東京地方裁判所 平成7年(合わ)116号 判決 1995年11月13日
主文
被告人を懲役一二年に処する。
未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。
押収してある牛刀一丁(平成七年押第一〇九四号の1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、暴力団五代目甲野組直系乙山組(以下「乙山組」という)の準構成員であったものであるが、
第一 乙山組若頭のAことBから宗教法人オウム真理教の教団幹部の殺害を指令され、今後やくざとして生きていく以上これを拒むことはできないと考えてこれに従うこととし、Bと共謀の上、自ら、平成七年四月二三日午後八時三六分ころ、教団東京総本部のある東京都港区《番地略》所在の丙川ビルの出入口付近において、教団幹部C(当時三六歳)に対し、殺意をもって、所携の牛刀(平成七年押第一〇九四号の1)でその腹部等を突き刺し、腹部臓器損傷を伴う右側腹部刺切創等の傷害を負わせ、翌二四日午前二時三三分ころ、同都渋谷区恵比寿二丁目三四番一〇号都立広尾病院において、右刺切創に基づく失血のため同人を死亡させて殺害し
第二 業務その他正当な理由による場合でないのに、同月二三日午後八時三六分ころ、右丙川ビル出入口付近において、刃体の長さが約二一・四センチメートルの右牛刀一丁を携帯し
たものである。
(証拠の標目)《略》
(法令の適用)
〔注・本欄において、「刑法」は、平成七年法律第九一号による改正前のものを指す。〕
被告人の判示第一の所為は刑法六〇条、一九九条に、判示第二の所為は平成七年法律第八九号による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法三二条三号、二二条にそれぞれ該当するところ、各所定刑中判示第一の罪については有期懲役刑を、判示第二の罪については懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、押収してある牛刀一丁(平成七年押第一〇九四号の1)は、判示第一の殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収することとする。
(量刑の理由)
一 はじめに
本件犯行の背後関係は未だ解明し尽くされてはおらず、不透明な点が残されているといわざるを得ないが、本件公判においては、検察官、弁護人とも、被告人が供述するとおり、被告人に直接犯行を指令した者はBであると主張しており、この点は全く争いがないところである。Bの供述は証拠として提出されてはいないが、同人は本件への関与を否定しているものと窺われ、被告人の供述にも若干不自然さを感じさせる部分もないではない。しかし、被告人が殺害の実行犯人であることは明々白々であって、その背後関係如何はその罪責にさほどの影響を及ぼすものではないし、本件で提出された全証拠を検討しても、被告人の供述の信用性を疑わしいとすべきほどの理由も見当たらないので、共犯者や犯行動機等については、被告人の供述するところに従って、その犯情等を考察することとする。
二 犯行に至る経緯・動機について
被告人は、在日韓国人夫妻の子(在日三世)として群馬県で生まれ、東京都足立区で生育し、都立工業高校中退後、解体業手伝い、広告業の会社勤務等を経て、平成元年一二月イベントの企画実施等を目的とする株式会社の代表取締役に就任したが、平成四年一〇月ころ同社が事実上倒産し、その後自暴自棄になり、さしたる仕事もせず、幼ななじみの友人で乙山組組員であったDことEとの親交を深めるうち、平成六年五月ころ自分も同組組員になろうと考えるに至り、同年七月ころからは、三重県伊勢市にある組事務所にも度々出向いて電話番や雑用を務め、若頭のB組長、組員らの面識を得たほか、東京では同組幹部(東京責任者)であるFことGの宅配ヘルスなる仕事等の手伝いをしたり、前記E方に同居したりするようになり、正式な組員ではないものの組の一員であるとの意識を持って行動する準構成員というべき存在となった。
ところで、平成七年三月二〇日東京都内の地下鉄線車両内等に毒ガス(サリン)が散布されて多数の死傷者が出たいわゆる「地下鉄サリン事件」が発生し、まもなく同事件と宗教法人オウム真理教(以下「教団」又は「オウム教団」という)との関係や教団に関する重大な疑惑がテレビ等で大々的に取沙汰されるようになり、これに対し教団側は、教団幹部のH、I、C(被害者)らを頻繁にテレビ出演させるなどして弁明に務めていた。このような最中の同年四月二〇日ころ、被告人は、上京したBに呼び出され、組のために教団幹部を殺害するようにとの指令を受けた。被告人は今後やくざとして生きていこうと思い定めており、そのためにはこの指令を拒むことはできないと考えて、これを実行することを承諾した。
その後、被告人は、Bと連絡を取りつつ、その指示に従い右指令を実行に移すため、凶器として鋭利な牛刀一丁を購入し、これをアタッシュケース内に入れるなどの準備をして、同月二三日午前一一時ころ前記丙川ビルに赴いた。同ビル出入口付近は多数の報道関係者で混雑していたが、被告人は野次馬の見物人を装い、教団幹部殺害の好機を狙って待機していた。同日午後二時五〇分ころまでに、教団幹部のH及びIが報道関係者や教団関係の護衛らに取り囲まれながら同ビルに入ったり、同ビルから出て立ち去ったりしたが、被告人はこれらの際には襲撃に踏み切る機会を見付けることができなかった。被告人はその後も引き続き同様に待機し続けていたところ、同日午後八時三〇分ころ被害者が同ビル一階入口方向に向かって報道陣等に囲まれながら歩いて来るのを発見した。そこで、被告人は同ビル出入口前に回り込んで待機し、被害者が近付いて来たところで、判示のとおりの殺人等の犯行に及んだものである。
三 殺意の程度について
被告人は、当公判廷において「犯行当時は、無我夢中であり刺し殺してやろうとの明確な認識はなかった」旨供述するので、被告人の殺意の程度について検討する。
前掲の関係証拠によれば、被告人は、殺害指令を受けた後、その実現に向けて犯行場所とする予定の丙川ビル付近の下見をしたり、刃体の長さが約二一センチメートルもある極めて鋭利な牛刀を購入するなどの準備を整えていること、犯行当日は、報道陣で混雑を極める現場で実行の機会を窺い長時間辛抱強く待機し続けた上、好機到来とみるや躊躇することなく被害者に襲い掛かったこと、被害者の身体枢要部である腹部を目掛けて三回力任せに牛刀の刺突行為を繰り返したこと、最後の一突きが腹部に深く突き刺さり、内蔵を著しく損傷し、被害者は最早ほとんど手の施しようのないまま、わずか六時間足らずのうちに大量出血の末死亡するに至ったことなどが認められる。以上の事実に照らせば、被告人が並々ならぬ決意の下に殺害指令を実行に移したものであることは明白であって、たとえ犯行に踏み切る以前の段階で被害者の死亡という結果までは発生しない方がよいなどという想いが脳裏に去来していたとしても、犯行当時には被告人の被害者殺害の意図があったものと優に推認することができる。したがって、被告人は確定的殺意をもって本件犯行に及んだものと認められる。
四 情状全般について
本件は、暴力団の準構成員であった被告人が、暴力団幹部の殺害指令に基づいて、オウム教団幹部であった被害者を牛刀で刺殺したという凶悪事犯である。
被告人は、暴力団幹部からオウム教団幹部殺害の指令を受け、内心ではいったん躊躇したものの、やくざとして生きていく以上拒絶はできないなどと考えて、すぐに右指令の実行を決意したものであって、このような極めて自己中心的かつ反社会的な「暴力団組織の論理」に基づく動機には些かも酌量の余地がない。たとえ、被告人が本件の首謀者ではなく、指令者からわずか数万円を貰ったのみで、多額の報酬等の約束があったわけでもないなどの事情があるとしても、殺人の実行者としての厳しい非難は免れ得ないところである。
被害者は、教団の中では最も有力な幹部の一人であって、地下鉄サリン事件等の未曽有の重大犯罪に深く関与しているのではないかと強く疑われていたものであるが、そのような被害者であっても、その重大な疑惑の故に、法の裁きによらず、弁明の機会も与えられないまま、本件の如き理不尽な暴漢の所業によって生命を奪われてよいとすべき道理はないのであって、被害者の遺族らの哀しみも考慮されるべきである。また、被告人としても、このような所業が右疑惑の解明を妨害するという結果を招来することは容易に予見し得たはずであり、この点も無視することはできない。
さらに、本件犯行は、多数の報道関係者が参集し、現場の模様がテレビ中継されているという衆人環視の中で敢行されている。このような状況下で凶器による殺人という重大犯罪を完遂した被告人の非情、冷徹、犯意の強固さには、心胆を寒からしめるものがあり、そこには人間の生命の尊さに対する畏敬の念など微塵も感じられない。また、本件犯行は法秩序に対する公然たる挑戦行為であり、その残忍な犯行場面が直ちに生々しくテレビ放映されたことにより、一般市民に大きな衝撃を与えたものであり、その社会的影響にはまことに憂慮すべきものがある。
以上のとおり、本件犯行は、その動機に酌量の余地がなく、態様は悪質で、結果も深刻であって、被告人の刑事責任は重大であるというほかない。
したがって、被告人は、起訴前の取調べでは右翼を名乗り、義憤に駆られた犯行であるように装っていたが、起訴後の背後関係についての取調べにも進んで応じ、それまで秘匿していた共犯者に関する詳細な供述をするに至っている上、今後は暴力団と絶縁する旨誓うなど反省悔悟の情を示していること、被害者の遺族に対し格別慰藉の措置を講じてはいないものの、被害者の両親の悲しみにも想いを致していること、被告人には少年時代の非行歴はあるが、前科はないこと、家族や友人が被告人の更生につき尽力する旨述べていること、その他被告人の年齢等被告人のために酌むべき一切の情状を十分考慮しても、主文の刑が相当と思料される。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役一五年・没収)
(裁判長裁判官 安廣文夫 裁判官 大谷吉史 裁判官 平木正洋)