東京地方裁判所 平成8年(ワ)3366号 判決 2000年1月19日
原告
澤田太白
被告
中島勝彦
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して、金二五一万八五四四円及びこれに対する平成六年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告に対し、連帯して、金四四二八万七六八六円及びこれに対する平成六年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用の被告ら負担及び仮執行宣言
なお、被告らは、請求棄却及び訴訟費用の原告負担並びに仮執行免脱宣言を求めた。
第二事案の概要
本件は、被告中島勝彦(以下「被告中島」という。)が、被告日の丸交通株式会社(以下「被告会社」という。)の業務として車両を運転していた際、第三者車両を介した玉突き追突事故を起こし、これによって負傷した原告が、左股関節痛等の身体的損傷及び歯牙損傷を被り、また、治療経過が思わしくないこと等からうつ病を患った旨主張し、症状固定後の治療関係費や後遺症による逸失利益等について、被告中島に対しては自賠法三条、民法七〇九条により、被告会社に対しては民法七一五条により、損害賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 事故の発生
(一) 日時 平成六年一月一六日午後一時ころ
(二) 場所 東京都大田区大森北一―一八先路上
(三) 被告車 被告中島が被告会社の業務として運転していた普通乗用自動車
(四) 原告車 原告が日通品川運輸株式会社(以下「日通」という。)の業務として運転していた軽四輪貨物自動車
(五) 事故態様 被告は、被告車を運転していた際、前方不注視により訴外宇佐美昌之の運転する普通乗用自動車(以下「宇佐美車」という。)に被告車を追突させ、更に宇佐美車が原告車に追突した(以下「本件事故」という。)。
2 原告の負傷と受診状況
原告は、本件事故後、以下の診療機関に受診した。
(一) いすゞ病院において、頸部捻挫、腰部挫傷と診断され、平成六年一月一七日に通院し、翌一月一八日から二月三日まで(一七日間)入院した(乙二)。
(二)(1) いすゞ病院から紹介を受けた黒田病院において、頸部捻挫、腰部捻挫、左股関節部捻挫等と診断され、平成六年二月三日から同月一九日まで(一七日間)入院し、同年二月二〇日から平成七年五月三一日まで通院した(通院実日数三二一日、甲三、乙七の一頁の2)。
(2) なお、平成六年二月一三日及び三月二二日のMRI検査により、第五、第六頸椎の椎間板ヘルニア及び第四、第五腰椎と第一仙椎の変性が確認されたが(乙七の一七三頁、一八一頁、一二頁、一四頁)、いずれも加齢性によるものであり、かつ、神経等を全く圧迫するものではなかったことが認められるから(証人長谷川和寿(以下「長谷川医師」という。)の証人調書二五頁以下)、本件事故との因果関係は認められず、また、これによって原告に対する治療内容が影響を受け、治療が遷延化した等の事情も認められない。なお、甲三五の1、2、三八によれば、頸椎椎間板ヘルニアが本件事故に起因している旨認定しているかのような記載がうかがえるが、その認定の理由は全く不明であり、前示認定を左右するものではない。
(3) その後も、原告は、同病院に、同年六月二日から一二月一六日まで(通院実日数四七日、乙七の一二四頁から一四五頁。なお、甲七の1から45は一一月一日までの分)及び平成八年三月九日から平成一一年二月三日まで(通院実日数六二日、甲三一、弁論の全趣旨。なお、カルテ(乙七の一四九頁から一六一頁)上は、平成八年七月一日までの通院状況しか確認できないが、薬局への来局状況(甲三一)に照らして前示のとおり認めた。)通院した。
(三) 江田歯科医院(以下「江田歯科」という。)において、一歯歯冠全崩壊、一歯処置歯歯冠四分の三崩壊、硬質レジー前装部、ブリッジダミー部破損、ロー着部破折と診断され、平成六年一二月二日から平成七年七月一日まで(通院実日数一五日、甲四)通院した。
(四) 黒田病院から紹介を受けた関東中央病院神経精神科(以下「関東中央病院」という。)において、うつ状態(自律神経失調症)と診断され(甲五)、平成七年四月一四日から平成九年五月二二日まで(通院実日数六一日、甲二三)通院した。
その後も、原告は、同病院に継続して通院し、平成一一年二月四日までの間に、少なくとも二一日は通院している(甲三二。なお、乙八の1、2のカルテ上は平成八年七月二日までの通院状況しか確認できない。)
3 原告の後遺症の内容と程度等に関する診断状況
(一) 頸部痛、腰部痛、左股関節痛等、左股関節可動域制限が残存し、平成七年五月三一日に、黒田病院において、症状固定と診断された(甲三。なお、乙六のうち症状固定日が平成六年七月末である旨の意見部分は、原告の症状をつぶさに診察し、今後の治療の要否を患者の身体的要因を含む様々な観点で判断していく職責と能力を有する主治医の地位にあり、かつ、担当医としては最も長期にわたって原告を診察してきた医師の一人である長谷川医師の症状固定に係る判断の相当性を覆すに足りず、平成七年五月三一日を症状固定日と認める。)
(二) 前示江田歯科で歯科治療を受けたが、歯冠補綴状態が二歯に残存したことになる(甲四)。
(三) 不眠、抑うつ、頭痛、めまい等の自覚症状が残存し、関東中央病院において、うつ病と診断され、平成九年一月九日、症状固定と診断された(甲二三)。
(三) 原告は、自賠責保険による後遺障害認定手続で右(三)の後遺障害についてのみ一四級一〇号の認定を受けた。その理由として、脳に器質的損傷は認められないものの、本件事故を契機に発症したことを否定することが困難であり、また、精神医学的治療によっても治癒しなかったことから、外傷性神経症としてとらえられたことによる旨記載されているが(甲二四、二五)、右判断の基礎資料や判断形成過程は必ずしも明確ではない。
4 本件事故後に遭遇した事故と賠償
原告は、本件事故後、次のとおり、三件の交通事故による被害を受け、被害弁償を受けた。
(一) 平成七年一月一〇日歩行中に車両に接触されて(以下「別件(一)事故」という。)、右手、右肘、右肩打撲の傷害を受け、黒田病院に同日から同年四月一一日まで(同日固定。通院実日数六九日)通院した(乙一一、一二の1から6)。これにより、原告は、治療費のほか、慰謝料四三万〇五〇〇円を含む五〇万二二六〇円の損害賠償金を受領した(乙一〇)。
(二)(1) 平成八年二月二九日の交通事故(以下「別件(二)事故」という。)により、右肩関節、右股関節、腰部打撲、頸部捻挫の傷害を受け、古畑病院に同年三月三日から四月九日まで(同日固定。通院実日数二〇日)通院した(乙一三から一五)。これにより、原告は、既払金のほか、休業損害四二万三四八九円、傷害慰謝料二〇万円を含む六三万四七二九円の損害賠償金を受領した。
(2) なお、右休業損害は、原告が平成七年八月に日通を退職したものの、平成八年三月九日から井口商店(飲食業)で勤務する予定であったこと、その雇用契約に基づく予定給与額が月額三八万五〇〇〇円(基本給三二万円、住宅手当三万五〇〇〇円、家族手当二万円、その他一万円)であったことから、右給与額を基礎収入とし、休業日数を三月九日から四月一〇日までの三三日間として算定された(乙一四、原告本人の供述五五頁)。
(三) 平成八年九月二八日に同乗していた車両の事故(以下「別件(三)事故」という。)により、右肋骨部打撲症、左肋骨部打撲症、右肩打撲症、頭部打撲症、右肘部打撲症、右手背部打撲症の傷害を受け、小林外科胃腸科に同日から平成九年一月二〇日まで(同日固定。通院実日数七八日)通院した(乙一六、一七、二〇)。これにより、原告は、治療費のほか、自賠責保険金一八万一八三〇円、同乗車両の搭乗車傷害保険金七四万円を受領した(乙一八、一九)。
5 被害額のてん補
(一) 原告の前示2の受診による治療費のうち、いすゞ病院分の六八万七〇四〇円(平成六年一月一七日から同年二月三日までの治療費全額、乙二)、黒田病院分の八九万四九八〇円(平成六年二月三日から同年三月三一日までの治療費、乙三の1、2。なお、室料差額の一五万七五九〇円は原告が自己負担している。)及びさくら調剤薬局分五万六三〇〇円(平成六年三月四日から同年四月二七日までの処方、乙五の1、2)の合計一六三万八三二〇円は、被告が支払い、右以外の治療費で、前示認定の症状固定日である平成七年五月三一月までの分(二二三万〇二六四円)は、労災保険給付(療養補償給付)によっててん補された(調査嘱託の結果)。
(二) 原告は、休業損害について、被告らから一〇三万五七二〇円、労災保険からの給付金として三七七万四三八〇円(休業補償給付二七一万五〇二〇円、特別支給金一〇五万九三六〇円。調査嘱託の結果)の合計四八一万〇一〇〇円を受領した。
6 いすゞ病院までの通院交通費
原告の請求額である一〇五〇円に争いはない。
二 争点
1 治療費
(一) 原告の主張
(1) 黒田病院の治療費(請求額 二万四二八〇円)
症状固定日である平成七年五月三一日の後である同年六月二日から同年一一月一日まで及び平成一一年二月三日の治療費である。
原告は、左股関節部痛、頸部痛及び腰部痛等の痛みが解消しなかったために、右症状固定日以降も、黒田病院での受診を継続した。
(2) 関東中央病院の治療費(請求額一万〇六九〇円)
平成七年四月一七日から同年一〇月一六日まで(八五九〇円)及び平成一一年二月四日(二一〇〇円)の治療費である。
本件事故後の左股関節痛等に対する長期間にわたる外科治療を余儀なくされ、かつ、その経過が良好でなく、そのため精神的不安定に陥り、うつ病と診断されたものであり、精神神経科での継続的な治療が必要である。
(3) 江田歯科の治療費(請求額 七三九〇円)
本件事故の衝撃により歯牙を損傷したため治療を要した。
歯科治療が遅れたのは、頸部、腰部及び左股関節痛等の治療を優先させたからである。
(二) 被告らの主張
(1) 黒田病院での治療について
原告の請求する治療費は症状固定後の治療に係るものであり、その必要性及び本件事故との相当因果関係を否認する。
(2) 関東中央病院での治療について
ア 原告には、脳や中枢神経系に精神障害をもたらすような器質的損傷は全くなく、原告の抑うつ状態は、原告固有の気質や賠償交渉に対する不満、過度の意識等をきっかけとする神経症、心因反応に過ぎず、うつ病とはいえないものである。
イ 原告は事故直後の入院当初から医師も精神分裂病を疑うような通常でない行動が見受けられたことからすると、原告の現在の精神状態は、長期間の治療や症状の遷延化によって生じたものではなく、本件事故との間に因果関係はない。
(3) 江田歯科での治療について
江田歯科での治療は本件事故後一〇か月以上経過した後になされたものであり、本件事故との因果関係を否認する。
2 入院雑費(請求額 六万三九二二円)
3 通院交通費
(一) 原告の主張
(1) 黒田病院分(請求額 三六万四六一〇円)
平成六年三月一四日から平成八年二月までの間の通院にはタクシーを利用する等して合計三二万二八九〇円を支出し、平成八年三月九日から平成一一年二月三日までの間の通院には電車を利用し、合計四万一七二〇円を支出した。
(2) 関東中央病院分(請求額 一三万〇九〇〇円)
平成七年四月一四日から平成八年二月より前まで(証拠説明書の記載は右の趣旨と解した。)の間の通院にはタクシーを利用する等して合計一万八〇四〇円を支出し、平成八年二月一日から平成一一年二月四日までの間の通院には電車・バスを利用し、合計一一万二八六〇円を支出した。
(3) 江田歯科分(請求額 六二四〇円)
(4) さくら調剤薬局分(請求額 五一六〇円)
(5) 溝口病院分(請求額 一万三二二〇円)
関東中央病院での前主治医の転任先に通院した。
(6) 東京労災病院分(請求額 三二四〇円)
労災申請に必要な診断を受けるために通院した。
(7) 聖マリアンヌ医大病院(請求額 一〇二〇円)
インポテンツ治療のために通院した。
(二) 被告らの主張
いずれの支出も争う。
なお、(1)については、タクシーの必要性がない上、症状固定後の治療に伴う交通費については、治療費と同様、その必要がない。(2)については、タクシーの必要性がない上、そもそも治療費の認否と同様、本件事故との因果関係がない。(3)については、本件事故との因果関係がない。
4 休業損害(請求額 一五五万〇六七〇円)
(一) 原告の主張
休業損害算定のための基礎収入は日額一万一二五八円、休業期間は五六五日(平成六年一月一七日から平成七年八月四日まで)として算定した六三六万〇七七〇円が休業損害であり、これから、前記一の5(二)の受領金額を控除した一五五万〇六七〇円を請求する。
(二) 被告らの主張
ア 基礎収入は、平成五年分の年収である二九五万二九六五円とすべきである。
イ 休業の必要性及び期間の相当性を争う。原告は、黒田病院を退院後間もなく就労可能であった。
5 逸失利益(請求額 二六九五万五四七四円)
(一) 原告の主張
左股関節部、頸部、腰部等の疼痛は後遺障害等級一二級一二号の「局部の頑固な神経症状」に該当し、左股関節の可動領域制限は、屈曲が他動で右九〇度に対し左が六五度、外旋が他動で右四五度に対し左が二五度と重大であり、後遺障害一二級七号の「一下肢の三大関節中の一関節の機能障害」に該当する。また、歯牙の前記一の2(三)の重大な損傷状況は同一四級二号に準じ、うつ病に罹患したことによって、服することのできる仕事が相当程度制限される精神障害は同九級一〇号に該当する。
以上により併合八級となるので、原告の逸失利益は以下のとおりとなる。
四一〇万八四四〇円×〇・四五×一四・五八〇〇(二二年ホフマン係数)=二六九五万五四七四円
(二) 被告らの主張
(1) 左股関節部痛、頸部痛及び腰部痛等について
ア 他覚的所見に欠ける上、労働能力に影響を及ぼすものではない。
イ 後遺症として評価するとしても、左股関節部痛、腰部痛等は、本件事故前からの既往症である左股関節脱臼骨折及びそれに続発する、遊離骨片を残す左変形性股関節症に起因するものであり、本件事故との相当因果関係はない。仮に本件事故との因果関係が肯定されるとしても、それにより損害が拡大したのだから、賠償額の算定に当たっては、民法七二二条二項を類推して素因減額をなすべきである。
(2) 左股関節の運動制限について
ア 前項と同様、既往症に起因するものであり、本件事故との因果関係はない。仮に本件事故との因果関係が肯定されるとしても、賠償額の算定に当たっては、民法七二二条二項を類推して素因減額をなすべきである。
イ 屈伸が他動で右一〇五度に対し左が九〇度で差がわずかであるし、内外転は自動で右四〇度に対し左が三五度、他動で右四〇度に対し左四〇度とほとんど差がなく、等級認定の基準を充足していない。
(3) 歯牙損傷について
ア 本件事故との因果関係はない。
イ 後遺障害一四級二号「三歯以上に対し歯科補綴を加えたもの」に該当するためには、「現実に喪失又は著しく欠損した歯牙に対する補綴」が三歯以上になされる必要があるところ、原告の補綴された歯牙は二本にとどまるのみならず、歯牙の損傷状態も不明確である。したがって、後遺障害等級に該当する後遺症とはいえない。
(4) うつ病について
ア 原告には、脳や中枢神経系に精神障害をもたらすような器質的損傷は全くなく、原告の抑うつ状態は、原告固有の気質や賠償交渉に対する不満、過度の意識等をきっかけとする神経症、心因反応に過ぎず、うつ病とはいえないものである。
イ 原告が、仮にうつ病に罹患しているとしても、労働能力に影響する程度のものではない。
ウ 原告は事故直後の入院当初から医師も精神分裂病を疑うような、通常でない行動が見受けられたことからすると、原告の現在の精神状態は、長期間の治療や症状の遷延化によって生じたものではなく、本件事故との間に因果関係はない。
エ 原告の抑うつ状態は、本来的な心因的素因や賠償に対する強い意識等の心理的要因の寄与により拡大したものであるから、民法七二二条二項の類推による素因減額をすべきである。
オ 原告の精神状態は、心因反応又は神経症に過ぎず、労働能力の喪失状態はない。仮に、労働能力喪失状態を認めるとしても、一四級所定の五パーセントが相当であり、喪失期間も二、三年にとどまる。
(5) 基礎収入及び中間利息控除について
ア 基礎収入は、平成五年分の年収である二九五万二九六五円とすべきである。
イ 原告が、逸失利益に係る損害賠償金について、遅延損害金の起算日を本件事故日としていることに鑑み、本件事故時から労働能力の喪失期間に対応するライプニッツ係数から本件事故時から症状固定時までの年数に対応するライプニッツ係数を控除した係数を用いて本件事故当時の現価を算定すべきである。
6 傷害慰謝料(請求額 四五六万円)
7 後遺症慰謝料(請求額 七七〇万円)
8 弁護士費用(請求額 二八九万円)
9 治療費及び休業損害に係る被告らの過払いと損害へのてん補
(一) 被告らの主張
いすゞ病院及び黒田病院の治療対象となった傷病のうち、左股関節部痛及び腰部痛等については、前記のとおり、本件事故との相当因果関係を否認するが、仮に本件事故との因果関係が肯定されるとしても、右各疼痛等は、本件事故前からの既往症である左股関節脱臼骨折及びそれに続発する、遊離骨片を残す左変形性股関節症にも起因するのであり、賠償額の算定に当たっては、民法七二二条二項を類推して素因減額をなした上で、治療費及び休業損害に係る被告らの合理的な負担額を算定すべきである。被告らは既に前記一の5(一)及び(二)のとおり右各病院の治療費及び薬剤費として合計一六三万八三二〇円、休業損害金として一〇三万五七二〇円をそれぞれ支払っているところ、合理的な負担額を上回る既払額については、原告の他の損害額に対するてん補として控除されるべきである。
(二) 原告の主張
被告らの主張は争う。
第三当裁判所の判断
一 原告の各病院での身体状態と医師らの見方
1 いすゞ病院
乙二、七によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、いすゞ病院において、前示のとおり、頸部捻挫、腰部挫傷と診断され、平成六年一月一七日に通院し、翌一月一八日から二月三日まで(一七日間)入院した。
(二) 頸部痛及び腰部痛の訴えが強く、担当医は、頸部にエックス線写真及びCT(コンピューター断層写真)による検査、腰部にエックス線写真及びMRI(核磁気共鳴画像)による検査を実施したが、問題は認められなかった(乙七の一六三頁)。そして、右担当医は、原告の入院、リハビリの希望に沿う黒田病院を紹介した際、同病院に対する依頼書の中に、原告が、歯損傷があり歯科治療を希望している旨記載したが、その損傷状況についてコメントはなく、右担当医が確認した形跡は認められない。
(三) 同病院看護婦による看護記録の概略書によれば、原告の入院中の生活状況について、原告は左頸部から肩、腰、膝にかけての痛みを訴えており、様子観察中であったものの、食事は常食で主食大盛をとり、ポリネックを装着し歩行にしびれ、痛みがあるが、歩行に支障はなかった様子が認められる。また、同病院看護婦らは、原告は、痛みを訴えるわりには安静を守らず、自己中心的な行動が目立つとし、具体的には、無断外出や外出後帰院時刻の不遵守等があったと指摘する(乙七の一六五頁)。
2 黒田病院
甲三及び乙七によれば、以下の事実が認められる。
(一) いすゞ病院からリハビリ目的で紹介を受けた黒田病院では、前示のとおり、平成六年二月三日から同月一九日まで(一七日間)入院し、同年二月二〇日から平成七年五月三一日まで通院した(同日症状固定。通院実日数三二一日)。その後も、原告は、同年六月二日から一二月一六日まで(通院実日数四七日)及び平成八年三月九日から平成一一年二月三日まで(通院実日数六二日)通院した。
(二) 原告は、入院初期に頸部痛、腰部痛、左胸部痛、左下肢痛、左股関節外側痛、左膝痛等を繰り返し訴えていたが、担当医は、原告が訴えの多い、一般の患者とは異なる特異な、精神分裂病の疑いのある患者であるとの見方を持っていた(乙七の一七〇頁、一七六頁、一七七頁、一八三頁。以下、頁数のみを示したものは、乙七のそれである。)。また、看護記録(一八七頁以下)には、原告は、入院期間中ほぼ連日右各疼痛を訴えていたことが記載されている一方、口腔内の痛みや違和感等については、看護婦に訴えている形跡は全くない。そして、同記録には、頸部から腰背部にかけて疼痛を訴えるわりには多弁で退室すると活気がある旨(二月三日)、湿布を一回一〇枚分要求し、これを断る看護婦になおも強引に要求して鎮痛剤等を何回でも注射するように乱暴かつ開き直った命令口調で要求したり(「俺がイテーといってんだから出しゃいいんだヨ、それがダメならヨ、ソセゴンでもブスコバンでも何回でもどんどん射てよ」との発言の記載がある。)、他の患者にも脅迫的文言を浴びせたりする(隣の患者に「このヤロー生いきな事をいいやがって、うるせいヤローだ・・・ブッ殺すゾ!」との発言の記載がある。)等、自分の意に沿わないことがあると逆上する性格のようである旨、安静臥床せず端座でイラストを描き、ほとんど自室から離れ、電話、たばこのため下に降りている旨(同日四日)、面会人多く喫煙、長電話で徘徊する、窓を開けて長時間の独り言をし、異様である旨(同月五日)、独り言続いている旨(同月六日)、部屋にいない、ほとんど自室におらず、喫煙室にて過ごす、大声で叫んだりやや異様である旨(同月七日)、社会復帰に備え食事を大盛りにしてほしいとの希望があった旨(同月八日)、ほとんど在室しておらず、訪室時不在のことが多い旨(同月一二日)、独り言が著名で落ち着きがない旨(同月一六日)、夜間に寒いのに窓を開けてジャンバーを着ている旨(同月一七日)等の記載があり、複数の看護婦らが、原告を一般患者とは全く違う特異な存在であると見ていたことが認められる(一六五頁)。
なお、入院中の原告の食事は、常食で、原告は、ほとんど食べ残しがないほどの食欲を有していた(二〇九頁から二一一頁)。
(三) 原告は、平成六年二月一六日、脳外科の受診により、特段問題のないことが確認されている(二〇六頁)。
(四) 原告は、平成六年二月一九日に退院後も通院を継続し、前項と同様の痛みを訴えるのに対し、担当医である長谷川医師らは、鎮痛剤等の投薬及びリハビリ治療を繰り返して経過を見ていたものの、一進一退の状況であった。このような中、担当医の一人である森須医師は、同年二月一七日、被告代理人による原告の病状照会に対し、現在症状は改善し、二月二一日に退院予定であり、就労はある程度可能である旨、残存する症状は頸部及び腰部痛であり、治療法として理学療法を実施している旨回答している(乙一の1から3)。また、同年三月八日にも、原告の現在の状態について、仕事が可能であり、軽作業から徐々に開始可能、頸髄の脊髄症状はなく、神経学的な異常はないので、そろそろ症状固定の方向で考える旨の見方をしており(一〇頁)、三月二二日には、原告の現在の症状が頸部捻挫、左股関節打撲によるものと見、今月いっぱいで仕事復帰が可能であると考え、原告も、同月二五日に、同年四月一日から就業したいと森須医師に述べていた(一四頁、一五頁)。
(五) しかし、原告は就労せず、平成六年四月以降も通院を継続し、頸部、上腕得部、左臀部、左腰、左股関節、左下肢等の痛み又はしびれを訴え、投薬とリハビリが繰り返されていたところ、同年六月二五日のエックス線写真の結果、原告の左股関節部に、約二〇年前の脱臼の痕跡、骨折線があり、また、骨頭部付近に遊離骨片が残存することが確認された(三六頁、三七頁の1)。しかし、それによって、原告に対する治療内容は、特段、従前のそれと変わりないものである。
なお、長谷川医師は、この左股関節脱臼とこれによる変形性股関節症が、原告の訴える疼痛、ことに左股関節部痛の要因の一つである旨、また、左股関節の可動域制限がそれによってもたらされている旨証言する(同人の証人調書二六頁、二七頁、一五頁)。
(六) 原告は、平成六年七月一六日、長谷川医師に脊髄造影法(脊髄腔(くも膜下腔)に造影剤を注入し、エックス線撮影を行い脊髄腔内外の病変を知る方法で、頸椎上部から仙椎までを観察する)による検査を希望し(四一頁)、大森赤十字病院心療内科(発症と経過に心理社会学的因子が重要な役割を演じており、診断と治療に当たりその心理的社会的因子に対する配慮が特に必要な病態を示す疾患を対象として診療を行う科)の診察を受けた(同年七月二五日通院、同月二六日から二九日まで入院、乙四の1、2)が、腰椎及び頸椎には異状が認められず、投薬を受けるにとどまった(四三頁、四五頁)。
(七) 原告は、頸部、腰部、左下肢等の痛みやしびれを訴えて、その後も通院を続けたが、リハビリと投薬治療の内容に特に変化はなく、症状は一時的に良好な状態になることはあっても、しばらく後の診察日には再び痛みを訴える等一進一退の状況であった。なお、原告は、平成六年九月二九日及び一〇月六日に、湯河原温泉病院、京橋病院神経科等複数の医療機関での治療を受けるために、担当医の米倉医師に紹介状を作成してもらっている(五九頁、乙八の1の四頁)が、実際には受診していなかった(六二頁)。
なお、米倉医師は、京橋病院神経科への紹介書には、紹介目的として、いすゞ病院及び黒田病院で入院加療してきたものの多様な愁訴が解消しない旨記入しており、少なくとも、同医師は、原告の疼痛等の訴えが医学的には根拠の薄いものであるとの認識を有していたことが認められる。
(八) 長谷川医師は、平成六年一二月一七日、原告の腰椎及び左股関節部のレントゲン写真(七五頁)により、前示(五)と同様、左股関節の遊離骨片の状況を観察し、また、腰椎及び脊柱椎間孔が良好な状態にあることを確認した(七六頁)。そして、仕事をすることはもうしばらくすれば可能であると判断した(七七頁)。
(九) 原告はその後も前示(二)と同様の各疼痛を訴えているが、別件(一)事故(平成七年一月一〇日)による影響については特段症状にほとんど変化は認められない。
平成七年一月三一日、高橋医師は、両股関節可動域が比較的良好であると診断し(八七頁)、長谷川医師は、同年二月二五日、そろそろ症状固定とすることを考えていた(九八頁)。
なお、原告は、平成七年一月二八日に残尿感を訴えたが、尿検査の結果は異状なかった(八六頁)。その後の同年二月四日には、長谷川医師に対し、勃起しても永続しない、残尿感と頻尿、不眠症の症状を訴え(八九頁)、長谷川医師は、同年二月二五日、前立腺症、神経性膀胱の疑いにより腎臓を超音波画像をもって検査したが、異状は認められなかった(九七頁)。
(一〇) 平成七年二月二八日に、原告の両股関節部のレントゲン写真が撮影され、同日の担当医の高橋医師は、両股関節の可動域は比較的良好であり、両股関節の状態に異状はないと診ていた(九九頁、一〇〇頁)。
(一一) 長谷川医師は、平成七年三月一一日、もうしばらくで症状固定と判断していた(一〇四頁)。しかし、三月一五日症状固定としたものの、翌三月一八日には、原告の痛みが強まったと判断してリハビリと湿布を処置した上、症状固定の診断を延期した(一〇五頁、一〇六頁)。長谷川医師らは、原告の頸部痛、左股関節痛、左腰部痛等の訴えに対し、その後もリハビリ及び投薬を継続していたところ、原告は、三月三一日、そろそろ仕事に就く旨述べ(一〇九頁)、長谷川医師は、同年五月一三日以降、原告の症状に変化はないと考え、五月三一日をもって症状固定と診断し、就業も可能であると判断した(甲二、三)。なお、長谷川医師は、治療が長期化した原因には、原告の被害者意識や賠償に対する意識等の身体的な要因以外の要因も多分にあると考えている(証人調書三三頁、三四頁)。
(一二) 原告の後遺症診断の内容は、自覚症状として、頸部痛、腰部痛、長時間歩行による左股関節痛と跛行を呈すること、めまいと下肢のけいれん等がある一方で、他覚所見としては、右症状を裏付ける所見は少なく、軽度の跛行、左握力が右握力に比べてかなり低いこと、左股関節の可動域が右のそれに比べて制約されていること(屈曲進展の他動は右一〇五度に対し左八〇度、自動が右九〇度に対し左六五度、内外旋の他動は右九〇度に対し左四五度、自動は右六〇度に対し左二五度、内外転の他動は左右とも四〇度、自動は左右とも三五度である。)、左下肢短縮(右八三センチに対し左八二センチ。なお、長谷川証人調書一三頁)等の各記載が後遺障害診断書に見られる程度であり、長谷川医師は、右自覚症状の存在を他覚的に十分確認することができなかったことがうかがえる。
(一三) 原告は、その後も、頸部痛、腰痛、臀部痛、左股関節痛等を訴えているが、治療方法は従前と特に変化はない。長谷川医師は、平成七年八月一二日、頸推、腰椎及び左股関節のレントゲン写真撮影により(一三二頁)、頸椎(カルテ上の「BW(胸椎)」の記載は、同部位が撮影対象となっていないことからすると、長谷川医師の記載上の誤りと考えられる。)及び腰椎には異状は認めず、股関節部に遊離骨片が確認したが、脊柱の形は比較的良好であると判断した(一三三頁)。
(一四) 原告は、それまで頻繁に通院していたが、平成七年一一月一日、痛みを訴える一方で、長谷川医師に仕事の研修を受けた旨述べ、その後、一二月一六日の診察日を最後に通院していなかったが、別件(二)事故(平成八年二月二九日)の後である、平成八年三月九日以降通院を再開し、左右股関節部痛、腰部、頸部、左肩等の痛みを訴え、少なくとも同年七月一日まで通院を継続している(一四九頁から一六一頁)、なお、リハビリ目的で福原病院に転院するために長谷川医師に紹介状を書いてもらっている(一六〇頁)。
原告は、四月一三日の診察時に長谷川医師に対し、仕事を開始した旨述べている(一五〇頁)。
3 江田歯科
(一) 原告は、本件事故前から江田歯科に通院していたが、本件事故後、最初に通院したのは平成六年一二月二日である。しかし、当日の診療録の内容を見ると、そこに記載された歯の一般検査の結果は、例えば本件事故前である平成五年一〇月一三日のそれと全く同じである上、具体的な診療行為に係る記載が全くなく、江田医師は、果たして、原告の歯の状況に異状を認めたのかどうか、本件事故によって何らかの歯牙に係る損傷があったとして、最初の診察時にいかなる治療行為を行ったのか、が全く不明である(乙九の2の九頁、一〇頁。以下、頁数を示したものは、乙九の2のそれである。)。
(二) 診療録中、本件事故後第二回目の診察日である平成六年一二月一七日の欄には、「即・・(不明)・・レジー(ダミー部接着)」、「除ク H202sp J」とあり(一〇頁)、後者は、他の診察時にも頻繁に行われている口腔内の消毒と推認され、特記事項としては前者のみとなるが、レジー、ダミー部の接着による治療を要する状態がいつ確認されたのか、最初の診察時に確認されていたとすると、そのような状態であることがなぜ診療録に記載されず、また、その当日治療されなかったのか、が不明である。
(三) 原告の第三回目の診察日は平成七年三月一八日であるが(一二頁)、原告の主張に係る歯の損傷が前示(二)の程度にとどまらないはずであるのに、第二回目の診察時から約三か月もの間、原告が歯科治療を受けなかった理由が不明である。
(四) 第三回目の診察日である平成七年三月一八日には、原告が本件事故によって破損したと主張する「ダミー部破損、ロー着部破折」が確認されているところ(一二頁)、なぜ、本件事故によって生じたという右損傷が三回目の診察時になってようやく発見されるに至ったのか不明である。
(五) 歯科診療録の表紙(一一頁)には、原告が本件事故によって損傷したと主張する部位である、「C3処置歯」、「C4(処置済)」の各記載があるが、そこには、第三回目の診察日である平成七年三月一八日に診療が開始した旨の記載がある。江田医師は、なぜ右各記載に係る損傷歯牙の措置を右第一回目の診察日に行わなかったのか、なぜ右第一回目の診察日ではなくこの日を診療開始日としたのか、が不明である。
4 関東中央病院
(一) 原告は、平成七年四月一四日に黒田病院の米倉医師から紹介された関東中央病院の診察を受けた。その際、同病院の藤村医師に主症状として説明した内容は、横臥すると揺れる感じがすること、セックス時に臀部が加圧されると萎むこと、やや難聴気味で不安感があり、曇りの日には死のうかと考えてしまうことであり、同医師は、うつ状態により自律神経症状が出ているものと診断した(乙八の2の五頁、六頁。以下、頁数を示したものは乙八の2のそれである。なお、一頁は乙八の1である。)。
(二) 平成七年四月一七日、藤村医師に、事故が大きかったから逃げているのかなと思う、仕事もやってみなければいけないが、どうも行く勇気がない、事故さえなければと考えてしまう、などと述べている(八頁)。
(三) 同年四月二四日、この病院に来てからすごく楽になってきた、物忘れがひどい、などと述べている(八頁)。
(四) 同年五月一五日、自分が生まれつきのうつ病か、精神分裂病か、自律神経失調症か、事故さえなければと考える、などと述べ、藤村医師は、いらつきが強く、攻撃的な感じを受けている(九頁)。
(五) 同年六月五日、六月下旬から仕事を始められればと思う旨述べ、藤村医師は、原告に攻撃的な発言がなくなってきたとの印象を受けた(一〇頁)。
(六) 同年六月一九日、今の状態でお金の心配がなければいいのだが、と述べており、藤村医師は、服装面などから、状態が改善していると推測するが、面接の内容には変化が見られないと考えている(一〇頁)。
(七) 六月二九日、仕事に復帰する予定である旨述べ、長谷川医師は、原告が七月一七日の診察時には大分明るくなってきたとの印象を持ったが、八月一四日には、腰痛がひどい、そろそろ会社を辞めようと思う、会社にはまだ行っていない旨述べており、長谷川医師は、やや暗い印象を抱いた(一〇頁、一一頁)。
(八) 九月一一日、痛みが激しくて会社に仕事内容を変えてほしいと言ったら拒否されたので会社を辞めたい、仕事をどうするかで悩んでいる旨述べ、一〇月二日には、不安感が強くなっている、気分は下がっている、目標がなく歩いているような感じである旨述べている(一三頁)。
(九) 一〇月九日、先行き何をしたらよいかと考えてしまう旨、一〇月一六日には、仕事の件で友人に相談している旨述べている(一四頁)。
(一〇) 一一月二〇日、会社を辞め、これからどうしようかと考えてしまう。明るい方向に持っていきたいが、暗くなる、フルタイムは痛みでできず、四、五時間くらいである旨述べている(一五頁)。
(一一) 平成八年二月一九日、原告は別件(二)事故に遭遇したが、この日の診察時に更に暗くなった、偏頭痛が時々ある旨述べている(一六頁)。この診察後、藤村医師は、原告の症状について、身体の痛みと頭痛が続き、薬物依存傾向があるとの印象を持っている(一六頁)。
(一二) 三月四日、担当医の変更を開き、暗くなった、頭痛がひどく、セデスをより多く処方してほしいと強く希望し、事故や仕事、自分のつらさを述べた。これに対し、藤村医師は、薬物依存症になるとして拒否したが、今回限りとして希望どおりの処方をした。藤村医師は、このような原告に対し、話が雄弁であるとの冷めた見方をしており、かつ、人格に依存的な印象があり、人格に問題があると考えている(一七頁)。
(一三) 三月一五日、原告が警察署で窓ガラスを割るなどの乱暴により一一日間身柄を拘束された(一七頁、一八頁)。
(一四) 五月一三日、二七日と診察を受けたが、頭がすっきりしない、気分がめいる、体も不調、事故を思い出すのがこわい、と述べ、六月六日には、黒田病院で、大腿骨の変形がだんだん大きくなっていると聞かされ、また、左半身の不自由さから、将来の仕事等について苦悩している旨述べており、担当医となった高橋医師は、そのような原告について、自分の状態が不変で良くならないことにして苛立ちを感じ、その結果感情的に不安定になっている、一人になるとその傾向はいっそう強まると見ている。
(一五) 六月一八日の診断時は、原告は前向きに物事を考える様子がうかがえていたが、七月二日の診察時には、身体の痛みと将来への不安を訴え、高橋医師は、原告が自身が話をし、気持ちを言葉に表していくことで、自分を納得させ、気持ちを整理しているような感じを受けた。
なお、その後の診察日に係る診療録は、書証として提出されていない。
5 その余の診療機関での原告の身体状況
原告は、前示各病院のほか、溝口病院、東京労災病院、聖マリアンヌ病院に通院した旨主張するが、それらの病院での診療状況等は不明である。
二 原告の症状の検討
1 整形外科の観点から
(一) 治療の必要性及び相当性について
(1) 前示認定事実によれば、原告は、本件事故後、いすゞ病院及び黒田病院の各担当医に頸部痛、腰部痛、左下肢痛、左股関節痛及び左下肢痛等を訴え、頸部捻挫、腰部捻挫、左股関節捻挫と診断されたが、本件事故の態様、被追突車の運転者が受けるであろう衝撃、原告が避難のために開けたドアから右に転落したこと(乙七の一六三頁)からすると、原告に生じた右各傷害と本件事故との間には相当因果関係を認めることができる。
(2) しかしながら、原告は、前示のとおり、左股関節部に脱臼の痕跡、骨折線の存在、骨頭部付近の遊離骨片の残存(以下、まとめて「左変形性股関節症」という。なお、乙六の五頁)があり、それが、原告の疼痛、ことに左股関節痛をもたらす重要な要因となっていること、それゆえ、腰部から左下肢部にかけての疼痛に対しても少なからぬ影響を与えていたと考えられること、そして、前示左変形性股関節症が左股関節の可動域制限をもたらした原因であることからすると、既往症である左変形股関節症が前示の各症状のうち腰部から下半身の症状に対して相当程度寄与していることが認められる。
また、原告に対する担当医師ら及び看護婦らの前示のような診察・観察状況を勘案すると、原告の被害者意識や賠償に対する意識、精神状態等の心理的要因は、一般的な患者が社会通念上有するであろう心理状態とはかけ離れた異質のものといわざるを得ず、それが、原告の症状固定時期を遅らせた(治療期間が長引いた)原因の一つと認められるのである。
(3) したがって、原告に対する整形外科的治療については、右傷害と本件事故と相当因果関係がある以上、その必要性が肯定されるが、前示のとおり、原告の既往症による身体的素因及び心理的要因による心因的素因が存在し、それらが治療に伴う損害を拡大させたと認められるから、公平の観点から、素因減額を行うのが相当であるところ、その割合については、前示の治療経過と担当医師らの所見等を総合的に考慮して、三〇パーセントの減額にとどめるのが相当である。
(4) なお、原告の症状固定日は、前示認定のとおり平成七年五月三一日であるところ、それ以降の原告に対する治療継続の必要性及び相当性を根拠づける具体的な事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) 後遺症について
(1) 原告の主張する後遺症のうち、他覚的に裏付けられるのは、跛行の状況と左股関節の軽度の変形性所見と同関節部の可動域制限等にとどまるが、前示の治療経過等に照らすと、頸部痛、腰部痛及び左股関節痛も後遺症として原告に残存していることを認めることができる。
もっとも、それらの症状が、原告の労働能力の発揮を妨げる程度に至っていることを医学的観点から明確かつ具体的に裏付ける証拠はないのであって、かえって、症状固定後において、かなりの収入を得られる仕事をすることのできる身体状態にあったこと(前示第二の一の4(二)(2))に照らすと、右後遺症が労働能力の発揮を妨げる程度には至っていないと認められるのであって、前示後遺症による逸失利益を算定することは相当ではないというべきである。なお、右疼痛の存在については、後述する慰謝料の算定に当たって斟酌する。
(2) また、左股関節の可動域制限については、前示のとおり、既往症である左変形性股関節症によるもの(本件事故との因果関係が認められない)と考えられる上、可動域制限の状況が、原告の主張する一二級七号(三大関節中の一関節の機能障害であり、健側の四分の三以下に制限された状態であるが、屈曲伸展運動を主要運動として、他の運動を参考運動としてとらえる。)に該当しないのであり、原告の主張には理由がない。
(三) 結論
以上によれば、整形外科に係る治療関係費等の傷害による損害額については、症状固定日である平成七年五月三一日までに発生したものに限って損害と認め、かつ、被告らは、そのうちの七割を負担するのが合理的かつ相当である。また、後遺症損害については、前示疼痛に係る慰謝料(前示既往症の存在等も考慮要素となる。)のみが損害となる。
2 歯科の観点から
(一) 原告には、前示第二の一の2(三)の傷害状態が存し、同3(二)の後遺症が診断されているが、前示認定事実(第三の一3)のほか、原告には、口腔内の歯牙等を損傷する程度の頭部又は顔面部を強打した痕跡が認められないこと、いすゞ病院及び黒田病院での入院中の食事を十分に摂取することができており、かつ、食事に際し、看護婦らにそしゃく等に支障がある等の症状を訴えた形跡が全くないこと等に照らすと、原告の歯牙等の損傷が、本件事故によって発生したとの原告の主張には疑問が残り、本件事故との因果関係を認めるに足りる証拠はない。
(二) 以上によれば、歯科に係る損害は認められない。
3 精神科の観点から
(一) 甲三六、三七、三九及び原告本人の供述のほか、前示の原告の関東中央病院における治療経過や同病院担当医師らの所見等を総合的に検討すると、原告は現在もなお抑うつ状態にあることが認められる。
原告は、自らの抑うつ状態(自律神経失調症)又はうつ病(甲五、二三)が本件事故の治療が長期化したことによって発症した旨主張するのであるが、しかし、本件事故によって原告の脳には器質的な損傷が認められていないにもかかわらず、本件事故後の整形外科での治療開始直後から一般患者とは全く異質な態度、行動を見せており、いすゞ病院及び黒田病院の複数の担当医及び看護婦らは原告が精神異常である又は精神分裂病の疑いのある患者であるととらえていること、それゆえ、原告は他の病院の心療内科や神経科といった精神面の病的症状を対象とする病院での治療の機会を与えられたことからすると、原告の精神異常の症状は、治療が長期化したことによって発症したというよりは、むしろ本件事故直後の整形外科の治療開始当初には既に顕現していたと認めるのが合理的ではないかと考えられるのである。
そもそも、原告の精神的な病的症状が本件事故によるものであるとの主張は、原告に立証責任があるところ、本件事故直後の治療経過からうかがえる原告の通常の一般患者とは異なる態度、行動等は、原告の右主張に対して合理的な疑いを抱かせるに足りるものである上、原告の右主張を積極的に裏付けるための、医学的な見地からの合理的かつ明確な証拠はないのであるから、原告の右主張を認めるには足りないのである。
(二) したがって、原告の精神症状の発症と本件事故との間に相当因果関係を認めるに足りる医学的観点からの合理的かつ説得的な証拠がない以上、原告の精神症状に係る損害についても、これを認めることができないのはやむを得ないものといわなければならない。
三 損害額の算定
1 治療費について
(一) 黒田病院の治療費 認めない
原告の請求に係る右治療費は、症状固定後のそれであり、前示のとおり、認められない。
(二) 関東中央病院の治療費 認めない
前示のとおり、本件事故との因果関係を認めることができない。
(三) 江田歯科の治療費 認めない
前示のとおり、本件事故との因果関係を認めることができない。
(四) 入院雑費 三万〇〇三〇円
前示認定事実によれば、入院実日数は、いすゞ病院の一七日、黒田病院の一七日(うち一日が重複する)であり、日額一三〇〇円をもって、相当と認める。
そして、前示のとおり、そのうちの七割が被告らの負担すべき金額となる。
一三〇〇円×三三日×〇・七=三万〇〇三〇円
(五) 通院交通費
(1) いすゞ病院分 一〇五〇円
当事者間に争いがない。
(2) 黒田病院分 一五万二七九六円
原告は、タクシー利用分も含めた請求をするが、タクシーを利用しなければならない身体状態であったことを裏付ける証拠は全くない。
前示認定事実及び弁論の全趣旨によれば、往復の公共交通機関の利用料金は六八〇円(三四〇円×二)、黒田病院の症状固定日までの通院実日数は三二一日である(別件(一)事故による黒田病院への通院期間と重なるが、重複部分があるのかは不明である。)が、前示のとおり、それによって算定される金額の七割が被告らの負担額となる。
六八〇円×三二一日×〇・七=一五万二七九六円
(3) 江田歯科分 認めない
前示のとおり、本件事故との間に相当因果関係は認められない。
(4) さくら調剤薬局分 認めない
通院するために支出した日、利用区間等の明細について、明らかでない。
(5) 溝口病院分 認めない
通院した事実が不明であるのみならず、通院の必要性も明らかでない。
(6) 東京労災病院分 三二四〇円
労災認定のために必要な出費であり、金額も不合理なものではない。
(7) 聖マリアンヌ病院分 認めない
原告の主張するインポテンツの症状と本件事故との相当因果関係を認めるに足りる証拠がない。
(六) 休業損害 九八万八八六二円
前示認定事実によれば、原告は、本件事故によって、本件事故日である平成六年一月一七日から症状固定日である平成七年五月三一日までの四七〇日にわたって休業を要する状態であったと認められる(症状固定時まで診察した長谷川医師の判断を合理的なものと認める。)。
基礎日額である一万一二五八円(甲六。一〇三万五七四五円÷九二=一万一二五八円)に四七〇を乗じて算定された金額(五二九万一二六〇円)の七割(三七〇万三八八二円)が被告らの負担すべき休業損害であり、かつ、それから損害のてん補性を有する休業補償給付金(二七一万五〇二〇円)を控除した金額が最終的に被告らが負担すべき休業損害である。
一万一二五八円×四七〇×〇・七-二七一万五〇二〇円=九八万八八六二円
(七) 逸失利益 認めない
前示のとおりである。
(八) 傷害慰謝料 二〇〇万円
原告の負傷内容や程度、治療期間や就業が妨げられた事情等を考慮すると、前示認定に係る既往症や心因的要因による治療期間の長期化の点を勘案したとしても、なお、原告の精神的苦痛を慰謝するためには、右金額が相当である。
(九) 後遺症慰謝料 一〇〇万円
前示のとおり、原告の身体に残存した各部位の疼痛やしびれが、原告の労働能力を喪失させる程度のものであるとまで認めるに足りる証拠はないものの、原告の日常生活や社会復帰を躊躇させ、将来への不安を抱かせる要因ともなっている点を慰謝料で勘案し、他方、前示のとおり、既往症の影響等も斟酌し、後遺症慰謝料として右金額を相当と認める。
(一〇) 小計 四一七万五九七八円
(一一) 控除すべき金額 一九五万七四三四円
(1) 治療費負担分 一一六万〇五七六円
前示認定に係る症状固定日(平成七年五月三一日)までの整形外科に係る治療費は、前示第二の一の5(一)の被告ら負担分(一六三万八三二〇円)と療養補償給付分(二二三万〇二六四円)の合計である三八六万八五八四円であるところ、このうちの七割(二七〇万八〇〇八円)が被告らの負担すべき治療費であり、かつ、それから損害のてん補性を有する右給付金を控除した残額(四七万七七四四円)が最終的に被告らが負担すべき治療費であるが、既に、被告らは、右金額を支払っており、それとの差額(一一六万〇五七六円)が、既払金として控除すべき金額となる。
(2) 休業損害負担分 四万六八五八円
被告らが最終的に負担すべき休業損害金(九八万八八六二円)と被告らが既に支払っている一〇三万五七二〇円との差額(四万六八五八円)は、既払金として控除すべき金額となる。
(3) 自賠責保険金受領額(甲二四) 七五万円
(一二) 控除後の金額 二二一万八五四四円
(一三) 弁護士費用 三〇万円
本件事故による訴訟のための弁護士費用のうち、被告らの負担すべき金額は、右金額をもって相当と認める。
(一四) 合計 二五一万八五四四円
四 結論
よって、原告の請求は、被告らに対し、連帯して、金二五一万八五四四円及びこれに対する平成六年一月一六日(本件事故日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(なお、被告らからの仮執行の免脱宣言の申立ては認めない。)。
(裁判官 渡邉和義)