東京地方裁判所 平成7年(行ウ)109号 判決
原告 土屋敏夫
右訴訟代理人弁護士 黒岩容子
被告 地方公務員災害補償基金東京都支部長 石原慎太郎
右訴訟代理人弁護士 大山英雄
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が、地方公務員災害補償法に基づく原告の補償の請求に対して平成二年一月一一日付けでした、土屋祐子の昭和六三年九月六日の災害(死亡)を公務外の災害であると認定した処分はこれを取り消す。
第二事案の概要
本件は、高輸消防署に事務主事として勤務し、ワープロ浄書、共助会、消防協会、互助会、物資図書あっせん、職員信用組合に関する事務等に従事していた土屋祐子が致死的不整脈(心室細動)により突然死した(当三〇年)ため、この突然死が過重な公務によるものか否か(公務起因性の有無)が争われた事案である。
一 争いのない事実等(証拠に基づき認定した事実を含み、認定の根拠とした証拠を掲げる。争いのない事実については一々断らない。なお、参照の便宜のため争いのない事実でも証拠を掲げることがある。)
1 土屋祐子、原告及び両名の子
土屋祐子は昭和三二年九月八日に生まれ、後記のとおり昭和六三年九月六日に死亡した。
原告は、土屋祐子の夫である。原告と土屋祐子とは、昭和五二年六月二一日に婚姻し、昭和五三年一月二七日に長女亜由美、昭和五五年二月六日に長男洋介及び昭和六〇年一一月一一日に二男光平が出生した。
(原告本人平成九年一一月一八日付け本人調書一項)
2 土屋祐子の従事していた公務
土屋祐子は、昭和五一年九月六日付けで東京消防庁に事務主事として採用され、同日付けで東調布消防署総務課管理係に配属された。昭和五六年四月一日付けで高輪消防署に異動を命じられ、総務課管理係に配属され、庶務・福利厚生事務として、ワープロ浄書事務、共助会、東京消防協会、互助組合、物資図書あっせん及び職員信用組合に関する各事務、接遇、湯茶接待等の事務に従事していた。
土屋祐子は、同僚中野宏子主事(以下「中野主事」という。)が産前産後休暇を取得した等の事情により、昭和六三年三月一四日から同年三月三一日まで及び同年七月一八日から同年七月末日ころまでの間、従前二人で行っていた職務を一人で遂行した。
3 土屋祐子の死亡
土屋祐子は、昭和六三年九月六日、午前八時二〇分ころ高輪消防署に出勤し、午後〇時五分ころまで総務課管理係で公務に従事した後、昼食、友人宅訪問及び金融機関で送金手続を行うため外出したが、午後〇時一〇分ころ東京都港区白金二丁目四番地先の路上で倒れて意識不明となり、救急車で東京都立広尾病院に搬送され、同日午後二時二二分死亡した(以下土屋祐子の死亡を「本件災害」という。)。
4 公務外認定処分
原告は、被告に対し、地方公務員災害補償法四五条に基づき平成元年三月一一日付けで公務災害の認定請求をしたが、被告は、平成二年一月一一日付けで本件災害を公務外の災害であると認定した(以下「本件処分」という。)。([参照]甲第一号証、乙第一号証の一)
5 審査請求及び再審査請求並びにこれらに対する各裁決
(一) 原告は、平成二年三月一九日、地方公務員災害補償基金東京支部審査会に対して本件処分に対する審査請求をした。地方公務員災害補償基金東京支部審査会は、平成五年一〇月二八日、審査請求を棄却するとの裁決をした。
([参照]甲第二号証、第七号証)
(二) 原告は、平成五年一二月一日付けで地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査請求をした。地方公務員災害補償基金審査会は、平成六年一〇月一九日、再審査請求を棄却するとの裁決をした。原告は、平成七年三月九日、右裁決の送達を受けた。
([参照]甲第八号証、第一〇号証)
二 争点
公務起因性の有無
第三争点に関する当事者の主張
一 原告
1 公務起因性について
地方公務員が「公務上」負傷し又は疾病にかかったといえるためには、公務と災害との間に相当因果関係のあることが必要と解されている。
この相当因果関係の有無は因果関係を肯定し補償を与えるべきか否かの法的判断であるが、その法的判断の前提として、まず、公務と災害との間に自然的事実的意味での条件関係が必要である。この条件関係とは、公務がなければ災害が生じなかったという関係があること、すなわち疾病等の発生原因となった基礎疾病や素因など他の諸条件を前提として、それに公務が加わったことが結果発生に有意に寄与したことが必要であり、それをもって足りる。
条件関係の存在を前提とした上で、公務がその疾病等発生の危険を含むものと評価できる場合には相当因果関係が認められる。地方公務員災害補償制度は、公務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に、それによって地方公務員に発生した損失を補償する制度だからである。したがって、他に疾病等発生の原因(例えば基礎疾病や素因)があったとしても、公務に内在又は随伴する危険が現実化したといえる場合には、相当因果関係が肯定される。
公務が疾病等発生の最も有力な原因であること又は他の原因と比較して相対的に有力な原因であることは要件ではない。
問題は、どのような場合に公務に内在又は随伴する危険が現実化したといえるかであるが、健常者のみが公務員としての適格性を有するものではない。したがって、基礎疾病や素因を有する者、また、心身が万全でなくとも勤務の軽減を要せず、通常の勤務に一応就き得る者にとって、その健康状態・基礎疾病を有意に悪化させる可能性のある公務は災害発生の危険を内在又は随伴するものであり、そのような公務に就いたことにより基礎疾病が有意に悪化した場合には相当因果関係が肯定されなければならない。また、客観的には勤務軽減が必要な者であっても、諸般の事情から軽減等の措置をとることが困難な状況下で公務に就かざるを得ず、それにより疾病等が発生した場合にも、相当因果関係は肯定されるべきである。
2 土屋祐子の致死的不整脈(心室細動)による死亡の原因について
岡田了三順天堂大学医学部名誉教授が土屋祐子の病理診断用の組織標本について行った病理学的診断により、土屋祐子は、死亡前の数箇月間にわたる強い精神的ストレスのために数回にわたって不整脈が発症し、遂に致死的不整脈(心室細動)によって死亡したことが明らかになった。岡田了三は土屋祐子の従事していた公務の内容や実態を把握していないため公務起因性に直接は言及していないが、土屋祐子の就労実態を見れば死亡前の数箇月間にわたる強い精神的ストレスとは正に公務によるものと考えるのが相当である。
3 土屋祐子が従事した公務の過重性について
(一) 土屋祐子が従事していた職務は、煩雑で段階を追っていくつもの手順を踏まなければならないものである上、内容が細かで多岐にわたっており、土屋祐子はいくつも並行してこれらの職務を行わなければならず、作業の途中で他の職務を行うために中断しなければならないことが少なくなかった。また、金銭を取り扱う作業が多く、金銭の管理や信用組合及び職員との受渡しに間違いがないよう正確を期さなければならず、特に神経を使う作業であった。さらに、土屋祐子には裁量がなく、設定された期限に間に合わせなければならないことが多かった。土屋祐子は、同僚の中野主事と二人で分担しながらこれらの職務を遂行していた。
(二)(1) ところが、土屋祐子は、昭和六三年三月から同年九月の死亡に至るまで、職場で普通ではない事態が次々と発生し、それまで経験していなかったような多大なストレスを受けた。
(2) 土屋祐子は、次のとおり昭和六三年三月一四日から同年三月三一日まで及び同年七月一八日から同年七月末日ころまでの間、従前二人で行っていた職務を一人で遂行した。
まず、中野主事は、妊娠のため昭和六二年一〇月ころから朝夕各三〇分の勤務時間短縮となり、昭和六三年三月一四日からは産前休暇に入り、同年七月二五日まで産前産後休暇を取得し、引き続き同年七月二六日から年次休暇を取得し、職場復帰は同年七月末ころとなった。そのため、土屋祐子はそれまでベテランの中野主事と二人で担当していた職務をいったん一人で引き受けなければならなかった。同年四月一日からは新たに配属されてきた高橋典子主事に一部を引き継いだが、具体的な作業を一緒に行いながら教えたり、作業の具体的な段取りを指示したりしなければならず、これによって新任者の教育・指導というストレスを重ねて負うこととなった。その上、高橋主事は既に退職を決めていて仕事を覚える意欲もあまりなく、その教育・指導は順調にはいかず、事実上は土屋祐子が二人分の職務を担当しなければならなかった。高橋主事は同年七月一七日から休暇を取り、同年七月三一日付けで退職してしまった。
同年七月一八日から同年七月二五日までは、高橋主事が退職し中野主事は体調不良で職場復帰が延びたため、土屋祐子は再び一人で二人分の職務を担当した。中野主事は、同年八月初旬から出勤したが、育児時間を取得し、朝三〇分、夕方一時間の勤務時間短縮となり、また、体調も戻っておらず、無理はできなかった。土屋祐子は中野主事を補助しかばいながら職務に従事した。
(3) 一方、高輪署では港南出張所新設という大掛かりな行事を抱えていた。同年八月二二日の港南出張所新庁舎落成、同年九月九日の港南出張所事務開始を山場として、高輪署員は同年六月九日の署長通達(「高輪消防署港南出張所新庁舎落成及び事務開始に係わる担当任務の指定について(通達)」、乙第四〇号証)発出のころから準備作業が忙しくなり、取り分け同年八月一二日の署長通達(「港南出張所新庁舎落成記念式典並びに同祝賀会の開催に伴う係員の指定について(通達)」、乙第二八号証の一九)発出後は各人他の署員に気を配る余裕もないほどの忙しさであった。土屋祐子も、昭和六三年八月一日付け人事異動文書のワープロ浄書をはじめとして主事としての恒常事務を実質的に二人分処理していた上に、港南出張所開設のためのワープロ浄書等の職務がこれに加わった。
右ワープロ浄書の職務は、同年八月二二日の港南出張所新庁舎落成記念式典及び同祝賀会関係の文書、同年九月九日の港南出張所事務開始に伴う人事異動関係の文書作成を内容としており、これらが土屋祐子に集中した。これらはかなりの残業をしなければこなせない作業量であったが、土屋祐子は残業することが難しいため所定労働時間内の労働密度をぎりぎりまで高めて処理した。そのため土屋祐子は心身の負荷が急増した。しかも、次のような事情から土屋祐子は一層大きな精神的ストレスを受けた。まず、右ワープロ浄書により作成する文書はその内容が簡単なものではなかった。人事異動辞令等の重要文書が多く、土屋祐子は誤りがないように緊張を強いられ、内容によっては担当主任の指示を仰ぎながら作成した。作成する文書は人名が多いため、土屋祐子は漢字変換及び点検に時間と手間を要し、神経を使った。また、土屋祐子は、使用したワープロ機について何ら教育訓練を受けておらず、込み入った操作、やや高度な操作となると不得手であったが、実際の作業は技術を要するものが多く、土屋祐子はかなり苦心して作成していた。さらに、ワープロ浄書作業は期限を切られたりして常に切迫していた。高輪署にはワープロ機が一台しかなかったため、土屋祐子は浄書作業に必要な時間を確保することに苦労し、苛立った。
(4) 土屋祐子は、以上のように主事としての恒常事務を実質的に二人分処理していた上に、港南出張所開設に間に合わせなければならないという切迫した状況の中で内容等から見て緊張度の高いワープロ浄書の職務をも遂行していたのであり、いくつも並行してこれらの職務を行わなければならず、作業の途中で他の職務を行うために中断しなければならないことが少なくなかった。その結果、土屋祐子は過重な公務による過大な精神的ストレスに襲われていた。それがカテコラミンによる心筋の傷害を招き、数回の不整脈の発症を経て致死的不整脈の発症、死亡へ導いた。
4 被告の主張に対する反論
(一) 被告は、土屋祐子の時間外勤務の少ないことや夏季職務専念義務免除を取得していることを理由に公務が過重ではなかったと主張するが、土屋祐子は時間外勤務ができないため精神的負担はかえって大きかった。また、土屋祐子は夏季職務専念義務免除を取得したが、重い不整脈が繰り返されて線維症や心筋の配列の乱れが生じているような場合には、最後の段階で休養を取ったとしても心筋細胞は生き返らず、再生はしないから、よくはならない。夏季職務専念義務免除の取得は公務と死亡との因果関係を否定するものではない。
(二) 被告は、土屋祐子が死亡日ないしその前日に従事した公務が特に過重でなかったと主張するが、土屋祐子が死亡した昭和六三年九月六日は同月九日の港南出張所の事務開始を三日後に控え、準備作業のピークであったから、土屋祐子が被っていた精神的ストレスは大変大きかった。また、仮に、土屋祐子の致死的不整脈が簡単なものが引き金になっていたとしても、そのような簡単なものが致死的不整脈を発症させるような状態に土屋祐子を至らしめたのは公務による精神的ストレスであるから、公務と死亡との間に条件関係及び相当因果関係が成立している。
(三) 被告は、土屋祐子の精神的ストレスは公務外の私的な原因によるものと主張するが、土屋祐子が子宮筋腫が判明しガン検査を受けていたことや、一日三本ないし四本の喫煙、飲酒少々では不整脈は発症しない。また、土屋祐子は転居し通勤時間が延びたが、当時三〇歳という若さで順応性を十分に持っていたし、公務による精神的ストレスが大きかったことを考えれば、公務による精神的ストレスではなく通勤によるストレスが原因で不整脈を発症したとは到底考えられない。
二 被告
1 公務起因性について
公務起因性は、これを公務と災害との間に条件関係があれば足りると解すれば、その外延が広がりすぎて公務上外を区別する合理的な基準といえない。公務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に公務起因性を肯定すべきである。しかし、公務遂行による疲労の程度、殊に継続的な負荷によるそれを計量することは不可能に近いから、公務遂行による疲労の程度によって公務起因性の有無を決することはできない。
したがって、公務起因性は、一定の明確な時間的幅の中で発生した具体的な出来事によって災害が発生したものと認められる場合にこれを肯定することを原則とする。さらに、医学的知見に基づいて特定の疾患が公務上の疾病として法定又は指定され、これによって右の場合に当てはまらなくても公務起因性を肯定すべき場合が明らかにされている。しかし、これらの場合に該当しなくても、「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病」に該当すれば、公務起因性を肯定することになる。その判断基準としては、災害の原因又は条件のうち、公務が相対的に有力な原因であることを要し、かつ、それで足りるものと解するべきである。「あの公務に従事していなければ、この災害は生じなかったであろう」と認められ、かつ、「あのような公務に従事していたならば、このような災害が発生するであろう」と認められる場合に公務起因性があるということになる。仮に公務が災害の誘因となったとしても、主因として症状が相当に進行した心疾患があり、これが職員の素因、基礎疾患と認められる場合には、この心疾患が公務により自然的経過を超えて発症し、又は明らかに増悪したとは認められないときは、公務が相対的に有力な原因とは認められないことになる。
実務処理上は次の認定基準に該当するかどうかによることになる。
(1) 次に掲げる公務による明らかな過重負荷を発症前に受けたこと
<1> 公務につき発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと
<2> 日常の公務に比較して精神的、身体的に特に過重な公務に就いたこと
(2) 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること
(3) 被災職員に当該疾病にかかわる素因又は基礎的疾患があるときは、医学経験則上、当該疾病が公務による過重負荷のために自然的発症又は自然的増悪に比して著しく発症の時期が早まり、又は急速に増悪したものであること
2 土屋祐子の致死的不整脈(心室細動)による死亡の原因について
土屋祐子は、左心室筋の壁内細小動脈に内膜肥厚が認められ、この壁内細小動脈内膜肥厚という微小血管反応の異常による無症候性心筋虚血のため心室細動が起こったものと推認することができる。土屋祐子のように三〇歳の女性が心筋虚血から心室細動が起こって突然死することは極めてまれである。
土屋祐子の致死的不整脈(心室細動)の成因については鑑定意見を述べている専門家の意見は一致していないが、公務災害か否かの観点からは、仕事が過重であったために土屋祐子の基礎疾患が自然的経過を超えて発症又は増悪したのか否かが問題となる。
3 土屋祐子が従事した公務の過重性について
(一) 土屋祐子の場合は、認定基準に照らし発症前二四時間以内、一週間以内の公務を見ても、発症に直接関与したものがあるとはいえないし、これを三箇月前(昭和六三年六月一日)にさかのぼって見ても、被災職員の日常の公務に比較して特に精神的・身体的に過重な公務であったとは認められない。
(二)(1) 原告の主張3(二)(1) の事実のうち、土屋祐子が公務によりそれまで経験していなかったような多大なストレスを受けたことは否認する。
(2) 原告の主張3(二)(2) の事実のうち、土屋祐子が高橋典子主事に具体的な作業を一緒に行いながら教えたり、作業の具体的な段取りを指示したりしなければならなかったこと、土屋祐子がこれによって新任者の教育・指導というストレスを重ねて負うこととなったこと、事実上は土屋祐子が二人分の職務を担当しなければならなかったこと、以上の事実は否認する。高橋主事が既に退職を決めていて仕事を覚える意欲もあまりなかったこと、土屋祐子が昭和六三年八月初旬から出勤した中野主事を補助しかばいながら職務に従事したことは知らない。その余の事実(同年三月一四日から同年三月三一日まで及び同年七月一八日から同年七月末日ころまでの間、土屋祐子が従前二人で行っていた職務を一人で遂行した事実等)は認める。
(3) 原告の主張3(二)(3) の事実のうち、高輪署で港南出張所新設という行事があったこと、昭和六三年八月二二日に新庁舎が落成し、同年九月九日に事務を開始したこと、港南出張所開設のためのワープロ浄書等の職務があり、土屋祐子がこれにほぼ毎日従事していたことは認め、港南出張所新設の準備作業のため署員が多忙を極め、他の署員に気を配る余裕もないほどであったこと、右ワープロ浄書等の職務が土屋祐子に集中し、中野主事出勤後も土屋祐子の職務が過重であったこと、右ワープロ浄書等の職務が特に緊張や集中を要し、その心身の負荷が極めて大きかったこと、以上の事実は否認する。その余の事実は知らない。
(4) 原告の主張3(二)(4) の事実のうち、土屋祐子が中野主事の職場復帰後も主事としての恒常事務を実質的に二人分処理していたこと、土屋祐子が従事していたワープロ浄書の職務が内容等から見て緊張度の高いものであったこと、土屋祐子が過重な公務による過大な精神的ストレスに襲われ、それがカテコラミンによる心筋の傷害を招き、数回の不整脈の発症を経て致死的不整脈の発症、死亡へ導いたこと、以上の事実は否認する。
(三)(1) 消防署は二四時間の勤務体制が敷かれており、午後五時以降については総務課管理係の職務を担当する職員がおり、土屋祐子が終わらなかったワープロ浄書等の作業を引き継いだり、代わりに行ったこともあり、港南出張所新設に係るワープロ浄書等の職務が土屋祐子に集中したということはない。昭和六三年八月に土屋祐子がワープロ浄書事務に従事した時間数は、一一日間、延べ四〇時間四〇分(一日平均三時間四一分)であって、一日平均でいえば同年六月に比べて一〇分及び同年七月に比べて二六分多いだけである。
同年八月二二日の港南出張所新庁舎落成記念式典及び同祝賀会関係の文書は、「高輪消防署港南出張所落成式・祝賀会について」と題する書面(乙第二八号証の二ないし同号証の一九)である。全部でB4判二七枚あるが、仮に土屋祐子がこの文書全部についてワープロ浄書を行ったとしても、原稿が出来上がる都度相当の日数をかけて順次作成したものであり、全部で約一箇月かけて作成したものであるから、過重な事務ではなかった。また、どの文書も活字は大きく、各頁の字数は多くない。図は、他の職員が手書きし、あるいは既存のパンフレットの図面を切り貼りし、土屋祐子がワープロで作成した文字を切り貼りして作ったものである。
同年九月九日の港南出張所事務開始に伴う人事異動関係の文書を対象とするワープロ浄書は同年八月二二日の港南出張所新庁舎落成記念式典以後に行われた。辞令書の様式はフロッピーに入力されており、それに日付、職名、氏名を補充していく作業で、ワープロで浄書する字数は少なく、辞令書の枚数も三九名分だけである。期間的にも、時間的にも厳しい作業ではなかった。土屋祐子は死亡当日職員配置表の補正を行っていたが、これもフロッピーに入力されていた既存のものを更新していたものであり、過重な事務ではなかった。
(2) 土屋祐子は超過勤務時間が月三時間だけであったし、夏季職務専念義務免除を取得していた。
(3) 土屋祐子には次のような個人的なストレスの要因又は不整脈を増悪し若しくは誘発する要因があった。
ア 土屋祐子は、一〇年以上慣れ親しんだ住居から転居し、通勤時間は従前徒歩で往復一〇分程度であったが、昭和六三年四月からは往復二時間三〇分を要するようになった。土屋祐子には当時一〇歳、八歳及び二歳一〇箇月の子がいた。
イ 土屋祐子は、昭和六三年二月に子宮筋腫が判明し、同年六月にガン検査を受けた。
ウ 土屋祐子は喫煙(一日三本ないし四本)及び飲酒(夏場は一日ビールをコップ二杯ないし三杯、冬場は一日焼酎のお湯割りを二杯程度)の習慣があった。
第四争点についての判断
一 土屋祐子の死因について
1 死因解明の資料となる所見について
(一) 東京都監察医務院剖検記録
乙第三六号証(東京都監察医務院剖検記録)によれば、昭和六三年九月七日に土屋祐子の解剖が行われ、解剖学的及び組織学的診断として虚血性心不全と診断され、解剖所見として冠状動脈内膜肥厚及び狭窄、壁内細小動脈内膜肥厚、左室心筋多中心性微小線維化巣及び心筋変性が指摘されていたことが認められる。
(二) 土屋祐子の心電図
乙第二九号証の二及び原告本人の尋問の結果(平成九年一一月一八日付け本人調書二〇〇項から二〇三項まで)によれば、搬送された広尾病院で土屋祐子の心電図が取られているが、そのほかには土屋祐子の心電図が取られたことはないことが認められる。
(三) 東京都監察医務院作成の土屋祐子の病理診断用の組織標本
証人岡田了三の証言(平成一一年一二月六日付け証人調書一七項)によれば、土屋祐子の病理診断用の組織標本はパラフィンに入れて薄く切って染色してガラス板でカバーされており、この処置が講じられていると、ヘマトキシリン・エオジン染色とアザン染色による所見は反永久的に維持され、診断の価値が落ちることはないことが認められる。
2 直接の死因について
甲第一九号証、第二〇号証、乙第三号証の二、第二九号証の二、第三二号証、第三三号証、第三七号証の一、第四三号証、証人岡田了三の証言によれば、土屋祐子は致死的不整脈(心室細動)により突然死した事実を認めることができる。
3 心室細動について
(一) 心室不整脈について
乙第四六号証(田辺晃久「不整脈と突然死」日本医師会雑誌一〇六巻九号一三六四頁)によれば、次のとおり認めることができる。
心室不整脈には心室期外収縮、心室頻拍、心室細動、心室補充収縮、心室補充調律があるが、特に重要なのは前三者であり、その基本は心室期外収縮である。心室期外収縮は最も頻度の高い不整脈の一つであり、基礎疾患・病態のある場合はもとより、明らかな基礎疾患のない場合にも発生する。そのため、臨床的意義は多岐にわたり、その生命予後の良否は主として基礎疾患があるかないかによる。
急性心筋梗塞、心不全増悪、電解質異常など心状態の特別不安定な時期に生じた心室期外収縮は、一個の発生でも心室頻拍、心室細動など致死性不整脈へと進展し、突然死に至りやすい。一方、心状態の比較的安定期に発生した心室期外収縮は、たとえ基礎疾患があっても突然死の頻度はそれほど高いものではない。しかし、もともと心室頻拍、心機能低下、心筋虚血発作などが合併している場合には、心室不整脈が独立因子として、あるいは心機能低下や心筋虚血発作と関連して突然死と結び付きやすい。
(二) 心室細動について
乙第三七号証の一によれば、次のとおり認めることができる。
心室細動とは心室筋全体が無秩序に電気的興奮を持続している状態である。もしこの時の心臓を肉眼的に見れば、心臓全体が常にうごめいているように見えるはずである。心臓に統一ある収縮がないため、この臓器の使命であるポンプ機能は停止して血液循環は完全に停止する。臨床的には完全に心臓が停止している状態である。人間ではこの心室細動が一度発生すると、自然に元に戻ることはほとんどない。
心室細動の原因として代表的なものは、虚血性心臓病(狭心症、心筋梗塞、無症候性心筋虚血等)、心筋炎、心筋症(肥大型、拡張型)及びその他の肥大心等である。
(三) 心臓性突然死の引き金について
乙第四六号証(岡田了三「心臓性突然死」日本医師会雑誌一〇六巻九号一三五九頁)、第四七号証及び第四九号証によれば、次のとおり認めることができる。
自律神経系トーヌスは心臓血管系機能の調節に重要な役割を演じているが、その失調はカテコールアミン、アセチルコリンなどを通じて心臓、血管に傷害を与えることが知られている。特に交感神経の緊張亢進は、その末端からのノルアドレナリン放出の増加とともに、副腎髄質からのアドレナリン放出を続発することでカテコールアミン過剰状態を出現する。このような状態では、高血圧による血管傷害、冠状動脈のアテローム硬化巣の破裂、血小板凝固能(凝血性)亢進による血栓形成、小動脈のスパズム、心筋細胞の点状壊死、危険な不整脈などが誘発されて狭心症・心筋梗塞、脳血管疾患、心室頻拍・細動などの引き金が引かれることになる。
自律神経末端は心臓内では特に刺激伝導系に多いので、そのトーヌス異常は伝導系潅流血管の傷害や伝導系細胞自体に悪影響を与えて種々の不整脈の病因を作る。QT延長症候群、不整脈を伴う右室異形成症、僧帽弁逸脱症候群でも、支配神経の興奮の不均衡が不整脈の病因に擬せられている。したがって、疲労、不満、いらいらしている状態などが自律神経系トーヌスの異常を介して突然死の原因となる心血管病の発病を助ける可能性は相当高いとみられる。
4 致死的不整脈(心室細動)の原因について
甲第一九号証、第二三号証、第二四号証、第二七号証(「カテコラミンの心筋病変について」と題する研究)、証人岡田了三の証言(平成一一年一二月六日付け証人調書五項から七項、一一項から一三項、一五項、一六項、二八項、二九項、三一項、三二項、三四項から三八項、四七項、四九項から五一項、五八項から六〇項、六二項)によれば、東京都監察医務院作成の土屋祐子の病理診断用の組織標本について岡田了三順天堂大学医学部名誉教授が行った病理学的診断に基づき、土屋祐子の死因に関して次の事実を認めることができる。
(一) 土屋祐子の病理診断用の組織標本によれば、小血管の内膜や血管周囲に水腫、静脈系にうっ血があり、これらは突然死を示す所見である(以下紛らわしい場合を除き、土屋祐子の病理診断用の組織標本による所見であることは一々断らない。)。冠動脈は三〇歳の年齢相応のきれいな血管であり、大動脈はこの年齢にしては若々しいきれいな血管であって、動脈硬化性変化は認められず、動脈硬化が原因の狭心症ないしは心筋梗塞は否定される。脳には急激に起こった循環不全の所見はあるが、脳卒中等による突然死は考えられない。心電図において右側胸部誘導における不完全右脚ブロック型QRS波とST部分の上昇を示す心電図異常(ブルガーダ症候群)が見られることから、突然に発生した心室細動が原因となって突然死したものと考えられる。
心臓の右室の前壁に脂肪組織が奇妙な形で入り込み外層心筋が失われており、内層の生き残り心筋はかなり配列が乱れているという所見が認められる。この所見は、催不整脈性右室心筋症(ARVC)に一部類似しているが、脂肪の配列がARVCと異なり放射状ないしは不規則な入り込みを示すことからトルサード・ド・ポワンツ(Torsades de pointes)型に属するものと考えられる。トルサード・ド・ポワンツ(Torsades de pointes)型は、右室の前壁における心筋の中に脂肪組織が割り込んでくるという形態に特徴があり、特殊な心室性不整脈に対応する形態学的背景とみなされる。土屋祐子は生前に心室頻拍など危険な不整脈が数回にわたって起こり、自然回復していたと推定される。また、心筋内の線維症が新しいものと古いものが混在していることから少なくとも数箇月前から本人にはふらつき、気分不快、うずくまり、眼前暗黒感等の明らかな自覚症状があったと考えられる。
(二)(1) ブルガーダ型心電図異常に対応する病理学的所見及びその原因については、まだ不明な点が多い。しかし、強い運動による身体的負担というよりもどちらかというと精神的なストレスが致死的不整脈の原因になることが経験的に知られている。何回か不整脈発作を起こし、二分から三分程度の短い発作を繰り返しているうちに、脳の虚血による性格変化が出現することがある。
(2) ストレスにより交感神経が興奮すると、副腎髄質からカテコラミン(ホルモンの一種)が分泌される。カテコラミンは、神経末端から出るものと副腎髄質から出るものとがあり、血圧を調整したり脈拍を調整したりして身体が正常な機能を営むことができるようにする働きがある。また、カテコラミンは、異常に興奮したり身体的な負担が高まると相対的に多く分泌され、そのときの身体の態勢を保つという大事な働きをしている。その反面、カテコラミンは心筋傷害作用があり、大量に投与されれば心筋が大量に失われる実験結果が出ているが、それだけでなく、日常生活の中で非常に緊張したり、異常な事態になったときに分泌される程度の量であっても、二週間ないし三週間続くうちに心筋が点々と失われる結果が生じることが確認されている。
土屋祐子の心臓の病理所見は「くも膜下出血」例と酷似しており、自律神経トーヌスの異常亢進が基盤にあると理解され、カテコラミンが大量に出る状態が急死の準備伏態を作ったと考えられるから、土屋祐子の突然死でもカテコラミンの増加が関与しているとみられる。
土屋祐子の心筋内小血管周囲の線維症は古いものと新しいものが混在しており、この変化は生前に心臓の収縮機能が亢進していた状態があったことを証明している。強いストレスが繰り返しかかってカテコラミンが多く出ると、血管周囲の結合組織が収縮の支点になるため、高血圧性心臓病と同様に血管周囲の線維症が増加し得る。土屋祐子の心筋細胞列の乱れや断裂はカテコラミン投与の動物実験やくも膜下出血のときに見られる変化に似ており、神経性ストレスに対応する変化といえる。
(3) 強い精神的ストレスが繰り返しかかった場合に、すべての者が土屋祐子と同様に不整脈を繰り返して変化が進むわけではない。土屋祐子のように致死的不整脈の発症にまで至るのはまれであり、どのような場合にその発症に至るのかは医学的にまだ解明されていないため、発症した本人の素因として理解するほかはない。
(三) 以上によれば、土星祐子は、数箇月にわたり強い精神的ストレスが繰り返しかかってカテコラミンが多く出たため心筋内小血管周囲の線維症が増加し、生前に心室頻拍など危険な不整脈が数回にわたって起こり、自然回復していたものの、最後に致死的不整脈(心室細動)が起こり、死亡するに至ったものと考えられる。
5 被告は、土屋祐子の左心室筋の壁内細小動脈には内膜肥厚が認められ、この壁内細小動脈内膜肥厚という微小血管反応の異常による無症候性心筋虚血のため心室細動が起こったものと推認することができると主張する。被告のこの主張は三楽病院副院長久保田昌良医師の鑑定意見書(乙第三七号証の一)を根拠とする。
(一) 乙第三七号証の一によれば、三楽病院副院長久保田昌良医師の専門的知見に基づく意見は次のとおりである。
土屋祐子の症例では、三〇歳の女性にしては稀なことと思われるが、壁内細小動脈に内膜肥厚があり、もしこれが広範囲に認められているならば心筋虚血の原因となる。太い冠状動脈が閉塞した場合には広範囲の心筋が死滅し、その部分の左室心筋は線維化するが、土屋祐子の場合には壁内細小動脈による心筋虚血であるから大きな線維化ではなく、小さな線維化巣が点々と存在しているのであろう。
(二) しかしながら、乙第三七号証の一によっても土屋祐子の壁内細小動脈の内膜肥厚が広範囲に確認されたとの事実は認められず、この事実を認めるに足りる証拠はなく、甲第一九号証によれば、狭心症に対応する心筋病変は二ミリメートル位の心内膜下の心筋の壊死脱落であるが、土屋祐子の病変は不整脈死による続発的なものであり、一部の小血管の狭窄は、死戦期の内膜水腫、すなわち、急性の酸素不足による細胞膜の透過性の変化によるものと考えられ、さらに、土屋祐子が生前に狭心症に伴う胸痛等の症状を訴えていなかったことからすれば、微小血管性狭心症を否定することができることが認められ、このことに照らせば、壁内細小動脈内膜肥厚という微小血管反応の異常による無症候性心筋虚血のため心室細動が起こったことは否定することができるものというべきである。
(三) その他乙第三四号証の記載中「解剖所見から冠状動脈狭窄、心筋障害に基づいた病的素因に基づいた死亡と判断される」との部分は、いずれも前記3に照らし採用することができない。
二 土屋祐子の従事していた職務等について
前記(第二、一、2)の事実に、乙第八号証、第一三号証、第一四号証の一ないし同号証の三、第一七号証の一、二、第二一号証の一ないし同号証の四、第二二号証、第二八号証の二ないし同号証の一九、第三九号証、第四〇号証、証人中野宏子及び同蘓原孛の各証言並びに弁論の全趣旨を併せて考えれば、次の事実を認めることができる。
1 土屋祐子は、昭和五六年四月一日以降高輪消防署総務課管理係において、庶務・福利厚生事務として、ワープロ浄書事務、共助会、東京消防協会、互助組合、物資図書あっせん及び職員信用組合に関する各事務、接遇、湯茶接待等の事務に従事していた。
2 土屋祐子は、同僚中野主事が昭和六三年三月一四日以降産前産後休暇を取得し、代替要員として配置された高橋主事が同年七月一八日から休暇を取得して同年七月三〇日付けで退職した等の事情により、同年三月一四日から同年三月三一日まで及び同年七月一八日から同年七月末日ころまでの間、従前二人で行っていた職務を一人で遂行した。中野主事は、同年八月初旬から出勤したが、育児時間を取得し、出勤時三〇分及び退庁時一時間の勤務時間短縮となり、また、体調も戻っておらず、無理はできなかった。土屋祐子は中野主事をかばいながら職務に従事した。
3 一方、高輪署では港南出張所新設という行事があった。高輪消防署長は、昭和六三年八月二二日の港南出張所新庁舎落成、同年九月九日の港南出張所事務開始に向けて、同年六月九日付け「高輪消防署港南出張所新庁舎落成及び事務開始に係わる担当任務の指定について(通達)」と題する通達(乙第四〇号証)を発出し、担当任務を指定して、各任務につき計画の起案・発注日等と完了予定日を定め、準備作業の強化を図った。この通達は、港南出張所新庁舎落成式及び同祝賀会の基本計画の策定に関する事務について、計画の起案・発注日等及び完了予定日をそれぞれ同年六月末日及び同年七月末日と定め、落成式の会場設営・運営に関すること及び席次の指定に関すること等並びに祝賀会の会場設営・運営に関すること等について、計画の起案・発注日等及び完了予定日をそれぞれ同年七月末日及び同年八月一〇日と定めた。高輪署員の準備作業は同年四月ころから着手されていたが、この通達発出後はこれに沿って準備作業が行われた。また、高輪消防署長は、港南出張所新庁舎竣工後同年八月一八日に引渡しを受けることになっていたため、同年八月一二日付け「港南出張所新庁舎落成記念式典並びに同祝賀会の開催に伴う係員の指定について(通達)」と題する通達(乙第二八号証の一九)を発出し、同年八月二二日の港南出張所新庁舎落成式及び同祝賀会実施に伴う係員等の指定をした。土屋祐子も中野主事とともに接待係として指定された。
4 土屋祐子がワープロ浄書事務に従事した時間数は次のとおりであった。
(一) 昭和六三年六月 一四日間で延べ四九時間二〇分(一日平均三時間三一分)
(二) 同年七月 一二日間で延べ三九時問(一日平均三時間一五分)
(三) 同年八月 一一日間で延べ四〇時間四〇分(一日平均三時間四一分)
(四) 同年九月 四日間で延べ一三時間二五分(一日平均三時間二一分)
5 昭和六三年七月以降に土屋祐子が行ったワープロ浄書事務等の内容は、港南出張所新庁舎落成式及び同祝賀会等関係の事務を中心として証拠上判明している限りでこれを認定すると、おおむね次のとおりである。
(一) 土屋祐子が同年七月中にワープロ浄書を行った日数はかなり多い。その対象文書は証拠上すべてが判明しているわけではないが、同年六月九日付け署長通達を受けて署員が作成した原稿に基づき、港南出張所新庁舎落成記念式典及び同祝賀会関係の文書である「高輪消防署港南出張所落成式・祝賀会について」と題する書面(乙第二八号証の二ないし同号証の一九)のワープロ浄書を行ったものと考えられる。この文書はB4判二七枚から成る文書であった。ただし、土屋祐子一人でこの文書のすべてについてワープロ浄書を行ったわけではなく、「港南出張所落成式式次第」と題するB4判約七枚の文書は蘓原が直接ワープロ入力をして作成したものであるし、その余の文書についても他の署員が一部入力したものがある。土屋祐子は、同年七月二八日及び二九日、同年八月一日付け人事異動の辞令書及び職員配置表の作成に当たった。
(二) 土屋祐子は、同年八月二日及び三日は、港南出張所新庁舎落成記念式典表彰に伴う受賞者名簿、表彰状等の読み合わせを行った。土屋祐子は、同年八月五日、六日、八日、九日及び一一日にワープロ浄書を行った。土屋祐子は、同年八月一九日及び二〇日(土曜日)は港南出張所新庁舎落成記念式典係員説明会に参加したほか、湯茶接待用品等の準備をした。土屋祐子は、同年八月一九日午後四時から午後六時三〇分までワープロ浄書を行っており、一時間超過勤務を行った。土屋祐子は、同年八月二二日、港南出張所新庁舎落成記念式典及び同祝賀会の来賓控え室において接待に当たった。土屋祐子はこの日午後四時から午後六時三〇分までワープロ浄書を行っており、一時間超過勤務を行った。土屋祐子は同年八月二三日右記念式典等で使用した器材や湯茶等接待用品の後片付けをした。土屋祐子は、同年八月二四日にワープロ浄書を行ったほか、同年八月二六日午後もワープロ浄書を行っており、この日はワープロ浄書のために一時間超過勤務を行った。土屋祐子は、同年八月二九日以降連日のようにワープロ浄書を行った。土屋祐子が同年八月に行ったワープロ浄書の対象文書が何かは証拠上必ずしも明らかではないが、同年八月二二日の港南出張所新庁舎落成記念式典以後は同年九月九日の港南出張所事務開始に伴う人事異動関係の文書を対象とするワープロ浄書事務を主として行っていたものと考えられる。同年八月三一日、同年九月一日、二日、五日及び六日に土屋祐子が行ったワープロ浄書の対象文書が人事関係書類(人事異動辞令書)及び職員配置表であったことは証拠上明確である。辞令書の枚数は三九名分であった。土屋祐子は同年九月二日及び三日は人事異動辞令書の読み合わせを行った。
6 土屋祐子の昭和六三年六月ないし同年八月の勤務状況
(一) 同年六月の勤務状況
出勤二二日間、年次休暇一日と六時間、職務専念義務免除日一日問、指定週休日一日間、日曜四日間、超過勤務時間三時間であった。
(二) 同年七月の勤務状況
出勤二〇日間、年次休暇八時間、指定週休日三日間、日曜五日間、超過勤務時間三時間であった。
(三) 同年八月の勤務状況
出勤一九日間、年次休暇一日と二時間、職務専念義務免除日合計五日間、指定週休日二日間、日曜四日間、超過勤務時間三時間であった。同月一二日は体力増強を目的とする職務専念義務免除日、同月一三日から同月一八日までの間は職務専念義務免除日、指定週休日及び日曜の組合わせにより七日間連続して勤務から離れていた。同月一九日、二二日及び二六日にワープロ浄書のため各一時間の超過勤務を行った。
7 昭和六三年六月から九月までの間に土屋祐子がワープロ浄書事務に従事した時間数は一日平均三時間一五分から三時間四一分であり、所定労働時間のかなりの部分を占めた。このワープロ浄書事務は期限が限定され、限られた時間内に処理しなければならない場合も多かった上、ワープロ浄書事務がこれだけあったため、土屋祐子は他の庶務・福利厚生事務を処理するためかなり忙しかったものと考えられる。また、高輪署にはワープロ機が一台しかなかったため、土屋祐子は必要な時間を確保することに一層苦労したものと思われる。しかし、土屋祐子は右の期間中毎月合計三時間しか超過勤務を行っていない。これは養育する三人の子(一〇歳、八歳及び二歳一〇箇月)を抱えており、残業することが難しかったためである。それだけでなく、土屋祐子は同年八月一三日から同月一八日までの間(職務専念義務免除日、指定週休日及び日曜の組合わせによる。)自分の実家や夫(原告)の実家に帰省する等しており、三人の子の母親として、また妻として行うべきことを行っていた。このように、土屋祐子は家事及び子の養育と両立させるため、超過勤務も極力行わず所定労働時間内で事務処理の効率を高めて処理していたものと考えられ、同様に家事及び子の養育についても忙しい中で密度濃く取り組んでいたものと推認することができる。さらに、土屋祐子は七年数箇月慣れ親しんだ住居から転居し、通勤時間は従前徒歩で往復一〇分程度であったのが、同年四月からは往復二時間三〇分を要するようになったため、このような通勤時間増加の事情は、それに慣れるまでの間、土屋祐子の心身にとって相当の負担増となったものと考えられる。
三 土屋祐子の死亡前数箇月にわたる強い精神的ストレスの原因について
1 前記一及び二の事実に、証人岡田了三の証言(平成一一年一二月六日付け証人調書三六項、四〇項から四六項まで、六二項)を併せて考えれば、土屋祐子は、何らかのストレッサーに反応して体の中に強いストレス状態が発生し、かなり重い不整脈が繰り返され、最終的にはそれまで自然に回復していた不整脈が治らず、死に至ったものと考えられること、土屋祐子は七年数箇月慣れ親しんだ住居から転居し、通勤時間は従前徒歩で往復一〇分程度であったが、昭和六三年四月からは往復二時間三〇分を要するようになったこと、土屋祐子には当時一〇歳、八歳及び二歳一〇箇月の子がいたこと、医学的知見によれば、このような通勤時間増加の事情は、それだけでは致死的不整脈を発症させるに足りないが、他の要因と相まって発症させることはあり得るのであり、致死的不整脈発症への寄与度は六〇パーセント程度と考えられること、確かに、慣れてしまえばさほどの負担増とならない通勤時間ではあっても、土屋祐子にとってはそのために時間的余裕が一層乏しくなったことは否定できないから、一時的には土屋祐子の心身にとって相当の負担増となったものと考えられること、前記のとおり土屋祐子は家事及び子の養育と両立させるため、超過勤務も極力行わず所定労働時間内で事務処理の効率を高めて処理していたものと考えられ、同様に家事及び子の養育についても忙しい中で密度濃く取り組んでいたものと推認することができるから、右のような通勤時間増加の事情は同年四月から七、八月にかけては土屋祐子に対して相当強いストレッサーとして働いたものと考えられること、医学的知見によれば、土屋祐子のように致死的不整脈の発症にまで至るのはまれであり、どのような場合にその発症に至るのかは医学的にまだ解明されていないため、発症した本人の素因として理解するほかはないこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
2 土屋祐子は、昭和六三年四月以降、前記のような通勤時間増加の事情から従前に比して時間的余裕が大幅に減少し、そういう中で前記のとおり仕事量も相当増加していたから、限られた所定労働時間内に従前よりも増えた事務を処理しなければならず、また、家事及び子の養育についても忙しい中で密度濃く取り組んでいたのであるから、その心身の負担は増加し、殊に同年七月下旬からは相当程度のものとなったことが認められる。右1の事実に基づいて考えると、右に述べた通勤時間増加の事情も土屋祐子の従事していた職務の負担増も、いずれもその事実だけでは致死的不整脈を発症させるに足りないが、相互に他の要因と相まって土屋祐子に致死的不整脈を発症させたものというべきである。したがって、右各事情はいずれもその死亡との間に条件関係がある。
四 土屋祐子の従事していた公務と死亡との相当因果関係について
右のとおり、土屋祐子の従事していた公務と死亡との間に条件関係があること自体は否定できない。しかし、前記のとおり、土屋祐子の従事していた職務の負担増だけでは致死的不整脈を発症させるに足りず、土屋祐子の通勤の負担増と相まってはじめて致死的不整脈を発症させたのであり、しかも土屋祐子の通勤の負担増の方が比重が大きいものというべきである。前記のような通勤時間増加の事情は慣れればさほど大きな負担となるものではなく、それだけでは土屋祐子に致死的不整脈を発症させるだけの危険を内在しているものではなかった。このことに照らして考えると、土屋祐子の従事していた公務に内在する危険が現実化した結果致死的不整脈が発症したものと認めるには足りないというほかはない。
結局、土屋祐子の従事していた公務と本件災害(死亡)との間に相当因果関係を認めることはできない。
五 結論
以上の次第であって、本件処分に違法な点はなく、原告の請求は理由がないから失当として棄却する。
(裁判官 松井千鶴子 裁判長裁判官 高世三郎及び裁判官 植田智彦は転補につきいずれも署名押印することができない。裁判官 松井千鶴子)