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東京地方裁判所 平成8年(ワ)16315号 判決

原告 田邉秀雄

原告 田邉智晃

右両名訴訟代理人弁護士 寺島秀昭

牧野英之

土居久子

藤田謹也

右訴訟復代理人弁護士 小林豊

被告 国

右代表者法務大臣 高村正彦

右訴訟代理人弁護士 伴義聖

右指定代理人 松村葉子

内田健文

岡村輝久

石沢宣文

大口廣

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告らに対し、それぞれ金四四五六万一四五七円及び内金四〇五一万〇四一六円に対する平成六年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の開設する病院において耳下腺腫瘍摘出手術を受け、その翌日に死亡した患者の権利義務を承継取得した原告ら(父と弟)が、右死亡は右病院の医師らの術中、術後の注意義務違反により生じたものであるとして、被告に対し、債務不履行(診療契約上の債務の不完全履行)又は不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権に基づいて、死亡による損害の賠償を求めている事案であり、付帯請求は死亡の日からの民法所定の割合による遅延損害金の支払請求である。

一  前提事実(特記しない事実は当事者間に争いがない。)

1  田邉裕貴(昭和四八年一一月二三日生。以下「裕貴」という。)は、平成六年一月二一日、被告の開設する「国立東京第二病院」という名称(後に「国立病院東京医療センター」と変更)の病院(以下「被告病院」という。)に入院し、被告との間で耳下腺腫瘍摘出についての診療契約を締結して、同月二四日、被告病院の小川茂雄医師(以下「小川医師」という。)の執刀により耳下腺腫瘍摘出手術(以下「本件手術」という。)を受けたが、翌二五日午後八時二五分に死亡した。

2  裕貴と原告田邉智晃(以下「原告智晃」という。)は、原告田邉秀雄(以下「原告秀雄」という。)と服部幸子(以下「幸子」という。)との間の子である。なお、原告秀雄と幸子は平成五年四月に離婚した(甲三の1)。

裕貴の死亡により、その権利義務を原告秀雄と幸子が二分の一ずつの割合で相続したが、その後の平成七年一二月二一日に幸子が死亡し、その権利義務を原告智晃が相続した(甲三の2、弁論の全趣旨)。

3  本件手術の前後の経過

(一) 裕貴は、平成二年一一月、被告病院で右耳下腺腫瘍と診断され、平成三年一月、被告病院に入院して、小川医師の執刀により右耳下腺腫瘍摘出手術を受けた。摘出細胞の病理検査の結果、軟骨肉腫と診断された。なお、軟骨肉腫とは、腫瘍のうち非上皮性悪質腫瘍(肉腫)の一種である(弁論の全趣旨)。

その後、裕貴は、平成四年八月、被告病院で軟骨肉腫の再発と診断され、同年九月、被告病院に入院して、小川医師の執刀により右下顎軟骨肉腫摘出手術を受け、さらに、平成五年一一月、被告病院で軟骨肉腫の再発と診断され、平成六年一月二一日、右耳下部軟骨肉腫再発による手術(本件手術)のために被告病院に入院した。

(二) こうして、平成六年一月二四日(以下、同日については時刻のみを表示する。)、小川医師の執刀により午後一時五三分から午後六時一四分にかけて本件手術が行われ、午後六時三〇分に気管内挿管の抜管が行われた。

裕貴は、その後、気道閉塞を来し、翌二五日午後八時二五分に死亡した。

二  原告らの主張

1  後記2ないし4のとおり、被告病院の医師ら(被告の被用者であり、被告の本件診療契約上の債務の履行補助者でもある。)に注意義務違反又は不完全履行があって、それがために裕貴が死亡したものである。

したがって、被告は、不法行為(使用者責任)又は債務不履行に基づく損害賠償として、右死亡による後記5の損害を賠償すべき義務がある。

2  手術中の注意義務違反(不完全履行)

(一) 本件手術中、午後二時三〇分ころから手術部位より出血が生じ始め、出血総量は、午後三時二〇分ころの時点で六六三グラム、午後三時五〇分ころの時点で一〇四一グラム、午後四時五分ころの時点で一二二五グラム、午後四時二五分ころの時点で一五〇八グラム、午後四時五〇分ころの時点で一六六三グラム、午後五時二五分ころの時点で二三九〇グラムであり、結局、午後六時ころまでの出血総量は二六二〇グラムにも及んだ。

そして、ヘモグロビン値は、術前において一六・四であったのに対し、午後三時五五分の採血時において一二・七、午後五時五分の採血時において九・五であった。

(二) 右のような状況の下では、遅くとも午後四時二五分ころの時点で輸血を開始すべきであった。

ところが、実際に輸血が開始されたのは午後五時二五分ころであり、このような輸血の遅れが、ひいて死亡につながった。

3  手術終了直後の注意義務違反(不完全履行)

(一) 本件手術においては、術中に二六二〇グラムもの大量の出血があり、手術の部位、態様からしても、術後出血の危険性が高く、血腫の増大による気道狭窄、気道閉塞が生ずる可能性が高かった。そして、そのことは、被告病院の医師らにとっても十分予測することができた。

(二) したがって、呼吸経路の確保のために、気管内挿管を維持しておくべきであり、仮に気管内挿管の抜管を行うのであれば、予防的に気管切開をしておくべきであった。

ところが、手術終了直後の午後六時三〇分に気管内挿管の抜管が行われて、予防的気管切開もされなかったのであり、このことが、ひいて死亡につながった。

4  術後管理における注意義務違反(不完全履行)

(一) 耳鼻咽喉科領域における手術では、術後に出血及び呼吸障害が起こりやすく、血腫による気道の圧迫や浮腫による呼吸困難に注意することが必要である。

本件手術は、その部位が下顎部という出血しやすい部位であり、手術中に二六二〇グラムもの大量の出血があった。そして、右出血に対し、濃厚赤血球、アルブミン製剤のみで輸血されたため、血液凝固因子が相対的に不足し、DIC(播種性血管内凝固症候群)が生じやすい状態にあり、手術直後にも、創部のエラテックスガーゼ脇から血液がたらたらと流出する程の出血があり、午後六時五〇分の時点で三〇〇グラムに達するほどの創出血があるなど、DIC発症の徴候が現れていた。

被告病院の医師らは、これらの状況から、本件手術直後の時点において、術後に出血する可能性が高く、血腫による気道の圧迫や浮腫などにより気道狭窄、気道閉塞に陥り、呼吸不全となるおそれがあることを十分に予見することができたのであるから、これを回避すべく、呼吸状態を管理し、適切な措置をとる義務を負っていた。

しかるに、被告病院の医師らは、本件手術直後の時点において、血液ガス分析検査や輸血をすることをせず、また、看護婦に対し、裕貴の呼吸状態を管理して、呼吸経路確保のため適切な措置をとるよう指示することもしなかった。

このため、裕貴は、本件手術後の午後七時一五分ころから呼吸が鼾様となり、午後八時三〇分ころから右顔面腫脹が徐々に増大して午後九時四〇分ころには著明となり、午後九時ころにはチアノーゼが生じるなど、気道狭窄、気道閉塞の徴候を示す症状を呈し、午後九時ころには、血圧が急激に低下し、頻脈、頻呼吸となり、プレショックの状態に至った。

そして、そうであるにもかかわらず、裕貴は、適切な呼吸管理、措置を施されることもないまま、右顔面腫脹が著明となり、気道浮腫、喉頭浮腫が悪化して気道を確保することが困難になるまで放置され、その結果、気道を確保することができず、死亡するに至った。

(二) 裕貴は、気道閉塞のため、午後九時四〇分ころには顔面腫脹が著明となり、午後一〇時三〇分ころ呼吸が停止した。

呼吸が停止し酸素が供給されない状態が五分も継続すれば、脳は不可逆的な損傷を被るのであるから、被告病院の医師らは、気道閉塞に陥り呼吸不全の症状を来していた裕貴に対し、可及的速やかに気道を確保し酸素を供給するべく最善を尽くす義務を負っていた。

緊急時の気道確保の手段には、気管内挿管のほか、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開、気管切開などの方法がある。このうち、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開は気管内挿管による気道確保が不可能な場合に行われるものであり、また、輪状甲状膜穿刺は迅速かつ簡単に行うことができるものであり緊急時に有用である。

ところが、被告病院の医師らは、午後一〇時過ぎころ当直医が気管内挿管を試み、気道浮腫、喉頭浮腫が著しいため挿管することができなかったにもかかわらず、その後も延々と気管内挿管を試み続けるばかりで、午後一一時過ぎに小川医師が気管切開を行うまで、何ら他の有効な気道確保の措置をとろうとしなかった。

このため、裕貴は、呼吸困難となってから一時間以上、呼吸停止に陥ってから四〇分以上、無呼吸状態におかれ、その結果、脳に不可逆的損傷が生じ、死亡するに至った。

5  損害

(一) 裕貴は、死亡により次の各損害を被った。

(1)  逸失利益 四九八二万〇八三二円

五五七万二八〇〇円(平成六年の賃金センサスによる全年齢男子平均給与額)×〇・五(生活費控除率)×一七・八八〇(六七歳までの四六年間に対応するライプニッツ係数)

(2)  慰藉料 三〇〇〇万円

(3)  葬儀費用 一二〇万円

(二) 原告らは、右の計八一〇二万〇八三二円の損害賠償請求権を二分の一ずつの割合で取得した。

(三) 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人弁護士に本訴の提起、追行を委任し、その報酬を支払うことを約束した。そのうち、被告の債務不履行ないし不法行為と因果関係を有する損害額は各原告につき四〇五万一〇四一円である。

三  被告の主張

1  注意義務違反及び因果関係について

(一) 裕貴は、午後九時四〇分ころ、容態が急変した。すなわち、そのころ、本件手術における創部内に出血が生じたため、血圧が低下し、出血塊が創内を充満して気道側へ圧力がかかったために、気道狭窄を起こして、急速に意識を消失し、心肺機能が低下した。そして、意識消失と心肺機能の低下に右出血による出血性ショックがあいまってDICの状態に陥った。

(二) 小川医師ら被告病院の医師は、本件手術中の裕貴の出血に対して適切な措置をとり、手術終了時に止血を確認した。手術終了直後の裕貴の状態は、著しい呼吸不全は生じておらず、大量の出血も持続しておらず重篤なショック状態にはなく、DIC発症の徴候もなかったのであり、裕貴の血圧、呼吸状態、出血量等の状態からすると、この時点において、術後に裕貴の容態が急激に悪化することを予見することは不可能であった。

(三) 小川医師は、本件手術直後のエラテックスガーゼ脇からの出血及び午後六時五〇分ころまでに創部からポーティナー(ポルトバッグ)に排出された血液が三〇〇グラムに達したことに対しては、エラテックス(伸縮性のある絆創膏)により圧迫固定し、止血剤であるアドナ一〇〇ミリグラムを投与しており、適切な措置をとっていた。この時点での裕貴の状態は、血圧、呼吸数、体温とも安定しており、特に血液検査や輸血等を行わなければならない状態ではなかった。

その後も、看護婦が、午後九時二〇分ころまで、継続的に裕貴の容態を観察しており、その時点までの裕貴の状態は、血圧、脈拍、呼吸数、体温とも正常値の範囲内であり、呼吸状態も、一時やや不規則で鼾様となっていたものの、午後八時ころからは安定していて、特に異常はなく、DICやプレショックの状態にあったわけではなく、その後に容態が急激に悪化することをうかがわせる徴候はなかった。

裕貴の午後九時四〇分ころの容態急変は予見不可能なものであったのであり、被告病院の術後の経過観察、措置に不適切な点はなかった。

(四) 裕貴の午後九時四〇分ころの容態急変に対し、看護婦から連絡を受けた当直医は、午後一〇時ころから気管内挿管を試み、その後、午後一〇時三〇分ころに裕貴が無呼吸状態となったことから、アンビューバッグによる補助呼吸を行いつつ、気管内挿管をしようとした。その後、小川医師が、裕貴の病室に到着し、気管内挿管を試みたが、挿管することができなかったので、気管切開を行った。

午後九時四〇分ころの急激な容態の変化により裕貴の右頬部、下顎部、頚部にかけて著明な腫脹が生じ、創部内に急激に出血が生じたため、頚部深部の結合織の間に血液が浸透して周囲を圧迫し、頚動脈や頚静脈、甲状腺等の位置が大きく変異している可能性があった。このため、皮膚からの観察、触診によりこれらの位置を判断することは困難であり、このような状態で輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開を行うと、頚動脈、頚静脈、甲状腺等を損傷する可能性が極めて高く、更なる出血により気道閉塞を悪化させ、急激に患者の状態を悪化させるおそれがあり、これらの措置をとることは不可能であった。

また、自発呼吸が微弱又は困難となった状態で輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開を行っても、酸素を有効に流入させることはできず、有効な酸素補給はできないため、これらの措置は不適応であった。

他方、気管切開についても、更なる気道内出血、皮下組織の損傷等の危険性があり、また、その施行の間補助呼吸を行うことが困難となる。しかし、気管切開は直視下で行うため、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開よりも危険性は少なかった。

このため、被告病院の医師らは、緊急時の気道確保において第一次的に行うべき気管内挿管を可能な限り試み、これが不可能であると分かった段階で気管切開を行ったのであり、その措置に不適切な点はなかった。

2  損害について

裕貴は、本件手術以前に二度腫瘍が再発しており、間葉性軟骨肉腫に罹患した患者の生存率が低いことからすると、本件手術後午後九時四〇分ころに突発的に容態が急変しなかったとしても、その後一〇年を越えて生存する可能性は極めて低く、六七歳まで就労することは不可能であった。また、生存中も術後の顔面神経麻痺、下顎骨部分切除による開口障害及び顔貌の変化により就労に支障を来すことが予想された。

第三当裁判所の判断

一  前記前提事実に証拠(甲二、九、乙五、一〇、一二ないし一五、二三、二四、二七ないし三三、証人小川茂雄の証言及び鑑定の結果のほか各項に掲げるもの)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、これを左右する証拠はない。

1  本件手術

(一) 裕貴は、平成六年一月二一日、右耳下腺部の軟骨肉腫摘出手術(本件手術)を受けるため、被告病院に入院した。

小川医師は、平成三年一月及び平成四年九月の二度にわたる腫瘍摘出手術にもかかわらず軟骨肉腫が再発したことや、裕貴及び幸子から今回で最後の手術にしてほしいと求められていたことから、根治のため、下顎骨の一部を切除し周辺の組織を含めて軟骨肉腫を摘出する方法をとることとし、平成六年一月二一日、裕貴及び幸子に本件手術の方法、術後経過及び予後の見通しを説明した。

(二) 本件手術は、同月二四日、小川医師を執刀医、被告病院耳鼻咽喉科医長である大塚護医師(以下「大塚医師」という。)及び同病院気管食道科医長である猪忠彦医師(以下「猪医師」という。)をその補助医として行われた。その経過は次のとおりである。

(1)  小川医師は、午後一時五三分に執刀を開始した。切開は、右耳介前方から耳垂を回るようにカーブした後、下顎下縁約二センチメートルに沿って舌骨の高さまでであり、咬筋の一部、耳下腺を除去しながら下顎骨前縁を出した上、午後三時三四分に下顎骨の一部を切除し、午後四時四六分にその内側の腫瘍(間葉性軟骨肉腫)を周囲の組織を含めて摘出し、午後五時九分と一一分に頚部リンパ節を摘出した。

(2)  下顎骨の切断直後、その内側から動脈性の出血があり、小川医師が、血管結紮や出血部電気凝固で止血するとともに、腫瘍摘出後の外側翼突筋付近からの出血に対しても同様の止血処理をし、同部分からにじむような形で出てくる少量の持続的な出血に対しては、大塚医師が、ゼルフォーム(止血用ガーゼ)を出血部に当て、周囲を縫合することにより止血した。その後、止血を確認してから、午後五時四八分に、ドレーンの目的と陰圧による止血効果を図るため、ポーティナー(ポルトバッグ)を使用して創部にチューブドレーンを二本挿入し、創部を二層に縫合し、さらに圧迫包交して、午後六時一四分に手術を終了した。

(3)  手術中の総出血量は約二六二〇グラムであり、これに対して、輸液約四〇五〇ミリリットルが投与され、出血量が約二三九〇グラムに達した午後五時二五分ころから、赤血球濃厚液一〇〇〇ミリリットルが輸血され、アルブミン製剤五〇〇ミリリットルが投与された。

(4)  裕貴の血圧が一三五/六五と安定し、自発呼吸、呼名に対する反応、咳反射があることが確認されたことから、午後六時三〇分に気管内挿管の抜管が行われた。なお、動脈血酸素飽和度も九九パーセントに保たれていた。

午後六時三五分に麻酔が終了し、裕貴は、午後六時五〇分ころ、半覚醒の状態で、手術室から病棟へ帰室した。

2  裕貴の術後経過

裕貴の術後経過及び小川医師ら被告病院の医師等による裕貴の術後管理は次のとおりである。

(一) 午後六時五〇分ころ病棟に帰室した際の裕貴の状態は、体温三六・八度、脈拍七二、呼吸数一四、血圧一六〇/七八であり、呼吸が不規則で、四肢冷感、チアノーゼの症状を呈していた。

裕貴が手術室から病棟に帰室する際、裕貴の耳介後方創部のエラテックス(伸縮性のある絆創膏)脇から少量の出血があり、帰室したときには、裕貴の創部からポーティナーに吸引、排出された血液約三〇〇グラムが溜まっていた(甲二一、二二の1ないし18)。小川医師は、ガーゼを追加しエラテックスで圧迫固定して止血処理をし、木下良子看護婦(以下「木下看護婦」という。)に指示して、点滴に止血剤であるアドナ一〇〇グラムを追加して投与させたが、特に血液ガス分析検査や輸血をすることはしなかった。

午後七時一五分ころ、裕貴の呼吸がやや不規則で鼾様であったことから、小川医師は、裕貴の肩にバスタオルを丸めてあてがった。午後七時三〇分ころの裕貴の状態は、体温三七・二度、脈拍八八、呼吸数一四、血圧一六〇/五八、尿量五〇ミリリットルであり、血性痰がみられたが、四肢冷感、チアノーゼは消失しており、木下看護婦の疼痛の問いかけに対してうなずいていた。

午後八時三〇分ころ、裕貴の右顔面頬部に軽度の腫脹が生じ、裕貴は頭を持ち上げようとしていたが、呼吸状態はスムーズであった。

小川医師は、午後八時ころ裕貴の病室を訪れて同人の症状を確認し、午後八時三〇分ころ、木下看護婦から裕貴の症状を聞き、同人の状態は安定していると判断し、利尿剤の投与等について木下看護婦に指示して、帰宅した。

(二) 午後九時ころの裕貴の状態は、体温三七・六度、脈拍一二〇、呼吸数二〇、血圧一一四/五二であった。右顔面頬部が腫脹し、鼾様呼吸、チアノーゼの症状を呈していたが、呼吸苦は訴えていなかった。このころまでにポーティナーには血液約四〇〇グラムが溜まっていたが、このころからポーティナーが効かなくなり創部からの血液がエラテックスガーゼ上に流出していた。木下看護婦は、裕貴が疼痛を訴えていたことから鎮痛剤を筋肉注射し、利尿剤を静脈注射した。

木下看護婦は、午後九時二〇分ころ裕貴の病室を離れ、記録室で梅原看護婦に裕貴の症状を小川医師に報告すべきかどうか相談していたところ、裕貴の見舞客から裕貴が苦しがっている旨のナースコールを受け、午後九時四〇分ころ、梅原看護婦とともに病室に戻った。このときの裕貴の状態は、脈拍九三、呼吸数二〇、血圧一一四/五二であり、右顔面頬部の腫脹が著しく、右口角が浮腫様で裂けようとしており、鼾様呼吸も増大していた。木下看護婦らは、裕貴の容態が悪化した旨当直医に連絡するとともに、裕貴のバイタルサインを測定し、両肩に枕を挿入し直し、気道分泌物を除去するため口腔内吸引を試みたが、吸引することができなかった。

(三) 午後一〇時ころの裕貴の状態は、血圧一〇三/三六、脈拍一一七であり、呼吸状態が不規則で鼾様呼吸が著明となった。

外科医として当直していた西脇裕司医師(以下「西脇医師」という。)は、看護婦からの連絡で、午後一〇時ころ裕貴の病室に到着し、裕貴の症状を診察し、看護婦に他の当直医も呼ぶように指示した。西脇医師は、裕貴の気道を確保するため、エアウェイを挿入しようとしたが、右頬部から上頚部にかけての腫脹が著しく喉頭が圧迫されていたため挿入することができず、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試み、更にファイバースコープを用いて気管内挿管を試みたが、喉頭が圧迫されていたため挿管することができなかった。

その後、外科の研修医当直をしていた三好邦医師(以下「三好医師」という。)と麻酔科の医師が裕貴の病室に到着し、同様にして気管内挿管を試みたが、口腔内の浮腫により喉頭が圧迫されていたため、挿管することができなかった。

(四) 午後一〇時三〇分ころ、裕貴は呼吸停止状態に陥った。西脇医師らは、アンビユーバッグにより補助呼吸を行うとともに、気管内挿管をしようと試み続けていたが、挿管することができなかった。

小川医師は、自宅で午後一〇時一〇分ころ看護婦から電話連絡を受け、午後一〇時四五分ころ裕貴の病室に到着した。

そのころ、裕貴の心拍数が低下し、被告病院の医師らは、心臓マッサージを行い、昇圧剤を投与した。

小川医師は、気道確保のため、喉頭鏡を使用して気管内挿管を試みたが、喉頭が圧迫されていたため声門を直視することができず、次に、ファイバースコープを使用して気管内チューブの挿管を試み、ファイバースコープにより声門を確認したものの、圧迫のため気管内チューブを声門から気管内へと通過させることができず、挿管することができなかった。

小川医師は、午後一一時過ぎころ、裕貴の気管切開を開始し、そのころ裕貴の病室に来室した猪医師の協力を得て、午後一一時一〇分ころ切開を終了した。

(五) しかし、裕貴が自発呼吸を回復することはなく、その後、一旦心拍数が増加したものの、再び低下し、午後一一時三〇分ころには心拍数が零となった。

被告病院の医師らは、アンビューバッグによる補助呼吸と心臓マッサージを続け、昇圧剤を静脈注射するなど蘇生措置に努め、平成六年一月二五日午前零時一〇分ころ、心拍が再開した。

被告病院の医師らは、同日午前一時二五分ころ、裕貴を救命救急センターに転棟させ、蘇生措置に務めたが、裕貴は同日午後八時二五分に死亡した。

3  気道確保の方法

緊急時の気道確保の手法(侵襲的手法)としては、気管内挿管、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開、気管切開があり、その特徴は次のとおりである(甲八、一六、二三ないし三六、乙二四ないし二八、三〇ないし三四)。

(一) 緊急時の気道確保の手法として、一般に、最も確実かつ有効で第一次的に選択される手法は気管内挿管であり、咽喉頭の血腫や浮腫等のため気管内挿管が不可能な場合、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開、気管切開が選択される。

(二) 輪状甲状膜穿刺は、輪状軟骨と甲状軟骨の間にある輪状甲状膜(靭帯)に専用の針又は大口径の注射針を経皮的に突き刺して気管内に挿入する手法である。輪状甲状膜穿刺は、皮膚の外より輪状軟骨と甲状軟骨を触知することにより、迅速かつ簡便に行うことができるものであるが、換気量が少ないため、自発呼吸が微弱又は停止した状態で施行しても有効な酸素補給をすることができない。

輪状甲状膜切開は、輪状甲状膜を切開し、気管内にチューブを挿入する手法であり、気管切開に比して迅速かつ簡便に行うことができるものである。

輪状甲状膜穿刺及び輪状甲状膜切開は一時的な手段であり、緊急状態を回避した後速やかに気管切開を行うことが必要である。

輪状甲状膜穿刺及び輪状甲状膜切開の合併症は出血、皮下気腫、気管損傷等である。

(三) 気管切開は、皮下組織を剥離して気管を露出させ、直視下にて第二ないし第三気管軟骨部位で気管を切開しチューブを挿入する手法であり、気管切開を施行する間、補助呼吸を行うことができない。気管切開の合併症は出血、気道狭窄、皮下気腫、気道内出血等である。

二  裕貴の死因

1  右認定事実及び鑑定の結果によると、裕貴は、本件手術後、創部内の出血により気道が圧迫され気道閉塞を起こしたため、午後一〇時三〇分ころ呼吸停止状態に陥り、翌二五日に死亡したものであり、裕貴の死亡の主要な原因は気道閉塞であると認められる。

2  前記一2のとおり、裕貴の術後経過は、血圧が、午後六時五〇分ころ一六〇/七八、午後七時三〇分ころ一六〇/五八、午後九時ころ一一四/五二、午後九時四〇分ころ一一四/五二、脈拍が、午後六時五〇分ころ七二、午後七時三〇分ころ八八、午後九時ころ一二〇、午後九時四〇分ころ九三、呼吸数が、午後六時五〇分ころ一四、午後七時三〇分ころ一四、午後九時ころ二〇、午後九時四〇分ころ二〇であって、午後九時ころまでは安定した状態であったが、そのころから血圧が低下して脈拍、呼吸数が増加している。裕貴は、病棟帰室後、呼吸状態が不規則でやや鼾様であり、四肢冷感、チアノーゼの症状を呈していたが、午後七時三〇分ころには四肢冷感、チアノーゼの症状は消失し、その後八時三〇分ころから午後九時ころまでは呼吸苦を訴えることもなく、呼吸状態は安定していた。午後九時ころ、鼾様呼吸、チアノーゼの症状を呈しており、午後九時四〇分ころには鼾様呼吸が増大していた。また、午後八時三〇分ころから軽度の右顔面腫脹が現れて、午後九時ころから次第に増大し、午後九時四〇分ころには腫脹が著しい状態になっていた。この間、午後九時ころまではポーティナーが働いており、ドレーンにより創部からの出血が排出されていたが、そのころからポーティナーが働かなくなった。

右のような裕貴の術後経過及び鑑定の結果によると、裕貴は、午後九時ころから、血圧が低下して脈拍、呼吸数が増加し、チアノーゼの症状を呈するなど、呼吸状態が悪化しており、そのころポーティナーが働かなくなったため、創部からの出血がドレーンにより排出されず、その結果、午後九時すぎころから午後九時四〇分ころにかけて、創部内に血腫が形成され、これにより気道が圧迫されて気道狭窄が進行し、気道閉塞に陥ったと推認することができる。

三  手術中の注意義務違反(不完全履行)について

前認定のとおり、本件手術中、輸血が開始されたのは出血量が約二三九〇グラムに達した午後五時二五分ころであったところ、原告らは、より早期に(遅くとも午後四時二五分ころの時点で)輸血を開始すべきであったと主張する。

しかしながら、前認定の経過に照らしても、本件において裕貴が気道閉塞を来して死亡したことが、術中の輸血の時期や量等の如何に起因していると窺うことはできず、他に、本件全証拠を検討してみても、右起因を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、右主張は、右死亡に対する責任原因の主張としては、その余の点について検討するまでもなく理由がないというべきである。なお、前認定事実に鑑定の結果を併せると、本件手術中の輸血の開始時期は、特に遅いというわけではないことが認められる。

四  手術直後の注意義務違反(不完全履行)について

1  前認定のとおり、本件手術が終了した直後の午後六時三〇分に気管内挿管の抜管が行われたところ、原告らは、気道狭窄、気道閉塞に備えて気管内挿管を維持しておくべきであったと主張する。

しかしながら、前認定のとおり、裕貴は、右抜管の時点で、血圧が一三五/六五と安定し、自発呼吸、呼名に対する反応及び咳反射があって、動脈血酸素飽和度も九九パーセントに保たれていたのであり、鑑定の結果によれば、そのような状態の下で気管内挿管の抜管を行うことに何ら誤りはなく、かえって、本件のような気道あるいは気道に接する部位の手術において術後の気道狭窄、気道閉塞が予測されるときは、これに対処するためには、予防的な気管切開をしておくべきものであって、そのまま気管内挿管を維持することは、これを維持したままでは気道の状態を診ることができないという意味において、支障、危険が伴うことから、行ってはならないものと認められる。

2  原告らは、仮に気管内挿管の抜管を行うのであれば、予防的に気管切開をしておくべきであったとも主張する。

しかし、前認定事実に鑑定の結果を併せると、本件手術においては、術中に約二六二〇グラムもの大量の出血があったものの、十分な止血が行われ、手術直後の時点において、裕貴の全身状態(血圧、呼吸、脈拍、体温等)は安定しており、特に気道狭窄、気道閉塞を来す具体的なおそれがあることを示す徴候はなかったと認められる。そうすると、この時点において、術後に気道狭窄、気道閉塞を来すことを具体的に予測し得たとは認め難く、そのような状況の下で、前記のような合併症もある気管切開をあえて予防的に行うことをしなかったとしても、そのことをもって被告病院の医師らに注意義務違反があったということはできない。

なお、この点について、鑑定人は、「本件のような手術に際して、極めて慎重な医師の場合、結果的には気管切開は必要なかったということになるのがほとんどではあるが、念のため気管切開をしておくことがよくある。」とし、「振り返って考えてみると、この予防的気管切開術は結果論ではあるが、行っておいた方が患者のためには良かったのではないかと考えられる。」としている。

確かに、本件において、気管内挿管の抜管を行った時点で予防的に気管切開を行っていれば、後に出血があっても、気道閉塞には至らなかった可能性を否定することはできない。しかし、それは、鑑定人もいうとおり、「振り返って考えて」みた場合の「結果論」であるし、「極めて慎重な医師の場合、念のため気管切開をしておくことがよくある。」というものであり、前判示のように、全身状態が安定しており、特に気道狭窄、気道閉塞を来す具体的なおそれがあることを示す徴候がなかった状態の下で、被告病院の医師らが念のための予防的気管切開を行わなかったとしても、そのことをもって注意義務違反があるとまでいうことはできない。

五  術後管理における注意義務違反(不完全履行)について

1  原告らは、被告病院の医師らが、本件手術後、適切な呼吸管理等の措置をとることなく裕貴を放置し、気道を確保することが困難となるまで気道浮腫、喉頭浮腫を悪化させた旨主張する。

(一) 本件手術は、下顎骨の一部を切除し、右耳下腺部の腫瘍を周囲の組織を含めて摘出するというものであって、手術中の出血量が約二六二〇グラムと多量であり、手術直後に創部のエラテックスガーゼ脇から少量の出血があって、午後六時五〇分の時点で創部からドレーンによりポーティナーに排出された出血量が三〇〇グラムに達していたことからすると、被告病院の医師としては、術後の出血や呼吸状態に注意して、容態を観察し、適切な管理を行うべき注意義務があったというべきである。

そこで、本件において被告に右注意義務違反があったかどうかについて検討する。

(二) 原告らは、本件手術直後の創出血等をもってDIC発症の徴候が現れていたとして、この時点において血液ガス分析や輸血をすべきであった旨主張する。

証拠(甲四、乙二四、二六)によれば、DICとはさまざまな病態を基礎として血管内の凝固因子が活性化され、血液凝固因子の相対的不足が生じる結果、出血傾向を来す病態であることが認められるところ、右時点においてDIC発症の徴候があったことを認めるに足りる的確な証拠はない。

前記一2のとおり、小川医師は、本件手術直後の出血に対して、ガーゼを追加しエラテックスで圧迫固定し、止血剤であるアドナ一〇〇グラムを投与して止血処理をしているところ、鑑定の結果によれば、本件のような手術においてドレーンにより三〇〇グラム程度の血液が排出されることは通常の範囲であることが認められ、また、前記一2のとおり、本件手術直後の裕貴の全身状態は体温三六・八度、脈拍七二、呼吸数一四、血圧一六〇/七八と安定していたことに照らすと、この時点において血液ガス分析や輸血をしなかったことをもって被告に前記注意義務違反があったということはできない。

(三) また、原告らは、本件手術後、裕貴に気道狭窄、気道閉塞の徴候を示す症状があらわれており、午後九時ころにはプレショックの状態にあった旨主張する。

確かに、前記一2のとおり、裕貴は、病棟帰室後、呼吸状態がやや不規則で鼾様であり、四肢冷感、チアノーゼの症状を呈しており、午後八時三〇分ころ軽度の右顔面腫脹が現れていたところ、証拠(乙二八、三四及び鑑定の結果)によれば、これらの症状は気道狭窄、気道閉塞のおそれがあることを示す徴候の一部であることが認められる。

しかしながら、鑑定の結果によれば、一旦気道狭窄が生じた場合、自然に解消されることは通常あり得ないことが認められるところ、前記一2のとおり、午後七時三〇分ころには四肢冷感、チアノーゼの症状は消失し、その後午後八時三〇分ころから午後九時ころまでは呼吸苦を訴えることもなく、呼吸状態は安定していた。また、午後九時ころまで血圧、脈拍、呼吸数とも安定しており、これらの点において出血性ショックをうかがわせる徴候はなかった(甲四、乙八)。

右術後経過に照らすと、被告病院の医師らにおいて、午後九時ころまでの時点で、その後裕貴が気道狭窄、気道閉塞に陥ることを認識し得たとは認め難い。

(四) もっとも、前記一2のとおり、裕貴は、午後九時ころから血圧が低下して脈拍、呼吸数が増加し、鼾様呼吸、チアノーゼの症状を呈しており、右顔面腫脹は午後八時三〇分ころに比べて増大している。これらの症状は気道狭窄、気道閉塞のおそれがあることを示す徴候の一部であり、特に呼吸数が増加していることや右顔面腫脹が増大していることからすると、裕貴の経過観察に直接あたっていた看護婦としては、このような症状に注意し、容態が悪化した場合、直ちに医師に連絡をとることを要するというべきである。

この点、前記一2のとおり、裕貴の症状を観察していた木下看護婦は、午後九時二〇分ころ裕貴の病室を離れ、記録室において、裕貴が右のような症状にあることを執刀医である小川医師に報告すべきかどうか他の看護婦と相談していたところ、裕貴が苦しがっている旨のナースコールを受け、裕貴の病室に戻り、同人の症状を確認した上、当直医に連絡をしているのであって、このような措置に対応の遅れがあったとまでは認め難く、右の点を考慮してみても、このころまでの被告病院の医師らの措置に前記注意義務違反があったとまではいえない。

2  原告らは、午後九時四〇分以降、被告病院の医師らがとった気道確保の措置は不適切であり、可及的速やかに気道を確保すべく最善を尽くす義務に違反した旨主張する。

(一) 前記のとおり、裕貴は、午後九時すぎころから午後九時四〇分ころにかけて、創部内に血腫が形成され、これにより気道が圧迫されて気道狭窄が進行し、気道閉塞に陥ったのであり、被告病院の医師らとしては、午後九時四〇分ころには、裕貴の呼吸状態が悪化していることを認識し、気道狭窄が進行していて、気道閉塞を来すことを容易に認識し得たと認められるから、可及的速やかに裕貴の気道を確保すべく最善の措置をとるべき義務を負っていたというべきである。

そこで、被告病院の医師らの措置に右注意義務違反があったかどうかについて検討する。

(二) 前記一2のとおり、西脇医師は、午後一〇時ころ裕貴の病室に到着し、裕貴の気道を確保するため、まずエアウェイを挿入しようとしたが、右頬部から上頚部にかけての腫脹が著しく喉頭が圧迫されていたため挿入することができず、次いで喉頭鏡を用いて気管内挿管を試み、更にファイバースコープを用いて気管内挿管を試みたが、喉頭の圧迫のため挿管することができず、その後に到着した三好医師も同様にして気管内挿管を試みたがやはり挿管することができなかった。そして、西脇医師らは、裕貴の呼吸が停止した午後一〇時三〇分以降も、アンビューバッグによる補助呼吸と並行して気管内挿管を試みようとしたものの、挿管することができず、その後午後一〇時四五分ころ病室に到着した小川医師も、喉頭鏡やファイバースコープを用いて気管内挿管を試みたが、喉頭が圧迫されていて挿管することができなかったため、気管内挿管をすることは不可能であると判断して、午後一一時すぎころ気管切開を開始し、午後一一時一〇分ころに気管切開を終了した。

右事実関係及び証拠(乙二三ないし三三)によれば、裕貴の右頬部から上頚部にかけての腫脹が著しく喉頭が圧迫されていたこと、創部内の血腫や浮腫のために頚動脈や頚静脈等の位置が変異している可能性があり、その位置を皮膚の上からの観察や触診により判断することが困難な状況にあったこと、このことと裕貴の自発呼吸が微弱でありその後停止したことから、被告病院の医師らは、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開を試みることはせず、午後一〇時過ぎから午後一一時ころまで裕貴の自発呼吸の前後を通じて、複数回にわたり気管内挿管を試みたものの、喉頭の圧迫のため挿管することができなかったため、気管内挿管は不可能であると判断して、午後一一時過ぎころに気管切開を実施したことが認められる。

(三) 原告らは、右のような被告病院の医師の措置について、より迅速かつ簡単に行うことができる輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開をしなかった点において、気道確保のため最善を尽くす義務に違反した旨主張する。

しかしながら、前記一3のとおり、輪状甲状膜穿刺は、自発呼吸が微弱又は停止した状態で施行しても有効な酸素補給をすることができないものであるから、この点で本件において気道確保のためにより適切な措置であったとは認め難く、また、輪状甲状膜穿刺は皮膚の上から輪状軟骨と甲状軟骨を蝕知することにより実施するものであるところ、右頬部から上顎部にかけての腫脹が著しく、皮膚の上からの観察、触診によりその位置を判断することが困難な状況にあったことからすると、本件において輪状甲状膜穿刺の適応があったとは認め難い。

また、右のように頬部から上頚部にかけての腫脹が著しく、創部内の血腫や浮腫のために頚動脈や頚静脈の位置が変異している可能性があったことからすると、本件においては、輪状軟骨と甲状軟骨との間にある輪状甲状膜を切開する輪状甲状膜切開の方が、それよりも下部の第二ないし第三気管軟骨部位で切開する気管切開よりも、より危険性が少なく確実に実施することができる措置であったとは認め難い。

右事実関係に照らすと、輪状甲状膜穿刺、輪状甲状膜切開を試みることが被告病院の医師らのとった措置に比して気道確保のためにより適切であったということはできず、そのような措置をとらなかったことをもって、被告に前記注意義務違反があったということはできない。

(四) また、原告らはより早期の段階で気管切開を施行しなかった点において右注意義務違反があった旨主張するが、前記一3のとおり、緊急時の気道確保の第一選択肢は気管内挿管であり、気管切開を行うことにより、更なる出血が生じ、皮下組織を損傷するなどして症状を悪化させるおそれがあり、また気管切開を施行する間補助呼吸を行うことができないことからすると、可能な限り気管内挿管を試み、これが不可能であると分かった段階で気管切開を行った被告病院の医師の措置が、医師としての裁量の範囲を逸脱するものであったとまでは認め難く、右注意義務違反があったとはいえない。

六  本件全証拠を検討してみても、他に、裕貴の死亡につき、被告病院の医師らに注意義務違反ないし不完全履行があったと認めるに足りる証拠はない。

七  よって、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 貝阿彌誠 裁判官 久末裕子 裁判官 天川博義)

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