東京地方裁判所 平成8年(タ)99号 判決 1997年10月23日
①事件
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
井上四郎
同
井上庸一
被告
甲野春子
右訴訟代理人弁護士
井手大作
主文
一 原告と被告とを離婚する。
二 原告と被告との間の三女冬子(昭和五三年四月六日生)の親権者を被告と定める。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
主文と同旨。
第二 事案の概要
一 原告と被告は、昭和四七年一二月一日に婚姻の届出をした夫婦であり、両名の間には、長女夏子(昭和四九年九月二五日生)、二女秋子(昭和五一年三月五日生)及び三女冬子(昭和五三年四月六日生)がいる(甲一号証)。
二 本件は、原告が、婚姻後に被告が「エホバの証人」に入信したことを契機としてその後に婚姻関係が破綻するに至ったとして、離婚と三女冬子の親権者を被告に指定することを求めたという事案である。
第三 当事者の主張
一 請求原因
1 離婚原因の存在
(一) 原告の実家では、神道の禊教真派を信仰し、原告も、自宅に神棚を祀り、神棚に水、塩や洗米を捧げて礼拝するなどして同宗教を信仰してきており、被告においても婚姻後はこれを理解した上で、平穏な家庭生活を営んできた。
(二) ところが、被告は、昭和六〇年頃、「エホバの証人」に入信し、週三回程度集会等に出掛け、夜九時過ぎまで家を留守にし、原告が帰宅しても不在の日がしばしばあった。
被告がエホバの証人の集会や伝導活動に出かける際、原告は、幼い子供を連れて行くことに反対したにもかかわらず、原告の言葉に耳を貸さず、子供たちをこれに同行し、エホバの証人に次々に入信させていった。
(三) また、被告は、エホバのみを唯一の神として信仰し、禊教真派を偶像崇拝として排斥し、自宅の神棚を勝手に仕舞い込んだ上、エホバの証人の教義に基づき、ハルマゲドンと復活を信じ込み、進化論や輸血を否定し、さらに子供の七五三を祝うことなど日常生活上の一般的な習慣を拒み、冠婚葬祭における儀礼を拒絶するため、原告の意向と対立するに至った。
(四) 原告の父が平成六年一二月二八日に死亡した際、原告の実家では、神式による葬儀を執り行ったが、その際、原告は、神道を邪教と決め付けている被告を出席させれば混乱が生ずるものと危惧し、被告を葬儀に出席させることができなかった。
(五) 原告は、昭和六〇年以降、一〇数年間にわたり、被告との婚姻生活を従前の円満なものに戻すべく、被告に対し、繰返し、社会と協調できない宗教は誤ったものであり、子供を巻き込むのは間違っていることなどを話して被告の改心を求めたが、被告は全くこれを聞き入れず、話合いは平行線をたどるばかりであった。
(六) 原告は、被告との婚姻生活に絶望し、調停を申し立てたが、離婚については不調となったため、平成七年一二月一五日から被告及び子供らと別居している。
(七) 以上のとおり、原告と被告間の婚姻関係は完全に破綻しており、民法七七〇条一項五号所定の離婚原因がある。
2 親権者の指定
未成年である三女冬子は、被告と同様、エホバの証人に対する信仰にとらわれ、被告と行動をともにしている。よって、冬子の親権者は被告と定めるのが相当である。
二 請求原因に対する認否と反論
1 原告の主張のうち、原告の実家が禊教真派を信仰していること、原告と被告が婚姻以来平穏な家庭生活を営んできたこと、被告がエホバの証人に入信し、エホバを唯一の神として信仰しており、禊教真派の教義を受け容れられないこと、被告が自宅の神棚を仕舞い込んだこと、子供三名がエホバの証人に入信したこと、被告が原告の指示に基づき、原告の父の葬儀に参列しなかったこと、原告が被告に対してエホバの証人の信仰を止めるようにとの説得を行ってきたこと及び調停の経緯に関する事実は認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。
2(一) 原告自身は禊教真派を積極的に信仰しているというものではなく、被告のエホバの証人の信仰が問題となるのは原告の実家との関係においてだけにすぎない。被告が自宅の神棚を仕舞い込んだ際にも、原告自らがこれに気付くことはなかった。
そして、原告が被告に対して離婚を求めるようになったのは、原告の母花子がエホバの証人を信仰する被告を許すことができず、被告との離婚を要求したからである。原告としては、あくまで夫婦間の問題であるとして、花子の圧力に屈すべきではないのである。
(二) 被告の信仰についても、被告が原告を放置して集会等に出掛けたことはなく、家庭生活に支障を来すことはなかった。そして、宗教的活動といっても、週三回の集会への参加と一、二週に一回程度の奉仕活動にすぎず、被告がこれらの活動を欠かさずに行ったとしても、そのような行動は、原告として受忍すべき範囲内の事柄である。
(三) 信教の自由は憲法によって保障されており、夫婦間においても、相互に宗教的寛容さが求められる。被告は、原告や原告の実家の信仰には寛容であるのに対し、原告は、自分が実家の祭祀を承継しなければならないと述べて、被告自身が神棚を祀ることができないことを一方的に非難しているのであって、宗教的寛容さに欠けることは明らかである。
原告の指摘する教義上の問題点についても、あくまで被告の内心の信仰問題にとどまるから、そうした被告の信仰が原告との婚姻生活に現実的な支障を生じさせているものとはいえない。例えば、被告としては、原告自身の輸血の実施についてまで容喙するつもりはないし、他の宗教に基づく儀式については、自らこれを主宰し得ないものの、参加すること自体は可能であるし、原告の将来の葬儀の実施については、生前に原告自身がそのやり方を葬儀屋との間で取り決めておけば足りることである。
(四) 現在、原告と被告は別居しているが、別居期間はわずか一年半にすぎず、被告も子供らも、原告との同居を望んでいる。原告と被告が対立し別居するに至ったのは、原告が、花子の圧力を受け、宗教的寛容さに欠けていることに基づくものであり、原告がその是正に努めれば、容易に婚姻関係を修復できるから、婚姻関係が破綻しているとはいえない。
そして、原告と被告が別居するに至った原因は、以上のとおり原告側にある以上、本件離婚請求は、有責配偶者からされたものとして棄却を免れない。
第四 当裁判所の判断
一 証拠(甲一ないし五号証、乙一ないし一四号証、原告及び被告本人の各供述)と弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。
1 原告と被告は、昭和四七年一二月の婚姻以後、三人の子供をもうけ、円満な家庭生活を営んでいたが、被告は、三女冬子を妊娠した頃から体調を崩し、現在も丈夫ではない。
2 原告の実家では、代々、神道の禊教真派を信仰してきたため、原告と被告は、婚姻時に実家から神棚をもらい、これを自宅に祀ってきた。
被告は、昭和五六年頃から聖書の勉強を始め、昭和五八年夏、エホバの証人のバプテスマ(浸礼)を受け、その信仰を続けている。
そうしたことから、被告は、自宅に神棚を祀ることを止め、原告に相談することなくこれを仕舞い込んだ。ただし、原告は、母花子からその後に右事実を聞かされるまで、気付かなかった。
3 昭和六〇年頃、原告は、エホバの証人の信者による輸血拒否事件の報道を契機として、被告のエホバの証人に対する信仰が篤いものであることを知り、また、その後、被告が神棚を原告の実家に返還したことから、原告の両親がこれに激怒し、被告が原告の実家に出入りすることが禁じられるに至った。
その際には、原告も、両親から、被告と離婚するか又は長男の資格を捨てて財産の相続を放棄するかの選択を迫られたが、その当時は、いずれ被告も改心するものと考え、両親に対して後者を選択する旨の書面を差し入れることとした。
4 被告は、子供らをエホバの証人の集会等に同行するなどし、長女夏子は中学二年の時に、二女秋子は高校二年の時に、三女冬子は中学二年の時に、それぞれエホバの証人に入信するに至った。
5 原告は、その間、花子の強い意向を受け、また、エホバの証人に対する世間の批判的意見を耳にする中で、被告に対し、エホバの証人を信仰することについて反対するようになり、家族の誕生日やクリスマス等を祝うことができないことについても不満を持つようになった。
6 被告は、前記入信後、集会について、週三回、月曜日の午後九時三〇分から一一時三〇分まで、火曜日の午後七時三〇分から八時三〇分まで、木曜日の午後七時から八時四五分まで参加するのほか、月に一、二時間程度奉仕活動を行ってきている。
被告は、原告の帰宅時刻にあわせて集会への参加時間を調整したり、また、参加自体を見合わせることにしたりして、原告が自宅で夕食を取るのに不便がないように心掛けており、その間には、原告と家族旅行をすることもあった。
7 もっとも、原告は、被告と子供らがエホバの証人の信仰を止めないことから、昭和六一年二月頃から半年間ぐらい、被告と子供らとは一緒に食事を取らないことにしたり、また、平成元年九月から平成七年一〇月頃まで福島県白河市に単身赴任していた期間中の平成二年頃、原告が帰宅した際に、被告が集会に参加して不在であったため、これに立腹して聖書等を破棄したこともあった。
8 原告の父一郎が平成六年一二月二八日に死亡したが、その際、原告は、被告及び子供らが神式による葬儀に出席した場合に予想される原告の親族とのトラブルを恐れ、被告の出席を予め拒否したため、被告はこれに出席しなかった。
9 そうしたこともあって、原告は、平成七年一月頃から被告に対して強く離婚を求めるようになった。被告は、同年二月二六日から数日間、原告の単身赴任先に出向いて原告と離婚問題について話し合ったが、その際、被告は、原告の立場を慮り、三女冬子が高校を卒業する二年後において離婚することをいったん了承した。
しかし、被告は、自分自身が健康でないし、未だ自立できず病気がちの子供らの面倒を一人で見ていくことに不安を感じ、精神面及び経済面からみてやはり原告と離婚することはできないものと考え、同年六月頃、原告に対し、離婚の了承を撤回する旨伝えた。
10 原告は、東京家庭裁判所に対して調停を申し立てたが、離婚についての合意は成立せず、当分の間別居すること及び婚姻費用の分担等について合意するだけにとどまった。そのため、原告は、同年一二月、原告の実家に引っ越し、それ以降被告及び子供らと別居するに至った。
11 以上のような経緯をたどる中で、原告は、被告がエホバの証人の教義を信仰した上で、宗教を否定し、神道による儀式になじまず、ハルマゲドンを信じ、進化論や輸血を否定する旨の発言を続け、原告に同調する様子を示さなかったことから、それまでは被告の改心に期待を寄せてはいたものの、現在では、本訴の経過を経て、被告のそのような考え方と態度に絶望するとともに、子供たちも被告と同様の考えでいるため、もはや意思の疎通は不可能であるとして、被告との離婚を強く望むに至っている。
12 一方、被告は、エホバの証人の信仰を止めることはできないとしながらも、原告との婚姻生活を継続することを希望しており、今後は原告の生活に迷惑がかからないように宗教的活動を控えるつもりでいるから、原告も宗教的寛容さを備えるべきである旨述べている。
二 以上認定の事実関係に基づいて、原告と被告間の婚姻関係破綻の有無について検討する。
1 原告と被告は、被告がエホバの証人を信仰するようになって以降、それが原因で夫婦間に亀裂が生じて不和となり、約六年間に及ぶ原告の単身赴任生活を経て、正式の別居期間も約二年になろうとしている。
もっとも、その間における被告の集会等への参加状況というのは、前記認定の程度にとどまるものであるから、被告のそうした宗教的活動が原告との婚姻生活に対して現実的に重大な支障をもたらしたものとまではいえないというべきである。そして、被告は、前記のとおり、原告との婚姻生活の継続を強く望んでいる。
2 ところで、夫婦間においても、個人の信教の自由が保障されるべきことは当然のことであるが、その一方で、夫婦は、相互の協力によって共同生活を維持していくべき義務を負っている(民法七五二条)。
右の観点から本件をみると、被告の信仰をめぐる原告と被告間の諍いは既に一〇数年に及び、その間、原告は、当初においてはもっぱら原告の実家との関わりにおいて被告の信仰を嫌悪し、その信仰を止めさせようと働き掛けてきたものであったが、それにもかかわらず被告が右信仰については譲らず、原告の側に歩み寄って来ないため、前記認定のようなエホバの証人の教義を正当なものとして信奉する被告に対して、自らも次第に強い反発と不信感を抱くようになるとともに、子供たち三人とも被告と同じ考えでいるために絶望感を抱くに至っており、そのため、原告と被告の対立ないし考え方の相異は既に相当深刻なものとなっているところ、被告においては、原告に対しては宗教的寛容さを求めながら、原告と折り合っていくために自らの信仰を変えるというようなことはできないとしているのである。
3 以上のところによると、被告はエホバの証人の信仰を絶ち難いものとしているのに対し、原告は、現在では、右信仰を変えない被告との間で婚姻生活を継続していくことは到底不可能であると考えており、そのような夫婦間の亀裂や対立は既に一〇数年にわたって継続されてきたものであり、これまでにも何度となく話合いがもたれ、その間、被告においてもいったんは原告との離婚を了承したこともあったことなどの経緯に照らすと、今後、どちらか一方が共同生活維持のため、相手方のために譲歩するというようなことは期待できないものといわざるを得ないのであって、原告と被告間の婚姻関係はもはや継続し難いまでに破綻しているものと認めるのが相当である。
なお、被告は、現在三人の子供(うち二人は既に成人しており、三女も来年四月に成人する)と同居しており、前掲各証拠によると、子供たちがそれぞれ自活できるようになるにはなお時間を要するものと考えられ、離婚後の被告の生活に対しては、原告が経済面での援助を行っていくことが必要になることが予想されるが、弁論兼和解期日や尋問の際における原告の財産分与に関する前向きの発言内容のほか、現在まで毎月二〇数万円もの婚姻費用の負担を継続してきていることの実績等に照らすと、原告においても、今後とも被告や子供たちに対する経済面での援助を惜しむことはないものと考えられるから、離婚後の被告の経済面での懸念だけをもって原告の本件離婚請求を排斥することはできない。
4 次に、被告は、宗教的寛容さに欠ける原告こそが有責配偶者である旨主張する。
しかし、本件においては、前記判示のとおり、被告がエホバの証人に入信して以降、原告と被告双方ともに相手方の信仰や立場に対して互いに歩み寄ろうとせず、婚姻生活を円満なものにするための譲歩をしようとしないため、その結果として婚姻関係が破綻するに至ったものであるから、右破綻の原因を原告にのみ負わせることはできないというべきである。
この点について、被告は、原告の離婚請求の実質は、被告に対し、離婚に応ずるか、それともエホバの証人の信仰を捨てて婚姻を継続するかの選択を迫るものであり、被告の信教の自由を犯して「服従」を迫るものであると主張する。しかし、本件のように、原告と被告双方がそれぞれ信仰の点を含め自己の考え方に固執し、譲歩の余地を認め得ないような場合にあっては、右離婚請求を排斥して、原告に対して被告との婚姻生活を継続させるとすることは、今度は、原告について自己の信仰しない宗教との同調を求めることになるものであって、相当とは解されない。結局、こうした根源的な問題についての対立が今後とも解消し得ないものと認められる結果、それはどちらの側が悪いというようなものではないのであり、原告のみが宗教的寛容さを欠いた有責者であると断ずることはできないというべきである。
5 そうすると、本件には民法七七〇条一項五号所定の離婚原因があり、原告の本件離婚請求は理由があるというべきである。
三 親権者の指定
これまでの全判示を総合して考えると、三女冬子の親権者は被告と定めるのが相当である。
四 以上によると、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容すべきである。
(裁判官安浪亮介)