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東京地方裁判所 平成8年(ワ)23177号 判決 1998年2月23日

原告

喜多商事株式会社

右代表者代表取締役

喜多正男

右訴訟代理人弁護士

河崎光成

萩谷麻衣子

被告

東京都

右代表者知事

青島幸男

右指定代理人

秋山哲也

外一名

被告

東京都江東区

右代表者区長

室橋昭

右指定代理人

河合由紀男

外三名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、各自、原告に対し、金九〇〇〇万円及び平成八年一二月一一日から東京都江東区枝川一丁目一五番一号所在の道路上に別紙物件目録記載(一)及び(二)の土地南西面に沿って生じている不法占拠状態が解消されるまで年三〇〇〇万円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告東京都江東区(以下「被告区」という。)が管理する道路(区道)に接する土地を所有する原告が、右道路上に住宅等多数の建物が不法に建築されて大型車両の通行が不能な状態になっているにもかかわらず、被告区及び右道路敷の所有者である被告東京都がこれらの不法占拠者を排除することを長期怠ったために、原告は、右土地上に大型車両の出入りを伴う倉庫の建築ができず、また、平成三年度の地方税法改正による特別土地保有税の免除措置も受けられなかったと主張して、被告ら両名に対し、共同不法行為に基づく損害賠償として、倉庫を建築することによって得られたはずの逸失利益及び右特別土地保有税の納税分相当額の損害賠償を求めている事案である。

一  前提となる事実

1  東京都江東区枝川一丁目一五番一及び九番五の両土地を敷地とする道路(以下「本件道路」という。)は、昭和五年五月二七日に旧道路法に基づいて東京市告示第二七一号によって路線認定され、同年一二月二七日に同告示第四九六号によって市道として区域決定(幅員18.18メートル)及び供用開始がなされた道路である。

その後、昭和一九年に一部区域変更がなされ、本件道路の幅員は15.00メートルに改められた。

また、戦後、本件道路は、都道として被告東京都によって管理されていたが、昭和三六年四月一日にその管理が被告区に移管され、同日以降は、被告区が、区道江四九号(延長約二二六メートル、幅員一五メートル)として管理している。

しかし、右道路敷である前期各土地の所有権は、被告区への移管後も、被告東京都が有している。

(乙五号証の二)

2  本件道路は、現在、その敷地の片側に二三軒の建築物等が不法に建築され、約五〇名の居住者によって不法に占拠されており、そのため、本来一五メートルあるべき道路の幅員は、実際には約七メートル幅に狭められている。

(甲四号証、乙五号証の二、丙一号証)

3  別紙物件目録記載(一)及び(二)の土地(以下「本件土地」という。)は、本件道路の北東側に存在し、前記の不法占拠建築物等がなければ、本件道路とは約一一〇メートルにわたって接しているはずであるが、原告は、昭和六二年五月ころ、売買により本件土地を取得した。

(甲二号証、同三号証、同五号証、乙一号証、同二号証、証人喜多秀正)

二  当事者の主張

(原告)

1 被告らの不法行為

被告区は、本件道路の管理者として本件道路について一般交通に支障を及ぼさないように努めるべき義務があるから、本件道路を不法に占拠する者があれば、これを排除して、本来一五メートルあるべき本件道路の幅員を確保し、支障なく利用できるようにすべき義務を負っている。

また、被告東京都は、本件道路敷の所有者として不法占拠者に対する妨害排除請求権を有しているが、被告の公的立場からすれば、右請求権の不行使が一般私人の権利の制限を伴う場合には、右私人に対し、これを速やかに行使すべき高度の作為義務を負っている。

しかるに、被告区は、被告東京都から移管を受けた昭和三六年以後、前記義務に基づいて不法占拠者に対し原状回復を命ずる等道路法七一条一項所定の各措置を講じることを怠り、原告が文書で排除を申し入れても、被告東京都に申し入れて欲しい旨回答するなど、不当に長期にわたって不法占拠を放置しているが、右の不作為は、道路管理者に認められた合理的裁量の範囲を明らかに逸脱し、違法である。

また、被告東京都は、不法占拠の事実を十分認識しながら妨害排除請求権を行使すべき義務を怠り、原告が再三不法占拠者の排除を申し入れても、本件道路の管理は被告区に委託している等の理由でこれに応じず、何らの手だてを打たないまま右不法占拠を長期間放置している。

本件土地は準工業地域であり、また、運河に接し周辺には倉庫も多いことから、倉庫等に利用するのが最も効果的であるところ、原告も本件土地上に倉庫等を建築してこれを賃貸する等の考えを有しており、近い将来右不法占拠が排除されることを期待して、本件土地を資材置き場として利用してきたが、被告らが右のとおり不法占拠を放置してきたため、道路の現況は、大型車両の通行に支障のない程度の幅員を有しておらず、原告が本件土地上に大型車両の出入りを伴う倉庫等を建築して土地を効果的に利用することが妨げられている。

被告らの不作為は、不法占拠者の不法行為を助長し、原告の本件土地の有効利用を妨げるものであるから、共同不法行為を構成する。

なお、原告は平成二年に本件道路上の不法占拠建物のうちの一棟を取得したが、これは、被告らが近い将来不法占拠状態を解消する際に、少しでも作業が容易になし得るようにする目的で取得したものである。

2 損害

(一) 逸失利益

年間 七八二四万円

被告らの違法行為によって原告が被っている損害は、本件土地上に倉庫等を建築してこれを賃貸した場合に得られるはずの賃料収入から諸経費及び本件土地を資材置き場として賃貸していることによる賃料収入を控除したものである。そこで、これらを計算すると以下のようになる。

(1) 得べかりし賃料

年間 一億三二〇〇万円

(2) 諸経費 年間 五三七六万円

倉庫の建築費金利(年四パーセントとした場合)

年間 二九三六万円

(建築費−賃料六箇月分の保証金)×0.04=(8億円−6600万円)×0.04=2936万円

固定資産税

年間 七五〇万円

維持費等

年間 四九〇万円

(3) 現在の賃料収入

年間 一二〇〇万円

(4) 原告の被っている損害

年間 七八二四万円

一億三二〇〇万円−五三七六万円=

七八二四万円

(二) 特別土地保有税の納税額相当の損害金

七八〇八万四九〇〇円

原告は、本件土地を有効に利用する倉庫等の建物を建築できないため、平成三年度の地方税法改正により右土地にかかる特別土地保有税納税義務が免除されず、平成四年度から平成八年度までに合計七八〇八万四九〇〇円を支払ったが、これも損害である。

平成四年度 一六二〇万〇一〇〇円

平成五年度 一六〇九万〇七〇〇円

平成六年度 一五五四万七五〇〇円

平成七年度 一五二三万五二〇〇円

平成八年度 一五〇一万一四〇〇円

(三) 原告は、本件において、過去三年分の逸失利益及び過去三年分(平成六年度ないし平成八年度)の特別土地保有税相当損害金合計二億八〇五一万四一〇〇円のうち九〇〇〇万円の支払を請求する。

(四) また、被告らが前記不法占拠者を排除するまでの間、原告が毎年前記逸失利益に当たる七八二四万円の損害を被ることは確実である。

そこで、原告は、本件において、本訴状送達の日の翌日である平成九年一月二二日から右不法占拠状態が解消されるまで、右逸失利益七八二四万円のうち年三〇〇〇万円の割合による金員の支払も併せて請求する。

(被告区)

1 道路法七一条一項に基づき、道路上の不法占拠者に対して原状回復命令を行うか否か、あるいは、右命令を発する時期、方法等の判断は、道路管理者の専門的判断に基づく合理的裁量に委ねられているから、道路管理者が右権限を行使しないことが違法となるのは、当該具体的事情のもとで、権限付与の趣旨及び目的に照らして、右権限の不行使が著しく不合理であると認められる場合に限られるというべきである。

江東区内には、戦後の混乱期に戦災で住居を失った者らによって集団で公有地や道路に建築物等が建てられて不法占拠されている地域が何箇所もあり、これらの不法占拠状態の解消は、長年の懸案事項であった。そうしたところ、被告東京都及び被告区は、昭和五二年度から現在まで、順次、その適正化事業を行っており、本件道路上の不法占拠は、その最後の事案である。

被告区は、本件道路についても、被告東京都から本件道路の移管を受けた昭和三六年八月一日に、本件道路上の建物所有者全員に対して道路法に基づく除却命令を行ったのを始めとして、ことあるごとに口頭による建物の建替え工事の中止等の指導を行ってきたが、右不法占拠者らはこれらに従おうとはせず、現在まで解決を見なかったものである。右のような経緯からすれば、道路管理者である被告区が、本件道路の不法占拠者のみに道路法上の監督処分を行い、不法占拠建物を除却することは極めて困難であり、有効適切な手段ともいえない。

道路法七一条の目的は、道路上の不法占拠者に対し、原状回復を命じることによって道路の交通上支障となる行為を排除しようとすることにあり、原告が主張するような土地の有効利用によって生ずる営業上の利益確保にはない。

また、原告は、本件道路上の不法占拠の開始から四〇年も経過した後に、本件道路の不法占拠状態を認識した上で本件土地を取得したのであり、しかも、本件土地の南西側の一部だけが現況の道路に接するだけで、本件土地の大部分が事実として現況道路に接したことは一度もないのであるから、原告が主張する具体的な利益はそもそも存しなかったというべきである。原告の、将来本件土地が現実の道路に接するという期待権は事実上のものであって、法的に保護された利益ではなく、被告区の権限不行使によって原告の法的に保護された利益が侵害されているとはいえない。

以上のとおり、被告区が不法占拠者に対して除却命令等の監督権限を行使しなかったことが、道路法七一条一項の趣旨及び目的に照らして、著しく不合理であるとはいえないから、被告区の右権限の不行使には違法はない。

2(一) 本件土地の現状では、本件土地の南西側の一部だけが現実の道路に接するだけであるから、路地上敷地として、倉庫等の特殊建築物は建築できないのが原則であるが、建築主事が安全上支障がないと判断すれば、床面積一〇〇〇平方メートル以内の倉庫等を建築することも可能であり、原告が平成二年に取得した本件道路上の不法占拠建物を収去すれば、本件土地は幅約一四メートルにわたって現況道路に接することになるので、建ぺい率六〇パーセント、容積率三〇〇パーセントの範囲内で床面積二〇〇〇平方メートルを超える倉庫等を建築することも可能である。

したがって、原告は本件土地上に相当規模の倉庫等が建築できるのであるから、倉庫を建築できなかったことによる逸失利益の賠償を求める原告の主張はこの点からも理由がない。

(二) また、本件土地上に検査済証を交付された建物又は構築物があれば、原告の主張するような倉庫等でなくても、特別土地保有税の免除の対象から除外されないし(地方税法六〇三条の二の第一項二号、同法附則三一条の四の二第一項、同法施行令附則一六条の二の四)、前記のとおり、本件土地上には床面積一〇〇〇平方メートルの倉庫等の建物の建築が可能であり、原告が不法占拠建物を取得した平成二年以降は、原告が右建物を除去すれば床面積二〇〇〇平方メートルを超える倉庫等も建築できたのである。よって、倉庫等が建築できなかったことによって特別土地保有税の免除が受けられず、そのために特別土地保有税相当額の損害を被ったとする原告の主張には理由がない。

(被告東京都)

1 被告東京都は、単に本件道路敷の所有者にすぎないから、原告に対する関係で、本件道路の所有権に基づいて不法占拠者らに対して妨害排除請求権を行使すべき義務はない。

2 また、原告が、公道である本件道路敷を使用することにより受ける利益は、道路の供用開始によって当該道路が一般交通の用に供されたことによる反射的利益に過ぎないから、法的に保護されるべき利益には当たらない。

3 原告は、本件土地を取得する際、現地を検分することにより、不法占拠の状態やその事情を認識し、本件土地の利用上の制約を十分承知した上で本件土地を購入したはずであり、他方、被告東京都は、積極的に不法占拠状態を作出したわけではなく、原告が本件土地を取得した後も不法占拠状態を助長するような行為をしていないのであるから、原告の不利益は受忍限度の範囲内というべきである。

4 なお、倉庫等が建築できなかったことによって特別土地保有税の免除が受けられず、そのために特別土地保有税相当額の損害を被ったとする原告の主張には理由がないことは、被告区の主張と同様である。

三  争点

よって、本件の争点は、次の各点である。

1  被告区が、本件道路の不法占拠者らに対して道路法七一条一項所定の監督権限を行使して本件道路の幅員一五メートルを通行の用に供さなかったことが違法であるか。

2  被告東京都が、本件道路の不法占拠者らに対して、土地所有権者としての妨害排除請求権を行使して本件道路の幅員一五メートルを通行の用に供さなかったことが違法であるか。

3  原告の被った損害の有無及びその額

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告区の道路法七一条一項所定の監督権限不行使の違法)について

1  乙四号証、同五号証の二及び弁論の全趣旨によると、本件道路が前述のように不法占拠されるに至った経緯等は次のとおりであると認められる。

(一)東京市は、昭和一六年、江東区枝川一丁目九番地の土地に二三〇戸の簡易住宅を建築して、それまで深川区南部の塩浜埋立地等を不法占拠していた者らを収容した。

(二) 右簡易住宅には、主に朝鮮半島出身者らが多く居住していたが、戦災で近隣の建物が焼失する中、右簡易住宅は焼失を免れたため、被災した朝鮮半島出身者らの多くが、右簡易住宅に移り住むようになり、ついには、右住宅用地の北東側に接する本件道路上や南東側に接する東京市道(現在の江東区道江四八号)上にも建物を建てて、これらの一帯を不法に占拠し居住するようになった。

(三) 右地域は、戦後の混乱期には、外部の者に強い警戒心を示すなど特殊な社会を形成し、昭和五〇年ころまでは、東京都や区の職員でさえ、容易に右地域に立ち入れないという状況が続いた。

(四) また、こうした中で、本件道路は、事実上、不法占拠者らの自治的組織によって自主的に管理され、不法占拠された部分を除く約七メートルの幅員部分のみが道路として機能してきた。

2 原告は、被告区が、これらの不法占拠者に対して原状回復を命ずる等の道路法七一条一項所定の各措置をとらなかったことは、道路管理者として被告区に与えられた合理的裁量の範囲を逸脱したものであり、違法であると主張する。

しかし、道路管理者は、公法上の義務として右道路法七一条一項所定の各措置を適切に行使すべき義務を負っているけれども、右各措置は、道路の管理保全を確保し、公共の福祉の増進という目的のために規定されたものであって、道路付近の個々人の財産上の利益保護を目的とするものでないことは明らかである。

そして、道路の不法占拠状態を適正化するについては、占有の態様、規模、占有に至る経緯等に応じて、行政上様々な施策が考えられるところであり、道路管理者が直ちに道路法七一条一項所定の権限を行使しないからといって、そのことだけで、右権限の不行使が当然に違法となるものとはいえない。

ところで、乙五号証の二、証人喜多秀正の証言及び弁論の全趣旨によれば、(1) 本件道路上の不法占拠については、被告区は、昭和三六年八月一日、本件道路上の建物所有者全員に対し、道路法に基づいて建物除却命令を送付し、また、昭和六二年一〇月には、本件道路上の建物一軒の建て替えを中止するように指導した上、建物の除却を命じる警告書を送付したこと、(2) また、被告区の管轄内は、同様の経緯で公有地や道路敷が集団で不法占拠されたところが何箇所もあり、被告区及び被告東京都は、昭和五二年度から現在までの間に、順次、これらの適正化事業を実施し、北砂三丁目、同六丁目、塩浜一丁目、同二丁目、枝川三丁目、東砂一丁目、同三丁目の各地域における五〇〇件を超える不法占拠者に対して、三年から七年の年月をかけて、周辺環境の整備、代替の住宅や住宅敷地の斡旋、違法建築物の撤去、公有地の売り払い等の総合的な施策によって、不法占拠状態の解消を行ってきたこと、(3) 本件道路についても、被告東京都は、平成七年に、その適正化を進めることとなり、平成八年四月には、被告東京都に適正化事業を担当する組織が発足し、被告区もこれに協力していることが、それぞれ認められる。

そこで、以上に認定した本件道路における不法占拠の態様、その歴史的経緯、被告区が行ってきた同区内の不法占拠状態の解消のための施策等に鑑みると、被告区が道路法七一条一項の監督権限の行使だけでなく、その他の様々な施策によって不法占拠状態の是正を図ろうとすることが不合理であるといえないことはもちろん、被告区が、昭和五二年ころまでは、そのような作業に着手できなかったこと、右作業に着手後も、本件道路周辺についての作業は後順位となり、そのため、本件道路については、未だ違法状態の是正が完了していないことも、やむを得ない事情によるものであるというべきである。

したがって、このような事情の下で、被告区が、現在に至るまで、本件道路の不法占拠者らに対し、道路管理者として原状回復命令など道路法七一条一項所定の監督権限を行使しなかったとしても、右権限の不行使がその裁量権限を逸脱して著しく不合理であるとは認め難い。

よって、被告区の右権限不行使が違法であるとの原告の主張は採用できない。

二  争点2(被告東京都の妨害排除請求権不行使の違法)について

原告は、被告東京都が原告に対し所有権に基づく妨害排除請求権を行使すべき義務を負っており、その行使を怠ったことが違法であると主張する。

しかし、妨害排除請求権は、物の所有者として有する物権的権利であり、これを行使するか否かは、所有者の専権に属することがらである。

そして、本件道路敷についても、所有者である被告東京都が、原告との関係で、右妨害排除請求権の行使を当然に義務付けられていると解すべき実体法上の根拠は見い出し難く、被告東京都が公的な存在であることや被告区への移管前に本件道路の管理権限を有していた地方公共団体である点も、右の点を左右する事情とは解されない。

よって、原告に対する関係で被告東京都が本件道路の不法占拠者らに対して妨害排除請求権を行使すべき義務があることを前提とする原告の主張は採用できない。

三  以上によれば、原告の被告らに対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

(裁判長裁判官市村陽典 裁判官石橋俊一 裁判官山﨑栄一郎)

別紙物件目録<省略>

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