東京地方裁判所 平成8年(ワ)109号 判決 1998年10月30日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
被告は、原告に対し、金三六八三万三二一〇円及びこれに対する平成一〇年一月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、クリーニング店のフランチャイズ契約をめぐる紛争であり、加盟店となった原告が、営業不振のため閉店に追い込まれ損害を被ったのは、契約締結過程において、フランチャイザーの被告に保護義務違反があったからであるとして、被告に対し損害賠償を請求する事案である。
二 事実の経過
当事者間に争いがない事実と甲一二、二九、乙二四その他関係各証拠及び弁論の全趣旨によると、本件事実の経過は、以下のとおりである。
1 被告は、「マーティナイジングドライクリーニング」の商標でクリーニング店のフランチャイズ事業を展開し、同フランチャイズ事業の本部業務を行うことを主たる目的とする株式会社である。
2 原告は、カメラ部品メーカーの株式会社コパルの元開発部長であったが、同社を希望退職して、友人と会社を設立し、約二年間事業を行った後、平成六年九月ころ、右会社を解散し、独立して事業経営する機会を窺っていたところ、同年一〇月八日、妻とともに、「めざせ経営者 独立転職フェア」なる催しに参加し、被告を含め複数のフランチャイズ本部の説明を聞き、被告のフランチャイズに関心を持った。
3 原告は、同年一〇月二〇日、妻とともに被告の本部を訪ね、また、同年一一月一日には被告の代表取締役である田邉武(以下「田邉」という)が原告宅を訪ねるなどしたが、その際、田邉が、被告のフランチャイズ加盟店では、素人でも営業ができること、借入金の返済がゼロとすると、オーナー手取額は一月あたり一一〇万円程度になることなどフランチャイズの形式や一般的な開業費用及び収益等について説明したところ、原告は、自宅から通える場所である市川、行徳、本八幡のいずれかの地域で開業したいなどと積極的な開業意思と具体的な開業希望場所を田邉に伝えた。
4 そこで、同年一一月初旬、被告は、不動産業者を介して店舗候補地として市川、行徳、本八幡の地域にある賃貸物件を選定し、これを原告に紹介するとともに原告と同道の上で現地を視察し、比較検討した結果、行徳にある物件が適当であるとの結論に達し、原告は、同所での開業を前提にして資金調達等の準備に着手することになった。
5 被告は、同年一一月半ばころ、融資を受けるために金融機関に提出する資料として、以下の内容を含む新規出店事業計画(甲五)を作成し、原告に交付した。
(一) 初年度投資額 二六七一万四〇〇〇円
(二) 資金調達方法
自己資金 三二四万二〇〇〇円
リース 一三四七万二〇〇〇円
金融機関借入 一〇〇〇万円
(三) 売上見込み計画
売上合計 四〇八〇万円(一年目)
(客単価一六〇〇円)
(四) 経常利益
年間 一一六四万六〇〇〇円(一年目)
月平均九七万円
6 原告は、同年一一月二二日、右新規出店事業計画等を資料として国民金融公庫に融資の申込みをしたが、一二月下旬融資を拒絶された。
7 被告は、そのころ、原告から、国民金融公庫からの資金調達ができなくなったとの連絡を受け、もはや原告の開業は資金面から困難と判断し、原告に対し、フランチャイズ契約交渉を打ち切る旨伝えた。
8 ところが、原告は、平成七年一月初旬、被告に対し、開業資金をリース会社であるサンテレホン株式会社から調達できることになったので、再度出店計画を進めたい旨申し向けて契約交渉を再開し、同月二六日、サンテレホンとの間で、リース契約及びファイナンス契約を締結した(甲一四、一五)。
9 原告は、同年二月九日、被告から、開業時に導入する機械の仕様、価格等の詳細について説明を受け、中古品を使用する点など納得できない部分があったものの、最終的にはこれを了承した。そして、その際、被告から、「リース料、ファイナンス料が増えたので、オーナー手取額は低くなった。」旨の説明を受け、以下の内容を含む「マーティナイジング行徳店 新規出店事業計画・損益分岐売上計算書」(甲六)と題する書面を交付された。
(一) オーナー給与を除いた場合
・損益分岐点売上
年額 二二四九万円
月額 一八七万四〇〇〇円
・損益分岐点売上必要客数(平均客単価一六〇〇円)
一万四〇五六人(月平均一一七一人、日平均三九人)
(二) オーナー給与月額四〇万円の場合
・損益分岐点売上
年額 三〇二三万二〇〇〇円
月額 二五一万九〇〇〇円
・損益分岐点売上必要客数(平均客単価一六〇〇円)
一万八八九五人(月平均一五七五人、日平均五三人)
(三) 損益計算書
経常利益
年間 四六五万六〇〇〇円
月平均 三八万八〇〇〇円
10 原告は、同年二月一四日、かねて検討の結果開業に適すると判断していた市川市行徳駅前二丁目一〇―一九所在の物件(アーバンフラット一階部分110.50平方メートル)につき、賃料月額三三万円、保証金五〇〇万円で五年間の賃貸借契約をした(甲一〇)。
11 原告は、同年二月二八日、被告との間で、加盟店契約を締結した(以下「本件契約」という)が、その際営業不振に陥った場合を慮って、契約書に、特記事項として、「ロイヤリティの支払いについては六か月ごとに見直しを致しその都度双方話し合いで支払いを方法を決定する」との条項を書き加え、また、経営に困難を来たした場合の営業権の移管に関する条項につき、被告の本部への移管を明確にする訂正を行った(甲一、乙一)。
12 原告は、同年三月一六日、右契約に基づき、前記の賃借物件においてマーティナイジング行徳店(以下「行徳店」という)を開店したが、開店当初から売上は、被告の示した損益分岐点に達せず、後記の閉店までの間、一番多い月でも月間九八万円程度にすぎなかった。
13 そこで、被告は、人員を派遣して原告に対する業務改善を指導し、また、チラシを作成して配布するなど宣伝に努めたほか、原告に資金援助するなどしてその経営改善を図ったが、事態は好転しなかった。
14 原告は、右のような営業不振の状況から、同年六月一四日及び八月末日には、被告に対し直営店移行を申し入れたが、被告がこれを受け入れなかったので、同年一〇月半ば、被告に対し、加盟金の返還を求めるとともに、本件契約を解除する旨の意思表示をし、その後、行徳店は、同年一二月一〇日、閉店した。
三 争点
被告が原告に提供した売上予測等の情報が適正なものであったか。
(本件契約の締結に際して、被告に保護義務違反があったか。)
四 争点に関する主張
(原告の主張)
1 被告は、加盟店になろうとする原告に対して売上予測等を示す場合、適正な情報を提供すべき信義則上の保護義務がある。
2 しかるに、被告は本件契約締結に際し、原告に対し、適正な立地調査をせずに計算した到底実現できない売上予測、経常利益等の数字を示した上、原告に対して、被告が当時認識していた出店予定地周辺の競合店についての説明を怠るなどして、原告の本件フランチャイズ契約締結に関する判断を誤らせた。
3 よって、原告は、被告に対し、被告の保護義務違反によって被った以下の損害の合計金三六八三万三二一〇円及びこれに対する平成一〇年一月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(一) 行徳店開業費用
二九六六万四三一〇円
(二) 右店舗賃貸借関係費用
六三九万一四〇〇円
(三) 担保権設定手数料
二七万七五〇〇円
(四) 慰藉料 五〇万円
(各損害の詳細は、原告平成九年一〇月一四日付準備書面(七)記載のとおり。)
(被告の主張)
被告は、行徳店の開店にあたり、詳細な立地調査をし、周辺の競合しうる店舗の存在も充分に検討した上で、売上高、経常利益等の予測をしたものであって、本件契約締結に際し相当な注意義務を尽くしているから、保護義務違反はない。
第三 争点に関する判断
一 被告が原告に提示した売上予測等の算出経過
1 行徳店の立地調査について
前記事実の経過に摘示の事実に乙二四その他関係各証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、被告は、行徳店について、以下のような立地調査をしたことが認められる。
(一) 被告は、市川、行徳、本八幡のいずれかの地域で開業したいとの原告の希望を受け、平成六年一〇月末ころ、市川市内の地元不動産業者に貸店舗の仲介を依頼し、いくつかの候補を紹介され、そのうち明らかに不適切な物件を除外して、①行徳店の所在地、②新浜のビル、③本八幡駅前所在のビル、の物件三件について原告とともに現地の視察調査を行った。
その結果、②、③は、周辺の環境、保証金が高額にすぎるなどの理由から不適当ということになり、①は、地下鉄東西線行徳駅から数分の位置にあり、改装費が少なくて済む物件であったことから(乙三)、原告も気に入り、開業の予定地となった。
(二) そこで、被告は、右開業予定地について、再度現地調査を行い、付近二、三〇メートルのところに競合するクリーニング店が二店営業していることを確認するとともに、統計資料等を収集し、付近の人口動態、世帯数、男女比率を調査した結果(乙六の一、二)、出店予定地の周辺の世帯数から十分営業可能であること、右競合店舗の存在は十分な需要量を窺わせること、右予定地が横道にあることは必ずしもマイナス要因にならないことなどの考察を行い、右予定地は開業場所として適格と判断した。そして、被告は、右のような考察を原告に説明したが、原告から異論が出されることはなかった。
(三) 原告は、行徳店の立地及び保証金額等が最も開業に適するとの認識の下に、同年一一月下旬頃には、行徳店での開業資金の調達のため、被告に金融機関提出用の資料を作成させ(甲五)、設備業者に店舗のレイアウト図面の作成させるなどした(乙五の一)。
(四) 更に、被告は、本件契約締結直前の平成七年二月一四日ころ、再度立地環境調査を実施し、また、電話帳等で行徳店付近の競合しうるクリーニング店を確認するなどして、人口情報、交通量、競合店の情報等をポイント制で総合考慮した調査票(乙七)を作成し(なお、行徳店の立地分析の総合ポイントは一〇〇ポイント中八四ポイントとなった。)、加えて、近隣の競合店、ことに行徳店と競合する店には現物を持ち込んだ上で、それらの店舗のクリーニング代やサービスを調査し、行徳店における代金価格設定を検討した。
2 売上予測等の提示について
前掲証拠等を総合すると、被告の行った行徳店の売上予測等の提示に関しては、以下の事実が認められる。
(一) 被告は、前示立地調査の結果と統計資料等をもとに、千葉県の一世帯当たりの年間クリーニング代支出金額、行徳店の周辺一キロの商圏の世帯数等を考慮し、年間売上四〇〇〇万円達成のための一日あたりの目標顧客来店数を六七人と割り出した上で、行徳店商圏にある競合店一一店のサービス内容、料金等の調査に基づき、行徳店による競合店排除可能性を考慮して、売上目標の達成が可能であるとする「マーティナイジング行徳店の見解」と題する書面(甲一一)を作成し、原告に交付した。
(二) 被告が平成七年二月九日に原告に交付した「マーティナイジング行徳店新規出店事業計画・損益分岐売上計算書」では、オーナー給与月額四〇万円の場合の損益分岐点売上は、年額約三〇〇〇万円とされている。
二 以上の事実によると、被告が原告に提示した売上等の予測は、行徳店の開業予定地及びその近隣地域の現地調査を踏まえた上で、客観的な統計資料に基づく人口動態やクリーニングに関する千葉県民の消費動向を根拠に算出された需要予測に裏付けられたものであって、客観的な基礎資料と合理的な推論に基づくものであるから、特に適正を欠くところはないというべきである。なるほど、予測の方法なりその精度については、さまざまな手法が考えられ、本件において被告の行った予測が最良のものといえるかについては見解が分かれ得るものの、架空の数値に基づくものであるとか、推計の過程に明らかに不合理な点があるというのでない限りは、相手方の判断を誤らせるような適正を欠く予測を提示したものということはできない。
確かに、行徳店の開業後の営業は不振であって、この結果からみると、本件契約締結前の売上等の予測はいささか過大であったのではないかとの疑念が生じないではないが、開業後の営業成績は、もっぱら事業主たる原告の工夫と努力に左右されるものであって、原告は、被告の指導する効率的な業務処理の実践を怠るなど必ずしも十分な経営改善の努力をしたとは認めがたいから(乙二四)、この結果から、直ちに事前の予測が過大であったと断ずることはできない。
そして、本件において被告が原告に提示した売上額は、損益分岐点を示すもの、すなわち、利益を生ずるために達成すべき売上目標であり、それが売上あるいは収益さらには原告の手取額の予測を意味するものであるとしても、それらはあくまで予測にすぎず、被告による保障とは異なるものであるから、それが現実に達成できるか否かの判断は、最終的にはフランチャイズ契約を締結して加盟店となろうとする原告が、自己の責任において行うべきものであって、上述のように、客観的な根拠に基づく予測が示されている以上、その信頼性の判断も自らの責任において行うべきである。本件においては、事実の経過の摘示したとおり、原告が国民金融公庫からの融資を拒絶された時点で、開業後の事業の採算性について、なお、念を入れて検討する機会があったとみられるのであり、また、原告自身、予測の売上額の達成に不安を覚え、本件契約締結前の平成七年一月末か二月初めころ、行徳店の開業予定地前の道路の通行量を調査し(甲一二)、更に、前示のとおり、営業不振に陥った場合を慮って、契約書に特記事項を加筆するなどしているのであるから、その上で、自己の決断により本件契約を締結した以上、開業後の営業不振の責任を被告に負わせることはできない。しかるに、原告本人尋問によると、開業予定地の選定はすべて田邉に任せており自らその適否を検証する意図がなかったとか、被告から三〇〇〇万円の売上予測を示されたものの、その達成可能性については、田邉を信じており、その後リース料等が増加し、自らの手取りの見込額が減額されたにもかかわらず、何ら不安も疑問も持たなかったなどと、あたかも田邉が売上額と手取額を保障したかのごとくに供述しており、これらは、前認定の事実と矛盾する不合理なものであるが、このような供述にみられるように、原告の自己責任の観念の乏しさが、本件契約に基づくクリーニング店の営業不振を招き、その事業を失敗に終わらせた原因になったものと推認される。
三 以上によれば、仮に、本件契約の締結過程において、保護義務なるものが観念し得るとしても、被告にその違反があるということはできないから、原告の本件請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。