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東京地方裁判所 平成7年(ワ)9159号・平7年(ワ)5667号 判決

平成七年(ワ)第五六六七号 慰謝料等請求事件(甲事件)

平成七年(ワ)第九一五九号 慰謝料請求事件(乙事件)

甲事件・乙事件原告 A

右訴訟代理人弁護士 若柳善朗

同 木内千登勢

甲事件被告 米澤聡

甲事件被告 矢野由人

右両名訴訟代理人弁護士 金田英一

甲事件被告 黒田敬之

甲事件被告 大山喬史

乙事件被告 栗原三郎

右三名訴訟代理人弁護士 小山稔

右訴訟復代理人弁護士 遠西昭

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)  被告米澤聡は原告に対し、金三七〇万円及びこれに対する平成七年四月二七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告矢野由人は原告に対し、金七万円及びこれに対する平成七年四月二七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  被告栗原三郎は原告に対し、金七万円及びこれに対する平成七年五月二五日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(四)  被告黒田敬之は原告に対し、金三〇万円及びこれに対する平成七年四月二七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(五)  被告大山喬史は原告に対し、金一二万六四二〇円及びこれに対する平成七年四月二七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告米澤について

(一) 事実の経過及び違法性

(1)  歯、歯列及び咬合の矯正を希望していた原告は、平成元年八月二〇日及び同二年二月四日にアリス矯正歯科の院長である被告米澤の診察を受け、平成二年七月以後、同被告によって、右施術が行われたが、その際、成人の歯の矯正は、成長期の患者の歯よりも、歯の移動の速度が遅く、傾斜しやすいという特徴があるにもかかわらず、被告米澤は原告に対して、成人に対する矯正治療の困難さを説明しなかった。

(2)  被告米澤には、歯列矯正の治療にあたり、歯、歯周の検査、治療を行い、歯内については専門医に依頼して専門的な診断及び治療を施した上で矯正治療に着手すべき義務、矯正治療前に治療におけるリスクを説明し、患者の理解と同意を得て矯正治療を行うべき義務、矯正治療、特に成人の矯正においては、固定式矯正装置の装着にあたり、適切なワイヤーの選択、調節を行い、アタッチメントを適切な位置に装着する等適切な場所に適切な矯正力を作用させることにより歯が不適切な位置に傾斜するのを防止する義務及び歯が本来意図した位置と異なる位置に傾斜した場合、それを発見した時点で本来意図した位置に歯を移動させる義務があったのにこれらをいずれも怠った結果、<1>機能的咬合の確立及び審美性の追求、歯周組織の健康の回復という矯正治療の目的を達し得ず、再矯正を不可能ならしめた、<2>原告の下顎右側第一大臼歯及び下顎右側第二小臼歯を近心・舌側に過度に傾斜させ、根分岐部病変を悪化させ、歯肉の退縮を拡大させ、急性逆行性歯根部膜炎が発生する危険性を生じさせ、舌側部の歯磨きを困難ならしめるとともに、将来的に咬合圧により更に舌側に傾斜させる可能性を生じさせ、それに伴う全体的な咬合状態の悪化の可能性を生じさせ、それぞれの歯の寿命を短くせしめ、<3>矯正後の噛み合わせを不正咬合とならしめた、<4>顎関節症に罹患させた。

(二) 損害

右診療契約の債務不履行に基づき、原告は被告米澤に対して支払済みの治療費金七〇万円相当の損害を被るとともに、これによって、原告が被った精神的損害は、金三〇〇万円を下らない。

(三) 結論

よって、原告は被告米澤に対し、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償として金三七〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成七年四月二七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  被告矢野について

(一) 事実の経過及び違法性

(1)  歯科医師は、歯科医師法第一九条により診療治療の求めがあった場合には正当な理由なくこれを拒んではならないところ、

<1> 平成元年一〇月ころ、歯科医師である被告矢野は、その経営する高橋矯正歯科診療所において原告に対して診療を施すにあたり、気乗りしない冷たい態度で対応し、また、原告からの電話にも出ないなどして、原告の診察の求めを正当な理由なく拒んだ。

<2> 原告は、平成五年一二月一〇日ころには電話で、同月一八日ころには右診療所において、原告の臼歯が舌側へ倒れているので直してほしいと被告矢野に依頼したところ、同被告は、何ら正当な理由なく原告の診察の求めをいずれも拒んだ。

<3> 原告は、平成六年九月一七日、被告矢野に対し、電話でリテイナー(保定装置)の作成を依頼したが、同被告は、正当な理由なくこれを拒んだ。

(2)  平成四年四月一日、原告が被告米澤の施した矯正処置に不満を抱いて被告矢野の診察を求めた際、同被告は原告の臼歯が舌側に倒れていることを認識することが可能だったのであるから、十分に診察して臼歯に適切な治療を施すべきであったにもかかわらず、これを看過して、形式的に歯型を取っただけで原告に対し何ら適切な治療ないし指導を施さなかった。

(3)  原告が平成四年四月二五日、右歯型をもとに診断した結果を聞きに行くため高橋矯正歯科診療所を訪れた際、被告矢野は、同診療所の若い医師をして、原告を無理矢理同診療所から引きずり出すという暴力行為を犯した。

(二) 損害

被告矢野の右各行為によって、原告が被った精神的損害は、金七万円を下らない。

(三) 結論

よって、原告は被告矢野に対し、不法行為による損害賠償として金七万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成七年四月二七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

3  被告栗原について

(一) 事実の経過及び違法性

(1)  平成三年六月、原告が被告米澤の矯正処理の不満を訴えて東京医科歯科大学歯学部附属病院(以下「本件大学病院」という。)の歯科医師であった被告栗原に対し、同病院での治療を引き受けてほしい旨申し入れた際、同被告は原告の臼歯に対して治療を施すべきであったにもかかわらず、原告に対し適切な治療ないし指導を施さなかった。

(2)  そのころ、原告が被告栗原に対し、原告を高橋矯正歯科診療所(被告矢野)に紹介した本件大学病院の医師の名前を尋ねたところ、被告栗原は、紹介者の名前を故意に原告に教えなかったばかりか、看護婦・婦長らに対しても原告に紹介医の名前を教えないように口止めを指示した。

(3)  平成五年四月ころ、被告栗原は、同大山らの指示により、原告の再矯正が可能かどうかをレントゲン・歯型をみて検討することになったにもかかわらず、被告栗原は、同年七月中旬までの間、その検討結果を原告に報告しないことにより、仮歯の状態であった原告に対する診療を放置した。

(二) 損害

被告栗原の右各行為によって、原告が被った精神的損害は、金七万円を下らない。

(三) 結論

よって、原告は被告栗原に対し、不法行為による損害賠償として金七万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成七年五月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

4  被告黒田について

(一) 事実の経過及び違法性

歯科医師は、歯科医師法第一九条により診療治療の求めがあった場合には正当な理由なくこれを拒んではならず、特に大学病院における医師は、他科との連携による総合的な治療を行う義務があり、かつ、当時原告の臼歯は舌側に傾きかけており要治療状態にあったにもかかわらず、被告黒田は、平成三年八月一六日、同年九月二日、同年一〇月二三日、同年一一月一一日、平成四年一月二〇日、同年二月一七日、平成五年一月ころの合計七回にわたって正当な理由なく原告の歯の治療を拒否した。

(二) 損害

被告黒田の右各行為によって、原告が被った精神的損害は、金三〇万円を下らない。

(三) 結論

よって、原告は被告黒田に対し、不法行為による損害賠償として金三〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成七年四月二七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

5  被告大山について

(一) 事実の経過及び違法性

(1)  被告大山は、平成五年四月当時、本件大学病院の院長の職にあり、同病院の運営全般に亘り、それが適切に行われるよう指導監督すべき立場にあったにもかかわらず、同年四月ころから平成五年九月ころまでの間、原告からの苦情の申入れに対し誠意ある対応をしなかった(右苦情の申入れは、電話で数回、手紙により二・三回、口頭で三回位。内容としては、患者をたらい回しにしないでほしい、患者からの苦情を無視しないでほしい、医師と医師の間、科と科の間、医師と事務職員との間の連絡を密にすべきであるなどといったものであった。)。

(2)  平成六年九月ころ、本件大学病院内において、原告が被告大山と話し合いをもった際、同被告が急にドアを閉めたため、原告の鞄がドアに挟まり損傷を受けた。

(3)  歯科医師は、歯科医師法一九条により、診療治療の求めがあった場合には正当な理由なくこれを拒んではならないところ、原告は、平成六年九月ころ、被告大山に対し、本件大学病院の矯正科でリテイナーを作成させるよう依頼したが、同被告は、正当な理由なくこれを拒んだ。

(二) 損害

被告大山の右各行為によって、原告が被った精神的損害は金一二万六四二〇円を下らない。

(三) 結論

よって、原告は被告大山に対し、不法行為による損害賠償として金一二万六四二〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成七年四月二七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告米澤の認否

(一) 請求原因1(一)(1) のうち、成人の歯の矯正には歯が傾斜し易いという特徴があるとの事実、被告米澤が原告に対して成人矯正の困難さを説明しなかったという事実は否認し、その余の事実は認める。

(右事実についての反論)

被告米澤は原告に対し、成人の歯の矯正は成長期の患者の歯よりも移動速度が遅いことを説明しているが、歯が傾斜し易いという点は医学的根拠がないため、当然のことながらそのことについての説明はしていない。

(二) 同1(一)(2) のうち、被告米澤には、歯列矯正の治療にあたり、歯、歯周の検査及び治療を施した上で矯正治療に着手すべき義務、矯正治療前に治療におけるリスクを説明し、患者の理解と同意を得て矯正治療を行うべき義務、歯が本来意図した位置と異なる位置に傾斜した場合、それを発見した時点で即時に本来意図した位置に歯を移動させる義務があることはいずれも認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

被告米澤は、原告の矯正治療の開始にあたり、歯周の検査を含む必要な検査を全て行ったが、その結果、原告の症状は軽度であって、矯正治療開始に支障はなかった。また、被告米澤は、平成元年八月二〇日及び同二年二月四日の来院時に矯正治療について詳細に説明し、原告からの治療方法を含む仔細な質問に回答しているし、原告は、神奈川歯科大学を含め数か所の医療機関で診断を受けた上で被告米澤のもとを訪れており、矯正治療の内容については十二分に理解していたものである。

矯正治療は同時に多数の歯を扱い、かつ、主に個々の歯相互の作用反作用により移動を行うことから、全ての歯を有利な方向へ動かすことはできず、一部の歯が不利な方向へ移動することは避けられないし、歯が予想に反した動きをすることも起こりうる。従って、これを許容しなければ矯正は成り立たないのであり、矯正歯科医には歯が適切な位置に傾斜するのを防止する義務などは存しないのであり、最終的にこれらを治療し、良好な咬合関係が得られるようにするのが矯正歯科医師としての義務である。

下顎右側第一大臼歯及び下顎右側第二小臼歯が近心・舌側に過度に傾斜したという事実はないが、わずかな舌側傾斜が生じたのは、被告米澤の治療が適切に行われていたにもかかわらず、矯正治療の最終段階に至って、原告が同被告の再三の説明にも応じず、勝手に治療を中止したことが最大の原因となっているものである。

原告は、根分岐部分にみられるわずかな歯肉の退縮を「根分岐部分病変」というが、これらは矯正開始以前から存在していたものであって、矯正治療とは無関係であり、「急性逆行性歯根膜炎」についても、本病は歯槽骨が相当程度吸収した中程度以上の歯周病が原因であって、原告の歯周病の程度では罹患する可能性はない。従って、将来的に歯の寿命が短くなったということはなく、不正咬合の事実もない。

(三) 同1(二)の事実は争う。

2  被告矢野の認否

(一) 請求原因2(一)(1) の前文のうち、歯科医師には歯科医師法一九条の義務があることは認める。

(二) 同2(一)(1) <1>のうち、平成元年一〇月ころ、原告が被告矢野の経営する高橋矯正歯科診療所に来院したことは認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

原告は、米軍横須賀基地に勤務し、土曜日のみしか通院できないということであったため、被告矢野は他の患者との関係で土曜日のみの治療は不可能なことを説明した上で、勤務地に近い神奈川歯科大学を紹介しており、不当に治療を拒否した事実はない。

(三) 同2(一)(1) <2>のうち、平成五年一二月一〇日ころ電話で、同月一八日ころには診療所において、原告が被告矢野に対し、その臼歯が舌側へ倒れているので直してほしい旨依頼した事実は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

原告は、右日時に、いずれも偽名で電話をかけ、あるいは来院したが、被告矢野は、原告の顎及び歯の全体の状況からして、これ以上の矯正治療は難しいと説明したものであり、不当に治療を拒否した事実はない。

(四) 同2(一)(1) <3>のうち、平成六年九月一七日、原告が被告矢野に対し、電話でリテイナーの作成を依頼した事実は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

原告は、同日も偽名で被告矢野に電話をしてきたが、その主な目的は、原告は被告米澤に対して調停で治療費を返還するように請求しているが、同被告がこれに応じないので被告矢野から返還するように話してほしいというものであったため、被告矢野は、原告の右申出を断った。

原告は、右の話に引き続き、被告矢野に対し、リテイナーの作成を依頼してきたものであるが、被告矢野は原告の治療をしていず、保定装置のみの作成には責任を持てないため、無理である旨を説明したのであって、不当に原告の治療を拒否した事実はない。

(五) 同2(一)(2) のうち、平成四年四月一日、原告が被告矢野の診療を求めた事実は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

被告矢野は、原告の求めにより、診断模型・パントモX写真・口腔内写真を採得して診断した結果、これ以上の治療は困難であると判断したものである。

(六) 同2(一)(3) の事実は否認する。

(右事実についての反論)

原告が診療室内で、被告矢野に対し、大声で治療をしろとわめいたり、治療費の返還を要求するので、静かにするように求めただけである。

(七) 同2(二)の事実は争う。

3  被告栗原の認否

(一) 請求原因3(一)(1) のうち、平成三年六月、原告が被告米澤の矯正処理の不満を訴えて本件大学病院矯正科の歯科医師であった被告栗原に対し、診療を求めた事実は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

被告栗原は、右の際、問診等の適切な診療をしている(原告は、本件大学病院から被告米澤を紹介されて治療中であると言うので、被告栗原は事実関係を確認するため、同日は原告の主張を聞きおくこととし、その後被告米澤に問い合わせたところ、原告は右病院の紹介によるものではなかった。)。

その後の同年九月、原告は被告栗原に対し、本件大学病院での治療を受けたい旨を電話で申し入れてきたため、同被告は被告米澤からの依頼状と矯正診断時の資料のコピーがあれば治療をすることができる旨を答えたが、原告はこれに対して何らの対応もしなかったものである。

(二) 同3(一)(2) のうち、原告が被告栗原に対し、原告を高橋矯正歯科診療所(被告矢野)に紹介した医師の名前を尋ねた事実は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

被告栗原には、紹介した医師の名前を教える義務はないから、右主張は失当なものであるうえ、そもそも、被告栗原は右医師の名前を知らなかったものであって、故意に教えなかったものではないし、看護婦や婦長らに口止めを指示したこともない。

(三) 同3(一)(3) のうち、平成五年四月ころ、被告栗原が同大山らの指示により、原告についての再矯正が可能かどうかをレントゲン・歯型をみて検討することとなった事実は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

本件大学病院では、平成五年四月二六日に原告に対する矯正治療が可能であるかを検討することになり、以降、関係資料の収集をするなどして検討を加え、同年七月一三日には結論を原告に伝えていたものであり、これは検討期間として相当な期間である。なお、右検討期間中に被告栗原には原告を診療すべき義務はない。

(四) 同3(二)の事実は争う。

4  被告黒田の認否

(一) 請求原因4(一)(1) のうち、歯科医師法一九条の法意は認め、その余の事実は否認する。

(右事実についての反論)

被告黒田が原告と会ったのは、平成三年一〇月二三日、平成四年一一月一一日、平成五年一月一八日のみであり、これらの日には適切な診療をしている。

平成三年一〇月二三日の段階では、原告からの主訴を聞き、口腔内診査を行った結果、被告米澤の行っている治療について異論を挟む状況ではないと判断し、そのまま当該治療を継続することが望ましいと原告に伝えている。

また、平成四年一一月一一日に口腔内診査を行ったところ、矯正治療だけでこれ以上の咬合の改善は年齢的に造骨系の機能や歯周組織の状況から疑問があり、後は補綴的処置に委ねるべきであると診断し、その旨を原告に伝えている。

さらに、平成五年一月一八日の口腔内診査の結果も前回と同じで、これ以上の矯正治療の継続は無理であり、他の歯科的措置として補綴治療を受けることが妥当であると判断したため、その旨を原告に勧めた。

(二) 同4(一)(2) の事実は争う。

5  被告大山の認否

(一) 請求原因5(一)(1) の本文部分のうち、原告からの苦情の申入れに対し誠意ある対応をしなかったとの事実は否認し、その余の事実は認める。

(二) 同5(一)(1) の括弧書の部分のうち、電話・手紙・口頭で原告主張の回数程度苦情の申入れを受けた事実、その内容が患者からの苦情を無視しないでほしいとの趣旨であった事実は認め、その余の事実は否認する。

(三) 同5(一)(2) 及び(3) の事実は、いずれも否認する。

(四) 同5(二)の事実は争う。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一被告米澤について

一  請求原因1のうち、歯、歯列及び咬合の矯正を希望していた原告が、平成元年八月二〇日及び同二年二月四日にアリス矯正歯科の院長である被告米澤の診察を受け、平成二年七月以後、同被告によって、右施術が行われた事実、被告米澤には、歯列矯正の治療にあたり、歯、歯周の検査、治療を施し、矯正治療におけるリスクを説明し、患者の理解と同意を得て矯正治療を行うとともに、歯が本来意図した位置と異なる位置に傾斜した場合、それを発見した時点で本来意図した位置に歯を移動させる義務を負っている事実は、原告及び被告米澤間に争いがない。

二  証拠(甲1、3の2、13、51、乙1ないし3、丙1ないし4、原告本人尋問の結果、被告米澤本人尋問の結果、鑑定人高田健治による鑑定結果及び同鑑定人に対する書面尋問の結果(右鑑定結果及び書面尋問の結果を総称して、以下「本件鑑定等」という。))及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、甲13及び原告本人尋問の結果のうち、これに反する部分は採用しない。

1  原告は、平成元年八月二〇日ころ、在日米軍基地内の歯科医院において事務の仕事に携わっていたが、同四年二月から同矯正科の助手をしていた。

2  原告は、自己の歯列及び咬合の矯正を希望し、平成元年八月二〇日及び同二年二月四日にアリス矯正歯科の院長である被告米澤のもとを訪れ、治療についての相談をするとともに、歯形の採取などをしたが、この時点では、同被告のもとで実際に矯正治療を受けることまでは決断していなかった。

なお、原告は、平成元年八月二〇日に被告米澤のもとを訪れた際、同被告が子供だけではなく、成人の矯正治療を行っているかを確認し、成人に対する矯正治療も行う旨の回答を得ていた。

3  その間の平成元年九月三〇日、原告は本件大学病院で担当医の診断を受け、平成元年一〇月一四日には、同人から紹介された高橋矯正歯科診療所で被告矢野に診療をしてほしいと求めていたほか、神奈川歯科大学附属病院で診察を受けるなどしていた。

4  原告は、最終的に、被告米澤の矯正治療を受けることとし、平成二年七月以降、同被告による施術が開始され、まず、右上四番と左下五番の歯を抜歯し、左上のブリッジを切断した上、ダイレクトボンディングの方法によって、矯正治療が行われた。

5  被告米澤による右矯正治療の開始前の時点において、原告の歯、歯肉及び歯列等は次のような状態にあった。

<1> 原告の上顎左側第一大臼歯、下顎右側第一小臼歯は欠損していた。

<2> 下顎右側第一大臼歯には、既に根管充填が施され、歯冠部に金属冠で補綴処置が行われ、その近心根に根尖病巣があった。

<3> 上顎右側小臼歯部の歯頸辺縁部歯肉に軽度の発赤及び腫脹、上顎中切歯部及び下顎前歯部の歯肉に軽度の腫脹が認められた。

<4> 下顎右側第一大臼歯の頬側歯頸部歯肉が退縮し、根分岐部を中心に前後方向にわたって、垂直的に約一ミリメートルの歯根の露出が認められた。

<5> 原告の咬合は、下顎前歯部の叢生(乱杭歯)を伴うアングルII級の不正咬合であり、下顎歯列は上顎歯列の正中線に対して三・四ミリメートル右側に偏位し、上顎歯列が軽度の狭窄歯列の形状を呈し、下顎右側第二小臼歯は近心・舌側に傾斜し、その近心に位置する犬歯に対して低位にある。

<6> 下顎右側第一大臼歯は、上顎右側第一大臼歯及び同第二小臼歯と緊密に咬合し、下顎右側第二小臼歯の頬側咬頭の舌側斜面は、上顎右側第二小臼歯の舌側咬頭頂と接触していた。

<7> 下顎右側第一大臼歯は、わずかに近心・舌側に傾斜し、その遠心辺縁隆線は下顎右側第二大臼歯の近心辺縁隆線に対して、相対的に一ミリメートル高い位置にあった。

6  被告米澤による治療中の平成三年六月二八日、原告は被告栗原の診察を受け、被告米澤にかわり、本件大学病院で治療を受けたいと申し出た。

7  同年九月ころ、原告は被告米澤に対し、転院して治療を受けたい旨を申し出たため、アリス矯正歯科における治療は一旦終了して費用も精算することとなった。

8  原告は、被告米澤にかわり、本件大学病院で治療を受けようとしたが、結局、同病院で治療を受けることとはならなかったため、再び、被告米澤に対して、治療をしてくれるように求め、同被告による矯正治療が再開された。

9  右のように被告米澤による治療が再開されたが、原告は、その後も、上の前歯を鶴見大学で差歯にすることになったので、矯正器具を外すように求めたため、平成四年一月、被告米澤は、原告の上の歯に装着していたボンディングを除去して、リテイナーを装着するなどした。

10  被告米澤は、原告に告げないまま、原告の奥歯(右下五番)のアップライト等の施術を行っていたが、原告は、これに気付くや、奥歯をいじることを嫌い、当該治療を拒否した。

しかし、奥歯を治療することが不可欠であると考えた被告米澤は、原告に内緒で同治療を継続していたが、平成四年四月、これに気付いた原告が、奥歯の治療をすることを明確に拒否したため、やむなく被告米澤は、下顎のボンディングを除去して、リテイナーを装着した。

11  その後になって、原告は、下顎右側第一大臼歯の舌側傾斜を直したいといって再び治療を求めてきたため、被告米澤はその治療を行うなどしたこともあったが、結局、同被告による施術は、平成五年二月七日が最後となった。

三  ところで、原告は、本訴において、被告米澤の診療契約上の債務不履行として、具体的には、施術に先立ち、成人の矯正治療の困難さについての説明義務を怠ったこと及び同被告の施術により、再矯正が不可能となるとともに、下顎右側第一大臼歯と同第二小臼歯の傾斜が発生したなどと主張する。

そこで、まず、右説明義務違反の点について検討するに、被告米澤がその施術に先立ち、原告が主張するような成長期の患者に比べて成人の歯は傾斜しやすいという特徴がある旨の説明をしていないことは同被告及び原告間において争いがなく、原告提出にかかる文献(甲8)には、成人の歯科矯正には、原告が主張するような特徴がある旨の記述も認められる。

しかしながら、右文献のほかに、一般的に、成人の歯科矯正において、歯が傾斜し易い傾向があると認めるに足りる証拠はないうえ、仮に、成人の矯正治療には、成長期の患者と比較して困難さがあるとしても、原告は、その当時歯科の事務系の仕事に携わっていたものであるうえ、被告米澤の施術を受けるに先立ち、原告は、本件大学病院、神奈川歯科大学附属病院や被告矢野の診察を受けるなどしていたものであって、少なくとも、原告は、通常の患者に比べて、歯科治療(矯正歯科)に対して相当程度の知識を有していたものと考えられることに加え、前記認定のとおり、原告は、平成元年八月二〇日に被告米澤のもとを初めて訪れた際、同被告が子供の矯正治療だけでなく、成人の矯正治療を行っているかを自ら確認していたものであり、このことは、既に、同時点において、原告が成人に対する矯正治療には前記のような特殊性があると考えていたことを強く推認させるものである。

そこで、以上によれば、成人に対する矯正治療が歯の傾斜を招来する高い危険性を有するものであるかはさておき、少なくとも、被告米澤が原告の歯の矯正治療を始めるにあたって、同被告がその説明義務を尽くさなかったが故に原告に精神的な損害が生じたと認めることはできない。

四1  次に、被告米澤による矯正治療の妥当性について検討する。

本件鑑定等によれば、被告米澤による本件の治療について、次の事実が認められる。

<1> 前記認定の矯正治療開始前の原告の歯、歯肉及び歯列等の状態を前提とした場合、咬合についての矯正治療を行うに先立ち、まず、下顎右側第一大臼歯の近心歯根尖部の病巣の治療を行い、かつ、歯肉腫脹を改善し、歯肉退縮の悪化を防ぐための歯周病治療をし、良好な口腔衛生状態を維持できるようにすることが必要であり、歯周病のコントロールが不十分であると、下顎右側第一大臼歯の近心歯根尖部において、急性逆行性根尖性歯根膜炎が引き起こされる可能性がある。

<2> 平成四年四月一一日(カルテでは、この日、下顎に保定装置が装着された旨の記載がなされている。)に採得された口腔模型によれば、その時点において、原告の下顎右側第二小臼歯の近心・舌側傾斜は被告米澤の矯正治療開始前に比べて改善されている。

矯正治療開始前に認められた下顎右側第一大臼歯の近心傾斜が矯正治療によりどの程度変化したかは判定し難いが、右治療後、同歯はより舌側に傾斜したと考えられ、この傾向は平成五年二月の時点でも変化がない。

<3> 下顎右側第一大臼歯の頬側歯頸部歯肉は、矯正治療開始前と比べて、さらに退縮し、歯根の露出面積が拡大している。

<4> 平成四年四月付けの口腔模型によれば、上下前歯の歯軸及び下顎前歯部の叢生は改善され、その結果、上下切歯の前後垂直の関係は改善し、上顎正中線の偏位は三・四ミリメートルから一ミリメートルに改善された。

<5> 平成四年四月付けの口腔模型によれば、下顎右側第一大臼歯の頬側咬頭頂は、上顎右側第一大臼歯の舌側咬頭頂と接触し、下顎右側第二小臼歯と上顎右側第二小臼歯は咬合していない。

<6> 平成五年二月四日付けの口腔内写真によれば、平成四年四月付けの口腔模型と比べ、

(あ)上顎右側第一大臼歯がわずかに舌側に傾斜もしくは転位している。

(い)下顎右側第一大臼歯の頬側咬頭頂が上顎右側第一大臼歯の舌側咬頭頂に接触していたのが、より緊密に咬合接触しるようになった印象を受ける。

(う)下顎右側第一大臼歯の著しい舌側傾斜は、引き続き認められる。

2  ところで、本件鑑定の結果によれば、下顎右側第一大臼歯の頬側歯頸部歯肉が矯正治療前と比べてより退縮し、歯根の露出面積が拡大した理由は不明であるが、同大臼歯が舌側に傾斜した理由としては、同歯の遠心辺縁が隣接する下顎右側第二大臼歯の近心辺縁隆線に対して、治療前には一ミリメートル高い位置にあったのが平成四年四月には二ミリメートルの高低差に拡大していること及び治療前は、下顎右側第一大臼歯の近心辺縁隆線が下顎右側第二小臼歯の遠心辺縁隆線と同じ高さにあったのが一・一ミリメートルの高位になっていることからして、下顎右側第一大臼歯は、矯正治療により挺出されたと考えるのが妥当である、本件の場合、矯正力を適用して下顎右側第一大臼歯を起こすことは可能であるが、その際のリスクを考慮したときには、再度の矯正治療の妥当性には疑問がある旨鑑定されており、また、書面による鑑定人尋問の結果によれば、下顎右側第一大臼歯が舌側に傾斜したことによる影響としては、<1>頬側歯根の露出面積が増加し、舌側部の歯磨きがしにくくなる、<2>舌側歯肉部が不潔になりやすい、<2>上顎の対合歯との咬合圧により、将来的に、下顎右側第一大臼歯がさらに舌側に傾斜する可能性が高まることが指摘されている。

3(一)  右のとおり、原告の下顎右側第二小臼歯については、被告米澤の矯正治療の結果、これが近心あるいは舌側に傾斜した事実はなく、むしろ、その傾向は改善されたものと認められるが、下顎右側第一大臼歯については近心側に傾斜した事実は認められないものの、矯正治療の開始前に比べて、同歯が舌側により傾斜し、この傾向は今後も継続する可能性が高いこと、そのため、同歯の舌側の歯磨きが難しくなり、結果的に寿命が短くなる蓋然性のあることがいずれも事実として認められる。

(二)  原告は、奥歯の傾斜のほかにも、被告米澤の矯正治療により、下顎右側第二小臼歯と同第一大臼歯の根分岐部の病変が悪化し、歯肉の退縮が拡大し、急性逆行性菌根部膜炎を惹起する危険が生じ、矯正後の噛み合わせも不正咬合となり、さらに、原告は顎関節炎に罹患したなどと主張する。

そして、本件鑑定等によれば、本件矯正治療の開始時点で、原告の下顎右側第一大臼歯の近心根の根尖部に病変が存在していたこと、歯周病のコントロールが不十分な場合、右根尖部において、急性逆行性根尖性歯根膜炎の引き起こされる可能性のあること、下顎右側第一大臼歯の頬側の歯肉が退縮したことがいずれも事実として認められる。

しかし、本件鑑定等、その他、本件における全証拠によっても、本件矯正治療の開始にあたり、原告の下顎右側第二小臼歯の根分岐部に病変が存在していた事実を認めることはできないし、被告米澤が矯正治療を施した結果として、下顎右側第一大臼歯の根尖部に存在していた病変が悪化し、歯肉が退縮し、急性逆行性根尖性歯根膜炎の引き起こされる可能性が生じ、あるいは、その可能性が高くなったなどという因果関係を認めることはできない。また、仮に、被告米澤が矯正治療を施すに先立って、原告の歯周病の治療等をなし、あるいはなさしめるべき義務を怠っていたとしても、右認定事実によれば、これによって原告に損害が発生した事実を認めることはできない。

さらに、平成八年七月一七日付の診断書(甲14)によれば、「MRI所見の結果、左側に開口時に復位を伴わない関節円板の前方転位が認められる」として、原告は顎関節症である旨診断されているが、右診断書は、被告米澤による矯正治療から三年半余りが経過した後のものであるうえ、仮に、原告が顎関節症に罹患していたとしても、これが被告米澤による矯正治療によってもたらされたものであるかは不明であり、結局、その間の因果関係を認めることはできない。

4  ところで、原告は、その勤務先である在日米軍基地内の歯科医院の上司から紹介されたというウィリアム・コクノワ作成の書簡(甲4の1)を証拠として提出している。

右書簡は、原告が送付した口腔内の部分的レントゲン、口内写真、歯形模型、正面・側面の頭部レントゲン、パノラマ式口内全景レントゲンをもとに、被告米澤の治療内容を検討したというもので、下顎には近心・舌側に傾いた複数の後部歯のあるスピーの湾曲があり、下顎右側大臼歯の根の先端部(近心頬側)は治療が必要である、矯正後の噛み合わせは不完全であって望ましいものではない、などと記載されている。

ところで、右書簡は、その内容が明確でない部分もあるが、その反訳書自体、原告本人が作成したものであって、その翻訳の正確性について被告米澤から疑義が述べられているものであること、その作成日は一九九五年(平成七年)一〇月二〇日であり、被告米澤によって現実に診療の行われた最後の日である平成五年二月七日から二年八か月余りを経た後のものであること、その間、原告は、神奈川歯科大学附属病院等で治療を受けていたこと、原告が送付したという歯形模型等が具体的にどのようなものであったのかが不明であることなどの諸点からすれば、右書簡に過大な信用性をおくことはできない。

したがって、右書簡のうち、本件鑑定等に反する部分については、これを採用しない。

5  以上によれば、被告米澤による本件矯正治療の結果、下顎右側第二小臼歯の近心・舌側への傾斜、下顎右側第一大臼歯の近心への傾斜、右両歯の根分岐部病変の悪化、同第一大臼歯の歯肉の退縮、顎関節症が招来された事実はいずれも認めることはできないが、本件矯正治療の結果、原告の下顎右側第一大臼歯が舌側に傾斜し、同傾斜は今後も継続する可能性が高く、その結果、同歯の寿命が短くなり、同歯のみならず、その周辺の歯を含めて不正咬合となる蓋然性を認めることができる。

しかし、本件鑑定等によれば、矯正治療を施すにあたり、意図的に歯を舌側や近心に向けて傾斜させたり、治療の結果、予期せず歯が傾斜することは一般的に起こり得ることであり、ただ、予期しない歯の傾斜が生じた場合には、その都度、対策を立てて、当該歯の傾斜を修正すべきものと認められる。矯正治療の過程において、歯が傾斜したことのみをもって治療行為の過誤ということはできない。

したがって、被告米澤としては、原告の下顎右側第一大臼歯の舌側への傾斜を発見した時点において、固定式装置を使用するなどして、同歯の位置を矯正し、あるいは、矯正治療のリスクが高い場合には、他の代替的な治療方法を選択すべきこととなる。

6  ところで、証拠(原告本人尋問の結果(但し、左記認定事実に反する部分は除く。)及び被告米澤本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告米澤が矯正治療を行うにあたり、度々、その施術内容に異議を述べ、治療方法について具体的に指示するなどしていたこと、原告は、被告米澤に転院の希望を述べて、一旦は、同被告との間の治療契約を精算する合意のもとに本件大学病院で治療を受けようとしたり、神奈川大学附属病院で治療を受けるなどしていたこと、被告米澤が原告に告げずに、奥歯(下顎右側第一大臼歯等)の矯正治療を施していたのを見とがめ、原告は奥歯には手を着けないように強く指示し、被告米澤が奥歯の矯正治療が必要であると説得しても、これに従おうとはしなかったこと、かかる原告の指示により、平成四年一月には、被告米澤は原告の上顎の矯正装置を除去し、同年四月には下顎奥歯のボンディングも除去するに至ったこと、その後に施された治療も、かかる経緯から暫定的なものにとどまらざるを得なかったことが、いずれも事実として認められる。

7  そこで、以上の事実を総合すると、被告米澤による本件矯正治療の結果、原告の下顎右側第一大臼歯が舌側に傾斜した事実が認められるものの、原告は、被告米澤が同歯の矯正治療が必要であることを説明した上で、その施術をしようとしたのに対してこれを拒否し、右治療を受ける機会を自ら逸したものというべきである。

従って、原告の下顎右側第一大臼歯が舌側に傾斜した結果、同歯の寿命が短くなり、不正咬合となる可能性が生じたとしても、この点について、被告米澤には診療契約の不履行は認められない。

五  以上によれば、原告の被告米澤に対する本訴請求には理由がない。

第二被告矢野について

一  請求原因2のうち、歯科医師は、歯科医師法第一九条により、診療治療の求めがあった場合には正当な理由なくこれを拒んではならないこと、平成元年一〇月ころ、原告が被告矢野の経営する高橋矯正歯科診療所に来院した事実、平成四年四月一日、原告が被告矢野の診療を求めた事実、平成五年一二月一〇日ころには電話で、同月一八日ころには右診療所において、原告が被告矢野に対し、その臼歯が舌側へ倒れているので直してほしい旨依頼した事実、平成六年九月一七日、原告が被告矢野に対し、電話でリテイナーの作成を依頼した事実は、原告及び被告矢野間に争いがない。

二  証拠(乙3、丙1)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  平成元年一〇月一四日、本件大学病院で高橋矯正歯科診療所を紹介された原告は、同診療所に赴き、被告矢野に対して、矯正治療をするように求めたが、原告は土曜日しか通院できないとのことであったため、被告矢野は、原告の勤務先に近い矯正歯科に通院してはどうかと勧めて、神奈川歯科大学の矯正科を紹介した。

しかし、原告は、その後も、神奈川歯科大学附属病院での治療が気に入らない、被告米澤が院長をつとめるアリス矯正歯科で治療を受けたが、出来映えが気に入らないなどといって、被告矢野に治療をするように求め、平成四年四月二五日には、本件大学病院から紹介されたのに、どうしてお前のところでは治療をしないのかなどといって、それまでの料金の返金を強く要求したため、やむを得ず、被告矢野(高橋矯正歯科診療所)は二万七八一〇円を返金するなどした。

2  しかし、その後も、原告は、偽名を使って被告矢野宛に電話を架け、あるいは偽名を用いて新患を装い、高橋矯正歯科診療所を訪れて治療を迫るなどした。

3  平成六年九月一七日、原告は、被告米澤に対して、治療費の返金を求めて調停を起こしているので、被告矢野から同米澤に対して、返金するように話してほしい、よその矯正医が保定装置を作ってくれないので、被告矢野に作ってほしいなどと求めたが、同被告は、被告米澤にそのような話をすることはできないし、保定装置も責任がもてないので作るのは難しい旨回答した。

三  原告は、被告矢野が正当な理由なく診療を拒んだと主張するが、右認定事実によれば、同被告が原告から診療を求められた際、原告は被告米澤あるいは神奈川歯科大学で治療を受けていたものであって、被告矢野が、第一義的に原告の矯正治療を右各医療機関に委ねようとしたとしても、そのことが不法行為を構成するとは到底言い難いところであり、また、原告は、その後、被告矢野に対して診察料の返金を強く要求し、あるいは、被告米澤に対して返金するように説得してほしいなどと、いわば無理難題を持ちかけるなどしていたものであり、その時点で、原告と被告矢野の間の信頼関係は既に失われていたものということができる。

かかる状態にあった被告矢野が原告の治療の要求を拒み、実際に治療していないのに保定装置を作成することはできないと回答したことはやむを得ないことであったというべきである。原告としても、被告矢野の治療を受ける以外に、診療を受けることができないといった特段の事情も認められない。

さらに、原告は、平成四年四月二五日に高橋矯正歯科診療所を訪れた際、被告矢野が若い医師をして原告を無理矢理、同診療所から引きずり出すという暴力行為を犯したなどと主張するが、本件における全証拠を総合しても、右事実を認めることはできない。

四  以上によれば、被告矢野について、不法行為が成立しないことは明らかであり、原告の同被告に対する本訴請求には理由がない。

第三被告栗原、同黒田、同大山について

一1  請求原因3のうち、平成三年六月、原告が被告米澤の矯正処理の不満を訴え、本件大学病院の歯科医師であった被告栗原に対して診療を求めた事実、そのころ、原告が被告栗原に対して、原告を高橋矯正歯科診療所(被告矢野)に紹介した医師の名前を尋ねた事実、平成五年四月ころ、被告栗原が同大山らの指示により、原告についての再矯正が可能かどうかをレントゲン・歯型をみて検討することとなった事実は、原告及び被告栗原間に争いがない。

2  請求原因4のうち、歯科医師は、歯科医師法第一九条により診療治療の求めがあった場合には正当な理由なくこれを拒んではならないことは、原告及び被告黒田間に争いがない。

3  請求原因5のうち、被告大山は、平成五年四月当時、本件大学病院の院長の職にあり、同病院の運営全般に亘り、これが適切に行われるよう指導監督すべき立場にあった事実、同年四月ころから平成五年九月ころまでの間、原告から電話で数回、手紙により二・三回、口頭で三回位、患者からの苦情を無視しないでほしいとの申し入れを受けた事実は、原告及び被告大山間に争いがない。

二  証拠(甲1、丙1ないし4)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  平成元年九月三〇日、被告米澤のもとで矯正治療を受けるか決めていなかった原告は、本件大学病院で担当医の診察を受け、同人から、高橋矯正歯科診療所を紹介された。

2  同年九月三〇日、同年一〇月二六日、平成二年三月三日、同年三月三一日、同年六月二八日に、原告はそれぞれ本件大学病院を訪れた。

3  平成三年六月二八日、当時、本件大学病院に勤務していた被告栗原は原告を初めて診察したが、原告が被告米澤によって治療を受けているとのことであったため、その日は問診のみを行った。

その際、被告栗原は、原告から平成元年九月三〇日に高橋矯正歯科診療所を紹介した医師の名前を聞かれたが、同被告は、当該担当医の名前を知らなかったため、原告に教えることはしなかった。

4  平成三年一〇月二三日、東京医科歯科大学の教授である被告黒田は原告を診察したが、被告米澤の行っていた矯正治療自体、別段異論を差し挟むものではなく、矯正治療だけで、これ以上の治療方針を立てることも難しい状態であったため、現在の治療方針を継続してはどうかと原告に説明した。

5  平成四年一一月一一日に、被告黒田は原告を診察し、これ以上の咬合の改善はリスクが伴い、以降は、補綴的な処置に委ねるのが妥当であると判断して、その旨を原告に説明した。

6  平成五年一月一八日、被告黒田は、再度原告を診察したが、これ以上の矯正治療の継続は無理であるとの結果を得たため、同年七月一三日、同被告及び被告栗原らは原告に対し、他の歯科的措置として補綴治療を受けることを勧めた。

7  その後も、原告は、本件大学病院に電話を架けて高圧的な態度をとるなどしたため、被告大山、同黒田、同栗原らは、原告についてなし得る歯科的治療方法について検討した結果、これ以上の矯正治療は妥当ではなく、補綴治療が相当であるとの結果に達したため、その旨を原告に伝えた。

三  以上によれば、被告栗原、同黒田及び同大山は、歯科医師として、原告の申し出に応じて、適切に対応していたものであって、右被告らが正当な理由なく治療を拒否し、あるいは適切な治療や指導を行わなかった事実は認めることができない。

また、平成三年六月二八日に、被告栗原が原告から平成元年九月三〇日に高橋矯正歯科診療所を紹介した医師の名前を尋ねられた事実は認められるものの、被告栗原には、原告の右質問に答える法律上の義務がないことはもとより、そもそも、同被告が意図的に高橋矯正歯科診療所を紹介した担当医の名前を秘匿し、あるいは看護婦らに口止めをしたとの事実を認めることはできないし、被告栗原、同黒田、同大山が原告の再矯正治療の可能性を検討した結果を原告に伝えずに放置した事実も認めることができない。

さらに、原告は、平成六年九月ころ、被告大山によって、原告の鞄を破損されたなどと主張するが、本件全証拠によっても、このような事実を認めることはできない。

四  以上によれば、原告の被告栗原、同黒田及び同大山に対する本訴請求はいずれも理由がない。

(裁判官 高宮健二)

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