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東京地方裁判所 平成8年(ワ)24340号 判決 1998年9月25日

原告

佐藤功

被告

第一生命保険相互会社

右代表者代表取締役

櫻井孝頴

右訴訟代理人弁護士

中町誠

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金七万五〇四六円及びこれに対する平成八年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、生命保険相互会社である被告の従業員である原告が、被告の定める効率成績の引戻し制度の適用を受け、月次の給与を構成する募集手当が減額され、さらにその結果募集手当がマイナスとなった月には、外務俸給、加俸、職員手当、標準成績手当等の合計額からそのマイナス分を減額されたが、この減額措置は賃金の控除に当たり、労働基準法二四条一項所定の賃金の全額払いの原則に違反するとして、被告に対し、平成六年一〇月分の給与につき募集手当三万五二八八円と被告が算出したマイナス一万三二八八円との差額四万八五七六円、同年一二月分の給与につき募集手当一万四六三五円と被告が算出した五六二六円との差額九〇〇九円及び平成七年三月分の給与につき募集手当一万五四〇五円と被告が算出したマイナス二〇五六円との差額一万七四六一円、以上合計金七万五〇四六円並びにこれに対する年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

一  前提となる事実(争いのない事実のほか、証拠により認定した事実を含む。認定の根拠とした証拠は各項の末尾に挙示する。)

1  原告は、昭和五四年九月二八日、被告に研修職員補として採用され、三箇月を経過した昭和五五年一月二八日以降雇用契約上の地位を有する営業職員(当時の呼称は外勤職員)として勤務している。営業職員については営業職員就業規則(<証拠略>)が規律しており、これによると、営業職員は、支部長、支部長補佐及び営業員に区分され、営業員は更に資格別に区分されており、営業主任補はその資格の一つである。原告は、平成六年一〇月分、同年一二月分及び平成七年三月分の給与を支給された当時、資格は営業主任補であった。(<証拠略>、弁論の全趣旨)

2  給与の計算期間は毎月一日から末日までであり、支給日は毎月二五日である。(<証拠略>)

3(一)  原告の平成六年一〇月分の給与は、所得税等の控除前の支給額が一八万一九〇三円であった。すなわち、営業職員に対して支給される固定給的要素の手当である外務俸給三万七五六〇円及び加俸四四二〇円、資格別の定額である職員手当他四万円、四箇月ごとの判定期間における判定対象成績(累計件数と月平均効率成績)に応じて支給される成績比例給である標準成績手当他八万五五〇〇円、福利厚生制度の一環として職員が保険契約者となる等の所定の要件を満たした保険契約の保険料に対する一定額の補助金である社内P補助(次)二七一一円並びに通勤交通費(当)二万五〇〇〇円、以上の合計額が一九万五一九一円であった。この一九万五一九一円から募集手当他の引戻分として金一万三二八八円が減額された結果、所得税等の控除前の支給額が一八万一九〇三円になった。

(二)  原告の同年一二月分の給与は、所得税等の控除前の支給額が、所得税の計算の便宜上別に支給される臨時給与四八万八〇八三円を除外すると、二〇万〇一一八円であった。すなわち、外務俸給三万七五六〇円及び加俸四四二〇円、職員手当他四万円、標準成績手当他八万五五〇〇円、社内P補助(次)二〇一二円並びに通勤交通費(当)二万五〇〇〇円、以上の合計額が一九万四四九二円であった。この一九万四四九二円に、募集手当他五六二六円を加えて所得税等の控除前の支給額が二〇万〇一一八円となったものであった。このように、募集手当他自体の金額を算出する過程を別にすれば、募集手当他以外の合計額が減額されたわけではなかった。

(三)  原告の平成七年三月分の給与は、所得税等の控除前の支給額が二三万二三〇五円であった。すなわち、外務俸給三万七五六〇円及び加俸四四二〇円、職員手当他四万円、二年間以上有効に継続している保険契約の合計件数及び合計死亡保険金額等に応じ、年二回(九月と三月に)支給される保険手当一二万五〇〇〇円、社内P補助(次)二三八一円並びに通勤交通費(当)二万五〇〇〇円、以上の合計額が二三万四三六一円であった(成績比例給である標準成績手当他は、判定期間中の原告の判定対象成績が基準に満たなかったため支給されなかった。)。この二三万四三六一円から募集手当他の引戻分として金二〇五六円が減額された結果、所得税等の控除前の支給額が二三万二三〇五円になった。((一)から(三)につき、<証拠略>)

4  被告においては、営業職員の資格、給与は、基本的には募集した一件ごとの保険契約の成績数値を一定期間通算した累計成績数値により決定される。右成績数値としては、保険金額・保険料に一定の計数を乗じて算出される「基準成績」、ある保険契約が約款の規定に基づき失効・解約等により消滅し、又はいったん消滅した保険契約が復活した場合等に当該保険契約に対応する基準成績が増減される「純基準成績」、保険料の払込方法及び保険料の入金回数に応じて基準成績が月単位に分割計上される「効率成績」がある。これらの成績数値は、月単位に月ごとの数値が算出、計上され、営業職員の給与の算出や資格の決定に使用される。(<証拠略>、弁論の全趣旨)

二  争点

効率成績の引戻しにより、営業職員の月次の給与を構成する募集手当を減額し、さらにはその結果募集手当がマイナスとなるときに、外務俸給、加俸、職員手当、標準成績手当等の合計額からそのマイナスを減額することは、賃金の控除に当たり、労働基準法二四条所定の賃金の全額払いの原則に違反するか。

三  争点についての当事者の主張

(原告の主張)

1 被告は、原告に対し、平成六年一〇月分の給与、同年一二月分の給与及び平成七年三月分の給与を支払うに当たって、効率成績の引戻しにより賃金を一部控除して支払った。

これは労働基準法二四条一項所定の賃金の全額払いの原則に違反する。

2 被告は、営業職員が募集して顧客と新規契約に至ったが、成立後二四箇月以内に当該契約が失効、解約、減額、払い済み変更又は保険料の立て替えとなった場合には、付与した効率成績を取り消し、消滅判定した当月に他の継続している契約の効率成績の累計額から減算し、さらには賃金を一部控除する取扱いをしている。これは、労働者の不正行為や重大な過失によらず契約が途中で消滅等に至った場合につき、被告の逸失利益の一部を労働者の賃金から回収する実質を有し、不合理である。

3 被告と第一生命労働組合との間に労働基準法二四条一項所定の協定があるが、その中に効率成績の引戻しによる賃金の控除に関する条項は存しない。

被告と第一生命労働組合との間に就業規則全体について包括的な労働協約が締結されているが、効率成績の引戻しによる賃金の控除に関する条項は労働基準法二四条一項に違反し、無効である。

(被告の主張)

1 効率成績の引戻しは、賃金算出の元となる成績数値の一つである効率成績の算出過程でプラスの効率成績にマイナスの効率成績が減算されるものであって、最終的に確定した賃金から控除を行うものではないから、労働基準法二四条に違反しない。

2 外務俸給、職員手当、標準成績手当、募集手当は、効率成績を中心にした相互に密接に関連する手当であり、募集手当の引戻しがこれらの手当に控除という形で影響を与えても何ら制度上矛盾するものではない。

これら各手当は、判定期間を変える等様々な視点から評価した上で算出されるが、いずれも営業職員の募集実績である効率成績を中心とした各種の成績数値を算出の基礎とする広義の歩合給(成績比例給)に属するものであり、募集手当の引戻しによって他の三つの手当に影響を及ぼすことがあっても、何ら賃金体系上矛盾を来す性質のものではない。

3 営業職員が獲得した保険契約につき二年間は有効に存続し、保険料が支払われることを前提に、効率成績として計上され、募集手当がいわば概算払いされる。しかし、仮に一年以内に保険契約が解約され、失効した等の場合には、右前提が失われ、被告は、営業職員に対し、概算払いの一部について不当利得返還請求権を取得することになる。募集手当の引戻しはそのための調整的相殺とみることができる。

募集手当の引戻しは、最高裁昭和四四年一二月一八日第一小法廷判決・民集二三巻一二号二四九五頁の判示している要件を満たすから、労働基準法二四条一項に違反しない。

4 募集手当の引戻し制度の内容は、原告を含む営業職員が全員加入する第一生命労働組合との間で労働協約として協定化されている。この協定中、募集手当の引戻し制度に関する部分は、労働基準法二四条一項ただし書の労使協定とみることができる。したがって、募集手当の引戻しは、労働基準法二四条一項本文に違反しない。

第三争点に対する判断

一  効率成績の引戻しによる諸手当の減額と賃金の控除について

効率成績の引戻しによる諸手当の減額が賃金の控除に当たるか否かは、被告の定める賃金制度が、効率成績の引戻し又はその不発生の確定により初めて具体的な賃金額が確定することとする制度であるか否かによって判断すべきである。そこで、まず、営業員の賃金制度について検討する。

1  (証拠略)によれば、次のとおり認めることができる。

(一) 被告の営業職員就業規則四九条は、営業職員の給与については、営業員給与規程(営業員[Ⅰ])及び営業員給与規程(営業員[Ⅱ])で定める旨規定している。これを受けて、営業員給与規程(営業員[Ⅰ])は、営業員[Ⅰ]の給与に関する事項を定めることを目的とし(一条)、外務俸給、職員手当・職員手当加算、技能手当、標準成績手当、標準成績手当加算、募集手当、奨励金、奨励金加算、活動成績手当、収納手当、加俸、保障手当及び通勤交通費補助等の区分による月例の給与を支給することを規定している(二条)。

(二) 営業員給与規程(営業員[Ⅰ])によれば、営業主任補に対する給与の内容は次のとおりである。

(1) 外務俸給は、初任の月額三〇〇〇円に昇給額を加算した金額とする(二八条、四条)。

(2) 職員手当は、職員資格選考規程(営業員[Ⅰ])に定める成績基準を満たす者に支給することとし、その金額は四万円とする(二九条、五条)。

(3) 技能手当は、[別表2]のとおりとする(三〇条、二〇条)。

[別表2]

<1> 専門課程試験合格者については五〇〇円を支給する。

<2> 応用課程試験かつ変額保険販売資格試験合格者については<1>にかかわらず、一〇〇〇円を支給する。

(4) 標準成績手当は、四か月ごとに判定し、更改月から次の更改月の前月まで支給することとし、判定期間の累計件数と月平均効率成績に応じて、[別表3]―2(略)のとおりとする(三一条一項)。

(5) 標準成績手当加算は、前月の挙績件数と当月に計上された純基準成績に応じ支給することとし、[別表4]―1(略)のとおりとする(三二条、二二条)。

(6) 募集手当は、当月に計上された効率成績に応じ、次の<1>、<2>の合計額とする(三三条)。

<1> 当該効率成績の一一九〇万円までの部分に対し

対万 二〇・〇二円

<2> 当該効率成績の一一九〇万円超過部分に対し

対万 三二・五三円

(7) 加俸については別に定める(三五条)。

(8) 保障手当は、所定の勤務に服したか否かを認定のうえ支給することとし、当月に支給される給与のうち、通勤交通費補助、保全手当、臨時給与を除く給与の合計額が[別表8]―1の最低保障額に満たないときは、その差額とする(三六条、二六条)。

[別表8]―1

都道府県別最低賃金日額に当月の出勤日数を乗じた金額。ただし、正常に勤務しなかった時間については、一時間につき日額を七で除した額を保障額から控除する。

(三) 営業員給与規程(営業員[Ⅰ])付則は、次のとおり定めている。

(1) この規程に定める以外の細部の取扱いについては、「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」による。

(2) この規程にいう基準成績、純基準成績、効率成績は「成績・引戻・復活取扱規程」による。

(3) この規程にいう件数とは、「成績・引戻・復活取扱規程」に定める換算件数とする。

(四) 営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])は、次のとおり定めている。

(1) 募集手当の引戻し(三条)

営業員[Ⅰ]の当月に計上された効率成績がマイナスとなった場合の募集手当の引戻しについて次のとおりとする。

営業主任補

当月に計上された効率成績に応じ、次の<1>、<2>の合計額を引き戻す。

<1> 当該効率成績のマイナス一一九〇万までの部分に対し

対万 二三・一五円

<2> 当該効率成績のマイナス一一九〇万を下回る部分に対し

対万 三五・六六円

(2) 注記

三条の箇所に次の注記がある。

(営業主任の例)

効率成績がマイナスとなった場合の引戻額の具体例は次のとおりである。

(中略)

(この金額が当月分給与で引戻しとなる。)

2  右認定によれば、募集手当の引戻しについては、営業員給与規程(営業員[Ⅰ])の本文では規定されていないものの、営業員給与規程付則一条を受けている「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」が前記のとおり規定しているから、募集手当は、給与規程によって、効率成績の引戻しによって減額されることがある手当であり、効率成績の引戻し又はその不発生の確定により初めて具体的な賃金額が確定するものであることが規定されているということができる。

したがって、効率成績の引戻しによって募集手当が減額されたとしても、賃金の控除には当たらず、労働基準法二四条一項には違反しない。

3  しかしながら、前記認定によれば、営業主任補に給与として支給される外務俸給、職員手当及び技能手当が固定給的な手当であるのに対し、標準成績手当及び標準成績手当加算は、判定期間の累計件数と月平均効率成績、件数と純基準成績に応じて定まる歩合給的な手当であるが、いずれにしても、それぞれその要件を満たせば各手当(賃金の一部)の支払請求権として発生するというべきであり、募集手当の引戻しの結果、募集手当の額がマイナスとなったときに、右各手当の合計額がその限度で減額されることについては、「営業員給与規程(営業員[Ⅰ])」、「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」の本文では規定されておらず、「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」の注記において、「当月分給与で引戻しとなる」と記載されているにとどまることが明らかである。

もともと「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」は、給与について細部の取扱いを定めるものであるにとどまる上、右のように減額に関する記述があるのが注記の箇所にとどまることからすれば、右注記を根拠に、右各手当が、効率成績の引戻しによって減額されることがある手当であり、効率成績の引戻し又はその不発生の確定により初めて具体的な賃金額が確定するものであることが給与規程によって規定されているものであるということは困難であるといわなければならない。

そうすると、被告が、募集手当の引戻しの結果募集手当の額がマイナスとなったときに、右各手当の合計額をその限度で減額することは、賃金からの控除に当たるものというべきである。

この点に関する被告の主張1及び2を採用することができないことは、右に述べたところから明らかである。

二  被告の主張3について

募集手当は、給与規程に基づいて、効率成績の引戻しにより減額されることがある手当であり、効率成績の引戻し又はその不発生の確定により初めて具体的な賃金額が確定するものであることは、既に述べたとおりである。このような募集手当の性質に照らして考えると、募集手当の支払は概算払いの実質を有するのであり、募集手当の引戻しの結果、募集手当の額がマイナスとなったときは、被告は、営業職員に対し、概算払いの一部について不当利得返還請求権を取得することになるから、募集手当の引戻しは賃金から控除することによって行う右不当利得返還請求権との相殺とみることができる。

被告は、「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」(<証拠略>)の注記において、募集手当の引戻しにより募集手当がマイナスとなるときは「当月分給与で引戻しとなる」旨を規定し、原告に対し、平成六年一〇月分の給与、同年一二月分の給与及び平成七年三月分の給与につき減額を明記した各給与明細書(<証拠略>)を交付して、減額分を控除して支給しているから、これによって、募集手当の引戻しに伴い発生した不当利得返還請求権と右各月分の給与債権とを対当額で相殺したものと解するのが相当である。このような相殺は、過払いのあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてされるものであり、かつ、「営業員給与規程細則(営業員[Ⅰ])」の注記によりあらかじめ労働者にそのような事態があることを予告しているものであるから、これらの点を考えると、最高裁昭和四四年一二月一八日第一小法廷判決・民集二三巻一二号二四九五頁の判示しているところに照らし、労働基準法二四条一項の禁止するところではないものと解するのが相当である。

三  原告の主張2及び3について

1  原告の主張2について

被告の定める募集した一件ごとの保険契約の成績数値を一定期間通算した累計成績数値により営業職員の給与を決定する制度は、賃金の算定方法として不合理であるとはいえず、算定方法の一部に当たる効率成績の引戻しについても不合理であるとはいえない。

保険契約のうちに長期間継続するものだけでなく、短期間に消滅するものが発生することは不可避的であるが、そのような事態に対処する方策として、後者の場合には契約消滅の原因等にかかわりなく、効率成績の引戻しを行うこととすることも制度の立て方として必ずしも不合理であるということはできず、労使間の交渉によって決することのできる事項であると解するのが相当である。

(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、被告と原告を含む営業職員が全員加入する第一生命労働組合との間に就業規則全体について包括的な労働協約が締結され、募集手当の引戻し制度の内容は、労働協約として協定化されていることが認められるから、労働協約の規範的効力によって規律されるべき関係にある。

以上のとおりであって、いったん成立した契約の消滅(解約)の原因、理由にかかわりなく効率成績の引戻しを行うことが不合理である旨の原告の主張は採用することができない。

2  原告の主張3について

被告と第一生命労働組合との間に締結されている右各協定が労働基準法二四条一項に違反するものでないことは、既に述べたことから明らかである。

四  そうすると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却する。

(裁判官 髙世三郎)

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