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東京地方裁判所 平成7年(ワ)1851号 判決 1997年2月26日

主文

一  亡戊田花子作成名義の平成元年三月二二日付自筆証書遺言は無効であることを確認する。

二  被告は亡戊田花子の相続財産につき相続権を有しないことを確認する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

一  請求

主文同旨

二  事案の概要

本件は母親の相続財産を巡る三人姉妹の相続争いであり、長女と三女が遺言書は二女の偽造によるものであるとして、遺言無効の確認を求めるとともに、二女の相続権の剥奪を求めた事案である。以下の事実は、基本的に争いがないが、証拠による場合には適宜該当証拠を掲記する。

1(一)  戊田花子(明治三九年一二月八日生。以下「花子」という)は平成元年三月三一日死亡したが、夫戊田太郎(昭和四五年三月二一日死亡。以下「太郎」という)との間に受継前原告甲野春子(平成七年一二月二日死亡。以下「春子」という)、原告丙川秋子(以下「原告丙川」といい、右両名を併せて便宜「原告ら」ということがある)及び被告の三名の子をもうけている。春子が長女、被告が二女、原告丙川が三女という関係にある。

(二)  春子は平成七年一二月二日死亡し、同人を原告甲野松夫(以下「原告甲野」という)、同甲野一郎及び同甲野二郎が相続した。

2  太郎は甲田産業株式会社(以下「甲田産業」という)の創立者であり、生前その代表取締役を務めていたが、同人の死後は丙山某が二年ほどその地位に在った後、昭和四七年以降は春子の夫である原告松夫が右代表取締役に就任している。

なお、太郎の遺産(左記のとおり)は遺産分割協議がされないまま花子の管理下に置かれていたが、昭和五九年に至り、被告が原告ら及び花子を相手に東京家庭裁判所に遺産分割の申立てをし、昭和六〇年五月二〇日、<1>被告が左記(一)の宅地及び(七)の株式のうち二万株を、<2>花子が左記(二)ないし(五)の宅地、借地権及び建物並びに(七)の株式のうち九万九〇〇〇株及び(八)の全財産を、<3>春子が左記(六)の建物及び(七)の株式のうち二万株を、<4>原告丙川が左記(七)の株式のうち二万株をそれぞれ取得する旨の調停が成立し、太郎の遺産争いは終了している。

(一) 杉並区《番地略》宅地八三・九六平方メートル

(二) 同所《番地略》宅地二一九・〇七平方メートル

(三) 同所《番地略》宅地一二七四・五六平方メートルのうち三四三・二〇平方メートルの借地権

(四) 同所《番地略》宅地九六八・五九平方メートルのうち二九七平方メートルの借地権

(五) 同所《番地略》所在 建物(工場、木造瓦葺平屋建、床面積・一八八・四二平方メートル)

(六) 武蔵野市《番地略》所在 建物(居宅、木造スレート亜鉛メッキ鋼板交葺二階建、床面積・一階三八・六七平方メートル、二階二四・七九平方メートル)

(七) 株式・甲田産業株式一五万九〇〇〇株

(八) その他(上場株式徒党及び現金、預金全部)

3(一)  花子は、太郎の死後杉並の自宅で春子一家と同居していたが、その後春子一家が八王子市に転居した後は一人暮しをしていた。

(二)  ところが、花子は昭和六一年三月ころから痴呆症状が顕れ始め、隣人にピストルで狙われているなどと妄言を吐いては一日に何度も一一〇番通報したり、蕎麦屋に大量の出前を注文したりするなどの騒ぎを起こすようになり、同月一二日春子の指示で上相原病院に入院させられた。しかし、入院後も徘徊、幻聴・幻覚などがひどく、同病院では対処できず、入院二日後には滝山病院の精神科に転院させられた。

なお、滝山病院に入院する際、同病院が精神衛生法に基づく保護者を選任するよう求めたため、その場に集まっていた原告丙川及び被告の同意の下に春子が右保護者に選任された。

花子は、その後同年一〇月に至り、被告の指示で杉並区内の都立浴風会病院老人科に転院させられたが、徘徊等の症状は次第に治まり、同年一二月末ころには退院し、自宅に戻って生活するようになった。

(三)  しかし、昭和六二年九月、花子は検診で肺癌に罹患しているとの診断を下され、同年一二月に東大病院に入院し、翌昭和六三年二月に手術を受けた。

右手術後の花子は、昭和六三年五月に退院した後しばらく成城の被告宅に滞在し、同年七月からは再び杉並の自宅に戻って時折東大病院に通院するという生活を送っていた。しかし、花子は平成元年に入る前後ころから徐々に衰弱し始め、そのために平成元年四月から浴風会病院に再入院する予定であったところ、同年三月三一日、自宅で意識不明の状態に陥っているところを偶々見舞いに訪れた実弟の乙野梅夫(以下「乙野」という)に発見され、救急車で杏林大学病院に搬送されたが、同日午後一〇時ころ死亡した。当時八四歳であり、死因は肺癌であった。

4(一)  花子の死亡後、被告は原告らに対し、花子の書いた遺言書があると述べ、同人の相続財産の処理については自分が全部任されているなどと発言していたが、四九日の法要を過ぎても右遺言書を原告らに示さなかった。

そのため、原告らは弁護士を通じて被告に遺言書の提出を催促したところ、被告は東京家庭裁判所に対して花子作成に係るものという遺言書(以下「本件第一遺言書」という)の検認を申し立て(同裁判所平成元年(家)第七七七七号)、同年九月一二日同裁判所において右検認手続がされた。

本件第一遺言書には「乙山夏子に一任します」とのみ記載され、作成日は昭和六三年一二月二二日とされている。

(二)  本件第一遺言書につき、原告らは平成元年一一月一〇日東京地方裁判所に被告を相手として遺言無効確認の訴え(同裁判所平成元年(ワ)第一四八九〇号。以下「前訴」という)を提起した。

ところが、右事件の審理中、被告は突然右遺言書とは別の新たな遺言書(以下「本件第二遺言書」という)が発見されたと言い始め、東京家庭裁判所に右遺言書の検認を申し立て(同裁判所平成六年(家)第五八五五号)、同年六月二〇日同裁判所において検認手続がされた。

このため、原告らと被告は平成七年三月一日本件第一遺言書が無効であることを確認する旨の和解を成立させて前訴を終了させた。その上で原告らは改めて本件第二遺言書に関して、これが無効であること及び被告が花子の相続財産について相続権を有しないことの確認を求めて本訴を提起した。

なお、本件第二遺言書には、「財産は全部夏子へ」と記載され、作成日は平成元年三月二二日と記載されている。

三  争点に関する当事者の主張

1  本件第二遺言書の遺言書としての有効性について

(一) 原告らの主張

本件第二遺言書は、花子の自筆ではなく、遺言書とする意思をもって作成されたものとも認められず遺言書としては無効である。その根拠は以下のとおりである。

(1) 作成当時の花子の病状

本件第二遺言書の作成日は平成元年三月二二日とされているが、その日は昭和六一年以来痴呆状態に陥り、昭和六三年に肺癌の手術をして以来日増しに衰弱しつつあった花子の死亡の九日前であり、判断力、精神力、体力のいずれの点からみても、同人が右遺言書を作成し得たとは到底考えられない。

(2) 遺言書の体裁

本件第二遺言書には「財産は全部夏子へ」と記載されているだけであり、文意が不明である上、封筒にも入れず、便箋綴りに綴じられたままとなっているなど遺言書の体裁としては極めて不自然であり、仮に花子の作成したものであるとしても、メモ以上の意味があるとは考えられない。

(3) 筆跡

本件第二遺言書の筆跡は花子のものとは異なり、むしろ被告の筆跡と酷似している。

(4) 発見の経緯

被告によれば、本件第二遺言書は花子宅の納戸から発見されたということであるが、右家屋は被告が花子の死亡後、原告らに無断で第三者に賃貸していたものであり、右賃貸に際し、被告は花子の遺品は漏れなく整理したはずであるから、今になって被告にとって最も重要なはずの遺言書が発見されたというのは極めて不自然である。

(5) 花子と被告との関係

花子は、被告が原告ら及び花子を相手方として太郎の遺産分割協議の申立てをし、花子の反対を押し切って同人宅の隣地を強引に取得したことで、大きな精神的衝撃を受けており、これが花子の最初の入院の引き金となった。

花子の入院後、死亡に至るまで、春子が花子の精神衛生法に基づく保護者となったことをはじめとして、原告らは時間の許す限り花子の面倒をみてきた。

これに対し、被告は花子の留守宅から重要書類を勝手に持ち出したり、同人の預金を勝手に引き下ろす等の自分勝手な行動を繰り返しており、一時同人を引き取っていたといっても、その期間はわずか二か月にすぎない。また、甲田産業は花子に対し同人が死亡するまで給料を支払っていたので同人は経済的には完全に自立能力を有しており、被告の経済的援助を受けたことは全くない。

以上のとおり、花子が被告に全財産を相続させるという内容の遺言書を作成することはあり得ないことなのである。

(二) 被告の主張

(1) 作成当時の花子の病状

花子の病状が急変したのは平成元年三月二五日であり、同月二二日当時は自身の遺言書を作成し得る健康状況であった。

(2) 花子と被告との関係

春子夫婦は、太郎の生前から両親とうまくいっておらず、そのため太郎の死後花子と春子夫婦は別居することになり、春子の夫である原告松夫もすぐには甲田産業の代表取締役に就任できなかった。

また、昭和六一年に花子が入院して以来、愛情に満ちた献身的な看護をしてきたのは被告一人であり、原告らはろくに見舞いにも来ないばかりか、花子の入院中その留守宅に入り込み、無断で金庫や家の中を捜しまわり、通帳や金庫の鍵、印鑑等を取得するなどの行動に出て、花子を動揺させていた。

(3) 発見の経緯

以上のような経緯から、花子は被告に深く感謝し、その恩義に報いようと考え、昭和六三年一二月二二日に被告に本件第一遺言書を手渡していたのであるが、死の直前になって「頼んだよ。ちゃんと書いてあるからね」などとしきりに口にしており、何か別の遺言書のようなものを書き残したことをほのめかしていた。しかし、花子はその遺言書の在所を告げず、被告もこれを問いたださなかった。

花子の死後、被告は花子の右の言葉が気になって遺言書のようなものが残されていないか探してみたが、結局発見できなかった。

ところが、その後平成六年三月二一日になって、被告は被告の亡夫が取締役を務めていた甲田産業から弔意金の支給のないことを不審に思い、花子の関係書類等の中に甲田産業の死亡取締役に対する弔意金規定がないかどうかを調査するために、杉並の花子の自宅を訪れて探したところ、その際、同人の関係書類と共に持ち帰った緑の箱の中から、同月二七日になって本件第二遺言書を発見した。

なお、右建物を花子の死後、被告の独断で一時的に第三者に賃貸していたことは認めるが、その際、被告は花子の保有していた物をすべて二階の納戸に収納し、そこは賃貸の対象から除外していたのであるから、そこから今になって本件第二遺言書が発見されたとしても不自然な点は全くない。

2  被告に相続欠格事由(遺言書偽造の事実)があるかについて

(一) 原告らの主張

被告は、前訴において原告らと花子の遺産の一部分割合意に調印しようとする日になって突然自分に有利な内容の本件第二遺言書を発見したと言い出したこと等、前訴からの一連の経過、被告が現に本件第一遺言書の二枚目を変造していること、本件第二遺言書の筆跡が被告のものに酷似していること、本件第二遺言書発見の経緯についての主張をはじめとして被告の主張は多くの矛盾や不合理な変遷ばかりであること、被告は花子の死後同人宅を原告らに無断で第三者に賃貸したり、花子の貯金を引き下ろしたりと勝手に財産を取得処分しながら、他方で被告の分担に係る相続税を支払わない等遵法精神が著しく欠如しており、異常に財産に対する独占欲の強い性格であること等からいっても、本件第二遺言書は被告が偽造したものとしか考えられない。

(二) 被告の主張

本件第一遺言書は被告が花子から直接手渡されたものであり、同遺言書の二枚目は、同人の真意を推量して被告が書き加えただけであって変造や偽造の意思などなかったことが明白である。いずれにせよ、本件第一遺言書についての変造・偽造の事実が本件第二遺言書の偽造についての証拠になどならないことは明らかなところである。

また、本件第二遺言書は、前記のとおり被告が偶然花子宅から発見したものであり、被告は偽造などしていない。原告らの主張する事実はいずれも状況証拠にすぎず、被告が本件第二遺言書を偽造したという事実を積極的に証明するものではない。

三  裁判所の判断

1  本件第二遺言書は花子の自筆遺言書といえるか、また、同人の遺言の意思に基づいて作成されたものといえるかについて判断する。

(一) 作成当時の花子の病状について

(1) 前記認定のとおり、花子は昭和六一年三月ころから痴呆による幻聴幻覚に襲われて、隣人にピストルで狙われていると言っては一日に何度も一一〇番通報をしたり、大量の蕎麦の出前を注文したりするなどの異常行動を取るようになり、最初の入院先である上相原病院では対処できず、わずか入院二日後に滝山病院の精神科に転院させられているなど、少なくとも昭和六一年三月当時は痴呆症状が相当進行した状態であったことが認められる。

その後、花子は入院治療により痴呆症状に改善の様子がみられ、昭和六一年末には退院している。しかし、明けて昭和六二年には肺癌のため東大病院で手術を受け、再び入院して闘病生活を送ることを余儀なくされた。その間の状態は、《証拠略》によれば、同人は右入院中再び幻覚に襲われるようになり、「一郎が来ている!」などとわめいて騒ぐなどの異常行動がみられるほか、当時の主治医も「普通のことは分かるが、管理能力や金銭感覚はだめ」と診断しているなど、痴呆が完治していなかったか又は右肺癌による手術等の治療をきっかけに痴呆が再発現したものと認められる。

また、《証拠略》によれば、花子は、昭和六三年五月に東大病院を退院したものの、その後体力的にも徐々に衰弱し始め、平成元年年明けころからは、それまで通院していた東大病院への通院もできなくなり、本件第二遺言書の作成日の前日である同年三月二一日に原告丙川の次男丙川三郎が見舞いに訪れた際には、既にこんこんと眠っているだけの状態であり、到底会話などの意思表示ができるような状態ではなかったことが認められる。

(2) これに対し、被告は、花子は平成元年三月二四日までは比較的元気であったと主張しているが、客観的裏付けを欠いているばかりか、《証拠略》によれば、被告自身、同月二一日以前に花子の容態を案じて再入院を医師に相談していたことを認めており、また、本件第一遺言書の効力が争われた前訴においては「昭和六三年一二月ころからは、息づかいが苦しそうになり……東大病院では、今年一杯が命の限界と言われていた……」、「平成元年からは食欲が極度に減り……週二回の東大病院の定期診断も……行かなくなった。被告が花子宅を訪れても、床から起きようとしなくなった」などといった主張をしているのであって、被告自身の供述によっても、花子が平成元年三月二二日当時にはかなり衰弱した状態であったことが裏付けられているのであり、前記認定を覆すに足りる合理的根拠があるものとは認め難い。

(3) 以上の認定に加え、前記認定のとおり本件第二遺言書の作成日とされる平成元年三月二二日は、花子が癌により死亡するわずか一〇日前であることを併せ考えると、同人は右当時右遺言書を少なくとも同遺言書に記載されているような力強い字で作成し得る状態ではなかったと推認するのが合理的というべきである。

(二)本件第二遺言書発見の経緯等について

(1) 被告は、生前花子から本件第二遺言書の存在をほのめかされてはいたが、同人の死後これを見つけることができず、約五年後の平成六年になってようやく同人の自宅からこれを発見したと主張するが、右発見の経緯は経験則に照らし、また、後記認定の相続財産に対する被告の独占的態度等に照らして不自然である。

(2) すなわち、遺言書という文書の性質とその重要性を考えると、花子が被告以外の誰にも遺言書を作成したことを告げていなかったという点、花子がその生前被告に対し本件第二遺言書を作成したことをほのめかしていたのに、被告にその保管場所を伝えなかったという点、そして、被告も花子に右遺言書の保管場所を尋ねなかったという点はいずれも極めて不自然なことというべきである。

また、花子が右遺言書の保管場所を明らかにしないまま死亡したものであったとすれば、同人の相続財産に対し強い独占欲と執着心を示す被告は、自然な反応として、花子の死後手段を尽くしてその遺言書を探したものと思われ、また、同人が死亡前長期にわたり自宅療養生活を送っていたのであるから、探索場所としては右自宅が第一に考えられるところ、被告の主張によれば、本件第二遺言書は花子宅内の同人が「最後まで身近に置いていた箱」の中に入っていたというのであるから、被告が右遺言書を発見するのは極めて容易であったはずである。ところが、それにもかかわらず被告は花子の死後約五年間も右遺言書を発見できなかったというのであり、極めて不自然である。

さらに、被告は花子の自宅をその死後独断で第三者に賃貸しているところ、右賃貸前に自ら花子宅に残置された同人の遺品を整理しいる上に、原告らと被告が平成五年一一月一八日にもそろって花子の自宅でその遺品の整理をしている経緯もあるのであり、本件第二遺言書が約五年間被告に発見されることなく花子宅に放置されたままになっていたとは考え難く、同遺言書の発見経緯に関する被告の主張は信用できない。

(三) 花子と原告ら及び被告との信頼関係について

(1) 被告は、本件第二遺言書の作成を裏付ける背景事情として、原告らが花子の面倒を全くみなかったので、被告一人が花子の世話をしていたなどと述べている。

なるほど、《証拠略》によれば、花子の晩年に、同人宅に同人の看病に通ったり、通院に付き添うなどして同人の世話に当たっていたのは被告が中心であったように窺われる。

しかし、前記認定事実に《証拠略》によれば、原告らは花子が痴呆症状を呈して入院した当初においては、春子において精神衛生法に基づく花子の保護者に就任するなどしてむしろ主導的に同人の世話をしていたものと認められるし、その後においても、被告が花子の転院や入院・手術等を原告らに隠したり、原告らに何かと言いがかりを付けてくること等から、花子から若干距離を置いて様子を見るような関係になったものの、時には同人の実弟である乙野を伴うなどして花子の見舞いに行ったり、東大病院の医師に花子の様子を伺いに行くなどしていたことが認められる。

また、被告の主張する春子夫妻と花子との確執についても、その内容は必ずしも明らかでない上、結局春子の夫である原告甲野が甲田産業の代表取締役に就任していることからすれば、被告のいう右確執なるものは仮に何らかの不穏な関係が存在していたとしても、そのような関係が深刻なものとして最後まで存在したものとは窺われないのである。むしろ、癌の手術後原告らが見舞いに行くと、花子がとても喜んでいたという事実、被告自身も花子と話しをしていて「……あんな娘(原告ら)でも会いたいんだな……」と思ったという事実等に照らすと、花子は原告らに対しても親として少なくとも被告に対するのと変らない愛情を持っていたものと推認するのが相当である。

(2) 他方、《証拠略》によれば、被告は前記認定の太郎の遺産分割の一件で相当に花子の不興を買っていたこと、同人は東大病院を退院後、被告の配慮で被告宅でしばらく療養することとなったがその滞在は長くは続かず、わずか二か月ほどで自宅に戻っており、また、被告宅で療養していた間も、鍵がなくて自宅に入れないと言って甲田産業に助けを求めに来たことがあったことなどの事実が認められ、これらの事実から窺う限りでも、花子が被告に対してさほどの信頼を置いていなかったことが明らかというべきである。

さらに、花子が晩年に被告から受けた看病に恩義を感じていたとしても、花子は甲田産業から給料の支給を受けているなど十分な個人財産を所有していたのであり、被告から経済的援助を受けたわけではなく、被告がそれまでに花子宅の隣地を取得したり、同人の金で高額な着物を購入したりなどしていることを併せ考えると、死を前にした同人が母親として等しく実の娘である原告らを一方的に排除してまで自己の全財産を被告に与える内容の遺言書を作成するなどの事態は経験則上容易に首肯し難いところである。

(3) 以上検討のところからも、花子が本件第二遺言書のような内容の遺言書を作成するとは考えられないというべきである。

(四) 遺言の意思をもって作成されたものといえるか

事柄の性質上、相続財産の処分に関する遺言書の作成に当たっては、その旨の明確な意思表示を現す形式ないし表現が採られるのが通常であるところ、本件第二遺言書をこの面から検討してみると、右遺言書とされる文書には「遺言書」という表題は付されておらず、その内容も「財産は全部夏子へ」といった曖昧な文言が記載されているにとどまっていること、封筒に入れる等特別の文書として取り扱われているものでもなく、単に書き損じの手紙等が残された便箋に綴じ込まれたままにされていること等に照らすと、右遺言書とされる文書は、これを確定的な遺言書とする意思をもって作成されたものと認めることは困難というべきである。

(五) 以上の検討によれば、本件第二遺言書は、花子が自己の遺言とする意思をもって自筆により作成したものと認めることはできず、右遺言書に係る花子の遺言は無効というべきである。

2  次に、被告に本件第二遺言書の偽造を理由とする相続欠格事由(民法八九一条五号)があるかどうかについて判断する。

(一) 前期認定事実に《証拠略》によれば、被告は花子の生前から原告らに何らの相談も連絡もすることなく独断で花子を転院させたり、癌の手術を受けさせたりするなどしていたほか、同人の入院中に原告らが花子宅の片付けをしたり、郵便の転送手続を取ったり、鍵類を一時預かったりしたことについて、原告らに対し「印鑑、鍵を返せ」、「(郵便転送手続を取ったことについて)公文書偽造罪で訴えてやる」などと猛烈な剣幕で抗議し、逆に自分で勝手に転送手続を取り直したり、花子宅の鍵を付け替えたり、鍵屋を呼びつけて金庫を開けさせた上その保管物を貸金庫に預け直したりするなどしていたことが認められ、これらのことから、被告は花子の生前から原告らを花子の側から遠ざけ、同人の財産を独占しようとする強い執着心を有していたことが窺われる。

(二) また、前記認定事実に《証拠略》によれば、被告は花子の死後原告らに対し事あるごとに花子の財産について「自分がすべて任されている」との言辞を繰り返していながら、約六か月間も本件第一遺言書を出し渋り、その間に同遺言書を利用して勝手に花子の銀行預金を引き下ろしたり、同人の自宅を第三者に賃貸するなどの財産処分を行っていたことが認められる。

しかし、被告の主張するように、被告が真実生前の花子から右遺言書を手渡されていたのであれば、事柄の重要性にかんがみ、速やかにその事実を原告らに告げておき、花子死亡後は遅滞なく右遺言書の検認を受け、その上で正当な遺産承継人として堂々と右処分行為を行うべきであったし、できたはずであるところ、これと異なり、被告が実際にこそこそと行った右秘密裡の遺産処分行為は、被告の右遺言書偽造を強く疑わせるものというべきである。

(三) そこで、前記認定に《証拠略》によれば、本件第二遺言書発見前後の経緯として、

(1) 被告は前訴において、被告が本件第一遺言書の二枚目を記載したことが明らかになり、原告らから遺言書の変造を行ったと非難され、また、同遺言書の「夏子に一任します」という記載の趣旨が財産の処分に関するものとしては不明確であり、記載内容自体から相続に関する遺言書とは認められないのではないかとの指摘もされるという審理経過を辿っていた中で、突然本件第二遺言書を発見したとしてこれを持ち出してきたものであること

(2) 被告が本件第二遺言書を発見したと言い出したのは、右の前訴の訴訟経過を前提として、花子の遺産に関する一部合意が成立し、その調印のために関係者一同が集まったその当日であること、

(3) 本件第二遺言書は、本件第一遺言書と対比すると、趣旨も比較的明確であり、被告に花子の全財産を与える趣旨を読み取りやすいものとなっており、前訴の審理を被告に有利に展開させる可能性のあるものであること

(4) 被告は、それまでは本件第一遺言書とは別の遺言書の存在の可能性について全く述べたことがなかったにもかかわらず、また、被告以外の誰も本件第二遺言書の存在を花子から告げられていないにもかかわらず、右遺言書を持ち出してきた後、唐突に花子からその死の直前に「ちゃんと書いてあるからね」などと右遺言書が存在することをほのめかされていたと言い出したこと、

(5) 被告は、花子の晩年の病状についても、前訴においては、昭和六三年暮れころから、同人がかなり衰弱していたことを認めていたにもかかわらず、本件訴訟においては、一転して翌平成元年三月二四日までは十分元気であったと主張するに至っていること

の各事実が認められる。

(四) 以上認定のとおり、被告が本件第二遺言書を発見したという経緯は極めて不自然、不合理な被告の言動や事象を伴っており、このことは被告自身が右遺言書を偽造したとの事実を無理なく推認させるものといわなければならない。

すると、被告は民法八九一条五号に該当する者として、花子の相続人となることはできず、同人の相続財産につき何ら相続権を有しないものというべきである。

3  よって、原告らの本訴請求はいずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村 啓)

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