって生ずる原告の損害を補てんする趣旨であり、本件企画料の交付がされたことをもって、本件各賃料減額の意思表示が効力を生じないとはいえない。
(四) 本件変更契約の締結
(1) 事務所用ビルの賃料相場が平成四年に下落し始めたため、原告は、被告に対して賃料の減額を申し入れたところ、被告は、当初の契約賃料を支払えないのであれば、他の物件における原告の転借人に対する賃料債権に対して仮差押えを申し立てるなどと述べたため、本件変更契約については、結局、一時的に賃料を減額するが、減額分は分割払で返済するという、被告は何ら譲歩しない形での合意となったものである(すなわち、本件変更契約においては、平成七年一一月分までは賃料を減額するが、平成七年一二月分からは本件賃貸借契約において定められたとおり六パーセント増額された賃料を支払うこと、減額分については所定の賃料との差額を平成七年一二月から分割して支払うことと定められていたのである。)。
(2) そして、本件変更契約締結当時、原告・被告とも、賃料相場の下落幅は小さく、しかも短期間で回復するとの認識に立っていた。賃料相場の大幅かつ長期の下落を予測した上で本件変更契約を締結したものではない。
(3) したがって、賃料相場が著しく下落した本件の場合、本件自動増額特約と同様に、本件変更契約も無効となるものである。すなわち、本件変更契約においては、当初の月額金七二〇万一五三〇円の合意のみが有効なものであり、平成六年一二月以降の時点においては、本件変更契約における賃料の合意は無効となるものであるから、本件各賃料減額の意思表示は有効である。
2 適正賃料額
(原告の主張)
原告に生じている収支状況等を考慮すれば、本件においては、裁判所が採用した鑑定人中西英治の鑑定(以下「本件鑑定」という。)結果よりも低い額を適正賃料額とすべきである。本件においては、左の各金額を適正賃料額とすべきである。
(一) 平成七年二月一日
月額金三一三万一一〇〇円(消費税を別途加算する。以下同じ。)
(二) 平成八年一二月一日以降
月額金二八一万七九九〇円
(三) 平成一〇年一二月一日以降
月額金二五〇万四八八〇円
(被告の主張)
原告の主張は争う。
第三当裁判所の判断
一 本件賃貸借の経過等
前記争いのない事実並びに証拠(甲第一ないし第一七号証、第二〇号証、第四五号証、乙第一、第二号証の各一、二、第三ないし第九号証、第一〇号証の一、二、第一一、第一二号証、第一三号証の一ないし三、第一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証の一ないし三、第一七号証の一ないし四、第二〇号証、鑑定の結果、証人大黒哲也、同宮下千明、同中西英治の各証言)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。
1(一) 被告は、東京都千代田区岩本町二丁目一〇四番の土地(以下「本件土地」という。)を所有し、これを被告が代表取締役を務める株式会社宮鋼の倉庫として使用していたところ、平成二年暮れころ、被告と取引のあった株式会社三菱銀行(以下「三菱銀行」という。)から、本件土地上にビルを建築し、サブリースという形でテナントを入れて土地を活用する計画の提案を受けた。被告は、これを受け入れ、三菱銀行から建築費用を借り入れて、戸田建設にビル建築を請け負わせることにした。
(二) 原告は、平成二年暮れころ、戸田建設から、右建築予定のビルを賃借することを打診され、被告を紹介された。
被告は、右建築予定のビルについて、テナントを確保できるか否か不安を感じていたが、三菱銀行から、サブリース業者である原告が一括して建築後のビル一棟全体を借り受けることにより空室が出ても賃料は保証されると説明されたことから、右ビルの建築を最終的に決定した。
2(一) 原告と被告は、平成三年四月一五日、本件基本合意を締結した。
また、被告は、原告に対し、右同日、企画料として二六三〇万一二四〇円を支払った。右企画料支払の趣旨は、主に、原告が本件建物の引渡しを受けた後の約三箇月間は転貸借契約を締結して転借人を本件建物に入居させることが困難であるため、その間の原告の経営資金を補てんする趣旨であった。
(二) 原告と被告は、平成三年一〇月二八日、本件基本合意に基づき、本件賃貸借契約を締結した。
(三) なお、以上の過程で、賃料相場が下落する局面でも所定の賃料額は保証されるというような話が出たことはない(この点に沿わない証人宮下千明の供述部分は、同人の供述によると、同人らは当時賃料相場が下落するなどという事態が生じることは予想していなかったことなどに照らし、信用し難い。)。
3(一) 本件賃貸借契約締結当時、既にいわゆるバブル経済が崩壊し、景気は後退しており、地価は、平成二年秋ころまでは高騰を続けたものの、平成三年ころから本格的に下落傾向に入っていた。本件建物の所在する千代田区の商業地における地価公示価格は、平成三年一月から平成四年一月にかけては八・六パーセント下落し、平成四年一月から平成五年一月にかけては二三・八パーセント下落し、平成五年一月から平成六年一月にかけては三〇・二パーセント下落し、平成六年一月から平成七年一月にかけては二五・八パーセント下落し、平成七年一月から平成八年一月にかけては二六・九パーセント下落した。
もっとも、事務所用ビルの賃料については、本件賃貸借契約締結当時、バブル経済崩壊前における継続的な高騰という現象自体は終息していたものの、東京都全体ではなお若干の上昇傾向にあり、本件建物の近隣の賃料相場についても本格的な下落傾向にはなかったから、右の時点では、本件の当事者は、なお賃料相場は今後も上昇すると予想し、現在までの長期に及ぶ不動産市況の低迷や、賃料相場の著しきかつ長期の下落などは予測していなかったものである。
(二) ところが、平成四年ころから景気後退による事務所需要の減退と事務所用ビルの供給過剰が進み、事務所用ビルの新規実質賃料についても、一転して急激な下落状態に陥った。ちなみに、都心三区における新規実質賃料は、平成四年四月期は平成三年四月期に比べて〇・一パーセントの上昇であったが、平成五年四月期は平成四年四月期に比べて一〇・七パーセントの下落、平成六年四月期は平成五年四月期に比べて一九・二パーセントの下落、平成七年四月期は平成六年四月期に比べて一四・一パーセントの下落となっている。また、本件建物が所在する神田周辺地区における新規実質賃料は、平成四年四月期は平成三年四月期に比べて八・五パーセントの下落、平成五年四月期は平成四年四月期に比べて一五・四パーセントの下落、平成六年四月期は平成五年四月期に比べて二四・八パーセントの下落、平成七年四月期は平成六年四月期に比べて一一・一パーセントの下落となっている。
なお、その後も事務所用ビルの新規実質賃料は下落ないしほぼ横這いの状況を示し、反転して上昇に向かう気配はない(延床面積五〇〇坪未満の事務所用ビルにおける平均実質賃料は、平成八年平均は平成七年平均に比べて二・二パーセントの下落、平成九年平均は平成八年平均に比べて一・三パーセントの上昇となっている。また、本件建物が所在する岩本町・東神田・外神田地区における平均募集賃料は、平成一〇年九月時点では平成九年一二月時点に比べて四・一パーセントの下落となっている。)。
4(一) 本件建物の引渡時期は平成四年一一月三〇日であったが、3(二)のように、本件賃貸借契約締結後、本件建物引渡前から賃料相場が下落し始め、また、賃貸借の成約率も悪化し始めた。原告は、テナントから差し入れる保証金の減額も求められるようになり、経営状況は相当に悪化した。そこで、原告は、被告に対し、原告が被告に差し入れる保証金の減額及び賃料の値下げ、保証金返還請求権に対する質権設定についての承諾などを求めた。
(二) その結果、原告と被告との間で、平成四年一一月二七日、本件変更契約が締結された。本件変更契約は、<1>平成四年一二月分から平成七年一一月分までは本件賃貸借契約所定の賃料より減額するが、平成七年一二月分からは本件賃貸借契約所定の賃料(本件自動増額特約により増額されたもの)に戻す、<2>右減額分は、平成七年一二月からこれを分割して弁済することを定めたものであり、本件賃貸借契約において定められた賃料(本件自動増額特約による増額を含む。)を変えるものではなく、その賃料の一部の支払を一時的に猶予するだけのものであった。これは、当時、原告、被告とも、賃料相場が下落しているものの、それは一時的なもので、やがて元に戻るとの予測に立っていたからである。
5(一) 原告は、平成四年一二月分から賃料を支払っているが、テナントから賃料を得たのは平成五年五月二七日からであり、テナントにより満室となって全室から賃料を得られるようになったのは平成六年五月からであった。平成七年一月末の時点での月当たりの差損額は金一〇〇万八七一三円、累積差損額は金一億二二四九万八〇四九円、平成八年一一月末時点での月当たりの差損額は金三三五万七八四九円、累積差損額は金一億六四〇二万四二七九円、平成一〇年一一月末時点での月当たりの差損額は金二六九万三四九七円、累積差損額は金二億二九二二万〇八一〇円(空室はなし)、平成一二年一月末時点での月当たりの差損額は金三三五万八一二〇円、累積差損額は金二億七七九二万二八六一円(空室はなし)となっている。
(二) 被告は、三菱銀行から三口に分けて合計金七億三〇〇〇万円を借り入れて本件建物の建築費用に充て、現在、毎月金四四二万五一七二円ずつ返済をしている。その支払利息(年利)についてみると、当初七・二五パーセント、五・七五パーセント及び五・二五パーセントになっていたところ、平成七年五月時点では全部二・八七五パーセントにまで低下した。また、被告が本件土地建物に関して支出している固定資産税及び都市計画税(平成八年度)は月額にして金六八万六一一六円である。
二 本件各賃料減額の意思表示の効力について
1 本件で賃料減額請求をすることが許されるか。
(一) 本件の賃貸借契約は、本件建物の所有者である被告が原告に対し本件建物の使用及び収益を許し、その対価として原告から一定額の金銭を受領するもので、右金銭は賃料に当たるものと解されるから、本件契約は本件建物の賃貸借契約と解されるのであり、借地借家法の適用がある。
(二) 本件自動増額特約について
(1) 本件変更契約は、前記のように、本件賃貸借契約の賃料の一部の支払を一時猶予するというだけのもので、本件自動増額特約を含む本件賃貸借契約の賃料についての定めを変更するものではない。
ところで、本件自動増額特約は、地価及び土地建物の賃料が戦後一貫して上昇傾向を保ってきたという状況を前提にして(当裁判所に顕著である。前記認定のように、本件賃貸借契約締結当時、賃料相場は全体として下落傾向にあったとはいえず、本件の当事者も、現在までの長期に及ぶ不動産市況の低迷や、賃料相場が著しく下落しかつこれが長期かつ深刻に継続することは予測していなかったのである。)、賃貸人と賃借人との間で将来発生するおそれのある賃料の額をめぐる紛争をあらかじめ予防しようとする趣旨で設けられたものと理解されるのであって、その意味で一定の合理性があるが、地価や土地建物の賃料相場の上昇という前提が崩れ、賃料相場が著しくかつ長期的に下落し、賃料自動増額特約を機械的に適用すると、近隣の賃料相場との比較等において著しく不合理な結果をもたらすような場合には、当事者の合理的意思解釈としてないし事情変更の原則に基づき、その効力を失うと解釈すべきである。
(2) ところで、本件では、前記認定のとおり、平成五年以降賃料相場は大幅な下落に転じ、その傾向は長期化していた。そして、本件建物が所在する神田周辺地区でみると、新規実質賃料は平成五年四月期は平成四年四月期に比べて一五・四パーセントの下落、平成六年四月期は平成五年四月期に比べて二四・八パーセントの下落となっていたのであり、平成四年四月期の賃料を一〇〇とすると、平成六年四月期は六三・六一となって賃料相場は平成四年から平成六年にかけて約四割近く下落したことになる。このような情勢において、平成六年一二月一日に賃料を六パーセント増額するということは、近隣の賃料相場等との比較において著しく不合理な結果をもたらすことが明らかである(その後も二年ごとに賃料を六パーセント増額するとその不合理さはいよいよ増大する。)から、本件自動増額特約は、右時点以降の賃料改定について効力を有しないものというべきである(本件変更契約における賃料差額の清算の合意も、その限りで、前提がなくなるから、効力を失うと解される。)。
(3) そして、本件では、前記認定によると、本件賃貸借契約においては、空室があっても所定の賃料が満額払われるという意味での空室保証がされていたといえるが、賃料相場が下落しても一定の賃料額以下には減額されないという意味での賃料保証が付されていたとは解されないのであり、右のように、本件自動増額特約が失効したという事情の下において、借地借家法三二条に基づき賃料減額請求をすることは当然可能ということになる。
2 本件各賃料減額の意思表示は借地借家法三二条の要件を充足するか。
前記認定のような、平成五年以降の地価及び事務所用ビルの賃料の長期的かつ大幅な下落傾向にかんがみれば、原告による平成七年二月一日以降の本件各賃料減額の意思表示の各時点において、本件賃貸借契約及び本件変更契約に基づく賃料は、借地借家法三二条にいう「土地若しくは建物に対する租税その他の負担の増減により、土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったとき」に当たるものというべきである(なお、被告が主張する諸事情は、適正賃料額を判断するに当たり考慮すれば足りるというべきである。)。
三 適正賃料額について
1 本件鑑定による適正月額継続賃料額
(一) 本件鑑定は、平成四年一二月一日時点において当事者間で合意した賃料額は月額金七二〇万一五三〇円(消費税相当額は別途加算する。)であるという前提に立った上で、平成六年一二月一日における適正月額継続賃料につき、差額配分法による試算賃料として金五七八万一七三一円、スライド法による試算賃料として金五三八万六七四四円、利回り法による試算賃料として金四四四万八八四九円、賃貸事例比較法による試算賃料として金四五七万九七五七円と算定し、次いで、右各手法の特性を踏まえた総合的見地から、差額配分法による試算賃料に三〇パーセント、スライド法による試算賃料に一〇パーセント、利回り法による試算賃料に二〇パーセント、賃貸事例比較法による試算賃料に四〇パーセントの比重を付けて、右時点における適正月額継続賃料額を金四九九万四九〇〇円と判定した。
(二) そして、本件鑑定は、平成六年一二月一日時点における右適正月額継続賃料額を基に、以下のような客観性の高い指数に基づく変動率を乗じることにより、本件各賃料減額の意思表示がされた各時点における適正月額継続賃料を算定した。なお、変動率を決めるため用いた指数としては、消費者物価指数、日銀卸売物価指数、標準建築費指数、地価指数、岩本町・東神田・外神田地区新規募集実質賃料推移を採用し、消費者物価指数、日銀卸売物価指数、標準建築費指数に各一〇パーセント、地価指数に二〇パーセント、岩本町・東神田・外神田地区新規募集実質賃料推移に五〇パーセントの比重を付けて変動率を算出した。それによると、変動率は、平成六年一二月一日から平成七年二月一日では〇・九七七、平成七年二月一日から平成八年一二月一日では〇・八三九、平成八年一二月一日から平成一〇年一二月一日では〇・九五二となる。
(三) 本件鑑定において採用された手法や指数等はいずれも合理的なもので、相当性を欠くとはいえない(平成七年二月一日以降の適正月額継続賃料額の算定についてはスライド法のみが用いられているが、その前提となる平成六年一二月一日時点における適正月額継続賃料額の算定においては、スライド法に加えて、差額配分法、賃貸事例比較法、利回り法をも用いて総合的に判断しているのであるから、平成七年二月一日以降の賃料額の算定に当たって用いた方法がスライド法のみであることをもって、本件鑑定が妥当でないということはできない。また、本件鑑定においては、被告の本件建物の建築のための借入金の存在を特段考慮していないが、それは、本件のような鑑定においては通常のことであり、不合理であるとはいえない。さらに、賃貸事例比較法による試算賃料の算定に当たっても、本件がサブリース契約であることをしんしゃくして減価補正を行うなどしており、賃貸事例比較法による試算賃料の算定が合理性を欠くとはいえない。)。
2(一) しかしながら、前記のとおり、本件変更契約は、本件賃貸借契約に基づく原告の賃料支払義務の一部を一時的に猶予したものにすぎず、本件賃貸借契約の賃料額の定めを変更するものではないのであるから、適正月額継続賃料を算定する際の基礎となる平成四年一二月一日時点での当事者間の合意に基づく賃料額は、本件変更契約に基づく暫定的な賃料額である金七二〇万一五三〇円ではなく、本件賃貸借契約に基づく当初の賃料額である金八七六万七〇八〇円を用いるべきである。
(二) 右賃料額を基に本件鑑定の手法、指数等を用いて計算すると、平成六年一二月一日時点における適正継続月額賃料については、
(1) 差額配分法を用いた場合 金六五六万四五〇六円
(八七六万七〇八〇円-{八七六万七〇八〇円+七〇万一三六六円-五〇六万三二九九円}/二)
(2) スライド法を用いた場合 金六五五万七七七五円
(八七六万七〇八〇円×〇・七四八)
(3) 利回り法を用いた場合 金五二七万三五八五円
(〔{八七六万七〇八〇円×一二箇月+一一五七万二五四六円-二四七二万〇三四二円}/一九億八〇二〇万円×一〇億四三〇〇万円+二三二一万一五八六円-八四一万六三九七円〕/一二箇月)
(4) 賃貸事例比較法を用いた場合 金四五七万九七五七円
(従前と変化なし)と算定されるから、差額配分法による試算賃料額につき三〇パーセント、スライド法による試算賃料額につき一〇パーセント、利回り法による試算賃料額につき二〇パーセント、賃貸事例比較法による試算賃料額につき四〇パーセントの比重を与えると、結局、金五五一万一七四八円と算定される。
(三) 以上を基に、本件各賃料減額の意思表示の各時点における適正継続月額賃料額を算定すると、左記のようになる。
記
(1) 平成七年二月一日の時点 金五三八万四九七七円
(2) 平成八年一二月一日の時点 金四五一万七九九五円
(3) 平成一〇年一二月一日の時点 金四三〇万一一三一円
なお、(1) の金額は平成六年一二月一日の時点における適正継続月額賃料金五五一万一七四八円に変動率〇・九七七を乗じたもの、(2) の金額は(1) の金額に変動率〇・八三九を乗じたもの、(3) の金額は(2) の金額に変動率〇・九五二を乗じたものである。
3(一) このようにして算定した賃料額と当事者の当初合意した賃料額(月額金八七六万七〇八〇円)とを対比すると、平成七年一二月一日の時点では約三九パーセントの減額、平成八年一二月一日の時点では約四八パーセントの減額、平成一〇年一二月一日の時点では約五一パーセントの減額となる。しかし、以下の事情を考慮すると、本件では、2(三)で算定された額をそのまま適正継続月額賃料額とするのは相当ではないというべきである。
すなわち、本件自動増額特約は、そのまま効力を認めることはできないが、不動産の専門業者である原告が内容を検討してこれに同意して契約したものであり、かつ、既に事務所用ビルの賃料相場が下落していたという状況において締結された本件変更契約においてもこれを変えずに維持されたものであるのに、それが軽々に変更されること(本件で最初に賃料減額の意思表示がされたのは賃貸借開始後約二年二箇月後である。)は、被告の期待を裏切ることになるものである(前記のとおり、平成一二年一月末日における原告の差損額は月額金三三五万八一二〇円、累積差損は金二億七七九二万二八六一円に上るが、他方、被告も、賃料収入を基に、本件建物の建設資金用に借りた債務の返済として、銀行に対し、毎月金四四二万五一七二円《ただし、平成八年度分。》を支払っているほか、固定資産税及び都市計画税月額合計金六八万六一一六円等を支出しているのである。)。
(二) そうすると、平成七年二月一日時点の適正継続月額賃料については、2(三)(1) の金五三八万四九七七円をそのまま採用するのではなく、当初合意された賃料額八七六万七〇八〇円と右金額との差額の三割相当額を右金額に加算した額をもって賃料額とし(生じた差額のうち三割相当分を原告の、七割相当分を被告の負担に帰させる。)、その後の各時点における賃料額も、右により算定された額に各変動率を乗じた額とするのが相当である。
したがって、本件における適正継続月額賃料額(ただし、消費税相当額は別途加算する。)は、左記のようになる。
記
(1) 平成七年二月一日の時点 金六三九万九六〇七円
(2) 平成八年一二月一日の時点 金五三六万九二七〇円
(3) 平成一〇年一二月一日の時点 金五一一万一五四五円
4 そうすると、原告の請求は、<1>本件建物についての賃料が、平成七年二月一日時点以降月額金六三九万九六〇七円(消費税相当額を含めると月額金六五九万一五九五円)、平成八年一二月一日以降月額金五三六万九二七〇円(消費税相当額を含めると、平成八年一二月一日以降平成九年三月三一日までは月額金五五三万〇三四八円、平成九年四月一日以降月額金五六三万七七三三円)、平成一〇年一二月一日以降月額金五一一万一五四五円(消費税相当額を含めると月額金五三六万七一二二円)であることの確認を求め、<2>被告に対し、過払金六四一九万七八八二円及びうち金八二万五九七九円に対する平成七年三月から平成八年一二月までの毎月一日から各支払済みまで、うち金一八八万七二二六円に対する平成九年一月から同年四月までの毎月一日から各支払済みまで、うち金一九二万三八七二円に対する平成九年五月から平成一〇年一二月までの毎月一日から各支払済みまで、それぞれ年一割の割合による金員の支払を求める限度で理由があることになる。
四 結論
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大坪丘 裁判官 本間陽子 裁判官 辛島明)
物件目録
所在 東京都千代田区岩本町二丁目一〇四番地
家屋番号 一〇四番の二
種類 事務所
構造 鉄骨鉄筋コンクリート・鉄筋コンクリート造陸屋根七階建
床面積 一階 一六七・九一平方メートル
二階 一八七・四四平方メートル
三階 一八七・四四平方メートル
四階 一八七・四四平方メートル
五階 一八七・四四平方メートル
六階 一八七・四四平方メートル
七階 一八七・四四平方メートル
合計 一二九二・五五平方メートル
(賃料算定面積)
一階 一一八・七一平方メートル(三五・九一坪)
二階 一五二・七三平方メートル(四六・二〇坪)
三階 一五二・七三平方メートル(四六・二〇坪)
四階 一五二・七三平方メートル(四六・二〇坪)
五階 一五二・七三平方メートル(四六・二〇坪)
六階 一五二・七三平方メートル(四六・二〇坪)
七階 一五二・七三平方メートル(四六・二〇坪)
合計 一〇三五・〇九平方メートル(三一三・一一坪)