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東京地方裁判所 平成8年(ワ)8669号 判決 1998年11月16日

原告

甲野春子

右法定代理人親権者父

甲野太郎

同母

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

金森仁

被告

江東区

右代表者区長

室橋昭

右指定代理人

河合由紀男

外四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二九七二万六九六一円及びこれに対する平成八年一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が実施した健康診査において、原告の左肢先天性股関接脱臼の疾患を看過し、それにより原告に後遺症が残ったなどとして、原告が、被告に対し、国家賠償法に基づき損害賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実等

以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠上明らかに認められる。

1  原告は、平成元年一二月三一日、東京都千代田区内の三井記念病院で出生した。

2  原告は、三井記念病院において、出生時、出生後三日目、五日目、一か月後の四回にわたり、健康診査を受けたが、股関節に異常は見受けられなかった。

3  被告は、深川保健所を含む二つの保健所を設置しているが(乙五)、母子保健法一三条の規定による乳児に対する健康診査の実施等の事務を被告保健所長委任規則一条八号オにより保健所長に委任している(乙六)。深川保健所長は、これに基づいて乳児三、四か月健康診査、同六か月健康診査及び同九か月健康診査の三つの健康診査を実施している。ただし、乳児六か月健康診査及び同九か月健康診査については、被告が実施主体となって保健所以外の医療機関である社団法人東京都医師会に委託して行っている(乙二の一、二、一〇、一二)。

4  原告は、平成二年四月二四日、深川保健所において鈴木良三医師(以下「鈴木医師」という。)による乳児三、四か月健康診査(以下「本件三、四か月健康診査」という。)を受けた(乙一の一)。

5  原告は、同年七月一一日、実施医療機関である江東区内の枝川診療所において篠原隆医師(以下「篠原医師」という。)による乳児六か月健康診査(以下「本件六か月健康診査」という。)を受けた(甲二、三の一、乙三)。

6  原告は、同年一〇月四日、実施医療機関である江東区内の浅川医院において浅川佳佑医師(以下「浅川医師」という。)による乳児九か月健康診査(以下「本件九か月健康診査」という。)を受けた(甲三の二、乙四)。

7  原告は、平成三年一月一四日、三井記念病院において、一歳健康診査を受け、左肢先天性股関節脱臼の疾患を有していることが明らかになった(乙一六ないし一八)。

二  争点

1  本件三、四か月健康診査における過失の有無

(原告の主張)

(一) 被告は、母子保健法令に基づき東京都が定めた「乳児健康診査保健指導の手引」(乙一三。以下単に「東京都の定めた手引き」という。)や「乳児(3・4か月児)健康診査の手引き」(乙一四。以下単に「3・4か月児の手引き」という。)により、又は厚生省事務次官通知「妊婦健康診査及び乳児健康診査の委託について」(乙一〇。以下単に「事務次官通知」という。)の定めた基本理念に照らし、乳児三、四か月健康診査においては、開排制限の有無の検査(仰臥位にして股、膝関節九〇度屈曲位で股関節を外転し、開排の状態を見るが、七五度以下にしか開かない場合、左右差のある場合、先天性股関節脱臼を疑い、その際、脚長差、クリック、しわの左右差も参考にするという方法によって行うもの)のみならず、クリック・テスト(股関節を約九〇度屈曲し、大腿を長軸方向に押しながら、内転させたり(脱臼操作)、大転子に当てた中指に力を入れながら外転させたり(整復操作)する際感ぜられるクリッという脱臼感、整復感を感知するもの)についても実施すべきものとされているが、鈴木医師は、本件三、四か月健康診査において、開排制限の有無の検査やクリック・テストを行わなかった。

(二) 本件三、四か月健康診査時には、原告の左股関節脱臼は完全に形成されており、本件三、四か月健康診査において、鈴木医師が開排制限の有無の検査又はクリック・テストを適切に実施していれば、先天性股関節脱臼を容易に発見することができた。

(被告の主張)

(一) 深川保健所長は、母子保健法令や3・4か月児の手引き等に基づき、乳児三、四か月健康診査において、開排制限の有無の検査を実施すべきこととされているが、同健康診査において、クリック・テストまで実施すべきものとはされておらず、鈴木医師は、本件三、四か月健康診査において、原告に対して開排制限の有無の検査を適切に実施した。

(二) 原告の股関節は、出生時からずっと脱臼準備状態のままであって、出生後一〇か月から一歳時ころの間に初めて脱臼したのであるから、右健康診査時これを発見することはできないものであった。仮に、右健康診査時に、既に原告の股関節が脱臼していたとしても、開排制限の有無の検査はもちろんのこと、クリック・テストによってもすべての股関節脱臼を発見できるものではないから、鈴木医師に過失はない。

2  本件六か月健康診査における過失の有無

(原告の主張)

(一) 被告は、東京都の定めた手引きにより、又は事務次官通知の定めた基本理念に照らし、乳児六か月健康診査においては、開排制限の有無の検査のみならず、クリック・テストについても実施すべきものとされているが、篠原医師は、本件六か月健康診査において、形だけ脚に触れた程度でごく簡単に漫然と開排制限の有無の検査を行ったが、クリック・テストは行わなかった。

(二) 本件三、四か月健康診査時には、原告の左股関節脱臼は完全に形成されていたので、本件六か月健康診査の際には、当然、左股関節脱臼は既に形成されていたのであるから、本件六か月健康診査において、篠原医師が開排制限の有無の検査を適切に行い、クリック・テストを実施していれば、先天性股関節脱臼を容易に発見することができた。

(被告の主張)

(一) 被告は、乳児六か月健康診査において、「乳児健康診査(医療機関委託)実施要綱」(乙二の二。以下「委託実施要綱」という。)により、開排制限の有無の検査を実施すべきものとしているが、クリック・テストまで実施すべきものとはしておらず、篠原医師は、本件六か月健康診査において、原告に対して開排制限の有無の検査を的確に実施した。

(二) 原告の股関節は、出生時からずっと脱臼準備状態のままであって、出生後一〇か月から一歳時ころの間に初めて脱臼したのであるから、右健康診査当時これを発見することはできないものであった。仮に、右健康診査時に、既に原告の股関節が脱臼していたとしても、開排制限の有無の検査はもちろんのこと、クリック・テストによってもすべての股関節脱臼を発見できるものではないから、篠原医師に過失はない。

3  本件九か月健康診査における過失の有無

(原告の主張)

(一) 被告は、東京都の定めた手引きにより、又は事務次官通知の定めた基本理念に照らし、乳児九か月健康診査においては、開排制限の有無の検査及びクリック・テストを実施すべきものとされているが、浅川医師は、本件九か月健康診査において、浅川医師による開排制限の有無の検査やクリック・テストを行わなかった。

(二) 本件三、四か月健康診査時には、原告の左股関節脱臼は完全に形成されていたので、本件九か月健康診査の際には、当然、左股関節脱臼は既に形成されていたのであるから、本件九か月健康診査において、浅川医師が、開排制限の有無の検査又はクリック・テストを実施していれば、先天性股関節脱臼は容易に発見することができた。

(被告の主張)

(一) 被告は、乳児九か月健康診査においては、クリック・テストはもちろんのこと、開排制限の有無の検査を実施すべきものとはしていないが、浅川医師は、本件九か月健康診査において、原告に対して、診察項目にはなっていない開排制限の有無の検査を適切に実施した。

(二) 原告の股関節は、出生時からずっと脱臼準備状態のままであって、出生後一〇か月から一歳時ころの間に初めて脱臼したのであるから、右健康診査時これを発見することはできないものであった。仮に、右健康診査時に、既に原告の股関節が脱臼していたとしても、開排制限の有無の検査はもちろんのこと、クリック・テストによってもすべての股関節脱臼を発見できるものでないから、浅川医師に過失はない。

4  損害額

(原告の主張)

原告は、平成三年一月から平成四年一二月にかけて、三井記念病院において左足を固定するなどの治療や手術を受け、さらに平成五年一〇月から一二月にかけて医療法人社団同樹会結城病院において手術等を受け、平成六年九月から松戸市立病院で治療、リハビリ等を続けている。

しかし、原告は、現在、左股関節臼蓋形成不全、同関節拘縮の障害が残存しており、平成八年一月一七日に症状が固定したが、右障害は、後遺障害第一〇級に相当し(下肢の三大関節中の一関節に著しい障害を残す。)、また、原告は、右手術等によって左下肢が右下肢より1.5センチメートル延長しており、これは後遺障害第一三級に相当し、併合により後遺障害第九級となる。

したがって、原告の被った損害は次のとおりである。

(一) 治療費

計一二七万四三八三円

(1) 三井記念病院 八万二〇八〇円

(2) 結城病院 一〇一万六三〇〇円

(3) 松戸市立病院

一七万六〇〇三円

(二) 交通費

計一九万四〇〇〇円

(1) 三井記念病院 八万八〇〇〇円

(2) 結城病院 一万円

(3) 松戸市立病院 九万六〇〇〇円

(三) 通院付添費

計七一万四〇〇〇円

(四) 入院雑費

計一五万四七〇〇円

(五) 将来の治療費及び交通費

計三〇〇万円

(六) 後遺症による逸失利益

計一一四八万八二五八円

(七) 入院及び通院慰謝料

計三〇〇万円

(八) 後遺症に対する慰謝料

計八〇〇万円

(九) 弁護士費用 計三〇〇万円

(一〇) (一)ないし(九)の合計二九七二万六九六一円

第三  争点に対する判断

一 争点1(本件三、四か月健康診査)について

1  開排制限の有無の検査について

深川保健所長が乳児三、四か月健康診査において、開排制限の有無の検査を実施すべきこととされていたことは当事者間に争いがないので、原告の本件三、四か月健康診査を担当した鈴木医師が開排制限の有無の検査を行ったかどうかについて判断するに、証拠(甲二、乙一の一、二六、二九、三一ないし三三、証人三好)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告の母である甲野花子(以下「花子」といい、原告と共に「原告ら」という。)は、原告を伴い、本件三、四か月健康診査を受けたが、その際、まず予診室において、母の妊娠分娩歴等について質問を受けた。次に、原告らは、一旦廊下に出た後、予診室の隣にある第一診察室に入り、そこで看護婦が原告の身長及び体重を測定し、その数値を事務職員が、母子健康手帳(甲二)及び母子カルテ(乙一の一)に記載した。

本件三、四か月健康診査当時、深川保健所においては、身長及び体重の測定は行っていたものの、頭囲及び胸囲の測定は行っていなかった。

(二) 第一診察室での測定が終わると、原告らは、廊下には出ずに後部のドアを通って、第二診察室へ移動し、そこで、原告は、鈴木医師による診察を受けた。

診察終了後、鈴木医師は、原告の母子カルテ(乙一の一)の現症及び指示指導の欄に診察結果を記入し、最後に自分の氏名のゴム印を指示指導の欄に押したが、右現症の欄の開排制限については、「−」(マイナス)に丸印を付し、指示指導の欄には「特になし」に丸印を付した。

なお、母子健康手帳(甲二)の二三頁の股関節開排制限のところに何らの記載もされていないが、深川保健所においては、本件三、四か月健康診査当時、何ら異常がない場合は母子健康手帳には何も記入しないのが通常であった。

(三) 診察終了後、原告らは、一旦廊下に出た上で、第二診察室の隣にある第三診察室に入り、原告は、ツベルクリン反応注射を受けた。

右認定事実及び証拠(乙二六、証人三好)によれば、鈴木医師は、原告に対し、開排制限の有無について適切な検査を行ったことが認められる。

この点、花子は、陳述書(甲四)及び本人尋問において、本件三、四か月健康診査の際、原告は、医師の診察は受けておらず、開排制限の有無についての検査は行われなかったと供述する。

しかし、花子は、原告は、本件三、四か月健康診査において、頭囲の測定もされたと供述するが、右認定のとおり当時は頭囲の測定は行われておらず、このことは本件三、四か月健康診査当日に健康診査を受けた乳児全員の母子カルテ(乙一の一、三一の一ないし一〇、三三の一ないし一二)に頭囲の測定値が記載されていないこと、原告らの母子健康手帳(甲二)には頭囲の測定値が記載されているが、体重及び身長と異なり、頭囲の測定値だけが鉛筆書きで書かれていることから裏付けられるものである。また、花子は、第一診察室の隣がツベルクリン注射を行う部屋であり、医師の診察は受けなかったと供述するが、証拠(乙二九、証人三好)によれば、本件三、四か月健康診査当時、各診察室等の位置は、右認定のとおり第一診察室の隣には第二診察室があり、その隣にツベルクリン反応注射を行う第三診察室があったことが認められる。

右のとおり、花子の供述には、その重要な部分に客観的な状況と合致しない点があること、及び前記各証拠に照らすと、花子の開排制限の有無の検査を受けなかったとの供述は措信することができない。

なお、原告は、原告の母子カルテ(乙一の一)の鈴木医師の記載は不正確である旨種々主張するが、右認定のとおり、鈴木医師は、原告の母子カルテの開排制限の「−」(マイナス)部分及び指示指導欄の「特になし」部分に丸印を付して、原告の股関節の開排制限に関する診察結果を明らかにしているのであるから、現症の欄の一部に異常の有無の記載がないこと等の原告の主張事実をもって、直ちに原告の右開排制限に関する鈴木医師の記載が不正確であるということはできず、原告の右主張は採用することができない。

2  クリック・テストについて

原告は、母子保健法令に基づき東京都が定めた手引き(乙一三、一四)により、又は事務次官通知の定めた基本理念に照らし、被告(深川保健所)は、乳児三、四か月健康診査において、クリック・テストを実施すべきものとされている旨主張する。

しかし、母子保健法一三条は、市町村は、必要に応じ、乳児等に対し、健康診査を行い、又は健康診査を受けることを勧奨しなければならないと定め、乳児に対する健康診査の時期、診察事項、診察方法等については、市町村の合理的な裁量に委ねており、同法施行規則七条の母子健康保健手帳の様式において、3〜4か月健康診査の欄に股関節開排制限の有無が記載され(乙七)、先天性股関節脱臼について、乳児三、四か月健康診査の項目として股関節開排制限の検査が予定されてはいるが、他の検査方法等については、具体的に明示していないこと、事務次官通知(乙一〇)には、「乳児については、異常を早期に発見し、早期に適切な措置を講ずる見地から、健康診査を徹底することが肝要である」として、乳児健康診査の必要性やその受診の徹底を図る旨の一般的な指示が述べられているにすぎないし、また、3・4か月児の手引き(乙一四)においても、診察項目として股関節の開排制限については掲げられているが、クリック・テストについては、これを診察項目として掲げられていないことが認められるのである。

なお、原告は、右3・4か月児の手引き中の診察項目である股関節の開排制限の診断のポイント欄に記載された「クリックも参考にする」旨の記載から、クリック・テストも検査方法として要求されている旨主張するが、右の記載事項及び記載場所に照らすと、右の記載は、開排制限の有無の検査に際し、クリック音があった場合には、股関節の異常(脱臼)を疑うという趣旨であって、開排制限の有無の検査(両膝が七五度よりも開くかどうかを確認する方法)とは異なる検査方法であるクリック・テスト(手にクリック感が感じられるかどうかを確認する検査方法。甲五、乙二〇、二一)まで要求したものということができないことは明らかである。また、原告は、東京都の定めた手引き(乙一三)の「母親への保健、育児指導」の項目中の記載をもって、クリック・テストが乳児健康診査の検査方法である旨主張するが、右の記載場所から明らかなように、原告主張の右の記載は、母親に対する保健や育児指導を行う場合の説明資料にすぎないものであるから、これをもって乳児健康診査の検査方法を示したものであるということはできず、他に乳児三、四か月健康診査においてクリック・テストを実施すべきものとされていることを認めるに足りる証拠はない。

右に述べたとおり、被告(深川保健所)が乳児三、四か月健康診査においてクリック・テストを実施すべきものとされている旨の原告の主張は、採用することができない。

そして、前記のとおり、母子健康法は、乳児に対する健康診査の時期、診察事項、診察方法等については、市町村の合理的な裁量に委ねており、被告は、同法施行規則等により、先天性股関節脱臼につき、乳児三、四か月健康診査の項目として股関節の開排制限の検査を実施すべきものとしているが、クリック・テスト等の他の検査方法については、これを実施すべきものとしていないところ、証拠(甲五、一三、乙一三、一九の一、二〇、二一、二四)によれば、開排制限の有無の検査は、先天性股関節脱臼を発見するための乳児検診におけるスクリーングの一指標として診断的価値の高い方法であること、クリック・テストによっても先天性股関節脱臼を全て発見することはできないこと、クリック・テストは熟練した医師において正確に行う必要があること、さらに、X線撮影は先天性股関節脱臼の発見には非常に効果的であるが、X線撮影によっても発見できずに見逃されることがあること、X線撮影は放射線被ばくという問題があり、できる限り避けるべきであることが認められる。これらの諸事情に照らして考えると、被告が、東京都の定めた3・4か月児の手引きに従い、先天性股関節脱臼に関する検査方法として、その診断的価値が高い検査方法であって、一般の医師によっても検査の効果が認められる開排制限の有無の検査のみを行い、熟練した医師でなければこれを的確に行うことができない検査方法であるクリック・テストを行わなかったことが、乳児健康診査の趣旨・目的に照らして著しく不合理であるということはできないから、被告(深川保健所)が本件三、四か月健康診査においてクリック・テストを行わなかったことをもって、これを違法であるとか、被告に過失があるとかということはできないというべきである。

3  そうすると、鈴木医師は、本件三、四か月健康診査において、実施すべきものとされている股関節の開排制限の有無の検査を適切に行ったことが認められるから、同健康診査の実施につき、被告(深川保健所)に過失があるとの原告の主張は、採用することができない。

なお、原告は、本件三、四か月健康診査時において既に先天性股関節脱臼は完全に形成されていたと主張するので付言するに、証拠(乙一九の一、二〇ないし二二、二五)によれば、周産期から乳児初期の股関節は臼が浅く、関節包も弛緩しているため、容易に脱臼しやすい状態にあり、これは脱臼準備状態と呼ばれていること、出生時に既に股関節が脱臼している先天性股関節脱臼は少なく、おしめの当て方などの生後の環境要因により、脱臼準備状態から脱臼に進展していくことが多いこと、脱臼準備状態は生後一年の間に脱臼に進行していくこと、脱臼準備状態では開排制限は認められないことが認められ、これらの認定事実及び本件三、四か月健康診査において鈴木医師が開排制限の有無の検査を適切に実施したが、原告に開排制限が認められなかったとの前記1認定事実を総合すると、原告は、本件三、四か月健康診査時においては、未だ先天性股関節脱臼を有しておらず、脱臼準備状態であったとも十分考えられるところである。この点、篠原寛休の陳述書(甲一三)には、先天性股関節脱臼は生後三か月ないし四か月ころまでには成立するとの陳述記載があるが、これを裏付けるに足りる根拠は示されていないから、右の陳述記載部分は前記認定事実に照らし採用することができない。そして、他に、原告が、本件三、四か月健康診査当時において既に先天性股関節脱臼が形成されていたことを認めるに足りる証拠はないから、原告の前記主張も採用することができない。

二 争点2(本件六か月健康診査)について

1  開排制限の有無の検査について

乳児六か月健康診査を行う実施医療機関が、開排制限の有無の検査を実施すべきものとされていたことは当事者間に争いがなく、証拠(甲三の一、乙三、二七)によれば、篠原医師は、原告に対して開排制限の有無の検査を適切に行ったこと、その検査の結果、原告に開排制限が認められなかったことが認められ、この認定に反する花子の陳述書(甲四)の記載及び本人尋問における供述は、右証拠に照らし、採用することができない。

2  クリック・テストについて

原告は、東京都の定めた手引きにより、又は事務次宮通知の定めた基本理念に照らし、被告(実施医療機関)は、乳児六か月健康診査において、クリック・テストを実施すべきものとされている旨主張する。

しかし、前記一2の母子保健法一三条の規定の趣旨、同法施行規則七条の母子健康保健手帳の様式(乙七。なお、六、七か月健康診査の欄には、クリック・テストのみならず、股関節の開排制限についても記載されていない。)、事務次官通知の内容、そして、東京都の定めた手引き(乙一三)には、クリック・テストが診察項目として掲げられていないこと、被告の定めた委託実施要綱においては、六、七か月期の診査項目として、開排制限は掲げられているが、クリック・テストについてはこれを掲げていないことからすると、被告(実施医療機関)が乳児六か月健康診査においてクリック・テストを実施すべきものとされている旨の原告の主張は、採用することができない。

そして、前記一2及び右の諸事情に照らして考えると、被告(実施医療機関)が、乳児六か月健康診査において、先天性股関節脱臼に関する検査方法として、その診断的価値が高い検査方法であって、一般の医師によっても検査の効果が認められる開排制限の有無の検査のみを行い、熟練した医師でなければこれを的確に行うことができない検査方法であるクリック・テストを行わなかったことが、乳児健康診査の趣旨・目的に照らして著しく不合理であるということはできないから、被告(実施医療機関)が本件六か月乳児健康診査においてクリック・テストを行わなかったことをもって、これを違法であるとか、被告に過失があるとかということはできないというべきである。

3 そうすると、篠原医師は、本件六か月健康診査において、実施すべきものとされている股関節の開排制限の有無の検査を適切に行ったことが認められるから、同健康診査の実施につき、被告(実施医療機関)に過失があるとの原告の主張は、採用することができない。

なお、原告が、本件三、四か月健康診査時において既に先天性股関節脱臼が形成されていたとの原告の主張についても、前記一3で認定した事実のほか、右認定の篠原医師が、本件六か月健康診査において、原告の股関節の開排制限の有無の検査を適切に行ったが、原告に開排制限は認められなかったことからすれば、原告は、本件六か月健康診査当時においても、未だ先天性股関節脱臼を有しておらず、脱臼準備状態であったとも十分考えられるから、これを採用することができない。

三 争点3(本件九か月健康診査)について

1  開排制限の有無の検査について

証拠(甲三の二、乙四、二八)によれば、浅川医師は、本件九か月健康診査において、原告に対し、開排制限の有無の検査を適切に行ったこと、その検査の結果、原告には開排制限が認められなかったことが認められ、この認定に反する花子の陳述書(甲四)の記載及び本人尋問における供述は、右証拠に照らし、採用することができない。原告は、被告は、乳児九か月健康診査において、開排制限の有無の検査を実施すべきものとされているのに、浅川医師はその検査を行わなかった旨主張するが、右認定のとおり、被告の実施医療機関である浅川医師において、原告の開排制限の有無の検査を実施しているのであるから、原告の右主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用することができない。

2  クリック・テストについて

東京都の定めた手引きにより、又は事務次官通知の定めた基本理念に照らし、被告(実施医療機関)は、乳児九か月健康診査において、クリック・テストを実施すべきものとされている旨主張する。

しかし、前記一2の母子保健法一三条の規定の趣旨、同法施行規則七条の母子健康保健手帳の様式(乙七。なお、六、七か月及び九、一〇か月健康診査の欄にはクリック・テストはもちろん股関節の開排制限についても記載されていない。)、事務次官通知の内容、そして、東京都の定めた手引き(乙一三)には、九か月健康診査において、クリック・テストを診察項目として揚げていないこと、被告の定めた委託実施要綱においても、九、一〇か月期の診査項目として、開排制限及びクリック・テストを掲げていないことからすると、被告(実施医療機関)が乳児九か月健康診査において、クリック・テストを実施すべきものとされている旨の原告の主張は、採用することができない。

そして、前記一2及び右の諸事情に照らして考えると、被告の実施医療機関が、乳児九か月健康診査において、先天性股関節脱臼に関する検査方法として、その診断的価値が高い検査方法であって、一般の医師によっても検査の効果が認められる開排制限の有無の検査のみを行い、熟練した医師でなければこれを的確に行うことができない検査方法であるクリック・テストを行わなかったことが、乳児健康診査の趣旨・目的に照らして著しく不合理であるということはできないから、被告(実施医療機関)が本件九か月乳児健康診査においてクリック・テストを行わなかったことをもって、これを違法であるとか、被告に過失があるとかということはできないというべきである。

3  そうすると、浅川医師は、本件九か月健康診査において、股関節の開排制限の有無の検査を適切に行ったことが認められるから、同健康診査の実施につき、被告(実施医療機関)に過失があるとの原告の主張は、採用することができない。

なお、原告が、本件三、四か月健康診査時において既に先天性股関節脱臼が形成されていたとの原告の主張についても、前記一及び二の各3で認定した事実のほか、右認定の浅川医師が、本件九か月健康診査において、原告の股関節の開排制限の有無の検査を適切に行ったが、原告に開排制限は認められなかったことからすれば、原告は、本件九か月健康診査当時においても、未だ先天性股関節脱臼を有しておらず、脱臼準備状態であったとも十分考えられるから、これを採用することができない。

四  結論

以上によれば、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、注文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・下田文男、裁判官・檜山聡 裁判官・田代雅彦は差し支えにつき署名押印をすることができない。裁判長裁判官・下田文男)

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