大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(ワ)3692号 判決 1997年10月03日

原告

北代美枝子

右訴訟代理人弁護士

近藤節男

園高明

被告

春日節子

右訴訟代理人弁護士

須藤耕二

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

二  被告は、原告に対し、平成七年一一月一七日から右建物明渡済みまで一か月金四〇万円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、亡父の近藤龍一(以下「龍一」という。)から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の共有持分を相続により取得して完全な所有権者となった原告が、本件建物に龍一と同居していた被告に対し、その明渡を求めた事案である。

争点は、次のとおりである。

1  龍一と被告とは内縁関係にあったか。

2  龍一と被告との間に黙示の使用貸借契約が成立していたか。

3  原告が被告に対し本件建物の明渡を求めることは、権利の濫用に当たるか。

二  前提事実(当事者間に争いがない事実及び掲記の証拠により認められる事実)

1  原告は、龍一とその妻千代との間の実子であり、龍一は、平成七年一一月一六日死亡した。

2  本件建物は、未登記であり、龍一と千代との各二分の一の共有であったが、千代が昭和五〇年八月二三日死亡したことから、原告がその共有持分を相続しており、龍一の死亡により、原告が残りの二分の一の持分を相続により取得した(甲一、一〇、弁論の全趣旨、なお、本件建物が原告の所有であることは当事者間に争いがない。)。

3  被告は、本件建物に昭和五二年ころから龍一が死亡するまで共に居住してきており、龍一の死亡後の平成七年一一月一七日以降単独で本件建物に居住し、占有している。

三  被告の主張

1  被告と龍一との内縁関係の存在

被告は、昭和四九年一月ころ、函館市に住んでいたが、被告の父春日松五郎が龍一と知人関係にあったことから龍一と知り合い、そのころ親しい関係となった。龍一は、当時、妻の千代と本件建物に居住していたが、千代が昭和五〇年八月二三日に死亡したため、その後は単独で本件建物に居住していた。

被告は、同年一月ころには、龍一の要望により上京していたが、昭和五二年の初めころ、龍一の強い要請により本件建物に転居して龍一と同居し、以後一八年にわたって夫婦同様の生活をするようになった。

被告は、昭和六〇年に龍一の子供を懐胎したが、龍一から懇願されて出産を断念した。

被告は、龍一の生前は、生活費として月々二〇万円ないし三〇万円の現金を手渡されるに過ぎなかった。

龍一は、生前、被告に対し感謝するとともに、償いについて述べたことがあったが、具体化しなかった。ただ、被告のことは、原告に任せてあるから心配しなくていいと述べていた。

2  被告の居住権

(一) 被告と龍一は、平成七年五月ころ、函館に一軒家の建物を購入して転居する計画をしたことがあったが、同年六月ころ、諸般の事情で断念した。そのとき以降、龍一と被告は、本件建物に居住していくことにしたものであり、したがって、龍一と被告との間で、遅くとも平成七年六月には黙示の使用貸借の合意が成立した。

右の使用貸借の内容は、次のとおりであり、この使用借権は、内縁の夫の相続人である原告に対抗しうるものである。

(1) 夫婦生活の本拠となった家屋を被告に無償で使用収益させること。

(2) 内縁の夫の死亡(内縁の妻の生存中に内縁の夫が死亡した場合を含む。)を停止条件とする。

(3) 内縁の妻の死亡を終期(返還時期)とする。

(二) この権利は、家族法的な夫婦間における同居、協力、扶助の権利義務に基礎づけられる修正された特殊な使用貸借権であり、その限りで財産法の使用貸借の規定が修正又は排除されるものである。

3  権利濫用

前記のとおり、被告は、龍一との間で、昭和五二年初めころから龍一が死亡するまで、一八年間にわたり内縁関係を継続し、本件建物に居住してきた。

原告は、被告と龍一との関係を知りながら特に異を唱えることなく、これを公認してきた。

原告は、肩書住所地に居住しており、本件建物に居住すべき差し迫った必要性はないのに対し、被告は、本件建物に居住するしかない。

このような状況の中で、原告が被告に本件建物の明渡を求めることは、権利の濫用に当たり、許されない。

4  被告の取得した金員について

被告は、平成七年中に約二〇〇〇万円の金員を取得したことは認めるが、これらは、被告の生活費、龍一の入通院時の費用、函館にマンションを購入した(ただし、これは原告により既に売却されてしまっている。)ときの不動産取得税納付等で支出してしまい、現在では、今後の生活費のわずかな蓄えとして残っているに過ぎない。

四  原告の主張

1  被告と龍一との関係に関する原告の主張事実は否認ないし不知。

被告と龍一とは、内縁関係になかった。

2  被告の居住権に関する主張は否認する。龍一には、被告のための遺言もなく、贈与書面もない。また、被告と龍一との間に使用貸借の合意が存在したことを窺わせる資料は何ら存在しない。むしろ、被告は、函館にマンションを購入し、同所で生活することを考えていた。

3  本件建物は、龍一の生存中は、龍一と原告との共有であり、本件建物の敷地は、当初から原告の単独所有である。原告との共有である本件建物を龍一が原告に無断で被告と使用貸借の合意をすることは考えられない。

4  被告は、龍一から、平成七年中に一一七四万九〇〇〇円の金員を取得し、その他同年中だけでも二〇〇〇万円をもらっており、龍一は、被告に対し、十分なことをしてあったものである。

第三  当裁判所の判断

一  龍一と被告との関係について

1  乙一ないし三(各枝番を含む。以下同じ。)、四、五、安田隆の証言、被告本人及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する甲一〇の記載部分及び原告本人の供述部分は、右各証拠に照らして採用できない。

(一) 被告は、函館市に住んでいたが、昭和四三年の十勝沖地震の直後、被告の父の春日松五郎の旧来の友人であった龍一が、函館市を見舞いに来たことから同人と知り合い、その後、龍一が何回か函館に来て会ううち、昭和四九年ころ親密な関係になった。

(二) 被告は、昭和五〇年一月ころ龍一の勧めで上京し、実弟と一緒に住み、龍一の紹介で就職していたが、龍一の妻の千代が同年八月二三日に死亡したため、龍一が本件建物に一人で住まなければならなくなり、昭和五二年の初めころ、身の回りの世話をして欲しいとの龍一の強い要請により、本件建物に転居して龍一と同居し、夫婦同様の生活をするようになった。

(三) 龍一は、他人には、被告のことを姪と説明していたが、夫婦同様の関係であることを知っている者も多く、昭和五四年末には、数組の知り合いの夫婦とハワイに旅行したり、結婚式の披露宴に主賓として共に招待されたりしたこともあった。

(四) 被告は、昭和六〇年に龍一の子供を懐胎したが、龍一から懇願されて出産を断念しようとしているうち、流産した。

(五) 被告は、昭和五七年に職を辞し、以後、主婦業に専念しており、龍一は、平成元年に胃の一部を切除したほか、腸閉塞の手術を二回するなど、入退院を繰り返していたが、その都度被告が付き添って看護していた。

2  右認定事実によれば、龍一と被告とは、昭和五二年に本件建物で同居を始めて以降龍一が死亡するまでの約一八年間、事実上夫婦と同様の関係すなわち内縁関係にあったものと認めることができる。

3  この点、原告は、被告が単なるお手伝いさんであったと主張するが、右認定事実に照らして、到底採用できない。かえって、原告も、龍一と被告とが内縁関係にあることを知っていたと認められる。すなわち、前認定の事実及び証拠(甲一〇、乙一、四、原告、被告各本人)によれば、原告は、被告が龍一の知人の娘であること、龍一と昭和五二年から同居して一緒に生活をし、龍一の身の回りの世話をしており、龍一とともに他の夫婦と一緒にハワイへ旅行にも行ったことなどを知っており、また、宛名に龍一と被告とを同列に併記した年賀状を出すなどして親しく交際をしていたことが認められるのであり、これらの事実からすると、原告は、龍一と被告が内縁関係にあったことを認識していたものというべきである。右認定に反する甲一〇の記載部分及び原告本人の供述部分は右認定事実に照らして到底採用できない。

4  また、証拠(甲一〇、安田証言、原告本人)によれば、樋口恵子もまた龍一の秘書的役割を果たしており、同人の看病等も行い、親しい関係にあったことも窺われるが、このことは、被告と龍一が内縁関係にあったことを認定するのに妨げとなるものではない。

二  龍一と被告との間の使用貸借の存否について

1  被告本人及び弁論の全趣旨によれば、龍一と被告は、老後は函館で暮らそうという話をしており、平成七年になってから、住宅を探したこともあったが、龍一の仕事の整理ができなかったことや値段の点で折り合いがつかなかったことから、同年六月ころ断念したことが認められる。

2  被告は、遅くともこの函館に住宅を購入することを断念した時点で、本件建物における居住を継続することになり、龍一と被告との間に黙示の使用貸借契約が締結されたと主張する。

しかしながら、同年六月の時点においては、本件建物の敷地は原告の所有であり(甲二)、また、前提事実記載のとおり、本件建物は、原告と龍一の各二分の一の持分による共有であったのであり、右時点において、他の共有者である原告の承諾ないし協議を経ていない(弁論の全趣旨)という状況の下で、単に、函館における住宅の購入を断念し、本件建物への居住を継続したことのみから、龍一が被告に本件建物について黙示の使用貸借関係を設定したと見るには無理があるといわざるを得ない。この点、後記三で認定判断するとおり、龍一が被告に感謝し、自分の死後の被告の身の振り方を心配していたことが窺われるが、これについては、本件建物への居住、代替家屋の提供等も含め、原告に任せていたと考えられ、確定的に、本件建物について、被告のために、使用貸借関係を設定したと見ることはできないものというべきである。

したがって、被告のこの点に関する主張は採用できない。

三  権利の濫用について

1  本件建物が原告の所有であることは、当事者間に争いがない。

そこで、原告の被告に対する本件建物明渡請求が権利の濫用に当たるかどうか判断する。

2  前認定の事実及び証拠(甲三ないし八、一〇、乙一ないし四、六ないし九、原告、被告各本人、弁論の全趣旨)によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する甲一〇の記載部分、原告本人の供述部分は、いずれも採用できない。

(一) 被告は、昭和五二年から約一八年間龍一と本件建物に居住し、実質的な夫婦生活を営み、龍一の世話をし、龍一が胃潰瘍、腸閉塞等による度重なる入院の際にも病院に通い、泊まり込みをするなどして付き添い看護をしてきた。原告は、この間、龍一の世話は被告にほとんど任せきりであった。

(二) 原告は、被告が龍一と内縁関係にあることを知りながら、特にこれに異を唱えたり、苦情を述べたりすることなく、被告と交際を続けており、龍一が死亡するまでは良好な関係であった。

(三) 龍一は、自分の死後の被告の身の振り方につき、遺言を残したり、贈与書面を残すなどの特段の措置を講じていない。しかしながら、龍一は、生前、被告に対し、度々感謝の言葉をかけており、正式に籍を入れないことについても心苦しく思っており、「おまえに大変なことをしてしまいました、どうやって償ったらいいですか。」、「籍でも入れてあげれば良いのだが。」などと述べており、また、自分の死後の被告のことは原告に任せてあるから心配しなくてよい旨を被告に何度も言っていた。

(四) 平成七年春ころ、被告は、原告から、これからの生活場所をどこにしたいかを尋ねられ、最終居住地は函館にしたい旨答えたところ、原告から函館のマンションを購入して渡すとの話があったため、被告の姉の野口雅子に依頼して物件を探してもらい、同年八月一〇日、函館市本町九一番地五所在のライオンズマンション五稜郭の一室(以下「本件マンション」という。)を代金二〇五〇万円で購入する旨の契約を龍一名義で締結した。このことは、野口雅子から原告に報告され、原告も了承していた。その後、本件マンションについて、同月二五日代金の支払と同時に龍一名義で所有権移転登記が経由されたが、その代金は、被告が龍一の銀行口座から送金して支払った。これらのことは、当時龍一が病弱だったので、同人には詳しい話をせずに、原告の了解の下に行われた。また、不動産取得税については、龍一の死後、被告が龍一からもらっていた金員の中から支払った。

(五) 被告は、原告に対し、龍一の死後、本件マンションの名義を被告にすることを度々要望したが、直ぐにはできないと言われ、延び延びとなっているうち、原告から本件マンションに関する領収証等の関係書類及び鍵を渡すように言われてこれらを引き渡した。その後、被告は、本件マンションに居住するため、家具を送るなどしていたが、原告が名義の変更に応じてくれないことなどから不安になり、家具を引き上げて本件マンションに居住することを断念した。その後、本件マンションは、原告により売却された。

(六) 被告は、平成七年四月ころ、龍一が東京博善株式会社から顧問料として受け取った額面一一七四万九〇〇〇円の小切手を被告名義の預金口座に入金したほか、同年八月から一一月にかけて、前記本件マンションの代金の支払のための二〇〇〇万円を除き、合計一〇〇〇万円を龍一名義の預金口座から払い戻している(これらの事実は当事者間に争いがない。)。また、被告は、平成七年中に、二〇〇〇万円を龍一からもらった旨を原告の叔母に述べていた。

(七) 原告は、その後、被告に対し、本件建物の明渡を求め、一五〇万円を引越の費用として交付したが、代替住居の提供又はこれに代わるべき金員の提供をしていない。被告は、現在本件建物に居住しているが、本件建物以外に居住すべき住居を有していない。

(八) 原告は、肩書住所地に居住し、貸家、貸アパートの経営、駐車場の経営等を業とする桜商事株式会社の取締役となって同会社を経営しており、龍一から、本件建物の持分のほか、本件マンション、新宿区戸山町所在の宅地、東久留米市氷川台所在の土地、函館郊外の土地、預金、株式などを相続している。

3 以上の事実によれば、龍一は、被告を正式に戸籍上の妻とすることなく、約一八年間にわたって内縁関係を継続してきたものであり、そのことについて、被告に感謝するとともに、謝罪をしたい、償いをしたいとの気持ちでいたことが窺われるのであり、自分の死後の被告の身の振り方について、遺言を作成するなどの特段の措置を講じてはいないものの、原告に任せてしかるべく配慮されることを期待していたものと考えられ、龍一が、自分の死後に、代替住居の提供等もされずに本件建物から被告が退去しなければならない事態の生じることを想定していたとは、到底考えられない。原告からの話で始まった本件マンションの手配も、原告は否定するが、当時、原告も、龍一の意向を踏まえ、同人死亡後の被告の住居の確保を考えたのではないかと推測されるのである。そして、本件マンションが原告により売却されてしまった現在、被告は本件建物以外に住むべき住居を有しておらず、他方、原告は、自己の住居を有するとともに、龍一から不動産、有価証券、預金などを相続している。これらの事情、その他、前認定の事実を総合考慮すると、代替住居やこれに代わる金員の提供をしないまま、原告が、現段階で、被告に対し、龍一が死亡し自己が本件建物の完全な所有権者になったことを理由に同建物からの退去とその明渡を求めることは、権利の濫用に当たり、許されないものというべきである。

4  なお、原告は、被告が龍一から、平成七年中だけでも三〇〇〇万円を超える金員を取得しており、十分な手当をしてもらっており、龍一も被告について「あれは済んでいる。」と言っていたと主張し、その旨陳述(甲一〇)ないし供述する。しかしながら、被告の自認する前記1、(六)記載の合計一一七四万九〇〇〇円の金員と被告が原告の叔母に話していたという二〇〇〇万円との関係が明らかではなく、被告本人及び弁論の全趣旨によれば、一一七四万九〇〇〇円は右二〇〇〇万円の中に含まれるものと考えられ、さらに、右二〇〇〇万円は、生活費や、龍一の入通院の費用、本件マンション取得の際の不動産取得税の納付等に費やされていることが認められるから、これらの金員の取得が、被告の本件建物への居住の代償として評価できるものではないというべきであり、また、龍一が被告について「あれは済んでいる。」と言っていたとの原告の供述も、済んでいるというその内容が明らかではなく、原告もこれを龍一に聞くなどの確認をしておらず、単に推測を述べているに過ぎないと認められるから、前認定の事実に照らすと、右供述自体に信をおくことはできない。

5  したがって、原告の被告に対する本件建物の明渡請求が権利の濫用に当たるとの被告の主張は、理由がある。

第四  結論

よって、原告の本訴請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官山﨑恒)

別紙物件目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例