東京地方裁判所 平成7年(ワ)25689号 判決 1997年7月30日
原告
岩田吉郎
ほか二名
被告
株式会社アクセス・トランスポート
ほか一名
主文
一1 被告らは、原告岩田吉郎に対し、連帯して金六万六七九三円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、原告岩田吉史に対し、連帯して金七万七〇一三円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告らは、原告有限会社岩田書房に対し、連帯して金五二万三四六六円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告岩田吉郎、原告岩田吉史及び原告有限会社岩田書房のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告らの負担とし、その余は原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項(1ないし3)に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告岩田吉郎に対し、連帯して金三二三万四五〇〇円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告岩田吉史に対し、連帯して金一六九万一五〇〇円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告らは、原告有限会社岩田書房に対し、連帯して金二八三万五八五五円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実及び容易に認められる事実
1 原告岩田吉郎(原告有限会社岩田書房の取締役である。甲第三号証)は、自動二輪車(以下「原告車」という。)の後部座席に原告岩田吉史を乗せ、外堀通りを新宿駅方面から飯田橋方面へ向かって青信号に従って走行していたところ、平成四年七月二八日午後二時三五分ころ、東京都新宿区市谷田町一丁目一一番先交差点(以下「本件交差点」という。)において、被告株式会社アクセス・トランスポートの従業員である被告五十嵐將美が、同人運転の普通貨物自動車(被告株式会社アクセス・トランスポート保有。以下「被告車」という。)を右折させた際、被告車を原告車に接触させた(以下「本件交通事故」という。)。
2 本件交通事故により、原告岩田吉郎は右上下肢打撲、頭部打撲、胸腹部打撲、右足第Ⅱ第Ⅲ基節骨骨折の傷害を負い、原告岩田吉史は右足背挫創、右膝関節内血腫、右下腿打撲、頭部打撲、胸腹部打撲の傷害を負った。
3(一) 被告五十嵐將美は、民法七〇九条に基づき、本件交通事故による損害を賠償すべき義務を負う。
(二) 被告株式会社アクセス・トランスポートは、民法七一五条ないし自賠法三条本文に基づき、本件交通事故による損害を賠償すべき義務を負う。
4 被告らは、本件交通事故の損害賠償として次の金額を既に支払った(乙第一五号証、第一六号証)。
(一) 原告岩田吉郎に対する分
(1) 目白病院の治療費 八八万〇六四〇円
(2) 看護料 一五万五五一五円
(二) 原告岩田吉史に対する分
(1) 目白病院の治療費 六八万三二四〇円
(2) 看護料 一五万五五一五円
二 争点
1 原告らの主張
(一) 原告岩田吉郎及び原告岩田吉史の入通院の状況について
(1) 原告岩田吉郎は、平成四年七月二八日から同年八月一七日までの二一日間、目白病院に入院し、退院後、同年一一月二一日までの九六日間、同病院に通院した。
また、平成四年一〇月六日から現在まで、新宿カイロプラクティック院に通院している。同院には、平成五年六月までは週一回程度、その後は月一、二回程度通院している。
(2) 原告岩田吉史は、平成四年七月二八日から同年八月一七日までの二一日間、目白病院に入院し、退院後、同年一一月二一日までの九六日間、同病院に通院した。
(二) 損害について
(1) 原告岩田吉郎の損害について
ア 新宿カイロプラクティック院の治療費 四〇万八〇〇〇円
イ 目白病院への通院交通費 二万五〇〇〇円
ウ 目白病院での入院雑費 三万一五〇〇円
一日当たりの入院雑費一五〇〇円、入院期間二一日に基づき算定した金額である。
エ 入通院慰謝料 一四八万〇〇〇〇円
オ 後遺症慰謝料 一〇〇万〇〇〇〇円
原告岩田吉郎は、現在も腰痛、骨折後の痛み、右足指の痛み、右大腿痛、右臀部痛、右股関節痛、左頚痛、左肩痛、左上腕痛などの頑固な痛みに悩まされており、これは自動車損害賠償保障法施行令別表の第一四級の後遺障害に該当する。この後遺障害からすると後遺症慰謝料は一〇〇万円とするのが相当である。
カ 弁護士費用 二九万〇〇〇〇円
(2) 原告岩田吉史の損害の損害について
ア 目白病院での入院雑費 三万一五〇〇円
一日当たりの入院雑費一五〇〇円、入院期間二一日に基づき算定した金額である。
イ 目白病院での母の付添費 三万〇〇〇〇円
一日当たりの付添費三〇〇〇円、入院期間のうち付き添った期間一〇日に基づき算定した金額である。
ウ 入通院慰謝料 一四八万〇〇〇〇円
エ 弁護士費用 一五万〇〇〇〇円
(3) 原告有限会社岩田書房の損害について
ア 原告岩田吉郎の休業期間中に支払った報酬相当額 一八八万五四七九円
原告有限会社岩田書房は、原告岩田吉郎に対し、平成四年分の報酬として四四四万円を支払ったが、これは、原告岩田吉郎の休業期間中(平成四年七月二八日から同年一二月二九日までの一五五日間)も報酬を支払ったことになる。
したがって、右休業期間中に支払った一八八万五四七九円(四四四万円を三六五日で除し、一五五日を乗じた金額)が原告有限会社岩田書房の損害となる。
イ 原告岩田吉郎の休業期間中に代替労働力として雇用した吉沢友美に支払った給与相当額 四八万八三五六円
原告有限会社岩田書房は、原告岩田吉郎の休業期間中(平成四年七月二八日から同年一二月二九日までの一五五日)、代替労働力として吉沢友美を雇用し、平成四年分の給与として一一五万円を支払った。
したがって、右休業期間中に支払った四八万八三五六円(一一五万円を三六五日で除し、一五五日を乗じた金額)が原告有限会社岩田書房の損害となる。
ウ 原告岩田吉郎の休業期間中に代替労働力として雇用した吉沢友美が配達及び集荷のために使ったタクシー代 二〇万二〇二〇円
エ 弁護士費用 二六万〇〇〇〇円
2 被告らの主張
(一) 過失相殺について
原告岩田吉郎は、自動二輪車である原告車に二人乗りという危険な状態で渋滞中の外堀通りの車道左側端を時速四〇キロメートルで原告車を漫然と走行させており、被告車に衝突直前まで気付かなかった。すなわち、原告岩田吉郎には前方注視義務違反及び安全運転義務違反の過失があり、その過失は五割を下回らない。
したがって、原告らの損害賠償の額を定める際には、原告岩田吉郎の右過失を考慮すべきである。
(二) 損害について
(1) 原告岩田吉郎の損害について
ア 原告岩田吉郎は、目白病院への通院を平成四年九月二一日で中止している。
したがって、本件交通事故と因果関係がある損害は、平成四年九月二一日までのものに限られる。
イ また、原告岩田吉郎が主張する後遺障害は、その存在を裏付ける他覚的所見がないから認められない。
(2) 原告岩田吉史の損害について
原告岩田吉史は、目白病院への通院を平成四年九月七日で中止している。
したがって、本件交通事故と因果関係がある損害は、平成四年九月七日までのものに限られる。
(3) 原告有限会社岩田書房の損害について
ア 原告有限会社岩田書房が主張する損害は、いずれも本件交通事故との間に相当因果関係がない。
イ<1> 原告岩田吉郎が原告有限会社岩田書房の取締役であることから、原告岩田吉郎が原告有限会社岩田書房から支払われる役員報酬は労働の対価とはいえない。
したがって、原告岩田吉郎の休業期間中に支払った報酬相当額の損害は原告有限会社岩田書房の損害とはならない。
<2> また、仮に原告岩田吉郎の休業期間中に支払った報酬相当額の損害が認められるとしても、原告有限会社岩田書房は、原告岩田吉郎の休業期間中、代替労働として吉沢友美を雇用したから、原告岩田吉郎が提供すべき労務に相当するものを吉沢友美から受けている。
したがって、本件交通事故と相当因果関係がある損害額は、吉沢友美に支払われた給与額の範囲内である。
第三当裁判所の判断
一 過失相殺について
1 本件交通事故の態様は次のとおりである(甲第一五号証、被告五十嵐將美の供述。なお、各記号は別紙交通事故現場見取図記載のものである。)。
(一) 本件交通事故当時、外堀通りは渋滞しており、通行車両はのろのろ運転をしていた。
(二) 被告五十嵐將美は、外堀通りを飯田橋方面から新宿駅方面へ向かって走行して来て、本件交差点においてウィンカーを出して右折待ちのため停車していたところ、対向車両である(ライトバン)、<甲>(乗用車)が停車し、運転者が右折するように合図したため、被告車を発進させた。その地点は<1>。
このときの被告車の速度は時速約一五キロメートルであった。
(三) 被告五十嵐將美が、最初に原告車を発見して危険を感じ、ブレーキを掛けた地点は<2>、そのとき原告車は<ア>。
このときの原告車の速度は時速約四〇キロメートルであった。
なお、被告五十嵐將美が原告車の発見が遅れたのは、車の車体が高かったため、原告車が走行して来た所が死角になっていたからである。
(四) 被告車が衝突した地点が<×>、そのとき、被告車は<3>、原告車は<イ>。
(五) 被告車が停止した地点は<4>、原告車が停止した地点は<オ>、原告車を運転していた原告岩田吉郎が転倒した地点は<ウ>、原告車の後部座席に乗っていた原告吉史が原告車と被告車に挟まれた地点は<エ>。
2(一) これに対し、原告岩田吉郎は、歩道寄りの第一車線を走行していたと本件訴訟において供述する(同人の平成八年一一月一三日付け本人調書二項ないし八項、平成九年一月二九日付け本人調書二項ないし二三項・四二項・四七項ないし五一項)。
(二) しかしながら、原告岩田吉郎の右供述を前提とすると原告岩田吉郎は、被告車を容易に発見し得るはずであるにもかかわらず、衝突するまで被告車に気付かなかったと本件訴訟において供述しており(同人の平成八年一一月一三日付け本人調書七項、平成九年一月二九日付け本人調書一一項・一五項・一六項)、第一車線を走行していたとする原告岩田吉郎の本件訴訟における供述は不自然である。
(三) また、原告岩田吉郎は、警察において、道路の左側端を走行していたと供述しており(甲第一五号証の同人の供述調書)、第一車線を走行していたとする原告岩田吉郎の本件訴訟における供述には疑問がある。
なお、原告岩田吉郎は、本件訴訟において、警察での供述調書作成の際、実況見分調書添付の交通事故現場見取図を見なかったと供述する(同人の平成八年一一月一三日付け本人調書五項、平成九年一月二九日付け本人調書五〇項)が、右実況見分調書の作成日が平成四年七月二九日であり、右供述調書作成日が平成四年九月二六日であるから、右供述調書作成のときには既に右実況見分調書が作成されているため、警察官が、右供述調書作成の際、右実況見分調書添付の交通事故現場見取図を見せなかったとは考えにくい。
(四) さらに、原告岩田吉郎は、第一車線を走行していた根拠として、被告車の幅では、別紙交通事故現場見取図記載車と歩道との間を走行できないことを挙げている(同人の平成八年一一月一三日付け本人調書三項)が、被告車の幅が〇・七四五メートル(甲第二〇号証主要諸元の幅欄)であり、車と歩道との間の幅が約一・五メートル(被告五十嵐將美の本人調書七項)ないし二・四メートル(甲第一五号証の実況見分調書)であるから被告車は車と歩道との間を走行でき、原告岩田吉郎が第一車線を走行していたとする根拠は理由がないものである。
(五) 以上のことからすると、第一車線を走行していたとする原告岩田吉郎の本件訴訟における供述は採用できない。
3 したがって、本件交通事故の態様は前記1のとおりであり、これによると原告岩田吉郎には本件交通事故につき三割の過失が認められる。
二 本件交通事故と因果関係のある損害について
1 原告岩田吉郎について
(一) 原告岩田吉郎は、目白病院退院後、痛みが我慢できなかったため新宿カイロプラクティック院に通院したこと、現在、腰痛、首と肩の凝りがあり、また、右足の指に感覚がなく、寒いときに痛みが生じ、右足の指がいつも上に持ち上げられているような状態にあることを供述する(甲第二八号証、同人の平成八年一一月一三日付け本人調書一一項・一二項・一四項・一五項、平成九年一月二九日付け本人調書四五項・四六項)。
(二) しかしながら、原告岩田吉郎は、目白病院に、平成四年七月二八日から同年八月一七日までの二一日間入院し、退院の翌日である同月一八日から同年九月二一日までの間に四日間通院し、その後、同年一一月二一日まで通院していないこと(甲第五号証、第二一号証、乙第一号証、第二号証、第四号証から第七号証まで、原告岩田吉郎の平成九年一月二九日付け本人調書五九項。なお、甲第五号証の通院期間末日が一一月二一日であることから一一月の通院日が二一日であると推認できる。)からすると、原告岩田吉郎の症状は平成四年九月二一日には回復していたことがうかがえる。
なお、原告岩田吉郎は、平成四年九月二一日から同年一一月二一日までの間目白病院に通院しなかったことにつき、痛みを訴えても、一定の時間がたたないと治らない、辛抱強くやるしかないと医者に言われ、症状がほとんど変わらないため行っても無駄と思ったからと供述している(同人の平成九年一月二九日付け本人調書六〇項)が、右で述べた原告岩田吉郎の通院経過に加え、後記(三)及び(四)で述べることを併せ考えると、原告岩田吉郎供述の存在により原告岩田吉郎の症状は平成四年九月二一日にはいまだ回復してなかったということはできない。
(三) また、原告岩田吉郎の目白病院における平成四年八月一八日から同年九月二一日までの通院に係る診断書(乙第五号証)は、症状の経過・治療の内容及び今後の見通しにつき、「退院後、外来で経過を観察したが愁訴は大分軽快した。九月になり頸部の鈍痛・不快感を訴えたがレントゲン検査では異常は無かった。投薬、レントゲン検査などを実施した。」とし、また、平成四年九月二一日に治療を中止したとしており、原告岩田吉郎の症状は平成四年九月二一日に軽快したといえる。
(四) ところで、新宿カイロプラクティック院作成のカイロプラクティック通院証明書(甲第七号証、第二二号証)は、平成七年九月九日における原告岩田吉郎の症状及び所見につき、「平成四年七月二八日、交通事故により負傷。整形外科的治療後、同年一〇月六日、右大腿痛、右臀部痛、右股関節痛、左頚痛、左肩痛、左上腕痛などを訴えて来院。以後、平成五年六月まで週1回の割合で、それ以降は月一~二回程度通院、現在に至る。」としている。
しかしながら、目白病院の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲第二一号証)は、平成八年八月五日(診断日)における原告岩田吉郎の症状等につき、「<1>傷病名 右足知覚異常、腰痛、左肩・左上腕部痛。<2>自覚症状 右足背足底の触感・湿覚の鈍麻、腰部の鈍痛、左肩から上腕にかけての痛み。<3>精神・神経の障害・他覚症状および検査結果 (a)腰に関して 腱反射異常なし、病的反射なし、徒手筋力テスト異常なし、右Ⅱ・Ⅲ足趾を中心に知覚の鈍麻あり。(b)左肩に関して 筋萎縮なし。(c)右足に関して Ⅱ・Ⅲ足趾の圧痛なし、変形なし、局所熱感なし。」としており、原告岩田吉郎の訴える症状は、他覚的所見もないことから、専ら主訴によるのではないかとの疑問があり、直ちには本件交通事故と因果関係があるとはいえない(右足の指がいつも上に持ち上げられているような状態にあるとの原告岩田吉郎の供述(前記(一))は、甲第二一号証でⅡ・Ⅲ足趾の変形なしとなっているから、採用できない。)。
なお、甲第二一号証記載の右Ⅱ・Ⅲ足趾を中心とする知覚の鈍麻は、原告の目白病院における診断書(乙第一号証及び第五号証)及び前記カイロプラクティック通院証明書(甲第七号証、第二二号証)に何ら記載がないから、本件交通事故と因果関係があるとまでは認められない。
(五) 以上のことからすると、原告岩田吉郎の症状に係る供述(前記(一))は直ちには採用できず、したがって、本件交通事故と因果関係が認められるのは、平成四年九月二一日までの損害とするのが相当である。
2 原告岩田吉史について
原告岩田吉史の目白病院の診断書(甲第六号証)には、「通院 平成四年八月一八日~同年一一月二一日 九六日間 実通院日数四日」との記載があるところ、同人の診療報酬明細書(乙第一二号証、第一三号証)には、平成四年八月一日から同月三一日までの診療実日数二日、平成四年九月一日から同月七日までの診療実日数一日との記載があり(乙第一一号証も同趣旨である。)、このことからすると、原告岩田吉史が平成四年九月七日後、目白病院に通院したのは同年一一月二一日(甲第六号証記載の通院期間の末日)一回であると認められる。すなわち、原告岩田吉史は、平成四年九月七日通院を中止した後、同年一一月二一日まで目白病院に通院していないことからすると、原告岩田吉史の症状は平成四年九月七日には回復していたことがうかがえる。
また、原告岩田吉史の目白病院における平成四年八月一八日から同年九月七日までの通院に係る診断書(乙第一一号証)は、症状の経過・治療の内容および今後の見通しにつき、「退院後、外来で経過を観察したが愁訴は軽快した。」とし、また、平成四年九月七日に治療を中止したとしており、原告岩田吉史の症状は平成四年九月七日に軽快したといえる。
したがって、本件交通事故と因果関係があるのは、平成四年九月七日までの損害とするのが相当である。
三 損害について
1 原告岩田吉郎の損害について
(一) 治療費 八八万〇六四〇円
目白病院分の治療費として認められる(乙第二号証、第四号証、第六号証、第七号証)。
(二) 看護料 一五万五五一五円
前記第二の一4(一)のとおりである。
(三) 目白病院への通院交通費 〇円
右損害の証拠として提出している甲第二四号証には、原告岩田吉郎の通院交通費の外に、同人の仕事に係る交通費及び原告岩田吉郎の休業期間中に代替の労働力として雇用した吉沢友美が配達や集荷のために使ったタクシー代が含まれており、その区別ができない(原告岩田吉郎の平成八年一一月一三日付け本人調書二九項、平成九年一月二九日付け本人調書三五項ないし四〇項)から、甲第二四号証は、目白病院への通院交通費を裏付ける的確な証拠とはいえない。
(四) 目白病院での入院雑費 二万五二〇〇円
原告岩田吉郎は、本件交通事故により、目白病院に二一日入院した(甲第五号証、第二一号証、乙第一号証、第二号証、第四号証)ところ、入院雑費は、一日当たり一二〇〇円とするのが相当であるから、合計二万五二〇〇円となる。
(五) 新宿カイロプラクティック院の治療費 〇円
本件交通事故と因果関係がある損害は平成四年九月二一日までのものであるところ、原告岩田吉郎が新宿カイロプラクティック院の治療を受け始めたのが平成四年一〇月六日からである(甲第七号証)ため、右治療費は本件交通事故との間に因果関係がない。
(六) 入通院慰謝料 五〇万〇〇〇〇円
原告岩田吉郎の症状、目白病院の入院日数二一日、平成四年九月二一日までの通院日数四日によると、入通院慰謝料は五〇万円とするのが相当である。
(七) 後遺症慰謝料 〇円
原告岩田吉郎の現在の症状は、他覚的所見もないことから、専ら主訴によるのではないかとの疑問がある(前記二1(四))。
したがって、後遺症慰謝料は認められない。
(八) 損害合計 六万六七九三円
(一)から(七)までの合計が一五六万一三五五円であること、原告岩田吉郎に過失が三割あること(前記一)、既払金が合計一〇三万六一五五円あること(前記第二の一4(一))、本件訴訟の経緯・認容額から弁護士費用は一万円とするのが相当であることからすると、原告岩田吉郎の損害は、次の数式のとおり、六万六七九三円である。
1,561,355×(1-0.3)-1,036,155 10,000×66,793
2 原告岩田吉史の損害について
(一) 治療費 六八万三二四〇円
目白病院の治療費として認められる(乙第九号証、第一〇号証、第一二号証、第一三号証)。
(二) 看護料 一五万五五一五円
前記第二の一4(二)のとおりである。
(三) 目白病院での入院雑費 二万五二〇〇円
原告岩田吉史は、本件交通事故により、目白病院に二一日入院した(用第六号証、第二一号証、乙第八号証から第一〇号証まで)ところ、入院雑費は、一日当たり一二〇〇円とするのが相当であるから、合計二万五二〇〇円となる。
(四) 目白病院での母の付添費 三万〇〇〇〇円
原告岩田吉史の入院中の年齢が一一歳であったこと(甲第六号証、乙第八号証から第一〇号証まで)からすると母の付添費の必要性が認められ、付添費は、一日当たり三〇〇〇円、入院期間のうち付き添った期間一〇日(弁論の全趣旨)とするのが相当であるから、合計三万円となる。
(五) 入通院慰謝料 四〇万〇〇〇〇円
原告岩田吉史の症状、目白病院の入院期間二一日、平成四年九月七日までの通院日数三日によると、入通院慰謝料は四〇万円とするのが相当である。
(六) 損害合計 七万七〇一三円
(一)から(五)までの合計が一二九万三九五五円であること、原告岩田吉郎に過失が三割あること(前記一)、既払金が合計八三万八七五五円あること(前記第二の二4(二))、本件訴訟の経緯・認容額から弁護士費用は一万円とするのが相当であることからすると、原告岩田吉史の損害合計は、次の数式のとおり、七万七〇一三円となる。
1,293,955×(1-0.3)-838,755+10,000=77,013
3 原告有限会社岩田書房の損害について
(一) 原告岩田吉郎の休業期間中に支払った報酬相当額 六九万〇六六六円
(1)ア 原告有限会社岩田書房が原告岩田吉郎に支払った報酬は、平成四年五月から同年七月まで月三七万円であり(なお、年収は、平成三年分及び平成四年分いずれも四四四万円である。甲第八号証、第九号証二〇丁、第一〇号証二〇丁)、その金額からすると、右報酬に実質的な利益配当が含まれているとはいいにくい。
イ また、原告有限会社岩田書房は、平成三年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度において、当期利益が一七六万四〇二四円であるが、前期繰越損失が二七四万八八六四円であるため当期未処理損失が九八万四八四〇円となっていること(甲第九号証一〇丁)、平成四年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度において、当期損失が一二六万七七二八円であり、前期繰越損失が九八万四八四〇円あるため当期未処理損失が二二五万二五六八円となっており(甲第一〇号証一〇丁)、このことからすれば、原告有限会社岩田書房の企業規模は大きいものとはいえず、原告岩田吉郎の報酬に実質的な利益配当が含まれているとはいいにくい。
ウ 以上のことからすると、原告岩田書房が原告岩田吉郎に支払った月額三七万円は、すべて労働の対価によるものと認められる。
(2) そして、仮に原告有限会社岩田書房が原告岩田吉郎に対し休業期間中の報酬を支払わなかった場合、原告岩田吉郎が被告らに対し休業損害を請求できるのは明らかであるところ、たまたま原告有限会社岩田書房が原告岩田吉郎に対し休業期間中の報酬を支払ったことにより、休業損害相当額と本件交通事故との間の相当因果関係がなくなるとは考えられない。
また、同様の理由から、損害額も、原告有限会社岩田書房が原告岩田吉郎に対し休業期間中に支払った報酬(一月当たり三七万円)によるのであり、吉沢友美に支払った給与額に限定されるものではない。
(3) したがって、平成四年七月二八日(本件交通事故日)から同年九月二一日(本件交通事故と因果関係が認められる期間。前記二1)までの五六日間につき原告岩田吉郎に支払った報酬相当額が本件交通事故と相当因果関係がある損害であるところ、その額は、次の数式のとおり、六九万〇六六六円である。
370,000÷30×56=690,666
(二) 原告岩田吉郎の休業期間中に代替労働力として雇用した吉沢友美に支払った給与相当額 〇円
(1) 原告岩田書房には、本件交通事故当時、原告岩田吉郎及び吉沢俊子の二名が勤務しており、吉沢俊子が店のレジを午後五時まで担当し、原告岩田吉郎が、荷さばき、チェック、差し替え、外売のための納品書等の手配及び配送、午後五時後の店での販売等を行っていたところ、本件交通事故により原告岩田吉郎が休業したため、原告岩田書房が吉沢友美を雇用したと原告岩田吉郎は供述する(同人の平成八年九月二五日付け本人調書二〇項・二二項・二七項・二八項、平成九年一月二九日付け本人調書三三項ないし三六項)。
(2) ところで、原告有限会社岩田書房は、吉沢友美を雇用する前、吉沢俊子を雇用していたが、平成三年及び平成四年の同人の給与は、月三〇万円、ボーナスなしであった(したがって、同人の年収は三六〇万円となる。原告岩田吉郎の平成九年一月二九日付け本人調書六六項・六七項)ところ、原告有限会社岩田書房の従業員に支払った給料手当が、平成三年一月一日から同年一二月三一日までが四三三万一一〇〇円(甲第九号証二〇丁)、平成四年一月一日から同年一二月三一日までが六六三万五〇〇〇円(甲第一〇号証二〇丁)であるから、右給料手当と吉沢俊子に支払った給与年三六〇万円との間に差額が存し(平成三年一月一日から同年一二月三一日までが七三万一一〇〇円、平成四年一月一日から同年一二月三一日までが三〇三万五〇〇〇円。なお、平成四年に吉沢友美に支払った給与一一五万円(甲第一二号証)を考慮してもその差額は一八八万五〇〇〇円ある。)、原告有限会社岩田書房は、吉沢俊子ないし吉沢友美以外の従業員を雇用していたとうかがえ、その者が原告岩田吉郎のすべき仕事を代替できたのではないかとの疑問がある。
このことに加えて、原告有限会社岩田書房が現在も吉沢友美を雇用している理由は、原告岩田吉郎の負担が多いためというものであり(原告岩田吉郎の平成九年一月二九日付け本人調書六九項・七〇項)、原告有限会社岩田書房が吉沢友美を雇用したのは、本件交通事故によるためというよりは、原告岩田吉郎の負担軽減するためでないかとの疑問もある。
(3) したがって、原告有限会社岩田書房が吉沢友美を雇用したことに係る損害は、本件交通事故と相当因果関係があるとまではいえない。
(三) 原告岩田吉郎の休業期間中に代替労働力として雇用した吉沢友美が配達及び集荷のために使ったタクシー代 〇円
原告有限会社岩田書房は、吉沢友美が配達及び集荷のために使ったタクシー代を損害として主張しているが、右損害が本件交通事故と相当因果関係があるか疑問がある上に、右損害の証拠として提出している甲第二四号証には、原告岩田吉郎の休業期間中に代替の労働力として雇用した吉沢友美が配達や集荷のために使ったタクシー代の外に、原告岩田吉郎の通院交通費及び同人の仕事に係る交通費及びが含まれており、その区別ができない(原告岩田吉郎の平成八年一一月一三日付け本人調書二九項、平成九年一月二九日付け本人調書三五項ないし四〇項)から、甲第二四号証は、原告岩田吉郎の休業期間中に代替労働力として雇用した吉沢友美が配達及び集荷のために使ったタクシー代を裏付ける的確な証拠とはいえない。
(四) 損害合計 五二万三四六六円
(一)から(三)までの合計が六九万〇六六六円であること、原告岩田吉郎に過失が三割あること(前記一)、本件訴訟の経緯・認容額から弁護士費用は四万円とするのが相当であることからすると、原告有限会社岩田書房の損害合計は、次の数式のとおり、五二万三四六六円となる。
690,666×(1-0.3)+40,000=523,466
四 結論
よって、原告らの請求は、<1>原告岩田吉郎が、被告らに対し、連帯して金六万六七九三円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を、<2>原告岩田吉史が、被告らに対し、連帯して金七万七〇一三円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を、<3>原告有限会社岩田書房が、被告らに対し、連帯して金五二万三四六六円及びこれに対する平成四年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を、それぞれ求める限りで理由があるから認容し、その余は理由がないからいずれも棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判官 栗原洋三)
地下鉄工事現場