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東京地方裁判所 平成8年(刑わ)2666号 判決 1998年6月24日

主文

被告人乙川を懲役一年六月に、被告人丙山を懲役一年六月に、被告人甲野を懲役二年に処する。

被告人乙川に対し、この裁判確定の日から四年間その刑の執行を猶予する。

被告人乙川から金一一二二万円を、被告人丙山から金二〇〇万円を、被告人甲野から金六三六九万一七八〇円をそれぞれ追徴する。

訴訟費用のうち、証人松島利夫に関する分は、その二分の一ずつをそれぞれ被告人乙川及び被告人甲野の、証人高山康信に関する分は、被告人甲野の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人乙川は、平成四年四月一日から平成七年三月三一日まで、埼玉県生活福祉部高齢者福祉課長として、特別養護老人ホーム等の施設整備のための補助金交付等に関する協議書等の受理、審査及び社会福祉法人の設立認可等の事務を所掌し、その後、同年四月一日から平成八年八月二一日まで、厚生省年金局企画課課長補佐等の職にあったもの、被告人丙山は、平成五年八月以降、埼玉県内に社会福祉法人桃泉園など六つの社会福祉法人を設立し、その各理事長として特別養護老人ホーム等を運営していたもの、被告人甲野は、平成元年六月二七日から平成四年六月三〇日まで、厚生大臣官房老人保健福祉部長として、老人福祉法等に基づく特別養護老人ホーム等の施設整備のための補助金の交付並びに同施設の設置認可及び老人福祉事業を行うことを主たる目的とする社会福祉法人の設立認可に関する都道府県知事に対する指導監督等の事務を掌理し、平成五年六月二九日から平成六年九月一日まで、厚生大臣官房長として、厚生省の所掌事務に関しての基本的かつ総合的な政策の策定、各部局間の総合調整、経費及び収入の予算、決算及び会計並びに同省職員の人事等に関する事務を掌理し、その後、同月二日から平成八年七月一日まで厚生省保険局長の職にあったものである。

第一  被告人乙川は、丙山から、

一  平成五年七月二二日ころ、浦和市太田窪二一六六番地飲食店うなぎ小島屋において、特別養護老人ホーム等の施設整備のための補助金交付等に関する協議書等の受理、審査及び社会福祉法人の設立認可等に関し、有利かつ便宜な取り計らいを受けた謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金二〇万円の供与を受け、

二  平成六年八月一九日ころ、同市仲町二丁目一六番九号浦和東武ホテルにおいて、前同様の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金二〇万円の供与を受け、

三  同年一〇月一九日ころ、同市<住所略>被告人乙川方において、前同様の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金二〇万円の供与を受け、

四  平成七年三月九日ころ、前記浦和東武ホテルにおいて、前同様の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金三〇万円の供与を受け、

五  平成八年五月一三日ころ、前記謝礼の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、埼玉県大宮市大門二丁目三一番地株式会社東和銀行大宮支店から東京都渋谷区笹塚一丁目五五番二号株式会社東京三菱銀行笹塚支店の被告人乙川名義の普通預金口座に三二万円の振込入金を受けて供与を受け、

六  同年八月一四日ころ、前記謝礼の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、埼玉県志木市<住所略>丙山方において、現金一〇〇〇万円の供与を受け、

もって、自己の職務に関しそれぞれ賄賂を収受した。

第二  被告人丙山は、

一  乙川に対し、

1 平成六年八月一九日ころ、前記浦和東武ホテルにおいて、特別養護老人ホーム等の施設整備のための補助金交付等に関する協議書等の受理、審査及び社会福祉法人の設立認可等に関し、有利かつ便宜な取り計らいを受けた謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに、現金二〇万円を供与し、

2 同年一〇月一九日ころ、前記第一の三記載の乙川方において、前同様の趣旨のもとに、現金二〇万円を供与し、

3 平成七年三月九日ころ、前記浦和東武ホテルにおいて、前同様の趣旨のもとに、現金三〇万円を供与し、

4 平成八年五月一三日ころ、前記第一の五記載の株式会社東和銀行大宮支店から前記第一の五記載の東京三菱銀行笹塚支店の乙川名義の普通預金口座に、前記謝礼の趣旨のもとに、三二万円を振込送金して供与し、

5 同年八月一四日ころ、前記第一の六記載の自宅において、前記謝礼の趣旨のもとに、現金一〇〇〇万円を供与し、

もって、乙川の前記職務に関しそれぞれ賄賂を供与した。

二  甲野に対し、

1 平成六年七月二七日ころ、東京都千代田区霞が関一丁目二番二号厚生省厚生大臣官房長室において、特別養護老人ホーム等の施設整備のための補助金の交付等に関して有利かつ便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼及び前同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに、現金二〇〇〇万円を供与し、

2 同年八月二三日ころ、前記厚生省厚生大臣官房長室において、前同様の趣旨のもとに、現金四〇〇〇万円を供与し、

3 平成七年七月二六日ころ、東京都新宿区<住所略>の甲野方において、同人に対し、前記謝礼の趣旨のもとに、ジェイ・ダブリュー・エム株式会社(代者取締役武中勉)が株式会社トヨタレンタリース埼玉から使用期間三年、賃借料二五三万九九八〇円の契約で借り受けた普通乗用自動車一台を無償で貸し渡し、前同額相当の財産上の利益を供与し、

もって、甲野の前記職務に関しそれぞれ賄賂を供与した。

第三  被告人甲野は、丙山から、

一  平成四年六月一六日ころ、前記第二の二の3記載の自宅において、特別養護老人ホーム等の施設整備のための補助金の交付等に関して有利かつ便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼及び前同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、ジェイ・ダブリュー・エム日本廃棄物処理株式会社(代表取締役丙山)が株式会社トヨタレンタリース新埼玉から使用期間三年、賃借料三一五万一八〇〇円の契約で借り受けた普通乗用自動車一台を無償で借り受け、前同額相当の財産上の利益の供与を受け、

二  平成六年七月二七日ころ、前記第二の二の1記載の厚生省厚生大臣官房長室において、前同様の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金二〇〇〇万円の供与を受け、

三  同年八月二三日ころ、前記厚生省厚生大臣官房長室において、前同様の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金四〇〇〇万円の供与を受け、

四  平成七年七月二六日ころ、前記自宅において、前記謝礼の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、ジェイ・ダブリュー・エム株式会社(代表取締役武中勉)が株式会社トヨタレンタリース埼玉から使用期間三年、賃借料二五三万九九八〇円の契約で借り受けた普通乗用自動車一台を無償で借り受け、前同額相当の財産上の利益の供与を受け、

もって、自己の職務に関しそれぞれ賄賂を収受した。

(証拠の標目)<省略>

第一  乙川及び丙山間の賄賂の授受(判示第一及び判示第二の一の各事実)について

一  丙山は、当公判廷において、判示第二の一の1ないし3の各事実(乙川に対する現金二〇万円、二〇万円及び三〇万円の各供与)について、「乙川の公用による海外旅行へのせん別として団体の諸経費等の支払にも充てるものとの認識でなした」「右程度の金員は社交的儀礼の範囲内と考えていた」旨弁解し、弁護人も右丙山の弁解に沿った主張をするので(丙山弁論六頁)、以下検討を加えることとする。

1 証拠により認定できる事実

(一) 乙川の経歴並びに職務権限等について

(1) 乙川は、昭和五七年四月、厚生省に採用されて厚生事務官となり、生活衛生局指導課課長補佐等を経て、埼玉県に出向するため、平成四年三月三一日、厚生省を退職し、同年四月一日、埼玉県事務吏員に任命され、埼玉県生活福祉部高齢者福祉課長に就任し、平成七年三月三一日まで右職務に就いていた。その後、同年四月一日付けで再び厚生省に採用され、年金局企画課課長補佐等となったが、平成八年八月二一日、衆議院議員選挙に立候補するため厚生省を退職した。

(2) 埼玉県生活福祉部高齢者福祉課長の職務権限は、老人福祉施設を運営する社会福祉法人の設立認可申請書の受理及び審査、老人福祉法が定める特別養護老人ホームの設置及び補助金の交付に関し、老人福祉施設設立計画書や老人福祉施設整備費協議書の受理及び審査、厚生省に対する国庫補助協議書の提出(優先順位の決定を含む。)等の事務を掌理し、かつ、それらの事務を処理するため、所属の職員を指揮監督する職務権限を有していた。

(二) 特別養護老人ホームの設置と補助金制度の概要

(1) 特別養護老人ホームとは、六五歳以上の者であって、身体上又は精神上著しい障害があるために常時介護を必要とし、かつ、居宅において介護を受けることが困難な者を入所させて、養護することを目的とする施設であり(老人福祉法二〇条の五、一一条一項二号)、これを経営する事業は、第一種社会福祉事業とされている(社会福祉事業法二条二項二号の二)。そして、特別養護老人ホームの設置、運営の主体は、原則として、国、普通地方公共団体又は社会福祉法人に限定されており(老人福祉法一五条、五条の三、社会福祉事業法四条)、国又は普通地方公共団体以外の者で、特別養護老人ホームを設置しようとするには、社会福祉事業法に基づいて、定款につき都道府県知事の認可を受けて社会福祉法人を設立することを要するほか、当該社会福祉法人が特別養護老人ホームを設置することについても都道府県知事の認可を受けることが必要とされている。

(2) ところで、厚生省においては、かねてより高齢者に対する保健福祉対策を重要な政策課題としていたが、平成元年に消費税を導入した見返りとして、社会保障の一層の充実強化を図るため、同年一二月二一日、大蔵大臣、厚生大臣及び自治大臣の合意により、「高齢者保健福祉推進一〇か年戦略」(通称「ゴールドプラン」)が策定され、平成二年度以降の一〇年間に、特別養護老人ホーム二四万床分を新設整備すること等が決定された。そして、平成二年の老人福祉法等の改正に伴い、平成五年春までに全国の市町村及び都道府県が老人保健福祉計画を策定して、高齢化の実情把握が進んだ結果、実際の高齢化の進展はゴールドプラン策定時の想定以上に進んでおり、より多くの福祉施設の整備が必要と判明した。なお、平成六年ころには、消費税の引き上げが議論されており、代償措置として福祉の拡充が求められていたこともあり、同年一二月一八日、大蔵大臣、厚生大臣及び自治大臣の合意により、「高齢者保健福祉推進一〇か年戦略の見直しについて」(通称「新ゴールドプラン」)が策定され、平成一一年度までの特別養護老人ホームの施設整備数をゴールドプランより五万床上乗せして、二九万床分とすること等に決した。

(3) 老人福祉法によれば、社会福祉法人が特別養護老人ホームを設置する場合、設置費用の一部を都道府県が補助できるとされており、さらに、国は、都道府県による補助の一部について、都道府県を補助できるとされている。そして、実際に特別養護老人ホームを設置しようとする者は、事前に、都道府県知事に対して、その設置計画に基いて補助金交付に関する協議を行い、これを受けた都道府県は、これら施設について、国に対して国庫補助協議を行っているのが実情である。この制度による社会福祉法人に対する各補助の総事業費(建築に要する総事業費又は施設の面積に応じて決定される補助基準額のいずれか低い方をいう。)に占める割合は、ほぼ四分の三を都道府県が社会福祉法人に支弁する一方で、国は都道府県からの補助金の三分の二を都道府県に補助することになるため、結局は総事業費の二分の一が国からの補助金、全体の四分の一が都道府県からの補助金によりまかなわれることになる。また、埼玉県においては埼玉県民間社会福祉施設整備費補助金交付要綱に基づき、総事業費の一六分の三を国及び都道府県からの補助金に上乗せして交付すると定められていたから、結局のところ、埼玉県内で特別養護老人ホームを設置する社会福祉法人は、総事業費の一六分の一五について国又は県から補助金の交付を受けられることになっていた。また、担保不動産を提供するなど一定の要件を満たせば、補助金支給の対象外とされる総事業費の一六分の一の部分についても、社会福祉・医療事業団から融資を受けることが認められているため、実際に準備すべき自己資金は極めてわずかで足りることになっていた。

(4) このように補助金が占める割合が大きいため、実務的には、特別養護老人ホームの設置は、補助金が交付されるか否かによって決せられており、しかも、補助金の三分の二が国からの補助に頼っているため、都道府県が特別養護老人ホームの設置に補助金を交付するかどうかは、専ら国からの補助金交付の内示があったかどうかにより決定されており、したがって、都道府県は、国からの補助金の内示があった場合に、初めて都道府県からの補助金の交付を決定するほか、当該社会福祉法人の設立を認可しているのが実情である。

(5) これを埼玉県について見ると、特別養護老人ホームの設置希望者は、県知事に対して老人福祉施設設立計画書を提出し、埼玉県ではこれを検討した上、九月から一〇月にかけて、厚生省との間で第一次国庫補助協議を行い、設置希望者に対する必要な指導を行って、施設の基本設計及び実施設計を踏まえた老人福祉施設整備費協議書を提出させ、翌年二、三月ころ、厚生省との間で第二次国庫補助協議を行っていたが、その際、厚生省の審査の参考に供するため、協議案件に県内優先順位を付して提出していた。そして、同年四、五月ころ、厚生省から、国庫補助金の交付案件及び補助金額の内示を受けると、設置希望者に補助金の内示を示達し、その後、設置希望者は、埼玉県知事に対する社会福祉法人の設立認可申請を提出し、これを受けた埼玉県では社会福祉法人の設立を認可している。その後、当該法人から、埼玉県知事に補助金交付申請がされ、埼玉県では前記内示に従って厚生省に対して補助金交付申請を行い、正式の補助金交付決定を受けてから、当該法人に対して補助金交付を決定している。

(6) 厚生省においては、大臣官房老人保健福祉部老人福祉計画課(平成四年七月一日の組織改正後は、老人保健福祉局老人福祉計画課)が関係都道府県と国庫補助協議等の審査を行って、設置すべき特別養護老人ホームを内定し、大臣官房老人保健福祉部長(前記改正後は老人保健福祉局長)の決裁を経た上、社会・援護局施設人材課に対して、補助金交付予定の施設数、必要補助金額を登録している。そして、老人保健福祉計画課では、予算額の範囲において、補助金交付の特別養護老人ホームと補助金額等を決定し、まとめて社会福祉施設整備費実施計画書を作成して施設人材課に提出し、これが大臣官房会計課長、大蔵大臣の承認を受け、さらに、大臣官房長に対する実施計画の説明が行われ、老人福祉計画課では老人保健福祉部長の決裁を受け、補助対象施設名、金額を都道府県に内示している。内示後、補助金交付申請があると、老人福祉計画課が受理して、大臣官房老人保健福祉部長と会計課長の決裁を受けて、補助金交付を決定している。

(三) 乙川の丙山に対する便宜供与等について

(1) 丙山は、後述のとおり、甲野の助言を得て、北本病院の経営を始めたが、他に高機能病院を開設したこと等から、多額の負債を抱えるようになったため、甲野の話を聞いて、在宅介護支援センターを北本病院に併設する等して、国又は埼玉県の補助金を獲得する方途等を考えるようになり、平成三年一一月ころ、その所管課である埼玉県生活福祉部高齢者福祉課の厚生省出身の課長を浦和市内の飲食店で接待し、在宅介護支援センター設置等への協力を求めたものの、予期に反して協力を得ることができなかった。そして、丙山は、右課長が平成四年四月には交代するとの情報を得たほか、甲野から、その後任には新たに厚生省から乙川が出向する予定であるとの情報を知らされたため、甲野に対し、「今度来る課長によろしくお伝え願えますか。」と依頼して、その了承を得ておいた。そこで、甲野は、同月一日ころ、離任のあいさつに来た乙川に対し、「埼玉県には丙山という人がいる。彼とは古くから付き合いがあるので、よろしく頼むよ。」と伝えられ、乙川としては、丙山のために好意的取り計らいをしてほしいとの依頼であると理解した。

(2) 丙山は、平成四年四月二一日ころ、埼玉県生活福祉部高齢者福祉課長として赴任した乙川を浦和市内の飲食店に招待した際、乙川から、埼玉県内には特別養護老人ホームが不足しており、「土地さえあれば、国や県から交付される補助金で特別養護老人ホームを建設でき、運営についても措置費が支給されるので、安定した収入が得られる。」等の説明を受けて、特別養護老人ホームの設置及び運営に強い興味を抱き、その後も折を見て、乙川から、施設工事の補助金はその算定基準が実際より高額であるため、施設工事を発注する代わりに、建設業者からその差額を共同募金会を通じて寄付させられること、資金が不足しても、社会福祉・医療事業団等から低利の融資を受けられ、その利子補給は県がしてくれること、人件費が安い職員を雇って措置費を節約し、施設長の給与を高くして、施設の運営主体である社会福祉法人に寄付させ、これを借金の返済資金に充てられること等の特別養護老人ホームの設置、運営に関する様々な教示を受けた。その結果、丙山は、同年五月上旬ころ、乙川に対して、特別養護老人ホームの設置、運営を始めることにした旨伝えたところ、乙川からこれに対する協力の約束を取り付けた。

(3) 北本特別養護老人ホームの設置経緯等

ア 丙山は、埼玉県北本市内の北本病院の隣地に特別養護老人ホームを建設することを計画し、前記の職務権限に加えて、地元住民や市町村から協力を得るための指導、折衝等の職務権限も有していた乙川に、北本市の福祉部長や隣地所有者への説明を依頼し、乙川は、平成四年八月下旬から九月上旬にかけて、埼玉県庁において、これらの者に対して、特別養護老人ホームの設置計画の概要を説明した上、埼玉県としても右計画に積極的に取り組むつもりであるなどと説明して、右計画への協力を依頼したところ、いずれも協力を得ることになった。

イ また、乙川は、平成五年三月ころ、かつて越谷市内で特別養護老人ホームの施設長を務めたことのある中村順を丙山に紹介して、施設設置の相談に乗らせることにしたほか、本件特別養護老人ホームの施設長に就任させ、また、丙山の依頼を受けて、施設工事の担当を予定した斉藤工業株式会社の代表者に対して、特別養護老人ホームの建設に関しては、国や県から補助金が支給されるので、建設代金の回収に関しては心配することはない旨説明し、その結果、同社は後に本件特別養護老人ホームの建設工事を受注するに至った。

ウ 平成五年七月、運営主体となるべき社会福祉法人桃泉園が、北本特別養護老人ホーム建設資金の融資を社会福祉・医療事業団に申し込んだところ、理事長の丙山が償還者にも連帯保証人にもなっていない上、理事長の丙山から土地や資金の寄付がない等の問題点があると指摘して、同事業団が融資に難色を示したところ、前記の職務権限に加えて、同事業団の融資の相当性に関する意見書を作成する職務権限も有していた乙川は、部下の課長補佐を同事業団に派遣し、融資の実行を強く迫った。

エ 丙山は、埼玉県に提出した老人福祉施設設立計画書や老人施設整備費協議書等の埼玉県による受理及び審査、埼玉県から厚生省に対する国庫補助協議書の提出等の手続を経て、平成五年五月一〇日ころまでに、補助金交付の内示を受けた。また、丙山は、同年七月二七日、埼玉県に対して、社会福祉法人桃泉園の設立認可申請をし、同年八月五日、その設立が認可された。その後、桃泉園は、約四億六〇〇〇万円の施設整備補助金の交付を受けたほか、前記事業団から約二億八〇〇〇万円の融資を受けるなどして、同年七月には工事が始まり、平成六年二月二八日には、北本特別養護老人ホームの設置が認可され、同年三月にはその営業を開始した。

(4) 複合型社会福祉施設「あけぼの」の設置経緯等

ア 丙山は、平成五年二月ころ、埼玉県上尾市内の土地を安価で購入できる情勢となったため、国庫補助金等により、大規模な特別養護老人ホームのほかに、デイサービスセンターの建設を計画していたが、乙川は、財団法人日本船舶振興会(以下「船舶振興会」という。)の補助金を利用して、特別養護老人ホームに地域住民に開放されたプールやアスレチック等の施設(アクティビティセンター)を併設し、福祉施設のモデル事業にする構想を抱いていたことから、同年七月ころ、丙山は、乙川から右構想を持ちかけられて、これに賛同して、特別養護老人ホーム等の施設にアクティビティセンターを併設する計画を固めた。

イ 船舶振興会から補助金の交付を受けるには、事業主体の社会福祉法人の設立が必要であったため、丙山は、乙川に、社会福祉法人設立認可申請書の設立趣旨を起案してもらった上、平成五年八月三一日、右申請書を埼玉県に提出した。一方、平成六年二月二四日、船舶振興会から五億円の補助金の内示があったため、乙川は、部下職員に命じて、右社会福祉法人設立認可の手続を平成五年度内に進めるように指示した結果、平成六年三月三〇日、社会福祉法人彩光会の設立が認可された。

ウ 丙山は、船舶振興会からの補助金では不足する工事費の分については、地域福祉センターを併設し、これに対する国庫補助金でまかなうことを計画し、後述するように、補助金申請等の手続を進めていたところ、平成七年三月一日、運営主体となるべき社会福祉法人彩光会に対して、地域福祉センター分の国庫補助金の内示が行われた。

(5) 特別養護老人ホーム吹上苑の設置経緯等

ア 丙山は、平成五年夏ころから、埼玉県北足立郡吹上町において、社会福祉法人彩吹会が運営主体となる特別養護老人ホーム吹上苑の設置を計画し、乙川に依頼して、吹上町長に対して、埼玉県も推進している事業である旨説明してもらうなどした結果、吹上町助役が土地を確保してくれることになった。

イ 乙川は、平成五年一一月上旬ころ、厚生省から、平成五年度の補正予算が組まれることになり、埼玉県内の施設設置計画の追加協議に応じるとの連絡を受けたため、丙山に対して、協議書の速やかな提出を促し、同年一二月二〇日、同施設について国庫補助金の内示が行われた。そこで、丙山は、平成六年二月一八日、埼玉県に対して運営主体となるべき社会福祉法人彩吹会の設立認可を申請し、同年三月七日、その設立認可が行われた。その後、右彩吹会は、同年三月二二日、約八二〇〇万円の施設整備費補助金の交付を受けたほか、同年四月二八日、社会福祉・医療事業団から二億七〇〇〇万円の融資を受け、平成七年二月二八日、吹上苑の設置が認可された。

(6) 特別養護老人ホーム川里苑の設置経緯等

丙山は、平成五年夏ころから埼玉県北埼玉郡川里村において社会福祉法人彩川会が運営主体となる特別養護老人ホーム川里苑を設置することを計画し、同年八月ころ、乙川に依頼して、川里村村長に対し、埼玉県も推進している事業であるなどと説明してもらった。

(7) 特別養護老人ホーム鷲宮苑の設置経緯等

ア 丙山は、平成五年夏ころから、埼玉県北葛飾郡鷲宮町において、社会福祉法人彩鷲会が運営主体となる鷲宮苑を設置することを計画し、乙川に依頼して、鷲宮町役場の担当者に鷲宮苑の設置に協力してもらうように口添えしてもらった。

イ 当時は、鷲宮町には、丙山のほかにも特別養護老人ホームの設置を計画する社会福祉法人があり、町内での調整が難航していたが、乙川は、平成六年七月ころ、鷲宮町長に対し、「二件とも県にあげればよい」旨指導して、鷲宮苑の設置計画が振興するように取り計らった。

(8) 特別養護老人ホーム上福岡苑の設置経緯等

丙山は、上福岡市において、社会福祉法人桃泉園が運営主体となる特別養護老人ホーム上福岡苑を設置することを計画し、乙川に依頼して、上福岡市の担当者に丙山の話を聞いてもらいたい旨口添えをしてもらい、平成六年八月末ころ、埼玉県に対して老人福祉施設設立計画書を提出し、埼玉県による受理及び審査、埼玉県から厚生省に対する国庫補助協議書の提出などの手続を経て、平成七年三月一日ころ、国庫補助金の内示が行われた。

(9) 社会福祉法人彩福祉基金の設立経緯

ア 丙山は、平成五年暮れころ、丙山が設置した各特別養護老人ホームの経費を一括処理し、余剰金を運用する仕組みの構築などについて、乙川に相談して、乙川が検討した結果によると、福祉事業の助成を目的とする社会福祉法人を設立することが可能であり、これを資金運用団体として利用することを勧められた。その後、丙山は、厚生省社会・援護局施設人材課長吉武民樹が取り寄せた助成型社会福祉法人の参考資料を乙川を介して入手し、その設立認可申請に当たり必要な事業計画書に手を入れてもらい、平成六年一〇月三一日、埼玉県知事に対して、その設立認可を申請し、同年一一月五日、その設立が認可された。

イ 丙山は、特別養護老人ホームの施設建設請負工事を受注することにより得られる利益を、共同募金会を通じて、社会福祉法人に指定寄付することにより、新たな特別養護老人ホームの土地取得代金に充てようと考え、平成六年一月、経営する産業廃棄物処理会社のジェイ・ダブリュー・エム日本産業廃棄物処理株式会社の定款に「土木建設の設計施工及び請負」を加えるとともに、商号もジェイ・ダブリュー・エム株式会社(以下、商号変更の前後を通じて「JWM」という。)と変更した。そして、丙山は、JWMに特別養護老人ホームの施設建設の受注実績をあげるため、乙川に対して、社会福祉法人による施設建設工事を紹介してほしいと依頼し、平成六年秋ころ、乙川において社会福祉法人清幸会が運営する緑風苑の建替え工事について元請業者として推薦した結果、JWMが右工事の受注に成功したことがあった。

2 当裁判所の判断

以上の認定に係る諸事実によれば、乙川は、丙山が特別養護老人ホーム等の設置及び運営等の事業活動を行っていく際、種々の職務上有利な取り計らいを行ったことが認められ、その結果、丙山の右事業活動が急速に展開できたことが認められる。ところで、丙山は、本件各現金が乙川個人に渡されたものではなく、公用による海外視察のための団体の諸経費等の支払いに充てられる趣旨で渡されたものである旨弁解するのであるが、乙川及び丙山は、捜査段階においては、いずれも本件各現金が乙川個人に渡されたものであると明確に供述している上、乙川もこれら現金の大部分を飲食代や土産物代等の個人的用途に費消したことを認めているのであり、丙山が弁解するような目的で渡されたことをうかがわせる形跡がないこと等をも併せ考慮すると、本件各現金は、乙川の海外視察の際にせん別の名目で交付されてはいるが、乙川から、その職務に関して、有利かつ便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたいとの趣旨のもとに、乙川個人に対して交付されたことが明らかであり、弁護人の主張が理由のないことは明白である。

次に、丙山の弁護人は、丙山が右程度の金員の交付は社交的儀礼の範囲内であると考えていた旨主張するのであるが、そもそも丙山と乙川とは、前述したとおり、特別養護老人ホーム等の事業展開を離れての純粋な私的な交際というものはなかったこと、乙川の当時の給与の手取額は月額三〇数万円程度であって、乙川が一般に海外視察の際に受け取るせん別の額もせいぜい五万円ないしは一〇万円という程度であり、丙山以外からこのように多額な現金を受け取ったことはなかったというのである上、本件授受の態様等をも併せ考えると、これが社交的儀礼の範囲内にあるなどといえないことは明らかであり、弁護人の主張は到底採用できない。

二  乙川及び丙山の各弁護人は、判示第一の五及び第二の一の4の各事実(乙川及び丙山間の三二万円の授受)について、丙山が所有マンションの一室を乙川に無償貸与したことが賄賂に該当するとはいえるとしても、丙山から乙川に対してなされた三二万円の振込送金は、受け取るべき理由、根拠のない金員を丙山が乙川に返還したものにすぎず、賄賂には該当しない旨主張するので、以下検討する。

1 乙川及び丙山の各検面調書によれば次のような事実が認められる。

乙川は、自宅を新築するため、丙山が所有する大宮市内のマンションの一室を平成七年四月ころから七月ころまで使用したが、右使用に際し、乙川は、丙山から「そんなに気を使う必要はありませんよ。乙川さんから家賃をもらうつもりはありません。」と言われたことがあったものの、丙山の銀行口座の番号を聞き出した上、平成七年四月二六日、同年五月三一日、同年八月七日の三回にわたり家賃相当額合計三二万円を丙山の銀行口座に振り込んでいた。なお、乙川は、当時の勤務先の厚生省に対して住宅手当の請求をするため、丙山との間の賃貸借契約書を作成したが、右契約書には家賃として月額八万円と記載されていた。そして、丙山は、平成八年一月ころまでには、右振込みの事実に気付いていたが、同年五月一二日ころ、乙川をゴルフに接待した際、乙川に対して、「あの振り込んでくれたお金は受け取れない。送り返すので口座番号を教えて欲しい。」旨告げて、乙川から同人の銀行口座の番号を聞き出した上、同月一三日、右銀行口座に三二万円を振り込んだ。

2 右の認定諸事実に照らすと、丙山は、本件貸借の開始に際し、乙川から家賃相当額が振り込まれることを予想していた上で自己の銀行の口座番号を教えているものと考えられること、丙山は、平成八年一月ころには、既に乙川による振込入金の事実に気付いていたにもかかわらず、乙川に対し振り込まれた金額を返却する手続を一切とらずに約四か月もの間これを放置していたのであり、このような処置は所論を前提とする限りは極めて不自然、不合理なことになると思われること、三二万円という金額は従前からせん別名義で供与された賄賂の額とほぼ同等額であること等に照らせば、丙山は自己の口座に振り込まれた三二万円をいったんは賃料として受領した後、新たに右三二万円を賄賂として乙川に供与することを決意し、乙川もこれを賄賂と認識して収受したと認めるのが相当であって、弁護人の主張は理由がないことが明らかである。

第二  甲野及び丙山間の賄賂の授受(判示第二の二及び判示第三の各事実)について

一  甲野及び丙山の各弁護人は、甲野が丙山に対して「有利かつ便宜な取り計らいをしたことはなく」(甲野弁論一六頁、二〇頁、丙山弁論全体)、右両名間の現金及び利益の各供与は「友人関係の延長線上でなされたものである」(甲野弁論全体、丙山弁論全体)などと主張するので、以下検討する。

1 証拠により認定できる事実

(一) 甲野の経歴並びに職務権限について

(1) 甲野は、昭和三八年四月、厚生省に入省して厚生事務官となり、大臣官房審議官等を経て、平成元年六月二七日から平成四年六月三〇日まで大臣官房老人保健福祉部長、平成四年七月一日から薬務局長、平成五年六月二九日から平成六年九月一日まで大臣官房長、平成六年九月二日から保険局長、平成八年七月二日から同年一一月一九日まで厚生事務次官の職にあった。

(2) 大臣官房老人保健福祉部長は、老人保健及び福祉の向上に関すること、老人福祉法の施行に関すること、老人保健施設の整備改善及び経営管理に関する調査及び指導に関すること等の事務を所掌しており、これら事務について、部下職員を指揮するなどして、これら事務を統括する権限を有しており、具体的には、老人福祉法所定の特別養護老人ホームの設置及び補助金の交付につき、その審査、内示及び交付決定、さらに、これら施設の運営に当たる社会福祉法人の設立認可に関する都道府県知事に対する指導監督等を行うこと等の職務権限を有していた。

また、大臣官房長は、厚生省における職員の任免等の人事に関する事務、法令案の審査その他の総合調整に関する事務、経費及び収入の予算、会計に関する事務、所管行政に関する基本的かつ総合的な政策の策定に関する事務等をつかさどる大臣官房の事務を掌理しており、具体的には、特別養護老人ホームの設置に関する補助金交付について、各年度予算の概算要求に際して、大臣官房会計課長等を指揮し、あるいは自らが大蔵省と折衝して予算の確保にあたり、施設整備の実施計画書の承認及び補助金交付決定につき決裁権限を有していた右会計課長等を指揮監督する職務権限を有していたほか、社会福祉施設等施設整備費予算全体の執行に関しても、厚生省内全体の総合調整を図る見地から、右事務の分掌を受けていた社会・援護局施設人材課長を指揮監督する職務権限を有していたし、乙川を始めとする厚生省職員の任免等の人事に関する職務権限を有していた。

(二) 甲野と丙山の交際状況等

丙山は、かつて参議院議員の私設秘書をしていたことがあり、右議員が厚生省所管の事項について造詣が深かったことなどもあって、昭和四八年ころから厚生省に出入りするようになり、次第に厚生省幹部と親密の度を深めていった。その後、国会議員への途を断念した丙山は、情緒障害児のための福祉施設の建設を計画するようになり、昭和五五年ころ、当時の厚生省幹部から、社会局施設課長であった甲野を紹介されて相談したところ、甲野からは、情緒障害児の福祉施設の経営には困難さが伴うので、むしろ経営基盤が安定している老人病院を経営する方が確実であると指導されたため、昭和五六年三月には、埼玉県北本市内に北本病院を開設したが、その経営状態は順調に推移していた。そして、丙山は、昭和五七年以降は、厚生省幹部らによるゴルフコンペの接待に甲野を招待するようになり、その後は、将来の厚生事務次官候補との評判が高かった甲野に対して頻繁にゴルフや飲食等の接待を重ねるようになって、甲野との親密さを深めるようになった末、昭和六三年八月以降、甲野が声をかけた厚生省職員らを会員とする医療福祉研究会と称する勉強会を発足させて、都内の一流ホテルで会合を重ね、これに要した費用はすべて丙山が支払うようになっていた。また、丙山は、甲野に対し、昭和六二、三年ころから二、三年間にわたり、埼玉県大宮市内に所有する家屋を無償で貸与したり、平成三年一一月ころには、建設中の栃木県内のゴルフ場の会員権を甲野名義で九五〇万円で購入して、これを甲野に渡したことがあった。ところが、丙山は、平成二年二月施行の衆議院議員選挙に立候補したが落選し、さらに、昭和六〇年三月に高機能病院として開設した七里病院の経営状態が著しく悪化し、平成三年にはこれを売却処分したが、約一七億円にも達する個人的負債を抱えるに至り、他方では、北本病院の経営状態も悪化してきたことから、その打開策に苦慮する状態となった。

(三) 甲野の丙山に対する便宜供与等について

(1) 丙山は、前述したとおり、平成三年ころには、多額の負債を抱える傍ら、北本病院の経営実績も芳しくはなかったため、北本病院の経営状態を改善するためには、在宅介護センターを北本病院に併設したり、北本病院を老人専門救急病院に改編して、国や県から補助金を得られないかと考えるようになり、甲野の助言を求めるようになった。

(2) そこで、丙山は、右の点についての協力を依頼するため、平成三年一一月上旬、厚生省出身の当時の埼玉県生活福祉部高齢者福祉課長を浦和市内の飲食店で接待したが、予期に反して無愛想な対応しか得られなかった。その後、丙山は、平成四年四月には、右課長職が交代になると聞きつけたことから、同年二月、厚生省に甲野を訪ね、新課長の予定者が乙川であるとの情報を得て、「今度来る課長によろしくお伝え願えますか。」と依頼して、甲野からその承諾を得た。そこで、甲野は、平成四年四月、転任の挨拶回りに来た乙川に対して、「埼玉県には丙山という人がいて、彼とは古くからの付き合いだから、よろしく頼むよ。」と丙山のための好意ある取り計らいを依頼した。

(3) 丙山は、平成四年四月一日付けで埼玉県生活福祉部高齢者福祉課長として着任した乙川から、同月二一日以降、前述したとおり、特別養護老人ホームの設置及び運営について、様々な教示を受けるようになった。

(4) そこで、丙山は、平成四年五月七日、赤坂の料亭に大臣官房老人保健福祉部長であった甲野を接待した際、乙川から特別養護老人ホームの設置及び運営を勧められていることを明らかにして、助言を求めたところ、甲野は、特別養護老人ホームの運営に要する費用は国庫から措置費が支給されるので、経営は安定していること、一部には職員の人件費を抑制して、多額の報酬を得ている施設長も存在するなどと説明した上、丙山がこの種施設の設置及び運営に乗り出すのであれば、全面的に支援することを約束した。そのような経緯も加わって、平成四年五月上旬ころまでには、丙山は、乙川及び甲野の支援を取り付けたことから、特別養護老人ホームの事業展開に乗り出すことを決意した。

(5) 北本特別養護老人ホームの設置経緯等

丙山は、その経営に係る北本病院の隣地に特別養護老人ホームを設置することを計画し、老人福祉施設設立計画書や老人施設整備費協議書等を埼玉県に提出し、埼玉県による受理及び審査の手続、埼玉県から厚生省に対する国庫補助協議書の提出等の手続を経て、平成五年五月一〇日ころまでには、補助金交付の内示を受けた。そして、丙山は、同年七月二七日、埼玉県に対し、その運営主体となる社会福祉法人桃泉園の設立認可申請を行い、同年八月五日には同法人の設立認可が行われた。その後、桃泉園は、約四億六〇〇〇万円の施設整備費補助金の交付を受けたほか、社会福祉・医療事業団から約二億八〇〇〇万円の融資を受けるなどして、平成六年二月二八日、北本特別養護老人ホームの設置が認可され、同年三月からその運営が始められた。

(6) 複合型社会福祉施設あけぼのの設置経緯等

ア 平成五年二月ころ、丙山は、埼玉県上尾市の土地を入手することができたため、大規模な特別養護老人ホーム及びデイサービスセンターの建設を計画していたところ、同年七月ころに至り、乙川から、財団法人日本船舶振興会(以下「船舶振興会」という。)の補助金を利用して、特別養護老人ホームに地域住民に開放された施設を併設して、福祉施設のモデル事業にする計画を持ちかけられてこれに賛成し、計画中の特別養護老人ホーム等の施設に地域住民に開放されたアクティビティーセンターを併設することを決意した。

イ ところが、同年九月ころ、丙山は、船舶振興会からの補助金だけではアクティビティーセンターの建設資金が不足することになる旨乙川から指摘を受けたため、厚生省の大臣官房長室に甲野を訪問し、右建設資金の捻出方法を相談したところ、甲野は、前記吉武民樹施設人材課長を呼び出し、「何か補助金はつけられないか。何とか知恵を出せ。」などと指示した。

ウ 平成六年二月二四日、船舶振興会から、当初の見込み額を大きく下回る約五億円の補助金の内示があり、丙山は、できるかぎりの国庫補助金を上乗せして得たいと考え、同年六月二三日、赤坂の料亭において、甲野、乙川、吉武らを接待して助言を求めた際、甲野が吉武に対してアクティビティーセンターに対する国庫補助金交付の可能性について質問をしたところ、「地域福祉センターを併設することにより、約二億円の国庫補助金を交付できる。」旨吉武から回答があったため、甲野は、「そうか、それで何とかしてやれ。」と吉武に対して即座に指示をした。また、甲野は、丙山から平成六年度中に補助金を交付してほしいとの要望があったことから、吉武に対し、補正予算が組まれた場合には速やかにこれに対応するようにとの指示をした。

エ 地域福祉センターに関する厚生省の所管部署は、社会・援護局地域福祉課であったが、乙川らを通じてアクティビティセンターへの補助金交付の打診を受けていた同課においては、当該年度予算自体に余裕がなかったこと、船舶振興会の補助金の対象施設である大規模デイサービスセンターと地域福祉センターとされるアクティビティセンターのデイサービス機能が重複するため、補助金の二重交付になりかねないとの問題点があることを指摘して、アクティビティセンターに対する補助金の交付に難色を示していた。そこで、丙山は、同年一一月四日、赤坂の料亭において、甲野、吉武のほかに、右所管課長である高山康信地域福祉課長を接待したが、その際、丙山の意向に従った甲野が高山課長に対して、「丙山さんは私の友達だから、君らも付き合って欲しい。丙山さんの相談に乗って欲しい。」などと依頼したため、結局、地域福祉課においては、必要とされる介護の程度によりデイサービス事業の役割を分担することで折り合いを付け、地域福祉センターに対する国庫補助金が交付されることになり、平成七年三月一日、国庫補助金の内示が行われ、同月二四日、彩光会は約八億九〇〇〇万円の整備補助金の交付決定を受け、そのころ右金額の交付を受けた。

(7) また、丙山は、北足立郡吹上町に社会福祉法人彩吹会が運営主体となる特別養護老人ホーム吹上苑を設置したが、右彩吹会は、平成六年三月七日、その設立が認可され、同月二二日には、約八二〇〇万円の施設整備費補助金の交付決定を受けたほか、同年四月二八日、社会福祉・医療事業団から二億七〇〇〇万円の融資を受けた。そのほかにも、丙山は、北埼玉郡川里村に社会福祉法人彩川会が運営主体となる特別養護老人ホーム川里苑、北葛飾郡鷲宮町に社会福祉法人彩鷲会が運営主体となる特別養護老人ホーム鷲宮苑、上福岡市に社会福祉法人桃泉園が運営主体となる特別養護老人ホーム上福岡苑の設置を計画し、乙川の援助を受けて、設立計画書の提出や国庫補助協議書の提出等が行われた。

(8) 乙川の出向期間の延長について

ア 丙山は、乙川が平成六年三月末には埼玉県への出向期間を終えて厚生省に戻るものと考えていたため、同年一月上旬ころ、赤坂の料亭において、大臣官房長として厚生省職員の人事に関する職務権限を有していた甲野と面談した際、乙川の在任期間を一年間延長して欲しいと依頼したところ、甲野は、乙川や埼玉県の意向に反しない場合には、出向期間の延長は可能であると答えた。そこで、丙山は、直ちに乙川に対して、一年間の在任期間の延長を説得し、乙川もこれを承諾した。

イ 平成六年二月ころ、同年三月末には埼玉県への出向期間が終了する予定の乙川の人事について、担当者である大臣官房人事課課長補佐貝谷伸が甲野に対して打診したところ、甲野から「三年目なら三年にしてやれや。」と指示されたため、乙川を異動対象者から除外した人事異動案を作成し、大臣官房人事課長、大臣官房長の甲野、厚生事務次官の各決裁を受けた。その結果、乙川は、平成七年三月三一日まで埼玉県に残留し、引き続き生活福祉部高齢者福祉課長を務めることになった。

2 当裁判所の判断

以上認定の諸事実によれば、甲野が大臣官房老人保健福祉部長及び大臣官房長の当時の職務に関して、丙山のために種々の便宜な取り計らいをしてきたことが明らかであり、丙山は、その結果、平成三年当時は病院経営の失敗により約一七億円にも達する個人負債を抱えていたのに、平成四年ころからは、埼玉県内において、特別養護老人ホームの設置、運営の事業を急速に展開することが可能になったことが認められる。そして、丙山から甲野に供与されたものは、現金四〇〇〇万円及び二〇〇〇万円という巨額のものであり、二回にわたる自動車の無償貸与も二五〇万円ないしは三〇〇万円以上という多額のリース料金に相当する財産上の利益であり、単なる友人関係やその延長として授受がされたものとは到底いえず、丙山による甲野への本件現金等の供与は、丙山が、甲野の職務に関して、甲野から有利かつ便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたいとの趣旨等のもとにされたことが明らかであるから、弁護人の主張は理由がないというべきである。

二  甲野及び丙山の各弁護人は、判示第二の二の1及び2並びに判示第三の二及び三の各事実(甲野及び丙山間の現金合計六〇〇〇万円の授受)について、「丙山から甲野に対して交付された現金合計六〇〇〇万円は贈与されたものではなく、貸与されたものである」旨(甲野弁論二九頁、丙山弁論三頁)主張するので、以下検討する。

1 証拠により認定できる事実

(一) 甲野は、平成六年六月下旬ころには、当時居住していた公務員宿舎が手狭になったため、川崎市内に所有する自宅を売却し、その資金を利用して付近のマンションの購入を計画していたところ、○○ヒルハウス三〇一号室が売りに出されていることを知って、丙山に対して、右マンションの購入計画を相談したところ、丙山は、甲野に対し、「川崎の家は売る必要がない。購入資金は用意するのでまかせてほしい。」旨申し出ていた。そして、同年七月中旬ころ、甲野は、丙山に対し右マンションの下見と購入価格の交渉方を依頼したほか、同月二五日ころには、マンションの販売価格が七五〇〇万円まで下がったことを知って、この価格で購入することを決意し、丙山に対し、「あのマンションを七五〇〇万円で買うことに決めた。二九日に契約して手付け金を払う。」と連絡した。そこで、丙山は、同月二七日午後には購入資金を準備して甲野に手渡す旨約束した上、北本病院の上野事務長にとりあえず現金二〇〇〇万円を準備させた。

丙山は、同月二七日、厚生大臣官房長室に甲野を訪ね、鞄から現金二〇〇〇万円の入った大型の茶封筒を取り出して、「これ、手付けの分です。使って下さい。」と言って差し出したところ、甲野はいったんは「そんなことはしなくていいよ。」といって辞退したものの、丙山から「いいから、いいから。持ってきたんだから貰っておいてよ。」などと言われた結果、「そう悪いね」と言ってこれを受け取った。その後、甲野は右紙袋内に二〇〇〇万円が入っていることを確認し、一〇〇〇万円を妻に渡して、購入代金の手付け金七五〇万円の支払いに当てるほか、残りは預金しておくように指示し、残りの現金一〇〇〇万円は、茶封筒に入れたまま、自宅の本箱の下の引き出し内に保管しておいた。

(二) 同月二九日、甲野は右七五〇万円の手付け金を自己宛小切手(預手)で支払ったが、残代金として約七〇〇〇万円が必要であったため、富士銀行虎ノ門支店に七〇〇〇万円の融資を申し込み、同年八月一九日、富士銀行虎ノ門支店から七〇〇〇万円を借り入れた上、前記引き出し内の茶封筒に保管してあった現金一〇〇〇万円のうちから持ち出した現金約二五〇万円と共に、マンションの残代金の支払いに充ててこれを完済した。一方、甲野は、そのころ、不動産仲介業者に対し川崎市内の自宅を五五〇〇万円程度で売ってもらいたいと話しておいた。

(三) 丙山は、甲野が銀行から七〇〇〇万円の融資を受けて、残代金を完済したことを聞かされると、「官房長がマンションを買うときは私が全部面倒を見るつもりで以前から金は準備していた。」「銀行から借りた金は金利が高いから早く返した方がいい。」「五〇〇〇万円を用意しているから二三日に届ける。」と申し出た。そこで、甲野は、同月二二日、丙山に対して、先日の件については四〇〇〇万円都合してほしい旨告げて、丙山は、これを了承した上、資金を用意して、同月二三日ころ、大臣官房長室に甲野を訪ね、「これ、四〇〇〇万円入っていますから。」と言って、現金四〇〇〇万円が入った鞄を差し出したところ、甲野は「済まないね。」と言いながら右鞄を受け取った。その際、丙山は、甲野に対して、右マンションを全面的に改装しよう、改装資金は自分に任せてほしいなどと申し出た。(その後、丙山は、取引のある建設会社に右マンションの改装工事を施工させ、甲野は工事代金のうち約五〇〇万円だけ支払えばよいように取り計らい、残代金約二九〇〇万円は自分が引き受けることとした。)

(四) 翌二四日、甲野は右四〇〇〇万円で、川崎市内の自宅のローンの残金一五〇〇万円及び八月一九日に銀行から借り入れた融資のうち二五〇〇万円を返済した。さらに、一〇月初めには、川崎市内の自宅が代金五五〇〇万円で売れたため、これで右銀行の融資残金四五〇〇万円を完済した。なお、引き出し内の現金七五〇万円のうち、現金二〇〇万円は川崎市内の自宅の売却で得た手付け金と共に貯金させ、その後も現金三五〇万円くらいを妻に貯金させた。

(五) その後、甲野は、現金六〇〇〇万円を丙山からもらってしまったことが空恐ろしくなって、一〇月下旬、「小台の家を売って金ができたので一部を返す。」旨言って、一部を返済しようとしたが、丙山は「返してもらうつもりで都合したわけではないので、そんな気はつかわなくていい」と言って辞退したものの、結局はこれを了承した。そこで、甲野は、同月三一日、妻に三〇〇〇万円の自己宛小切手(預手)を作らせた上、丙山に対し、保険局長室で右小切手を渡した。また、甲野は、帰宅して茶封筒内にまだ現金二〇〇万円がそのまま残っていたことに気付いたため、翌一一月一日、これを妻に託して丙山に返還させた。

2 当裁判所の判断

先に認定した各事実によると、(1)本件各現金二〇〇〇万円及び四〇〇〇万円の授受の際に、返済の時期や方法、利息の有無、担保の有無など貸借関係であれば当然話し合われるべき事項が全く話題に上がっていないこと、(2)丙山は甲野に現金二〇〇〇万円を供与する際、「持ってきたんだから貰っておいてよ。」旨述べており、また、丙山は甲野から三〇〇〇万円の小切手を受け取る際、「返してもらうつもりで都合したわけではないので、そんな気はつかわなくていい」旨辞退していること、(3)甲野はマンション購入に際し、丙山から、「川崎の家は売る必要がない。購入資金は用意するのでまかせてほしい。」旨申出を受けていること、また、四〇〇〇万円の供与を受けた際にもマンションを丙山の費用で全面的に改装する旨申出を受けていること、(4)丙山は、本件各現金を供与した平成六年七月から八月までには、前記のとおり三つの社会福祉法人を設立し、これらの社会福祉法人が運営する社会福祉施設に対する国庫補助金や社会福祉・医療事業団からの低利の借入金などとして総額約一三億九〇〇〇万円の交付を受け、さらに船舶振興会から五億円の補助金交付を受ける見込みになっていたことに加えて、甲野及び丙山は、それぞれの検面調書(乙二二、乙一三)において、本件各現金が丙山から甲野に贈与されたものであることを認めていること等を総合すると、本件各現金二〇〇〇万円及び四〇〇〇万円はいずれも贈与の趣旨で供与されたことが明らかと言うべきである。

たしかに、弁護人指摘のとおり、甲野が総額六〇〇〇万円の供与を受けた後、合計三二〇〇万円を丙山に返還した事実が認められるが、この点については、甲野が自己の検面調書(乙二二)において「私は、一〇月初めに富士銀行虎ノ門支店に借入金を完済してほっとしたとたん、丙山さんから六〇〇〇万円をもらったことが空恐ろしくなり、あんなものをもらうのではなかったという後悔の念が湧き始め、それが日増しに強くなった。」旨供述しており、右供述内容は当時の甲野の心境の変化を赤裸々に吐露したものとして極めて自然であって信用できるというべきであるから、弁護人指摘の事実があったからといって、これが贈与の趣旨で供与されたという前記認定を左右するようなものではないというべきである。

したがって、弁護人らの右主張は採用できない。

三  甲野及び丙山の各弁護人は、判示第二の二の4及び判示第三の四の各事実(甲野及び丙山間の二回目のリース自動車の無償貸借)について、供与された財産上の利益は、甲野が貸与された自動車を実際に使用していた約八か月分のリース代金五六万四四四〇円にとどまる旨主張する(甲野弁論二一頁、丙山三頁)。

しかしながら、甲野と丙山との間においては、平成四年六月一六日ころにも、使用期間三年の契約でリースされた自動車が無償で貸与されており(判示第三の一の事実)、右平成四年のリース契約が終了したため、平成七年のリース契約が締結されて本件自動車の無償貸与がなされたという経緯があること等に照らすと、平成七年七月二六日の時点で、三年間のリース契約にかかる自動車の貸し渡しを受けたことをたがいに認識していたというのであるから(甲野及び丙山はいずれも検面調書においてその旨認識していたことを認めている)、甲野は、丙山からリース契約にかかる本件自動車を三年間無償で利用できる地位の供与を受けたと評価するのが相当であって、その収受した財産上の利益は右自動車の三年間のリース料に相当する二五三万九九八〇円であるというべきである。したがって、弁護人らの主張は採用できない。

(法令の適用)

一  被告人乙川について

同被告人の判示第一の一ないし四の各所為は、いずれも平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下「改正前の刑法」という。)一九七条一項前段に、判示第一の五及び六の各所為は、いずれも刑法一九七条一項前段に各該当するところ、以上は平成七年法律第九一号附則二条二項により刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い判示第一の六の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状により平成七年法律第九一号附則二条三項により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、被告人が判示第一の各犯行により収受した賄賂はいずれも費消されて没収することができないので、判示第一の一ないし四の各犯行にかかる分については改正前の刑法一九七条の五後段により、また、判示第一の五及び六の各犯行にかかる分については刑法一九七条の五後段により、その価額の合計金一一二二万円を被告人から追徴することとし、訴訟費用のうち、証人松島利夫に支給した分の二分の一は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人の負担とする。

二  被告人丙山について

同被告人の判示第二の一の1ないし3及び第二の二の1、2の各所為は、いずれも改正前の刑法一九八条に、判示第二の一の4、5及び第二の二の3の各所為は、いずれも刑法一九八条に各該当するところ、各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は平成七年法律第九一号附則二条二項により刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い判示第二の二の2の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、被告人の判示第二の二の1の犯行により供与した賄賂のうち二〇〇万円は被告人に返還された後、混同ないし費消されて没収することができないので、改正前の刑法一九七条の五後段により、その価額金二〇〇万円を被告人から追徴することとする。

三  被告人甲野について

同被告人の判示第三の一ないし三の各所為は、いずれも改正前の刑法一九七条一項前段に、判示第三の四の所為は、刑法一九七条一項前段に各該当するところ、以上は平成七年法律第九一号附則二条二項により刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い判示第三の三の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、被告人が判示第三の一及び四の犯行により収受した各賄賂は性質上没収することができず、また判示第三の二の犯行により収受した賄賂のうち現金一八〇〇万円については混同ないし費消されて没収できず、判示第三の三の犯行により収受した賄賂は費消されて没収できないので、判示第三の一ないし三の各犯行にかかる分については改正前の刑法一九七条の五後段により、また、判示第三の四の各犯行にかかる分については刑法一九七条の五後段により、その価額の合計金六三六九万一七八〇円を被告人から追徴することとし、訴訟費用のうち、証人松島利夫に支給した分の二分の一及び証人高山康信に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人の負担とする。

(量刑の事情)

一  本件犯行一般について

本件は、老人福祉行政を担当する厚生省の幹部職員と、厚生省から埼玉県に出向して同県の老人福祉行政の中核を担っていた幹部職員が、多数の特別養護老人ホーム等の施設を設置、運営しようとした者から、多数回にわたり飲食等の接待を受けて深く癒着した状況下において、賄賂の授受を繰り返したという事案である。

いわゆる高齢化社会の到来を目前にした現在において、高齢者のための保健福祉行政を一層推進し、拡充することが急務とされている状況下において、国及び地方公共団体が一体となっていわゆるゴールドプラン等の諸施策を懸命に推進しようと努力しているなかで、高齢者に対する保健福祉行政という重大な責務を国民から付託された厚生省及び地方公共団体の幹部職員が、関係業者と深く癒着した挙げ句、安易に賄賂の授受を繰り返していたものであり、高齢者の保健福祉行政に対するだけではなく、厚生省が所管する各種の福祉行政一般に対する国民の信頼を裏切り、これを著しく失墜させたその責任は重大であるばかりか、福祉の第一線で地道かつ着実に稼動し、懸命に努力している福祉関係者に与えた衝撃の深刻さは計り知れないものがあり、犯情悪質極まりないといわなければならない。

二  被告人甲野について

被告人は、長年にわたり、厚生省に勤務して、同省の主要ポストを歴任し、犯行当時は、大臣官房老人保健福祉部長あるいは大臣官房長として、部下職員の指導、監督に当たりながら、厚生行政を公正かつ廉直に実施していくべき重要な職責を担っていたにもかかわらず、このような職責に対する自覚を欠き、繰り返し賄賂を収受していたものであり、本件発覚時には、厚生事務次官という厚生省における最高幹部の地位にあったため、厚生行政一般に対する国民の信頼を一挙に失墜させただけではなく、国家公務員一般の職務の公正な遂行についての国民の信頼を根底から揺るがせたものであり、本件が国民の行政不信を深める一契機となったことは否定できず、その刑事責任が極めて重いことは否定できない。しかも、本件収受に係る賄賂額は六〇〇〇万円をはるかに超える高額なものである上、マンションの購入資金の一部として供与された現金六〇〇〇万円については、丙山から資金提供の意思があることを告げられると、事前に手付け金の授受の日時を丙山に連絡したり、四〇〇〇万円の数字を挙げて資金提供を求めるなどして、暗に金員の供与を要求したとも考えられる行動に出ているほか、勤務する大臣官房長室において、白昼堂々と賄賂の授受を行っているのであり、さらに、自動車の貸借に関しては、提供されるリース会社からの自動車のカタログを事前に検討して、車種や車の色を指定しているだけではなく、いったん納車された車の色が気に入らないとして変更させてもいるのであって、その態様は悪質というほかはない。また、被告人は、丙山とは長年にわたり親密な交際を維持するうち、次第に度重なる接待を受けるようになり、親しい部下職員らとともに深く癒着してしまい、私的な飲食費用まで丙山の丸抱えという異常な生活のなかで本件犯行に至ったものであり、国家公務員としての意識の鈍磨、倫理観の欠如は厳しい非難に値するというべきである。そして、近時は、国家公務員、中でも幹部職員による常軌を逸した非常識な行動等が厳しく非難されており、国民の行政に対する信頼が深く傷付けられ、綱紀粛正が強く叫ばれている現状を考慮すると、この種事犯に対する一般予防の見地を軽視することは許されず、被告人に対しては厳しい態度で臨む必要があることは否定できない。

確かに、被告人は、供与された現金六〇〇〇万円のうち、他に流用した三〇〇〇万円については新たに同額の小切手を作成し、手つかずのまま残されていた現金二〇〇万円とともに犯行後間もなく丙山に渡していること、残額の二八〇〇万円についても、丙山との間で月額二〇万円あて割賦弁済する旨の公正証書が作成されていること、判示第三の四の貸し渡された自動車については約八か月で丙山に返還されており、実際の使用期間は比較的短かったこと、被告人は、昭和三八年に厚生省に入省して以来、厚生事務次官等の厚生省の主要ポストを歴任しており、現下の急務とされている高齢者に対する保健福祉行政に関して、いわゆるゴールドプランの策定、推進等を始めとする各種厚生行政において寄与した業績が多大であること、本件犯行発覚後は、マスコミにも大きく取り上げられて報道され、社会的にも厳しい非難にさらされており、被告人だけではなく、その家族に対しても、相当の社会的制裁が加えられていること、当然のことながら、前科前歴がない上、自己の非を反省する態度が顕著であること、その他被告人のために考慮すべき諸般の事情も種々認められる。

しかしながら、厚生省の幹部職員である被告人が高額の賄賂を収受したという本件事案の悪質さ、重大さ等に徴すると、被告人の刑事責任は相当に重く、被告人のために酌むべき前記の諸般の事情を考慮してみても、本件が刑の執行を猶予すべきまでの案件とは認められず、被告人を主文掲記の実刑に処するのはやむを得ない。

三  被告人丙山について

被告人は、病院経営等に失敗して多額の負債を抱えていたことから、国庫等から多額の補助金が交付される特別養護老人ホームの設置、運営の事業展開に乗り出し、被告人甲野を始めとする厚生省の幹部職員や埼玉県の幹部職員である被告人乙川に対して、繰り返し飲食等の接待を重ねて癒着を深め、ついには、自己の利益のために、積極的かつ巧妙に、多数回にわたる賄賂の供与を繰り返していたというものであり、公正かつ廉潔であるべき福祉行政に対する国民の信頼を深く傷付けた犯行というべきであって、本件供与額が七〇〇〇万円をはるかに超えるものであることをも併せると、犯情は甚だ悪質といわなければならない。また、我が国の福祉事業は一般に善意の篤志家の地道な努力に支えられているところ、本件犯行は、このような篤志家の地道な努力を深く傷付けたものであり、このような福祉関係者多数に与えた深刻かつ重大な悪影響の結果も、その量刑判断に際しては無視できないところである。

そうすると、被告人の刑事責任は相当に重いというほかはなく、被告人には前科前歴がなく、反省の態度も顕著であること、被告人が埼玉県内で開設した多数の特別養護老人ホーム等は、結果的には、従来は整備率が低かった高齢者に対する保健福祉施設のためには相当に貢献しているともいえること、その他被告人のために酌むべき諸般の事情を考慮しても、被告人が本件一連の犯行において占めた地位等にかんがみると、被告人の刑の執行を猶予すべきまでの事情があるとは考え難く、被告人を主文掲記の実刑に処するのはやむを得ない。

四  被告人乙川について

被告人は、厚生省から埼玉県に出向し、生活福祉部高齢者福祉課長として、部下職員を指導、監督しながら、特別養護老人ホーム等の施設整備等の職務に従事していたものであり、埼玉県の生活福祉行政のために、公正かつ廉潔にその職務を遂行すべき立場にありながら、そのように重要な職責を忘れて、本件収賄事件を敢行したものであって、職務の公正さに対する埼玉県民を始めとする国民一般の信頼を著しく裏切ったものであり、厳しい非難に値する犯行といわなければならない。そして、本件収賄額は総計約一一〇〇万円に達するものである上、これら賄賂の一部を選挙資金として衆議院議員選挙に立候補したことは、公務員としての廉潔さに反するだけではなく、遵法精神の甚だしい欠如として、厳しい非難に値するし、国民の社会一般に対する不信感を醸成するものであって、その悪影響には深刻なものがある。しかも、いわゆる高齢化社会の到来を間近に控えた現段階において、ゴールドプラン等の諸施策を実効あらしめるため、精力的に努力している厚生省関係者や地方公共団体の関係者の実績に疑念を生じさせたり、他方では、地道な努力を重ねている各種の福祉関係者に与えた深刻極まりない悪影響も軽視することはできず、被告人の刑事責任は到底軽視できない。

しかしながら、本件犯行の態様等を検討すると、丙山から積極的に接近された末、賄賂の提供を受けたことがうかがわれ、一面では丙山の働き掛けに乗せられたとも評価できる上、いわゆる要求型の収賄事犯とは異なっていること、被告人が赴任した当時の埼玉県の高齢者に対する保健福祉施設は全国的にも下位に位置していたところ、ゴールドプランを達成するためには、急速な施設整備が必要とされる状況にあったのであり、被告人は、その赴任期間内に、特別養護老人ホームだけでも四四施設の設置を手がけており、精力的に高齢者に対する保健福祉施設の整備等に励んでいたことが認められること、本件犯行発覚後は、マスコミに取り上げられ、社会的にも厳しい非難にさらされ、相当の社会的制裁を受けているといえること、被告人には前科前歴がなく、反省の態度が顕著であること、その他被告人のために有利に酌むべき諸般の事情も認められるのであり、これらの諸事情を総合考慮すると、被告人に対してはその刑の執行を猶予するのが相当である。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大渕敏和 裁判官 高山光明 裁判官 松永栄治は、海外出張中のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 大渕敏和)

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