大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成7年(行ウ)115号 判決 1999年4月22日

原告

内山工業株式会社

右代表者代表取締役

内山幸三

右訴訟代理人弁護士

近藤弦之介

山崎武徳

香山忠志

被告

中央労働委員会

右代表者会長

花見忠

右指定代理人

落合誠一

塚田滋

吉住文雄

杉田美恵子

三嶋伸広

瀬野康夫

被告補助参加人

全国化学労働組合協議会内山工業労働組合

右代表者中央執行委員長

向井進

被告補助参加人

氏家紘記

右両名訴訟代理人弁護士

秋山泰雄

関次郎

右被告補助参加人全国化学労働組合協議会

奥津亘

内山工業労働組合訴訟代理人弁護士

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、補助参加によって生じた訴訟費用を含め、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が中労委平成三年(不再)第五七号事件について平成七年四月一九日付けで発した命令を取り消す。

第二事案の概要

被告補助参加人らは、原告が、(一) 被告補助参加人氏家紘記(以下「氏家」という。)に対し、本来業務以外の草取り等に従事させたこと、(二) 氏家に対して実質降格に当たる配置換えを行ったこと、(三) 被告補助参加人全国化学労働組合協議会内山工業労働組合(以下「補助参加人組合」という。)の組合員に対して組合脱退を勧奨したことにつき、労働組合法七条一号及び三号((三)については同条三号)の不当労働行為に該当するとして、神奈川県地方労働委員会に対して救済命令の申立てをしたところ、同委員会は、その申立てを概ね認めて救済命令(以下「初審命令」という。)を発したため、原告が被告に対して再審査を申し立てたが、被告は、初審命令主文の一部を改めたほか、再審査申立てを棄却する命令(以下「本件命令」という。)を発した。本件は、原告が本件命令の取消しを求める行政事件訴訟である。

一  争いのない事実等(証拠により認定した事実については、各項の末尾その他の箇所に証拠を挙示した。なお、争いのない事実でも、参照の便宜のために証拠を挙示したものもある。)

1  当事者等

(一) 原告は、工業用ゴム製品、合成樹脂製品等の製造、販売等を目的とする株式会社であって、肩書地に本社、岡山第一工場(以下「第一工場」という。)及び岡山第二工場(以下「第二工場」という。)を置き、岡山県邑久郡邑久町に邑久工場、大阪府東大阪市に大阪工場、神奈川県茅ヶ崎市に茅ヶ崎工場を有するほか、東京都中央区に設置する東京支店等の営業所があり、初審命令申立て当時(昭和六三年八月)の従業員数は約六八〇名(うち正社員数は約五三〇名)である。なお、原告にはエヌイーシール株式会社(以下「エヌイーシール」という。)等の関連会社がある。

また、岡山県にある各工場は主として自動車関連部品を生産しているが、茅ヶ崎工場では、ビールの王冠、断熱材、ふすまシート等の合成樹脂製品の生産等を行っており、初審命令申立て当時の従業員数は約五〇名であった。

(二) 補助参加人組合は、原告の従業員をもって組織する労働組合であり、肩書地に事務所を置き、初審命令申立て当時の組合員数は一八七名であった。

補助参加人組合は、昭和四七年に合成化学産業労働組合連合に加盟したが、昭和六二年には、同連合の分裂に伴って新たに結成された全国化学労働組合協議会に参加した。

また、補助参加人組合は、茅ヶ崎工場で就業する組合員をもって結成する茅ヶ崎工場支部等、各工場に支部を置いており、初審命令申立て当時の補助参加人組合茅ヶ崎支部の組合員数は一二名であった(<証拠略>)。

なお、原告には、補助参加人組合のほかに、昭和六三年六月に補助参加人組合を脱退した者によって結成された内山工業新労働組合(以下「新労組」という。)等の労働組合がある。

(三) 氏家は、昭和四三年七月二一日付けで原告の従業員となり、以来、茅ヶ崎工場で主としてウレタン製造業務に従事した。また、氏家は、原告に入社すると同時に補助参加人組合の組合員になったが、昭和四六年以降は、同年から昭和四八年まで補助参加人組合茅ヶ崎支部支部長、昭和四九年から昭和五〇年まで同書記長、昭和五〇年から昭和五五年まで同副支部長、昭和五五年からも同支部長と、ほとんどの期間、補助参加人組合茅ヶ崎支部の支部役員に選出されている。

2  本件発生前後の労使事情

(一) 労使協議の方法等

(1) 補助参加人組合の支部は補助参加人組合の下部組織であるから、争議行為等は組合員の投票により中央執行委員会の指令によって行うが、各工場のみにかかわる細かな労使問題については各支部及び工場ごとに行う支部協議会で協議する。それ以外の問題あるいは支部協議会で決まらない問題については、補助参加人組合本部と原告との本部協議会又は団体交渉で協議する。

(2) 補助参加人組合茅ヶ崎支部においては、同支部大会で選出される支部長、副支部長及び書記長のいわゆる支部三役と代議員とで構成する代議員会が支部の組合運営を行っている。茅ヶ崎工場での支部協議会には、これらの者と、工場長、製造担当課長等が出席するが、同工場のみにかかわる問題のほとんどは、支部三役あるいは支部長と工場側との話合いで解決していた。

なお、補助参加人組合茅ヶ崎支部支部長は、補助参加人組合の中央執行委員でもある。

(二) 原告の主力製品の変動とこれに伴う労使関係

(1) 昭和五六年ころから、原告の主力製品であったコルクジスク(王冠のシール材)を使用しない動きが業界内に出始め、昭和五九年末には、大手ビール会社が王冠のシール材をポリエチレンに切り替えた。このため、原告は、昭和六一年ころには、コルクジスクの生産をほとんど行わなくなり、主力製品をベアリングシール等自動車関連部品に移行した。昭和六二年には、自動車関連部品が原告の全製品の七〇パーセントを超えるに至った。(<証拠略>)

(2) 補助参加人組合は、従来から、春闘における賃上げの回答日を四月初旬ころに指定していたが、昭和六一年春闘ころから、原告は補助参加人組合に対して、前記のように原告が自動車関連企業に移行したため、他の自動車関連企業の回答を見極めた上で回答する必要があるとして、補助参加人組合回答指定日の再考を求めるようになった。

昭和六二年一月一三日開催の三役交渉において、原告は、自動車関連企業の背景を説明し、賃上げについては広く世間の動向を見ることも必要であり、賃上げの回答はこれを見極めた上で行う旨の考えを述べた。また、同年二月九日の補助参加人組合支部等も交えた本部協議会においてもこれと同様の考えを述べ、さらに同年三月一一日には、原告のこのような考えをまとめた「賃上げ回答時期に対する会社の考え方」と題する文書を補助参加人組合に提出し、補助参加人組合に理解を求めた。

右文書には、「特に我社とコスト競争でしのぎを削っている同業種、同規模の自動車部品業界の動きも細かく分析し、その上で我社の賃金決定をいかにすべきかを考えていくことが何よりも重要なことです。その意味において会社として回答の時期は四月下旬が最も適切且つ妥当な時期であると確信しているところです。」などと記載されていた。

これに対して、補助参加人組合は、原告の考え方は賃金を抑制し労働条件の切下げを行おうとする提案であって、容認することはできないとの考えを持っていた。(<証拠略>)

(三) 昭和六二年春闘

(1) 昭和六二年三月二三日、補助参加人組合は、原告に対して、昭和六二年の賃上げについて一万七八〇〇円を要求し、この回答日を同年四月八日に指定した。

同年三月二六日、賃上げに関する最初の団体交渉が行われ、原告は、賃上げ額回答日を同年四月八日としたのでは、世間の賃上げ状況を見極めることはできない旨の考えを述べた。(<証拠略>)

(2) 原告は、右補助参加人組合回答指定日には賃上げ額の回答を行わず、同月二二日に至って賃上げ額を七四〇〇円とする回答を行った。これらを不満とする補助参加人組合は、同月一三日を皮切りに二四時間等のストライキを繰り返し、このストライキは延べ約二一六時間に及んだ。(<証拠略>)

(3) このように賃上げ交渉が難航したため、補助参加人組合及び原告は双方合意の上で、同年五月九日、岡山県地方労働委員会へあっせん申請を行い、同年六月一日のあっせんにおいて、賃上げ額を九三四〇円とする内容で妥結した。(<証拠略>)

(四) 昭和六二年春闘後から昭和六三年春闘に至るまでの労使問題

(1) L八九プレス移設問題

原告は、第二工場で遊休状態にあったL八九プレス(ベアリングシールを生産するための機械)を邑久工場に移設することとした。原告は、このための要員として臨時員を二名増員する旨を補助参加人組合に申し入れたが、補助参加人組合は、臨時員ではなく正社員で対応するよう要求した。

昭和六二年一〇月一五日に至り、補助参加人組合と原告は、同年一一月二〇日までの期間、人員については邑久工場の他職員からの応援で対応し、その間二名の増員を完了するなどの合意をし、原告はL八九プレスの移設を行いこれによる生産を行った。しかし、同月一九日までの間、当該人員問題について補助参加人組合と原告との協議は行われず、同月二四日、邑久工場長は、他職場の臨時員に対してL八九プレス稼動に従事させる業務命令を出した。これについて補助参加人組合は抗議をしたが、原告は当該業務命令は原告の権限で行えるとしてL八九プレスの稼動を続けた。(<証拠略>)

(2) 時間外協定問題

昭和六二年一二月七日、原告は補助参加人組合に対して、期限切れとなるいわゆる三六協定(時間外協定)の再締結を申し入れた。しかし、補助参加人組合は、業務命令によってL八九プレスの稼動を継続したことについて原告が陳謝しなければ、協定の再締結には応じられないとして、原告の申入れを拒否した。これに対して原告は、三六協定の問題はL八九プレス対応の問題とは別個であるなどとして、三六協定を早急に締結してほしい旨主張した。

その後も、両者は同様の主張を繰り返していたが、L八九プレス問題について一応の決着をつけ、昭和六三年二月二五日、三六協定を締結した。(<証拠略>)

(3) エヌイーシール直出荷問題

原告は、子会社であるエヌイーシールで製造した自動車部品を第二工場へ運び、同工場で検査及び包装をして自動車メーカーに出荷していたが、自動車メーカーは、経費削減のため、エヌイーシールから直接出荷(以下「直出荷」という。)するよう求めた。このため昭和六三年一月八日、原告は、補助参加人組合に対して直出荷の実施を申し入れ、以後両者で協議を行った。協議において、補助参加人組合は、直出荷は職場の縮小を伴うから、これによる人事異動はいかなるものとなるのか、その青写真を出すよう求めたが、結果として結論が出るまでには至らないまま、原告は当初の予定に沿って同年三月末ころから徐々に直出荷を実施した。(<証拠略>)

(五) 昭和六三年春闘

(1) 賃上げ要求とその回答

昭和六三年三月二四日、補助参加人組合は原告に対して、昭和六三年賃上げを二万〇〇(ママ)五〇〇円とし、回答日は同年四月八日とする要求書を提出し、以後同年四月一九日までの間両者で団体交渉を行った。団体交渉では、補助参加人組合が賃上げ要求の趣旨について、原告が会社の現況についてそれぞれ説明し、賃上げ基準等について意見が交わされたが、回答日については、原告は、自動車関連業界の春闘回答を見極めるため同月二〇日前後に回答したいと主張し、補助参加人組合はあくまでも春闘集中決戦時期である同月八日を主張した。

こうした中で、原告は、補助参加人組合回答指定日に有額回答を行わず、同月一九日に至って最終的有額回答であるとして賃上げ額九四〇〇円の回答を行った。(<証拠略>)

(2) ストライキの実施及び争議通告書の記載の誤り

ア 補助参加人組合は、右のとおり原告が補助参加人組合回答指定日に有額回答を行わなかったことに、また、賃上げ額の上積み要求に対して原告が応じなかったことに抗議して、別表(1)のとおり、同年四月一二日から同年六月二四日までの間、波状的に重点部門ストライキを実施した(補助参加人組合は、同月二七日付けで同ストライキを解除した。)(以下このストライキを「重点部門ストライキ」という。)。また、これと同時に補助参加人組合は、残業拒否及び連続作業拒否闘争も実施していたが、これらは同年六月三〇日まで続けた。さらに、同年六月二七日から、補助参加人組合執行委員長が同年九月二日まで、補助参加人組合書記長が同年八月三一日まで、それぞれ指名ストライキを実施した。なお、争議行為を実施するに当たって補助参加人組合が実施した批准投票では、約九二パーセントの組合員が賛成の投票を行った。

イ 補助参加人組合は、同年六月六日から同月一〇日までの期間に係る争議通告書について、前回提出した争議通告書(同年五月三〇日から同年六月三日までの争議実施期間)をワードプロセッサーで修正する方法で作成したが、重点部門ストライキの実施期間について修正をしないまま、同月二日原告に提出した。このため、原告に提出された争議通告書には、「第一工場等の重点部門指名ストライキの実施期間同年五月三〇日から六月三日まで、邑久工場の全面ストライキの実施期間同年六月六日から同月一〇日まで。」と記載されていた。

ウ 同年六月六日午前八時三〇分ころ、原告は、補助参加人組合に対して右争議通告書の誤りを指摘し、実施期間が同月三日までと記載されていた第一工場等の重点部門ストライキの解除を申し入れた。これに対して、補助参加人組合は、記載の誤りであるからこれを修正させてほしい旨申し入れたが、話合いは平行線となり、午前九時過ぎころ補助参加人組合は右ストライキの解除指令を行った。

エ 同月八日、原告は補助参加人組合に対し、この件について「予告なしに争議行為を行ったことに対する組合の責任は重大である。会社は損害賠償請求及び組合責任者の責任追求についての権利を留保する。」という内容の抗議書を提出した。(<証拠略>)

(3) 争議中の原告管理職らによる生産対応

ア 原告は、ストライキが行われた職場において、管理職や非組合員である臨時員等の応援によって生産対応を行った。これについて補助参加人組合は抗議をしたが、原告は、「得意先を守り、協力工場及び内職者の生活権を守るという観点から必要な生産対応は行っていく。」旨の見解を補助参加人組合に示した。

イ 茅ヶ崎工場では、王冠職場において指名ストライキが行われていたが、その間は工場管理職や原告の東京支店から派遣された者によって生産対応を行っていた。これについて昭和六三年五月一六日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は、茅ヶ崎工場久米正明工場長(以下「久米工場長」という。)に対して、「ストライキ中に部外者が現場作業を行うことは認めるわけにはいかない。今までの労使間の信義をほごにするものである。」旨抗議するとともに、この中止を申し入れた。(<証拠略>)

(4) 春闘終結の経過

ア 原告が賃上げの有額回答を行った昭和六三年四月一九日以降、補助参加人組合は、口頭又は文書によって、賃上げ、同年夏分賞与確定等についての団体交渉を申し入れたが、原告は、従来から争議期間中は団体交渉は行わない労使慣行があるとしてこれを拒否し、結局団体交渉は開催されなかった。

イ このように、原告が団体交渉に応じない状況において、同年六月一六日、補助参加人組合は、岡山地方裁判所に対し、<1> 昭和六三年度賃金引上げ及び昭和六三年夏分賞与についての団体交渉に応じること、<2> 争議通告に基づくストライキを執行している期間中にストライキ対象事業場へ当該事業場に所属する従業員以外の者を就労させることの禁止を求める仮処分申請を行った。

ウ 補助参加人組合は、後記のとおり、同月一七日に新労組が結成され、組織防衛を優先させる必要が生じたため、同月二四日春闘を収拾することを決めた。同時に原告に対して団体交渉の申入れを行ったが、原告は、補助参加人組合が右仮処分申請をしている以上、団体交渉を開催することはできない旨回答した。

さらに同月二九日、補助参加人組合は、原告に対して、賃上げ額九四〇〇円とする前記同年四月一九日付けの原告の回答を受け入れる旨通知し、同時に、昭和六三年度賃上げ額と配分の確認を交渉事項とした団体交渉の申入れを行った。これに対して原告は、同日、「組合が岡山地裁の仮処分申請を取り下げることが先決であり、同地裁より正式な通知を受けた後団体交渉を設定したい。」旨回答した。

エ 同年七月七日、同月一四日に団体交渉を行うことが岡山地裁において決められた。これに基づき、同日、補助参加人組合と原告は、団体交渉を行い、賃上げ額を九四〇〇円とするなどの合意をし、翌一五日、昭和六三年賃上げに関する協定書及び同年上期賞与に関する協定書を締結した。(<証拠略>)

(六) 新労組の結成と組合員数の推移

(1) 昭和六三年六月一七日、邑久工場の組合員一三名は新労組を結成し、同年六月二〇日、補助参加人組合に対して脱退届を提出した。

(2) 同日午前九時ころ、原告に提出された新労組の結成通知が本社から茅ヶ崎工場へファクシミリで送付された。久米工場長は、これに「下記の通り本社より連絡ありましたのでお知らせします。茅ヶ崎工場長」、「事務所回覧」と記入し、食堂の掲示板に掲示するほか、同工場内に回覧した。(<証拠略>)

(3) 同日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は、補助参加人組合本部に対して右新労組の結成通知が掲示された事実を連絡し、原告に抗議するよう要請した。

これを受けて補助参加人組合は、即日、原告に対して、茅ヶ崎工場での新労組結成通知の一方的な掲示は組合組織に混乱を持ち込む行為であると抗議するとともに、この責任の所在を明確にするよう申し入れた。併せて、補助参加人組合は、脱退届を出した一三名は、場合によっては除名処分とすることが予想され、除名処分者は労働協約五条に基づき解雇の対象となると理解しているので、補助参加人組合としては、そうした事態を避けるべくこれらの者を説得するが、原告も、補助参加人組合執行部とよく話をするようこれらの者を説得し、また、補助参加人組合がこれらの者の除名を決定した場合には、労働協約五条に基づき、原告は補助参加人組合とその取扱いを協議決定してもらいたい旨申し入れた。(<証拠略>)

(4) これに対して原告は、同月二二日、ア 新組合結成通知の掲示は、従業員に対しニュースとして知らせたまでであり、補助参加人組合から指摘される理由はない、イ 原告としては、新労組の団結権を侵害することはできず、新組合を認める、ウ 除名された者の取扱いに関する労働協約五条但書をみれば、解雇するかしないかの決定権が原告にあることは明らかである、エ 原告は脱退者を解雇しない旨回答した。(<証拠略>)

(5) このほか、同年七月二九日に第一工場で内山コルク労働組合(以下「コルク労組」という。)が結成され、同年一一月一七日には大阪工場で大阪労働組合(以下「大阪労組」という。)が結成された。補助参加人組合及び新しく結成された労働組合の組合員数の推移は別表(2)<略>のとおりである。(<証拠略>)

(七) 組合賜暇休暇、原告施設の利用等

(1) 組合賜暇休暇

原告においては、就業時間中に一定の組合活動に参加する者は直属の上司の了解を得ていたが(以下、これに伴う休暇を「組合賜暇休暇」という。)、昭和六三年六月始めころ、原告は、この扱いを厳格に運用して行くことを決めた。これにより、昭和六三年春闘終結までは、補助参加人組合執行委員長等の組合賜暇休暇が一切認められず、同春闘後も従前に認められていた組合賜暇休暇のほとんどが認められない状態となった。(<証拠略>)

(2) 組合旗

補助参加人組合は、ストライキを開始した同年四月一二日ころから各工場の原告敷地に組合旗を立てたが、これについて原告は補助参加人組合へ抗議し、同年六月八日には文書をもって撤去を要請した。(<証拠略>)

(3) 構内放送設備

原告の社内放送は、従来は守衛室から行っていたが、昭和六〇年四月ころから電話機を用いて各職場から行えるようになった。組合は連絡等の際にこの設備を利用していたが、昭和六三年六月三日、原告は組合に対して、許可なくこれを使用することを禁じた。しかし、組合が従前どおりこれを使用したため、原告は、組合幹部に対して、無許可で使用すれば処分を留保する旨の警告書を発した。(<証拠略>)

(4) 修養館

ア 補助参加人組合は、臨時大会を行う場合等においては、原告に届け出て原告の施設である修養館を利用していた。しかし、原告は、補助参加人組合が修養館で集会をした後役員室などを取り囲みシュプレヒコールをあげるため、事務の円滑化、会社秩序維持に支障を来しているとして、同年六月三日、春闘の労使交渉が済むまで修養館を貸さない旨組合へ申し入れた。(<証拠略>)

イ また、春闘終了後、原告は、補助参加人組合からの修養館使用申入れに対して、使用目的が組合規約に基づく臨時大会であること等五項目の条件を付した。

これに対して、補助参加人組合は、使用制限の撤回を申し入れたが、原告は、他組合と異なった条件あるいは無条件で利用を認めることはできない旨回答した。(<証拠略>)

(5) 茅ヶ崎工場での組合関係者の工場内入構

ア 茅ヶ崎工場は、昭和六三年春闘での補助参加人組合による争議行為が終了したころから、労働金庫関係者を除いた労働組合関係者が同工場の構内に立ち入ることを制限するようになった。なお、補助参加人組合茅ヶ崎支部の事務所は同工場構内に置かれている。

イ 同年八月四日、補助参加人組合に関係する他の労働組合の組合員が同工場に立ち入る予定であることを知った久米工場長は、補助参加人組合茅ヶ崎支部に対して、これらの者の同工場内の立入りは許可できない旨連絡した。しかし、これらの者が補助参加人組合茅ヶ崎支部の事務所に立ち入ったため、翌五日、久米工場長は、補助参加人組合茅ヶ崎支部に対して、「会社方針を無視した貴組合支部の対応につき厳重に抗議する。」などと記載した抗議書を提出した。

ウ 同月三〇日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は久米工場長に対し、これらの立入り制限の撤回を求める抗議書を提出した。一方、同日、他の労働組合の関係者が補助参加人茅ヶ崎支部組合事務所に立ち入ったので、久米工場長は補助参加人組合茅ヶ崎支部に対して抗議書を提出した。(<証拠略>)

(八) 組合員に対する営繕緑化部門等への応援指示

(1) 前記のとおり、昭和六三年六月六日原告から争議通告書の記載の誤りを指摘され、ストライキ解除を求められた補助参加人組合は、第一工場等の重点部門指名ストライキを解除したところ、原告は、第二工場において、右ストライキ参加者五〇名中八名を草むしり等の応援作業に従事させた。この作業は、従来営繕緑化部門として外注に回していたものであった。(<証拠略>)

(2) 補助参加人組合がストライキを収拾した同月二七日以降、原告は、第二工場及び邑久工場において、補助参加人組合の中央執行委員長等ストライキに参加した組合員の一部に、草むしり、バリ取り(シール成型の際余分の部分を取る作業)等への応援作業に従事させた。

この当時、補助参加人組合の長期ストライキにより原告の生産は減少しており、補助参加人組合のストライキ解除により生産現場には余剰人員が生じた。原告はこれを吸収するために、暫定的に右応援作業の指示を行うものとしたが、こうした状態は同年一〇月四日の人事異動まで続いた。

なお、この応援作業に従事した者のうち一部の者は同年一〇月四日以前に職場に復帰したが、職場復帰した者のほとんどは、事前に補助参加人組合を脱退したか、職場復帰後補助参加人組合を脱退した者であった。(<証拠略>)

(3) 右(2)のような原告の措置について、補助参加人組合は、原告に対し、労働協約に基づく協議もしないままの一方的な業務命令である旨原告に対して抗議を行い、団体交渉を申し入れた。

これに対して、同年七月六日、原告は、今回の職場配置の変更は会社の責任と権限において行い得るものであり、交渉の必要はないと考える旨回答した。(<証拠略>)

(4) また、同月二六日に行われた労使協議会で、原告は、補助参加人組合に対して、草むしり等の作業は配転ではなく応援であるので、補助参加人組合と協議する必要はない、このような事態となった原因は長期にわたるストライキにあり、嫌がらせ、みせしめ的配転ではない、今後自宅待機も含めて検討しなければならない旨の説明を行った。(<証拠略>)

(九) 昭和六三年一〇月四日付け人事異動と藤崎作業所の設置

昭和六三年一〇月四日、原告は人事異動を行った。この際、第一工場及び第二工場に近い場所に藤崎作業所を新設し、ここへ一二名の人員を配置したが、これら一二名は、補助参加人組合の執行委員長をはじめとして、すべてが補助参加人組合の組合員であった。同作業所での作業内容は、第一工場で行っていた圧搾コルク栓の選別、従来社外の内職者で行われていたシールの選別・検査等であった。(<証拠略>)

(一〇) 新たな労働協約作成の申入れ

同年一〇月六日、原告は、それまで効力について争いのなかった補助参加人組合との労働協約について、署名又は記名押印した労働協約が存在しないことから当該労働協約は効力がないとして、新たな労働協約を作成するよう補助参加人組合へ申入れを行った。(<証拠略>)

(一一) 原告広報紙「ウチヤマニュース」

原告は、広報紙として「ウチヤマニュース」を発行し、全従業員に配布している。定期のものとしては月二回発行されるが、昭和六三年春闘ころからは号外も多く発行された。

原告は、以下の各「ウチヤマニュース」において、本件に関連する事項を記載した。

(1) 昭和六三年六月九日付け号外

前記のとおり、六月八日、原告は、同月六日のストライキに関して「予告なしの争議行為」として補助参加人組合に対して抗議書を提出したが、昭和六三年六月九日付け号外にこの抗議書の内容を掲載した上で、「…今回の組合の行為は、あまりにも慎重さを欠いた、軽率、無責任な行為であると云わざるを得ません。会社は今回の組合の行為に対して、会社が受けた損害について賠償請求すること及び組合責任者の厳正なる処置は当然行っていく考えであります。この処置処分は賃上げ交渉が終わった時点で実施します。」などと記載した。(<証拠略>)

(2) 同月二二日付け号外

同月二二日付け号外には、前記新労組の結成に関連した六月二〇日付けの補助参加人組合からの申入書及びこれに対する同月二二日付け原告の回答書を掲載した。

なお、右回答書中、「新組合として認めることとする。」、「解雇するか、しないかの決定権が会社にあることは明らかである。」、「会社は脱退者を解雇しない。」という部分に二重下線を引いた。(<証拠略>)

(3) 同月二四日付け号外

同月二四日付け号外には、「六月二二日、太田薫氏が組合集会で演説した。これを受けて、組合は六月二七日以降のストは中止するとの方針を打出している。…太田氏の一喝で成り振り構わず方向転換するとは、内山労組には筋が無いのだろうか。

…自分達のことを自分達で処理できず、絶えず外部の力に頼らねばならないような、無能者を相手にする余裕は今の会社には無い。「生き残り」をかけた必死の努力を阻害するような者とは、あくまで対決姿勢を崩さない考えでいる。」などと記載した。(<証拠略>)

(4) 同年七月一五日付け号外

同年七月一五日付け号外には、「自らの生活は、自ら生み出し安定させていけばよいのです。ニギリこぶしを突き上げ、大声で張り上げ、「頑張ろう!」といって見ても、何にも得られません。…この一五か月間、会社も大きな痛手を被っています。管理職の応援にも限界があって、取引先に対する受注辞退、生産職場の縮小など、争議が終わっても、その修復には相当期間を要すると思いますし、修復出来る見込みの無いものもあります。これらは「争議」によって失われたものなのです。」などと記載した。(<証拠略>)

(5) 同月二一日付け号外

同月二一日付け号外には、補助参加人組合を脱退した八名の氏名を記載し、「…脱退したことは「解雇」とは全く関係なく、なんら問題になりません。」などと記載して、この部分に下線を引いた。

また「融資ローンについて」という標題で、「両組合に入っていない人は、三和銀行によりローン(返済融資も含めて)を切り換えることを行います。詳細については、本社総務部又は各工場の事務課に遠慮なくご相談下さい。」と記載した。(<証拠略>)

(6) 同月同日付け号外

同月同日付け号外には、「社員の皆さんへ」と題する社長談話として、「…皆さんが、現実にそくして目をみひらいて会社のあり方、組合のあり方を公平に判断し、態度で示さない限り、残念ながら我社は活力を失って行くでしょう。…会社は過去一五年間にわたり、組合の良識を信じ我慢強く労使の協調を図るべく努力してきました。しかし、内山労組の幹部には、会社を犯罪者としてしまいたいという、愛社精神のかけらさえも持っていないことを知り恐怖感を憶えています。…また会社の労務政策が遅れていると言われましたが、その通りだと私も反省いたしております。これを機に、新労務政策を打ち出し、大幅な人事異動、配置転換をはかり、良識ある社員の皆さんに喜んでもらえるような会社づくりに邁進いたします。社員の皆さん、本当に〝俺は人間として正しい道を選んだんだ〟と人生に悔いを残さない道を選択して下さい。社会には常識というものがあり、心の中には良識を持たなくてはなりません。」などと記載した。(<証拠略>)

(7) 同年八月二二日付け号外

同年八月二二日付け号外には、「会社は、皆が努力して発展する会社づくりに、一層の努力をしていかねばならないと考えています。従業員として協力してもらえる人達と一緒に「生活向上」に向け進んでいきたいのです。組合が会社を経営しているのではないのです。経営者に能力がないと思うなら、いつまでもしがみついていないで、去ったらいかがですか?会社の立場を考えない組合は会社を潰すものです。これは排除して行かねばなりません。」などと記載した。(<証拠略>)

(8) 同年九月一六日付け号外

同年九月一六日付け号外には、「最近、内山工業新労組、内山コルク労組の組合員の方々から、「我々の組合は、会社と労働協約を結んでいないが、一体我々の労働条件はどうなるのか不安だ」との声が出ています。しかし、結論的に言えば何の不安もありません。労働時間をはじめとして、いろいろと労働条件に関して定めた現行の規定を、内山工業新労組、内山コルク労組にも適用していきますので問題はありません。」などと記載した。(<証拠略>)

(9) 同年一〇月一九日付け号外

同年一〇月一九日付け号外には、「問題がある組合規約の改訂!内山工業労組は本当に組合員のことを思ってやっているのでしょうか?…新しい規約下では、自由は全くなくなりますネ!」などと記載した。(<証拠略>)

3  氏家に対する草むしりやスクラップの焼却等の作業指示及び配置転換

(一) 茅ヶ崎工場の組織構成及び人事

(1) 茅ヶ崎工場の組織は、同工場長の下に課を置き、課の下に組又は班を置き、組のあるところには組の下に班を置いて構成していた。また、課のスタッフとして、課長のほか主任がいる。(<証拠略>)

(2) 茅ヶ崎工場の組織変更及び人事異動は同工場長が行い、これらは形式的には原告の代表取締役等の役員、各工場長などで構成されている「部門長会議」で承認する方法がとられていたが、現実には同工場長の決定に対して異議が唱えられたことはなかった。(<証拠略>)

(二) 氏家の化成品組組長就任

(1) 昭和六二年一月、茅ヶ崎工場は、化成品製造課のウレタン組とプラスフォーム組を化成品組一つに統合する組織変更を行った。また、同年二月からは新たにふすまの生産を開始し、ふすま班を新設した。(<証拠略>)

(2) 以上の組織変更に当たり、久米工場長は、当初、当時のウレタン組組長大津豊光が新しくできる化成品組組長に適任であると考えていたが、同人は家庭の事情を理由にこれを辞退した。このため、久米工場長は、当時ウレタン組の班長であった氏家に化成品組組長への就任を要請した。これは、氏家には人をまとめて行く能力があると受け止めていたためであった。

これに対して氏家は、「ウレタンの仕事以外の知識はなく、組長の職務に自信がない。」などと組長就任を辞退したが、同工場の職制らの説得を受けて、昭和六二年一月二一日、化成品組組長に就任した。(<証拠略>)

(3) 氏家は、化成品組組長に就任したのち、一泊二日の日程で、すでにふすまの生産を行っていた大阪工場に出張し、ふすまの製造現場を見学するなどした。また、これと前後した時期に、ふすま班班長関根昭三郎(以下「関根」という。)は、約三週間程度、大阪工場でふすまの製造実習を行った。

茅ヶ崎工場では、関根が大阪工場から戻った同年二月中ころからふすまの製造を開始し、氏家は、関根とともに同年四月末ころまでふすまの製造に従事した。(<証拠略>)

(4) その後、氏家は、ウレタン以外の化成品組の仕事について、当該職場に休暇等で欠員が生じた場合などにそこへ入るなどしながら覚えて行ったが、特定の者から訓練や研修を受けたことはなかった。(<証拠略>)

(三) 氏家に対する草むしりやスクラップの焼却等の作業指示

(1) 前記のとおり、補助参加人組合は、昭和六三年四月一二日から同年六月二四日まで波状的にストライキ(重点部門ストライキ)を実施したが、茅ヶ崎工場では、氏家のほか、王冠職場などの組合員一二名ないし一四名を重点部門ストライキの対象者として指名した。補助参加人組合は、同月二七日右ストライキを解除した以後も、残業拒否、連続作業の非協力闘争を指令したが、同月三〇日、これを解除した。

なお、化成品組職場で重点部門ストライキの対象とされたのは氏家のみであった。(<証拠略>)

(2) 前記のとおり補助参加人組合が重点部門ストライキを解除した同年六月二七日、久米工場長は、朝礼で、氏家を化成品組組長の職務に復帰させない旨述べ、氏家は、同日から同年九月一三日まで、久米工場長の指示により、茅ヶ崎工場構内の草むしりやスクラップの焼却等の作業(以下「本件作業」という。)に従事した。その際、同工場長や化成品製造課主任などが同作業を手伝うことがあった。なお、氏家以外の指名ストライキ参加者は、従来の職場に復帰した。(<証拠略>)

(3) 氏家及び補助参加人組合茅ヶ崎支部は、茅ヶ崎工場に対し、氏家に対して本件作業の指示が出されたことにつき抗議をし、氏家の原職復帰を求めた。(<証拠略>)

(4) 同年七月二二日、氏家と久米工場長とで話合いが行われたが、この際、久米工場長は、「氏家に対する作業の指示は、組合員に対するみせしめではなく、五Sをしてもらっている。」などと述べた。

なお、「五S」とは、整理、整頓、清掃、清潔及びしつけのことであり、原告が昭和五九年ころから、無駄を省き、原価の低減、品質・生産性の向上、作業者の安全などを図る目的で、従業員全員に周知し実施させてきたものである。(<証拠略>)

(5) 同年七月二八日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は、同年七月二六日開催の本部協議会において、原告側が、草むしりなどの作業に従事させているのは本社の指示ではない旨述べたとの情報を得たため、茅ヶ崎工場に対して、氏家に対する作業指示は本社がしているのか久米工場長がしているのかを明確にすることなどを交渉事項とする三役交渉を申し入れた。

これに対して、茅ヶ崎工場は、単なる話合いであれば応じると回答し、同年七月二九日、氏家ら補助参加人組合茅ヶ崎支部三役と久米工場長及び茅ヶ崎工場の労務等を担当する事務課高村輝義主任(以下「高村主任」という。)とで話合いが行われた。この話合いにおいて、久米工場長は、「氏家には工場長の裁量で五Sをしてもらっている。氏家がこれに適任であると判断している。期間はあと六か月もさせない。」などと述べた。(<証拠略>)

(6) 同年七月一一日ころ、補助参加人組合茅ヶ崎支部の副支部長柾本勲(以下「柾本」という。)は、従業員から、新労組の組合員も含む合計二二名の従業員が署名し、「氏家組長が六月二七日より二週間も元の職場復帰させないで草むしり作業をさせているのは、会社にとって非常に損失であると思います。早急に職場復帰をお願致します。」と記載された嘆願書を、久米工場長に提出するよう依頼された。

同年七月一九日、柾本は、久米工場長に上記嘆願書を提出しようとしたが、同工場長は、これを受け取らなかった。なお、嘆願書は同年八月はじめころに久米工場長に渡された。(<証拠略>)

(7) 同年九月一四日、氏家は化成品組組長の職務に復帰した。この間、化成品組組長の仕事は化成品製造課矢吹課長や同課吉原主任が行い、また、品質管理課の三木主任は同組の作業の応援を行った。(<証拠略>)

(四) 氏家の配置転換

(1) 昭和六三年一二月一九日、久米工場長は、朝礼で、同月二一日付け茅ヶ崎工場の人事異動について発表し、その内容が工場掲示板に掲示された。

内容は、従来のプラスフォーム班を成型班と加工班の二班に分け、氏家を加工班の班長に配属するなどであり、同月二一日、氏家に対し、加工班班長に任命する辞令が交付された(氏家に対するこの配置転換を、以下「本件配置転換」という。)。なお、加工班の人員は氏家を含めて二名であり、化成品製造課化成品組の組長は三木主任が代行する体制となった。

また、原告は、この時点において、いったん茅ヶ崎工場の加工部門の廃止を検討した。(<証拠略>)

(2) 同月二〇日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は、茅ヶ崎工場に対して同月二一日付けの人事異動に関して三役交渉を申し入れたが、同月二一日、同工場は、申入れの内容が判然としないので、具体的な明示があった上で対応する旨の回答を行った。なお、当該回答書には「個人の疑問、不平、不満等について具体的なことがあれば、当該者に対して聴取、説明は致します。」との付記がされていた。(<証拠略>)

(3) このため、同月二三日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は茅ヶ崎工場に対し、「氏家紘記を配転し、班長に降格させたのは何故か説明されたい。」、「氏家は中央執行委員である。にもかかわらず、事前協議を行わなかったのは何故か説明されたい。」などの六項目について再度三役交渉を申し入れた。

これに対して、同月二六日、高村主任は、杉山補助参加人組合茅ヶ崎支部書記長に対して「労働組合と事前に協議しなければならない義務はなく、現時点で交渉をする考えはない。工場として説明を要すると認めた事項については本人に対して説明をする。氏家の配転問題は、本人が説明を求めれば本人に説明する。」などと回答した。(<証拠略>)

(五) 昭和六三年一二月二一日付け人事異動後の茅ヶ崎工場の組織変更及び氏家の配置転換

(1) 平成元年一一月二一日、化成品組が廃止された。

(2) 同年一二月二一日、化成品製造課と王冠課の二課が製造課の一課に統合された。

(3) 平成二年九月二一日、ふすま班をふすま組とし、加工を外注委託にして加工班を廃止した。これに伴い、氏家は、加工班班長からウレタン班の班員に配属された。(<証拠略>)

(六) 化成品組組長の職務内容及び組長手当

(1) 化成品組組長は、オペレーターとして作業に従事する必要はなく、同組長の職務内容は、ア 課長からの生産予定等の指示を各班に伝達する、イ 各班の人員の出欠状況を確認し、欠勤者が出た場合等に他班からの応援、組長自らの応援等によって人員調整を行う、ウ 各班の作業状態を把握する、エ できあがった製品が指示されたとおりの品質かどうかの確認をする、オ 部下の能力を把握し、信頼関係を確立するなどにあった。(<証拠略>)

(2) 氏家の組長在任中及び昭和六三年一二月の給与まで、組長手当は月額四〇〇〇円であり、班長手当は月額三〇〇〇円であった。なお、平成元年一月の給与からは、組長手当は月額七〇〇〇円、班長手当は月額四五〇〇円に引き上げられた。(<証拠略>)

4  「道楽」での会合及び組合脱退等の状況

(一) 昭和六三年六月二七日、補助参加人組合茅ヶ崎支部組合員上野均(以下「上野」という。)は、同組合員梶田祐三(以下「梶田」という。)から、「明日午後五時三〇分ころから、茅ヶ崎の飲食店「道楽」で、会社から新労組について説明があるので、他の人には内緒で行ってみないか。」と誘われ、これに参加する約束をした。

翌日の二八日終業後、上野と梶田は茅ヶ崎工場食堂で待ち合わせ、「道楽」に行った。両名が同所に着いたところ、座敷には、補助参加人組合茅ヶ崎支部の組合員である内田英一(以下「内田」という。)、相原昭夫(以下「相原」という。)、山本実(以下「山本」という。)及び関根、さらには、久米工場長及び高村主任(以下、久米工場長及び高村主任を総称して「久米工場長ら」という。)が着席していた。

この会合では、新労組結成等に関する話がされた。

この間、上野ら出席者は、ビール、つまみ等を飲食したが、これらの店への注文は久米工場長が行い、会計は高村主任が済ませた。なお、その後、上野は、当日の飲食代を高村主任ら他の出席者から請求されたことはなかった。

(二) 前記のとおり、昭和六三年六月二九日から、補助参加人組合茅ヶ崎支部において同組合からの脱退者が出たが、同日以降の脱退者数の推移は次のとおりである(同月二八日における同支部組合員数は二九名)。

昭和六三年六月二九日・四名

同年七月四日・七名

同月五日・一名

同月七日・一名

同月一一日・三名

同月一九日・一名

同月二一日・二名

合計 一九名

(<証拠略>)

5  命令の存在

(一) 初審命令

補助参加人らは、被告に対し、原告を被申立人として、神奈川県地方労働委員会に対し、昭和六三年八月八日不当労働行為の救済申立てをした(神労委昭和六三年(不)第一五号事件)が、これに対し、同委員会は、平成三年一〇月二九日、以下のとおりの主文で命令(初審命令)を発した。

「1 被申立人は、氏家紘記に対する昭和六三年一二月二一日付けの人事異動がなかったものとして取り扱い、同人を被申立人会社茅ヶ崎工場における原職相当職に復帰させなければならない。

2 被申立人は、申立人組合茅ヶ崎支部の支部長に対して従来業務以外の草むしりやスクラップの焼却等の雑作業に従事させるなどの不利益取扱いをしたり、同支部の組合員に対して組合からの脱退工作をすることによって、申立人組合の運営に対して支配介入してはならない。

3 被申立人は、本命令後速やかに、下記の誓約書を縦一メートル、横一・五メートルの白紙に楷書で鮮明に墨書し、本社及び茅ヶ崎工場の正門の見やすい場所に、一〇日間掲示しなければならない。

誓約書

当社が、貴組合茅ヶ崎支部の氏家支部長に対して、昭和六三年六月二七日から同年九月一三日まで茅ヶ崎工場化成品製造課化成品組組長の業務に従事させず、草むしりやスクラップの焼却等の雑作業に従事させ、かつ、同年一二月二一日付けで同課加工班班長に降格発令をしたこと、また、同年六月二八日、貴組合茅ヶ崎支部の組合員に対して、貴組合から脱退することに伴う労働金庫ローンの扱いに関する不安を解消させるなど、貴組合からの脱退を促進させる言動をとったこと、これらはいずれも、神奈川県地方労働委員会により労働組合法七条に該当する不当労働行為であると認定されました。

当社は、再びこのような行為を繰り返さないことを誓約します。

年 月 日

全国化学労働組合協議会内山工業労働組合

中央執行委員長 向井進殿

氏家紘記殿

内山工業株式会社

取締役社長 内山幸三」

(二) 本件命令

原告は、初審命令を不服として、平成三年一一月一一日、被告に対し、再審査の申立てをした(中労委平成三年(不再)第五七号事件)が、これに対し、被告は、平成七年四月一九日、以下のとおりの主文で命令(本件命令)を発した。

「Ⅰ 初審命令主文第2項を次のとおり改める。

2 被申立人は、申立人組合茅ヶ崎支部の支部長に対して、同人の組合活動を理由として本来業務以外の草むしりやスクラップの焼却等の作業に専ら従事させるなどの不利益取扱いをすること及び同支部の組合員に対して同組合からの脱退工作をすることによって、同組合の運営に支配介入してはならない。

Ⅱ 再審査申立人のその余の本件再審査申立てを棄却する。」

二  争点

1  原告の補助参加人組合に対する嫌悪等の有無について(原告と組合との労使関係)

2  原告が氏家に対してした本件作業の指示は、不当労働行為に当たるか。

3  原告の氏家に対する本件配置転換は、不当労働行為に当たるか。

4  氏家の原職相当職への復帰を命じた命令主文は、労働委員会の裁量権を逸脱したものといえるか。

5  昭和六三年六月二八日の「道楽」での会合における久米工場長らの言動は、補助参加人組合の組合員につき補助参加人組合からの脱退を促進させる目的で行われたものか。

第三当事者の主張

一  原告の主張

1  原告と補助参加人組合との労使関係にかかわる背景事情について(争点1関係)

(一) 昭和六二年春闘及びその後の状況

昭和六二年春闘において、賃上げ交渉が難航し、岡山地方労働委員会にあっせん申請を行うこととなった理由は、原告会社と補助参加人組合とのトップ交渉において全産業の平均額でもって決めることでいったん合意したところが、後に補助参加人組合側がこの合意をほごにしたことにある。このような行為は、労使間の信頼関係を失わせる非常識なものである。

昭和六二年春闘後のL八九プレス移設問題においては、補助参加人組合は、原告に対し、正当な業務命令であるのにこれについて陳謝を求め、時間外協定の再締結の申入れに対しても右陳謝を条件としてきたため、やむを得ず同協定不締結のまま生産を行うこととなった。この間、補助参加人組合の組合員から、残業を行うことができない不満が聞かれていた。

(二) 昭和六三年春闘

昭和六三年春闘においては、原告は、四月三〇日までのストライキが終了するのを受けて、五月六日に団体交渉を行う旨補助参加人組合に対して通知して取り決めていたが、その後補助参加人組合が、同日にストライキを行うことを通告してきたため、取り決めていた団体交渉が行えなくなり、これを中止したのである。原告と補助参加人組合とは、従前ストライキのないときしか団体交渉を行っていなかったが、補助参加人組合のこのような対応はこの従前からのルールを無視したものであるといわざるを得ない。

その後、補助参加人組合は、六月一〇日に突然団体交渉の申入れをしてきたが、交渉内容としては、「回答額の上積み要求」のみであるということであったので、原告はこれを行っても意味がないと考えた。原告が、自動車部品企業としての再生に総力を上げて取り組んでいる上、回答額は業界と比較して勝っているのに対し、補助参加人組合がいつまでも別世界に安住する考えでいたのでは、原告会社の存続はないのであって、補助参加人組合が考えを変えてくれることを期待したのである。

(三) 昭和六三年春闘前後の労使関係

昭和六三年春闘前後における労使関係に関して本件命令が問題としている組合賜暇休暇、組合旗の掲揚、放送設備の利用、修養館の利用、組合関係者の工場内入構についての制限の点は、原告会社の補助参加人組合に対する便宜供与又は会社の施設管理権の範囲内の問題であり、補助参加人組合が当然に求め得る権利ではなく、使用者の権利の濫用と認められる特段の事情がない限り支配介入にはならない。

賜暇休暇に関しては、補助参加人組合は、その適用を拡大解釈して要求するようになり、賜暇休暇中にパチンコ店に出入りする者が出たり、賜暇休暇が拒否されたのでストライキを行うというまでにエスカレートしていたため、原告は、賜暇休暇は便宜供与であるとの基本的な考え方により、昭和六三年六月以降は組合賜暇休暇の申請を厳密に解釈運用することとして補助参加人組合に通告したのである。

放送設備の利用に関しては、原告は、電話機から直接放送ができるようになった昭和六〇年四月以降も、それ以前と同様原告の許可を得て利用しているものと考えていたが、昭和六三年に至り許可なしに放送していたことが判明したため、補助参加人組合に対して抗議を行ったものである。

組合関係者の工場内入構制限に関しても、昭和六三年七月一四日及び同月一八日の両日、邑久工場において、外部オルグの者が管理職の入門を妨害し、また、同月二七日には、本社工場において、会社役員、管理職の入門を妨害し、あるいは勝手に構内に立ち入った事実があったため、このころから入構制限を強化したのである。

(四) ストライキ解除後の応援作業指示及び藤崎作業所への配置

昭和六三年六月末、ストライキが突然中止となり、一〇七名という多数の余剰人員を吸収しなければならなくなった。しかし、長期のストライキの結果縮小した規模で運営していた職場体制では、この余剰人員に対して即刻対応できないのであって、そのため、受注獲得努力の成果あるいは見通しがつくまでの期間、緊急避難的に応援作業の指示を行ったというものである。

また、その後同年一〇月四日に人事異動を行ったが、この時点でも余剰人員がおり、これを解雇することなく社内で吸収するために、藤崎作業所を設置して一二名を配置したのである。一二名の人選も公正に行った。

本件命令は、新労組が結成された時期で、かつ、応援作業に従事した者のうち職場復帰した者のほとんどは補助参加人組合を脱退した者である旨認定するが、応援作業指示と新労組結成とは無関係であり、また、職場復帰させたことにはそれぞれ合理的な理由があるから、組合脱退とは何ら関係はない。

(五) 労働協約

原告会社には、「労働協約」と題する書面はあっても、それに署名又は記名押印されたものは存在しない。したがって、労働組合法一四条所定の労働協約としての効力は一切有しない。

2  氏家に対する本件作業は不当労働行為に当たらないことについて(争点2関係)

(一) 原告が氏家に指示した作業は、いわゆる五S作業である。「生産は五Sに始まり五Sに終わる。」とまで言われる(<証拠略>)ように、生産工場において五S作業は極めて重要である。本件命令は、清掃作業は「雑作業」であると前(ママ)提に立っているが、五S作業の重要性に対する根本的な認識と理解に欠ける誤った判断であるというべきである。

(二) この作業を指示した時期には、二か月半の長期にわたるストライキの結果、五Sがおろそかとなり、特に工場外が汚れ乱れていた。したがって、早急に五S作業に取りかかる必要があったところ、同作業を専従として行う従業員がいない状況であったため、氏家一人だけがストライキを行ったのみでストライキ期間中生産に支障が生じていなかった化成品組から氏家を選んで作業を指示したのである。

また、作業内容についてみても、氏家に同作業を行わせた期間のうち前半は、主に氏家単独による清掃作業であったが、後半は、主に二人、場合によっては四名から六名の共同による営繕作業であった。

(三) 以上のとおり、氏家に対する本件作業の指示には、業務上の必要性・合理性があったのであって、これに反する本件命令の認定・判断は明らかに誤りである。

(四) なお、氏家が同作業に従事しても、待遇、組合活動において何ら不利益・不都合は生じなかったのであって、この点でも同作業の指示は不利益取扱いには当たらないというべきである。

3  氏家に対する本件配置転換は不当労働行為に当たらないことについて(争点3関係)

(一) 本件命令は、氏家を化成品組加工班班長へ配置転換したことを降格であると認定する。しかし、班長、組長は役職(組織編成の中で決められている役割であり、職務の分担であって、資格とは異なる。)であり、一年任期で任命しているものである。原告の経営の期は、九月二一日に始まり翌年の九月二〇日までである。原告は、毎年期首(九月二一日)に定期人事異動を行っている。役職は期首に毎期新しく発令される。すなわち、役職は一年を任期として定められており、期が終わることによりその役職は終了する。役職任期の満了により役職を外れることは降格ではない。このように、新しい期に際しては前役職に関係なく新たに任命されるという制度となっているのであるから、本件配置転換が降格ということはあり得ない。本件命令は、このような役職任命制度に対する無理解によって誤った判断を行っているということができる。

なお、昭和六三年には、茅ヶ崎工場の定期人事異動は、生産体制が年末まで延長されたことから、同年一二月二一日付けで行われた。氏家の化成品組組長職は同年一二月二〇日をもって満了した。

(二) 本件命令は、氏家が組長に不適格であることの疎明が足りないとする。しかし、原告としては、そもそも氏家を班長に任命する予定であったところ、組長に任命する予定であった大津がその任命を受けなかったため、急きょ氏家を化成品組組長に任命した。原告は氏家の成長を期待したが、氏家は、ふすま及び建具の職務への理解がなく、ふすま班を掌握できず、プラスフォームの加工職場のみの狭い範囲しか統率できず、特に昭和六三年九月一四日に化成品組組長職に復帰後は組長としての職責を十分に果たせず、三木組長代行時に比較して生産トラブルや職場内の不満が多いなど、組長としての実績を上げることができなかった。そのため、原告は、昭和六三年一二月二一日の組織編成において氏家を化成品組組長に任命しなかったのであって、あくまで原告が氏家の実力を評価した結果なのである。この点に関する本件命令は明らかに誤りである。

(三) なお、本件命令は、本件配置転換が不当労働行為に当たる根拠の一つとして、茅ヶ崎工場の加工部門は昭和六三年一二月時点で既に廃止が検討されていたところ、後に実際に加工班が廃止されたという経緯を挙げる。しかし、当時プラスフォーム加工班にいた本城が会社を辞めるといううわさはあったが、原告は本城を引き止めてプラスフォーム加工を継続したのであって、原告には加工部門を廃止にするという考えはなかった。この点でも本件命令には誤りがある。

(四) 以上の点のほか、氏家が加工班班長に任命されたことによって組合活動上の不都合は一切ないことに照らせば、この任命行為が不当労働行為に当たる余地はない。

4  氏家の原職相当職への復帰を命じた命令主文の裁量逸脱について(争点4関係)

前記のとおり、昭和六三年一二月二〇日に氏家の組長職は終了している。それにもかかわらず、本件命令は組長に任命することを意味する原職相当職復帰を命じている。これは、会社の人事権を侵害するものであって、労働委員会の裁量の範囲を逸脱した違法なものである。

5  組合脱退工作の不存在について(争点5関係)

(一) 昭和六三年六月二〇日、原告は、邑久工場の一三名による新労組結成の通知を受けた。このような事態にどのように対処すべきか慎重に検討した結果、憲法上団結権が保障されている以上、少数組合であっても否定することはできないとの結論に達したのである。

補助参加人組合は、同年に分裂して四つの団体となった。このような分裂を原告会社の力で行うことができるはずはないし、その必要もない。むしろ、原告としては、補助参加人組合が分裂した結果、あらゆることが複雑となり、困惑しているのが実情である。

補助参加人組合がこのように分裂したのは、補助参加人組合内部に不満、不信があったからにほかならない。

(二) 原告が補助参加人組合の組合員に対して脱退工作を行った事実はない。

本件命令は、昭和六三年六月二八日に行われた「道楽」での会合に、久米工場長らが出席し、両名の席上での発言が組合脱退を促進させた旨認定するが、両名は従業員である組合員からの疑問に対して会社としての考えを答えたに過ぎず、その回答も事実に基づくものであって、これをもって組合脱退を促進したなどということにはならない。

本件命令は、上野均の陳述書(<証拠略>)及び同人の初審審問における証言(<証拠略>)によってこの点に関する事実を認定している。しかし、右陳述書は「道楽」での会合の数か月後に作成されたものであること、上野は、「道楽」での一次会の後二次会にも参加しているところ、脱退用紙を梶田が作成すること、内田が補助参加人組合に残って他の組合員を引っ張ること、その他脱退の時期等に関しては、久米工場長らが出席していない二次会において出た話題であること等からすれば、上野の右陳述書及び証言は、意図的に事実を歪曲した虚偽のものであるということができる。

6  よって、本件命令は取り消されるべきである。

二  被告の主張

1  原告と補助参加人組合との労使関係について(争点1関係)

(一) 原告は、昭和六一年ころから主力製品を自動車関連部品に移行させたことに伴い、賃上げの額、回答時期等について自動車関連業界の動向を見極めたい旨補助参加人組合に申し入れるようになったこと、補助参加人組合は、これを原告の賃金抑制策であるなどとしてストライキを実施するなどしたが、原告は、昭和六三年春闘において、賃上げの有額回答後は補助参加人組合の再三にわたる団体交渉要求に応じなかったこと等からすれば、原告の主力製品の変更後、賃上げ等をめぐって労使間の対立が激化していったことが認められる。

(二) また、補助参加人組合が昭和六三年春闘における波状ストライキを収拾した後、原告は、ストライキ参加者の一部を職場復帰させず、営繕緑化部門等への応援作業に従事させたこと、その後も、組合員一二名を藤崎作業所に配転させたこと、これらの行為は新労組が結成された時期にされたものであること、右応援作業に従事した者のうち職場復帰を果たした者のほとんどは組合脱退者であったこと、原告は、同年春闘の後半から、補助参加人組合に対して従来認めてきた組合賜暇休暇や会社施設利用について制限を加えるようになったこと、同年一〇月には、労働協約の無効を主張し始めたこと、ウチヤマニュースを通じて、補助参加人組合に対するひぼう・威嚇、新労組等への加入の示唆ともいうべき情報を流布したことが認められる。

(三) 以上の事実からすれば、原告は、自らの経営政策に反対し、長期のストライキなどで対抗する補助参加人組合を次第に嫌悪し、補助参加人組合に対する対決姿勢を固めていったということができる。

2  本件作業の指示について(争点2関係)

(一) 原告は、氏家にのみ、約二か月半にわたって、草むしりやスクラップの焼却等の作業に専ら従事させており、これらの作業は従来主として社外から派遣された者及び処理業者が行ってきたことからすれば、工場の運営上整理整頓は必要なことであり、原告がこれを重視していたこと、長期ストライキ後職場の整理整頓が必要であったこと、長期ストライキによる余剰人員が発生したこと、ストライキ後の生産回復で従業員全員に同作業を行う余力がなかったこと等の事情を考慮しても、氏家にのみ専ら同作業に従事させる必要があったか否かについて疑問がある。

(二) また、氏家は組長であったところ、組長職は特にストライキ後の生産回復という場面では大きな職責を有すると考えられ、ストライキ実施中に業務に支障がなかったからといって、それが本来の職務に復帰させない理由とはなり得ないというべきである。

(三) よって、茅ヶ崎工場長が氏家を本件作業に専ら従事させた行為には合理性が認められない。そして、1のとおりの原告の強固な態度等を併せ考えれば、原告が本件作業を指示したことは、原告の意に沿わず長期のストライキを実施した補助参加人組合を嫌悪し、補助参加人組合茅ヶ崎支部長である氏家を不利益に取り扱うとともに、補助参加人組合の弱体化を図ったものであると判断される。

3  本件配置転換について(争点3関係)

(一) 茅ヶ崎工場の組織機構上、組長が置かれた部署では組長の下に班長が置かれていること、組長手当の方が班長手当に比べて高いこと等からすれば、氏家を化成品組組長から加工班班長とした本件配置転換は、その実質からみて降格と認めるのが相当である。

(二) 氏家が組長に不適格であったことの疎明はない。そして、氏家の組長在職中、原告がその職務執行態度等について注意・しっせきをした事実は認められないこと、一時金支給については上位といえる査定を受けていたことを併せ考えれば、氏家の配置転換の理由は組長に不適格であったからとする原告の主張に合理性は認め難い。

(三) 以上の事情のほか、1のとおりの原告の態度、2のとおりの氏家に対する作業指示、茅ヶ崎工場の加工部門は昭和六三年一二月時点で既に廃止が検討されていたところ、後に実際に加工班が廃止されたという経緯をも併せ考えれば、原告の氏家に対する本件配置転換は、補助参加人組合を嫌悪していた原告が、補助参加人組合茅ヶ崎支部長である氏家を不利益に取り扱うとともに、補助参加人組合の弱体化を図ったものであるというべきである。

4  茅ヶ崎工場における脱退工作について(争点5関係)

「道楽」での会合における久米工場長らの言動の内容のほか、同会合は邑久工場において新労組が結成された直後に行われたものであること、同会合の翌日には出席した組合員五名のうち上野を除く四名が補助参加人組合を脱退し、うち三名が新労組の役員に就任したこと、会合後には組合脱退者が相次いだこと、原告は、同会合前後のウチヤマニュースにおいて、原告は脱退者を解雇しないこと、あるいは組合未加入者には融資ローンの切換えを行うこと等を記載したことを併せ考えると、同会合での久米工場長らの言動は、新労組結成に当たり、人事等に関する組合員の不安の(ママ)解消するとともに、脱退しても解雇問題やローンの扱いについて不利益がないこと、脱退者に対しては便宜供与を行うことを示唆し、もって組合脱退を促進させる目的にあったものとみることができる。

三  補助参加人らの主張

1  原告と補助参加人組合との労使関係にかかわる背景事情について(争点1関係)

(一) 原告の主張1の(一)(昭和六二年春闘及びその後の状況)について

同主張のうち、賃上げ額を全産業の平均額をもって決定するというトップ間の合意が行われたこと、後に補助参加人組合側がこの合意をほごにしたことは否認する。

L八九プレスの臨時社員による増員について補助参加人組合が反対したところ、原告はこれに誠実に対応せず、業務命令と称して臨時社員を異動させて稼動することを強行した。原告のこのような強硬な姿勢は従来みられなかったことなので、補助参加人組合としてこれに抵抗し、抗議したのである。

原告は、このような状況の中で、組合員の中から補助参加人組合に批判的な者を選別していたものと考えられる。

(二) 原告の主張1の(二)(昭和六三年春闘)について

昭和六三年春闘において特徴的であったのは、原告は最終回答をした後は一切の団体交渉を拒否したことである。原告はその理由として、ストライキのないときにしか団体交渉をしないという慣行があったことを挙げるが、そのような慣行は全くなく、かえって、労働協約には、ストライキ中でも要求があれば団体交渉をすることが規定されているのである。

また、原告は、補助参加人組合が考えを変えない限り団体交渉をしても無意味であると判断した旨主張するが、これは団体交渉拒否の理由となり得ない。

(三) 原告の主張1の(三)(昭和六三年春闘前後の労使関係)について

便宜供与等に対する原告の考え方は、法律論として基本的に誤りである。便宜供与といえども、憲法、労働法で保障された団結権についての一つの具体的な承認であり、労使間の集団的な契約であって、会社の恩恵・善意とか、自由裁量といったものだけに支配されるわけではないからである。

また、組合賜暇休暇、組合旗の掲揚、放送設備の利用、修養館の利用、組合関係者の工場内入構についての制限の点は、従前原告は一定の手続の下で承認していたところ、事前の協議も話合いもなく、突然、一方的にこれらを拒否したのであって、補助参加人組合との対立、補助参加人組合の分裂という争議の最中に行われたことをも併せ考えると、まさに不当労働行為というべきである。

(四) 原告の主張1の(四)(ストライキ解除後の応援作業等)について

ストライキ解除後の応援作業指示は、本来の職場には入ることも許されず、作業を命じられた上、補助参加人組合分裂後は脱退者あるいは脱退を約束した者から順次職場に復帰していくというものであり、一時的に緊急事態に対処したり、職場の繁閑を調整するものとは基本的に異なる。補助参加人組合には事前協議もなく、一方的に告知されて実施されたものであるし、パート職員を引き上げて対応すれば足りたのである。

また、藤崎作業所における作業は、従来内職で行われていた単純な手作業であり、専門分野の業務に熟練していた被配転者にとって屈辱的なものであった。原告は、ストライキの影響から余剰人員が発生していたため、その吸収策として同作業所を設置し、人事異動を行ったと主張するが、原告会社全体としてはストライキ中の生産減少はほとんどなく、その業績も順調であったし、熟練工や技術者をわざわざ作業に従事させる合理的な理由はなかった。しかも、配転されたのは補助参加人組合の活動家ばかりであり、その人選には重大な疑問があるのである。

以上のとおり、応援作業指示及び藤崎作業所への配転には、必要性・合理性がなく、したがって、不当労働行為に該当するというべきである。

(五) 原告の主張1の(五)(労働協約)について

現存する労働協約に署名又は記名押印がされたものがないことは事実である。しかし、問題は、原告が労働協約と認めてこれを尊重し、さらには、補助参加人組合に対して、ストライキ事前通告等の規定についてその遵守を求めていたにもかかわらず、署名等がないと知るやこれを全面的に否定してきたことである。

2  本件作業の指示について(争点2関係)

原告は、氏家には五S作業に従事させたとし、そのことを前提に本件命令の認定・判断の誤りを指摘するが、五S作業に従事させたことそれ自体が事実ではない上に、そもそも不当労働行為該当性の判断にとっては、五S作業に従事させたか否かではなく、実際にいかなる作業に従事させたかが重要である。

氏家に与えられた作業の内容は、屋外における単純な肉体労働であり、また、氏家に本来の組長の業務に従事させず、長期間にわたってこのような作業に従事させたことに照らせば、本件作業の指示はそれ自体過酷なものということができる上、本人に屈辱感を与え、長期間ストライキを行った補助参加人組合の指導者に対する制裁、みせしめの意味も持つものというべきである。したがって、本件作業の指示が不利益取扱いあるいは支配介入の不当労働行為に該当するのは当然である。

3  本件配置転換について(争点3関係)

(一) 原告は、班長、組長などの役職は一年任期で任命している旨主張する。

しかし、原告は、氏家に対して任期が一年であると伝えたことはなく、任期が一年であることを公表したこともない。さらに、原告は、昭和六三年の人事異動における辞令書に「右者現職を解き」と記載しているのであって、これは原告の右主張と矛盾する。

任期が一年であるなどということは、本件救済申立後初審手続の結審間近になって突然原告が主張し始めたことである。

(二) 原告は、氏家は組長としての職責を十分果たしていなかったから、本件配置転換には合理的な理由がある旨主張する。

しかし、氏家は、組長就任後大過なく職務を遂行していた。このことは、氏家が組長在職中、組長としての職務執行態度等について注意・しっせきを受けたことや業務上の支障を生じさせたことがないことからも明らかである。

4  本件命令が原職相当職への復帰を命じたことについて(争点4関係)

原告は、原職相当職への復帰命令につき、労働委員会としての裁量の範囲を逸脱した違法がある旨の主張をするが、組長・班長の任期が一年であるとの誤った事実を前提にした立論であって、失当である。

5  原告の組合脱退工作について(争点5関係)

「道楽」における会合は、工場長、主任が加わり、会社側の費用負担のもとにされた組合脱退、新労組結成の謀議であり、実際にも、この謀議の結果に従って組合脱退、新労組結成がされているのであるから、原告による支配介入の不当労働行為があったことは明らかである。

また、そもそも補助参加人組合の分裂は、原告が予め仕組んで補助参加人組合にストライキをさせ、団体交渉をしなかったことによってもたらされたものである。原告は右分裂の通知を受けた際、ウチヤマニュースでこのことを広報し、同時に、脱退者は解雇しないと強調したのである。

6  以上のとおり、本件命令は適法であるから、原告の請求は棄却されるべきである。

第四当裁判所の判断

一  原告の補助参加人組合に対する嫌悪等について(争点1)

1  争いのない事実等2のとおり、昭和六一年から昭和六三年にかけての原告と補助参加人組合との労使関係等につき、次の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和六一年ころからその主力商品を自動車関連部品に移行するようになったことから、同年の春闘ころから、補助参加人組合に対して、その旨を説明し始め、昭和六二年一月一三日開催の三役交渉においては、賃上げにつき広く世間の動向を見ることも必要であり、賃上げの回答はこれを見極めた上で行う旨の考えを述べ、同年二月九日の補助参加人組合支部等を交えた本部協議会においてもこれと同様の考えを述べ、さらに、同年三月一一日には、原告のこのような考えをまとめた「賃上げ回答時期に対する会社の考え方」と題する文書を補助参加人組合に提出し、補助参加人組合に理解を求めた。これに対して、補助参加人組合は、原告の考えは賃金を抑制し労働条件の切下げを行おうとする提案であって、容認できないとの考えを持っていた。

(二) 昭和六二年三月二三日、補助参加人組合は、原告に対して、昭和六二年の賃上げ回答日を同年四月八日に指定した。同年三月二六日、賃上げに関する最初の団体交渉が行われ、原告は、賃上げ額回答日を四月八日としたのでは、世間の賃上げ状況を見極めることはできない旨の考えを述べた。

原告は、右補助参加人組合回答指定日には賃上げ額の回答を行わず、同月二二日に至って賃上げ額の回答を行ったが、これを不満とする補助参加人組合は、同月一三日を皮切りに二四時間等のストライキを繰り返し、このストライキは延べ約二一六時間に及んだ。

なお、同年の賃上げ額は、岡山県地方労働委員会におけるあっせんにおいて妥結した。

(三) その後昭和六三年春闘に至るまで、邑久工場へのL八九プレス移設の問題に関し、補助参加人組合が原告に対し、その要員を臨時員ではなく正社員で対応するよう要求していたものの、邑久工場長は、他職場の臨時員に対してL八九プレス稼動に従事させる業務命令を出したこと、時間外協定の再締結の問題に関し、補助参加人組合は、業務命令によってL八九プレスの稼動を継続したことについて原告が陳謝しなければ、協定の再締結には応じられないとして、原告の同協定再締結の申入れを拒否したのに対し、原告は、三六協定の問題はL八九プレス対応の問題とは別個であるなどとして、三六協定を早急に締結してほしい旨主張したこと(なお、後に同協定は再締結された。)、エヌイーシール直出荷問題に関し、原告と補助参加人組合との間の協議において、補助参加人組合は、これに伴う人事異動の青写真を出すよう求めたが、結論が出るまでには至らないまま、原告は当初の予定に沿って同年三月末ころから徐々に直出荷を実施したこと、以上の各労使問題が生じた。

(四) 昭和六三年春闘においては、同年三月二四日、補助参加人組合は原告に対して、昭和六三年賃上げを二万〇五〇〇円とし、回答日は同年四月八日とする要求書を提出し、以後同年四月一九日までの間両者で団体交渉を行った。団体交渉では、補助参加人組合が賃上げ要求の趣旨について、原告が会社の現況についてそれぞれ説明し、賃上げ基準等について意見が交わされたが、回答日については、原告は、自動車関連業界の春闘回答を見極めるため同月二〇日前後に回答したいと主張し、補助参加人組合はあくまでも春闘集中決戦時期である同月八日を主張した。こうした中で、原告は補助参加人組合回答指定日に有額回答を行わず、同月一九日に至って最終的有額回答であるとして賃上げ額九四〇〇円の回答を行った。

補助参加人組合は、右のとおり原告が補助参加人組合回答指定日に有額回答を行わなかったこと、また、賃上げ額の上積み要求に対して原告が応じなかったことに抗議して、同年四月一二日から同年六月二四日までの間、重点部門ストライキを実施するなどした。

ところで、同年六月六日午前八時三〇分ころ、原告は、補助参加人組合に対して、争議通告書の記載の誤りを指摘して第一工場等の重点部門ストライキの解除を申し入れた。これに対し補助参加人組合は、記載の誤りであるとして修正を申し入れたが、話合いは平行線となり、同日午前九時過ぎころ補助参加人組合は右ストライキの解除指令を行った。同月八日、原告は補助参加人組合に対し、予告なしにストライキを行ったとして抗議書を提出した。

(五) 原告は、ストライキが行われた職場において、管理職や非組合員である臨時員等の応援によって生産対応を行い、補助参加人組合からの抗議に対しても、得意先を守り、協力工場及び内職者の生活権を守るという観点から必要な生産対応は行っていく旨の見解を示した。

茅ヶ崎工場においても、王冠職場においてストライキが行われていた間、同職場では工場管理職や原告の東京支店から派遣された者によって生産対応を行った。同年五月一六日、補助参加人組合茅ヶ崎支部は久米工場長に対して、「ストライキ中に部外者を現場作業させることは認めるわけにはいかない。今までの労使間の信義をほごにするものである。」旨抗議するとともに、この中止を申し入れた。

(六) 原告が賃上げの有額回答を行った昭和六三年四月一九日以降、補助参加人組合は、口頭又は文書によって賃上げ、同年夏分賞与確定等についての団体交渉を申し入れたが、原告は、従来から争議期間中は団体交渉を行わない労使慣行があるとしてこれを拒否し、結局団体交渉は開催されなかった。これに対し、補助参加人組合は、同年六月一六日、岡山地方裁判所に対し、団体交渉に応じること等を求める仮処分申請を行った。

補助参加人組合は、同月一七日新労組が結成されて組織防衛を優先させる必要から、同月二四日春闘を収拾することを決めるとともに、原告に対して団体交渉の申入れを行ったが、原告は補助参加人組合が右仮処分申請をしている以上、団体交渉を開催することはできない旨回答した。さらに、同月二九日、補助参加人組合は、原告に対して、前記同年四月一九日付けの原告の回答を受け入れる旨通知するとともに、昭和六三年度賃上げ額と配分の確認を交渉事項とした団体交渉の申入れを行ったが、原告は、同日、「組合が岡山地裁の仮処分申請を取り下げることが先決であり、同地裁より正式な通知を受けた後団体交渉を設定したい。」旨回答した。

同年七月七日、同月一四日に団体交渉を行うことが岡山地裁において決められた。これに基づき、同日、補助参加人組合と原告は団体交渉を行い、賃上げ額を九四〇〇円とするなどの合意をし、翌一五日、昭和六三年賃上げに関する協定書及び同年上期賞与に関する協定書を締結した。

(七) 昭和六三年六月一七日、邑久工場の組合員一三名は新労組を結成し、同月二〇日、補助参加人組合に対して脱退届を提出した。同日、久米工場長は、新労組の結成通知のファックスに「下記の通り本社より連絡ありましたのでお知らせします。茅ヶ崎工場長」、「事務所回覧」と記入し、食堂の掲示板に掲示するほか、同工場内に回覧した。

補助参加人組合は、原告に対して、茅ヶ崎工場での一方的な新労組結成通知の掲示は組合組織に混乱を持ち込む行為であると抗議するなどした上、脱退届を出した一三名は、除名処分をせざるを得ず、この場合労働協約五条に基づき解雇の対象となること等を指摘した。これに対して原告は、ア 新組合結成通知の掲示は、従業員に対しニュースとして知らせたまでであり、原告として補助参加人組合から指摘される理由はない、イ 原告としては、新労組の団結権を侵害することはできず、新組合を認める、ウ 除名された者の取扱いに関する労働協約五条但書をみれば、解雇するかしないかの決定権が原告にあることは明らかである、エ 原告は脱退者を解雇しない旨回答した。

このほか、コルク労組、大阪労組が結成され、この結果、補助参加人組合の組合員数は、昭和六三年六月一九日現在で三八二名であったところが、同年一二月一九日には一四一名まで減少した。

(八) 以上のほか、昭和六三年春闘以降の労使問題としては、原告は、組合賜暇休暇の扱いを厳格に運用して行くことを決め、昭和六三年春闘終結までは補助参加人組合執行委員長等の組合賜暇休暇を一切認めず、同春闘後も従前は認めていた組合賜暇休暇をほとんど認めないこととしたこと、原告は、補助参加人組合に対し、補助参加人組合がストライキを開始した同年四月一二日ころから各工場の原告敷地に組合旗を立てたことにつき抗議をし、同年六月八日には文書をもって撤去を要請したこと、原告は補助参加人組合に対して、構内放送設備を許可なく使用することを禁じたところ、補助参加人組合が従前どおりこれを使用したため、原告は、補助参加人組合幹部に対して、無許可で使用すれば処分を留保する旨の警告書を発したこと、原告は、補助参加人組合による修養館の利用につき、事務の円滑化、会社秩序維持に支障を来しているとして、春闘の労使交渉が済むまで修養館を貸さない旨補助参加人組合へ申し入れるなどしたこと、茅ヶ崎工場は、昭和六三年春闘での補助参加人組合による争議行為が終了したころから、労働金庫関係者を除いた原告の従業員以外の労働組合関係者が同工場の構内に立ち入ることを制限するようになり、同年八月四日、久米工場長は、補助参加人組合茅ヶ崎支部に対して、補助参加人組合に関係する他の労働組合の組合員の同工場内の立入りは許可できない旨連絡したところ、なおこれらの者が補助参加人組合茅ヶ崎支部の組合事務所に立ち入ったため、補助参加人組合茅ヶ崎支部に対して抗議したこと、以上の点が挙げられる。

(九) 前記のとおり、補助参加人組合は、同年六月六日第一工場等の重点部門ストライキを解除したが、この際、原告は、第二工場において、同ストライキ参加者五〇名中八名を草むしり等の応援作業に従事させた。また、補助参加人組合がストライキを収拾した同月二七日以降、原告は、第二工場及び邑久工場において、補助参加人組合の中央執行委員長等ストライキに参加した組合員の一部に、草むしり、バリ取り等への応援作業に従事させた。

なお、この応援作業に従事した者のうち一部の者は同年一〇月四日以前に職場に復帰したが、職場復帰した者のほとんどは、事前に補助参加人組合を脱退したか、職場復帰後補助参加人組合を脱退した者であった。

このような原告の措置について、補助参加人組合は、原告に対して抗議を行い、団体交渉を申し入れたが、原告は、草むしり等の作業への業務命令について補助参加人組合と協議する必要はない、嫌がらせ、みせしめ的配転ではないなどと説明した。

(一〇) 原告は、同年一〇月四日付け人事異動において、藤崎作業所に一二名の人員を配置したが、これら一二名は、補助参加人組合の執行委員長をはじめとして、すべてが補助参加人組合の組合員であり、同作業所での作業内容は、社外の内職者で行われていたシールの選別・検査等であった。

(一一) 原告は、「ウチヤマニュース」において、本件に関連する記事を掲載・記載したが、その内容は、補助参加人組合の闘争方針やその存在意義に対する批判、昭和六三年六月に結成された新労組や補助参加人組合からの脱退者の容認等であった。

2  これらの事実によれば、原告が昭和六一年ころから主力製品を自動車関連部品に移行させた後、賃上げ等をめぐって労使間の対立が激化していく中で、昭和六三年春闘において、補助参加人組合が約二か月にわたる期間ストライキを実施したことなどから、原告は補助参加人組合を強く嫌悪し始め、右ストライキ期間中、さらには同ストライキ終了後において、補助参加人組合からの再三にわたる団体交渉の申入れを拒否し、組合賜暇休暇、会社施設利用等について制限を加え、ストライキ参加者の一部を職場復帰させず、ウチヤマニュースを通じて補助参加人組合に対する批判を行う一方、新労組や補助参加人組合脱退者を容認する姿勢を示すなど、補助参加人組合に対する対決姿勢を示していったことが認められる。

3  原告の主張について

これに対し、原告は、以下のとおり主張して、原告と補助参加人組合との労使関係が悪化した原因は原告にはなく、あるいは、その原因は補助参加人組合側のみにある旨主張する。

(一) 原告は、昭和六二年春闘において、賃上げ交渉が難航し、岡山地方労働委員会にあっせん申請を行うこととなった理由は、原告と補助参加人組合とのトップ交渉において全産業の平均額でもって決めることでいったん合意したところが、後に補助参加人組合側がこの合意をほごにしたことにある旨、また、昭和六二年春闘後のL八九プレス移設問題及び時間外協定の再締結の問題については、補助参加人組合が原告の正当な業務命令について陳謝を求めるという横暴に出たことを原因とする旨、それぞれ主張する。

しかし、賃上げ額を全産業の平均額とする旨の合意があったことを認めるに足りる証拠はない。

また、L八九プレス移設問題等に関しては、争いのない事実等2の(四)(1)及び(2)に証拠(<証拠略>)を併せ考えれば、原告と補助参加人組合とは、昭和六二年一〇月一五日、L八九プレスを移設することにより必要となる要員二名につき、同年一一月二〇日までは邑久工場以外の職場からの応援で対応し、その間双方で協議をして二名の増員を完了するなどの合意があったにもかかわらず、同月一九日までの間、この件に関する協議は行われず、邑久工場長は、同月二四日、他職場の臨時員に対してL八九プレス稼動に従事させる旨の業務命令を出したことが認められるから、補助参加人組合が、協議を経ることなく業務命令をもって増員を決定した原告の対応に対して抗議をすることは、労働組合の行動として不当なものとはいえないというべきである。

よって、原告の右主張は採用できない。

(二) 原告は、団体交渉の申入れ拒否の点につき、昭和六三年春闘中の団体交渉の申入れについては、原告と補助参加人組合とは従前ストライキのないときしか団体交渉を行わないとの取決めが存在したからこれを拒否したのであり、また、同年六月一〇日の団体交渉の申入れについては、交渉内容が「回答額の上積み要求」のみであって、団体交渉を行っても意味がないと考えたため、これを拒否したものである旨主張をする。

しかし、原告と補助参加人組合との間に、ストライキ期間中は団体交渉を行わない旨の取決めがあったとの事実を認めるに足りる証拠はない。確かに、証拠(<証拠略>)によれば、原告においては、昭和五八年以降は補助参加人組合の争議中に団体交渉が行われなかったことが認められるが、このことのみで、ストライキ中には団体交渉を行わない旨の労使間の取決めがあったことを認めるには足りない。

ところで、労働協約と題する書面(<証拠略>)中の七七条には、「争議中といえども会社又は組合が団体交渉の申し入れをした場合速やかにこれに応じなければならない。」旨規定されている。この点、原告は、署名又は記名押印がされたものではないから、労働協約と題する書面には労働協約としての効力はない旨主張する。証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告には、署名又は記名押印がされた労働協約はないことが認められるから、本件当時右労働協約と題する書面には労働組合法一四条所定の労働協約としての効力はなかったということができるが、一方で、前記争いのない事実等及び後記五の1(一)の事実並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、同書面五条所定のいわゆるユニオン・ショップ条項を前提にした上で、補助参加人組合を脱退した場合でも解雇問題には発展しないとの説明を行ったり、同書面七五条所定の争議通告を補助参加人組合に対して求めるなど、労使問題に関して同書面記載の条項に基づいて対応していたことが認められることからすれば、原告としても同書面を労使間の合意として認識していたものということができる。そして、ストライキ期間中は団体交渉を行わないことは右七七条の規定文言に明らかに反することにも照らすと、原告の右主張は採用できない。

また、六月一〇日の団体交渉申入れに関する原告の右主張については、原告の団体交渉拒否が補助参加人組合への嫌悪や対決姿勢の表れであるとの前記認定を左右するものではなく、採用できない。

(三) 原告は、組合賜暇休暇、組合旗の掲揚、放送設備の利用、修養館の利用、組合関係者の工場内入構について、原告の補助参加人組合に対する便宜供与あるいは会社施設管理権の範囲内の問題であるとの観点から昭和六三年から制限を加えることとした旨主張する。

しかし、原告の右主張は、従前はこれらの利用等の制限をしていなかったのに、昭和六三年春闘のころから相次いで制限を加え始めたことについての合理的な理由とはならない。かえって、右主張は、原告が同時期から補助参加人組合に対する対決姿勢を強めていったとの前記認定を裏づけるものということができる。原告の右主張は採用できない。

(四) 原告は、昭和六三年春闘のストライキ終了後、ストライキ参加者を職場に復帰させずに営繕緑化部門等への応援作業に配置し、また、藤崎作業所へ配置した点につき、いずれもストライキ終了後の余剰人員を吸収するために行った一時的、緊急的な措置であり、配置等をするに当たっての人選も公正に行った旨主張し、これに沿う証拠(<証拠略>)もある。

確かに、争いのない事実等2の(八)(2)のとおり、昭和六三年春闘におけるストライキは長期間にわたったため、その間に工場の生産量が減少し、ストライキ終了後人員に余剰が生じたことが認められる。しかし、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告においては、工場の従業員には臨時工等がおり、これらの者について雇用調整を行うか、応援作業等に配置するなど、原告には、ストライキ参加者を応援作業等に配置する以外にも採り得る手段があったものと認められること、前記1のとおり、これらの配置は新労組が結成された時期に行われ、かつ、営繕緑化部門等への応援作業に従事した者のうち、同年一〇月四日以前に原職場に復帰した者のほとんどは、事前に補助参加人組合を脱退したか、職場復帰後補助参加人組合を脱退した者であったこと、証拠(<証拠略>)によれば、藤崎作業所に配置された一二名のうち、六名は当時の補助参加人組合幹部であり、その余の者も元代議員であったことが認められること、その他前記1のとおりの応援作業等における作業内容に照らせば、原告は、これら配置の目的がストライキ終了後の一時的、緊急的なものであることを口実にして、あえて補助参加人組合の組合員に対し、これらの者にとって不本意である応援作業等に配置したと認められる。

なお、原告は、同年一〇月四日以前に原職場に復帰させた者については、復帰させたことにつき合理的な理由があるとも主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

よって、応援作業等の配置及びその人選は合理的かつ正当なものであった旨の原告の右主張は採用できない。

(五) 原告は、補助参加人組合が「組合ニュース」等を利用して一方的に事実に反する歪曲した記事を掲載・流布したため、原告として事実を伝え、あるいは経営秩序を守る目的でウチヤマニュースに記事を掲載した旨主張する。

しかし、仮に原告の右主張のとおりであったとしても、前記のとおりのウチヤマニュースの記事の内容が、原告が補助参加人組合を嫌悪し、また、これに対する対決姿勢を示していたことの表れであるとの前記認定を左右するものではない。原告の右主張は採用できない。

以上のとおりであって、原告と補助参加人組合との労使関係が悪化した原因は原告にはなく、あるいは、その原因は補助参加人組合側のみにある旨の原告の前記主張は採用の限りではない。

二  氏家に対する本件作業の指示の不当労働行為性について(争点2)

1  前記争いのない事実等3(一)ないし(三)並びに(六)の事実に、証拠(<証拠略>)を併せて考えれば、氏家に対する本件作業の指示及びその前後の状況につき、次の事実が認められる。

(一) 補助参加人組合は、昭和六三年四月一二日から同年六月二四日まで重点部門ストライキを実施したが、茅ヶ崎工場では、氏家のほか、王冠職場などの組合員一二名ないし一四名を右ストライキの参加者として指名した。なお、補助参加人組合は、化成品組職場については右ストライキの対象者として氏家のみを指名したが、同月二七日右ストライキを解除した以後も、同人に対し残業拒否、連続作業の非協力闘争を指令した(同月三〇日にはこの指令も解除した。)。

(二) 補助参加人組合が重点部門ストライキを解除した同月二七日、久米工場長は、朝礼で、氏家を化成品組組長の職務に復帰させない旨述べ、氏家は、同日から同年九月一三日まで、久米工場長の指示により本件作業に従事することとなったが、氏家以外の指名ストライキ参加者は従来の職場に復帰した。

(三) 氏家及び補助参加人組合茅ヶ崎支部は、茅ヶ崎工場に対し、本件作業の指示に抗議し、氏家の原職復帰を求めたが、久米工場長は、同年七月二二日、氏家との話合いの場において、「氏家に対する作業の指示は、組合員に対するみせしめではなく、五Sをしてもらっている。」などと述べ、また、同月二九日、氏家ら補助参加人組合茅ヶ崎支部三役と久米工場長及び高村主任との話合いの場においても、「氏家には工場長の裁量で五Sをしてもらっている。氏家がこれに適任であると判断している。期間はあと六か月もさせない。」などと述べた。

(四) 化成品組組長の仕事としては、オペレーターとして作業に従事する必要はないが、(1) 課長からの生産予定等の指示を各班に伝達する、(2) 各班の人員の出欠状況を確認し、欠勤者が出た場合等に他班からの応援、組長自らの応援等によって人員調整を行う、(3) 各班の作業状態を把握する、(4) できあがった製品が指示されたとおりの品質かどうかの確認をする、(5) 部下の能力を把握し、信頼関係を確立することなどにあった。

同年九月一四日、氏家は化成品組組長の職務に復帰したが、この間の化成品組組長の仕事(後記三の3(二)認定のとおり、化成品組組長の職務と化成品製造課の課長、主任及び班長のそれとは重複している部分もあるが、重複しない固有の部分もある。)は、化成品製造課矢吹課長や同課吉原主任が行い、また、品質管理課の三木主任は同組の作業の応援を行った。

(五) 本件作業の内容等は別表(3)のとおりであったが、これらの作業は従来は従業員が専従で行うことはなく、茅ヶ崎工場構内の保守管理等のうち、(1) 草むしりは、従業員で手分けをして行い、(2) 発泡スチロールくずの焼却、正門・食堂・事務所へ至る通路の清掃、一部事務所トイレの清掃、食堂の芝生の手入れは、高齢者事業団から派遣された者によって行われ、(3) 建物の保守管理は、業者に依頼したり該当職場の従業員などで対応し、(4) スクラップの処理は、廃棄物処理業者に依頼したり、各職場の従業員が時間のあいた際に焼却等をしていた。

2  これらの事実、とりわけ、氏家に指示された本件作業の内容は草むしりやスクラップの焼却等であるところ、このような作業は、従来は、従業員全員で手分けをしたり、社外の処理業者等に依頼したりして行っていたこと、この作業は重点部門ストライキ解除直後から約二か月半にわたって継続されたこと、作業指示を受けたのは氏家のみであり、氏家以外の重点部門ストライキ参加者は原職場に復帰したこと、本件作業を氏家と共同して行ったり、その作業の応援を行った者はいたものの、休暇を除く全期間を通じて同作業に従事したのは氏家のみであったこと、氏家は当時化成品組組長という管理職の立場にあり、氏家が本件作業に従事していた期間は、同組長の仕事を他の者が代わって担当したこと、以上の事実に加え、争いのない事実等1の(三)のとおり、氏家が昭和四六年以降終始補助参加人組合茅ヶ崎支部の三役の地位にあり、本件当時も同支部の支部長であったこと、前記一の1のとおり、原告はこのころ補助参加人組合を強く嫌悪し始め、あるいは対決姿勢を示していたこと、後記五の2のとおり、右作業指示の翌日、久米工場長らは補助参加人組合茅ヶ崎支部組合員に対する脱退工作を行ったことに基づいて考えれば、本件作業の指示は、原告が補助参加人組合茅ヶ崎支部の中心人物であった氏家に対して、化成品組組長という管理職としての業務であり、その担当者を欠いた場合には他の者がこれを担当しなければならないことになる業務から、一定期間にわたって外した上で、同人にとって不本意な本件作業を行わせていわばみせしめともいうべき不利益な取扱いをし、これにより補助参加人組合の弱体化を図る意図に基づくものであったと推認することができる。

3  原告の主張について

(一) 原告は、長期のストライキの結果工場外の汚れや乱れが重大であったため、五Sの重要性にもかんがみ、早急に作業に取りかかる必要があったところ、化成品組は、氏家一人だけがストライキを行い、氏家が不在でも生産に支障が生じなかった一方、他に同作業を専従として行うことができる従業員がいなかったため、氏家に対してのみ作業指示を行ったのであるから、本件作業の指示に合理性があった旨主張する。

確かに、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、生産工場においては五S作業は重要であること、氏家に対して本件作業を指示した時期には、ストライキの影響で工場の内外が汚れたり乱れたりしていたことが認められる。

しかし、前記争いのない事実等2(八)の(1)及び(2)のとおり、氏家が本件作業を命じられた昭和六三年六月二七日の直前及び同日以降、原告は、第二工場及び邑久工場において、補助参加人組合の中央執行委員長等ストライキに参加した者に対し、本件作業の内容と同様の草むしり等の応援作業を行うよう命じていること、また、前記争いのない事実等3(三)の事実に証拠(<証拠略>)を併せ考えれば、久米工場長は、昭和六三年六月二七日氏家に対して本件作業を指示した際、指示に係る作業は五S作業である旨の発言はもとより、それが五S作業であることを示唆する旨の発言すら行わず、それから約一か月後の同年七月二二日になって初めて、氏家に対して指示した本件作業は五S作業である旨発言するに至ったこと(この点、久米工場長は、同年六月二七日に氏家に対して五Sをやってくれと言った旨供述するが(<証拠略>)、右認定に反し信用できない。)、原告においては、五S作業の重要性を従業員に対して周知徹底していたが、その趣旨は、従業員個々人が業務を行うに当たって五S作業の重要性を意識するという点にあり、特定の個人が五S作業を担当する状況は想定されていなかったことが認められる。以上の事実によれば、原告及び久米工場長は、氏家に対して本件作業を指示した後に、氏家らに対して右指示した作業は五S作業であると説明することにし、氏家に本件作業を行わせる口実を五S作業に求めたものと推認できる。

また、前記1(五)のとおり、同作業は従来は主に従業員全員や社外の業者によって行われていたこと、前記争いのない事実等2(八)のとおり、同作業への指示がされた昭和六三年六月二七日以降、第二工場及び邑久工場においては、ストライキ終了後の余剰人員を吸収するためとして、一部組合員に対して営繕緑化作業等への応援指示がされており、茅ヶ崎工場のみ五S作業を行うことができる人員がいなかったとするのは不自然であること(この点、原告は、茅ヶ崎工場では、他の各工場と異なりビール王冠の製造を行っているが、ストライキが終了した時期はビールの消費が伸びる時期であり、王冠の増産が必要であったから、氏家以外に応援作業に回せる人員がいなかったとの趣旨の主張をする。しかし、証拠(<証拠略>)によれば、この当時茅ヶ崎工場全体の従業員は四八名である一方、王冠職場配置の従業員は一七名に過ぎないことが認められるから、仮にその時期王冠職場が多忙であり、同職場から応援作業に回すことのできる人員がいなかったとしても、そのことのみで、茅ヶ崎工場に限り氏家以外本件作業に従事できる人員がいなかったことの合理的理由とはなり得ないというべきである。原告の主張は採用できない。)、前記1(四)のとおり、氏家が本件作業に従事している間の化成品組組長の仕事は他の者がこれに代わって行ったことに照らすと、原告が本件作業の指示を主に氏家一人に対してのみ行い、あるいは氏家以外に本件作業に従事できる人員はいなかったなどとして、その人選に合理性があったとする原告の主張は採用できない。

以上のとおり、本件作業の指示に合理性があった旨の原告の主張は採用の限りではない。

(二) なお、原告は、氏家が本件作業に従事しても、同人に待遇、組合活動それぞれの面において何ら不利益・不都合が生じなかった旨主張するが、仮にそうであったとしても、その取扱いが事実上不利益なものと認められることにより労働組合法七条一号の「不利益な取扱い」に該当すれば不当労働行為が成立すると解するべきであるところ、本件作業の指示自体が「不利益な取扱い」に該当することは前記認定のとおりであるから、原告の右主張は不当労働行為の成立を否定するものとはなり得ず、失当である。

4  以上のとおりであるから、原告が氏家を本件作業に専ら従事させた行為が労働組合法七条一号の不利益取扱いに当たるとともに、同条三号の支配介入に当たるものと認められ、これと同旨の本件命令に違法はない。

三  本件配置転換の不当労働行為性について(争点3)

1  争いのない事実等3(四)ないし(六)のとおり、本件配置転換及びその前後の状況につき、次の事実が認められる。

(一) 本件配置転換は、昭和六三年一二月一九日に久米工場長により発表された同月二一日付け茅ヶ崎工場の人事異動に伴うものであり、従来のプラスフォーム班を成型班と加工班の二班に分け、氏家を化成品組組長から加工班の班長に配置転換したことである。右人事異動及び本件配置転換により、加工班の人員は氏家を含めて二名となり、化成品製造課化成品組の組長は三木主任が代行する体制となった。なお、原告は、この人事異動の時点において茅ヶ崎工場の加工部門を廃止することを検討したが、実際にも、平成二年九月二一日には、加工を外注委託にして加工班を廃止し、氏家を加工班班長からウレタン班の班員に配置転換した。

(二) なお、補助参加人組合茅ヶ崎支部は、右人事異動及び本件配置転換に関して、茅ヶ崎工場に対して三役交渉を申し入れたが、茅ヶ崎工場側は、労働組合と協議する事項には当たらないとの趣旨の回答に終始した。

(三) 氏家の組長在任中及び昭和六三年一二月の給与まで、組長手当は月額四〇〇〇円であり、班長手当は月額三〇〇〇円であった。なお、平成元年一月の給与からは、組長手当は月額七〇〇〇円、班長手当は月額四五〇〇円に引き上げられた。

2  以上の事実に前記争いのない事実等3(一)の事実を併せ考えれば、本件配置転換は、原告において職制上上位に当たる「組」の組長から下位に当たる「班」の班長への配置転換であり、かつ、手当の減額を伴うものであると認められるから、これは実質上の降格であるということができる。このように、原告は、補助参加人組合茅ヶ崎支部支部長である氏家に対し、同人にとって不本意な本件作業を指示したことに引き続き、右のとおり実質上の降格に当たる処遇をし、しかも、氏家が配置された加工班は、本件配置転換の当時から既に廃止が検討されていた部門であって、実際、後に同班は廃止されたのであり、さらには、前記一の2のとおり、原告は、補助参加人組合を嫌悪し、これに対決姿勢を示し、かつ、後記五の2のとおり、久米工場長らは補助参加人組合茅ヶ崎支部組合員に対する脱退工作を行ったことにも照らせば、原告の氏家に対する本件配置転換は、前記二の2と同様、補助参加人組合茅ヶ崎支部支部長である氏家に対するみせしめとして不利益な取扱いをし、これにより補助参加人組合の弱体化を図る意図に基づくものであったと推認することができる。

3  原告の主張について

(一) 原告は、班長、組長等の役職は制度上一年任期であり、新しい期に際しては前役職に関係なく新たに任命されるものであるから、役職上の降格ということはあり得ない旨主張する。

しかし、原告の役職が一年ごとの任期であることを認めるに足りる証拠はない。かえって、証拠(<証拠略>)によれば、原告は、昭和六三年の人事異動において、班長であった原告の従業員三名をいずれも班長職から外す際、その辞令書に「右者現職を解き」と記載していること、すなわち、原告においては、役職を解くためにはその旨の辞令を発する必要があることが認められるから、役職の任期は一定時期に自動的に終了するものではないといわざるを得ない。

よって、原告の右主張は採用できない。

(二) 原告は、氏家を化成品組組長に任命したものの、職務への理解がないなど組長としての実績を上げることができなかったため、その実力を正当に評価して、本件配置転換に際して組長に再任命しなかった旨主張し、(証拠略)の各記載中には右主張に副う部分がある。

確かに、証拠(<証拠略>)によれば、氏家は、化成品組内の作業職場に入って作業を行うことが多く、特に加工職場に頻繁に出入りしていたこと、そのため、前記争いのない事実等3(六)(1)記載の化成品組組長の職務内容を遂行できない場合が多かったことが認められる。他方、証拠(<証拠略>)によれば、化成品組組長の職務と化成品製造課の課長、主任及び班長のそれとが重複している部分もあり、これらの権限の分配に関する特段の定めはなく、また、これらの職務内容についてのマニュアルその他これに類するものもなかったこと、氏家が作業職場に入るのは、化成品組内に欠勤者が出た際の応援であり、かつ、氏家は、このように本来の組長の職務を遂行できない場合にはその都度上司の了解を得ていたこと、氏家が本件配置転換直前に加工職場に出入りすることが多かった原因は、昭和六二年一〇月ころ、同組内の加工職場の従業員がけがをし、そのために欠勤したり、出勤しても満足に作業ができない状況にあったため、氏家がその作業を応援する必要があったためであることが認められる。また、証拠(<証拠略>)によれば、氏家が化成品組組長に在職していた昭和六二年から翌六三年の上期・下期の各一時金の査定は、AないしEの五段階中、上位であるAあるいはBであったことが認められる。

そうすると、化成品組組長としての氏家の職務遂行が必ずしも十全のものではなかったことがうかがわれるが、他方、右に述べたような事実も存し、組長としての在職期間、経験を考えれば、改善の見込がないとすることはできないのであって、原告の前記主張に副う前記各証拠を直ちに採用することは困難である。

前記のとおり、原告は、補助参加人組合を嫌悪し、これに対決姿勢を示し、補助参加人組合の弱体化を図る意図に基づき、指名ストライキ解除後職場復帰してきた氏家に対しみせしめとして本件作業を行わせ、もって、不利益な取扱いをしたこと、化成品組組長に復帰させた後三か月程度で本件配置転換がされるに至ったことを併せて考えると、原告は補助参加人組合の弱体化を決定的動機として本件配置転換をしたものと推認することができる。

4  よって、原告が氏家に対して行った本件配置転換は、労働組合法七条一号の不利益取扱いに当たるとともに、同条三号の支配介入に当たるものと認められ、これと同旨の本件命令に違法はない。

四  氏家を原職相当職への復帰を命じた本件命令主文は、労働委員会の裁量権を逸脱したものか否かについて(争点4)

原告は、昭和六三年一二月二〇日に氏家の組長職は終了しているのに、本件命令は組長職に任命することを意味する原職相当職復帰を命じているのであって、このような命令は、会社の人事権を侵害するものであって、労働委員会の裁量の範囲を逸脱するものである旨主張する。

しかし、前記三2の(一)のとおり、原告の役職が一年ごとの任期であることは認められないから、氏家の組長職の任期が右同日に終了しているとはいえず、原告の右主張はその前提とする事実に欠け、失当である。

そして、前記三のとおり、原告が氏家を組長から班長にしたことが実質上降格に当たり、これがみせしめのための人事であって不当労働行為に該当するものと認められる以上、被告において、これに対する救済措置として、原告に対し、氏家を原職相当職に復帰させることを命ずることは、労働委員会にゆだねられた裁量権の行使として許されるものというべきである。

よって、この点においても本件命令に違法はない。

五  茅ヶ崎工場における組合脱退工作について(争点5関係)

1  前記争いのない事実等4の事実に、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨を併せ考えれば、「道楽」における会合の状況につき、次の事実を認めることができる。

(一) 昭和六三年六月二七日、上野は、梶田から、「明日午後五時三〇分ころから、茅ヶ崎の飲食店「道楽」で、会社から新労組について説明があるので、他の人には内緒で行ってみないか。」と誘われ、翌日の二八日終業後、梶田とともに「道楽」に行った。両名が同所に着いたところ、座敷には、補助参加人組合茅ヶ崎支部の組合員である内田、相原、山本及び関根、さらには、久米工場長らが着席していた。

(二) ここで、高村主任は、補助参加人組合の組合規約を一部加筆・削除して作成された新労組の組合規約を出し、これを出席した組合員に示した上、久米工場長らは、出席した組合員から新労組結成に対する考え方等の質問を受けた際には、「ウチヤマニュースにあるとおり、会社は新労組を認めた。組合脱退者についても解雇しない。」などと述べた。

また、相原が、補助参加人組合を保証人として労働金庫から受けている融資の取扱いについて質問したが、久米工場長らは、補助参加人組合を脱退した結果労働金庫から返済を求められた場合には、原告が対応する旨の回答をした。これに対し複数の組合員から、「それで安心した。それだけが心配であった。」旨の発言があった。

その後、同席した組合員らは、茅ヶ崎工場での新労組の旗揚げを翌日の二九日に行うこと、ただし、内田は、同席の組合員以外の組合員を新労組に加入させるため、同日には補助参加人組合を脱退しないで後に参加する旨発言した。

さらに、高村主任が組合脱退届の見本を出したことから、梶田がこれをもとにしてワードプロセッサーで組合脱退届用紙を作成して準備することとなった。

この間、上野ら出席者は、ビール、つまみ等を飲食したが、これらの店への注文は久米工場長が行い、会計は高村主任が済ませた。なお、その後、上野は、当日の飲食代を高村主任ら他の出席者から請求されたことはなかった。

(三) 梶田、相原、関根及び山本は同月二九日に、また、内田は外六名とともに同年七月四日に、それぞれ補助参加人組合を脱退して新労組に加入した。そして、山本が新労組茅ヶ崎支部支部長に、内田が同副支部長に、梶田が同書記長にそれぞれ就任した。

上野は、同年六月二九日に梶田から脱退届の用紙を受け取り、その後も梶田から脱退届を出すよう催促されたが、結局補助参加人組合を脱退しなかった。

2  右の事実によれば、久米工場長らは、「道楽」での会合に同席した組合員に対し、原告は会社として新労組の存在を容認したこと、組合脱退者を解雇の対象とせず、労働金庫からの融資に関しても不利益のないように配慮することを明確に示すなどした上、高村主任において、新労組の組合規約や補助参加人組合から脱退するための組合脱退届の見本を出して右組合員に示したことが認められるのであって、久米工場長らが原告の職制であること、前記争いのない事実等2の(六)(1)及び(2)のとおり、「道楽」での会合の一〇日前である同年六月一七日に新労組が結成されたこと、久米工場長は、同日本社から送られてきた同労組の結成通知を茅ヶ崎工場の掲示板に掲示するなどしたことにも照らすと、久米工場長らは、原告の意思に沿って、右会合に出席した組合員に対し、補助参加人組合を脱退して新労組に加入することを勧め、もって組合員の組合脱退を促進させたことが推認される。

なお、原告は、(一) 脱退用紙を梶田が作成すること、内田が補助参加人組合に残って他の組合員を引っ張ること、その他脱退の時期等は、いずれも久米工場長らが出席していない二次会において出た話題であること、(二) 組合規約や組合脱退届の見本を出したのは高村主任ではないこと、本件に関する事実は以上のとおりであり、これに反する上野の供述(<証拠略>)及び同人の陳述書(<証拠略>)の記載内容は虚偽であるから、右陳述書は「道楽」での会合の数か月後に作成されたものであることにも照らすと、上野の供述等は全体として信用することができないとの趣旨の主張をする。

しかし、右(一)の事実を認めるに足りる証拠はない。

また、右(二)の点については、組合規約や組合脱退届の見本を出したのが高村主任であることを否定する証拠はない上、上野の右供述において、上野は、記憶のない部分は記憶がない旨率直に述べる一方で、組合規約や組合脱退届の見本を出したのは高村主任である旨一貫して供述しており、原告側の反対尋問(<証拠略>)にも耐えていることに照らすと、この点に関する上野の供述等には高度の信用性があるというべきである。

原告の右主張は採用できない。

3  ところで、使用者又はその利益代表者が労働者と個別に接触し、労使関係上の具体的な問題について発言をしたとしても、それが労使双方が自由な議論を展開するもので、労使関係の秩序を乱すということがない限り、使用者側の発言が即組合運営に対する支配介入となるものではないというべきである。しかし、本件においては、補助参加人組合とは別組合である新労組の結成直後に、使用者側である久米工場長らが解雇問題や金銭問題を持ち出し、かつ、労働者側である補助参加人組合組合員が、補助参加人組合茅ヶ崎支部における新労組の立ち上げの時期、方法等について話し合っている場に久米工場長らが居合わせ、新労組の発足を使用者として認める旨の発言をし、さらにこれにとどまらず、使用者側である高村主任が新労組の組合規約や補助参加人組合から脱退するための組合脱退届の見本を労働者側に示したとの事実があり、さらには、「道楽」での会合に要した費用は高村主任が支払い、上野はこれを負担しなかったとの事実があるのであって、これらの事実からすれば、同会合が開催された趣旨は、上野が梶田から同会合への出席を勧誘された際に説明を受けた事項(会社から新労組について説明があるとのこと)にとどまるものではなく、前記認定のとおり、久米工場長らが、出席した補助参加人組合組合員に対し、補助参加人組合を脱退して新労組に加入することを勧める点にあったというべきである。そうすると、前記認定のとおりの久米工場長らの言動は、使用者側として、補助参加人組合の組合員に対し、補助参加人組合の(ママ)弱体化させるとの意図の下に同組合から脱退することを勧めたものと評価せざるを得ないから、右言動は、労使双方が自由な議論を展開する状況下で行われたものとは到底いえず、まさに労使関係の秩序を乱す実質にあったものと認められる。

よって、前記認定のとおりの久米工場長らの言動は、労働組合法七条三号の支配介入に当たるものと認められるから、これと同旨の本件命令に違法はない。

六  結論

以上のとおりであり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙世三郎 裁判官 吉崎佳弥 裁判官松井千鶴子は差し支えのため署名押印することができない。裁判長裁判官 髙世三郎)

別表(1) ストライキ実施状況

<省略>

別表(3) 組合茅ヶ崎支部長 氏家紘記の作業内容

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例