東京地方裁判所 平成8年(ワ)8866号 判決
原告 村瀬幾代
右訴訟代理人弁護士 宮城朗
被告 学校法人東京女子醫科大学
右代表者理事長 吉岡博光
右訴訟代理人弁護士 松井宣
同 小川修
同 松井るり子
同 関口佳織
主文
一 被告は、原告に対し、金七三三四万二九一四円及びこれに対する平成七年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求の趣旨
被告は、原告に対し、金一億〇〇二九万五三九三円及びこれに対する平成七年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告が、長男の心不全を原因とする肺水腫による死亡は、被告救命救急センターの当直医が直ちに緊急除水を行う必要があったにもかかわらずこれを実施せず、また、入院させるなどしてその経過を観察することもなく、単に経口利尿剤等を処方したのみで帰宅させた過失によるものである等と主張して、被告に対し、債務不履行責任ないし不法行為(使用者責任)に基づいて損害賠償を請求している事案である。
二 争いのない事実等(証拠の引用のない事実は当事者間に争いがない。)
1 原告は、鈴木雅貴(昭和四八年一二月三日生、平成七年一一月一二日死亡、以下「雅貴」という。)の母であり、唯一の相続人である。
雅貴は、埼玉県立狭山経済高等学校情報処理科を卒業後、平成五年四月一日から平成七年一一月一二日まで放送大学に在学していた(死亡当時三年生)。(甲三、二九)
2 雅貴は、生後八か月で血尿を指摘された後、遅くとも昭和六二年七月ころまでに腎機能障害を発症し、その後、慢性腎不全に陥ったため、後記のとおり、平成六年二月より維持透析治療を開始した。雅貴の原疾患は慢性糸球体腎炎であった。(甲二、乙一、六)
3 雅貴の診療経過について
(一) 雅貴は、昭和六三年一一月、被告腎臓病センターを受診し、以後、死亡までの間、同センターへ通院していた。
(二) 雅貴は、平成六年一月三一日、被告腎臓病センターにおいて定期的受診として、伊藤克己医師(以下「伊藤医師」という。)の診察を受けたところ、維持透析治療を必要とすると診断されたため、同日、同センターの泌尿器外科に内シャント(シャントとは、血液透析を行う際、体外の透析を行うため装置に血液を循環させるため、動脈と静脈とを吻合し、動脈から毛細血管を通らないで直接静脈に血液を流し、体外循環させるための血液の出入口をいう。このうち、内シャントは、皮下に動静脈瘻を作り、動脈化した静脈に二本の穿刺針を置いて血流を採るものをいう。)の手術を依頼するとともに、伊藤医師に死体腎移植を希望する旨申し出て、死体腎移植の責任者である川口洋医師(以下「川口医師」という。)に主治医を交替し、川口医師を通じて死体腎移植登録を行った。(甲三、乙一、六)
(三) 雅貴は、平成六年二月七日、被告腎臓病センターにおいて内シャントの手術を受けた後、同月二八日に初めて透析を受け、以後同じ週に秋岡祐子医師により四回透析を、三月七日から同月末までは週三回の割合で透析をそれぞれ受けた。
その後、原告及び雅貴は、伊藤医師の指示により、原告の知人が勤務する所沢第一病院に附属する所沢腎クリニックに、被告腎臓病センターの紹介状を持参して転院した。そして、以後、同クリニックの長浦博医師(以下「長浦医師」という。)から透析を受けていた。この間、毎月一回長浦医師が作成した透析報告書を持参して被告腎臓病センターに通院し、川口医師の回答書を持参してこれを長浦医師に伝達していた。
そして、平成六年四月ころからは、透析成績が良好であり、尿も十分出ていたため、週二回の透析となった。
(四) 雅貴は、平成七年七月一一日の透析後、最高血圧が一八〇mmHgと亢進し、その後も血圧が不安定な状態になったため、同月一七日、川口医師の診察を受けた。次いで、雅貴は、同年八月二六日の透析後、再び血圧が上昇したため、同月二八日、再度川口医師の診察を受けたところ、入院して治療及び検査の必要があるとされたため、川口医師の紹介により、新宿石川病院に、同月二九日から同年九月二〇日まで入院治療した。なお、退院時には、雅貴の最高血圧は一五〇mmHgにまで下降した。
(五) 雅貴は、新宿石川病院退院に当たり、同病院のサテライトである所沢石川クリニックの紹介を受け、同月二三日から同クリニックにて透析を開始した。なお、同クリニックの主治医は、金丸智子医師(以下「金丸医師」という。)であった。
(六) 雅貴は、同年一〇月二四日、所沢石川クリニックにおける透析の際、七〇〇ミリリットルの除水を受けたところ、その夜、息が苦しいと訴えた。原告は、右状況を憂慮し、同月二六日、知人の医師に検査と診察を依頼したところ、「心胸郭比五一・三%、白血球九七〇〇、右肺への血管が少し拡張しており、何か所かでうっ血を認めるので心不全の疑いがある。」と診断され、直ちに総合病院等で検査及び治療を受けることを勧められた。(甲一八)
(七) 原告の母は、同月二七日、雅貴と共に右検査結果及び胸部X線写真を持参して被告腎臓病センターに出向き、久保和雄医師(以下「久保医師」という。)の診察を受けた。久保医師は、胸部X線写真等の検査結果に鑑み、金丸医師に対し、胸部X線写真撮影をした後にドライウエイト(維持透析患者の適正体重)を検討すること、二四時間ホルダー、ツベルクリン反応、炎症反応等の検査を行うことを指示し、同時に、検査の結果、心胸郭比が大きければ若干量の除水を行うように指示した。(甲三、乙一、六)
(八) 金丸医師は、雅貴に対し、同月二八日の透析の際、一五〇〇ミリリットルの除水を実施したところ、右除水の実施中に雅貴は体調を悪くした。そして、右透析後から内シャントの流量が増悪し、同月三一日の透析後、更に内シャントの流量が増悪した。そのため、原告及び雅貴は、被告腎臓病センターの太田和夫医師(以下「太田医師」という。)の診察を予約した。
そして、雅貴は、同年一一月一日、太田医師による診察を受けたところ、内シャントに閉塞が認められたため、内シャントの再建術をすることになり、同月一〇日、内シャントの再建術を受けた。(甲一八、乙一)
(九) 雅貴は、宏仁会小川病院(以下「小川病院」という。)において同月四日、六日及び九日に透析を受けた。しかし、雅貴の尿量は一日一五〇〇ミリリットルと減り、同月七日ころから喘息様の咳の発作が頻出し、呼吸困難の状態が続いた。(甲一八、乙五)
(一〇) 雅貴は、平成七年一一月一一日午後七時過ぎころから、呼吸困難となり、血痰が時々出始めた。そのため、原告は、同日午後九時ころ、被告が管理運営する被告救命救急センター(以下「被告救急センター」という。)に架電し、被告救急センターの当直医で透析室管理責任者であった松永明医師(以下「松永医師」という。)に右雅貴の症状を説明して指示を仰いだ。松永医師は、原告に対し、透析患者はヘパリンを使用しているので出血しやすく、咳喉頭の奥が切れたものと思われるので、心配であれば月曜日に来院するように指示した。その際、原告は、同医師から雅貴のカルテナンバーを聞かれたので、これを伝えた。
しかしながら、翌一二日午前四時二五分ころ、雅貴は、再度、右同様の喀痰をし、また、呼吸困難状態が続き、ほとんど眠れない状態であった。そこで、原告は、再度松永医師に架電した上、その指示により、雅貴に被告救急センターにおいて治療を受けさせるため、雅貴及び原告の母と共に、同日午前五時三〇分ころ、埼玉県入間市所在の同人らの居宅を自家用車で出発し、午前七時ころ、被告救急センターに到着した。その途中、雅貴は右同様の喀痰を数回喀出した。(甲二、一八、乙四)
(一一) 松永医師による診察
(1) 原告は、被告救急センターに到着後、受付に直行して、診察の順番を確保したが、雅貴は、呼吸困難に陥っていたため、原告の母及び守衛によって車椅子に乗せられ、起座のまま被告救急センターの受付待合室に入った。(甲二、一八)
(2) 松永医師は、来診後、問診、雅貴の胸部X線写真撮影、動脈血の血液ガス分析検査等を行った上、経口利尿剤であるラシックスを同日の昼及び夜に各一錠服用し、翌日に再度受診するように指示し、雅貴らを帰宅させた(以下、松永医師の右診療行為を「本件診療行為」という。)。
(3) 原告は、雅貴を車に乗せて入間の自宅に帰ろうとしたが、被告救急センターを出発して一〇分位経過した池袋あたりで、雅貴が苦しいので車から降ろして欲しいと訴え、その様子から、入間市所在の自宅へ帰ることは不可能であると判断し、とりあえず近くの池袋メトロポリタンホテルにおいて休息することとして、午前九時一〇分ころ、同ホテルにチェックインした。雅貴は、ベッド上に坐位のままで少し眠ったが、同日午後一時一〇分ころから容態が増悪して、激しく咳き込み始め、鮮血色の泡沫状喀痰を反復したため、原告は、救急車を頼んで雅貴を、同日午後一時五〇分ころ被告救急センターに搬送したが、雅貴は救急車に乗る直前に意識を失っていた。(甲三、一八)
(4) 雅貴は、被告救急センターに到着後、被告救急センターにおいてその介護を受けたが、同日午後五時四五分急性心不全を原因とする肺水腫により死亡した。
三 原告の主張
1 松永医師の注意義務違反
(一) 緊急除水施行義務違反
(1) 本件診療行為当時、松永医師が雅貴の容態を把握するための診断の基礎として入手していた臨床データは、以下のとおりである。
ア 胸部圧迫感、呼吸困難、咳の頻出、咳による歩行困難及び鮮血状の泡沫状喀痰の頻出
イ 湿性ラ音の存在
ウ 心胸郭比の増大(五五・三%)、高度な両側肺血管陰影の増強(バタフライ・シャドウ)、右肋骨横隔膜角(右CP角)の鈍化、葉間胸膜腔への少量の胸水貯留等
エ PO2の数値(六八・一mmHg)、すなわち中程度の低酸素血症が認められること
(2) そして、前記各種臨床所見を総合して診断すれば、雅貴は、本件診療行為当時、相当程度重大な溢水による心不全及び肺水腫(ただし、肺胞内への滲出については部分的)を発症しており、透析療法の専門医であれば、これを鑑別することは可能であった。
ところで、維持透析患者は、腎臓の機能が低下していることから、健常者よりも体液の量が増加することがあり、これにより体内を循環する血液の流量が増大する。そのため、心臓自体の拍出機能が維持されていたとしても、血液総量が増加することから、相対的に血液を循環させるポンプとしての能力の低下を招き、心臓及び肺の部分に血液のうっ滞を生ずる。その結果として、肺血管の血管圧が上昇することになり、肺のコンプライアンス(弾力性・伸縮性)が低下すると共に、肺血管からの滲出液が最初は肺の間質に漏れ出して浮腫を生じ(間質性肺水腫)、次の段階では間質を超えて更に肺胞内に漏れ出して(肺胞性肺水腫)、これらが肺胞内の気体と肺胞の内壁との間を隔て、右コンプライアンス低下(これは肺胞内への気体吸入・排出自体を阻害する。)と相まって肺胞内における酸素と二酸化炭素のガス交換効率を大きく減退せしめ、これが増悪するとやがて患者の死を招くに至る。他方、胸水貯留も外から肺の伸縮性を阻害する要因となるため、胸水の量が多量であれば右ガス交換効率低下の一つの原因となり得る。そして、雅貴は、溢水により心不全を招き、これが更に肺水腫に進展していたのであるから、右一連の機序によって死亡する危険性は決して無視ないし軽視できるものではなかった。
また、当時の雅貴のPO2の数値は六八・一mmHgであるところ、右数値は、二一歳という雅貴の年齢を前提とした場合、非常に低い値であり、かつ、右数値も、いわゆる代償機序としての頻呼吸、努力呼吸を行うことによってようやく維持されていた数値であること、雅貴は平成七年一一月一一日夜から呼吸困難に悩まされており、頻呼吸の続いていた時間は相当程度長期間であったこと、来院時には咳、喀痰の頻出等により体力を消耗して車椅子で移動する程の歩行困難な容態であったことに照らせば、当時松永医師は、雅貴の溢水による心不全及びその結果としての死亡の危険性を認識ないし予見できたのだから、直ちに緊急除水を施行する義務があったにもかかわらず、松永医師は、効果の確実性の認められない経口利尿剤二錠(ラシックス)を渡して雅貴を帰宅させ、これを怠った。
そして、松永医師が、本件診療行為時に、限外濾過法(ECUM)により、二ないし三kgの除水を行えば、容易に雅貴の救命を図ることが可能であった。なお、本件診療行為の当日は日曜日であったが、大学病院である被告の設備、人員の状況を前提とすれば、松永医師において直ちに緊急除水を施行することが必要と判断して準備を開始すれば、短時間のうちに除水の準備を整えて施行に及ぶことは優に可能であった。
(二) 診療記録確認義務違反
松永医師は、平成七年一一月一一日夜の原告からの架電の際、雅貴のカルテナンバーを聞いて確かめていることから、院内に存在する雅貴の診療記録等を確認することにより、本件診療行為時の約二週間前から溢水による心胸郭比拡大、胸部圧迫感等の諸症状が発現していることを知ることができ、雅貴の容態が重大であることを知ることが可能であった。また、仮に、松永医師が原告ないし雅貴からカルテナンバーを聞いていなかったとしても、翌一二日の救急外来の際には、院内に存在する診療記録等を取り出して検討することは可能であった。そして、右診療記録等を確認してこれを当時の診断の基礎としていれば、松永医師の診断はより正確になり得た。
それにもかかわらず、松永医師は、右従前の診療記録等を確認する義務を怠り、これにより、診断の基礎となる診療情報の不足により雅貴の容態の重さを誤診する過誤を犯し、雅貴の死亡という結果を招いた。
(三) 説明義務違反
本件において、仮に雅貴及び原告が除水に対して嫌悪感を示したか、あるいは除水を積極的に拒否したとしても、松永医師は、原告及び雅貴に対し、本件診療行為当時の雅貴の容態について説明することによって、緊急除水を施行しなかった場合の生命の危険性について正確な判断資料を提供し、強く説得してでも翻意を促すことによって、本件結果発生を回避する義務があった。
他方、雅貴としても、緊急除水を受けなければ症状の改善が見込めず、生命の危険が存在することを松永医師から告げられていれば当然速やかな緊急除水を求めたはずである。したがって、当時松永医師において、右義務を尽くしてさえいれば、雅貴の救命は可能であった。
それにもかかわらず、松永医師は、雅貴の容態について正確な診断を下せなかったか、あるいは仮に正確な診断を下していたとしてもその危険性を看過ないし軽視したために右説明義務を怠り、これにより、雅貴の緊急除水施行に関する診療措置選択上の自己決定権行使の機会を失わせ、雅貴の死亡という結果を招いた。
(四) 安静加療ないし経過観察義務違反
仮に、雅貴ないし原告が除水に反対したためにこれが果たせなかったか、あるいは直ちに緊急除水を施行する必要はなく、当面は経口利尿剤の投与のみで対応できるとの松永医師の判断が医学的に合理的であったとしても、松永医師は、雅貴に対し、少なくとも入院を指示して安静加療を求め、その上で慎重な経過観察を行って、容態に変化が生じた場合は、直ちに対応できるような態勢を執る義務があった。そして、雅貴を緊急入院させて安静加療ないし経過観察さえ行っていれば、数時間後の容態急変時に人工呼吸器による心肺蘇生等の措置を直ちに執って雅貴を救命することは優に可能であった。それにもかかわらず、松永医師は、右義務を怠り、雅貴の死亡という結果を招いた。
(五) 以上のとおりであるから、松永医師を履行補助者とする被告の本件診療行為には、前記のとおり、診療契約の債務の本旨に合致しない注意義務違反に基づく不完全履行が認められ、その不履行により、雅貴の死亡とそこから派生する損害を招いたものであるから、被告はその賠償責任を負う。
また、右注意義務違反は被告の被用者である松永医師の診療上の注意義務違反として不法行為にも該当するところ、松永医師と被告との間には使用関係が認められ、また、本件診療行為の業務執行性も認められるから、被告は使用者責任をも負う。
2 原告の損害
(一) 葬儀費用 一五〇万円
(二) 逸失利益 五八三三万五三九三円
(1) 算定根拠
雅貴は、死亡当時、放送大学の三年に在学中の満二一歳の学生であり、無職者であった。
ア 逸失利益算定の基礎となる年収は、雅貴が無職者であることから賃金センサス第一巻第一表の男女別全年齢平均の賃金額(産業計・企業規模計)を基礎とする。ただし、基礎とすべき賃金センサスは、債務不履行ないし不法行為時のものではなく、口頭弁論終結時における最新のもの(本件の場合は平成一〇年度)を用いるのが相当である。
イ 賃金センサスの学歴については、雅貴は死亡時、放送大学に在学中であり、大学を卒業することは確実であったから、大卒労働者を基準とすべきである。
ウ 基礎とすべき平均賃金は、一定年収を基礎として算定することとし、その一定年収としては、全年齢平均年収に基づいて算定することとする。最新の平成一〇年度賃金センサスによる大卒男子労働者の全年齢平均年収は六八九万二三〇〇円である。
エ 控除すべき生活費の割合は五割とする。
オ 就労可能年数は、四六年とする。
カ 以上を前提とした場合、雅貴の死亡による逸失利益として認められるべき数額は、次のとおりである。
六八九万二三〇〇円×(一-〇・五)×(一七・八八〇〇-〇・九五二三)=五八三三万五三九三円
(2) 雅貴には妻子がないので、その直系尊属である原告のみが相続人である。したがって、原告が、雅貴が被告に対して有していた逸失利益の支払請求権五八三三万五三九三円を相続した。
(3) 維持透析患者の労働能力
被告は、雅貴が慢性腎不全による維持透析患者であり、健常者の有する労働能力を欠いていたから雅貴の逸失利益を減額すべきであると主張するが、適切な透析管理と患者本人の努力によって、維持透析患者とはいえ、労働能力に欠けるところはないし、健常者に比して肉体的労働能力に減退があるとしても、頭脳的労働能力があれば、その分野にあっては健常者に劣るところはない。現に、雅貴はコンピュータ処理を専門として放送大学に進学していたのであり、かつ、自らの身体の状況も考慮に入れ、他大学の工学部に進学し、その後大学院まで進むことをも目標としていた。したがって、雅貴が将来的に頭脳労働を主とする職種に就職する蓋然性は非常に高かった。
また、そもそも無職者や学生に対する賃金センサスを利用した逸失利益の算定自体が、仮定条件に基づいたシミュレーションに過ぎず、その際に維持透析患者だから得られる収入が健常者よりも少ないであろうという再度の仮定を持ち込むこと自体無意味である。維持透析患者であっても、才能や運に恵まれれば健常者の平均収入を大きく上回る年収を得られる可能性も否定できない。したがって、賃金センサスに基づく逸失利益算定において維持透析患者であるということの一事をもって減額要素とすることは不適切である。
(三) 雅貴自身の死亡慰謝料 二〇〇〇万円
本件において、雅貴は、平成七年一〇月末ころから心不全の前駆症状としての呼吸不全に悩まされており、同年一一月一一日夜に原告が被告救急センターに架電をした段階においては、既に相当程度呼吸困難は増悪していた。そして、右雅貴の病態に照らせば、その苦痛は激烈であり、かつ、雅貴は、右苦痛が徐々に増悪していく状態に、経口利尿剤の処方だけで被告救急センターから帰宅させられた以降、死亡時までの数時間置かれていたことになり、その苦痛は甚大である。
また、当時、雅貴は二一歳であり、維持透析という肉体的ハンディキャップを負っていたが故に、一般の健常者に比べても、工学部に進学して技術的な分野において才能を発揮したいという将来的志望についての強い期待と夢を抱いていた。それにもかかわらず、雅貴の将来は、本件によって無惨に断ち切られてしまったのであり、その無念さは察するに余りある。
さらに、本件における被告ないし松永医師の作為義務の程度は極めて高度であり、この点は慰謝料の増額事由とされるべきである。
したがって、雅貴の被告に対する慰謝料は通常よりも増額される必要があり、その額は、二〇〇〇万円を下らない。また、右雅貴が被った精神的、肉体的苦痛は、母親である原告とは別途に評価されるのが相当である。
なお、前記のとおり、雅貴の固有の慰謝料請求権は原告が相続した。
(四) 原告固有の慰謝料 一〇〇〇万円
雅貴は、原告にとって、二一歳まで育て上げた唯一人の男子であった。また、原告は、維持透析治療を行いながら日常生活を継続するという困難な状況に雅貴と共に立ち向かいながらその面倒をみており、雅貴の透析治療、特に透析後の成績について細心の注意を払い、毎月一回被告腎臓病センターの診察を受けるのを例としていた。そして、少しでも雅貴の身体状況に異常を見出した際には被告腎臓病センターはもちろん、他の専門医の意見を求めて、直ちに治療の適切を期していた。それにもかかわらず、本件のような通常起こり得ないような医療事故によってみすみす雅貴を失わなければならなかった原告の精神的苦痛は察するに余りある。したがって、原告固有の精神的苦痛は、雅貴固有の精神的苦痛とは別途に慰謝されるべきものであり、右精神的苦痛を金銭で慰謝するならば一〇〇〇万円を下らない。
なお、本件診療契約の当事者は、原告及び雅貴の両名と解するべきであるから、原告は、契約当事者であり、固有の慰謝料請求権の主体となり得る。
(五) 弁護士費用及び訴訟追行実費 一〇四六万円
(1) 弁護士費用 一〇〇八万円
前記のとおり、本件における損害賠償の合計は八九八三万五三九三円であるところ、右金額に対応する弁護士の着手金及び報酬金の合計額は、東京弁護士会の報酬会規に基づいて算定すると、一〇〇八万円である。
本件は非常に専門性の高い医療事故であり、原告としてはその損害回復のためには訴訟代理人に事件処理を依頼せざるを得なかった。したがって、右弁護士費用も本件と相当因果関係の認められる損害である。
(2) 診療記録謄写・交通・通信費・コピー代等 三〇万円
(3) 専門医相談料 八万円
3 結論
以上のとおりであるから、原告は被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として、一億〇〇二九万五三九三円及びこれに対する右債務不履行又は不法行為の発生した日の翌日である平成七年一一月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四 被告の主張
1 本件における診療経過
(一) 平成七年一一月一一日夜、松永医師は、原告から電話を受け、雅貴が、咳が出ており、痰に赤い血が混じっている旨の電話相談を受けたため、維持透析患者はヘパリンを投与しているため出血しやすいことを説明し、経過をみて心配なときは受診するようにと回答した。
(二) 同月一二日早朝、原告より松永医師に電話があり、雅貴の痰に血が混じっており、苦しくて眠れなかったとの相談があったため、来院するよう回答した。これを受けて、雅貴らは、同日午前七時一〇分、被告救急センターへ来院し、直ちに松永医師の診察を受けた。診察時、雅貴の体温は三六・四℃、脈拍九六、血圧一六四/九六mmHg、体重七二kg(ドライウェイトは七〇ないし七一kgとの申告であった。)であった。また、問診により経過を聴取し、尿量を確認したところ、一〇〇〇ないし一六〇〇ミリリットル出ているとのことであった。
この際、雅貴は車椅子にしっかりと座り救急外来を訪れており、やや多呼吸を認めたものの会話は十分に可能で、診察開始から終了までの約一時間の間、咳嗽や泡沫状喀痰の喀出は認められず、また、胸部X線写真撮影時には歩行も可能であった。これらの事項は、本件診療当時、雅貴の心不全症状は決して重篤ではなく、かつ、緊急除水を必要とするような危急の状態ではなかったことを示す。さらに、松永医師は、雅貴及び母親への問診により、同年一〇月末の時点から既に呼吸困難、咳、血痰を認めていた事実を確認しているが、右事実は、来院時の病状は来院直前に急に出現した症状ではないこと、また病状が急激に進行、増悪した経過でもなかったことを示している。
なお、松永医師が診察時に原告らから示されたのは、一枚のティッシュペーパーに包まれた線状に潜血が混じった透明な痰であった。
(三) 診断について
松永医師は、診察の際、肺野にわずかながら湿性のラ音を聴取したため、肺に何らかの異常があると判断し、胸部X線写真の撮影を行った。そして、松永医師は、右胸部X線写真から、<1>両側肺門部の血管陰影が増強していること、<2>心胸郭比が五五・三%であること、<3>右肋骨横隔膜角が鈍化していること、<4>カーリーBライン(葉間胸膜腔への胸水貯留)が存在していること、<5>肺炎の所見はないこと、を読影し、溢水状態にあると診断した。そこで、松永医師は、原告及び雅貴に除水を勧めたところ、原告は、除水をすると具合が悪くなる、所沢石川クリニックにおいて「除水をしないで欲しい。」と頼んだにもかかわらず除水され、内シャントが閉塞し、そのため内シャントの再建術を受けたなどと訴え、除水に対する嫌悪感と危惧感を示した。そこで、松永医師は、実際の呼吸状態をより客観的に把握する目的で動脈血液ガス分析を行ったところ、その所見は、<1>動脈血水素イオン濃度pH七・四二五、<2>PO2六八・一mmHg、<3>PCO2二九・六mmHgというものであり、一般にPO2六〇mmHg以下と定義されている呼吸不全の状態ではなく、アシドーシス(動脈血のpHが低下する方向に変更する病的過程をいう。)も認められなかった。松永医師は、これらの事実に照らし、診察時点での溢水状態(肺水腫と心不全の程度)は決して重篤ではないと判断した。
そして、松永医師は、除水の必要性に関して、雅貴及び原告に対し、約一時間にわたる診療の中で十分に説明した。
(四) 治療法の選択について
松永医師は、溢水状態は存在すると診断し、治療として除水すべきであると判断した。そして、除水の方法としては、透析による緊急除水と、経口利尿剤の投与による緩徐な除水の二つの方法があるところ、本件の場合、<1>尿は十分に出ていた(一日一〇〇〇ないし一五〇〇ミリリットル)こと、<2>雅貴及び原告より聴取したドライウェイトと診察時の雅貴の体重とを比べたところ、その増加は約二kg(ドライウェイトの約三%)と少なかったこと、<3>病歴より雅貴の症状は急激に増悪したものではなかったこと、<4>診察所見、レントゲン写真及び動脈血液ガス所見より、診察時の病状は重篤かつ危急の状態ではないと判断したこと、<5>同年一一月一〇日に内シャントの再建術を受けたばかりで内シャントの保持が非常に重要であったこと、<6>雅貴及び原告が透析による緊急除水に伴う内シャント閉塞を強く危惧していたこと等を総合的に勘案し、経口利尿剤による除水を選択した。そして、翌一三日に伊藤医師の診察を受けるよう指示し、右診察までの間は、経口利尿剤の投与で処置可能であると考え、先輩当直医である服部医師にも相談して、経口利尿剤であるラシックスと抗潰瘍剤とを投与した。
この際、溢水の診断、除水の必要性及び経口利尿剤による溢水の治療については雅貴と原告に十分に説明し、その同意を得た。
2 被告の責任
(一) 緊急除水施行義務違反の主張について
前記のとおり、雅貴には、同年一〇月三一日に他施設での透析終了時の除水に起因すると考えられる内シャントの閉塞がみられ、同年一一月一〇日に内シャントの再建術を実施したばかりであること、雅貴の維持透析治療は過去数年にわたり他施設で実施されており、内シャントの閉塞に関して雅貴及びその家族と維持透析施設との間で除水等の透析方法に関して意見の不一致がみられたこと、自尿が十分あり、透析時の基礎体重からの大幅な増加がみられないことや内シャントの再建術を実施したばかりであったという雅貴の容態、雅貴及びその家族が透析による除水に対して著しい嫌悪感を抱いていたこと等に照らせば、急激な除水ではなく経口利尿剤の投与で対処し、翌日の教授外来を指示したことは適切な処置であった。したがって、松永医師の雅貴に対する処置に過失はない。
また、一連の症状が発現してから緊急外来受診まで少なくとも二週間程度経過していたこと、約一時間の診察中に咳嗽や血痰喀出は認められず、進行性の症状の増悪は認められなかったこと、自尿が十分にあり、ドライウェイトを比較した体重の増加も軽度であったこと、動脈血液ガス分析によれば未だ呼吸不全の範疇にはなかったこと、雅貴の年齢が若かったこと等に照らせば、本件診療行為の数時間後に雅貴の容態が急変し、死亡することは全く予想不可能であった。
なお、雅貴は、本件診療行為時に、ドライウェイト七一kg、自尿が一五〇〇ミリリットル出ているとの申告をしているところ、救急外来で雅貴と初対面であった松永医師が、透析記録を持参しなかった雅貴について、雅貴の説明を信頼することは当然である。したがって、従前の透析が適切に実施されていたことを信頼して、これを前提に診療行為を行ったことを非難することは、信義則に違背する。
(二) 診療記録確認義務違反の主張について
原告は、本件診療行為の際、松永医師が、被告腎臓病センターの管理していた診療記録等を確認すべき義務を怠り、その結果、誤った診断に至った旨主張する。しかしながら、維持透析管理には毎回の透析療法の記録や諸検査結果などの継続的な評価が非常に重要であり、また、透析患者の身体状況の変化は早く、適正体重は簡単に短期間に変動するものであるところ、雅貴は、平成七年一一月四日に、その時点で適切な情報を有する維持透析治療の担当施設であった所沢石川クリニックに何の連絡もなく、自己判断により小川病院へ転医しており、非常に重要な時期に治療の継続性が失われた。また、原告は、小川病院に転医する際に、維持透析の管理に不可欠の資料である毎回の透析治療の記録を持参しなかったため、所沢石川クリニック、小川病院及び被告腎臓病センター間の資料の継続性が欠けており、雅貴の維持透析治療の評価の継続性を維持することができなかったものであるから、そもそも安全適切な維持透析管理を行う基礎的条件を具備していなかった。
右経過に照らせば、治療担当透析施設でない被告腎臓病センターの診療記録等の参照の有無は、本件診療行為の適否とは無関係であり、したがって、被告ないし松永医師は診療記録等の確認義務を負うものではない。
なお、原告は、小川病院への転医について川口医師へ報告した旨主張するが、そのような事実はない。
(三) 説明義務違反の主張について
本件診療行為当時、雅貴は歩行可能であり、また、諸検査成績からも、その後の急変による死亡を予測することは不可能であったから、そもそも緊急除水をしなければ死亡する危険性があるとの説明義務を負うものではなかった。また、松永医師は、雅貴及び原告に対し、除水を勧告しており、それにもかかわわず、同人らは前記のとおり、除水に同意しなかったものである。したがって、説明義務違反も存在しない。
なお、医療側の説明義務の内容の程度は、初回透析導入を開始する場合と、維持透析治療につき医師から事前に説明を受け、かつ実際に維持透析治療を受け一年八か月が経過してその内容を熟知している場合とでは異なる。すなわち、雅貴及び原告は、被告腎臓病センターの透析室における初回透析導入時の平成六年二月二八日に、秋岡祐子医師から、血液透析の必要性、それに伴う合併症やその対処等につき十分説明を受けている。また、雅貴は、生後八か月で血尿を指摘され、一歳八か月で東京医科大学で左腎の水腎様変化、血管異常を指摘されて以来、その病歴は長く、また、雅貴の父は腎不全で死亡し、母である原告は慢性腎炎に罹患し、母方の祖母も腎不全に罹患し、維持透析治療を受けていた。右の経緯に照らせば、雅貴のみならず、本件診療行為の当日に同行した原告及び原告の母も、維持透析療法について熟知していた。したがって、この意味でも、本件診療行為当時、松永医師は、原告主張の説明義務を負っていなかった。
(四) 安静加療ないし経過観察義務違反の主張について
原告は、松永医師が、雅貴を安静加療させ、又は経過観察をする義務を怠ったと主張するが、本件診療行為当時、雅貴は自力で歩行し検査後に椅子に腰掛けて待機していたこと、その他の諸検査の成績等に照らせば、その後の雅貴の容態の急変による死亡を予測することは不可能であった。したがって、雅貴を入院させ、安静加療ないし経過観察をする義務はなかった。
3 その他の主張
慢性維持透析医療の特殊性及び維持透析医療における医師と患者の役割
(一) 慢性維持透析患者は、その自己管理によって、疾患の予後が著しく異なるため、自己管理が極めて重要である。また、維持透析患者は、定期的に透析を受けなければ尿毒症に陥り、生命に危険が生じること、また、透析前後の体重差、透析後の体重減少率等が適切な治療を行う上で重要な因子であることから、維持透析医療は、透析専門の医療機関で定期的に継続して受ける必要があり、その都度の透析前及び透析後のデータに照らして、医師との連携を密接に取りながら透析を受けることが必要である。
(二) 本件診療行為以前の不十分な透析について
本件において雅貴は、平成七年一〇月二八日の所沢石川クリニックの金丸医師による透析後、金丸医師が実施した除水を嫌悪したことから、自己判断により、このころの透析結果を持参せず、同年一一月四日に小川病院に転医した。そして、雅貴は、同日の初診時に、除水を回避するために透析医に対し、自尿が一日当たり二〇〇〇ミリリットル出ているため、除水はせず透析のみ行っているとの誤った情報を与え、治療を開始した。さらに、雅貴は、小川病院の医師に対し、このときドライウェイトは七一kgと申告しており、同年一〇月二六日以降の経過や医師の診察結果を透析医に伝えていなかったため、不十分な透析しか実施されなかった。
病状の変化に応じた治療を決定することに責任があるのは、継続して透析療法を行う透析施設の主治医であるが、雅貴と原告らその家族は自己判断にて無断で維持透析施設を変更し、また移動先の病院でも著明な高血圧を認めたにもかかわらず尿量が十分に保たれているとの理由で透析による除水を拒否していた。そのため、溢水状態は本件診療行為時の約二週間前より認められていたにもかかわらず、この間に適切な処置が執られていなかった。前記のとおり、適切で安全な透析療法の維持には医療者と患者ないしその家族との間の継続的な評価と相互理解に基づく適正な治療が非常に重要であるが、雅貴の場合、このような事情の下、治療の継続性が失われ、また適切な治療が実施されなかったことが、今回の予期せぬ事態を招いたものである。
(三) したがって、維持透析治療の特殊性を何ら考察せず、かつ、重要時期における治療の継続性を自己判断にて中断したことについて何ら省みることなく松永医師を非難する原告の主張は、信義則に違背する不当な主張である。
4 損害について
(一) 透析患者の余命
一般の生命予後と比較し、透析患者の余命が極端に低いことは明らかである。透析患者は、腎不全により透析を行い老廃物を体外に排出しなければ、尿毒症で死亡するに至る危険を潜在的に有しており、このような病態にある患者の余命を一般の生命予後と同一に論じることはできない。
(二) 透析患者の就労及び収入
透析医学会の「わが国の慢性透析療法の現況」によると、平成一〇年末の社会復帰の状況は、透析患者全体・性別男性で六〇歳未満の四万〇四八〇名のうち、二万六四七六名(六五・四%)は常勤職に就いているが、このうち入院又は休職中の者は一六三五名であった。また、透析患者全体のうち年齢一五ないし二九歳・男性で回答のあったのは一四〇六名であり、そのうち、常勤職にある者は七八六名(五五・九%)であったが、うち四四名は入院又は休職中であった。そして、右回答のあった一四〇六名の他に、社会復帰に記載のなかった患者が七一七名いた。
全国腎臓病協議会が同会加入者について調査した結果では、収入のある仕事をしていると回答した二一三〇人について年間の収入を報告しており、「平成八年度国民生活基礎調査の概況」による国民一人当たりの平均所得金額(二一九万二〇〇〇円)を下回る年収二〇〇万円以下が三五・八%に達しているとしている。
雅貴の場合、身体障害者一級に該当し、家庭内の普通の日常生活動又は社会での極めて温和な日常生活動には支障がないが、それ以上の活動は著しく制限されると診断されており、これらの事情からすると就業の蓋然性は極めて低いといわざるを得ない。
五 争点
1 本件の主たる争点は、本件診療行為当時、松永医師が雅貴に対し、利尿剤を与え、翌日の再診を指示したのみで帰宅させたことが医学的にみて適切な処置であったか否かという点にあるが、さらに、具体的には次の点が問題となる。
(一) 松永医師に、限外濾過法等による緊急除水を実施する義務があったか否か。
(二) 仮に利尿剤の投与による除水も治療の選択肢として考えられるとした場合、雅貴を入院させ、医師による経過観察が可能な状態でこれを行うべき義務があったか否か。
(三) 本件診療行為当時、松永医師に、雅貴の診療記録等を確認する義務があったか否か。
(四) 本件診療行為時に、松永医師は原告及び雅貴に除水すべきである旨告げたか否か並びに原告あるいは雅貴は右勧告に対し拒絶的態度をとったか否か。
2 損害額
第三当裁判所の判断
一 前提事実
前記のとおり、雅貴の死因は、急性心不全を原因とする肺水腫であるが、争点に対する判断に入る前に、うっ血性心不全(以下単に「心不全」という。)及び肺水腫の病像及びこれと維持透析患者との関係について検討するに、証拠(甲七、一〇ないし一五、一七、二四、証人両角國男)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
1 心不全は、心臓のポンプ機能の低下によって心臓が身体諸臓器の酸素需要に十分な量の血液を拍出し得なくなり、末梢循環障害あるいはうっ血を生じ、その結果起こった一つの臨床症候群である。その原因としては種々のものがあるが、体液量や循環血液量の増加もその原因となる。
維持透析患者は、腎臓の機能が低下していることから、健常者よりも体液が増加することがあり、これにより体内を循環する血液の流量が増大する。そのために、心臓自体の拍出機能が維持されていたとしても、血液総量が増加することから、相対的に血液を循環させるポンプとしての能力の低下を招き、心臓及び肺の部分に血液のうっ滞を生じる。その結果として、肺血管の血管圧が上昇することになり、肺のコンプライアンス(弾力性・伸縮性)が低下すると共に、肺血管からの滲出液が最初は肺の間質に漏れ出して浮腫を生じ(間質性肺水腫)、次の段階では間質を超えて更に肺胞内に漏れ出し(肺胞性肺水腫)、これらが肺胞内の気体と肺胞の内壁との間を隔て、右コンプライアンスの低下(肺胞内への気体吸入・排出を阻害)と相まって肺胞内における酸素と二酸化炭素のガス交換率を大きく減退せしめ、これが増悪すると呼吸困難を増悪させやがては死に至る。わが国の透析患者の死亡原因としては心不全の合併症によるものが圧倒的に多い(約三〇%)。
2 心不全の臨床症状としては、呼吸困難、起坐呼吸、咳、喀痰等の症状がみられ、特に肺水腫時には多量の鮮紅色泡沫状喀痰が喀出される。また、心不全の病理学的所見としては、心拡大と肺うっ血がみられる。心拡大は、胸部X線写真により心臓の直径と胸郭との比(心胸郭比)を求め、それが五〇%を超える場合は心拡大と判定される。また、肺うっ血については、胸部X線写真によると、肺門陰影(特に上部)の拡大と上肺野の血管拡張及び下肺野の間質性浮腫がみられ、間質性肺水腫では下肺野の肋骨横隔洞近くに直線的な線状影(カーリーBライン)がみられ、肺胞性肺水腫に至ると両側肺門部を中心に蝶様陰影(バタフライ・シャドウ)がみられ、肺野に湿性ラ音が聴取される。また、胸水の貯留が認められ、X線所見では、肋骨横隔膜角の鈍化が認められる。
3 透析患者が肺水腫の症状を呈した場合の治療としては、過剰な体液をできる限り早期に除去するために直ちに限外濾過を行い循環血液量を減少させることが必要であり、一般の心不全の治療に用いられる利尿剤や強心剤の効果は期待できない。
二 争点1について
1 本件診療行為時点における雅貴の客観的病状
次に、本件診療行為時点における雅貴の客観的な病状について検討するに、証拠(甲一、一八、乙一、二の一、四、鑑定の結果、証人松永明、同両角國男、原告本人)によれば、本件診療行為時の雅貴の病状は次のとおりであったことが認められる。
(一) 本件診療時の問診の際、原告及び雅貴は、松永医師に対し、平成七年一〇月の末頃から息苦しく、同年一一月に入ってから咳が出るようになり、一週間くらい前から痰に血が混じるようになったこと、現在、胸部に圧迫感があり、呼吸が困難であること、また咳のために歩行が困難であり、鮮血様の泡状喀痰があることを訴え、血痰のついたティッシュペーパーを示した。また、胸部聴診の結果、雅貴には湿性ラ音がみられた。
なお、被告は、原告が提出したティッシュペーパーについていたのは透明な痰に線状に血液が付着したものであった旨主張し、証人松永明の証言中にも右主張に沿う部分があるが、右証言は、甲二、三、一八及び原告本人尋問の結果と照らし合わせると信用し難く、かえって、後述するように当時雅貴の症状は少なくとも間質性肺水腫の段階に達していたものであり、前記のとおり肺水腫の臨床症状としては鮮紅色泡沫状喀痰の喀出がみられることからすると、原告が供述ないし陳述するように、原告が松永医師に提出したティッシュペーパーには鮮血様の泡沫状喀痰が付着していたものと認められる。
(二) 本件診療行為時に行われた雅貴の胸部X線検査の結果によれば、心胸郭比は五五・三%で心拡大が認められ、また、両側肺血管陰影が高度に増強(バタフライ・シャドウ)し、肋骨横隔膜角が鈍化していること、右肺にカーリーBラインがみられ、葉間胸膜腔への少量の胸水が貯留していることなどが認められた。
(三) さらに、雅貴が呼吸の困難さを訴えたため、その状態を客観的に把握するために行われた動脈血液ガス分析の結果によれば、pH七・四二五で炭酸ガスの貯留は認められなかったが、PO2六八・一mmHg、PCO2二九・六mmHgであり、中等度の低酸素血症であることが認められた。
(四) 前記前提事実及び右事実(特にX線検査の結果)からすれば、雅貴の溢水の症状は、少なくとも間質性肺水腫の段階に至っており、肺水腫による心不全の症状を呈していたものと認められ、これとPO2が六八・一mmHgと中等度の低酸素血症の症状を呈していることを合わせ考えると、雅貴は苦しくて寝ることもできず、苦しくて横になると呼吸ができなくなり心臓が停止する危険性があるという、心不全の症状としてはかなり危険な事態であり、急速な除水を行わないと本件治療行為の翌日である一三日の朝の診察までに死に至る可能性も予見し得た。
2 雅貴の右症状に対する治療方法
前記認定の事実の他、証拠(鑑定の結果及び証人両角國男)によれば、維持透析患者である雅貴の右症状に対する治療方法としては、坐位又は半坐位での安静を保ち、酸素投与をしながら限外濾過法による緊急除水を直ちに行うのが原則であり、右方法により二、三kgの除水を行えば、心不全症状は急速に改善することが予測できたこと、ただ、雅貴の場合にはそれまである程度の尿量が確保されていたことからすると、利尿剤の投与により除水を行うことも一つの選択肢として考えられないではないが、維持透析を受けている患者には利尿剤の投与による除水は効果の確実性が不十分であり、即効性の期待も乏しいことからすると、仮に利尿剤の投与のような補助療法を優先選択するのであれば、雅貴を入院させ、医師が雅貴の様態を十分に観察することができ、緊急状態に対処できるような状況下で行うことが必要であり、そのような処置を執っていれば、仮に雅貴の様態が急変しても、速やかに人工呼吸器を使った心肺蘇生を行うことなどにより、死亡という結果を回避することが可能であったことが認められる。
3 松永医師の注意義務違反
以上のように、松永医師は、雅貴に対して直ちに限外濾過法による緊急除水の処置を施すか、入院させ、医師の監視下のもとで利尿剤による除水を行うべき義務があったにもかかわらず、前記のとおり、限外濾過法による緊急除水を行うこともなく、ただ利尿剤であるラシックスを与えて翌日の来診を指示しただけで雅貴を帰宅させたものであるから、松永医師に注意義務違反があったことは明らかである。
4 これに対し、被告は、雅貴に対する診察及び検査の結果によれば溢水状態は存在し、治療として除水をするべきであると判断したが、<1>雅貴が救急外来を訪れたときにはやや多呼吸を認めたものの会話は十分に可能であり、診察開始から終了までの約一時間の間に泡沫状喀痰の喀出も認められず、X線写真撮影時には歩行も可能であったこと、診察時に原告らから示されたティッシュペーパーには線状に鮮血が混じった透明な痰であったこと、<2>自己申告によるドライウェイトは七〇ないし七一kgであるところ、当日の体重は七一kgであって大幅な体重の増加は認められず、また、尿量も一日一〇〇〇ないし一五〇〇ミリリットルである旨の自己申告があったこと、<3>動脈血液ガス分析の結果によれば、PO2が六八・一mmHgであり、一般にPO2六〇mmHg以下とされる呼吸不全の状態ではなく、またpHも七・四二五で七・三五以下でなくアシドーシスも認められなかったこと、<4>雅貴は、同年一一月一〇日にシャントの再建術を受けたばかりであって、内シャントの保持が非常に重要であったこと、<5>雅貴及び原告は、松永医師が透析による除水を勧告したにもかかわらずこれに嫌悪感を示し、同意しなかったことなどから、透析による緊急除水ではなく、経口利尿剤の投与による緩徐な除水を行うのが相当である旨判断したものであり、右状況からすると松永医師の右判断は妥当であった旨主張する。
しかしながら、前記認定の事実及び証拠(甲一八、原告本人)によれば、雅貴は、被告救急センターを早朝に訪れた際は、一人で歩くことも困難であったために受付で車椅子を借り、診察室からX線検査室までは原告に支えられながら歩いて行くような状態であり、松永医師に対して息が吸えないと訴えていたこと、前記のとおり原告が提示したティッシュペーパーには鮮血様の泡沫状喀痰が付着していたことが認められ、また、証拠(証人両角國男)によれば、仮にドライウェイトの増加がわずかであり、一日一〇〇〇ないし一五〇〇ミリリットルの尿量が確保されている旨の自己申告があったとしても、前記諸検査の結果からすれば自己申告を重視することは相当でなく、直ちに前記処置を講じるべきであり、確かにシャントの再建術を受けて間がない場合には、シャントの閉鎖を防ぐために除水を控えるのが妥当であるが、雅貴の前記症状からすれば、除水の方を優先すべきであることが認められ、これらからすると被告の右主張は採用し難い。
また、被告は、松永医師において雅貴らに対して除水を勧めたが、同人らがこれを拒否した旨主張するが、証人松永の証言によっても、松永医師が本件診療行為の際、雅貴らに対し除水を勧め、同人らがこれを拒否するようなことはなかったことが認められ、被告の右主張は失当である。
5 また、被告は、雅貴の溢水状態は本件診療行為の約二週間前から生じていたにもかかわらず、これまでそれに対する適切な処置が為されてこなかった原因は、雅貴及び原告が自己判断で担当医師に無断で維持透析施設を変更し、また、移動先の病院でも著名な高血圧を認めたにもかかわらず、尿量が十分に保たれているという理由で透析による除水を拒否していたことにある旨主張し、雅貴の死亡については雅貴及び原告にも責任があるかのような主張をしている。
確かに、前記のとおり、雅貴は、維持透析施設を変更していることが認められるが、仮に、右透析施設の変更が雅貴らの独自の判断であり、除水をすると気分が悪くなるとして透析による除水を拒否したことがあったとしても、松永医師は本件診療行為時点においてはそれまでの雅貴の維持透析に関する具体的な経過を知らず、本件診療行為当日被告救急センターの当直医として初めて雅貴を診察したのであり、前記認定のとおり、その時点における雅貴の客観的症状のみからしても前記処置を執るべき義務があり、かつ、右処置を執れば容易に雅貴の死亡という結果を回避することができたのであるから、本件雅貴の死亡について雅貴に責任があるとすることはできず、被告の右主張は到底採用し難い。
むしろ、前記のとおり、松永医師は、本件診療行為の前夜、原告からの電話で雅貴が維持透析患者であり、被告病院の診察を受けたことがあること及び雅貴のカルテナンバーを聞いていたのであるから、自らが行った前記諸検査の結果によると溢水状態にある雅貴の治療(前記のとおり、維持透析患者にとっては心不全が最も危険な合併症である。)につき慎重を期すのであれば、直ちに雅貴の診療記録等(乙一)を調べるべきであって、これを調べていれば、それ以前の雅貴の心胸郭比は、平成七年一月一七日は三九・五%、同年二月七日から七月一七日までは四四・八%から四一%の間であり、同年八月一五日には四八・八%と高くなったがその後同月二八日以前には四二%に下がっていること、それが同年一〇月二七日には五二・七%と増加し、さらに本件治療行為時には五五・三%に増加していること、また、PO2の数値も、同年一〇月二六日には一〇四・五であったのが本件治療行為時には六八・一に大きく低下していることを知ることができ、右雅貴のこれまでの検査結果と本件治療行為時の諸検査の結果を総合して判断すれば、雅貴の症状がかなり増悪していることを知ることができ、直ちに透析による除水処置を執るべきであるとの判断がいっそう容易になったことが認められる(証人両角)のであって、それをせずに本件結果を招いたことについては、松永医師の責任が重いというべきである。
6 以上によれば、松永医師は、医師としての注意義務に違反し、適正な処置を執らなかったことにより雅貴の死亡という結果を招いたものであるから、松永医師の行為は不法行為に該当し、被告は、民法七一五条により、それにより雅貴及び原告が被った損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三 争点2(損害)について
1 葬儀費用
証拠(甲三四の一ないし三、三五、三六)及び弁論の全趣旨によれば原告は、雅貴の葬儀費用として一三九万二三七五円、戒名代として九〇万円を支払っていることが認められるが、右のうち一五〇万円が本件と相当因果関係のある損害と認める。
2 逸失利益
(一) 維持透析患者の余命
被告は、維持透析患者の余命は健常者と比べると著しく短い旨主張するのでその点について検討するに、証拠(乙一〇の一)によれば、平成九年に導入された透析患者の一年生存率は八六・四%、平成五年に導入された患者の五年生存率は五九・四%、平成元年に導入された患者の一〇年生存率は四〇・四%であること、平成九年末における最長透析歴は三一年(四八歳・男性)であることが認められる。
しかしながら、統計結果を特定の個体に当てはめこれが有意的であるか否かを判定するためには、統計の基礎となる前提条件(年齢、性別、透析を開始した時期、原疾患の種類、合併症の有無等)が右個体と母集団との間で一致していなければならないところ、右統計結果は、個々の維持透析患者の属性を問題にしていないものである。そして、証拠(甲三二、乙六、一〇の一、二)によれば、右統計の資料となった維持透析患者全員の平均年齢は六二・七歳という高齢であるところ、維持透析を導入した時点の年齢によって年数経過による生存率は大きく異なり、透析導入時年齢を雅貴とほぼ同じくする一五歳から二九歳までのグループの透析導入後の経過年数による生存率は一年後が九六・五%、五年後が九一・七%、一〇年後が八七・一%、一五年後でも八一・三%と他の導入時年齢層と比較して非常に高いことが認められること、透析導入の原疾患によってその後の生存率が異なることが認められるが、雅貴の原疾患であった慢性糸球体腎炎の場合は、他の原疾患の場合と比較して生存率が非常に高く(昭和五八年導入の透析患者のうち慢性糸球体腎炎を原疾患とする者の一一年生存率は五三%であるのに対し、腎硬化症では一七・八%、糖尿病では一六・九%と著しく低い)、近年における透析患者の粗死亡率の上昇は、生存率の低い腎硬化症、糖尿病を原疾患とする症例の増加(糖尿病性腎症による透析導入症例の全導入症例に占める割合は、昭和五八年には一五・六%であったものが平成六年には三〇・七%に達し、腎硬化症についても三・〇%から六・一%へと増加している。)が関与していると考えられていることが認められる。
以上からすると、雅貴の逸失利益を算定する際の基礎となる雅貴の余命について、健常者よりも余命が短いと認めるに足りる証拠はなく、したがって、平均余命をもって計算するのが相当である。
(二) 維持透析患者の労働能力ないし就業可能性
また、被告は、維持透析患者の就業は極めて困難であり、雅貴の就業の蓋然性は極めて低い旨主張するのでこの点について検討するに、維持透析患者が健常者と比較して労働能力の点で劣るのは肉体的労働能力の点であって、知的労働能力の点において劣るということはできない。
そして、証拠(乙一〇の三、一六)によれば、平成一〇年末現在において、透析患者全体のうち六〇歳未満の男性四万〇四八〇名のうち、常勤職に就いている者は六五・四%に当たる二万八四七六名、非常勤職に就いている者は七・五%の三〇二八人、家事に従事している者は三・四%の一三六三名であり、就業したり家事に従事したりしていない者は二三・七%の九六一三名であること、また、同じく透析患者全体のうち年齢一五歳から二九歳の男性で回答のあった一四〇六名のうち、常勤職にあるものは五五・九%に当たる七八六名であったこと、全国腎臓病協議会が、平成八年に同会加入者について収入の調査をした結果では、収入のある仕事をしていると回答した二一三〇人のうち「平成八年度国民生活基礎調査の概況」による国民一人当たりの平均所得金額(平成七年度)である二一九万二〇〇〇円を下回る者が三五・八%に達していたことが認められ、これらからすると、維持透析患者が職業に就き、一定の収入を得るには健常者と比較して困難さが伴うことが窺われる。
しかしながら、右就業に関する調査も、透析患者の能力特性や職種についての十分な資料に基づくものとは認め難く、これをもって雅貴の就業の確率の低さを証明するものとはいえない。
ただ、雅貴は、今後も週二回程度の透析(一回当たり透析に要する時間は四時間)を継続していく必要があることからすれば、健常者と比較してその時間だけ就労時間が短くならざるを得ないのであって、この点を勘案すると、健常者の収入の七割をもって雅貴の収入とするのが相当である。
(三) 以上を前提とすると、雅貴の逸失利益は、次のとおり四〇一六万二九一四円となる。
<1>年収 四七四万五二三〇円
雅貴は、死亡時放送大学の三年生であったから、平成七年度の賃金センサスによる大学卒男子労働者の全年齢平均年収六七七万八九〇〇円(当裁判所に顕著な事実)の七〇%(一円未満切捨て、以下同じ。)
<2>生活費控除 五〇%
<3>就労可能年数 四六年(大学卒業時の二二歳から六七歳まで)
<4>中間利息の控除 ライプニッツ係数一六・九二七七
四六年に対応するライプニッツ係数一七・八八〇〇から就労に至るまでの一年間の係数〇・九五二三を控除
(計算式)
<1>×(一-<2>)×<4>=四〇一六万二九一四円
3 雅貴本人の慰謝料
本件に顕れた一切の事情を勘案すると、雅貴本人の慰謝料は二〇〇〇万円とするのが相当である。
4 原告本人の慰謝料
前記のとおり、原告は、苦痛を訴える雅貴の病状を心配して前夜から松永医師に症状を報告し、その指示に従って翌日早朝に雅貴を伴って被告救急センターを訪れて雅貴の症状を訴え、その改善を依頼したにもかかわらず、松永医師の不適切な処置により目の前で一人息子を失ったものであるから、これにより原告が受けた精神的苦痛は極めて大きいものというべきであり、その他本件に顕れた一切の事情を勘案すると、右苦痛を慰謝すべき慰謝料は五〇〇万円とするのが相当である。
5 弁護士費用等
(一) 弁護士費用
本件と相当因果関係のある弁護士費用は六五〇万円とするのが相当である。
(二) 診療記録謄写費用等
弁論の全趣旨によれば、原告は、診療記録の謄写費用、交通費、通信費、コピー費用として、三〇万円を支出したことが認められるが、このうち本件と相当因果関係のある額は一〇万円とするのが相当である。
(三) 専門医相談料
弁論の全趣旨によれば、原告は、専門医に相談し、相談料として八万円を支払ったことが認められる。
6 損害額の合計 七三三四万二九一四円
四 以上によれば、被告は原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、七三三四万二九一四円及びこれに対する不法行為の日の翌日である平成七年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきである。
第四結論
よって、原告の本件請求は、損害賠償として金七三三四万二九一四円及びこれに対する平成七年一一月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから、右の範囲でこれを認容し、その余の部分は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条本文、仮執行宣言につき同法二五九条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高田健一 裁判官 古閑裕二 裁判官 大野晃宏)