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東京地方裁判所 平成7年(ワ)24951号 判決 1997年10月20日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

清野順一

青木和子

被告

乙川春子

右訴訟代理人弁護士

露木茂

被告

株式会社○○住宅

右代表者代表取締役

丙沢太郎

右訴訟代理人弁護士

大脇茂

白井久明

黒澤弘

木皿裕之

右訴訟復代理人弁護士

田村佳弘

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して、金五五〇〇万円及び内金四八〇〇万円に対しては平成三年七月二二日から、内金七〇〇万円に対しては被告株式会社○○住宅は平成七年一二月二九日から、被告乙川春子は平成八年一月一五日から、各支払い済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  選択的に、

(一) 被告株式会社○○住宅は、原告に対し、金四八〇〇万円及びこれに対する平成七年一二月二九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告乙川春子は、原告に対し、金四八〇〇万円及びこれに対する平成八年一月一五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、平成三年六月二六日、被告乙川春子(以下「被告乙川」という)から、被告○○住宅株式会社(以下「被告会社」という)の媒介により、賃貸中の敷地権付きマンションの一室である別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)を代金四八〇〇万円で買い受け(以下「本件売買契約」という)、同日、被告乙川に対し、右代金のうち金四八〇万円を支払い、同年七月二二日、残金を支払った。

2(一)  右売買契約に先立ち、原告は、被告会社との間で、マンション一室購入の媒介を委任する旨合意した(以下「本件委任契約」という)。右委任契約の被告会社の担当従業員はO(以下「O」という)であった。

(二)  原告は、近い将来自ら居住する目的で本件建物を購入したが、購入目的は、本件委任契約の際にOに説明していた。

3  ところで、本件建物には、本件売買契約以前から賃借人B(以下「B」という)が居住していたが、Bは、暴力団××会に所属する暴力団の幹部であり、本件建物に現在も居住し本件建物を公然と組事務所として使用している(以下「本件賃借人の事情」という)。<省略>

4  Oは、Bが暴力団員であり、かつ、本件建物を暴力団事務所として使用していることを原告に告げれば、本件売買契約を締結しないことを知りながら、原告に対し、ことさらこれを秘して、賃借人のBが商事会社の課長であって、妻と幼稚園に通学する子供と居住している旨伝えるとともに、右賃貸借契約期間は二年なので期間満了時に更新するからそれを拒絶すれば原告がその時に本件建物に確実に居住できる旨説明し、原告に賃借人の情報や更新拒絶の容易さについて、その旨誤信させ、本件建物を買うように勧めた。その結果、原告はこれを信じて本件建物を購入した。

5  また、被告乙川は、本件売買契約当時、Bが暴力団員であることを知りながら、ことさらこれを原告に秘していたため、原告はこれを知らずに本件建物を買い受けた。原告は、本件賃借人の事情を知っていたなら本件売買契約を締結することは決してなかった。

6  宅地建物取引業者である被告会社は、本件委任契約に基づき、原告に対し、重要な事項につき故意に事実を告げず、または不実のことを告げる行為をしてはならない(宅地建物取引業法四七条一号)。そして、売買物件の賃借人が暴力団員であること及びその物件が組事務所として使われていることは「重要な事項」に当たる。従って、賃貸中のマンションの売買を媒介する場合、ことに近い将来買主が居住する目的で購入することを知らされている場合には、建物賃借人が暴力団員等反社会的集団に属する者であるか否かにつき、建物を訪問して直接本人に確認するか、少なくともそのマンションの管理会社に右の点を調査確認の上、その結果を買主に報告すべき義務がある。

7(一)  ところが、Oは、Bが暴力団員であり、本件建物を組事務所として使用していることを知っていたのに、これを原告に対し報告しないばかりか、賃借人は会社の課長であるなどと不実のことを報告した。

(二)  また、仮に、右事実を知らなかったとしても、原告から近い将来本件建物に居住する目的で本件建物を購入すると告げられているにもかかわらず、Oは、本件建物の賃借人について、管理人(管理会社は被告会社の関連会社である)に対し十分な確認調査をしなかった。直接面接したり、本件建物を見分し、管理人にBのことを尋ねるなどして調査を尽くせば、<省略>マンション住人や管理人にとって、本件建物に暴力団員が居住し、組事務所として使用していることは周知の事実であったので、本件賃借人の事情を知ることができたはずである。Oは、右の調査を尽くさなかった義務違反により、本件賃借人の事情を知り得なかったのである。

8  原告は、Oの右義務違反により、本件賃借人の事情を知らず、本件建物の賃借人に対する期間満了時の明渡しの交渉が容易にできる商事会社の課長である旨誤信し、自己居住目的で本件売買契約を締結した。

9  本件賃借人の事情は、本件建物の売買契約につき、契約締結を左右する重要な事実であるからこの錯誤は要素の錯誤に当たる。そして、賃借人が暴力団員、組関係者でないことは取引上常識であり、原告はOに対し、近い将来居住する目的で購入すると伝えているから、原告の右錯誤は被告乙川も認識していたはずである。よって、本件売買契約は錯誤により無効である。

10(一)  原告は、本件売買契約を締結したことからその代金相当額の損害を受けた。

(二)  原告は、本件売買契約により暴力団員のBが賃借人として入居している本件建物を買い受け、Bが暴力団員であることを明らかにし不当な修繕要求をしてきたことなどから、賃貸人としてBと交渉する恐怖心と不安にさいなまれた。右精神的苦痛を慰藉するには金二〇〇万円を下らない。

(三)  原告は、本件訴訟を提起し追行することを、原告代理人らに委任し、その報酬として金五〇〇万円支払うことを約束した。

11  よって、原告は、被告らに対し、不法行為(民法七〇九条、七一五条、七一九条)による損害賠償請求権に基づき、連帯して金五五〇〇万円及び内金四八〇〇万円に対しては不法行為後である平成三年七月二二日から、内金七〇〇万円に対しては被告会社は同社に対する本訴状送達の日の翌日である平成七年一二月二九日から、被告乙川は同人に対する本訴状送達の日の翌日である平成八年一月一五日から、各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、選択的に、被告会社に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、金四八〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成七年一二月二九日から、被告乙川に対し、不当利得返還請求権に基づき、金四八〇〇万円の支払い及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成八年一月一五日から、各支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否<省略>

三  抗弁(被告乙川)

1  重過失の評価根拠事実<省略>

2  信義則違反<省略>

四  抗弁に対する認否<省略>

第三  証拠<省略>

理由

一  当事者に争いのない事実及び証拠<省略>及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和五八年ころ、被告会社の関連会社が分譲した東京都杉並区上荻所在のライオンズマンション荻窪第六の一室(以下「荻窪第六」という)を所有し、以降賃貸し、自らは東京都杉並区桃井一丁目所在の△△荘(以下「△△荘」という)に、妻及び子供二人と居住していたが、平成三年ころ、荻窪第六は約三〇平方メートルと狭いので、△△荘から立ち退きを要求されるまで四、五年は、賃貸用のマンションとして賃料収入を得て、将来的には自ら居住することも考えてファミリーマンションの購入を考え始めた。

2  そこで、原告は、新しいマンションの購入資金を得るべく、そのころ被告会社の従業員であるOに対し、荻窪第六の売却及びマンションの購入の媒介を被告会社に依頼する旨話をした。Oは、原告の希望価格であった四五〇〇万円で、同年六月一〇日、荻窪第六を売却できる買い手を見つけることができた。

Oは、その後、社内登録物件を検索した結果、当時被告会社の都立大営業店のY(以下「Y」という)が被告乙川から仲介の依頼を受けていた本件建物を見つけ、原告に対し提示した。

ところで、本件建物には賃借人のBが居住していたので、Oは被告乙川担当であるYから聞いていた賃貸借の内容を確認するために、被告乙川とB間の賃貸借契約を媒介し本件建物を管理していた株式会社宏栄管理(以下「宏栄管理」という)から、入居申込書、Bの住民票、印鑑証明書などの資料を入手し、これに基づき、原告に対し、賃借人がいること及びBは会社の課長であることを説明した。被告乙川も、Bについては、入居申込書程度のことしか知らず、Yに対し電話で同様の説明をしていた。

Oは、本件建物について、原告から買いたい旨の希望が出る前に、別件で本件建物が入っているマンションまで行き、玄関のポストに「B」の表札があるのを見て賃借人自身が居住していることを確かめていたが、それ以上の現地調査は必要ないと考え、本件建物を直接に訪ねBに面会することや建物内部を見分することはしなかった。

3  被告乙川は、Bに対し、昭和六二年一月一日ころ、本件建物を期間昭和六三年一二月末日までの二年間、賃料月額一四万円として賃貸し、昭和六四年一月一日から三年間更新(賃料は一五万円に改定)していた。Bは、暴力団××会系暴力団組員であり、本件建物の応接室に神棚と××会系暴力団との看板と入れ墨の裸体の写真を飾り、暴力団組事務所のような雰囲気を漂わせているが、表札に暴力団との表示をしたり、暴力団員が立ち入り、周囲から見て暴力団事務所と認識されるような使用はしていない。Bがこれまで暴力団員であることをことさら示して近隣の住人に接したなどとして、その苦情が被告乙川や原告そして本件マンションの管理人に寄せられたことはなかった。

Bは、被告乙川が賃貸人の時にも賃料の不払いはなく、原告に対しても月末に支払うべき賃料が翌月の初めになるなどしたものの、毎月の賃料は支払っていた。Bとの賃貸借契約は平成四年一月一日と平成六年一月一日に原告から更新拒絶の申出がなく更新されている。

4  Oは、Bについて、賃料の滞納があるとか本件建物の用方に違反しているとか、隣人と紛争を生じさせているとかについて、被告乙川からも管理会社等からも聞いていなかったので、ことさらBと面会したり、本件建物に入室して調査することもしなかった。そして、Oは、Bが暴力団員であることや暴力団の抗争事件で警備の対象になった人物であるということは知らなかった。

5  原告は、本件建物の場所が原告家族にとって好適地であると考え、ファミリーマンション用賃貸物件としても条件に合い、荻窪第六も希望価格で売却できたことから、原告家族が将来居住する場合も都合が良いと考えて本件建物を買い受けることとし、被告会社との間で、本件建物の売買につき媒介契約を締結し、平成三年六月二六日に、被告会社八重洲営業店で、被告乙川との間で本件売買契約を締結し、同年七月二二日付けで、被告乙川から原告に対し、本件建物の所有権移転登記手続がなされた。

6  原告は、Bとの間で、Oを使者として平成三年八月二一日付けで、賃貸借契約当事者変更承諾書を取り交わしたが、この際原告もOもBと面会することはなかった。

Oは、右承諾書をBに郵送し、その後、返送を促す電話をしたが、Bの電話の応対は一般的なものであり、返送された右承諾書にも不備はなかった。

7  平成五年六月ころ、Bから原告に対し、本件建物のガス警報器が故障した旨連絡があり、原告が本件建物を訪ねると、入れ墨をしたBが出てきた。そのとき、原告がBと話をする中で、Bの身元につき確認しようとしたところ「追い出せるものなら追い出してみろ」と凄み、「××会補佐 B」とある名刺を渡した。原告はその際、右名刺の肩書きに不安と疑問を感じたが、暴力団のものであるとは確認できなかった。

8  平成七年一〇月一〇日ころ、原告は、Bから電話で、天井、壁のクロスの張り替え、襖張り替え、畳表取り替え、風呂場修理を求められた。原告が、同月一八日、Bに対し、本件建物の賃貸借管理会社を通して、右要求を断ったところ、Bから、同月二五日、「大家が変わったのに、一度も直してくれない。天井、壁、襖、畳、風呂場を直して欲しい」と強い口調の電話があった。その後もBから原告に対し催促の電話があったため、原告は、その語気に押されて管理会社と相談の上これに応じ、税込み三六万円を要したクロス張り替え工事(和室を除いて全室)だけは施した。

9  平成二年二月ころ、広域暴力団A組と××会の抗争があり、本件マンション付近も短期間、制服及び私服の警察官が警備に当たっていたことがあった。

二   <省略>

三  前記認定の事実及び右二の検討によれば、Oまたは被告乙川が本件売買契約当時、Bが暴力団員であることを知っていたことを前提とする不法行為の主張は理由がない。

四  次に、被告会社の債務不履行責任について判断する。

1  まず、前述したように被告会社またはOは、本件売買契約当時、Bが暴力団員であることを知っていたとは認められないのであるから、Bが暴力団員であると知っていることを前提とする「重要事項についての不告知、虚偽事実の告知」(宅地建物取引業法四七条一項違反)との債務不履行の主張は理由がない。

2  次に、被告会社(O)に、本件賃借人の事情、とりわけBが暴力団員など反社会的集団に属する者かについての調査義務違反があったかについて判断する。

(一) 宅地建物取引業法上、被告会社は、本件売買契約の媒介において、本件売買契約における重要事項について調査し、委任者である原告に告知すべき義務がある。

(二) 本件委任契約の内容は、賃貸中の建物売買の媒介であるから、賃貸借関係における重要事項としては、主に賃料支払状況、用方違反の有無、賃借人自身の居住(占有)があげられよう。ところで、賃借人がどのような人物であるかはそれ自体、買主に主観的に関心があっても、賃貸借中の建物売買を媒介する宅地建物取引業者としては、客観的に、通常買主が重視し、関心を寄せる右各重要事項について調査すべきであるが、賃借人の属性については、賃貸借関係を将来継続し難くなる事情に関してのみ重要な事項として調査対象となると考えられる。

(三)  ところで、その調査の方法、程度については、賃借人の思想・信条・職業・私生活等プライバシーの保護の観点や権利の移転の媒介という契約の内容、事実上の制約という観点からして自ずから制限され、原則としてその物件の所有者または当該賃貸借契約を管理している管理会社に対し賃借人が提出した入居申込書に記載された身元・職業を確認することのほか、当該物件の外観から通常の用方がなされているかを確認し、その結果を依頼者に報告すれば足り、当該物件を内見したり、直接賃借人から事情を聴取することまでの調査義務を負うことはないというべきである。ただし、右調査において、正常な賃貸借契約関係が継続していないことが窺われる場合には、その点につき適当な方法で自ら調査し、または、その旨を依頼者に報告して注意を促す義務を有するものと考えるのが相当である。

(四)  これを本件についてみると、前記認定事実のとおり、Bは暴力団員であり、本件建物の応接室に神棚、組の看板、入れ墨姿の写真を飾っているものの、本件建物の表札は名前だけであり、他に暴力団関係者や組事務所として使用している外観を表示するものを設置するなどしておらず、組員が出入りしている事情も窺えず、そして、賃料の支払いは本件訴え提起まで大方順調であり、賃貸人や管理人、他の本件マンション住人と紛争を起こしたり、苦情を寄せられたことはなかったのであるから、右事実関係のもとでは、Bが暴力団員であることをもって、賃借人の属性として、賃貸借関係を将来継続し難くなる事情に関して重要な事項となるとは直ちに言えないものと考えられる。他方、被告会社は、宏栄管理から資料を収集し、かつ被告乙川から事情を聞いたうえで、本件マンションの玄関ポストについても確認しているところ、特にBの申告した事項に疑問があり、ひいては正常な賃貸借契約関係が継続していないことが窺われる事情は見あたらない。従って、被告会社に調査義務違反は認められないというべきである。

よって、被告会社に対する債務不履行違反の主張は理由がない。

五  次に、被告乙川に対する錯誤無効の主張について判断する。

1  前記認定事実のとおり、原告は、将来的には自己が居住することを考えて本件建物を購入したのであるし、賃貸用物件として購入する場合も、賃借人が暴力団の幹部で暴力団員の出入りが周囲から認められるとか、暴力団事務所と周囲から認識されるような場合には、暴力団員であることを背景に不当な要求をされたり、賃貸借関係上紛争が生じたり、近隣の居住者から苦情があるのではないかと不安を抱くのは無理からぬことである。それ故、転売も困難となると考えることは相当に理由のあることである。そして、将来的に自己が居住する目的で賃貸借中の建物を購入する場合、購入者の希望としては、できるだけ容易に退去してもらえる賃借人であることを望み、退去の交渉の相手が暴力団員であった場合には不当な要求をされたり、威嚇されたりするのではないかと不安を抱き、賃借人が暴力団員であることを知れば購入を見送ることも経験則上多いと考えられる。

2  ところで、賃借人は借地借家法(借家法を含む。以下同じ。)によって、賃貸人側に更新拒絶についての正当事由がなければ従前の賃貸借契約の更新を拒絶できないのであり、賃借人の事情によっては、賃貸人が居住目的を有していても、必ずしも右正当事由を十分備えるとはいえず、事実上も賃借人の都合で更新時に賃貸人の希望どおり退去してくれるとは限らない。従って、現実的に居住を目的としてマンションの一室を購入する者は、そもそも賃借人のいない物件を購入するか、たとえ賃借人がいる物件であっても、賃借人が賃貸借契約の更新を望んでいないことから賃貸人の希望に応じて相当期間に退去することをあらかじめ承諾しているなどの特段の事情がある場合と考えられ、そのような特段の事情のない場合、将来において更新拒絶の申し入れをした場合に、賃貸人の希望どおり賃借人が立ち退くかは予測がつきにくく、これは何も賃借人が暴力団員である場合に限らないことである。

3  そして、将来、賃借人が立ち退き賃貸人が居住できる諸条件が整った場合に居住する目的で賃貸中の建物を購入し、右条件が具備するまでは、賃料収入の確保を主眼とするという場合には、賃借人が賃料の支払いをことさら遅滞するとか、用方において賃貸人(所有者)に損害を及ぼすとか、近隣住人との間で紛争を生じさせたり、暴力団事務所と周囲が認識するような使用をしている場合等でなければ、その賃借人が単に暴力団員であることから、漠然と、不当な要求をされるとか、立退交渉時に威嚇され、生活の平穏を脅かされる等の不安を抱くというだけでは、瑕疵担保責任が問題となりうる場合があるとしても、賃貸中の建物の売買契約が要素の錯誤に当たり無効であるとまではいえないと考える。

4 そこで本件について検討すると、前記認定事実によれば、Bは暴力団員と認められるが、その実体については全証拠によっても未だ不明であって、本件建物の表札に暴力団員と窺わせる表示もなく、本件建物にB以外の暴力団組員が出入りし組事務所として使用されているとか、本件マンションの住人や管理人から被告乙川や原告に対しBについて苦情を言われたことはこれまで認められず、そして、Bは本件訴え提起まで賃料支払いが多少遅れたことはあるものの不払いになったことはなく、被告乙川及び原告とは格別紛争を起こすことなく賃貸借関係を継続していた。

5 他方、原告は、平成五年六月ころに、Bと面会して本件建物内でBの入れ墨を見て、「××会補佐B」の名刺を差し出され、「追い出せるものなら追い出してみろ」と凄まれたというのであるが、そうすると一般の会社の課長で妻子と居住しているとの賃借人についての説明とは違うと感じて然るべきであるから、被告会社や被告乙川に事情を尋ねて然るべきなのに、それもせずに、その後も更新拒絶を申し出ることもなく、Bとの賃貸借契約を更新し、自らは、△△荘から立ち退きを求められ転居したというのであるから、原告自身、賃借人の属性について、賃料の支払いがあれば他は柔軟に考えていたと窺われる。

平成七年一〇月一〇日ころ、Bから、本件建物のクロス貼り替え等を要求され、管理会社と相談の上、クロス貼り替え工事だけ実施したが、その際、Bが暴力団組員であることや本件応接室の状況を知って、本件建物が組事務所として使用されていることが判明したことと右内装工事の要求がされたことを機に、本件訴訟を決意したというのである。

そして、原告本人尋問後、原告がBは本年一月から賃料を支払わないと供述したことから、裁判所から原告に対し、Bの立ち退きも含めた和解をするために、Bを利害関係人として和解期日に呼び出すことを提案したが、原告及び原告代理人らはこれを拒否したこと及び本件訴えは本件マンションの各室の価格がいわゆるバブルの崩壊の影響によって著しく低下したころに提起されていることは裁判所に顕著であることからすると、原告が真に本件建物への入居を希望していたのか疑問を持たざるを得ない。

6 以上によれば、本件建物の賃借人が、賃貸借関係を維持し難いような態様で本件建物を使用してきたわけではないこと、これに対し、原告の居住目的は契約の二年後に必ず本件建物に入居することを前提としたものとは認められないばかりか、かえって賃借人が明け渡すなど諸条件が整ったときには本件建物に居住することもあり得るという程度のものであったと推認される。

従って、本件において、原告がBを暴力団員とは考えないで本件売買契約を締結したとの錯誤は、要素の錯誤に当たるということはできないというべきである。

そうすると、錯誤無効の主張は理由がない。

六  以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官髙橋光雄)

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