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東京地方裁判所 平成8年(刑わ)2453号 判決 1998年3月26日

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

一  被告人は、昭和四五年四月、住友商事株式会社(以下、「住友商事」という。)に入社し、昭和四八年四月、同社非鉄金属本部東京非鉄金属第一部銅地金課に配属された後、同社非鉄金属部銅地金チームのサブリーダー、チームリーダー、同部ディーリングチームのチームリーダー等として、一貫して同社における銅地金の取引を担当していた。住友商事においては、銅地金の現物の需要に基づく取引(以下、「実需取引」という。)を基本とし、銅地金の先物取引、オプション取引等(以下、これら実需取引ではない銅地金の取引を総称して「ディーリング取引」という。)は、原則として実需取引の価格変動等のリスク回避(ヘッジ)を目的として行うものとされ、実需取引との厳密な対応までは要求されていなかったものの、事前に取引数量、金額等の承認限度枠が定められ、これを超える場合には個別に担当役員以上の決裁権者の承認を得る必要があった。

二  被告人が所属していた銅地金チームは、慢性的に実需取引の赤字が続いていたところ、昭和六〇年三月期には一〇期ぶりの黒字を計上したが、翌期以降、実需取引が再度赤字に転落することは確実であった、そこで、当時銅地金チームのチームリーダーであったSは、銅地金チームの黒字を維持するために、同年夏ころから、サブリーダーであった被告人とともに、当時の銅地金チームに認められていた承認限度枠を超え、かつ、専ら投機を目的としたディーリング取引によって実需取引の損失を補った上、あわよくば利益を上げようと企て、決裁権者に無断で、ロンドン金属取引所(以下、「LME」という。)を利用した銅地金のディーリング取引(以下、「LMEディーリング取引」という。なお、このLMEディーリング取引には、LME市場において直接売買をする権利を有するLME会員等のディーラーに委託して行う同市場における取引のほか、LME価格を基準とするものの、同市場を介さずにディーラーとの間で行う相対取引があった。)を行うことにした。

こうして、被告人らは、決裁権者に無断で、専ら投機を目的としたLMEディーリング取引(以下、こうしたLMEディーリング取引を単に「不正取引」という。)を開始したが、相場動向の予想が外れることが多かったため、かえって多額の損失を出し、昭和六二年八月ころ、Sが住友商事を退社した時点での銅地金チームの累積損失額は、実需取引による損失を含めて、約六五億円に達した。

三  被告人は、Sが退社し、銅地金チームのチームリーダーに昇格した後も、不正取引を続けたが、相場動向の予想が外れることが多く、このため損失を増大させ、これを挽回するために更に大規模な不正取引を行っては、これも裏目に出てますます損失を増大させるということを繰り返し、この結果、累積損失額は年々膨れ上がっていった。

特に、平成三年一二月四日、LME市場が大幅なバックワーデーション(先物の価格が直物及び期近物の価格を下回ること)の状態になったことから、LME理事会がその値幅を制限した際には、銅の直物価格が急落したため、被告人は莫大な損失を生じさせ、平成四年三月期の累積損失額は、約六八二億三七〇〇万円に達した。

四  この間、被告人は、当初は、コントラクト・キャリー(差損金の支払いに代えて評価損を内包させた価格での反対売買を行い、差損金の支払期日を先延ばしにする取引)、クロス・トレード(同一当事者間で同一満期日、単価、数量の商品の売りと買いを行い、利益の出る方のみを帳簿上明らかにし、他方は当分の間簿外とする取引)、ポジション・トランスファー(ディーラーに対する追加担保ないし証拠金の支払いを免れるため、当該ディーラーとの契約を与信枠に余裕のある別個のディーラーに移転する取引)等の方法により損失が表面化することを回避していたが、次第に、巨額の累積損失を抱えながら大規模な不正取引を続けるためには、架空利益を住友商事に入金し、あるいは、差損金、追加証拠金を取引先に支払うなどの必要があったため、巨額の資金の手当てが必要となった。そこで、被告人は、<1>平成二年ころから、住友商事が保有するLME指定の倉庫業者の発行する倉荷証券(一ロット=二五メートルトンの銅の寄託物返還請求権等が表象された有価証券。以下、「銅ワラント」という。)を担保として、ディーラーから融資を受け、<2>同年九月ころからは、ディーラーとの間で銅の売却と再購入を組み合せた実質的な融資である「コモディティ・ファイナンス」を行うようになり、<3>住友商事の銅ワラント売買においては、為替差損や外為法上の規制を回避するなどの目的から、取引先との間に住友商事香港有限公司(以下、「住友商事香港」という。)等の住友商事の海外子会社を独立の契約当事者として介在させていることを利用して、右海外子会社に対し、平成四年一〇月ころからは、真実は銅ワラントを購入していないのに、これを購入した旨通知し、銅ワラント購入代金として取引先に送金させる「架空銅ワラント購入」の手段を用いるようになった。

また、被告人は、不正取引に係る契約を社内のコンピューターに入力せず、取引先からの毎月の残高照合書を改ざんして非鉄化燃審査部に送付するなどし、経理や営業関係の帳簿等の突合から不正取引が発覚するのを妨げたほか、平成四年四月に銅地金チームの監督機関として銅地金業務チームが設置された際には、同チームがディーラーとの間で直接取引の確認をしないように画策し、また、部下と共同せず、専ら一人でディーリング取引を行うなどして、不正取引を隠蔽し続けた。

五  このように、被告人は、住友商事のLMEディーリング取引の大部分を担当し、不正取引により損失を増大させる一方で、表向きは常に銅地金チームの収益が黒字を計上しているかのように見せかけ、有能なディーリング担当社員として住友商事から全幅の信頼を得ていた。

(犯罪事実)

第一  被告人は、住友商事の社員として、平成元年四月ころから、LME会員であるクレディ・リオーネ・ラウス(以下「CLR」という。)との間で、不正取引を含む大規模なLMEディーリング取引を行っていたところ、平成五年九月、LME市場が値幅の大きなバックワーデーションとなったことから、同月八日ころ、LME理事会がCLRに対し、銅取引秩序維持のため顧客の取引規模を縮小するように強く要求したため、被告人も、これを受け、同月一七日、急遽、大規模に行っていた取引の大半について反対売買を立てて精算をしたため、住友商事に多額の損失を生じさせ、同社は、CLRに対して精算金として約一億一六三七万四二五六・五米ドル(以下、米ドルを単に「ドル」と表示する。)の支払義務を負った。そこで、CLRは、住友商事との間で、右精算金の原因となった取引の存在を確認し、精算金の支払いを確実なものにするため、同日ころ、CLRを宛て先として、住友商事が、LMEの規格に合致する銅グレードAにつき、ウィンチェスター・ブローカリッジ・リミティッドの仲介により、CLRに対し、一九九五年一月から同年一二月までの各月を限月とし、権利行使価格をトンあたり二三〇〇ドルとする現物メタル(銅)のコール・オプションを、トン当たり四六・五ドルのプレミアムで一万六七五〇トンずつ売却したことなどを確認する旨を英文で記載した「契約の確認書」の書式を被告人に郵送し、住友商事の当時の取締役非鉄金属本部長であった今村秋夫及び被告人の連署を求めてきた。被告人は、今村に署名を依頼すれば、不正取引やそれによる損失等が露見すると考え、右「契約の確認書」を偽造しようと企て、平成五年九月下旬ころ、東京都千代田区神田錦町<番地略>所在の住友商事非鉄金属本部において、行使の目的をもって、ほしいままに、一九九三年九月三〇日付けの前記内容の「契約の確認書」に、自己の署名をするとともに、今村の筆跡をまねて「A. Imamura」と冒書し、もって、他人の署名を使用して権利、義務に関する文書一通を偽造した。

第二  被告人は、住友商事とCLRとの間の取引において、住友商事の所有する銅ワラントをCLRに担保として預託し、その評価額分に応じて住友商事に与えられる与信枠を増やし、取引額の増大に利用していたところ、前記のとおり、平成五年九月一七日、住友商事が大規模に行っていた取引を精算したことなどから、LME市場の直物価格が急落したため、住友商事がCLRとの取引において有する買い持ち高に多額の評価損が生じ、同年一一月一七日には、約一八六二万ドルの与信不足が生じた。そこで、CLRは、住友商事との間で前記銅ワラントの担保権の存在を確認してその担保権実行を確実にするため、同日ころ、CLRを宛て先として、現在又は本契約締結後CLRの占有下にあり、同社若しくはその代理人に預託された銅ワラント等は、住友商事が現在又は本契約締結後負担し、CLRに対する弁済期の到来した債務全額の担保とすることなどを英文で記載した「担保差入証」の書式を被告人に郵送し、今村及び被告人の連署を求めてきた。被告人は、今村に署名を求めれば、不正取引やそれによる損失等が露見すると考え、右「担保差入証」の偽造を企て、同年一二月中旬ころ、前記非鉄金属本部において、行使の目的をもって、ほしいままに、一九九三年一一月一七日付けの前記内容の「担保差入証」に、自己の署名をするとともに、今村の筆跡をまねて「A. Imamura」と冒書し、もって、他人の署名を使用して権利、義務に関する文書一通を偽造した。

第三  被告人は、住友商事の社員として、昭和六二年ころから、LME会員のメリルリンチ・ピアース・フェナー・アンド・スミス(ブローカーズ・アンド・ディーラーズ)・リミティッド(以下、「メリルリンチ」という。)との間でLMEディーリング取引を行っていたが、平成五年九月、前記第一のとおり、CLRとの取引で大きな損失を出し、同社との関係では新たに大規模な取引を行うことが困難となったため、このころから、メリルリンチ及びそのグループ会社(以下、「メリルリンチグループ各社」という。)との間で、不正取引を含む大規模なLMEディーリング取引を行うとともに、巨額のコモディティ・ファイナンスを受けるようになり、その取引額及び与信枠が巨額なものになった。そこで、メリルリンチは、被告人が住友商事とメリルリンチ・コモディティ・ファイナンシング・インク(以下、「メリルリンチ・コモディティ」という。)との取引において正当な権限を有していることを確認するため、平成六年一月二一日、被告人に対し、住友商事とメリルリンチ・コモディティとの取引が権限を与えられた正規の取引担当者によるものであることなどを確認する旨の文案をファックスで送信し、今村及び住友商事の当時の非鉄金属部長であった高橋文之の連署のある右内容の文書の作成を求めてきた。被告人は、今村や高橋に署名を求めれば、不正取引やそれによる損失等が露見すると考え、右文書の偽造を企て、同月下旬ころ、前記非鉄金属本部において、行使の目的をもって、ほしいままに、住友商事のレターヘッド入りの用紙に、メリルリンチを宛て先として、被告人が、住友商事のためにメリルリンチ・コモディティとの間で金属オプション・先渡し・再購入取引を行う権限を有することなどを英文で記載した一九九四年一月二一日付けの書面に、自己の署名をするとともに、今村の筆跡をまねて「A. Imamura」、高橋の筆跡をまねて「F. Takahashi」と各冒書し、もって、他人の署名を使用して権利、義務に関する文書一通を偽造した。

第四  被告人は、平成五年一二月ころ、商事会社であるグローバル・ミネラルズ・アンド・メタルズ・コーポレーション(以下、「GMMC」という。)との銅取引による利益獲得を目論んだが、GMMCから右取引のリスクヘッジのために住友商事名義でLMEディーリング取引ができることを希望されたため、住友商事に無断で、メリルリンチに開設した住友商事名義の口座をGMMCに使用させてLMEディーリング取引を行わせることとした。しかし、これには、右住友商事名義口座からGMMCの口座に振替出金をするという異例の手続が必要であったことから、メリルリンチは、住友商事から後に責任を追及されることをおそれ、住友商事が右振替出金を承諾していることを確認するため、平成六年九月一九日付けで、被告人に対し、住友商事がメリルリンチグループ各社に預託する資金を受け取る権限を被告人の指定する者に与えていることを確認する旨の文案をファックスで送信し、今村の署名のある右内容の文書の作成を求めてきた。被告人は、今村に署名を求めれば、不正取引やそれによる損失等が露見すると考え、右文書の偽造を企て、同下旬ころ、前記非鉄金属本部において、行使の目的をもって、ほしいままに、住友商事のレターヘッド入りの用紙に、メリルリンチを宛て先として、住友商事とメリルリンチをはじめとするメリルリンチグループ各社との間の種々の金属取引に関連して、同グループ各社に預託中であるか又は今後預託する資金の全部又は一部を受領するために、被告人が住友商事を代理して第三者を含む受取人を指名する権限を有していることなどを英文で記載した一九九四年九月二八日付けの書面に、今村の筆跡をまねて「A. Imamura」と冒書し、もって、他人の署名を使用して権利、義務に関する文書一通を偽造した。

第五  被告人は、不正取引の発覚を隠蔽するための資金等を調達するため、平成五年一一月及び平成六年三月、モルガン・ギャランティー・トラスト・カンパニー・オブ・ニューヨーク(以下、「モルガン銀行」という。)との間で、LME市場価格を基準としたオプション類似の相対取引を行ったが、右は無理に多額のプレミアム収入を入手しようと企てたものであったため、住友商事に極めて不利な取引であり、果たして、同社には、平成六年一〇月及び同年一一月、モルガン銀行に対し巨額の差損金の支払義務が生じた。そこで、被告人は、香港金鐘道九十五號統一中心甘三樓所在の住友商事香港を当事者として中間に介在させる架空銅ワラント購入を行い、住友商事香港から銅ワラント購入代金支払いの名目で金員をモルガン銀行に送金させ、右差損金の支払いに充てようと企てた。

一  被告人は、平成六年一〇月一九日に住友商事がモルガン銀行に対して支払義務のある差損金が合計三億八七三一万三七一八ドルに確定したことから、その資金を調達するため、同月一八日ころ、前記非鉄金属本部において、住友商事香港財経部長の船本洋に対し、真実は、モルガン銀行から銅ワラントを購入した事実がなく、モルガン銀行に対する送金は、自己が行った不正な銅オプション類似の取引の精算金に充てるものであるのに、これを隠して、住友商事香港からモルガン銀行に対する送金は同銀行に対する銅ワラント購入代金の支払いであるかのように装い、「モルガン銀行から銅ワラント一四万メートルトンを購入したので、その代金として三億五〇〇〇万米ドルをモルガン銀行に送金して欲しい。」旨虚偽の事実をテレックスで通知してその支払いを依頼し、船本をその旨誤信させ、よって、同月一九日ころ、同人に、住友商事香港所有の三億五〇〇〇万ドル(約三四一億六〇〇〇万円相当)を、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ウォール・ストリート六〇所在のモルガン銀行の同銀行名義の預金口座に振込送金させ、これを騙し取った。

二  被告人は、平成六年一一月一六日に住友商事がモルガン銀行に対して支払義務のある差損金が合計四億二一三〇万八五〇〇ドルに確定したことから、その資金を調達するため、同月一五日ころ、非鉄金属本部において、船本洋に対し、真実は、モルガン銀行から銅ワラントを購入した事実がなく、モルガン銀行に対する送金は自己が行った不正な銅オプション類似取引の精算金に充てるものであるのに、これを隠して、右と同様に、「モルガン銀行から銅ワラント一五万二〇〇〇メートルトンを購入したので、その代金として四億二一三〇万八五〇〇米ドルをモルガン銀行に送金して欲しい。」旨虚偽の事実をファックスで通知してその支払いを依頼し、よって、船本をその旨誤信させ、同月一六日ころ、同人に、住友商事香港所有の四億二一三〇万八五〇〇ドル(約四一五億八三一四万八九五〇円相当)を、前記モルガン銀行名義の預金口座に振込送金させ、これを騙し取った。

(証拠)<省略>

(法令の適用)

一  罰条

第一ないし第四の各行為 いずれも平成七年法律第九一号附則二条一項本文、同法による改正前の刑法(以下、一括して単に「刑法」という。)一五九条一項

第五の一、二の行為 いずれも刑法二四六条一項

二  併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(刑及び犯情の最も重い第五の二の罪の刑に加重。ただし、短期は有印私文書偽造罪の刑のそれによる。)

三  未決勾留日数の算入 刑法二一条

四  訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

一  本件は、住友商事において長年にわたり銅地金取引を担当していた被告人が、同社に無断で行った投機的な銅取引(不正取引)とこれによる損失の発覚を免れ、更に不正取引を継続する目的で、<1>取引先から作成を求められた契約確認書、担保差入証等四通の文書を偽造し(有印私文書偽造)、<2>取引先との差損金の決済のため、二度にわたり、住友商事の海外子会社である住友商事香港に虚偽の銅ワラント代金の支払依頼をして、日本円にして合計七五〇億円余りを騙し取った(詐欺)という事案である。

二  被告人は、前記のとおり、昭和六〇年、被告人の所属する銅取引チームが、実需取引において赤字になる見込みであったことから、実需取引の赤字を補い、同チームの黒字決算を実現するため、上司のSとともに不正取引を開始したが、相場の見込みを誤り、かえって損失を増大させ、その後Sが退職した後も、平成八年六月に発覚するまで、一〇年以上の長期間にわたり、チームリーダーとして、ますます規模を拡大しながら不正取引を続け、住友商事に莫大な損失を生じさせたものである。この間、被告人は、前記のとおり、<1>コントラクト・キャリーやクロス・トレード等の方法による帳簿上の操作、<2>コモディティ・ファイナンスや架空銅ワラント取引による損失隠蔽のための資金調達方法の確立、<3>不正取引の社内のコンピューターへの不入力、取引確認書の破棄や残高照合書の改ざん等による不正取引の隠蔽、<4>銅地金業務チームとディーラーとの直接の取引確認の妨害工作等、ありとあらゆる手段を駆使して、不正取引の発覚を防いできたものである。これら被告人の隠蔽工作は、被告人が優秀な銅取引担当者として社内で厚い信頼を受けていたことをも利用した極めて複雑かつ巧妙なものであるが、本件各犯行も、不正取引の発覚の防止を目的とする右隠蔽工作の一環をなすものである。

そして、被告人は、長年にわたる不正取引により損失を増大させる一方で、表向きは常に利益を上げているかのように装い続け、その結果、住友商事内外で優秀なディーリング担当者としての信頼を勝ち取り、銅取引業界においては、「五パーセントの男」などと賞賛と名声を博するとともに、社内でも、銅地金チームにおいて社長表彰を受賞し、同期の中で最初に部長に昇進するなど、虚像を塗り重ねていたものである。このように、被告人は、チームリーダーとして、銅取引チームの決算を黒字に装い、それに伴う社会的名誉や人事的評価を獲得し、維持することを主たる目的として不正取引を継続、拡大し、さらに、これを隠蔽するために本件各犯行に及んだものと認められ、もとよりその動機に酌量の余地はない。

なお、弁護人は、被告人は専ら住友商事の損失回復を目的として、一連の不正取引を行った旨主張する。しかし、被告人が不正取引により住友商事に与えた累積損失が巨額になるにつれ、これを取り戻そうとして、取引規模を拡大すれば、ますます市場価格より不利な取引をせざるを得なくなったのであり、被告人も、このことを十分認識していたと認められる。特に、本件各詐欺の犯行の直接の原因となったモルガン銀行とのオプション類似の取引は、契約当初から住友商事が損失を被ることがほぼ確実な取引であったのであり、このことに照らしても、被告人が住友商事の損失回復のためだけに不正取引を続けていたとは到底認められない。

被告人の本件各犯行の態様をみると、文書偽造の各犯行は、住友商事の幹部社員である被告人が、取引先との間で、不正取引の帰属等をめぐって将来民事訴訟等が起こった場合には、住友商事に決定的に不利な証拠となるような重要な文書を偽造したものであって、犯情は悪質である上、上司の筆跡に似せた署名をするなど、巧妙な犯行である。被告人は、本件以外にも同種の方法により文書を偽造していたことが窺えるのであって、本件文書偽造の各犯行は、不正取引に深く根ざしており、決して偶発的な犯行といえるものではない。本件詐欺の各犯行も、前記のとおり、住友商事にとって極めて不利な内容のモルガン銀行との取引が直接の原因となっており、酌量の余地がない上、被告人が海外子会社を含む住友商事の社内で優秀なディーリング担当社員として厚い信頼を受けていたことを利用した悪質な犯行である。しかも、被告人は、犯行の隠蔽のため、その後も本件犯行と同様の架空銅ワラントの売却、購入を繰り返している。

被告人が本件詐欺の各犯行において騙取した金員は、日本円にして七五〇億円余りと、同種事案に類をみないほどの巨額に達しているところ、右は最終的に住友商事の損害となっている。しかも、被告人の長年にわたる不正取引全体によって住友商事が被った損害は、同社が莫大な簿外取引を精算せざるを得なかったことも加わって、右詐欺の被害額をはるかに超え、我が国有数の一流総合商社である同社ですら、社長が引責辞職に追い込まれ、従業員も給与の一部カットを余儀なくされるなど、その経営の根幹を揺るがす広範かつ深刻な影響を及ぼしている上、本件により、同社の国内外における社会的信用も大きく損なわれている。このように、被告人の犯行による被害は甚大であるが、被告人は、住友商事に対して全く被害弁償を行っておらず、今後有意な弁償が行われる見込みもない。また、被告人の一連の不正取引により、LMEを始めとする国際銅取引市場に多大な混乱が生じており、本件各犯行のもたらした国際的影響も軽視することができない。

さらに、被告人は、不正取引により住友商事に巨額の損害を与える一方で、元上司のSが代表取締役を務める株式会社スキャットに対し、住友商事の口座から、日本円にして七億円を超える多額の金員を送金し、その謝礼として日本円にして二億円を超える金員をスキャットからスイス・ユニオン銀行に開設した被告人名義の秘密口座で受け取っているほか、LME取引の仲介業者から大量の取引を発注した個人的謝礼として約二〇〇〇万円を受け取っているのであって、被告人は、一連の不正取引において、自己及びSの利益を図っていたものである。弁護人は、住友商事からスキャットへの右送金は、住友商事がスキャットから受託したLMEディーリング取引(以下、「受託取引」という。)による利益分の支払いであり、住友商事の承認を得ないで行った不正取引ではあるものの、実体を伴う取引であった旨主張し、被告人やSも概ねこれに沿う供述をする。しかし、被告人は、この間も住友商事のための取引においては累積損失を増大させているのに、受託取引においては利益のみが発生し、これがスキャットに送金されているのは不自然である上、受託取引に関する被告人やSの供述は、これを裏付ける客観的証拠が一切存在しないなど、不自然、不合理なものであって、到底信用することはできない。結局、被告人による住友商事からスキャットへの送金は、取引に基づかない単なる利益の付替えであることが明らかである。

このように、被告人は、不正取引の過程で、Sの利益を図りつつ、自らも商社員の収入からは考えられない多額の個人的利得を得て、これを遊興費等の個人的用途に費消していたのであって、その利得額が本件詐欺の被害額や住友商事の被害総額と比べるとわずかなものに過ぎないとはいえ、その態度は、商社員としてまことに背信的であり、強い非難を免れない。ところが、被告人は、捜査段階においては、右Sに対する利益供与や被告人自身の個人的利得について秘匿し、公判廷においても、証拠上明らかになった事実は認めるものの、その余については不自然であいまいな供述に終始するなど、十分な反省の態度がみられない。

以上の点からすると、被告人の犯情は悪質である。

三  他方、住友商事の管理体制にも、被告人による不正取引が増大し、本件各犯行が大規模化したことについて、原因の一端があると指摘することができる。すなわち、住友商事の銅地金チームは、長年にわたり、ディーリング取引の利益によって実需取引の損失を補い、全体として帳簿上常に黒字を計上していたことから、住友商事としても、表向きは実需取引に対応しない投機的ディーリング取引を承認していなかったとはいえ、その内実は、実需取引との対応を要求せず、投機的取引を容認していたものと認められ、社内調査において、被告人が承認限度枠超過など住友商事の社内規定に違反した取引を繰り返していることが明らかになっても、その都度承認限度枠を引き上げるなどして、被告人の行う投機的取引を追認した格好になっている。また、平成三年一一月からの社内の検査役による特命監査において、自己完結的な銅地金チームの管理体制の不備が指摘されたにもかかわらず、銅地金チームの監督機関として銅地金業務チームが設置されたほかは、何ら有効な方策が講じられておらず、その業務チームも、人員及び職掌の面で不十分なものであったため、被告人の隠蔽工作を易々と許し、監督機関として機能しないまま、廃止されるに至っている。また、平成五年九月、被告人がCLRへの架空ワラントの売却を仮装するに必要な資金を調達するため、モルガン銀行との間でオプション類似の取引の交渉をした際、同銀行が右取引について住友商事の決算対策のための不正取引ではないかと疑い、確認を求めてきたときにも、被告人の上司は、十分な調査をすることなく、被告人の説明を鵜呑みにして不用意にこれを承認し、本件各詐欺の犯行の直接の原因となる取引を招いている。しかも、同年九月中にモルガン銀行との右取引が実現しなかったことから、同月末の決算期において帳簿上、住友商事香港のCLRに対する三〇〇億円を超える巨額の未収入金が発生し、まさに被告人が行おうとしていた右の取引が不正取引の隠蔽工作であることが露見しかけたにもかかわらず、業務チームが一時期復活した程度で、やはり十分な調査が行われなかったため、被告人の不正取引を見逃す結果となっている。このように、住友商事は、銅地金チームが恒常的に帳簿上利益を上げていたことに惑わされ、同社の利益に寄与していると思われた被告人に過大な信頼を置き、ディーリング取引のもつ危険性や被告人の行う隠蔽工作の綻びを看過して、被告人に対する監督、管理をおざなりにしたまま、被告人に長期間にわたりディーリング取引を担当させていたのである。このような住友商事の利益偏重の経営姿勢や、危機管理意識を欠いた人事管理の在り方が、本件各犯行をここまで大規模なものにしたとみることができる。この意味で、住友商事の落ち度は小さくないというべきである。

ところで、弁護人は、本件各詐欺事件の架空銅ワラント取引は、住友商事香港にとっては「対日打合せ」と称する制度の対象であるところ、住友商事香港がこれを履行し、または、住友商事から送付される契約関係書類の内容を注意深く検討していれば、本件各詐欺事件を未然に防止し、若しくは早期に発見することができたとし、住友商事香港には重大な落ち度があると主張する。確かに、住友商事香港が対日打合せを厳格に履行していれば、本件各詐欺事件が発覚した可能性は否定できない。しかし、住友商事香港が関与する銅ワラント取引は、住友商事と取引先との交渉により契約内容がすべて決定された後、資金の調達や送金、右に伴う為替リスクの回避等のために、住友商事と取引先の間に、形式的に契約当事者として介入する取引であり、住友商事香港は、契約内容の決定に関与しないばかりでなく、住友商事からの依頼を受けた後、一般的に二四時間以内に履行する必要があり、他方、住友商事香港が負担するリスクはほとんどなかったことから、住友商事香港が、被告人からの本件架空銅ワラントの取引の指示が住友商事内部で当然承認を得ているものと判断し、対日打合せの時間的余裕もなかったことから、これを行わなかったとしても、住友商事香港に落ち度があったとみるのは相当でない。同様に、住友商事香港が代金決済に関係する部分以外の契約内容に特段の注意を払わなかったとしても、同社が資金調達等の機能を果たすにとどまる以上、落ち度があったとはいえない。

四  以上の事実のほか、本件各犯行の原因となった不正取引は、上司のSが被告人と共同して昭和六〇年ころから開始したものでありながら、昭和六二年にSがその責任を取ることなく退社したために、その後は被告人がこれを一身に背負わざるを得ない立場におかれたのであって、このことは、被告人にとって若干酷な事情であったということも否定できない。加えて、被告人には、本件各犯行を自白するとともに、住友商事に謝罪の意思を表明し、前記スイス・ユニオン銀行の預金から住友商事に対して弁償したいとの意向を表明していること、前科前歴がないこと、住友商事を懲戒免職になり、本件が大きく報道されたことにより、既にある程度の社会的制裁を受けたといえることなどの有利な事情も認められる。

以上の諸事情を総合すると、被告人に有利な事情を考慮に入れても、前記の犯情に鑑みると、その責任はまことに重大であって、被告人に対しては主文の刑が相当であると判断した。

(裁判長裁判官 朝山芳史 裁判官 大熊一之 裁判官 岩崎邦生)

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