東京地方裁判所 平成7年(ワ)17050号・平9年(ワ)10585号 判決
当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり
主文
一 被告らは、連帯して、原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫及び同松山洋子に対し、それぞれ三四三一万一八五一円、原告佐藤正幸及び同佐藤京子に対し、それぞれ三五四四万二七七二円及びこれらに対する平成七年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、連帯して、原告高橋智也及び同高橋ウメ子に対し、それぞれ三三七一万一八五一円及びこれらに対する平成七年五月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
五 この判決は、第一、二項に限り仮に執行することができる。ただし、被告らが各原告に対しそれぞれ三〇〇〇万円の担保を供するときは、その原告の仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、連帯して、原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫及び同松山洋子に対し、それぞれ三六八二万四五四一円、原告佐藤正幸及び同佐藤京子に対し、それぞれ三八〇一万〇四五二円及びこれらに対する平成七年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、連帯して、原告高橋智也及び同高橋ウメ子に対し、それぞれ三八七九万八九二四円及びこれらに対する平成七年五月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、水難事故により死亡するなどした大島南高校一年生の生徒四名の相続人である父母らが損害賠償を求めた事案である。父母らは、右事故は、同校三年生の生徒三名が海岸の堤防から強いて海に飛び込ませたことによるものであるから、同人らには不法行為があったものであり、同校を設置する東京都にも右事故に関して安全配慮義務違反に基づく債務不履行又は不法行為があったものと主張した。そして、被告の生徒三名に対しては民法上の不法行為に基づき、被告東京都に対しては民法上の債務不履行又は国家賠償法上の不法行為に基づき、それぞれ損害の賠償を求めた。
一 前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)
1 当事者等
(一) 原告ら
原告北原豊及び同北原ふさ子は、北原裕貴の父母、原告佐藤正幸及び同佐藤京子は佐藤賢太朗の父母、原告松山国夫及び同松山洋子は松山塵こと李塵(以下「李塵」という。)の父母、原告高橋智也及び同高橋ウメ子は高橋信人の父母である。
北原裕貴(昭和五五年一月八日生)、佐藤賢太朗(昭和五三年一一月一八日生)、李塵(昭和五四年六月一二日生)は、いずれも大島南高校海洋科の一年生であったところ、平成七年五月一三日(以下、年を明示しないときはすべて平成七年をいうものとする。)、本件事故により死亡した。
高橋信人(昭和五四年九月一二日生)は、大島南高校海洋科の一年生であったところ、本件事故により行方不明となり、平成九年三月一二日、五月一四日に死亡したとみなす旨審判され、右審判は同九年三月二九日確定した(以下、右四名を「本件被害者ら」という。)。
(二) 被告ら
(1) 被告東京都
被告東京都は、都立大島南高等学校(以下「大島南高校」という。)を設置している。
(2) 被告朝木亮介、同小嶋拓男、同植田悠介
被告朝木亮介(以下「被告朝木」という。)、同小嶋拓男(以下「被告小嶋」という。)、同植田悠介(以下「被告植田」という。)は、いずれも本件事故当時大島南高校海洋科の三年生に在学していた(以下、右三名を「被告三年生ら」ともいう。)。
2 大島南高校について
(一) 大島南高校の概要
大島南高校は、普通科及び海洋科を置く全日制の高等学校であり、海洋科においては海洋に関する専門教育(水産一般、漁船運用、栽培漁業、航海等)が行われている。平成七年当時の生徒数は一四七名(普通科四三名、海洋科一〇四名)であった。
同校には、寄宿舎「拓水寮」(以下「寄宿舎」という。)が設置されており、舎監長が、校長の命を受け、寄宿舎の管理運営に関する事務について校長の職務を補佐する等の職責を負っている。
本件事故当時、同校の校長は柴田功が任じられており、寄宿舎については小林省三が舎監長にあり、同校の教諭の中から一四名が舎監に命じられて、寄宿舎の日常の管理、運営及び寄宿生の指導に当たっていた。
寄宿舎は、保護者の希望により校長が入寮を許可することとなっており、平成七年四月当時、海洋科九六名、普通科二名の九八名が入寮していた。その内訳は、海洋科一年生が四三名(男子二八名、女子一五名)、同二年生が二八名(男子二〇名、女子八名)、同三年生が二五名(男子一八名、女子七名)、普通科一年生、三年生各一名(いずれも男子)であった。
本件被害者ら及び被告三年生らはいずれも寄宿舎において寄宿生活を送っていた。
(二) 大島南高校周辺の地理関係
大島南高校は、東京都大島町差木地字下原(大島のほぼ南端)に所在し、北東約一キロメートルに内部が波浮港となっている入り江があり、西約一・五キロメートルに差木地地区と呼ばれる集落があり、右集落内に差木地漁港が設置されている。
同高校の南の海岸は、トウシキ海岸と呼ばれる岩礁となっており、プール状になった岩場等があって比較的安全に遊泳できる場所である。
なお、「差木地」の地名は、学校及び寄宿舎の所在地、トウシキ海岸等を含む広範囲の地域の地名であるが、学校から一・五キロメートルないし二・五キロメートル西方にある地域には、集落があって比較的繁華な地域があり、同地域を特に「差木地」と呼ぶこともある(以下、「差木地」と称するときは、同集落及び後記差木地漁港を含む狭い地域を指すものとする。)。
3 差木地漁港について
差木地漁港は、昭和五三年から港湾の改修工事が行われ、平成五年九月に現在の防波堤が完成したものである。そして、同六年九月から同七年四月までは港湾改修工事のため漁港への立入りが禁止されていた。
同港の状況は別紙添付図面のとおりであって、湾の中心からみて東北東から南側を経て西側まで防波堤によって外海と湾内が隔てられ、西側に外海から湾内への入り口がある。
湾内と外海を隔てる防波堤のうち、別紙添付図面の斜線部分が最も高い部分(以下「堤防の最上部」という。)であり、海面から約一〇メートルの高さがある。
4 水難事故の発生
平成七年五月一三日午後一時ころ、大島南高校の生徒一九名(その内訳は被告三年生ら三名、二年生四名、本件被害者らを含む一年生一二名)が差木地漁港に向かって出発した。
午後一時五〇分ころ、右一九名は差木地漁港に到着し、一年生二名を除く一七名(本件被害者ら及び被告三年生らを含む)が別紙添付図面の<A>地点にあったワイヤーを伝って堤防の最上部に上った。そして、同日午後二時ころ、右一七名のうち一二名(本件被害者らを含む一年生九名、二年生二名、三年生の被告植田)が別紙添付図面の<B>地点付近から順次外海に飛び込んだ。
右一二名は、全員が飛び込みを終えた時点で、列をなして西(湾内への入り口がある方)に向かって泳ぎ始めた。その直後、大きなうねりが来たため、全員がばらばらになってしまい、その後も次々と高い波、うねりが押し寄せ、一二名全員がおぼれる危険にさらされた。
最終的に、右一二名と遭難後飛び込んだ被告朝木を加えた計一三名のうち、二名は自力で陸にたどりつき、七名は漁船等に救助されたが、本件被害者らのうち、李塵は同日午後三時二二分死亡が確認され、北原裕貴、佐藤賢太郎は五月一三日遺体で発見された。高橋信人は現在も行方不明のままである。
5 事故当時の気象
本件事故当時の大島測候所発表に基づく大島漁業無線局の漁業気象情報による天候は、午前八時の天気は曇り、北東の風四・二メートル、午後三時の天気は晴れ、南西の風四・七メートルであった。
当日は、午前中の低気圧の通過により伊豆諸島北部に波浪注意報が発令されていた。波、うねりは午前中の予報では三メートルのち二・五メートル、午後の予報では二・五メートルであった。
二 主要な争点
1 寄宿舎の生活において、三年生の一年生に対するいじめ等があったかどうか。
2 被告三年生らが本件被害者らを強制的に海に飛び込ませた過失があったかどうか。
3 大島南高校教職員らに本件事故の予見可能性があったかどうか。
4 原告らの被った損害額
三 争点に対する当事者の主張
1 争点1(寄宿舎の生活において、三年生の―年生に対するいじめ等があったかどうか。)
(原告らの主張)
(一) 寄宿舎の実態について
寄宿舎においては、本件事故以前から、「三年生は神様、二年生はただの人、一年生は奴隷」と言われており、三年生の命令はたとえどんなに理不尽でも絶対で、服従しなければ様々な形で報復や制裁を受けるという高等学校にはあるまじき不健全な命令、服従関係が存在していた。
(1) 理不尽な制度や命令の具体的内容は次のとおりである。
ア 掃除等
寄宿舎の生活において、一年生は部活動が終わったら三年生の部屋で掃除や洗濯をしなければならない。寄宿舎内の掃除も一年生と二年生の役目である。
また、寄宿舎にいた三年生二六名のうち、二四名が喫煙していたが、吸い殻を拾い集め捨てるのは一年生の仕事であった。
イ 食事、入浴
風呂に入るときは一年生が三年生の背中を流し、鏡が曇ったら磨かねばならない。
食事にあっては一年生が専ら配膳し、一年生は三年生と一緒に食事をとらねばならず、三年生が食事を終わると一年生は食事中でも食べるのをやめなければならない。食事中は三年生にお茶を入れたり面白い話をしたりしなければならず、落ち着いて食事ができない。しかも、ご飯のお代わりには三年生の許可が必要なばかりか、三年生が一年生のおかずをとることもあった。
ウ 外出、余暇等
一年生が外出する際は必ず三年生が同行する必要があり、外出時には一年生は私語をしてはならない。
三年生が要求したときは一年生は三年生の部屋で一緒に遊ばなければならず、昼寝も三年生の許可が必要である。
(2) 一年生は、右の制度や命令に従わなかったときはもちろん、三年生の気に入らないことがあったとき、あるいは何ら理由はなくとも、三年生から次のような制裁、懲罰、嫌がらせを受けていた。
ア 暴力
エアガン等で撃たれたり、「腕パン、胸パン」と称される腕や胸に対する殴打による暴行があったり、布団蒸しにあう、浴場で熱湯を浴びせられたり、浴槽内で一名の四肢を四人で持ち、蝶が羽を動かすように風呂の水につけたり水から上げたりするのを繰り返す「チョウチョウ」と称する制裁を受けたりした。
イ 盗難
コンパクトディスク、釣り具、衣類等が盗難にあったり、また借りた現金やテレホンカード等を返さないことがあった。
ウ 嫌がらせ等
就寝中に目薬を差されたり、大音量にしたヘッドホンを耳に当てたりされ、タバスコを入れたラーメンやジュースを飲むことを強要されたり、一年生が毎日記入して三年生に提出する日誌に対し、三年生がコメントをつけないということがあった。
本件被害者らを含む平成七年度の一年生もこの伝統、しきたりにより、入学以降、徹底的に三年生にしごかれた結果、本件事故当時には既に三年生の無理難題な命令に従わざるをえない情況にあり、意に反すること、気の進まないことであっても実行せざるをえなかったものである。
(二) 寄宿生と舎監との関係について
寄宿舎においては、一年生は朝から晩まで三年生につきあわされていて、何か問題があって訴えたくとも、舎監と話す時間はほとんどなかった。たまに舎監に訴えることができても、舎監はまじめに対応しようとせず、一年生は全く舎監らを信頼できなかった。
他方、前記のような寄宿舎内における上級生の下級生に対する暴力、傷害、強要、窃盗事件や寄宿舎規則に反する三年生の行為については、舎監らは三年生をおそれ、何らの措置も講じなかったものである。
この結果、寄宿舎においては、本来舎監長及び舎監らが行うべき一年生の指導は三年生の専横にゆだねられていた。
(被告朝木の主張)
(一) 三年生が、同一の棟の二階に起居する一年生の世話をしており、被告朝木に付いていた一年生が四名いたことは認めるが、それは一学期の間に限られており、原告らの宿舎内における日常生活に関する事実の主張は真実ではないか又は誇張しているものである。寄宿舎内で三年生と一年生の間に絶対服従の上下関係が存在していた事実はない。
集団生活を維持するための規律、先輩後輩の関係からくる制約はどのような組織にも存在するものであって、ある程度の制約は集団生活者全員がそれぞれに甘受すべきものである。
(二) 原告の主張する寄宿舎内の実情について
(1) 一年生が毎日記入する日誌を三年生に見せて感想を書いてもらうのは一年生が入学した後寄宿舎にある程度慣れるまでの一学期間中に限られていた上、被告朝木は日誌に一年生を励ますコメントを書いて返していた。
食事については三年生と一、二年生が一緒にとるが、特別なしきたりはなく、被告朝木は自分が食事を終えたために他の一年生の食事をやめさせたことはないし、ご飯と汁はお代わりが自由であって、おかずも十分であったので足りないということは全くなかった。
一年生は、食事、登校、外出、入浴の際は、付いている三年生と行動をともにすることになっていたが、これは一年生は寄宿舎という集団生活に不慣れで生活上の規律に対する体験も乏しいことから、三年生に指導させたり、大島の地理に不案内で案内したりするためであった。
そして、外出中私語を慎むこととしていたのは、集団行動を無視するようなおしゃべりを制限したにすぎないものであって、会話の自由を奪うものではなかった。
(2) 原告らの主張中、被告朝木は、腕パン、胸パン、布団蒸し、タバスコ入りのラーメンを食べさせる、熱湯を浴びせる、私物を盗む、三年生が一年生から借金をする、エアーガンで一年生を撃つなどといったことはしたことがない。筋トレは特定の一年生にさせるわけではなく、全員が一緒になって行うものであり、一年生同士の殴り合い、「チョウチョウ」と呼ばれるものは、いずれも遊びの一環として行われ、しごきなどという性質をもつものではない。
寄宿舎の生活は舎監長に小林省三が就任してからは、規律、秩序の維持を尊重しながらも、自由と自治が目に見えて認められるようになったが、被告朝木もこのような雰囲気の中で三年生になったのであり、原告らの主張は、かつての寄宿舎に関する事情をそのまま本件にもあてはめているにすぎないものである。
(被告植田の主張)
(一) 原告らは、三年生が一年生を日常的に指導、監督する立場にあったとか、寮内における一年生の指導と監督を三年生に任せきりにしていたと主張するが、このような事実は全くなく、被告植田は、寄宿舎内における一年生の指導と監督を任せきりにされたことはなく、ほとんど二四時間体制での指導、監督などもしたことがない。
原告らの主張するような三年生と一年生の関係は、過去の大島南高校の歴史の中ではあるのかもしれないが、平成七年度における三年生と一年生の関係については該当しない。
被告植田の認識では、平成五年度から目に見えて寄宿舎の改善が行われ、平成七年度は、上級生と下級生の関係は規律、秩序の維持を尊重しつつ、自由と自治が認められる形になってきて、過去における上級生と下級生の関係は払しょくされていた。
(二) 三年生は一年生に対して、あいさつ、掃除、言葉遣い、食事の用意、時間の遵守について注意、指導、監督することはあったが、それは命令であったり、服従を強いるものではない。寄宿舎の先輩として、早く団体生活のルールを覚えさせ、今までの各人の家庭における生活のリズムと団体生活における生活のリズムとの食い違いの調整をはかる点に主眼があるのであって、寮生活における適正な自治の範囲を出ないものであり、被告植田としては、むしろ必要なものであると認識している。
すなわち、三年生と一年生とに限らず、全寮生がお互いに気を遣い、お互いに和やかな寄宿舎生活を作るための努力をしているにすぎないのであって、上下関係でもなければ、絶対服従関係にあるものでもない。
また、三年生が一年生に何かを言いつけても、一年生は平気で断る上、三年生が言いつけた事項が寄宿舎生活の秩序維持に無関係であった場合には、断った一年生はしかられることもなく済んでしまい、三年生の命令が絶対であったということも、その命令に背くと様々な報復、制裁があるということもない。
(三) 個別の事情についてみると、食事において三年生が一年生のおかずを取るようなことはないし、三年生が食べ終わったら食事をやめなければならないこともない。また、食事中は寄宿舎に不慣れな一年生に対し意識的に会話を勧めていたことはあるが、三年生に対するサービスとして面白い話をさせているということもない。
入浴において、仲のよい一、二年生が三年生の背中を流したりすることはあるが、三年生もお返しに流してやるのであって、お互い様である。
また、制裁として、暴力や、様々な嫌がらせがあったと主張するが、いずれも被告植田がしたり、そのようなことがあったと聞いた例がない。「チョウチョウ」というのは遊びであってしごきではなく、ねらわれるのは三年生である。
その他原告が主張する盗難、借金等の事情も全くないのであって、その主張は事実に反する。
(被告小嶋の主張)
被告植田に特有の事情を除き、被告植田の主張を援用する。
(被告東京都の主張)
(一) 寄宿舎生活に関する指導について
(1) 学校のとった寄宿舎の改善策
大島南高校では、平成四年度より海洋科に類型制度が導入され、船舶運行系以外の海洋スポーツ系や栽培漁業系に興味関心を抱く生徒が増加した。
そのため、寄宿舎を船に見立てて生徒の責任ある行動に期待していた従前の指導を改め、寄宿生相互間に対等な人間関係を確立するための指導体制がとられることになった。特に平成六年度に入ってからは、校長、舎監長、舎監一同の共通理解のもとに、その推進がはかられるようになり、特に上級生の下級生に対する度のすぎた行為等の是正根絶に努めた結果、同年度が終了する平成七年三月当時には目に見えて改善されるに至った。
右改善は平成七年度も継続しており、校長は新入生及びその父母に対して、新入生の人間性を否定し、人間としての尊厳を傷つけるような行為や言葉が新入生に対して出されるような場合には、我慢をすべきではなく、不服、不満のあるときはまず同室の同級生に相談し、納得できなければ上級生さらには担任や舎監、舎監長に相談してみるようにと説示し、右指導方針を徹底していた。
(2) いわゆる「一年生が三年生につく」との制度について
寄宿舎においては、三年生に対して、同じ棟に起居する一年生の世話を担当させる方法を採っているが、寄宿舎という集団生活に不慣れで生活上の規律に対する体験の乏しい新入生を援助する意味で生活面や学習面の面倒をみさせ、寄宿舎生活に慣熟させる一助とするとともに、相互の自主性を伸長し、三年生には責任感や信頼感を養わせることを目的としたものである。
一年生が入舎後のおおむね一学期間中、一年生に寄宿舎生活での疑問や学校生活での思い等を日誌に記入させているのもこの一環であって、折に触れ舎監もこれに目を通して指導上参考に供しているものにすぎない。
なお、事故当日における、三年生が担当する一年生の組合せは、左の通りであった。
(一棟)
三年生 被告朝木
二年生 桜井浩與 柿原耕平
一年生 北原裕貴 高橋信人 安藤雅人 松山(李)龍芝
(三棟)
三年生 被告植田
二年生 前田更平 大久保陽
一年生 石成隆明 山田悠 山谷立成 福田政好 宮本潤平 倉持大輔
(四棟)
三年生 被告小嶋
一年生 穂積洋平 草野哲史 李塵 森川健太 木村佳央 大林北斗
(二) 寄宿舎における三年生の役割等
寄宿舎においては、三年生が、寮長、副寮長あるいは各種委員会の委員長等の役員になっていたり、一年生の外出の際の同行や日誌の感想の記入など、一定の役割を担っている。これらは、三年生の責任感を養うとともに上級生から下級生にこれまでの大島南高校及び寄宿舎での経験を伝え、集団生活に不慣れな一年生に有益な助言を与えようとするものである。
これらは、教職員が自らの職責である生徒の指導、監督を三年生にゆだねるものではなく、また三年生に下級生に対する優越的な地位や特権を与えるものでもない。
上級生、下級生に限らず、寄宿生の中に問題行動がある場合には、教職員がその都度指導してきており、これを放置したことはない。
平成七年度に入ってからは、寄宿生に指導を要するような問題行動が全くなかったわけではなかったが、教職員らは、少なくとも平成七年度の新入生が入舎してから本件事故に至るまで三年生が一年生を威迫や制裁を用いて意志を抑圧し危険にさらさせるといった問題行動は認めておらず、日常の生活全般においても、三年生が新入生に対して、自らの生命の安全を脅かすような行動を強制し一年生がこれに従うといった事態を予測できるような事情はなかった。
(三) なお、本件事故後、原告のいう「三年生に下級生がつく」習慣を廃止し、日常の上級生と下級生との交流は生徒の自主性に任せることとしたが、これはこのような運用が支配服従関係とみられるとの無用の誤解をさけるためであって、上級生と下級生の交流をはかる制度としてはなお有用なものである。
そして、今なお下級生が上級生との交流を求める傾向は強いものがあるのである。
2 争点2(被告三年生らに本件被害者らを強制的に海に飛び込ませた過失があったかどうか。)について
(原告らの主張)
(一) いわゆる「バンジージャンプ」が寄宿舎における伝統行事であったことについて
寄宿舎においては、恒例の行事として、寮の新入生を高い堤防から海に飛び込ませる「バンジージャンプ」と称する一種の度胸試しを行ってきた。この行事は新入生が入学した約一か月後に三年生の主導で行われるものであり、一年生は三年生から「数ある寮生の伝統行事の中でも、海の男への一歩として最重要」なものであると教わってきた。
従来バンジージャンプはトウシキ海岸で行われてきたが、平成六年度及び本年度は差木地漁港に新しくできた高さ九・七メートルの堤防で行われることとなっており、この場所と日時を決めたのは被告三年生らである。
被告三年生らは、平成七年のゴールデンウィーク前には、ついていた一年生らに対し、連休が過ぎれば「バンジージャンプ」を行うと告げていた。
(二) 飛び込みに至る経緯について
(1) 三年生による同行の強制
前記1(原告の主張)で述べた三年生の一年生に対する命令服従関係を前提として、事故当日の平成七年五月一三日、被告三年生らは、ついていた一、二年生らを差木地に連れて行った。
高橋信人は、飛び込みをしたくなかったため、被告朝木に釣りに行きたい旨を申し向けたが、同人は「一緒に行かないのであればこれ以上面倒は見ない。勝手にしろ」と言われたため、同被告の仕打ちがあると考え、同行することにしたものである。
このとき、被告三年生らについていた一年生のうち五名が差木地漁港に同行していないが、そのうち三名は外出禁止措置を受けていたから外出できず、うち二名はほとんど泳ぎができない者と、体調が悪かった者で、そもそも三年生らが同行を求めなかった者であって、三年生が同行を求めても拒否できた者がいたわけではない。
(2) 現場の状況等
五月一三日午後一時ころ、寄宿生一九名は寄宿舎を出発し、午後一時三〇分ころ差木地漁港に到着した。
午後一時五〇分ころ、一九名中一七名が下の堤防から約六メートル上の堤防の最上部に、同所に設置されていたワイヤーを伝って上がった(ワイヤーを上れなかった一年生二名は下に残った)。
堤防の上では、波しぶきが時折足下にかかり、約二〇メートル離れたところには、体長約一メートルほどのシュモクザメが泳いでいるのが見えた。また、被告植田は、「サーフィンをするにはいい波が立っている」と発言するなど波が高いことを認識していた。
一年生は「波が荒いですよ」「サメがいますけど」などと再三、三年生に中止を促したり、北原裕貴ら数名は「自分にはできない」などといったんは飛び込みを拒否した。
しかし、三年生から「後でどうなるがわかっているな」「寮生の気合いを見せろ」「落とすぞテメー」等と脅されたり、飛び込みを嫌がったために三年生から突き落とされそうになった者もいた。
また、二年生の桜井浩與と大久保陽は日ごろから三年生からいじめの対象にされていたところ、本件事故当日も被告朝木に堤防から突き落とされそうになり、やむなく自分から飛び込んだ。
最終的には、堤防の最上部に上がった一七名のうち一二名(一年生九名、二年生二名、三年生一名(被告植田))が、午後二時ころ、堤防最上部から外海に次々に飛び込んだ。
飛び込んだ後の事情は、前提事実4記載のとおりである。
(3) 当日の気象状況及び海況について
当日は低気圧の通過のため、海は大しけで、五から七メートルの高波が堤防をたたきつけ、堤防は大波をかぶっている状態であった。
(4) 被告三年生らの主張について
ア 差木地漁港に向かった一年生のうち飛び込まなかった者が三名いるが、うち二名は高所恐怖症のため堤防の最上部に上がれなかった者であり、うち一名は本件事故が発生してから堤防の最上部に上った者であって、堤防の最上部に上がった者で飛び込みを拒否できた者はいなかった。
イ 堤防の最上部の様子について
被告三年生らは「自信のない者は飛び込むな」と声をかけたというが、そのような発言があったなら本件被害者らを含む一年生は飛び込まなかったはずであって、右発言があったとは考えられない。
また、堤防の最上部に上がってからシュモクザメが泳いでいるのが分かったため、三年生が「サメを釣ってみろ」と釣り道具をもっていた山田悠に命じ、同人がルアーを投げて釣りのまねごとをしたことはあるが、めいめいが楽しんでいるという状況ではなかった。
(三) 不法行為事実のまとめ
このように、被告三年生らは、前記争点1(原告らの主張)において述べたような、寄宿舎において三年生が日常的にしていた命令とこれに対する一年生の服従関係を背景として、差木地漁港は立入禁止区域であり、港の外海は潮の流れが速く遊泳に適しない、むしろ危険な場所であり、かつ、当日は波浪注意報が発令中であったから、同港から外海に飛び込んで遊泳することは生命、身体に対し極めて危険な状況が発生することを予見したにもかかわらず、この危険性を無視し(あるいは容易に危険を予見できたのに危険がないものと軽信し)、共謀の上、寄宿舎の恒例の行事として一年生に対する度胸試しである「バンジージャンプ」を敢行することを決意し、強制的に一年生らを差木地漁港に連れ出し、同港の高さ約一〇メートルの堤防から強制的に一年生らを飛び込ませ、本件水難事故を発生させたものである。
(被告朝木の主張)
(一) 当日の経過について
(1) 平成七年五月一三日は、快晴であり、また学校休業日であったことから、被告朝木は午後から海に行って遊ぶことを考えていた。当初、被告朝木は自分についている一、二年生を誘おうと思っていたが、昼食後、被告植田と被告小嶋に右計画を話したところ、右両名も一緒に遊びに行くことを希望し、その場の相談により差木地漁港に行くことが決まった。
そして、被告朝木が自分についている一年生に声をかけたところ、安藤が別グループと一緒に釣りに行くと言って断ったので、それ以外の一、二年生、被告植田、同小嶋についていた一、二年生、被告三年生らについていたわけではなかったが同行を希望した佐藤賢太郎ら一九名で差木地漁港に向かうことにした。
原告ら主張のように、何日も前から本件事故当日に差木地漁港に行くことが決まっていたわけではないし、一年生を強制的に連れ出したものでもない。なお、被告朝木は本件訴訟になるまで安藤が泳げなかったことは知らなかった。
(2) また、同港に行った目的は、釣りや日光浴などの遊びに行くものであり、「バンジージャンプ」をするという明確な目的などなかった。
現に、被告朝木は潜りの道具(フィン、メガネ、シュノーケル、サンオイル等)を持参しているのであり、日光浴や潜りをして遊ばうと思っていたのである。差木地漁港に向かった一行の中に、飛び込んで遊ぼうと思っていた者がいたが、それはその者の自由意思でそのように考えていたにすぎない。
(3) 右一九名は一緒に寄宿舎を出発したが、被告朝木、同小嶋、桜井浩與、前田更平は、売店に立ち寄っているため遅れて差木地漁港に到着した。被告朝木らが到着したときは、すでに一年生二名を除いた一三名が堤防の最上部に上っていた。
差木地漁港に着いてからしばらくの間は各自が釣りや日光浴などをめいめいに楽しんでいたが、その場の雰囲気で堤防から飛び込もうということになった。被告朝木自身は日光浴がしたく、飛び込むつもりはなかったので飛び込まなかった。
被告朝木は、飛び込む寄宿生に対し「気合いを入れて行けよ」と励ましの言葉をかけたことはあるものの、一年生に海に飛び込むことを強制した事実はなく、また桜井浩與を海に突き落とそうとしたこともない。
また、原告ら主張のように、寄宿舎における上下関係を背景として、飛び込みを拒む一年生に対し、「後でどうなるか分かってんだろう」等と威迫して飛び込ませたなどということはない。
(4) 被告朝木が差木地漁港に到着したときは、防波堤入口付近の外海沿いに設置されたテトラポットに波しぶきが多少かかっていた程度で、堤防に波しぶきはかかっておらず、堤防上に上ったときも波の高さに危険はなく、そのような危険が話題に上ったこともなかった。
(5) 被告朝木は、大波が飛び込んだ者を襲った際、救助のために飛び込んだが、大きなうねりのために陸に戻り、再び港湾内から救助に向かった。
しかし、救助は奏功せず、結局朝木自身が救助されることとなった。
(二) 「バンジージャンプ」なる伝統行事は存在しなかったことについて
寄宿舎において恒例の行事として寮の新入生を高い堤防から飛び込ませるなどの、「バンジージャンプ」と称する一種の度胸試しを行っていた事実はない。被告朝木は、一年生の時にトウシキ海岸の磯場で海に飛び込んで遊んだことはあり、また、一年生の時以来通算して約四回差木地漁港にきて遊んだことがあり、同所で飛び込んだこともあるが、いずれも三年生から強制された事実はない。
(三) 飛び込みと死亡結果には因果関係がないことについて
本件事故は、安全に海に飛び込み終わり、差木地漁港の開口部から湾内に向かって泳ぎ始めようとしたところに突然大きな波がおしよせてパニック状態になった結果生じたのであって、飛び込んだこと自体が危険行為というわけではないのであるから、因果関係がないというべきであるし、仮に因果関係があるとしても、被告朝木のみならず一般的にそのような大波が押し寄せることを予見した上結果を回避する可能性はなかったものであるから、被告朝木には過失がない。
(四) 以上のとおり、被告朝木が本件被害者らを強制的に飛び込ませた事実はなく、飛び込みと死亡結果には因果関係がなく、また本件事故の原因はいわゆる一発波の襲来によるものであって右事実を予見することは被告朝木には不可能であったのであるから予見可能性及び結果回避可能性がなく、いずれの点からしても被告朝木に不法行為は成立しない。
(被告植田の主張)
(一) 大島南高校の寄宿舎において、恒例の行事として寮の新入生を高い堤防から飛び込ませる「バンジージャンプ」と称する一種の度胸試しを行っていた事実はない。
三年生が一年生を連れて海へ行くことはあったが、そこでは各人が自由に釣りをしたり潜って遊んだりしていたもので、飛び込みを強制することはなかったし、被告植田自身も、一年生の当時、三年生から高所からの飛び込みを教わったことはあるが、度胸試しとして高所から強制的に飛び込みをさせられた経験はない。
本件事故発生の日にも、差木地漁港に行かなかった一年生が五名いた。このうち寄宿舎の規約委員会から外出禁止の措置を受けていた者以外の者については、被告植田が誘ったもののちょっと行きたくないといって同行しなかったものであり、泳ぎが不得手であったり、体の具合が悪かったとの理由で誘わなかったのではない。
すなわち、本件被害者らは、自らの意志で差木地漁港に遊びに行くことに参加したのである。
当日、差木地漁港まで行った生徒の中でも堤防に上がらずに下で遊んでいた一年生が二名いたし、堤防に上がった者のうち五名は飛び込みをせず、他のことをして遊んでいたのである。
仮に堤防からの飛び込みが三年生による強制によるものであるとすれば、五名もの一年生が同行を拒否する余地はなかったはずであるし、同行していながら二名が飛び込みをしないですませることなどできないはずである。
(二) 本件事故当日の状況について
当日は快晴で白波は堤防から下を見ても見えない状態であった。
堤防の上から釣りをしていた者もいたのであって、波しぶきがかかる状態で釣りなどができるはずもない。
堤防上では「高いな」とか「サメみたいのがいるけど釣っちゃおうか」とか言うものがあったが、これらは、再三、三年生に中止を促すとの言動ではなかった。
そのうちに被告植田が「飛び込む者手を挙げて」と言ったときも、だれかが「僕はやめときます、後からやります」と言ったので、「泳ぎに自信がなかったらやめろよ」と注意したところ、最終的に一年生七名くらいが挙手したので「飛び込むときは気合いを入れて行け」と声をかけたものである。被告三年生らが「後でどうなるか分かっているな」とか「寮生の気合いを見せろ」とか発言したことはない。
原告らの主張する「落とすぞテメー」などの言葉は、二年生と三年生がふざけて堤防から外海への落とし合いが始まり、被告小嶋を二年生が堤防から落とそうとして大騒ぎになった状況で発されたふざけ言葉を断片的に引用しているにすぎない。
また、一年生の福田政好は、皆が飛び込む前に上から海面を見て、「やっぱり飛び込めないです」と行って飛び込まずに堤防を見ていたのであって、堤防の最上部に上がりながら飛び込まなかった一年生が一名いたことに間違いはない。
以上要するに、堤防の最上部に上がった生徒たちは、遊びの中で、相互にはやし立てて、その場の雰囲気で飛び込んだものであって、物理的にも心理的にも被告三年生らが飛び込みを強制した事実はないから、不法行為が成立する余地はない。
また、飛び込み後の一発波の襲来について予見可能性がなく、被告植田に過失がないことについて、被告朝木の主張を援用する。
(被告小嶋の主張)
(一) 寄宿舎に原告ら主張の「バンジージャンプ」なる恒例の行事は存在しない。
被告小嶋は二年生のころ上級生とともに海に行き、そこで遊びとして飛び込みを教わったことはあったが、あくまでも遊びであって、度胸試しとか強制されたものではなかった。
事故当日、被告三年生らが差木地漁港に行くことにしたのも、バンジージャンプという明確な目的があってのことではなく、釣り、日光浴などの遊びに行くというものであった。
(二) 当日の状況について
本件事故当日、被告小嶋は昼食時に被告朝木、同植田らから誘いを受け、午後に差木地海岸に下級生を連れて遊びに行くことにした。被告小嶋自身は差木地漁港では日光浴や潜りをして遊ぶ傍ら、泳ぎの得意でない一年生の面倒を見るつもりでいたのであり、自らは飛び込むつもりがなかった。一年生が同行するかどうかは、各人の自由にゆだねていた。
差木地漁港に着いてから二、三〇分後にその場の雰囲気で堤防から海に飛び込んで遊ぼうということになったが、ここでもだれも飛び込むことを強制していない。
原告の主張する「落とすぞ」という言葉は、被告小嶋が座って海を見ていたときに二年生がふざけて背中を押したのに対し、被告小嶋が立ち上がって「おまえが落ちろよ」などとふざけながら発した言葉の断片をとりだしているにすぎない。
なお当日は快晴で、堤防から下を見ても白波は見えなかった。
3 争点3(大島南高校教職員らに本件事故の予見可能性があったかどうか)について
(原告らの主張)
(一) 本件事故についての安全配慮義務について
およそ公立学校の教師の教育活動の範囲には、時間的、場所的制約はなく、自由時間、放課後においても、また校外での事故も、夏休み中の事故であっても免責されることはない。
そもそも寄宿舎は、大島南高校の付属施設であることからして、寄宿舎における寮生の生活は学校生活と無縁ではありえず、寄宿舎における生活も、学校教育活動の一環として位置づけられる。そして、自由時間もまた寄宿舎内の日課として定められる以上、学校の管理下における自由時間であり、学校の管理、教育活動と無関係ではない。
さらに、本件被害者らは、いずれも親元を離れ寄宿舎生活を送っていたものであって、被告東京都は、寄宿生の親権者から寮生に対する養育と監護に関する権利義務を一時的にせよ委譲されている。したがって、被告東京都は、寄宿生が親元に帰っている場合を除いて、終日、各人の生命、身体、健康についてこれらを侵害する危険から保護する措置をとるべきであったものである。
(二) 本件事故の予見の前提となる事実関係
(1) 大島南高校をとりまく環境について
大島南高校は、高等普通教育及び海洋に関する専門教育を施し、現代社会における有為な人材を育てることを目的として設置されている特殊性を有する学校である。
同校周辺には、本件事故が発生した差木地を含め、港湾等が多数存在する。また、大島周辺の海域は、潮流の流れが速く、危険な場所も存在しており、釣客、遊泳客等の水難事故が多発していた。
他方、同校海洋科に現実に入学してくる生徒の大多数は本州の関東方面出身の者であり、海に対する関心は強くとも、海の危険性や、危険回避の方法に関する知識などはほとんど持ち合わせていなかった。
(2) 生徒が差木地を含む海域で遊泳等をしていたことについて
大島南高校の生徒は、もともと通常の高校生よりはるかに海に関心があることもあって、通常の授業時間以外にも海において、多数回遊泳や潜水等をして遊んでいた。そしてその海域も、波浮港周辺やトウシキ海岸に限らず、本件事故現場の差木地も含まれていた。
また、寄宿舎の伝統として、三年生が新入生に対して高い堤防などから海に飛び込ませる度胸試しである「バンジージャンプ」が恒例行事として行われており、一年生は、上級生から「数ある寮生の伝統行事の中でも、海の男への第一歩として最重要」と教わっていた。平成六年にも、このバンジージャンプという行事が、改修中で立入禁止となっていた差木地漁港の堤防に立ち入って行われている。
同所は、波浪注意報が出ているような海況では、うねりと泡立つ白波によって海に精通した者ですら容易には陸に戻れない危険な場所である。
(三) 大島南高校教諭及び寄宿舎舎監が、差木地漁港における飛び込みを知り又は知りうべきであったことについて
(1) 前記のとおり、バンジージャンプが学校周辺の海域で行われてきたが、少なくとも寄宿舎の舎監のうち三名がこのことを知っており、また担任教諭が「何をやっているか分からないから」と休みの日にバンジージャンプについて行ったこともあった。
(2) 事故当日、大島南高校教諭高間と生徒らが、差木地漁港へ向かう前に会っているが、その際に同教諭は「海が荒れているから注意しろ」との声をかけており、同教諭は当日の一九名が海に向かうことを知っていた。また、当日の外出ノートに「差木地バンジー場」と書かれており、教職員が認識することも可能であった。
以上によれば、「差木地バンジー」なる行事について、寄宿舎舎監らは十分に知っていたか、又は知ることができた。
(四) 大島南高校教諭及び寄宿舎舎監の結果回避義務違反
(1) 海洋に関する知識の伝授の懈怠、海洋事故防止体制の不備
教職員において、学校周辺の海岸等を調査して生徒に周知徹底させるとともに危険箇所での遊泳等を禁止し、寄宿生に対して常に海の状況に関する正確な情報を供与し、例えば、注意報が発令されていれば、遊泳や釣りをする生徒たちに適宜的確なアドバイスを与えたり、海にゆくことを禁止したりするといった気象の状態に応じた海行きに関する規則を定めておく等の海における遊泳等についての整備をし、また、一年生の当初から海洋に関する知識等を伝授し、学校及び寄宿舎には、緊急の場合に対処しうる相当数の救命胴衣を備えておくべきであった。
しかし、本件事故発生日までは、学校側から一年生に対し大島周辺の海についての詳細な説明、遊泳に適した場所、適しない場所の指示は一切なく、気象情報の伝授も、生徒が自主的に行う潮汐に関する情報が提供されていたにすぎず、大島南高校の周囲の環境に照らし、あまりにも不十分であった。
水泳等の技能指導においても、本件被害者らには何ら行われていないし、入学後本件事故発生日までの間に、一年生についての体力測定や水泳に関する能力検査も行われていなかった。
それどころか、学校は、海行きに関する指導は、一年生を三年生に同行させることで事足りると考えていたのである。しかし、本件事故当時の三年生は弱冠一七歳であり、多少大島での生活経験があるといっても成人と比較すれば判断能力は十分ではない。にもかかわらず教職員らは、この未熟な三年生たちに一年生の生命を預けてしまったものであり、教職者としての任務を放棄したものというべきである。
(2) 生徒の動静を把握すべき義務の懈怠
前記1(原告の主張)のとおり、寄宿舎には一年生と三年生間の絶対的な上下関係があったところ、舎監らはこれを相当知っていたにもかかわらず解消する指導をせず、又は不十分な指導しかしていなかった。
また、舎監らは、生徒が差木地の海域で遊泳していたことを知らなかった旨主張するが、生徒の動静に注意を払い、島内をパトロールするなどして、自由時間をどのように過ごしているのか、隠れて危険なことをしていないかどうか等について寮生の動向を調査すれば、このようなことは容易に把握できたものである。
(五) 本件事故後に学校がとった措置について
大島南高校は、本件事故発生後、寄宿舎の運営について次のような改善点を教育委員会に文書で報告している。
(1) 安全体制の確保
舎監長が安全確保の点から施設、設備の点検に努め、舎監の寄宿舎内の巡回回数を増やし、生徒の生活実態を把握するように努めた。
また、平日及び休日における外出について届出制から許可制に変更し、特に海行きについては安全確保の観点から気象情報等の周知及び場所の限定(トウシキと波浮港に限った)等の規則を定め条件整備した。
(2) 寄宿舎における望ましい人間関係づくり
上級生と下級生の人間関係の改善の必要性について指導し、三年生一名が一年生数名の指導に当たる制度を廃止し、上級生の威圧的あるいは不自然と考えられる言動等を改善するなどした。
(3) 寄宿舎の運営に関する改善
寄宿舎運営についての意見交換の場を創設するため、下級生の代表を含めた代表者会議を設けるとともに、下級生だけが行わなければならない作業等を廃止した。
(4) 学校と保護者との連携
在京の生徒であっても学校を休んだ場合には保護者に連絡を入れたり、保護者が寮にいつでも宿泊できる体制を整えたり、「寄宿舎だより」を定期的に発行して寄宿舎の状況を知らせるようにした。
以上はいずれも学校自らが寄宿舎の運営で改善すべき点としてあげていることであり、その内容は、原告らが主張する被告らの結果回避義務の内容とほぼ同一である。すなわち、事件前に寄宿舎舎監らがこれらの方策をとっていれば、本件事故を防ぐことができたことは明らかなのである。
(被告東京都の主張)
(一) 本件事故についての安全配慮義務について
(1) 本件事故が発生した五月一三日は、公立高等学校が休業日となっている第二土曜日である。寄宿舎では、高校生としての個人の人格の尊重のためできるだけ自由を認めることが望ましく、必要以上の制約を避けるとの趣旨で、午前八時三〇分から同一二時まで、午後は〇時四五分から同八時四五分まで、それぞれ寄宿生の自由時間であった。
そして、自由時間には、寄宿舎に備付けの「外出ノート」に外出先を記入させるにとどめ、特に寄宿生の行動について指導等はしていなかった。
(2) 差木地漁港は、学校の正課に用いられる海域(トウシキ海岸等)とは異なり、およそ同所で遊泳することは想定されておらず、場所的にも、学校の管理下にあるべき場所とはいえず、単なる生徒の外出先というべきである。
したがって、本件事故は、寄宿舎の休日の自由時間中に、外出先において生じたもので、寄宿舎生に対する指導、監督の範囲を越えた時間、場所で生じた事故である。学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係になく、学校教育活動に起因するものではないから、被告東京都が安全配慮義務を負う場合ではなかったものである。
(二) 大島南高校の教育課程における海洋に関する教育について
(1) 一学年における水泳実習としては、「水産一般」の科目で、泳力テスト、マスク、シュノーケル、フィン等の使用方法、水泳、潜水を指導し、「夏期海洋実習」の科目で、プール及び海洋における水泳、潜水を指導している。
これらは、プール及びトウシキ海岸の天然のプール状になった場所で行われるほか、海洋における指導は、波浮港、筆島、イマサキ、トウシキ等で行われる。
(2) 二学年の生徒に対しては、「総合実習」の科目で、スキューバダイビングを含む海洋での潜水などの指導が行われる。
(3) 三学年では、海洋スポーツ系の生徒には二年次までの復習やボートダイビングの指導が、栽培漁業系ではスキューバダイビングの復習や種苗放流のための潜水指導などが行われる。
(4) これに加え、教室における授業においても、折に触れ、海洋に関する気象、海流、潮汐、波浪等の知識を授けている。
このように、大島南高校海洋科では、これら実習、座学を通して、海で泳ぐことの危険性を知ることについて十分な指導が行われている。
(三) 正課以外の指導及び海洋に関する情報の伝授等について
(1) 海行きの体制について
大島の海は、入り江や港湾等を除いて周囲はすべて外海であり、潮流や天候の影響を受けやすい。本件事故以前には、トウシキ海岸近くで海難死亡事故が発生していることもあり、大島南高校の教職員は、ことあるごとに寄宿生らに注意を喚起していた。
そして、新たに寄宿舎に入舎する一年生は、大島の海に慣れていないので、前記(二)記載のような海洋に関する教育を二年間受け、更に大島での生活経験を通じ、比較的海洋に関する経験が豊富な三年生と同行させており、一年生のみで行く場合に想定される経験不足から生じる危険の回避をはかっていた(無論このことは、一年生の監督を三年生にゆだねるとの趣旨ではない)。
(2) 波浪注意報の発令により海行きを中止すべきか
原告らは事故当日は波浪注意報が発令中であったから、教職員らは、海における遊泳を禁止するなどの措置をとるべきであったと主張するが、一口に海といっても、例えば湾の奥と岬の先などの外海とでは様相が全く異なる上、大島では風向き等により測候所近くの元町の海岸と大島南高校のある南側の海岸とでは波やうねりなどの状況が著しく異なることもしばしばあり、さらに、予報に反して海が穏やかであったり、逆に警報や注意報がないのに波が高くなるということもまれではない。したがって、注意報の有無のみで一律に海行きを禁止したり解除したりすることは現実的とはいえない。
(3) 寄宿舎においては、休日の朝、二年生の代表が当日の潮汐予報を放送し、玄関の掲示板に潮汐表を掲示して、釣り等に赴く場合に備えての危険防止をはかっており、事故当日も同様に実施されていた。
(四) 校長、舎監長の訓辞等
事故当日は、平成七年度に入って自由に外出することができる初めての土曜日の休日であることから、その前夜の最終点呼時を利用して舎監長の小林省三から寄宿生全員に対し「今年度初めての寮生活での二連休となる。事故を起こさないよう、特に海には細心の注意を払え」と訓示し、注意を喚起し、危難発生の予防に努めた。
(五) 外出ノートの記載について
(1) 外出ノートの性格
寄宿舎においては従来より寄宿舎玄関に備え付けた外出ノートと題する帳面(寄宿生をもって組織する規約委員会の委員がその運営に当たっている)に外出する日、時刻、目的地、帰寮予定時刻、帰寮時刻、外出者名を記入する事実上の慣習が存在したが、事前に外出の許否を行うものではなく、何らかの必要が生じた際に寄宿生の存否及びその所在を知り得るための便宜のものにすぎない。
したがって、外出の際に教職員が記載内容を審査することも、事後にノートの記載から生徒の自由時間の立ち回り先を調査するなどということもしていない。
また、当日の日直は午前八時三〇分から午後一時までと午後一時から午後五時三〇分の二交代制であったが、生徒ら一九名が出発した時間帯は日直の交代時期であり、しかも日直は貴重品管理等に当たっていたので、生徒らの出発の確認はしていない。
(2) 外出ノートにおける「差木地バンジー場」の記載について
本件事故当日の外出ノートの記載には、外出場所の欄に「差木地バンジー場」との記載があるが、「バンジー場」の語は当日以前の外出ノートには全くみられず、この日に初めて出現するものである。
そして、「バンジージャンプ」の語自体には海に向かって飛び込むとの意味はなく、この記載自体から防波堤からの飛び込みを連想することはできない。
(3) 差木地地区の特徴について
差木地地区は学校のある地域から約一・五ないし二・五キロメートル西方にある地域であり、集落があって住宅が多数あるほか商店も比較的そろっており、小学校、郵便局、派出所等もあって周辺と比較すれば相対的に繁華である。
寄宿生は、商店(レンタルビデオ店)や友人宅に出かけるために差木地に赴くことが多く、寄宿生が海行きのためわざわざ寄宿舎からはかなり離れた右差木地地区の海に赴くことはまれであると考えられる(むしろ、寄宿舎周辺に遊泳に適した海岸、湾が多数あるので、寄宿生はそちらに向かうと考えられる。)。
また、差木地集落は海岸からかなりせり上がった丘の上にあり、町や往来のある道路からも漁港の状態は見えず、教職員らは、生徒が差木地漁港の堤防上にいるのを見たことはなく、また、そもそも同漁港周辺海域は大島町差木地漁業協同組合が漁業権を有し、組合員以外は入漁できなかったので、釣りに行く生徒がいたかどうかも舎監らの耳にはいることもなかった。
そのため、教職員らは、生徒が「差木地に行く」というときは、差木地の集落に行くことと理解していた。
(4) 差木地漁港の工事について
差木地漁港においては、昭和五三年以前は海面から二、三メートル程度の高さの堤防があったが、同年以後平成五年九月までの間は堤防改修工事が行われていたため、同所からの飛び込みは不可能であり、平成六年九月から平成七年四月までは堤防の開口部拡張工事のため立入りを禁止されていたため、結局差木地における堤防からの飛び込みは、平成五年九月から平成六年九月まで及び平成七年五月の工事完了以後のほかは実行不可能であった。
したがって、学校教諭及び舎監らが、外出ノートの「差木地バンジー場」との記載から、差木地漁港の堤防の上から外海に向かって飛び込むことを想像することはできない。
(六) 差木地バンジーが寄宿舎の伝統行事であって、舎監らがこれについての指導をすべきであったとの主張について
そもそも寄宿舎には、新入生を高い堤防から飛び込ませるというような慣習的な行事や「バンジージャンプ」と称する行事もなかった。
すなわち、伝統的な寮の公式行事であるならば、当然、寄宿舎の前寄宿生を対象として行われるべきものであって、「私的な遊び」ではなく「公的な行事」なのであるから、学校側と寄宿生との間でその運営について協議がされ、その具体的な日時、方法については詳細な検討がされ、全寄宿生に知らされるべきものであるが、本件は船舶運航系に所属の三年生が遠洋航海に出ている間の五月一三日に、上級生の三年生が二人で当日の昼に決めて、ほんの一部の寄宿生が参加するにとどまっているにすぎず、公式行事とはとてもいえない。むしろ、わずかな寄宿生の私的な遊びとしてされていたものにすぎないのである。
また、過去において、差木地漁港へ行ってその周辺の外海で遊泳することや、防波堤から外海に飛び込んで泳ぐなどという話題は、寄宿生から聞いたことはなく、「差木地バンジー」という言葉を聞いた教職員は皆無であった。
そして、一般に、大島南高校の生徒らは、主に波浮港内の海やトウシキ海岸の天然プールで泳いでおり、飛び込みについては、トウシキ海岸の二メートルほどの高さの岩から飛び込んで遊んでいる生徒がいることについて知る教職員がいたにすぎない。
(七) 調査義務について
原告らは、被告東京都の注意義務として、大島内のパトロール調査をすることにより、差木地漁港の堤防から外海に飛び込むことも把握でき、その回避措置をとりえたのに、これを怠ったことに過失があると主張する。
しかし、予見可能性の前提として調査義務が課されるのは報償責任の観点から営利企業などに求められるなど限定的な場合であるところ、本件のように学校の行う寄宿舎の管理は全く性質が異なるのであって、このような過大な義務を課すことはできないものというべきである。
以上によれば、教職員らは、寄宿生が差木地漁港の堤防上から飛び込むことについて知らず、また知り得る余地もなかったものであるから、本件のように堤防から外海に飛び込むといった超冒険的な異常行動に起因する事故を予見できなかったとしてもやむをえない。
本件事故は被害者らが差木地漁港堤防から海に向かって飛び込んだことによって死亡するに至ったものではなく、飛び込みを終えた後五分ほど経ってから、突然沖より押し寄せた高波に襲われた結果生じたものであるから、堤防上からの飛び込みについての予見可能性と本件死亡の結果発生との間には相当因果関係がないというべきである。
4 争点4(原告らの被った損害額)について
<原告らの主張)
(一) 原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫及び同松山洋子
(1) 北原裕貴、李塵の逸失利益
北原裕貴、李塵は、いずれも本件事故当時一五歳であったから、本件事故がなければ、一八歳から六七歳までの稼動期間中、男子の平均賃金程度の収入を得たはずである。
そうすると、
<1> 男子の全年齢平均賃金(年額) 五四九万一六〇〇円
<2> 生活費控除 五〇パーセント
<3> 労働期間に対応するライプニッツ係数 一六・五一五八
をもとにすると、逸失利益は四五三四万九〇八三円となる。
(2) 慰謝料
北原裕貴、李塵は死亡により肉体的、精神的苦痛を受けたが、これを慰謝するに足りる金額は各二〇〇〇万円が相当である。
(3) 葬儀費用
原告北原豊及び同北原ふさ子は北原裕貴の葬儀費用として、原告松山国夫及び同松山洋子は李塵の葬儀費用として、それぞれ本件事故と相当因果関係を有する一三〇万円分(一名当たり六五万円)の損害を被った。
(4) 弁護士費用
原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫及び同松山洋子は、原告ら訴訟代理人に本訴の提起を委任したが、その費用及び報酬として原告一名につき三五〇万円を支払うことを約した。
北原裕貴、李塵はいずれも五月一三日死亡したから、同日、相続人である原告らはそれぞれの被相続人の右(1) 及び(2) の損害賠償請求権を相続した。
したがって、原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫及び同松山洋子は、それぞれ本件事故により、右(1) (2) の合計の半分(法定相続分)及び右(3) (4) の合計である三六八二万四五四一円の損害賠償請求権を有する。
(二) 原告佐藤正幸及び同佐藤京子
(1) 佐藤賢太郎の逸失利益
佐藤賢太郎は、本件事故当時一六歳であったから、本件事故がなければ、一八歳から六七歳までの稼動期間中、男子の平均賃金程度の収入を得たはずである。
そうすると、
<1> 男子の全年齢平均賃金(年額) 五四九万一六〇〇円
<2> 生活費控除 五〇パーセント
<3> 中間利息の控除(ライプニッツ式) 一七・三七九六
をもとにすると、逸失利益は四七七二万〇九〇五円となる。
(2) 慰謝料
佐藤賢太郎は死亡により肉体的、精神的苦痛を受けたが、これを慰謝するに足りる金額は二〇〇〇万円が相当である。
(3) 葬儀費用
佐藤賢太郎の葬儀費用として、原告佐藤正幸及び同佐藤京子は本件事故と相当因果関係を有する一三〇万円分(一名当たり六五万円)の損害を被った。
(4) 弁護士費用
原告佐藤正幸及び同佐藤京子は、原告ら訴訟代理人に本訴の提起を委任したが、その費用及び報酬として原告一名につき三五〇万円を支払うことを約した。
佐藤賢太郎は五月一三日死亡したから、同日、相続人である原告佐藤正幸及び同佐藤京子は、右(1) 及び(2) の損害賠償請求権を相続した。
したがって、原告佐藤正幸及び同佐藤京子は、本件事故により、右(1) (2) の合計の半分(法定相続分)及び右(3) (4) の合計である三八〇一万〇四五二円の損害賠償請求権を有する。
(三) 原告高橋智也及び同高橋ウメ子
(1) 高橋信人の逸失利益
高橋信人は、本件事故当時一五歳であったから、本件事故がなければ、一八歳から六七歳までの稼動期間中、男子の平均賃金程度の収入を得たはずである。
そうすると、
<1> 平成七年度男子の全年齢平均賃金(年額) 四五八万八五〇〇円
<2> 生活費控除 五〇パーセント
<3> 労働期間に対応するライプニッツ係数 一五・七五三
として計算される同人の逸失利益は、五〇五九万七八四八円となる。
(2) 慰謝料
高橋信人が失踪宣告により死亡したものとみなされたことにより、同人の受けた精神的、肉体的苦痛を金銭に換算すると、二〇〇〇万円が相当である。
(3) 弁護士費用
原告高橋豊及び同高橋ウメ子は、本訴の提起追行を本訴訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として原告一名につき三五〇万円の支払を約したから、原告高橋豊及び同高橋ウメ子には、合計七〇〇万円の損害が生じた。
高橋信人は五月一四日死亡したとみなされたから、同日、相続人である原告高橋豊及び同高橋ウメ子は、右(1) 及び(2) についての損害賠償請求権を相続した。
したがって、原告高橋豊及び同高橋ウメ子は各自、本件事故により、右(1) (2) の合計の半分(法定相続分)及び(3) の合計である三八七九万八九二四円の損害賠償請求権を有する。
(被告三年生らの主張)
原告の主張を争うほか、仮定的に左の点を主張する。
(一) 損害の計算について
原告の計算には、労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数の算出において誤りがある。また、高校卒業後就労することを前提として労働能力喪失期間を計算しているにもかかわらず、全年齢学歴計平均賃金を採用しているのは不合理である。
(二) 過失相殺
本件被害者らは、中学校の義務教育を終了し、大島南高校に入学を許可されたものであるから、いずれも年齢に相応した十分な事理弁識能力を備えており、かつ、水泳の能力においても、いずれも泳げることを自認していたものである。
そして、前述の被告の主張の通り、本件事故は遊びの中で生じたものであり、被害者らは、自らの意志で飛び込んだものである。
以上の事情を考慮すれば、仮に被告三年生らに海に飛び込むについて危険がないかを留意すべき注意義務あるいは飛び込んだ後の危険に対処する注意義務が仮にあったとするならば、被害者らにも同等の注意義務があったはずであるから、相当の過失相殺がされるべきである。
(被告東京都の主張)
原告の主張を争う。
仮に被告東京都の過失が認められる場合であっても、本件事故は、防波堤から差木地の外海へ飛び込むという超冒険的、異常行動に起因して発生したものであること、被害者らは高校一年生であって、その判断力も青年に準ずる程度に達していたこと等が損害賠償額を算定するに当たっては当然考慮されねばならず、相当の過失相殺がされるべきである。
第三当裁判所の判断
一 争点1(寄宿舎の生活において、三年生の一年生に対するいじめ等があったかどうか。)について
1 証拠(甲八ないし一七、一八の1・2、二四、二六、三三、三九ないし四二、乙一三の1、乙一四の1・2、一九ないし二五、二七ないし二九、証人松山龍芝、同山田悠、同石成隆明、取下前相被告柴田功本人、同鎭西克延本人及び弁論の全趣旨)及び前提事実を総合すると、寄宿舎の生活状況について、以下の事実を認めることができる。
(一) 寄宿舎においては、平成六年ころまで、寄宿舎を船舶に見立て、船舶の安全確保のため命令系統が確立され、命令に絶対服従すべきとする船上の生活になぞらえた厳しい規律のもとで生活がされていた。
そこでは、上下関係が過度に強調され、上級生の命令に服従すべきであるとの指導方針がとられており、さまざまなしごきやいじめがあった。
(二) 平成五年六月ころには、寄宿舎において一年生が三年生からいじめられているとの訴えがあり、東京都教育委員会では寄宿舎におけるいじめ等の実態の把握に努め、大島南高校職員らは、暴力の否定、他人の人権の尊重を指導し、学級及び寄宿舎における生徒間の人間関係の改善に努めると共に、いじめを訴えた生徒の進路変更の希望を認め、転学させたことがあつた。
(三) 平成六年度より、校長及び舎監らは、寄宿舎のあり方についての改善策として、舎監だけでなく、学校教職員全体で寄宿舎の運営に当たること、舎監が寄宿生の相談を受ける体制を作ること、暴力行為に関してはどのような小さな暴力でも見逃さない方針などを取り決めた。
しかしながら、右方針転換にもかかわらず、実際には、本件被害者らが入学、入舎した平成七年度において、本件事故発生までのわずか約一か月の間に、一年生の寄宿舎生活について次のような事実が生じていた。
(1) 北原裕貴は、四月二二日、被告植田に水、ウーロン茶、卵、キャベツの入った飲み物を欲まされ、更にぎょうざを生で食べさせられた。
松山龍芝は、三年生に命じられ、一年生同士や一年生と三年生間で格闘技をさせられた。同人は、三年生から本気でやるように命じられたが、上級生と対戦したときは、右松山が真剣に手を出すことはできず、一方的にされるがままとなっていた。他にも、夜に「筋トレ」と称して腕立伏せを倒れるまでさせられたり、ラーメンを作るよう命じられて作ったりしたことがあった。
右松山は、何かの折に三年生に余興をやれといわれていたが、何をしてよいかわからず結局しないでいたところ、ついている三年生から無視され、外出等もできなくなる「破門」という扱いを約二日間受けることとなった。
(2) 「チョウチョウ」と称する、風呂場で四人が一人の四肢を持って浴槽に漬けたり上げたりする行為については、李塵が実際にその対象となったことがあり、山田悠がその対象とされそうになったことがあった。
(3) 一年生は、日常的に三年生から上腕部を手拳で殴打する「腕パン」という暴行を受けていた。
(4) 松山龍芝は、本件事故前の平成七年四月中旬ころ、家族にあてて手紙を書いたが、右手紙のなかで、寄宿舎について「言葉に表すと地獄に思える生活」と表現し、「すでに室員の中には、この高校をやめるといい、今二年生が説得してやめないようにといわれている人もいます」と一年生の状況について報告していた。
(5) 寄宿舎に入舎した当初から、三年生の指導により寮歌の練習がほぼ毎日行われ、一年生には数種類の寮歌の暗記、暗唱が必要とされた。一年生は声をからすほど大声で練習し、間違えると頭をたたかれる等の暴行を受けた。このため、一年生のうちには連休までの間に声がつぶれてしまった者もいた。
(四) 他方、平成七年度においても、寄宿舎における指導の指針として、三年生の下に数名の一年生を配置し、三年生が一年生に対し寮生活全般について指導させるという制度(以下「一年生が三年生につく制度」という。)が採られ、寄宿舎の規則として、一年生は単独では外出ができず、外出の際は必ず三年生と同行することとされ、外出中一年生同士の会話は禁止されていた。
また、一年生は、毎日日記をつけて三年生に供覧し、コメントをつけてもらっていたが、五月に上級生の被告朝木のコメントが数日にわたりなかったことを心配して、北原裕貴が「コメントを書いてください」と懇願するような状況もあった。
(五) 寄宿舎におけるいじめや暴力事件の発生状況については、教職員の把握したものだけで、平成五年度は、いじめ、暴力が六件、飲酒、喫煙が八件、平成六年度はそれぞれ一〇件、一二件、平成七年度は、同年六月二〇日の時点でそれぞれ四件、六件であった。
そして、平成七年度においても、寄宿舎運営の指針として、暴力・暴力まがい行為・いじめの根絶、盗難、喫煙の一掃をはかることが大島南高校寄宿舎部で取り決められていた。
(六) 寄宿舎の専任舎監自身も、寄宿舎内の生活状況について、三年生が一年生の面倒をよくみていたという面は認められるものの、逆に一年生が三年生に過度に従順な姿勢をとる面があることを感じていた。
2 そこで、右認定事実を前提として寄宿舎の実態について検討する。
(一) 寄宿舎における制度について
前記のとおり、寄宿舎においては、一年生が三年生につく制度のもとで、一年生は単独では外出もままならず、食事、入浴等の生活行動のほとんどを三年生とともにしなければならないなど、一年生が自由に行動できる範囲、時間は極めて限定されており、一年生が寄宿舎で過ごす時間のほとんどは三年生の監視下にあったというべきである。
被告東京都は、集団生活にとって必要な規律の維持や、周辺住民に対する迷惑の防止、三年生についての上級生としての自覚を促す観点から右制度も有用であったと主張する。
しかし、右制度は、東京都が主張する目的を達成する手段としては、必ずしも相当なものではなかったものといわざるをえない。右制度は、むしろ三年生に無用な特権意識を生む素地となっており、後記認定のとおり、本件事故を生じさせた下地となっていたものというべきであるから、被告東京都の主張は失当である。
(二) 寄宿舎内の問題行動について
前判示の事実によれば、寄宿舎においては、平成七年度においても、なお「寮の伝統」が過度に強調され、その名の下にさまざまなしごきに当たる行為があったものと認められる。
被告三年生ら及び被告東京都は、原告の主張には過去の寄宿舎の実態や、うわさや伝聞などが混入してしいるとして、これを争うけれども、前判示の各事実は、証拠上確実に認定できたもののみが列記されたにすぎず、このような場合、発覚しない暗数が多数あることが経験則上認められることに照らすと、当時の一年生らが伝聞したことも含め、前判示の事実に類する行為は相当数発生していたものと認めるのが相当である。
そして、それらの行為は、上級生の側では悪ふざけやうっぷん晴らしの一種であると認識していたとしても、それを受けた下級生にとってはいじめであると受けとめるような行為であったものであるから、それらの行為自体は、上級生が下級生に礼節等を指導したり、寄宿舎における集団生活を維持するための指導をしたりする際に通常許される限度を逸脱したものであったというべきである。
そして、大島南高校教職員も右事実を把握していたというべきところ、有効な改善策をとりえないまま推移し、寄宿舎の実態は、従前とさほど変わらないものであったといわざるをえない。
被告東京都及び被告三年生らは、平成七年度には寄宿舎における上下関係は相当程度改善されており、原告ら主張のようなしごきやいじめはなかった旨主張し、これに沿う被告三年生らの各供述(丁一、戊一、己一)があるが、前記認定事実によれば、平成七年度においても依然暴力の根絶等を指導方針として掲げなければならないほど暴行、盗難、窃盗等の問題行動が寄宿生の間にはびこっていたものと推認されるので、これらの事実に照らして、被告三年生らの各供述を採用することはできない。
したがって、寄宿舎においては、従前からの内部的な制度によって三年生の特権意識が醸成されており、職員の側でも有効な改善策をとりえないままに、三年生自身の問題行動及び三年生の一年生に対するしごきやいじめが依然としてあったものと認められる。
二 争点2(被告三年生らに本件被害者らを強制的に海に飛び込ませた過失があったかどうか。)について
1 本件飛び込みに至る経緯及び飛び込みの態様について、証拠(甲二、三、六の1・2、七、九、一二ないし一六、二五、乙六、一五、二七、二八、丁一、戊一、己一、証人松山龍芝、同山田悠、同石成隆明、被告朝木本人、同植田本人、同小嶋本人、検証の結果及び弁論の全趣旨)によれば、左記の各事実を認めることができる。
(一) 被告朝木と同植田は、五月一三日の昼ころ、差木地漁港において一年生を度胸試しのため飛び込ませた後、潜水、釣り等で遊ぶことを企図し、その準備をしていたところ、被告小嶋がその計画に賛同し、同行することにした。
(二) 被告朝木についていた一年生のうち、北原裕貴、高橋信人、松山龍芝と二年生の桜井浩與、柿原耕平が、被告植田についていた一年生のうち石成隆明、山田悠、山谷立成、福田政好と二年生の前田更平、大久保陽が、被告小嶋についていた一年生のうち、草野哲史、李塵、木村佳央、大林北斗が被告三年生らについて行くことになった。
また、佐藤賢太郎は右グループに属していなかったが、上級生の紹介を受け同行した。
右一行(一九名)は、午後一時から一時六分ころまでの間に寄宿舎を出発し、差木地漁港に向かい、一時三〇分ころ、同港に到着した。
被告植田は、率先して同港の防波堤(別紙添付図面表示の<A>の地点)に設置されていたワイヤーロープを伝って堤防の最上部に上り、一、二年生らが後に続いた。大林北斗、木村佳央は泳げなかったことから堤防の下に残り、福田政好は堤防の最上部に登るのを躊躇していたが、上級生から「福田、上がってこい」と大声で呼ばれたため、やむなく堤防の最上部に上ることとした。
なお、差木地漁港に向かう途中、被告小嶋、同朝木、桜井浩與、柿原耕平の四名は、菓子類を購入するため別行動をとり、右四人は二〇分程度遅れて差木地漁港に到着し、堤防の最上部に上った。
堤防の最上部は台地状の平坦な場所となっていて、その南側端に立って下を見下ろすと、約一〇メートル下に外海の海面があり、荒れ模様の波がうねり、防波堤に打ち寄せ、波しぶきが上がっていた。
(三) 堤防上では被告植田が主導となり飛び込むよう指示し、飛び込みを決意した一、二年生は着替えて準備し、被告朝木は「飛び込むときは気合いを入れて行け」等と一年生に対して指示していた。また、「寮生の気合いを見せろ」と声をかけた者もいた。
石成隆明はこのとき、波の状態を見て「今日はやめませんか、死んじゃいますよ、釣りにしましょう」と被告植田に言ったが、聞き入れられることはなかった。山田悠は、同様に、サメがいる旨告げたが、大丈夫だと言われて、かえって、三年生は海を知っているのだという印象を受け、信頼するしかないと考えた。松山龍芝は、だめでもともとという気持ちで、「海大丈夫ですか、入りたくないんです」と被告朝木に言ってみたが、「なに言ってんだおまえ、後でどうなるか分かってるんだろうな」と言われてしまい、飛び込まなければ寮で自分の立場がどうなるか分からないと考えるほかはなかった。
また、堤防の最上部に上がった一年生らは、二年生の桜井浩與が被告朝木に落とされそうになったとの印象を受けていた。
このように、一年生らが海の状態を見て危険を感じて被告三年生らに飛び込みを中止するよう求めたにもかかわらず、被告三年生らは、これを聞き入れず、飛び込みを続けることにした。
(四) 午後二時ごろ、被告植田は、まず二年生に手本を示させることとし、大久保陽と桜井浩與に先に飛び込むよう指示した。
このとき、佐藤賢太郎も一緒に飛び込むこととなり、三人が並んで助走して飛び込もうとしたが、大久保陽と桜井浩與が途中で躊躇したため、佐藤賢太郎が一人で飛び込むことになった。このため堤防上にいた者らが、揶揄ないし一年生を先に行かせたことに対する非難を込めて「えー」という声を上げた。
その後、大久保陽と桜井浩與が再び助走をつけて飛び込み、以下一年生の北原裕貴、李塵、山田悠、山谷立成、松山龍芝、草野哲史及び石成隆明が二回に分かれて飛び込み、最後に被告植田と高橋信人が飛び込んだ(以上寄宿生が飛び込んだ地点は別紙添付図面表示の<B>の地点である。)。
先に飛び込んだ者は、順次堤防から離れた海中で列になって待っていた。
(五) 全員飛び込み終わったところで、被告植田が先頭となり、港の西方の堤防開口部に向けて泳ぎ始めた直後ころ、最後尾を泳いでいた高橋信人が「やばい」と声を発しおぼれ始めた。
被告植田はその声を聞き、堤防上に残っていた被告小嶋らに対し、マスク、フィン、シュノーケルを投げるよう指示してこれらを受け取り、高橋信人のもとに泳いでゆき、同人にシュノーケルを装着しようとしたが、うまくいかず、同人の背後から腕をまわして同人を岸に連れて行くことにした。
しかし、折からいわゆる一発波が襲来し海が荒れ始め、高橋信人を救助していた被告植田や、他の一、二年生も波に呑まれ、飛び込んだ全員が危機的状況に陥った。
(六) 堤防上にいた被告朝木、同小嶋らは、高橋信人のみならず他の飛び込んだ者にも異変が起きたことを察知し、堤防から前記ワイヤーロープを伝って堤防下に降り、湾内から外海に向かって泳ぎ始めたが、うねりや波が強く、外海に出ることができなかった。
そこで、被告小嶋は海からの救助を断念し、救助のため浮き具になるようなかばん、ペッボトルを投げ込むと共に、堤防の下にいた木村、大林に救助を要請するため警察や学校に連絡するよう、また飛び込んだ者らに沖に出るよう指示し、ロープなどで救助に当たった。
被告朝木は再度海中に飛び込み潜行して湾内から外海に出た。同人が外海に出たときには飛び込んだ者らは散り散りになっていた。同人は、李塵がおぼれているので沖に連れて行き、そこで山田悠に李塵を預けて自らは救助の船を呼ぶため岸に向かって泳ぎ始めた。しかし、うねりが激しく、結局岩場において大島住民に助けられた。
(七) 被告植田は、前述のように高橋信人を岸へ連れていこうとしたが途中で波に呑まれ離れてしまい、テトラポットから上陸して外海を見渡した。しかし、高橋信人を発見することはできず、当初飛び込んだ堤防に戻り再度外海を見渡し、沖で待機していた者たちの無事を確認してから堤防を降り、堤防付近を泳いでいた松山龍芝をロープで引き上げるのを手伝った。
その後、被告植田は沖に待機していた者らが船に救助されるのを見届けると、到着していた警察官らに事情を話し、大島警察署に同行した。
2 被告三年生らが伝統行事として飛び込みを強制したかどうかについて
被告三年生らは、差木地へ行くことは単に遊びとして当日の思いつきで実行され、飛び込みも現地において発案されたところ、本件被害者らは自らの意思で堤防から飛び込んだ旨主張し、被告東京都は、原告らの主張するバンジージャンプが寄宿舎の伝統としては存在しなかった旨主張するので検討する。
(一) いわゆる「バンジージャンプ」が寮の伝統行事であったかどうか及び本件飛び込みの趣旨について、証拠(甲六の1・2、七、九、一二ないし一七、二五、三九、四〇、乙六、二七ないし二九、証人松山龍芝、同山田悠、同石成隆明、取下前相被告柴田功本人、同鎭西克延、被告朝木本人、同植田本人、同小嶋本人、原告松山国夫本人、同松山洋子本人及び弁論の全趣旨)及び前提事実によれば、次の各事実を認めることができる。
(1) 「バンジージャンプ」とは、南太平洋の島しょにおける成人儀式に由来し、ニュー・ジーランドにおいて発祥した一種の冒険的活動であり、本来は、伸縮性のあるゴムのロープを足首に巻きつけて、断崖や橋の上から飛び降りてそのスリルを楽しむものであるといわれている。したがって、「バンジージャンプ」という言葉から、寄宿生が、高所からの飛び降り又は飛び込みを想起することはさほど困難なことではなかった。
そして、寄宿舎に備え付けられた「外出ノート」には、事故当日に行先として「差木地バンジー場」と記入されていた(右記載は、当日その場で考えついて差木地漁港の防波堤についてそのように命名したものというよりは、むしろ、寄宿生の間で差木地漁港の防波堤をそのように呼びならわしていたものである。)
現に堤防の下で待機していた木村佳央は、事故発生直後学校に事態を告げた際も、「差木地バンジーやっていてだれかおぼれたらしい」と告げたのみで、学校側に事態が伝わっていた。
さらに「差木地バンジー」という呼称については、本件事故前に右呼称を聞いた舎監が少なくとも三名はいた。
(2) 大島南高校周辺の海域における飛び込み可能な場所としては、波浮、トウシキ、差木地が挙げられるところ、大島南高校海洋科の生徒のうち、右各地点で飛び込んだ者の数は、後の調査で次のとおり判明した。
(調査母数)
三年生二六名中 二一名
二年生三五名中 三〇名
(人数及び回数)
平成七年度の二、三年生が平成五、六年度に(二年生については平成五年度を除く)飛び込んだ人数及び回数の合計
波浮 飛び込んだ人数 四人
飛び込んだ回数 一八回
トウシキ 飛び込んだ人数 一五人
飛び込んだ回数 六〇回
差木地 飛び込んだ人数 一三人
飛び込んだ回数 二三回
このように、大島南高校海洋科の生徒(その大部分は寄宿生である)の飛び込んだ人数及び回数について、波浮やトウシキに比べ差木地が少ないとはいえず、むしろ同程度に飛び込みをしていた。
また、桜井浩與は、平成六年度においても、本件と同じ差木地漁港において飛び込みを命じられて実行したことがあった。
(3) 被告植田は、六月ころ及び七月二四日、原告松山国夫方を訪問し、バンジーは伝統であったこと、飛び込む前は自分も危ないと思ったが、格好をつけなければとの思いであったことを原告松山国夫に話した。
被告小嶋は、七月九日に同様に原告松山国夫方を訪問し、被告小嶋自身一年生のときにバンジージャンプをやったことがあり、少数の三年生がこれを受け継いできたことなどを話した。
(4) 一年生らは、平成七年四月中に、バンジージャンプをさせられると三年生から告げられており、佐藤賢太郎、李塵、松山龍芝はいずれも四月末から五月始めにかけての連休に親元に帰省し、両親に対して高い堤防から海に飛び込ませる行事が連休明けころにあることを話していた。
松山龍芝は、松崎と共に、連休明けの週のはじめころ、被告朝木から「今度の週末バンジー行くぞ、差木地行くぞ」と申し渡されていたし、山田悠は、事故前日にも被告植田から「明日差木地で伝統のバンジージャンプをやる」「おまえやると言ったよな」と宣告されていた。
以上の事実を総合すると、大島南高校の寄宿舎においては、少なくとも事故以前の数年間、三年生の一部に、入学後間もない一年生を堤防、岩場等の高所より海中に飛び込ませる「バンジージャンプ」という通過儀礼的な行事をさせる慣行があり、本件の飛び込みもこの行事として行われたものと認められる。
また、前記二1に掲げた証拠によれば、一九名中釣り道具を持っていたのは山田悠の一名にすぎず、潜りの道具(マスク、フィン、シュノーケル)の数についても少なくとも人数分を大幅に下回っていたこと、被告植田は、差木地漁港に到着した後、真っ先に躊躇なく堤防の最上部に上っていること、差木地漁港に到着してから三〇分後、被告朝木及び同小嶋らが到着してからはわずか一〇分後には飛び込みが始まっていることが認められるところ、右認定事実によれば、当日は、伝統行事とされていたバンジージャンプを行うことが主たる目的であって、その余の遊びはせいぜい従たる目的として差木地漁港に行ったものと認められる。
そして、本件飛び込みが実行された経緯については、本件が伝統行事としてのバンジージャンプであったとすれば、前記認定のとおり、実行された時期が一年生の入学後間もない五月に行われたこと、単なる遊泳であれば他に適切な場所があるのにわざわざ危険な差木地漁港の堤防が選択されたこと、総勢一九名もの比較的多人数である程度組織的に実行されたこと、出発から飛び込みまでの経過に照らすと、本件飛び込みがあらかじめ計画され、準備されたものであったことが十分うかがわれるところである。
これに対し、被告植田及び同小嶋はいずれも前記(3) に関して、原告松山国夫に対して話したのは真意でなく、本件飛び込みは伝統行事としてではなく、単にその日の偶発的出来事である旨供述するが、右供述は、以上の認定に照らし、採用することができない。
(二) 本件の飛び込みが遊びとして行われ、何らの強制も伴わなかったとの被告らの主張について
この点について被告三年生らは、いずれも一年生らは自らの自由意思で飛び込んだものであると主張し、被告三年生らはこれに沿い、前記認定の強制的言動があったことを否定した供述をする。
しかし、本件現場のような高さ一〇メートルの高所から当時天候が荒れてうねりのある外海に向かって飛び込むことそれ自体に、相当の勇気や覚悟が必要であるから、海洋における遊泳の経験が十分にない限り、その危険を考えて飛び込みを回避するのが通常であるところ、証拠(証人松山龍芝、同山田悠)によれば、一年生は、前記認定のような状況でない限り絶対に飛び込むことはなかったと考えていたことが認められる。
また、本件飛び込みは、前記認定のとおり、伝統行事としてのバンジージャンプを行うとの趣旨で被告三年生らによって計画、実行されたものであるから、前記認定の寄宿舎のいじめ等の実態に照らすと、当初から一年生がいやがるのを承知で強制・服従させるのがその目的であったと認められる。
そうすると、本件飛び込みがもともと一年生に試練を課す行事であることや、通常であれば危険を感じて飛び込みを回避すると考えられる本件現場の前記状況に照らすと、一年生らは被告三年生らの言動に心理的に追いつめられ、強制的に飛び込まされたものであると認められるから、一年生らが自由意思で飛び込んだとの被告三年生らの供述は採用することができない。
(三) 証拠(丙一ないし六)には、付近で飛び込みをしようとしていた者らを見ていた大島の住民らがその様子について触れた部分があり、遊んでいた印象を受けたことや悲壮な感じがなかったこと等が述べられている。
しかし、住民らは一〇〇メートル以上離れた遠方から堤防上の状況を見ていたにすぎず、しかも格段の注意力をもって観察していたものとまでは認めがたい。また、前判示のとおり、本件は物理的な強制によって一年生らを突き落としたというような事案ではなく、寄宿舎内の関係を背景として、三年生らが一年生らをして飛び込まざるをえない心理状況に追い込んだというものであるから、住民らが必ずしも強制的な雰囲気を感じ取ることができなかったとしても、前記認定に影響を及ぼすものではない。
3 本件飛び込みが不法行為に当たるかどうかについて
前記のとおり、一年生は、飛び込むに際し、被告三年生らの言動から心理的な強制を受けたことが認められる。そこで、更に被告三年生らの行為が不法行為に当たるかどうかについて検討する。
(一) 証拠(甲三、九、一二ないし一六、二三、三二、乙一五、二一、二六、三〇、丙一一、丁一、戊一、己一、証人松山龍芝、同山田悠、同石成隆明、被告朝木本人、同植田本人、同小嶋本人、取下前相被告柴田功本人、同橋本昇本人、検証の結果及び弁論の全趣旨)及び前提事実によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 一年生らの中には、いずれも大島南高校に入学後一か月余りしか経ておらず、正課で実施される海洋での水泳指導を経ていないこともあって、海洋で泳ぐことについて十分な技能を修得していないか、又は自分の技能について正確に把握していない者がいた。
そして、被告三年生らも、自らがついていた一年生について、泳げるかどうかについて知っていた程度であり、どのような条件下でもある程度泳ぐことができる技能を身につけていたかについては全く分かっておらず、自らにはついていない一年生については、泳げるかどうかの知識さえもっていなかった。
(2) 当日の気象状況について、大島漁業無線局「漁業気象」によるものは、前提事実5記載のとおりであるが、当日被告植田らが差木地漁港に到着した一時三〇分ころの状況としては、防波堤の低くなっている部分(海面からの高さは約四ないし五メートル)に波がかかっており、海もやや荒れ模様の状態であった。
当日の一般的な海況について、地元のダイバーの印象としては、当日の海は潜りができない状態で、プールで泳いだことしかない子供には飛び込みは無理な状況であった。
(3) 飛び込む際の注意としては、被告植田が、飛び込む際に足から入水すること、鼻をつまんでおいた方がよいことを告げたにとどまり、他に入水時における注意事項や緊急時への対応等については何ら指示がなかった。
被告朝木は、高所から飛び込むに際し身を守る方法や、飛び込むポイントの海底の深さについての知識をもっていなかった。
(4) 緊急時に対応できるためのライフジャケット、浮き輪、ロープ等は、これが寄宿舎に備え付けられていなかったこともあって現場には全く用意されていなかった。このため、飛び込まなかった者は、救助用具としてはかばんやペットボトルを代わりに投げ入れるしかなかった。
(二) ところで、海に飛び込んだり海で遊泳したりする場合には、溺れたり、障害物に身体を打ち付けたりなどの海難事故を避けるために安全には特段の配慮をすべきことはいうまでもない。
そして、本件飛び込みにこれを当てはめれば、右安全を確保するためには、堤防前の外海の海況(日常の潮の流れや当日の波の状況等を含む)、海底地形の状況、飛び込みを敢行する者が陸に帰り着くだけの泳力を有していたかどうか、一般に約一〇メートルの高さから飛び込むことによって人体が受ける影響、突発事故など緊急時における対応(救命具等の用意、沿岸で待機すべき人員、緊急連絡手段の確保等)等を明確に把握して安全策をとっておくべきである。現に取下前相被告橋本昇本人は、自らの経験的判断として理想的には少なくとも三〇分は海の状態を観察してその危険性を判断すべきであると供述している。
(三) 飛び込む者が自らの自由意思による判断で飛び込んだのであれば、どのような結果が発生しようとも、無謀な挑戦として自己責任を負うのが本来である。しかしながら、本件は、被告三年生らが主体となって伝統行事であるバンジージャンプを実行し、一年生及び二年生に強制的に飛び込みをさせたという事案であるから、被告三年生らが前項記載の措置をとり、一年生らの生命の安全を図るべき注意義務を負うべきである。この見地から前記認定事実を検討すると、被告三年生らがこれらの注意義務に配慮した形跡はほとんどないことが明らかである。
そして、右注意義務を尽くし(あるいは危険性につき判断能力を有していないか回避手段を十分にとれないというのであれば、同所における飛び込み自体を回避し)ていれば、経験則上本件事故を回避することができたということができるから、被告三年生らは右注意義務を怠ったものというほかはない。
そうすると、被告三年生らには、右注意義務を怠ったことについて過失があるというべきである。被告三年生らの過失と本件被害者らの死亡等の結果との因果関係は明白であって、被告三年生らは、右結果について共同して不法行為責任を負うというべきである。
(四) なお、被告三年生らは、本件事故は飛び込みではなく予見不可能な一発波により発生したものであるから、被告三年生らに事故発生の予見可能性がなく、不法行為は成立しない旨主張する。
しかし、本件は、ブイ等により安全な遊泳区域が明示された海水浴場等における遊泳とは異なり、差木地漁港という安全に関する知見が蓄積されていない、飛び込み及び遊泳についてはむしろ適さない危険な海域で遊泳したものであり、そのような海域で遊泳すれば、むしろ個別具体的に予測できない突発事態が生じる可能性があることは容易に予見できるのであって、そうであればこそ前記のとおりの安全配慮が要求されるものというべきである。
したがって、被告三年生らの主張するように、実際に生じた個別具体的な突発事態そのものを特定して予見することをもって予見可能性の対象とすることは必要ではないというべきで、被告三年生らの主張は失当である。
右に説示したとおり、本件においては、被告植田においては、安全に対する配慮を欠いたまま一年生らを差木地漁港の外海に飛び込ませ、被告朝木及び同小嶋においては、安全に対する配慮を欠いたまま、一年生らの飛び込みを奨励し、被告植田が一年生を飛び込ませるに任せたことによって本件水難事故を発生させたことについてそれぞれ不法行為が成立し、被告三年生らは、右各不法行為によって生じた結果について、共同して責任を負うべきである。
三 争点3(大島南高校教職員らに本件事故の予見可能性があったかどうか。)について
1 一般に、公立高等学校の教職員は、学校及び寄宿舎における生徒に対する教育活動及び生活指導並びにこれらと密接不離な生活関係について生徒の身体の安全を保護し監督すべき職責を負っているものと解すべきである。
この点に関し、被告東京都は、本件事故が寄宿舎の自由時間に外出先において発生したものであるから、およそ学校生活関係において発生した事故とはいえないと主張する。
確かに寄宿舎外において寄宿舎の生活関係とは無関係に発生した事故に関してまで、教職員につき生徒に対する安全配慮義務を課すことはできないというべきである。
しかしながら、寄宿舎外において生徒の自由時間に事故が発生した場合であっても、事故が寄宿舎における生徒の生活関係や教職員の生活指導と密接な関係が認められる場合において、教職員に事故の発生について予見が可能とされる特段の事情が認められるときは、事故の発生を防止するための安全配慮義務が課せられる場合があると解するのが相当である。
2 そこで、本件において、右の密接な関係及び予見が可能とされる特段の事情があったかどうかを検討することとする。
証拠(甲一五、一七、三二、三九ないし四二、乙一ないし三、六ないし一二、一四の1・2、一六、一八ないし二〇、二三、二五、二六ないし三〇、取下前相被告柴田功本人、同鎭西克延本人、原告松山国夫本人及び弁論の全趣旨)を総合すると、大島南高校、寄宿舎、差木地地区の状況について前提事実に加えて以下の事実を認めることができる。
(一) 大島南高校は、大島の南端に位置し、その南方、東方は海岸線で遊泳、釣り、潜水等が可能であった。
大島南高校海洋科に入学する生徒は、同科が都立高校として唯一の海洋科であることから、海洋に非常に関心をもつ者が多かった。
他方で、海洋科の生徒は、大島島外出身の者が多く、特に平成七年度の一年生は、全員が島外出身者であって、大島南高校周辺の海域の特性等については、十分な知識はなかった。
(二) 本件被害者らの保護者を含め、平成七年度海洋科一年生の寄宿生の保護者はいずれも大島外に住居所を有するところ、学期間における学校休業日において、直接本件被害者らを監督することはできなかった。
他方、東京都立大島南高等学校及び東京都立小笠原高等学校の寄宿舎の管理運営に関する規則(乙二、以下「規則」という。)によれば、事故当日の五月一三日は、寄宿舎の収容期間に当たり(規則第三条)、校長、舎監長及び舎監(いずれも大島南高校の教職員が当たる)が寄宿舎に収容する生徒が健全に生活できるよう管理する職責にあり(規則第五条の三、第六条)、帰省、外泊については許可制がとられていた(規則第八条)。
被告東京都の認識としても、大島南高校の教育目標に沿う形で寄宿舎が運営されており、寄宿舎と学校とが有機的に結びつけられている部分が大変に多いとの認識であった。
また、東京都立大島南高等学校寄宿舎規定(乙三、以下「寄宿舎規定」という。)には、第二土曜日の自由時間も寄宿舎の日課の一つとして規定されていた。
休日等の寄宿舎における体制については、午前八時から午後五時三〇分まで日直一名(舎監以外の教諭等一名)が置かれ、それ以外の時間帯は宿直(一般舎監)が置かれた。
(三) 寄宿生は、一時間以上外出する際には寄宿舎備付けの「外出ノート」に氏名、行先、外出時間、帰寮予定時間、帰寮時間を記入することとなっており、門限までに帰ってこない寄宿生がいたときは舎監が右ノートを見て指導等の資料にすることがあった。
同ノートを置いた趣旨は右のとおりであるが、舎監にとっては、随時、右ノートを参照することにより生徒の動静を把握することが十分に可能であった。
本件事故当日の「外出ノート」には、外出場所として「差木地バンジー場」との記載がされていた。
(四) 差木地地区と寄宿舎の地理関係についてみると、差木地漁港のある差木地地区は、寄宿舎から約二キロメートルしか離れていないところ、差木地地区は、寄宿生がしばしば外出の目的地として外出ノート(乙六ないし一二)に記載しており、寄宿生の生活圏内であった。
また、前記二2(一)(2) のとおり、差木地漁港で飛び込んだ寄宿生は一三名、回数は二三回に上っていた(これは飛び込みに限った人数ないし回数であって、遊泳や潜水ともなれば、更に多数の寄宿生が遊泳していた。)。
他方、差木地漁港はその周辺の潮の流れが速く、波浮やトウシキ海岸に比較して危険があり、海岸地形、海況に関する知識等の蓄積がそれほどなかった。
(五) 前記のとおり、差木地漁港で飛び込んだ者は多数に上り、潜水や遊泳に行ったものはそれよりも相当多いところ、寄宿舎の日常のなかで舎監らが実際にそのことについて聞く機会も多分にあった。
柴田校長は、以前に、生徒からトウシキ海岸で落としたり落とされたりして泳がされたとの訴えがあったことから、遊びであってもそのようなことがないようにと指導した経験もあった。
(六) 平成六年ころから寄宿舎内の体制を改善しようとして舎監らが従前よりも注意を払っており、寄宿生の動静について情報を得る機会自体は、従前より格段に増えていた。
(七) 寄宿舎においては、安全を図る趣旨から、一年生のみで海に行くことを禁止し、三年生が同行することがルールとして定められていた。ただし、運用上は、一年生の海行きを専ら三年生の監督に委ねた結果になっていた。
(八) 寄宿舎においては、気象及び海況に関する情報としては潮汐表が表示されていたにとどまり、その余の情報を提供する体制にはなかった。そして、寄宿生も潮汐の情報にさほどの関心をもっておらず、事故当日も無関心であった。
また、寄宿舎には必要な数の救命胴衣や浮き輪、ロープ等の当然備えてしかるべき備品がほとんどなかった。
本件事故当日の大島測候所発表に基づく大島漁業無線局の魚業気象情報によれば、大島の外海については、午前中の低気圧の通過により、伊豆諸島北部に波浪注意報が発令中であった。
(九) 本件事故当日、一九名が差木地漁港に向かって寄宿舎を出発しようとした際、大島南高校教諭の実習助手である高間和明は、右一九名のうちの数名に対し海が荒れているから気をつけるよう伝えていた。
3(一) 以上の認定事実に前記一、二の認定事実も併せて、本件事故が教職員らの生活指導と密接な関係があったかどうかについて検討する。
右認定事実を総合すると、大島南高校の寄宿生の指導監督については、平成六年ごろまで寄宿舎を船舶に見立てて上下関係を明確にして下級生が上級生に服従することが規律として確立されていたこと、三年生に複数の一年生の指導をさせる指導方針がとられていたことが明らかである。このような寄宿舎の指導方針が実施された結果、寄宿舎において、三年生が一年生を対象として種々のいじめやしごきが常態として行われることになったものと認められる。そして、少なくとも一部の寄宿生の間においてバンジージャンプが数年間伝統行事のように行われるようになったのも、このような生徒間のいじめやしごきの延長上にあるものと考えることができる。
そうすると、本件飛び込みが寄宿舎外で行われたものであるとしても、それは寄宿舎内で行われてきたいじめと同様に、これまでの寄宿舎の指導方針が原因となって生じたものということができ、たまたま本件事故が寄宿舎外で発生したものにすぎないというべきである。
さらに、寄宿舎は本土から離れた島内に位置しており、当時の寄宿舎の一年生の保護者らは全員島外に居住しているために、寄宿生に対する監護を寄宿舎の舎監らにほぼ全面的に依存せざるをえないのであって、寄宿生が未成熟で他人からの影響を強く受けやすいことからも、前記のような寄宿舎における指導方針が一年生らに与える影響は極めて大きいものといわざるをえない。
また、寄宿生は、学校及び寄宿舎が海に囲まれた島内に設置されていることから、海洋に対する関心も高く、差木地漁港を含む海岸に出かけて飛び込みをしたり遊泳をしたりする頻度も高いこと、差木地地区や差木地海岸が、寄宿舎から近く寄宿生の日常の生活圏内にあったことからすると、本件事故は、寄宿舎外で発生したものとはいえ、寄宿舎における生徒の生活関係と密接な関係を有していたものということができる。
以上の点からすると、本件事故は、突発的に起きたものではなく、寄宿舎における生徒の生活関係や舎監らの生活指導と密接な関係のもとで起きたものというべきである。
(二) 次に本件事故の予見が可能とされる特段の事情の有無について検討する。
前記認定の事実関係によれば、寄宿舎の舎監らは、寄宿舎で三年生の一年生に対するいじめが横行していたことを十分認識しており、対策を講じるもののこれをなくすことができなかったこと、「外出ノート」の記載などから多くの寄宿生が差木地地区に外出し遊泳等をしていたことを知っていたこと、トウシキにおいて生徒間で海に落とす遊びが行われたことを知っていたことが明らかである。
さらに、本件事故当日の「外出ノート」に外出場所として「差木地バンジー場」との明確な届出記載があること、事故前に「差木地バンジー」という言葉を聞いた舎監が少なくとも三名はいたこと、事故直後の現場から「差木地バンジーをやっていて誰かおぼれたらしい」という連絡を受けたのみで学校側に事態が伝わっていたことは前記認定のとおりであって、これらの事実によれば、「差木地バンジー」という言葉が、寄宿舎内で日常的に使用されて舎監の耳にまで達していたことをうかがうことができる。
そして、前記のとおり、寄宿舎内でしごきやいじめに類する行為が半ば日常化しており、舎監らもこれを知悉していたとの本件の具体的事情のもとでは、舎監らは、寄宿生との日常的な不断の接触のなかで、その生活状況を聴取することによって、「差木地バンジー」がどのような内容の遊びであり、一年生に対するいじめや生命身体に対する危険を伴うものではないかにつき、これを容易に知ることができる状況にあったものというべきである。
してみると、本件については、教職員において事故の発生について予見が可能とされる特段の事情があるものと認められる。
(三) 被告東京都は、学校側としては、寄宿生が差木地に行く場合とは、差木地の集落にある友人宅やレンタルビデオ店に行くことをいうのであって、差木地漁港で遊泳することは現実にも把握していなかったし、把握することもできないと主張するけれども、これを採用することができないことは、これまでの検討結果により明らかである。
4 そして、上級生の下級生に対するあり方について十分に指導しこれを改善するとともに、差木地海岸を含む寄宿舎付近の海岸における飛び込み、遊泳に関して安全教育を行い、飛び込み、遊泳については具体的にどのような安全配慮が必要であるかについて十分な知識が得られるように徹底していれば、バンジージャンプのような危険な行事は行われないか、又は適切な判断のもとに飛び込みが中止され、本件事故を回避することが可能であったものということができる。
5 以上によれば、大島南高校の教職員らには本件事故を防止するため、右事項について安全配慮義務があったものと考えるのが相当である。そして、本件においては、教職員らが右注意義務を尽くしたものとは認められないから、過失があったものといわざるをえず、寄宿舎を設置していた被告東京都は、国家賠償法に基づき、他の被告と共同して不法行為責任を負うものというべきである。
四 争点4(原告らの被った損害額)について
1 逸失利益について
(一) 本件被害者らの得べかりし年収額について
原告らの主張及び本件全証拠に照らし、本件被害者らが大学に進学するとの事情は考慮する必要がなく、原告らが本件被害者らの就労開始年齢を一八歳とみていることから、本件被害者らの得べかりし年収額については、原告らの主張する全年齢、産業計、学歴計平均賃金によらず、平成七年の賃金センサスによる男子の新高卒全年齢平均賃金を採用すべきである。それによると、本件被害者らの得べかりし年収額は五二五万三一〇〇円となる。
(二) 適用すべき中間利息控除の係数について
本件被害者らが一八歳から六七歳まで就労したとした場合の年数に相当する中間利息の控除係数をライプニッツ式により計算すると
北原裕貴、李塵、高橋信人(事故当時満一五歳) 一五・六九五
佐藤賢太郎(事故当時満一六歳) 一六・四八〇となる。
(三) 右に基づき、生活費(五〇パーセント)を控除した金額を計算すると、北原裕貴、李塵、高橋信人の逸失利益 四一二二万三七〇二円
佐藤賢太郎の逸失利益 四三二八万五五四四円
と算出される。
2 慰謝料について
本件被害者らは、いずれも、将来海洋に関する仕事等につくことを目指し、大島南高校に希望をもって入学したにもかかわらず、寄宿舎において予想を裏切られるようなしごきやいじめをうけ、ついには未だ一五歳又は一六歳で、志半ばで命を落とすことになったものであって、その無念は察するにあまりあるところ、これを金銭に換算するについて、本件被害者ら(及び原告ら)相互間に慰謝料額について差を設けるべき理由がないことも考慮すると、被害者一名当たりの慰謝料額は二〇〇〇万円が相当と認められる。
3 葬儀費用について
本件被告らの不法行為と因果関係を有する本件被害者(高橋信人を除く。)らの一名当たりの葬儀費用は一二〇万円が相当であり、原告高橋智也、同高橋ウメ子を除くその余の原告ら一人当たりの損害は六〇万円と認められる。
4 弁護士費用について
原告らは、右損害賠償請求権を訴訟において請求するについて、原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起追行を依頼し、その報酬を支払うことを約したのは弁論の全趣旨に照らし明らかであるところ、被告らの不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は、原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫、同松山洋子、同高橋智也、同高橋ウメ子について各三一〇万円、原告佐藤正幸及び同佐藤京子について各三二〇万円と認めるのが相当である。
5 まとめ
原告らは、前記3・4の固有の損害賠償請求権を有するとともに、自己の子について発生した前記1、2の損害賠償請求権を各被害者について二名の相続人で相続したから、原告らが本件事故により被った損害額は、原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫、同松山洋子については各三四三一万一八五一円、原告高橋智也、同高橋ウメ子については各三三七一万一八五一円、原告佐藤正幸及び同佐藤京子については各三五四四万二七七二円である。
6 過失相殺の主張について
被告らは、本件被害者らがいずれも高校一年生という是非弁別をわきまえた、成年に準じた者であるところ、最終的には自己の決断によって堤防から飛び込むという超冒険的行動に出たものであるから、相応の過失相殺がされるべきであると主張する。
しかし、前記認定事実によると、本件被害者らは、寄宿舎において三年生の命令や意向には逆らえない状況にあったことを背景として、被告三年生らの言動から心理的強制を受けた結果、伝統行事である飛び込みを拒否すれば寄宿舎に戻ってから被告三年生らからいかなる扱いを受けるかもしれないと考え、これを拒否することができず、堤防から飛び込むことの危険性について冷静に判断する機会のないまま飛び込んだものであり、本件被害者らに過失を認める余地はないものというべきである。
よって、被告らの過失相殺の主張は理由がない。
第四結語
以上によれば、原告らの被告らに対する本訴各請求は、原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫、同松山洋子について各三四三一万一八五一円、原告高橋智也、同高橋ウメ子について各三三七一万一八五一円、原告佐藤正幸及び同佐藤京子について各三五四四万二七七二円及び各不法行為の日(原告北原豊、同北原ふさ子、同松山国夫、同松山洋子、同佐藤正幸及び同佐藤京子らについて平成七年五月一三日、原告高橋智也、同高橋ウメ子らについて同年同月一四日)から年五分の遅延損害金を求める限度でそれぞれ理由があるから、いずれもこれを認容し、その余は理由がないから、いずれもこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法六一条、六四条ただし書、六五条一項だだし書を、仮執行宣言につき民訴法二五九条一項、三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 土屋文昭 裁判官 黒津英明 裁判官 松阿弥隆)
当事者目録
原告 北原豊 <外九名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 馬上融
同 桑原周成
同 後藤寛
被告 東京都
右代表者知事 石原慎太郎
右訴訟代理人弁護士 半田良樹
右指定代理人 江村利明
同 前畑吉成
被告 朝木亮介
右訴訟代理人弁護士 三川昭徳
被告 小嶋拓男
右訴訟代理人弁護士 羽賀宏明
被告 植田悠介
右訴訟代理人弁護士 湊谷秀光
別紙添付図面<省略>