東京地方裁判所 平成8年(行ウ)111号 判決
原告
鈴木敏文(X)
被告
小金井市長 大久保慎七(Y1)
同
舘野武二(Y2)
同
小林侯夫(Y3)
同
古谷文男(Y4)
右被告四名訴訟代理人弁護士
石津廣司
被告
小関修一(Y5)
右訴訟代理人弁護士
栗山れい子
同
森井利和
事実及び理由
第四 当裁判所の判断
一 地方自治法上の賠償責任について
原告は、本件プールに注入された水道水は地方自治法二三九条所定の物品であって、被告小林、同古谷及び同小関はこれを故意又は重大な過失によって亡失したのであるから、同法二四三条の二第一項に基づいて物品使用者としての賠償責任を負うべきである旨主張する。
ところで、同項によれば、占有動産を保管し、又は物品を使用している職員は故意又は重大な過失によって占有動産又は使用に係る物品を亡失した責任を負うべきものとされているが、水道水を同項にいう占有動産ということはできず、また、ここに物品を「使用している」とは、現実に当該物品を使用しているか、直ちに使用に供し得る状態で物品を支配していることを指すものと解されるところ、被告小林、同古谷及び同小関が本件プールに注入された水道水を右のような意味で使用していたものと認めるに足りる証拠はない。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、右被告らが同法二四三条の二第一項所定の賠償責任を負うものと解すべき理由はない。
二 被告大久保らに係る民法七〇九条に基づく賠償責任について〔略〕
三 被告小関に係る民法七〇九条に基づく賠債責任について
1 被告小関が本件プールに注水中である事実を失念したために本件溢水事故が生じたことについては当事者間に争いがないので、その過失の態様及び程度について検討するに、関係部分に各掲記する証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 休校日における二中の施設管理員の勤務時間は、午前八時三〇分から翌日の午前八時四〇分までであり、その間に五回の定時巡視が行われるが、そのうち三回目の巡視までの施設管理業務の内容は、概要以下のとおりである。〔証拠略〕
午前八時三〇分に前日勤務の施設管理員から鍵等を受け取るとともに、施設等に係る異状の有無、現に使用されている施設と利用者、当日使用予定の施設と利用者、登校予定の教職員の有無、納品や修理・修繕等での業者の来校の有無、納品された物品の確認等につき引継ぎを受ける。
午前九時から午前一一時ころまでの間に、前日の施設管理員の巡視に見落としや見忘れがないかを再確認するために一回目の校内巡視を行う(所要時間約三〇分)。
その後、午後まで用務警備室で待機し、午後一時から三時ころまでの間に、全く使用していない部屋の内部の点検や確認、不必要な個所の消灯を中心に二回目の校内巡視を行う(所要時間約三〇分)。
再び用務警備室で待機した後、生徒の最終下校の直後に三回目の校内巡視を行う。この巡視では、通常施錠している特別教室等全ての部屋に入って点検と確認とを行う(所要時間一時間強)。なお、本件プールの出入口は常時施錠してあるため、前二回の巡視では施錠の確認をするだけであり、中には立ち入らない。
定時の巡視は、戸締まり、水道栓や火元の点検、火災報知器・消火設備・ガス機器類の点検等が主な業務内容となる。通常の巡視経路は、四階西側のコンピュータールームから東へ進み、第二美術室まで進んだ後に三階に降り、三階東側にある一年五組の教室から西へ進み、第一音楽室まで進んだ後に二階に降り、二階西南側の本件プール、第一家庭科室、第二家庭科室及び更衣室を点検した後、一階に降りて西南側の体育館に行き、それから一階を東へ進み、一階東端から二階に上がって西へ職員室まで進むというものである。また、巡視時において現に利用されている施設がある場合、利用に支障を来すことのないよう、特段の事情がない限り当該施設には立ち入らないこととされている。
(二) 本件溢水事故当日の経過は、概要以下のとおりである。〔証拠略〕
(1) 被告小関は、本件溢水事故当日の朝、施設管理員Aから用務警備室で勤務の引継ぎを受けた。右引継ぎの際、いつごろ本件プールが満水になるかは聞いておらず、警備日誌にも本件プールの注水に係る記載はなかったが、午前七時から午前七時三〇分ころまでの間に行われる朝の巡視の際にAが給水管を開栓した旨聞いたこと、前日は四時間程度注水されたものと認められたこと、今まで何度も本件プールの給水を行ってきた経験上本件プールは八時間程度で満水になると考えていたことから、当日の午前中には満水になると予想し、巡視の時に本件プールの様子を見る必要性を認識していた。
(2) 本件溢水事故当日は、大体育館において本件大会が午前九時から開催される予定となっており、午前九時前から本件大会に出場する他校の教員と生徒、応援の生徒らが集合し始めた。そのほか、午前中の予定で小体育館をなぎなたの練習のために使用する市民団体の者等の出入りもあった。
職員玄関北側にある正門と、西昇降口の北西側にある西門の二つの門が開けられていたが、大体育館の入り口である同体育館北側の体育館玄関は正門や西門からは見えなかったために、右玄関とは反対側のグラウンド側から大体育館に入ろうとする者や、西昇降口や職員玄関から校舎内に立ち入る者等があった。
二中には駐車場は約六台分しかなかったが、右当日は、午前九時三〇分までに乗用車が一〇台程度、自転車が四〇台程度来校し、職員玄関の前に駐輪する等した。
また、他校の生徒らから試合開始時刻等を問い合わせる電話も午前九時三〇分ころまでに約一〇件あった。
(3) 右当日は、バレーボール部の顧問教諭と被告古谷が登校していたが、同人らは大体育館に赴いていたし、施設管理員としては被告小関一人であったため、本件大会参加者らの会場入り口への案内や指示、駐車・駐輪場所の指示・誘導、駐輪自転車の移動、電話への応対等は全て被告小関が行った。
それでも、午前九時三〇分ころにはこれらの業務が一段落したことから、被告小関はそのころ校内の一回目の巡視を行ったが、人が途絶えたわけではなかったため、最初に四階、三階を回り、一階に戻って外の様子を見た後、二階に戻るという形式で巡視を行い、全体の巡視は約一時間程度を要した。
右巡視の際、本件プールの出入口にある更衣室では、本件大会に参加する生徒が打ち合わせや軽いウォームアップをしていた。被告小関は、他の業務を遂行する中で本件プールが注入中であることを失念し、巡視の際の前記(一)の慣行に従って本件プールの更衣室の巡視を省略したことから、その先にある本件プールにも立ち入らなかった。
午後の二回目の巡視の際も同様に被告小関は本件プールに立ち入らなかった。
なお、給水管の栓はプールサイドにあるが、被告古谷及びバレーボール部の顧問教諭は、本件溢水事故当日は本件大会に関与しており、いずれも本件プールの給水状況を特段監視することはなかった。
(4) 本件大会が終了すると他校の教員や生徒が下校し、午後五時ころには被告古谷が、午後五時三〇分ころにはバレーボール部の顧問教諭が用務警備室に立ち寄った後、それぞれ下校した。
そこで、被告小関は、校門を閉めて職員玄関を施錠する等した後に三回目の巡視を開始したが、午後六時三〇分ころ、本件プールの巡視のために本件プールの出入口を解錠してドアを開けたところ、水音が聞こえたことから注水中との申送りを思い出し、直ちに給水管を閉栓した。
(5) 本件溢水事故当日は、被告小関は巡視や駐車・駐輪の整備を除けば用務警備室において待機しており、全体としてみれば用務警備室にいた時間の方が長かった。なお、施設管理員の休息時間は午後一一時三〇分から翌日の午前六時までであり、この間に仮眠をとることとされている。
(6) 市では、学校教育で使用していない時間帯に施設を市民のために積極的に開放するようになってきているが、その対応も施設管理員の職務に含まれている。二中の場合、週休日である土曜日を除いて毎日定期的に市民グループが何らかの施設利用を行っていた。本件溢水事故当時のような正式な大会は年に一、二回開催される程度であるが、練習試合等で他校の生徒らも二中に集合するようなものは多いときで月に二、三回程度ある。
(三) 被告小関は昭和四九年一一月に準職員の身分で市の施設警備員として採用され、昭和五二年四月に正規職員となった後、昭和五八年六月から現在まで二中で施設管理員として勤務してきている。〔証拠略〕
(四) 本件プールの使用計画等の統括的管理は体育科の教員が行うものとされ、具体的な換水や清掃等の事務については水泳部の顧問教諭が担当することとされているが、本件溢水事故当時までは、施設管理員がこれらの者の指示を受け、本件規程六条(10)所定の勤務として給水管の閉栓を行うことが多かった(第二の二1(三)参照)。(〔証拠略〕)
2 右に認定した事実によれば、被告小関が巡視自体を怠っていたとする原告の主張が採用できないことは明らかである。この点につき、原告は、巡視さえしていれば本件プールの注水音で本件溢水事故にすぐ気付くはずであると主張しているところ、第二の二3(二)で既に摘示したような本件溢水事故前日における注水の態様からすれば本件プールの夜間注水音に二中側が配慮していたことはうかがえるが、日中は外部騒音等の影響を無視し得ない上、本件プールの下にある大体育館にいた被告古谷ら本件大会関係者やプール更衣室にいた生徒らが右注水音に気付いていた様子はうかがえないことに照らせば、原告の主張するような経験則は妥当しないものというべきである。
しかし、右に認定したように、被告小関は午前九時三〇分以降は施設利用者への対応等の業務は相当程度軽減され、そのために一回目の巡視に赴いたものであるし、被告小関が一回目の巡視の際に前任者からの申送りを失念して本件プールの注水状況を確認せず、その後三回目の巡視の時まで注水に気付かなかったことは、施設管理員としての基本的な注意義務に違反した行為であるというほかない。そして、前記1(二)(1)記載のように被告小関が第一回目の巡視時に本件プールの様子を見る必要性を認識していた点については合理性が認められるから、遅くとも一回目の巡視の際に本件プールに係る更衣室の前に達したものと認められる午前一〇時三〇分以降において本件プールへの注水を止めなかった被告小関の行為については、市に対する不法行為責任が成立するものというべきである。
そして、プール給水に関することは施設管理員の職務であって、本件においては、本件プールに給水中である旨及び満水時の閉栓事務の引き継ぎを受け、水道栓の確認は本件溢水事故当日の巡視の大きな目的であったこと、右引継事項を失念さえしなければ、注水を止めること自体は特段困難な業務とはいえないこと、練習試合等を行うため他校の生徒らが二中に登校して来ることは多い場合には月に二、三回あり、本件溢水事故当日の被告小関の業務が格段に多忙を極めたということはなく、現に勤務時間の半分以上は用務警備室に詰めて待機していたこと、本件溢水事故当時被告小関が施設管理員として勤続二〇年以上の経験を有し、二中に配属されてからの勤続年数も一二年以上になること、本件溢水事故当時まで何度も本件プールの注水を行ったことがあること等を考慮すれば、第一回巡視時において引継事項を失念したことは、これを聞き流したことと同様に評価し得べき重大な注意義務違反ということができるのである。
ところで、地方自治法二四三条の二第一項に規定する職員以外の職員が当該地方公共団体に与えた損害の賠償責任は民法七〇九条に基づいて規律されると解されるから、この責任が発生するのは故意又は重過失に基づく場合に限られないというべきであるが、右に述べたところから、被告小関が同条の損害賠償責任を負うべきことは明らかである。
3 そこで、被告小関の前記不法行為に基づく市の損害額について検討する。
(一) 原告が主張する溢水水量は、本件プールの清掃用に本件プールの容積と同一の量の水道水を要したことを前提として計算されたものであるところ、〔証拠略〕によれば、前記第二の二3(三)記載の監査結果が右前提に基づいて本件溢水事故による市の損害額を算定していること、〔証拠略〕によれば、右の数字は市水道部が前記第二の二3(六)記載の更正をする際に推定値として用いたものであることがそれぞれ認められる。また、〔証拠略〕によれば、通常は本件プールの注水は給水管の栓を絞って八時間から一〇時間掛けて行われていたことが認められるから、本件溢水事故前日の注水(午後七時ころから午後一〇時二〇分ころまでの約三時間二〇分)においては、本件プールの容積である三四七・七五立方メートルの三分の一(約一一六立方メートル)から半分程度(約一七四立方メートル)が注水済みであったものと推認できる。そして、本件プールの清掃に三四八立方メートルが使用されたとすれば、本件溢水事故当日には検針水量二七五六立方メートルから前日給水量及び清掃用水量を控除した約二二九二立方メートルないし約二二三四立方メートルの水量が注水されたこととなり、一時間当たりの注水量は約二〇八立方メートルないし約二〇三立方メートルとなるところ、右水量は第二の二2(二)から推定される全開時の一時間当たり流水量約二四九立方メートル及び同3(三)において摘示したとおり本件溢水事故当日は給水栓はほぼ全開であったことと概ね符合するから、前記監査結果が前提とした本件プールの清掃用の水量三四八立方メートルという数値は、一応合理性を有するものと認めることができる。そして、右前提に従えば、午前一〇時三〇分から午後六時三〇分までの間に本件プールから溢水した水量は、約一六六七立方メートルないし約一六二四立方メートルであるということになり、右数値はほぼ妥当なものであると推認することができる。
したがって、本件溢水事故前日の給水量を一義的に確定することはできないが、少なくとも一六二四立方メートルは、被告小関の過失により給水され排水されたものと推認することができる。
そして、東京都給水条例によれば、一六二四立方メートルに係る本件プールの水道料金(ただし、基本料金については半額の二万二八〇〇円となる。)は、別表二のとおり六七万六四六二円となる。
4 下水道事業は、市が管理運営するものであるから、本件溢水事故により市は下水施設利用及び下水処理の費用に相当する損害を被ったものということができる。
ところで、下水道使用料は、下水の量及び水質その他使用者の使用の態様に応じて、能率的な管理の下における適正な原価を超えないものとして定められているものと推認できるから(下水道法二〇条参照)、本件溢水事故により市が被った損害は、排除された水量に基づいて所定の算定方式に従った下水道料金相当分であると一応いうことができる。しかし、出納事務上は市教育委員会が下水道料金を支出しているが、この金銭は市の収入となるものであるし、本件における下水道料金は一般汚水として算定されているが、本件溢水事故によって下水に排除された水は水道水そのものであることを考えると、被告小関が賠償すべき市の損害(本件溢水分の処理に要する適正な原価)は、一般汚水としてよりもむしろ公衆浴場汚水として算定した金額の方が実損害に近似するものというべきである。
そうすると、一立方メートル当たり一〇円を前記排水量一六二四立方メートルに乗じた一万六二四〇円をもって、市の下水道使用による損害ということができる。
5 以上によれば、市は、本件溢水事故により水道料金六七万六四六二円及び下水道料金一万六二四〇円の合計六九万二七〇二円の損害を被ったということができる。
もっとも、本件溢水事故に係る過失の態様は、第一回目の巡視において失念したことに端を発したものであるが、水道料金は使用量の増加によって単価が増額するものであり、損害は給水管の閉栓という引継事項を想起しない限り増大し続けるものであること、第一回巡視時以降は取り立てて引継事項を想起すべき契機はなく、施設管理員の職務遂行の手順として引継事項を明記する方策やプール給水中であることが分かるような表示をする等の措置も採られていなかったこと、被告小関には引継事項の失念ということ以外に職務遂行上の落ち度はないこと等の事情に照らして、損害の公平な分担という見地からすれば本件溢水事故に係る損害の全額を被告小関に負担させることは相当とは解されず、信義則上、右損害の八割に相当する五五万四一六一円をもって同被告の賠償すべき損害というべきである。
6 右の点に関して、被告小関は、たとえ本件溢水事故の惹起につき被告小関に重過失が認められるとしても、労働者は損害の原因となる圧力状態を回避できないこと、労使双方の負担能力等に格段の差異があることに照らせば、その賠償責任は信義則ないし公平の見地から半分以下に縮減されるべきである旨主張するが、右に説示した以上に損害額を減額すべき事情を認めることはできない。〔略〕
(裁判長裁判官 富越和厚 裁判官 竹野下喜彦 岡田幸人)