東京地方裁判所 平成7年(行ク)28号 決定 1995年7月28日
申立人 学校法人倉田学園
相手方 中央労働委員会
補助参加人 香川県大手前高松高等(中)学校教職員組合 外二名
主文
一 本件申立てを却下する。
二 申立費用は申立人の負担とする。
理由
一 本件申立ての趣旨及び理由は、別紙「緊急命令変更申立書」のとおりである。
申立人の主張は、要するに、当庁平成六年(行ク)第四四号緊急命令申立事件の決定(以下「本件緊急命令」という。)によって申立人が被申立人補助参加人天野滋及び同中村益夫に支払うべきバックペイの金額及び期限が、右決定の文面自体からは読み取ることができず、申立人において不測の損害を蒙る可能性が大きいというものである。
二 そこで、まず、申立人が支払うべき金額の点について検討する。本件緊急命令は、右天野滋に対して「平成元年九月二二日から原職に復帰するまでの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金額を附加して」、右中村益夫に対して「平成元年九月二二日から原職に復帰するまでの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金額を附加して」それぞれ支払うことを命じているのであるから、右命令の履行のためには、その支払うべき具体的な数額につき、申立人において、緊急命令制度の趣旨に照らし、労働者の個人的被害、特に経済的被害を救済し、更に労働組合の団結活動一般に対する侵害を除去、是正するために必要な範囲内で、定期昇給を含めて相当と考えられる支払額を確定し、支払を行えば足りるというべきである。このように考えると、申立人主張のように、本件緊急命令において金額を明示しない限り申立人において不測の損害を蒙る可能性があるとはいえないから、金額の点について本件緊急命令を変更する必要を認めない。
なお、申立人は、昇給、昇格は使用者による発令(意思表示)があってはじめて成就するものであるので、賃金請求権を認めることができず、本件緊急命令により支払うべき金額は、昇給がなかったものとして(但し、ベースアップはあるものとして)計算した基本給与額を基礎とすべきであるとも主張する。しかし、民事上、昇給分の賃金支払請求権の発生根拠として使用者による意思表示の有無が問題となるのとは異なり、緊急命令における支払額の考慮に当たっては、使用者の不当労働行為によって昇給の意思表示の機会が得られなかったことも緊急命令で救済すべき個人的被害のうちに含まれるということができるから、本件緊急命令は、昇給分の支払を除外する趣旨ではないことが明らかである。支払額の決定に当たっては、申立人は、申立人の職員に一律に適用される昇給に関する内規ないし慣行を参考にして、本件における支払額を確定するのが相当というべきである。
三 次に、履行期限の点について、申立人は、右のような検討を経て金額計算を行うために必要な期間も含め、合理的な期間内に本件緊急命令の履行を行えば足りるというべきであるから、申立人の主張のように履行期限を明示しない限り、申立人において不測の損害を蒙る可能性があるということもできない。したがって、この点についても、本件緊急命令を変更する必要は認められない。
四 よって、本件申立ては理由がないというべきであるから、これを却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 遠藤賢治 吉田肇 梅本圭一郎)
(別紙)
緊急命令変更申立書
第一、申立の趣旨
変更被申立人を申立人とし、変更申立人を被申立人とする、東京地方裁判所平成六年(行ク)第四四号緊急命令申立事件について平成七年六月一三日付でなされた決定につき、その金額ならびに履行期限を明示するよう、同決定を変更することを申立てる。
第二、申立の理由
右第一記載の決定は、別紙第一のとおりである。
しかしながら、変更申立人が、右決定に違反するときは、労働組合法三二条により違法日数により過料の制裁をうけることになるところ、次に述べる如く、その金額、履行期限が右決定の文面自体から明確に読み取ることができず、かくては変更申立人においては不測の損害を蒙る可能性が大である。すなわち、
(1) まず、金額面については、いわゆるバックペイの目的は、(イ)被解雇者の個人的被害の救済と(ロ)組合活動一般に対する侵害の除去の二面があるが、その直接の目的は右(イ)であり、右(ロ)は(イ)の実現を通じていわば間接的に実現されるとされる。
そして、解雇期間中の賃金請求権が肯定される場合には、その額は、当該労働者が解雇されなかったならば労働契約上確実に支給されたであろう賃金の合計額であるが、右金額を考慮するについてはベースアップは認められるべきであるが、昇給、昇格は使用者による発令(意思表示)があってはじめて成就するものであるので、これを認めることは困難である。(弘文堂刊、菅野和夫著「労働法」(第三版)三八五頁一〇行ないし一六行)
天野滋については昭和五六年四月一日以降、中村益夫については、昭和五七年四月一日以降、それぞれにつき昇給がなかったものとして(但し、ベースアップはあるものとして)計算した場合の同人らが平成六年九月二二日から受けるはずであった各基本給与額は別添第二のとおりであるので、両名に緊急命令により支払うべき金額は、右を基礎とすべきであり、右命令もそのように変更されるべきである。
(2) 右バックペイの履行については、右(1)についての御庁の判断が出た後早急に計算にとりかかることになるが、利子等計算に時間を要するので、その履行期限を、御庁の右判断後二週間と明示するよう前記命令を変更すべきである。
別紙第一
主文
一 被申立人は、被申立人を原告、申立人を被告とする当庁平成六年(行ウ)第一八六号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決の確定に至るまで、申立人が中労委平成元年(不再)第九九号事件について発した命令によって維持するものとした香労委昭和五六年(不)第二号、同五七年(不)第四号(一部)及び同六一年(不)第一号(一部)併合事件について、香川県地方労働委員会がした平成元年九月八日付命令のうち、
1 主文第2項のうち、被申立人が、
(一) 申立人補助参加人天野滋に対する昭和五六年三月三一日付休職処分がなかったものとして取り扱うこと
(二) 同人を原職に復帰させること
(三) 平成元年九月二二日から原職に復帰するまでの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金額を附加して支払うこと
2 主文第3項のうち、被申立人が、
(一) 申立人補助参加人中村益夫に対する昭和五七年三月三一日付降職処分がなかったものとして取り扱うこと
(二) 同人を原職に復帰させること
(三) 平成元年九月二二日から原職に復帰するまでの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金額を附加して支払うこと
を命ずる部分に従わなければならない。
二 申立人のその余の申立てを却下する。
三 申立費用は被申立人の負担とする。
別表第2
天野滋
基本給
中村益夫
基本給
平成元年度
320,850円
226,800円
2
331,450円
235,000円
3
341,850円
245,000円
4
350,850円
253,300円
5
359,200円
260,000円
6
365,400円
264,600円
7
365,400円
264,600円
平成7年度については12月のベアをまって確定する
参照
緊急命令の主文及び理由
主文
一 被申立人は、被申立人を原告、申立人を被告とする当庁平成六年(行ウ)第一八六号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決の確定に至るまで、申立人が中労委平成元年(不再)第九九号事件について発した命令によって維持するものとした香労委昭和五六年(不)第二号、同五七年(不)第四号(一部)及び同六一年(不)第一号(一部)併合事件について、香川県地方労働委員会がした平成元年九月八日付け命令のうち、
1 主文第2項のうち、被申立人が、
(一) 申立人補助参加人天野滋に対する昭和五六年三月三一日付け休職処分がなかったものとして取り扱うこと
(二) 同人を原職に復帰させること
(三) 平成元年九月二二日から原職に復帰するまでの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金額を附加して支払うこと
2 主文第3項のうち、被申立人が、
(一) 申立人補助参加人中村益夫に対する昭和五七年三月三一日付け降職処分がなかったものとして取り扱うこと
(二) 同人を原職に復帰させること
(三) 平成元年九月二二日から原職に復帰するまでの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金額を附加して支払うこと
を命ずる部分に従わなければならない。
二 申立人のその余の申立てを却下する。
三 申立費用は被申立人の負担とする。
理由
一 本件申立ての趣旨及び理由は、別紙緊急命令申立書記載のとおりである。
二 申立人が中労委平成元年(不再)第九九号事件について発した本件救済命令のうち、本件申立てに係る申立人補助参加人天野滋に対する昭和五六年三月三一日付け休職処分及びこれに引き続いてなされた休職期間満了の際の復職の願い出に対する不許可行為、同中村益夫に対する昭和五七年三月三一日付け降職処分及びこれに引き続いてなされた同人の非常勤講師の雇止めがいずれも不当労働行為であるとした判断は、一応適法であるということができる。
三 そこで、緊急命令を発する必要性について検討する。
1 本件申立てのうち、本件休職処分及び降職処分がなかったものとして申立人補助参加人天野滋及び同中村益夫を原職に復帰させることについては、本件疎明によると、その内容を緊急に実現させる必要性があるというべきである。
2 次に、本件申立てのうち、補助参加人天野滋につき昭和五六年四月一日から、同中村益夫につき同年八月五日からそれぞれ所定の賃金相当額の支払をさせることについてみると、緊急命令制度が不当労働行為救済命令取消請求事件の判決の確定に至るまでの暫定的な措置であること、右の各支払起算日から現在まで約一四年が経過し、現時点に至っては支払うべきものとされた賃金相当額が相当高額に及んでいるところ、右の全額について直ちに履行を強制した場合には、被申立人に少なからず業務運営上の支障が生ずることが予想されること、本件休職処分については、申立人補助参加人天野滋らが原告となって、被申立人を被告とし、右処分が無効であることを前提として、地位確認等請求事件(高松地方裁判所昭和六一年(ワ)第四六四号)を提起し、同裁判所は、平成二年五月一〇日、右天野滋の労働契約上の地位を確認するとともに、昭和五六年四月一日から平成元年八月二一日までの賃金として四〇三六万三九二九円の支払を命じる判決を言い渡し、同事件は被申立人の控訴に基づき高松高等裁判所に現に係属していること、本件降職処分については、申立人補助参加人中村益夫らが原告となって、被申立人を被告とし、右処分が無効であることを前提として地位確認等請求事件(高松地方裁判所昭和六〇年(ワ)第一五三号)を提起し、同裁判所は、平成元年五月二五日、右中村益夫の労働契約上の地位を確認するとともに、昭和五七年四月分から同六〇年二月分までの賃金として八四九万四〇九二円の支払を命じる判決を言い渡し、同事件は被申立人の控訴に基づき高松高等裁判所に現に係属していること、その他一件記録に顕れた諸般の事情に照してみると、申立人補助参加人組合の団結権を維持させ、かつ、申立人補助参加人天野滋、同中村益夫の生活維持につき回復困難な損害を避けさせるためには、初審命令交付の日である平成元年九月二二日から原職復帰までの間について賃金相当額の支払を命ずる限度で緊急命令を発する必要があるものと認められるが、これ以上に遡って支払を命ずる部分については現時点で特に緊急に必要とされる事情の疎明があるとはいい難い。
四 以上によれば、本件申立ては、主文掲記の限度で理由があるからこの部分を認容し、その余は理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり決定する。
(別紙)緊急命令申立書
申立の趣旨
申立人は、被申立人を原告、申立人を被告とする御庁平成六年(行ウ)第一八六号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決の確定に至るまで、申立人が中労委平成元年(不再)第九九号事件について発した命令によって維持するものとした香川地労委昭和五六年(不)第二号、同五七年(不)第四号(一部)及び同六一年(不)第一号(一部)併合事件について、香川県地方労働委員会(以下「地労委」という。)がした平成元年九月八日付け命令の主文第二項及び第三項に従い、
一 被申立人は、申立外香川県大手前高松高等(中)学校教職員組合(以下「組合」という。)執行委員長天野滋(以下「天野委員長」という。)に対する昭和五六年三月三一日付け休職処分がなかったものとして取り扱い、同人を原職に復帰させるとともに、同年四月一日から復帰する日までの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金員を附加して支払わなければならない。
二 被申立人は、組合の組合員中村益夫(以下「中村」という。)に対する昭和五七年三月三一日付け降職処分がなかったものとして取り扱い、同人を原職に復帰させるとともに、同年四月一日から復帰する日までの間に同人が受けるはずであった各賃金相当額(各一時金を含む。)から既に支給した額を控除した額及びこれに各支払期日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合で算出した金員を附加して支払わなければならない。
との決定を求める。
申立の理由
一 組合は、被申立人が天野委員長に対し、昭和五六年三月三一日付けで休職処分(以下「本件休職処分」という。)を行い、同期間満了後、退職させたこと、組合員中村らに対し、同五七年三月三一日付けで教諭から非常勤講師へと降職処分(以下「本件降職処分」という。)を行い、さらに同六〇年三月二九日付けで非常勤講師の雇止めをしたこと等が不当労働行為に当たるとして、地労委に救済を申し立てた。
地労委は、審査の結果、平成元年九月八日付けで別紙疎甲第一号証「主文」記載のとおりの命令を発した。
二 被申立人は、右命令を不服として平成元年一〇月四日に申立人に再審査を申し立てた(中労委平成元年(不再)第九九号事件)。申立人は、右事件を審査した結果、同六年四月二〇日付けで別紙疎甲第二号証「主文」記載のとおりの命令を発した。
三 被申立人は、右命令を不服として、平成六年六月九日、御庁にその取消しを求める行政訴訟を提起し、現在、御庁同年(行ウ)第一八六号事件として審理中である。
四 被申立人は、右命令交付後も、別紙疎甲第三号証の一及び二のとおり、これを全く無視する態度を執り続けている。右命令において明らかなように、天野委員長は昭和五六年三月三一日付けで本件休職処分を受け、さらに同五七年三月三一日をもって退職となった。その後、天野委員長は非常勤講師として被申立人に雇用されているが、その身分は、時間給であり、かつ、雇用期間は一年とされ、更新されない限り、その期間の経過により講師の身分を失うこととされており、身分上も経済上も甚だ不安定な状況を強いられている。また、本件降職処分当時書記長であった中村も、同処分により身分上も経済上も甚だ不安定な状況を強いられ、同六〇年度以降は、非常勤講師としての契約も打ち切られ、一層困難な状況を強いられている。さらに、もし本件行政訴訟事件の判決確定に至るまで現在の状態が継続することになれば、被申立人による組合の団結権に対する侵害及び天野委員長及び中村の被る経済的損失、精神的苦痛が著しいものとなることは明らかであり、ひいては労働組合法の立法精神も没却されることとなる。
また、組合からは、別紙疎甲第四号証のとおり、緊急命令を申し立ててもらいたい旨の上申書が提出されている。
五 したがって、申立人は、別紙疎甲第五号証のとおり、平成六年八月三日の第一一七四回公益委員会議において、労働組合法第二七条第八項に規定する緊急命令の申立てをすることを決議した。
よって、本件申立てに及んだ次第である。
疎明方法
一 疎甲第一号証 香川県地方労働委員会命令書(写)
二 疎甲第二号証 中央労働委員会命令書(写)
三 疎甲第三号証の一 命令履行状況について(学園側)(写)
疎甲第三号証の二 履行状況報告書(組合側)(写)
四 疎甲第四号証 組合からの上申書(写)
五 疎甲第五号証 第一一七四回公益委員会議議事録抄
別紙疎甲第一号証、第三号証ないし第五号証各省略
(別紙疎甲第2号証)
命令書<写>
香川県丸亀市大手町一丁目6番1号
再審査申立人 学校法人 倉田学園
代表者 理事長 倉田キヨヱ
香川県高松市室新町1166番地
再審査被申立人 香川県大手前高松高等(中)学校教職員組合
代表者 執行委員長 天野滋
上記当事者間の中労委平成元年(不再)第99号事件(初審香川地労委昭和56年(不)第2号、昭和57年(不)第4号(一部)及び昭和61年(不)第1号(一部)事件)について、当委員会は、平成6年4月20日第1167回公益委員会議において、会長公益委員萩澤清彦、公益委員福田平、同山口俊夫、同青木勇之助、同神代和俊、同高梨昌、同川口實、同北川俊夫、同細野正、同鈴木重信、同山口浩一郎、同花見忠出席し、合議の上、次のとおり命令する。
主文
本件再審査申立てを棄却する。
第1当委員会の認定した事実
1 当事者
(1) 再審査申立人学校法人倉田学園(以下「学園」という。)は、肩書地に所在し、同地に香川県大手前高等学校及び同中学校(以下これら2校を「丸亀校」という。)を、高松市室新町1166番地に香川県大手前高松高等学校及び同高松中学校(以下これら2校を「高松校」という。)をそれぞれ設置し、教育の事業を行っており、初審結審当時の職員数は135名(うち、高松校62名)である。
(2) 再審査被申立人香川県大手前高松高等(中)学校教職員組合(以下「組合」という。)は、昭和52年9月10日、高松校に勤務する職員をもって結成された労働組合であって、初審結審当時の組合員数は22名である。
2 組合結成以降昭和53年までの労使関係の推移
(1) 昭和52年9月12日、組合の執行委員長天野滋(以下「天野委員長」という。)ら組合執行部役員7名は、学園理事長倉田キヨヱ(以下「倉田理事長」という。)に対し、組合結成の通告を行った。
その際、倉田理事長は、「組合とは、利益が相反する。行くところまで行く。」、「なんやら知れん、得体の知れんもんとは、団交できん。」等と発言した。
(2) 組合は、<1>昭和52年9月12日以降行われた組合ニュース等の配布に対し、学園が合計8件の警告書を交付したこと、<2>同月16日付け要求書における要求事項である公立並み待遇の早期実現に関しての前歴計算及び同年年末ボーナス査定に関する団体交渉において、学園が誠実に対応しなかったこと、<3>同月18日、倉田理事長が組合員福家誠(以下「福家」という。)の父親を丸亀校に呼び出し、父親に対して福家の退職を強要したこと、<4>同月21日以降行われた職場集会のための小会議室の使用に対して学園が合計5件の警告書を交付したこと、<5>同53年2月下旬、父兄に対する「私学助成をすすめる会」への入会勧誘に際して、生徒を使ったことに対して、学園が、天野委員長ほか1名に対し訓告処分を行ったこと、<6>同年3月10日に行われた卒業式終了後の職員祝賀会における抗議行動に対して、学園が、天野委員長ほか1名に対し訓告処分を行ったことが、それぞれ不当労働行為であるとして、同年8月17日、香川県地方労働委員会(以下「香川地労委」という。)に不当労働行為救済申立てを行った。香川地労委は、同58年12月10日付けで、<1>組合に対する無許可のビラ配布を理由とした同52年9月26日付けほか7件の各警告書を撤回しなければならない、<2>同月16日付け要求について誠意をもって団体交渉に応じなければならない、<3>福家に対し組合員である故をもって退職を勧奨することにより、組合の運営に支配介入してはならない、<4>組合に対する無許可の小会議室使用を理由とした同月26日付けほか4件の各警告書を撤回しなければならない、<5>「私学助成をすすめる会」の父兄への勧誘を理由として行った同53年3月23日付けの訓告処分は不当労働行為には当たらない、<6>職員祝賀会における組合の抗議行動を理由とした同日付けの訓告処分を撤回しなければならない旨の命令を発した。
学園は、上記香川地労委命令の<1>ないし<4>及び<6>を不服として当委員会に再審査申立てをしたが、当委員会は、平成5年5月19日付けで命令を発し、<1>ないし<4>については初審命令を支持する一方、<6>については不当労働行為には当たらないと判断した。
(3) この間、昭和52年9月16日、組合は、学園に対して、公立並み待遇の早期実現等について団体交渉の申入れを行った。しかし、労使双方の交渉人員について意見の対立があり、要求内容について交渉が行われない状態が続いた。
その後、学園と組合との間で団体交渉ルールについての交渉が行われたが、最終的に香川地労委のあっせんがあり、同年12月13日付けで団体交渉ルールを内容とする協定が締結された。
(4) 昭和53年11月15日午後7時過ぎから、組合は、組合活動のために、小会議室を使用し、職場集会を開催した。
これに対し、学園は、同月24日付けで、天野委員長に対し、無許可の職場集会を理由として訓告処分を行った。
3 昭和54年から共闘会議結成に至るまでの労使関係
(1) 昭和54年1月27日、組合は、学園に対して、<1>同53年度の年度末一時金の支給、<2>専任教員の週当たり持ち時間の適正化、<3>授業料等の父母負担の軽減等を内容とする要求書を提出した。
これらの要求内容を議題として組合と学園との間で団体交渉が行われたが、交渉は難航し、同54年2月28日の団体交渉で交渉が決裂した。
(2) そこで、組合は、要求実現のために、昭和54年3月1日から同月16日まで、組合員が職員室の各人の机上に、高さ約27センチメートル、縦・横各約8センチメートルの角型紙筒で、その各面に「学園の民主化」、「学園を私物化するな」、「授業料凍結」、「誠意ある団交を」と縦書きにしたものを立てる、いわゆる紙筒闘争を行った。
また、組合は、同月2日から同月23日まで、「授業料凍結」、「学費値上反対」等の要求を記載した縦約15センチメートル、幅約4センチメートルの赤色リボンを各組合員が登校後直ちに上着の胸部に着用して下校時に取り外す、いわゆるリボン闘争を行った。学園は、紙筒闘争及びリボン闘争のそれぞれが開始された直後から、これらの行為に対し、職員朝礼時に当時の高松校校長宇喜多一塩(以下「宇喜多校長」という。)又は教頭から口頭で注意をさせていた。
(3) さらに、組合は、上記リボン闘争等に併せて、朝登校した宇喜多校長に対する集団的要求行動、職員朝礼時に職員室の窓際に組合員が並んで立って校長らに要求を行う闘争(以下「立ちんぼ闘争」という。)等を行った。
(4) 昭和54年3月9日、学園は、同月8日付けで、天野委員長に対し、「同月1日以降の紙筒闘争並びに同月2日以降のリボン闘争、校長に対する集団的要求行動及び立ちんぼ闘争は、組合活動としては著しい逸脱行為であり、就業規則に違反するので、訓告する」旨の訓告処分を行うとともに、組合員全員に警告書を交付した。組合員らは、これに抗議し、倉田理事長に処分の理由につき説明を求めたが、同理事長は要求に応じず、下校しようとした。そこで、約27名の組合員は、下校しようとする同理事長と宇喜多校長が乗った自動車の前に約2時間にわたり立ちふさがり、説明を求めた。
(5) 翌3月10日の卒業式当日も、職員室での紙筒闘争、立ちんぼ闘争が行われたほか、卒業式の最中にもリボン闘争が行われた。さらに、高松校の中庭に組合員の自動車を約10台並べた上、それら自動車のフロントガラスに、組合の主張を書いたものを張り出して、卒業式に参列した父兄向けのアピールを行った。
(6) 学園は、上記(4)の理事長及び校長への要請行動、上記(5)の紙筒闘争、リボン闘争及び父兄向けのアピール等を理由に、天野委員長に対し昭和54年3月12日付けで、組合員海野伸二(以下「海野」という。)ほか4名に対し同月16日付けで、それぞれ訓告処分を行った。
(7) さらに、学園は、昭和54年3月20日付けで、天野委員長に対し、同月12日以降の紙筒闘争及びリボン闘争並びに上記(4)の理事長及び校長への要請行動等を理由として、同月22日から4月20日までの間、出勤停止処分を行った。
(8) 学園は、昭和54年3月31日付けで、海野に対し、紙筒闘争、リボン闘争並びに上記(4)の理事長及び校長への要請行動等を理由として、教諭から常勤講師に降職する処分を行った。さらに同年4月、倉田理事長及び宇喜多校長は、海野を、宇喜多校長に対する暴行を理由として告訴した。
なお、同55年12月、海野は不起訴処分とされた。
(9) 昭和54年4月から、倉田理事長の娘婿である倉田康男(以下「倉田校長」という。)が新たに高松校校長として赴任した。
(10) この間、昭和54年3月、組合は、天野委員長らが発起人として、学費凍結請願のための署名運動を行い、父兄に対して、「学費凍結請願のための署名のお願い」等の文書を送付した。
これに対し、学園は、組合員らが学費凍結請願のための署名運動を発起人として行ったことにより、同文書は学園の名誉、信用を傷つけたとして、同年5月7日付けで、天野委員長ほか2名の組合員に対し厳告処分を、海野ほか24名の組合員に対し訓告処分を行った。
(11) 学園は、昭和54年6月末には、組合員小泉宗弘(以下「小泉」という。)に対し、生徒に対する体罰事件に関して、教諭から非常勤講師に降職する処分を行った。
(12) 組合は、昭和54年5月15日から同月21日までの間及び同月29日から6月4日までの間、紙筒闘争を行った。
これに対し、学園は、同年8月9日付けで、組合員に上記紙筒闘争を行わせたこと等を理由として、天野委員長ほか4名に対し、厳告処分を行った。
(13) さらに、組合は、昭和54年11月29日から12月5日までの間及び同月8日から同月15日までの間、紙筒闘争を行った。
これに対し、学園は、同55年2月4日付けで、同54年11月29日から12月5日までの間、組合員に上記紙筒闘争を行わせたこと等を理由として、天野委員長ほか2名に対し、厳告処分を行った。
(14) 学園は、組合結成以降、組合の組合活動等を理由として、組合員に対して、上記のように数多くの懲戒処分を行ってきたが、これをまとめると次表のとおりである。
表1 組合員に対する処分状況一覧表(昭和53.3.23~同55.2.4)
番号
氏名
処分日付
処分内容
主な処分事由
1
天野滋ほか1名
昭和53.3.23
訓告
職員祝賀会の抗議行動
2
天野滋ほか1名
〃53.3.23
訓告
「私学助成をすすめる会」への勧誘
3
天野滋
〃53.11.24
訓告
就業時間外職場集会
4
天野滋
〃54.3.8
訓告
リボン・紙筒による要請行動
校長への要請行動
5
天野滋
〃54.3.12
訓告
リボン・紙筒による要請行動
理事長及び校長への要請行動
6
海野伸二ほか4名
〃54.3.16
訓告
リボン・紙筒による要請行動
理事長及び校長への要請行動
7
天野滋
〃54.3.20
出勤停止30日
リボン・紙筒による要請行動
理事長及び校長への要請行動
8
海野伸二
昭和54.3.31
降職
リボン・紙筒による要請行動
理事長及び校長への要請行動
9
天野滋ほか2名
〃54.5.7
厳告
学費凍結請願のための署名運動
10
海野伸二ほか24名
〃54.5.7
訓告
学費凍結請願のための署名運動
11
小泉宗弘
〃54.6.
降職
生徒に対する体罰事件
12
天野滋ほか4名
〃54.8.9
厳告
紙筒闘争
13
天野滋ほか2名
〃55.2.4
厳告
紙筒闘争
(15) この間、昭和54年6月29日、組合は、単独では労使関係を正常化することは困難であると考え、日本労働組合総評議会香川県地方評議会(以下「県総評」という。)に加盟した。
(16) 県総評は、昭和54年7月以降、組合、学園間の労使紛争解決のため、以下のとおり、学園と折衝を重ねた。
県総評は、同年7月から8月にかけて、労使関係正常化のための話合いの場を持てるように学園と折衝したが、進展しなかった。
そこで、県総評は、学園に対し、同年8月下旬以降、何回か「団体交渉」を申し入れたが、学園は、団体交渉になじまない事項もあり、検討する等としてこれに応じなかった。
また、県総評は、同月頃に、高松校PTAに事態解決への協力を求めたところ、同PTAは、学園と組合を仲介して話合いによる解決を図るよう努力することとなった。この結果、同年9月以降数回にわたり、海野の告訴の取下げ及び校内の組合活動を中心議題として、高松校PTA、組合及び学園の三者会談が持たれたが、同年11月、不調に終わった。
その後、県総評は、同年11月下旬から同55年3月まで、海野の上記(8)の降職処分の撤回及び労使関係正常化のための話合いの場を作るため、学園と数回にわたり折衝したが、学園は同処分は撤回できないなどと主張して、事態は進展しなかった。
(17) 昭和54年度中、組合と学園との間では、月1回程度団体交渉が行われたが、海野の降職処分、天野委員長及び小泉に係る懲戒処分等に関する団体交渉の申入れに対し、学園は、個人の処分問題については団体交渉に応ずる義務はない、団体交渉の議題にはならない等として、一切応じなかった。
(18) このように、県総評あるいは組合が要求する団体交渉等に学園が応じない状況が続く中で、県総評は、事態の打開のためにはより広範な支援組織が必要と考え、昭和55年3月24日、組合、高松地区労働組合連合会、日本社会党香川県本部等23団体を構成メンバーとする大手前高松高等(中)学校教職員組合不当処分撤回支援共闘会議(以下「共闘会議」という。)を結成した。
共闘会議は、学園における不当弾圧、不当処分を撤回し、正常な労使関係を確立することにより民主的な学園を作るために組合の活動を支援することを目的として掲げ、不当弾圧、不当処分撤回のための諸活動を行うこととしていた。また、共闘会議の議長は県総評議長で、事務局は県総評事務局内に置かれており、参加23団体の代表から構成される幹事会によって運営されていた。
(19) なお、昭和55年3月頃、組合は、高松校の所在地番を書いた組合あての郵便物が届かなくなったことに気付き、調べたところ、学園が約3か月間、10通を超える組合あての郵便物を留置していたことが判明し、それら郵便物は組合の要請で引き渡された。
その後、学園は、現在まで、組合あての郵便物については、高松校の所在地番にはあて名の者はいない旨の付箋をつけて、差出人に返送している。
(20) 昭和55年3月末、学園は、海野を、講師の雇用期間満了を理由として、雇止めとした。
4 天野委員長ほか5名に対する昭和55年8月9日付け出勤停止処分及び堀内に対する同月10日付け出勤停止処分等
(1) 共闘会議は、教育の場である高松校の労使関係の混乱は社会的にも問題があるとして、学園における組合員に対する不当処分の撤回と正常な労使関係の回復を目的に、学園における懲戒処分等の実態を世論に訴え、広く理解を求めるため、ビラ張り、宣伝車等の宣伝活動を行うこととした。
そして、昭和55年4月1日の早朝、「不当解雇反対」、「学園の私物化反対」、「入学金の先取りを止めろ」等と記載したビラを学園付近の電柱等へ張り、さらに、同年4月23日、5月17日、同月24日及び7月8日には、学園周辺をはじめ高松市内の電柱等に上記ビラをそれぞれ相当数貼付した。
宣伝活動については、共闘会議が日程等を組み、加盟団体に対し割当ての人数を出すよう要請し、各加盟団体はこの要請に応じた。そして、宣伝活動に参加した者は、共闘会議の指示を受けて具体的な活動を行っていた。下記(2)及び(4)の宣伝活動も、共闘会議の要請、指示を受けて、具体的な活動が行われた。
なお、ビラの文言や宣伝車による宣伝文句は、共闘会議の事務局が作成していた。
(2) 上記(1)の宣伝活動のうち、昭和55年7月8日早朝には、天野委員長、組合員出井秀樹(以下「出井」という。)及び同堀内美好(以下「堀内」という。)が、共闘会議発行の「大手前倉田理事長は 高い学費で私腹をこやすな 共闘会議」、「大手前倉田理事長は 教育をもうけの手段にするな 共闘会議」等の文言を記載した縦約55センチメートル、横約20センチメートルの大きさのビラ相当数を電柱等に貼付した。
(3) 共闘会議は、昭和55年4月2日から同月30日まで、5月中旬、6月上・中旬及び7月5日に高松市内を、また、同年4月9日から同月19日まで及び7月5日には丸亀市内を、県総評等の宣伝車で走行しながら、ラウドスピーカーにより、録音テープに収録した下記の宣伝文句による宣伝を繰り返し行った。
「大手前倉田康男校長は、組合との話合いに応じなさい。大手前高松高校職員組合の不当処分を撤回し、倉田理事長、倉田校長は、教育者として、憲法を守り、法律を守りなさい。こちらは大手前高松高校職員組合にかけられている不当処分を撤回する支援共闘会議です。大手前高松高校では今大変な事が起こっています。大手前倉田キヨヱ理事長、倉田康男校長は教育者でありながら、憲法、法律を無視し、先生方を不当にも処分しています。また、正式な話合いにも応じません。大手前倉田康男校長は組合との話合いに応じなさい。大手前高松高校職員組合の不当処分を撤回し、倉田理事長、倉田校長は、教育者として、憲法を守り、法律を守りなさい。大手前高松高校は、県下でただ一つの入学金先取りの学校です。大手前では学校を金もうけの手段と考え、入学金は県下の私立学校で最高です。大手前倉田キヨヱ理事長は、学園を教育の場に戻すため、組合との正式な話合いに応じなさい。直ぐ話合いに応じなさい。大手前高松高校職員組合の海野先生を学園に戻し、明るい学園作りを共闘会議として要請します。こちらは、大手前高松高校職員組合にかけられている不当処分を撤回する支援共闘会議です。大手前高松高校は、県下でただ一つの入学金先取りの学校です。大手前では学校を金もうけの手段と考え、入学金は県下の私立高校で最高です。大手前倉田キヨヱ理事長は、学園を教育の場に戻すため、組合との正式な話合いに応じなさい。」
(4) このうち、昭和55年5月12日午後5時過ぎには、組合員高橋範行(以下「高橋」という。)及び同溝淵春生(以下「溝淵」という。)が、同年6月3日午後5時過ぎには、高橋及び同壺谷真人(以下「壺谷」という。)が、さらに、同年7月5日午後4時過ぎには溝淵が宣伝車に乗っていた。
(5) 高松校教頭補佐平畑博敏(以下「平畑教頭補佐」という。)は、昭和55年6月6日午後5時過ぎ、高松市内の路上で共闘会議の宣伝活動をしている宣伝車を目撃したが、その際、助手席に乗っている眼鏡をかけた男の横顔を見て組合員柳井博(以下「柳井」という。)であると思ったので、学園にその旨の報告をした。
(6) 昭和55年8月9日、学園は、天野委員長、組合員出井、同壺谷、同高橋、同柳井及び同溝淵を高松校校長室に呼び、天野委員長及び出井に対して上記(2)記載のビラ貼付が、壺谷、高橋及び溝淵に対して上記(4)記載の宣伝車による宣伝が、柳井に対して上記(5)記載の宣伝車による宣伝が、いずれも学校の社会的信用を失墜させ、名誉を傷つけており、これらは、高松校就業規則(以下単に「就業規則」という。)第14条第10号に違反し、同規則第69条第5号に該当するとして、同日付けで、同月11日から20日までの間、出勤停止処分にした。
また、帰省中の組合員堀内に対しては、学園は、上記(2)記載のビラ貼付に関して、同月10日付けで、同じく同月11日から20日までの間、出勤停止処分にした。
(7) 学園は、上記の天野委員長ほか6名(以下「上記7名」という。)に対して、昭和55年8月21日に同月分の賃金(交通手当及び住宅手当を除く。)を、同年9月10日に同年8月分の交通手当及び住宅手当をそれぞれ支給した際、上記(6)の出勤停止処分に伴い、各人の所定の支給額から、次表の昭和55年8月分の賃金、交通手当及び住宅手当の各欄記載の金額を、それぞれ減じた。
また、学園は、同55年度冬季一時金を同年12月5日支給したが、その際、上記7名の所定支給額から、次表の昭和55年度冬季一時金の欄記載の金額を、それぞれ減じた。
さらに、学園は、ベースアップによる賃金差額を同56年1月に支給したが、その際、上記7名については、同55年8月分賃金差額から次表のベースアップ8月分差額の欄記載の金額をそれぞれ減じて支給した。
表2 賃金等減額表
単位:円
項目
氏名
昭和55年8月分
昭和55年度
冬季一時金
ベースアップ
8月分差額
賃金
交通手当
住宅手当
天野滋
89,460
762
174,017
3,786
壺谷真人
80,550
1,731
1,049
128,419
3,422
高橋範行
67,428
1,731
114,138
2,876
柳井博
54,747
762
1,039
106,759
2,221
溝淵春生
52,434
1,731
1,731
91,921
2,330
出井秀樹
52,434
2,181
76,123
2,330
堀内美好
48,051
762
1,731
72,358
2,112
(注) 昭和55年8月分の賃金欄の金額は、交通手当及び住宅手当を除く額である。
(8) 学園は、組合からの団体交渉申入れに対し、昭和55年度は、同年5月21日の団体交渉と香川地労委のあっせん等による2回(同56年1月14日及び3月11日)の団体交渉を行ったが、組合員の処分・処遇問題についての団体交渉はする必要がない等として応じていない。
(9) 学園は、昭和55年2月から同年12月までの紙筒闘争等の組合活動を理由として、同56年3月27日付けで、天野委員長ほか2名に対し、同月28日から同月31日までの間出勤停止処分にした。
なお、同出勤停止処分については、本件初審香川地労委において、上記紙筒闘争等はいずれも正当な組合活動の範囲を逸脱したもので、当該処分は不当労働行為に当たらないと判断されており、この件について、組合から再審査の申立てはなされていない。
(10) 後記5の(3)の経緯により昭和56年4月から休職となった天野委員長を除く組合員壺谷、同高橋、同柳井、同溝淵、同出井及び同堀内は、同月の定期昇給が1か月延伸され、同年5月に昇給となった。
5 天野委員長の職歴、組合歴等と休職処分に至るまでの経緯
(1) 天野委員長は、昭和40年4月、高松校の社会科の教諭として採用され、以来、地理、政治経済の各教科の担当として勤務していた。同40年度から同51年度まで学級担任(うち、同43年度から同45年度までは優秀クラス)、同52年度から同55年度まで学級副担任を務め、この間、同43年度から同54年度まで社会科の教科主任に任じられた。
また、同人は、同52年9月10日の組合結成と同時に執行委員長となり、現在に至っている。
(2) 学園は、昭和54年度当初、組合員一村公典(国語科教諭)を丸亀校へ転勤させ、同年度末、前記3の(20)のように、降職処分により講師となっていた組合員海野を雇止めとし、また、同55年度に同原田俊行(体育科教諭)を丸亀校へ転勤させ、同福井心司(社会科教諭)(以下「福井」という。)を県外大手予備校に出向させ、同56年度に、復帰時期を迎えた福井を高松校に復帰させ、同稲葉武志(国語科教諭)、同土肥輝夫(英語科教諭)、同堀内(数学科教諭)の3名を丸亀校へ転勤させた。
なお、学園は、同55年度末において常勤講師2名(国語科、図書司書各1名)、非常勤講師7名(国語科1名、数学科2名、理科2名、美術科1名、家庭科1名)及び嘱託1名(英会話)の合計10名が退職となったのに伴い、同56年度当初に常勤講師1名(国語科)、非常勤講師2名(国語科、家庭科各1名)及び嘱託3名(作法、武道、英会話各1名)の合計6名を採用している。
(3) 昭和56年3月31日、学園は、高松校における生徒数の減少に対処するためとして、天野委員長に対し、就業規則第55条第2項に基づき、同年4月1日から同57年3月31日まで休職を命じた。
なお、高松校において、生徒数の減少に対処するためという理由で休職処分になったのは、天野委員長が初めてであった。
また、天野委員長の休職期間中の賃金については、学園は、労働基準法に基づく平均賃金の6割を支給した。
(4) 昭和51年度から同57年度の間における高松校の年度別学年別クラス数・生徒数は、別表1のとおりであり、クラス数及び生徒数は同52年度以降年々減少し、同55年度から同56年度までの間におけるクラス数は20クラスから18クラスに、同期間中の生徒数は831名から718名にそれぞれ減少している。
(5) 昭和51年度から同57年度までの間における高松校の社会科担当の教科時間数は、別表2のとおりであり、同55年度から同56年度までの間における社会科担当の教科総時間数は、週当たり131時間から121時間に減少している。
なお、同55年度及び同56年度における社会科担当の教員は、同56年度において天野委員長が休職となり、福井が高松校に復帰したことにより、いずれも教諭7名、非常勤講師1名の計8名であった。
(6) 昭和51年度から同57年度までの間における天野委員長の学年別教科分担と教科時間数は、別表3のとおりである。
(7) 昭和51年度から同57年度までの間における高松校の社会、国語、数学、理科及び英語の各教科別の教員数及び教科総時間数は、別表4のとおりである。
社会科以外の科目についてみると、同56年度は、前年度に比べ、教科総時間数については、国語で11時間、数学で15時間、理科で13時間及び英語で8時間がそれぞれ減少しており、教科別の教員(教諭及び常勤、非常勤講師)の数については、国語で1名、数学で3名、理科で2名、英語で1名がそれぞれ減員となっている。
6 天野委員長の休職期間の満了による退職、非常勤講師への採用等
(1) 昭和56年4月3日及び同月8日、組合は、学園に対し、天野委員長の休職の件ほか数項目について団体交渉を申し入れたが、学園は、個人の問題であるので団体交渉にはなじまないなどとして、これに応じなかった。
(2) 組合は、昭和56年4月16日、学園に対し、天野委員長のほか組合員海野、同小泉に対する処分を撤回し、原状に復することなどを求めた春闘要求書を提出した。
その後、組合は、この要求書に基づいて団体交渉を申し入れたが、学園はこれに応じなかった。
(3) さらに、組合は、昭和57年2月17日、天野委員長を同57年度に職場復帰させること、また、同56年度は勤務したものとして賃金を支払うことなどを内容とする要求書を学園に提出した。
その後、組合は、この要求書に基づいて団体交渉を申し入れたが、学園は、学園が行った休職処分は団体交渉の議題にはなじまないなどとして、これに応じなかった。
(4) 天野委員長は、昭和57年3月1日、倉田校長に対し、復職を願い出るとともに同57年度での休職の扱いがどうなるのか尋ねたところ、同校長から、同月末頃にならなければわからないとの返事があった。そこで、天野委員長は、このまま休職期間が満了した場合退職となるおそれもあったため、学園に対し、同月17日付けの文書で復職願を提出した。
(5) 昭和57年3月30日、学園は、天野委員長に対し、同月17日付けの復職願については許可しないこと及び就業規則第59条第2項に基づき同月31日の経過をもって休職期間は満了し、退職となる旨を記載した同月30日付け通知書を交付した。
(6) しかし、その後、学園は、天野委員長に対し、昭和57年4月から非常勤講師として採用する旨口頭で通知した。
そして、学園は、天野委員長に同57年度においては高校3年の地理を週当たり3時間担当させた。
(7) その後、学園は、天野委員長の担当授業時間を、昭和58年度及び同59年度は週当たり4時間、同60年度及び同61年度は週当たり8時間とした。
(8) 高松校においては、昭和57年3月31日付けで組合員小泉(理科非常勤講師)が雇止めとなり、同岡好孝(以下「岡」という。)(社会科教諭)、同中村益夫(以下「中村」という。)(英語科教諭)、同柳井(数学科教諭)及び同草野晃(以下「草野」という。)(社会科教諭)が非常勤講師に降職となり、常勤講師1名が退職となった。(岡及び中村の降職処分に至る経緯については、後記7参照)
また、高松校においては、同57年度当初において常勤講師1名が採用され、同年度末において教諭1名、常勤講師1名及び非常勤講師1名が退職となり、同58年度当初に教諭1名が採用され、同年度末に常勤講師1名及び非常勤講師1名が退職となり、同59年度当初において教諭3名が採用され、同年度末において岡、中村及び草野が雇止めとなり、同60年度当初において教諭1名が採用された。(岡及び中村の雇止めに至る経緯については、後記8参照)
なお、社会科については、同63年度に教諭1名が採用された。
(9) 組合は、昭和57年4月5日、同月13日、同月19日及び同月28日、学園に対し、天野委員長ら組合役員7名の休職期間満了による退職扱い、雇止め又は非常勤講師への降職処分を議題とする団体交渉の開催を申し入れたが、学園は、団体交渉になじまないとの理由でいずれもこれを拒否した。
(10) 組合は、昭和57年5月11日、学園に対し、上記組合役員7名に対する各処分等の早急な撤回、原状回復などを要求項目とする春闘要求書を提出した。
その後、組合は、同要求書に基づいて同年9月10日頃まで団体交渉を申し入れたが、学園はこれに応じなかった。
7 岡及び中村の降職処分に至る経緯
(1) 岡は、組合結成以来、昭和52年度は書記長、同54年度は副委員長、同55年度及び同56年度は書記長、同57年度から同59年度までは副委員長、同60年度は執行委員を務めた。
中村は、組合結成以来、同53年度は会計監査、同54年度は書記長、同55年度は書記次長、同56年度は執行委員、同57年度は書記長、同58年度から同60年度までは執行委員を務めた。
(2) 生徒指導部は、昭和54年度に学園の承認を受けて「服装についての指導基準」を作成し、同基準は、翌55年度以降生徒に配布されてきていた。
同年度において、高松校在校生の服装の乱れや遅刻が目立ち始めたため、生徒指導部だけでなく、職員会議でもこの問題について論議がなされていた。これに対して、生徒指導部は、同年度に輪番制による遅刻指導を行った。なお、これについて学園からは特に異議が述べられることはなかった。
(3) 昭和56年度において、倉田校長は、同56年4月3日開催の職員会議の席上、新年度の校務分掌表を発表するとともに、その対策として、同分掌表で生徒指導部の生活指導係(校内担当)に指名された組合員小松弘(以下「小松」という。)、岡、中村及び大町幸子(以下「大町」という。)の4名中、女性で養護教諭である大町を除いた3名に対し、翌4日以降当分の間、毎朝高松校の玄関前で8時15分から生徒の服装指導をするよう命じた(高松校の職員の始業時刻は、就業規則第15条には午前8時30分と定められており(後記10参照)、この命令によって、15分繰上げとなる。また、同命令による服装指導の終了時刻は、午前8時40分であった。以下この命令を「本件早朝生徒指導命令」という。)。
ところで、倉田校長は、本件早朝生徒指導命令を岡、中村らに発した理由について、本件の初審香川地労委における審問において、同人らが生徒指導部の生活指導係の校内担当であるからと証言している。
なお、校務分掌の分担期間は1年間であり、本件早朝生徒指導命令中の「当分の間」とは、倉田校長は、本件命令は1年間の趣旨で指示したものであり、岡及び中村も1年間の趣旨で命令されたものと受け取っていた。
また、学園が本件早朝生徒指導命令の根拠とする就業規則第15条但し書の規定は、当時、関係者間において、臨時的な必要が生じたときに適用すると解されており、実際にも修学旅行、入学試験等の一日又は数日程度の勤務時間の変更のように例外的な場合にのみ適用されていた。
本件早朝生徒指導命令が発せられた際、岡及び中村は、それぞれ、「突然言われても困る。家の都合がある。」などと発言したが、倉田校長は何の返答もしなかった。しばらくして、当日の司会をしていた吉田教頭が「更に意見があれば後にして下さい。」と発言して次の議題に移り、その後この点についてのやり取りがないまま、職員会議は終わった。
なお、高松校では、当日の学校行事に関する注意事項等が伝達される職員朝礼が毎朝午前8時30分から同8時35分にかけて行われていた。
(4) 高松校の校務分掌については、校長が決定し、毎年度の第1回目の職員会議で発表されていた。また、昭和56年度の校務分掌表(抄)は、次表のとおりであった。
なお、生徒指導部の生活指導係は校内担当と校外担当に分かれ、同年度は、それぞれ4名ずつ計8名が担当となっており、うち5名が組合員であった。また、生徒指導部の部長である野口生徒指導主事(以下「野口主事」という。)も組合員であった。
表3 昭和56年度校務分掌表(抄)<省略>
(5) 一方、生徒指導部では、昭和56年4月9日開催の部会において、同56年度は、生徒指導は全員の教師が一致して行うことにより高い教育的効果が生まれること、校務分掌上他に受け持っている仕事との関係で特定個人に負担がかからないようにすることが必要であること等から、生徒の服装指導や遅刻指導について、生徒指導部員の輪番制による指導を行うこととし、同月13日から18日までの期間、毎朝午前8時15分から同9時40分まで高松校の玄関前で、同8時40分から同8時50分まで同校の二・三号館2~4階非常扉前等で、同8時40分から同9時40分まで視聴覚教室で、それぞれこれらの指導を行うことを内容とした「昭和56年度4月生徒指導(校内)計画」を作成し、これを実施した。
(6) しかし、その後、上記生徒指導計画については倉田校長から、岡、中村ら3名が毎朝玄関前で服装指導を行うことになっていないとして、却下されたので、生徒指導部は、昭和56年4月20日から同月30日までの期間については、玄関前での指導を中止し、毎朝午前8時40分から同8時50分まで二・三号館2~4階非常扉前で、同8時40分から同9時40分まで選択A教室等で遅刻指導及び服装指導を輪番制で行うことを内容とした生徒指導計画を作成し、これを実施した。
さらに、生徒指導部は、その後も同57年3月まで、遅刻指導及び服装指導について午前8時40分前の指導(以下「早朝指導」という。)を含む輪番制による生徒指導計画を逐次作成し、実施した。
なお、これら生徒指導部が作成した生徒指導計画について、同56年6月頃、同計画では岡、中村、小松が毎朝玄関前で服装指導することになっていないとして、学園から却下されたことがあったが、結局、生徒指導部では早朝指導を含む輪番制による生徒指導を続行することとした。
(7) 岡及び中村は、昭和56年4月13日から翌年3月19日までの間、上記の生徒指導部が作成した輪番制による生徒指導計画に従い、服装指導等に当たった。
なお、小松は、本件早朝生徒指導命令に従い、当初を除き、同57年3月まで玄関前で服装指導を行った。
(8) 昭和56年5月1日、始業時刻前、岡は、職員室において西山教頭に団体交渉の申入れを行ったが、その際、居合わせた倉田校長にも同様の団体交渉の開催を申し入れた。すると、倉田校長から、「いま何時だと思っているんですか。」、「玄関前のところで指導していなければいかん時間じゃないですか。」と言われた。それに対し、岡は、「それは、4月3日以来保留にされているはずですが。」と答えた。
(9) 倉田校長は、昭和56年5月6日岡を、同月19日中村を、それぞれ校長室に呼び、本件早朝生徒指導命令に従うように指示した。これに対し、岡及び中村は、それぞれ、生徒指導部が作成した輪番制による生徒指導計画に従って指導を実施しているので、それについては生徒指導部と話をして欲しい旨、及び本件早朝生徒指導命令には就業時間の変更等労働条件に係わる問題も含まれているので、組合とも交渉をして欲しい旨を述べた。
(10) 昭和56年5月22日、組合は、倉田校長の同月6日及び同月19日の岡及び中村に対する発言に対し抗議するとともに、このような労働条件の一方的変更に関して、組合と早急に交渉を持つよう要求する旨の抗議文を学園に提出した。
また、組合は、本件早朝生徒指導命令による労働時間の変更は労働条件に関する問題であるとして、同月23日には同命令に伴う就業時間の変更ほか2件を議題とする団体交渉を開催するよう申し入れた。しかし、学園は、個人の問題であるので団体交渉になじまないとしてこれに応じなかった。
そこで、組合は、これを組合執行部に対する弾圧ととらえ、同月27日、本件早朝生徒指導命令を拒否することとし、これを機関決定した。そして、組合は、同年6月1日、同月4日及び同月23日、学園に対し、同命令に伴う就業時間の変更を議題とする団体交渉の開催を再度申し入れたが、学園は、これにも応じなかった。
(11) 一方、昭和56年6月上旬、倉田校長は、野口主事に対し、岡及び中村に本件早朝生徒指導命令による指導を毎朝実施するよう伝えよと指示し、野口主事は、生徒指導部会で倉田校長の話を両名に伝えた。
さらに、野口主事は、2学期及び3学期に一度ずつ、倉田校長から同様の指示を受け、両名に対しその趣旨を伝えた。
(12) 昭和56年7月8日、倉田校長は、岡及び中村に対し、「高松校就業規則第15条に基づき、同56年度勤務時間については、始業時刻を午前8時15分に、終業時刻を午後5時に変更する旨同年4月3日に通知したが、正当な理由なく指定の時刻に登校せず、その後、岡に対しては同年5月1日及び同月6日、中村に対しては同月19日、それぞれ指定の時刻に勤務するように注意したにもかかわらず、故意に業務命令を無視し続けていることは就業規則第14条第5号の違反であり、責任追求する権利を留保することを通告する」旨の同年7月8日付け警告書を交付した。
(13) さらに、昭和56年8月4日、学園は、岡及び中村に対し、上記(12)記載の同年7月8日付け警告書の交付後も勤務時間の変更指示に従わなかったことを理由として、「故意に業務命令を無視し遅刻し続けたことは、就業規則第14条第5号違反であり、同規則第68条第5号並びに同条第9号の規定により8月5日から同月10日までの間出勤停止にする」旨の同年8月4日付け出勤停止処分通告書を交付した。
(14) 組合は、昭和56年8月8日、学園に対し、岡及び中村の出勤停止処分などを議題とする団体交渉の開催を申し入れ、同月12日、22日及び29日にも同様の申入れを行った。
なお、組合は、同月29日、団体交渉の申入れを行った際、本件早朝生徒指導命令の違反を理由として組合役員を処分したことについては、組合に対する弾圧であると学園に抗議した。
その後も組合は、同年9月に4回、同年10月に3回、同年11月に1回、岡及び中村の出勤停止処分などを議題とする団体交渉の開催を申し入れたが、学園はいずれもこれに応じなかった。
(15) 昭和57年3月30日、学園は、内容証明郵便で岡及び中村に対し、本件早朝生徒指導命令違反に対する注意及び出勤停止処分にもかかわらず、同56年度末に至るまで違反行為を続けたことを理由として、非常勤講師に降職する旨の同月31日付け降職処分通告書を送付した。
8 岡及び中村の雇止めに至る経緯など
(1) 昭和57年4月5日、組合は、岡、中村の非常勤講師への降職処分等を議題とする団体交渉を開催するよう申し入れたが、学園はこれに応じなかった。
その後、組合は、同月13日、同月19日及び同月28日にも団体交渉を申し入れたが、学園はこれに応じなかった。
(2) 一方、岡及び中村は、高松地方裁判所へ昭和57年3月31日付け降職処分について地位保全の仮処分を申請(昭和57年(ヨ)第104号事件)した。これに関し、同裁判所は、同59年12月27日、岡及び中村の申請を却下する旨を決定した。これに対し、両名は、高松高等裁判所へ抗告したが、同裁判所は、同63年8月9日、同抗告を棄却した。
(3) 昭和60年3月29日、岡及び中村は、上記降職処分に関して、高松地方裁判所に対して高松校の教諭である労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する等の請求の訴えを提起(昭和60年(ワ)第153号事件)し、同裁判所は、平成元年5月25日、同請求を認容する判決をした。同判決に対し学園は、高松高等裁判所に控訴(平成元年(ネ)第195号事件)し、事件は同裁判所に係属中である。
(4) 学園は、昭和57年度については、岡の週当たり授業時間数を6時間とし、中村については3時間とした。
さらに、学園は、同58年度及び同59年度についても両名を非常勤講師として雇用契約の更新をした。しかし、学園は、同60年度については更新しないこととし、同60年3月29日付け内容証明郵便で、両名に対し、「契約期間は、昭和60年3月31日の経過をもって終了しますので、同年4月1日以降は登校される必要はない。」旨の通知書を送付した。その結果、両名は高松校の非常勤講師としての身分を失った(以下「本件非常勤講師の雇止め」という。)。
(5) 学園は、昭和57年度は生徒指導部の生活指導係(校内担当)のうち組合員福家、同溝淵及び同小林の3名に、同58年度は同部の生活指導係(校内担当)のうち同出井及び同堤秀一郎の2名と同部の交通安全教育係のうち同高橋の計3名に、同59年度は同部の生活指導係(校内担当)のうち同壺谷及び同福家の2名と同部の交通安全教育係の同福井の計3名に、同60年度は同部の生活指導係(校内担当)のうち同出井及び同溝淵の2名と同部の交通安全教育係の同高橋の計3名に、それぞれ早朝指導を命じた。この命令に従い、早朝指導は継続的に行われた。
(6) 昭和56年度から同60年度までに生活指導係(校内担当)、交通安全教育係に指名された者は、次表のとおりである。すなわち、学園は、生活指導係(校内担当)と交通安全教育係には、女性と同58年度の交通安全教育係の1名(高松)を除き、すべて組合員を充てていた。早朝指導を命じられたのは11名で、すべて組合員(うち組合役員は9名)であり、そのうち福家、溝淵、出井及び高橋の4名は、二度命じられている。
表4 早朝指導命令の受命者一覧表
年度
生活指導係(校内担当)
交通安全教育係
昭和56
〃57
〃58
〃59
〃60
[小松] [岡]△ [中村]△ 大町※
小松 [福家]△ [溝淵]△ [小林]△ 大町※ 和気※
小松 [出井]△ [堤]△ 高橋 大町※ 和気※
小松 [壺谷]△ [福家] 大町※ 和気※
小松 [出井] [溝淵]△ 大町※
高橋 草野 柳井
壺谷 福井 高橋
高松 壺谷 福井 [高橋]△
高橋 [福井]
[高橋]△ 福井 壺谷
(注) □内は早朝指導を命じられた者。△印は組合役員。※印は女性。下線は非組合員。
(7) 昭和60年6月頃、上記(5)及び(6)の早朝指導に伴う勤務時間変更の問題について、高松労働基準監督署の監督官から学園に対し実情聴取が行われた。その後、学園は、同年7月20日から早朝指導を中止することとし、同署にその旨を通知した。
9 本件労使間における係争事件
(1) 組合結成直後から学園、組合間においては紛争が多発し、組合は学園に不当労働行為があったとして数多くの救済申立てを続けており、現在、香川地労委に係属中の事件が4件、学園が、組合に対し団体交渉を拒否し、あるいは団体交渉に際して誠意ある態度を示さなかったこと、組合ニュース等の配布に対して警告、処分等を行ったこと、及び職場集会のための小会議室の使用に対して警告、処分等を行ったこと等が不当労働行為に当たるとして、香川地労委の救済命令又は一部救済命令を不服として学園が再審査を申し立てて当委員会に係属している事件が本件を含めて11件ある。
なお、丸亀校にも労働組合が別に結成されており、学園との間の不当労働行為事件が最高裁判所に1件係属している。
(2) 昭和55年度冬期ボーナスについての団体交渉開催の申入れに対し、学園が、同年3月31日雇止めとなった組合員海野が交渉委員として団体交渉に出席すること等を理由に団体交渉を拒否し続けたことが不当労働行為であるとして、組合は、香川地労委に不当労働行為救済申立てを行った。
当委員会は、同58年11月16日付けで、初審香川地労委の救済命令を支持し、学園が、被解雇者である組合員海野が交渉委員として出席することを理由として団体交渉を拒否してはならないこと等を命じた。
学園は、東京地方裁判所に上記命令の取消しを求めて行政訴訟を提起したが、同裁判所は、同63年7月27日、学園の請求を棄却した。学園の控訴に対し、東京高等裁判所は、平成2年4月9日、控訴を棄却し、学園はこれに対し上告したが、最高裁判所は、同年10月25日、学園の上告を棄却した。
10 高松校の就業規則(抄)等
高松校の就業規則及び「給与及び旅費規定」には、次のとおり規定されている。
(縦書きを横書きにしたほかは原文のまま)
「第三条 職員は、この規則を遵守し信義に従い誠実に職務を遂行し、当校の向上発展に努力しなければならない。
第十二条 職員は、上長の命令及び指示に従い、上長は所属職員の人格を尊重して懇切に指導し、互に職務に勉励しなければならない。
第十四条 職員は、左の各号を遵守しなければならない。
(中略)
二、当校の名義、職員の身分又は資格を詐り若しくは之を濫用しないこと。
(中略)
五、正当な事由なく遅刻、早退又は欠勤をしないこと。
(中略)
八、当校内で団体活動又は政治活動をしないこと。
(中略)
十、業務を妨害し若しくは当校の名誉又は信用を傷つけないこと。
(中略)
十二、書面による許可なく、当校内で業務外の掲示をし、若しくは図書又は印刷物等の頒布あるいは貼布をしないこと。
第十五条 職員の一日の勤務時間は、左の通りとする。但し、当校の都合により全職員又は一部職員の勤務につき基準勤務時間の範囲内で始業終業の時刻及び休憩時間を変更することがある。
一、職員 実働八時間
始業時刻 午前八時三十分
終業時刻 午後五時十五分
休憩時間 四十五分
午後〇時三十分から午後一時五分まで
午後二時五十五分から午後三時五分まで
半日授業日
始業時刻 午前八時二十五分
終業時刻 午後二時〇分
(以下略)
第五十二条 職員の身分及び職務は左の通りとする。
一、教育職員
イ、校長 ……校務を掌り所属職員を監督する。
ロ、教諭 ……学生又は生徒を教育する。
ハ、養護教諭……学生又は生徒を養護する。
ニ、助教諭 ……教諭の職務を助ける。
ホ、講師 ……教諭の職務を代行する。
二、その他の職員
イ、事務職員……事務に従事する。
ロ、技術職員……技術に従事する。
三、雇員……雑務に従事する。
第五十三条 職員は、左の各号の一に当たる場合には、その身分を失う。
一、死亡したとき。
二、雇用期間が満了したとき。
三、この規則により解職せられたとき。
四、この規則により退職したとき。
第五十五条 当校は、職員が左の各号の一に当たる場合には、休職を命ずる。
一、公職についたため業務上に支障があると認めたとき。
二、自己の都合により引続き又は断続して欠勤三十日以上にわたったとき。
三、業務外の傷病で引続き欠勤三千日以上にわたったとき。
当校は業務上の都合で相当と認めた場合には、休職を命ずることがある。
第五十六条 休職期間は前条第一項第一号及び第二項の場合には、その必要期間とし、前条第一項第二号及び第三号の場合には、一年とする。
第五十七条 当校は、休職期間中でもこの規則の規定に基づき諭示解職又は懲戒解職をすることがある。
第五十九条 休職期間が満了したときは、遅滞なく復職を願い出でなければならない。
復職を許可せられない場合には、休職満了のとき退職したものとみなす。
第六十条 当校は、職員が左の各号の一に当たる場合には、休職を命じない限り、労働基準法第二十条の規定により解職する。
一、精神又は身体の故障若しくは虚弱老衰又は傷病のため欠勤の有無に拘らず担当職務に堪えないと認めたとき。
二、勤務成績又は能率が劣悪なとき。
三、人格の欠陥又は学力の不足等により当校の職員として、適格性を欠くものと認められたとき。
四、その他前各号に準ずる事項があったとき。
第六十二条 職員は、満六十才に達したとき、停年退職となる。
第六十七条 懲戒の種類は左の通りとする。
一、譴責
イ、訓告 書面で注意する。
ロ、戒告 書面で注意し将来を戒める。
ハ、厳告 書面で注意し将来を戒め且つ始末書を提出させる。
二、減給
始末書を提出させ、労働基準法第九十一条による減給をする。
三、出勤停止
始末書を提出させ、三十日以内の出勤を停止する。
出勤停止期間は勤続年数に加算しない。
四、降職
始末書を提出させ、身分又は職階を下げ若しくは剥奪する。
身分又は職階に対し特に支給した給与は、降職により支給しない。
五、懲戒解職
労働基準法第二十条を適用して解職する。
第六十八条 当校は、職員が左の各号の一に当たる場合には、降職、出勤停止、減給又は譴責に処する。
(中略)
五、第十四条第五号に違反し、正当な事由なく遅刻、早退又は欠勤したとき。
(中略)
八、許可なく職場を離脱し又は勤務時間中に私事を行なったとき。
九、業務上の命令又は指示に違反したとき。
第六十九条 当校は、職員が左の各号の一に当たる場合には、懲戒解職に処する。但し情状により降職又は出勤停止にとどめることがある。
(中略)
三、第十四条第八号に違反し、団体活動又は政治活動をしたとき。
(中略)
五、第十四条第十号に違反し業務を妨害し、若しくは当校の名誉又は信用を傷つけたとき。
(中略)
七、第十四条第十二号に違反し、当校内で業務外の掲示をし、若しくは図書又は印刷物等の頒布又は貼布をしたとき。
(以下略)」
「 給与及び旅費規定
第一条 当校の給与は左の通りとする。
一、基本給
常勤職員は月給、非常勤職員は日給又は時間給、雇員は日給とする。但し非常勤職員又は雇員に対し、特に月給とすることがある。
二、手当
家族手当、時間外勤務手当、休日勤務手当、日直、宿直手当及び特別手当とする。
三、賞与
上期賞与及び下期賞与とする。
基本給、家族手当及び特別手当を基準内賃金とする。
(以下略)」
11 高松校における職員の身分
高松校においては、上記10の就業規則等に基づき、職員の身分及び職階は、<1>教育職員、<2>その他の職員、<3>雇員に大別した上、教育職員については、校長、教諭、養護教諭、助教諭、講師に分かれ、さらに、講師については、常勤講師と非常勤講師とに区分されている。そのうち、教諭、常勤講師及び非常勤講師は、次のように取り扱われている。
(1) 教諭
満60歳を停年とするいわゆる終身雇用が予定されている。
(2) 常勤講師
雇用期間は1年とされ、更新されない限り、その期間の経過により講師の身分を失う。
賃金は、月給制である。
(3) 非常勤講師
雇用期間は1年とされ、更新されない限り、その期間の経過により講師の身分を失う。
賃金は、時間計算給である。
第2当委員会の判断
学園は、初審命令が、(1)組合の救済申立資格を認めたこと、並びに(2)<1>ビラ貼付及び宣伝車による街頭宣伝活動を行ったことを理由として、天野委員長ほか6名に対し出勤停止処分を行ったこと、<2>高松校における生徒数の減少並びにこれに伴うクラス数及び授業時間数の減少に対処することを理由として、天野委員長に対し休職処分を行ったこと、並びに<3>本件早朝生徒指導命令に従わなかったことを理由として、岡及び中村に対し出勤停止処分及び非常勤講師への降職処分を行ったことが不当労働行為に当たると判断したことを不服として、再審査を申し立てているので、以下判断する。
1 組合の救済申立資格について
学園は、組合は、その規約において組合員資格の中にいわゆる中間管理職等の使用者の利益を代表する者を含め、現実にもそのような者を組合に加入させているので、労働組合法第2条但し書第1号に抵触するものであり、同法第5条第1項及び労働委員会規則第34条第1項により本件救済申立ては却下されるべきであると主張する。
しかしながら、労働組合法第2条但し書第1号に該当する者が現実に組合に加入しているとは認められず、また、学園は、同号に該当するとする者について、具体的に主張、疎明を行っていないことから、上記学園の主張は採用できない。
2 天野委員長ほか5名に対する昭和55年8月9日付け出勤停止処分及び堀内に対する同月10日付け出勤停止処分について
(1) 学園は、次のとおり主張する。
初審命令は、天野委員長らの行った本件宣伝活動における学園又は理事が学校を金もうけの手段となし、私腹を肥やしている旨の宣伝内容は、正当な組合活動の範囲をやや逸脱しているといわれてもやむをえざる側面があると判断するが、かような宣伝内容は、天野委員長ら組合員の労働条件ないし労働者としての待遇と全く関連性がなく、学園の名誉と信用を著しく侵害するものである。したがって、かかる活動は、正当な組合活動の範囲を逸脱した悪質かつ違法なものであり、これに参与した天野委員長らに対する本件各処分は極めて妥当であり、決して初審命令がいうような苛酷に過ぎるということはない。
また、初審命令は、労使関係の緊張状態に陥っている原因の一つに組合の団体交渉要求等に対する学園側の不誠実な対応があったとするが、学園は、組合の要求する内容に歩み寄ることは余りできなかったものの、組合からの団体交渉開催の要求自体にはできる限り応じてきているのである。
よって、以下判断する。
(2)イ 上記の各出勤停止処分の対象となった前記第1の4の(2)、(4)及び(5)の街頭宣伝活動(以下「本件街宣活動」という。)は、同3の(18)並びに4の(1)、(2)及び(4)認定のとおり、共闘会議が、学園における組合員に対する不当処分の撤回と正常な労使関係の回復を目的に、学園における労使関係の実情を世論に訴え、広く理解を求めるために行ったもので、組合は、県総評等他の団体とともに、共闘会議に加わり、柳井を除く天野委員長ら6名(以下「天野委員長ら」という。)の組合員は、共闘会議の活動の一還として行うビラ貼付及び宣伝車による街頭宣伝活動に参加していたものであり、また、具体的な宣伝活動は、共闘会議の計画、指示によって行われ、ビラの文言や宣伝車の宣伝文句は、共闘会議の事務局が作成していたことが認められる。
ロ 次に、本件街宣活動の宣伝内容をみると、前記第1の4の(2)及び(3)認定のとおり、ビラの文言の中には、「高い学費で私腹をこやすな」、「教育をもうけの手段にするな」などが含まれ、宣伝車による宣伝文句の内容も組合員に対する不当処分の撤回、組合との話合いに応じろなど労使間の問題が全体の基調となってはいるものの、学園では学校を金もうけの手段と考えている旨の文句が含まれており、確かに、これら宣伝内容には、一部に表現において穏当を欠き、学園の名誉、信用を傷つける恐れのある内容が見受けられ、学園がこれを問題とするのは無理からぬ面がある。
ハ しかしながら、本件街宣活動に至るまでの経緯をみると、前記第1の2及び3認定のとおり、組合結成以降、学園は、組合活動等を理由として組合員に対し数多くの懲戒処分や雇止め等を行い、労使関係が紛糾する中で、組合にとって重大な関心事であった海野、天野委員長をはじめとする組合員に対する懲戒処分問題については、組合からの団体交渉の要求を一切拒否し続け、組合と学園の間は、長い間交渉が実質的に閉ざされた状態にあったことが認められる。そして、天野委員長らが本件街宣活動に参加した原因は、組合員の懲戒処分問題についての団体交渉要求等に対するこうした学園のかたくなな対応にあったのであり、天野委員長らが本件街宣活動に参加したことには軽率であったと認められる側面があるものの、一方的に天野委員長らの行為のみを非難するのは酷であると考えられる。
このことと、上記イのとおり、本件街宣活動の具体的な宣伝活動は、共闘会議の要請を受けて天野委員長ら組合員が参加して行われたものであることを併せ考慮すれば、本件街宣活動を行ったことを事由とする学園の昭和55年8月9日付け及び同月10日付け各出勤停止処分は、苛酷に過ぎると考えざるをえない。
ニ 学園は、組合の団体交渉要求等については。組合の要求内容に歩み寄ることは余りできなかったものの、団体交渉開催の要求自体についてはできる限り応じてきていると主張する。
確かに、同54年度は月1回程度、同55年度は3回、団体交渉が行われていることなどが認められるものの、この間、海野、天野委員長をはじめとする個人の処分・処遇問題については団体交渉の対象にはならない等として団体交渉に一切応じなかったことは前記第1の3の(17)及び4の(8)認定のとおりであり、これを覆すに足りる疎明はない。
ホ 柳井について、学園は、4、5年間柳井と同一の数学科に所属してきた平畑教頭補佐の柳井を目撃したとの報告は信頼性の高いものであり、明確に柳井についても同55年6月6日に宣伝車に乗って街頭宣伝活動を行ったという具体的な処分事由が存在したと主張するが、平畑教頭補佐の証言によると、同教頭補佐が宣伝車に乗って前を向いている男の横顔を左後方5、6メートル離れた地点から2、3秒間見て、その男が柳井であると認めたとするものであって、信用性に乏しいといわざるをえず、ほかに柳井が同日、宣伝車に乗っていたとする学園主張の事実を認めるに足りる疎明はない。
ヘ 他方、前記第1の2認定のとおり、学園と組合との間では、組合の結成以降、紛争が相次いだ。すなわち、組合が、組合結成直後の同52年9月12日、学園に対して組合の結成通告をした際に、倉田理事長は、「組合とは、利益が相反する。行くところまで行く。」、「なんやら知れん、得体の知れんもんとは、団交できん。」等と組合を敵視するような発言をしたことが認められる。その後、同9認定のとおり、組合に対し団体交渉を拒否し、あるいは団体交渉に際して誠意ある態度を示さなかったこと、組合ニュース等の配布に対して警告、処分等を行ったこと、及び職場集会のための小会議室の使用に対して警告、処分等を行ったこと等が不当労働行為に当たるとして、組合が、香川地労委に数多くの救済申立てを行い、また組合は紙筒闘争等を行う等、両者は激しく対立してきていた。
このような状況において、学園が、前記第1の3の(17)認定のとおり、個人の処分問題に対しては団体交渉に応じる義務はない等として団体交渉に正当な理由なく一切応じていないこと、同(19)認定のとおり、組合あての郵便物を長期にわたり無断で留置したことなどが認められる。
これらのことからすると、学園はかねてから組合及び組合員の組合活動を嫌悪していたと認めるのが相当である。
(3) 以上のことから判断すると、上記各出勤停止処分は、組合及び組合員を嫌悪し、就業規則違反に藉口して組合の弱体化を企図して行われたものであり、組合員であることを理由とする不利益取扱いであるとともに、組合の運営に対する支配介入であると判断せざるをえない。したがって、これを労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であるとした初審判断は相当である。
なお、学園は、上記(2)のヘの郵便物の留置について、学園に郵送されて来た組合あての郵便物について、その取扱いを模索するため、2、3か月間、学園において保管していたことはあるが、これは、そもそも組合が無断で組合事務所の所在地を学園内として表示したことに原因があるのであって、何ら学園に不当労働行為意思があるとの根拠となるものではないと主張する。
しかしながら、本件留置前においては、高松校に郵送されて来た組合あての郵便物は組合に届けられていたものと推認されるから、組合に何の連絡もせずに3か月という長期にわたり郵便物を一方的に留置していたという事実は、学園が組合を嫌悪していたことを推認させる一つの根拠となるものといわざるをえない。
3 天野委員長の休職処分及び休職期間満了による退職について
(1) 学園は、次のとおり主張する。
イ 学園は、本件休職処分時前後の高松校における生徒数の減少、並びにこれに伴うクラス数及び授業時間数の減少に対処するために、天野委員長の勤務成績等も考慮して、最良かつ必須の経営上の判断として、本件休職処分を行ったものである。
天野委員長の勤務成績が良好でなかったことは、本件初審命令認定の非違行為(前記第1の3の(14)の表1並びに4の(6)及び(9)認定の処分)等からも明白であり、これは同人が社会科の教科主任をしてきたことにより帳消しにされる性質のものではない。また、同人の共稼ぎの事実については副次的に考慮したに過ぎず、何ら不合理なものではない。
したがって、本件休職処分は不当労働行為には該当しない。
ロ また、天野委員長の休職期間満了による退職については、昭和57年3月31日の経過により満了したが、その復職を許可しなかったので、同人は同日の経過により退職となったものである(就業規則第59条)。
なお、休職期間満了の場合は退職が原則であり、復職させるか否かは学園が自由裁量により決すべき事柄であるが、天野委員長の場合には不許可としたものである。
ただし、同人については、同年4月1日から非常勤講師として採用した。
よって、以下判断する。
(2) 休職処分について
イ 高松校における生徒数及びクラス数の推移をみると、前記第1の5の(4)認定のとおり、昭和52年度以降年々減少し、同56年度においては、生徒数は718名(前年度より113名減)、クラス数は18クラス(前年度より2クラス減)となっていることが認められる。これに伴い、前記第1の5の(5)及び(7)認定のとおり、同56年度の社会、国語、数学、理科及び英語の各教科の週当たり教科総時間数は、前年度に比べ、それぞれ10時間、11時間、15時間、13時間及び8時間減少している。
こうした状況に対応して、学園においては、高松校において、同5の(2)認定のとおり、同56年度においては、復帰時期を迎えた出向者福井を復帰させ、10名の退職者に対し、新規採用者は講師3名及び嘱託3名にとどめ、加えて、教諭3名を丸亀校に転勤させる措置を講じたものと認められる。
また、教科別には、社会科以外の各教科(国語科、数学科、理科及び英語科)において、1名ないし3名の教員の減員が図られていることから、同56年度において、上記福井の復帰時期を迎えていた社会科においても運営管理上何らかの対応を迫られていたことは推察できる。
しかしながら、同5の(2)認定のとおり、同56年度は、社会科以外の教科においては講師等の退職に伴う不補充又は嘱託の採用等及び教諭の丸亀校への配転によって生徒数の減少に対処していること、及び、同5の(3)認定のとおり、生徒数の減少に伴い教員の人員削減が行われたとみられる同54年度以降同57年度までの間に生徒数の減少に対処するために行われた休職処分は本件のみであることなどからして、学園が、同56年度において、生徒数の減少を理由として社会科の教諭1名を休職処分にすることの必要性は必ずしも明らかでない。
加えて、高松校における休職処分は、就業規則第59条及び学園の主張によれば、休職期間満了時には退職が原則であり、復職願が許可されない場合は休職期間満了時に退職したものとみなされて、自動的に教諭の身分を喪失するというものであり、事実上解雇に準じる処分であると認められるから、これは、安易に行われるべきでなく、学園としては、極力休職処分回避のための手段を講じるよう努めるべきものと考えられる。しかるに、本件を通じ、学園においてそのような努力がなされたと認めるに足りる疎明はない。
ロ 学園は、天野委員長を休職処分の対象として選定したことについて、本件休職処分前の天野委員長の勤務成績が社会科の教員の中で一番悪かったことが主たる理由であると主張し、その具体的事由として、天野委員長が組合委員長として、いろいろの違法な組合活動を指揮し、自ら参加し、就業規則違反による懲戒処分、警告を多く受けていたこと、及びクラス管理が良くなかったことを挙げる。
(イ) 学園が、天野委員長を休職処分にした理由として挙げる天野委員長の処分及び処分事由についてみると、これらの処分のうち、昭和53年3月23日付け訓告処分2件、及び同56年3月27日付け出勤停止処分については、それぞれ前記第1の2の(2)及び4の(9)認定のとおり、当委員会又は香川地労委において、これらの行為はいずれも正当な組合活動の範囲を逸脱したもので、当該各処分は不当労働行為に当たらないとされているが、他方、ビラ貼付及び宣伝車による街頭宣伝活動を対象とした同55年8月9日付け出勤停止処分については、当委員会は、上記判断2で、労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であると判断しており、そのほか、前記第1の3の(14)の表1に掲げる処分のうち、同53年11月24日、同54年3月8日、同月12日付けの訓告処分3件、同54年5月7日、同年8月9日、同55年2月4日付け厳告処分3件、同54年3月20日付け出勤停止処分については、学園からの具体的事実の内容、態様について疎明がなく各処分事由が正当な組合活動でないとは一概にいい難いものである。加えて、上記処分のうち、倉田理事長と宇喜多校長の乗った車を包囲しての要請行動に対する同54年3月12日付け訓告処分及び同月20日付け出勤停止処分は、同3の(6)及び(7)認定のとおり、同一の事実を反復して処分の対象としている。さらに、上記各処分の対象となった行動はすべて組合活動として行われたもので、学園側のかたくなな態度によって助長された側面がある。以上を併せ考えると、天野委員長がこれらすべての処分を受けていることをもってしても事実上解雇に準ずる本件休職処分を正当化することには疑問がある。
(ロ) 学園は、天野委員長のクラス管理が良くなかったとすることについて、天野委員長が優秀クラスを担任した際の同クラスの大学進学成績が悪かったこと等の事実を挙げるが、それらは事実の存在を裏付けるに足りる疎明がなかったり、一方的に天野委員長にクラス管理の責任を問うことは適当とはいえないものであり、いずれも天野委員長のクラス管理が悪かったと認めるに足りる疎明はないものである。
(ハ) 併せて、学園は、天野委員長以外の社会科の教員の全員について勤務成績を明らかにしておらず、また、休職者の選定に当たって勤務成績の優劣について他の社会科の教員の全員に対して、公正に比較、検討を行ったとの疎明もない。
(ニ) 一方、同5の(1)認定のとおり、天野委員長は同43年度から同54年度までの12年間の長期にわたり、社会科の教科主任を務めていることからすれば、学園は、少なくとも同54年度ころまでは社会科の教員として天野委員長の能力を問題にしていなかったことがうかがわれる。
(ホ) 以上からすると、学園が主張するように天野委員長の勤務成績が他の社会科の教員と比べて著しく悪かったとは考え難い。
ハ また、学園は、本件休職処分の根拠として、天野委員長の妻の共稼ぎの事情については副次的に考慮したにすぎず、不合理はないと主張するが、天野委員長が共稼ぎであることをもって、他の教員と比較して経済的に恵まれているとは断定できず、共稼ぎであるという事実は、事実上解雇に準じるものと認められる休職処分の対象者に天野委員長を選んだ理由としては、たとえ副次的理由であるにしても、合理性を認めることはできない。
ニ 以上のとおり、生徒数の減少によるクラス数の減少に伴い、学園において運営管理上何らかの対応に迫られていたことは認められるものの、事実上解雇に準ずる休職処分を行うまでの必要性があったかは明らかでなく、また、休職処分を回避するために他の手段をとる努力を学園が十分尽くしたと認めるべき疎明がない。さらに、休職処分の対象者に天野委員長を選んだとして挙げる学園の理由には合理性が認められず、他に天野委員長を休職処分としなければならなかった合理的な理由は見い出し難い。
他方、本件休職処分は、上記判断2の(2)のハ及びへのとおり、組合結成以降、労使紛争が多発し、学園が、組合が行う組合活動に対して懲戒処分等を繰り返し行い、それら懲戒処分等の撤回を求める組合と激しく対立してきていた中で行われたものであり、また、学園は、組合からの本件休職処分についての団体交渉申入れに対して、個人の問題であるとして応じなかったことは、前記第1の6の(1)ないし(3)認定のとおりである。
以上のことからすれば、学園が天野委員長を休職処分としたのは、学園が天野委員長の組合活動を嫌悪し、生徒数の減少等に対処するための措置に藉口して、同人の職場からの排除を図り、もって組合の弱体化を図ったものであるといわざるをえない。
したがって、学園による天野委員長に対する本件休職処分は、同人の組合活動を理由とする不利益取扱いであるとともに、組合の運営に対する支配介入であって、これを労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であるとした初審判断は相当である。
(3) 休職期間満了による退職について
本件退職は、休職期間満了の際に天野委員長からの復職の願い出に対して学園が不許可としたことによるものである。ところで、本件休職処分が不当労働行為であることは上記(2)で判断したとおりであり、したがって、本件休職期間満了の際の復職の願い出に対する不許可は、自らなした不当労働行為より生じた状態を前提とするものであって、当然、本件休職処分と同じく労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であるというべきである。
4 岡及び中村に対する出勤停止処分、降職処分及び雇止めについて
(1) 学園は、次のとおり主張する。
イ 本件早朝生徒指導命令は、就業規則第15条但し書に基づくもので、命令を行うにつき団体交渉等を行う必要がないという意味で学園が一方的に行いうるものであり、また、1年間の15分間繰上げ出勤は苛酷なものではない。
ロ 岡、中村の両名は、同時に命令された小松が1年間を通じて本件早朝生徒指導命令を遵守したにもかかわらず、個人的に15分間の繰上げ出勤が気に入らないことから、執ように学園の命令を無視し続けたものである。かかる命令違反を理由として、岡、中村を処分したことは不当労働行為には該当しない。
ハ 非常勤講師は、1年以内の期間で契約し、更新するか否かは学園の裁量で決することとしている。岡、中村の両名については、非常勤講師への降職後、昭和58年度及び同59年度につき、非常勤講師としての契約を更新したが、同60年度以降は学園の裁量によりこれを更新しないこととして契約期間満了の通知をなし、両名を雇止めとしたものである。
よって、以下判断する。
(2) 出勤停止処分及び降職処分について
イ 前記第1の7の(3)及び(12)認定のとおり、本件早朝生徒指導命令は、学園が、就業規則第15条において職員の始業時刻は午前8時30分と定められているところ、同条但し書を適用して、「当分の間、毎朝玄開前で8時15分から生徒の服装指導をする」旨命じたものである。この場合において、本件早朝生徒指導命令中の「当分の間」とは、前記第1の7の(3)認定のとおり、1年間の趣旨であり、本件命令は1年間を予定したものであったことが認められる。
ロ 確かに、前記第1の7の(2)認定のとおり、本件早朝生徒指導命令が発せられた前年度の昭和55年度において、高松校では生徒の服装の乱れや遅刻が目立ち始めたことが認められ、その当時生徒指導を強化する必要性があり、また、生徒指導の性格からしてある程度長期にわたる継続的指導が必要であったと考えられる。
しかしながら、本件早朝生徒指導命令は、特定の職員が、15分間とはいえ、毎朝繰上げ出勤して、1年間という長期にわたって玄関前で服装指導を行うことを内容とするものであり、本件早朝生徒指導命令を受けた職員は、家庭事情、交通事情等との関係で生じる日常生活への影響や前記第1の7の(3)認定のとおり、毎朝行われる職員朝礼に出席できなくなることによって生じる業務への支障などを考慮すれば、同命令を受けなかった他の職員に比べてかなり過重な負担を負うことになるというべきである。しかも、前記第1の7の(3)認定のとおり、学園が同命令の根拠とする就業規則第15条但し書の規定は、関係者間において、臨時的な必要性が生じたときに適用すると解されていた。したがって、学園は、本件のように、長期にわたって早朝指導の命令を行うに当たっては、特定の者に過重な負担を強いることのないように配慮すべきであり、また、仮に、特定の者に命ずる必要があるとしても、その場合には、命令の対象者に対し、相当期間の余裕をもって事前の打診なり予告をした後に行うべきが相当である。
ハ 他方、前記第1の7の(2)及び(3)認定のとおり、生徒指導部では、同54年度に学園の承認を受けて「服装についての指導基準」を作成し、同基準は翌年度以降生徒に配布されてきていたこと、及び、本件早朝生徒指導命令を岡、中村らに発した理由について、倉田校長は、岡、中村らが生徒指導部の生活指導係の校内担当であるからとしていることを考え併せれば、学園は、高松校における服装指導については、生徒指導部を第一次的に担当すべき組織として位置付けていたことがうかがえる。
また、同7の(2)認定のとおり、学園は、同55年度、生徒指導部が自主的に行った輪番制による遅刻指導について、特に異議を唱えておらず、生徒指導部のこうした自主的取組みを尊重していたことがうかがえる。
ニ しかるに、学園は、本件早朝生徒指導命令については、生徒指導部には事前に何ら説明等をすることなく、年度当初の職員会議の場で、直接、岡、中村ら3名に対して突然かつ一方的に命令を発したものである。そして、前記第1の7の(5)及び(6)認定のとおり、生徒指導部が、教育的効果と個々人の業務負担を考慮して自主的に作成した輪番制による生徒指導計画(玄関前での早朝の服装指導を含む。)について、同56年4月及び同年6月頃、学園は、輪番制ではいけない理由等を一切説明することなく、同計画では、岡、中村ら3名が毎朝玄関前で服装指導を行うことになっていないという理由のみで却下し、あくまで岡及び中村の本件早朝生徒指導命令の遵守に固執し続けた。
ホ 学園は、岡及び中村に対し、同年8月4日付けの出勤停止処分を行った後は、依然として両名が、本件早朝生徒指導命令に従っていなかったにもかかわらず、これに対応して他の者を指名する等により学園の考える特定の者による服装指導の実効性を確保するための措置を講ずることなく、2学期、3学期にそれぞれ1回ずつ、両名に同命令に従うよう注意を行ったのみである。また、岡、中村が本命令に反して従うこととなった輪番制による早朝生徒指導計画を企画、実行した生徒指導部に対しては、学園は、その責任を何ら問題にしていないことが認められる。
ヘ 学園のこれらの対応と、同年度末になって、岡、中村に対し、いきなり非常勤講師への降職処分を行ったことを併せ考えると、学園の対応は不自然であり、学園が行った本件早朝生徒指導命令並びに同命令違反を理由とする本件出勤停止処分及び降職処分には他意をうかがわせるものがある。
ト また、学園は、前記第1の7の(10)認定のとおり、組合が、本件早朝生徒指導命令に伴う就業時間の変更について繰り返し団体交渉を申し入れたのに対し、団体交渉になじまないとして、団体交渉を拒否し続けた。
チ 前記第1の11認定のとおり、非常勤講師は、時間給であり、かつ、雇用期間が1年とされ、更新請求権はないものであり、本件降職処分がなされることにより、岡、中村の両名は、満60歳を停年とする雇用関係の身分を失い、1年経過後、学園の意思によって更新されない限り、雇用関係を終了させられるものである。これらの岡、中村に及ぼす影響を考慮すれば、本件降職処分は実質的には解雇に準ずる処分であるといわざるをえず、本件早朝生徒指導命令に従わなかったことに対する処分としては、苛酷なものと考えられる。
リ 以上のことと、上記判断2の(2)のヘのとおり、当時、高松校において労使紛争が多発し、労使間が緊張状態にある中で、学園が組合及び組合員の組合活動を嫌悪していたことが認められること、及びその後の早朝指導が組合員のみに命令されていることを併せ考えると、本件早朝生徒指導命令は、岡及び中村が組合員であることを嫌悪して発せられたものであると考えざるをえず、同命令に対する違反を理由とする本件出勤停止処分及び降職処分は、岡、中村の書記長などとしての組合活動を嫌悪し、岡、中村の命令違反に藉口して、組合の弱体化を企図して行われたものであり、岡、中村が組合員であること及び両名の組合活動を理由とする不利益取扱いであるとともに、組合の運営に対する支配介入であると判断せざるをえない。したがって、これを労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であるとした初審判断は相当である。
ヌ なお、学園は、早朝指導の命令が組合員のみに対して行われているのは、生徒指導部の当該係(生活指導係(校内担当))に組合員がいた関係で結果的に同命令が組合員のみに対して行われたまでで、特段の意味はないと主張するが、前記第1の8の(5)及び(6)認定のとおり、学園は、早朝指導の命令が発せられた同56年度以降同60年度まで同命令の対象者が選ばれた生活指導係(校内担当)と交通安全教育係には、体力等を考慮したため同命令を発しなかったとされる女性を除き、男性は1名を除きすべて組合員を配置していることと、同命令を受けた11名の組合員のうち9名は組合の役員であり、また、4名は二度同命令を受けていることを併せ考えると、学園の主張は採用できない。
ル さらに、学園は、岡、中村は、当時たまたま、組合員が生徒指導部内で過半数を占めていたことを奇貨として、校長命令に違反することを知りながらあえて生徒指導部の決定という形をとらせて、輪番制指導方式を採用するという暴挙に出たものであって、極めて悪質といわざるをえず、輪番制方式の採用は無効なものであると主張するが、仮に、生徒指導部内で組合員が過半数を占めていたことが事実であるとしても、同部において、輪番制による生徒指導の決定に至る過程で組合員が過半数を占めていることで圧力をかけるなど同決定が不公正な形で行われたと認めるに足りる疎明はなく、学園の主張は採用できない。
(3) 本件非常勤講師の雇止めについて
本件非常勤講師の雇止めは、学園が岡、中村の非常勤講師としての契約を更新しないこととして契約期間の満了の通知を行ったことによるものである。ところで、本件非常勤講師への降職処分が不当労働行為であることは上記(2)で判断したとおりであり、したがって、本件非常勤講師としての契約の期間満了の通知は、自らなした不当労働行為により生じた状態を前提とするものであって、当然、本件降職処分と同じく労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であるというべきである。
以上のとおり、本件再審査申立てには理由がない。
よって、労働組合法第25条及び第27条並びに労働委員会規則第55条の規定に基づき、主文のとおり命令する。
平成6年4月20日
中央労働委員会
会長 萩澤清彦<印>
別表1
年度別学年別クラス数・生徒数の推移 昭和51年4月~同57年4月
年度
中学校
高等学校
合計
1年
2年
3年
小計
1年
2年
3年
小計
生徒数
生徒数
生徒数
クラス数
生徒数
クラス数
生徒数
クラス数
生徒数
クラス数
生徒数
クラス数
生徒数
クラス数
生徒数
昭和51
50
35
51
3
136
8
379
8
347
6
234
22
960
25
1096
〃52
46
50
33
3
129
6
238
8
376
8
342
22
956
25
1085
〃53
41
45
49
3
135
6
265
6
241
8
371
20
877
23
1012
〃54
32
41
45
3
118
6
292
6
262
6
236
18
790
21
908
〃55
24
31
41
3
96
5
198
6
278
6
259
17
735
20
831
〃56
14
25
31
3
70
4
187
5
197
6
264
15
648
18
718
〃57
13
14
24
3
51
5
197
4
181
5
190
14
568
17
619
別表2
社会科担当の教科時間数 昭和51年度~同57年度
(週当たり)
年度
中学校
高等学校
備考
天野
岡
草野
宮武
滝
小林
西山
浅野
天野
西山
小林
岡
宮武
福井
浅野
草野
鎌田
滝
総時間
(うち中学校)
地理|政治経済
地理
公民
歴史
道徳
歴史
地理
公民
地理
歴史
歴史
歴史
公民
地理
政治経済
倫理
現代社会
政治経済
政治経済
日本史
倫理
現代社会
日本史
倫理
地理
政治経済
現代社会
世界史
政治経済
現代社会
政治経済
世界史
世界史
倫理
政治経済
地理
現代社会
昭和51
5
4
5
12
16
2
18
12
18
14
4
6
14
12
8
150
(14)
35|20
〃52
4
2
3
5
21
21
12
12
14
4
14
16
12
12
152
(14)
38|16
〃53
3
1
2
5
4
11
6
12
2
17
13
9
2
16
18
15
11
147
(15)
25|19
〃54
4
1
5
5
11
8
16
16
3
11
12
13
4
13
10
14
146
(15)
28|26
〃55
4
5
2
3
9
11
7
6
9
8
11
2
14
16
13
11
131
(14)
28|28
〃56
4
2
2
3
11
4
8
16
17
18
4
9
17
6
121
(11)
27|22
〃57
2
2
2
2
3
3
7
11
4
6
10
4
11
8
15
8
4
102
(11)
17|11
別表3
天野委員長の学年別教科分担と教科時間数 昭和51年度~同57年度
(週当たり)
年度
中学校
高等学校
小計
合計
1年
2年
1年
2年
3年
地理
政治経済
地理
地理
政治経済
地理
地理
政治経済
昭和51
3
2
12
17
17
〃52
21
21
21
〃53
6
11
11
6
17
〃54
8
11
11
8
19
〃55
9
11
9
11
20
〃56
〃57
3
3
3
別表4
年度別教科別教員数及び教科総時間数 昭和51年度~同57年度
(週当たり)
年度
社会
国語
数学
理科
英語
合計
教員数
総時間
教員数
総時間
教員数
総時間
教員数
総時間
教員数
総時間
教員数
総時間
昭和51
9
150
11
177
11
173
9
152
11
186
51
838
〃52
9
152
11
175
10
171
11
158
10
185
51
841
〃53
9
147
11
169
10
148
11
163
10
180
51
807
〃54
9
146
10
152
10
141
11
139
10
155.5
50
733.5
〃55
8
131
9
146
10
129
11
134
10
147
48
687
〃56
8
121
8
135
7
114
9
121
9
139
41
630
〃57
9
102
7
126
7
115
8
112
9
125
40
580
(注) 教員数は、教諭及び講師を合わせたものである。